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『新年のご挨拶 ’21』




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みなさま。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。





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『クリスマス’20』


クリスマス。
キリスト教徒でもないのですが、子供の頃から、クリスマスが近づくと
なにかそわそわし、心が弾む気のする私です。
昨年夫が亡くなり、そして今年はこのコロナ禍で娘たちとも会えず一人寂しい
クリスマスではあるけれど、クリスマスらしいことはしてみました。


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今日25日の朝のおやつタイムに。
毎年しほさんが送ってくださる、手作りクッキーを、いただいたコーヒーと共に
楽しみました。


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12月に入って間もなく、こんなおしゃれなラッピングで届いたものです。
クリスマスまで大事にとっておきました。


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こちらは、やはり12月半ばにクウーママさんに送っていただいた美しい林檎たち。
毎日一個を半分づつ、すりおろし林檎にして朝食の時いただいています。
林檎をすりおろし林檎にして食べるのって、実は私が子供の時からの、
そして娘が小さかったころからの、わが家の元気づけ食なんです。
私が高熱など出すと、母が乏しい家計の中から林檎買ってきて、すりおろして
食べさせてくれた。ぽっぽと熱いからだに冷たい林檎がどんなに美味しかったことか。

今、気持ちの上で、なにかこうした食べ方がしきりにしたいのです。



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昨夜、クリスマスイブには、チキンレッグを買ってきて、一応ディナーらしきものを
いただきました。チキンに添えているのは、芽キャベツとズッキーニのグリル。
じゃがいもと玉葱とパセリのホットサラダも添えます。
生ハムとミニトマトの、こちらは冷たいサラダ。
きゅうりと大根、パプリカ、ニンジンのピクルスも作ってあったので、それも
出しました~。
そう上等なのではないけれど、イタリアワインの赤を、久しぶりに飲みました。
つれあいが逝ってから一人ではお酒など飲む気分ではなかったし、娘たちも
コロナで一緒に食事などしていないので、お酒はほんとに久しぶり。
このくらいの量を二杯飲んだら、結構いいきもちになっちゃった!><

南亭さんのサンタさんイラストを今年もダウンロードさせていただいて、
小さな額に入れて飾っています。^^

クリスマス飾りは、近年毎年、このガラス器の中に豆電球を灯すものだけ
にしています。


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これ。実は、古道具屋さんでずっと前に買ってきた電灯の笠。
中に、赤、緑、黄色、青のLED豆電球を入れると、こんなに綺麗な飾りになるのです。
時間につれて色変わりしていくのがとても静かに心楽しい。

コロちゃんには、カツオのたたきを奮発。といっても、ほんの二切れくらいを
細かく刻んでやるんですけれどね。



・・・・・・こんなふうに、ひとりでも、友たちの温かい差しれなどで、心楽しい
クリスマスを過ごすことが出来るのが本当にありがたく、感謝、です。

ブログの友たちと、地元の九条の会の友たちと‥‥・・
ともすれば一人で閉じこもりがちな私にも、こうやって心遣いをしてくださる
方々がいてくださること。
ひとのこころのありがたさというものを痛感する年の暮れです。
ありがとうございます♪



              ***



そうそう。
先日のコロちゃんマスクが出来上がりましたので、もう一枚と、忘れないうちに
載せておきます。可愛いでしょう?


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皆さん、メリー・クリスマス♪

ずっと以前アップしたものですが、私の子供の頃のクリスマスの、ちょっと
悲しくてちょっと滑稽な思い出を。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-47.html

  

『身の回りの自然 ’20 10月11月』


こういうブログ記事というものも、時が過ぎゆけば時宜遅れになってしまって
アップのチャンスを失ってしまうものである。
もっとこまめに日々の出来事、日々の想いを都度アップしたほうがいいのだが
そういつも思いつついったいいくつ書かないままに過ぎたことが多いことだろう。

日本学術会議のこと、アメリカ大統領選のこと、コロナ再拡大のこと…
気がかりなことはたくさんあるけれども、とりあえず、直近の自分の暮らしの
ことを、また書いておこう。
政治・社会のことを書こうと思うと、私の場合それにすごいエネルギーと時間を
使ってしまい、あれもこれも書かなきゃ、というそれがボトルネックになってしまって
そこで詰まりを起こし、ごく普段の記事さえ書けなくなってしまうのである。
自分に体力のあった時ならその狭いボトルネックをぐぐっと押し広げて他の記事も
書くエネルギーも時間もあったけれど、今の私は自分の余命、余力と時間との
競争の中にいる。コロナ蔓延は、まだかろうじて体力のあるその貴重な時間を
さらに奪ってしまったし。

せめて楽しいことを書いて、楽しい気分になるべぃな。


さて。
私は、また、猫のコロの刺繍入りマスクを作っている。
ちょっとまたご紹介しましょうかね。


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元になるコロの写真を選んで、基調にする刺繍糸をそろえていきます。
なんだかんだで、茶系の糸や純白、黒、グレーのなどを20色くらいは使って
いくのかな。


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下絵を鉛筆で描いて、最初の一針を刺していきます。



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コロの虎斑模様の目印となる濃い茶色を先に刺していくことにします。



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淡い茶色から様々な茶系のグラデーションを刺していく。
実際のコロは、毛色がそう判然と分かれているわけではないし、毛がふわふわして
いるのを表現したいので、何回も色を刺し重ねたところもあります。



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目をざっと刺し入れます。
細かいところはあとで全体を見ながら。



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ほぼ完成。あとは、ひげを刺すだけです。
もっと写真通り黒目勝ちにして優しい表情にしてやるかな…

これからアイロンをかけると、刺繍がぴしっと綺麗に収まります。




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猫にも眉毛やまつ毛らしきものはある。
それを刺して目に輝きを加えると、はい、刺繍の出来上がりです。
あとはこれにガーゼの裏をつけてマスクに仕上げる。^^



さて。
私のこの頃の朝は、この一杯で始まります。


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クウーママさんに送っていただいた麦芽水飴と生姜で作った『飴湯』。^^
生姜の薄切りをことこと煮て、麦芽水飴を入れた生姜シロップを、お湯で薄めた
温かい飲み物。仕上げに生姜のしぼり汁も入れる。
朝ごはんを食べるより何より先に、この温かい飲み物を少しづつすすりながら
朝刊をゆっくり読む。(コロちゃんが邪魔しに来て新聞に飛び乗りますけどね)
こころ落ち着く幸せなひとときです。

実はこの飴湯。(夏は冷やして『冷やし飴』となる)は私のとても懐かしい飲み物です。
子供の頃、母と銭湯に行った帰り、小さな食堂などでこの冷やし飴を飲ませてもらった。
貧しい母子のささやかな贅沢の一つでした。
でも、きりりと冷えた美味しい生姜味の飲み物を飲む私を優しく見守るだけで、
母自身はきっと飲んでいなかったんだろうなあ…涙、だ。

クウーママさん。ありがとうございます!


