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『キャンドル・ナイト 94』





94回目のキャンドル・ナイト。


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小さなガラスの酒器にいつもの亀山ローソク『豆ダルマ』を入れて灯す。

器の切り子細工の影が、梅の花のような五弁の花を描く。


あと2回灯せば、あの日から8年。あと6回灯せば、キャンドル・ナイトは
100回目を迎える・・・・・・
月日の経つのはなんと早いのだろう。

東日本大震災で亡くなられた小学6年生は、今年成人式を迎えるはずだった・・・
お子さんのために、成人式の背広をあつらえた、というお母さんの話が今日、
新聞に載っていた・・・・・・

何に怒りをぶつけていいのかわからない悲しみが、なんとこの世には多くあるのだろう・・・









南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 



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『花と野鳥と ②』



鳥たちのことをもう少し書きましょう。


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これはもう、何回か登場していますが、1年以上前にお婿さんが作ってくれた最初の餌台です。



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雨の日でも小鳥たちが濡れないで食べられるよう、切妻型の屋根がちゃんとついていて、
なんと建築用語でいう『棟巴瓦(むねともえがわら)』代わりの、こんな飾りもついている。^^




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昨年2月。メジロが蜜柑を食べに来たところ。



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同じ昨年2月には、こんな子も来ていた。
ウグイスだと思う。
ガラス戸越し網戸越しなので、写真が不鮮明だが、ちょっとへっぴり腰なのが
とても可愛い。このような野鳥たちが何年生きるのか知らないが、ここ何年か、
春、わが家の、というか、隣家のやはりわが家との際の柿の木によくきて、
『ほ~ほきょい!』と鳴く子がいる。『ほ~ ほけきょ♪』ではなく、『ほ~ほきょい!』。
だからたぶん、同じ個体だと思うのだが、「あ!きっとあの子だ!』と思って、そっと
カーテンの影から見ていると、どうもシジュウカラ用に出した小さな牛脂の塊を
つつきに来ていたようだ。

この『ほ~ほきょい!』と鳴く子は、昨年、私が手術後退院してきて、ひとりで
あの暑い、異常な猛暑の夏に耐えていた8月末、家のすぐ近くで『ほ~ほきょい!
けきょけきょけきょけきょ!』と鳴いていた。
人間の勝手な思い込みで、それはまるで、私を元気づけに来てくれたかのようにも
思え、おもわず微笑んでしまったのだが、
おや?それにしても、8月にウグイスが市街地で鳴くなんて珍しいな・・・
そう思って少し調べてみたら、8月にウグイスが谷渡りの鳴き方をすることもなくはないが、
大抵は、つがいの相手を見つけ損ねた雄である、などと言うことが書いてあったので、
にわかに心配になってしまった。
この夏の異常な暑さも原因かも知れない、などと思ってみたことだった・・・



さて。この餌場だが、シジュウカラ用のピーナッツと、ヒヨドリやメジロ、ウグイスも
食べるミカン、リンゴなどを一緒に並べておくと、縄張り意識の非常に強いヒヨドリが、
くだんの木斛の枝にずうっと止まって見張りをしていて、ほかの鳥が寄ってくると、
すごい勢いで飛び掛かって追いかけて追い払ってしまうのである。同じヒヨドリ仲間
でさえも追い払う。
彼は(彼女は)、そうやって、自分の縄張りの何か所かを巡回しながら見張りをするらしい。
ここに来ると、きまって木斛の茂みの中に入って、その枝で羽づくろいかなにか
わからないが、他の鳥を威嚇でもするかのように体を膨らませて戦闘機がいましも
飛び立つようにブルブル羽を震わせている・・・
追いかけるときは、『キイーーーーイッ!!!』という鋭い鳴き声で威嚇しながら追う。
隣の庭、我が家の庭を、びゅんびゅん飛び回る!

ヒヨドリは野鳥たちの中でも、際立って性格のはっきりした鳥で、本当に縄張り意識が
強く、とにかく喧嘩っ早い!(笑)


私は、決まったテレビ番組を見るということは少ないのだけれども、テレビ朝日の
『相棒』だけはほぼ毎回見ている。もうご存知だと思うが、水谷豊主演の警察ものである。
超人的に優秀なキャリア警察官であるが、今は警視庁内の窓際部署『特命係』に
追いやられている、水谷豊演じるところの『杉下右京』警部が、その『相棒』と、
難事件を次々に解決していくという、刑事ドラマである。いわゆるバディもの(対照的な
キャラクター2人組が難題に立ち向かうといった展開をする話やドラマ・映画の総称)
であって、右京さんとその相棒の性格設定などが非常にそもそも面白く、私は好んで
これを見ているのだが、それとは別に、ここには右京たちとは時に競い合う関係の
二人組の捜査一課刑事、伊丹憲一(川原和久)と芹沢慶二(山中崇史)が毎回出てきて、
私は、この二人が大好きなのである!
もしこの二人がドラマ『相棒』からいなくなったら、もうあまり見なくなるかもしれない・・・
というほどに。
そもそも私は、どんな小説やドラマでも、主役よりダークヒーローや、脇役に
心惹かれるほうで。逆に言えば、わき役陣の充実して個性的で面白いドラマは
優れたドラマだと思っている。
『相棒』はそういうドラマだ。他にも六角精児演じるところの鑑識課、米沢守や
殉職して消えていった刑事たちなど、非常にそれぞれの性格作りが面白いのである。



伊丹刑事



右の二人が、私がとりわけ好きな伊丹刑事役川原和久さんと芹沢刑事役の山中崇史さん。
左はこれまた個性豊かな味付けの角田六郎 組織犯罪対策第5課長役 山西惇さん。
写真はこちらのサイトからお借りしました。
<
a href="https://www.cinemacafe.net/article/2017/02/05/46835.html">https://www.cinemacafe.net/article/2017/02/05/46835.html


この一番右の伊丹刑事が、ヒヨドリそっくりの性格付けで!(爆)

とにかく縄張り意識が強く、喧嘩っ早い。
右京さんたちに意地悪をして犯行現場から追い出そうとするのである!
右京さんたちが犯行現場に先について聞き込みなどしていると、あとからこんな顔で
こんなふうに体をかしげて喧嘩態勢でやって来て、いちゃもんをつける!(笑)
もう、その顔、その頭の体とのバランス、髪形、ポケットに手を突っ込んで喧嘩腰で
くるその体の傾げ方・・・ヒヨそっくりだ!!!

それでも、単なる意地悪ではないところがこの脚本の優れたところ。
なんだかだ文句を言いながら、結局は右京さんたちに協力して問題を解決することに
なるのである。上司の悪などに対しても正義感が強く妥協しない、という魅力的な一面
もあり、若干の気の弱さや人情味も十分にある男。^^
ヒヨちゃんもほかの鳥に意地悪だが、猫など共通の敵が来るとギャーギャーいって
なかなか心強い。(笑)

伊丹刑事とヒヨドリの類似。そんなことを考えるのは私だけだと思うが、いつも
伊丹刑事を見ても、ヒヨドリを見ても、片方を思い出しぷっと吹き出してしまう。
演じる川原和久さん。ほんとうに上手いなあ!伊丹刑事になり切っている、というか
伊丹刑事という人物の造形、見事だなと思ってしまう。



さて。すっかり話が脱線してしまった。


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これは、この正月、お婿さんが作って持ってきてくれた餌台2号。
メジロなどが来ても、ヒヨドリが追い払う、という話を私が何気なくしたら、
ヒヨドリの入れない餌台を考案して作ってきてくれた!(笑)

左右二か所に、メジロやシジュウカラくらいの大きさの鳥しか入れないような
丸い入り口が開いており、後ろ側は開放口だが、大きい鳥には入れないし首も
突っ込めないくらいの幅で柵がしてあり、しかし、小さい小鳥がちょっとつかんで
飛んで入るのには便利なように、柵には斜めの細い竹ひごが渡してある。
前面は透明な塩ビ板が覆っていて、風や雨や大きな侵入者を防ぐ。
餌を出し入れする私は、この前面の塩ビ板を開けて蜜柑を置いたりするのである。
蜜柑などをつつくのに便利なようにつかまる枝や、まあ!冬場の寒さに少しでも
耐えられるようにか、下には棕櫚か何かのクッション材まで敷いてある!(笑)

