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『つぐみん、いた!』


毎年、冬になると、どこかにツグミがいはしないかと、その姿を求めてしまう私である。

なぜ私がツグミをそんなに好きか、というと。
昔…たぶん、1970年代の頃だったと思うが、サントリーかニッカかの洋酒の
渋いTVコマーシャルを見て、その中で朗読される詩の中に出てくる『つぐみ』という鳥に
いたく心惹かれたのが最初であったと思う。

  『爾(なんじ)等の見窄ぼらしい繪馬の前に、        、 
  なんでこの身が、額づき祈らう。          
  むしろ、われは大風の中を濶歩して、   
  轟き騷ぐ胸を勵まし、              
  鶫(つぐみ)鳴く葡萄園に導きたい…』  


という詩であった。
私が痛く心惹かれた一節は、『ツグミ鳴く葡萄園』というところであって、
ツグミとはどんな姿の鳥だろう…詩人の心を揺さぶったその鳴き声とは
どんな声であったのだろう…
と、想像を掻き立てられたのであった。しかし、その当時はインターネットなどと
いうものはまだなく、調べようもなかった……

    
それから数十年後…。雑誌『モーニング』で連載されていた『とりぱん』という漫画に
出会って、そこに出てくる、かなりキャラクター化されたツグミ…愛称『つぐみん』
にもいたく共感を覚えて、いつかツグミを見たいなあ、会いたいなあと思い続けて
いたのである。
それが、四年前の春ちょうど今頃、近くの畑につぐみんがいるのを娘が見つけてくれて、
私は長年の望みをかなえた、というわけなのだった。

後にこれはいったい誰の詩であったろうか、とインターネットで調べて、それが 
上田敏の訳詩集『牧羊神』の中に収められた『譫語(せんご)』、という詩の中の一節
であること、原詩は、ギヰ・シャルル・クロ((1879-1956)というフランスの詩人のもの。 
ということがわかり、お酒はサントリーローヤル、朗読は小林修さん。その時
かかっていた荘重で重厚な感じの曲は、ワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』
第三幕冒頭部分、ということまでがわかった(0:00から 0:60くらいのところまでかな)



そうだ、そうだ!この曲だった!
実は私が調べた、というのではなく、やはりあの時のあのコマーシャルに
心を惹かれた方がたくさんいらして、そういう方たちが調べ上げてくれたのを
私がみつけた、というわけなのだが。
冒頭の詩も、私自身は、『ツグミ鳴く葡萄園に…』という部分しか実は覚えていなかった
のだったのだが。

朗読の小林修さんは残念ながら2011年にお亡くなりになられたが、その深い声も
You tubeにアップして残してくださっている方がいた。




そうそう!この声でした!
ああ・・・なんといういい声なんだろう!


そのあたりの経緯や、私のツグミへの思いはこの過去記事に書いてあるので、
興味とお時間のあるかたは、ぜひぜひどうぞ。^^

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-2214.html

さて。
それから4年。会える年もあれば、タイミングが合わないかして会えない年もあった…
今冬も、その時つぐみんがいた件の畑を買い物の折などにわざわざ遠回りして
何度か訪ねてはみたのだが、会えない。
少しの環境変化にもおそらく敏感であろう渡り鳥であるから、何かの理由で
もうこの畑には来なくなっているのか…それともここを毎年訪れていた個体は
もはや亡くなってしまっているのか…

それでも何となくあきらめきれない私。
3月9日、その日もまた、買い物の足を延ばして、件の畑に行ってみたのである。


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いた!
つぐみんか??!!


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眼鏡をかけていても視力がひどく弱い私。
おそらく20メートルほども離れたところにいる鳥の種類は確認できない。
幸い今日は、ツグミに会えることを期待してデジカメを持っていたので、まずは写真を
撮って、それで拡大して見てみた…

ああ…きみはムクドリ君だねえ…
ツグミとムクドリは体の大きさもほぼ同じで、気弱なつぐみんはこの季節、ムクドリの
群に紛れて餌場を移動していたりするので、この畑のどこかにつぐみんもいはしないかと
しばらく佇んで探してみたがいない。来ない……

ああ。今冬もつぐみんには会えないままかな。
そういえば、昨年は、あのホトトギスの声もとうとう聴けなかったしなあ…
だんだんいろいろな鳥の個体数が減っていっているのではあるまいか。

そう寂しく思いながら、その後いろいろな店を回って溜まっていた用事や買い物を
済ませ、畑からは全く別方向の高台のあたりへ来た時だ。
そこは傾斜地になっていて、私が歩いていた歩道の横は急斜面の崖になって
下へ落ち込んでいるのだが、歩道と崖を隔てるフェンスの際にわずかな植え込みが
あって、いましもその植え込みの『ねずみもち』という木の蔭から、とととっと
走り出てきた小さな生き物がいた!
ねずみか?? いや、鳥だ!
まさか、こんなところにつぐみん??

だが、鳥は崖に消えるようにしていなくなってしまった。
崖の下には人家があって、そこの屋根か少々の畑らしきものがある、そこへ
下りたのではないかと思われたが、フェンスがあり私のところからは下を覗けない。



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ド近眼の私でも、わずか数メートルの近くを歩いていたら、あれはツグミでは
なかったか、となんとなくその大きさや動きでわかる。
ツグミの性格からして(笑)、崖の下に飛んで去っていってしまったのではなく、
待っていれば、この植え込みの先のどこかにきっとまた現れる。
そう思って、デジカメを出して、買い物はそこらに置いてじっと待っていると、
5、6メートル先のフェンスの際に、つぐみんはやはり戻ってきた!!!


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フェンスの間からカメラを差し出して、ついにつぐみんの姿を捉えることが出来た!
私史上、もっともつぐみをはっきり捉えた写真だ!

おうおう…! きみはいつでも同じポーズで。おっとりというかぼうっとしているねえ♪

みなさん。
私、ツグミに会えました!


上に紹介した過去記事を書いた時、複数のかたから、「つぐみという鳥ひとつで、
よくこんなに長い記事を書きますね」と笑われた。^^

まあ、次から次へと記事が長くなるのはいつもの私の癖なのだが、この時のツグミの記事は、
ただ長年会いたいと思い続けていたツグミにようやく会えた、という喜びだけからではない。
私同様あの時の洋酒のコマーシャル一つに心を惹かれた人々がたくさんいらして、
その情報を調べ上げてくれ、ついにその詳細がわかった、という…人間の知的好奇心と
いうものの面白さ、大袈裟に言えば、『人間の精神の営為』というものの愉快さに
また非常なる喜びを覚えた、ということだからでもあったのである。(長い文章だな)

実は、そのときのツグミに関する記事は、まだ完成したわけではなかったのであって、
『ツグミについて書きたいことはまだ半分しか書いていない。いつかまた続きを書きたい』
と予告もしていたのだったが、今回ツグミにまた会えて、記事を書くことが出来たので、
少し続きを書いてみよう・・・内容が重複するところもあるが。