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夜になると、この子が台所の窓に現れます。
先日紹介した大小のヤモリとはまた違う子のようです。あの子たちはもう出てこない。
この子はとても小さくて、しっぽの先まで入れても7、8センチくらいしかない。
手などぱっと広げていても5ミリもありません。
ヤモリは温かいところで冬越しをしながら、10年は生きる子もいるというけれど、
こんなに小さい子、ちゃんと冬ごもりしたり脱皮など出来るのだろうか。
季節は11月。この窓で待っていても、もう餌になる虫もそうそうは見つかるまいに。
心配になります。



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10月下旬から11月にかけての東京は、青空の美しい日が多かった。
私も外に出て、久しぶりに写真を撮ります。



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どなたか、川べりの空き地を耕して、季節季節の花を植えて美しく手入れして
くれている人がいます。

小春日和の温かい日差しの中、夢中になって小菊などの花粉に集まる虫たち。




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私も、大好きな小菊の花粉の香りにうっとりします。
花びらの香ではない。花粉の香りです。懐かしいどこかひなびた香り。



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ホトトギスの花。


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コロがよく遊んで、喜んで葉っぱをがじがじ噛んだりもしていた猫じゃらしも美しく紅葉。



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見上げれば、素晴らしい青空と銀杏の黄葉。




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我が家の庭に、一年の最後に咲く、小さな小菊の花。




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コロよ。
君と、おにいちゃん、おねぃちゃんと、出来るだけ長く元気で暮らせるといいな。




『灯台によせて』

日本では『Go to~』とやらで、お国がかりの『外出しろキャンペーン』が行われて
いるけれど、欧州を中心にコロナ感染者数は拡大、フランス、イタリア、イギリス、
ドイツ、ベルギー、などで再び外出規制がかけられるという。
『日本は大丈夫なんだ、ヨーロッパのようにひどい感染拡大はない』というような
不思議な『日本不敗神話』が人々の心にどこかしらあって、どんどんコロナウイルス
への怖れというか注意が緩んでいっているようなのが、これから本格的寒さに
向かう中、大変に心配である。

気の滅入るようなことばかりの中、少しまた私にとっての『美しい、楽しい』記事を
書いてみようかな。

          ***


11月1日。
今日は『灯台記念日』なのだそうだ。今朝の天声人語の記事で知った。
明治元年、11月1日。日本初の洋式灯台、静岡県『観音埼灯台』が起工されたことに
ちなむという。

実は私、隠れ『灯台ファン』である。隠れ『鉄子』であるのと同時に。
なぜ「隠れ」とつけるかというと、灯台も鉄道旅も『ファン』と名乗るほどの経験も
知識もないからで。
灯台も、実は間近に見たことは無く、3年前、娘婿の仕事の関係で、金沢から能登半島
への旅を私もさせてもらった時、能登半島の最先端にある禄剛埼灯台を見たのが
生まれて初めての灯台経験だったくらいである。


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禄剛埼灯台(ろっこうさきとうだい)は、石川県珠洲市に位置する灯台。
1883年(明治16年)に初点灯。イギリス人の設計による。
通常の灯台は、レンズを回転させることにより光を点滅させるが、この灯台では、
レンズを固定し灯火の遮蔽板(しゃへいばん)を回転させることによって点滅させている。
歴史的・文化的価値の高さから、Aランクの保存灯台に指定されているほか、
「日本の灯台50選」にも選ばれている。(Wikipediaより)

海抜50メートルほどの断崖の上にあり、この灯台を見るには、最寄りのバス停から
7分ほど小草の茂る小道を登っていかねばならない。



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能登半島は、ここで内浦と外浦に分かれるという。
なるほど開けた爽快な眺めだ。

『能登半島の最果ての地、ここ禄剛埼周辺海域は古くから海難事故が数多く、
北回り廻船の要衝を占める地として宝暦6年(1756年)に焚き火常夜灯設置の
要望がなされ、背後の山伏山の一角に灯明台を築き、火皿に油を浸し、火を点じ
海難防止を図っていたと伝えられている。』

公益社団法人『燈光会』さんのホームページより引用。
https://www.tokokai.org/history/history14/

なるほど。それで、この灯台は通称『狼煙の灯台』と呼ばれているのだな。



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時は夕刻。西のかたを見れば美しい夕焼け。



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しかし目を転じて東や南のかたを見れば、まだ明るい空と海だ。




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遮蔽版が回転して、緑色のレンズが見える。

・・・ああ・・・いいなあ・・・

こうやって写真を見れば、あの時の旅の記憶が今でも鮮やかによみがえる。
灯台の明かりが点灯され、しかし夕焼けが海にまだ残る微妙な頃合いを見計らって、
草の道をはあはあ言いながら登ったのちに、この灯台の姿を見たときの感動を。

「灯台があるの?見たい見たい!!」と言った私をここまで連れて来てくれた
お婿さんと娘に感謝だ。



    ***


そもそも、なぜ私が灯台好きになったかというと、やはり、灯台守とその家族の歴史
を描いた映画『喜びも悲しみも幾年月』、とその主題歌の影響が大きかったと思う。
昭和32年というと、私が10歳の時だ。
少女の私はこの歌が大好きで。
若山彰さんのこの声は、私が男性の歌声としてベストの一例として挙げたいくらい
いい声だなと今でも思う。






夏の嵐の日も冬の雪の日もひとり雄々しく立つ灯台のその『孤高な』姿ももちろんだが、
そこには『灯台守』という管理者が多くは家族と住んで、来る日も来る日も航行者の
安全のために働いているという、そのイメージが子供心にも強く訴えたものだ。

しかし、灯台守のいる灯台はどんどん少なくなっていって、2006年に女島灯台が
無人管理となったのが最後だったという・・・・・・

灯台守の暮らしに興味のおありのかたは、上記と同じ燈光会さんのページをどうぞ。
https://toudai.uminohi.jp/column/%E7%81%AF%E5%8F%B0%E3%81%AB%E6%84%9F%E3%81%98%E3%82%8B%E7%81%AF%E5%8F%B0%E5%AE%88%E3%81%AE%E9%9D%A2%E5%BD%B1/




また、私がいたく惹かれるのが、『霧笛』という言葉とその音だった。
霧笛。フォッグホーン。
これも、少女のころ聞いた歌謡曲の歌詞のイメージが、そういう心性を育てたかなあ・・・
『霧笛が俺を呼んでいる』とか、歌詞の中に霧笛がむせび泣く、というような言葉の
含まれる歌を聞いて育ったから。

霧笛。
霧の濃い夜は、灯台の明かりも沿岸を航行する船に届かないことがある。
そうした船たちが座礁などしないように、岬の灯台や霧信号所が陸の位置を
知らせるため『霧笛』を鳴らしたのである。

しかし、現在は、舶用レーダー、全地球測位システム GPSなど、航海計器が
普及したことにより、国内の灯台の霧笛、霧信号所はこれも徐々に減っていって、
2010年3月末に、全国に残っていた5か所の霧笛は全廃された。

その一つ。小樽、高島岬に建つ日和山灯台の最後の霧笛の音を聴いていただこう。






・・・ああ・・・
なんという哀切を帯びた音であろうか。
たまらん、です・・・・・・





さて。灯台…陸側の霧笛はこうして歴史の中に消えていったけれど、
実は、船同士も他船との衝突を回避するために霧笛を鳴らす。号鐘とともに,
船の種類,航行・停泊の状況などによって,長音,短音,音の間隔などの
組み合わせが定められているという。
私はこの、船同士が交わす霧笛の音にも聴いたことは無いのに心惹かれ、
何回か記事にしている。
その一つ。港で大きな豪華客船同士が交わすフォッグホーンメロディの記事を
紹介しよう。

