『ありがとうございます』

みなさま。ご心配おかけしてすみません。
コメントくださったかたがたに、心からお礼申し上げます。
おひとりおひとりに返事書かせていただくのは、パソコンが直って私も治って^^
帰ってきてからにさせてくださいね。
おひとりおひとりの温かいお言葉、胸にしみます。ほんとうにありがとうございます。

今日も、病気のこと(セカンドオピニオンのことなど)や介護のことなどいろいろ調べもののため、
ネットカフェにきてこれ書いています。
なんで、大事な時に限ってパソコンが故障するんだっ?
まあ、人生というものは得てしてそういうものかもしれませんね。(苦笑)


いい機会なので、いろいろ身辺整理。思い切って家の中のものの断捨離を行っています。
最初のショックから醒めて今は落ち着いた気分。

とにかく。彼岸花。がんばりますぅ。

ありがとうございます! 






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ブログ少し休みます。

皆さん。ご心配おかけしていると思います。

パソコンが変になっちゃった。
ハード自体には問題ないのですが、windowsの更新プログラムの過程で、画面が一切
ブラックアウト。色々調べてもらったのですが、初期化するしかないとのこと。
今、工場送り?しています。いつから使えるようになるかわからない。
この更新記事は、ネットカフェから送っています。

そして。どうも体がよくないみたいです。
まだ確定ではありませんが、入院手術ということになるかも。
うえ~ん!
まあ。その時は覚悟するしかないです~。

というわけで、しばらく記事更新できないと思いますし、皆さんのところにお訪ねしたりも
できないと思います。
コメントくださった方々に返事もできなくてごめんなさい。

みなさまの友情に感謝です。

彼岸花。たぶんだいじょぶ。

頑張って戻ってきます。 ^^





『この忖度の国で⑤ 佐川喚問その二』


2.森友問題・加計問題の特例および特殊性。

森友・加計問題に関して、もっと確実な信頼できる情報があったらどんなにこの記事も
書きやすいだろう。
だが、一介の市井人にすぎない私には、情報と言えば、テレビか新聞かあるいはネット上の
情報を元にして、その真偽性を慎重に問いつつ確かめつつ書いて行くしかない。

この明らかに異例とも言える二学園への厚遇に対し、市民感覚として『なんか変だよな』
『なんかおかしいよね』『納得できないよね』では、森友学園や加計学園をめぐる疑惑を
公に追及していくことなど本当は出来ない。ただ、その『変だ』と思う感覚はとても大事だと思う。

そうした限られた情報の中でも、全体の流れを示すことによって、その異常さを訴えることなら
出来るかもしれない、と私は考える。全体の構図の突出した部分を取り出すことによって、
あるいは全体の構図の中でそこだけ欠落している部分があるなら、そこになにかがあるのだろう、
ということを、印象として炙り出すことは出来るかもしれないと思う。
隠されているところにこそ何か真実があると言う書き方しか、今の私には出来ないが、
しかし。『国民は納得していないぞ!』、という多くの声の、そのひとつの声として、
今起きているおかしなことを、私も考え糺して行くことが大事なのだろうと思っている。

政治がまっとうに行われるようそれを糺していくのは、国民の力以外に
本当はないのだ。



前の記事で引用した、『安倍総理夫人の名前をなぜ削除したのか』という丸川氏の質問について
佐川氏が補佐人の助言を求めた、という場面の前に、こんなやりとりがあった。

丸川氏「書き換え前の文書の中に、特例的な内容、特例的な処理、特例承認あるいは
     本件の特殊性という言葉が出てきます。これらの特例的、あるいは特殊性という
     言葉が官邸の関与を意味しているのでしょうか、あるいは総理夫人の関与を
     意味しているんでしょうか

佐川氏「特例承認につきまして、私、昨年、国会でご答弁をさせていただいてございます。
     普通、国有財産は売却が中心でございますが、貸し付けをすることもできることに
     なってございまして、通常はやはり売り払いをするためにも3年程度の賃貸貸し付け
     契約というのが通常
ですが、通達上3年と書いてあるんですが、これによらない場合には、
     本省の特例承認をもらってですね、変えることができる
ということで、実はこれは
     定期貸借契約でございますので、法令上10年が最低期間でございました」
     「従いまして、この3年では間に合わないんで、本省の特例承認をとる
ということで、
     本省で特例承認をしたということでございまして、その特例承認というのは、そういう意味
     でございますというのを昨年も答弁をしております

丸川氏「特例、あるいは本件の特殊性という言葉は、官邸の関与あるいは政治の関与を
    意味しているのではありませんね」

佐川氏「そうではございません」

・・・・・・
どうだろうか。
上記、佐川喚問における丸川氏の質問とそれに対する佐川氏の答えは、この森友学園
国有地取得の一連の経緯が、『特殊』でなかった、ということを十分に説明し切れているだろうか?


佐川氏は、丸川氏が、
『書き換え前の文書の中に、特例的な内容、特例的な処理、特例承認あるいは本件の特殊性
という言葉が出てきます。これらの特例的、あるいは特殊性という言葉が官邸の関与を
意味しているのでしょうか、あるいは総理夫人の関与を意味しているんでしょうか
』と
問うたのに対し、「『特例承認』は、売払いをするためにも国有財産を貸付けする場合は、
3年程度の賃貸貸付けが原則。その決まりによらないケースの場合は本省の『特例承認』
が必要だ、ということ、<u>すなわち『特例承認』とは何かということを昨年も説明している」、
ということを単にここで言ったに過ぎない。

この質疑応答のどこに、『官邸や政治の関与はない』、という丸川氏の結論を引き出す根拠と
なる証拠がある?

それなのに、丸川氏は、
『特例、あるいは本件の特殊性という言葉は、官邸の関与あるいは政治の関与を意味して
いるのではありませんね

と、また、『~ではありませんね』、と有無を言わさぬ訊ね方をし、佐川氏はそれに
『そうではございません』と答えているのである。



森友学園による国有地買い取りに至るまでの元の文書のうち、主に書き換えられたのは
「貸付決議書」「売払決議書」「特例承認の決裁文書」。これらの書き換えを反映させる形で
残りの文書も書き換えられた。その文書数14で、その中の改竄・削除された箇所は、実に
290カ所にも及ぶと言われている。
私も新聞で、その14文書の改竄前と後の比較表を見たが、中でも最も突出して『書き換え』で
なくほとんど丸ごと削除されてしまっているのが、『11.学園提出の要望書について』と
『〈2〉貸し付け決議書②「普通財産決議書(貸し付け)」』 (平成27年5月27日)
『〈5〉特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに関わる特例処理について」』
            (平成27年4月30日)
であって、特に『〈5〉特例承認の決裁文書②「普通財産の貸付けに関わる特例処理について」』
という文書に、複数の政治家の名前や昭恵夫人の名前が複数回出てくるのである。
なおこの改竄前のこの文書には、籠池氏と日本会議についての記載もなぜか出てくる。
この大きく削除された文書にこそ、財務省理財局および近畿財務局そしてさらにその上の
人々にとって、都合の悪い真実が隠れているからこそ、これほど大きく削除したのであろう。

●2017年11月28日の衆院予算委員会で、立憲民主党の川内議員が行った質問に答え、
佐川氏の後任の太田充理財局長は、
 ①「売り払い前提の定期借地とする特例処理を行った事例」
 ②「瑕疵担保責任を免除する特約をつけたもの」
 ③「延納の特約を付して売却した事例」
 ④「公共随契により売り払いを行った中で、契約金額を非公表にした事例」
の4つについて、過去5年間の間にそれぞれ1194件中、森友学園ただ1件しかなかった
ことを認めている。

1194件中、森友1件だけ!


●また、2017年11月22日、「売却価格が適正かどうか」の調査を終えた会計検査院が
報告書を国会に提出。その中で、約8億2000万円の値引きの根拠が不十分であり、

森友学園への土地売却は異例の対応であったことが、ここでも浮き彫りになっている。

●問題の国有地には大量のゴミが埋められており、そのことを元にかくも大胆な値引きが
森友学園に対し認められたわけだが、そのゴミの実態調査や概算量の計算自体が不正確で
あった事実
が、その後も次々に報道された。

本当に森友学園側が主張したように、9.9メートルの深さの高深部にごみはあったのか。
実は専門業者がボーリング調査測定し、「ない」と報告した資料を、財務省は保有していた。

それについては、この記事に詳しい。
http://biz-journal.jp/2017/04/post_18667_3.html
森友 土地
Copyright © Business Journal All Rights Reserved.


写真は、2014年12月に、『(仮称)M学園小学校新築工事 地盤調査報告書』として
作られた資料。作成者は国土交通省であり、国土交通省大阪航空局が、この土地の地下の
構造物の状況を調査したもので、どのような用地として利用できるかを確認するためのもの
であるという。
すなわち、森友が購入した土地の地層図。
浅い方から(1)盛土層、(2)沖積層、(3)洪積層と続く。その地層ごとに地質が記載されている。
(1)の盛土層では盛り土(3メートル厚)、(2)の沖積層では第1粘土層(0.3メートル)、
砂質土層(3メートル)、第2粘土層(4メートル)と続き、(3)の洪積層では、第1砂質土層(1メートル)、
第1粘土層(1平方メートル)、第2砂質土層(2~5メートル)と続いていることが示されている。

一番表面部分の盛り土の中には敷地造成時に施行された砂質土、上部で植物根、
中~下部で、塩ビ片や木片及びビニール片などを多く混入していると書かれているが、
すなわち表層部分から約3メートルの盛り土の部分にはごみはあるが、それ以外の地層は
1万年前後をかけて、堆積してつくられた堆積層であり、それらの地層から塩ビ片やビニール片が
出るはずがない、
ということがこれでわかるのだという。

それなのに、籠池氏の主張通り地下9.9メートルのところからゴミが出てきたということとして
国交省はおよそのゴミの量をろくに調査もしないで概算し、その概算を元に8億円もの
値引きは行われたのである!
上記サイトによれば、
2016年3月24日に森友学園は、借地から土地の購入に切り替えたいという希望をだした。
その購入価格を決めるに当たって、財務省はこの土地の所有主である大阪航空局(国交省)
に相談し、高深部のごみ量とその撤去費用を算定した。
高深部に埋まっているごみの量は約1万9500トンと見積もり、その撤去費に8億1900万円
かかるとし、この分を売却予定価格である9億5600万円より値引いて1億3400万円で
売却した。16年6月20日に売買契約を行っている。
 これが、「第2回目のごみの撤去」である。したがって、2回目のごみの撤去は、実際にごみを
撤去して、それにかかった費用を算出したわけではない。国である大阪航空局(国交省)と
近畿財務局(財務省)が算定計算を行いはじき出した、単なる想定金額
である。
しかもその際に、瑕疵担保免責契約(上記太田理財局長の答弁にも出てくる異例の特約)を
行い、あとでごみの撤去の有無で問題になっても、金銭のやり取りは生じないようにしていた。

(ニュースサイトで読む: http://biz-journal.jp/2017/04/post_18667_3.html
Copyright © Business Journal All Rights Reserved. 下線部彼岸花による)



●とすると、ここにすぐ続く部分も問題になる。
丸川氏『では、総理夫人が森友学園の名誉校長であることが貸付契約や売買契約に
    何らかの影響を与えた経緯もありますか。 』
佐川氏 『総理夫人が名誉校長であるという話は2月の最初のほうで私も知りました。
    ただ、その私昨年ずっと勉強しておりますが、やはりきちんとこの貸付契約あるいは
    売却契約ともに、すべて不動産鑑定にかけた価格で契約しておりますので、
    そういう影響は ございません。』


この佐川氏の『すべて不動産鑑定にかけた価格で契約』という答弁は、虚偽答弁になりはすまいか?
そもそもの8億円値引きの計算、根拠も杜撰なら、この佐川氏の答弁も極めて杜撰な答弁である。
国有地は国民共有の財産である。ちゃんと正確な経緯を調べて誠実に答弁するのが
理財局長であった佐川氏の責任ではないか!
それに。
『きちんとこの貸付契約あるいは売却契約ともに、すべて不動産鑑定にかけた価格で契約する』
ということは、『総理夫人が森友学園の名誉校長であること』とは、なんの関係もないだろう?
総理夫人が森友の名誉校長であったろうがなかろうが、『貸付契約あるいは売却契約ともに
すべてきちんと不動産鑑定にかけた価格で契約する』ということは常に行われなければならない。
『貸付契約あるいは売却契約ともに、すべて不動産鑑定にかけた価格で契約したから、総理夫人の
影響はなかった』とでもいうような丸川氏佐川氏のロジックは全くおかしい。


●今年3月28日の読売新聞によれば、兵庫県の金属加工業者が国に約3600万円の
損害賠償を求める訴えを大阪地裁に起こすことがわかったという。
業者は2011年9月、工場用地として大阪府豊中市内の国有地(約390平方メートル)を
約2700万円で購入する契約を国土交通省大阪航空局側と結んだが、くい打ち工事中に
地中で大量のごみを発見。業者は契約に基づき、国に撤去費用約2390万円などを
請求したが、大阪航空局が約2160万円の支払いを認めたのは17年7月だった。
森友と同じく購入した国有地の地中からごみが見つかったのに、国が撤去費用を支払うまで
4年以上かかり、業務に支障が出たなどとして、同じく国有地からごみが見つかった森友学園
のケースでは約1か月で撤去費用を算定しているのに比較して不公平で納得できないと
訴えるのだという。
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180325-00050028-yom-soci



この、建設予定地のゴミ分量、それによる値引き額の計算に見るように、森友問題にしても
加計問題にしても、とにかく驚くほどの杜撰な認定があちこちで行われている。

なぜ、この二校が特別扱いされてきたのか。
私がここに少し書いたことだけでも、森友・加計両学園に対する、
異様なほどの国による特別扱い、特殊性は見えてくるのではないか?


そこには、安倍氏本人の人脈や、昭恵夫人の一国の宰相夫人として少々どころでない
軽はずみな行動などがもたらした特定の学校法人に対する『特別扱い』や『異例の厚遇』が
ありはしなかったか。
それらが認定されていく過程のあちこちで、不当な圧力や無用の忖度が当たり前のように
行われていたのではないか。
『公文書改竄』の罪は大きい。そして、その他にも『背任』などの重大な罪を
構成するものではないのか。
森友・加計問題は終わっていない。

最後に、安倍氏本人およびその周辺と加計学園との、異様なほどの密接な関係図を
載せておく。


・安倍昭恵氏             加計学園御影インターナショナルこども園名誉園長
・萩生田光一官房副長官       加計学園千葉科学大 客員教授(2009~12年。落選期間中)
                          〃     〃    名誉客員教授(現在も。ただし無給)
・木曽功元内閣官房参与          〃      〃    学長(16年4月~現在)
・井上義行参院議員・元安倍首相秘書官   〃  〃 客員教授(09年まで)
・江島潔参院議員・元下関市長      加計学園倉敷芸術科学大 客員教授(15年まで)
・下村今日子元文科相下村博文氏夫人 広島加計学園教育審議会委員
・木澤克之最高裁判事(安倍氏が任命)  加計学園元監事(16年まで)
・逢沢一郎政倫審会長            加計学園国際交流局顧問。アイサワ工業が
                          加計学園獣医学部工事受注
・下村博文元文科相          下村氏は、第二次安倍内閣発足時に真っ先に文科大臣に
                  指名された。安倍氏と思想が非常に近い。
                  独自の『教育観』で日本の教育改革に力を入れる
                  安倍総理の肝煎りの人事であった。上記下村氏夫人も、安倍氏、
                  昭恵氏、加計氏との関係は非常に近いようである。
                   https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/207379


なお、つい数日前のことなので、ご記憶に新しいと思うが、安倍首相が3月26日の
参院予算委員会で、共産党の辰巳孝太郎議員に対して
妻が名誉校長を務めているところはあまたの数あるわけだが、それそのものが、
今まで行政等に影響を及ぼしたことはない』と答弁。
ところが、二日後の3月28日の参院予算委員会で共産党の小池書記局長が、
この「名誉校長」について『(あまたあるとおっしゃるが)いったいどこの学校や保育園なのか』
と問いただした。
結局、昭恵夫人の抱えた『名誉職』の件数は55件あるものの、名誉校長を務める
のは、結局、森友学園『瑞穂の国記念小學院』と、加計学園御影インターナショナルこども園
名誉園長の二校だけだった、
という安倍氏の勘違いが確認されたということもあった…。

ご存じのように、森友の小学校はこのように問題が発覚し、結局開校できなかったわけだが、
木村真豊中市議や朝日新聞毎日新聞などジャーナリストらの粘り強い追及がもし
なかったならば、
今頃、安倍氏ら日本会議の思想を色濃く実現した、市民感覚からして異様な教育をする
森友の小学校は開校し、昭恵夫人はそこの名誉校長でいたはずである・・・。





『この忖度の国で④ 佐川喚問その一』


2018年。3月27日。
衆参両院で佐川氏喚問。

どうせ、『刑事訴追の怖れがあるので証言を控えさせていただきます』で
押し通すんだろうなあ、と思っていたので、期待もがっかりもしなかったが、
虚しさだけは残る。
しかし、なかなか興味深い茶番劇ではあった。


政府、財務省がこれで全てがすんだと思う方ならおかしい。国民はまったく納得していない。
佐川氏がいくら自分の訴追を逃れるためといえども、あのように訴追と関係ない
ような質問にも徹底して答弁を拒否し続けたことで、国民が真に知りたいと思って
いる核心の疑問は何一つ明らかにならなかったわけだから。

①なぜ、籠池氏の森友学園があのように異例の優遇を受けられたのか。
②なぜ、公文書がかくも組織的・大規模に改竄されたのか。誰がそれをしたのか。

  
大きく分けて、この問題は、2段階に分かれていると思う。
①2013年7月以降2017年6月20日まで。
  森友学園が大阪府豊中市の国有地の取得に動きだした時から、最初は借り受けのちに
  それの購入に関し、財務相が森友学園と売却契約を結ぶまで。
②2017年2月以降、近畿財務局および大蔵省財務局において、森友学園に関する
  決済書という公文書が、書き換えられるまで。
  

①の、理財局の決済が下り売却契約が結ばれるまでの時期のほとんどは、
佐川氏自身はまだ理財局局長ではなく、迫田英典氏が任を負っていた。
佐川氏は、売買契約が結ばれるわずか3日前の2016年6月17日に理財局局長に
就任。迫田氏は同日、国税庁長官に昇進している…。
当の佐川氏が言うとおり、売買契約に至るまでの経緯には佐川氏自身はタッチしていない。
だから、国会などでの答弁にあたり、佐川氏自身の言葉を借りれば、佐川氏は一連の
経緯を『勉強』『資料を読みこんだ』『話を聞いた』『当時の担当は』などという
どこかよそ事のような答弁で終始したのであろう。
また、午後からの衆院予算委員会で、立憲民主党の逢坂誠二氏とのやりとりの時に、
『前任者の迫田氏からの引き継ぎがなかった』とも答えている。
財務省理財局局長に限らないが、いい加減なもんだな…と思ってしまう。
前任者から十分な引き継ぎも行われず、答弁は、部下の書いた答弁書を読んで、
2年間、そつなく瑕疵なく無事に過ごせば、その多くは国税庁長官にご栄転だ・・・。

②の森友関連の決裁文書の改竄が行われたのは、2017年2月下旬から4月の範囲
と言うことは、財務省自身が認めている。だからこの件に関しては、佐川氏は当事者であり、
ことの詳細を知っていたはずである。だからこの件に関しては、佐川氏は立場上の責任を
明らかに負う。
従って、主にこの件では、佐川氏は『刑事訴追の怖れがあるので証言できない』
を連発。

それでは、上記の二つを明確に分けて考えられるか、と言うと、改竄は森友学園の
国有地取得に関して行われたのであるから、これは全く切り離して考えられるものではない。

『この忖度の国で』シリーズのつづきとして、また中心問題の一環として、佐川喚問を
考えてみたい。『この忖度の国で ①』に挙げておいた項目と絡めて書くことも多くなると思う。


1.断固として否定した箇所こそが逆に疑いを呼ぶ。

自民党丸川珠代氏の質問。これこそが茶番の最たるものだった。
丸川氏『この書き換えを、誰が指示したのかというのは、国民の非常に大きな関心の的でございます。
    理財局の内部で書き換えが行われたということでございますが、改めて確認をいたします。
    佐川さんあるいは理財局に対して安倍総理からの指示はありませんでしたね

