『こんなところへ行っていた ’17』


娘やお婿さんのお陰で、ここ数年は毎年、何かしら年に一回は旅をさせてもらっている。
だが、昨年、つれあいがいよいよベッドに寝ている状態になって、今年からはもう、
彼をひとり残して旅に出るのは無理になるだろうな、と思っていた・・・

しかし、ありがたいもので、介護制度に、『ショートステイ』というしくみがあることを知った。
昨年まで私たちはそういった支援を何も受けないで頑張ってきたけれど、今年ケアマネージャー
さんなどのお世話を受けることになって、いろいろな支援の仕組みを教えてもらったのである。

それでも、当人がそうした施設に行くのが嫌だといえば無理強いは出来ないけれど、
彼は『行ってみる』という。今、週に2回受けているリハビリ中心のデイケアも楽しいので
宿泊型の介護施設にも一度は行っておいてみようかなと思ったらしく。
まあ、とはいえ、何より、私を旅させてやろうという思いやりからそう言ってくれている
のだろうけれど。

で。9月某日。私、またひとり旅に出た。
朝9時半、介護施設のひとが迎えに来てくれて彼を送り出してから電車に乗り東京駅へ。
北陸新幹線に乗り換えて。
一昨年群馬までは行ったけれど、日本海へ、それも糸魚川の方から回っていくのは
実に半世紀ぶりだ・・・・・・。
昔、まだ私が20歳そこそこの若さだったころ、つれあいと立山に登って、そこから
日本海に出て、能登半島の輪島まで行ったことがあった、それ以来だ・・・・・・
あれから50年かあ・・・

糸魚川までは新幹線が明らかに横腹に西日を受けて走っていたのだったが、つまり
日本列島を横断しているとわかるのだが、糸魚川を過ぎると、西日の方向へ・・・
海から少し離れたところを西日と平行に走って行っていく。
東京駅からどこあたりまでだったろう・・・ほぼすべての座席が埋まっていたのだが、
長野?あたりからだったか、急激に乗客が少なくなって行って、私は、海側の方の
座席に移動して、時折遠くに見える日本海を求めてじっと窓の外を見ていた・・・・・・

向かったのはこの街。
金沢だ。



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まずはホテルにチェックインして荷物を置いて、すぐに市内巡りのバスに乗る。
金沢の街は、あちこちに観光スポットがあって、そのためにかバス路線が非常に細かに
張り巡らされていてとても便利だ。行き交うバスの多いこと!

しかし、金沢に着いたのがすでに3時半過ぎ。ホテルに荷物を置いたりしていてバスに
乗れたのは、もう4時近くになっていた・・・

金沢といえば、まず兼六園を見なくちゃね。


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桂坂口から入って眺望台まで来た。
その時点ですでにへとへと。
実は、旅に出るまでが結構忙しかった。
つれあいのショートステイの準備。持ち物が決められていて、持っていくものすべてに
名前を記入したりする作業がある。家を空けるのであれば、帰ってきたとき気持ちがいいように
あちこち家中の掃除もゴミ出しもしておかなければならない。自分の旅の支度もある・・・
疲れから、おなかの調子も悪くしていて、出発当日は朝からほとんど何も食べていなかったのだ。
いつもは旅にでると、新幹線に乗る前の東京駅で好きなお弁当とお茶を購入して、外の景色を
見ながらお弁当をつかうのが楽しみの一つなのだけれど、今回はその元気も無し。
何もお腹に入れていないと、広い園内を回れないぞ、と思って、入り口近くのお茶屋さんで、
お団子買って、それを二口ばかり食べただけだったから・・・。

ここで、水分だけでもちょっと摂っておこう・・・



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歩き始めてちょっとしたら、人がやけにたくさんいて写真を撮っている場所がある。
私。混み合ったところが苦手なので、そこを素通りして、しばらく先まで歩いてから地図を
見たら、そこが兼六園の有名な写真スポット『徽軫灯籠(ことじとうろう)』の箇所なのだった。
う~ん・・・仕方ない。一応戻ってちゃんと見ておくか。(苦笑)




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『徽軫灯籠(ことじとうろう)』.




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霞ケ池と内橋亭の眺め。





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見事な松。



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みんなが写真を撮る名物スポットも確かにいいけれど、あたしは、こういうところがいいなあ・・・
さすがに日本三大名園の一つ。その作庭は隅々まで手入れは行き届いていて、とりわけ
美しく刈り整えられた芝生の気持ちよさそうなことったら!




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こういう風景が、あたしは好きだよぅ。






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瓢池。



デジカメの記録で見ると、ここまでですでに時刻は5時間近。
9月に入って急速に日暮れの時刻は早くなって、すでに西日がかなり傾いている。
金沢の他の場所を見るなら、急がねば。




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金沢は古都。そして北陸随一の大都市。
歴史ある建造物と、超近代的な建造物が一つの街の中に共存している。
バスの中からも、いくつも、『あっ!いいな!』と思うような建物がたくさんあった。
これは兼六園から武家屋敷町の方へ歩いているとき見つけた、旧石川県庁舎本館、
通称『しいのき迎賓館』。竣工、大正13年(1924年)。設計は、国会議事堂建築の
直接的責任者であった矢橋賢吉。
『しいのき迎賓館』の愛称は、建物正面のこの二本の『椎の木』から来ている。
推定樹齢300年という見事な古木たちだ。




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続いて目にしたすてきな建物が、この『石川四高記念館』。
明治22年着工。同24年(1891年)に完成した旧第四高等中学校本館である。
明治27年、第四高等学校と改称、昭和25年3月学制改革により閉校。
隣は石川近代文学館となっていて、私は、建物の中も見学したかったのだけれど、
いかんせん、時間がもう閉館時間5時を過ぎている・・・。

ああ・・・時間がたっぷりあったらなあ・・・・・・
日本近代建築の好きな私。金沢中のそうした由緒ある建造物を見て回りたい。



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金沢には、ほんとうに見るべき場所がたくさんあって、わずか一日の滞在、それも
つれあいをショートステイに送り出してからの出発で、正味数時間しかない滞在では、
とてもその全部は見て回れない。兼六園も駆け足で回って、あとは的を絞って、武家屋敷
と香林坊界隈を見ることにした。


・・・趣ある武家屋敷のたたずまい。
しかし、ここでも時間が・・・!
見たかった資料館やお店は、ことごとくもう閉まってしまっていた!
その上、水曜日が休み、というところが多く、そもそも仮に時間があっても無理だった。
それらは皆、ガイドブックで事前に承知はしていたのだけれど、やはり残念だ。
武家屋敷はすてきなのだったが、これらも皆、時間のこともあって固く門を閉ざしてしまっていて、
歩き疲れた旅人・・・余所者には、少しばかり心寂しいものがあった。

だがまあ。この寂しさも旅情のうち、なのであろう・・・・・・。





              ***


金沢の夕暮れから夜。
女ひとりでは出歩いても寂しい。
香林坊のお店なども一応見ては回ったけれど、なかなか女ひとりでふらりと気軽に入れるような
店はなく。ガイドブックであらかじめここで食べようか、と心づもりにしていた店の前まで
行ってはみたけれど、来てみればあまり入りたくもなくなって、また香林坊を闇雲に
歩いて疲れ果てた・・・。

食事をしてからそれからまたバスやタクシーに乗って宿に帰るのは嫌だなあ・・・
食事をしたら、そのまま、バタンとベッドに転がりたい。
で。駅までバスで戻って、結局駅ビルの中の加賀料理を気軽に食べさせてくれるお店で
新幹線一周年記念メニューという『かがやき』という御膳を食べたのだった。w
そうかあ!「あら。かがやきって、乗る予定の新幹線と偶然同じ名前だわ」などと思ったが、
一周年記念メニューだったのか!
朝からほとんど何も食べていないで歩き回って疲れ切った体に、『治部煮』が優しかった・・・
小鉢のようなものから、定番のお刺身、天ぷらは無論、二段になったお重の引き出しには
いろいろな前菜類が綺麗に入っていて、見て楽しく、食べて優しいお料理だった。

ホテルも駅ビルの中というのがすごくありがたかったなあ・・・
眺望は最悪だってけど、何しろ無駄に移動で疲れないという点で大正解だった。
そのまま直行して、文字通りベッドに倒れ込んだ・・・・・・









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『婆娑羅な衣装』



二泊三日の旅に出ていた。
旅に出る前に作っていたもの。

急遽、『作って欲しい、作れるか?』と問われて、性分として『出来ない』とは言えない。
衣装一式揃えて渡すまでの日数は4日しかない。
電話のあったその夜の内に大急ぎ、押し入れをひっくり返して、使えそうな着物を探す。




懸帯 ①




一つは、大相撲の関取さんの『化粧まわし』のようなものだ。

海辺の祭のこととて、大胆な海老の柄の名古屋帯をほどいて作った。
下部の方の縄模様?を描くための金色のブレードや裾のフリンジは、決まった様式がある。
それに適した材料を求めて近くの大きな手芸材料店2軒に行ってみたが、こんな金色の
長いフリンジなど特殊すぎて当然置いていない。
そもそももういろいろなものを手作りする人が少なくなって、手芸材料店そのものが、
ご多分に漏れず、もう売れ筋のものしかなかなか置かなくなってしまっているのである。
町の本屋が売れ筋のものしか置かなくなっているのと同じだ。
訪ねた2店も、『フリンジ』そのものを置いていなかったり、種類がほんとになかったりした。
新宿あたりまで買いに出れば、ぴったりの材料があるかも知れないが、日数がないので
その暇はもうない。

