『終戦記念日とオリンピック 』
8月15日。
今日は67回目の終戦記念日だった 。
17日間にわたるロンドンオリンピックも終わり、
消費税増税をめぐる国会のどたばたも、気持ち的には不燃焼のまま一件落着して、
世の中は、夏の暑さの中、一種の虚脱状態。
1945年の8月15日。日本が戦争に負けた日も、夏らしく晴れた日だったという。
その日、日本中を襲った虚脱感と一種の解放感…
私もまだ生まれていなくて知っているわけもないのだが、8月15日と言うと、
なぜか、その日の空虚感が日本人としてのDNAの中に組み込まれていて、
まるでその日を生きていたような気分になる……
オリンピックが終わったということもあって、今年はとりわけそんな感じを受ける。
今日は私も、太平洋戦争で散った多くの命を想い、黙祷を捧げた……
さて。
第30回目のオリンピック競技会ロンドン大会。いかがでしたか。
無論たくさんのアスリートたちの活躍、素晴らしいのだけれど、
私にとって毎回のオリンピックでいつも心に残るのは、開会式閉会式の模様に
顕著に表れる、その時の開催国の想いというか、その国の歴史と文化の色と
いうようなものである。
今回のロンドンオリンピックには、衰えたりと言えどイギリスという国の
やはり文化と歴史の重層性のすごさ、というか厚みを感じたなあ……!
ロンドンの美しい歴史的建造物群や、緑の豊かさ、テームズ川の流れ…
テレビの前でロンドン歴史散歩をしているような気分を味わえた。
そして何より深く印象づけられたのが、イギリスが世界に送り出した文化の、
その圧倒的な量と質の高さである。
産業革命の頃から、今日まで。イギリス文化が世界に与えた影響のどれほど大きかったことか!
音楽一つとっても、ビートルズ、ローリングストーンズ、デヴィッド・ボウイ、
エリック・クラプトン、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、クイーン、
セックス・ピストルズ、オアシス、ピンク・フロイド、……
なんというビッグネームばかりだろう!
そして、また例えば、児童文学の分野でも、イギリスが世界の子供たちにくれた贈り物は
なんと大きかったことだろう!
開会式の中で使われただけでも、ピーターパン、メアリー・ポピンズ、チキチキバンバン、
不思議の国のアリス、そしてあのハリー・ポッターシリーズの作者、J.K.ローリング
さんはなんと、ピーターパンの朗読生出演……
文学で言えば、『テンペスト』から一節が引用されたシェークスピア、ディケンズ、…
…まあ、今回使われなくても、イギリスが世界に誇れる詩や戯曲、小説など文学上の傑作は
数知れず。
大英帝国がその世界における覇権を失い、斜陽の国と言われて久しいけれど、
こうやってその文化の厚みと、世界に与えた影響、多くの喜びを見てくると、
この国はやはり、今でもすごいなあ!と舌を巻いてしまう…
映画もすごい!
ジェームズ・ボンドシリーズは世界を長きにわたって魅了しているが、6代目ジェームズ・ボンドの
ダニエル・クレイグが、なんと!バッキンガム宮殿にエリザベス女王を迎えに行き、
オリンピック会場までエスコートするという、びっくりするような演出!
なんと女王様が、オリンピックの開会式のショーに自ら出演なさるとは!!!
日本の皇室では考えられないことだ。いいとか悪いとかの問題ではないけれども…
女王陛下の愛犬までが名演技!
そういえば、このウェルシュ・コ―ギ―というのもイギリス、ウェールズ地方が原産だからなあ。
そのイギリスの生んだ数々の映画の中で、名作の誉れたかいものの一つに
開会式のショーで使われた『炎のランナー』がある。
ベルリン・フィルの主席指揮者をしているサイモン・ラトルが
ロンドン・シンフォニー・オーケストラを指揮して、映画『炎のランナー』の主題曲を
演奏するのだが、そこにちゃっかり、あの『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソンが
紛れ込んでいるという趣向!
さて。今日書きたいのは、この『炎のランナー』という映画のエピソードである。
『炎のランナー』は、1981年のイギリス映画。アカデミー賞の作品賞のほか、
脚本、作曲、衣裳デザイン賞を受賞している。
これは1924年のパリ・オリンピックに出た二人のイギリス人ランナー(実在の人物)を
主人公にした青春群像を描いた名作である。
一人は、ユダヤの血を引くケンブリッジ大学学生ハロルド。彼は、自分の民族の血のゆえに
受ける潜在的差別を、走ることによって跳ね返し、自分が英国の民である
証をオリンピックで勝つことによって示したいと思っている。
今ひとりはスコットランドから来た青年エリック。中国生まれのキリスト教青年伝道師。
父が中国で伝道していた関係でそこで生まれた。
この二人のランナーを中心にして、恋や友情、スポーツ精神、そして人種差別などの
問題も絡めた人間ドラマが描かれていく。
エリックは、100メートル走に出る予定だったのだが、その予選の日は運悪く日曜日。
敬虔な宣教師であるエリックは、安息日に走ることはできない。
王太子やサザーランド公など要人からも、イギリスの代表として国の名誉のために
走れと言われ、苦境に立たされる……
まあ、映画をこれからご覧になりたいと思われる方のために、これ以上のストーリーは
話さないでおくが、映画の後日談ならいいだろう。
ユダヤ人のハロルドは後に、弁護士、キャスター、スポーツ組織指導者となって、
イギリスのアマチュアスポーツ界に貢献し1978年に亡くなっている。
一方のエリック・リデルは、生まれ故郷の中国に渡り宣教師となり、
日本軍の捕虜収容所に抑留されたまま1945年に43歳の若さで脳腫瘍で亡くなったそうだ。
日本軍の捕虜収容所、と言えば、今回、開会式で日本選手団が、行進後、
各国選手団が行進が終わるまで待っている会場中央部でなく、なぜかそのまま
通路から外に誘導されてしまい、聖火の点火も見ることが出来なかったのを
ご存じでいらっしゃるだろうか。
日本人が会場の外に誘導されていなくなってしまったのに気づいた日本人の観客から
『なぜ、なぜ?』というつぶやきがネット上で瞬く間に広がり、
日本人選手団が身につけていた、東北大震災瓦礫の木片で作った応援バッジが、
放射能を帯びているのでは、とイギリスのオリンピック委員会が恐れたからだ、とか、
いや、日本人が太平洋戦争の時、イギリス人捕虜などに対し、人道的でない
ひどい扱いをしたことを、今でも在命中のイギリス人軍属やその家族は
許していないからだ、などと、いろんなうわさが飛び交った!
