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『キャンドル・ナイト 92』




92回目のキャンドル・ナイトだ。
一ヶ月の経つのがなんと早いのだろう!



『キャンドル・ナイト 92』




暗紅色の小菊の花と、花屋では『アロニア』という名前で売っていた赤い実とを
いつもの小さなろうそくに添えてみた。
『アロニア』・・・。北アメリカ東部原産のバラ科の落葉低木。
和名では『セイヨウカマツカ』と言うらしい。









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『此岸と彼岸の間で ④』

というわけで、退院してからもう早くも数か月。
その間をグダグダと無気力に過ごしてしまったなあ……
飾り気も何もとっぱらった正直で切実な話、私にはあとどのくらい命が残されているか
わからない。
死は極めて身近なものになってしまった……

だがまあ、仮に今回の病宣告を受けないで健康でいられていたとしても、71歳の私に
残された時間は、多くて15年くらいのものだったろう。
15年はあっという間だ。私が仕事を辞めてパソコン買ってブログ始めてからだってもう
9年は過ぎたのだからなあ……

残された時間は短い。こりゃうかうかと無駄に過ごしてはいられないぞ、と心から思う。

ということで。ブログ本格的に復活!
愚痴めいた病の話は、これでおしまいにして、さてまた私らしい記事を書いていきたいなあ。
私らしい、というのは、自分に納得のいく記事、という意味だ。

とりあえずは、『新聞を読んで』というシリーズと、『日々寸感』とでもいうようなシリーズを
新たに始めてみようかな。

『此岸と彼岸の間で ③ 病院雑感 その二』

そのように、『重苦しい悲哀』と言うよりは、むしろ『そこはかとない悲哀を常に感じている』
といった気持ちの病院生活そして退院後の暮らしであるが、中には可笑しいこともあった。

前述したように、『できるだけ院内を散歩しろしろ』とお医者さんにも看護師さんたちにも
言われて、素直な患者である私は(!)真面目に院内を・・・大きな病院とは言っても
そこは歩けるところと言っても限界があり・・・例の吐き気を抱えてふらふら歩いていた
のだが、その限られた空間の中でも、私は迷子になるのである!
病棟の同じ階、同じ一角には同じ病気の人たちが寝起きしているので、前述したように
あまり生来ひとと進んで話をする方ではない私も、なんとなく漠然と顔見知り、というだけの
人ならできる。
そのときも、私は廊下で看護師さんに『・・さん。・階のレントゲン室に行って写真
撮ってきてください』と言われてそのままついでだからすぐに行こうとした。
例のごとく長い廊下やエレベーターホールで圧迫感と軽い恐怖を覚えながら移動する。
検査室などのある階に着いて、そうだ、検査の前にトイレに入っておこう、と思って
トイレに入った・・・
ここがまた一つ可笑しいところなのだが、私は家でも人がいるときにあまりトイレに
行きたくない。神経質で、自分の排泄物・・・鼻水やくしゃみ、咳、おならその他諸々を含め
体から出てくるものを人に感じさせるのがいやなのである。だから風邪をひいて鼻など
かむときも、家人のいる部屋を出て廊下や別室でかむくらいだ。
ましてや、相部屋の病室で、室内にある共用トイレに行くのは基本いやなのである。
だから、わざわざ廊下に出てそこに一カ所だけあるトイレに行くか、外来診察階や
検査室階や、あるいは一階にまでエレベーターで降りていって、そこの個室のたくさんある
大きなトイレで用を足していた。
ところが私、ものすごい方向音痴。
普段から、デパートのトイレや映画館などから出てくるとき、全く反対の方向などに
歩き出してしまう人間だ。外へのドアかと思って道具入れのドアを開けたことさえある!
その日も、検査室階のトイレに入ったのはいいが、レントゲン室の方向がわからなくなった!
レントゲン室には何回も行っているにもかかわらず、外来診察階や一階の構造とごっちゃ
になって迷ってしまったのである。
すると、病棟でなんとなく顔を見知ったばかりの初老の紳士が向こうからやって来た。
彼とはエレベーターで来るとき一緒だった。彼もまたレントゲンを撮ってくるように
看護師さんに言われていたのを廊下で聞いて知っていた。
向こうも私が同じエレベーターでレントゲン室に行くのを知っていたはずだった。

彼はもうレントゲンを撮り終ったらしい。私が妙な方向から妙な方向へと歩いて行くのを
見て、あれっ?と思ったらしい。
『どうしました?』と声をかけてきてくれた。
『まいご』と、私は答えた。
彼は、えっ??という顔をする。
『トイレに行ったらレントゲン室の場所がわからなくなって迷子になりました』と言ったら
大笑いされた。
文字通り大爆笑された。

彼に教えてもらってその後無事レントゲン室に行けたが、このように、その後も何度も
狭い病院内で密かにひとり迷子になりながら、散歩やトイレにいっていた私であった・・・



