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『お勧めしたい本』


ブログにリンクさせていただいていて、このブログにもコメントを下さるブロ友
スキップさんが、本を出されました。
スキップさんのブログ。
『人を笑わず人と笑う」・・・田舎匝瑳の書斎から』

スキップさんは、長年、高校の社会科の先生をしてこられ、退職後は、『匝瑳九条の会』を
立ち上げられて、日本の民主主義の根幹…、国民主権、基本的人権の尊重、平和主義を
高らかに謳いあげる日本国憲法を守るべく地道で息の長い活動をしておいでになりました。

実のところ、スキップさんは私にとって『ブロ友』というよりは、お会いしたことこそないけれど
秘密保護法や安保関連法などへの国会前抗議における〈心の同志〉であり、また、
安倍政権のあまりの無法に対して猛烈に怒りつつもともすれば無力感に打ちひしがれて
しまいがちな私などを、その変わらぬ意志で常に勇気づけてくださる心強い先達でもあります。

その意志の強いスキップさんにして、昨今の安倍政権のあまりのやり口のひどさ、しかし
その安倍政権をなおも「ほかに代わりうる政党がない」などの理由で国民が支持し続け、
この史上最悪と言っていい政権が、まもなく日本の政治史上最長期を誇る政権となって
しまうのを許している今の状況に打つ手がないことに対し、今、焦慮していらっしゃる。
もうすぐ参院選です。今のところ政府・与党は衆院とのダブル選挙を否定している。
しかし、またしても例の『内閣総理大臣の専権事項』とやらいう法的根拠の曖昧な
権利を振りかざして安倍政権が衆院を解散し、衆参のダブル選挙が行われるような
ことになれば、今の日本国民は、また「ほかに票を入れるところがないから」などという
消極的な理由で、政府与党を勝利させ、安倍政権にさらなる延命を許してしまうのでは
ないでしょうか。「国民の信を得た」とまたしても厚顔に言わしめるのではないでしょうか。
そうなれば、今度こそ、安倍氏は本気でなりふり構わず彼の個人的悲願である『改憲』、
を成し遂げようとしてくるでしょう。

「改憲の何が悪いの?」

そうお思いの方もいらっしゃるでしょう。
確かに。『改憲』そのものが悪いというわけではないと私も思います。
しかし、それがより良くするための改憲ではなく、今、私たち日本国民に保障されている
自由など諸権利を制限するような、あるいは奪うような改憲になろうとしているならどうですか。

安倍政権が、そして自民党が目指している『改憲』とは、実はそういうものです。
このことについては、私も何度もこのブログで警鐘を鳴らしてきたつもりです。

ところが実は、安倍政権は、この『改憲』という大技なしにでも、既にこの私たちの日本の姿を
大きく勝手に変えてきてしまった政権なのです。
自衛隊の海外での武力行使、集団的自衛権行使を容認する安保関連法がそれです。
改憲なしに九条をなし崩しにしてしまった・・・
この問題はあまり実感がないですか?
それでは、この6年半の安倍政権によって強力に進められた『官邸への権力集中』
はどうですか?
今、官邸に盾突く者はほとんどいません。官僚も、国会も、マスメディアも、教育も、
司法でさえもが…、安倍政権の意向を忖度するような雰囲気になってしまっています。
あれほど誰もが正直言って安倍政権による政治の私物化ではと思っていた森友・加計
問題は、ついにうやむやにされてしまい、政権を守るためには公文書の改ざんや破棄
までが行われた。そのために一人の誠実な関係者が追い詰められて自死してしまった。
今度の金融庁の審議会の出した報告書を、選挙に都合が悪いからと言って『なかったもの』
にしてしまった安倍政権の鉄面皮としか言いようのないやり口はどうですか?
この問題については別に書こうと思っているけれど、もうこの国ではまともな追及や議論さえ
成り立たないような状況に徐々になっていきつつあります・・・。
「どうせ変わらない。それならば何を言っても無駄だ・・・」というようにね。
何というのか、『もの言えば唇寒し』というような強烈な忖度・自粛や一種のあきらめムード
や虚無感が人心に生まれつつあるように思います。
それをさらに通り過ぎて、「今さえよければそれでいいじゃないか」「難しいことは考えたくない」
というような刹那主義も。

こんな雰囲気の中で、『改憲』への道が本格的に開かれたらどうなるのでしょう。
どんな改悪でも、今なら国会における絶対的多数と官邸によるマスコミの掌握で
成し遂げられてしまうでしょう。

スキップさんは、ここ数年のその焦燥感から、自分に今何ができるのか、を真剣に
考えられて、ご自分の経験や(御父君の従軍体験も含めて)長い間の思索の結果を
本にまとめてみようと思い立たれたのです。
 

スキップさん本 

ご本は、amazonや出版元のあけび書房などで購入することができます。

6月上旬の発売日から、私も、スキップさんのこの本を大急ぎで、しかし真剣に、精読させて
いただきました。
本は大きく二部に分かれています。前半縦書きにされたところは、スキップさんの父君の
日中戦争従軍体験、戦後の生き方なども含め、スキップさんがいかにしてご自身の
精神形成をなしてこられたか、といういわば自伝的部分。
後半横書きにされた部分は、高校教師を長年務められてきたスキップさんが、
教職員組合の職場ニュースである「分会ニュース」に寄稿された文章や、週刊金曜日、
東京新聞などに投稿された文章などを中心にしたエッセイから成り立っています。
組合ニュースというけれども、テーマは教職員組合関係のことにとどまらず、今の
若者たちの労働環境のことやLGBT(性的少数者)のこと、沖縄のこと、介護のこと、
人間のこころのありようについてなど、ほんとうに多岐にわたっています。
私にはこの後半のエッセイ部分に、スキップさんの深いお考えをより身近に、切実に
読み取ることができました。ブログ記事や時たまやり取りするコメントで知る以上の、
スキップさんの、根っこの深い思想を知ることができて、大変に感動しました。
いや、単に感動、という言葉で言い表せるものより別の・・・、う~ん、もっと深い共感というか、
そう、安心感のようなもの…。それは、虚飾などのない、誠実な、真実のことばがここにある、
ということを知ったからの安心感、とでもいうようなものでしょうか、それを感じました。

