『真田丸~アントラーズ』


プーチンの記事書いてる途中なんだけれど、ちょっと道草しようかな。
12月18日。今晩は、テレビで感動したもの二つ。
たまには、テレビの話題などもいいでしょう。

一つは、サッカークラブ世界一決定戦で、実質名目ともに世界一の強豪レアル・マドリード
に対し、なんと2-2で互角に戦い、延長戦になって2得点を決められて、最終的には2-4で
負けたけれど、よく戦ったとしか言いようがない、鹿島アントラーズ。

もう一つは、今日で最終回を迎えたNHK大河ドラマ『真田丸』。
真田信繁(幸村)の最期のシーンや、重要登場人物の最後の動きなど、消化不良感が
残ったと思った方も多かったかもしれないけれど、私は、今年の『真田丸』良かったなあ…
脚本の三谷幸喜も、『新選組!』以来好きだし。

と言っても、私は例年、大河ドラマのよき視聴者であるわけではなく、1年間ほぼまともに
観たのは、今年の『真田丸』と、一昨年の『八重の桜』、そして2004年(あれからもう
12年も経ったのかぁ!)の『新選組!』くらいのものだ。
それらだって毎回観ていたわけでもない。
ちゃんと毎年観ていれば、いい作品は他にもたくさんあったのだろうが、そもそも我が家は
かなりあとまでテレビは持たない主義だったので、大河ドラマ初期の名作群は、観ようにも
見れなかったのである。
割とまともに見始めたのは、昭和62年の『独眼竜政宗』あたりからかなあ…
そのほかの大河ドラマは、それぞれ、たまたまテレビがついたときやっていたら観る、
という程度にしか観たことがない。
大体私は、テレビはあまり見ないほうだし、特に決まった時間に決まった番組を
きちんと見るということができない人間である。だから、朝の連続テレビ小説もほぼ
観たことがない。

たまたま見続けた大河の三作品には、しかし、共通のところがあるなあ。
…それは、皆、滅びゆく者たちのドラマだったというところだ。
私は、そういうのが好きなんだな。きっと。
『新選組!』などはとても好きだった。『八重の桜』も、前半部会津が舞台の時は、
欠かさず観ていたように思う。

私がドラマを見るとき、筋立てそのものより、主役脇役…の俳優さんの演技に
引き込まれて、個人的に、その役を演じているときのその人、に惚れこんでいる
ことが多いように思う。NHK大河や、朝の連続ドラマは、私は観たことがなくても、
その配役の妙・・・とりわけ、脇役陣の起用が評判になったことが多かったように思う。
『黄金の日々』の石川五右衛門役の根津甚八には、視聴者から助命嘆願が
多く寄せられたと聞く。朝の連続ドラマ『あさが来た』では、五代さまロスが起きたとか。
(残念ながら私は五代さまにもあまちゃんにも会っていない。><)
今回も、真田信幸役の大泉洋とかその側妻こう役の長野里美とか、秀吉を演じた
小日向文世(この人もうまい役者だ!)とか、評判になった人はたくさんいた。

私は、今回の『真田丸』では、なんと言っても真田信繁役の堺雅人が良かったなあ…
堺雅人。この俳優は、本当に演技がうまい。
私がこの俳優に初めて注目したのは、『新選組!』での、副長(のちに総長)山南敬助役を
観た時からだった。小野派一刀流の免許皆伝、柔術の名手とも言われた新選組副長でありながら
鈴木砂羽演じる遊女明里との切ない恋をも演じきって、『この役者さん誰だろう!』と思ったものだ。
明里を演じた鈴木砂羽も、『この人うまいなあ…』と思っていたが、その後やはり名女優の
道を歩んでいらっしゃるように思う。
堺氏はその後、同じ大河の『篤姫』では、徳川第十三代将軍家定を演じた。
『疾ありて政をきくことあたはず』と記録にも残されているという、病弱で一説には麻痺
があったとも言われている家定を、この大河ドラマでは、『ウツケのふりをしていただけだ』
という別の解釈(決して暗愚ではなかった、そういう記録も実際あるという)で描いていて、
その複雑な役どころを、堺雅人はこれまた見事に演じていて、私は感心したものである。
残念ながら、民放の大ヒット現代劇『半沢直樹』は、一回も観たことがないが、この
堺雅人という俳優。大義と恋の間で板挟みになる武士の役から、うつけを演じる将軍
という複雑な演技から、コミカル?でシリアス?(見てないからわからない)な現代劇、
そして今回の『真田丸』の若き青年信繁が歴史に名将と謳われる策士と成長していき、
悲劇の武将として散るまで、を、それぞれ見事に演じ分けて、ほんとうに上手い人だと
思ってしまう。
この『真田丸』の信繁役は、堺雅人が演ずると聞いたときは、新選組!の時から好きな
役者さんではあったけれど、どちらかというととても優しい顔立ちなので、武将役はどうかなあ、
と思っていたのだが、どっこい、若き日の少々頼りない信繁が苦難を経て成長して行くにつれ、
堺氏の顔が素晴らしく老成して行って、最後あたりの大阪冬、夏の陣の頃には、ほんとうに
引き締まった意志の強い、苦味ある戦国武将の顔になって行っていて、その度量も滋味も
激しさもある美しい顔に、毎回観惚れたものである。