そうそう。これには後日談もあるんだった。
今日が退院というので会計のため一階にいたときだった。
あの紳士がむこうからやってきた。私の顔を見て、あれっ?という顔をしている。
私もひどい方向音痴であるくらいだから人の顔をそう覚えるほうではない。
「あれ。どっかで見知ってはいるぞ」という程度なのだが、この紳士はたぶん
あの時の人だ、と背格好などででもおぼろげに分かった。
でも、自信はなく、双方でちょっと見合っていた。すると、彼が、
「失礼ですが、どこかでお会いしましたっけ」と言う。

「あの。いつかの『まいご』です」
と答えたら、またしても、「ああ!あのときの!」と大爆笑された。

いつもパーマっけのない髪をターバンのようなものでまとめて院内をうろうろしていたが、
今日は退院ということで髪を一応へアピンで巻いてカールらしきものにしていたし
もう院内着のパジャマでなく外出着に着がえていたので、同一人物と認識されなかった
らしい。ひどい格好で平気で歩き回っていたもんなあ・・・首には吐き気を催した時のため
タオルさえ巻いていた!(爆)

…あの紳士はその後回復なさっただろうか・・・・・・そうであるといいなあ・・・





              ***


前述のごとく、退院してからも、閉所・暗所恐怖や圧力恐怖とでもいうのか、空気圧の変化を
感じるような場所で、過呼吸に似た症状が出ることが続いた。
それは今でも実は続いている。
ショッピングモールや病院、ホテルなどの長~い廊下やエレベーターホールで息苦しくなる。
薄暗い照明にわざとした衣料品店などには入りたくない。人工的な香料の香に満ちた
おしゃれなセレクトショップなどでも、香料の空気圧みたいなものを感じて息苦しくなる。
雨続きから急に温度が上がったり、晴れの続いた日から雨がちのじめじめした日に
変わるときも同じく息苦しいので、これはおそらく心理的なもののせいばかりではなく、
体の呼吸機能なども関係しているのだろうと思っている。
思ってはいるが、退院してすぐは、『悲哀感』とか他の心理的要素も強かったので、
退院後半月ほどしてから、娘に勧められて、生まれて初めて『心療内科』なるものに行ってみた。

と言っても、精神科のお医者さんでどこが名医などということは全く情報がない。
お定まりの手順で、ネットで調べて、同じ市内のとある病院に行ってみた。
ネットでは、『ここの先生はパソコンの方ばかり向いていて肝心の患者の顔を見ない』
などというマイナスの書き込みなどもあったのだが、まずは近くて通いやすいこと、
そしてパソコンが導入される前はいい先生だった、という書き込みをなんとなく
信じたくて行ってみたのである。
夏の暑い日だった。

先生は、年の頃50歳半ばほどか。しょぼしょぼした感じのひとだった。
そして。なるほど、こちらの顔をほとんど見ない!
機種などよくわからないけれどなにやら相当に古そうなパソコンに向かって、私から
聞き取ったことをひたすらカタカタとこれまた古そうな音のするキーボードに向かって
書き込んでいくばかりだ。
まずは『どうしました~~~?』と、ひょろひょろ声で。
癌手術を受けたこと。その後の症状など一応順序立てて話す。
なんとかかんとかいう心理的外傷の一種でしょうねえ、という診断。
抗うつ剤?で副作用がなく軽いのを出しますから飲んでみてください、と言う。

治療の初めとして、私の生い立ちが訊かれた。年齢、家族構成など。それも今の
家族構成ではなく、私の父や母や兄弟姉妹、祖父母、伯父叔母にまで遡る私自身の
家族について。その全員の死亡年齢や死亡原因を、わかる範囲ですべて。
それらは診察が始まる前に、待ち時間の間に待合室でアンケート用紙にあらかじめ
記入させられていた。
ところが私。いつも書くとおり、家族縁が薄いというか、郷里を捨てた母に育てられたので、
血族・親類縁者の顔も知らなければましてやその死亡年齢、死因など正確に知る
訳がない。
およそのところを記入しておく。

診察が始まって、先生は私の書いておいたそれらを見ながら、何やらパソコンに写し取って
いる・・・

『おとうさまは?』
『私が小学二年の時に父母が別れて以来父とは別居していました。父は85歳くらいの時、
自死しました』
『・・・・・・・・・・・(カタカタカタカタ、とキーボードの音)』
『二番目のおねえさまは?』
『彼女は瘋癲でして、もうずっと往来がなく、70歳過ぎの頃死んだというのも噂に聞いた
だけです』
『・・・・・・・・・・(カタカタカタカタ・・・)』


以下、この調子。
・・・この聞き取りに診療時間のほとんどの部分を使った。




『・・・今日はここまでにしましょうか』

(ええっ? 現在の家族構成、夫や子供についての聞き取りは無しかいな。そっちの方が
今現在の私の精神状況を知るには大事だろうと思うんだけどな。もう、祖父母や親兄弟の
ことなど、70歳過ぎたこの年になると私の中では消化…昇華されてしまってるんだけどな・・・)

とは思ったが、素直な私、『はい』と返事しておいた。
先生が、それら聞き取りに関して言った言葉は、
『そうですか・・・いろいろあったんですねえ・・・』というひとことだけだった!