ツグミ。
スズメ目ツグミ科ツグミ属。
学名:Turdus eunomus
英名:Dusky thrush

ツグミの仲間は実はたくさんいて、秋に日本に渡ってきて春に去っていくツグミは、
上に書いたように、英名:Dusky thrush と呼ばれるものであろうと思われる。
『dusky』は、『薄暗い、陰うつな、黒ずんだ』などという意味であって、なるほど
私たちが日本で見るいわゆる『ツグミ』は、灰色と茶というか、目立たぬ色の鳥
である。彼がものに驚いて飛び立つときなどに出す声は、「キャッ!キャッ!」とでも
いうようなむしろ悪声であって、上記ギヰ・シャルル・クロの詩にあるような
美しいさえずりなどとは程遠い鳴き声なのである。
『ツグミ』というその名も、昔から渡りで秋から冬、春先まで日本で見られるそれは、
いわゆる越冬のためにいるのであって、普通鳥が美しい声で歌う繁殖期の歌、
いわゆる『さえずり』の声はツグミに関してはめったに聞かれないので、
口をつぐんでいる鳥…というところから『ツグミ』という名がついた、という説が
あるようなのである。

そこで沸いた私の疑問。詩人が歌ったツグミの美しい声とは矛盾しないか、
詩人の聞いたツグミの歌声とはどんなものだったのか、という問いも、ツグミについて
調べ上げてくれた人がいて疑問が氷解したことは、先の記事の中でも書いた。
次のサイトの、桝田隆宏氏(松山大学)のツグミに関する丁寧な論考である。


『英米文学鳥類考:ツグミについて』 桝田隆宏(松山大学)
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180422121828.pdf?id=ART00

簡単に言えば、上記ギヰ・シャルル・クロの詩に歌われたツグミは、おそらく
俗に『ウタツグミ(song thrush)』と英名で呼ばれる美声で称えられる種類のツグミで
あろうということ。日本で見るツグミとは種類が違うということ。ツグミは非常に
種類が多いのである。
では、そのウタツグミの歌は、実際にはどんな美しい声で歌われるのか。

その疑問にもちゃんと答えてくれる人がいた!





ああ!
知るって、なんと楽しいことなんだろう!


ちなみに。
この時、ツグミが飛び出てきた『ネズミモチ』の茂みだが、ほとんどの草の実、木の実の
落ちてしまった冬にも、その少し紫味を帯びた鼠色の目立たぬ実がたわわに
生っている。ひょっとしてツグミはあの実を食べていたのではないか?と思いつき
調べたら、やはりそうだった!

250px-20220114ツグミ_東広島市鏡山_南葉撮影_IMG_249076s
(写真は、広島大学のこちらのサイトからお借りしました)
https://www.digital-museum.hiroshima-u.ac.jp/~main/index.php/%E3%83%84%E3%82%B0%E3%83%9F

目立たぬ不透明な感じの灰色の、いかにもまずそうな実なので、鳥たちも
食べないのかと思っていたのだが、意外や意外、鳥たちの好物なのだそうだ。
また、人間にとっても、戦時中はこれの砕いた実をコーヒー豆の代用として
飲んだこともあったようだし、同果実を乾燥したものは生薬ジョテイシ(女貞子)で、
強心、利尿、緩下、強壮薬などなどとして古くから用いられているという。
また、梅雨のころ白い花を咲かせるのだが、この花から採れる蜂蜜は一番美味しい
という養蜂家もいるそうなのだから、「へええっ!」である。そんな有用な樹だとは
これまで知らなかった。
ネズミモチだったかトウネズミモチだったかな。今度確認しておこう。
それにしても、つぐみんは美味しいもの知っててあそこにいたんだな。

そうやってツグミに関しては私の知りたかったいろいろなことがわかっては来たけれど、
あと一つ。心に残ることは。
日本で見るツグミも、おそらくは繁殖期に歌う恋の歌は、あの『キャツキャッ!』
というようないわゆる『地鳴き』の悪声とは違うもう少し美しい声で鳴くのではないか。
私は、あのツグミのその恋の歌を聴くことはほぼ出来ないのだし、ましてやツグミの
子どもを見ることも出来ないのだなあ、ということ。

それではせめて、あのツグミがどんなところから渡ってくるのかを知りたい。
日本に越冬のため来るツグミは、主にロシアのシベリア地方や、中国北西部など
からはるばる海を越えてやって来るらしい。
ああ、どんな風景のところからつぐみんは来るのかなあ!

それも調べてみたら、あった!


そのつぐみんの歌を紹介しているサイトを見つけたんである。
https://www.xeno-canto.org/species/Turdus-eunomus?pg=1

世の中にはいろんなことをそれぞれにちゃんと調べてくれて、その知識を惜しげもなく
分けてくれる奇特な方がたくさんいらっしゃるものだ!
このサイトは、日本で見るあのツグミの鳴き声もを、世界のいろんなところで
拾って、警戒音(alarm call)、地鳴き(call)、さえずり(song)と分けて
載せてくれているのである。
でも、例のあのキャツキャツ!という声ばかりで、さえずりらしい音源がない。
唯一、リストの5番目のTom Wulfさんという方が採集したつぐみんのさえずりが、
つぐみんの歌声なんだろうと思う。音声を採集したのは・・、やっぱりロシアで、だ。
Muraviovka Park,というところで採集したつぐみんのさえずり。

Muraviovka Park。
つぐみんの故郷はどんなところなのかなあ…

あった!
ムラヴィオフカパルク(読み方は正しいかどうかわからないが)は、ロシア連邦
極東部に位置するアムール州にある。南は中国黒竜江省と国境を接し東に
ハバロフスク地方。アムール川が中国との国境線となっているそんな場所だ。


つぐみんのふるさと④

詳しいサイト。
http://amurbirding.blogspot.com/2018/06/abp-2018-part-ii-muraviovka-park.html


そうかあ・・・
つぐみんは、こんなところで生まれて、恋をして、子供を産んで育てて、…
そしてはるばる広大な大地や海を越えて…日本まで来るんだ…………
国境などと言う、人間の作った愚かしいものも越えて…。

はああ~~~・・・・・・・・・
もうこれで、ツグミに関しては疑問や書き残したことはないな。
満足だ。(笑)

つぐみん。また来年も会えたら会おうね。













『キャンドル・ナイト 104』


2011年3月11日。
あの日から12年の月日が経つ……

今晩も鎮魂の想いをこめてキャンドルを灯そう…




CIMG3161 (2)

(羊歯のような彫り込み模様のあるグラスに蝋燭をともして、陰影のある絵に
したかったのだけれど、デジカメの設定がどこかで狂ったか、こんな暗い画面にしか
ならない。と言ってフラッシュをたいたのでは、陰影も何もなくなってしまう。
でも、闇の中に浮かぶたった一つの灯を求めてさまよっていくような人間という
愚かな生きものの近未来への暗い予感を想うと、このほうが気持ちにぴったりくるような
気もした……。)


2019年7月に100回目に達して以来、毎月やっていたキャンドル・ナイトを、
年に一度3月11日に行うようになって、今日で104回目、というわけだが、
東日本大震災、そして福島第一原発事故に対する悲しみと怒りは、私の中で
12年目を迎えても少しも減じることはない。

なぜ、被災地の人間でもないのに、私がそう怒り続けているのか。
どんなに共感の想いを述べたところで、ひとは当事者の苦しみをほんとうにわかること
などできはしない。それにもかかわらず、こうして被災者に寄り添う言葉を連ねることは、
自己満足、もっと痛烈に自己批判すれば、『偽善』に過ぎないのではないか。

その問いは、あの日から常に私の内にある。

それでもなお、私はいまだに『憤怒』とでも言えるような強い怒りを捨てることができない
のである。
自分のその悲しみや怒りは、いったいどこから来ているのか、と分析してみる・・・・・・
(ここから先の20行ほどは、昨年の3月11日に私が書いた文章の一部のそのままの
引き写しである。想いは少しも変化していないので。)