このところ、『引きこもりは犯罪者予備軍か』というような、その底にある社会のひずみ
への考察を横に置いてしまったような極端な議論や、金融庁の審議会の出した
『老後に公的年金以外に2000万円必要』という報告への賛否両論などが盛んに
語られています。
しかし、本当はそれらをそういうふうに表面的にバッシングしたり、安倍政権のように
近づく選挙に不利に働きそうだからとて報告を受け取らないことによって報告の示す
重い問いそのものを、『なかったもの』にしてしまうなど、問題を糊塗したり先送りしたり
してしまうべきではない。

それらは共通の懸案として国民皆で早急に真剣に考えるべきで大きな社会問題です。
そこにはある共通したテーマ、『人はどう生きて、どう生を全うすればいいのか』『社会は
どう個人の生に関われるのか』『(逆に)個人は社会に何ができるのか』などということ
が含まれています。

スキップさんのこの本は、スキップさんというひとりのひとの、そういった切実な問題
に対する、誠実な思索と実践の記録であるように思えます。
同時にそれは、『個人』というものの尊厳をないがしろにする方向へ方向へと
突き進んでいる現政権への、社会風潮への、厳しい告発の書にも当然なっています…


よろしければ、ぜひお読みいただければ、と思います。









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『キャンドル・ナイト 99』



さあ・・・。いよいよあと一回で、キャンドル・ナイトも100夜だなあ・・・。

我ながらよく続けてきたものだ・・・。



『キャンドル・ナイト 99-1』



99回目のキャンドル・ナイトは、数年前、小豆島への旅の時拾ってきた、乳白色の、
さもないビンのかけらにいつもの小さなロウソクをたててみた。
だんだんだんだん、凝ったしつらえよりろうそくの明かりそのものを見せるような設定が
自分で好ましくなってきている・・・





『キャンドル・ナイト 99-2』




けれども、6月はこのブログのシンボル、どくだみの白い花の咲く季節である。
やっぱり、小さなろうそくちゃんをどくだみと共に写しておこうかなあ。

今、わが家の庭は、この白いどくだみと、紫陽花と、ムラサキツユクサとでにぎやかだ。
つい最近までは、やはり紫色のクレマチス、『キリ・テ・カナワ』がこぼれるほどに咲いていた。

もう・・・ほんとに・・・政治のひどさとその政治が遠因となっているとしか思えないような
暗い事件ばかりで心がささくれ立つような毎日であるけれども、季節が来れば律義に
咲き出る花たちや、可愛らしい小鳥たちの子育てのようすなど見ていると、ふうっと
そのささくれ立った心が静まるのを感じる。

一週間ほど前の夜には、ホトトギスの声も夢うつつに聞いた・・・・・・・・・
ああ・・・今年も来てくれた・・・・・・・・・


それにしても、どうしたのだ、この国の政治は。
こんなひどい政治がまかり通っていていいのか!
それを許しているのは、国民自身だ。

8年前の3月11日。
あの悲劇の日以来、私たちはこの国を少しでもいい国にしてきただろうか。
思い出してみてごらん。
あの時、私たちは、亡くなられたかたがたのことを想い、おそらく誰もが、心のうちでひそかに、
『遺された我々は。よりよく生きねば・・・』と思いはしなかっただろうか??

あのときの、人間の真心から出たひそかな誓いの想いは、いったいどこに消えて
しまったのだろうか。









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『キャンドル・ナイト 98』




CIMG8932.jpg



98回目のキャンドル・ナイト。

今回、小さな蝋燭のしつらえに使ったのは、金属製のしおりだ。

季節の進みが早く、つい先日桜が咲いたと思ったら、もう青葉の季節。
鳥たちや虫たちも恋の相手を求め活発に動く季節だ。
我が家の小さな庭も、蝶の通り道になっているかして、黄蝶やアゲハなどが
盛んに行き交う。
金色の小さなブックマークは、その蝶のデザイン。



国を挙げての祝賀ムードのうちに訪れた『令和』というひとつの時代。
私は年齢から言って、その行く末を最期まで見届けることは出来ない・・・
だが、それは、おそらく、『平成』以上に厳しい現実と向き合わねばならない時代となるだろう。
そのことは、天皇家とは関係ない。世界の動きが、日本の社会の構造それ自体が、
大きな問題を抱えて二進も三進もいかないような状態になりつつあるからだ。

だから。ほんとうは浮かれてなどいられない。といって悲観的な顔でいても仕方がない。
人間には知恵というものがあるはずだ。
人智を集めて。一人一人が真剣に考えて。今という時代、また未来の世界を
少しでもいいものにしていく・・・少なくとも改悪・劣化・破壊などしない・させないように、
していくことだろうと思っている・・・