帰り際。ドアを開けて、出かかってはみたものの、これだけの会話じゃあんまりだ!と
さすがに思ったので、「あの、なにかこれからの暮らしにアドバイスなどありましたら
お聞かせください」とドアノブに手をかけたまま言ってみたら、相変わらずまだ
パソコンの方を向いたまま私のデータを打ち込んでいたらしい先生は、
ゆ~っくりのんびり~っとしたしょぼしょぼ声で、

『なにかたのしいことみつけてくださ~い』
とひとこと。

(たのしいことがあれば、楽しい気分になれるくらいなら、ここには来てないんだけどな)
と思いながら、私、ドアを閉めた。
次の診察日も決まっていた。私、電話で以降の診察お断りしようかな、とも
最初思ったが、やはりそれでは先生に失礼なので、予約日にはちゃんと病院に行って
先生に『これで一応終わりにしたい』旨、直接伝えた。
もらった薬も一回も飲んでいない。

先生を傷つけないよう、私なりに言葉を尽くしてお断りしたつもりではいるが。
・・・・・・・・・・・・


さて。この先生は果たして藪医者なのか?それとも名医なのか?

・・・・・・・・・・・・

私は、『名医』だと、実は思っている。

それは、こう書いただけでは、私の描写を通じてでは、なかなか伝わらないだろうが、
先生の、そののんびり~っとした口調のゆえである。
(カタカタカタカタ・・・・・・・)とキーボードを打つ。そのたどたどしさのゆえである。

こっちの顔をほとんど見ない先生だったが、
それらの質問が、私にとって直接何の役にたつのか一向にわからなかったが、
とにかく、せんせいのそののんびり~~っとした口調が、
古めかしいパソコンを含め診察室の緊張感などのないどこか居心地の良さが、
それだけで私にはなにか『効いた』ような気がしたからである。



『そうですか・・・いろいろあったんですねえ・・・』
『なにかたのしいことみつけてくださ~い』

と先生が言ったときのあの口調。
あれは、単にパソコンだけしか見ない機械的な冷たい診察ではなかった。
その声音は、患者である私への、十分すぎるほどの共感と理解のこもっていた声
であった、と患者の私にあとになって感じさせた。 だからである。

私が『もう診察はいいや』、と、一回きりで通うのを辞めたのは、せんせいのいる
診察室のドアをそっと閉めて待合室に出たときには、肩の力がふうっとすっかり
抜けて、また元気に生きていけるような、そんな気になれていたからである。













                  ***







 

『此岸と彼岸の間で ② 病院雑感 』


年をとってくると、自分の病気のことばかり話題にしたがるようになる・・・それは避けたい
のだけれど、入院手術はやはり私にとって無視できない出来事でこれからもあるであろうので、
記録だけはここにしておきたい。
いわば自分ひとりの、そして家族にだけは残しておく大事な記録であるので、コメント欄は
一応外しておく。


               ***



優しく憂わしげな小鳥の声のように聞こえた、娘の『ママ!ママ!』と私を呼ぶ声が、
手術室から既に病室に戻されてからのものであったことは、後になって娘から聞いて
知った。

意識がしっかりと目覚めたとき、自分の体に6つもの管がつながれていることを知った。
身動きができない。そしてとにかく胸が苦しい。
そういう状態で病室に一人取り残されていることの心細さ・・・看護師さんが出入りして
くれているとほっとした。
その最後の巡回さえも終わって病院内がしんとしてしまうと、一人で不安に耐えるしかない。
6つの管のうち、とりわけ苦痛だったのが、寝たきりで血行不良になるのを防ぐために
足に巻き付けられたマッサージ装置だった。痛みなどあるわけではないのだが、自分の
意思とは無関係に、強制的に時間を置いて足が締め付けられる・・・その規則的に
やってくるというのがひどく苦痛だった。
点滴の中身がなくなっていないかしら、などと余計なことも心配したり。
最初の夜の明けるのの長かったこと!・・・・・・

今は病院では概して手術後の患者をできるだけ早期から体を動かすようにさせようとする。
その方が、患者の自立と回復が早いからだそうだが、私の体についていた6本もの管類も
翌日にはほぼとれて、院内をできるだけ散歩するように言われた。