仕方ないので、フリンジもブレードも自分で作ることにした。
フリンジは、金色の、リリアン編みの糸くらいの太さの糸を買ってきて、それを撚って
100本ほどの縄にして縫い付けた。大きな縄模様を描くためのブレードは、鮮やかな
黄色の夏糸を買って、細編み3段で編んで作って縫い付けた。
回しの裏は、緋色の厚手の木綿布だ。







懸帯 ③



次は、衣装の長襦袢だ。
祭りの際に、男たちは、上の化粧回しをつけたその上に、長着を羽織って出るのだという。
元々は、女の長襦袢を羽織っていたものらしい。
『子供の着物のような派手な柄がいい』という希望なので、家にあった、本身裁ちの
少女用着物を半ばほどいて、身幅や裄を広げ袖を短くし、襟も襦袢仕立てに縫い直した。
長襦袢の掛け衿は、ほんとうは黒繻子かなにからしいが、もう徹底して遊び心で
松竹梅や鶴の柄の婚礼用黒振り袖の端布を縫い付けた。

化粧まわしの残りで角帯を一本。
当日の男たちの正式の着付けは、裸の腹にさらしを巻いたその上に化粧まわし(懸帯)を
つけ、長襦袢を羽織って、角帯を締める。その上にさらに、七五三の時に七歳の少女が
帯の上から重ねてするような派手な『しごき』を巻くのが、どうやら決まりらしい。
『らしい』というのは、私はその祭のことはほとんど何も知らず、ネットで得られた写真から
すべてはこういうものらしい、と推測して作るしかないわけで。
『しごき』も、家にあった着物の端布で3種類作っておいた。





懸帯 ④



で。
大変に婆娑羅な祭り衣装のできあがり。
地元の人に『様式にかなっている』と褒められたようで、まずはよかったよかった・・・



ふ~ぅ・・・・・・
溜息ばかりのこの頃だが、こうやって、無心に手を動かしているときだけが
精神的に落ち着いていられる・・・

台風18号が心配だ・・・。











『キャンドル・ナイト 78』






78回目のキャンドル・ナイト。


キャンドル・ナイト 78


前回のガラスビーズに引き続き、飴玉みたいな色合いのポットにろうそくを入れてみた。
どちらも百均の商品だけれど、赤、濃桃、青の三色の組み合わせには、子供の頃の
記憶を呼び覚ますような懐かしさをいつも感じる。
この三色に、緑、黄色、を加えたら、懐かしさ究極の原色の組み合わせだ。
着るものの色の組み合わせとしては考えられない悪趣味の色だろうけれど、
富山の薬売りの叔父さんのくれる紙風船の色合い、夏の子供浴衣の色柄、ブリキの金魚、
駄菓子のジェリービーンズ、そして七夕飾りの中にあったあの蛇腹のようにくるんと開く飾り・・・
あれはなんという名前のものだろう・・・
そんなものたちで意識せず親しんできた色の組み合わせだ・・・

長い年月、親しく目にしていながら、その正式名称を知らずに来たものたちがあるものだ・・・
私にとっては、包装の緩衝材として入れるあのセロファンを細かく刻んだものの正式名称が
なんというのかは、子供時代から知りたいと思い続けた長年の疑問であった。
それが『セロパッキン』と業界で呼ばれていることは、ようやくつい最近知ったことだ。
それから、その、バナナみたいな味と香りの駄菓子・・・・『ジェリービーンズ』・・
それもなかなかその名前が思い出せないままに来たものの一つだった。
今ちょっと調べてみたら、ジェリービーンズは、『ソラマメ』の形を模したものだという。
バナナじゃなかったのかぁ…そりゃそうだ、『beans』だものなあ。

さて。あの七夕飾りにもあった蛇腹のように開いたり閉じたり出来るおもちゃは
なんというものなのか?
・・・今、思いたって調べてみたら、『ハニカムペーパー』というものだそうだ・・・開くと蜂の巣の
構造になっているからか。なるほど。でも、私が子供の頃から、いやもっともっと昔から
あったものだ。その頃からハニカムペーパーなどと呼ばれていたとは思えない。
和名でなんというのだろう・・・・・・
『でんぐり』というのだそうだ。なるほど。くるんと前転などすることをでんぐり返りする、
などというものなあ。


それほど高価なものではないのだけれど、子供にはなかなか手に入れるのがなぜか
困難なものがある・・・私にとっては、この『でんぐり』がそうであったし、お盆の綺麗な
『落雁菓子』が未だにそうである。
無論高価で手の届かぬものもある・・・富山など北陸の『細工かまぼこ』がそうである・・・
そうそう。『つまみ細工のかんざし』も、子供の頃の私にとっては、手に入れられぬ憧れの
ものだったなあ・・・
これらのものは、ほとんど皆、なにがしかの祭礼などと関係があって、いわば日常で
手に入れてはいけないある種の『禁忌』を含んだものたちだったから。
お盆の落雁菓子は仏様に供えるものだし、祝いかまぼこは、そういう風習のある土地
の結婚式にでも出なければ、食べられるものではない。『でんぐり』も『つまみ細工の
かんざし』も、七夕や秋の祭礼、七五三、正月などというように、ある季節に限られたもの
であって、その時期を過ぎれば、またその該当する年齢を過ぎてしまえば、もう手にしてはならぬ・・・
そういった暗黙の約束事を含んだものたちである・・・。

というわけで、ジェリービーンズ以外は、私にはすでに縁遠い、生涯縁のなかった品物で
あるわけだけれども、(ジェリービーンズも弱った歯にはもう食べられず、落雁菓子も
私が亡くなったら、娘に頼んでおいて仏前にお供えしてもらおう・・・とほほ・・・)こうした
あこがれの品物があると言うことはあったと言うことは、まあ『寂幸せ』とでもいうような
ものかなと思っている・・・。



ふ~ぅ・・・・
と。キャンドル・ナイトの本来の趣旨とは関係ないことを長々と書いてきたけれど。
こう・・・怒りの向け場がなくなってしまっている感じなのである。


願わぬ方向へばかり世界が転がり進んでいく・・・・・・






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心ひとつに キャンドルナイト








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『民進党よ!!! ③』


民進党は、枝野氏がついに代表戦に名乗りを上げた。
少し遅きに過ぎた・・・という感はあるが。

東日本大震災の時、刻々と変わっていく津波被災地と福島第一原発の状況を、
政府のスポークスマン=官房長官として不眠不休で国民に説明していた枝野氏。
その必死の姿は、『枝野。眠れ』というハッシュタグまで生んで、日本のみならず世界の
ひとに共有された。
私は、東日本大震災後、民主党の将来の代表としてふさわしいのはこの人物しか
いない、とずっと思ってきた・・・肝の据わった男だな、と思ったからである・・・

だが、非常に残念なことに、
それは、ある意味で国民にとっても大変不幸だったことに、
民進党政権の時に東日本大震災が起こってしまったこと・・・
彼が福島第一原発事故時の民主党のスポークスマンとも言うべき官房長官であったこと。
そして彼が、政府を代弁して、『ただちに人体、健康に害が無い』という文言を繰り返したこと。
そのことは、残念なことに、彼の政治家としての姿に大きな汚点を残してしまった・・・。
原発事故で逃げ惑う人々を福島に無理矢理閉じ込めるような発言だ、子供たちに
汚染されたものを強いるような、逃げることさえ禁じるような、非人道的な発言だ、として
多くの批判批難を一手に引き受けてしまったのである・・・

だが、私は、誤解を恐れずに言えば、事故直後という当時の民主党政権にとって、
枝野氏の『ただちに人体、健康に害が無い』という政府広報官としての発言は、あれで
せいいっぱい、仕方のないことだったと実は思っている。
『ただちにはない』ということは、長期的に見れば、影響はある、ということの言い換えでもある。
だが、あの東北の人々が極限状態の中に置かれているとき、『原発事故の体への影響はある』
と公式の発言の場で政府の人間がいうことが、果たして適当であったかどうか・・・

私は、原発の危険性を事故前から訴える者であった。
その私が、当然のことながら、福島の人々に『逃げずに福島にとどまれ』などと
言うはずがない。思うはずがない。
事故のあの11日の夜すでに、『スピーディの発表などに拠らず、風向きなど考慮して、
自分の危機感と判断力で、一刻も早く安全なところへ批難してくれ!』 と、
祈るように、ほとんど地団駄踏みながら思っていた私である・・・・・・。

しかし、政府としては、あの時は、ああ言う以外の何が言えただろうかとも思う。
仮に自民党政権の時であったなら、もっとうまい対応が出来ていたのであろうか?

