『私の好きな絵』



さあ…2017年も明けたことだし、また新しく記事を書いていこうかなあ…
昨年のことでは書き残していることばかりだが、まあその個々のことについては、
新しい年度に起きることと関連していくはずなので、その時に触れて行こう…。

新年最初の記事は、あまり生臭い政治のことなど書きたくはないので、自分の好きなもの
について書いてみようか。
二つ前の赤軍合唱団遭難の記事を書いていて鮮やかに思い出した、ロシア絵画
画家イヴァン・シーシキンなどのことについて。



イヴァン・シーシキン

『イヴァン・シーシキンの肖像』 イヴァン・クラムスコイ画、1880年



イヴァン・シーシキンと言っても、日本ではご存じない方が多いだろう。
イヴァン・シーシキン(1832年-1898年)。ロシアの画家。
詳しくは、↑を見ていただくとして、シーシキンとはどういう時代のひとだったか。
1832年生まれということだが、1832年と言えば、日本では天保3年。この年、江戸で
かの義賊として有名な『鼠小僧』が処刑されている! ずいぶん昔のことだ。
同年に生まれたひととして、画家では、あの『草上の昼食』により、サロン~落選展で物議を
かもしたフランスのエドゥアール・マネがいる。
マネの絵と言ってもピンとこない方も、音楽のノートなどの表紙になっていた『笛を吹く少年』
(1866年)の絵は、『ああ!あれか!』とお思いになるだろう。
作家でいえば、ロシアの文豪トルストイはシーシキンより4歳年上。あの夏目漱石は
シーシキンより35歳も年下である。

二つ前の記事にも載せたけれど、私が大好きなシーシキンの、
『陽を浴びる松』。(1886年。トレチャコフ美術館所蔵)


イヴァン・シ―シキン②


この絵を初めて(というかその時一回きりだが)見たのは、1966年(昭和41年)
国立西洋美術館で開かれた『エルミタージュ、プーシュキン、ロシア、トレチャコフ:
ソ連国立美術館近代名画展』においてであったと思う。
ソ連が誇る4つの国立美術館の膨大な収蔵品の中から名品をえりすぐって
日本で展示したものだった…。
私は19歳だった。主人と二回目くらいのデートの時だ。w
この展覧会では、ロシア~ソヴィエトの絵画だけではなく、フランスの近代絵画、
マネ、モネ、シスレー、ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、マチスなどの名品も展示されて
いたのだけれど、それら並み居る巨匠たちの作品群の中で、私の心に一番
鮮烈に残ったのが、シーシキンのこの作品だった…

シーシキンが生きていた時代は、まだ帝政ロシアの時代。革命によってソヴィエト連邦が
生まれる前の時代である。フランスでは、およそモネ、ルノアールなど印象派の
勃興期と最盛期、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど後期印象派の画家たちが
出てきたくらいの時代と重なる。
シーシキンの絵は、ご覧のように、フランスでの新しい絵画の動きからは少しやはり遅れて、
もろに写実主義の絵画ではあるけれど、フランスにおける印象派の画家たちと同じく
アトリエから外に飛び出して外気と外光の中で制作するようになっていたこと、
写実と言っても単に対象を写真のように写し撮るのではなく、画家が何を主題に選びとるか
ということそのことに画家の主張や精神性が表れて、シ―シキンのこの絵に見るように
深い叙情性やある種の哲学のようなものが感じ取れることが特徴だったかもしれない。
シーシキンやイリヤ・レーピン、イワン・クラムスコイを含む『移動派』と呼ばれる画家たちは、
19世紀後半、官製芸術の中心地であるペテルブルク美術アカデミーに対抗する
ロシアの前衛的な芸術集団を結成。帝政下、虐げられた農民たちの暮らしを、
その苦しみだけでなく忍耐力などその強さをもふくめ描きだし、また当時勃興し始めていた
ナロードニキ運動などをも共感を以て描きだした。
彼らの絵画は、ロシアの解放運動の発展に重要な役割を果たしたのである。

だが、そんな絵画史上の意義はともかく、私は、この絵の魅力に深くうたれて、その前で
しばし立ち止まってじっと見入っていたことを覚えている。
今も、理屈は抜きにして、この絵が好きだ。
この構図。この光と影の描写。この松(シベリアアカマツか?)の質感…

松など針葉樹の林には、独特の香気が充ちている。私は針葉樹の香りが
大好きなのだが、そのすがすがしい香りさえ、絵の中から立ち上ってきそうだ…。

なぜこの絵にそんなに惹かれたか…
それは一つには、私が、九州の高原の村で生まれた『山の娘』であったこと。
4歳のときには街に出たので、実際は農作業、山の仕事なども知らずに育ちは
したのだが、私の体の中にはやはり、山の娘としての血が流れていて、それが
この絵に知らぬうちに呼応したのだろうと思っている。
私は実は、娘時代、出来るものなら、画を勉強したいなあ…とひそかに思っていた…
だが、家庭はそうした事情を許さないとわかっていたので、夢は夢として封印してしまった…
だが。もし。もしも、私が絵をやっていたなら、こういう絵を描いていたであろうという、
これはそういう絵であったのである。
むろん、こんな見事な絵は描けない。しかし、この画題。この構図。この色遣い…
それはまさに、私が描きたかった絵として、19歳の私の前に現実に現れた
のであったのである…。


初めてこの絵を見たそのときからちょうど50年たった…。
69歳の今、私がこの絵を見ると、50年の間に蓄積したさまざまなことが、胸に去来する。
山の仙人のように故郷の林や川やを知り尽くし、そこで一人で生き一人で死んだ父のこと…
19歳の私を、国立西洋美術館などに案内して本物の芸術を見せてくれ、また別な時、
当時神田にあったロシア料理の店『バラライカ』にも連れて行ってくれた夫は、
今、人生の晩年期を迎え日々体が弱って行っている…