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『キャンドル・ナイト 97』




キャンドル・ナイトも97回目。あと3回で、100回になる。
ふ~う・・・・・・・・・

よく続けてきたものだ、と自分でも思うが、同時に虚しくもある。
8年前のあの日から、日本は少しでも良くなったのであろうか、と考えると。



キャンドル・ナイト 97



今日のしつらえ。
ビブルナム・スノーボールというガマズミの仲間の落葉低木の枝を切り花として
花屋で売っていたのをもう2週間ほど前に買って楽しんできたのが、いよいよ疲れてきたので
最後にこうして小さなロウソクとともに写真に残すことにした。
さわやかな薄緑色の花は、紫陽花を小型にしたような手毬状に咲く。
その花の中に小さなロウソクを立てると、思いがけず美しい陰影を生んだ。



東日本大震災の傷はまだまだ癒えぬまま、時は、『平成』から『令和』とやらに
移って行こうとしている・・・・・・
『令和』か・・・・・・・・・。


思うことは山ほどあれども、この頃、それを書くことが虚しくなってしまっている。
シニシズムに陥ってしまってはいけない、とは思うのだが。




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『つぐみんに会えた!』



ツグミ。
スズメ目ツグミ科ツグミ属。
学名:Turdus eunomus
英名:Dusky thrush

ツグミを見てみたい、と思ったのは、そうだなあ・・・もう3、40年ほども前のことだ。
いつの頃だったか今となっては正確に特定できないのだけれども、1970年代か
80年代にさしかかった頃か、テレビで、こんな詩の朗読と共に、なんとも大人っぽく静かで
味わい深い、洋酒の良いコマーシャルが流れていたことがあった。




『譫語』                                                                            『センゴ』(うわごとのこと)

爾等の見窄ぼらしい繪馬の前に、            なんじらのみすぼらしいえまのまえに、 
なんでこの身が、額づき祈らう。          なんでこのみがぬかづきいのろう。
むしろ、われは大風の中を濶歩して、                     むしろ、われはたいふうのなかをかっぽして、
轟き騷ぐ胸を勵まし、                とどろきさわぐむねをはげまし、
鶫鳴く葡萄園に導きたい。                        つぐみなくぶどうえんにみちびきたい。
沖の汐風に胸ひらくとも、              おきのしおかぜにむねひらくとも、
葡萄の酒に醉はうとも、何のその。          ぶどうのさけによおうとも、なんのその。



これは、上田敏の訳詩集『牧羊神』の中に収められた『譫語』、という詩の中の一節である。
原詩は、ギヰ・シャルル・クロ((1879-1956)というフランスの詩人のもの。
本当は、この前にも後にも詩は続くのだが、コマーシャルではこの部分が使われていた
ようである。全詩は、ここで読むことができる。
https://www.aozora.gr.jp/cards/000235/files/51173_42027.html

you tubeなどを一所懸命探してみたけれども、そのコマーシャルを見つけることは出来なかった。
だからそのすてきさをここでお伝えすることは出来ないのだけれども、ああ!70年代ごろの
コマーシャルにはなんと格調高い上質のものがたくさんあったことだろう・・・
サントリーやニッカなどの洋酒や、パルコなどのコマーシャルは、商業宣伝といえども、
音楽、映像、コピー、などなどに、超一流の人々が関わって、本気で芸術的ないいものを
作ろうとしていた時代だったように思われる・・・

この洋酒のCMも、電気スタンドの明かりにほのかに照らされる古い書斎の机の上の、
開きかけの本と一杯のお酒のグラス、という映像に、渋く深い声の男性による詩の朗読、
バックにかすかに流れるクラシックの曲、というだけの、シンプルなものだったろうと
うっすら思うのだが、とても良いコマーシャルだったというそのことの記憶しかない。
そのお酒が何だったのか、ナレーションの声は誰だったのか、バックに流れていたのは
何の曲だったのか…このCMについて書いている人が何人もいらっしゃるのだけれども、
結局特定することはできない。サントリー社のCMだったのではないかということで、
わざわざサントリーに問い合わせた人までいたのだが、記録がないという返事だった
という・・・
ちなみに、いろいろ調べた末に、お酒はサントリーローヤル、朗読は小林修さん、
曲はワーグナーの『トリスタンとイゾルデ』第三幕冒頭部分、と書いている方がいらした。
https://youtu.be/rsGiazgC8lY

聴いてみれば、『ああ、そうそう。この曲だったかも知れない・・・』と思わされる。
私自身の記憶自体おぼろなのが残念なのだが、何しろ重厚で奥行きの深い、コマーシャル
だった・・・。ということだけはこの曲で伝わろう。
   
私にとって唯一鮮明なのは、朗読される詩の『つぐみ鳴く葡萄園』というその一言に、当時、
私の想像力がいたく掻き立てられた・・・という一事である。

葡萄園というその舞台は、おそらくヨーロッパのどこかの、古い葡萄園であろう。
時間は夕暮れ間近かあるいは早朝か。とにかく人は他にいないその葡萄園の道を
詩人は歩いている。つぐみの声だけがただ響く。
その静かで孤独な情景を想像して、わたしは『つぐみ』という鳥にいたく惹かれてしまった
のである。

つぐみとはどんな姿をした鳥だろうか。
葡萄園に響いたというその声は、どんな声だったのだろうか…

しかし、それから何十年と、私がつぐみのことを知ることはなかった。
当時ネットというものなどはなく、また積極的に図書館などで調べるというほどの
執着もなく、ただあの時のコマーシャルとともに、私の中でその鳥は、ただ淡い美しい
印象のままに眠り続けていたのである。