お婿さんが自分のところにあった工作材料の余りを利用して作ったこのメジロの家は、
壁にはたまたま夕焼けの山々を描いたような絵の入った端材が使ってあり、天井の塩ビ板
もまた、なにか秋の紅葉した葉っぱのような絵が描いてある。

まあ、なんと居心地のよさそうな!
私が小さかったら、住んでみたいような家である!(笑)
とりわけ、あたりが薄暗くなりかけたころには、天井から入る太陽の余光が壁に描いた
夕焼けの山と空のような絵を赤々と照らし、本当にそこに小さな夕焼けの景色があるようだ。




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愉快なのは、この入り口で。
これも資材の余りを利用して作ったらしいのだが、『日活ホテル』などと書いてある!
この穴から入るメジロなど小さな鳥が、入りやすいように玄関の止まり場もあって、
これもなかなか具合がよさそうだ。^^


可笑しいのは、これを取り付けた日の夕方、賢くて好奇心の強いシジュウカラが
さっそく見に来て、背伸びして中を覗き込んでいたこと。なんだ、僕たち向けの餌は
ないや、と知ると、すぐに好奇心をなくしたようだが、小鳥たちにもそれぞれ個性と
いうか、種に独特の性格があるようで面白い。
シジュウカラは、今言ったように、非常に賢くて勇気のある鳥だ。ものの本によれば、
寒い時期が来ると、場所によってはシジュウカラはコガラヤエナガなどと混群を作って、
その偵察役、情報収集役・・・、群れのリーダーのような働きをするらしい。
いつも我が家の狭い範囲内で観察していても、なるほどさもあらん、という感じの
する鳥だ。
メジロもまだ今季になってからこの環境にまだ慣れないので、おずおずとだが、
偵察に来て、同じく背伸びして覗き込んでいたのが非常に可愛かった。
小鳥は、びよ~んと伸びます。(笑)




さて。不満なのが、排除されたヒヨドリである。(笑)
何度も木斛の木に飛んできては様子をうかがっていた。
だが、中の蜜柑はヒヨドリには口も手も届かない。
「怒ってるだろな~」と可笑しい。でも、可愛そうでもある。
ヒヨはこの庭の番人であり、ある意味の主でもある。それが排除されたのだ。
このヒヨドリは、どうも従来のヒヨドリに比べると、あまり猛々しいところが少なく、
あまりいつもギャーギャー言わない。女の子でもあるのかな。
いつも昔からここに来ていた歴代ヒヨドリたちは、もっと闘争的だったんだが。

おとなしく木斛の木に来て陰に止まっているヒヨを見ていると可哀そうになった。
人間の勝手な思い込みということは重々わかっているのだが。





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すると。お婿さんが、また、こんな新しい餌台を作ってきたのだ。
ひよどりさま専用餌台。(爆)

シジュウカラやメジロと競争しないよう、家の庭の違う側に杭で差し込んである。
日当たりもよく開放的で、びゅんびゅん飛び回るヒヨちゃんにはおあつらえ向きだ。
『ひよどり』、『ドライブイン』という札が。^^

さてさて。
ヒヨちゃんは、ここが自分の餌場、と認識すると、ますます縄張り意識を発揮し、
「ヒヨちゃん自身がつらかろうなあ・・・」と、こちらが余計な心配をしてしまうほど、
一日中見張りでテンパっていることになりがちだ。><
本人の気の休まるときがない。(笑)

だから、ヒヨちゃん用のパンくずなどはこれまでも出してこなかった。人間用のパンは、
添加物も多いだろうし。
でもなあ。せっかくこんな快適そうなヒヨドリ専用のドライブインレストランが
出来たのだ。ヒヨちゃんの好物の、とろとろに甘い熟柿と、パンを特別に今日は
出してあげよう・・・・・・


さて。ヒヨちゃんは、喜んでここに居座ったか。


・・・・・・・・・







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小さな体に似ず、結構豪胆な性格のメジロが、先に熟柿を食べていた!(爆)












『花と野鳥と ①』



昨年は、我が家にとって多事多難な年でした。
つれあいは、要介護度3ですが、だんだん足や腕の力が衰えていき、そして会話能力…、
なにより意識の力とでもいうのでしょうか、もういろんなことに反応が乏しくなっていって
私を含めた周囲のものへの関心などというものが薄れていき、どんどんこう…自分の内に
閉じこもる、といったような状態に近づいて行っているような気がします。
これが年を取っていくということか…仕方のないことなのか、とは思えども、かつては
スポーツマンで、私に学問の初歩というようなものも教えこんでくれた人の今の姿か…
そう思うと、『寂しい』なんていうものではありません…。
かくいう私だって、いつかはこうやって体力知力共に衰えていくのだ…
わかってはいるのだけれども、日に日に体力・認知力が衰えていくつれあいを傍にいて
見ているつらさ…。この悲しさをいずれ娘に二重に味わわせることになるのか…。
そう思うと、なかなか達観した心持になれない彼岸花なのであります。
私どもだけではない。どこの家族もがどのひとりひとりもが経験する道なのだ、とは
思うけれども、それは少しも慰めにはならない。

そこへ、自分への肺がんの宣告です!
もしかしたら、この不自由なつれあいを残して、私が先に逝くことになるのかもしれない…。
『マイペース』といえば聞こえはいいけれど、どちらかというとワンマンでプライドの高い
つれあいは、病院や介護施設などの大勢の中の一人になることを今でさえ嫌って
早く家に帰りたがります。
私にもしものことがあったら、このひとの落ち着き先は、いったいどうなるのだろう…

その時の事を想うと、心配なんていうものではありませんでした。私が元気なうちに
いろいろなことを整えておいて娘たちが困らないようにしておかなくっちゃ…
入院前も入院中も退院後も、考えるのはそのことでした。無論自分の体調も不安…。

一番つらかったのが、退院して家に帰るときでした。
つれあいは、私の入院準備と入院中、そして退院後の体力回復期と・・・私がその
身の回りの世話の出来ない間、介護施設に入っていてもらいましたから、家には
基本的に誰もいません・・・
ひとり自分の病状を見つめ不安と戦いながら、家族のことも案じる日々が始まりました。

そんな退院後の鬱勃とした時期、一番こころを慰めてくれたのが花たちでした。
そして我が家の庭・・・というよりは、樹木の多い隣家の庭に集まってくる鳥たちでした。

まず、退院してとぼとぼと玄関先まで戻ってきたとき、まるで、『あ。帰ってきた!
黙ってどこ行ってたの~っ!』とでも言うような、ヒヨドリのキーキー鳴く声に、ふっと
こころが緩みました。あれは、『お帰り~っ!』と言ってくれていたと思います。^^
夏でしたので小鳥たちに餌をやっていたわけではありませんが、ヒヨドリとシジュウカラは
年中、隣家の庭や我が家の小さな庭、そして界隈を飛び回っています。
隣家の庭は、いろいろな樹木が生い茂っていて、しかも家人はほとんど姿を現さないので、
鳥たちにとっては安全な餌場であり見張り場であり、しかもねぐらでもあるのでしょう。
以前ここにひときわ大きな杏の木があったときには、オナガドリやコゲラ、などと
いった多くの鳥たちがその杏の木を目印の木として集まってきていました。
でもあるとき、その杏の木は根腐れして倒壊しそうだからという理由で根っこから
切り倒されてしまった・・・。
それ以来、鳥の種類がめっきり減りました。今でも来るのは、ヒヨドリ、シジュウカラ、
椋鳥、たまに鳩、ウグイス、そしてこの秋からなぜか来始めたジョウビタキ、などです。