私は、そのバッジの件については、子どもたちを利用して、隅っこに
『みんなの力でがれき処理』と書いた応援バッジを選手に渡すなどという、
政府の無センスと、子供やオリンピックを瓦礫拡散の宣伝に利用する姑息を憎むが、でも、
日本人選手団の誤誘導(現地オリンピック委員会が誤誘導を謝罪している)と、
バッジは関係ないだろうと思っている。
世界のスポーツの祭典で、そんな戦争中の恨みを晴らすなどという、
ネットで飛び交う噂のような馬鹿馬鹿しいことも、同様にあるわけはないのだが、
そのこととは別にして、旧日本軍に対して、イギリス、オーストラリアなど
連合軍側の元捕虜たちが、捕虜収容所でのひどい待遇について、いまだに許していない
者がいる、ということは否定しがたい事実であろう。ずっと以前だがNHKの番組で
見たことがある。
英国軍兵士に対する旧日本軍による虐待の事実がすぐわかる資料というのが
見つけられなかったが、下のような日本人学究による研究の一部を見てみれば、
現在、『日本軍による南京大虐殺はなかった』とか、
『沖縄で軍属の人間による集団自決の強要はあり得ない』とか、
『日本人は捕虜に対し丁重であって、虐待の事実はない、ゴボウを調理して出した物を
木の根っこを食べさせられた!と誤解しているだけだ』、
などという、戦争賛美者の言が、いかに、歴史の事実を歪曲しそこから目をそむけようと
しているか、ということがわかるだろう。
とりわけ、中国大陸における日本軍の残虐は、目をそむけたくなる!
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/pow.html
これを、捏造だというか、それを信じるかどうかは、それを見る者の良心と想像力の
問題であろうと私は思う。
日本人兵士だけを責めているつもりはない。
戦争というものはなべて、人間をこういう生きものにしてしまうのだ!ということを、
私たちは知っておかねばならないと思うのである。
それは日本人、ドイツ人、アメリカ人、アラブ人…民族に関係ないのである。
アメリカの兵士が爆風でボロボロの雑巾のようになったベトナム人の死体を
ぶら下げて笑っている有名な写真をご覧になった方も多いだろう。
戦争は人間の人格を変えてしまう。あるいは、人間の中にこのような獣性は
もともとあって、戦争がそれを引き出してしまうのか…
どちらにしても、私たちは、人間というものの、そうした怖い側面に
目をつむるのではなく、直視しなければならないと思う。
話をエリック・リデルに戻そう。
実は私も、映画はずっと前に見ていたけれど、主人公の一人、1924年
パリ・オリンピックの400メートル金メダルのエリック・リデルが
日本軍の捕虜収容所で亡くなったとは、このオリンピックまで知らなかった。
知人から聞いて驚いたのである。
それで自分でも調べて見ていたら、こんなさらなる後日談を教えてくださるブログに出会った。
もともとはずっと前の東京新聞の記事だそうである。さすが東京新聞!というか…。
ブログを一部引用させていただく。
映画『炎のランナー』の主人公のモデルとなった1924年の
パリ五輪400メートル走で優勝し金メダルを獲得した英国人エリック・リデルさんは、
国民的英雄だったが、その後宣教師として中国へ。太平洋戦争開戦で日本軍の
民間収容所に入れられ1945年2月に病死した。
そのリデルさんと同じ収容所に入れられた宣教師の子供として中国に生まれ育った
スティーブン・メティカフさんは終戦までの四年間を一緒に過ごした。
当時、メティカフさんにとっては日本は憎しみの対象である『敵国』。
しかし、信仰深いリデルさんから聖書について学び、その意識が変えられていったという。
聖書の『汝(なんじ)の敵を愛せよ』という言葉をめぐって論争。
メティカフさんが『日本の憲兵を愛するなんてできるのか。この言葉は単に理想だ』
と問いかけてみたが、戦争に駆り立てられる日本人のために、熱心に祈りをささげる
リデルさんの姿に次第に自らも祈るように変わった。
収容所で死亡したリデルさんから贈られた運動靴をはき、その棺をかついだメティカフさんは
『生きてここを出られたら、日本のために宣教師として働こう』と決意。
終戦後、日本を憎む周囲の反対を振り切って来日し、1990年まで日本で伝道活動を続けた。
メティカフさんは出版する本を通じて
『日本は豊かになり、国際的な視点も持つようになったが、あの戦争について
あまりにも教えてこなかった。リデルさんの遺志を伝え、断絶を埋めたい』
と日本の若者に語りかけんとしている。
このようなストリーに日本人が接することは少ない。
日本人の心にこのような寛容さがあるのであろうか?と私は時たま思うことがある。
日本人の論理構造や精神構造の中には、リデルさんやメティカフが心の中に持つ
『幅の広さ』や『奥の深さ』が感じらず、極めて限られた幅しか持っていないのではないか?
と時たま感じているのは私だけであろうか?私はクリスチャンでは無いが、
時たま西洋人と接し、日本人とは違う何らかの『幅』を感ずることがある。
このブログの方のURLを、記事を書いている間に消去してしまった!