『つぐみ』への興味が私の中で息を吹き返したのは、2006年、『とりぱん』という漫画に
出会ってからだ。
『とりぱん』は、とりのなん子による日本の漫画作品。とりのなん子氏は講談社の
2005年第17回MANGA OPENで大賞を受賞して漫画家デビュー。以来雑誌「モーニング」誌に
連載が続いて単行本化もされ、本は現在24巻まで出されている・・・
漫画『とりぱん』のことを私が知ったのは、朝日新聞に素晴らしい書評が載っていたからで。
それについては、前のブログで書いたことがあるのだけれども、いつか転載してみよう。

『とりぱん』は、東北地方に住むある独身女性が、自宅の庭に来る鳥たちなどに
ひたすら餌をやり続けるのを描いた、一種の日記のような漫画なのだけれど、
そこにはさまざまな鳥たちだけでなく、蛾やカマキリなどの虫たちや蜘蛛なども出てきて、
それらが皆、なん子さんの卓抜な観察眼で半ば擬人化されて描かれているのである。
一言で『擬人化』と言っても、単に生き物たちが人間くさく戯画化されているわけではなく、
それぞれの生き物としての存在感と個性が、なん子さんの手で生き生きと描き出されている、
という意味で。
私は朝日書評で第一巻の存在を知って購入して以来、次の単行本が出るまでの半年
が待てずに、毎週塾に勤めに出る際に連載の掲載誌『モーニング』を買って、
夜仕事が終わって帰りの電車の中で『とりぱん』を読むのを楽しみにすることを
数年間の習慣にしていたほどだ。

つぐみの『つぐみん』は、ひよどりなどと共に、『とりぱん』の主役級の登場者である。
私が件の洋酒のCMでなんとなく思い描いていた『ツグミ』という鳥のイメージは、ここで
ずいぶんと変わったかも知れない。
『つぐみん』は、餌場に集まる鳥たちの中で、いつもヒヨちゃんに追い回され、
地べたでパンくずやりんごかすなどをびくびくしながら漁る、気弱でおとなしい鳥として
描かれているのだが、そのつぐみんが作者や、私を含む多くのファンから愛されているのは、
彼(彼女)が、遠くロシアや中国の北部から秋になるとこの日本にはるばる『渡り』を
してくるけなげな鳥であるということも理由の一つにある。
私が件の洋酒のCMで思い描いていた『葡萄園で美しい声でなく鳥』というイメージは、
漫画の「キャッ、キャッ!」という鳴き声のオノマトペや、実際にネットなどでその
鳴き声を知るにつれて訂正せざるを言えなくなったのだけれど(実際、つぐみんは
『悪声』の方だと言って良いかもしれない)、CMで抱いたツグミという鳥へのある種
ドラマチックな、悲劇的でさえあるようなイメージは、その『ロシアから、秋、はるばる
渡りをしてくる・・・』という一事で私の中では以前と少しも変わることなく保たれ続けて
いるのである。

つぐみんに会いたいよう・・・・・・!・・・・・・
思い続けて何年になるだろうか。
人によっては、また場所によっては、秋から冬にかけた季節に、すぐ身近な公園や
空き地、農園などで普通に見かけられるらしいツグミ。
でも、私には縁がなかった。




ところがこの3月。
肺癌という自身の病と、家族の介護ということの中で心身共に疲れているように見える
私を心配して、娘たちが私を散歩に連れ出してくれたのである。
パパがデイサービスに行っている間のほんの1時間余の近場の散歩だったけれど。
お婿さんは、我が家の庭に鳥の餌台を作ってくれてそこでシジュウカラやヒヨドリ、
メジロ、アオジなどの餌をついばむのを見に来るようになって以来、すっかり鳥好き
になった。
この日も、彼と娘と私と、三人で鳥のことを話しながら、近くの裏通りにある小さな
農園のところまで来たときだ。
娘が立ち止まって、『つぐみんがいる』、と静かな声で言う。
眼の良い娘は、ここで最近、ツグミらしき鳥を見かけたことがあって、でもそれと
断定する自信はなくて、私をここに連れてきたらしいのだった・・・・・・。

いた!間違いなくつぐみんだ。
あの、ぼ~っと佇んでいる丸っこい姿。私たちが足を止めて見ていても平気で、身動きもせずに
斜め四五度上を見上げているようなあの独特のポーズ・・・。
私は心の中で狂喜していたけれど、悲しいことに眼鏡をかけていてもド近眼の身では
つぐみんの顔つきまではよく見えなかった。
そんな日に限ってデジカメも双眼鏡も持ってきていない・・・
娘に携帯で写真を撮ってもらってあとで送ってもらうことにして、その日は三人とも
ただ、つぐみん同様その場に立ち尽くして、つぐみんとの出会いを心の中で祝して
いたのだった・・・・・・


後日。もちろん、私は、ひとりでくだんの農園に行ってみましたよ。
でも、つぐみんはいなかった・・・。
三人で目撃したのとほぼ同じ時間、また時間を変えても行ってみたのだけれど。
つれあいを家に置いての買い物は、いつも大急ぎで済ませて帰らなければならない。
その農園のほうへ遠回りして行くのも本当ははばかられるのだけれど、つぐみんを
どうしてももう一度見て、自分のカメラに収めておきたい・・・・・・

そうやって虚しく訪ねて数回目の時だ。


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つぐみん!
いた!


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ああ!この姿。この顔!