とりわけ、私がいつも食事をするテーブルからすぐに見える隣家の木…たぶん、
木斛(もっこく)という木だと思いますが、その木には、もうここに私たちが引っ越してきた
時分からずっと、代々のヒヨドリなどがいつも羽を休めていた。
木斛、というのは、モクセイ、モチノキと共に、 俗に庭木の王、と言われ、また『江戸五木』
(モッコク、アカマツ、イトヒバ、カヤ、イヌマキ)の一つにも挙げられているというのですが、
見るところ、その木は一向にそれらしい雰囲気はありません。おそらく我が家の建物の
日陰になっているので、40年近くたっても一向に大きくならず、いつも鬱蒼と小暗いから
でしょう。でも、その目立たなさ小暗さが、鳥たちには安心なのかな。
ヒヨドリは、山野に市街地に他にあまり美味しい餌のないとき、目立たぬその実を食べて
いるらしいのですが、私の観察するところ、実を食べているのには気づいたことがなく、
どうもときどき、葉っぱをぶちぶちとちぎって食べているようにも思えます。
鳥にとっての消化酵素でもあるのかな??
餌やりなどしていない頃でも、シジュウカラやメジロも、季節にはよくこの枝に来ていました・・・

私がいつも食事をする位置からは、そうやって隣家の木の枝にじっと止まっている
ヒヨドリやせわしなげに飛んできてはまた飛び去って行くシジュウカラなどの姿が
いつもよく見えるのです。
食事をしながら、彼らの窓近くに来るのを心待ちにしていました・・・。

その食卓には、いつも花を欠かさないようにしていました。
たとえばこんな花。



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これは、毎年我が家の庭に咲いてくれるジンジャー・リリーです。
球根性で、あの生姜の仲間で、よく似ているけれど、2メートルを超す高さにまでなり、
毎年8~10月頃、このような花を次から次に咲かせていきます。
我が家には二本ほど生えていて、いつもは庭に咲かせたままにしておくのですが、今年は
もう花が終わりそうになったとき、その一本をこうして切ってきて、食卓の上に置きました。

このジンジャーリリーの花が、すばらしい香りなのです。
見る通り、下から順々に咲いていく花はもうだいぶ終わりに近いのだけれど、それでも
この花を飾った日からまだ咲き残ったつぼみたちが一つ一つと開いて、どうでも
10日間ほどはそのすばらしい香りで、寂しい私の心を慰めてくれました。



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このちっちゃな黄色い菊も、我が家の庭に咲いてくれたものです。
日当たりが悪いゆえか小さな細い株の、最後の一輪をこうやって短く切って、黄色いカラーと
小さな花瓶に挿してみました。カラーは、鉢植えの花の一本が折れてしまったから、こうやって
同じく短く切って挿してあります。

この、黄色い小菊が、またすばらしい香りだったのです。
いわゆる『菊の香り』らしい匂いではなく、なんと言うんでしょうか。遠い記憶の中の
お母さんの鏡台の、粉おしろいの香り、とでも言えばその懐かしさが伝わるかな、という
ような、鄙びてしかし気品もある香り。
この小さな子にも、どれ程慰められたか知れません・・・・・・
心がそそけだつように寂しい日…、この子に顔を寄せてそのほのかな香りを嗅ぐ…
すると、優しさが心に戻ってきます……。

手前に写っているのは柚子のジャムです。ジャム、というほど煮詰めてなく、さらっと
した仕上げです。



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これがその柚子。とても大きく、直径17,8センチくらいはあったかしら。近くのお祭りで
売っていたもので、皮の黄色い部分だけを包丁で丁寧に剥きとり、柚子はあんまり身らしい
身はないのだけれども、蟹の身をほじくるように身も丁寧に掻き出して、ことこと煮ます。
だが、皮をそのまま砂糖を加えて煮てはすごいえぐみが出るので、一度茹でてそのゆで汁を
一度捨て、もう一度水を加えて煮て、また再度、煮こぼす、ということを三回繰り返して
ようやく身と果汁と合わせて 砂糖を加えて煮たものです。柚子はジャムとしてとろみを
つけてくれる成分が皮や身には少ないので、ペクチンを出す種をお茶パックに入れて煮ます。





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これは、ある朝のつれあいと私の朝食の写真です。
つれあいは手が不自由なので、こういう仕切りのあるお皿に幾品かをまとめて出します。
右奥にあるのが、さっきの柚子のジャムです。軽く焼いたトーストに塗って食べる。
メインは、豚挽肉と玉葱とマッシュルーム入りオムレツです。添え物は、ズッキーニを
炒めたものと粉吹きジャガイモをマイユの粒マスタードで和えたもの。
あとは、無糖のヨーグルトと珈琲。ヨーグルトにはアカシア蜂蜜をかけます。


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また、ある日のブランチは、前の晩に作っておいた鶏肉のトマト煮です。これには、玉葱、
セロリ、パプリカ、マッシュルーム、ズッキーニ、トマトなど、野菜がたくさん煮込まれて
入っています。
この日のパンはクロワッサン。



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もう一日分、ご紹介しましょう。
この日の食パンは、砂糖少なめのフレンチトーストにして、ブルーベリー、ラズベリー、
ブラックベリー、ブドウなどのジャムをかけてあります。
そう。このジャムは、下の、正月料理の記事で紹介したタルトに使った残りの果物を
使って作ったものです。とても美味しい。
市販の蒸し鶏を細かく裂いたものを入れたサラダとかぼちゃのサラダ。かぼちゃサラダ
も出来合いのものだけど。そしてほうれん草をソテーしたものをたっぷり。
つれあいは、食べるときむせやすいので、野菜は小さく切ったりちぎったりしてあり、
柔らかくなるまで火が通してあるものが多いです。  

病気になる前、私は、日々の料理に日々の食事に割合無造作でした。
美味しいものは好きで、外出などして外でレストランなどに入るときは、店を結構選びます。
だって、たまさかの外食に不味いものに出会うと悲しいから。
しかし、家での食事はどうかというと、毎日毎日の食事作りが何十年という繰り返しに、
少し疲れて無造作に、少し乱暴になっていたかもしれません。
味には一応気を付けるけれども、なんというのかなあ、『食べる』というそのこと自体に
機械的に、無感動に、なっていたような。食事作りがただの義務になっていたような。
 

でも、病院から帰ってきてから、日々の食事がとても愛おしくなりました・・・

私はそう料理がうまいほうじゃない。レパートリーが少ないし、盛り付けなども相変わらず
おおざっぱです。
でも、少なくとも、『心を込めて』食事の準備をし、丁寧にそれを供し、そして
何かに感謝しながら、美味しく心楽しくいただきたい、と思うようになりました。
少し気づくのが遅かりし、という感はあるけれども。
食卓の小さな花たちは、その一部だし、何というか、『友』!なのです。
小さな鳥たちはお客さんかな。冬の間だけの。






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私は、窓のそばに置いたテーブルで、こんな小鳥の食事を見ながら食べている。
実は、朝、自分の食事をテーブルにセットしたら、窓を開けて、餌台にピーナッツを
6粒ほど置いてやるのです。
少し遠くの樹木の間からそれを見ていたシジュウカラは、待ちかねていたようにすぐに
飛んできて、一粒、ピーナッツを口にくわえると、さっと近くの枝に移動して、そこで
器用にピーナッツを足でつかんで何度もつついて食べます。
いつも来る子は二羽いて、一羽がピーナッツをつかんで飛び去ると、少し身体の
小さいもう一羽が取りに来てまたつかんで飛び去ります。

ほんの一瞬の間のことだけれど、この二羽のシジュウカラの可愛い姿が
どれほどこころを慰めてくれるか知れません・・・
ほんとは、野生の鳥に餌付けなどしてはいけないことはわかっているのだけれど・・・。



『初春に』



みなさま、新年おめでとうございます。


2019年の春をいかがお迎えになられましたでしょうか。
我が家の今年の正月の例年と変わった点は、既製品のおせちを買うのをやめたことでした。
今までは、デパートなどから買った既製品の三段重と、私が作った三段重と、両方
テーブルに並べていたのでした。
理由は、娘たち夫婦が大変な健啖家だ、ということでした。要するに、よく食べる。