事故直後の、原発・・・第一第二で計10基もある福島第一原発の正確な現状について、
国民や政府自身は無論、本当は政府に正確な情報を上げるべき原子力委員会も
安全保安院も、そして当の東電の人間さえもが、第一原発の危険度がどれほど
ひどいかということを、その正確な状況を、ひとりとして把握している者はいなかったのである・・・

菅政権は、大津波被災地と福島第一原発が同時に時々刻々深刻さを増していく中で、
必要な情報も無しに、いわば、孤立無援でいた・・・・・・

原発事故の実情について、正確な知識を提供する者さえ当時いなかったのである!
あの、会見場に出ていた原子力安全保安院や東電の責任者たちの無能ぶりを、
記憶している方は多いだろう!!!
原子力安全・保安院の人間が、『私は文系の人間なので・・・』などと、あの緊急の場で
言い訳をする・・・そんな『専門家』しか周りにはいなかったのである!

そんな中で、もし、原発が一基メルトダウンを起こせば、誰も原子炉に近づけなくなる・・・
そして、福島第一第二原発の10基の原子炉が次々にメルトダウンを起こしたら・・・
福島の人々を避難させなければならないのは当然だが、福島、群馬、栃木、茨城、千葉、
そして東京、神奈川・・・・・・首都圏の何千万という人々がパニックを起こしていっせいに
逃げ惑ったら!
その恐れは、現実にあのときあったのである。
何千万の人々が我がちに我先に逃げ惑う・・・その混乱の恐ろしさ・・・

『まずは落ち着いてください』
政府としては、そう言うしか当時なかった、と私は考えている。
無論、原発をずうっと危険視し憎んできた私だ。福島の人々に『逃げるな』などと言うはずがない。
それでも。あのとき、誰に、何が出来たか、とも思う。
福島の人々が一斉に我先に逃げ惑う・・・道路はおそらく確実に車でいっぱいになる・・・
原発が放射性物質を放出し続ける中、逃げ惑って外にいる危険!
原発がさらに爆発など起こして放射性物質を大放出すかも知れない状況の中、家に
じっと待機していた方がいいのか、被爆の危険性は承知しつつとにかく逃げられるところまで
逃げた方がいいのか・・・  正解を知っていた者があのとき果たしていただろうか?

東日本大震災が起きたとき、民主党政権であったこと、そして将来民主党を背負って立つ
力量を持っている枝野氏がたまたま、官房長官であったこと・・・
そのことは、正直言って、日本にとって大きな偶然の、大きな損失であった、と私は
考えている。

私はずうっと共産党・旧社会党の支持者である・・・
しかしながら、自民党の長期にわたる一党独裁を許さない、という一点において、
自民党に比肩しうる野党は、日本に必要だ、と思い続けてきた者でもある。
その意味で、民主党には、政権をしっかり担当しうる政党に育って欲しかった。

だから、民主党を叱咤激励する記事を、これまでもいくつか書いてきた。
その中で、私は、民主党に国民が厳しすぎたのではないか、と言う疑問も呈してきた。
確かに、民主党は、東日本大震災時、とりわけ福島第一原発の対応に関し、不備不足な
点はたくさんあった・・・もっと適切にやれたのではないか、という想いは私にだってある。
公約に関しても、国民の期待を裏切って、思うような約束したようなめざましい成果は
上げられなかった・・・その上、内紛ごたごた続き。
右から左までが一緒くたになった党は、脱原発や改憲の是非などという根本的な
大事な問題で、そのスタンスがいつもぐらぐらしているように見え、支持母体である
『連合』にいつも気を遣って、大事なところでいつも腰砕けになってしまう・・・。

ひどい安倍一強政治をここまで許してしまったもの・・・それは、なによりも民主党自身の
だらしなさ、である!
しかしながら、民主党を自民党に変わりうる政党として辛抱強く育ててこなかった
私たち国民にも責任はあったのではないか??
私たちは、必要以上に、民主党に厳しすぎたのではなかったか??
私は、これまでにも何度も、そのことを指摘してきた・・・

考えてもみよう。安倍政権のこのひどさ。安倍氏自身の総理としての公私混同、
強引なその政治手法は無論のことだが、第一次政権以来、安倍政権の閣僚たち、
また周辺の人々は、本当にひどい人たちがいっぱいいたではないか?
だが。なぜか私たち国民は、こちらには甘い。
閣僚の不祥事はともかく、自衛隊の集団的自衛権行使を認める安保法制、
秘密保護法、そして共謀罪法、TPPでの嘘。
民主党とそして何より国民と交わした『税と社会保障の一体改革』は、安倍政権になって
いつの間にか『社会保障』の部分だけが抜け落ちて、税の改悪だけがどんどん進められている・・・
北朝鮮や中国の脅威を煽り、そのどさくさに平和憲法無視の軍備増強を着々と
進める・・・
アメリカの言いなりになるのはますますひどくなって、もはや日本はアメリカの属国化。
沖縄の人々の苦しみに向き合おうとせず、辺野古の建設を無理矢理にでも進める・・・
国民にとってある意味もっとも大事な『自由権』『知る権利』を細らせるべく、
教育やジャーナリズムに過干渉して、その萎縮を図る・・・
あれほどの過酷原発事故を起こしておきながら、福島の人々を置き去りに、
首相自らが、海外に原発を売り込むセールスマンとなり、国内の原発の存続を図る・・・
一番の売りだった『アベノミクス』は失敗。あれほど民主党を批判しておきながら、
結局自分たちも国家財政は借金頼み。
そして、ついには今度の森友・加計問題に至る!!!

そのどれか一つをとっても、何度責任をとって政権交代があってもおかしくないくらいの
ひどい政治ばかりじゃないだろうか???
民主党のひどさに比べて、どっちがひどいと言えるか???


・・・しかし。
国民はなぜか、安倍政権にこれまで怒ってこなかった・・・
民主党の失政には、あれほど厳しかった国民は・・・安倍政権をなぜか罰しないのである・・・
私は、そこのところをいつも不思議に思うのだ。
これまでも何度かそのことは書いてきた・・・

民主党が素晴らしかった、とは私も言わない。
しかしながら、なぜかな・・・国民の怒り方は、あまりにもアンフェアなんじゃないか?
なにか軽重のバランスが悪すぎじゃないか?・・・・・・そう感じてしまうのである。

上に書いたような安倍政権のもろもろのひどい政治。 改憲を経ないで九条を
なし崩しにしてしまった安保法制・・・国民の自由を縛るもろもろの悪法の強行採決・・・
それらには怒らないで安倍政権に選挙で信任を与え続けてきた国民が、
森友・加計問題のようないわば私的感情を刺激する問題では激しく怒る・・・
そのアンバランスも、私にとっては同じ不思議だ・・・
なぜ、自分たちの権利を根本から奪うような問題にもっと怒らない??!!

私は、その裏に、なんというか・・・ある種の意思が・・・存在するような気がして仕方がない
のである・・・巧妙な宣伝工作が・・・自民党でなければだめなんだ!と言う
国民への長い長い時間をかけたインプリントが。
それは、いまだに、『日本は原発がないとやっていけないんだ』という、その刷り込みと
同じ性質のものであり、また、日本はアメリカの核の傘の下にいないとやっていけないんだ、
という刷り込みとも同じであり、おそらくそれらを巧妙に時間をかけてやっている者たちは、
同じ勢力の人々である・・・・・・
そしてそれはすでに、半分国民の意思となっているのではないか。

私が、記事を書いても書いても書ききれないもどかしさ・・・そして絶望感は、実は
そこにある・・・・・・


・・・・・・・・・・・・
民進党への問いに戻ろう。
民進党に、この日本を変えてくれと望むことがそもそも無理なのかも知れない。
だが。痩せても枯れても、一度は政権を握った党だろう?
あなたたちは、今のままで、単独で、次の解散総選挙などに勝てると思っているのか?
まず、自民党の候補者がいる。それに蝙蝠政党の極致公明党が共闘する。
小池氏の人気に乗っかった新党も出来るかも知れない。おそらくそれは時間の問題だろう。
それらに対し、それでなくとも弱体化弱小化してしまった野党4党がそれぞれに
候補者など立てて、一つか二つしかない議席を民進党が取れると思っているのか??!!
ここは、自公維新との対立軸をはっきりさせて、打倒安倍政権で4野党が結束するしか
ないじゃないか!
先の参院選で、かろうじて一人区を勝ち取ったのは、4野党と市民団体が結束して
必死で戦ったからではなかったか!思い返してみてごらん。

今、内紛などしている場合か!足の引っ張り合いなどしている場合か!
国民が、民進党なり新しく生まれそうな党なりなんなりに求めているのは何か。
明確に今の自民党、とりわけ安倍政治とは異なる政治であろう?
国民の方をしっかり向いた政治。誠実に議論を尽くす政治。嘘をつかない政治・・・。

それなのに、自民党と同じ、自民党と変わらぬ方針を打ち出してどうする!
反対のための反対をしろ、といっている訳じゃない。国民の求めるものをよく見ろ!ということだ。

だが、あああ・・・
民進党は安倍政権以上に、瀕死の状態だ。それこそ内部から腐っている!
もうここまで来たら、民進党は、その主義主張の異なるものは思いきって解体して、
真に野党らしい野党の姿を取り戻す方がいいのかもしれない・・・、と正直私も思ってしまう。
残念ながら、それが出来ると私が思っていた枝野氏は、『ただちに人体、健康に害が無い』
というあの当時の発言の故に、政治家として6年以上の月日を失ってしまった、と
私は思っている。
彼自身も、そのことは痛いほど自覚しているはずだ。だからこそ、彼は、これまでひたすら
代表戦などの表に出ることは控えてきたのではなかったろうか。
それが、彼の、福島の人々への贖罪の気持ちの表し方だったのではないかと、
私はひそかに思っているのだが・・・。