佐川氏『ございませんでした』
丸川氏念のために伺いますが、安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね
佐川氏『ございませんでした』
丸川氏官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官からの指示はありましたか
佐川氏『ございませんでした』

この応答などはなかなかに興味深い。
森友による国有地貸し付け・買い取りに関する契約締結から決裁書改竄に関する
一連の問題の、他の質問にはあれほど徹底して『刑事訴追の怖れがあるから証言出来ない』
証言を拒み、またとりわけ国有地貸し付け~買い取り契約に至る過程の期間はほぼ、
自分はまだ理財局長でなかったので知る立場にない、と部外者のごとくに答え続けて
いた佐川氏が、この首相、首相夫人、また官邸の首相に近い人物の関与に関する質問には、
なぜか、買い取り契約までの課程、書き換え、その両方に対する問いで、
『(指示は)一切ございませんでした』と、断定的に答えていることである。


改竄された文書もそうだが、改竄された箇所が、なぜそこを選んで改竄・削除されたのか、
というところにこそ、真実がある。

何かやましさをそこに感じなければ、手を加えられていない他の箇所同様、なにも
法律に抵触する怖れのある危険を冒してまで、誰かがそこを変える必要などない。

同様に、自らが関わることについてはほぼ全て『刑事訴追の怖れ』があるということで
証言を断り、自分の在任期間のことではないことに関しては他人事ごとのような答弁を
していた佐川氏が、なぜ、安倍首相、昭恵夫人そして官邸の関与を問う質問には
断定的に否定したのか。
その不自然な落差は、その質問にこそ重大な意味があったからではないか。

官僚の答弁は周到である。
午前の共産党小池氏の、
では、(昨年)2月から3月にかけて、あなたは何を根拠に答弁したんですか。』という問いに
まず質問通告があり、各原課で答弁書をつくり、そういうものを基本に答弁をする、というのが
実態だ
、と答え、契約締結までの経緯に関しては、『自分が勉強した範囲で』、と前置きして
答えていた佐川氏。それ以外のことは知らなかった、という、後々追及された時の逃げ道を
ちゃんと作っている。
原課が作ってきた答弁書以外のこと、自分で勉強した範囲以上のことは
首相、昭恵夫人、そして首相官邸の人々からの関与や影響を含め、そこで何が行われたかは
詳しくは知りません、と答えているのも同然だ。
それなのに、首相、夫人および官邸関係者からの関与、指示、影響等はない、と言いきるのは
不自然だし、無責任だし、国会という場、ひいては国民を欺こうとしているのか、と言いたくなる。

ただ、安倍昭恵夫人に関する問いに、佐川氏の答えが揺らいだ時がある。

私は、喚問の全文コピーをネットで得た。そこのところを掲げてみる。

丸川氏「では、総理夫人が森友学園の名誉校長であることが、貸し付け契約や
     売買契約に何らかの影響を与えた経緯はありますか」
佐川氏「総理夫人が名誉校長であるという話は、2月の最初の報道で、私も知りました。
     ただ私、昨年ずっと勉強しておりますが、やはりきちんとこの貸し付け契約、あるいは
     売却契約ともに、全て不動産鑑定にかけた価格契約をしておりますので、
     そういう影響はございません」
丸川氏「それならばなぜ、書き換えを行って、安倍総理夫人の名前を削除したんでしょうか」
佐川氏「補佐人の助言を求めてよろしいでしょうか」
(※委員長が許可し、佐川氏が補佐人に助言を求める)
佐川氏「失礼いたしました。書き換え前の決裁文書に関わる話全般につきまして、やはり
     経緯そのものでございますので、そこは答弁を控えさせていただきたいと思います



ここで佐川氏の鉄壁の応答は、自家撞着から来る乱れを示しているのである。
引用前半部では安倍総理夫人の影響を、はっきりと否定しておきながら、『ではなぜ書き換えを
行って、夫人の名前を削除したのか
』と言う丸川氏の質問に、
佐川氏は後ろに控える
補佐人の助言を求めている。
私が参衆両院での喚問を通しで見ていた限りでは、佐川氏は数回、補佐人の助言を求めている。
それは彼が答えに窮する、要するに核心を突く問いに対したときであるのだが、
ここでたぶん初めて佐川氏は、後ろに控える補佐人の助言を求めている!

そして、他の微妙な質問同様、経緯そのものに関わることは(刑事訴追の怖れがあるので)、
答弁を控える、と答えている
のである。


これは丸川氏の質問時間の終わりに近いところで行われた質問であったが、佐川氏のこの
揺らぎにもかかわらず、丸川氏がそのすぐあとの結びの部分で発した言葉はこうだ。
丸川氏『ありがとうございました。少なくとも今回の書き換え、そして森友学園に国有地の
     貸し付け並びに売り払いの取引について、総理、総理夫人、官邸の関与はなかった
     ということは、証言を得られました。ありがとうございました』





そもそも丸川氏が、この日の参衆両院での喚問の、質問のトップバッターであった。
安倍政権の宣伝ガールをいつも務める丸川氏。
丸川氏の質問のしかたも、もうこれは茶番というか聞いていて反吐が出そうだった。
この記事冒頭部のやりとり、丸川氏自身の質問時間の最初に近い箇所に戻ろう。

改めて確認をいたします。
佐川さんあるいは理財局に対して安倍総理からの指示はありませんでしたね
念のために伺いますが、安倍総理夫人からの指示もありませんでしたね
と、首相および首相夫人のところでは、『ありませんでしたね』と念を押しているのに比べ、
官邸の官房長官、官房副長官、総理秘書官からの指示というところでは、ごく普通に
『ありましたか』と訊いていることである。

ここには単なる無意識の違いではなく、質問者の明らかな意図を感じる。
『改めて確認します』とか『念のため』、と、相手の注意を改めて喚起し、この質問に想定外の
答えはないはずだからね、とやんわり圧力をかけておいてから

『ありませんでしたね』と畳みかける。

「念のため」とは何という言い草か。念のため、という言葉は、すでに分かっている内容を
再確認するとき使う言葉であろう?『改めて確認します』も同様。
この『念のため』『改めて確認します』という言葉は、おそらく、参院予算委員長を務める
金子原二郎氏が、言わば公正な司会者の立場でありながら、喚問の開始を告げる宣言の中で、
すでに佐川氏に、決議書の改竄に対する佐川氏の認識や、政治家や財務省幹部などによる
関与などについて訊ねている。
丸川氏のこの言葉は、金子氏の質問とそれに対する佐川氏の否定や証言拒否の言葉を
受けてのものと考えられなくもないが、
そもそも公平公正な立場で予算委員会の進行を務めるべき金子委員長が、
各党からの代表代議員の質問が始まる前に、すでに佐川氏の決定的な答弁を求めるって、
おかしくないか?
あれでは、そのあとの喚問の全体の構図が、のっけから決められてしまうようなものだ。


ともかく、丸川氏は、『念のため』『改めて確認しますが』と釘を刺しておいてから、
『ありませんでしたね』、『ありませんでしたね』と、他の答えは許さないというような問い方をする。
これは、一種の恫喝である。『恫喝』といって強すぎるなら、『圧力』である。

いくらそれがソフトに発せられたとしても、伝わる者には伝わる、というのが、
この手の恫喝また圧力の本質である。
私は、丸川氏がおそらく意図して使ったこのような類の手法…、時にソフトな『恫喝』
あるいは『圧力』は、森友・加計問題の関係者間の至る所で使われていたのでは
なかったろうか、と思っている。

前川氏の講演会に関する自民党赤池、池田両議員の圧力なども同じ構図だと思う。

森友文書に関わっていた近畿財務局の職員の一人が自死なさった。彼は、この
財務省理財局 ~近畿財務局関係のヒエラルキーの動きの末端に近い位置にいて、
想像も出来ないほどの圧力の集積を、その身一人に受けて死を選んだのではなかったか。


丸川氏は質疑応答の最後を、『これで総理および総理夫人の関与はなかった、と言う証言を
得られました』という言葉で結び、
二階幹事長は喚問終了後、『総理はじめ政治家がこれに関わり合いを持ったということは
幸いにしてなかったということがこれで明白になったと思う』というようなことを、記者の
ぶら下がりに答えていた。
早速か!である。二階氏は佐川喚問前には、安倍政権に厳しいようなそぶりをして見せて
いたけれど、喚問が終わった途端にこれだ。

以後、佐川氏の証言がこれで完璧に安倍夫妻の潔白を証明した、ということに
されていくのであろう。


佐川氏は、残念ながら、自らの保身を選んで、これからおそらく永久に長い時間、
国民からそしりを受ける道を選んでしまった・・・残念というかむごいことでもある…
佐川氏は、いったい誰の方を向いて財務省理財局局長、
国税局長官という、その『公僕』としての務めを果たしていたのか…



しかし、これで、森友問題が、麻生財務大臣兼副総理の言うように、『全て佐川の
やったこと』とされたり、また財務省理財局、近畿財務局の一部職員のやったこと、
と言うことで片付けられてしまうようなら、日本の行政に対する国民の信頼は地に落ちる
どころか、粉々に砕け散ってしまう。
国権の最高機関である『国会』という場が、『行政』の不正や歪みを正す力がないと
いうことを、そして神聖であるべき国会の証人喚問においてすら、このような言い抜けに
終始していればやり過ごせるのだという悪しき前例を作ってしまったということが、
今後の国民生活において、その隅々にまでどのような悪影響を及ぼすか計り知れない。


この問題は、ここでは終わらない。
語られなかったことにこそ、敢えて明らかにされなかったことにこそ、当の佐川氏初め、
まだまだ陰に隠れている当事者らに寄ってたかって『伏された部分』にこそ、
本当に重大な真実がある。









『この忖度の国で ③』

さて、前置きが長くなってしまったが、いよいよ本論に入ろう。
私は、森友問題と加計学園獣医学部の問題は、同根であると考えるので、
ときに森友問題と加計問題に同時に触れていくこともあると前置きさせていただく。




【森友・加計問題の本質】


1.関係者の思想の親和性の高さ
この両学園に関する問題の一番の本質的問題点は、

安倍首相、昭恵夫人、そして、森友学園籠池泰典氏および加計学園加計孝太郎氏らの
思想性の近さが、これらの学園の設置・優遇に関係していたのではないか、ということである。
これらの問題においてたくさんの人物が登場してくるが、その多くに共通する思想の近さ・・・
はっきり言えば
①『日本会議』
②『神道国家連盟』
③『改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会』(教科書改善の会)
④『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』
⑤『創生「日本」』

などの思想・方針との親和性の高さが、両学園問題の根本に横たわっていると私は考える。

森友学園による国有地貸借・購入に関する財務省の決裁書で、14文書で実に300カ所
近い削除や文言変更があったことが明らかになっているが、その削除される前の元の文書に
幾人かの政治家や昭恵夫人の名が登場する。
2013年8月13日 鴻池祥肇・元防災担当相。
2014年4月28日 安倍首相夫人昭恵氏。昭恵氏は他に2015年9月5日、17年1月8日、
             など計5カ所登場。

2015年1月15日。北川イッセイ・元国交省副大臣。
2015年1月29日 平沼赳夫・元経済産業省。
2015年2月17日 鳩山邦夫・元総務相。


北川イッセイ氏は、秘書官を通じ、森友学園から貸し付け料が高額すぎる件について
面会を求められるも、国土交通省として回答、『面会しても意味をなさない』と、明確に
これを断っている。
しかし、鴻池氏、平沼氏、鳩山氏は、秘書を通じて、森友の件で一種の口利きに類する
ような問い合わせをしてやっている。
昭恵夫人の動きについてはみなさんすでに報道でご存じであろう。
籠池夫妻といっしょに写真を撮ったり、講演をしたり、園児たちの『安倍首相、
昭恵夫人、ありがとうございます!』という一斉の挨拶に涙したり、
夫人付き政府職員が国有地の売買予約付定期借地契約に関して財務省からの
返答を籠池氏にFAXしていたり、果ては森友学園『瑞穂の国記念小學院』の名誉校長を
引き受けたり。

さて。この削除された文書の中で名前が出てきた人々のうち、明確に口利きを断っている
北川イッセイ氏を覗いて、秘書を通じて何らかの問い合わせを森友学園のために
してやった鴻池氏、平沼氏、鳩山氏は、いずれも上記5団体、会などのいずれかと関係を
持っている議員たちである。
鴻池氏は①②④⑤、平沼氏は①②④⑤、鳩山氏は④のみ。

なぜ、森友関連文書はかくも大規模の削除や文言書きかえが行われたのか。
それは、削除された部分を見ていけば、逆にわかろうというものだ。
その部分が、文書が公開されたときに、誰かにとって都合の悪い箇所を含み、
追及される怖れがあるからこそ改竄削除したのであることは明白だ。
昭恵夫人の名前の出てくる箇所、これらの現・元国会議員三氏の名前の出ている箇所は
削除された。
そして。
改竄前文書には、なぜか、森友学園理事長である籠池氏の経歴ともいうべきものが
書かれていた。
『同氏は、「日本会議大阪(注)代表、運営委員」を始めとする諸団体に関与している』と。
そして、(注)として、日本会議大阪についての説明が7行にわたって書かれていたのだが、
すべて削除されている。その注の中には、『日本会議』に連携する組織として
『日本会議国会議員懇談会』のことが書かれ、平成27年(2015年)現在、
『特別顧問が麻生太郎財務大臣、会長が平沼赳夫議員、副会長に安倍晋三総理らが
就任』
という文章もあったのだが、消されてしまった。

日本会議と安倍政権の関わりについて書こう。

現在、安倍晋三首相、麻生太郎財務大臣・副総裁は、『日本会議国会議員懇談会』の
『特別顧問』であり、菅義偉内閣官房長官は副会長の一人。
(ちなみに現会長は、田久保忠衛。その前の会長が平沼赳夫氏。)
実に現在の安倍第4次内閣の20名の閣僚中12名が、この日本会議国会議員懇談会の
メンバーであり、18名が『神道政治連盟国会議員懇談会』のメンバーであり、その多くは
『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』の会員である。
2016年に発足した第三次安倍再改造内閣などでは、閣僚20人のうち、公明党の
石井啓一国交相を除く全員が、『日本会議国会議員懇談会』『神道政治連盟国会議員
懇談会』『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』のいずれかの議員連盟に
所属歴がある『靖国派』の政治家であった。『神道政治連盟』に至っては、公明党の
石井氏以外実に閣僚20名中、実に19人が所属していたのである。

もちろん、政治家といえども個々人が抱く思想は自由である。それは当然のことだ。
これらの団体・組織には、自民党だけでなく、民進党など野党の議員たちも所属している…。
だがしかし、安倍政権のこの『神道』がらみの閣僚の多さは、やはり異常ではなかろうか。

『日本会議国会議員懇談会』の関連団体『日本会議』によれば、問題の籠池氏は、
日本会議の会員であったが、2011年、退会している。それにもかかわらず氏は、
『日本会議大阪代表・運営委員』と書いた名刺を財務省関係者に配布していたらしい。
このたび削除された文書に、籠池氏がらみで『日本会議』の記述があることを、日本会議は
迷惑がっているようだが、とにかく、籠池氏、安倍首相初めとする国会議員ら、
このたびの森友問題に、日本会議に関係する人物たちが極めて多いことは、特徴的
であることに変わりはあるまい。

安倍首相と夫人が、
森友学園の教育方針…系列塚本幼稚園の幼い子供たちに『教育勅語』を暗唱させ、
こともあろうに、運動会の選手宣誓で子供たちに、

『大人の人たちは、日本が他の国に負けぬよう、尖閣列島・竹島・
北方領土を守り、日本を悪者として扱っている、中国、韓国が心改め、
歴史で嘘を教えないよう、
お願い致します。
安倍首相、ガンバレ! 安倍首相、ガンバレ!
安保法制国会通過よかったです
!』


と言わせるような森友学園の教育方針を夫妻そろって『素晴らしい』と称賛していたことは
どなたもご存じだろう。

安倍首相は、昨年2月17日の国会答弁で、籠池氏のことを『言わば、私の考え方に
非常に共鳴している方でですね』
と、その思想の親和性を認め、
『妻から先生の教育に対する熱意は素晴らしいと聞いている』と学園のことを誉め、
一方、昭恵夫人は、
『( 森友学園の)教育方針はたいへん主人も素晴らしいというふうに思っている』と言い、
さらには、瑞穂の国記念小學院の名誉校長に就任した2015年9月には、森友学園の
塚本幼稚園の講演で、
『この幼稚園でやっていることはほんとうに素晴らしいのですけれど、それが
この幼稚園が終わってしまって普通の公立の学校に行くと、普通の公立の学校の教育を
受ける。せっかくここ(塚本幼稚園)で芯ができたものがまた(公立)学校に入った途端に
揺らいでしまう』

と語っているのである。

一国の首相の夫人が、『普通の公立の学校の教育が悪い』と言うのか!!!???

一国の首相及びその夫人が、森友学園のような特殊な思想…天皇主権、軍国教育と深く
結びついた教育勅語を称賛し、隣国へのヘイト・憎悪を子供の心に植え付けるような
教育をする…また国民のおよそ半数が反対または疑問を持っている安保法制改定が
国会を通過したのがよかった、などと子供に言わせる一種の洗脳教育…を行う学園に
肩入れし、昭恵夫人に至っては、新しく開設されるはずだった瑞穂の国記念小學院の
名誉校長に就任するはずだった、などということが、おかしいと思わないほうがおかしい。


仮に、これと全く反対の思想教育、例えば改憲反対、安保法制反対、
などという理念を幼稚園保育園の子供たちに刷り込みをする
学校があって、時の総理及びその夫人がそれを称賛し、
夫人が名誉校長に就任する、などということがあったとしたら、
いったいどれほどの批判が集まることか。そのおかしさを
想像してみてごらんなさい。


私は、ごりごりの改憲反対、安保法制反対論者ではあるが、そんな事態は同じく異常と思う。
いろいろな思想信条はあってもいいが、その教育的刷り込みに国家が露骨に関与する、
となるとそれは大問題であろう?