おせち2018の


これが、昨年の我が家のおせちです。テーブルからはみ出しそうなほどいっぱい並んでる。
左と中央の三つの大きいお重が市販のおせちです。

でも、今年から、この市販のおせちを買うのをやめた、というわけなのです。
その理由の第一は、食べきれないから。>< 
私手作りのおせちは、ほぼ1日で食べきってしまうのだけれど、市販のおせちはとくに
きんとんなど甘いもの系がたくさん残って、二日三日…と、私が細々といつまでも食べていた。
理由第二は、料理が冷たくておなかが冷えるから。
第三は、同じ味付けのが結構多いから。甘辛い海産物の煮つけとかハム類とか。
第四、これがほんとは一番の理由ですが、予算縮小のため!(笑)


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で。これが今年の我が家のおせち。
ずいぶんと寂しくなりました・・・
娘たちが来るまでにこれに揚げ物など温かい料理を加えようと思っていたのですが
とても間に合わなくて、とりあえず仕上げた三段重だけを大慌てで写真に撮りました。
でも、これにお雑煮の椀やお酒、グラス類、お箸などが並びますから、テーブルの上は結構
いっぱいです。ほぼ寝たきりで、食卓に着けない主人は、別テーブルです。


右端から、ブリ照り焼き、こはだ、飾り切りかまぼこ、黒豆代わりの花豆。
柚子釜の中は、カブと人参、柚子皮のなますです。イクラ添え。
手前の小さなお皿の中は、クウーママさんにいただいた珍味の味付けホヤです。

手前真ん中のお重は、鯛の焼き物がメインで、スモークサーモンとイクラの柚子釜、
毎年作る若竹卵(ほうれん草の卵巻き)、そして鶏肉、分葱など入りの「松風焼」。

最後は、お煮しめのお重。盛り付け。焼き豆腐の白が目立ちすぎだよ~~!

今回がんばったのは、花豆の甘露煮。これは29日の夜から水につけて、30にちに
ことこと何時間もかけて煮ました。煮汁がとっても美味しいんだ~。
あとは初めて作った鶏ひき肉の『松風焼』かな。青さ海苔とゴマで二色に
飾ってあります。

今回は、大晦日のごちそうのほうが豪華でした。
まず出したのは、菜の花とパプリカの緑赤の二色の色合いもいい炒め物。
里芋の煮っころがし味噌だれ風味。
チコリ(アンディーブ)とアンチョビの炒め物。これら三品は熱々の料理です。
魚介類としては、シマアジの刺身と、鮟肝のポン酢。
料理の合間につなぎとして出したのが、鯖のアヒージョ、と言いますか
これは魚屋さんで売っていたおつまみパックですが、鯖のスライスを香草と
オリーブオイルに漬けたもの。それを甘みの一切ない十穀クラッカーに、分葱を
細く刻んで塩で軽く揉んだものと乗せた、要するに『カナッペ』ですね、これが
大成功で、「これ美味しい!」「旨い!」と好評でした。
メインはステーキです。若い人たちのために九州宮崎牛サーロインとミスジの
2種類の部位肉を用意しました。。私とつれあいは、もう歯が弱ってほんの一口しか
食べられないけれど。
そしてもちろん、除夜の鐘を聞きながらの年越しそば。


年末、つれあいの介護関係のことが結構ぎりぎりまであったり、こたつ上掛けを
急遽縫ったりしていたので、大掃除は割合早く終わったけれど、買い出しや料理が
押せ押せになってしまいました。
元旦に食べたおせち料理も、花豆以外は、一日の朝起きてから午後一時に娘たちが
来るまでに、大急ぎで全部作ったのです。そりゃもう手が6本あるくらいの急ぎよう。(笑)

おまけにケーキまで焼きました。こんなの。


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写真撮ってる暇もなかったので、これは12月に一度作ったものの写真です。しかも
お客さんに一部供した後の。><
え~。これは、種無し黒ブドウや、冷凍のブルーベリー、マルベリー、クランベリーを
入れて焼いた『クラフティ』というんですが、要するにまあ、タルトのような焼き菓子です。
直径20センチほど。これも好評でした。元日の三時のおやつ用に。
タルト生地は市販のもの。だから案外簡単なんです。



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翌日2日にも、娘たちが来ました。鯖のアヒージョを乗せたクラッカーという上記カナッペ
が気に入ったらしく、娘たちはクラッカーと生ハム、チーズ、コンビーフなどを買って
きましたので、娘が並べたそのカナッペで、お婿さんの持ってきてくれたワインを
いただきました。
ここには写っていないけれど、ケーキに使った果物の残りがたくさんあったので、
ジャムというか、シロップ煮にしておきました。これを前日、上記甘みの一切ない十穀
クラッカーにのせて食べたらめっぽう美味しかったです。それもあってクラッカーパーテイ
となった次第。
でも、もともと私たち夫婦用に、おせちの煮しめの野菜や同じく残り物のこはだの粟漬け、
イクラなどで、散らしずしを作っておいたので、それも出して和洋折衷のパーテイ料理
です。
手前は、じゃがいもを蒸して、甘辛い手作り味噌をからめたもの。これは2年前の旅の
時、宿をお借りした老婦人の送ってくれた手作り味噌です。ピリッと辛いものも入っている
とても美味しいお味噌。作り立ての熱々を供しました。
大晦日の牛肉も少し残っていたので、若い二人のために小さいステーキ焼きました。


洋風・和風…どの写真も、お皿の選択がめちゃくちゃだな。><
もう、とにかく慌ただしくて、そこらにあるお皿に手あたり次第に盛り付けちゃいましたので。




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さて。元旦二日の狂騒も冷めて、三日の朝の老夫婦の遅い朝食です。
左は、おせちの鯛の塩焼きを、4人で少しずつ取り分けた後、頭のところや骨のあたりに
たくさん美味しい部分が残っているので、鯛の身入りのおじやにしました。
写真撮るのが遅れて、おじやの水分が少なくなってしまい、上にかけた揉み海苔が
くたっとなってしまったけれど、味は骨からとったスープのおかげもあって、とっても
美味しかったです。
あとは前夜の割れてしまった風呂ふき大根の残りを含め、全部残り物。



         ***


ふーう。見ているほうもおなかいっぱいでしょ。お口直しにお花でも載せておきましょう。(笑)


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日本水仙と、緑の枝物は『青文字』です。
後ろのほうにちょっと見えているのは、もうずいぶん前に買った『アロニア(セイヨウカマツカ)』。
赤い実は干からびてしまったけれど、枝から青い葉っぱが出てきたのがいじらしくて
まだ大事にしています。根が出てこないかな。そしたら定植するんだけど。

日本水仙は、毎年必ずお正月用の花として飾ります。
そのきりっとした香気が、元旦のあらたまった気分にぴったりだから。




      ***



そんな風で、出来合いのおせちはやめたけれど、大晦日正月のお料理そのものは
結構頑張って作りました。
なぜそんなに頑張ったか。
来年も再来年もつれあいや娘たちと正月を迎えられるという、その保証は、例え
病気でなくともないという想いが、実はあるからです。だから一緒に過ごせる時間を
大事に丁寧に使いたいと思った。

娘たちは、例年は、大晦日の夜と元旦だけにきて、二日三日は自分たちの家でゆっくり
するのが普通なのですが、今回は二日三日にも来るという具合に何度も足を運んでくれました。
それは、私のように「最後の正月になるかも」などという悲観的な意味からではなく、
介護と自分の病気の間で鬱々としているであろう私に、何か楽しいこと見つけてやりたい、
楽しい時間を過ごさせたい、という思いやりからです。
なんと、娘たち、トランプを持ってきました!
パパさんも含めてみんなでポーカーやブリッジを楽しもう、というのです。^^
ところが、誰一人、ポーカーやブリッジの正確なルールを覚えていない。(笑)
ネットで調べたけれど、どうも私たちが子供のころやっていた単純に勝ち負けだけを
競うそれでなく、チップを置いて『賭ける』ことが主眼のルールみたいで、あまり面白くない。
それで、唯一ルールがわかる『大貧民』をやりました!
私、大貧民、になりました!(笑)
百人一首大会もやろうと言っていたのですが(娘と私のガチ一騎打ちで。読み手はお婿さん。
パパは見物人。^^)時間が無くなったので、『坊主めくり』を一回やりました。


