『決断の3時10分』


今日の映画は西部劇。
ある方に教えていただいて、前から見たいと思っていた映画でした。
『決断の3時10分』。原題は“3:10 to Yuma"。1957年。アメリカ。
監督デルマー・デイヴィス。主演グレン・フォード、ヴァン・へフリン。

(冒頭は、馬車を強盗団が襲うシーンで始まる。)

アリゾナで妻とまだ子供の息子二人と牧場を営むダン(ヴァン・へフリン)は、
干ばつが続いて牧草が枯れ、折角の牛たちがやせ細っていくのに、なすすべもない。
水量の豊かな川を有する大牧場主から、雨が降るまでの間、水を
買おうとすると、200ドルもかかる。金を借りに街に出るダン。

そこで、たまたま、強盗団の首領ベン(グレン・フォード)を捕えるのに立ち会う。
町一番の射撃の名手ダン。ベンをユマまで護送する仕事を引き受けることになる。
報酬は200ドル。

ユマ行きの列車が停まる町までまずベンを護送していく。
そこのホテルの一室を留置所代わりに、列車が到着するまでの数時間
ベンを見張るダン。片時も気が抜けない。
首領のべンを取り戻そうと、荒くれの部下たちが集結してくる。
3時10分発のユマ行きの列車に乗せてしまいさえすればいいのだが、
応援を頼んだ街の男たちは手をひき、たった一人の味方は、撃ち殺されてしまう。
孤立無援になってしまったダン。恐怖と緊張の汗が滲み出る。

そんなダンの心を見透かすかのように、囚われびとのベンは、高額の金を
提示して、自分を逃がすよう、ダンに囁きかける。
実は、悪党ではあるけれど、ベンはダンの正直さや一本気な正義感、
そうして何より、ダンの妻や子のダンに寄せる信頼と愛を見て、
ダンに徐々に親近感を抱くようになっており、ダンをむざむざ部下たちに
殺させたくないのである。
しかしダンは誘惑に負けない。

列車が来るまで…ベンを列車に乗せてユマまで連れていけば…

映画の中のダンの時間と、観客の私たちの時間が、ほぼ同時に進んでいく。


何よりも、主演のグレン・フォードとヴァン・へフリンの丁々発止の男の
心理の駆け引きの演技が面白く、見事だ。
牧場や家族を守るための金欲しさと正義の間で揺れ動く心をヴァン・へフリンが見事に演じ、
グレン・フォードの、悪党ぶりは小憎らしいほど。
グレン・フォードという人には、私は、ツイードのジャケットなどの滅茶苦茶似合う、
もの静かな紳士、というイメージがあった。
それが強盗団の首領の役。しかも女を言葉巧みに酔わせてしまう甘い女たらしの男。
水を手に入れるため金が喉から手が出るほど欲しい、ダンの弱みにつけ込み、
自分を見逃すよう囁く、そういう狡猾な側面も持った男。
でも実は、酒場の女に心を残し、ダンと妻、子供たちの温かい家庭を羨む心も持った
人情味のある男でもある。

そういう複雑な人格を持った悪党の役を、グレン・フォードは見事に演じている。

ベンは悪党といえども、根っからの悪ではなく、ダンのように、乾燥して痩せた牧草地で
生きていくことの大変さなども十分に経験で知りつくしている。
金さえあれば、水の豊かな牧草地も手に入れられ、なんでも出来るということを
知りつくしている。それゆえの強盗稼業なのである。
だから、ダンを誘惑する言葉も説得力がある。いや、半ば本気なのである。

ストックホルム症候群とかリマ症候群という言葉がある。
犯罪現場で人質と犯人が長い時間を一緒に過ごすことにより、一種の共感と
仲間意識をもち始めてしまう人間の心性を表す言葉。

この場合のダンとベンがそれにあてはまるであろう。
二人の間には、そこはかとない男同士の友情と愛着が芽生えていくのである。

だが、ああ!
ストックホルム症候群、などという心理学の用語がなんと空しく聞こえることか。
この映画は、そんなことは知らなくてもいい。極めて素朴。
それだからこそ、見る者の胸を強くわしづかみにする力をもった映画なのである。