無論、この問題の根深さは、単に安倍首相夫妻と両学園理事長の思想性の近さ、
だけでは論じきれない。
次に続く記事などで順番に書いていくつもりだが、この記事ではまず、森友・加計問題の
『背景』と言うことで、このまま話を進めていきたい。



ちょっと、加計問題の方に軸足を移してみる。


・平成19年、『改正教育基本法に基づく教科書改善を進める有識者の会』
(教科書改善の会)

発足している。これは、扶桑社の教科書事業が独立して設立されたフジサンケイグループの
教科書会社「育鵬社」による中学校歴史・公民教科書の発行を側面支援する有識者グループ
である。
https://mamorenihon.wordpress.com/2017/04/02/%E5%8A%A0%E8%A8%88%E3%81%A8%E5%AE%89%E5%80%8D%E3%81%A8%E6%95%99%E7%A7%91%E6%9B%B8%E6%94%B9%E5%96%84%E3%81%AE%E4%BC%9A%E3%81%A8%E6%97%A5%E6%9C%AC%E4%BC%9A%E8%AD%B0/
加計学園理事長加計光太郎氏は、この『教科書改善の会』の賛同者に名を連ねている。
加計学園グループの岡山理科大付属中学では歴史・公民ともに育鵬社の教科書を採択。
また、加計学園グループの予備校英数学館岡山校敷地内に、自民党支部があることが
昨年7月25日の閉会中審査の際、松沢成文参院議員(無所属クラブ)によって質問された。
自民党の職域団体「自由民主党岡山県自治振興支部」の政治資金収支報告書には
代表者名として、加計学園理事長である加計孝太郎氏の名がしるされているという。

さらには。昨夏の閉会中審査の際、自民党側の呼んだ参考人として
加戸守行前愛媛県知事
が前川氏の証言を批判し、安倍氏擁護の論陣を
張った(?)姿は、多くの方がご覧になったかも知れない。
この加戸守行前愛媛県知事は、加計学園獣医学部誘致の中心人物であるのは
皆さんご存じの通り。
しかし、この人は、14年、日本会議八幡浜支部設立の際に、記念講演を行い、
『日本人の感性を育んだ道徳の役割』などについて話している。
本人が日本会議かどうかは知らないが、日本会議、安倍総理に思想的に近いことは
確かであろう。また、加戸氏は知事時代、くだんの育鵬社版の公民・歴史の教科書採択を
強く働きかけてもいる。
2001年、「新しい歴史教科書をつくる会」による扶桑社版歴史教科書について、
教育長に「扶桑社版がベスト」と推薦し、結果、県立ろう・養護学校の一部で採択された。
この行為は知事による教育への政治的介入だと問題となったらしいが、加戸氏は
その後も扶桑社版教科書の採択を「県政の重要課題」に位置づけたという。
加戸氏は日本会議系の「美しい日本の憲法をつくる愛媛県民の会」の実行委員長を務め、
安倍首相肝いりの諮問機関「教育再生実行会議」の有識者メンバーにも選出。
前川氏の証言によれば、加戸氏が有識者メンバーに選ばれたのは『総理のご指名があった』
ためだと言う。

もう一人の加計学園今治誘致の立役者、菅良二今治市長もまた、
昨年6月7日付け週間朝日の記事によれば、日本会議のメンバーであるという……。
https://dot.asahi.com/wa/2017060600037.html?page=2




国家に従順な国民を育てるには何が一番手っ取り早いか?
『教育』である。


第一次安倍政権時の
2006年。教育基本法改定。
2007年。学校教育法・教育職員免許法及び教育公務員法・地方教育行政の組織及び運営
に関する法律、いわゆる『教育改革関連三法』改定


この改定により、『公共の精神や国、郷土を愛する態度の育成』が強調された。

第三次安倍政権時の
2015年。道徳教育の教科化決定。小学校では今年2018年から、中学校では2019年から、
       道徳が正式の教科となり、教科書を使った授業が行われ、『評価』も
       されることとなっている。

この教科化される『道徳』で、安倍政権が執着する『郷土愛』『国を愛する心』などの
押しつけはされる心配はないのか。
昨年四月、東京書籍の小1向け教科書に載る題材「にちようびの さんぽみち」。
が、教科書検定に引っかかった。
『学習指導要領に示す内容(伝統と文化の尊重、国や郷土を愛する態度を学ぶ)に
照らし扱いが不適切』と検定意見がついたというのである。
文科省の担当者は『我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つことの意義を
考えさせる内容になっていない』と解説したという。
そこで書籍会社は、『街のパン屋さん』を『和菓子屋さん』に書き換えて、
検定は通過したらしい。そんな嘘のようなニュースが昨年あったことは記憶に新しい。




安倍政権の、教育への過干渉。それは、今回の森友学園問題や、加計学園問題
などに密接に繋がってくる・・・
この両校が、一般的感覚からすれば異様なほどの厚遇を受けて開校の運びになった
(森友はつぶれたが)のはなぜか。

森友学園で行われていた幼児への『教育勅語』教育。それを安倍昭恵夫人は素晴らしいと
褒め称え、新設される予定だった小学校の名誉校長に就任。昭恵氏は15年6月から、
加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」でも
名誉園長を務めている。

安倍晋三氏自身も、森友学園問題が表面化して国会で追及されるようになって、
籠池氏との関係をまるでそれまでなかったかのように忌み嫌って(!)断ち切るまでは、
森友学園の教育方針を褒め称えていたのである。
森友学園『瑞穂の国記念小學院』は、安倍氏らの教育観に
ぴったりと添う、それを具現化する小学校であったのではなかったか。


安倍政権下で進む特定の歴史および公民の教科書採択。
たとえば、育鵬社のものだが、加計学園問題で注目されている加計孝太郎氏は、
第一次安倍政権で行った『教育基本法改定』、その改定教育基本法に基づいた
歴史教科書及び公民教科書を出版することを目的として設立された『教科書改善の会』
の賛同者であり、グループの岡山理科大付属中学では歴史・公民ともに育鵬社の教科書を
採択している。
加計学園獣医学部開校に大きな働きをした、加戸守行前愛媛県知事も、
誘致し土地提供した当の今治の市長、菅良二氏も、上に書いたように、
日本会議のメンバーであるらしいから、そこにどんな力が陰で働いたか、
考えるとおぞましい…


一国の政治が…、特に次世代の子供たちを育てていく教育が、
このようにあからさまに、特定の思想で進められていっていいのか?

一国の政治が、このように隠然と時に公然と歪められていいのか?


このことに、右も左もないと私は思うのだ。

安倍政権の教育への過干渉は、例えば、このたびの前川氏、前文科省事務次官の
愛知県での講演会の内容について、これまた『日本会議国会議員懇談会』の
メンバーである赤池氏、池田氏が、異例とも言われる教育への不当介入をしたことと
無関係ではない
と私は思っている。
それは、森友学園、加計学園問題とも同じ糸で繋がっている。この同じ手法で、政治家が
行政や教育の場に圧力をかけたのではなかったか、と。



ちなみに。
育鵬社の教科書がどんなものか。たとえば公民の教科書に安倍首相の写真が15枚も
掲載されている、
ということ一事をとってみれば、それがどのような性質のものか
わかろうというものだ。詳しくは、『育鵬社版の中学校社会科教科書を読んでみた』




この記事続く。



『この忖度の国で ②』

さて。前の記事で項目上げしたことどもについて、詳しく書いていくのだが、
その前に、このシリーズのタイトルを『この忖度の国で』とした想いについて。

『忖度』ということばが急に一人歩きをしだし、その年の流行語大賞にまで選ばれたのは、
もう2年も3年も前のことのような実感があるのだが、わずかに数ヶ月前、昨年2017年の
ことである。
無論、だから、みなさんご記憶と思うが、そのきっかけは、2017年3月23日、籠池氏が国会
証人喚問され、また同日、日本外国特派員協会の記者会見で何度もそのことばを口にした
ところからである。
籠池氏は、国有地の売買や値下げについて、
『安倍晋三氏や昭恵夫人は直接口利きをしたわけではないが、財務省の官僚がその気持を
推し量って動いたのでは
という内容の見解を繰り返し証言していた。
また、外国特派員協会記者会見の席では、「大きな力が働いた」「神風が吹いた」などの
部分について、意味を問われ、これに対し、
『安倍首相または夫人の意志を忖度して動いたのではないかと思っています』と回答したのである。

それ以来、それまで言葉として存在はしていても、多くの人に日常的に使われていたわけでは
必ずしもないこの『忖度』という言葉が、一人歩きをしはじめた・・・・・・。



実は私は、この籠池発言の2年も前。森友問題などが表に出るずっと前に、この
『忖度』という言葉をタイトルの一部にした記事を書いている。
『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ②』

①から③までのシリーズ記事(ほんとはもっと続くはずだった)であったが、このときは私は、
あの、ISによる後藤さん、湯川さんの死の前後に日本を覆った『沈黙と忖度』について
考えを述べたのだった・・・・・・
だから、当然今回の森友・加計問題での『忖度』の使われ方とは違う論点となっている。
しかし、誰か何か『強力な力』に対し、日本人という民族が、非常によくも悪くも『忖度』や
『自己規制』をしがちであること、ひいては『沈黙』してしまいがちである
というその傾向を
危惧した記事
であったことでは、今の問題と共通しているように思う。

後藤さんたちの死という事態の深刻さの前に…誰もが言葉を失い利害損得など超えたところで
深く共に悲しむ、いわば『惻隠の情』とも言うべき心性、人間がおのずから持っているそういう心性
から来た沈黙や忖度を、自然な人間感情と、共感し認める一方で、私は、シリーズ③の中で
こう書いている。

『それが、他者への遠慮から、あるいは何かを恐れて自らの保身のこころから
自ら黙り込んでしまうとなると、それは問題だ。』
『誰がそうしろと言ったわけでもないのに、何かの、誰かの意を汲んで・・・
まあ、その、何か・誰か、というのは時の権力の志向するところ、というくらいの曖昧なものに
すぎない、そのくらいの段階でさえ、人が(時に団体が)その『あるもの』の意を汲んで
発言や行動を差し控えたりする…つまり忖度や斟酌をすることが、この国にはなんと
多いことだろう。』


そこで私は、人が黙り込んでしまう心理を、このように段階づけて分析してみている。

①事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態である。
②語りたいのだが、その事態について充分な知識がないために語れない、という状態。
③知識はあっても、その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
  安易には語れないと、自ら判断した状態である。
④何かに遠慮して…何かを斟酌・忖度して、自ら黙り込む、という状態である。
⑤なんらかの圧力を感じて、黙らざるを得ない、という状態である。
⑥強烈な外力によって沈黙させられる、という状態である。
⑦上記の4つのような事情を通り越して、ひとが、もうだめだ!何を言っても無駄だ!
  とあきらめてしまった状態である。



この分類分けに見るように、私は、『忖度』そのものが常に悪いと言っているのではない。
①のように、人間感情の自然なところから出てくる沈黙や気遣いを、どうして否定できようか。
実は、私自身も、非常に『忖度』する方の人間である。気が弱いと言えば言えるが、
あっちに気を遣いこっちに気を遣い、果てはそういう自分に嫌気がさすことも。><

だが、私が問題にしているのは、そういった類いの忖度ではない。
人が何か強いものに対して『斟酌』『忖度』しすぎて黙り込んでしまうこと、自分から
そうする場合だけでなく、そういう状況に追い込まれてしまうことが問題なのだ。
上記の分類に従えば、④⑤⑥⑦の状態のことである。
④⑤⑥の『黙り込む』という部分を、『何かをしてしまう』『させられてしまう』というふうに、
実際なにかの『行動をとる』という言葉に置き換えれば、これはこのまま、今回の
ケースにも当てはまっていくのではないかと思う。


さらに私は、こうも書いている…

『誰から強制されたわけでもないのに、人または集団が、この過剰な
『忖度』『斟酌』『自己規制』をすることが、言論や批評や政治の世界で
行われていくと、社会はどうなっていくのだろう…。』



              ***


結論から言えば、私は、森友問題の当事者である籠池氏自身が記者会見などで言って
いるように安倍総理自身が口利きをする命令するなどの直接の働きかけ、というものは
なかったろうと思っている。安倍総理はそこまで愚かなひとではないだろう。
いつも徹底して安倍総理に反対している私ではあるが(><)、そこは客観的・公正に見たい。
だからこそ、1年前の2017年2月17日、安倍氏は、国会の場で、
『私や妻が関係していたということになれば、首相も国会議員も辞める』という強気の発言を
声を荒げてしたのではなかったか。

しかし。
周りが『忖度する』ことはありうる。

安倍氏および昭恵夫人、とりわけ昭恵夫人が、この学園の教育方針に非常に共感し
肩入れしているということは周りは知っていたはずである。昭恵夫人自身が
何回も、この学園および籠池夫妻の元を訪れ、その教育方針を褒め称え、学園での講演の場で
『籠池園長、副園長の本当に熱い思いを何度も聞かせていただいて、この小学校に
何か私もお役に立てればいいなと思っておりました』
」とまで言っている。
昭恵氏が新設される予定だった籠池氏の『瑞穂の國記念小學院』の名誉校長を
務めていたこともこれまた衆人の知るところである。

そこで、①安倍氏および昭恵夫人に近い権力者が直接動くということ、あるいは、
②財務省などの官僚、その他の政治家たちが勝手に状況を忖度して、この一連の出来事を
引き起こしてしまった…ということならありそうである。
あるいは、その両方が。
例えば同じ時期に大問題視されていた加計学園問題で、文科省に、現役政治家、高級官僚の誰彼
などが圧力をかけてたようだということは、前文科省文部科学事務次官前川喜平氏の証言など
から、およそ推測できるからである。

しかし、これも前川氏一人の証言であり、その確証が得られているわけではなかった。
そこまで追及は及ばなかったのである。結局、加計問題はあれほど安倍総理と加計孝太郎氏の
個人的関係の近さ、またその周辺の人々の異様なほどの濃密な人間関係が取り沙汰された
にもかかわらず、とうとう追及は途中でとぎれ、加計学園は予定通り開設開校の運びとなって
しまっている・・・・・・
『推測』では、物事の本質の大元のところにはなかなか切り込めないというのが悲しいところだ。

それでも。今度の森友問題では、財務省という天下の公的大機関による公文書改竄
(財務省などによれば、単なる『書きかえ』という言葉を使うが)、さらに言えば、『偽装』
組織的『隠蔽』も含むかもしれない一連の出来事は、『推測』などと言う域を超えた事実で
あることは、当の前財務省理財局長佐川宣寿氏が、書きかえを自ら認めたことで、もう
政府も逃げ隠れなど出来ない大問題に発展してしまっている・・・・・・

この問題は、単に一公的機関の文書の扱い、などの問題にとどまらず、日本が今抱えている
いろんな問題に通底する暗いものをそのうちに包含する大事な問題だと考える。

そもそも安倍夫妻と籠池氏らの歴史認識における親和性の問題や、
誰か何か『強力な力』に対し、日本人という民族が、非常によくも悪くも『忖度』や『自己規制』を
しがち、関わりを怖れことなかれとばかりに『沈黙』してしまうという、その日本人の宿痾とも
言うべき心性は、あの日中・太平洋戦争に至る過程での日本陸軍海軍という組織の上層部
や日本政府の自己保身と欺瞞、そして戦後、財界も含めた彼らの責任の取り方の曖昧さ無責任さ
に通ずるものだと私は思っている・・・。(敢えて言えばそれは昭和天皇も同じだ。)
『お上の言うことには逆らえない』・・・。『お上の思いを忖度して先に行動する』・・・。
残念ながら、当時それはそうした上層部だけでなく、新聞等の言論機関、国民の末端に至るまで、
そうだったのである・・・・・・。
『お上』や『上層部』、『上の方が』という言葉を出しただけで、周りが
理解して恐縮し、先回りして行動するという日本人の心性・・・。


今、日本のあちこちで暴露されつつある大企業のデータ改竄や偽装工作、内部監査の甘さなど
原発事故などにも通じる『組織優先』の企業倫理の崩壊にも、この問題は通じている・・・・・・。

森友問題、そして加計問題は、徹底的に追及されねばならない。
国家による公文書改竄・・・それがなぜ、いつ、誰(ら)によってなされたのか。
そしてその背景には何があるのか。
それは解明されねばならないのだ。
国民が今、これを見過ごしにし、沈黙をしたままこれを許すならば、
この国の倫理は崩壊する。それは『正しさとは何か』『何かを信じられるか』・・・
などといった私たちのすべての精神の基礎をぐらぐらにしてしまうだろう。


今、森友問題の流れは、『前財務省理財局局長佐川氏に責任がある』『彼が国会で発言した
こととのつじつま合わせのために決裁書書きかえ(改竄)が起きてしまったのだ。すべては
佐川が悪い』という方向に安倍氏、麻生氏を初めとする政府側は持って行きたいようだ。
…なんと卑怯な!

佐川氏は、なんのために国会で『文書はない』などのあのような答弁をしてきたのか。
佐川氏一人(いちにん)のミスを糊塗するためと言うには、下部組織まで巻き込んで
組織ぐるみで国会や会計検査院に提出する公文書を勝手に改竄するという罪はあまりにも重い。

どこかで大きな『忖度』が働いているのであろうことは確かだろう。
『忖度』は、忖度をしたものだけの罪なのか。違うだろう? 
『忖度』をさせたものにこそ本当は大きな道義的罪、責任、があるのではないか?
そして、そういうことになる組織構造にも問題はありはしないか?
単に忖度したものに罪をすべて負わせてそれを罰するというのではあまりにも片手落ちだ。

『忖度』は、本質的に最後には、本当に責めを負わすべき上部の者は
その追及からするりと逃れ、末端の弱い立場の者だけが責めを負う、
という構造に陥りがちなものである。
そしてそれは、ときに国を滅ぼすこともあるのだ。





『この忖度の国で ①』


今日は、森友問題に関する政府・財務省の対応に抗議する人々が官邸前に集まっている・・・
明日もあさっても、人々は官邸周辺に集まるそうだ・・・
私も自由に動けた2年前ならきっとそこにいただろう。

森友問題が加計問題とともに表沙汰になってほぼ一年・・・
ついに、関係者の内から自殺者を出してしまった!・・・・・・なんと傷ましいことか。
この問題は、その人のためにも、徹底して追及されなければならないと思う・・・



森友(そして加計)問題の本質的問題点は何か。
テレビなどの報道を見ていても、なにかそれがはっきり伝わってこない。
学校法人森友学園との国有地取引に関する財務省の決裁文書の改竄をめぐる
このたびの件は、一学校開設に伴う、単なる不明朗な手続きの問題などではない。

私は、この問題の本質は、


1.そもそも安倍晋三首相およびその夫人昭恵氏と籠池氏らの
  思想の親和性の問題。
2.安倍晋三氏の政治への私情、個人的信奉の持ち込み。
  夫人の公私混同。要するに政治の私物化傾向。
3.官僚、政治家の安倍氏への過度の忖度。
4.その背景・誘因となった、安倍一強体制の闇。
5.組織のトップのためにときに下の者が詰め腹切らされる、
  日本の組織の宿痾的構造。



にあり、そして今度の一件が結果として、

6.公文書改竄、虚偽答弁など政権および官僚の
  不正義の常態化。
7.民主主義の要諦の一つである『情報公開』と『公文書管理』への
  信頼の破壊。
8.安倍政権の立法府軽視→三権分立、立憲民主主義、議会制
  民主主義の弱体化と破壊。



を生み、

9.『公』への信頼失墜と忠誠心の破壊。
10.それらすべてがもたらす人心の荒廃と
   倫理観の弱体化。



という大きな大きな取り返しのつかない問題にいつか繋がっていくことを心配している。



それらについて、次の記事以降に書いていきたい。


『謹賀新年 '18』

謹賀新年’18



      新年おめでとうございます
       皆様のご健康とご多幸を心からお祈り申し上げます








『最高裁裁判官国民審査について』

いつか書こう書こうと思いつつ、これまで記事にしてこなかった④『司法権の独立』
についてだけ、ちょっと書いておこう。今度の衆院選と同時に、最高裁裁判官の国民審査が
あるからだ。
日本の最高裁裁判官は、長官を含めて15人いる。
そのうち12人が、安倍内閣総理大臣が任命した人である。残りの3人は、鳩山、菅、野田の
民主党政権時代の総理3人が、それぞれに任命した人々だ。
今回国民審査にかけられる
•小池裕 •戸倉三郎 •山口厚 •菅野博之 •大谷直人 •木澤克之
•林景一

の7氏は、全員、安倍内閣で任命された人々である。

仮に、明日の衆院選で、自公が大勝しあるいはそれに近い議席を今回も得て、安倍氏の
三選が決まって、2021年まで延びることになれば、最高裁裁判官15人全員が、安倍政権によって
任命された人物と言うことにいずれなる・・・。

このことがどういうことを意味するか、ちょっと考えてみて欲しい。

日本では三権分立が、日本国憲法の要の一つとなっている。
司法府は、行政府からも、立法府からも独立していなければならないのだ。
もし、司法府がいつも時の政権に都合のいい判決をするようなことになったら、こんな
恐ろしいことはない!それは誰にだってわかるだろう?

無論、安倍政権に任命されたからといって、その最高裁裁判官が、政権の言いなりになる、なった、
ということではない。それは一応言っておく。中には毅然とした立派な裁判官ももちろんいる。
最高裁元判事、という人で、その論説を見聞きすると、『ああ、この人は立派な人だった
んなあ・・・』と思わせられる人はたくさんいる。

だが。それでも、同じ政権に15人全員が任命されるという事態は、どう考えてもまずい。
それは、何も安倍政権でなくとも、どの政権でも同じだ。
人は弱いものである・・・自分に便宜を図ってくれるものにははっきりものを言えなくなる・・・
ということは、どこの世界にもある。
だから。
司法権の独立、というような大事なことは、どのような政権下、どのような人達であろうが
きちんと担保されていなければならない。
今、安倍政権には、二つ前の記事で示したように、ほとんどの権力が集中しかかって
しまっている。
ちなみに、安倍政権の任期だって、今年3月5日、自民党が第84回党大会を開き、
総裁任期を「連続2期6年 」から「連続3期9年」に延長する方針を正式決定したから、
安倍晋三自民党総裁は、このたびの衆院選挙後の総裁選で3選されれば、2021年9月
までの在任が可能となったのである!.


こういうことまで、実は皆さん、安倍首相の力は拡張されてきているのですよ!
2021年には、その安倍政権に、最高裁判事15人全員が任命されることになるのです!