いろんな素晴らしい絵画があるけれど、このシーシキンの『陽を浴びる松』は、
わたしがほんとうに最も好きな絵の一枚だ。
冒頭の、イヴァン・クラムスコイの描いたシーシキンの肖像画も、なんと巧みで、
シーシキンそのひとのひととなりというか佇まいが見事に描き表されていることだろう。
私は、いい肖像画、人物画、というものもとても好きだ。
とりわけ、その対象の精神性までもを鋭く切り取ったような人物画が。




ヴォルガの船曳

イリヤ・レーピン 『ヴォルガの舟曳き』(1870年 - 1873年) ロシア美術館




ああ…
せっかく、静かな気分になっていたのに、安倍首相が『共謀罪』のことも考えている、
というニュース見出しを今、ちらっと見て、たちまち醜い現実に引き戻されてしまった!





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『蜜柑』


知人にお蜜柑いただいた。


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お庭に蜜柑の木があると聞いて、『ひとつ下さいな』と、桃太郎の猿たちのように
お願いしたら、こんなにたくさん。


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見事に大きな蜜柑なのだ。
でも、こんなちっちゃい子も添えてくださっていた。
先日友にいただいた林檎もそうだったけれど、中にこういうちっちゃい可愛い子が入っていると、
すごく嬉しい。最後まで食べないで残しておいて可愛がる。^^


実は、私が、ひとにおねだりするなんて珍しいことである。
大きくなった実の娘にさえ、『ママ、・・・が欲しいな』、などと自分から言ったことは、多分一度もない。

その私がどうしてお蜜柑いっこおねだりしてみたか。
甘みとともに酸味があって薫り高い美味しい蜜柑が店でなかなか手に入りにくく
なったからである。
林檎の時にも書いたが、私は、甘いだけの果物はそう好きじゃない。
ところが、今どきの蜜柑。なぜ、ああ早くぱあっと香りと酸味が抜けてしまうのであろう。
昔の蜜柑は、もっと実がパンパンに張りつめていて、少なくともお正月の頃くらいまでは
十分な酸味とむろん甘さと水気があった。小さくてもずっしりと重かった。
ところが、今の蜜柑は、酢っぱいのは、9月、青切り蜜柑の出回るあの時期の青い蜜柑
だけである。ひどい時には、まだ青いのに、既に酸味の抜けているものもある。
よほど高級品でも買えば美味しいのはあるのかもしれないけれど、私が近くのスーパー
などで手に入れられる蜜柑は、10月ごろにはすでに、なんというのかなあ、皮と身が
離れて、ブカブカな感じになっているものがあったりする。むろん、蜜柑特有のあの
清冽な香気や酸味は抜けてしまって、ただ甘いだけ。いや、甘みさえなく、ただぱあっと
した味である。正月ごろには、もう味が著しく落ちて何やらセメダインっぽい臭いがして
いるのさえある。
私はもう、9月のほんの1週間ほどの間のあの青切り蜜柑以外は、最近ほとんど蜜柑を
自分のためには買わなくなっていた…

ああ…ほんとのお蜜柑が食べたいな。昔の蜜柑の味をもう一度味わいたいな…
どうして最近、あのようなぱあっとした味の蜜柑しかないのだろう…
流通のため、完全に熟さないうちに早く収穫して『追熟』させたりするからかしら。
もぎたての蜜柑なら、昔のように美味しいのかしらん…
もぎたての蜜柑を食べて比べてみたいものだ…

そうずっと思っていたが、その知人の家に蜜柑の木があると聞いて、思わず一個下さいと
言ってしまったというわけだ。


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さて。
念願の、木からもぎたての蜜柑。
まずは、皮に爪を立ててほんの少し剥いて、その匂いをかぐ……。
ああ!これこれ! この香気ですよ!
蜜柑の香りはこうでなくっちゃ!

…もう、香りだけでも大満足だ…


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あんまり嬉しかったものだから、蜜柑の皮は、へたの方から剥いた方が、あの白い筋が
少なく剥けるのを忘れてしまっていた。
(あれ、あの筋の部分を含めた果皮の内側の白い部分を 『アルべド』っていうんですってよ。
ちなみに、外側の蜜柑色の部分は、『フラべド』。)
もっとも、私は、ふだんから、あの白い筋をそう気にしない。
少々白いのがあっても、袋ごと食べてしまう。
人によっては、ものすごく綺麗に丁寧にあの白い筋を取ってから食べる人もいるけれど。
も一つちなみに、蜜柑の皮をむくのがすごく下手な人がいるが、見ていてなんだか微笑ましい。
昔、友人で、そういう人がいた。
彼女が剥くと、皮がぽろぽろ小さくちぎれてしまって、焦れば焦るほど、ますますぷつぷつに
ちぎれて、そして非常に時間がかかる。(笑)
私が、こんな風にほとんどこぼさず皮をむいて、食べ終わったら、丸く元の形みたいに
して伏せておくのを、『どうしてそんな風にできるの~!』と驚いていたが、可愛い人だった。


さて!
蜜柑の美味しかったことったら!
う~……そうそう。この香り。この酸味♪ 甘さも十分。
これですこれです。昔食べたお蜜柑の味と香りは。
やっぱり、木からもぎたてのはこんなに美味しかったんだ!
目が覚めるような新鮮さだ。
やっぱりなあ…
ほんとに、一房一房。大事に味わっていただきました。
美味しいなあ…

私一人が、ただ記憶の中の蜜柑を幻のように求めているのかな、と思ってネットを少し
検索してみたら、『蜜柑が味が薄くて酸味がなくておいしくない』と書いている人が
いっぱいいた。やはり私だけじゃなかったんだ……。