ご本人にはコメント欄へ、記事引用させてほしいというお断りをしてはあるのだが、
ここで、お礼を述べさせていただきたい。
スティーブン・メティカフさんの言葉。
『日本は豊かになり、国際的な視点も持つようになったが、あの戦争について
あまりにも教えてこなかった。リデルさんの遺志を伝え、断絶を埋めたい』
に、私は日本人として、深く恥じ入り、頭を下げたい心持である。
また、ブログの方の最後の疑問にも、深く共感する。
日本人は戦後、太平洋戦争について真実を直視し、後世にそれを負の教訓として
ちゃんと伝えてきたであろうか。
例えば、731部隊。中国大陸で日本軍が行ってきた人体実験。
しかし、その詳細は明らかにされることなく歴史の闇の中に埋もれようとしている。
731部隊の情報をすべてアメリカ軍に提供することと引き換えに、731部隊の
責任者たち、…その真実が明らかにされれば、A級戦犯として裁かれること
間違いなしの責任者たちが免責された、というのはWikipedeaなどにも書いてある。
731部隊の生き残りたちは、戦後そうやって、アメリカ軍と取引することによって
誰ひとり戦時の責任を訴追されることなく、日本の衛生学行政や学界などで
中枢の役についていくのである。
この731部隊の生き残りは、あの薬害エイズを引き起こしたミドリ十字設立にも
関わっている。
歴史上の汚点を直視しない人々によって、新たな別の悲劇が引き起こされたということだ。
アメリカとの圧倒的な戦力の差という現実を見ず、ただ小奇麗な精神論だけで戦争に勝つと
兵士を国民を鼓舞し、結局自国の兵士も国民も、そしてアジアの人々をも
死と不幸に陥れた日本の軍部上層部と時の政府。
それから、それを許しむしろお先棒を担いで、戦争に駆り立てたジャーナリズム、
さらに言えば、日本が戦争に突入して行くのを、止められなかった国民自身。
その構造は、『原発は安価でクリーンで安全なエネルギー』という小奇麗な嘘で、
結局、福島第一原発事故を引き起こしてしまった電力会社、政府、
経済界、マスコミ、学界、そしてそれを見過ごしにしてきた国民の構図と
なんと似ていることであろう。
ここでも、自分たちに都合の悪い情報は隠ぺいするか、敢えて見ないようにする、という体質や、
いやなことを直視したくない、お上の言うことにただ従う、という心性が、
悲劇を生みだす、という教訓が少しも生かされていない。
エリック・リデルや、スティ―ブン・メティカフ両師のように、自分たちを捕虜として
いた敵国日本のためにさえ祈ろうとするこころ。
大飯原発再稼動に。遠くヨーロッパやアメリカで抗議行動をしてくれるそのこころ。
一方で、南京大虐殺を、『そんなに殺していない。数週間という短期間で一説には20万
から数万とも言われる人間を殺せるはずがない』と、人数の問題に帰してしまおうとしたり、
はては『南京虐殺はなかった』と言い張る人が、政治家や知識人の間にさえいる日本。
ああ!…『福島の事故では一人も直接放射能で死んだ人はいない』とか、
『プルトニウムは飲んでも大丈夫』『100ミリシーベルト以下は大丈夫』という
いい方と、なんと似ているのであろうか!
イギリス人だからとか、日本人だから、ということとは関係ない、
こうした、現実の危機を過小評価し、必要な時に必要な手を打とうとしない怠慢と傲慢、
想像力の欠如、そして他人に痛みに対する鈍感さを私は憎むのである!
太平洋戦争終結67年目のこの日や、広島、長崎の原爆記念日を、
日本人が原爆にやられた日、日本人が戦争に負けた日、と記憶してはならないと思う。
私たち自身の中にも潜む、この獣性。それを戦争などによって引き出したり
しないようにするために。
戦争というものは。気がついたら、そこに来ている!
そうなったらもうなかなかのことでは止められない。そうなる前に、その恐ろしい萌芽に
気づいて、芽を摘み取ることである。
それは原発事故も、食糧危機も、金融大崩壊も、社会の制度崩壊も、皆同じである…。
ロンドンオリンピックの開会式を見ていてもう一つ感じたこと。
子どもたちがたくさん、ベッドにいる演出を皆さん覚えておいでだろう。
あそこで、イギリスでもっとも有名なこども病院として、GOSH(グレート・オーモンド・
ストリート・ホスピタルの頭文字)が紹介される。1852年(!!!)にロンドンで設立された
イギリスでもっとも古い子ども病院。
ここは難病の子供達を専門的に治療するイギリスで一番有名な高度治療を行う小児科病院。
国民保険で難病の子供達を救う最後の砦である。
ピーター・パンの作者ジェームズ・バリからピーター・パンの著作権料を1929年以来、
寄付されていることで運営されていることで知られている。そうか!それであの演出か!
また、次にNHS(ナショナル ・ヘルス・サービス)も紹介される。
これはイギリスが世界に誇る医療制度の頭文字。第二次世界大戦直後の1948年、
誰でも安心して等しく医療が受けられるよう作られた制度だという。
利用者の健康リスクや経済的な支払い能力にかかわらず利用が可能であり、
完全に無料で、しかも、6か月以上合法的にイギリスに滞在することが可能なビザを
取得している外国籍の学生などまでもが利用することができる。
そしてあの時踊っていた看護婦さんやお医者さんなどの役は、現役の看護婦さんなどが
務めていたとも。
もし、日本の東京でオリンピックを開催するとして、2002年に大蔵病院と統合され、
今は、国立成育医療センターとなっている旧国立小児病院や、
国民健康保険制度を、こんなふうに、世界に向けて誇らしく紹介するだろうか?
私は、イギリスがすべて日本に勝る、とは決して言っていない。
しかし、こども病院GOSHにしても、NHSにしても、
なんと素晴らしいシステムであり、またそれをオリンピックで、
世界に先駆けた産業革命や、シェークスピアやディケンズやビートルズなどの芸術などと
並べて、『自国の誇るもの』として世界に紹介するイギリスという国!
日本でも1961年に、国民すべてが公的医療保険に加入する国民皆保険体制が整えられている。
日本が世界に誇れる素晴らしい制度である!
アメリカなどはこれがないために、盲腸の手術で一家が破産するほどの高額の医療費を
無保険者は払わなければならなかったりする。これを何とか日本のように皆保険に
持って行きたいという理想を掲げたヒラリー・クリントンは、共和党支持者、製薬会社、
医学界、保険会社、高額所得者などの激しい抵抗に会って実現できずにいる。
日本人は、自らの今手にしているしあわせに鈍感である。
その幸せは、先人達が血のにじむ努力や時には迫害を受けつつ獲得してきた権利である。
今回のオリンピックで初めて、参加国すべてが男女参加にこぎつけたのだ、ということを
御記憶なさった方も多いだろう。びっくりしませんか?!