それは、今、この世界を愁いで覆ってしまった、プーチンによるウクライナ侵攻、への
激しい怒りと悲しみとも共通しているものだ。
そしてまた。丸二年以上を経てもまだ終息しないコロナパンデミックに対する悲しみ、
そんな病が二年前、突然世界を覆ったことへのあの愕然、とも共通している。

それらのことに対しての私の想いの中に通底しているものは。
それは、一言で言えば、
「たった一度しかないそれぞれのひとの命を突然奪うものがある。
その『理不尽』、『不条理』への怒りと悲しみ」と言ったらいいだろうか。


人間に限らず、この世に生きとし生きるものはすべて、その生は一回しかない。
そもそもその生が与えられたことそのこと自体、
あなたやわたしが「今、ここにある」、ということ自体が、奇跡に近いようなものである。
もっと言えば、この地球のような限りなく美しい星が、この大宇宙の中に存在する、
ということ自体が奇跡のようなものである……
その、奇跡のような星の上で、たった一度の生を、つかの間の生を生きているわたしたち……

その『一回性』が、ときにどうしようもない自然などの大きな力によって奪われることがある、
そのことへの本然的悲しみと、
その『一回性』の重さに気付かず、あるいは無視して、無残にも理不尽にも、
他人の生を奪おうとするものがある…そのことへの激しい怒りである。
…そう説明すれば、少しは伝わるだろうか。


12年と一口に言えば、それは短い月日のように思えるかもしれないが、
生きている身の実感としては、実際にはそれは長い年月である。

私たちはこの12年の間に少しは成長できたのであろうか?少しはこの世界を
いいものに変えることが出来たのであろうか?

・・・・・・




南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト




葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
また、バナー、お借りします。

『ひな祭り 2023』



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みなさま。こんにちは。
あずさでしゅ。

慧斗(けいと)です。僕は右側にいます。
仁人(にっと)です。僕、左側の方です。
(声を合わせて)『ぼくたち、スキー毛糸の促販人形だったの』

みなさま。今日はひな祭りですね。
今年もあずさたちが起きてきました。


あずさは、もう40年以上前…娘が小さかった頃のある年の、お雛祭りのケーキに
ついていたろうそくです。
私が捨てようとしているところを、娘が『すてちゃダメなの!』と、掬い上げて、それから
ずうっと、小さな和紙の
箱の、ハンカチーフのお布団で眠っているのです。
一年に一度、お雛祭りのときに目をさまして起きてきます。


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今年の干支は『うさぎ』ですね。
だから、今年のあずさたちのお雛祭りの主賓は、モリノくんとピキちゃんです。
モリノくんとピキちゃんは、工房『杜の舟』さんで生まれた子たちです。
二人に会ってからも、もう12年になるんだなあ・・・・・・

モリノくんたちの下に敷いてある緋色の美しい端切れ細工のテーブルセンターは
クウーママさんの作品です。


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いつものちらし寿司に、ひなあられ。
綺麗な和菓子もあるわよ。
さあさあ、お友達といっしょに、みんなでたくさん召し上がれ。


『猫の日 ’23』



2月22日は『猫の日』だそうである。
まあ…にゃんにゃんにゃん…というわけで。

いつからこの日を猫の日、などと言い出したものか記憶がないのだが。
まあ、いろいろな人がいろいろなことをよくまあ考え付くものである。
そういうものが何かあると、決まって商魂たくましくそれに乗っかる人がいる。
ここ10日ほどは、『猫の日』を当て込んで、デパートやらコンビニやらで、
猫にちなんだお菓子やグッズが売られているようだ。

一方で、あれほど盛んだった『バレンタインデー狂騒曲』とでもいうべきものも
商業主義に乗せられる馬鹿馬鹿しさにようやく人々が気づくようになったのか、
単に景気が悪いからなのか、今年あたりは随分下火になったような。

『猫の日』も、いつまで続くやらわからないが、『そこはかとなく寂しい人』の
増えているように思える現代、犬とともに猫は癒しである。
案外、猫ブームは続くかもなあ、などとも思う。

ということで。(などと言いつつ自分も便乗する。 ><)
『猫の日』であることだから私も我が家のコロをしばらくぶりに載せておこうかなあ。


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いつもカメラを向けると横を向いてしまうコロ。
珍しく正面向きのが撮れました。



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コロちゃん、眠たそうです。


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構っちゃいけないと思いつつ、いたずらしたくなる。
カリカリ二粒、載せてみました。


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気づかないので、もう一粒。www


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起きている時も載せてみます。ww


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頭に載せても気づかない。

よく、『蜜柑猫』などといって、蜜柑をいくつも頭に載せられている猫ちゃんを
ネットなどで見ますが(本も出版されている?)、猫は敏感で敏捷な生きものの
ように思っていたけれど、案外おっとりしたところもあります。



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なんかおしゃべりしています。^^



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この温もりと重み。

コロ。
ありがとう。

長生きしてね。





『トルコ・シリア 被災地の方々のために』


トルコとシリア国境付近での大地震。
失われた命の重み。この寒さの中、家を失った方々の窮状を思う。

ウクライナに向ける共感や同情と同時に、世界の人びとが宗教や
歴史の経緯の違いなどを超えて
、救助に当たらなければと思う。
私もできることをしたい。



『トレンチコート 其の一』



新年の挨拶記事を載せたっきり、ブログを更新もしなかった。

その間、何をしていたかというと、本を読むか、縫いものをしていた。
縫っていたのは、こういうもの。
写真ではカメラの腕や採光のせいで少し白っぽく見えるが、現物は美しい漆黒の布だ。


CIMG3084.jpg


紳士ものの『トレンチコート』、というか、『ブリッジコート』とも言われるもの。
トレンチコートの『トレンチ』という言葉も、ブリッジコートの『ブリッジ』という言葉も
共に軍隊用語である。
『トレンチ(trench)』はいわゆる塹壕。人間と人間とが生身の体で銃撃戦や爆撃戦を
する場合に、兵士たちの身を隠すための言ってみれば『穴』または『溝』である。
『ブリッジ(bridge)』は、海軍で言うところの『艦橋』(軍艦指揮所)のこと。

トレンチコートとブリッジコートのデザインの違いはほとんどないようだが、要するに、
陸軍で使われていたのがトレンチコート、海軍ではブリッジコートということらしい。
それらの歴史については、次の記事で書いてみよう。

これはトレンチコート、ということで紳士もの仕立ての本を参照して縫ったのだが、
なるほどデザインの細部には軍装であった名残が残っている。



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例えば、肩についている小ベルトのようなものは、『肩章』(エポーレット)だが、
これは単なる飾りではなく、水筒や双眼鏡のストラップが滑り落ちるのを防いだり、
また階級を示すバッジをつけたりする為の物だったという。さらには、仲間が
倒れたときにこの部分を持ってひっぱる、といった用途もあったらしい。


上の写真の右肩にあるあて布は、『ガンパッチ』と呼ばれる肩覆い布だが、これは
銃を撃った時、自身の肩への衝撃を和らげるための工夫。銃身に雨水が入るのを
防ぐ用途も兼ねたという。
前のボタンをきちんと上まで止め、その上にかぶせれば雨風の侵入も防止できる。
私は、後ろ身ごろにもある肩覆い布(アンブレラヨーク)と主に、これらは単に、
雨除け、防寒用、と思っていた。銃の反動を和らげるためのものでもあったとは。
背中のそのアンブレラヨークも、本来は、動きを妨げないため裾を止め付けないのだ
というが、私の仕立てがまずいためにこの部分が気になるほど浮いてしまうので、
4つ下の写真のようにボタンで止め付けている。
ヨークの中心部分が微妙に中央に向かって下がっているデザインも、もともとは
雨がここから滴りやすくするための工夫だったという。