今私は、いくつかの記事を、投票日前になんとか仕上げて同時にアップしておきたいと思って
ここ数日頑張っていた・・・。
その中に、安倍内閣に限らず、時の一政権が暴走するのを防ぐための防波堤の一つとして
追加すべきこと
を書こうとしていた。それは、
『官僚の矜持』というようなものである。その『前例踏襲』の体質である。
時の政権の横暴に、ときに内部から抵抗する、そういう官僚の存在だ。
そう聞いて、ひとりのひとの顔が、皆さん、思い浮かぶのではなかろうか。
そう。元文科相事務次官 前川喜平氏、のことだ。

官僚は、政治家の意を受けて、実際に国を動かしていく仕事をする。時に、官僚は
『政治家の意を受ける』というよりは、『政治家を実質的に動かして』、組織の防御に努める
存在でもある。『官僚』というと、私たちにはあまりいいイメージはないのではなかろうか。

しかし。官僚達が、その組織の論理で動いて、頑固にその『先例』『慣習』を変えない、
ということが、逆に、時の一政権の暴走からこの国を守っている、という場面もあるのでは
ないか
と私は思う。
官僚の中には、前川氏のような気骨のある人物もいなくはないのである・・・

ところが。
安倍政権は、2014年5月内閣官房内に、『内閣人事局』なるものを新設設置した。
それまで、各省の事務次官を頂点とする一般職国家公務員(いわゆる事務方)の人事については、
事務方の自律性と無党派性(非政治性)にも配慮して、政治家が介入
することは控えられてきた。

ところが安倍政権は、『内閣人事局』を内閣内に設置することによって、各省の幹部人事を
内閣総理大臣を中心とする内閣が一括して行い、政治主導の行政運営を徹底することに
したのである。人事局は各省庁の審議官級以上の約600人の幹部人事を一元的に管理する。

こう聞いても、なんのこっちゃ、何が問題なのかな?と思われるかもしれない。
だが。これにより、政権の意向に逆らうような、あるいはそこまで行かずとも政権の意向に添って
粛々と動かぬような事務方などは、排されるということになっていく恐れは十分に考えられる・・・

東大の牧原出教授(行政学)は「政権が人事権で官僚を威圧すれば、行政をゆがめる。
官邸や政権がしっかり自制すべきだ」
と指摘している。
また、元内閣総理大臣福田康夫氏も、内閣人事局の運用について『各省庁の中堅以上の
幹部は皆、官邸の顔色を見て仕事をしている。』『政治家が人事をやってはいけない』
と批判している。


みなさん!このように、安倍政権は、各省庁の人事権までもを、『内閣人事局』新設で
その手に一手に掌握することに成功しつつあるのです!
安倍首相の、この目立たぬが、自分に権力を集めていく手法は、実はいろんなところで
行われている。皆さんご存じの、日銀、黒田総裁人事。日銀総裁に就いた財務省OBは、
それまで全員が旧大蔵事務次官経験者。黒田氏のような財務官経験者の起用は前例が
なかったのである。だが、安倍氏はそれを行った。
今、黒田日銀総裁がいわゆる『黒田バズーカ』なるもので、どれほど安倍内閣に貢献
しているかを考えれば、う~ん・・・そこに情実というようなものはないと言いきれるか。
日本の金融・経済のことを考える。それが仕事だと言えば、そりゃそうなのだが・・・。

そして同じく、皆さんの記憶からまだ去ってはいないだろう、内閣法制局長官人事である。
安倍政権は、2013年。内閣法制局法制局長官に、元フランス大使で外務省畑出身の
小松一郎氏を任命した。従来、内閣法制局はキャリア官僚を独自採用せず、各省庁から
参事官以上を出向で受け入れ、局長級以上の幹部になるのは原則、法務省、財務省、
総務省、経済産業省の4省の出身者だけというのが不文律とされ、さらに長官までには、
第一部長→法制次長→長官という履歴が1952年以来崩されていないとされていたところ
である。内閣法制局長官は、内閣法制次長を昇格させるのが慣例だったのに、法制局での
勤務経験がない、しかも外務省出身の小松氏をその座にすえるのは、ほんとに異例の
人事であった。
内閣法制局は、行政府内における法令案の審査や法制に関する調査などを所掌する
機関で、そのチェックの厳しさは、『内閣内の法の番人』と称されることも多いところ
であった。小松氏は安倍総理と親しい間柄で、しかも、その2013年当時は、政府は
集団的自衛権行使の容認に向けた解釈見直しをにらんでいるときだった。
『慣例』と『申し送り』人事の伏魔殿のような機関であった内閣法制局を、変えた!といえば
聞こえはいいが、集団的自衛権行使容認のために、官邸主導で、首相の意向に沿った
体制を整える狙いだったと疑われても仕方ないような人事ではあった・・・。
小松氏は、故人には鞭打つつもりはないので、残念ながら、就任まもなく亡くなられた。
そのあとには、法制局の従来の慣習通り、次長であった横畠祐介氏が長官職に昇進したが、
皆さんご記憶の通り、自衛隊の集団的自衛権行使容認の閣議決定に至るまで、またその後の
安保国会とも言える議場での横畠氏の法制局長官としての答弁は、ぬるりくらりと逃げるだけの
はなはだ不誠実なものであった!
私は、内閣法制局は、『慣例』や『申し送り』だらけの伏魔殿、ではあったかもしれないが、
その『法に対する厳密さ』『頑迷さ』が、日本の法をある意味で守ってきたという側面は
大きかったのではなかったかと思っている。実際、元内閣法制局長官であった、という
人々の言論は、主義一貫して気持ちがいい。
小松氏、横畠氏以降、「内閣の法の番人であった『内閣法制局』は死んだ!」と
私は思っている。

・・・このように、安倍氏は、いろんなところで、この官僚機構などの『慣例』を崩している・・・

ようやく話が最高裁裁判官国民審査に戻るが、安倍政権は、どうやら、この最高裁判事の
選出の慣例をも崩しているようなのだ。

最高裁判所裁判官の任命権は、内閣にある。それは憲法にも書いてある。
だが。これまで最高裁裁判官には不文律の出身別枠組みが存在し、概ね
裁判官出身が6人、弁護士出身4人、検察出身2人、行政出身2人、学者出身が1人と
なっていた。
ところが、今年3月、弁護士出身の大橋氏が定年を迎え、通例なら、大橋氏が弁護士出身
であるから、日本弁護士連合会が弁護士の中から後任者の推薦名簿を最高裁判所
裁判官推薦諮問委員会に提出した。その中から官邸が選ぶというのが、これまでの慣例
であった。だが後任に選ばれたのは、著名な刑法学者で元東大法学部長の山口厚裁判官。
山口氏は昨年8月に東京第一弁護士会に登録したばかりであり、日弁連の推薦名簿に
名前は入っていなかった。つまり学者の枠が増え、弁護士の枠が減らされた、ということに
なったのである。
そんなこと、どうでもいいじゃないか、と思われるかもしれないが、これとは別に、
第2次安倍政権発足後、しばらくした頃。首相官邸で、杉田和博・内閣官房副長官が、
最高裁の人事担当者に、退官する裁判官の後任人事案が候補者一人だけだった
ということについて、候補者を二人にせよとの注文をつけたというのである。
このとき、退官が決まっていたのは、地裁や高裁の裁判官を務めた職業裁判官。
慣例通りに行くならば、同じ「職業裁判官枠」から選ばれるはずだったのだが、官邸側の
杉田氏が注文をつけたと言うことだ。2002年に公表した「最高裁裁判官の任命について」
というペーパーでは、最高裁に最適任候補の意見を聞くことを慣例としていたのに
である。そのとき誰が選ばれたのかは知らないが。

今回国民審査の対象となる裁判官は七人。皆、安倍政権が任命した人々である。
そのうち、弁護士出身の木澤克之裁判官は、獣医学部新設に向けてのプロセスの
透明性と公平性が問題となっている加計学園理事長の加計孝太郎氏と立教大学の
同窓で、同学園監事を務めていたことがある。木澤氏は日弁連の推薦名簿に名前が
入っており、「異例の人事」というわけではないが、この加計問題が紛糾している中で
気になることではある・・・。

なお。上に名前の出てきた杉田 和博氏は、内閣官房副長官であり、この8月、これまた
上に書いた、『内閣人事局長』を兼任するよう、命を受けて今、その職を兼務している。
彼は日本の警察官僚出身である。警察ではほぼ一貫して警備・公安畑を歩み、
警備局長を経て内閣官房で危機管理を担ったひとという・・・。
この人の名は、前川喜平氏の騒ぎのところでも出てきたな・・・
温厚で立派な人らしいが、公安・警備端の人が、内閣人事局長・・・というのは気にはなる。

話を再び裁判官国民審査に戻すが。
というように、安倍政権は、いわば『慣例』『申し送り』の続いてきた官僚機構や組織に手を入れる。
『岩盤規制を壊す』一つなのかもしれないが、そうした長年続いた組織の『不文律』には
容易に権力に屈しない、という、組織としての矜持や見識、という側面も存在する。


時の一政権に何もかもの権力が集中してしまったら、それはもうファシズムの世界だ。
独裁政治の世界だ。
それでなくとも権力というものは、長く続くと腐敗しがちなものだ。
とりわけ、司法権が行政権の下になり、行政府の長などの意向を『忖度』する判決など
出すようになったら・・・こんな怖いことありますか?

すでに日本では、いつからとは言えないけれども・・・地裁などで名判決がでた!と喜んで
いても、高裁~最高裁へ、と上級審にかかるようになればなるほど、地裁などの名判決を
覆す、という例が多くなっていくような気がする。
古い話になるが、1959年の砂川事件で、被告全員無罪とした地裁判決を、最高裁が
差し戻し命令を下し、結局、地裁で全員有罪が確定したあの判決などは、歴史に残る
一大汚点だと私は思っている。

司法権は、何者にも侵されてはならない!
時の一政府に、権力を集めすぎてはいけない!



参考までに書いておくが、アメリカの最高裁判所判事は、一人の首席判事と8人の陪席判事
で構成されている。彼らはいずれも終身制で、本人が死去または自ら引退するまで、その地位を
保証され、弾劾裁判以外の理由では解任されることはない。
終身制!?
と驚いてしまうが、これは、アメリカでもにほんと同じように大統領(日本では首相)が任命する。
大統領は原則任期4年である。その大統領が代わるごとに、最高裁判事の判決が政治に左右
されることなどないよう、最高裁判事達が、司法の独立を守れるよう、アメリカではこういう決まりに
しているのである。
一つの知恵ではないだろうか?
ちなみに、今、アメリカの最高裁判事は、民主党政権時代に選ばれた人が4人。共和党政権で
選ばれた人が5人で、およそバランスがとれている・・・。


まあ。明日、最高裁判所裁判官の国民審査があるので、こういう記事も書いてみた。
明日、私自身は、今回審査にかかる7人のうち、二人を除いて、×をつけようかと考えている。
私はこれまで、この国民審査には関心がなく、×印をつけたことはなかった。
だが、無印にすれば、白紙委任したのと同じになる。裁判官諸氏にますます襟を正して
いただきたいという意味で、今回は、×をつけようかなと思っている。

裁判官達の過去の判決がどのようなものであったかは、こちらが参考になるかも。
これまた、長い記事ですが。><

https://news.yahoo.co.jp/byline/egawashoko/20171017-00076994/

しかし、私たちの自由を守るために、こういう機会に裁判所のことにも
興味を持つのはいいことかもしれない。
『司法』が侵されてはならないのである。



『キャンドル・ナイト 78』






78回目のキャンドル・ナイト。


キャンドル・ナイト 78


前回のガラスビーズに引き続き、飴玉みたいな色合いのポットにろうそくを入れてみた。
どちらも百均の商品だけれど、赤、濃桃、青の三色の組み合わせには、子供の頃の
記憶を呼び覚ますような懐かしさをいつも感じる。
この三色に、緑、黄色、を加えたら、懐かしさ究極の原色の組み合わせだ。
着るものの色の組み合わせとしては考えられない悪趣味の色だろうけれど、
富山の薬売りの叔父さんのくれる紙風船の色合い、夏の子供浴衣の色柄、ブリキの金魚、
駄菓子のジェリービーンズ、そして七夕飾りの中にあったあの蛇腹のようにくるんと開く飾り・・・
あれはなんという名前のものだろう・・・
そんなものたちで意識せず親しんできた色の組み合わせだ・・・

長い年月、親しく目にしていながら、その正式名称を知らずに来たものたちがあるものだ・・・
私にとっては、包装の緩衝材として入れるあのセロファンを細かく刻んだものの正式名称が
なんというのかは、子供時代から知りたいと思い続けた長年の疑問であった。
それが『セロパッキン』と業界で呼ばれていることは、ようやくつい最近知ったことだ。
それから、その、バナナみたいな味と香りの駄菓子・・・・『ジェリービーンズ』・・
それもなかなかその名前が思い出せないままに来たものの一つだった。
今ちょっと調べてみたら、ジェリービーンズは、『ソラマメ』の形を模したものだという。
バナナじゃなかったのかぁ…そりゃそうだ、『beans』だものなあ。

さて。あの七夕飾りにもあった蛇腹のように開いたり閉じたり出来るおもちゃは
なんというものなのか?
・・・今、思いたって調べてみたら、『ハニカムペーパー』というものだそうだ・・・開くと蜂の巣の
構造になっているからか。なるほど。でも、私が子供の頃から、いやもっともっと昔から
あったものだ。その頃からハニカムペーパーなどと呼ばれていたとは思えない。
和名でなんというのだろう・・・・・・
『でんぐり』というのだそうだ。なるほど。くるんと前転などすることをでんぐり返りする、
などというものなあ。


それほど高価なものではないのだけれど、子供にはなかなか手に入れるのがなぜか
困難なものがある・・・私にとっては、この『でんぐり』がそうであったし、お盆の綺麗な
『落雁菓子』が未だにそうである。
無論高価で手の届かぬものもある・・・富山など北陸の『細工かまぼこ』がそうである・・・
そうそう。『つまみ細工のかんざし』も、子供の頃の私にとっては、手に入れられぬ憧れの
ものだったなあ・・・
これらのものは、ほとんど皆、なにがしかの祭礼などと関係があって、いわば日常で
手に入れてはいけないある種の『禁忌』を含んだものたちだったから。
お盆の落雁菓子は仏様に供えるものだし、祝いかまぼこは、そういう風習のある土地
の結婚式にでも出なければ、食べられるものではない。『でんぐり』も『つまみ細工の
かんざし』も、七夕や秋の祭礼、七五三、正月などというように、ある季節に限られたもの
であって、その時期を過ぎれば、またその該当する年齢を過ぎてしまえば、もう手にしてはならぬ・・・
そういった暗黙の約束事を含んだものたちである・・・。

というわけで、ジェリービーンズ以外は、私にはすでに縁遠い、生涯縁のなかった品物で
あるわけだけれども、(ジェリービーンズも弱った歯にはもう食べられず、落雁菓子も
私が亡くなったら、娘に頼んでおいて仏前にお供えしてもらおう・・・とほほ・・・)こうした
あこがれの品物があると言うことはあったと言うことは、まあ『寂幸せ』とでもいうような
ものかなと思っている・・・。



ふ~ぅ・・・・
と。キャンドル・ナイトの本来の趣旨とは関係ないことを長々と書いてきたけれど。
こう・・・怒りの向け場がなくなってしまっている感じなのである。


願わぬ方向へばかり世界が転がり進んでいく・・・・・・






南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








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『民進党よ!!! ③』


民進党は、枝野氏がついに代表戦に名乗りを上げた。
少し遅きに過ぎた・・・という感はあるが。

東日本大震災の時、刻々と変わっていく津波被災地と福島第一原発の状況を、
政府のスポークスマン=官房長官として不眠不休で国民に説明していた枝野氏。
その必死の姿は、『枝野。眠れ』というハッシュタグまで生んで、日本のみならず世界の
ひとに共有された。
私は、東日本大震災後、民主党の将来の代表としてふさわしいのはこの人物しか
いない、とずっと思ってきた・・・肝の据わった男だな、と思ったからである・・・

だが、非常に残念なことに、
それは、ある意味で国民にとっても大変不幸だったことに、
民進党政権の時に東日本大震災が起こってしまったこと・・・
彼が福島第一原発事故時の民主党のスポークスマンとも言うべき官房長官であったこと。
そして彼が、政府を代弁して、『ただちに人体、健康に害が無い』という文言を繰り返したこと。
そのことは、残念なことに、彼の政治家としての姿に大きな汚点を残してしまった・・・。
原発事故で逃げ惑う人々を福島に無理矢理閉じ込めるような発言だ、子供たちに
汚染されたものを強いるような、逃げることさえ禁じるような、非人道的な発言だ、として
多くの批判批難を一手に引き受けてしまったのである・・・

だが、私は、誤解を恐れずに言えば、事故直後という当時の民主党政権にとって、
枝野氏の『ただちに人体、健康に害が無い』という政府広報官としての発言は、あれで
せいいっぱい、仕方のないことだったと実は思っている。
『ただちにはない』ということは、長期的に見れば、影響はある、ということの言い換えでもある。
だが、あの東北の人々が極限状態の中に置かれているとき、『原発事故の体への影響はある』
と公式の発言の場で政府の人間がいうことが、果たして適当であったかどうか・・・

私は、原発の危険性を事故前から訴える者であった。
その私が、当然のことながら、福島の人々に『逃げずに福島にとどまれ』などと
言うはずがない。思うはずがない。
事故のあの11日の夜すでに、『スピーディの発表などに拠らず、風向きなど考慮して、
自分の危機感と判断力で、一刻も早く安全なところへ批難してくれ!』 と、
祈るように、ほとんど地団駄踏みながら思っていた私である・・・・・・。

しかし、政府としては、あの時は、ああ言う以外の何が言えただろうかとも思う。
仮に自民党政権の時であったなら、もっとうまい対応が出来ていたのであろうか?

事故直後の、原発・・・第一第二で計10基もある福島第一原発の正確な現状について、
国民や政府自身は無論、本当は政府に正確な情報を上げるべき原子力委員会も
安全保安院も、そして当の東電の人間さえもが、第一原発の危険度がどれほど
ひどいかということを、その正確な状況を、ひとりとして把握している者はいなかったのである・・・

菅政権は、大津波被災地と福島第一原発が同時に時々刻々深刻さを増していく中で、
必要な情報も無しに、いわば、孤立無援でいた・・・・・・

原発事故の実情について、正確な知識を提供する者さえ当時いなかったのである!
あの、会見場に出ていた原子力安全保安院や東電の責任者たちの無能ぶりを、
記憶している方は多いだろう!!!
原子力安全・保安院の人間が、『私は文系の人間なので・・・』などと、あの緊急の場で
言い訳をする・・・そんな『専門家』しか周りにはいなかったのである!

そんな中で、もし、原発が一基メルトダウンを起こせば、誰も原子炉に近づけなくなる・・・
そして、福島第一第二原発の10基の原子炉が次々にメルトダウンを起こしたら・・・
福島の人々を避難させなければならないのは当然だが、福島、群馬、栃木、茨城、千葉、
そして東京、神奈川・・・・・・首都圏の何千万という人々がパニックを起こしていっせいに
逃げ惑ったら!
その恐れは、現実にあのときあったのである。
何千万の人々が我がちに我先に逃げ惑う・・・その混乱の恐ろしさ・・・

『まずは落ち着いてください』
政府としては、そう言うしか当時なかった、と私は考えている。
無論、原発をずうっと危険視し憎んできた私だ。福島の人々に『逃げるな』などと言うはずがない。
それでも。あのとき、誰に、何が出来たか、とも思う。
福島の人々が一斉に我先に逃げ惑う・・・道路はおそらく確実に車でいっぱいになる・・・
原発が放射性物質を放出し続ける中、逃げ惑って外にいる危険!
原発がさらに爆発など起こして放射性物質を大放出すかも知れない状況の中、家に
じっと待機していた方がいいのか、被爆の危険性は承知しつつとにかく逃げられるところまで
逃げた方がいいのか・・・  正解を知っていた者があのとき果たしていただろうか?