女はオリンピックに出られない、という国が前の大会まであったのだ。
日本じゃ当たり前に女もスポーツできるし、選挙権もある。
でも、その我が国だって、婦人が、国でも地方でも参政権を得たのは、戦争後の1946年のことである。
それまでには、幸徳秋水や青鞜の平塚らいてうや奥むめお、また菅直人が青年の頃
市民運動家としてそのもとでスタートを切った、あの市川房枝などが、
砂を噛むような悔しさの中、血を吐くような訴えを続けてようやく獲得した女性の権利なのである。
婦人参政権も、言論の自由も(幸徳秋水は戦争に反対し、足尾鉱毒事件で田中正造が
明治天皇に直訴した時、その原稿の下書きを書いてくれと言われて多くのものが
尻ごみする中、ただ一人引き受けて原稿下書きを作成してやった。大逆罪の罪を
着せられ死刑)、国民皆保険も、日本で当たり前、と思われていることが、
今回のリンピック参加国の多くで、まだまだ実現不能な遠い悲願であることを、
私たちは知っておかねばならないのではないだろうか?
その貴重な、私たちの宝を、ぼんやりして失ってしまってはならない!
平和は脆い。
『戦争が 廊下の奥に 立ってゐた』
と言う渡辺白泉の句のように、
戦争はいつのまにか私たちの傍まで来て立つ。
これは第二次世界大戦が始まった昭和14年の句。時勢に敏感な俳人の
感覚が、近づいてくる戦争の足音と自らの応召を予感したか。(大岡信)
この渡辺白泉も、昭和15年、治安維持法違反で監獄へ入れられている。
日本が世界に誇れる国民皆保険制度。それも今、危機に瀕しているのをご存じか。
『きっと誰かに愛されている』ブログの愛希穂さんの記事をまた参照させていただく。
『社会保障制度改革推進法案』なるものが、オリンピックと政局のどさくさに紛れて
今にも国会に提出されようとしているのだ。
詳しくは愛希穂さんの記事を読んでほしい。
①健康保険の適用範囲の縮小。有効性や安全性が認められても費用の高い医療技術や薬は健康保険を適用しない。
②免責制度の導入。たとえば、1回の医療費が5000円以下は健康保険を適用しないなど。
③高齢者の医療では、本人や家族が望んでも、健康保険を使った終末期の延命治療を一切行わない。
④健康保険が適用される薬はジェネリックで、同じ有効成分の先発薬を使う場合は差額が自己負担になり、選択肢が狭められる。
私もこれをtwitterから、ダイアモンド社の記事に入って知り、今、非常な危惧を感じている。
前に、TPPのことでも、日本のこの大切に守って世界に誇りたい国民皆保険制度が
冒されそうだ、という記事を書いたことがあるが、こんな法案が通り、TPPに
加入してしまったら、日本もアメリカのような国になってしまう。
いったん、その制度が崩れてしまったら、クリントンのような実力者がいくら
動いても、容易に構築できないのが、社会保障制度である。
…イギリスは『斜陽の帝国』と言われ、世界のリーダーの地位ははるか以前に
アメリカに譲った。内部に大きな問題も抱えている。
まず第一はアイルランドとの、長い長い戦争と憎しみの歴史である。
貴族を中心としたエリートと、労働者階級の、越え難い身分差もある。
経済だって問題山積み。
…決してオリンピックで謳いあげているような理想の国ではない。
それでも。それでも、である!
こうやって世界に向けて宣伝して支援金を集めたいという目的があるにせよ、
国立こども病院や、皆保険制度をオリンピックで誇り高く歌いあげて、
どんなに経済が苦しくともそれを守ろうとする強い意志を持つ国と、
「経済、経済!」と、経済や金のためなら、国民の健康と安全など二の次、
三の次にしかねない国、折角の皆保険制度を粗末にして崩壊させてしまいかねない国と、
どっちをあなたは誇りたいか!!??選びたいか??!!
さあ…また長くなってしまった…
でも、こんなことを、ぼんやり開会式の画面を眠くなった目で見ながら
考えていた彼岸花であった。
国民は、自らの手で政治を動かす知恵と力を持たねば、それはいとも簡単に
あなた方の権利を奪う。
自分たちの健康と安全としあわせは、自らの手で守っていかねば、それを巧妙な
言葉で奪うものが待ち構えている。
原発、TPP,治安維持法に似て言論統制、思想統制につながる秘密保全法やACTA条約、
戦争につながる集団自衛権の拡大解釈や改憲問題、そしてこの社会保障制度改革推進法案……
今の政治は油断すると、私たちが歴史で折角、折角、そこから必死で逃れて来たものへ
再び逆行させようとしているようにしか見えない。
わたしより若い世代に、このことをしっかり伝えておきたい、そう願いつつ、
67回目の終戦記念の日に書き記しておく。
最後に、ローワン・アトキンソンのパロディではなく、映画『炎のランナー』でもなく、
本当の、エリック・リデルとハロルド・エイブラハムスのパリ・オリンピックの走りを
見つけたのでご紹介しておこう。
胸のゼッケン419がハロルド・エイブラハムス。ゼッケン451がエリック・リデル。
オリンピックはすばらしい。毎回、身体も心も鍛え抜かれたアスリートたちが見せてくれる
感動のドラマ。今回もなんとたくさんの感動を与えてくれたことだろう!