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襟もとについているこの取り外しの出来る部品は、『チンウォーマー』。『スロートラッチ
(throat latch)』,形状によっては『チンストラップ』などとも呼ばれる。
その名の通り、身ごろ打ち合わせのボタンを上まできちんと止めたうえで、さらに
これを止め付けて風を防ぎ、あご(chin)や喉(throat)を温めるためのもの。
もう一つ上の写真の右台襟についているバックルで止める。左側はボタン止め。


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袖には、このようにベルトがついていて、これも袖口から風などが入りにくくするために
必要に応じてきつく締める。


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ポケットは、私の縫ったこれは『箱ポケット』と言われるもの。ポケットだ。
しかし本来のトレンチコートは、兵士たちが極寒の戦地で、ここに手を入れて
温めることが出来るよう、実はポケットではなく筒抜けになっていて、コートの
中に着たジャケットなどのポケットに手が届くようになっていたのだという。
さらには本来ならここに、雨除けにボタン止めできるフラップ覆いがついているものらしい。
戦場で将兵たちがポケットに手を突っ込んでいるなどあり得ない、許されないこと
だったろうが(そういえば、岸田首相の某側近が首相の訪米時の記者団への
インタビューの最中に後ろでズボンのポケットに手を突っ込んでいたのが
ネット上などで、横着だ、と批判されていたなあ…)極寒の戦場で指が冷え切って
しまえば射撃も正確に出来ない。
これは必要に迫られてのルール違反、デザインであったようだ。


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後ろ身ごろの裾は、このように広く開く『センターベント』が入っているが、これも
もともとは、乗馬の際に自由が利くように、転じて行軍、戦闘の際に脚が十分に開ける
ようにしたものだったらしい。これも『インバーテッドプリーツ』(いわゆる箱ひだ)
が本当らしいが、私はセンターベントにした。


トレンチコートが軍装から来ていることの名残は、ベルト部分にもある。
ベルトには本来5か所くらいにDカン、Dリングがついている。これらは、ナイフや水筒、
そして手榴弾(!)を下げるために利用したのだという。
私は、もちろんこの部分は必要ないので、普通のベルトにした。


さて。この紳士ものトレンチコート。
誰のために、何のために縫ったかというと、娘婿が仕事の一環として必要に
なって頼まれたもの。

まあ~!たくさんいろんなものを縫ってきたけれど、これが今までで一番大変だった。
なぜかというと、生地が本格的冬用のどっしりした生地で、厚くて縫いづらかったから。
デザイン上、布が重なる部分、とりわけ襟のあたりなどは、それでなくとも厚い生地が
8枚も重なっている(接着芯を入れると12枚)ところへステッチをかけなければならないため、
そもそも我が家の普通の家庭用ミシンではその部分の布自体を押さえ金と送り歯の間に
差し込むことさえまず不可能、ましてそれを普通に自動で縫うことなど不可能!
と、最初は思った。
折角裁つには裁ち、途中の何とか縫えるところまでは縫ってきたものの、襟など
大事な部分が縫えないかあ!!!とあきらめかけた。
ただ、ネットは便利だ。
厚地を無理無理縫う際には、ミシンには押さえ金がもう一段階上げられる装置がある、
ということをこの年になって初めて知った。布を針の下に差し込むだけならそこを
手動で上げて、あとは一針一針ほぼ手動でミシン車(プーリー)を回したり手で布を
押したり引いたりしながら何とか縫っていけるということがやってみてわかったのだ。
それこそ一針一針!針を折ったりしないよう神経使いながら。
それでも、どうしても厚みで針さえ刺さらぬ箇所もあり、そこは仕方がない手縫の細かい
返し縫いでしのいだ。

問題のその布は、メルトン、というのか上質フラノか、生地自体は娘が買ってきたので
わからないのだがとにかく、ウールの綾織あるいは平織物を、温水に浸けて揉み、
フェルトのように詰まった地にする、いわゆる『縮絨(しゅくじゅう)』加工をした生地で、
柔らかいのだがしっかりと厚く立派な生地。
この立派な生地を「縫えなかった」と言って無駄には出来ないからなあ……

今までも、娘たちのあれやこれやの注文をなんとか叶えてきた私。
時には、相撲の化粧まわしのようなものさえ縫った。
おっかさんの意地を見せて頑張りましたよ。><

なんとこのコート。接着芯も入れれば布部分だけで、およそ75の部分から出来ていて、
それを型紙取って裁って、接着芯貼って縫う前段階の準備して。
さらにこれに、大小のボタン、力(ちから)ボタン、バックル、はと目穴用はと目カン、
などが、合計41個。
合計116個の部分部品から成り立っているのである。


CIMG3093.jpg

あ。あと。
当然ボタンホールもミシンでは普通に縫えなかったので(生地が厚くしかも滑りが悪い)
肩章などさほど目立たない部分は、ミシンのボタンホール機能ではなく押さえ金なしの
フリーの細かい目のジグザグで縫い、大事な前打ち合わせのボタンホールだけは
手縫いで8か所作った。
老眼になりかかっている私は、黒い布に黒い糸、というのがもう~見えづらい。
これらもほとんど手先の感覚で縫っている。上々の出来!とはとても言えないが、
まあまあなんとかかんとか仕上げた。
これも、やる前は『難しそうだなあ・・・』としり込みしていたが、やりだすと結構
楽しかった。
左端が少し丸みを帯びているのがわかると思うが、この部分はステッチを
し始める前に、布に穴あけポンチで小さな穴をあけてあるから、こんなふうに
丸い。この穴あけポンチの作業が楽しかったのである。はと目穴開けもそうだが、
金づちでポン!と叩く、そういう力作業、結構好きな私。




ふう~~~・・・
正月過ぎから型紙取り~裁断~にとりかって、仕上げるまでかれこれ一か月近くかかって
しまった。
たいへんではあったけれど、終わってみれば楽しかったなあ。


ついでだから、過去に縫ったオーバーコートをいくつか。


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これは、一年前に娘のために縫ったオーバー。丈は長くふくらはぎまでくるくらい。
この生地もモッサかなあ、フラノかなあ、縮絨加工してあって地厚のしっかりした布だ。
冴え冴えとした青の色が綺麗でしょう。
ちなみに、このコートだと、布、ボタンなど部分・部品は40弱くらいなので、上のトレンチ
コートはおよそ三倍の手間がかっているということになるかな。



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こちらは、昭和53年というのだから、今から45年ほど前に、自分のために縫ったオーバー。
布はざっくりした織り目のネップツイード。前はボタン穴を見せない『比翼開き』。
これを着た、当時30歳くらいの私の姿を想像してください。(爆)
共布の長いストールも作ったかな。脚元はぴったりしたロングブーツを合わせていた。