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ぼ~っと立っているこの姿。^^
なん子さんの漫画の通りだ。
とりのなん子さんは、プロとは一口に言えども、その中でもかなりのデッサン力のひと
のように思う。何といっても、観察眼がとてもすごい。正確なのである。



それから、毎日のように、駆け足でではあるけれど、つぐみんに会いに行く。
だって、彼は、このように暖かくなったら、もうじき、ロシアに帰ってしまうんだもの…
そうしたら、また来年までは会えないのだ。
(私の体調次第では、二度と彼に会えないかもしれないのだ…)



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何日目かのこの日も、「あ!つぐみん、いた!」と思ったら、ハクセキレイさんだった。
つぐみんよりこころもち体は小さいが、地べたを動き回る怪しげな動き方はつぐみんに
似ているのだ。
ハクセキレイも私の大好きな鳥だ…
地べたをつつつ~!っと走り回っては、餌を探している風・・・


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そこへ、カラスが畑のどこからか現れて、ハクセキレイを追い回す。

これは、ハクセキレイを追いやって、見物人の私を意識しているかのように、得意満面で
こちらへ戻ってくるカラス。
足つきに、彼の得意さが現れているように思えるのは、私の感情移入のし過ぎか?(笑)
実は、私は、カラスもその賢さのゆえにとても好きなのだ。



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「今日は、ハクセキレイとカラスだけで、つぐみんはいないのかな…カラスがいては
あの臆病なつぐみんは逃げてしまったかもしれないな・・・」
そう思って、あきらめて帰ろうとした時だ。

いた!
つぐみんが今日もいた。
地面の色と同じ保護色でこちらが気がつかなかったのか。それとも野菜の畝の陰から
たった今出てきたところなのか。
こういうところが、つぐみんのつぐみんらしいところだ。(笑)
きみは。いつも同じポーズだねえ・・・・・・♪




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ぼけぼけの写真になってしまったけれど、つぐみんよ。大写しの写真もここに載せて
おこうね。
私が寂しい時に、こうやって、ここで待っていてくれてありがとう・・・
私が君に出会うまで、北の国に帰ってしまわないでいてくれてありがとう・・・

つぐみんがここにいることを突き止めて教えてくれた娘たちにも感謝感謝だ。






              ***



長くなってしまうけれども、つぐみに私は、なぜこうも惹かれるのだろう・・・


おそらくそれは、彼の『孤独』というイメージを、私が勝手に人間の目で創り上げて
いるからだろう。
そのイメージは、3、40年も前のあのコマーシャルの時にすでに出来上がっていたものだ。
おそらくは夕暮れの葡萄園を、ひとり歩く詩人…その孤独な魂に、つぐみの声が
照応し合う、という、そういうイメージだ。
だが実際は、上田敏によって訳された 『譫語』 という原詩そのものをよく読んでみると、
この詩は、詩人の孤独な魂などを謳ったものなどではなく、むしろ、古今の芸術家たちの
仕事に何、憶するものか。自分は新しいものを創っていく、という、高らかな宣言である
ことがわかる。
私があのCMを見て、孤独で寂しいイメージを持ってしまったのは、詩の文言ではなく、
むしろ、背景に流れる『トリスタンとイゾルデ』第三幕のその調べの重厚さと、ナレーション
というか、詩を朗読した男性の深く豊かな声と、CM全体の静かな雰囲気によるものだった
のかもしれない。いずれにしても、

私の中に色濃くある『よるべなさ』の感覚・・・・・・
どう生きてもひとはひとり…という感覚…

が、このCMに惹かれる原因だったのだろうし、つぐみに抱いたイメージも、そこで
定着してしまったのである・・・
実際のつぐみんにこうやって出会っても、そのイメージは変わることはなかった。
はるばるロシアから飛んでくる渡りの時はいざ知らず、日本にいるときのつぐみんは
群れないで、こうして一人でぽつんといるように思われるから。

ただひとつ。疑問が晴れないこと。
それは、あのコマーシャルの、あの詩の中に出てくるツグミの鳴き声のことである。
そもそも『つぐみ』という名が日本でついているのも、彼が北の国から日本に
渡ってきて帰るまでのごく一時期、それもごくまれにしか、その「歌声(さえずり)」を
聞けない。彼が発するのは、何か危険を察知した時の警戒音とも言うべき
『キャツキャツ!!』という、むしろ悪声に近い鳴き声だけである、というところから、
『口をつぐんでいる』鳥、という意味でその名がつけられたのだ、という説があるほどに
つぐみの声は警戒音以外は日本では聞けないのである。
鳥たちはなぜ歌を歌うのか。
歌うことそれ自体を目的にしてさえずる鳥もいなくはないかもしれないが、
ほとんどの鳥は、繁殖の相手にアピールするため、いわゆる恋の歌を歌うので
あろう?
鳥が鳴くときは、それ以外は、危険が迫ったことを仲間に知らせる警戒音や、
相手を必要あって威嚇するときや、『ここに餌があるよ』とか、何か合図を送るため
であって、ほとんどの鳥は無駄鳴きはしないものであるようだ。
だから、つぐみんの恋の歌は、さえずりは、繁殖地であるロシアなどの地でしか
まず、聴くことは出来ないのだ・・・そう思うのもまた寂しい・・・・・・。

ツグミのあのキャツキャツ!という短い警戒音の鳴き声と、ギヰ・シャルル・クロという
フランスの詩人のあの詩に出てくるツグミのおそらく美しい声との間の、私の中での
乖離のようなもの…素朴な疑問…
あの警戒音の悪声ぶりでは、本来の『さえずり』の声も、詩に歌われるそれほど
良くはないのではなかろうか?