人間は、スポーツで、芸術で、そしてエリック・リデルやハロルド・エイブラハムスのように
その崇高な精神で、生きる喜びと勇気を示すことが出来る生きものである。
しかしまた、戦争や原発事故、思想統制による同胞迫害、環境破壊など、恐ろしいことを
引き起こす動物でもある。そのことを自覚していよう……
*
憲法改悪して、自衛隊を武装させて海外派遣したくてたまらない、
『地下式原子力発電所政策推進議員連盟』の推進者で、核武装論者の安倍晋三氏に
橋下氏の大阪維新の会が、この15日、合流を要請した…
今日は67回目の終戦記念日だった 。
17日間にわたるロンドンオリンピックも終わり、
消費税増税をめぐる国会のどたばたも、気持ち的には不燃焼のまま一件落着して、
世の中は、夏の暑さの中、一種の虚脱状態。
1945年の8月15日。日本が戦争に負けた日も、夏らしく晴れた日だったという。
その日、日本中を襲った虚脱感と一種の解放感…
私もまだ生まれていなくて知っているわけもないのだが、8月15日と言うと、
なぜか、その日の空虚感が日本人としてのDNAの中に組み込まれていて、
まるでその日を生きていたような気分になる……
オリンピックが終わったということもあって、今年はとりわけそんな感じを受ける。
今日は私も、太平洋戦争で散った多くの命を想い、黙祷を捧げた……
さて。
第30回目のオリンピック競技会ロンドン大会。いかがでしたか。
無論たくさんのアスリートたちの活躍、素晴らしいのだけれど、
私にとって毎回のオリンピックでいつも心に残るのは、開会式閉会式の模様に
顕著に表れる、その時の開催国の想いというか、その国の歴史と文化の色と
いうようなものである。
今回のロンドンオリンピックには、衰えたりと言えどイギリスという国の
やはり文化と歴史の重層性のすごさ、というか厚みを感じたなあ……!
ロンドンの美しい歴史的建造物群や、緑の豊かさ、テームズ川の流れ…
テレビの前でロンドン歴史散歩をしているような気分を味わえた。
そして何より深く印象づけられたのが、イギリスが世界に送り出した文化の、
その圧倒的な量と質の高さである。
産業革命の頃から、今日まで。イギリス文化が世界に与えた影響のどれほど大きかったことか!
音楽一つとっても、ビートルズ、ローリングストーンズ、デヴィッド・ボウイ、
エリック・クラプトン、ザ・フー、レッド・ツェッペリン、クイーン、
セックス・ピストルズ、オアシス、ピンク・フロイド、……
なんというビッグネームばかりだろう!
そして、また例えば、児童文学の分野でも、イギリスが世界の子供たちにくれた贈り物は
なんと大きかったことだろう!
開会式の中で使われただけでも、ピーターパン、メアリー・ポピンズ、チキチキバンバン、
不思議の国のアリス、そしてあのハリー・ポッターシリーズの作者、J.K.ローリング
さんはなんと、ピーターパンの朗読生出演……
文学で言えば、『テンペスト』から一節が引用されたシェークスピア、ディケンズ、…
…まあ、今回使われなくても、イギリスが世界に誇れる詩や戯曲、小説など文学上の傑作は
数知れず。
大英帝国がその世界における覇権を失い、斜陽の国と言われて久しいけれど、
こうやってその文化の厚みと、世界に与えた影響、多くの喜びを見てくると、
この国はやはり、今でもすごいなあ!と舌を巻いてしまう…
映画もすごい!
ジェームズ・ボンドシリーズは世界を長きにわたって魅了しているが、6代目ジェームズ・ボンドの
ダニエル・クレイグが、なんと!バッキンガム宮殿にエリザベス女王を迎えに行き、
オリンピック会場までエスコートするという、びっくりするような演出!
なんと女王様が、オリンピックの開会式のショーに自ら出演なさるとは!!!
日本の皇室では考えられないことだ。いいとか悪いとかの問題ではないけれども…
女王陛下の愛犬までが名演技!
そういえば、このウェルシュ・コ―ギ―というのもイギリス、ウェールズ地方が原産だからなあ。
そのイギリスの生んだ数々の映画の中で、名作の誉れたかいものの一つに
開会式のショーで使われた『炎のランナー』がある。
ベルリン・フィルの主席指揮者をしているサイモン・ラトルが
ロンドン・シンフォニー・オーケストラを指揮して、映画『炎のランナー』の主題曲を
演奏するのだが、そこにちゃっかり、あの『Mr.ビーン』のローワン・アトキンソンが
紛れ込んでいるという趣向!
さて。今日書きたいのは、この『炎のランナー』という映画のエピソードである。
『炎のランナー』は、1981年のイギリス映画。アカデミー賞の作品賞のほか、
脚本、作曲、衣裳デザイン賞を受賞している。
これは1924年のパリ・オリンピックに出た二人のイギリス人ランナー(実在の人物)を
主人公にした青春群像を描いた名作である。
一人は、ユダヤの血を引くケンブリッジ大学学生ハロルド。彼は、自分の民族の血のゆえに
受ける潜在的差別を、走ることによって跳ね返し、自分が英国の民である
証をオリンピックで勝つことによって示したいと思っている。
今ひとりはスコットランドから来た青年エリック。中国生まれのキリスト教青年伝道師。
父が中国で伝道していた関係でそこで生まれた。
この二人のランナーを中心にして、恋や友情、スポーツ精神、そして人種差別などの
問題も絡めた人間ドラマが描かれていく。
エリックは、100メートル走に出る予定だったのだが、その予選の日は運悪く日曜日。
敬虔な宣教師であるエリックは、安息日に走ることはできない。
王太子やサザーランド公など要人からも、イギリスの代表として国の名誉のために
走れと言われ、苦境に立たされる……
まあ、映画をこれからご覧になりたいと思われる方のために、これ以上のストーリーは
話さないでおくが、映画の後日談ならいいだろう。
ユダヤ人のハロルドは後に、弁護士、キャスター、スポーツ組織指導者となって、
イギリスのアマチュアスポーツ界に貢献し1978年に亡くなっている。
一方のエリック・リデルは、生まれ故郷の中国に渡り宣教師となり、
日本軍の捕虜収容所に抑留されたまま1945年に43歳の若さで脳腫瘍で亡くなったそうだ。
日本軍の捕虜収容所、と言えば、今回、開会式で日本選手団が、行進後、
各国選手団が行進が終わるまで待っている会場中央部でなく、なぜかそのまま
通路から外に誘導されてしまい、聖火の点火も見ることが出来なかったのを
ご存じでいらっしゃるだろうか。
日本人が会場の外に誘導されていなくなってしまったのに気づいた日本人の観客から
『なぜ、なぜ?』というつぶやきがネット上で瞬く間に広がり、
日本人選手団が身につけていた、東北大震災瓦礫の木片で作った応援バッジが、
放射能を帯びているのでは、とイギリスのオリンピック委員会が恐れたからだ、とか、
いや、日本人が太平洋戦争の時、イギリス人捕虜などに対し、人道的でない
ひどい扱いをしたことを、今でも在命中のイギリス人軍属やその家族は
許していないからだ、などと、いろんなうわさが飛び交った!