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その後ろ姿。
当時流行りの『ビッグシルエット』とやらを控えめに取り入れている。少し裾広がりで、
丈はたっぷりのロング丈。
私は洋裁を正式に習ったことはなく、こういうものも全部、別冊マダムとかドレスメーキング
などの洋裁の本を見つつ、ポケットの作り方、比翼開きの縫い方などなど、一つ一つ
覚えて行ったのだった・・・・・・
これを縫ったころにはもうミシンを買ってもらっていたけれど、20代、私がまだ学生で
洋裁を始めた頃は、ミシンを持っていなかったので、夏のブラウスなどは無論のこと
冬のワンピースなども手縫いの返し縫いで縫っていた。学生結婚した私たちには
経済的余裕がなく、主人に洋服買って、などとはとても言えなかったので、それなら
布だけ買って自分で縫おう!と思って始めたのだった・・・・・・

このオーバーは、娘に受け継がれ、今も重宝して着られているようだ。
ビッグシルエットでラグランスリーブなので、体格のいい娘も私のものを着られるのだ。

そうそう。
『ラグランスリーブ』と言えば、トレンチコートも本来の袖付けは、私が縫ったような
『セットインスリーブ』(ごく普通の袖付け)ではなく、『ラグランスリーブ』だったらしい。
ラグランスリーブは、娘と私の二枚のオーバーに見る如く、袖付けが首のところから袖下
にかけて斜めに切り替えてあり、肩と一続きになっている袖の形で、現代の私たちが
意識せず着ているTシャツの一部やスポーツウエアなども、多くこのラグラン型の
袖付けになっている。
動きが楽だからだろう。

これも軍用としての長い歴史があり、時代は1815年のナポレオン戦争にまでさかのぼる。
かの『ワーテルローの戦い』で、イギリス陸軍の軍人であり政治家のフィッツロイ・
ジェームズ・ヘンリー・サマセットは右腕を失う。後に彼は、戦争で手や腕を欠損して
しまった兵士のために、脱ぎ着しやすく動きやすい洋服のパターンを考案するのだが、
それがラグランスリーブの始まりだという。では、なぜ『ラグラン』?
フィッツロイ・ジェームズ・ヘンリー・サマセットは、数々の功績を讃えられ、1852年、
連合王国貴族の爵位を受ける。その爵位の名が『ラグラン男爵』。
それにちなんで、このような袖が『ラグランスリーブ』と言われるようになったのだとか。
知らなかった・・・・・・知ってらっしゃいました?

憎むべき『戦争』の、戦場の必要から生まれた数々の工夫が、今こうして私たちが
日常意識せずに使っている衣類やその他の道具に生かされ使われ続けていること…


『トレンチ』という言葉を聞けば、私は、『塹壕』…いまこの時も、ウクライナの地で
掘られ続け、そこでロシア軍兵士も含め多くの将兵たちが命を落とし続けている
ことを想わずにはいられない。
人間というものはつくづく愚かなものだ・・・・・・

(婿のために縫ったこのコートは、軍装用ではなく、かつての灯台守や鉄道の
駅員さんなどが防寒用に着ていたののようなもの、という設定で頼まれたものです。)



トレンチコートの歴史などについての記事は次回でまた。










新年のご挨拶



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皆さま、昨年中はありがとうございました。
本年もどうぞよろしくご指導くださいませ。




                  ***


暮れの大掃除の最中に(大したことはしていないのだが)、ふっと油断したすきに
コロが逃げ出してしまい、娘と探し回るなど、アクシデントもあったが、幸いコロは
家の界隈の塀の上にいるところを無事確保。
コロを探し回る…コロのいない…心配憂慮の大晦日と正月は避けることが出来た。
だんだん私も年を取って来て、万事が鈍くなってきているのを改めて自覚。
注意して生きねばなあと思った。

値上げラッシュの秋冬は、年金暮らしの我が家をも直撃し、暮れの買い物の際も
同じ金額のお金の価値の軽くなっていっているのを実感。
今まで通りには暮らせない、あらゆるところで暮らしはつつましくしていかねばなあ、
ということも再度確認した。

それでもやはり、正月は気持ちを新たに迎えたい。
暮れに飾っていた白い花キャベツ(葉牡丹)とスプレー咲きカーネーションのセットに、
中輪の菊二本と同じ色合いの小菊のセットを買い足したものだが、我が家の庭に
生えている千両の赤い実を添えたら、それでも結構豪華な正月の花になった。。

おせちのお重も、お煮しめのなど二段だけだったけれど、一応用意した。



                    ***


さて。過ぎた2022年という年を振り返ってみれば、
私にとっては、『悲哀』と、それとは裏腹の、そこはかとない『喜び』の一年で
あったように思う。
人間誰しもにとって例年そんなもんじゃないか、と言われればその通りなのだけれど、
2022年はとりわけその想いが強かったということだ。

『悲哀』の第一の理由は、まず、ロシアによるウクライナ侵攻のこと。
こうしている今も、ウクライナの人々の多くは、日本よりはるかに気温の低い酷寒の冬を、
暖房なしで、十分な水や食料、薬、照明用の電気さえもなしで、しかもミサイルなどの
砲撃に怯えながら過ごしているのであろう……
今から10か月前、ウクライナ侵攻が始まった頃、『共感鬱』ということについて書いた
けれど、その心情は今も私の中で続いている。
ウクライナだけではない、この世界には戦禍や飢餓の中にある人々がたくさんいる中、
自分達は安全で豊かな国にいて、ただ嘆いているだけ、という、そういう無力感や、
また自分の『偽善』と『矛盾』を直視せざるを得ないことに疲れてしまう気持ちのことである。

もう一つの『悲哀』の大きな要因は、
『ナイーブ』極まりないことだが、人間のこれまで営々と築いてきた『倫理』とか『英知』、
正義感、などなどといったものへの自分の信頼、というか思いこみともいえるようなもの
が、いかに脆くも崩されうるものか、ということを今さらだけれど知ったことへの衝撃、
にあった、と言えるかもしれない。
『自分がこれまで信じてきたものはなんだったの?』『こんなに脆くも人間の平穏な
暮らしは壊されうるものなの?』という驚き、である。

だが、何よりも、『悲哀』の最たるものは、
『人の命の軽さ』を否応なしに知らされたこと、と言えようか。

それは、ウクライナの悲劇と同時進行しているコロナパンデミックで、多くの人々が
十分な医療も受けられぬまま死んでいくのを知ることからも当然来ている…

まったくの自分事ではあるが、自分もまた否応なしに老いていっていること…しかも
癌を抱える身であって、自分のこの世との別れはそう遠くはないことを知っていることも、
やはりそれは大きな『悲哀』である。


一方で、そこはかとない『喜び』もそれらの『悲哀』の情とは別に感じていた、と
書いたのは、そういう大きな悲哀を知ったがゆえに、ささやかな『喜び』の価値を
また知った、ということである。
元旦の朝日新聞に、あのノーベル文学賞作家であるスベトラーナ・アレクシェービッチさん
のインタビュー記事が載っていた。ウクライナとベラルーシの出自を持ち、ソ連時代の
ウクライナで育ち、ロシアを、ロシアの文化を深く愛してきた彼女…戦禍が人々にもたらす
悲劇を直視し続けてき、またチェルノブイリ原発事故のことなど、社会や時代の
犠牲になった『小さき人々』の声を常にすくいあげてきたその彼女が、インタビューの
最後に『人はどうすれば絶望から救われるのか』と訊ねられて、『絶望の淵に
立っている人のよりどころとなるのは、まさに日常そのものだけなのです』と答えていた。
それとその深刻度悲惨さにおいて到底比べられるものではないとはわかっているのだが、
私の今書く『ささやかな喜び』の価値というものも、おそらくその性質においてほぼ同じ、
自分がいま生きてこの世に在るということを再認識することへの感謝の想い(いずれ
近い将来間違いなくその終焉が来ることはわかったはいても。)や、今、『日常の暮らし』
があることそのこと自体。そしてそのささやかな暮らしの中にたまさかふと
見つけたり出会ったりする小さな発見や出会い、が、今まで以上に有難く価値あるものに
感じられるようになったというそのことである。