強盗団の首領のべンと、行きずりの関係ながら惹かれあってしまう酒場の女。
男が自分のもとにとどまってはくれないことを女は十分に知っている。
だが、「思い出さえあれば。」そういって女は男を愛するのである。
「思い出のよすがに、きっと真珠を買って送ってやるよ。」と約束する男。
ここには、男と女の、いや、人間と人間の生の心の惹かれ合いしかない。
そのシンプルな心根の美しさ。
ダンと妻、子供たちの、貧しくとも互いを思いあう家族の絆の美しさ。
ともに行動することによって、苛酷な西部の開拓地で生きる男同士の
言うに言われぬ友情を感じ始めていくべンとダン。

飲んだくれの情けない亭主だが、引き受けた仕事は最後まで全うして
立派に戦って死ぬ男も、映画をピリリと引き締めている。

そうして、3時10分発のユマ行き列車が到着するまで、映画と同時進行していく
観客の時間…。

私は昨日、テレビで『アルマゲドン』を見た。
壮大なCGを使った、現代の大作主義のハリウッド娯楽映画。
地球に巨大隕石がぶつかるまであとわずか。その隕石を破壊しに行く男たちの
物語である。だが、大掛かりだけれど、なんと無駄が多かったことだろう。
次から次に想定外の事故ばかり起きて、人々がわめき散らしたり喧嘩したり。
『ために作った映画』…というような気がする。

映画作りに凝れば凝るほど、人間が見えてこなくなる。
泣かせようと演出すればするほど、見る側は冷めていってしまう。ああ…!


それに比し、『決断の3時10分』…
なんとシンプルに、人の絆の美しさを描いていたことか。
昔のものだから良い、と言っているのではないのである。
人間は、何か、何か、極めてシンプルな感情、素朴な感情の美しさを
どこかで置き去りにしてきてしまったのではなかろうか。
それと共に、映画などのもの作りの本質も、どこからか本筋を離れ、
いたずらに複雑になりすぎてはいないだろうか。

…フランキー・レインの歌うテーマ曲もまた、私には懐かしかったのでした。







フランキー・レインの歌を入れようとすると、セリフをスペイン語に吹き替えた映像しか
見つかりませんでした。グレン・フォードの声が本当は素晴らしいのですが。



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『小林 旭』


最近いつも音楽をご紹介していますが、とりとめがないでしょう?
クラシックがあったり、ラテンミュージックがあったり、ポップスがあったり。
はい。今、勉強中で、いろんなのを聴いているのです(笑)。

今日、さらに、私の意外な?いや、ぴったりなのかな、新側面をご紹介しましょう。

わたし、実は、こてこての演歌、好きなのです。
今の演歌は全く聴きません。みな同じに聞こえるから。情景が見えてこないから。
わたしが好きなのは、昔の演歌です。
『昔の歌謡曲』といった方が正確かな。

皆さんご存じないでしょうけれど、藤山一郎とか、デイック・ミネとか、淡谷のり子とか。
ほら、ご存じない、ですよね(笑)。
子供の頃、ラジオから流れてくる歌謡曲はわたしの血や肉の一部になって、私の感性を
育てています。

その中で、今日は一人、ご紹介します。
小林旭。『あきら』と読みます。
石原裕次郎はご存知でいらっしゃいますよね。あの裕次郎さんと、日活映画の看板を
背負って立つ、それはビッグなスターでした。ギターを抱えた渡り鳥シリーズが
有名でした。美空ひばりさんは彼の元奥さんでした。

この小林旭さん。歌がとってもうまかった。
上手、というより、なにしろ、味がありました。
勿論、今の時代には合わないでしょう。でも、昭和30年代。日本が戦後から
復興しつつある時代だった。とは言いながら、まだ、貧しいものは貧しく、
若者は大学を出ても職がなく、地方の農村部は農業だけで食べていけないため、
中学を卒業すると、子供たちが東京などに『集団就職』したりしていた時代です。
街にはやくざさんの組織などが深くはびこっていました。
小林旭さん演ずる旅の風来坊は、その地で悪辣の限りを尽くしている悪いやくざの
親分と一人戦って、街に平和を取り戻し、またさすらいの旅に一人出て行きます。