『真田丸』には、『新選組!』土方歳三役で、これまたとてもファンになった山本耕史が、
石田三成役を演じていて、この苦悩する石田三成像も、冷たいばかりという従来の解釈と
違っていて、なかなかに素敵なのであった。頭が切れるが故に、冷たい印象を周囲に
与えるが、その底に秀吉への篤い忠義の心や、情にも脆い一面も隠し持つ
石田三成という複雑な人間像を、これまた山本耕史は、役になりきって演じていたように思う。
この人の土方歳三役は、私は後にも先にもこの人しかない!と思うほどのはまり役、
であったが、石田三成役もまた、三成役はこの人で決まり!と思うほどに演じきっていて、
役者さんというものは本当にすごいものだなあと感心してしまう。
このほかにも、記憶に残る役どころの人物たちはたくさんいた。ごく早い時期に消える
役どころではあったが、武田勝頼役の平岳大の、堕ちのびて行く時の演技の悲しみは
絶品で、さすが私が大好きだった名優平幹二朗の血をひく役者と、嬉しくなったものだ。
この人も、日本の演劇、映画界を支える名優の一人にこれからなって行くんじゃないかなあ。
豊臣秀次を演じた新納慎也はいい人物造形をしていたし、北条家家臣板部岡江雪斎を
演じていた山西惇。矢沢三十郎頼幸役の迫田孝也の信繁を想うせつなさ。堀田作兵衛を
演じた藤本隆宏なども個人的にいい配役だなあと思って観ていた。
藤本隆宏はなんと元水泳オリンピック選手…そのころから好きではあったんだが。
女優陣では、信繁に最後まで尽くす『きり』役の、長澤まさみが私は好きだった。
子供のころからずうっと信繁が好きなのに、気が強く口うるさい女と思われがちで
信繁とは口喧嘩ばかり。しかし、信繁を想う秘めた心は他の女たちのだれにも負けない。
それなのに、自分の恋心はぐっと胸の内に秘め、信繁と信繁を取り巻く女たちに仕える
役回りでしかいられない、せつない女の役をこれまた、上手に演じ切ったなあ。
第49回、最後の一回前の回の、信繁ときりのシーンには泣かされた…ですよ。
今日の最終回、単騎、徳川陣に切り込む信繁に、遠くから別れを告げるシーンも。

他にも印象的な役どころがたくさんあって、一人一人の役者の名演技について
語れないのが残念だ。
私はそもそもは、『ファン意識』というものを小さいころからあまり持ったことのない人間だ。
特定の誰か有名人をすごく好きになってその写真を集めたり作品を欠かさず観たり、
などということはほとんどしたことがない。
そもそも『他人は他人、自分は自分』という意識が強いので、他人に何かを仮託することが
嫌いなのである。
でも、『役者の演技』は別。これは文学や絵画や音楽などと同じ芸術だから、巧い演技や
演出を見ると本当にうれしくなってしまう。

音楽といえば、『真田丸』のテーマ曲もよかったなあ…。
作曲服部孝之。『新選組!』もこの人だった。
祖父服部良一、父服部克久も数々の名曲を残している。
大河ドラマは、そのテーマ曲でも冨田勲、武満徹、エンニオ・モリコーネ、芥川也寸志、
林光、池辺晋一郎など作曲家も多士済々。印象的な曲がいっぱいあったんだった…。




下野竜也指揮NHK交響楽団、ヴァイオリン・ソロ三浦文彰。期待の若手だ。



うわあん! これ聴いていると、『真田丸ロス』起しちゃいそう!(涙)




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『浅田真央!』


浅田真央!