スベトラーナさんは言う。『例えば孫の頭を撫でること、朝のコーヒーの一杯
でもいい、そんな、何か人間らしいことによって人は救われるのです』

私に孫はいないけれど、小さなコロ猫の体の温もりを感じること、それこそ朝の一杯の
コーヒーやお茶、紅茶…、ひと茎の路傍の花、空をゆく雲、鳥の声…すれ違った見知らぬひと
がくれた一瞬の微笑…そんななんでもないものに今まで以上に深い喜びを感じられる
ようになった、ということである。

願わくは、痛切に願わくは。一刻も早くウクライナの悲劇が収束します様に。
この世界から、戦禍や、貧困や飢餓や、医療もうけられない人々や、差別や・・・
そういった悲しみがなくなりますように。





『秋の色』


相変わらず七十肩は痛く、整形外科で関節内ヒアルロン酸注射などもしてもらって
いるが、効果は限定的。腕の置き場に困って夜ぐっすり眠れないのが一番こたえる。

季節の移り変わりが激しすぎる。
今日など東京は冷たい雨で、最高気温が14度。師走の頃並みの気温だという。
コロ猫の行動はわかりやすい。夏の間は見向きもしなかった、ふわふわのちぐらに入って
この頃はお昼寝。


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9月の長雨のあとのつかの間のいい天気の日に川べりを散歩。
まずは、我が家の庭の花を。


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前の記事で、ジンジャーリリーを紹介したけれど、その時のオレンジ色の濃い花は
あまり香らず、薄いオレンジの花は香りがいいのに消えてしまった、と書いたが、
後発組のジンジャーリリーの中に薄いオレンジの花がまだあって咲きだしてくれた。
ほんとうにいい香りです。


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門扉に絡ませた朝顔たちは今が盛りで、毎日20個以上もの青系のグラデーションの
花で楽しませてくれている。
おや?この変わった穴あきの花は、朝顔の新種??!!

実はこれ。蕾のうちに虫が食った跡。^^
くるっと巻いた蕾の状態の時虫が食うと、こうした規則的な穴になる。熊笹の葉などに
よくこういう綺麗にそろった虫食いのあとがあることがあります。


さて。川べりに出て見ましょう。


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『彼岸花』という花の名をブログネームにしているのだから、毎年、この花の写真は
撮っておきたい、と思っていたが、今年は長雨の日が続いたりいろいろあって花の盛りを
過ぎてしまった。
川べりに出てももう、枯れた姿しかない・・・・・・
とがっかりしていたら、大きな竹藪の陰になっているところに一叢の彼岸花を見つけた。


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おおかたの場所ではもう枯れてしまっていたが、さらに一か所、かたまって咲いているところを。


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歩道の植え込みの、ハナミズキの木の下に咲いていた。


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ハナミズキの樹も、例年、美しい紅葉と可愛い赤い実を見せてくれる樹だ。
赤い実は、葉が落ちてからの方が、澄んだ秋の空の下でその輝きを楽しめる。
今はまだ葉の陰に隠れてあまり見えない。



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彼岸花の群の奥には、やはりハナミズキの下に夏の名残の芙蓉の花が。



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秋の野の花の中でも、色が美しいと言えば、このヨウシュヤマゴボウの葉や茎や実の
色は独特で目を引く。茎や花房の蛍光ピンク、紫とでもいうような色や、まだ青い実の部分の
緑色などは、他の植物界にあまり見ない一種動物的な肉感を持つ色味だ。



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あるお宅の庭に植えられていた紅白の水引。
『風情』を知るひとに違いない、と思う・・・



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別の日に、大きな通りの植え込みで見つけた、白い彼岸花。
この頃彼岸花の仲間の園芸種でいろいろな色が出回っているようだが、この白い彼岸花は
どこから来たのか。誰かが植えたのか。緋色の彼岸花ももちろん綺麗だが、この白いのも
また、いいなあ…


この日一番の発見というか出会いは、


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川べりの道を歩いていると、頭上の梢で盛んに鳴き交わしている鳥たちがいる。
今の季節に群れを作るなら、シジュウカラか、と思って見上げると、そうだった・・・
しかし、シジュウカラは意外に大胆な鳥で、人を怖れず、この子たちのようにせわしなく
枝から枝を飛び移ったりあまりしない。いや、せわしなく移動はするのだが、この数羽の
ようには落ち着きなく飛び回らない。
私は眼鏡をかけていても視力が弱いので、目視だけではその姿がよく捉えられない。
カメラを構えて、とりあえずは姿を写しておこうと思うのだが、一瞬もじっとしていなく
数羽が入れ替わり立ち代わり枝から枝を飛び移るので、なかなかフレーム内に
捉えられない。一枚だけどうにか写っているのがあった。

私の視力ではシジュウカラ?に、似ていると思ったのだが、家に帰ってデジカメ画像を
パソコンで見て調べたら、羽の上部というか、肩のところに薄桃色の部分があって、
明らかにシジュウカラとは違う。
なんと!『エナガ』だった!
ずっと見たい見たいと思っていた鳥。
シジュウカラやヤマガラなどと混群を作って移動するともよく書かれているのだが、
私は今まで、シジュウカラは始終みても、このエナガやヤマガラは見たことがなかったのだった。
おそらくこれまでにも見てはいたのだろうが、視力のせいで見えていなかったか。

いい散歩だった…
この頃精神も不活発になっていっているだけでなく、あまり歩かないので、頓に脚力も
衰えて行っている気がする。
これからつかの間の気持ちのいい季節なのだから、もっと外に出て歩かなくてはなあ…



              ***


秋の色、と言えば、これだ!


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友が送ってきてくれた林檎たち。
まあ、なんと!綺麗な赤、なんだろう!!!
大きいのは千秋で、小ぶりなのは紅玉だ。
まあ、この紅玉の色ったら!
『赤』は元気の出る色とは一般に言われているけれど、この、林檎の赤を見ると
ほんとうに、こんな色の果物がこの世界にあるなんて!と感謝したくなるような色だ。

箱の中には、これら林檎たちの他にも洋梨や、冷麺や、お漬物やお菓子や本などなどが
たくさん入っていた。
もいで間もない林檎たちは、まずはその新鮮な香りと味をそのまま楽しんでから、
ジャムや煮リンゴにもするかなあ。
友の心づくしの贈り物に感謝感謝だ。




『コロナ禍の夏でも ③』


四十肩(七十肩?)になってしまったらしく、左肩から上腕部にかけてが痛く、
とりわけ夜は左腕をどこにどのように置いても痛いので、どうしても眠りが浅くなり、
昼間も一日熱っぽくてなんとなくぼうっとしているうちに夏が過ぎてしまいました。


コロナのこと、国葬のこと、統一教会のこと…いろいろ書きたいことはあるのだけれど、
気を張る記事がなかなか書けません。
また、身の回りの自然のことなど書いてみましょう。



珍しく料理の記事を。
皆さん、この瓜のようなもの、なんだか御存じでいらっしゃいますか?