といっても、映画スターとしての彼の顔や姿が好きだったというより、
わたしは、このひとを歌手として好きでした。
あと、正統派お坊ちゃんの裕次郎さんに対して、このひとは大部屋俳優からのたたき上げ。
そういったところを心ひそかに応援していた気がします。
『北帰行』『さすらい』『黒い傷跡のブルース』『惜別の歌』など、
小中学生のわたしは、旅にさすらう男の孤独を歌った歌が好きだった(笑)。

特に、『北帰行』は、これは名曲です。
もともとは、作詞作曲:宇田博。旧制旅順高校に在学していた宇田が作った望郷の歌。
旅順高校の愛唱歌となり、後に日本全国に広まっていった名曲です。
これをこの小林旭が昭和36年に歌ってさらに広めました。

でも、今日、お送りするのは、わたしが彼の曲の中でもう一つ好きな、『さすらい』。
わたしには、次姉と同じように、実は風来坊の血が流れているようです。
それは、娘にも伝わっています。

わたしが小林旭が好きなのを示すのが、これ。
いつの間にか、買ってありました。まだ見てなかったんだな。
買っただけで安心して、まだ見てなかったのね。
そんな古い映画が、まだ家にはいくつもあります。
森繁久弥の『地の果てに生きるもの』のVHSとか。これは北海道羅臼の
さびしいさびしい海辺の、ニシン小屋の番人として生きた男の生涯を描いたもの。
昭和35年。小6の時見て、あまりにもの寂しさにショックを受けて、忘れられない映画。
人の一生はなんて寂しいのだろう!というわたしの基本トーンがこのとき植えつけられた(笑)。


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『さすらい』は、彼の主演作『南海の狼火』のテーマ曲になっています。


http://www.youtube.com/watch?v=gbzl00Jw8Zc

小林旭さん。もっと評価されていい人なんじゃないかな。
『春来る鬼』という映画のメガホンを取っています。
わたしはこの映画がよかったという記憶があるのですが、映画界からは
わりと冷たい扱いだったかな。
裕次郎裕次郎と、石原裕次郎さんは日向に咲く向日葵のような晴れやかなスターとして
愛されましたが、わたしは、その陰で、少しよたった感じの雰囲気も持つ(笑)
このひとの方にずっと親近感を持っていました。

晴れやかな、翳のないヒーローより、ダークなヒーロー。
それも私の基本トーンです。

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『わたしの好きな映画』 ①



この季節になると、いつも見たくなる映画があります。

『太陽は一人ぼっち』
1962年、伊・仏映画。
ミケランジェロ・アントニオー二監督。
主演はアラン・ドロン、モニカ・ヴィッティ。

ストーリーらしいストーリー展開はありません。
戦後が少し落ち着いて、日本でもイタリアでも、新しいマンション群が
にょきにょき建ち始めた頃。株の取り引きによって大儲けしようとする人…
大暴落によって一度に全財産をなくしてしまう人…
後の、人々の魂の彷徨、不毛の愛の時代を予感させるような、気怠さに満ちた
映画です。


主演の二人が、とにかく綺麗です。
ご覧いただければわかりますが、ラヴシーンのまあ、美しいこと!
繋げようとしてほどけていく二人の手の表現とか。
眼がめちゃくちゃ綺麗です。ニュアンスに富んだ美しい眼の動き。

何よりも私がこの映画が好きなのは、その主題曲の故です。
お聴きください。
若い方でも、いい曲だなあ、とお思いになるでしょう…。

原題の、『L'eclipse』は、日蝕、月蝕、などの、『蝕』という意味だそうです。




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『初めて見た洋画』 



初めて私が見た洋画の記憶は、私が小学校5年生の時のことである。
いくら私の年代にしても、ずいぶん遅い方なのではないだろうか。
『制服の処女』『戦場にかける橋』『野ばら』の3本。
これらは1957年、58年に公開されているのだが、
どれを一番先に見たか、記憶がはっきりしない。