東日本大震災が起きたとき、民主党政権であったこと、そして将来民主党を背負って立つ
力量を持っている枝野氏がたまたま、官房長官であったこと・・・
そのことは、正直言って、日本にとって大きな偶然の、大きな損失であった、と私は
考えている。

私はずうっと共産党・旧社会党の支持者である・・・
しかしながら、自民党の長期にわたる一党独裁を許さない、という一点において、
自民党に比肩しうる野党は、日本に必要だ、と思い続けてきた者でもある。
その意味で、民主党には、政権をしっかり担当しうる政党に育って欲しかった。

だから、民主党を叱咤激励する記事を、これまでもいくつか書いてきた。
その中で、私は、民主党に国民が厳しすぎたのではないか、と言う疑問も呈してきた。
確かに、民主党は、東日本大震災時、とりわけ福島第一原発の対応に関し、不備不足な
点はたくさんあった・・・もっと適切にやれたのではないか、という想いは私にだってある。
公約に関しても、国民の期待を裏切って、思うような約束したようなめざましい成果は
上げられなかった・・・その上、内紛ごたごた続き。
右から左までが一緒くたになった党は、脱原発や改憲の是非などという根本的な
大事な問題で、そのスタンスがいつもぐらぐらしているように見え、支持母体である
『連合』にいつも気を遣って、大事なところでいつも腰砕けになってしまう・・・。

ひどい安倍一強政治をここまで許してしまったもの・・・それは、なによりも民主党自身の
だらしなさ、である!
しかしながら、民主党を自民党に変わりうる政党として辛抱強く育ててこなかった
私たち国民にも責任はあったのではないか??
私たちは、必要以上に、民主党に厳しすぎたのではなかったか??
私は、これまでにも何度も、そのことを指摘してきた・・・

考えてもみよう。安倍政権のこのひどさ。安倍氏自身の総理としての公私混同、
強引なその政治手法は無論のことだが、第一次政権以来、安倍政権の閣僚たち、
また周辺の人々は、本当にひどい人たちがいっぱいいたではないか?
だが。なぜか私たち国民は、こちらには甘い。
閣僚の不祥事はともかく、自衛隊の集団的自衛権行使を認める安保法制、
秘密保護法、そして共謀罪法、TPPでの嘘。
民主党とそして何より国民と交わした『税と社会保障の一体改革』は、安倍政権になって
いつの間にか『社会保障』の部分だけが抜け落ちて、税の改悪だけがどんどん進められている・・・
北朝鮮や中国の脅威を煽り、そのどさくさに平和憲法無視の軍備増強を着々と
進める・・・
アメリカの言いなりになるのはますますひどくなって、もはや日本はアメリカの属国化。
沖縄の人々の苦しみに向き合おうとせず、辺野古の建設を無理矢理にでも進める・・・
国民にとってある意味もっとも大事な『自由権』『知る権利』を細らせるべく、
教育やジャーナリズムに過干渉して、その萎縮を図る・・・
あれほどの過酷原発事故を起こしておきながら、福島の人々を置き去りに、
首相自らが、海外に原発を売り込むセールスマンとなり、国内の原発の存続を図る・・・
一番の売りだった『アベノミクス』は失敗。あれほど民主党を批判しておきながら、
結局自分たちも国家財政は借金頼み。
そして、ついには今度の森友・加計問題に至る!!!

そのどれか一つをとっても、何度責任をとって政権交代があってもおかしくないくらいの
ひどい政治ばかりじゃないだろうか???
民主党のひどさに比べて、どっちがひどいと言えるか???


・・・しかし。
国民はなぜか、安倍政権にこれまで怒ってこなかった・・・
民主党の失政には、あれほど厳しかった国民は・・・安倍政権をなぜか罰しないのである・・・
私は、そこのところをいつも不思議に思うのだ。
これまでも何度かそのことは書いてきた・・・

民主党が素晴らしかった、とは私も言わない。
しかしながら、なぜかな・・・国民の怒り方は、あまりにもアンフェアなんじゃないか?
なにか軽重のバランスが悪すぎじゃないか?・・・・・・そう感じてしまうのである。

上に書いたような安倍政権のもろもろのひどい政治。 改憲を経ないで九条を
なし崩しにしてしまった安保法制・・・国民の自由を縛るもろもろの悪法の強行採決・・・
それらには怒らないで安倍政権に選挙で信任を与え続けてきた国民が、
森友・加計問題のようないわば私的感情を刺激する問題では激しく怒る・・・
そのアンバランスも、私にとっては同じ不思議だ・・・
なぜ、自分たちの権利を根本から奪うような問題にもっと怒らない??!!

私は、その裏に、なんというか・・・ある種の意思が・・・存在するような気がして仕方がない
のである・・・巧妙な宣伝工作が・・・自民党でなければだめなんだ!と言う
国民への長い長い時間をかけたインプリントが。
それは、いまだに、『日本は原発がないとやっていけないんだ』という、その刷り込みと
同じ性質のものであり、また、日本はアメリカの核の傘の下にいないとやっていけないんだ、
という刷り込みとも同じであり、おそらくそれらを巧妙に時間をかけてやっている者たちは、
同じ勢力の人々である・・・・・・
そしてそれはすでに、半分国民の意思となっているのではないか。

私が、記事を書いても書いても書ききれないもどかしさ・・・そして絶望感は、実は
そこにある・・・・・・


・・・・・・・・・・・・
民進党への問いに戻ろう。
民進党に、この日本を変えてくれと望むことがそもそも無理なのかも知れない。
だが。痩せても枯れても、一度は政権を握った党だろう?
あなたたちは、今のままで、単独で、次の解散総選挙などに勝てると思っているのか?
まず、自民党の候補者がいる。それに蝙蝠政党の極致公明党が共闘する。
小池氏の人気に乗っかった新党も出来るかも知れない。おそらくそれは時間の問題だろう。
それらに対し、それでなくとも弱体化弱小化してしまった野党4党がそれぞれに
候補者など立てて、一つか二つしかない議席を民進党が取れると思っているのか??!!
ここは、自公維新との対立軸をはっきりさせて、打倒安倍政権で4野党が結束するしか
ないじゃないか!
先の参院選で、かろうじて一人区を勝ち取ったのは、4野党と市民団体が結束して
必死で戦ったからではなかったか!思い返してみてごらん。

今、内紛などしている場合か!足の引っ張り合いなどしている場合か!
国民が、民進党なり新しく生まれそうな党なりなんなりに求めているのは何か。
明確に今の自民党、とりわけ安倍政治とは異なる政治であろう?
国民の方をしっかり向いた政治。誠実に議論を尽くす政治。嘘をつかない政治・・・。

それなのに、自民党と同じ、自民党と変わらぬ方針を打ち出してどうする!
反対のための反対をしろ、といっている訳じゃない。国民の求めるものをよく見ろ!ということだ。

だが、あああ・・・
民進党は安倍政権以上に、瀕死の状態だ。それこそ内部から腐っている!
もうここまで来たら、民進党は、その主義主張の異なるものは思いきって解体して、
真に野党らしい野党の姿を取り戻す方がいいのかもしれない・・・、と正直私も思ってしまう。
残念ながら、それが出来ると私が思っていた枝野氏は、『ただちに人体、健康に害が無い』
というあの当時の発言の故に、政治家として6年以上の月日を失ってしまった、と
私は思っている。
彼自身も、そのことは痛いほど自覚しているはずだ。だからこそ、彼は、これまでひたすら
代表戦などの表に出ることは控えてきたのではなかったろうか。
それが、彼の、福島の人々への贖罪の気持ちの表し方だったのではないかと、
私はひそかに思っているのだが・・・。

私は、震災後に書かれた枝野氏の著書も読んだ。そこには、枝野氏の人間としての
選択と、政権の責任者として全体を考えねばならない当時の苦しい苦衷・・・真情が
描かれていたと思う。
当時の菅首相の苦衷、政府の中枢にいた人々の困難は、その内部にいたものにしか
わからなかったろう。それらについては、菅氏や枝野氏のすぐそばにいた福山哲郎氏、
内閣広報室内閣審議官だった下村健一氏の証言などが、その極限状態の生々しさを
よく伝えていたのだが。

第三者は、あとになっていくらでも批判は出来るものだ。(あの3月、菅批判を繰り返して
いた安倍氏のように。福島第一の全電源喪失には、実は安倍氏の責任もあるのに、だ!)
その点で、私は当時の自民党総裁谷垣氏を高く評価していた。彼は必死の菅総理に
ねぎらいの言葉をかけ、全面的協力を申し出ていた・・・。谷垣氏が今、自民党にいない
ことを、私は心から残念に思う。

とにかく。その枝野氏が、ついに表に出てきた・・・
民進党の心あるものよ。枝野氏を中心にして民進党を立て直せ。
一時は議員が減るだろう。
だが、代表の足を引っ張り、自民党と何ら変わらぬ政策思想を持って、内部をかき乱す
だけの者がまだ必要なのだろうか?
迷っている民進党議員諸氏はよく考えてご覧。自民党と同じ政策を掲げて、国民は
民進党を今更支持などするか? それを野田氏以来5年間もやってきたから、ここまで
民進党は凋落したのではなかったか!!!


民進党の愚かさと安倍政権の奢りは、表裏一体のものだ。

このまま政治地図がダイナミックに動いて、小池百合子氏のようなひとを中心の、
『第二自民党』・・・いや、もっと右翼的な政党を生み出し、国民がそれに熱狂するという構図・・・
それはおぞましい・・・!
それよりはまだ、『安倍後』と俗に目される政治家たち・・・たとえば、岸田氏、
河野氏など、自民党でも比較的誠実な、と思える政治家たちの登場を待つ方が
ましなのか。
・・・そう、漠然と感じていた国民もいたのではなかろうか。
私も、あきらめと共にそう思っていたときに、このたびの内閣改造は行われた・・・。

閣外にいれば、彼らの安倍政策への意見も多少は役に立つだろうと思ってきたが、
閣内に自ら入ってしまえば、安倍政権の方針に敢えて異論を唱えるほどの気概が彼らに
あるかどうか疑問だ。
彼らもまた、『腐った林檎』になってしまった、のかな・・・。

『安倍後には、一抹の希望があるのではないか・・・』
その寂しい希望が、不安に変わった内閣改造劇であった・・・

その点、公然と共和党一部議員までもが、トランプ氏のひどいと思える政策に
反対を表明するアメリカは、まだ、政治家の良心や本当の意味での強さが残っていると
言えるかも知れない・・・


いつか、村上春樹氏が、
『日本に〈緑の党〉のようなものがないのが、問題だ』

というような意味の発言をしたと聞いたことがある。
私は、これを卓見だと思う。
日本人は、四季の移り変わりの豊かな、美しい自然の中で暮らしてきた・・・
(それを、あの原発事故は、取り返しのつかないまでに汚染してしまったのだが)
日本人の感性の中には、自然を恐れると共に自然と共に生きる感覚が根付いていると思う。
山や海、一本の樹木、無生物である岩や石にさえ、日本人は神性を見る民族である。
(安倍氏らの国家神道とは明確に違う!)
その日本に、『緑の党』のようなものがない。
ああ・・・・・・! 今、日本に、欧州における『緑の党』のようなものがあったらなあ!
環境を守り、貧困と格差をなくすための市民運動などと連帯する党だ。


私が民進党にとりあえず望みたいこと。
①安倍政権下での改憲阻止。
②脱原発(再稼働・新増設も認めない!)とクリーンエネルギーの
  国策としての推進。
③辺野古移転の凍結。
④そして。野党4党の共闘!
⑤政治の可視化、クリーン化。



消費税、防衛など、他にも議論すべき大事な問題はたくさんあるが、『とりあえず』!
上の4つなどを方針として打ち出してくれ。

だが・・・大変に残念なことに、これらのテーマは、実現される遙か以前に、すでに
もてあそばれ使い回されて、国民に訴えるには新鮮味をなくしてしまっているのかも知れない。
(なんと、不条理な、なんと、悲しいことだろう!!!)


私は、政治とは無縁に生きてきた人間である。そしてもう、老境にあって画期的に
新しいことなどはなかなか思いつかない・・・

その私に、一つだけ、民進党に提案できることがあるとすれば、
『SDGs』を明確に打ち出す政党になれ、ということだ。

『SDGs』。「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals)
2015年9月、全国連加盟国(193国)は、より良き将来を実現するために今後15年かけて
極度の貧困、不平等・不正義をなくし、私たちの地球を守るための計画「アジェンダ2030」を
採択した。
この計画が「持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals: SDGs)」である。
SDGsは、ミレニアム開発目標で十分に手を打てなかった課題に加え、Rio+20で
議論された深刻化する環境課題など17の目標と169のターゲットに全世界が
取り組むことによって『誰も取り残されない』世界を実現しようという壮大なチャレンジ。



・・・ここには、希望がある・・・・・・・・・・・・



 

『民進党よ!!! ②』



もうすぐ、民進党の代表選がある。
その本質において自民党と変わりない前原氏ではだめだ。
枝野氏を中心にして、自民党と明確に違う政策方針を打ち立てていかないとだめだ。
そして、4野党共闘は、安倍政治を倒すためにも絶対必要だ。

思えば・・・民進党はなんと早くここまで落ちぶれたことだろう・・・!!!
私は、正直言って、これまでずっと、共産党と社民党のどちらかに票を投じてきた者だ。
民進党に票を入れたことは全くないか、おそらくあっても一回くらい?しかない。
だけれども、野党第一党(だった・・・)民進党にはしっかりしてもらわねば困ると思って、
これまで、何回か、民進党を叱咤激励する記事を書いてきた。

実は、昨年の参院選では、民進党候補の演説会の応援に行きもした。
私のようなノンポリの老女でも、それこそ枯れ木も山の賑わい、と思ったからである。
と言っても、私の正確な立ち位置は、民進、共産、社民、生活ネット(小池支持の愚かさ!)の
いずれにもなく、それらが共闘する、と言う条件下で、一市民としてそれらすべてを
応援してきた、と言うのに近い。

・・・そうやって、遠くからながら、全くの末端からながら、それらの政党の選挙のあり方を
垣間見たとき、民進党の議員諸氏そしてその選挙運動の感覚の市民との乖離は、
大きな問題だな、と感じた。
まず第一に小回りがきかない。というか、敢えてきかせないようにしているのか?
と思うほど。
民進党の第一の問題点は、もう嫌になるほど言われてきていることだけれど、
『連合』との癒着、依存、であろう。
それがあるためにいつまでもその組織票に頼っていて、足場として一般大衆のところまで
下りてこない。連合の組織的選挙運動法の感覚から一歩も出られないのだ。
たとえば昨年の参院選で、なんとか改憲勢力阻止のため、祈るような気持ちで
野党4党の共闘を願い、なんとかそれらを叱咤激励してまとめようとした市民連合や、
なんとなく自民党に不満を持っている一般市民の気持ちがわからないのだ。
祈るような気持ちがわからないのだ。
そして、野党第一党であるという妙なプライドと意地だけは強いから、共闘する他の
政党や、手弁当で応援に駆け付けた市民たちのやり方に合わせない。

私は、どの政党に対しても、いつも本格的選挙運動には荷担せず、単に応援演説の
聴衆の一人であるとか、九条の会の一員として側面から応援とか、腕章を借りてビラ配りとか、
その程度の手伝いしかしてきていない。
それでも、市民運動のベテランと言われるような人々から、民進党の選挙運動への
あきらめと溜息まじりの慨嘆は、何回も耳にした・・・・・・

要するに、『市民のところまで下りてこない』のである。

大っ嫌いな自民党ではあるが、そういう点では、自民党の選挙運動の方が、『草の根』の
価値をよく知って実行しているように思える。
町会レベルの夏祭りなどにもこまめに顔を出す・・・日常での市民とのふれあいを
大事にしているのである。それが一方では、地元民と政治家の癒着を生むという
悪弊も生じさせてきたのではあったけれど、とにもかくにも、自民党は、大衆の末端
まで入り込むルートと手立てを持っている!
悪いがかつての社会党、そして民進党にはそれがないのである…


   ◆


民進党は今やがたがた。
細野、長島氏など、民進党の中でも自民党に近い考えの持ち主たちが、次々と離党していく・・・
まだ民進党に残った人々の中でも、自民党に極めて近い政治姿勢の人々がいて、それらが
いるために、民進党の『立ち位置』は、いつもぐらぐらしてしまう。
そういう人々が、なんとか党をまとめて解体させまいと努力する代表の足をこれまでも
いつもいつも引っ張ってきたように思うのである。
いわば、彼らもまた、『腐った林檎』である・・・。

面白いのは、(などと言ってられない状況なんだが)、あの細野氏と、日本ファーストとやらいう
のの代表、若狭氏とが、盛んにくっつこうとしているんだか単なる噂なんだかの動きのあること
である。
『あの細野氏』、と私が言うのは、私は彼のことを、非常に蝙蝠的な政治家だと思うからである。
細野氏は、東日本大震災の直後、菅政権で内閣府特命担当大臣、野田政権で環境大臣を
やっていた頃までは、まだどこかに一抹の『清新さ』があった。 震災後、原発事故後の
苦しみに直面する人々に、真剣な真面目な顔で向き合っていた感が、一応、あった・・・(かな?)

だが、その後の細野氏の動きは、極めて蝙蝠的、はっきり言って日和見主義的。
・・・彼自身の政治家としての定見がいっこうに見えない政治家、と言うイメージだった・・・。
個人のはっきりした政治思想や定見で動くと言うよりは、あるいは動かないでいるというよりは、
そのときそのときの風を読んで動く人、のような、日和見主義的なところが私などには見えた。

可笑しいというのは、その彼が、もしかすると、『あの小池氏』の一党とくっつくかも知れないと
いうことである。小池百合子、という人も、私は、極めて『蝙蝠的』もっといえば、『鵺(ぬえ)的』
政治家だと思っている。
彼女はとっても賢い。風を読むのがうまい。人心をつかむイメージ操作にも長けている。
そして、チャーミングな女性だ。何事によらず、『センスのいい人』だと私は思っている。
ひとりのひととして、私は彼女のことが嫌いというわけではない。ある意味見事な女性だ。
だが。彼女は『鵺』なのである。
本心を見せない。失敗もしない。柔らかい。したたかである。おそらく我慢強い・・・。

だが。政治家としては、その鵺的なところはどうなのだろう?
日本新党→新進党→自由党→保守党→保守クラブ→自由民主党(細田派→無派閥)→
都民ファーストの会へと、『渡り歩いた』というと語弊があるが、変わり身の早さを見せて
ついに、東京都知事の座に昇った彼女。最終目標は、日本の総理の座であろう。それも女性初の。
しかし、小池氏の政治思想がいったいどのようなものなのかは、巧妙に押し隠して
いるのでわかりにくい。
なにかこう・・・『鵺的』なのである・・・

『鵺(ぬえ)』・・・日本の伝承的物の怪。
サルの顔、タヌキの胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビ。文献によっては胴体については
何も書かれなかったり、胴が虎で描かれることもある。また、『源平盛衰記』では背が虎で
足がタヌキ、尾はキツネになっており、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料もある。
Wikipediaより

そのように、彼女自身は、奥底にどういう思想を持っているのか滅多に見せない政治家だが、
彼女を支えてきた仲間たちの中には、極右と言われるような思想の人々がいる。
そのはっきりした例が、野田数(かずさ)氏である。
小池東京都知事特別秘書(政策担当)から、ついには都民ファーストの会代表になった。
東京維新の会時代の2012年には、『日本国憲法無効論に基づく大日本帝国憲法復活請願
を東京都議会に共同提出。「我が国の独立が奪われた時期に制定された」と
現行憲法の無効を主張し、皇室典範についても「国民を主人とし天皇を家来とする
不敬不遜の極み」と批判、「国民主権という傲慢な思想を直ちに放棄」すべきと主張。
というような、とんでもない思想の持ち主である。

小池氏は、この野田氏とおそらく根本の思想を一にする人であろう。
皆さんの記憶にも新しいように小池氏は、東京都議会選挙で全面に立ち、『都民ファースト』
を圧勝させた。
だが。選挙に勝つとすぐ、彼女は都民ファースト代表の座を、野田数氏に譲ってしまった。
・・・そんなのあり??!!
だって、都民ファーストにあれだけの多くの都民が票を入れた、と言うことは、小池氏の
存在が大きかったからだろう?
もし仮に、都民ファーストの代表が選挙時も野田数氏であったなら、小池氏がいなかったなら、
あれほどの圧倒的勝利は、あり得なかったはずだ。つまり、都民は、小池氏個人に
票を入れたのだと言っていいのではないか。
だって、50人だかの候補者たち自身は、箝口令が敷かれているかして、候補者としての
個性や自身の政策の表明は、皆無に近いほど出さないで、ひたすら小池氏の名を
連呼していただけなのだから。

小池氏から野田氏へのいわば内々での代表の座譲渡は、投票した選挙民への裏切り
じゃないか! 
都民ファーストに投票したあなた。野田氏が代表で表に出ていたなら都民ファースト
に票を入れましたか?表の顔が小池氏だったから入れたのでしょう?
このたびの都民ファーストの圧勝は、自民党政治、とりわけ安倍政権にほとほと
嫌気がさした人々の、いわば悲鳴のような想いが、小池氏という政治家の上に
集まった結果であったはずだ。
それなのに、この勝手な代表交代劇!!!
それを都民は怒らないのだから、全くどうかしてるよ。

と言う具合に、小池氏という政治家は、ぬるりするりと体をかわしてしまうのが非常にうまい。
その、鵺的政治家小池氏の一党と、日和見主義細野氏が結びつこうとしているのか?