ただ・・・、手術前日の夜から絶食状態に置かれていたため、普段からさほど体力がなく
胃が空っぽになりすぎると気分が悪くなり、また臭いなどに神経質でもある私は、
術後食事ができるようになっても、おかゆなどの病院食の匂いが耐えられず、ものが
食べられない。水分補給は絶対なので、経口補水液などこまめに飲むように看護師さんに
言われるのだが、それらの飲料の人工的甘味料の味にも吐き気を催してしまい、
とにかく3日ほどは吐いてばかりいた。吐くものがなくても吐く。

吐瀉袋を常に持ちながら院内をふらふら歩く。
すると、病院の長い廊下が恐怖。一種の圧力を感じてしまうのである。
とりわけ、エレベーターホールまで来ると、胸が苦しくなって大きく喘いでしまう。
(エレベーターそのものの中では別にパニック起こしたりしない。)
おそらく、それは、手術当日、担架台に乗せられていよいよガラガラと手術室のある階まで
エレベーターで運ばれて行くときの恐怖感が、意識下でトラウマになっていたからだろうと思う。
そのエレベーターも、通常の患者・見舞客用のものでなく、担架専用の無機質きわまりない
暗いものであったので。

麻酔の後遺症でもあるのか、手術後しばらくはこうした精神的不安定が続いた。
トイレで激しく吐いているとき、看護師さんが来て背中を撫でてくれたのだが、その声が
またあの憂わしげな小鳥の声のような娘の「ママ!ママ!」という呼び声に錯覚されて、
『ああ・・・今日は仕事で来られないと言っていたはずだが、来てくれたのか・・・』と思って、
あとで居るはずのない娘の姿を院内に探したり。こういう幻聴は時々起こった。
退院後外に出ると、遠くの信号機の明かりが4重くらいにダブって見えたり、自分の脳髄が
歩くたびにゆらゆら揺れているように感じたり、自分の意識が体から離れているような
変な感覚にとらわれたり、向こうから来る自転車のスピードが怖かったり、とにかく
しばらくはそうした知覚異常や身体で感じる恐怖、精神の動揺が続いた・・・

食べ物、と言えば、麻酔から覚める前に見ていた気楽な『胡瓜が出てくる夢』(苦笑)は、
おそらく術中めちゃくちゃ喉が渇いていたからであったろうと思う。胡瓜のような
みずみずしい食べ物を必死で求めていたのだろう。
3日間ほど食べ物を受け付けなくて病院食にほとんど手をつけられず、看護師さんに
何でも食べられるもの買って食べてもいいですよ、と言われて、院内にあるコンビニまで
ふらふらと行って、食べられそうだと思って買ってきたものもいざ病室で食べようとすると
むかむかして受け付けない。娘が見舞いに来て普段私の好きなもの見繕っては買って
きてくれるのだけれど、それも悲しいことに食べられない。
一番いやだったのが、一番必要な経口補水液であった!
(あの不自然な甘い味、なんとかならないものかな。甘くない薄い塩味だけとか、
さっぱりしたお茶風味などの経口補水液もあっても良さそうなものだが。どうせ人工的に
合成するのなら。)

それで。弱り切ったわたしにとって文字通り起死回生の、言わば、『マナ(神がくだされる
食べ物)』になってくれたものは、院内のコンビニで見つけた小さなパック入りの
カットスイカだった!
不思議なことに、その日だけ、シーズンに先駆けて試験的に置いてあったものらしい。
翌日にはもうなかったから。
『今日はカットスイカないですか?あれだけ食べられたんで』と私ががっかりして訊ねたら、
『すみません・・・昨日だけ試しに置いてたんで今日はないんですよ』とお店の人は
言っていた。
ところが翌日には仕入れに反映されたのか、次の日あたりから常時置かれるように
なっていたのには感謝だ。コンビニ『F』偉い!

夢にまで出てきた胡瓜。そして現実に起死回生の食べ物になってくれたスイカ。
人工物でない、みずみずしい生の季節の食べ物のありがたさよ・・・。
これもほんの一時期だけコンビニに置いてあったブラッドオレンジのシロップ漬けも
ありがたかった。
その後ぼちぼち院内食も残さず食べられるようになったが、それでも『酢の物』の
ある日は嬉しかったなあ。さっぱりしたものが病人は食べたいのだ。
一番いやだったのは、何度も言うようだが不自然な甘みの経口補水液と(苦笑)、
脂の浮いたような、いかにも新鮮でない臭いのある魚の献立だった。


                ***


個室に入るほどの経済的余裕はないので、6人部屋にいたのだが、
聞き耳はたてていずとも、他の患者さんたちの話は耳に入ってくる・・・
見舞客との会話、そして暇をもてあました患者同士の会話・・・・・・。
一番切実なはずの癌という当の病気への不安の話はなぜかあまりしていなく、
経済的なことや『家族内での病人への無理解』への切実な訴えが身につまされた・・・。