そして。さらに。三日。
お婿さんは、いつもつれあいのベッドのある居間の窓から、終日、隣家の庭に小鳥が
来るのを見ている私のために、メジロ専用のミカンを置く小さな可愛いお家を作って
きてくれたのです!
それについては、また次の記事にしましょう…


そうやって、一所懸命、両親を元気づけようとしてくれる娘たちの心に、涙が出ます・・・・・・。
気弱を捨てて、元気出して明るく生きていかなくっちゃね。










『明けましておめでとうございます』




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『クリスマス ’18』



可愛いパッケージの贈り物が届いた。
友、しほさんからの贈り物。


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中には、友、手作りのクッキーと珈琲。そしてカードが。

実は、しほさんのクッキー、密かに心待ちにしていた。とてもいつも美味しいの。^^
そしたら、わ~い、クリスマスを前に、届いたのだ。
以前、やはり、しほさんにいただいてから、すっかりファンになった小川珈琲店の
珈琲も入っている。わ~い♪

いつもいつも、しほさんには感謝だ・・・。
折節にこうして忘れずに声をかけてくださること…それって、実はとっても大変なことなのだ。
相手のことを思いやる心があればこそ、「折節」というその「折節」のタイミングを
ぴったり外さずにつかめるのだ。
今年も、私が一人入院の支度をしているころ…
自分の病と介護のはざまで先の見通しがまだ見えず、暗い気持ちになっていたころ…
しほさんのくださるお葉書や、ブログでのお声かけなどが、どれほど、気持ちの余裕を
忘れた私の顔に『ほほえみ』を呼び戻してくださったかしれない……。

翻って、自分がひとさまに同じことができているか、というと…本当に情けない。
気持ちでいくら思っても、それを形にして出さねば、想いなど伝わらないのに…


しほさんのように、いつもさりげなく、ひとにやさしく出来たらなあと、いつも反省する。



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さて。
今年も、クリスマス・イブの夜には、このような明かりを灯しました。
この丸いガラスの器は、本来は、天井からつるす電灯の笠です。
でも、私は、中に小さな赤青緑、黄などの豆電球のコードをくるっと丸めて入れて、
このような飾りにしています。



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もともと花が好きだということもあるけれど、とりわけつれあいが寝たきりになってからは、
病室にいつも花を切らさないようにしている。
今は、クリスマスシーズンらしく、青々とした針葉樹の枝と赤い実。そしてちょっと季節外れでは
あるけれど、あまりにも見事な赤いダリアを見つけたので、一輪だけ買って合わせてみた。
友のくれた大きなクッキーも、枝につるしてみました。^^



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もう大人、なんだけれど、いくつになってもなぜか心がうきうきするクリスマス。
24日の夜には、一応チキンレッグとちっちゃなケーキとワインを用意しました。
25日の朝は、洗濯物干しなど朝の仕事が済んでから、いざゆっくりとテーブルについて、
(つれあいはベッドで。)お楽しみにしていたクッキーをいただきます。小川珈琲店の
珈琲も淹れてね。
静かで、しみじみと、しあわせな時間でした……

しほさん。いつもほんとうに、ほんとうにありがとう。





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足元は。
クウーママさんに編んでいただいたソックスを、ついにおろしました!
白のとどっちを先に履こうかと迷ったけれど、やはり白いのはお正月のあらたまった
気分の中で履きましょう。^^
友の手編みの靴下は、とっても暖かいです!


二人の友の好意。そして、ここを訪れてくださる皆さん…。

なんとありがたいことかと思います。





『喜びと哀しみと』



クウーママさんから、先日、 贈り物が届いた。


贈り物①



まあ!なんといろいろなものが宝ものみたいに次から次へ。

友 お勧めの本たちがたくさん。
そして、磯の香りのする珍味たちもたくさん・・・^^
あたしが大好きで、おにぎりなどにいつも入れて楽しむほろほろ漬けも。
おそばや、名産の冷麺や、そして林檎と山葡萄のお茶や・・・

どれも、友が心を込めてひと品ひと品選んでくれたものたちだ。
しかも、そのどれもが、友の住む街そして所縁の土地の名産というか、その土地の
人びとの想いのこもった品々だ。
東日本大震災、そして2年前洪水被害を受けた土地。

買い物。
『今日は何を食べようか』『ずいぶん寒くなってきたから冬支度をしてやらなくっちゃ』・・・
そういうふうに自分たち家族の衣食などに関するものを見繕い購うのは、それはそれで
ささやかな日々の喜びであるのだけれど、
また、親しい友や恩を受けた人びとへ何かしら心のこもった贈り物を選んでいるときは、
もっと楽しいものである。
その人の好きそうなもの、喜んでくれそうなものを探して、お店のたくさんの商品を
ためつすがめつ眺めながら迷うこと自体が楽しい。
受け取る方もまた。
こんなにたくさんの品々が箱の中から次々に出てくる。その一つ一つを取り出しながら、
もちろん『いただいた』そのこと自体『その品々』自体が嬉しいのであるけれど、これらを
選んでいる友の姿、そのときの友の楽しいこころを想像すると、二重に嬉しくなるのだ。




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だが・・・
ひとが生きていけば・・・、ときに大きな哀しみにも遭遇せざるを得ない。
可愛かったクウーちゃん。友の、大事な大事な家族だった、クウーちゃん。
クウーママさんは、そのクウーちゃんを、この秋、失ってしまった・・・・・・

その喪失感の大きさは、傍のものがどんなに想像してもわからないだろう・・・
けれども、友の詰めてくれたこうした品々を一つ一つ手にとって見つめながら、その
哀しみからまだ立ち上がっていない(おそらく)友の姿、友のこころを想うのである。

人生の喜びと、どうにも癒やしがたいほろ苦みとが、これらの包みの中には同時に
こもっている。
お写真の横に写った、懐かしい『のしいか』のお菓子は、お孫さんのYちゃんが
『おばちゃんに』(わたし彼岸花のこと)と言って、自分のお小遣いで買ってくれたものだ。
Yちゃんもまた、生まれたときにはすでに家にいていわばお姉ちゃんのように
一緒に育ってきてくれたクウーちゃんの喪失ということを、小学一年生という小さな身で
この秋、経験した。
でも、嬉しいじゃないか。そんな中でも、会ったこともない遠くのひとであるこのわたしに、
こうして贈り物をしてくれるそのこころ!
孫というものをたぶん持てないわたしには、ほろっとするほど温かくて嬉しい贈り物だ。

Yちゃん。ありがとう!
おじちゃんとおばちゃんで、半分こしていただいたよ♪
とっても美味しかったよ♪
(実は彼岸花。子供の頃、こののしいかが大好きだった。^^)



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右端の青い綺麗なボトルは、岩手県龍泉洞のミネラル水で作った化粧水だ。
びっくり。
だって、あたし、まさにちょうど、洗顔後顔につけるものがなくなって、その前の一週間ほど
顔洗っても洗いっぱなしで、肌がガビガビになりかかっていたんだもの。(笑)
実は、彼岸花。昔っから化粧品に縁が無い。ファンデーションなどというものは、結婚式とか
よほどのことが無い限り昔から用いてこなかった。
若い頃から、顔を洗ったら、そのとき持っている化粧水をぱたぱたとはたきつけて、
あとは口紅塗るだけで化粧はおしまい。
夏は仕方なし日焼け止めは塗るけれど、とにかく顔の肌に余分な脂分のくっついているのが
苦手なのだ。もう半世紀以上も、化粧水と口紅一本だけできた・・・・・・

ところが、この夏、癌の宣告受けて手術してからは、ますます輪をかけて化粧というか
身の回りのことに無頓着になってしまった・・・・・・あれこれ着ることも面倒というか
手術した後の胸や上腕がちりちりと痛むので、夏は木綿のゆったりしたぶかぶかした
袖無しブラウス一枚でふらふら歩いていたし。><
ちょうど、一本だけ持っていた化粧水(そこらで適当に買ったもの。メーカーさえ知らない)
が切れてしまっていたのだけれど、もういいや、という感じで、新たに買うこともなく
素肌を寒風に曝していたのである。さすがに肌はがびがびぱりぱりに。

友は、そんなわたしをテレパシー使って見通してでもいたかのように、化粧水をばっちしの
タイミングで送ってきてくれたのである。
私が今まで使った化粧水らしきものの中で、一番使い心地が良かったのが、ずっと以前
娘が買ってくれたフランスのミネラル水『アヴェンヌ・ウオーター』だった。
化粧水といっても、それは水。だけれど私の肌にはその『水』が心地よかった。
そのこともまるで知っていたかのように、友はこの龍泉洞のミネラル化粧水を。
さっそくお風呂上りに使ってみました。乾ききった皮膚がごくごく飲んでいた(笑)。
ほのかにほんのほのかにいい香り。
龍泉洞は、岩手県岩泉町にある不思議な美しい鍾乳洞です。
その地底湖の色ったら!