どくだみ荘日乗『地球号という船に乗って』



この記事も、私自身の数多くの記事の中でとても好きな記事である。
そこで私はこんなことを書いている。

『この船の人々の楽しげなこと!
今、船と船がすれ違うこの瞬間、人々はほんとうに、国籍も人種も言語の相違も関係なく
同じ船上の、同じ地球の海の旅人同士として、こころを温めあっています。

この一つの船の上で、人々は戦争をするだろうか。小さないさかいはあっても。
この一つの船の上で、人々は核兵器を使うだろうか。
そんなことをしたら、船は沈んでしまいます。
このお互いを讃え合う船と船が、ミサイルの撃ち合いをするだろうか。

…よく、地球のことを『宇宙船地球号』などという言い方をする。
宇宙から地球を見た映像を見ると、本当になんと地球は美しい奇跡の星だろうか!
といつもいつも私は思います。
美しい水の星、地球…
ここに、あなたも私も、みんな、今、束の間の生を生きています。
それは二度と巡りこぬものです。

なんで、ここで戦争をするだろうか!
なんで、この奇跡の美しい星を、穢して平気だろうか!……

人間と人間が、生物としての素の一人一人に立ち返ってみたら、
赤児のような初々しい目でこの世のすべてを見てみたら、
なんで人間は愚かな戦争や地球環境破壊などしたくなるでしょうか!

港に船が着く…
船と船が行き交う…
人々と人々が束の間、見知らぬ相手にエールを送り合う…
なんて楽しく美しく、そして束の間の人生の喜びに満ちていることでしょう。


私は、この映像を君に贈ろう。
こころを自由に。大きく育てて行きなさい。
国や人種や言葉や…そんなものを超えて、大きな海に船出しなさい。
そして、人々がこうして懐かしく寄り集まるこころの港のようなひとになりなさい。』





  ***


さて。現実に戻って。
豪華客船ダイアモンド・プリンセス号のコロナ集団感染のことは忘れる人はいまい。
2012年10月。ちょうど8年前の今頃、上の記事を私が書いた頃、いったい誰が
このような豪華客船に起きること、今世界を重い空気で覆うコロナパンデミックの
ことを想像した人がいただろうか。

乗員と乗客計723人が感染し13人が死亡した悲劇の船ダイアモンド・プリンセス号。
3月25日。消毒と検疫を終え、横浜港大黒ふ頭を離れた。
そのとき、船は「ボ~~~~ッ!」と大きく別れの汽笛を鳴らしたのだが、テレビなどで
ご覧になりご記憶のかたはいらっしゃるだろうか。
集団感染の起きた悲劇の船を、「早く行ってしまえ」と思う人はいても、別れを
惜しむ心で見送る者はおそらくいなかったのではなかろうか。
だが私は、その別れの汽笛をひそかにころで受け止めた。
船に感情移入するのも意味なきことなれども、だ。

ダイアモンド・プリンセス号の船主、また運航会社、そして寄港地日本の対応……
いろいろに問題はあり、それはきちんと検証されねばと思う。
船での集団感染ということは、またいつか起こるかもしれない。
大事なのは、今度のコロナ禍の経験に学ぶことだ。
だが。そうした人間の責任、ということとは別に、船、というものはなぜか
いつもロマンを誘う。

余談ばかりで恐縮だが、灯台の名前で『観音崎灯台』と書く場合と、『観音埼灯台』
と書く場合とあるのをお気づきだろうか。『崎』と『埼』。
長くなるので、お知りになりたい方は、こちらの海上保安庁海洋情報部の答えを
ご覧ください。
https://search.yahoo.co.jp/search?p=%E5%B4%8E%E3%81%A8%E5%9F%BC%E3%81%AE%E9%81%95%E3%81%84&x=wrt&aq=-1&ai=ef8bf77c-5cf4-4dcd-acb3-d08c2b3e28c5&ts

簡単に言えば、山へんの「崎」は本来の意味として山の様子のけわしいことを
言い、山脚の突出した所を示しており、平野の中に突出した山地の鼻等を言う意味。
土へんの「埼」は、陸地(平地)が水部へ突出したところを表現している、というのだ。
歴史的に言えば、
国土地理院では、前身の陸軍陸地測量部が山へんの「崎」を使用していた経緯が
あるので、引き続き使用。海上保安庁海洋情報部は、明治時代の海軍水路部のころから、
土へんの「埼」を海図に採用してきた、という、明治時代からの陸・海軍の伝統を
ひいている、ということらしい。
面白いなあ…

この夏私は、日傘など刺繍の作品作りなどをしていた…
そのとき、作ろうと思って作れなかったものに、黒地の絽に浮き灯台と待宵草の
刺繍、というアイディアがあった。
浮き灯台というのは、正式名『灯浮標(とうふひょう、ライトブイ)』。航路標識の一種。
付近を航行する船舶に対して、岩礁や浅瀬など航行の障害となる存在を知らせる
役割も果たすものである。
上の灯台守についての『燈光会さん』の紹介サイトの中で三枚目に出てくる写真が
その灯浮標だ。灯もともる大きなブイ、とでも言えばいいかな。
この灯浮標は、万国共通なもので、その色や形などで、船舶に一目瞭然の指示を
与えることが出来るのだ。例えば、浮いている本体が赤白縦縞で、てっぺんについている
トップマークが円形ならば、そこの水域は進入しても安全、とか。
あまりにも面白いので、製作の時間がないにもかかわらず、灯浮標のことを調べることに
何日も費やしてしまったほどだ。^^

黒地の荒波模様の着物地に、その荒波に浮かぶ黄色の灯浮標と、前景の待宵草、
そして遠景に港の寂しげな小さな明かりいくつか、という刺繍の傘を作るものだったが、
時間がもう無かったのと、夜の海のブイの灯り、遠い町の灯、待宵草などを刺繍で
表現するのが実際にはあまりにも難しすぎたのとで実現しなかった。
荒波の昼の海に海猫、という図柄の日傘は作ることが出来たけれど。
だが、それらの仕事でも、私の灯台好き、港の持つ旅情への憧れ、というような
ものは意識していた気がする。



       ***

日本には今、全国に灯台は3000余りあるという。だんだんこれも減少している・・・

灯台。灯台守。灯浮標。霧笛。汽笛。港。船。・・・・・・・・・・・・・
旅ができない憂さを、この記事一つにぶちまけてしまった!(苦笑)
だが、ずっとそこに通底しているのは、営々と続く人間の営みのいじらしさへの、
私の愛着というようなものである。
現実世界は行く先の見えないコロナ禍の中にあり、現実に見聞きする人間の行動…
とりわけ政治の腐敗には、こちらの心まで腐ってしまいそうな気がするけれど、
私、ひとが生きていくこと…への慈しみ、というようなものは、まだ捨ててはいない。



灯台を見るという私の長年の夢は娘たちがこうやって叶えてくれたし、
私の憧れ、空の色を映すブルーの虹鱒がいるという天空の青い湖への旅も、
思いがけずやはりお婿さんの仕事の関係で、5年前に実現することが出来た。

あと何年私が生きられるかはわからないけれど、私のもう一つの夢。
港横浜では、大晦日の夜、除夜の鐘代わりに港に停泊している船たちが
一斉に汽笛を鳴らすという。
横浜港に近いホテルに泊まって、それらを聴くことが夢だ。