専業主婦であるらしき中年女性が同室の患者さんに漏らした愚痴だったが、ある日
『もうこれまでいくら病院代がかかってると思うんだ!』とご主人が言ったという・・・
(割合こまめに見舞いに来て、奥さんと会話を交わすご主人の声音は一見穏やか
そうなのだったが。)
もちろん人にもよるだろうが、男性の方がこうした言葉を無造作にするっと女に対して
言いがちな気がする。それも別段の悪意も無しに。
仮に、女の人が働き手であって、男の人が病気で入院を繰り返したりした場合、
女は同じ台詞を男の人に言うだろうか??
まず、十中八九、口が裂けても女はそういう言葉は口にすまいと思うのだが。
こうした男の人の無造作、言ってみれば無神経な言葉への女の人の嘆きは、別の病院の
待合室でも聞いたことがある・・・
それは、病院という場に限らず、昔からあらゆる場で、女たちが耐えてきた理不尽、で
ありつづけていはしないだろうか?

病院は、世間と一応切り離された世界ではあるのだけれど、またある意味で『世間の縮図』
のような場所でもあるのだなと思わざるを得ない。
家族・友人・知人・・・たくさんのひとが賑やかに見舞いに来る患者さんもいれば、
誰一人見舞客のない人もいる・・・・・・どちらがいいとは単純に言えないけれども。
私は性質が生来無口なので、いろんな患者さんと言葉を交わすということはほとんど
なかったけれど、廊下や談話・面会スペースですれ違う人びとの、それぞれの抱える
人生の重さを感じずにはいられなかった。
まだ若い、働き盛りの男性が、パソコンを使える場所で真剣になにか書類でも作成している
様子なのや、立派な紳士がひとり廊下の端に置かれた肘掛け椅子に深く座って
東京湾の眺めをじっと見つめていたり・・・。

『わたしは・・・我が家は・・・いったいどうなっていくのだろう・・・』ということも含めて、悲しい
気分にならざるを得ない。
とりわけ、見舞いに来てくれた娘がまた仕事に帰っていくのを、『ここからなら駅に向かう
その姿が見えるな』という窓を探し当てて、その病院の窓からそっと見つめていたとき。
彼女自身体の調子が悪いのを押し隠して私の病院に来る。
その疲れた足取りを見ていると、せつなくてすまなくて愛おしくて涙が出そうだった・・・・・・



               ***



手術前後をふくめて都合8日で退院させられるのだけれど、患者にとって何が一番心強かった
かといえば、病院にいれば担当医の巡回があること。看護師さんにいろいろ訴えられることだ。
退院してしまうと、それがない。
何が心細いといって、退院させられてしまえば自分の体調が回復過程の正常な範囲内に
あるのか、それとも異常なのかなどということが素人である病人にはわからないことだ。
この傷口の赤い腫れが大きくなったように思えるのは異常事態なのか?どこか内部で
新たに出血しているのではないか?このぴりぴりとつれる感じは、私が特にひどいのだろうか、
エレベーターホールでの恐怖心理は一過性のものなのか、それともずっと続くのか?
などなど・・・不安でいっぱいのまま患者は病院を出て行く・・・。

実は私は、退院の夜を、同じ都心のホテルで過ごした。
家にまっすぐ帰るのが不安だったのである。
まず第一は、病院から2時間近くかかる帰路の乗り物に、体力的精神的に耐えられるかな、
という自信がなかったこと。
第二に、実はこれが一番の正直な感情だったのだが、そしてそれは我が儘といえば
我が儘、気儘といえばこれ以上の気儘はないのだけれど、なんだかな・・・
『日常』に直に戻っていくことへのいわく言いがたい悲しみがあった・・・。

といって、もちろん病院にずっといたいわけではない。
しかし、はや一週間で慣れてしまった病院でのルーティーンが不思議になぜか恋しいのである。

そうだなあ・・・その心理は、妙なたとえだが、ストックホルム症候群というものに似ている
かも知れない。銀行強盗などの現場に居合わせてしまって、周囲は警察に包囲された
状況で、強盗と共に閉じられた空間で過ごすうち、人質が犯人に妙な親近感を抱くように
なってしまい、その一時的に置かれた異常な環境さえもをなぜか、外の日常よりも
ときに親しく思うようになってしまうことがあるというあの異常な心理のことだ。
(言うまでもないが、銀行強盗などの犯罪は悪である。)
しかし、 そういうストックホルム症候群のような心理が人質に起こってしまうのも、それは
一種の防衛本能であるという。自分の命を守るために、そのときそのときの状況に自分を
合わせていく心理は。
同様に、健康なとき、『自宅と病院のどちらがいいか』と訊ねられて『病院がいい』などと
答える人は少ないであろうが、自分の健康に危機を感じたとき、より自分を守ってくれる
病院という環境の方が安心であるという心理もまた理解できるものであろう。