私は、そのバッジの件については、子どもたちを利用して、隅っこに
『みんなの力でがれき処理』と書いた応援バッジを選手に渡すなどという、
政府の無センスと、子供やオリンピックを瓦礫拡散の宣伝に利用する姑息を憎むが、でも、
日本人選手団の誤誘導(現地オリンピック委員会が誤誘導を謝罪している)と、
バッジは関係ないだろうと思っている。
世界のスポーツの祭典で、そんな戦争中の恨みを晴らすなどという、
ネットで飛び交う噂のような馬鹿馬鹿しいことも、同様にあるわけはないのだが、
そのこととは別にして、旧日本軍に対して、イギリス、オーストラリアなど
連合軍側の元捕虜たちが、捕虜収容所でのひどい待遇について、いまだに許していない
者がいる、ということは否定しがたい事実であろう。ずっと以前だがNHKの番組で
見たことがある。
英国軍兵士に対する旧日本軍による虐待の事実がすぐわかる資料というのが
見つけられなかったが、下のような日本人学究による研究の一部を見てみれば、
現在、『日本軍による南京大虐殺はなかった』とか、
『沖縄で軍属の人間による集団自決の強要はあり得ない』とか、
『日本人は捕虜に対し丁重であって、虐待の事実はない、ゴボウを調理して出した物を
木の根っこを食べさせられた!と誤解しているだけだ』、
などという、戦争賛美者の言が、いかに、歴史の事実を歪曲しそこから目をそむけようと
しているか、ということがわかるだろう。
とりわけ、中国大陸における日本軍の残虐は、目をそむけたくなる!
http://www.geocities.jp/torikai007/1945/pow.html
これを、捏造だというか、それを信じるかどうかは、それを見る者の良心と想像力の
問題であろうと私は思う。
日本人兵士だけを責めているつもりはない。
戦争というものはなべて、人間をこういう生きものにしてしまうのだ!ということを、
私たちは知っておかねばならないと思うのである。
それは日本人、ドイツ人、アメリカ人、アラブ人…民族に関係ないのである。
アメリカの兵士が爆風でボロボロの雑巾のようになったベトナム人の死体を
ぶら下げて笑っている有名な写真をご覧になった方も多いだろう。
戦争は人間の人格を変えてしまう。あるいは、人間の中にこのような獣性は
もともとあって、戦争がそれを引き出してしまうのか…
どちらにしても、私たちは、人間というものの、そうした怖い側面に
目をつむるのではなく、直視しなければならないと思う。
話をエリック・リデルに戻そう。
実は私も、映画はずっと前に見ていたけれど、主人公の一人、1924年
パリ・オリンピックの400メートル金メダルのエリック・リデルが
日本軍の捕虜収容所で亡くなったとは、このオリンピックまで知らなかった。
知人から聞いて驚いたのである。
それで自分でも調べて見ていたら、こんなさらなる後日談を教えてくださるブログに出会った。
もともとはずっと前の東京新聞の記事だそうである。さすが東京新聞!というか…。
ブログを一部引用させていただく。
映画『炎のランナー』の主人公のモデルとなった1924年の
パリ五輪400メートル走で優勝し金メダルを獲得した英国人エリック・リデルさんは、
国民的英雄だったが、その後宣教師として中国へ。太平洋戦争開戦で日本軍の
民間収容所に入れられ1945年2月に病死した。
そのリデルさんと同じ収容所に入れられた宣教師の子供として中国に生まれ育った
スティーブン・メティカフさんは終戦までの四年間を一緒に過ごした。
当時、メティカフさんにとっては日本は憎しみの対象である『敵国』。
しかし、信仰深いリデルさんから聖書について学び、その意識が変えられていったという。
聖書の『汝(なんじ)の敵を愛せよ』という言葉をめぐって論争。
メティカフさんが『日本の憲兵を愛するなんてできるのか。この言葉は単に理想だ』
と問いかけてみたが、戦争に駆り立てられる日本人のために、熱心に祈りをささげる
リデルさんの姿に次第に自らも祈るように変わった。
収容所で死亡したリデルさんから贈られた運動靴をはき、その棺をかついだメティカフさんは
『生きてここを出られたら、日本のために宣教師として働こう』と決意。
終戦後、日本を憎む周囲の反対を振り切って来日し、1990年まで日本で伝道活動を続けた。
メティカフさんは出版する本を通じて
『日本は豊かになり、国際的な視点も持つようになったが、あの戦争について
あまりにも教えてこなかった。リデルさんの遺志を伝え、断絶を埋めたい』
と日本の若者に語りかけんとしている。
このようなストリーに日本人が接することは少ない。
日本人の心にこのような寛容さがあるのであろうか?と私は時たま思うことがある。
日本人の論理構造や精神構造の中には、リデルさんやメティカフが心の中に持つ
『幅の広さ』や『奥の深さ』が感じらず、極めて限られた幅しか持っていないのではないか?
と時たま感じているのは私だけであろうか?私はクリスチャンでは無いが、
時たま西洋人と接し、日本人とは違う何らかの『幅』を感ずることがある。
このブログの方のURLを、記事を書いている間に消去してしまった!