この記事を書くきっかけとなったブログ友さんの灯台の記事。その犬吠埼燈台にも、
いつかきっときっと行ってみたいなあ。







『身の回りの自然’20』



コロナ終息の見えないこと、菅政権誕生、日本学術会議への政府の干渉、トランプの
コロナ感染・・・などなど、世の中の動きが目まぐるしく、心がささくれ立つようなことが
多いのだが、そんな中、この夏から秋、手仕事とともに、私の心を慰めてくれた
ものたちのことをここで記録しておこう。


まずは我が家の狭い庭に育って、心慰めてくれた植物たち。
5月までの花はすでに紹介済みなので、そのあとに咲いた花たちを載せよう。


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ヒメヒオウギズイセン。
私の少女時代からの思い出の花だ。
どこに、いつ咲いていたのかはっきりした記憶はないのだけれど、この花を見ると、
なぜか泣きたくなるほどの懐かしさを感じる。
あまたある好きな花の中でも、それほどの想いにさせる花は実は少ない。
この花と、次に写真を載せたクレオメ。下の方に載せたゲンノショウコ・・・

それらはみな、少女時代、父母の記憶、とどこかで結びついた花たちだ。


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これがその懐かしい花の一つ、クレオメ。

今までもクレオメを欲しいと思って庭に植えたことはあったのだが、日当たりの悪い
ところに植えたからかして、あまりたくさん花を咲かせることは無かった。
今年、クレオメの種をまた買って、今度は我が家で一番日の当たる玄関脇に
蒔いてみたら、無事発芽して花を咲かせたこの2本をはじめとして、この夏中
次々に咲き続け、実は今でもまだ清楚な白い花を見せてくれている。
本当は、ピンクのクレオメを注文したはずだったのだけれど、咲いたのは白い花
だった。だが、この白い花でよかったなあ、と思っている。

奥にわずかに見えている植物は、ゴーヤだ。
ゴーヤも今年ここに種を蒔いたら、日当たりの悪いうちにしてはすくすくと成長して、
美しいグリーンカーテンとなり、20センチほどのゴーヤが何本か採れた。




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収穫物と言えば、今年もまた、ミニトマトを植えた。去年種を蒔くのが遅れて
実がなりだしたのが10月というのを反省して、今年は手抜きして苗を買ったのだが
その苗を育ててくれた人が優秀だったかして、すくすくと成長。


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毎日このくらいずつ収穫して、この夏中食べ続けた。
一人暮らしには、毎日このくらい取れれば十分。
熟れて実の割れたものもある。肥料もやらないからして実は小さいがとても香りよく
甘かった。
毎日朝起きて、猫に見守られながら玄関に出て、真っ赤な小さなトマトを摘み取る。
何だか幸せな時間だったな・・・。


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百合も、従来の7月ごろ咲くのが今年も咲いてくれて、追加で秋咲きのものも
植えたので、都合10本ほどその大きな花と香りを楽しんだ。
白いカサブランカも奥に見える。



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白い香りのいい花と言えば、この夜顔。



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私は香りのいい花が好きで、沈丁花、梔子、百合、夜顔、月下美人…そうした
高貴な香りの花を庭にも植えるが、もう一つ、このジンジャーリリーもとても香りの
いい花だ。
十年ほど前に植えて、咲くのはいつも一本だったが、今年は、咲く時期を少しずつずらして
つごう6本ほどの花が咲いた。
少し写真を撮ってやるのが遅れてしまったが、とてもいい香り。
2メートル以上の高さになるので、狭い庭がこれらだけでかなり場所取りになるのだ
けれど、この子たちも私の毎年の楽しみの一つだ。

同じく写真を撮ってやる時期を逃してしまったが、奥に見えるのは金木犀。
これも今年は花付きが良く、香りを楽しませてくれた。

他にも我が家で咲いてくれた花たちがいくつもあるのだけれど、紹介し漏れた。




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ここからは、我が家の裏の川べりの花たち。


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彼岸花は、紹介しておかなくちゃなあ。
我が家の近くでは、ここ川べりだけでなく、表通りの幹線道路の銀杏の植え込みなど
にも近年株を増やし始めている。いつか彼岸花の名所になるかもな。
今年は彼岸花は早く咲き始めて、つい最近まで長く咲いていた。雨がちな9月
だったからかな。



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川べりの散歩道のコスモス。



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そしてこれが、クレオメなどと共に、私のわけもなく懐かしく思える花、ゲンノショウコだ。
父がその名を教えてくれたからか。つつましく生きて、苦労に報われることなく
ひっそりと死んだ母をどことなく想わせる花だからか。



生きものたちも紹介しましょう。




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少し歩かなくちゃなあと思って、彼岸花の写真を撮るついでに川べりの道を
行っていたら、白鷺が餌を求めて川床をゆっくり歩いていた。
これはチュウサギかなあ・・・。




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我が家の『夜の訪問者』ヤモリくん。
台所の窓の外に毎晩訪れる。
この子は大きい方で、もう一匹小さいのがいる。
6月ごろから、10月になった今まで、ほぼ毎晩この台所の窓に姿を現す。
吸盤のついた五本指の手が可愛いでしょう。
寒さに弱いというから、もうじき現れなくなるだろうが、夜台所に立って顔を上げれば
この子たちのうちのどちらかが窓に張り付いている。それは一人暮らしの身には
ささやかな友達みたいなものだったな。






そして、なんといってもこの子。
猫のコロ。


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私がパソコンをしているなと見て取ると、すかさずパソコンの上にこうして飛び乗り、
自分でjjjjjjjjjjj\\\\\というようなお手紙を書いてしまってくれる。
どかせようとすると、こうして眠ったふり。(笑)
私が縫い物をしていれば布を入れた段ボールに、新聞を読んでいればその上に。



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だいぶ寒くなったので最近買ってやったコロの家。
いないなと思うと、ここですやすや眠っている。

この安心しきった寝顔と可愛い肉球を見るだけで、もう十分だな・・・・・・



『ものつくり ___ ホモ・ファーベルとしての人間? Ⅱ』


あ~。展示のための製作は終わった。
楽しかったなあ・・・!

一応、あれから追加して作ったバッグなども載せておこう。


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この黒に大胆な菊柄の塩瀬の帯を使ったバッグは、前の記事で紹介したけれど、
これには、携帯などを入れる内ポケットのほかに、おそろいで小さなバッグも付けた。
細々とした持ち物が入れられるように。
帯の正面の部分を使っている。



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もう一つ、華やかな色のバッグを。
美しい菊柄の綸子の端布で。
上の黒いバッグは、裏地に硬い接着芯を貼って、パリッとした仕上げにしたつもりだが、
こちらは、表地に薄めのキルト綿を重ねてぷっくり柔らかい感触のバッグに。
これから涼しく寒くなるので、温かい手触りのものも作ってみたくなった。




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男性も使えるような、渋いバッグも作ってみて、と言われたので、こんなのを。
ベージュに細かい絣模様の紬に落葉松のような針葉樹が描かれている
着物地に、しっかりした結城紬の布を合わせて、大きめのトートバッグを。

この針葉樹の絵の紬地は、ところどころわざとそうしたのかどうなのか、
ベージュの地色に染むらがあって、それが丁度今頃の季節、針葉樹の林にかかる
朝霧のように見えて、とても風情のある布だ。落葉松のような樹そのものも
霧の中に浮かび上がっているように輪郭がかすんで、誰が描いたか、巧いなあ!
と思ってしまう。