その疑問は、次のサイトの、桝田隆宏氏(松山大学)のツグミに関する丁寧な論考で
氷解した。

『英米文学鳥類考:ツグミについて』 桝田隆宏(松山大学)
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180422121828.pdf?id=ART0009406788
(この論考を、氏がお書きになるに際して、庭に来る『シロハラ』の姿を愛でながら、
と最後に記してあるのにいたく感動した私でした・・・。ああ!シロハラちゃん!
シロハラちゃんについて、ここで書いた記事があります…)


ギヰ・シャルル・クロの原詩に謳われたツグミは、フランスなど欧州本土やイギリスなどで
鳴くツグミ。同じツグミでも日本に飛んでくるツグミ(英名:dusky thrush 黒っぽいツグミの意味)
とは種類が違うのだということ。
詩に歌われたツグミは、俗にsong thrush (ウタツグミ)と呼ばれる仲間で、それらは
欧州ではナイチンゲールなどと共に、美声で名高い鳥なのだというのである。
しかも、彼らは、あの詩によっても想像されるとおり、日本に来るツグミのように渡り
で季節によっていなくなるという感じではなく、ほぼ一年中、一日中、林や農園などで
歌を歌っているらしいのだ。
ああ・・・。それなら、あの詩の情景もぴったりくる……。

それでは、そのsong thrushの声とはどんなものなのだろうか。
調べてみたらあった!







・・・
なるほど。この美しい歌声なら、詩人の魂に呼応して詩心を誘い詩に謳われもしよう。

でも。つぐみんよ。私は君が好きだよ。とてもとても好きだよ。
君の恋の歌を、命の歌を、私は聴けない。君の巣も、子供たちも、私は見ることが
出来ない。君の故郷は遠いロシアだからだ。

おそらく。おそらくだが、つぐみん、君も故郷の地で恋の歌を歌うときには、ウタツグミ
ほどではなくとも、それに似た美しい声で鳴くのではなかろうか。
ああ・・・つぐみんの恋の歌を聴いてみたいなあ…
それでも、あの、『キャツキャツ!』という、君がものに驚いて飛び立つときに
発する声。それが私はとても好きだよ。

つぐみん。また来年も会おうね。

ここで待ってるからね。



 








『キャンドル・ナイト 96』



CIMG8734.jpg





96回目のキャンドル・ナイト。
あの日から8年だ。





CIMG8717.jpg





こんなこにちいさな蝋燭を託してみた。


やさしい顔の海鳥だ。

どうか。
まだ帰れぬみたまが、この小さな灯りを目指し。鳥の背中に乗って帰ってこられますように。



今日は、ひたすら、祈りだけを捧げよう・・・・・・・・・






南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








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『ひな祭り ’19』





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みなさん。こんにちは。
あずさです。
ろうそく人形のあずさです。
40年以上前、おひな祭りのケーキについていたろうそく人形なんです。

いつも、一年に一度、おひな祭りの時だけ起きてきます。

今年は自分で、小さな箱のベッドから起きてきましたよ。
あずちゃんも、少しずつだけど、大人になってきたのね。

慧人(けいと)くんも仁人(にっと)くんも、もう来ていますよ。


みなさん。こんにちは。
こんにちは。
こんにちは。





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はっ!紅子さん?



ううん。紅子さんじゃないのよ。
『紅子さん』というのは、7年前の冬、12月から3月までも生きていたカーネーションさんです。




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はっ!このおおきいちと、だあれ?


このこはね。『きばる』ちゃんよ。
水俣の漁師の人たちが育て上げた甘夏さんなの。

ママさんのおともだちの玄さんが送ってきてくれたのよ。

げんさん?げんさん、ありがとう~~~♪


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ほうら。剥いてあげたわ。甘くて新鮮でおいしいわよ。
みんなでいただきましょうね。

は~い!




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さあ。今年もあずちゃんのお友達がせいぞろいです。
げんさん甘夏や、いつものちらし寿司、ひなあられをみんなでいただきましょうね。


は~い!

は~い! は~い! は~い! は~い! は~い!・・・・・・















『キャンドル・ナイト 95』



95回目のキャンドル・ナイトだ。
本当は、季節に合わせて庭の梅の花を一輪添えたかったのだけれども、日当たりの悪い
我が家の庭の梅は、まだ蕾ばかりである。
雪が積もって消え残っていた年もあって、その時は小さなかまくらの中にろうそくを
灯したことなどもあったけれど、今年の冬は東京はカラカラの天気が続いて、先日やっと
降った雪も、ほんのお湿り程度で翌日にはすっかり跡形もなくなってしまった・・・・・・


仕方ないので、せめて、雪のかまくら代わりの小さなガラス器に、いつもの小さな
ろうそく立ててみようか…



『キャンドル・ナイト 95』



…怒りが沈潜している…………






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『キャンドル・ナイト 94』





94回目のキャンドル・ナイト。


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小さなガラスの酒器にいつもの亀山ローソク『豆ダルマ』を入れて灯す。

器の切り子細工の影が、梅の花のような五弁の花を描く。


あと2回灯せば、あの日から8年。あと6回灯せば、キャンドル・ナイトは
100回目を迎える・・・・・・
月日の経つのはなんと早いのだろう。

東日本大震災で亡くなられた小学6年生は、今年成人式を迎えるはずだった・・・
お子さんのために、成人式の背広をあつらえた、というお母さんの話が今日、
新聞に載っていた・・・・・・

何に怒りをぶつけていいのかわからない悲しみが、なんとこの世には多くあるのだろう・・・









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『花と野鳥と ②』



鳥たちのことをもう少し書きましょう。


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これはもう、何回か登場していますが、1年以上前にお婿さんが作ってくれた最初の餌台です。



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雨の日でも小鳥たちが濡れないで食べられるよう、切妻型の屋根がちゃんとついていて、
なんと建築用語でいう『棟巴瓦(むねともえがわら)』代わりの、こんな飾りもついている。^^