私は、震災後に書かれた枝野氏の著書も読んだ。そこには、枝野氏の人間としての
選択と、政権の責任者として全体を考えねばならない当時の苦しい苦衷・・・真情が
描かれていたと思う。
当時の菅首相の苦衷、政府の中枢にいた人々の困難は、その内部にいたものにしか
わからなかったろう。それらについては、菅氏や枝野氏のすぐそばにいた福山哲郎氏、
内閣広報室内閣審議官だった下村健一氏の証言などが、その極限状態の生々しさを
よく伝えていたのだが。

第三者は、あとになっていくらでも批判は出来るものだ。(あの3月、菅批判を繰り返して
いた安倍氏のように。福島第一の全電源喪失には、実は安倍氏の責任もあるのに、だ!)
その点で、私は当時の自民党総裁谷垣氏を高く評価していた。彼は必死の菅総理に
ねぎらいの言葉をかけ、全面的協力を申し出ていた・・・。谷垣氏が今、自民党にいない
ことを、私は心から残念に思う。

とにかく。その枝野氏が、ついに表に出てきた・・・
民進党の心あるものよ。枝野氏を中心にして民進党を立て直せ。
一時は議員が減るだろう。
だが、代表の足を引っ張り、自民党と何ら変わらぬ政策思想を持って、内部をかき乱す
だけの者がまだ必要なのだろうか?
迷っている民進党議員諸氏はよく考えてご覧。自民党と同じ政策を掲げて、国民は
民進党を今更支持などするか? それを野田氏以来5年間もやってきたから、ここまで
民進党は凋落したのではなかったか!!!


民進党の愚かさと安倍政権の奢りは、表裏一体のものだ。

このまま政治地図がダイナミックに動いて、小池百合子氏のようなひとを中心の、
『第二自民党』・・・いや、もっと右翼的な政党を生み出し、国民がそれに熱狂するという構図・・・
それはおぞましい・・・!
それよりはまだ、『安倍後』と俗に目される政治家たち・・・たとえば、岸田氏、
河野氏など、自民党でも比較的誠実な、と思える政治家たちの登場を待つ方が
ましなのか。
・・・そう、漠然と感じていた国民もいたのではなかろうか。
私も、あきらめと共にそう思っていたときに、このたびの内閣改造は行われた・・・。

閣外にいれば、彼らの安倍政策への意見も多少は役に立つだろうと思ってきたが、
閣内に自ら入ってしまえば、安倍政権の方針に敢えて異論を唱えるほどの気概が彼らに
あるかどうか疑問だ。
彼らもまた、『腐った林檎』になってしまった、のかな・・・。

『安倍後には、一抹の希望があるのではないか・・・』
その寂しい希望が、不安に変わった内閣改造劇であった・・・

その点、公然と共和党一部議員までもが、トランプ氏のひどいと思える政策に
反対を表明するアメリカは、まだ、政治家の良心や本当の意味での強さが残っていると
言えるかも知れない・・・


いつか、村上春樹氏が、
『日本に〈緑の党〉のようなものがないのが、問題だ』

というような意味の発言をしたと聞いたことがある。
私は、これを卓見だと思う。
日本人は、四季の移り変わりの豊かな、美しい自然の中で暮らしてきた・・・
(それを、あの原発事故は、取り返しのつかないまでに汚染してしまったのだが)
日本人の感性の中には、自然を恐れると共に自然と共に生きる感覚が根付いていると思う。
山や海、一本の樹木、無生物である岩や石にさえ、日本人は神性を見る民族である。
(安倍氏らの国家神道とは明確に違う!)
その日本に、『緑の党』のようなものがない。
ああ・・・・・・! 今、日本に、欧州における『緑の党』のようなものがあったらなあ!
環境を守り、貧困と格差をなくすための市民運動などと連帯する党だ。


私が民進党にとりあえず望みたいこと。
①安倍政権下での改憲阻止。
②脱原発(再稼働・新増設も認めない!)とクリーンエネルギーの
  国策としての推進。
③辺野古移転の凍結。
④そして。野党4党の共闘!
⑤政治の可視化、クリーン化。



消費税、防衛など、他にも議論すべき大事な問題はたくさんあるが、『とりあえず』!
上の4つなどを方針として打ち出してくれ。

だが・・・大変に残念なことに、これらのテーマは、実現される遙か以前に、すでに
もてあそばれ使い回されて、国民に訴えるには新鮮味をなくしてしまっているのかも知れない。
(なんと、不条理な、なんと、悲しいことだろう!!!)


私は、政治とは無縁に生きてきた人間である。そしてもう、老境にあって画期的に
新しいことなどはなかなか思いつかない・・・

その私に、一つだけ、民進党に提案できることがあるとすれば、
『SDGs』を明確に打ち出す政党になれ、ということだ。

『SDGs』。「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)
2015年9月、全国連加盟国(193国)は、より良き将来を実現するために今後15年かけて
極度の貧困、不平等・不正義をなくし、私たちの地球を守るための計画「アジェンダ2030」を
採択した。
この計画が「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」である。
SDGsは、ミレニアム開発目標で十分に手を打てなかった課題に加え、Rio+20で
議論された深刻化する環境課題など17の目標と169のターゲットに全世界が
取り組むことによって『誰も取り残されない』世界を実現しようという壮大なチャレンジ。



・・・ここには、希望がある・・・・・・・・・・・・



 

『民進党よ!!! ②』



もうすぐ、民進党の代表選がある。
その本質において自民党と変わりない前原氏ではだめだ。
枝野氏を中心にして、自民党と明確に違う政策方針を打ち立てていかないとだめだ。
そして、4野党共闘は、安倍政治を倒すためにも絶対必要だ。

思えば・・・民進党はなんと早くここまで落ちぶれたことだろう・・・!!!
私は、正直言って、これまでずっと、共産党と社民党のどちらかに票を投じてきた者だ。
民進党に票を入れたことは全くないか、おそらくあっても一回くらい?しかない。
だけれども、野党第一党(だった・・・)民進党にはしっかりしてもらわねば困ると思って、
これまで、何回か、民進党を叱咤激励する記事を書いてきた。

実は、昨年の参院選では、民進党候補の演説会の応援に行きもした。
私のようなノンポリの老女でも、それこそ枯れ木も山の賑わい、と思ったからである。
と言っても、私の正確な立ち位置は、民進、共産、社民、生活ネット(小池支持の愚かさ!)の
いずれにもなく、それらが共闘する、と言う条件下で、一市民としてそれらすべてを
応援してきた、と言うのに近い。

・・・そうやって、遠くからながら、全くの末端からながら、それらの政党の選挙のあり方を
垣間見たとき、民進党の議員諸氏そしてその選挙運動の感覚の市民との乖離は、
大きな問題だな、と感じた。
まず第一に小回りがきかない。というか、敢えてきかせないようにしているのか?
と思うほど。
民進党の第一の問題点は、もう嫌になるほど言われてきていることだけれど、
『連合』との癒着、依存、であろう。
それがあるためにいつまでもその組織票に頼っていて、足場として一般大衆のところまで
下りてこない。連合の組織的選挙運動法の感覚から一歩も出られないのだ。
たとえば昨年の参院選で、なんとか改憲勢力阻止のため、祈るような気持ちで
野党4党の共闘を願い、なんとかそれらを叱咤激励してまとめようとした市民連合や、
なんとなく自民党に不満を持っている一般市民の気持ちがわからないのだ。
祈るような気持ちがわからないのだ。
そして、野党第一党であるという妙なプライドと意地だけは強いから、共闘する他の
政党や、手弁当で応援に駆け付けた市民たちのやり方に合わせない。

私は、どの政党に対しても、いつも本格的選挙運動には荷担せず、単に応援演説の
聴衆の一人であるとか、九条の会の一員として側面から応援とか、腕章を借りてビラ配りとか、
その程度の手伝いしかしてきていない。
それでも、市民運動のベテランと言われるような人々から、民進党の選挙運動への
あきらめと溜息まじりの慨嘆は、何回も耳にした・・・・・・

要するに、『市民のところまで下りてこない』のである。

大っ嫌いな自民党ではあるが、そういう点では、自民党の選挙運動の方が、『草の根』の
価値をよく知って実行しているように思える。
町会レベルの夏祭りなどにもこまめに顔を出す・・・日常での市民とのふれあいを
大事にしているのである。それが一方では、地元民と政治家の癒着を生むという
悪弊も生じさせてきたのではあったけれど、とにもかくにも、自民党は、大衆の末端
まで入り込むルートと手立てを持っている!
悪いがかつての社会党、そして民進党にはそれがないのである…


   ◆


民進党は今やがたがた。
細野、長島氏など、民進党の中でも自民党に近い考えの持ち主たちが、次々と離党していく・・・
まだ民進党に残った人々の中でも、自民党に極めて近い政治姿勢の人々がいて、それらが
いるために、民進党の『立ち位置』は、いつもぐらぐらしてしまう。
そういう人々が、なんとか党をまとめて解体させまいと努力する代表の足をこれまでも
いつもいつも引っ張ってきたように思うのである。
いわば、彼らもまた、『腐った林檎』である・・・。

面白いのは、(などと言ってられない状況なんだが)、あの細野氏と、日本ファーストとやらいう
のの代表、若狭氏とが、盛んにくっつこうとしているんだか単なる噂なんだかの動きのあること
である。
『あの細野氏』、と私が言うのは、私は彼のことを、非常に蝙蝠的な政治家だと思うからである。
細野氏は、東日本大震災の直後、菅政権で内閣府特命担当大臣、野田政権で環境大臣を
やっていた頃までは、まだどこかに一抹の『清新さ』があった。 震災後、原発事故後の
苦しみに直面する人々に、真剣な真面目な顔で向き合っていた感が、一応、あった・・・(かな?)