とても気に入っているので、いつかお婿さんに、秋に着るかっちりしたシャツを
縫ってやろうかな、と思っている。


CIMG1159 (2)


上のと同じ茶系の結城紬に別の布を組み合わせてみた。
『雁来る』とでも名付けようか、ススキや桔梗など秋草の野に雁の図。
先日の十五夜の月は綺麗だったな・・・

雁の布は『モスリン』という毛織物だ。
今のひとは知らないだろうが、戦後に合成繊維が流行るまでは、子供の着物、
また襦袢などいろいろなところに使われたものだ。
染色しやすかったのか、モスリンには本当に面白くて美しい柄のものがたくさんある。

これはおそらく、残り布の形からして男性用の羽織の裏地だったのではないだろうか。
古来から為政者は庶民の衣服に様々な禁忌を課してきたが、とりわけ江戸時代には
庶民の奢侈禁止令が何度も出された。しかししたたかな庶民で裕福な商人などは、
表は地味な縞や小紋柄でも、見えない襦袢や羽織に奇想を凝らした柄の裏地などを
使って、遊んだという。
その後もその伝統は脈々と生き続けて、男物の羽裏などには面白い布が多い。
このモスリンは、いつ頃買ったものだったかなあ…もうどこで手に入れたかさえ
覚えていない。いつか何かに使おうと思いつつ十年・・・二十年・・・眠っていた
ものだ。
出来上がってから思ったが、モスリンを真ん中に置かない方が良かったかな。

写真は撮っていないが、このバッグにもおそろいの小さなバッグがある。



CIMG1170 (2)


その男物羽裏(羽織裏地)を使ったバッグをもう一点。
鹿や鳥を描いた平絹だ。
これも、表地の薄い平絹にアピコ接着芯を貼って、さらに薄いキルティング綿を
重ねているので柔らかい感触。合わせた紺系の縞は紬。
裏地も、同じ紬を使っている。
バッグ本体には牡鹿が。小さい方には女鹿が。

『奥山に紅葉踏みわけ鳴く鹿のこゑ聞くときぞ秋は悲しき』

という風情でしょう?と自画自賛。


・・・
ああ…なんと季節の進みが早いんだろう。
この一連の手仕事をし始めたときは、まだ梅雨が上がっていなかった。
真夏に冷房の効いた部屋でせっせと作業。
それが早、中秋だ。










『ものつくり ___ ホモ・ファーベルとしての人間?』


夏に引き続き、9月になっても手仕事を続けている。
実はもう、新たに何かを作る必要はないのだが、9月初旬、夏の間に作ったもの
すべてを送り出してから、一種の虚脱感に襲われ、軽度のコロナ鬱?もあいまって、
あまり精神的にもよくないなあと思ったので、勝手に作っているのである。

今度の一連の製作は、私にとって初めての、『自家用』ではなくひとさまに見て
いただくための、いわば『作品としての作品』だった、ということは書いた。
自家用ならば、多少歪んでいようが針目が揃っていなかろうがまあ許されるが、
ひとさまに見ていただく『作品』としての手仕事であると、手抜きが見えることは
許されない。というか自分で許せない。
まあ本当は、自家用であろうがなかろうが隙を見せないのが理想ではあろうが。

実は今度の手仕事は、いわば二人展、ともいうようなもののためである。
絵と布作品のコラボ。私の布作品のせいで展覧会の質を低めることにならねば良いが。
また、既に高齢の私にとっては、おそらく人生で最初で最後の展覧会であろう。
それだけに、気の張り、というものは、いつもの自家用の手仕事の場合の比ではなく、
それゆえに、送り出し終えたときには、気のゆるみと同時に虚脱感に襲われて
しまったわけである。

作品を送り出してからあとも、こんなものを作っていた。


CIMG1069 (2)


クッションカバーの続き。
メインの布は、羽織裏地の薄絹。
合わせたのは、しっかりした薄紫色の木綿地。暖かい手触りだ。




CIMG1073 (2)


羽裏地の縫い目跡や少々汚れた部分を避けると使える部分が小さくなってしまう。
だが、元のザクロの絵自体が素晴らしい。誰が描いたのか、優れたデッサン力だ。
前の4枚のような別布との合わせ方でなく、額縁に入った絵画をイメージして、面の
真ん中に配置し、マット紙カットの代わりに周囲をミシン刺繍で飾ってみた。




CIMG1070 (2)


裏は、シンプルに木綿布だけだが、羽裏地から柘榴を切り取ってアップリケ。





CIMG1066 (1)


クッションカバー2点目(通算6点目)。タイトルは、『鳥尽くし Ⅰ』。
家にある鳥柄の端布をつなぎ合わせてみた。



CIMG1068 (1)


裏面も、鳥尽くし。
クッションカバーの裏は、絞りの縮緬。




CIMG1061 (1)


クッションカバー3点目。
タイトルは、『鳥尽くし Ⅱ』。
派手な『鳥尽くしⅠ』と対照的に、こちらは渋い色柄。
柔らかい錦紗?の布と、男物の紬着物端切れを合わせた。




CIMG1074 (2)



錦紗の布は、赤みがかった灰色の地に渋い赤でろうけつ染めが入っている。
目立たないが、布には、可愛い雀の織り模様が施されている。
その一つを刺繍で浮き出させてみた。





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クッションの裏は、同じく雀たちがたくさん飛ぶ縮緬の布と、無地の絽を。
これもリバーシブル仕立てになっていて、裏も別の鳥柄。





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トートバッグも作ってみて、と言われていたので、一つ作った。




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大胆な菊柄の帯地だ。





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反対側にはファスナー付きのポケットを付けた。
この部分には、帯の正面部分を使っている。




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裏の黒も同じ帯地。
帯のお太鼓の垂れの部分には、『見切り線』(なぜか『オランダ線』という呼び方も
あるらしい。)と言って、お太鼓の大きさの目安にする横線が入っているのが普通だ。
この帯は、それが金糸で縫い取りがしてあって綺麗なので、それも生かしてみた。
使い勝手を考えて、中にもポケットを付け、バッグの開口部にはマグネットボタンをつけた。
A4サイズの書類が縦にゆったり入るサイズ。

市販品だが、つやのある黒の合皮製の持ち手で、全体の質を上げるようにした。





・・・のだが。
質を上げる、どころか、仕立てが今一つも今二つにもだめだ!
しっかりした作りになるよう、バッグには表地にも裏地にも芯を貼ってある。
今までの経験上、着物地への接着芯は、APICOなどの多少伸縮性のあるものが良く、
日傘以外は、クッション、袱紗…今回作ったものの着物地はほとんどに
APICOの薄手接着芯を貼ってある。
このトートバッグも、表地にはいつものAPICOを使ったのだが、反対側にファスナー付き
ポケットをつけたりいろいろ手を加えていたら、全体を縫って裏返すとき、接着芯が
はがれてしまって『浮き』が出来てしまった。縫いあがってから再度アイロン接着を
試みたのだが、ポケット回りの何か所かのこの浮きが直らない。
う~ん・・・・・・・・・
美しい菊柄のバッグの正面部分はうまくいっているのだがなあ。

ちなみに、バッグの中、裏地の部分は、APICOでは全体をしっかりさせることが出来ないので、
なんという接着芯か、帯芯のような硬くて張りのある接着芯を使っている。
もともとの帯に入っていた帯芯を使おうかともしてみたが、サイズが合わなかった。