『野ばら』はウィーン少年合唱団を題材にしたもの。ミヒャエル・エンデという少年が
主役を務めていた。(作家のミヒャエル・エンデではありません)
これは、私が小学5年生のその頃、ある地方都市のNHKの児童合唱団にいたので、
そこから全員で連れていってもらったのだったと思う。

さて、後の2本は近くの映画館で母と見たのだが、どうして母と洋画など
観に行ったか、というと、券を貰ったから。
当時住んでいたアパートの隣の部屋に、近くの映画館で支配人をしている人が住んでいた。
支配人と言っても、雇われ支配人。
フランク永井という往年の歌手に似た、もう中年にさしかかった人であったが、
その人の奥さんが、若くてちょっとやくざなところのある、綺麗なひとだった。
何かわけあり、という感じを全身に漂わせていたが…

まあ、そのご夫婦が、私たち母子によくしてくれて、その人が勤める東宝系の
映画館や、たまに、街の少し離れたところにある洋画の上映館の切符を
くれていたのである。

『制服の処女』は自分より少し上の年頃の少女たちを描いたものだったので、
印象的だった。
ドイツの寄宿制の女学校に一人の少女が転校してくる。
寄宿生の憧れの的の美しい女の先生。
母を失ったばかりの主人公もその人に憧れ、あるときその愛を皆の前で公言してしまう。
そのためにその女教師は叱責され、学校を去らねばならなくなる。
それを悲しみ責任を感じた少女は、学内で飛び降り自殺を図ろうとする…そんな筋立て。

その時主役のその少女を演じたのがロミー・シュナイダーである。
額の広い、少女ながら知的なその独特の風貌に私は魅かれた。
そのあとも劇場で洋画を見るという機会は、ほとんどなかったが、
『スクリーン』などの映画雑誌はよく見て、たくさんの女優さん男優さんの
顔と名と出演作を記憶した。

ロミー・シュナイダーは歳を重ねるごとに、その知的な美しさに
磨きがかかっていき、また本来の可愛らしさが貴族的な風貌や仕草の陰から
時折覗いて、私は大好きな女優さんだった。

先日、彼女が少しだけカメオ出演している映画を見、
また、『ボッカチオ’70』という、1963年公開のオムニバス映画に
彼女が出ているDVDを借りてきて見た。
やはり可愛らしく、しかも、他の女優さんにない、どこか貴族的で、
どこかはかなげな美しさが見られて、やっぱりロミー・シュナイダーは
好きだなあと、あらためて思った。

若い皆さんはまったくその名もご存じないだろうな。
その個人としての生涯は悲しい。
が、ここでは語らずにおこう。


彼女の不思議な目の色と、その輝き。
頬や顎の独特な感じ、そしてその唇のカーヴの絶妙の優しさ美しさ。
少女のようにも、王女のようにも、娼婦のようにも、そうして、この上なく
気品のある大人の女性としても… どの顔も魅力的なひとだった。


今晩も曲をお送りします。
ロミー・シュナイダーとは直接関係ないけれど、彼女はオーストリア、ウイーン生まれ。
フランス人を愛し、ナチを糾弾する映画に出続けた。
そのためもあってドイツと微妙な関係にあった彼女。一種の祖国喪失者でもあった。
イタリア映画にも出ている。

ドイツ、フランス、イタリア…ということで、イタリア生まれのイタリア・スペイン混血の
女性歌手による『ILove Paris』のドイツ語での歌唱をお送りする。
『ILove Paris』はもともと、アメリカのコール・ポーターによる
ミュージカル『Can Can』のテーマ曲で…ああ、ややこしい。
ロミー・シュナイダーもそうだが、ヨーロッパの人の国籍って…
とにかくお聴きください。
私はドイツ語の響きが好きで、この歌もドイツ語の歌唱がとってもかっこよく聞こえるのだが。
歌手は私などにはとても懐かしい、何ケ国語も操る実力派カテリーナ・バレンテ。
 

この歌を、佳人ロミー・シュナイダーに捧げよう…

http://www.youtube.com/watch?v=kjRV7bcL0MU

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プロフィール

彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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