ああ…この味・・・そして果皮のこの香り…


思い出すのは、昔々。おおむかし。
多分、私が4歳か5歳かそこらのことだ。
九州の高原の村。母の姉の嫁ぎ先で大きな婚礼があった。
私は、父と母に連れられて宴に出ていた。
田舎の家の広い座敷をいくつかぶち抜きにして、大勢の人がいて賑やかだった。
その時の祝い膳は…いわゆる『本膳料理』というやつで、座敷に座った一人ひとりの前に、
『高脚膳』で、本膳、二の膳、三の膳、与の膳、五の膳というのが並べられていた。
小さな子供の目にも『豪華だなあ・・・』と思えたものだった。
昔は正式の祝いの膳はそれが当たり前だったのだろうが、今、ああいうのはないだろうなあ。
画像検索してみても、私が記憶するような豪華さを彷彿させるようなものは見つからない。

ようやくあった!

本膳料理
写真はこちらからお借りしました。http://www.chufang001.com/lab/show/165.html

結婚式だったから、これよりもっと豪華だった気がするなあ。
大人たちが酒を飲みながらつまむ煮物や、刺身や、てんぷらや、酢のものなどといった
ものはむろん品数多くあったと思うが、子供の目を惹いたのは、寒天で作った富士山や
松や梅などの(多分そういう形の)お菓子や、色鮮やかな宝船や鶴亀などの形の蒲鉾だった。
一人ひとりの膳にはむろん、尾頭付きの大きな焼鯛がついていたし。
鯛は、檜の『敷き葉』の上に載せられていて、檜のいい香りが移っていた。
…赤飯やこうしたごちそうは、客は手をつけないで持って帰るのである。
持って帰る用の折詰箱が用意されていて、客は家で待つ子供らや留守番のおばあさん
などのために、これらをきれいに折に詰めていく。自分でやらないで、婚礼の家の手伝い衆が
詰めてくれたのだったかもしれない。

この時は私は、自分も式に行っていたけれど、家で留守番をしていて、父らが持って帰る
土産の折詰を、兄などと一緒に嬉々として食べたこともあったように思う。

…ああ…!
その折詰の香りが、この、少しまだ青みを残すような蜜柑の香りだったのだ!
本膳料理の、どこかの膳に、蜜柑を横に半分に飾り切りしたものが入っていた。
鯛の折に添えてあったのだったかもしれない。
香ばしい焦げ目のついた焼き鯛の下に敷いた檜の葉っぱと、この清冽な蜜柑の香り!
そして、杉や檜で作った折箱自体の香り。
その三つが、結婚式の祝い膳の香りだ。

もう、このような形式の結婚式自体がほとんど行われていまい…
私自身ももう結婚式に呼ばれて出ることもあるまい。


遠い遠い昔の、私がまだ幼くて、父と母が一緒に暮らしていたころの思い出。
私にとっては、永遠のごちそうの幻である。
眠くなった私を父がおぶって、暗い田舎道を母と三人で帰ったのはその時のことだったか…。


さてそして。
ひと房ひと房を惜しみつつ味わいつつ食べた一つ目の蜜柑。
『乱暴に食べる』二つ目以降の蜜柑。^^
どう乱暴に食べるか、と言うと。
『蜜柑』と言えばそりゃ、『こたつ蜜柑』ですよね~~~!
今日、炬燵を出しまして。 炬燵にすっぽり入ってぬくぬくほこほこしながら、蜜柑を剥くのです~。


ほんとにごちそうさま~~♪

















『ブルームーン』



今夜は、三年ぶりにブルームーンだ。

…ああ…前にブルームーンの記事書いてから、もう三年になるんだなあ…

ひと月のうちに満月の日が2回あると、その後の方の満月をブルームーンという。
ブルームーンに願い事をするとそれは叶えられるという…

この頃、俯いて歩いてばかりいて、以前のように、青い空も夜の月も見上げなく
なってしまっていた。
さっき、自転車を取り込みに外に出て、明るい月の光に驚いた…
そっか…今夜はブルームーンだっけなあと…

まあ、余計なことはつけ加えまい。
イギリスのジャズシンガー、ダイアン・ショーの大人の唄声で、聴いていただこうか。














『二度目の四国の旅に想うこと ①』

四国への旅の写真をアップしてみます。

四国へはこれで2回目の旅です。
これまでも、おそらくこれからも、あまり旅行をしない私。
日本で行ったことがある地というと本当に少ないです。
四国はその中でも、憧れつつも、おそらく縁がないだろうなあと思っていた土地でした。
ところが、お婿さんがなぜか仕事で四国に縁があって、彼のおかげで私までが、
昨夏、そしてこの12月と、旅をすることができました。

と言っても、私が訪れたのは、島嶼の一部と高松市だけです。
それでも、私にはなぜかもう、忘れられない懐かしい土地になっている…
今回は、ブログのお友達ともお会いすることができ、さらでも嬉しい旅が、よけいに印象的な
旅となりました。


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飛行機で行きゃ早いのでしょうが、新幹線の旅が好きな私。
今回も岡山まで新幹線、それからマリンライナーに乗って、
瀬戸大橋を渡り四国へ入ります。娘とお婿さんと私と、三人旅。
瀬戸内の海。もうなんだかよく知っている風景のような気がしてきています。



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私。来たわ。また……



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今回は一泊だけ。
あちこちを見て回る時間はありません。
高松に着いた日は金刀比羅さんだけに的を絞ることにしました。
可愛らしい琴平駅の駅舎。



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この時、時間はすでに3時過ぎ。
琴平の街は、このように西日が長い影を落とす、夕暮れの気配のなかにありました…