そうして、なぜか。マスコミなどがこれをなにか望ましい動きででもあるかのように
持ち上げているような気配があるのが、私には非常に気に掛かる。
細野氏、長島氏など、民進党の離党組と、小池氏のお仲間の若狭氏・・・このほど
『日本ファーストの会』なる怪しげな政治団体を立ち上げた若狭勝衆議院議員が
どうやらくっつきそうな動きをしているのを、マスコミなどが、『政治の受け皿ができる』
かのように表現しているのが、私などにはおぞましくて仕方ないのである。

自民党政治に不満な人々にとって、彼らが『政治の受け皿』になり得るか?????
冗談じゃないのよ!
国民は、そんな表面的な『新たな』動きなどに惑わされてはいけない。
小池氏を私は『鵺的』で正体をなかなか見せない、と言ったが、彼女のこれまでの
政治家としての言動を注意深く見ていれば、その本質はとうにわかっているはずだ。
とりわけこのたび、9月1日に行われる関東大震災時の朝鮮人犠牲者追悼式への
都知事として寄せる追悼文送付を、彼女は断った。
そのことで、小池氏という政治家の本心というものは丸わかり、ではないか!

例年、市民団体で構成する主催者の実行委員会が要請。石原、猪瀬、舛添の歴代知事は
それに応じてきた。小池氏自身も昨年は送付していたのである。それがなぜか、方針転換。
今後も要請があっても出さない、と言う。
団体側は「震災時に朝鮮人が虐殺された史実の否定にもつながりかねない判断」と、
近く抗議するという。
1923(大正12)年9月1日に関東大震災が発生すると、「朝鮮人が暴動を起こした」などの
デマが広がり、民衆がつくった「自警団」などの手により、多数の朝鮮人や中国人らが
虐殺された。殺害には刃物や竹やりなどが用いられた。
私たち日本人が、それも私たちと同じ『普通の』民衆が引き起こした虐殺事件であった・・・・・・

その歴史的事実を直視することから目を背ける政治家。
それが小池氏の本質だ。
その彼女の元に、どうやら政界の有象無象が寄り集まっていくという構図・・・。
出来上がるものは、おそらく、今の自民党より粗悪な、しかも極右的性格を隠し持つ
ポピュリストの政治家集団だ。
そんなものが、国民の政治の受け皿になるというのか????

だが、正直言って、都民ファースト、日本ファーストなる政治団体の本性は、
あまり知られていないのじゃないか。
だって、マスコミはそういうところを報道しないのだもの。
マスコミが、日本会議や神道国会議員連盟などのこと、それに属している政治家たち・・・
とりわけ安倍内閣との強い関係を詳しく報道しないのと同じだ。
私が、反原発運動で個人的に顔見知りになった生活者ネットワークの人々・・・
皆、真面目で真剣に社会のことを考えて長らく活動している女性たちだが、その
生活者ネットワークの人々が、先の都議選で、あろうことか小池氏の一派と政策協定を結び
選挙協力をする、などということさえ起きて、私などはびっくりしたものだ。

小池氏は、政策の肝心なところについて何も言わない。
だから、彼女の一見ソフトムードに、人は、勝手に思い込みをする・・・。
だが、彼女の目指すところは、実は、『政治』でさえない、言ってみれば、個人的出世欲の
ひとなんじゃないか、と私などは見ているのだが。

とにかく。小池氏とその周辺の野田数氏や若狭勝氏ら『都民ファースト』『日本ファースト』
の政治家たちと、民進党の言っては悪いが『腐った林檎たち』、そしていつかは
あの橋下氏や渡辺喜美氏などや、これからもいっぱい出てくるであろう政界渡り歩き組、
が有象無象で寄り集まって、国民の真に願うようなクリーンな新党などできるはずがない、
ということだけは言っておきたい。

……しかしながら。
民進党が解体寸前のこの今のありさまでは、『従来の古い自民党も嫌だ、といっても
共産党も嫌だ』、という多くの浮動票とも言える層の人々が、雪崩打って、その新党に
流れていく可能性は大だと私は思っている。
その実、その新たな党は、自民党と何ら変わらない・・・いや、より右翼色の強い実体を
ソフトでお洒落な衣の下に隠した、よりうすっぺらな新党になることは目に見えているのだが。


…なかなか、『民進党よ!』という本題に入れないな…



『 民進党よ!!! ①』


民進党よ。

あなたたちの政党としての存在価値はどこにある?
自民党と同じことを言っていては、していては、だめなのだ、
ということが、あなたたちにはまだわかっていないようだ。
今更、第三自民党みたいなもの作ってどうする!!!

あなたたちは、野党4党の共闘無しで、すでにがたがたの民進党単独で、
来たる選挙に勝てると本当に思っているのか??!!

国民が求めているのはなにか。
腐りきった自民党政治におさらばすること、きつ~いお灸をすえること。
国民が欲しているのは、自民党に変わって政権を任せられるしっかりした野党。
公正な政治、誠実な政治、透明な政治、信頼に足る政治。
そして、徹底して国民目線に立った政治、なのではないだろうか。

民進党よ。国民の前に一度こころから頭を下げよ。
そして、今一度、一から立ち上がれ。


『72年目の夏に想うこと ③』


インパール作戦に関連してあと少し。

この8月21日付け、朝日新聞朝刊の『政治断簡』 は、偶然だが、インパールに関する
私の記事に重なる部分が多かったので、全文を引用させていただく。
なお、行変えや強調などは勝手ながら彼岸花がさせていただいた。


〈政治断簡〉『あなたが黙ると、窒息するのは…』 
     編集委員・松下秀雄 2017年8月21日付け 朝日新聞朝刊 


 記録も記憶も「ないない」という政権をみて、内部告発のありがたさに気づく。
ないはずの文書が漏れ、違うぞと証言する公務員がいなければ、いろんな事実が
闇に埋もれていただろう。
 危ういな、とも思う。匿名の告発や退職後の証言が続くのは、現役は「おかしい」と
思っても声を上げにくい環境にあるからじゃないか。
 もし周りにいるのが従う人ばかりなら、権力はやりたい放題できる。それを主権者の
目から隠すのも簡単だ。だから異議を唱え、告発する人に頑張ってほしい。
あなたが黙ると、民主主義は窒息する。
 むろん、私も黙らない。メディアの沈黙も、同じ結果をもたらすはずだ。

     *

 「従う人」で思い出したのが、ナチス親衛隊中佐、アドルフ・アイヒマンだ。
 ユダヤ人を絶滅収容所に送る責任者だった彼は、自身を裁く法廷で「命令を実行しただけだ
と主張した。裁判を傍聴した哲学者、ハンナ・アーレントは「悪の陳腐さ」を指摘した。
命令に従っているだけだと思えば、良心の痛みが軽くなる。凡庸な人にも非道な行為ができる。
 戦後のドイツは、自分で判断する「個人」を育てようとした。
軍人も、人の尊厳を傷つける命令には従わなくてよい、違法な命令に従ってはならない
という「抗命権」「抗命義務」を法に記した。
 「従っただけ」は、戦後の国際法廷では通用しない。
ボスニア紛争の際の「スレブレニツァの虐殺」(95年)で、住民を虐殺する命令に抗議した
ものの、ならばお前を殺すと上官に脅されて、手を下した人が有罪になった。
 自分の頭で考え、責任も負う。そんな「個人」像は日本に根づいているか。
「個人主義」とは「わがまま」を指すと思われていないか。

 前川喜平・前文部科学次官は、私も編集に携わる月刊誌「Journalism」9月号用の
インタビューで語った。

 「日本では、自分を捨てて全体のために尽くすのを美徳とする意識が根強い。
学校の部活動にも、そんな意識や旧軍的秩序が残っています。
たとえば、独裁者のような
教員の指図や先輩後輩の無意味な上下意識をなくし、一人ひとりが改善すべき点
などを考えて、自分たちで部活動をつくる。
考える訓練をしないと、ポピュリズムや全体主義に押し流される危険があります
 「民主主義がナチスの独裁を生んだドイツでは、なぜそうなったか徹底的に考え、
戦後の民主主義を作り直した。日本は『一億総ざんげ』で済ませてしまいました


     *

 戦後の日本では、戦争の悲惨さを伝え、平和憲法を守る運動が展開された。
けれどこの先も平和が続くのか、あやしげな気配が漂う。
かつての日本は何を間違えたのか、改めて考える時ではないか。
 その一つは、異議や疑問の封殺だと思う。旧軍では上官の命令は天皇の命令とされ、
命令の理由を聞くことも認められていなかった。そして、人命を限りなく軽んじる作戦や
行為が繰り返された。

 考える「個人」を、窒息させた結果だった。





          ◆


内部告発。
抗命権、抗命義務。
自分の頭で考える訓練。
異議や疑問の封殺。
前川喜平・前文部科学次官の言葉・・・。

これらについてそれぞれに書きたいけれど、とりあえず、松下氏のこの文章のどこに
共感したか、は、私の赤字、太字、アンダーラインなどの入れ方で、おわかりいただけると思う。
また、加計学園問題など記事を書き続ける中で、その都度取り上げてみたい。

続きを読む

『72年目の夏に思うこと ②』

昨日の記事で、
『インパールは、時代を超えて、辺野古とつながっている…
そしてそれは、福島第一原発事故ともつながっている。
さらにそれは、加計・森友問題、自衛隊日報隠蔽問題ともつながってくるのである・・・・・・。

過去を凝視しないものは現実をも見ようとはしない。

過去を一つの視点からぎりぎりと徹底して見つめていけば、それは必ずいつか
『普遍』とつながっていくと信じて私は記事を書いている……。』

と書いた。
少しく補足しておこう。それはたとえばこういうことだ・・・

25日深夜(26日午前0:50~)のNHKスペシャル『戦慄の記録 インパール』を、
是非ご覧になっていただきたい。
このインパール作戦の作戦立案の時点から作戦の経過、そして最後に責任者たちの
責任の取り方までの、一連の軍上層部の信じられないような杜撰さや凝り固まった精神主義、
前線の兵士たちに過酷な無理を強いる一方で軍上層部内での妙な温情主義など、
そしてそれらが引き起こした何万という兵たちの無残な死まで。
そのすべてを、あるいは部分を、論じている文章の中で、私が、とても共感したのが、
山本七平氏の『一下級将校の見た帝国陸軍』の中のこの文である。
(分かち書きは、私がした)

『いろいろな原因があったと思う。そして事大主義も大きな要素だったに違いない。だが
最も基本的な問題は、(中略)
一言でいえば、人間の秩序とは言葉の秩序、言葉による秩序である。
陸海を問わず全日本軍の最も大きな特徴、そして人が余り指摘していない特徴は、
「言葉を奪った」ことである。
日本軍が同胞におかした罪悪のうちの最も大きなものはこれであり、
これがあらゆる諸悪の根元
であったと私は思う。

何かの失敗があって撲られる。「違います、それは私ではありません」
という事実を口にした瞬間、「言いわけするな」の言葉とともに、その三倍、四倍のリンチが
加えられる。黙って一回撲られた方が楽なのである』


『帝国陸軍では本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、
その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」
にすぎないのかは、解らないからである。そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。
ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、
司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった。』(
中略)


・・・ああ!
この2つの文を読んでいて、なんと!安倍政権のやり口と似ているのだろう!と思う。
そしてまた、下の方の文は、なんと!このたびの森友・加計問題、自衛隊日報隠蔽問題の
例にぴったりと当てはまるのであろう!

『言葉を奪うこと』。
このことは、安倍政権の、とりわけ数回にわたる衆参両院選挙で圧倒的多数を得て後の
安倍政権に際立って見える特徴なのではないかと私は思っている・・・
逆に言えば、『(国民から)言葉を奪うこと』の効果を、この政権は知り尽くしていることだとも言える。

自分に批判的なジャーナリズムの口を封じようと、じんわりと圧力をかける・・・
国会において、野党の批判に『ニッキョーソ、ニッキョーソ!』などという野次でもって応じる・・・
批判されると、相手の野党の失点(とりわけ民進党の)をあげつらって、論点を変えてしまう・・・
安倍氏だけではない。
『沖縄の二紙を潰さないといけない』、と言った、安倍総理の親しい友人にして前NHK
経営委員の作家。
『(マスコミに対し)私らを落とすなら、落としてみろって』『あんたらどういうつもりで書いているか
知らんが、我々はお金払って(新聞を)買ってんだよ。』と言った、二階敏博前自民党幹事長。
そして、菅義偉官房長官は、加計学園問題に絡んで証言した前川喜平前文部科学事務次官
について、『地位に恋々としがみついていた』などと、前川氏個人を非難することで
証言の信頼性に疑問を投げかけるような、そして彼の証言をそれ以上は封じるような
発言を記者の前でする・・・
記者の追及に立腹して、『出て行きなさい!』と言った今村元復興大臣・・・

こういった安倍政権の態度は、日本の報道の自由度のランキングをさらに下げ(世界180カ国中、
なんと72位。民主党政権時の2010年の11位に比べると、その下げ方の甚だしさ!)、
さらに今年6月、国連の人権理事会報告で、デービッド・ケイ氏が日本政府の報道関係者への
圧力を懸念する表明をしたことは記憶に新しい。日本の報道の自由について、世界が見る目は
こういうものだ、ということを、私たちは自覚しておいた方がいい・・・。

そして。2つめの文章。
本当の意志決定者・決断者がどこにいるのか、外部からは絶対にわからない。
その決定が「命令」との形で下達されるときは、それを下すのは名目的指揮官だが、
その指揮官が果たして本当に自ら決断を下したのか、実力者の決断の「代読者」
にすぎないのかは、解らないからである。そして多くの軍司令官は「代読者」にすぎなかった。
ただ内部の人間は実力者を嗅ぎわけることができたし、またこの「嗅ぎわけ」は、
司令部などへ派遣される連絡将校にとっては、一つの職務でさえあった』

と言う、山本七平氏の、インパール作戦における日本陸軍に対する批判は、
『実力者』を『総理』や『防衛大臣』に、『指揮官』『軍司令官』『代読者』『連絡将校』などと
いう部分を、『首相側近』『首相のとりまき』『大臣』『官僚』などという言葉に置き換えれば、
なんと!森友・加計問題や、自衛隊日報問題で登場した人々の上下関係や、
不思議な『忖度』構造と酷似しているのであろうか!!!

この、『意思決定の過程の曖昧さ』・・・『下の者が上の者の意図を汲んで動く』・・・
『明確な責任者の不在(もしくは雲隠れ)』・・・そうして『誰も最終的に責任をとらない』・・・
『組織的証拠書類等の隠蔽体質』・・・
などといった、旧日本軍の体質的病理は、なんと、今の日本政府の・・・それだけではない、
今の日本の多くの組織のそれと酷似してはいないだろうか。

福島第一原発が、あの取り返しのつかない過酷事故を起こすに至った過程と、その後の
処理などを巡る東電や原子力ムラ、政府・行政等のやり口も、酷似している・・・・・・。
あれほどの重大な事故を起こして福島の人々の、憲法第25条に保障された『すべて国民は、
健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』という『生存権』を侵して
置きながら、誰一人としてあの事故の責任をとっていない、というこの構造!

そのような組織的無責任構造のもたらしたことが、常に末端にいるもの・・・戦場においては
彼我の最前線の兵士たちや無辜の民、現代においては、末端の労働者や一般市民に
犠牲を強いていくこともまた、とてもよく似ているのではないだろうか?


インパールと福島第一原発事故の関係についてもう一つ。
上層部がその多くは戦後、悲劇について、口をつぐんだり徹底した言い訳に終始したのに比して、
前線にいて、辛くも生還した兵士、下級将校らは、戦後何十年の時を経て、ぽつぽつと
その惨状について語ってきだしていた・・・・・・
あるいは黙して語らずとも、戦後の自らの生き方そのもので、行き場のない強い『批判』の想いを
示した人もいたのだろうかと想う。

その中の一人に、美倉重夫という人がいる。
彼はインパール作戦に従軍。戦後、1988年より和歌山県日置川町町長を務めた。
同町に出来した原発誘致問題において反対の姿勢をとり、中止への原動力となった。
その根本には本作戦での体験が影響しているという・・・・・・。

・・・そうなのだ。インパール作戦しかり、南京虐殺しかり。人間がしでかすことの恐ろしさ、
おぞましさをひとたび知ってしまった人が、どうして『原子力発電』などというものに、
その日本への導入のいきさつの胡散臭さに、その危険に、無頓着でいられるだろう?

和歌山には紀伊半島にはなぜ、原発がないのか。それには、この美倉重夫さんという元日本軍兵士や、
『熊取六人衆』と呼ばれていた小出裕章さんら京都大学原子炉実験所の科学者たちの応援も得て
反対運動をした住民たちの力があったのだ。
美倉さんのことを書いた1988年の毎日新聞の記事を見たくて、今日図書館に行ってみたが、
毎日新聞の縮刷版は置かれてなかった・・・


もう少し、この記事続きます。




『72年目の夏に思うこと ①』


『ああ・・・記事を書かねば・・・』と思いつつ、夏が過ぎていく・・・。

ここ数年、夏に、とりわけ8月に、記事の数が少なくなっている・・・
書くことがないのではない。ありすぎて、どこから手をつけるべきか逡巡しているうちに、
書く気力も時宜も失ってしまう・・・ということが続いてきたのである。
書かずにいた記事は、こころの中に澱のように沈殿して溜まっていって、なおさらに書くことを
難しく、気重に、していく・・・・・・

ふ~~・・・・・・・・・

森友学園問題。加計学園問題、自衛隊の日報隠蔽問題・・・・・・
共謀罪法成立・・・・・・
北朝鮮の脅威の名目を借りたとどめを知らぬ安倍内閣の軍備増強・・・
『日本ファースト』なるいかがわしい政治団体の立ち上げ・・・
自民党と変わらぬ思想を持つ前原氏に集まる民進党議員・・・(ばかじゃないの?!
自民党と鮮明に異なる旗を掲げなければ、民進党はお終いだと言うことがまだわかってない!)
やれやれ・・・全く、出るのは溜息ばかりだ。

しかし、どの問題も、徹底的な追及はなされないままに、十分な論議も尽くされないままに、
また、この夏も過ぎていこうとしている・・・
そしていつしか、マスコミも、国民も・・・安倍政権にとって都合のいいことに、それらを忘れて
行くのである・・・・・・
私もまた、発言しなければ、同じことだ。

仕方がない。溜まった澱は少しずつ掬い取らねば・・・・・・。
書きかけのままの記事がたくさんある。まずはそれらを一つずつ仕上げてアップしていこうか・・・。
その前に。是非、観ることをお勧めしたい映像をご紹介しておく。


              ***


1.『戦場ぬ止み』(いくさば ぬ とぅどぅみ)





何で、これまで私は、この映像を見なかったのだろう・・・

結局、私も、沖縄の苦しみを『他人事』としてしか見ていなかったからだ・・・。

先の戦争で、日本の罪を一身に引き受けさせられて、戦場となってしまった沖縄・・・
本土と天皇の安泰と引き換えに、基地の島となってしまった沖縄・・・
普天間基地の辺野古への移転問題で、その沖縄の民を、『国』が『国家権力』でもって
さらに分断していく・・・
辺野古の海をふるさと沖縄を守れと移転に強固に反対する者・・・生活のために反対はしないという者・・・
基地反対運動の支援に外部から来た支援者たち・・・それらを国家が分断していくのだ。

2014年の翁長知事の誕生は、その分断された沖縄が、一つになれる!と、住民たちが
狂喜した瞬間だった。そのすぐあとに行われた衆院選の結果もオール沖縄の圧倒的勝利であった。
それらの選挙結果は、沖縄は辺野古移転に反対する!という、沖縄県人の政府へのNO!という
重い回答であったはずだ。
しかし。そのわずか三ヶ月後の2015年3月、辺野古の海のボーリング調査は、政府によって
強制的に再開される・・・県警や機動隊、海上保安官らに排除される反対住民たち・・・。

この映画は、2015年制作のものである。
だから、映画はそこまででストップしている・・・
その後の動きは、皆さんもおよそご存じでいらっしゃるだろう。
安倍政権は、沖縄の声に全く耳を貸さないで、辺野古の海は、着々とアメリカのための巨大
海上基地へと形を変えられつつある。
3年前、あれほどの熱狂と感動でもって迎えられた翁長新県知事は、今、冷酷な政府の対応と
県民の期待の間に板挟みになって、孤立と憂愁を深めつつある・・・