もう何もいうことない。
涙、涙、涙………





『一人で映画もまた楽し』


この頃、一人で映画に行くことを覚えた。
…まだ3回ぽっきりだけど。

観たもの?
『This Is It』と『アバター』と(笑)。
最近観に行ったのは、古いモノクロ映画で、『鉄道員』。

若い皆さんは勿論ご存じないでしょう。
1956年のイタリア映画。
製作カルロ・ポンティ
監督・主演ピエトロ・ジェルミ
音楽カルロ・ルスティケリ。

映画を見たことのない方でも、テーマ曲はどこかで聞いたことがあるかも。
http://www.youtube.com/watch?v=1QhnSON63_U


頑固一徹で酒飲みの父親をピエトロ・ジェルミが自ら演じる。
50歳のマルコッチは鉄道の機関士。
彼は自分の家庭が崩壊しかかっているのに気付かない。
長男は働かず、長女は、妊娠して仕方なしに結婚しては貰うものの夫との間は
うまくいっていない。
ただ一つ希望だった赤ん坊は死産してしまい、若い夫婦は
さらに心が離れてしまう。満たされない彼女は昔の男友達と不倫。

それを知った父親は彼女を打擲。娘も止めに入った長男も家を出ていってしまう。
残されたのは、マルコッチと、辛抱強い妻と幼い末っ子サンドロだけ。

家長のマルコッチ自身も、自らが列車の操縦しているときに飛び込み自殺の
男を轢いてしまう。列車を再び動きださせるも、茫然としていたマルコッチは、
駅で赤信号を見落とし、あわや別の列車と正面衝突という
不始末を起こしてしまう。彼は厳しい取り調べの末、機関士の職からはずされてしまう。

おりしも、鉄道会社の労働組合は、待遇改善を求めて全面ストライキに入っている。
愛する仕事を奪われ収入も少なくなっていたマルコッチは、スト破りをしてしまう。
ストは成功。喜びに沸きかえる労働者たち。
だが、マルコッチは、『スト破り』として、もう仲間には入れてもらえない。
酒におぼれ、家にも帰らないマルコッチ・・・。

イタリアンリアリズムの名作と言われる映画。
これでもかこれでもか、というくらい、次から次に、マルコッチの一家には
悪いことが次々に起こる。
映画は幼いサンドロの視点で描かれる。

最後は、崩壊しかかったこの一家が再び、クリスマスの夜に
皆集まって…、というところで、父マルコッチは亡くなってしまうのだが、
救いはあるものの、まあ、何とも暗いテーマの映画である。

今のひとが観るとどうなのかな。あまりにも、型どおりの不幸で単純すぎるように
思うかな。私も、久しぶりに劇場で見ていて、最初のうち、そう思った。
でもやはり、いつの間にか涙が頬を伝っていた… 。

考えてみれば、派遣切りの嵐の吹き荒れていた昨年、一昨年。
正社員でも突然失職 、という悪夢が現実であった日本。
今だって、景気は完全に回復しているわけではなく、『鉄道員』のこの一家と
同じような悲劇を経験した家庭もたくさんあったのでは。

でも、何かが決定的に違うのだな。
一つは、映画の作られた1956年ころは、まだ皆が貧しかったということだ。
今は、一部生活に苦しむ人がいるとは言っても、全体としての生活のレベルは
昔と圧倒的に違う。

いま一つは、だからこそ、今の貧困には救いがないということだろう。
皆が貧しかったころ。そこには人の助け合いや共感という人情が溢れていた。
映画は救いのない状況を描き出していても、そこにはこの人情の温かみが
濃く流れて、見るものはそれにどっぷり浸かって涙を流せるのである。
今の貧困には、そういうウェットなところがない。
人の視線は乾いている。
『自己責任』などという冷たい言葉がまかり通って、何か人のこころは
殺伐と乾いて来てしまっている。