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観光名所と言われるところに増して、旅で心魅かれるのは、こうしたなんでもない
町の一角、人びとの暮らしの営まれている建てものなどです。



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金刀比羅さんの門前町。
お顔がはっきり見えないよう、小さな写真にしておきます。



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写真に撮られることに慣れて、もう達観してるようにじいっと動かないでいてくれた
あるお店の猫ちゃん。
旅先で出会った動物たちというのも、別に特別ななにかはなくとも、妙に忘れられないものです。



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この時、時間は既に4時近く。
帰りの時間を考えると、金刀比羅さんのまだほんの途中ですが、さらに行くのはあきらめました。
その代わりに、明治の洋画家、高橋由一の作品が数多く収蔵されているのを見ました。
高橋由一と言うと、私は、あの有名な鮭の図と花魁図くらいしか知らなかったのですが、
ここには、その油絵作品を27点も常設展示している場所があって、私は彼の作品を
殆ど初めてみたかのような驚きに包まれてしまいました。
…なんて、いいのでしょう…なんて上手いのでしょう…
何よりも、なんて詩情があるのでしょう…。

その作品群は、ここで見ることが出来ます。
http://www.konpira.or.jp/museum/yuichi/yuichi_2012.html



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琴平の街の夕暮れ。



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あっという間に、冬の日は暮れてしまいます。
旅先のこんな光景は、なんだか胸がきゅんとするほど懐かしい…
この少し前に、ブログの友に初めて電話して、その声を聞いています。

それから、琴電に乗って、高松の中心街に、今宵の宿に向かいます。
もうあたりは真っ暗。
車窓からは何も見えません…



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今宵の宿に辿りついてほっ!
時間は9時を過ぎていました。
それから、夜の高松の街に出て三人で食事です。
高松の街は、前回も感じましたが、とても立派な便利で住みやすそうな街です。
飲食店もたくさん!
今回は、創作料理のお店、というところへ入って、そこが出てくる料理がことごとく
めっぽう美味しかったので、大満足でした。基本イタリアンかな。
いろいろ注文して分けあって食べました。フォアグラなんかも食べちゃったし、
ワインもしこたま飲みました。^^
(うう…お留守番のパパさんも連れてきたかった…)



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翌朝、友と少しの時間会えました。^^
旅の目的を済ませたら、もう、汽車に乗らねばならない時間です。
慌ただしい旅は、よけいに何か旅先に大きな忘れ物をしてきたような、そんな
後ろ髪引かれる想いがします。
さようなら。四国のおむすび型の山々よ…。
この旅の間は、日本全国を大寒波が襲っていて、四国でも少し前に徳島で
大雪の被害者が出るなど、空も荒れ模様でした。
晴れていたけれど、怪しげな水分をはらんだ雲が、山の方へ方へと流れていっていました…






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さよなら。灯台さん。
きっと。きっとまた来るわ。



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さよなら。
瀬戸内の海よ。



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ああ・・・もう・・・
帰りの新幹線の中です。
私は、旅の見知らぬ土地を走る新幹線などの中から、こうやって、線路と平行して伸びる
道路や、直角に交わる農道などを、小さな軽トラックなどが一所懸命走っているのを見ると、
いつもきゅんとしてしまいます。
誰かがあそこを、何をか思いながら、車、運転しているのです。



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おお!
大阪を過ぎてしばらく走ったな、と思って、ちょっとの間、うとうとして、ふと目を上げると、
外は雪景色でした。
岐阜羽島から米原のあたりは、東海道新幹線の他の土地が快晴でも、このように
雪が積もっていることがあるのです。




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しばし黙って雪景色を見つめている……
ここにも。ここにも、人々の暮らしがあります…。
私は、新幹線から、南東側と南西側を疎林の小高い丘に、そうして西側は線路と、
三方を囲まれて、北側だけに開けた、真昼間でも山陰に沈んで少し小暗いように見える
住宅地などを通りすがりに見ていると、これまた胸がきゅんとします。
ましてその一角に小さな、なにを作っているとも知れぬ小さな工場などがあったりすると。




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名古屋には雪はなく、雨は少し降ったらしい土地を新幹線は黙々と走り続けます。
おお…夕焼けです…



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新幹線と交わる川の光景にもいつも魅かれます。
この旅では、ようく遠くにこうして観覧車が見えたなあ。
新幹線からは4か所。極め付けに哀しいほど綺麗だったのは、真っ暗なところを走る
琴電から見えた、灯りに照らし出された観覧車でした……

さて。もうあと一時間と少しもすれば、東京駅です…。



この記事、この下の記事に続く。











『二度目の四国の旅に想うこと ②』

この日はちょうど、衆議院選挙の投票日でした。
私は旅の予定と重なることがわかっていたので、期日前に投票は済ませていました。
しかし、日本全国雪などで大荒れです。投票率は当然低くなるでしょう…
旅の間も、選挙のことが頭から離れることはありんせんでした。
日本の国を左右するような、大事なだいじな選挙なのだけれど、たとえ雪が降っていなくても、
投票率は低かったでしょう。
国民の想いを受け止める政治の受け皿がなく、国民があすこよりはこっちの方が
まだましかなあという消極的選択しか出来ないというのでは…。
しかし、それでも、政治に関心は失って欲しくない。
歴史を逆に戻っていくような政治を許してはならないのです。