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これ。金糸瓜、と言います。
『糸瓜』という字がついているけれど、糸瓜(へちま)の仲間ではなく、実はカボチャの仲間。



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三つほどに切って、種とワタを取り、たっぷりの湯で5分ほど茹でるかレンジでチンします。



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火が通ると、このように、上の写真の、皮の内側の白い部分が糸のようにほぐれてきます。
面白いようにどんどんほぐれる。皮ぎりぎりのところまでほぐれます。



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一個分で、およそ冷やし中華の麵三人前ほどの分量が取れます。



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酢の物など、工夫次第でいろいろな食べ方はあるのでしょうが、私は冷やし中華風に
してみました。金糸瓜はほとんど青臭いなどの癖がなく、さっぱりと食べられるし、何より
ローカロリー。^^

具の色が汚れないようにと、 冷やし中華のたれをかけないまま、写真にとったけれど、
やはりこれじゃ美味しそうに見えないな。

『金糸瓜』。別名『そうめんかぼちゃ』。

まだあまり市場には出ていないのじゃないかと思います。
たまたま地場野菜を売っているお店にふと入って、見つけた。
私がこの金糸瓜のことを知ったのは、もう五十年ほど前、広島に里帰りした時、
兄嫁がたくさん並ぶ料理の間に、箸休めのように小ぶりの鉢で供してくれた時でした。
兄嫁はとても料理上手だった。確か、錦糸卵や胡瓜などと共に三杯酢で、でした。
そのときは、『糸瓜』と言って出してくれたように思います。
まあ、その美味しかったこと。

長年、私には、兄嫁の焼いてくれる広島風お好み焼きとともに、幻の食べ物だったのです。
近年、たま~に、夏のほんの一時期、運が良ければこの金糸瓜に出会えるように
なりましたが。
でも、兄嫁のあの味はとても私には再現できません。

皆さまも、もし、どこかでこの金糸瓜、見つけたら、食べてみてくださいね。



               ***


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さて。ようやく秋間近になって咲き始めたわが家のあさがお。
もう一種、無地の白いのも咲きます。
毎朝起きて、玄関に出て、いくつ咲いているか見るのが楽しみです。
今朝などは、ニ十個も咲いていた。



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これはもう、10日以上も前の写真だけれど、近くの川べりで撮った烏瓜の花。
この花は日没後に咲き始めて、朝には萎んでしまう。
この写真も、小雨の降る中、夜7時半ごろ撮ったものだ。
この花は、虫媒花。先日の記事のオオスカシバなどスズメガの仲間で、ストローのような
口吻を持った虫たちが受粉を仲介するポリネーターになっているのだという。



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カラスウリ、と言えば、二年前、思いがけず、都内の画廊で、刺繍作品などの作品展
のようなものを開いてもらったときのことを思い出す。
話をもらったのが6月?だったか。それから刺繍の土台となる着物地探しを始めて、
夏の間、息をするのも惜しむくらい根を詰めて、刺繍に取り組んだ・・・
これは、カラスウリの繊細な花と、蕾と、赤い実とを刺繍した半纏のようなもの。
秋の草むら模様の素晴らしい紬と無地の紬を組み合わせたのだが、これは今思うと
草むら模様のみで仕立てたほうがよかったなあ。
カラスウリの花自体も、その繊細さが十分に出ていず、自分としては満足のいく出来栄えではない。



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赤とんぼを刺繍した、これはクッションカバー。




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しっかりした大島紬の、大波模様の着物地に、海猫を刺繍して日傘に仕立て上げたもの。

3,4カ月の間に、日傘二点、クッションカバー6、7点、袱紗十数点、そしてこの半纏。
バッグを4点。よくまあ、作ったものだったなあ。
刺繍やレース編みなどどちらかというと細かい作業が苦手で、ずっと敬遠してきた私で
あったのだが、やってみると刺繍は奥深くやりがいのある手仕事で、ああ!二年前の夏は
ほんとうに楽しかったなあ!

興味のおありの方は過去記事をもう一度。

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-2270.html
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-2273.html
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-2277.html


***


『瓜』つながりで(^^)、コロちゃんの写真も。


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お兄ちゃんとお姉ちゃんが、コロのために西瓜の形のちぐらを買ってくれた。
さらさらと肌ざわりのいい生地で、結構リアルな西瓜の形。
中敷きのクッションには、ちゃんと種がある!






コロすいか③


悪乗りして、西瓜帽子をかぶせてみる。

お兄ちゃんの腕にがっしりつかまれると、観念したようにおとなしくしているコロ。

『コロナ禍の夏でも ②』




もう少し、身の回りの自然、について書きましょう。


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私の朝は、午前五時、コロの「おなかすいたよ~」の鳴き声で始まる。
冬場はもう少し長く寝ていてくれ、私の朝もゆっくりなのだが、夜明けが早くなると
ヒヨドリたちなどと同じように早起きするコロちゃん。><
でも、ごはん食べさせてから、また一緒に寝るんですけれどね。^^

我が家のベランダは、東向きにあって、このように朝焼けが見える。
ごはんを食べて満足そうに毛づくろいしているコロと一緒に、ベランダのデッキチェアで
しばし、このように美しい朝の空を眺める…


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近年、夏場は午前9時を過ぎたころからもうぐんぐん家の内外ともに気温が上がり、
毛皮に包まれたコロは、昼間は出来るだけ涼しいところを自分で探して、ぐったり寝て
いることが多い。
昔から、「猫は家の中で一番涼しいところを知っている」。

これは二階の廊下。
本箱の本にちょこんとかけた後ろ足がなんとも♪
廊下は確かに、コロ先生が教えてくれる通り、夏でも風通しがよく床が冷たくて気持ちが
いいので、コロと一緒にここに座り込んで、漫画などまた拾い読みすることもある。


                    ***

さて。ここから先は、どうしても虫嫌い!とおっしゃる方はスルーしてください。

わが家に来る虫や周辺のいきものたち。
まずは無難なところから。

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じっとしていてくれないので、ぼけぼけの写真になってしまったが、小さなハナバチの仲間。
このムラサキツユクサには、毎年決まって、この小さなマルハナバチが朝訪れる。
私が、コロにごはんをやってまた一眠りして、八時すぎ、ごみを出しに外に出ると、
この蜂がどこからか決まって、ぶ~んと羽音をさせながら飛んできて、それからひとしきり
このムラサキツユクサとシモツケの花の間を往復して花粉を集めて回るのだ。
雨でなければ毎朝必ず。
私が外に出るとすかさずやって来るので、どうやら私を花粉集めの仲間かライバル、
とでも認識しているようだ。今年も会えたなあ。

丸っこい体の、両脚の付け根に、黄色い大きな花粉団子をくっつけて飛び回っている。
最近知ったのだが、この花粉団子、どうやって飛翔しながら丸めるのだろうと思っていたが、
マルハナバチの足の付け根には『花粉籠』のようなものがあって、そこに花粉をくっつけて
大きくしていくのだそうだ。花々と巣の間を何往復もしなくていいように。

一所懸命生きて、可愛いものだ…


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牡丹の葉に止まっているナミアゲハ?

まあ!黒い目や、繊細な脚や触覚の可愛いこと!