そう思ってしまうのだがどうだろうか。

と言っても私が昔に帰りたい、というわけではない。
末っ子のサンドロはちょうど私と同い年くらいである。
私も、職のない兄が自棄酒を飲んで暴れたり、姉が恋破れて子供を堕胎するのなどを
幼い目で見てきた。兄が金を得るために、血を売って来た日のことなども。

映画は甘く悲しく悲惨を描く。でも、現実の悲惨は、決して美しいものなどではなかったな。

それでも不思議。やはりいい映画はいいのである。
滴るような親子の情愛。隣人たちの温かさ…
音楽が何しろ魂を揺さぶる。
そうしてサンドロのけがれなき目の美しさ。

長女役を演じたのは、シルヴァ・コシナ。
グレース・ケリーやエヴァ・ガードナーなどとは違う、親しみやすい美貌かな。
でも、そう役に恵まれた女優さんというわけではなかったような。
時代のお色気路線に飲み込まれてしまった感がある。
知的な顔立ちの、演技もうまい女優さんであったと思うが、残念なことである。



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さて。次の一人映画は、何を観るのかな…。
まだわかりません。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『花のように美しい女性(ひと)』

狭い庭だが、今年も牡丹の花が咲いた。
全部で5輪。一番大きい花は直径20センチほどもある。

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私は思春期になって、自分の顔や姿の美醜が気になり始めた頃、
この牡丹や、大輪の薔薇などを見ると、いつもこんなことを考えていた。

「『花のように美しい女』と、よく女性を花に例えるけれど、
花のように美しい女などというものは、本当にいるものだろうか…。」

自分自身はというと、情けないことに、自分の理想とする女性の美の基準からは、
あちこちの造作が大きく外れていた。
まず、色が白くない。痩せていて、胸が小さい(笑)。
思春期の頃はそれが悲しくて、もっと綺麗だったらなあ、と思って
鏡をのぞいてはため息をついていた。
世の中には美しい人がたくさんいる。そういう人はいいなあと思っていた。
そして、「花ほど美しい女性などいるものだろうか」などと考えていた。

確かに、花でも花によっては、それに似た人はいる。
コスモスの花のようにはかなげで楚々とした女性(ひと)はいそうだし、
ひまわりのように明るい女性。
パンジーのように小柄で可愛い女性。

しかし、しかし、である。
綺麗なひと、と、大雑把な言い方をするが、牡丹や薔薇ほど美しい女性はいるだろうか?

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この大写しの牡丹の花をよく見てください。
なんと豪華に美しいのでしょうか!
しかも、薔薇もそうだが、この牡丹、馥郁たる高貴な香りを持っている。
これほど美しい女性がいますか?
体自体からこんないい香りをさせる女性がいるだろうか?…

私が「花は人間より美しい」と高校生の頃思ったのにはもう一つ
理由があって、人間は「ものを食べて、排泄する」!(笑)
この「排泄」ということに、思春期で潔癖だった私は、いつもやるせなさと
情けなさを感じていた。
「ああ、人間はなぜものを食べて、そうしてトイレに行かなければ
ならないのだろう!」と。
変な高校生でしたでしょう(笑)。

でも世の中には、本当に、妙な表現だが、体の隅々まできっと綺麗なんだろうな
と思わせる、本当の美人というものがいるものである。

母一人子一人の生活で、映画を観に行くことなど考えてもみなかった私だが、
『スクリーン』など外国の映画雑誌は時々見たりしていた。
1950~60年代のヨーロッパやハリウッドの女優さんたち。
本当に綺麗だなあ!と思わせられる人がたくさんいた。
イングリッド・バーグマンやオードリー・ヘップバーン。
ヴィヴィアン・リーやキム・ノヴァク、スザンヌ・プレシェット……

シルヴァ・コシナ、ジーン・セバーグ、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ、
ロミー・シュナイダー、アヌーク・エーメ、ラナ・ターナー、……
これらは私好みの女優さんたち。綺麗なだけでなく、何か内面の深い雰囲気を
漂わせていたひとたち。