・・・さてさて。
これが、ひとさまに作品と言って示せる質のものかなあ・・・
プロの作品は、デザインだけでなく縫製にも緩みや隙などないものだ。



今回、ひとに見せる作品としていろいろ作ってみて、自分の技術の未熟さを、
ほんとうに痛感した。



今回勉強のため手に入れた刺繍の本を一冊ご紹介しよう。

『明治の刺繍絵画 名品集』
村田 理如 (著), 松原 史 (解説): 淡交社


美しいもの、日本文化の粋、極みともいえるものに興味のおありの方は、是非一度
ご高覧を。

その中の一ページを引用させていただこう。これは見ないとその粋を実感できない
だろうと思うので。


ご存じのように、幕末から明治にかけて国を世界に向けて開いていった日本は、
世界に誇れる自国の産業の一つとしての数々の分野での美術品・工芸品を、
国を挙げて輸出振興後押ししていく。
この時代の例えば浮世絵などの絵画、陶芸、金工、木工、染色、などなどの質の高さは
本当に驚くべきものがある。
『刺繍絵画』もその一つであったが、国外で驚嘆の目で見られた多くの作品も、国内では
服飾工芸の一部としてみなされ、その価値が独自評価されることは少なかったという。


例えば、『雪中松鷹図』というこの137.5×64.0センチ(絵画部分)の作品。
下絵を描いたのは、あの竹内栖鳳である。(左下)

その下絵そのままに、明治の繍工が、一針一針刺繍したもの。
鷹の部分は無論、松の木もその上に降り積もった雪もすべて刺繍で表現してある。


CIMG1107.jpg



私のデジカメ画像が甘いので、その素晴らしさをなかなかお伝え出来ないのが
残念だ。細部を下に載せてみる。



CIMG1109 (2)


鷹の毛並みの表現のリアルなこと!!!
これが、一針一針刺したものなんだからなあ・・・
これを、今から100年かそれ以上も前の名もなき職工が刺したのだ。



もう一作品。
これは、四曲一双屏風のほんの一部。
繍工はこれも不明。おそらく京都の刺繍工房の何人もの繍工が携わったもの
であろうという。



CIMG1111 (3)




こういうのを見てしまうと、私の雀など、ほんとうに紹介するのも恥ずかしい。><
刺繍だけでなく、縫製などの未熟さ含めすべてにわたって。



           ***


それでも、今回、自作を紹介する機会があったことはよかったなあ、と思っている。
それでこういう明治期の優れた作品群を知ることともなり、自分の作品との差を
笑いごとでなく思い知らされたが、かつて日本にこのような優れた職工たちが
いたことを知ったこと自体、大きな喜びとなったからである。

この本に紹介された明治期の日本の刺繍絵画は当時生み出されたもののほんの一部。
国内ではその価値がまだ正当に評価されないまま、他の多くの工芸美術品同様、
海外のコレクターに買われて、散逸してしまったものがほとんどだからである。

これらの刺繍作品のほとんどは、無名の繍工たちによって作られたものである。
『無名の繍工』・・・・・・ああ!どんな人たちだったかなあ!

この圧倒的な質の高さ。
刺繍技術そのものは無論だが、そのデッサンの力の確かさに驚嘆する。
今回、自分で小さな雀やウミネコやトンボなど刺繍して見て、そんな素人仕事でも
こうした生きものの体の構造を知らなければ何一つ作れないのだな、ということが
痛いほどわかった。
元絵を描く画工はいたのだろう。しかし、竹内栖鳳なども、最初は刺繍の下絵など
引き受けるのを躊躇していたという。美術作品よりこうした工芸品は、ましてや
服飾の一部である刺繍などは、一段下に見られていたかららしい。
しかし、その出来上がりは、ご覧のように素晴らしい。栖鳳なども、それを知ってからは
自ら積極的に、刺繍絵画に関わっていったらしい。
浅井忠なども下絵を描いているが、下絵画家自体も、その多くは無名で終わった
ひとびとであったろう。

今のように手軽にネットで下絵の材料になる動植物などを手に入れられる時代ではない。
今のように手軽に自分で鳥や花の写真を撮って下絵に使える時代ではない。
すべては、下絵画家もしくは刺繍の職工たちが、自分で写生または模写して原画を
得たものであろう。
驚くべきは、そのデッサン力の高さだ!
静止している鳥なら写生ができるかも知れないが、飛んでいる鳥の動きなど
いったいどうやって正確につかんだのだろう。

本によれば、繍工たちは下絵をもとに刺繍をしていく。自分でやってみて初めてわかるが、
いくら周到に下絵を布に書いていても、刺繍をしていく過程でその下絵は見えなくなる。
原画を傍に置いて見比べながら刺繍していくのだが、時には、元絵を描いた画工に
再度色や構図を確かめ確かめしつつ進めていったという。
しかしそれにしても、職工本人に卓抜した『絵心』が無ければ、これほどの作品群は
生み出せないであろう。原画を傍に置いて、繍工たちが刺繍をしている明治時代の
写真が本に載っているが、この複雑な下絵の色や構図そのままを、刺繍で寸分違わず
目視で把握し表現するのがどれほど難しいことか。
いったいどれほどの習練を積んだことか!
けれども、そのほとんどは、世にその名を知られることもなく、無名の職工として
無名の繍工として、歴史の中に消えていったのである・・・・・・

刺繍だけではない。この夏から秋の手仕事の間、多くの着物地を私は手にしてきた。
その中には、ここに載せた柘榴模様の羽織裏地や、二つ前の記事に載せた
柿の柄や犬の柄の同じく羽織裏地などもあった。また、ウミネコの日傘に使った
荒波模様を織り出した紬や烏瓜の刺繍に使った羊歯の葉?模様の紬などもあった。
手描きのもの…織りのもの…染のもの…
それらもみな、無名の職工たちの技である。

布を扱いながら、それらを作った人々のことを想う。
それは顔も知らない、名も知らない、時代さえ同じではないかもしれない人々との
無言の対話である。

私が今回作品作りに挑戦してみてよかったなあ、と思ったのは、これらの無名の
繍工たち、また下絵画家たちの人生を想うことができたからでもある。
これほどの技術を持ちながら多くのものづくりたちがそれこそ世に名を残す
こともなく歴史の中に消えていった、そのことになにか、深い人生の意味、
というようなものを考えさせられたからである・・・・・・

人間とは何か。
人間を『ホモ・ファーベル』(工作人。ものを作るひと)と定義したのは、フランスの哲学者
アンリ・ルイス・ベルグソンだった。

まあ。そこまで難しいことを言わずとも、このコロナ禍のもと。『おうち時間』で
これまでやったことのないものつくりに挑戦してみた人も多くいただろう。
私のように、もともと好きで手仕事に励んだ人もいただろう・・・・・・。


今回いただいたコメントの中に、
『彼岸花さんの美しい刺繍は、まるで護符のように、存在するものへの畏敬や
祈りを封じ込めているように思えて心を打たれました』
『ただ、もしかしたら鶴の恩返しのように羽をけずって織っていらっしゃるのでは
ないかしら?そんな気がして心配になってきます』