だが、その後の細野氏の動きは、極めて蝙蝠的、はっきり言って日和見主義的。
・・・彼自身の政治家としての定見がいっこうに見えない政治家、と言うイメージだった・・・。
個人のはっきりした政治思想や定見で動くと言うよりは、あるいは動かないでいるというよりは、
そのときそのときの風を読んで動く人、のような、日和見主義的なところが私などには見えた。

可笑しいというのは、その彼が、もしかすると、『あの小池氏』の一党とくっつくかも知れないと
いうことである。小池百合子、という人も、私は、極めて『蝙蝠的』もっといえば、『鵺(ぬえ)的』
政治家だと思っている。
彼女はとっても賢い。風を読むのがうまい。人心をつかむイメージ操作にも長けている。
そして、チャーミングな女性だ。何事によらず、『センスのいい人』だと私は思っている。
ひとりのひととして、私は彼女のことが嫌いというわけではない。ある意味見事な女性だ。
だが。彼女は『鵺』なのである。
本心を見せない。失敗もしない。柔らかい。したたかである。おそらく我慢強い・・・。

だが。政治家としては、その鵺的なところはどうなのだろう?
日本新党→新進党→自由党→保守党→保守クラブ→自由民主党(細田派→無派閥)→
都民ファーストの会へと、『渡り歩いた』というと語弊があるが、変わり身の早さを見せて
ついに、東京都知事の座に昇った彼女。最終目標は、日本の総理の座であろう。それも女性初の。
しかし、小池氏の政治思想がいったいどのようなものなのかは、巧妙に押し隠して
いるのでわかりにくい。
なにかこう・・・『鵺的』なのである・・・

『鵺(ぬえ)』・・・日本の伝承的物の怪。
サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビ。文献によっては胴体については
何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で
足がタヌキ、尾はキツネになっており、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料もある。
Wikipediaより

そのように、彼女自身は、奥底にどういう思想を持っているのか滅多に見せない政治家だが、
彼女を支えてきた仲間たちの中には、極右と言われるような思想の人々がいる。
そのはっきりした例が、野田数(かずさ)氏である。
小池東京都知事特別秘書(政策担当)から、ついには都民ファーストの会代表になった。
東京維新の会時代の2012年には、『日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活請願
を東京都議会に共同提出。「我が国の独立が奪われた時期に制定された」と
現行憲法の無効を主張し、皇室典範についても「国民を主人とし天皇を家来とする
不敬不遜の極み」と批判、「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄」すべきと主張。
というような、とんでもない思想の持ち主である。

小池氏は、この野田氏とおそらく根本の思想を一にする人であろう。
皆さんの記憶にも新しいように小池氏は、東京都議会選挙で全面に立ち、『都民ファースト』
を圧勝させた。
だが。選挙に勝つとすぐ、彼女は都民ファースト代表の座を、野田数氏に譲ってしまった。
・・・そんなのあり??!!
だって、都民ファーストにあれだけの多くの都民が票を入れた、と言うことは、小池氏の
存在が大きかったからだろう?
もし仮に、都民ファーストの代表が選挙時も野田数氏であったなら、小池氏がいなかったなら、
あれほどの圧倒的勝利は、あり得なかったはずだ。つまり、都民は、小池氏個人に
票を入れたのだと言っていいのではないか。
だって、50人だかの候補者たち自身は、箝口令が敷かれているかして、候補者としての
個性や自身の政策の表明は、皆無に近いほど出さないで、ひたすら小池氏の名を
連呼していただけなのだから。

小池氏から野田氏へのいわば内々での代表の座譲渡は、投票した選挙民への裏切り
じゃないか! 
都民ファーストに投票したあなた。野田氏が代表で表に出ていたなら都民ファースト
に票を入れましたか?表の顔が小池氏だったから入れたのでしょう?
このたびの都民ファーストの圧勝は、自民党政治、とりわけ安倍政権にほとほと
嫌気がさした人々の、いわば悲鳴のような想いが、小池氏という政治家の上に
集まった結果であったはずだ。
それなのに、この勝手な代表交代劇!!!
それを都民は怒らないのだから、全くどうかしてるよ。

と言う具合に、小池氏という政治家は、ぬるりするりと体をかわしてしまうのが非常にうまい。
その、鵺的政治家小池氏の一党と、日和見主義細野氏が結びつこうとしているのか?

そうして、なぜか。マスコミなどがこれをなにか望ましい動きででもあるかのように
持ち上げているような気配があるのが、私には非常に気に掛かる。
細野氏、長島氏など、民進党の離党組と、小池氏のお仲間の若狭氏・・・このほど
『日本ファーストの会』なる怪しげな政治団体を立ち上げた若狭勝衆議院議員が
どうやらくっつきそうな動きをしているのを、マスコミなどが、『政治の受け皿ができる』
かのように表現しているのが、私などにはおぞましくて仕方ないのである。

自民党政治に不満な人々にとって、彼らが『政治の受け皿』になり得るか?????
冗談じゃないのよ!
国民は、そんな表面的な『新たな』動きなどに惑わされてはいけない。
小池氏を私は『鵺的』で正体をなかなか見せない、と言ったが、彼女のこれまでの
政治家としての言動を注意深く見ていれば、その本質はとうにわかっているはずだ。
とりわけこのたび、9月1日に行われる関東大震災時の朝鮮人犠牲者追悼式への
都知事として寄せる追悼文送付を、彼女は断った。
そのことで、小池氏という政治家の本心というものは丸わかり、ではないか!

例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請。石原、猪瀬、舛添の歴代知事は
それに応じてきた。小池氏自身も昨年は送付していたのである。それがなぜか、方針転換。
今後も要請があっても出さない、と言う。
団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、
近く抗議するという。
1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などの
デマが広がり、民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが
虐殺された。殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。
私たち日本人が、それも私たちと同じ『普通の』民衆が引き起こした虐殺事件であった・・・・・・

その歴史的事実を直視することから目を背ける政治家。
それが小池氏の本質だ。
その彼女の元に、どうやら政界の有象無象が寄り集まっていくという構図・・・。
出来上がるものは、おそらく、今の自民党より粗悪な、しかも極右的性格を隠し持つ
ポピュリストの政治家集団だ。
そんなものが、国民の政治の受け皿になるというのか????

だが、正直言って、都民ファースト、日本ファーストなる政治団体の本性は、
あまり知られていないのじゃないか。
だって、マスコミはそういうところを報道しないのだもの。
マスコミが、日本会議や神道国会議員連盟などのこと、それに属している政治家たち・・・
とりわけ安倍内閣との強い関係を詳しく報道しないのと同じだ。
私が、反原発運動で個人的に顔見知りになった生活者ネットワークの人々・・・
皆、真面目で真剣に社会のことを考えて長らく活動している女性たちだが、その
生活者ネットワークの人々が、先の都議選で、あろうことか小池氏の一派と政策協定を結び
選挙協力をする、などということさえ起きて、私などはびっくりしたものだ。

小池氏は、政策の肝心なところについて何も言わない。
だから、彼女の一見ソフトムードに、人は、勝手に思い込みをする・・・。
だが、彼女の目指すところは、実は、『政治』でさえない、言ってみれば、個人的出世欲の
ひとなんじゃないか、と私などは見ているのだが。

とにかく。小池氏とその周辺の野田数氏や若狭勝氏ら『都民ファースト』『日本ファースト』
の政治家たちと、民進党の言っては悪いが『腐った林檎たち』、そしていつかは
あの橋下氏や渡辺喜美氏などや、これからもいっぱい出てくるであろう政界渡り歩き組、
が有象無象で寄り集まって、国民の真に願うようなクリーンな新党などできるはずがない、
ということだけは言っておきたい。

……しかしながら。
民進党が解体寸前のこの今のありさまでは、『従来の古い自民党も嫌だ、といっても
共産党も嫌だ』、という多くの浮動票とも言える層の人々が、雪崩打って、その新党に
流れていく可能性は大だと私は思っている。
その実、その新たな党は、自民党と何ら変わらない・・・いや、より右翼色の強い実体を
ソフトでお洒落な衣の下に隠した、よりうすっぺらな新党になることは目に見えているのだが。


…なかなか、『民進党よ!』という本題に入れないな…



『 民進党よ!!! ①』


民進党よ。

あなたたちの政党としての存在価値はどこにある?
自民党と同じことを言っていては、していては、だめなのだ、
ということが、あなたたちにはまだわかっていないようだ。
今更、第三自民党みたいなもの作ってどうする!!!