とまあ、いろいろ書いたが、要するに私は家に帰って、体調の見極めも含め何もかもを
自分でやらねばならないのが不安であったのである。そして、家に帰ればまたどっぷり
『主婦』の気分に戻ることが。主婦に休息はない・・・のが。
つれあいは、なんだかんだで、私の入院手術の前後3ヶ月は施設に入っていてくれたので、
家に帰ってもその世話や食事の支度がすぐに戻ってくるというわけではなかったのだけれど、
家に帰れば誰もいなくとも細々とつい動いてしまう自分がわかっていた。

家に帰るまでにワンクッション置きたい・・・それは結構切実な願いだった。それで、
娘も勧めてくれたので、急遽その日の夜はホテルに娘と二人で泊まることにしたのだった。

これは大正解だった・・・。



東京の夜(2)



なんともいえない大都会の華やかだけれど寂しい夜景・・・
時々刻々なにか模様が映し出され色が変わっていく夜の観覧車を飽きず眺める。
そう言えば、病室の窓からも東京タワーとスカイツリーが両方見られた。
基本的には差額ベッド代のかからない6人部屋ではあったが、窓際のベッドだけは有料で、
私はそこに居た。
毎晩、窓ぎわに立って、ライトアップされた二つのタワーをこれも飽かず眺めていたっけ。




              ***



















『此岸と彼岸の間で ①』


・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・なにやら夢を見ていた。
どんな夢だったか覚えていないのだが、とても体が気持ちよく、なにやら暢気な気分の
楽しい夢だった。
・・・きゅうりが出てきたような。
きゅうり? そう。あの『胡瓜』だ。

その夢から覚めかかったとき。
つい先ほどの、あの気楽さ、心地よさは何だったのか!と思えるほどに。痛みが一度に襲ってきた・・・

体のあちこちが圧迫されて、そして息ができない!!!
体が暗い深い穴に引きずり込まれるような、不快感と恐怖だ・・・
そう。例えるならば、自分が黒々とした深い深い穴に今しも生き埋めにされつつあり、既に
体の大部分がずっしりと重い土に埋められており、土は今、顔の上にも積もり始めていて、
目も鼻も覆われ・・・
かろうじて口の周りだけがわずかにまだ土のかけ方が浅く、そのわずかな隙間から
空気を求めて、必死で喘いでいでもするような。

必死でもがいていた。
苦しい。そして全身がとにかく鉛のようにもう重く動けない・・・とりわけ、胸の上が。

ぼんやりした意識が徐々に戻ってくるにつれ、自分がそうだ、肺一部摘出の手術を受けたのだ、
という状況が認識されてくる。
一応手術は成功し、自分は生きてはいたのだな、ということも。

しかし。同時に、

『ああ・・・死ぬとは、こういう痛みと苦しみを経るのだな・・・』とも思った。

この世からあの世へ行く・・・、
それは弱って薄れていく淡い意識の中で自然にスムーズに移行するものなどではなく、
そこには苦痛と絶望と恐怖を伴う大きな大きな断絶があるのだということが。
本当に朽ち木が自然に倒れるように死んでいく老衰死以外のすべての死は、
この苦痛なしでは行われないのだろうな、と。


いろいろな現実が一時に、くっきりとした認識として押し寄せてきた・・・
このたびは私は生きていたけれど、本当にいつか癌で死ぬまでは、このような苦しみを
何度か味わわねばならないのだろうということ。
その度に、自分ももちろん苦しいが、娘たちなど家族に、経済的にも心理的にも身体的にも
負担をかけ続けるのだろうということ。それを何度も繰り返すのだろうということ。
それならば。
家のいろんなことなどまだ伝えきっていないことなどやり残したことはたくさんあるけれど、
私が今死ねば、つれあいの介護などの一切は娘の肩の上にかかってくるのだ、ということは
わかってはいるのだけれど、つれあいの介護と私の看病という二重の負担を娘に
かけるくらいならば、そしてそれがこれからいつまで続くのかわからないくらいならば・・・・・・
私が今、このまま死んだ方がましなのではないだろうか・・・。

入院手術前、
『娘のために生き抜かなきゃ。やり残したこと、気にかかることが山ほどある。
つれあいの介護を含め、私でなきゃできないことが山ほどある。
まだ死んでなどいられない。』
手術前に、気丈にそんなふうに思っていたことなどどこへやら。