ご本人にはコメント欄へ、記事引用させてほしいというお断りをしてはあるのだが、
ここで、お礼を述べさせていただきたい。
スティーブン・メティカフさんの言葉。
『日本は豊かになり、国際的な視点も持つようになったが、あの戦争について
あまりにも教えてこなかった。リデルさんの遺志を伝え、断絶を埋めたい』
に、私は日本人として、深く恥じ入り、頭を下げたい心持である。
また、ブログの方の最後の疑問にも、深く共感する。
日本人は戦後、太平洋戦争について真実を直視し、後世にそれを負の教訓として
ちゃんと伝えてきたであろうか。
例えば、731部隊。中国大陸で日本軍が行ってきた人体実験。
しかし、その詳細は明らかにされることなく歴史の闇の中に埋もれようとしている。
731部隊の情報をすべてアメリカ軍に提供することと引き換えに、731部隊の
責任者たち、…その真実が明らかにされれば、A級戦犯として裁かれること
間違いなしの責任者たちが免責された、というのはWikipedeaなどにも書いてある。
731部隊の生き残りたちは、戦後そうやって、アメリカ軍と取引することによって
誰ひとり戦時の責任を訴追されることなく、日本の衛生学行政や学界などで
中枢の役についていくのである。
この731部隊の生き残りは、あの薬害エイズを引き起こしたミドリ十字設立にも
関わっている。
歴史上の汚点を直視しない人々によって、新たな別の悲劇が引き起こされたということだ。
アメリカとの圧倒的な戦力の差という現実を見ず、ただ小奇麗な精神論だけで戦争に勝つと
兵士を国民を鼓舞し、結局自国の兵士も国民も、そしてアジアの人々をも
死と不幸に陥れた日本の軍部上層部と時の政府。
それから、それを許しむしろお先棒を担いで、戦争に駆り立てたジャーナリズム、
さらに言えば、日本が戦争に突入して行くのを、止められなかった国民自身。
その構造は、『原発は安価でクリーンで安全なエネルギー』という小奇麗な嘘で、
結局、福島第一原発事故を引き起こしてしまった電力会社、政府、
経済界、マスコミ、学界、そしてそれを見過ごしにしてきた国民の構図と
なんと似ていることであろう。
ここでも、自分たちに都合の悪い情報は隠ぺいするか、敢えて見ないようにする、という体質や、
いやなことを直視したくない、お上の言うことにただ従う、という心性が、
悲劇を生みだす、という教訓が少しも生かされていない。
エリック・リデルや、スティ―ブン・メティカフ両師のように、自分たちを捕虜として
いた敵国日本のためにさえ祈ろうとするこころ。
大飯原発再稼動に。遠くヨーロッパやアメリカで抗議行動をしてくれるそのこころ。
一方で、南京大虐殺を、『そんなに殺していない。数週間という短期間で一説には20万
から数万とも言われる人間を殺せるはずがない』と、人数の問題に帰してしまおうとしたり、
はては『南京虐殺はなかった』と言い張る人が、政治家や知識人の間にさえいる日本。
ああ!…『福島の事故では一人も直接放射能で死んだ人はいない』とか、
『プルトニウムは飲んでも大丈夫』『100ミリシーベルト以下は大丈夫』という
いい方と、なんと似ているのであろうか!
イギリス人だからとか、日本人だから、ということとは関係ない、
こうした、現実の危機を過小評価し、必要な時に必要な手を打とうとしない怠慢と傲慢、
想像力の欠如、そして他人に痛みに対する鈍感さを私は憎むのである!
太平洋戦争終結67年目のこの日や、広島、長崎の原爆記念日を、
日本人が原爆にやられた日、日本人が戦争に負けた日、と記憶してはならないと思う。
私たち自身の中にも潜む、この獣性。それを戦争などによって引き出したり
しないようにするために。
戦争というものは。気がついたら、そこに来ている!
そうなったらもうなかなかのことでは止められない。そうなる前に、その恐ろしい萌芽に
気づいて、芽を摘み取ることである。
それは原発事故も、食糧危機も、金融大崩壊も、社会の制度崩壊も、皆同じである…。
ロンドンオリンピックの開会式を見ていてもう一つ感じたこと。
子どもたちがたくさん、ベッドにいる演出を皆さん覚えておいでだろう。
あそこで、イギリスでもっとも有名なこども病院として、GOSH(グレート・オーモンド・
ストリート・ホスピタルの頭文字)が紹介される。1852年(!!!)にロンドンで設立された
イギリスでもっとも古い子ども病院。
ここは難病の子供達を専門的に治療するイギリスで一番有名な高度治療を行う小児科病院。
国民保険で難病の子供達を救う最後の砦である。
ピーター・パンの作者ジェームズ・バリからピーター・パンの著作権料を1929年以来、
寄付されていることで運営されていることで知られている。そうか!それであの演出か!
また、次にNHS(ナショナル ・ヘルス・サービス)も紹介される。
これはイギリスが世界に誇る医療制度の頭文字。第二次世界大戦直後の1948年、
誰でも安心して等しく医療が受けられるよう作られた制度だという。
利用者の健康リスクや経済的な支払い能力にかかわらず利用が可能であり、
完全に無料で、しかも、6か月以上合法的にイギリスに滞在することが可能なビザを
取得している外国籍の学生などまでもが利用することができる。
そしてあの時踊っていた看護婦さんやお医者さんなどの役は、現役の看護婦さんなどが
務めていたとも。
もし、日本の東京でオリンピックを開催するとして、2002年に大蔵病院と統合され、
今は、国立成育医療センターとなっている旧国立小児病院や、
国民健康保険制度を、こんなふうに、世界に向けて誇らしく紹介するだろうか?
私は、イギリスがすべて日本に勝る、とは決して言っていない。
しかし、こども病院GOSHにしても、NHSにしても、
なんと素晴らしいシステムであり、またそれをオリンピックで、
世界に先駆けた産業革命や、シェークスピアやディケンズやビートルズなどの芸術などと
並べて、『自国の誇るもの』として世界に紹介するイギリスという国!
日本でも1961年に、国民すべてが公的医療保険に加入する国民皆保険体制が整えられている。
日本が世界に誇れる素晴らしい制度である!
アメリカなどはこれがないために、盲腸の手術で一家が破産するほどの高額の医療費を
無保険者は払わなければならなかったりする。これを何とか日本のように皆保険に
持って行きたいという理想を掲げたヒラリー・クリントンは、共和党支持者、製薬会社、
医学界、保険会社、高額所得者などの激しい抵抗に会って実現できずにいる。
日本人は、自らの今手にしているしあわせに鈍感である。
その幸せは、先人達が血のにじむ努力や時には迫害を受けつつ獲得してきた権利である。
今回のオリンピックで初めて、参加国すべてが男女参加にこぎつけたのだ、ということを
御記憶なさった方も多いだろう。びっくりしませんか?!