…しかし。
旅をするとさまざまなことを、東京にいるのとまた違う感覚で思います。
一つの例が、あの米原あたりの雪です。
日本は、本当に南北に長い国土だなあということを実感する。
そうしてまた、南北に長いだけでなく、かつて、『表日本』『裏日本』と言われ、
今はそれが多少の差別意識を伴うことに配慮したか、天気予報などでは
『太平洋側』『日本海側』という言葉で表現されるようになった、日本の言わば
横幅部分での気候や風土の違いなどにも、深い思いを致してしまうのです。
この、『表日本、裏日本』という表現に関しては、私の12月15日の記事、『帰ってきました』に、
NANTEIさんから頂いた含蓄深いコメントと、それに対する私の返事の中で
触れていますので、よければお読みください。
簡単にまとめれば、私は、自分が東京、それも太平洋岸に住んでいるわけですが、
何の気なしにその側を『表日本』といい、日本海側を『裏日本』と表現して、
長い間、その表現に内包される差別意識に気づかずにいたということにあるとき気づいて
愕然としたことがあったのです。

ふだん私たちは自分の住む地域を中心にものを考えがちで、他の地域に住む人々のことを
あまり考えないものだということへの私自身の覚醒というか反省については、
こんな思い出もありました。

娘が中学1年生の時の担任は、地理の若い男性教師でした。 
年の頃は30少し過ぎ。いかにも教師として活力のある盛りのきびきびした歩き方と話しぶり。
ちょっと島田洋七氏に似たような体系と風貌だっかかな。
その先生による父母授業参観があるときあったのです。

教えぶりは、時折のたくまざるユーモアを交え、想像通り活発でいきいきしたものでした。
参観のお母さんたちの間にも、笑い声がしょっちゅう起こる。
『日本列島のおよその大きさをイメージするには、東京を起点にして北海道の端まで
直線でおよそ千キロ、南は沖縄までおよそやはり千キロと掴むとわかりやすいです』
などという説明を聞くと、自分自身は同じ中一の時、地理科の女教師のことが嫌いで、
地理という教科自体が苦手になった経験を持つ私も、『ほほ~っ!』と感心して、
ああ、こんな先生に地理習いたかったなあ!と思ったものです。

その時の先生の話に、日本列島が南北というか東西にも長いために、
日の出時間や日没時間が場所によってずいぶん違うのだ、というのがあって、
その時私は、37歳くらいでしたが、恥ずかしながら初めて、自分の長年の疑問が
解けたような気がしたのでした。

その疑問というのは、『どうも自分が子供の頃よりも、一日が短くなった気がするなぁ!』
という感覚でした。
自分が子供の時は、学校から帰って外に遊びに出て、夕方いよいよ暗くなって家に帰るまでの
時間がすごく長かったような気がする。しかし、娘の生活など見ていると、まあ、私立の小中学校に
通っていたということもあるのだろうけれども、どうも学校が放課して後の
子供の自由時間がなんだか短くせわしない気がしてしかたがなかった。
と同時に母親としての自分の夕方も妙にせわしなかったわけです。

それを私は、単に自分が大人になったせいかなと漠然と深く考えもしないでいたのですが、
その時先生の一言を聞いて、
『あ!そうかぁ!単純に、博多は日没が東京より遅かったんだぁ!』と、遅ればせながら
初めて気がついたというわけなのです。
私は子供時代を九州福岡市で過ごしました。
例えば、今日1月6日の日没時刻は東京は16:42ですが、福岡市では17:24です。
42分も福岡の方が日が暮れるのが遅いということになります。
42分! そんなにあったら、子供が外で遊べた時間も長く感じた筈です!!

その代わりにそう言えば、福岡は逆に日の出も遅いわけで、7:23です。
6:51に日が昇る東京と比べれば32分も朝が暗いということになります。
…そうだそうだ。高校の頃、冬の朝まだ暗いうちに起きだすのが厭だったなあ!
と思い出します。

ちなみに、今日1月6日、日本の主要都市で一番日の出が早いのが千葉市で6:49。
一番遅いのが長崎市で7:23。日本最西端の与那国島に至っては7:33です。
一方、日没が一番早いのは、札幌市で16:14。一番遅い那覇市は17:51です。
実に 1時間半近くも札幌の夕暮れは早い。
http://www.motohasi.net/SunriseSunset/JapanSun.php

こんなこと、日本各地に住んだことのある人や、よく旅行をする人なら当然のように
知っていることでしょうが、同じ地域にずっと住んでいる者は、普段あまり、他の地域の
夕暮れの訪れの早さ遅さのことなど想ってみないのではないでしょうか。
旅をして気づかされるのは、こうした、普段気付かない自分中心のものの見方のことです。
自分の生きている世界の感覚がすべてのようになんとなく思いこんで暮らしていても
何の支障もない。

こんなこともあります。
あるときネットで飛行機雲のことをなんとなく見ていて、日本からヨーロッパに行った人が、
飛行機雲が平行にではなく、縦横無尽に空に描かれているのを見てびっくりした、
という小さな記述を見たのです。
私もびっくりしました!
このサイトでした。写真映像見てください。動画も興味深いです。
http://teleradiology.jp/MRI/11_misc/AirTraffic/NetherlandsSky.html

私の住む多摩地区は、近くに米軍横田基地や厚木基地などもあり、一日中、実によく飛行機が飛びます。
夕暮れなど、赤く染まった空に、上空高く飛行機が平行に追いかけっこなどをしている
その航跡は実に綺麗です。
『平行に』…そう、日本の飛行機雲は、基本、長い日本列島に沿って平行に走っていることが
多いですよね。そうじゃない地域もあるのでしょうか…

さらに驚いたのは、上記のサイトだったか別のサイトだったか、コメント欄に、
『日本では飛行機雲を見たことがなかったが、ヨーロッパ旅行して初めて飛行機雲を見た』
と書いていた人がいたことです。
日本で飛行機雲を見たことがなかった??!!
そんなひとがいるのかとびっくりしました。
…しかし、考えてみれば、そのひとが住んでいる地域が、飛行機の航路にあたって
いなければ、そうしてそのひとが若くて旅の経験の少ないひとならば、飛行機雲を
一度も見たことがない、ということだって不思議じゃありません…
それはそこが市街地であるか過疎地であるかなどということとは関係ない。