私は、日本国民として、沖縄のために何をしてきたか!
沖縄の問題は、日本という国が抱える歪みが、もっとも先鋭的な形で表われているのだということ、
沖縄の問題は、日本政府ばかりではない、私たち日本人全員に突きつけられた重い重い課題だ
ということ。
2年前の映画ではあるが、沖縄の現状、そして安倍政権、日本の政府というものの非情が
この映画一つ見れば、心に突き刺さるほどにわかる・・・
是非、レンタルででもいい、ご覧ください。



2.NHKスペシャル『戦慄の記録 インパール』
   2017年8月15日放送
   再放送:8月26日(土)午前0時50分~2時03分(25日深夜) 


再放送が25日深夜(26日の午前0時50分から)あるので、これも是非ご覧ください。
実は、You Tubeにはすでに全編がアップされているのだけれど(You Tubeで『インパール』と
検索すれば、『戦慄の記録 インパール』は出てきます。ちなみに、NHKでは、今夏、インパールに
先だって、『731部隊』のこと、8月15日以降も樺太で行われた戦闘のことなどもやった
のだが、その映像もある。『731部隊』の記録は、私には物足りなかった。731部隊のひどい
現実は、そんな程度のものではなかったはずだ……)一応、NHKの番組サイトを載せておく。
http://www6.nhk.or.jp/special/detail/index.html?aid=20170815

インパール作戦。
1944年(昭和19年)3月から7月初旬まで。連合国の中国支援の軍事物資ルートを遮断する
ために、日本軍はビルマの密林をぬけインド北東部にある都市インパールの包囲攻略を
目指した。
日本軍にとって太平洋戦争史上もっとも愚劣で無謀で悲惨な結果となった作戦の一つ。
食料・弾薬などの補給線を軽視した作戦により、多くの犠牲を出して歴史的敗北を喫した。
3ヶ月間の総兵力およそ92,000。うち、およそ30,000人が命を落とした。
戦闘で命を落とした者よりは、飢餓とマラリアなどの病で『野垂れ死』とも言っていい
無残な死に方をした兵士の方が遙かに多かった。日本兵の死骸が累々と続く道は、
『白骨街道』と呼ばれた・・・
作戦立案し強固にこの作戦を進めた牟田口廉也中将を初めとして、これらの作戦の失敗と
兵の無残な死に責任を負うべき軍の上層部は、誰一人として戦後責任をとっていない。

いつかインパール作戦について書こう書こうと思いつつこれまで、まだ書けないでいる。
本当は、火野葦平の『土と兵隊』『麦と兵隊』などの記事を書いたその後、大本営報道班
の一員として彼がインパール作戦を視察した経験を元にして書いた小説『密林と兵隊 青春と泥濘』
のことを書こうとしていたのだが。
いつか必ず書こうと思う。

半藤一利、保阪正康氏の対談『昭和の名将と愚将』(文春新書、2008年)という
本がある。
そこから少し引用しよう。

保坂 『私は牟田口には会えませんでしたが、インパール作戦に参加した元兵士には
    ずいぶんお会いしました。彼らには共通する言動がありまして、大体は数珠を
    握りしめながら話すのです。そして牟田口軍司令官の名前を出すと、元兵士のだれもが
    必ずと言っていいほどブルブル身を震わせて怒った。「インパール作戦での日本軍兵士の
    第一の敵は軍司令官(牟田口のこと)、第二は雨期とマラリアの蚊、第三は飢餓、そして
    英印軍はやっと四番目だと戦場で話し合った」と言う生存兵士もいました。
    牟田口が前線から離れた「ビルマの軽井沢」と呼ばれた地域で栄華をきわめた生活を
    しているといううわさは矢のように前線の兵士に伝わっていたようですし、実際に牟田口は
    そこからひたすら「前進あるのみ」と命令をだしていた』
半藤 『しかも作戦の失敗を部下の三人の師団長たちに押し付けて、自分は責任を問われぬまま
    生き延びたんですから、前線にいた兵士たちの憎しみは並大抵ではないはずです』
保坂 『ええ。インドからビルマヘ、仲間たちの死体で埋め尽くされた「白骨街道」を引き上げて
    きた無念の思いは生涯消えることばなかったと思いますね』
(中略)
保坂 『「あの男は許せない。戦後も刺し違えようと思っていた」と言った人、「牟田口が
    畳の上で死んだのだけは許せない」と言った人もおりました』


火野葦平の上記『密林と兵隊』では、フィクションではあるが、火野が取材しておそらく
聞き取ったか耳にしたそうした上層部の腐敗と兵士たちの憤怒が、火野自身の
怒りの筆で、鬼気迫る迫力で描き出されている・・・
 
              ◆


実は、インパール作戦についてのNHK番組としては、1993年に同じNHKが制作した
下記の番組のほうがきめ細かい作りかもしれない。
8月25日深夜のNHKスペシャルを見られない方は、こちらをどうぞ。
ただ、今度の25日深夜の再放送の方をぜひ見てほしいその理由は、NHK取材班が
頑張って、73年前、日本軍兵士たちが行軍した同じ道を…道なき道を…たどってみた
実際のカラー映像があることである。
そうして、3万もの兵士たちが、どこで死んだか、どのように死んでいったかを地図上に
分布図で示していることである……その絶対的量!
さらには、今回新たに証言しようとした元日本軍兵士の方もおられて、自分が死ぬ前に
長い長い間の沈黙を破り、事実を証言しておこうとしたそれらの人々の話を、是非
一人でも多くの人に聞いてもらいたいからでもある…中には、飢えのあまり、仲間の
兵隊の死体を食べたという証言もある……
熱帯雨林の草木の、息が詰まるように生い茂る道なき道を、かつて自分たちの父や兄や
叔父や祖父などが…、進軍し、そして無残に死んでいったのだという実感が、圧倒的な
重みで伝わってくるはずだ…。





*私はここで、牟田口廉也中将を厳しく批判して書いているが、25日のNHKインパール作戦
についての番組で、牟田口氏の親戚のお一人が、貴重な資料を番組のために提供して
くださっているその勇気に感謝したい。牟田口廉也中将を責めることが、遺族の方々への批難と
なってはならないと思う。
またいつか別の記事で書きたいが、旧日本軍兵士たちは、とても口にできないようなことを
数々、アジアの各地で目にし、あるいは自ら犯してきた…。
多くの兵士たちは、生涯その重みを抱えて、何も語らぬまま、語れぬまますでに亡くなられている…
だが、最晩年という今になって、長い長い間口にできなかったことをぽつりぽつりと語りだした
人々がいる…
彼らを責めてもならない。
なによりその話を聞いてほしい。
事実を知ることが大事なのだ…


            ◆



私がインパール作戦など日本軍の不条理を追及することは、単に、日本人兵士の死を
悼んで、当時の陸海軍上層部および政府、そして総責任者たる昭和天皇の責任を
問おうとしているだけなのではない。
およそ『国家』というものが、時に自分の国民にどういう不条理を強いるものか、ということを
書こうとしている。
それは、ひいては、『国家』というものが、他国の民に何をしうるか、ということを示唆する
ことにも必ずつながっていく
と信ずるからである。
自国の民をさえ無慚に戦場で無駄死にさせうる『国家』『軍』というものが、他国の民に優しいと
いうことがあるはずがないのである。
自国の兵をさえも、いくらでも替えのある『ただの捨て駒』としか考えない『国家』や『軍』
というものが、他国の兵や民に対してどういう態度をとるか・・・。
その非道は…少し想像してみればわかる。

私は、かつての大日本帝国とその軍が中国や朝鮮半島はじめアジアの各地で犯した罪は、
それらが、自国の民に対して犯した罪と、表裏一体なのではないかと考えてきた…。

もちろん、『国家』や『軍』というものの中味は、その実体をなすものは、私たち日本人自身、
私たち日本国民一人一人である。
国家の罪を考える、ということは、私たち国民一人一人の罪を考える、というのでなければ
おかしい。


そういう視点に立つとき、日本の戦争を日本の側からぎりぎりと見つめていくことは、
日本が他国にしてきたことの罪を、ぎりぎりと見つめることに必ずつながっていくと考える。

そしてそれは、かつての戦争を振り返ることにとどまらない。
現在この国で起きていること…世界で起きていること…そこに必ずつながっていくと
私は信じている。インパールは、時代を超えて、辺野古とつながっている…
そしてそれは、福島第一原発事故ともつながっている。
さらにそれは、加計・森友問題、自衛隊日報隠蔽問題ともつながってくるのである・・・・・・。

過去を凝視しないものは現実をも見ようとはしない。

過去を一つの視点からぎりぎりと徹底して見つめていけば、それは必ず『普遍』と
いつかつながっていくと信じて私は記事を書いている……。



『腐った林檎』


第3次安倍第3次改造内閣が発足した。
数日前からテレビでは、新閣僚となる人々(留任も含め)がどんな顔ぶれになるのか、
といった予想で持ちきり。政治記者、コメンテーター、司会者、ゲストなどが嬉々として
ああでもないこうでもないと、下馬評を展開していた。
こういうものを見ていると、なんだか、今回の内閣改造で、森友・加計問題、稲田氏の
自衛隊日報隠蔽への関与など、安倍政権の抱えていたどろどろの問題の数々がまるで
綺麗に払拭されて、新しい清らかな風が吹き始めでもしたかのような錯覚に、私のような
反安倍政権のものでさえつい陥ってしまいそうになるから剣呑である・・・・・・。
(無論、自虐的冗談だが。)

一般の国民は、果たして今回の内閣改造の結果をどういうふうに受け止めたのだろうか・・・
多少でもこれで安倍一強政権に風穴があいた、少しはましな政権になるんじゃないか、と思ったか。
それどころか、安倍氏は、真摯に反省しているようだ、と、好感を持って受け止めたか。
それとも、『なにも変わりはしない・・・』と、冷めた目で見つめていたか。

私は無論、なにも期待しない。
むしろ、一見、安倍氏が謙虚になったような印象を与えることで、逆に、その危険さが増した、
とさえ思って警戒を強めているところである・・・
自分の個人的悲願のためならいくらでも頭を下げる、政治姿勢が変わったのかと思わせるような
ポーズでも何でもしてみせる。そのことで、このひとの改憲への本気度を確認したように思うからである。
森友・加計問題や自衛隊日報問題に見るような、この政権の隠蔽体質や、異常なほどの
巨大『忖度』構図は、ちょっと内閣改造したくらいでは変わりはしないし、問題が明らかに
解明されたわけでも無論全然ない!

安倍氏だけではない。
自民の一強という点ではなにも変わりもしないし、改憲勢力三分の二越えという危険も
何ら去ってはいない。

国民は、ますますこの政権のありようを、しっかりと見つめていかないと。
国民の厳しい目こそが、政治の腐敗を防ぐのである。そのことに国民はもっと
自覚と確信を持つべきだ。

さて。
書きたいこと言いたいことは山のように溜まっているのだけれど、とりあえず、今回の
内閣改造について感じたことを書いてみよう。
この記事のタイトルを『腐った林檎』としたのには、痛烈な皮肉といたたまれないほどの危惧
をそこに込めているからだ・・・

『腐ったリンゴを樽に戻せば樽の中は全部腐る』
これは、実は、今回外務大臣に任命された河野太郎氏が、2009年の自民党総裁選に
立候補したときの弁の一部である。そのときの彼は、この『腐った林檎』という表現で、
森喜朗氏などの自民党の重鎮支配を皮肉っていた。
実は、この腐った林檎に関する表現には出所があって、英語のことわざの
One rotten apple spoils the barrel.


を、英語で演説が出来ると言うほどの英語力を持った河野太郎氏が引用したもの。
(rottenの代わりに bad、 the barrelの代わりに a hundred などさまざまに異なる表現あり。)

私は、もしかしてこれが安倍政権の内閣改造でなかったならば、河野太郎氏の外務大臣等の
起用を、歓迎していたかも知れない。河野太郎氏は、私が自民党の中で唯一支持するに足る
政治家であり、脱原発などその言動に賛同することも多く、また、党内にあって歯に衣着せぬ
正論を堂々と吐くひとなので、好きなのである。
もし私が、自民党支持であるならば、この人なら総理大臣にしてもいいと思う数少ない
政治家のひとりである。
私が、自民党内で評価している数少ない政治家としては、もうひとり茂木敏充氏がいて、
この人も今回、経済再生相として入閣した。
茂木氏の名を覚えたのは、あの2011年3月11日。東日本大震災で、福島第一原発事故が
起きて、原発の行く末についてNHKなどで盛んに与野党の代表の討論などが行われていたとき、
この人が、自民党代表として、しゃべっているのを聞いたときからだ。
彼は、非常に穏やかな議論の仕方をする。まず反対意見の相手の言も良く聞く。しかる後に
自分の意見・党の考えを、言葉を選びつつ、わかりやすく説明する。
無論、自民党であるから、原発推進派には違いないのだけれども、その論議の進め方、
言葉の選び方、そして何より議論への誠実な向かい合い方・・・で、私はこの人を非常に
信頼に足る立派な政治家だと思ったのであった。
非常に頭のいい人だ。
惜しむらく、河野氏か茂木氏が経産相だったら、もっとよかったのだが。(脱原発に希望が・・・)

というわけで、今回の安倍内閣改造には、2、3、評価出来なくもない点はあるにはあったのだが。

だが。
いみじくも、その河野氏が2009年に言った言葉、『腐ったリンゴを樽に戻せば樽の中は
全部腐る』、というのが、まさに、今回の安倍内閣改造人事で憂われるのである。

世評では、ひょっとすると、リベラル派と俗に言われる岸田氏までもが、安倍氏に今度は閣外から
『協力する』形になったこと。安倍氏に遠いとされていた野田聖子氏が総務大臣というポスト
を得て入閣したこと。また、国民の間で人気の高い、これまた安倍氏にはこれまで少し
一線を引いていた小泉進次郎氏までもが筆頭副幹事長という党のポストに就いたことなど、
これまで安倍政権のなにかと批判の的になっていた『おともだち人事』からの脱却が行われた
といって、今回の改造が好感を持ってみられるかも知れない。
『これで、安倍一強体制にも風穴があいた』『これで、安倍氏も、党内の反対意見にも
耳を貸すようになり、独善的でなくなるかも』・・・・・・などと期待されて。

しかし、私は、これらの人々が、閣内や、閣外ではあっても、重要ポストに就くことで、
逆に安倍内閣に取り込まれてしまい、その清新さ(仮にあるとすれば、だが。!!!)を
失ってしまうのではないか、ということを懸念する者である。

安倍氏は、二次政権として総理の座に戻ってきてから、非常にしたたかになった・・・
そして巧妙になった・・・
氏の政治家としてのおそらく原点であり悲願であるいわゆる『日本国憲法を自分の手で
変えて見せた』という実績作り。
その目的のためならば、多少の不愉快も我慢する。どんな手も使う・・・・・・
安倍首相は、今回の森友学園、加計学園、自衛隊の日報問題、その他自他を含む
多くの問題や失態に対して、国民の目が一挙に厳しくなったことを、痛烈に自覚して
いると思う。
自民党内部にも、『王様は裸だ』ということに気づいてしまった者たちがぶつぶつ不満や批判を
漏らし始めたことには、それ以上の危機感を持ったことだろう。
国民や党内部の支持を失うと言うことはイコール悲願の改憲に危険信号がついてしまう
と言うことだ。
今回の内閣人事は、従って、相当に考え抜かれた、いわば背水の陣とでも言うべき
覚悟の体制を組んできたように思える。

それだけに、誰がなに大臣になったの、誰が入閣しなかっただのといって、お祭り騒ぎに
これをしてしまってはならないのである。
今回の人事は、相当に巧妙に行われている・・・
安倍氏の反対勢力、ともまあ一応目されるべき人々が、入閣や閣外の重要ポストを
得たことで、安倍政権に取り込まれてしまって、せっかく少し芽生えた『安倍一強体制』
への疑問や不信、それから、安倍氏でないと今はだめなんだという思い込みへの疑い、
いわば、『王様は裸なんじゃない?』というつぶやきが、これでまた潜ってしまう、ということが
考えられるからである。
それは、国民の意識の問題としても同じだ。
これが、安倍政権のさまざまな不祥事や体質的不正への国民の不満のガス抜きに
なってしまうのでは、安倍氏の思惑にまんまと乗せられてしまうのも同然となる・・・

私は、安倍氏を嫌いだから、言っているのではない。
明らかに、こういう政治はおかしいと思うから、こうやって批判をしている・・・・・・

考えてもみよう。
・一国の代表たる政治家たちが、自分の友人や自分の思想に近い者ばかりを優遇する・・・
それも、どんなに客観的に見ようとしても異常な関係と目に映るほどに。
・一方で、自分にとって都合の悪い情報を流したりする者は、排斥し遠ざける。
・ときには、その人の個人的生活までもを引き合いに出して、それを自分に非常に近い大新聞に
すっぱ抜きさせる・・・
・自分たちに都合の悪い文書は『怪文書』などと決めつけて、その存在を無視し、その一方で
それに反論する材料となるような『正当な?』文書などは自分たちからは示せない。
・いよいよ出てしまった都合の悪い情報に対しては、問い詰められても『記憶にない』
『覚えていない』『記録がない』の一点張りで、どうにか逃げ切ってしまう・・・
・首相や内閣、政治家のためではない、国民のために動く清廉のひとを、よってたかって
潰してしまう。(前川氏のことだけを言っているのではない。)
・いよいよ自分たちに火の粉が及びそうになると、『とかげのしっぽ切り』でもって
部下にその責任を負わせてしまう!
・『平和』『活躍』『思いやり』などなど、本来いい意味の言葉も、彼らが多用悪用する
ことによって、イメージがどんどん汚れていき、言葉ばかりか、その言葉の持つ
価値や理念までが崩れていってしまう・・・
このことの恐ろしさを、みんなもっと考えた方がいい。言葉は理念なのだ。
『理念』の腐りきって崩壊した国家など、そんなおぞましいものがあろうか。
・国民のために、『公』のために働くべき人々が、あるいは上からの圧力のために、
あるいは自分自身の保身のために、上の意向ばかりを『忖度』するようになって、
官僚機構、政治機構が、土台から腐っていく・・・


このようなことが、今、国の上の方で、堂々とまかり通っているのだ。

こうしたことが、国中に広がっていってもいいのだろうか???
子供たちに、こういう生き方が得だから真似しなさいと、教えるのか???
『正直者は馬鹿を見る』『言ったもの勝ち』『やったもの勝ち』・・・そういう無責任が
国中に横行していいのか???

腐った林檎は、周りを腐らせていくのである・・・
『朱に交われば赤くなる』などというものではない。じわじわと・・・気づかれもせぬうちに・・・
国が、人心が・・・、腐っていくのだ。



森友、加計問題などについては思うこと多し。
また別に書こう。









『キャンドル・ナイト 76』


76回目のキャンドル・ナイトだ。


キャンドル・ナイト76③




実は、義姉が亡くなって、その葬儀に行っていた。
と言っても、家には介護の必要なつれあいがいる。
一人残していくのは心配だったが、食べるもの必要そうなもの、みな身近なところに用意しておいて
早朝4時台の始発に乗って新幹線に。
そして葬儀にだけ出てまた新幹線でトンボ帰りという慌ただしさだった・・・
家に帰り着いたのは、夜10時過ぎ。
ふ~ぅ・・・

しかし、義姉は、15年間病いと闘って、雄々しく美しく逝った・・・
若い頃、元ミス○○○というような経験もあったひと。病と闘った痕跡も、年齢の刻む
残酷なしるしも感じさせないような、ふくよかで美しいとさえ言える死に顔だった・・・

兄とも15年以上会っていなかったが、義姉と同じ歳の兄は、体つきも昔のまま、大きな声も
昔のまま、あまり年齢による衰えをきたしていないのを今回知ることが出来て、少し安心した。
お互いに年を考えれば、もしかすると兄と妹としてのこれが別れになるかも知れないと
覚悟して行ったのだが・・・

否応なしに迎える老いのこと・・・
無論。6年前の大震災と原発事故のこと・・・、九州の大雨被害・・・
命について いろいろ思ってしまう旅であった・・・

心楽しむ旅では無論なく、家に残してきた体の不自由なつれあいのことを案じつつの旅。
それでも家から離れて一応『旅人』の境遇に我が身を置いてみれば、家に居ては考えない
だろうこともあれこれの思念となって胸の内を通り過ぎていく・・・

と言っても、新幹線の行き帰り、と言うだけの景色しか見ていないのだが。
新幹線の車窓からだけ見る景色は、たいして面白いものでもないのだけれど、
なにかいつも好きだ・・・。
新幹線の窓と同じ高さにあるオフィスビルの一室の窓の内に働く人の姿・・・
向こうはもちろん新幹線の窓から私に見られているなどとは知りもしないわけだが、
今の今、眼下の交差点を渡っていく白いワイシャツ姿の青年の顔や仕草がはっきり
見えたりもする・・・
まあ、なんと工場群がいっぱいあることか・・・超一流企業のも、小さな工場も・・・あそこでは
やはりそれぞれに暮らしや日々の想いを抱えた人々が、今日も働いているのだ。

ずっと昔…
高校を卒業してわずか3か月の間だけ、会社勤めをしたことがある…
母校が探してくれた東京の株式一部上場会社の技術課勤務だったのだが、
大学にやはり行きたくて、学費のあても受験しても通るあても何もないまま、
若さの勢いで、3か月で退職してしまって、不安定なアルバイト生活に入ったのだった・・・
だが、その3か月の間のOL経験は、いつも妙に懐かしい。
お昼になって社員食堂に行くときのあの感じ、お昼を食べ終わってわずかの残り時間に
同じ課の人間たちが輪になってバレーのトスを楽しんでいたことなど・・・
新幹線から見えるあれらの工場の一つ一つに、若い頃の自分自身がいるような、
そんな気がすることがある・・・。
沿線に続く田んぼの光景。その青田の中に一軒だけぽつんと、民家とも倉庫とも
つかぬ建物が立っていたりする。
あそこにひとがもし住んでいるのなら、夜はさぞかし寂しいだろう…でも、なんていいのだろう!