『もうこのまま死なせて!この苦しみから解放して!』
『これが癌と戦う、ということなのなら。これがこの後も続くのなら。このまま死なせて』

痛みとともに覚醒しつつある意識で、そう絶望しながら思った・・・・・・

・・・・・・・・・
これらはおそらく、数分の内に、いやもしかしたら数十秒くらいの内に私の意識の内で
起こったことだ・・・
・・・・・・・・・


そのとき、頭の上で、
『ママ!ママ!・・・・・・』
と呼ぶ優しい声がした。

それは、なんというか、ちょっと言い表せないが、そう・・・。この上ない優しさと悲しみに満ちた
小さな小さな小鳥の鳴き声のような。



                ***



『キャンドル・ナイト 91』



91回目のキャンドル・ナイト。


『キャンドル・ナイト 91 -3』




今夜は、裏の川辺を散歩して摘んできた野の草たちをキャンドルに添えた。




『キャンドル・ナイト 91 -1』



風草、エノコログサ(ねこじゃらし)、セイタカアワダチソウ、マルバルコウソウ、
ヨメナ(それともノコンギク?)、イタドリ、アメリカセンダングサ・・・、そして
先月も登場したワレモコウ。これは、家にドライフラワーとなって残っていたもの。


あるものは要注意外来生物と見なされ(イタドリなどは逆に日本などアジアから欧米に渡って、
その繁殖力で嫌われ者になっている)、あるものは引っ付き虫と呼ばれて嫌われ(確かに
種子は刺さると非常に痛い!)、
どれも川縁や道ばたのどこにでも繁茂して目をとめて見られることも少ない植物たちだが、
あらためて一つ一つをよく見れば、なんて美しくそして生命力に満ちていることか。
ああ!なんと可愛いブーケになったことだろう・・・






キャンドル・ナイト 91-4




これらはこんな道に生えていたものたちだ・・・

この川べりの道を、一度だけ、一緒に歩いた可愛いこがいた・・・


クウーちゃん。
今夜のキャンドルとささやかな野の花のブーケは、あなたに捧げよう・・・・・・







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『キャンドル・ナイト 90』


90回目のキャンドル・ナイト。

思えば長くやってきたものだ・・・



東日本大震災の折りに灯し始めたろうそくだけど、あれから7年半。
この国は良くなってきているだろうか???


北海道を襲った震度7の地震。
犠牲となられた方々を想い、静かに頭を垂れる・・・・・・








『キャンドル・ナイト 90』



・・・苛烈な夏だった。







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『キャンドル・ナイト 89』



『キャンドル・ナイト 89 ②』


89回目のキャンドル・ナイト。
どんなしつらえをしようかと思って、真夏らしく、小さな貝殻などと並べてみたりも
してみたが、今の自分の気分にはそぐわない。
ストレートに、一本の小さなろうそくをテーブルの上にただ置いて灯してみた。
つやつやしたテーブル板に、ろうそくの灯が映り込んで、思いがけず美しい。

ストレートな、理屈抜きの、喜びや悲しみ、そして不公正に対する怒りの感情・・・・・・
今欲しいのはそれだ。
上滑りの虚飾の言葉や無用の忖度まみれの社会の虚しさにほとほと嫌気がさした。

翁長沖縄県知事の訃報に絶句する・・・
彼の人の命を削った戦いを、右だの左だの保守だの革新だのと色分けすることができるか!
それは、人間の基本権をかけた壮絶な戦いであった。

理屈抜きに、政治による抑圧と権利簒奪の歴史の、そしてそれは私を含めた本土の人間による
無関心と無知から来ているのだが、この長い長い沖縄への差別、不公正はおかしいだろう?!
理屈抜きに、福島第一原発事故を起こしたこの国で、再び再稼働や原発輸出の動きが進むこと
自体が、あり得ないだろう!
理屈抜きに、あの悲惨な広島・長崎の原爆を経験したこの国の政権が核兵器禁止条約に
露骨に後ろ向きなのはおかしいだろう?
理屈抜きに、一国の政治を預かる者が政治を私物化する状態、そして誰もそれに物言えぬなんて
おかしいだろう?
理屈抜きに、時の政権のつまらぬ私的な事情に側近も官僚も大臣も国会議員たちも・・・、下手を
すれば司直までが忖度して、公文書が隠蔽、改竄されても誰もそれを徹底的に追及、訴追できない
ばかりか、その改竄された文書を元に国会で議論が行われ、さらにそれを元に国会議員を選ぶ
国政選挙が行われ、その結果を根拠に現政権は存続し続けているのに、それが糺されもしない
なんて、狂ってるとしか言いようがないだろう?!


こうしたことをおかしいと言うことに、右も左もあろうか!
間違っていることは間違っているのだ。
それを『間違っている』『おかしいだろう?』と言えなくなる社会の到来を、本当に私たちは
望むのだろうか?????!!!!!