現に、たまたまでしょうが、私のこの1泊2日の旅の間、私は結構外にいたのだけれど、
上空を飛行機が飛ぶのを一度も見ませんでした。
いや。そうだ!大阪あたりで、新幹線の中から低く飛ぶ飛行機を一機見たかな。
まあ、ほかのことに気を取られていたからかもしれないけれど、機影を見なくたって、
音くらいは耳に入って来たはずなのですが。

まあ、逆に言えば、私の住む多摩地区のように、米軍機が一日中低く飛んでいるというのも
異常なのです。

ところで、東京など首都圏の上空を日本の飛行機は基本的に飛べないということ
ご存じでいらっしゃいますか?
関西や九州など西日本から羽田に向かう飛行機は、そのまま空港に一直線に着陸せず、
グルッと千葉方面から回り込んで高度を下げる。羽田から西へ向かう場合も、
わざわざ東京湾上を旋回してから向かいます。
原因は『横田空域問題』というものがあるからです。
『横田空域』とは、東京・福生市にある米軍横田基地の上空を中心に広がる空域のこと。
戦後、連合軍が日本の空の管制権を掌握した後、日米地位協定に基づいて
そのまま米軍が管理することになった。現在、米軍管理下の「横田管制」が
空域を管理している。その管制空域は神奈川県や静岡県、北は新潟県まで
1都8県にまたがる。最高高度は2万3000フィート(約7000メートル)もある、
まさに「見えない空の壁」なのだ。』
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1412158842/l50 (週刊ポスト2014年10月10日号)

ね?びっくりなさいませんか?
東京の上空は、日本のものじゃないのです。
横田空域は、1992年に10%、2008年に20%と、段階的に日本に返還されてはいますが、
日本の飛行機は、緊急時以外は、その階段状に高度が設定された空域を、
迂回するか、北端の最も高い場所では約7000メートルに達するという空域の上を
飛び越えて通るしかないのです。

夕暮れ、いつも、白い航跡を残しきらきら機体を輝かせながら沈みゆく太陽に向かって
高く高く飛んでいくのを、私が『ああ、綺麗だなあ!』と思って見上げているあの飛行機たちは、
そんなふうに一旦東京湾上に出て、千葉の方を迂回してから、横田空域を避けるために
高く高度をあげて、あんな風に美しく飛んでいるのでしょうか…
そうかと思うと、こうやってブログなど部屋で書いていると、曇った日などびっくりするほど
大きな爆音に、なんだろう!と窓から外を見てみると、米軍のあれは輸送機でしょうか、
鈍い銀色というか灰色の少し小さいずんぐりした飛行機が、我が家のすぐ上空を
ゆっくりと飛んでいっているのが本当に近くに見るのです。

ね。
旅をしていると、いろんなことを考えます。
新幹線の中で、『そういえば飛行機見なかったなあ…』と思ったことから話が膨らんでしまいましたが。

旅をしていると、普段はあまり考えないさまざまな自分の偏向にも気づかされます。
私は、反原発の考え方に立って、ブログでもいろいろ書いています。
どうして、原発立地自治体の人々は、福島第一原発のあの事故を目撃していながら、
なおも自分のところの原発の再稼働を望むのか。
自分のところで、またあのような事故が起きないとはだれも保証できない。
福島の二の舞を演じたいのか!
私にはいつも、それが理解できないのです。

…しかし、ローカル線や新幹線でいろんな沿線風景を目にします。
本当にさまざまなところを…
おそらく昭和3,40年代くらいにはぴかぴかに新しく、地域の希望の産業だったに
違いない工場などが、外壁の滲みもそのまま、錆びた鉄骨構造をそのままに、
稼働しているのかうっちゃらかされているのかわからないといった眺めや、
前の写真記事で言ったように、畑中の一本農道を、小さなトラックが一所懸命走っていたりする…
疎林の小山にはさまれた日当たりの悪そうな三角地…。

ひとは、自分がいるそこで、生きていかねばなりません。
生きていくためには働かなければならない。働くところがなければならない。
何か産業を誘致したいと思っても、不景気や土地の条件などさまざまな要因で、
なにもどこも来てくれないという土地もあるでしょう。
原発誘致に走った村や町を、第三者でしかない私が、どうして責めることが出来るでしょう。

それでも。それでも、原発再稼働にも、まして新規に建設など私は今後も強く反対していきます。
いきはしますが、そこに、高いところから理屈を振りかざすようなそんな高飛車な態度は
こうやって知らない土地には知らない人びとの生活があるのだということを実感した
あとではなかなか取れないな、とも思ってしまいます。
畑に冬の日が柔らかく射していたりする。その畦道を一人でとぼとぼ歩いてくる老人。
柿の木がまだ赤い実を残している農家の庭。
セイタカアワダチソウらしき丈高い雑草が枯れて残る空き地に何台も置かれている古いバイク。
人々の生活が、そこにもここにもあります…

原発のようなものを誘致しなくても、日本の末端で暮らす人々までもが
その土地で安心して暮らしていけるような政治を、本当はしなくちゃならないはずなのです。

無論簡単じゃない。でも何とかやっていかなければならないのだと思います。
限界集落がどんどん増えて、街場でさえも商店街の空洞化が進む、この少子化先進国ニッポン。

東京だけが栄えてどうなるのでしょう。
富者にさらに富が集中する…富の偏在をますます進めてどうなるのでしょう。

旅をして感じるのは、また、人々のたくましさです。
どんな隅々にも誰かが住んでいる…
どんな寂しい山峡の道路にも、夕暮れ、なんとまあ2台3台と、ライトをつけて
走っている車がいる!
まあ、いろんな大小取り混ぜての工場のたくさんあること!