と、書いてくださった方がいらした。
『くれぐれも、お身体を大切になさって下さいね』と、続く。

ああ!
鍵コメになさったということでお名前は明かせないが、なんと嬉しいコメント。
そうなのだ。作品の出来の質はともかくとして、コロナ禍のこの夏中、世の行く末や
家族のこと、自分の病と残された時間のことも含め、いろいろな祈りをこめて
これらを縫っていたことは確かだ。
元になった布地を作るのに携わった人々、それを着物にして着ていた人々…
描かれた生きものたち…
すべてのことをいろいろ想いながら布の組み合わせや使い方を考え、刺繍をし、
縫っていた…。それらと無言の対話をしながら作っていたように思う…。
自他の命というものを見つめながら黙々と作っていたように思う。何の欲得もなく。




なんというのか、要するに、長々書いてきて言いたいことは一つ。

「人生、まんざら捨てたもんじゃないよ」、ということかなあ・・・・・・

ものを作るということに限らず。
「この世に自分があった」、ということ、そのこと自体が。
この世に数えきれないほどの誰かがいた、同じ地球上に数々の生きものたちが
いるということ、そのこと自体が。











『あのこに』





可愛かったあのこに、庭のお花をささげます。
今日は二年目だから。



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彼岸花おばちゃんのおうちには、今、あんまり花が咲いていないの。
それでも、秋海棠と、ゴーヤの蔓と葉っぱと、藪茗荷の白い花と、そして
おしろい花とを活けてみました。
夕方になって咲くおしろい花を待っていたので、遅くなってごめんね。

クウーちゃんがママさんとおにいちゃんと、このお部屋を訪ねてくれたとき、
クウーちゃんを大きな手で撫でていたおじちゃんも、お空に行っちゃった。
また、お空で、おじちゃんと遊んでね。



(一日早く記事アップしちゃった。ごめんなさい)





『製作三昧の夏』




コロナの夏。
何をしていたか。
ひたすら縫い物をしていた。
私が縫い物をするというと、これまではほとんどが家族の衣類を、着物をリフォームして
作っていることが多かったのだが、今回は初めて人に見せるために、端的に言えば
自分の作品として縫い物をした。

その一部をご紹介しよう。


まずは日傘を二本。

三つ前の記事で、お婿さんに頼まれて彼らのために日傘を初めて作ってみた
ことを書いたが、それがとても楽しかったので、さらに二本作ってみた。




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水浅葱色の着物地に、浜木綿と、それに飛んできたナガサキアゲハを刺繍。
布の実物は、もう少し水浅葱色が濃く鮮やかなのだが、デジカメももう12年近く使って
疲れてきたか、この頃ピントも甘く色が正確に出ない。



CIMG0985 (2)



素材とした着物地は、たたき染めが施してある。
私も今回初めて知ったのだが、『たたき初め』、詳しくは『ろうたたき染め』というのは、
溶かしたロウを筆に含ませ、棒でたたきながらロウの粒状のしぶきを生地に
落として防染し、その後に染め上げる技法だという。
ロウを落とした部分は染まらずに白い飛沫となって残っている。
水浅葱色の地に白い飛沫は、夏の浜辺と砂を連想させたので、好きな浜木綿の花を
刺繍してみた。葉っぱ部分は緑色の布をアップリケ。



CIMG0988 (2)


もうワンポイント欲しかったので、浜木綿の花に寄るナガサキアゲハ蝶を刺繍。
縦横それぞれ6,7センチほどしかない小さな刺繍だが、それでも丸2日以上
かかった。蝶の飛び方、体の細部などの画像を探す時間を入れると、プラス2日、
合計で4日はかかったかもしれない。





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二本目の傘は、荒波模様のしっかりした紬地にウミネコを刺繍。
地色はもっと深い藍色系なのだが、曇った日に撮影したせいもあって
実物より薄く写っている。パソコン上で色調整もしてみたのだが。




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港で船を繋留する『ボラード』の上で休むウミネコの姿。



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その細部。
ウミネコはおよそ25センチくらいの大きさに刺繍してあり、毛の色や羽の質感を
刺繍糸で表すのが結構大変だった。
一口に白や黒と言っても、その明度や色の深さにさまざまな諧調が実はある。
例えば黒なら、あの喪服の生地の色を思い浮かべてみるとよくわかる。一般的に言って
高級品ほど黒の色が深いのだ。式服でなくとも普段使いのセーターとパンツで
同じ黒を買ったつもりで帰って合わせてみたら、一方は赤みがかった黒、一方は
なんとなく白っちゃけた黒で、全然合わない、などということはよくある。
白い刺繍糸も、国内の有名メーカーの糸には、純白の糸を見つけられず
(大きな手芸店を探せばあるのかもしれないが、遠くまで買い物に出られないので、
近場とネットで探したので)、中国製を含めいろいろ取り寄せてみて、ようやく
この羽の輝くような白のイメージ通りの刺繍糸をみつけた。メーカー不明。

そもそも辛抱心がなくて細かい手仕事のどうも苦手な私が、今年になって刺繍などを
やり始めたのは、これも前の方の記事で紹介したが、ボランテイアでマスク作りを
したのがきっかけだ。
マスクをひたすら縫うのだけでも十分楽しかったけれど、ふといたずら心を出して
我が家の猫の顔を白いマスクに刺繍した。あれが思いのほかうまくいってしかも
とても楽しかったので、傘にも刺繍やアップリケを施してみることになったのである。




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日傘はもっともっと作りたかったけれど、時間がない。
次にクッションカバーを4点。

海の色とも深い青空とも見える『ぼかし染め』の着物地に、赤とんぼを刺繍。





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赤とんぼも、マスク作りで試しに刺繍してみたことがあったので、そのときよりは
さらに少し丁寧に、写実を心がけて刺してみた。
タイトルは、『野分 Ⅰ』だ。



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同じ生地で、『野分 Ⅱ』を。
こちらには、風に揺れるコスモスを刺してみた。



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時間があれば、一面乱れ咲くコスモスで埋め尽くしたかったのだけれど。



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クッションの裏面には、初秋の高い雲間に消えていく飛行機雲をあっさり刺してみた。
ジェット旅客機の高度は8,000~12,000メートルという。
一方、雲は積乱雲が2.000~10,000メートルというから、こういう光景も
ぎりぎりなくはないかな・・・



CIMG0998 (2)


クッション三つ目。
つるつるする繻子地?に秋の草花が描いてある生地。
待宵草のような花なのに、ピンク色だったので、黄色の糸で刺繍し、蜘蛛の巣を
配してみた。
合わせた布は、淡い青磁色の厚手木綿。これも色が正確に出ていないなあ。





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蜘蛛は手刺繍だが、蜘蛛の巣は細さを出すためにミシン刺繍。




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こちらは同じく秋草の描いてある絹地に鈴虫を刺繍。
虫のサイズが小さいため、刺繍糸一本取りでも太すぎ、細かい表現が出来て
いないので、あまり満足のいく刺繍ではない。
2か所の赤い差し色は、娘のアドバイスで入れたが、なるほど~。
でも、合わせた緑色系の紬地も含め、もともとの布たちがすてきなので、まっ、いいか?