決して美しいなどとはお世辞にも言えないそうした沿線の景色に、いつも私は、美しい
観光地に行った以上の旅情というか、旅の興趣を感じる・・・

東京駅を出てすぐの巨大なビル街で以外は、実はいつも新幹線沿線に人間の姿というものは
案外少ない。稲が青々と育っている田や耕作放棄された畑地や、人気の見えない工場群や、
東南側にぐるりと小山が重なってあって、なにかこう・・・見ていて寂しさと圧迫感を感じてしまう
ような土地に、ひっそりと立つ新しい建売住宅の数々・・・それらにも人の姿は見かけない。

だが。当然のことだが、車窓から姿は見えずとも、それらに人々は生きている・・・
新幹線と並行して走る農道を行く軽トラックにだって、当たり前だが誰かが乗っているわけだ。
そう思うことは、なにかふっと涙ぐんでしまいたくなるような感動というか、人々への共感を、
いつも私の胸に引き起こす。

いつ見ても同じように見えて変哲もない新幹線からの光景ではあるけれど、実は気をつけて
見ていれば、そこに今の日本の現状の、さまざまな姿が、様相を変えて現れていたりもする。
一年前に乗った時よりは明らかに増えているように見える沿線の太陽光発電施設の広がりは、
一種の異様さと非現実感を持っていきなり目に飛び込んでくる・・・
ああ・・・耕作放棄地が増えているようだなあ・・・
ああ・・・ニュースにもなった静岡の河川の異常渇水。今も解消されていないようだ・・・
それに比して、木曽川、長良川は豊かな水量を見せて流れていて、ほっとさせる・・・
東京は空梅雨で、我が家の裏の川も白い河床が見えてしまっている。 だが、
どこでだったかな、関東の少雨と晴天続きが嘘のような雨の光景もいきなり現れた。
それほど距離のない山々が見えなくなるほどの激しい雨の中に新幹線が突っ込んで、
私ののぞき込む窓にも雨が横殴りに吹き付けていたかと思うと、10分後くらいには、
乾いた道の光景が来たりもする・・・

それらの脈絡もない光景を通じてなぜかそれでも感じるのは、日本の『疲弊』である・・・
日本も老いたのだな、という想いである・・・
無論、新しく勃興してくるものもなくはないのだが、また、日本経済の土台骨を長く支えてきた
有名企業の広大な、美しく整備された工場敷地なども次々に窓外には現れてきて、日本経済の
底力というものは信じられるのだが、それでもそれらの力や勢い、というよりは、やはり
過去には新しく生き生きしていたであろうものらの否応無しの老朽化のほうが、どうしても
目についてしまう・・・。
さび付いていろいろなものが剥がれ落ちたままに、外装のメンテナンスもされていないような
建物や工場群のなんと目につくことか・・・

それらの光景から感じるのは、『あきらめ』にも似たある種の静けさ、だ。
その一方で、それでも生き抜いていこうという人間のたくましい意思だ。

新幹線沿線の景色を見つめ続けていると、いつでも私は、そこに確実に生きている
姿の見えない人々への共感に、胸がいっぱいになる・・・

そうして。また、政治のあるべき姿のことを思ってしまう・・・

支持政党とか思想信条とか、派閥論理とかそんなものを超えて、政治は、生きている現実の
人間を大事にしなくてどうする!と思ってしまうのである。
それは、つい頭でっかちに理想を語りがちな自分への痛い認識でもある・・・

新幹線に乗ると、いつも、一億三千万分の一の暮らしが、ほんの一部だが、見えてくる
ような気がしてしまう…  
その中に私も無論いる・・・東京郊外の、小さな我が家の窓の灯りもその中の一つだ・・・

そして。
ああ・・・!このあたりは、2年前、娘と共に乗っていて、うたた寝から覚めたら急に雪景色に
変わっていたあそこだな、などとも思う。娘が隣で、連日の仕事に泥のように疲れて眠っているのを
『雪だよ』と言って起こしたことなども・・・。

私のように、たった一度トンボ帰りしただけで疲れてしまう人間などお笑い種。
仕事で日常のように東京ー大阪間を一日のうちに往復する勤め人なども新幹線には
当然乗っている。そういう人種らしききちんとした背広姿の一団も整然と乗り込んできたり
するのだが、そういう人々の旅慣れした振る舞いは、いつも美しいなと思ってしまう私である。

いつも東京に帰り着くのは7時過ぎだ・・・横浜あたりからの大都会の夜景は、文句なしに
華やかで美しい。高層ビル群の窓窓には煌々と明かりが点り、まだ仕事をしている
男女の姿も新幹線の窓からは見えたりする。
これまた私には縁のない世界だったが、この華やかな姿も日本の一つの現実ならば、
わずか数時間の日本一部縦断で見た光景の一つ一つもまた現実の姿。 

難しいことを言おうとしているのじゃない。
生きていくというのは、なんと愛しいものか、と、新幹線に乗るたびに思う。
そのことだ。



















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心ひとつに キャンドルナイト








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『共謀罪法案に反対する ③』

2017年6月14日。今晩中にも、平成の悪法、共謀罪法案は、自公維新らによって
参院法務委員会での採決をもすっ飛ばしたかたちで、異例の本会議強行採決が
実行されそうだ。

国会の内・外において、必死でこの悪法の成立に抵抗している議員諸氏、そして一般の
市民に強い連帯の思いを伝えたい。
本当なら、私も、国会前に行って抗議の声を上げていたい・・・

この共謀罪法案は、テロ防止、オリンピック・パラリンピックを無事行うためのものなどではない。
それらは口実である。

共謀罪法を、このように国民にもその趣旨説明不徹底のまま、かくも急いで採決成立させたい
安倍政権の意図を、国民はもっとしっかり考えてもらいたい。

私が考える、共謀罪法案の真の意図は、以下の通りだ。

①警察権(とりわけ公安警察)の拡大強化。
②市民運動など政権に反対する運動の萎縮とジャーナリズムの体制批判萎縮。
③森友学園・加計学園問題からの視線反らし。
④アメリカからの要望(スノーデンなどはそれを指摘している)
⑤やがてもくろんでいる改憲のために、改憲反対言論・集会などの力をそぐこと。

簡単に書いているが、そのそれぞれに深い説明が必要だ。
また続けて書いてみる。

一つ言っておきたいことは、今回の共謀罪法案は、それだけを見ていては、その本質的危険が
本当にはよくわからないだろうことだ。
共謀罪法を理解するためには、戦前戦中の治安維持法がどんなものだったかを知る
必要があるだろうし、
安倍政権および自民党の共謀罪へのこだわりを読み解くには、敗戦前後の日本の
政治史をやはり知ることが必要だろう。

・・・かくしたのちに、すべては、安倍氏およびそれを取り巻く人々の、『現行日本国憲法を
否定し去りたい』という執念にたどり着く。というか、そこからすべては出発する。
安倍氏が3年後の2020年にもくろんでいるらしい日本国憲法の破壊。
そこへすべてが集約されていく。

彼らは何がしたいのか。
『国民主権』のシステムを破壊し、戦前の『国家主権』の社会に回帰することだ。
全く時代錯誤でおぞましい、理性的に考えてあり得ない野望なのだが、彼らは大真面目である。
彼らにとって、おそらく、天皇さえ主ではない。
『既得権益の岩盤規制を破壊する』と口では言いつつ、実際は、内閣総理大臣を
中心とした『行政権』のますますの強化、権力集中が目的であろう。
そのためには、国民、ジャーナリズムの反抗の牙を抜き取っておく必要がある。

物言えぬ、おとなしい国民を作り上げること。
通信傍受法(盗聴法)改悪、秘密保護法、マイナンバー制度、共謀罪法・・・
そしてすでにとっくに為された教育三法改定など教育への過介入(森友・加計学園問題は
これと無関係ではありません)・・・。
これらはみんな、密接に結びついている。

そんな、一内閣による、国の姿そのものの破壊を、みんなは黙って許すのですか?




『日本国憲法施行の日に』

一昨日5月3日は、日本国憲法が施行されて70年目の日だった。
昨年の5月3日。私は、江東区有明にある東京臨海広域防災公園で開かれた、
憲法を守る『5・3憲法集会』に行っていたんだった・・・
だが、今年は、そういうことも出来なくなってしまった・・・家を空けられなくなったからである。
今年も同じ場所で行われた憲法集会の様子をテレビなどの報道で見ながら、複雑さと
寂しさの入り混じった思いでいた・・・

集会やデモなどには出られなくても、私に出来る、改憲への動きに対する断固抗議の
表明は、やっぱりきちんとしておかなくては・・・。
言うべきときに物言わず、一生後悔するような愚は繰り返したくない。

今、衆参両院では、『静かな環境』のもと(国民の目に見えにくいということと同義だ)、
憲法審査会で、憲法のどこを改訂するのかなどということが話し合われている・・・
この3日には、安倍晋三首相は、「2020年を新しい憲法が施行される年にしたい」と表明。
改正項目として9条を挙げて『1項、2項を残しつつ、自衛隊を明文で書き込む』という考え方
を示した。いよいよ。首相が、改憲に、具体的に、表だって、動き出してきた!!!
衆参両院における改憲発議のための要件である三分の二、という議席を獲得してからは、
もう、何も遠慮することはなくなっている。

私たち国民は、いつまで知らん顔を決め込んでいる???
憲法は、私たちの暮らしだけでなく、生き方そのものをがらりと変える力を持っているのですよ!


私は、昨年の11月3日。現日本国憲法が公布されて69年目の日に、こんな記事を書いている。
『日本国憲法公布の日に』
もう一度、いや、何度でも、再掲したい。
憲法が『改悪』されてからでは遅いのだから。


                     ***


         『日本国憲法公布の日に』
             (これは、2016年11月3日に書いた記事の再掲です)


こんな調査のデータがある。
ご覧になったことおありだろうか。


世界の憲法に謳われている権利ランキング


これは、今からちょうど4年半前、2012年5月3日付の朝日新聞に載っていた
記事中のデータである。
本文を、下の方に引用させていただくが、簡単に言うとこういうことだ。

                   ***  

2012年、ワシントン大学(米ミズーリ州)のデービッド・ロー教授と、バージニア大学の
ミラ・バースティーグ准教授が、成文化された世界のすべての憲法188カ国分を分析した。
第2次大戦後の1946年から2006年まで、各国憲法の改正や独立国の新憲法をチェックし、
国民の権利とその保障の仕組みを項目ごとにデータ化。国際的な変化が年代別に分かるように
した
のである。
上の表は、その結果のうち、日本とアメリカを比較したもの。

少し説明しよう。
ご存じのように、私たちの日本国憲法は、今からちょうど70年前の1946年11月3日に
公布され、翌年1947年の5月3日に施行された。
私たちの憲法は要するに今から70年前に作られたのだが、信教の自由、報道・表現の自由、
平等の保障、集会の権利、団結権、女性の権利、移動の自由の権利、労働権…などなど
以上にあげた国民の諸権利を、70年前にすでに憲法で国民に保障している、
極めて先見性に富んだものであって、それは今も、世界の憲法の最先端を行っている、
ということなのである。


アメリカの合衆国憲法と比べてみよう。
アメリカ合衆国憲法では、日本国憲法で保障されている『団結権』『女性の権利』
『移動の自由』『労働権』『教育の権利』『違憲立法審査権』『身体的権利』などが
2012年のこの時点でまだ成文化されていないのである!


横軸に、『1946年』『1976年』『2006年』とあるが、この下の数字列が何を意味するかというと、
たとえば、『女性の権利』でいえば、1946年の時点では、世界の憲法中、それを
明文化してある割合は35%しかなかった、ということである。ところが1976年には70%、
2006年には91%の国で、憲法に『女性の権利』が謳われることになった、ということである。
『身体的権利』については、いまだに79%の国でしか憲法で保障されていない。
日本ではどうか。

奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)
適正手続を受ける権利(31条)
不法な身体拘束からの自由(33条)
理由の告知・弁護人依頼権を与えられなければ抑留・拘禁されない権利,正当な理由なく拘留されない権利(34条)
令状がなければ住居侵入・捜索・押収されない権利(35条)
拷問・残虐な刑を受けない権利(36条)
公平な裁判所の迅速な公開の刑事裁判を受ける権利,刑事被告人の証人審問権,弁護人依頼権(37条)
自己に不利益な供述を強制されない権利(38条


…こんなに多くの条項で、国民が不当に身体的拘束を受けないよう、憲法で守っているのである!
既に70年も前に。
『アメリカから押し付けられた恥ずかしい憲法である!』、と、今、一部の人々が
これを根本から変えてしまおうとしている私たちの現行憲法は。


最後の60番目に挙げられている『武装する権利』のところを見てみようか。
当然アメリカは、憲法でこれを保障している。だが日本では、ご存じのように、憲法第9条
で不戦の誓いをし、『戦力はこれを保持しない』と謳っているので、この項目は×印に
なっている。
今、自衛隊を今のあいまいな位置づけから『国防軍』と明確に位置づけ、内閣総理大臣を
その最高指揮官と位置付け、国民にも国とともに国土を守ることを義務付けした
憲法草案が、自民党によって出されている。
『軍隊を持つ普通の国』と、総理やその周辺の人々などは盛んに言うが、しかし、
この表を見ると、憲法で『武装する権利』を明文化などしている国は、世界の188カ国中、
わずかに2%しかないのである!
しかも、それは、1946年の10%から、2006年の2%へと、減ってきているのである!



               ***

この調査は、今日本を分断する『護憲か改憲か』、などという二項対立から全く離れたところで、
アメリカの大学教授たちが客観的に行った調査である。
『日本では、米国の「押しつけ」憲法を捨てて、自主憲法をつくるべきだという議論もあるが』
という問いに対して、デーヴィッド・ロー教授の言った言葉。
『奇妙なことだ。日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支持が強固
だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する
政争の道を選ばなかったのは、日本人の賢明さではないでしょうか』




この言葉を、改憲を目指す政府与党だけでなく、憲法のことをあまり考える機会の少ない
国民全員に、11月3日というこの日に、もう一度しっかり噛みしめてもらいたいと、私は思う。

確かに、ドイツ、カナダなど、憲法の条文を何回も変えて、時代や環境に合わせるように
改善してきた国はたくさんある。
だが。 これらの国々に見る通り、

憲法をもし変えるのであれば、前のものより優れた
ものになっていなければならないはずだ。

およそ先進国とも名乗る国で、憲法を改悪する国などどこにあろう。

世界にこうして誇れる私たちの日本国憲法が70年前に公布された
この日が、それを時代に逆行する悪法に変えようとしている勢力によって、
復古主義的な『明治の日』に変えられることなど、私は断固として反対する。



               ***


   『日本国憲法、今も最先端 米法学者ら、188カ国を分析』
                  2012年5月3日付「朝日新聞」          
世界に民主化を説く米国の憲法は、急速に時代遅れになっている。一方、日本の憲法は今でも先進モデル――。米国の法学者たちが世界の国々の憲法をデータ化して分析した結果だ。日本の憲法は3日、「65歳」になるが、世界の最新版と比べても遜色がない。
■最古の米国、時代遅れに
 分析したのは、ワシントン大学(米ミズーリ州)のデービッド・ロー教授と、バージニア大学のミラ・バースティーグ准教授。対象は成文化された世界のすべての憲法188カ国分。
 第2次大戦後の1946年から2006年まで、各国憲法の改正や独立国の新憲法をチェックし、国民の権利とその保障の仕組みを項目ごとにデータ化。国際的な変化が年代別に分かるようにした。
 それを見れば、時代とともに新しい人権の概念が生まれ、明文化された流れが読める。たとえば、女性の権利をうたった憲法は1946年は世界の35%だけだったのが06年は91%に、移動の自由も50%から88%に達した。最近では、お年寄りの権利も上昇中だ。
 国別に見ると、国際情勢の断面が浮かぶ。独立後間もない18世紀に定めた世界最古の成文憲法を抱える米国は、長らく民主憲法の代表モデルとされてきた。だが、この研究の結果、特に1980年代以降、世界の流れから取り残される「孤立」傾向が確認された。
 女性の権利や移動の自由のほか、教育や労働組合の権利など、今では世界の7割以上が盛る基本的な権利がいまだに明文化されていない。一方で、武装する権利という世界の2%しかない「絶滅」寸前の条文を大切に守り続けている。
 米連邦最高裁判所のギンズバーグ判事は、民衆革命を昨年春に遂げたエジプトを訪ねた際、地元テレビでこう語った。「今から憲法を創設する時、私なら米国の憲法は参考にしない」。憲法の番人である最高裁判事自らが時代遅れを認めた発言として注目された。
 米国に代わって最先端の規範として頻繁に引用されるのは、82年に権利章典を定めたカナダや、ドイツ、南アフリカ、インド。政治や人権の変化に伴い改廃を加えてきた国々だ。憲法の世界でも、米国の一極支配から、多極化へ移っている現実がうかがえる。
■不朽の先進性、実践次第
 一方、日本。すぐに思い浮かぶ特徴は戦力の不保持と戦争の放棄をうたった9条だが、シカゴ大学のトム・ギンズバーグ教授によると、一部でも似た条文をもった国は、ドイツのほか、コスタリカ、クウェート、アゼルバイジャン、バングラデシュ、ハンガリーなどけっこう例がある。
 世界から見ると、日本の最大の特徴は、改正されず手つかずで生き続けた長さだ。同教授によると、現存する憲法の中では「最高齢」だ。歴史的に見ても、19~20世紀前半のイタリアとウルグアイに次いで史上3番目だという。
130502kenpou  だからといって内容が古びているわけではない。むしろ逆で、世界でいま主流になった人権の上位19項目までをすべて満たす先進ぶり。人気項目を網羅的に備えた標準モデルとしては、カナダさえも上回る。バースティーグ氏は「65年も前に画期的な人権の先取りをした、とてもユニークな憲法といえる」と話す。
 ただ、憲法がその内容を現実の政治にどれほど反映しているかは別の問題だ。同氏らの分析では、皮肉なことに、独裁で知られるアフリカなどの一部の国々も、国際人権規約などと同様の文言を盛り込んでいるケースが増えている。
 「同じ条文であっても、どう実践するかは国ごとに違う。世界の憲法は時代とともに均一化の方向に動いているが、人権と民主化のばらつきは今も大きい」。確かに日本でも、女性の権利は65年前から保障されてはいても、実際の社会進出はほかの先進国と比べて鈍い。逆に9条をめぐっては、いわゆる「解釈改憲」を重ねることで、自衛隊の創設拡大や海外派遣などの政策を積み上げてきた。
 日本では、米国の「押しつけ」憲法を捨てて、自主憲法をつくるべきだという議論もある。それについてロー氏は「奇妙なことだ」と語る。「日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支持が強固だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する政争の道を選ばなかったのは、日本人の賢明さではないでしょうか」(ワシントン=立野純二)」



プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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