ただ綺麗なだけでなく強烈な個性を持ったひともたくさんいた。
ソフィア・ローレン、シャーリー・マクレーン、ローレン・バコール、
ジャンヌ・モロー、……

本当に百花繚乱という感じ。

その中でも当時二大美女、と言われていたひとが、エリザベス・テイラーと
後にモナコ王妃となったグレース・ケリーである。 

たくさんこうやって、かつての美しい女優さんたちの名を挙げても、
若い方々は殆どご存じないだろうなあ。
その美しさが言葉では伝えられないのが残念である。

で、久しぶりにちょっと似顔絵を描いてみた。グレース・ケリー。

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描いていて、ほんとにこのひとは綺麗だったんだなあとあらためて思った。
似顔絵を描くとき、描く者の視線は、描かれているものの細部を眼で撫でるように
見ながら描く。グレース・ケリーの眼、眉、鼻、口、顎の線……
まあ、なんて綺麗な目なんだろう!
これ、つけまつげじゃないなあ。なんて睫毛が長いんだろう!
まあ、眉のラインの美しいこと。そしてまぶたの綺麗なこと!
う~ん、鼻筋が通ってるなあ。でも、決して高すぎない。
秀でた額の美しいこと!またこのひとは髪の毛が見事なブロンドで、
それを美しくカールして、一部の隙もない髪型なんだよな。
このひとはちょっと顎がしっかりしているんだよね。
でもそれが意志の強さと気品を逆に醸し出してるな。

そうして、何より驚嘆したのが、その唇の美しさ。
少し薄めの唇。なんて綺麗な上唇のラインだろう!
まあ、そうして、下唇のやわらかそうなことったら!
ああ、この唇の感触を絵で表すのは難しいなあ。
でも、本当、完璧な唇。この上なく美しい唇だよなあ…
カトリーヌ・ドヌーブってグレース・ケリーと細部が似ているな。

そんなことを思いながら描いていく。
似ているかどうか?
グレース・ケリーをご存じの世代の方に判断していただきましょうか(笑)。

しかしながら、60年代後半~70年代に入るころから、ハリウッドもヨーロッパも、
正統派美人ではなく、ジェーン・フォンダやミア・ファーロー、キャサリン・ロスなど、
個性派女優の時代にだんだんなっていく。
そうして、グレース・ケリーのような正統派美人はだんだん少なくなっていってしまう。
要するに、映画俳優が『スター』という高嶺の花の存在ではなくなり、
より、普通の人に近づいて行き始めるのだ。

ファニーフェイスとか、個性派、演技派女優男優を重用する流れは、
今もハリウッドで続いているのではなかろうか。日本も然り。
ざっと見渡しても、『これぞ正統派美女』と言えるような女優さんが、
今はハリウッドであまり見かけられなくなった気がする。
綺麗でも、どこかに癖があったりして、欠点のない美女というひとをなかなか思いつかない。
二コール・キッドマン、シャロン・ストーンなどの顔立ちは、昔がたの美人女優の
顔立ちだが、何かが違うなあ。
ウィノダ・ライダー、メグ・ライアン、キャメロン・ディアス、シガ二ー・ウイーバー、
グウィネス・パルトロウ……、みな美人女優というよりは個性派女優さんだよなあ。

と言っても、私が美人女優好みで、個性派が嫌い、というわけでは全くない。
女優としてのグレース・ケリーを特別好きというわけではなかったし、
私が好きな顔立ちは、ロミー・シュナイダー、シャーリー・マクレーン、
ローレン・バコールなど、個性の強い人たちが好きだった。

ただ、こうやって、絶世の美人女優が少なくなった、と嘆くのは、
世に『高嶺の花』とか『憧れ』とか言うものが、もう少しあってもいいような
気が少しするからである。
『隣のお姉さん』のように親しみやすい顔立ちの女優さんもそれはいいが、
『はるかに憧れる美しきひと』という、手の届かない存在がこの世に
あってもいいような気がするからである。


5月。花々が咲き乱れ、我が家の庭に牡丹の花が開くと、
いつもそんなことを思う。

『花よりもなお美しいひと』…誰かご存知でいらっしゃいますか?



テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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