龍泉洞
写真はこちらのサイトからお借りしました。
www.iwate-ryusendo.jp/sp/ja/about/ryusendo/


龍泉洞のある岩泉町は、2年前、台風10号による豪雨に見舞われて、多くのお年寄りが
亡くなられ大きな被害を受けてしまったところだ…
同封してくださっている『林檎と山ぶどうのフルーツティー』。100%自然の果物の
そのお茶を、私は寝る前に温かくしていただいているけれど、ぐっすり眠れる。
岩泉町は、その山ぶどうが名産でもある…。
同じく、珍味『ほや』の産地、三陸の海も、東日本大震災で大きな被害を受けた・・・

人々は、近年、次から次へ毎年起こるようになった天災に、ともすれば東日本大震災や
岩泉町のこと、いやそれだけではない、阪神淡路…熊本大分…西日本豪雨…大阪地震・・・
北海道の地震被害…など、それぞれの被災地の方々のことを、忘れていきがちだ。
だが、そこでは土地や人々の心に残った大きな被害の傷跡は今なお現実のことであり、
今もそこから必死で立ち上がろうとしておいでだろうと思う。

たくさんの嬉しい贈り物…
だが、ここには、土地土地で一所懸命生きる人々の想いと、それを応援するクウーママさんの
優しい想いもこもっているんだよね。

人生は、甘いこと楽しいことばかりではない。
どうしても何としても忘れがたい悲しい記憶や、苦い苦い思い出もある。
でも、そのほろ苦さもまた、いつかひとを強くし優しくしていくのだろうと思う。




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この瓶は、『棗(なつめ)』の甘露煮。
クウーママさんが、手術後の私の体にもいいものだから、と、作ってくださったものだ。
『棗(なつめ)』って、皆さん、ご存じでいらっしゃいますか。
私は、童謡や児童文学などで幼いころから、その名前だけは聞いて知っていたけれど、
そして、『なつめ』というそのやさしい響きのことばに、『どんな実なんだろう』と、
そこはかとない憧れをずっと抱いてきたけれど、実物を見たことはなかった。もちろん
食べたことも。
クウーママさんの煮てくださったそれは、柔らかくてほのかに甘くて、とっても美味しい。
何に似ていると言ったらいいのかな・・・。梨をシロップ漬けにすると似た触感になるかな。

『なつめ』は、クウーママさんがおっしゃるように、薬効もあって、中国では
『一日食三棗、終生不顕老』という言葉があるそうだ。なつめを1日3つ食べると年を取らない、
というほどの意味だという。

そう。
中国などでは、とりわけ山西省など中国北部では、この『なつめ』の木がどこのうちの
庭にも生えているという。・・・その緑陰で憩う人々のことをも想う・・・
そしてこの山西省などに豊かに実る『なつめ』について。その牧歌的な光景とは、
あまりにも反する旧日本軍の中国における暴虐について、ずっと書きたいと思ってきた
記事もあるのだけれど、それはまたいつかのことにしよう・・・。
今はただ、『これ食べて元気になってね』というクウーママさんの優しい想いに
応えて、元気にならなくちゃね。


あたしが幼いころ、初めて 『なつめ』という言葉を聞き知った懐かしい歌は。


   「あの子はたあれ」

あの子はだあれ、誰でしょね。
なんなんナツメの花の下
お人形さんと遊んでる
可愛い美代ちゃんじゃないでしょか

      (作詞・細川雄太郎、作曲・海沼實)

https://youtu.be/Zp8tIs9Xvi4



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贈り物の箱には、新しい手編みのソックスも入っていた。先日の、綺麗な生成り色の
それとは色違いだ。
これもクウーママさんの手による美しい編みもの。まあ、なんて二つ並んでさらに綺麗
なんでしょう!
また、履くのがもったいなくて、こうやって並べて見つめていたくなっちゃう。
でも、実用のために編んでくださったもの。クリスマスとお正月に、おろさせていただこうかな。



・・・・・・

今はただ・・・。
ひとのこころのあたたかさというものが、ひたすら胸に沁みる・・・・・・
そして、すべての命の尊さ、そのかけがえのなさということが。

喜びと、そしてその奥にそっとしまわれたひとびとの悲しみと・・・・・・
ここにはそうしたものが、いっぱいいっぱい溢れていて、美しい。



友よ。
ほんとうにありがとう。
大切に味わわせていただきますね。
















『キャンドル・ナイト 93』



93回目のキャンドル・ナイト。

東京は、今夜は冷たい雨が降っている。
その雨の音と、暖房の音しかしない静かな夜だ・・・・・・。

被災地の夜。皆さん暖かくしてお過ごしになれていらっしゃるだろうか・・・
過酷な冬にならなければいいが。



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今夜は、常緑樹の枝をいつもの小さな亀山ローソクに添えてみた。
コニファーブルーバードという種類。
ほんの先っぽを少しちぎって指で揉めば、針葉樹独特の香気がする。
疲れた人々の心にも、大森林の力強い生命の香りと、ろうそくの炎の温かみが
届きますように。







南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 



『編みものの思い出』




手編みの靴下


美しい手編みの靴下。
純白…、かすかに生成り色がかった色合いがなんともこころに優しい。
つま先とかかとあたりの部分はメリアス編み。そしていわばソックスの顔、と言える甲の
部分と足首周りなどは、陰影に富む模様編みになっている。

友の心のこもった贈り物だ。
これは、友が悲しみを胸に一杯溜めつつ。おそらく一目一目に、言葉にできない
祈りをこめながら編んだ靴下だ。
一つには友がこよなく愛したCちゃんが・・・逝ってしまった悲しみをこらえつつ。
そして一つには、友人である私の病からの立ち直りを祈りながら。

綺麗でしょう・・・・・・

この靴下を気軽に履くことなんてできませんよね。
あんまり綺麗で、そして切なくて、もったいなくて、宝物のように眺めているだけです。^^
でも、『履いてね』、という友のお勧めもあるので、そうですね、来る新年元旦の朝に、
あらたまった気持ちで履かせていただこうかなあ・・・。


・・・・・・



思えば、ひとさまに編んでいただいたものを身につけるって何十年ぶりだ。
私自身も編み物はする。これまでも、つれあいのセーターや娘の夏冬もののセーターなど
たくさん編んできた。昨年はなんとお婿さんにも編んだ。娘のセーターを見て、自分も
編んでほしそうにしていたから。^^
けれども、自分が着るものって、そうだなあ・・・1,2枚しか編んだことなかったんじゃなかろうか。
いつもいつも、自分が着るよりひとに着せるのが嬉しくって黙々と編んできた・・・