女はオリンピックに出られない、という国が前の大会まであったのだ。
日本じゃ当たり前に女もスポーツできるし、選挙権もある。
でも、その我が国だって、婦人が、国でも地方でも参政権を得たのは、戦争後の1946年のことである。
それまでには、幸徳秋水や青鞜の平塚らいてうや奥むめお、また菅直人が青年の頃
市民運動家としてそのもとでスタートを切った、あの市川房枝などが、
砂を噛むような悔しさの中、血を吐くような訴えを続けてようやく獲得した女性の権利なのである。
婦人参政権も、言論の自由も(幸徳秋水は戦争に反対し、足尾鉱毒事件で田中正造が
明治天皇に直訴した時、その原稿の下書きを書いてくれと言われて多くのものが
尻ごみする中、ただ一人引き受けて原稿下書きを作成してやった。大逆罪の罪を
着せられ死刑)、国民皆保険も、日本で当たり前、と思われていることが、
今回のリンピック参加国の多くで、まだまだ実現不能な遠い悲願であることを、
私たちは知っておかねばならないのではないだろうか?
その貴重な、私たちの宝を、ぼんやりして失ってしまってはならない!
平和は脆い。
『戦争が 廊下の奥に 立ってゐた』
と言う渡辺白泉の句のように、
戦争はいつのまにか私たちの傍まで来て立つ。
これは第二次世界大戦が始まった昭和14年の句。時勢に敏感な俳人の
感覚が、近づいてくる戦争の足音と自らの応召を予感したか。(大岡信)
この渡辺白泉も、昭和15年、治安維持法違反で監獄へ入れられている。
日本が世界に誇れる国民皆保険制度。それも今、危機に瀕しているのをご存じか。
『きっと誰かに愛されている』ブログの愛希穂さんの記事をまた参照させていただく。
『社会保障制度改革推進法案』なるものが、オリンピックと政局のどさくさに紛れて
今にも国会に提出されようとしているのだ。
詳しくは愛希穂さんの記事を読んでほしい。
①健康保険の適用範囲の縮小。有効性や安全性が認められても費用の高い医療技術や薬は健康保険を適用しない。
②免責制度の導入。たとえば、1回の医療費が5000円以下は健康保険を適用しないなど。
③高齢者の医療では、本人や家族が望んでも、健康保険を使った終末期の延命治療を一切行わない。
④健康保険が適用される薬はジェネリックで、同じ有効成分の先発薬を使う場合は差額が自己負担になり、選択肢が狭められる。
私もこれをtwitterから、ダイアモンド社の記事に入って知り、今、非常な危惧を感じている。
前に、TPPのことでも、日本のこの大切に守って世界に誇りたい国民皆保険制度が
冒されそうだ、という記事を書いたことがあるが、こんな法案が通り、TPPに
加入してしまったら、日本もアメリカのような国になってしまう。
いったん、その制度が崩れてしまったら、クリントンのような実力者がいくら
動いても、容易に構築できないのが、社会保障制度である。
…イギリスは『斜陽の帝国』と言われ、世界のリーダーの地位ははるか以前に
アメリカに譲った。内部に大きな問題も抱えている。
まず第一はアイルランドとの、長い長い戦争と憎しみの歴史である。
貴族を中心としたエリートと、労働者階級の、越え難い身分差もある。
経済だって問題山積み。
…決してオリンピックで謳いあげているような理想の国ではない。
それでも。それでも、である!
こうやって世界に向けて宣伝して支援金を集めたいという目的があるにせよ、
国立こども病院や、皆保険制度をオリンピックで誇り高く歌いあげて、
どんなに経済が苦しくともそれを守ろうとする強い意志を持つ国と、
「経済、経済!」と、経済や金のためなら、国民の健康と安全など二の次、
三の次にしかねない国、折角の皆保険制度を粗末にして崩壊させてしまいかねない国と、
どっちをあなたは誇りたいか!!??選びたいか??!!
さあ…また長くなってしまった…
でも、こんなことを、ぼんやり開会式の画面を眠くなった目で見ながら
考えていた彼岸花であった。
国民は、自らの手で政治を動かす知恵と力を持たねば、それはいとも簡単に
あなた方の権利を奪う。
自分たちの健康と安全としあわせは、自らの手で守っていかねば、それを巧妙な
言葉で奪うものが待ち構えている。
原発、TPP,治安維持法に似て言論統制、思想統制につながる秘密保全法やACTA条約、
戦争につながる集団自衛権の拡大解釈や改憲問題、そしてこの社会保障制度改革推進法案……
今の政治は油断すると、私たちが歴史で折角、折角、そこから必死で逃れて来たものへ
再び逆行させようとしているようにしか見えない。
わたしより若い世代に、このことをしっかり伝えておきたい、そう願いつつ、
67回目の終戦記念の日に書き記しておく。
最後に、ローワン・アトキンソンのパロディではなく、映画『炎のランナー』でもなく、
本当の、エリック・リデルとハロルド・エイブラハムスのパリ・オリンピックの走りを
見つけたのでご紹介しておこう。
胸のゼッケン419がハロルド・エイブラハムス。ゼッケン451がエリック・リデル。
オリンピックはすばらしい。毎回、身体も心も鍛え抜かれたアスリートたちが見せてくれる
感動のドラマ。今回もなんとたくさんの感動を与えてくれたことだろう!
人間は、スポーツで、芸術で、そしてエリック・リデルやハロルド・エイブラハムスのように
その崇高な精神で、生きる喜びと勇気を示すことが出来る生きものである。
しかしまた、戦争や原発事故、思想統制による同胞迫害、環境破壊など、恐ろしいことを
引き起こす動物でもある。そのことを自覚していよう……
*
憲法改悪して、自衛隊を武装させて海外派遣したくてたまらない、
『地下式原子力発電所政策推進議員連盟』の推進者で、核武装論者の安倍晋三氏に
橋下氏の大阪維新の会が、この15日、合流を要請した…