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心ひとつに キャンドルナイト








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『キャンドル・ナイト 88』




三日遅れになったが、88回目のキャンドル・ナイトだ。




皆さん。彼岸花、どうにか戻ってきました・・・・・・

留守中、応援をくださった方々、そっと見守っていてくださった方々に、こころからのお礼申し上げます。

今、手術で思いの外に失ってしまった体力を取り戻すべく静養中。
ブログ復帰は、もう少しお待ちくださいね。




CIMG8251.jpg




昨年の秋、娘夫婦に連れて行ってもらった北陸の海で拾った貝の中に、いつもの小さな
ろうそくを立ててみた。
・・・もうあれから一年近く経つのだなあ・・・・・・

なんといろいろなことがあるものだろう・・・・・・

西日本広域をおそった水害のひどさには絶句する。
なんと言って哀悼と慰めの想いを伝えたらいいのか。
自分の体力が弱っているときだから余計に、過酷な今を耐えつつある方々のつらさに、想いを
致してしまう・・・・・・






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『キャンドル・ナイト 87』


入院・手術を控えて、心静かに過ごしたいものだが、毎日何か彼かの用事があって
大事な日々が慌ただしく過ぎていく・・・・・・

あまりにもひどい政治のありさま・・・。
世の中を憂える気持ちと、家族や自分自身の暮らしのことと・・・こころが晴れないが、
それでも平常心は忘れまいとはしている。

心慰められるのは、やはり、愚かな人間の思惑や世の動きなどに関係なく時節が来れば
毎年移り変わり繰り返されていく自然の動きを知るときだなあ。

今年もまた、ホトトギスは訪れてくれ、胸苦しさに眠れずにいる夜をその哀切な鳴き声で
慰めてくれる。
毎年ホトトギスの記事を書いているけれど、2年前の5月29日の記事に載せた崇徳上皇の
ホトトギスの歌は、今年なおさらにこころに沁みる…

ほととぎす夜半に鳴くこそあはれなれ闇に惑うはなれ一人かは


850年…それ以上も前に生きていたひとりのひとの魂と、心が触れ合うことへの言い難い
懐かしさと不思議さ…

その時の記事の一部。

ああ…いいなあ……

『なれ一人かは』の『かは』は反語的表現の助詞である。
闇に惑うのはお前一人なのか、いやそうではない、(私もまた…)
と、自分の想い自分の孤独を重ねているのである…

崇徳院。保元の乱で讃岐の地に流され、二度と都に戻ることは無かった…
恨みを抱いて死んで、『怨霊』として描かれることもあるけれど、私には
この地上に、かつて在った、孤独なひとりのひと、でしかない…

配流の地で、深夜、一人聴くホトトギスの声。
その声は、そのさびしい胸の内にひときわしみじみと響いたことだろう…

文学というものの素晴らしいところは、時空を超えて、一飛びに、見知らぬひとの魂と
結びあうことができることである…
ここにもひとりの『孤独な魂』が……、という、
しみじみとしたひとりのひとへの共感と、人の世のはかなさへの同調の想いを抱く…

また、言葉の通じぬ一羽の鳥、姿さえ見ることのできぬ一羽の鳥と、
生きとし生きるものとしてのなんともいえぬ淡い魂の交感をすることでもある…

それは、とてもとても寂しいのだけれど、なんとも言えない幸せな感覚でもある。』






今年もまた、我が家の梔子の花が咲いた。一輪切りとって、小さな花瓶に挿しておけば、
その香は家中に漂う。たった一輪の花が!と驚くほどの香気だ。




梔子 2018




かわいそうに。ちょっと写真を撮るタイミングが遅くなって花の盛りを過ぎてしまっているが、
この子とも一期一会なのだ。記録に残しておいてやろう。
香りはむしろ増している・・・




キャンドル・ナイト87


さて。今月のキャンドル。
6月の雨のような色の丸いガラス器にいつもの小さな蝋燭をともす。

新潟県知事選で、自公の推薦候補が勝利。
新潟の人々はこれまで選挙戦を頑張ってきてくれていたのだがなあ・・・。

今の政権の醜さへの激しい怒りは沈潜して、悲しみしかない・・・
森友・加計学園問題の一切の本質は何か。一国のトップである安倍氏による
政治の醜い私物化と権力の乱用、その一言である。そしてそのトップの恥を知らぬ政治倫理が
政治機構そのものや公文書などというものへの信頼など大事な世の秩序といったものを
破壊していき、世の中をどうしようもなく土台から腐らせていくことへの罪である。
麻生氏の、これも醜いとしか言いようのない驕り高ぶった暴言なども、そこから派生した
枝葉だ。
安倍氏の責任と罪がなぜもっと追求されない???!!!

もうすぐ日朝のトップによる会談だ。
これが失敗することを手ぐすね引いて待っている向きもいるようだが、おかしなことだ。
一年前の、何をしでかすかわからない政治家二人の悪意の応酬がもたらす一触即発の危機と、
時間はかかるかもしれないがまずは互いを知ることから融和を進めていくこととどちらがいい?
日米中露など大国に蹂躙翻弄され分断された朝鮮半島の歴史を知れば、日本などが
あれこれ口出しして足を引っ張る権利などどこにもないはずなのだが。



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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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