ましてや、ひとさまが編んでくれたものって、そう、小学校5年生のとき、母が編み物の
できるひとにセーターを注文してくれた、それ以来かな。

もう60年も前のことだ・・・あれからもう60年・・・ああ!遙かに来つるものかな!・・・・・・・・・

そのセーターのことを少しお話ししましょう。


              ***

『サザエさん』のテレビを観ている人は多くても、原作の4コマ漫画を読んだひとは、
今となってはあまり多くはないだろうが。
昭和30年代頃のこのサザエさんの原作には、サザエさんが編み物をしているシーンが
実によく出てくる。
季節はちょうど今頃だろう。部屋にはその頃の代表的な暖房器具と言っていい丸い火鉢が
置いてあり、そのそばでサザエさんは編み物を。そしてお母さんのフネさんは、たぶん
ワカメちゃんのお正月の晴れ着らしき着物を縫っていたりする。
サザエさんはカツオ君たちのセーターなどだけでなく、自分やワカメちゃんのための
ワンピースを縫ったり、実によく手仕事をしている。
それだけではなく、夏には注文を受けてよその人のための子供服を縫ったり、編み物をしたり、
『内職』というほどの専門的なものではないけれど、頼まれ仕事もよくやっていたようだ。

私の母は、頼まれものの和服を縫うことで収入を得て、私を育ててくれた。
サザエさんが火鉢のそばでよく編み物をしていたように、母も、火鉢一つが暖める部屋で
暮れの前のちょうど今頃は、一年で一番忙しく着物を裁ったり縫っていたものだ。
冬用の合わせの着物一枚裁って縫い上げるのに2日か3日かかっていたかな。
手が早く、仕立ては丁寧で上手だったから注文は途切れることなく来ていたようだったが、
それで得られる収入はわずかなものだったろう。母子二人がぎりぎり食べていけるくらい。
だから、私は、およそ母にあれが欲しいこれが欲しいなど言ったことはなかった。

小学校5年生の冬。暮れがだいぶ近づいてきたちょうど今頃だ。
その頃私は、NHK地方局の少年少女合唱団に入っていた。10倍くらいの競争率の
オーディションに通って(ふふ、ちょっと自慢。><)、週に一度、電車でNHKのスタジオに
レッスンに通っていた。団員は小学校4年生くらいから中学2,3年生まで50人くらいは
いたかな。
合唱団は、暮れに市内の大きなホールでクリスマスコンサートをやることになっていた。
そのためにたくさんの曲を練習する・・・。楽譜もたくさん配られた。
だが、私は、その楽譜を挟む紙ばさみ(古いなあ!要するに、バインダー。)を、団でただ一人
持っていなかった。楽譜は仕方ないからバラでそのまま持って歌っていたのである。
A4サイズの紙を挟めるバインダー。当時としてもそれほど高価なものではなかったろう。
しかし、私は、母に、「楽譜用の紙ばさみが必要だから買って」と言い出せなかった。
週に一度スタジオに通うその電車代さえ、我が家にとっては大きな負担だということを
知っていたから。
それほど母子はつましく暮らしていたのだ。
団でただ一人、楽譜を挟むバインダーを持たず、ばらばらのまま持って歌っている子。
NHK合唱団の指導の先生や同じ団員の子供たちなども不審に思っていたかもしれないなあ・・・
いつもとっても恥ずかしかったけれど、私には母におねだりができなかったのである。

そんな12月のある日。母が「セーターを編んでもらおうか」と突然言った。
母は私が合唱団の一員としてクリスマスコンサートに出ることは当然知っていた。
その日は団員みんな、おそらく晴れ着のおしゃれをしてくるであろうことも。
いつもごくわずかな衣類を着まわしていた私。母のこまめな手でそれらはいつも清潔に
保たれてはいたけれど、『着た切り雀』の女の子であることには変わりなかった・・・。

その私に、母が晴れ着のセーターとスカートを新調してくれるという!
母は和裁はプロで、洋裁も簡単な夏物などはできたけれど、編み物はやらなかった。
知り合いに編み物の内職をしている人がいて、その人に頼んでくれるのだ。
手編み、ではなく、当時もう流行っていた『機械編み』でセーター。
新しいセーター。ウールのいい匂いのする私のセーター!
まあ、どんなにうれしかったことか!

ある日、そのひとと母とのいる前で、毛糸の見本帳のようなものを見せられて、
好きな毛糸を選ぶように言われた。
太さは中細毛糸。見本帳には4センチくらいの長さに切りそろえた色とりどりの毛糸
が綴じられている・・・
まあ!綺麗!・・・・・・こんなにたくさんの色!・・・・・・

私、何色選んだと思いますか。
・・・肌色がかった淡い黄色といおうか、黄色味を帯びた淡い肌色と言おうか、とにかくそれは
ちょっと曖昧なはっきりしない色だった!
しかも、ごくわずかにネップというか、グレイがかった節のある別糸が混じっていて、曖昧な
印象をますます強めていた。
なんでそんなはっきりしない色を選んだのか。別にその毛糸が気に入ったわけでも
なかったのである。黄色がかった肌色、などという中途半端な色でなくいっそ綺麗な黄色とか
純白とか赤とかもっと冴え冴えとしたきれいな色はたくさんあって、そういう色も選べた
はずなのに。
母とそのおばさんが見守る中、私は、『これでいい』と、その毛糸を指し示したのでは
なかったろうか。『これがいい』ではなく、『これでいい』と。

おそらく母もおばさんも内心首をかしげていたに違いない。ほんとうにそれ?と。
だが、母は何も言わなかった・・・。子供が選んだものだ。そう思って黙っていたのだろう。
しかし、子供は、実のところ、選んだその時点ですでに、その毛糸が気に入らなくて
、いや、気に入らないというよりは、せっかく母が無理して買ってくれるものをもっと
ほかに選びようがあったろうのにとそれが悲しく、やがてセーターが編みあがって
私がそれを着るのだ、ということに悲しくなっていたのである。
日に焼けて色の黒い私に、そのあいまいな淡い色のせーたは、似合わないだろうという
こともすでに自分で分かっていたので・・・

続いて母は、スカートも新調してくれると言う。
私はそのころ、これも5年生春の修学旅行の時、母が布地を見繕って縫ってくれた
ウールのチェックのスカートを、来る日も来る日も履いて学校に通っていた。
赤、ベージュ、茶、黒などの細かいチェックのその薄手のウール生地はとても上等で、
私がさんざん登校に着たのち、数年後には姉の茶羽織に仕立て直されて、それでも
まだくたっとなどならず立派だった・・・
でも、子供の私は、いくら上等でももうそのスカートに飽き飽きしていた。

新しいスカート!!!
母は私を近くの布地屋さんに連れて行った。
うず高く積まれた布の山・々・山・・・・・・・・・・・・・
ここでも私は迷った。
何を。どれを選ぼうか・・・。
迷った挙句、どれがいいのかわからなくなってしまった。毛糸の時と同じだ。

私が選んだのは、鮮やかな緑色のフェルト生地だった。そう。あの、お習字の時に
紙の下に敷く緑色のフェルトがありますよね。あんな生地だった!
見るからに安っぽく、そして何より、衣類としては変な色っ!
ああ!かわいそうな彼岸花ちゃん!

だいぶ前のことだが、ある外国の人が、ある有名文具店でだったと思うが、人の買い物
行動を分析したことがあった。
人がたくさんあるものの内から一つを選ぶ時…例えばその翌年の手帳など・・・
自由に選んでいいとなると、人はさんざん迷う。、観察していると、多くの人が
手帳を買いに訪れ、いろんな色、色んなつくりの手帳を手に取って長い間迷う。
そしてその挙句。ひとは極めて無難な『黒』の手帳を最終的に選ぶことがよくある
のだという。
あんなに長いこと時間をかけて迷っていたのに!!

このことは何も手帳などの例に限らない。今日はとっておきの特別な日だから
ちょっと豪華なレストランで食事、などというとき、さあいざメニューを手にして、
あなたはさんざん迷った挙句、いつも食べ慣れたハンバーグ定食をなぜか選んでしまって、
あとで、ああ、別なものにすればよかったのになあ・・と後悔することはないだろうか?
あるいは、家の壁紙を決める、などという重大な選択の時、これも見本帳を手にして
さんざん迷った挙句、きわめて平凡で面白みがなく無難なものを選んでしまう、あるいは
逆に、極端に変わった物を選んでしまって後々長く後悔する・・・などということは?