そして。虫嫌いの方は、ここから見ないでね。


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今年は蝉がなかなか鳴かなくて心配していたが、7月下旬、ようやくアブラゼミなどが
鳴きだした。
ある日、娘が久しぶりに帰って来ていて、コロをキャリーに入れて川べりにちょっと
連れ出してやろうかということになった。ほんの近くまで。
桜並木では蝉が盛んに鳴いている…声はすれども、姿はなかなか捉えられない…
ふと見上げると、葉影に蝉がいる。
「蝉がここにいるよ」と娘に言うと、
「あれ!かまきりに食べられてるよ!」という。
えっ、えっ?!とよく見ると、ほんとに蝉はかまきりに捕まって、今しも頭から
食べられているところだった。

私はうっかりもので、まあ、目が悪いということもあるが、娘たちなどの見ていることの
半分も十分の一も見ていない、ということがよくある。この時も、蝉に気付いたはよかったが、
「変なぶら下がり方してるな」と一瞬思ったか思わなかったくらいで、私一人ならそこを
なんでもなく通り過ぎていただろう…
娘は目も勘もいいので、よく一緒に歩いていても面白いものを見つける。

・・・・・・・・・
私たちはただ黙って、その生と死の場面を見ていた。
蝉は大きな体をしているのだから、翅を思いっきり羽ばたかせればかまきりの腕から
逃げられるのでは、と思ったが、もう観念したようにじっと食べられている・・・


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そして。そのすぐそばの幹では、別の蝉が、仲間の死など知らぬげにジージー鳴いていた。

これを人間の物差しで「残酷」などとは思わない。
ただ、一夏を生きる虫たちの、必死の営み。それだけだ。



また別のある日。その日も娘が来ていて、階下の部屋のテーブルで話をしていた。
ふと、窓のそばに座っていた私が外に目をやると、テイカカズラの徒長した蔓が、窓すぐ
近くまで伸びて来ていたが、そこを、小さな小さな青虫が一所懸命這っている。
写真を撮り損ねたのだが、こんなのだ。お借りした写真を小さくして載せましょう。


オオスカシバ 幼虫

体長2.5センチくらいしかない、小さな小さな青虫だ。
黒い触角があるように見えるのは尾で、反対側が頭だ。
その、『尾角(びかく)』と呼ばれる尻尾の用なものを、ぴこぴこと前後に動かして、
テイカカズラのつるを一所懸命登っていく。
『これこれ、もう先が無いよ』
娘と笑いながら見守っていると、つるの先まで来て、あらら!というように体の向きを
変えて、つるを下りだした。
翡翠のように綺麗な緑色の、小さな小さな青虫。

娘と一緒に見ていたのはここまでだ。

「あの青虫は、なんになるんだろう」・・・・・・

私、あとでネットで調べてみた。黒い尻尾が特徴的なので、すぐに見つかった。
成虫はこちら。

オオスカシバ 成虫

まあ!なんと可愛い!
『オオスカシバ』というスズメガの仲間の蛾らしい。

この一連の写真は、こちらのサイトからお借りしましたし、オオスカシバの不思議な生態や
その名の由来も私はここで知ったので、興味のおありの方はこちらをご覧ください。
写真もたくさんあります。
https://insect.design/tyoumoku/garui/suzumegaka/oosukashiba


この子は蛾だが、ハチドリのように羽をホバリングしながら、普段はこのようにくるくると
丸めている吻を伸ばして花の蜜を吸う。
いや~。なんと可愛い!

そういえば、小さな青虫が一所懸命登っていたテイカカズラの下には、オオスカシバの
幼虫の餌になるという梔子が生えている。
そして、この幼虫を見つける数日前、私はこのテイカカズラや梔子のあたりを飛び回って
いる丸っこい蜂のようなものを見ていたのだ。
そのときは、それがこんなかわいい蛾だなどとは夢にも思わず、蜂がいるな、外に出る
時は巣がないか気をつけなくちゃな、というくらいにしか感じていなかった。
当然写真も撮らなかった。
そうか!わが家の通路の狭いところに植えた梔子。家の陰になって陽当たりが悪いので
もう植えて十年…二十年…?にもなるのだけれど一向に大きくならない。
おまけに毎年、これを食草にしている虫がいるらしく、可愛そうに梔子はいつも花が咲く
少し前ごろにはほぼ葉っぱが食われてしまっている、という状態だったのだが、
大雑把な私。食虫を駆除しようなどとも思わず、自然のままに放置していたのだった。

そっか!長い間、うちの梔子を食べていたのは、この子たちだったのか!!!
(まあ、梔子の葉を食べる虫は他にもいるかもしれないが。)
幼虫の食草はクチナシなので、おかあさんはクチナシの葉に卵を産み付けるのだが、
もしかしたら、おかあさん自身は、ちょうど我が家に梔子と一緒のところに植えてある
テイカカズラの花の蜜を吸っていたのかもしれない。まだ花が残っていたから。

オオスカシバは、いろいろな花の蜜…ヒマワリや、キバナコスモス、アベリア、立葵、
百日草、などなどを、ホバリングしながらそのストローのような口吻を伸ばして吸う。
だから、英語では『ハミングバード・モス』ともいうのだとか。

来年は窓の外によく気をつけていて、オオスカシバのおかあさんが来たら、是非
写真を撮りたい。

娘と見たあの小さな小さな翡翠色の青虫が、こんな綺麗な蛾になるなんて、なんだか
嬉しいなあ…と思って、早速娘に電話したのだった。


さらに。『オオスカシバ』、というこの蛾の名前だが。

オオスカシバ 羽①オオスカシバ 羽②



なんと、この子は、羽化したときは、左の写真のように、蛾らしく『鱗粉』に覆われて
いるのだが、それが間もなくはばたくと、右の写真のように鱗粉は落ちて、
透明な羽になるというのである。

だから、『オオスカシ(透かし)バ(羽)』!!!
おやまあ!なんと自然は面白くて愉快なのだろう!
あの小さな小さな緑色の青虫が、こんなすてきなものになるなんて。


その驚きは、数年前、サンカヨウ(山荷葉という植物の不思議な生態を知った時以来、
だろうか。


サンカヨウ③
写真はこちらのサイトからお借りしました。http://smile.thykm.net/healing458/


この花は、雨に濡れると、このように透明になるというのだ。
雨が降っても、いくつもの自然条件が合わないとなかなか見られないそうなのだが。

詳しく聞けば、『白い花が雨に濡れると透明になる』のではなく、白い花は、『花びらの細胞の
隙間に光が入り込み、光が散乱することによって人間の目には白く見えている。
しかし、そこが水で満たされると光の散乱が起きなくなり、光は通り抜けてしまう
ので、透明に見える』というのである。


もう一度、オオスカシバさんを。

オオスカシバ③
こちらの写真は、このサイトからお借りしました。https://www.insects.jp/kon-gaoosukasiba.htm

まあ!なんとこの世界は、不思議と神秘に満ちているのだろう!
こんな生きものたちがあること、いること、この年になるまで知らなかった。
知らないことは山ほどあるのだなあ……。なんだか楽しくなる。


さて。夜になると、我が家の台所の窓の外には、毎夏、こういう子も来る。
小さなヤモリ。
同じ子かどうかはわからないけれど、とにかく毎年くる。
周辺の家々が暗いので、窓に明かりのともった我が家の台所の窓に、蛾や羽虫などが
集まる。それを食べに来るのである。
すぐそばに小さな蛾がいてもなかなか気がつかない。
単に慎重なのだろうか。動き出すと敏捷なのだが。

これも見ていて飽きない…。

一方で同じ蛾の仲間を愛でながら、ヤモリの餌になる小さな蛾には気持ちを入れない…
人間とは勝手なものである…。><

ヤモリ




私の夏の一日は、こんなふうに過ぎていきます………。



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こちらは、川べりに出て見た夕焼け空。





プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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