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さて。小物も作って欲しいと言われたので、急遽、袱紗のようなものを十枚ほど縫った。
全部の写真を撮るのを忘れてしまったけれど、まあ、こんな感じ。
もう時間がないので、刺繍などの手仕事はなし。
裏は別の面白い布を見繕って、着物布自体の柄を楽しむ。



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上の犬の柄のも下のこの柿の柄の布も、羽織の裏地の平絹だ。


さて。今回の一番の大ものは。



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シダのような葉の柄の紬地で、半纏のようなものを作った。
着物に合わせて着るというよりは、海外の方が自由な発想でそうするように、
これからのだんだん肌寒くなる季節、家にいるとき、部屋着の上からさっと羽織る
ような感じで着るといいかなと思って縫った。男女兼用。



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ここで一番したかったのはこれ。
妖艶な烏瓜の花を刺繍。
う~ん・・・がんばってみたけれど、あの妖艶な花の感じは出せているだろうか。

烏瓜の花は、ちょうど今頃、8月から9月頃にかけて、林や藪で他の植物に蔓で
からみついて成長し、夕方遅く純白のレースのような妖艶な花を咲かせる。
しかし、朝にはしぼんでしまうので、もし仮に身近にあってもその存在に気付かずに
いてしまうことも多いだろう。



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レースのような豪華な花は、蕾の時は、このようにくるくる丸まって収まっている。
それが夕刻が過ぎていくにつれ、徐々にほぐれていって豪華に花開くのだ。



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夜に咲く花に気づかずとも、10月、11月、雌花がやがて実になると、嫌でも目に留まる。
こんな朱赤の美しい実が、他の植物は枯れ果てた明るい林などで光っているからだ。



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花は前身ごろに、蕾は後ろ袖に、そして赤い実は後ろ見頃に。
メインの羊歯のような模様の布に合わせたのは、渋い紺系の細縞の紬だ。
裏のある仕立てで、裏地には無地の濃紺のお召縮緬を。着ようと思えば、
無地の側を表に出してリバーシブルの羽織ものとしても着ることができる。
本当は、もっといろいろな端布を継ぎ合わせて作ろうとしていた。
刺繍を生かすために布数を2種類に抑えたのだが、どっちが良かったのかな。




そうそう。不思議なことが一つ。
我が家には、月下美人と、夜顔がある。この2つに、この烏瓜の花を加えて、
私はこれらを『夜の三大美人』とひそかに名付けていたのだが、烏瓜だけは近くの
川原にもどこにも咲いていず、種でさえ手に入れることができなかった。
ところが、この烏瓜の刺繍をしていた夏の終わりごろのある日、庭に見慣れた葉っぱが
あるのを見つけた。菊の茂みに絡みついている。
「おや?これ。烏瓜の葉っぱじゃないの?」

刺繍をするときは、植物にしても鳥にしても虫にしても、その細部をよく知らないと
出来ないということがこのほど分かった。
トンボなどの六本の足は、どこから生えているのか。トンボは飛翔中は脚をどうしているのか。
烏瓜の葉っぱを刺繍するためには、その葉っぱの葉脈の分かれ方まで、ネットで
画像を探してしげしげと見つめる。
そうやって一所懸命見つめてきた烏瓜の葉っぱに、庭に這うその葉っぱはとてもよく
似ていた。
図鑑と見比べて確信を得た。
ずっと、長らく欲しいと思っていた烏瓜が、なんと!今回刺繍で取り上げたら
なぜか庭に自生してきたのである!不思議じゃありませんか?

残念ながら、花はまだ咲かない。日当たりの悪い庭だからかなあ…
いつか咲いてくれるかしら。




            *****


毎年夏は、原爆忌や終戦記念日と物思いに沈む日が多い。
今年はそれに加えて、コロナ禍の夏であった。
私事としては、つれあいの新盆、一周忌と、そして諸事情で延び延びになっていた
納骨・・・と、これもいろいろあった。
さらには、ご存じのように、あの安倍氏が、病気のため退陣。菅氏が次期総理大臣に
なることも決まった。
なんとまあ。やれやれだ…

そんな中、私は縫い物で静かに過ごし、敢えて世の中の動きから距離を置いていた。

時間が欲しい。
今はひたすら時間が欲しい…



『流星群の夜’20』


コロナで自粛の夏。
私もどこにも出かけず、家で縫い物ばかりして過ごしている。
それでも、半月ほど前までは、早朝や夕方などの少し涼しい時間帯に、
裏の川べりなどを運動不足解消のため散歩できたりもしていたのだが、
ここ数日の異常なほどの暑さはそれさえ許さず、飼っている猫も私も
朝からぐったりだ。

今どきの暑さは、ゲリラ豪雨と言われるような突然の激しい雨ももたらす。
昨日も東京や埼玉は、夕方、激しい雨と雷に襲われたのだが、雨が上がると
虹が出た。


CIMG0923.jpg


昨日は多くの人が虹を見たようで、ニュースにもなっていた。大きな、くっきりと
した二重の虹だった。私のこの写真では外側の虹がよく写っていないけれど。

虹を見るとどうしていつも嬉しいのだろう。




CIMG0933.jpg



昨日は盆の入り。
我が家では夫の新盆になるので、盆棚のしつらえを朝からしていた。
夕暮れ時、玄関先で迎え火を焚いて、盆棚には回り灯篭式の盆提灯を灯す。

ああ…綺麗だなあ…

いつまでもぼんやりとゆっくり回る美しい明かりを見ていたい…



CIMG0924.jpg



提灯は、玄関に白い新盆用のも灯す。
故人が間違わずに帰って来られるように。

この白い提灯がまた何とも言えず清楚で美しくて、これを新盆の今年しか灯せない
というのが少し残念なくらいだ。

無信心で、いい年をして仏事のいろいろな作法さえ知らない罰当たりな私だが、
これらの明かりをはじめ、さまざまな細々とした盆の飾りを整えていると、
心が静かに満たされていくのを感じる…

そうか。『宗教』や、古来からの伝統習わしというものもいいものなのだなあ、と
今更ながらだが認識したのだった。
人に聞かれれば呆れられてしまいそうだが。




夜。
前日は薄曇りでよく見られなかった流星群を見るために、家の外に出る。
一度は猫のコロを抱いて。
しかし、重い猫を抱いて夜空をじっと見上げて佇んでいるのもつらい。
それでもしばらく立っていたが、流星は見えない。
抱っこ嫌いなコロもむずむず暴れだしたので、一度家に戻りあとで一人で出直した。



CIMG0928.jpg



暗い中で私が何をしているのか、コロは不思議に思っただろう。
白い提灯と、窓辺からこちらを見ているコロのシルエット。

20分ほど見上げている間に、くっきりした流れ星を三つ見ることができた。
もうずっと何年も、ペルセウス座流星群の日に限って天候が悪く、見ることが
出来ていなかったので、とても嬉しい。
ひとつ見るたびに思わず声を上げてしまう。

前に見たのは、あれは何年のことだったろう。
ブログをさかのぼってみたら、最後に見たのは2015年のことだったと知れた。

歩行が不自由になった夫は、流星群を私と一緒に見ようなどとは言わなかったが、
それでも私があまり長く夜の川べりに出ていると、心配してゆっくりゆっくり歩いて
迎えに来てくれたりしていたものだ。
そうか。わずか5年前のことか。もう10年かそれくらいも前のことのような気がする
のだが。その頃はまだ歩けていたんだなあ・・・
人間の人生の変転というものは、なんと残酷にも激しいものなのだろう・・・

そして、今年は、誰もが想ってもみなかった、コロナの夏だ…

人生は何があるかわからない。
今日という日を、その一瞬一瞬を、もっと大切に丁寧に生きていかなくてはなあ。



プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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