小学5年生の彼岸花ちゃんの場合は、『無難なものを選ぶ』も何も、そんなに買い物など
自分でしたことがなかったから、そして選べる服など当時持っていなかったから、
要するに毛糸や服地を選ぶという眼が、まったく出来ていなかった。
『これは好き』だの『あれは嫌い』だの言えるようなチャンスなどそれまでなかったから、
『選ぶ』ということに関して、気持ちが竦みあがってしまっていたのであったろうと思う。
だから、自分の本当の好みや意に反して、曖昧カラーの毛糸や、お習字の下敷き
みたいな衣類としては変な色のフェルト地を選んでしまったのである・・・・・・。

とにもかくにも、曖昧カラーのセーターは少しして出来上がって私達母子のもとに
届けられた。母はいったい毛糸代と編み賃にいくらかけたことだったろう!それは
決して母にとって安いものではなかったはずだ。
緑色のフェルトのほうは、母の手で、私が最初から望んでいたように『サーキュラー
スカート』いわゆる全円とか半円の、裾のぱあっと広がるスカート、当時の流行だった
デザインのスカートになっていた。
これも、もっと柔らかい生地の落ち着いた色の布であったなら、全円スカートという
派手なデザインもきっと素敵だったろう。だが、その緑色のフェルトは、ごわごわと
分厚く、私が望んだようなきれいなフレヤーは出ないで、ただかさばるだけだった。
セーターのほうは、中細毛糸を機械編みしたものでさすがに美しく、自分に似合わない
とはわかっていたけれど、それでも新しい、ピッタリ私の体に合った私だけのセーター
だったから、結局、嬉しいのはとても嬉しかったなあ。

わたしはこの曖昧カラーのセーターと、ド派手な緑色のスカートを着て、クリスマスコンサート
に出た。楽譜のほうは、あやはり母に紙ばさみを買ってと言えず、ひとりだけ紙のまま
持って歌っていたのだったが・・・。
緑色のスカートは、学校に履いていった記憶がない。私の冬のスカートは、相変わらず
毎日、例の上質チェックのひだスカートだった。
セーターのほうは、6年生の卒業アルバムの記念写真の時にも着ているから、そこそこ
着たのだったろうが、あの緑色のフレヤースカートは、どこに仕舞われたままになって
いたろうか。かわいそうなスカート!!!
今、もし私が、あの頃の彼岸花ちゃんのそばにいて、いわば醜い全円スカートを前にして
それが気に入らないのを母にすまなくて涙をためている彼岸花ちゃんを見たなら、
その派手な緑色のスカートの縁に、黒とグレーのフェルトで小さな花のアップリケなど
ほどこして少し色の派手さを抑え、二枚とない素敵なスカートにしてやれるだろうがなあ…

母はセンスのいいひとだったと思う。母が選んでくれるものに間違いはなかった。
あの時のセーターも、スカートも、母が選んでくれたいたなら、きっと素敵なものに、
貧しさの中から思い切ってお金をつかう、そのお金のかけ甲斐のある服に、なって
いたに違いない。だが母は私に選ばせた。選ばせてくれた…・・・

私は、それからも長く、自分の着るものに関して『選ぶ』自信がなかった…
迷った挙句、変なものを買ってしまう、ということが高校生くらいまでは続いたな。
要するに、たくさん『いいものを見て』いないから、『選ぶ』ことに慣れていなかったから、
さんざん迷った挙句、「えいやっ!」と選んだものは変なもの、ということになりがち
だったのである。
私が、自分の着るものに関してこれは似合うという自信が、選ぶ自信ができたのは、
自分でお金を稼いで自分で着るものを買えるようになり、自分で服なども縫えるように
なってからである。流行は追わない。自分に似合うものを着る。
センスは悪くないほうだと、今では自分で多少自負している。


ああ・・・母さん・・・
娘があれれ?と思うような色のものを選んだ時、あなたは、何を思っていただろうか?
それでもそうして娘のために新しいものをあつらえてやれることが、ただ嬉しかっただろうか・・・


友が編んでくれた美しい美しい靴下。
友はこれ以前にも、淡いスモークピンクの毛糸で、リストウオーマーも編んでくれている。
寒がりの私は、今年も重宝しています。

実は、ひとのために衣類を整える、って、とっても幸せなことだ。
サザエさんの漫画には、そういう冬支度、正月支度、また夏のワンピースや浴衣、など
家族のものを縫ったり編んだりいそいそと整えたりするシーンがよく出てくる。
それは必ずしも『新調する』のでなくてもいいのだ。今あるものを丁寧に洗って蒸気を当てて、
大人のものを子供用に縫い返したり編みなおしたりすることの方が多かったかも。


昭和よ。『平成』という時代さえもうすぐ終わる・・・。
人間は幸せになっていっているのだろうか・・・。




             ***




この靴下。ほんとに綺麗でしょう?


友よ。ありがとう。
大切に履くね。
























『初冬に想う』


地球の気候が荒々しくおかしくなって行っているのではないか、という不安がある一方で、
この日本にまだ、鮮やかな季節の移り変わりがあるということ、季節の循環があると
いうことを嬉しく思わずにはいられない。

その移り変わりゆく季節の中でいつが一番好きか、などというのが愚問であることは
承知の上で書くのだが、
今の、晩秋というよりは『初冬』の、もはや肌寒くなったこの季節が私はかなり好きである。
2月こたつの中でぬくぬくと本など読んでいるとき。4月満開の桜を見るとき。6月、雨に
新緑の木々が打たれて白い花々の香る頃・・・。夏の夕暮れの虹。・・・・・・
それぞれに大好きだし、生きていることの喜びを感じるときでもある。
だが、11月半ば頃から歳末までのこの季節に、いつも私が感じる気分は、他の季節に
それぞれ感じる喜びとはまた違うような。

なかなか言い表すのが難しいのだが、この季節に私はなぜか一番胸がきゅん!とする
のである。

それは、何というのかなあ・・・いわば、『何かを恋しくなる季節』とでも言おうか。
その『何か』というのは、『ひと』でもいい、『もの』でもいい、『思い出』あるいはもっと、
漠然とした『想い』でもいい。
いつもこの時期、その胸がきゅん!とする瞬間には、何かを想ってきゅん!として
いることは確かなのだが、それが具体的に何なのか、ということはわからないのである。

ただし、胸がきゅん!とするきっかけとなる事物というものはいつも具体的にある。
それは、たとえば、この季節、その年一番に『雪虫』が飛んでいるのを見つけたときである。
それは、たとえば、細い路地の家の塀越しに、濃いピンクの山茶花の花が咲いているのを
見たときである。
それは、たとえば、いつも行くスーパーなどの入り口に、クリスマスツリーがその年も
飾られたのを、そしてささやかなイルミネーションが点灯しているのを見たときである。
それはまた、川べりの道や住宅街を歩いているときに、ふと漂う香りにはっとして、
それが思った通り枇杷の花(地味な。きわめて地味な!)であることを見上げて確認
したときである・・・・・・。

でも、それでは、なぜ、雪虫をその年始めてみたときに胸がきゅん!とするのか、
なぜ、濃いピンクの山茶花を見たときに胸がきゅんとするのか、その理由はわからない。
山茶花でも白いのとか白にピンクのぼかしとか淡いピンクとかそういう色のときには
『ああ。山茶花が今年も咲いたな』とは思いはすれども、べつに胸がきゅん!とするまで
には至らないからである。
クリスマスツリーの場合は、おそらく、子供の頃のあこがれが関係しているであろうが。

4月淡い桜の花の下にいるときも、6月大好きな梔子やテイカカズラなど白い花の
香をかいだときも、いつもとても幸せではあるが、11月枇杷の花の香に気づいたとき
のような胸がきゅん!とする、なにかが誰かがそこはかとなく恋しい、という感じは抱かない。

何が違うのだろう・・・・・・
先日からずっと考えているが、結局理由はわからない。
それは。一種の『諦観』も、ごく淡くではあるが含んでいることは確かだが、それも
はっきりそうとは言えるものでもない。
ただ、胸にしみる、静かなしみじみとした喜びを感じるだけである。




                 ***





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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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