あなたたちは、野党4党の共闘無しで、すでにがたがたの民進党単独で、
来たる選挙に勝てると本当に思っているのか??!!

国民が求めているのはなにか。
腐りきった自民党政治におさらばすること、きつ~いお灸をすえること。
国民が欲しているのは、自民党に変わって政権を任せられるしっかりした野党。
公正な政治、誠実な政治、透明な政治、信頼に足る政治。
そして、徹底して国民目線に立った政治、なのではないだろうか。

民進党よ。国民の前に一度こころから頭を下げよ。
そして、今一度、一から立ち上がれ。


『72年目の夏に想うこと ③』


インパール作戦に関連してあと少し。

この8月21日付け、朝日新聞朝刊の『政治断簡』 は、偶然だが、インパールに関する
私の記事に重なる部分が多かったので、全文を引用させていただく。
なお、行変えや強調などは勝手ながら彼岸花がさせていただいた。


〈政治断簡〉『あなたが黙ると、窒息するのは…』 
     編集委員・松下秀雄 2017年8月21日付け 朝日新聞朝刊 


 記録も記憶も「ないない」という政権をみて、内部告発のありがたさに気づく。
ないはずの文書が漏れ、違うぞと証言する公務員がいなければ、いろんな事実が
闇に埋もれていただろう。
 危ういな、とも思う。匿名の告発や退職後の証言が続くのは、現役は「おかしい」と
思っても声を上げにくい環境にあるからじゃないか。
 もし周りにいるのが従う人ばかりなら、権力はやりたい放題できる。それを主権者の
目から隠すのも簡単だ。だから異議を唱え、告発する人に頑張ってほしい。
あなたが黙ると、民主主義は窒息する。
 むろん、私も黙らない。メディアの沈黙も、同じ結果をもたらすはずだ。

     *

 「従う人」で思い出したのが、ナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマンだ。
 ユダヤ人を絶滅収容所に送る責任者だった彼は、自身を裁く法廷で「命令を実行しただけだ
と主張した。裁判を傍聴した哲学者、ハンナ・アーレントは「悪の陳腐さ」を指摘した。
命令に従っているだけだと思えば、良心の痛みが軽くなる。凡庸な人にも非道な行為ができる。
 戦後のドイツは、自分で判断する「個人」を育てようとした。
軍人も、人の尊厳を傷つける命令には従わなくてよい、違法な命令に従ってはならない
という「抗命権」「抗命義務」を法に記した。
 「従っただけ」は、戦後の国際法廷では通用しない。
ボスニア紛争の際の「スレブレニツァの虐殺」(95年)で、住民を虐殺する命令に抗議した
ものの、ならばお前を殺すと上官に脅されて、手を下した人が有罪になった。
 自分の頭で考え、責任も負う。そんな「個人」像は日本に根づいているか。
「個人主義」とは「わがまま」を指すと思われていないか。

 前川喜平・前文部科学次官は、私も編集に携わる月刊誌「Journalism」9月号用の
インタビューで語った。

 「日本では、自分を捨てて全体のために尽くすのを美徳とする意識が根強い。
学校の部活動にも、そんな意識や旧軍的秩序が残っています。
たとえば、独裁者のような
教員の指図や先輩後輩の無意味な上下意識をなくし、一人ひとりが改善すべき点
などを考えて、自分たちで部活動をつくる。
考える訓練をしないと、ポピュリズムや全体主義に押し流される危険があります
 「民主主義がナチスの独裁を生んだドイツでは、なぜそうなったか徹底的に考え、
戦後の民主主義を作り直した。日本は『一億総ざんげ』で済ませてしまいました


     *

 戦後の日本では、戦争の悲惨さを伝え、平和憲法を守る運動が展開された。
けれどこの先も平和が続くのか、あやしげな気配が漂う。
かつての日本は何を間違えたのか、改めて考える時ではないか。
 その一つは、異議や疑問の封殺だと思う。旧軍では上官の命令は天皇の命令とされ、
命令の理由を聞くことも認められていなかった。そして、人命を限りなく軽んじる作戦や
行為が繰り返された。

 考える「個人」を、窒息させた結果だった。





          ◆


内部告発。
抗命権、抗命義務。
自分の頭で考える訓練。
異議や疑問の封殺。
前川喜平・前文部科学次官の言葉・・・。

これらについてそれぞれに書きたいけれど、とりあえず、松下氏のこの文章のどこに
共感したか、は、私の赤字、太字、アンダーラインなどの入れ方で、おわかりいただけると思う。
また、加計学園問題など記事を書き続ける中で、その都度取り上げてみたい。

続きを読む

『72年目の夏に思うこと ②』

昨日の記事で、
『インパールは、時代を超えて、辺野古とつながっている…
そしてそれは、福島第一原発事故ともつながっている。
さらにそれは、加計・森友問題、自衛隊日報隠蔽問題ともつながってくるのである・・・・・・。

過去を凝視しないものは現実をも見ようとはしない。

過去を一つの視点からぎりぎりと徹底して見つめていけば、それは必ずいつか
『普遍』とつながっていくと信じて私は記事を書いている……。』

と書いた。
少しく補足しておこう。それはたとえばこういうことだ・・・

25日深夜(26日午前0:50~)のNHKスペシャル『戦慄の記録 インパール』を、
是非ご覧になっていただきたい。
このインパール作戦の作戦立案の時点から作戦の経過、そして最後に責任者たちの
責任の取り方までの、一連の軍上層部の信じられないような杜撰さや凝り固まった精神主義、
前線の兵士たちに過酷な無理を強いる一方で軍上層部内での妙な温情主義など、
そしてそれらが引き起こした何万という兵たちの無残な死まで。
そのすべてを、あるいは部分を、論じている文章の中で、私が、とても共感したのが、
山本七平氏の『一下級将校の見た帝国陸軍』の中のこの文である。
(分かち書きは、私がした)

『いろいろな原因があったと思う。そして事大主義も大きな要素だったに違いない。だが
最も基本的な問題は、(中略)
一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。
陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、
「言葉を奪った」ことである。
日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、
これがあらゆる諸悪の根元
であったと私は思う。

何かの失敗があって撲られる。「違います、それは私ではありません」
という事実を口にした瞬間、「言いわけするな」の言葉とともに、その三倍、四倍のリンチが
加えられる。黙って一回撲られた方が楽なのである』


『帝国陸軍では本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、
その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」
にすぎないのかは、解らないからである。そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。
ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、
司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった。』(
中略)


・・・ああ!
この2つの文を読んでいて、なんと!安倍政権のやり口と似ているのだろう!と思う。
そしてまた、下の方の文は、なんと!このたびの森友・加計問題、自衛隊日報隠蔽問題の
例にぴったりと当てはまるのであろう!

『言葉を奪うこと』。
このことは、安倍政権の、とりわけ数回にわたる衆参両院選挙で圧倒的多数を得て後の
安倍政権に際立って見える特徴なのではないかと私は思っている・・・
逆に言えば、『(国民から)言葉を奪うこと』の効果を、この政権は知り尽くしていることだとも言える。

自分に批判的なジャーナリズムの口を封じようと、じんわりと圧力をかける・・・
国会において、野党の批判に『ニッキョーソ、ニッキョーソ!』などという野次でもって応じる・・・
批判されると、相手の野党の失点(とりわけ民進党の)をあげつらって、論点を変えてしまう・・・
安倍氏だけではない。
『沖縄の二紙を潰さないといけない』、と言った、安倍総理の親しい友人にして前NHK
経営委員の作家。
『(マスコミに対し)私らを落とすなら、落としてみろって』『あんたらどういうつもりで書いているか
知らんが、我々はお金払って(新聞を)買ってんだよ。』と言った、二階敏博前自民党幹事長。
そして、菅義偉官房長官は、加計学園問題に絡んで証言した前川喜平前文部科学事務次官
について、『地位に恋々としがみついていた』などと、前川氏個人を非難することで
証言の信頼性に疑問を投げかけるような、そして彼の証言をそれ以上は封じるような
発言を記者の前でする・・・
記者の追及に立腹して、『出て行きなさい!』と言った今村元復興大臣・・・

こういった安倍政権の態度は、日本の報道の自由度のランキングをさらに下げ(世界180カ国中、
なんと72位。民主党政権時の2010年の11位に比べると、その下げ方の甚だしさ!)、
さらに今年6月、国連の人権理事会報告で、デービッド・ケイ氏が日本政府の報道関係者への
圧力を懸念する表明をしたことは記憶に新しい。日本の報道の自由について、世界が見る目は
こういうものだ、ということを、私たちは自覚しておいた方がいい・・・。

そして。2つめの文章。
本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、
その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」
にすぎないのかは、解らないからである。そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。
ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、
司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった』

と言う、山本七平氏の、インパール作戦における日本陸軍に対する批判は、
『実力者』を『総理』や『防衛大臣』に、『指揮官』『軍司令官』『代読者』『連絡将校』などと
いう部分を、『首相側近』『首相のとりまき』『大臣』『官僚』などという言葉に置き換えれば、
なんと!森友・加計問題や、自衛隊日報問題で登場した人々の上下関係や、
不思議な『忖度』構造と酷似しているのであろうか!!!