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昨年2月。メジロが蜜柑を食べに来たところ。



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同じ昨年2月には、こんな子も来ていた。
ウグイスだと思う。
ガラス戸越し網戸越しなので、写真が不鮮明だが、ちょっとへっぴり腰なのが
とても可愛い。このような野鳥たちが何年生きるのか知らないが、ここ何年か、
春、わが家の、というか、隣家のやはりわが家との際の柿の木によくきて、
『ほ~ほきょい!』と鳴く子がいる。『ほ~ ほけきょ♪』ではなく、『ほ~ほきょい!』。
だからたぶん、同じ個体だと思うのだが、「あ!きっとあの子だ!』と思って、そっと
カーテンの影から見ていると、どうもシジュウカラ用に出した小さな牛脂の塊を
つつきに来ていたようだ。

この『ほ~ほきょい!』と鳴く子は、昨年、私が手術後退院してきて、ひとりで
あの暑い、異常な猛暑の夏に耐えていた8月末、家のすぐ近くで『ほ~ほきょい!
けきょけきょけきょけきょ!』と鳴いていた。
人間の勝手な思い込みで、それはまるで、私を元気づけに来てくれたかのようにも
思え、おもわず微笑んでしまったのだが、
おや?それにしても、8月にウグイスが市街地で鳴くなんて珍しいな・・・
そう思って少し調べてみたら、8月にウグイスが谷渡りの鳴き方をすることもなくはないが、
大抵は、つがいの相手を見つけ損ねた雄である、などと言うことが書いてあったので、
にわかに心配になってしまった。
この夏の異常な暑さも原因かも知れない、などと思ってみたことだった・・・



さて。この餌場だが、シジュウカラ用のピーナッツと、ヒヨドリやメジロ、ウグイスも
食べるミカン、リンゴなどを一緒に並べておくと、縄張り意識の非常に強いヒヨドリが、
くだんの木斛の枝にずうっと止まって見張りをしていて、ほかの鳥が寄ってくると、
すごい勢いで飛び掛かって追いかけて追い払ってしまうのである。同じヒヨドリ仲間
でさえも追い払う。
彼は(彼女は)、そうやって、自分の縄張りの何か所かを巡回しながら見張りをするらしい。
ここに来ると、きまって木斛の茂みの中に入って、その枝で羽づくろいかなにか
わからないが、他の鳥を威嚇でもするかのように体を膨らませて戦闘機がいましも
飛び立つようにブルブル羽を震わせている・・・
追いかけるときは、『キイーーーーイッ!!!』という鋭い鳴き声で威嚇しながら追う。
隣の庭、我が家の庭を、びゅんびゅん飛び回る!

ヒヨドリは野鳥たちの中でも、際立って性格のはっきりした鳥で、本当に縄張り意識が
強く、とにかく喧嘩っ早い!(笑)


私は、決まったテレビ番組を見るということは少ないのだけれども、テレビ朝日の
『相棒』だけはほぼ毎回見ている。もうご存知だと思うが、水谷豊主演の警察ものである。
超人的に優秀なキャリア警察官であるが、今は警視庁内の窓際部署『特命係』に
追いやられている、水谷豊演じるところの『杉下右京』警部が、その『相棒』と、
難事件を次々に解決していくという、刑事ドラマである。いわゆるバディもの(対照的な
キャラクター2人組が難題に立ち向かうといった展開をする話やドラマ・映画の総称)
であって、右京さんとその相棒の性格設定などが非常にそもそも面白く、私は好んで
これを見ているのだが、それとは別に、ここには右京たちとは時に競い合う関係の
二人組の捜査一課刑事、伊丹憲一(川原和久)と芹沢慶二(山中崇史)が毎回出てきて、
私は、この二人が大好きなのである!
もしこの二人がドラマ『相棒』からいなくなったら、もうあまり見なくなるかもしれない・・・
というほどに。
そもそも私は、どんな小説やドラマでも、主役よりダークヒーローや、脇役に
心惹かれるほうで。逆に言えば、わき役陣の充実して個性的で面白いドラマは
優れたドラマだと思っている。
『相棒』はそういうドラマだ。他にも六角精児演じるところの鑑識課、米沢守や
殉職して消えていった刑事たちなど、非常にそれぞれの性格作りが面白いのである。



伊丹刑事



右の二人が、私がとりわけ好きな伊丹刑事役川原和久さんと芹沢刑事役の山中崇史さん。
左はこれまた個性豊かな味付けの角田六郎 組織犯罪対策第5課長役 山西惇さん。
写真はこちらのサイトからお借りしました。
<
a href="https://www.cinemacafe.net/article/2017/02/05/46835.html">https://www.cinemacafe.net/article/2017/02/05/46835.html


この一番右の伊丹刑事が、ヒヨドリそっくりの性格付けで!(爆)

とにかく縄張り意識が強く、喧嘩っ早い。
右京さんたちに意地悪をして犯行現場から追い出そうとするのである!
右京さんたちが犯行現場に先について聞き込みなどしていると、あとからこんな顔で
こんなふうに体をかしげて喧嘩態勢でやって来て、いちゃもんをつける!(笑)
もう、その顔、その頭の体とのバランス、髪形、ポケットに手を突っ込んで喧嘩腰で
くるその体の傾げ方・・・ヒヨそっくりだ!!!