日本はまだまだ豊かなんじゃないかい?ともふと思う。

しかし、放っておいてはダメな問題は山ほどあります。
なんとかなるさ、ではすまない問題がこの国には山ほどある。
日本にまだ活気があるうちに、
真面目さとか勤勉とか正確な仕事ぶりとか、そうした日本人の美徳が
まだ政治の劣化によって崩壊しないうちに、
教育や言論といった、いわば国民の批判力形成の二本柱が、一部の政治勢力に
掌握されてしまわないうちに、
この国の体勢を、上からではなく下からの積み上げによって立て直さないといけないんだがなぁ…

…そんなことを、徐々に東京のあの、異常に明るくネオン輝く街に近づいていく
新幹線の中で考えていたのでした。

『旅の記録』

旅の記録…と言っても、私の旅じゃありません。

画家、松井大門先生とれんげちゃんが、先生が2年にわたって描き続けられてきて、
このほど完成した、画集『ふるさと東北の宝物~かけがえのない風景』や、絵ハガキを
携えて、今、震災の被災地の旅を再び続けていらっしゃいます。

これは、2年前、東日本大震災で津波に流された東北各県の懐かしい建物などの風景たち…
その失われた風景を、先生が水彩画に再現して、被災地の方々や、日本全国の人々に
見ていただきたい、というプロジェクトです。
2年間、こつこつと描き続けられた絵は、90数枚の水彩画に。


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今、被災県各地の方々に絵を見ていただき、また、仮設住宅で思うようにならぬ生活を
忍んでおいでの方々に画集やはがきをお届けするための旅を、先生とナビ役のれんげちゃんが
再び続けていらっしゃいます。

盛岡では、『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんと息子さんとクウ―ちゃんに会って。
いっしょに展覧会場候補や新聞社などを訪問。
なんと、盛岡では、国の指定文化財である岩手県公会堂での展覧会も決まりました!
すてきな建物です!

先生とれんげちゃんの旅は、今も続いています。
旅の記録としてもれんげちゃんの弾けるパワーでとっても楽しいですが、プラス、
被災地の今の様子がありありとわかる、大切な復興の記録にもなっていると思います。

ぜひ、先生たちと旅をご一緒になさって見てください。

↓ これは、煉瓦ちゃんのブログ。クウ―ママさんたちとの邂逅のシーンです。
『tetenGO』

↓でも、東北の旅はこのページから始まっています。
福島、仙台などの旅もご覧ください。この前のページには富山県射水市での
展覧会風景もあります。
http://milkveth.blog103.fc2.com/page-7.html

先生のブログ『遥かなる明日へ~画家松井大門の七転八起き』

クウ―ママさんのブログ『布ぅ楽雑記』




『五月のある日』

ちょっと留守にしていました。
実はこのほど、娘の結婚式がありました。
ほんとに内輪だけで祝うささやかな式でしたが、それなりに母の私もこのところずっと忙しく。
いただいたコメントへの返事や皆さまのところの訪問など、失礼をしてしまって
申しわけありませんでした。
記事も途中のまま。
でもまた、書いていきたいと思います。

『ありがとう』

もうあと数人で、ブログ訪問者3万人になります。
たくさんの皆さまに支えられてここまで来ました…
いつも硬い長たらしい文章を読んでくださり本当にありがとうございます。

この5月は、私にとり、いろいろな意味で良くも悪くも大きな転換点になりそうです。
これからもずっと書いていきたいと思うけれど……

恒例の?(笑)彼岸花の若い頃の写真…
また限定で今夜、しばらくの間、公開いたします。
彼岸花、21、2歳頃の写真です。この頃はボブスタイルにしていました…
元の写真は、すっかり退色してしまったカラ―写真です。
もうこのときから40数年……

個人的には幸せな人生であったように思いますが、日本がこのように
放射能で汚染されるなどとは思っていませんでした…







『流星群の夜』

選挙の行方、この国の行く末を案じる日々ではあるけれど、
流星群の夜には、やはり表に出てみずにはいられない…

今宵は、ふたご座流星群が最も多くみられるという夜。
実は、昨夜、いっこ、観ておいた!^^

夜十時半。
風邪をぶり返したくないので、重装備で外に出た。
ふだん私は家でもタイトスカートなのだが、今日はその上に、先日買ったばかりの
ダブルフリース生地のロング巻きスカートを重ねてはいた。
上はタートルネックのセーターにカーディガン。その上にフードつきのパーカーを着て
さらにその上にダウンパーカーを!
手袋も忘れない。
あまり近所の人には会いたくない格好である(笑)

今日はさすがに河原には出ない。
我が家の前は、近所数軒の車回しの共有地になっているのだが、そこから
オリオン座はいつもよく見あげられるのである。
ふたご座流星群の放射点は、大体オリオン座を見上げていれば……


ああ!…

…今宵の流星群は、いつ来るとも知れぬ、つれなく気まぐれな神のようではなく。

なんと、外に出て15分ほどの間に、いつも3つ流れ星を見たいと願うその3つが
見られたのである。
まるで、
『風邪をひいているのだね。早く3つ見せてあげるから、早く暖かいおうちにお戻り』
とでも言ってくれているように…

ああ!

流星ってなんていいのだろう!
まるで、まるで、…神に懐胎させられたようだ!