この、『意思決定の過程の曖昧さ』・・・『下の者が上の者の意図を汲んで動く』・・・
『明確な責任者の不在(もしくは雲隠れ)』・・・そうして『誰も最終的に責任をとらない』・・・
『組織的証拠書類等の隠蔽体質』・・・
などといった、旧日本軍の体質的病理は、なんと、今の日本政府の・・・それだけではない、
今の日本の多くの組織のそれと酷似してはいないだろうか。

福島第一原発が、あの取り返しのつかない過酷事故を起こすに至った過程と、その後の
処理などを巡る東電や原子力ムラ、政府・行政等のやり口も、酷似している・・・・・・。
あれほどの重大な事故を起こして福島の人々の、憲法第25条に保障された『すべて国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』という『生存権』を侵して
置きながら、誰一人としてあの事故の責任をとっていない、というこの構造!

そのような組織的無責任構造のもたらしたことが、常に末端にいるもの・・・戦場においては
彼我の最前線の兵士たちや無辜の民、現代においては、末端の労働者や一般市民に
犠牲を強いていくこともまた、とてもよく似ているのではないだろうか?


インパールと福島第一原発事故の関係についてもう一つ。
上層部がその多くは戦後、悲劇について、口をつぐんだり徹底した言い訳に終始したのに比して、
前線にいて、辛くも生還した兵士、下級将校らは、戦後何十年の時を経て、ぽつぽつと
その惨状について語ってきだしていた・・・・・・
あるいは黙して語らずとも、戦後の自らの生き方そのもので、行き場のない強い『批判』の想いを
示した人もいたのだろうかと想う。

その中の一人に、美倉重夫という人がいる。
彼はインパール作戦に従軍。戦後、1988年より和歌山県日置川町町長を務めた。
同町に出来した原発誘致問題において反対の姿勢をとり、中止への原動力となった。
その根本には本作戦での体験が影響しているという・・・・・・。

・・・そうなのだ。インパール作戦しかり、南京虐殺しかり。人間がしでかすことの恐ろしさ、
おぞましさをひとたび知ってしまった人が、どうして『原子力発電』などというものに、
その日本への導入のいきさつの胡散臭さに、その危険に、無頓着でいられるだろう?

和歌山には紀伊半島にはなぜ、原発がないのか。それには、この美倉重夫さんという元日本軍兵士や、
『熊取六人衆』と呼ばれていた小出裕章さんら京都大学原子炉実験所の科学者たちの応援も得て
反対運動をした住民たちの力があったのだ。
美倉さんのことを書いた1988年の毎日新聞の記事を見たくて、今日図書館に行ってみたが、
毎日新聞の縮刷版は置かれてなかった・・・


もう少し、この記事続きます。




『72年目の夏に思うこと ①』


『ああ・・・記事を書かねば・・・』と思いつつ、夏が過ぎていく・・・。

ここ数年、夏に、とりわけ8月に、記事の数が少なくなっている・・・
書くことがないのではない。ありすぎて、どこから手をつけるべきか逡巡しているうちに、
書く気力も時宜も失ってしまう・・・ということが続いてきたのである。
書かずにいた記事は、こころの中に澱のように沈殿して溜まっていって、なおさらに書くことを
難しく、気重に、していく・・・・・・

ふ~~・・・・・・・・・

森友学園問題。加計学園問題、自衛隊の日報隠蔽問題・・・・・・
共謀罪法成立・・・・・・
北朝鮮の脅威の名目を借りたとどめを知らぬ安倍内閣の軍備増強・・・
『日本ファースト』なるいかがわしい政治団体の立ち上げ・・・
自民党と変わらぬ思想を持つ前原氏に集まる民進党議員・・・(ばかじゃないの?!
自民党と鮮明に異なる旗を掲げなければ、民進党はお終いだと言うことがまだわかってない!)
やれやれ・・・全く、出るのは溜息ばかりだ。

しかし、どの問題も、徹底的な追及はなされないままに、十分な論議も尽くされないままに、
また、この夏も過ぎていこうとしている・・・
そしていつしか、マスコミも、国民も・・・安倍政権にとって都合のいいことに、それらを忘れて
行くのである・・・・・・
私もまた、発言しなければ、同じことだ。

仕方がない。溜まった澱は少しずつ掬い取らねば・・・・・・。
書きかけのままの記事がたくさんある。まずはそれらを一つずつ仕上げてアップしていこうか・・・。
その前に。是非、観ることをお勧めしたい映像をご紹介しておく。


              ***


1.『戦場ぬ止み』(いくさば ぬ とぅどぅみ)





何で、これまで私は、この映像を見なかったのだろう・・・

結局、私も、沖縄の苦しみを『他人事』としてしか見ていなかったからだ・・・。

先の戦争で、日本の罪を一身に引き受けさせられて、戦場となってしまった沖縄・・・
本土と天皇の安泰と引き換えに、基地の島となってしまった沖縄・・・
普天間基地の辺野古への移転問題で、その沖縄の民を、『国』が『国家権力』でもって
さらに分断していく・・・
辺野古の海をふるさと沖縄を守れと移転に強固に反対する者・・・生活のために反対はしないという者・・・
基地反対運動の支援に外部から来た支援者たち・・・それらを国家が分断していくのだ。

2014年の翁長知事の誕生は、その分断された沖縄が、一つになれる!と、住民たちが
狂喜した瞬間だった。そのすぐあとに行われた衆院選の結果もオール沖縄の圧倒的勝利であった。
それらの選挙結果は、沖縄は辺野古移転に反対する!という、沖縄県人の政府へのNO!という
重い回答であったはずだ。
しかし。そのわずか三ヶ月後の2015年3月、辺野古の海のボーリング調査は、政府によって
強制的に再開される・・・県警や機動隊、海上保安官らに排除される反対住民たち・・・。

この映画は、2015年制作のものである。
だから、映画はそこまででストップしている・・・
その後の動きは、皆さんもおよそご存じでいらっしゃるだろう。
安倍政権は、沖縄の声に全く耳を貸さないで、辺野古の海は、着々とアメリカのための巨大
海上基地へと形を変えられつつある。
3年前、あれほどの熱狂と感動でもって迎えられた翁長新県知事は、今、冷酷な政府の対応と
県民の期待の間に板挟みになって、孤立と憂愁を深めつつある・・・

私は、日本国民として、沖縄のために何をしてきたか!
沖縄の問題は、日本という国が抱える歪みが、もっとも先鋭的な形で表われているのだということ、
沖縄の問題は、日本政府ばかりではない、私たち日本人全員に突きつけられた重い重い課題だ
ということ。
2年前の映画ではあるが、沖縄の現状、そして安倍政権、日本の政府というものの非情が
この映画一つ見れば、心に突き刺さるほどにわかる・・・
是非、レンタルででもいい、ご覧ください。



2.NHKスペシャル『戦慄の記録 インパール』
   2017年8月15日放送
   再放送:8月26日(土)午前0時50分~2時03分(25日深夜) 


再放送が25日深夜(26日の午前0時50分から)あるので、これも是非ご覧ください。
実は、You Tubeにはすでに全編がアップされているのだけれど(You Tubeで『インパール』と
検索すれば、『戦慄の記録 インパール』は出てきます。ちなみに、NHKでは、今夏、インパールに
先だって、『731部隊』のこと、8月15日以降も樺太で行われた戦闘のことなどもやった
のだが、その映像もある。『731部隊』の記録は、私には物足りなかった。731部隊のひどい
現実は、そんな程度のものではなかったはずだ……)一応、NHKの番組サイトを載せておく。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170815

インパール作戦。
1944年(昭和19年)3月から7月初旬まで。連合国の中国支援の軍事物資ルートを遮断する
ために、日本軍はビルマの密林をぬけインド北東部にある都市インパールの包囲攻略を
目指した。
日本軍にとって太平洋戦争史上もっとも愚劣で無謀で悲惨な結果となった作戦の一つ。
食料・弾薬などの補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫した。
3ヶ月間の総兵力およそ92,000。うち、およそ30,000人が命を落とした。
戦闘で命を落とした者よりは、飢餓とマラリアなどの病で『野垂れ死』とも言っていい
無残な死に方をした兵士の方が遙かに多かった。日本兵の死骸が累々と続く道は、
『白骨街道』と呼ばれた・・・
作戦立案し強固にこの作戦を進めた牟田口廉也中将を初めとして、これらの作戦の失敗と
兵の無残な死に責任を負うべき軍の上層部は、誰一人として戦後責任をとっていない。

いつかインパール作戦について書こう書こうと思いつつこれまで、まだ書けないでいる。
本当は、火野葦平の『土と兵隊』『麦と兵隊』などの記事を書いたその後、大本営報道班
の一員として彼がインパール作戦を視察した経験を元にして書いた小説『密林と兵隊 青春と泥濘』
のことを書こうとしていたのだが。
いつか必ず書こうと思う。