それでも、単なる意地悪ではないところがこの脚本の優れたところ。
なんだかだ文句を言いながら、結局は右京さんたちに協力して問題を解決することに
なるのである。上司の悪などに対しても正義感が強く妥協しない、という魅力的な一面
もあり、若干の気の弱さや人情味も十分にある男。^^
ヒヨちゃんもほかの鳥に意地悪だが、猫など共通の敵が来るとギャーギャーいって
なかなか心強い。(笑)

伊丹刑事とヒヨドリの類似。そんなことを考えるのは私だけだと思うが、いつも
伊丹刑事を見ても、ヒヨドリを見ても、片方を思い出しぷっと吹き出してしまう。
演じる川原和久さん。ほんとうに上手いなあ!伊丹刑事になり切っている、というか
伊丹刑事という人物の造形、見事だなと思ってしまう。



さて。すっかり話が脱線してしまった。


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これは、この正月、お婿さんが作って持ってきてくれた餌台2号。
メジロなどが来ても、ヒヨドリが追い払う、という話を私が何気なくしたら、
ヒヨドリの入れない餌台を考案して作ってきてくれた!(笑)

左右二か所に、メジロやシジュウカラくらいの大きさの鳥しか入れないような
丸い入り口が開いており、後ろ側は開放口だが、大きい鳥には入れないし首も
突っ込めないくらいの幅で柵がしてあり、しかし、小さい小鳥がちょっとつかんで
飛んで入るのには便利なように、柵には斜めの細い竹ひごが渡してある。
前面は透明な塩ビ板が覆っていて、風や雨や大きな侵入者を防ぐ。
餌を出し入れする私は、この前面の塩ビ板を開けて蜜柑を置いたりするのである。
蜜柑などをつつくのに便利なようにつかまる枝や、まあ!冬場の寒さに少しでも
耐えられるようにか、下には棕櫚か何かのクッション材まで敷いてある!(笑)

お婿さんが自分のところにあった工作材料の余りを利用して作ったこのメジロの家は、
壁にはたまたま夕焼けの山々を描いたような絵の入った端材が使ってあり、天井の塩ビ板
もまた、なにか秋の紅葉した葉っぱのような絵が描いてある。

まあ、なんと居心地のよさそうな!
私が小さかったら、住んでみたいような家である!(笑)
とりわけ、あたりが薄暗くなりかけたころには、天井から入る太陽の余光が壁に描いた
夕焼けの山と空のような絵を赤々と照らし、本当にそこに小さな夕焼けの景色があるようだ。




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愉快なのは、この入り口で。
これも資材の余りを利用して作ったらしいのだが、『日活ホテル』などと書いてある!
この穴から入るメジロなど小さな鳥が、入りやすいように玄関の止まり場もあって、
これもなかなか具合がよさそうだ。^^


可笑しいのは、これを取り付けた日の夕方、賢くて好奇心の強いシジュウカラが
さっそく見に来て、背伸びして中を覗き込んでいたこと。なんだ、僕たち向けの餌は
ないや、と知ると、すぐに好奇心をなくしたようだが、小鳥たちにもそれぞれ個性と
いうか、種に独特の性格があるようで面白い。
シジュウカラは、今言ったように、非常に賢くて勇気のある鳥だ。ものの本によれば、
寒い時期が来ると、場所によってはシジュウカラはコガラヤエナガなどと混群を作って、
その偵察役、情報収集役・・・、群れのリーダーのような働きをするらしい。
いつも我が家の狭い範囲内で観察していても、なるほどさもあらん、という感じの
する鳥だ。
メジロもまだ今季になってからこの環境にまだ慣れないので、おずおずとだが、
偵察に来て、同じく背伸びして覗き込んでいたのが非常に可愛かった。
小鳥は、びよ~んと伸びます。(笑)




さて。不満なのが、排除されたヒヨドリである。(笑)
何度も木斛の木に飛んできては様子をうかがっていた。
だが、中の蜜柑はヒヨドリには口も手も届かない。
「怒ってるだろな~」と可笑しい。でも、可愛そうでもある。
ヒヨはこの庭の番人であり、ある意味の主でもある。それが排除されたのだ。
このヒヨドリは、どうも従来のヒヨドリに比べると、あまり猛々しいところが少なく、
あまりいつもギャーギャー言わない。女の子でもあるのかな。
いつも昔からここに来ていた歴代ヒヨドリたちは、もっと闘争的だったんだが。

おとなしく木斛の木に来て陰に止まっているヒヨを見ていると可哀そうになった。
人間の勝手な思い込みということは重々わかっているのだが。





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すると。お婿さんが、また、こんな新しい餌台を作ってきたのだ。
ひよどりさま専用餌台。(爆)

シジュウカラやメジロと競争しないよう、家の庭の違う側に杭で差し込んである。
日当たりもよく開放的で、びゅんびゅん飛び回るヒヨちゃんにはおあつらえ向きだ。
『ひよどり』、『ドライブイン』という札が。^^

さてさて。
ヒヨちゃんは、ここが自分の餌場、と認識すると、ますます縄張り意識を発揮し、
「ヒヨちゃん自身がつらかろうなあ・・・」と、こちらが余計な心配をしてしまうほど、
一日中見張りでテンパっていることになりがちだ。><
本人の気の休まるときがない。(笑)

だから、ヒヨちゃん用のパンくずなどはこれまでも出してこなかった。人間用のパンは、
添加物も多いだろうし。
でもなあ。せっかくこんな快適そうなヒヨドリ専用のドライブインレストランが
出来たのだ。ヒヨちゃんの好物の、とろとろに甘い熟柿と、パンを特別に今日は
出してあげよう・・・・・・


さて。ヒヨちゃんは、喜んでここに居座ったか。


・・・・・・・・・







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小さな体に似ず、結構豪胆な性格のメジロが、先に熟柿を食べていた!(爆)












プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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