半藤一利、保阪正康氏の対談『昭和の名将と愚将』(文春新書、2008年)という
本がある。
そこから少し引用しよう。

保坂 『私は牟田口には会えませんでしたが、インパール作戦に参加した元兵士には
    ずいぶんお会いしました。彼らには共通する言動がありまして、大体は数珠を
    握りしめながら話すのです。そして牟田口軍司令官の名前を出すと、元兵士のだれもが
    必ずと言っていいほどブルブル身を震わせて怒った。「インパール作戦での日本軍兵士の
    第一の敵は軍司令官(牟田口のこと)、第二は雨期とマラリアの蚊、第三は飢餓、そして
    英印軍はやっと四番目だと戦場で話し合った」と言う生存兵士もいました。
    牟田口が前線から離れた「ビルマの軽井沢」と呼ばれた地域で栄華をきわめた生活を
    しているといううわさは矢のように前線の兵士に伝わっていたようですし、実際に牟田口は
    そこからひたすら「前進あるのみ」と命令をだしていた』
半藤 『しかも作戦の失敗を部下の三人の師団長たちに押し付けて、自分は責任を問われぬまま
    生き延びたんですから、前線にいた兵士たちの憎しみは並大抵ではないはずです』
保坂 『ええ。インドからビルマヘ、仲間たちの死体で埋め尽くされた「白骨街道」を引き上げて
    きた無念の思いは生涯消えることばなかったと思いますね』
(中略)
保坂 『「あの男は許せない。戦後も刺し違えようと思っていた」と言った人、「牟田口が
    畳の上で死んだのだけは許せない」と言った人もおりました』


火野葦平の上記『密林と兵隊』では、フィクションではあるが、火野が取材しておそらく
聞き取ったか耳にしたそうした上層部の腐敗と兵士たちの憤怒が、火野自身の
怒りの筆で、鬼気迫る迫力で描き出されている・・・
 
              ◆


実は、インパール作戦についてのNHK番組としては、1993年に同じNHKが制作した
下記の番組のほうがきめ細かい作りかもしれない。
8月25日深夜のNHKスペシャルを見られない方は、こちらをどうぞ。
ただ、今度の25日深夜の再放送の方をぜひ見てほしいその理由は、NHK取材班が
頑張って、73年前、日本軍兵士たちが行軍した同じ道を…道なき道を…たどってみた
実際のカラー映像があることである。
そうして、3万もの兵士たちが、どこで死んだか、どのように死んでいったかを地図上に
分布図で示していることである……その絶対的量!
さらには、今回新たに証言しようとした元日本軍兵士の方もおられて、自分が死ぬ前に
長い長い間の沈黙を破り、事実を証言しておこうとしたそれらの人々の話を、是非
一人でも多くの人に聞いてもらいたいからでもある…中には、飢えのあまり、仲間の
兵隊の死体を食べたという証言もある……
熱帯雨林の草木の、息が詰まるように生い茂る道なき道を、かつて自分たちの父や兄や
叔父や祖父などが…、進軍し、そして無残に死んでいったのだという実感が、圧倒的な
重みで伝わってくるはずだ…。





*私はここで、牟田口廉也中将を厳しく批判して書いているが、25日のNHKインパール作戦
についての番組で、牟田口氏の親戚のお一人が、貴重な資料を番組のために提供して
くださっているその勇気に感謝したい。牟田口廉也中将を責めることが、遺族の方々への批難と
なってはならないと思う。
またいつか別の記事で書きたいが、旧日本軍兵士たちは、とても口にできないようなことを
数々、アジアの各地で目にし、あるいは自ら犯してきた…。
多くの兵士たちは、生涯その重みを抱えて、何も語らぬまま、語れぬまますでに亡くなられている…
だが、最晩年という今になって、長い長い間口にできなかったことをぽつりぽつりと語りだした
人々がいる…
彼らを責めてもならない。
なによりその話を聞いてほしい。
事実を知ることが大事なのだ…


            ◆



私がインパール作戦など日本軍の不条理を追及することは、単に、日本人兵士の死を
悼んで、当時の陸海軍上層部および政府、そして総責任者たる昭和天皇の責任を
問おうとしているだけなのではない。
およそ『国家』というものが、時に自分の国民にどういう不条理を強いるものか、ということを
書こうとしている。
それは、ひいては、『国家』というものが、他国の民に何をしうるか、ということを示唆する
ことにも必ずつながっていく
と信ずるからである。
自国の民をさえ無慚に戦場で無駄死にさせうる『国家』『軍』というものが、他国の民に優しいと
いうことがあるはずがないのである。
自国の兵をさえも、いくらでも替えのある『ただの捨て駒』としか考えない『国家』や『軍』
というものが、他国の兵や民に対してどういう態度をとるか・・・。
その非道は…少し想像してみればわかる。

私は、かつての大日本帝国とその軍が中国や朝鮮半島はじめアジアの各地で犯した罪は、
それらが、自国の民に対して犯した罪と、表裏一体なのではないかと考えてきた…。

もちろん、『国家』や『軍』というものの中味は、その実体をなすものは、私たち日本人自身、
私たち日本国民一人一人である。
国家の罪を考える、ということは、私たち国民一人一人の罪を考える、というのでなければ
おかしい。


そういう視点に立つとき、日本の戦争を日本の側からぎりぎりと見つめていくことは、
日本が他国にしてきたことの罪を、ぎりぎりと見つめることに必ずつながっていくと考える。

そしてそれは、かつての戦争を振り返ることにとどまらない。
現在この国で起きていること…世界で起きていること…そこに必ずつながっていくと
私は信じている。インパールは、時代を超えて、辺野古とつながっている…
そしてそれは、福島第一原発事故ともつながっている。
さらにそれは、加計・森友問題、自衛隊日報隠蔽問題ともつながってくるのである・・・・・・。

過去を凝視しないものは現実をも見ようとはしない。

過去を一つの視点からぎりぎりと徹底して見つめていけば、それは必ず『普遍』と
いつかつながっていくと信じて私は記事を書いている……。



『キャンドル・ナイト 77』


77回目のキャンドル・ナイトだ。


キャンドル・ナイト 77 ②


夏の、儚い祭りのあと、という感じを出したくて、ヨーヨーや飴玉に似た
丸いビーズをろうそくのまわりに転がしてみる。

昨年の夏、私たちは・・・、私は・・・、多くのものを喪失したのだが。
この夏もまた、多くの不正義が国によって行われたのだが。
その不正義は糺されないまま、時代だけが流れ去っていく。


年々、夏が。・・・・・・重たい・・・・・・。



                  ***

『あなたはどこの国の総理ですか』『私たちをあなたは見捨てるのですか!』

長崎県平和運動センター被爆者連絡協議会議長が、被爆者団体からの要望書を安倍首相に
手渡した際に、安倍総理に想いのたけを振り絞るように問うたこの言葉。
これは、福島の人々の想いでもあるのではないだろうか。
沖縄の人々の想いも同じであろう。

9日。経済産業省は、エネルギー基本政策の見直しを議論する審議会『総合資源エネルギー
調査会基本政策分科会』を開いた。15人の委員(そのほか3名欠席)からは、原発の新増設や
建て替えの必要性を訴える意見が相次いだという。
そりゃ当然だ。だって、この長たらしい名前の審議会の委員の人選そのものが、原発関連メーカーや
立地自治体など、原発を推進したい立場の人間にそもそも偏っているからである。
要するに、お手盛り審議会なのである。

7月。経済産業省は、高レベル放射性廃棄物の最終処分に関し、『科学的特性マップ』なるものを
作って発表したが、あれを見て納得した人などいるのだろうか。
『ああ・・・日本には、最終処分場の候補地がこんなにたくさんあるじゃないか』と安心した人など?

はっきり言って、この日本に高レベル放射性廃棄物の最終処分場などおそらく建設は不可能
であろう。除染に関連して発生したあの大量のフレコンバッグ・・・それらは一応低レベル
放射性廃棄物であるが、それら低レベルのものの置き場でさえ、積極的に引き受ける
自治体など見つからないのが現状である。
福島で、福島第一原発の燃料取りだし~解体に向けて作業が仮に進んだとして、溶け落ちた
超高レベルの放射性廃棄物となる燃料デブリなどを、いったいどこに持って行くというのだ。
誰が、どこが、そんなものを引き受けるというのだ。

原発を再稼働すれば、放射性廃棄物はさらに増えていく・・・
原発イコール『トイレなきマンション』、という事態は、少しも解決などしていない。
この審議会で、原発再稼働やそれどころか新設や建て替えを主張した『識者』と言われる
人々に問いたい。
『あなたは、福島第一原発事故からいったい何を学んだのか!』と。
『福島の人々の前で、その議論をしてみよ』と。

自衛隊の南スーダンにおけるPKO活動の日報隠匿問題についての防衛省特別防衛監察も
『お手盛り』ということでは似たようなものだ。
案の定、日報隠匿問題への稲田氏の関与に関しては、極めてグレーなままの、曖昧なままの
報告しか出ず、そのいい加減な報告を持って、自衛隊日報問題は幕引きとされてしまおうとしている。

安倍氏は、上の長崎被爆者連絡協議会議長の言葉を、必死で発したその言葉を、
広島、長崎の市長の発した真剣な問いを、どんな心持ちで聞いていたのだろうか。

安倍氏はいったいどこを、何を、見て、政治をしているのか。






南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 








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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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