いつも同じセリフだけれど、そうとしか言いようがないのだ。

この身になにか宿したような、深い生の喜び…
宇宙と我とつながっている、というような、不思議な安堵…
いずれこの身にも来る死さえも束の間怖くないと思うほどの、永遠への回帰…




温かいお風呂に入って、あんかで布団が温まるのを待っている間に
これを書いている。傍らには、紅いわいん…

こうしている間にも、外では壮大な天空のショーが行われているのだろう…。
夢でまた流星に会おう。
2012年12月14日。今宵、ここに彼岸花というおんな、確かに存在せり…。
星と情を通じけり…。














『流星群の夜』



11月17日、深夜。
今夜は、しし座流星群の極大日だった…
夜半過ぎから、何度か外に出て見上げていたけれど、タイミングが悪いか、
今日はたった一つ、小さなのを見ることが出来ただけだった。

しし座流星群は東~南東の空に出る。
我が家の玄関の前は、我が家を含めた数軒の家の共有地になっている。
車などはそこでバックしたりUターンしたりする。
しし座流星群を見るためには、そこに例のディレクターズチェア浅川君を
持ち出せばいいのだ。
今は夜空に星が出ているけれど、東京は昨日からさみしい時雨が降り続いていた。
地面はしとどに濡れ、頭上の木からは、まだ滴がぽたぽたと落ちている。
家々のあちこちでそうした木々からの雨だれの音がしている…。
深夜1時はさすがにもう皆、寝静まっている。

流星は訪れてくれない…
ああ!でも、夜間飛行の機が、明かりを点滅させながら無音で行く。
ああ。音はずっと後から追いかけて来た……

不思議なことに、こんな深夜、小鳥たちのさえずりがどこからか聞こえてくる。
私の知らない何処か近所の家で、文鳥でも飼っているだろか?
それとも、私の知らないどこかの家の庭に、雀のお宿でもあるだろか?

……

帰ろう…
今宵は流星にはもう会えぬ…





流星の気儘に泣く夜は オリオンの
変わらぬ光 嬉しと思へり







『地球号という船に乗って』

こんなものご存じ?

船や灯台が鳴らす霧笛(fog horn)というもの。
霧の濃い夜などに、船舶同士が、あるいは船が岸壁などにぶつからないよう、
音で信号を送りあいます。
霧の濃い夜、この霧笛の音を聞くと、いや、実際に聞いていずとも、
その情景を想像するだけで、何か胸がきゅん!とするような旅情といいますか、
せつない懐かしさがかき立てられます。
今は、船舶にGPSなど電子機器が完備されて、灯台の霧笛は無用のものになりました。
いや、灯台そのものが今は無人化して、昔の役をもう果たさなくていいようになってしまっている。

でも、船に取り付けられた霧笛はまだ活躍中。
そして、橋にもfog hornがとりつけられているところがあって、船に合図を
送ります。それらの音はなぜか哀愁を帯びていて、なかなかいいものです…

ところでこの霧笛。霧の夜などだけでなく、大型客船などが出港する時にも
鳴らします。
世界の港を旅してまわる豪華客船…
それらが互いに行き交う時にも、お互いの旅の安全を祈って、この霧笛を
鳴らし合うのです。

まずこの映像を見てくださいね…
以前、一度記事にしたことがあるけれど、また違った願いをこめてこの映像を
アップしてみたいと思います。






ああ!
なんと楽しげなのでしょう!
この屈託のない笑い。そして船と船がすれ違う時、顔さえ互いによく見えぬ相手に向かって
手を振りあい、指笛を鳴らし、笑い声を交わし合うこのなんともいえぬ共感のこころ…!
片方の船がホーンを鳴らせば、その乗客が歓声をあげ、相手の船の乗客が拍手と歓声を送る。
そして、相手方の船からホーンのエールが戻ってくる…
ここにはこの時この瞬間、人種の違いも、国の違いも、言語の違いもなにもありません。
あるのはただシンプルに触れ合うひととひとのこころです。
無論、知る人ぞ知る。船上というのは、かつて思う以上に、階級を自覚させられる世界でした。
何等の客になるか、によって、無論船室の場所から、その設備から、足を踏み込める場所から、
乗組員の扱いから事故時の避難順序までなにからすべて差をつけられるというそういう世界。
三等船室の客などになると、窓もない、船倉に近い部屋で、しかもデッキやレストランの
出入り先まで等級によって差がつけられて行けないところがあったという。
今は、クイーンエリザベス二世号など一部の船を除き、世界の豪華客船には、
そんな等級によるレストランなどの利用の差別などはなくなっています。
ホテルと同じで、無論値段によってキャビンの質に差はあるけれど、他は平等。

…それでも、こんな豪華客船に乗ってクルーズすることのできる人々は
恵まれた人々と言えましょうか。でも調べてみると、カリブのクルーズ料金など、
案外お手ごろ。わたしもいつか。こんな旅がしたいなあ…。

閑話休題。
とにかく、この船の人々の楽しげなこと!
今、船と船がすれ違うこの瞬間、人々はほんとうに、国籍も人種も言語の相違も関係なく
同じ船上の、同じ地球の海の旅人同士として、こころを温めあっています。

この一つの船の上で、人々は戦争をするだろうか。小さないさかいはあっても。
この一つの船の上で、人々は核兵器を使うだろうか。
そんなことをしたら、船は沈んでしまいます。
このお互いを讃え合う船と船が、ミサイルの撃ち合いをするだろうか。

…よく、地球のことを『宇宙船地球号』などという言い方をする。
宇宙から地球を見た映像を見ると、本当になんと地球は美しい奇跡の星だろうか!
といつもいつも私は思います。
美しい水の星、地球…
ここに、あなたも私も、みんな、今、束の間の生を生きています。
それは二度と巡りこぬものです。

なんで、ここで戦争をするだろうか!
なんで、この奇跡の美しい星を、穢して平気だろうか!……

人間と人間が、生物としての素の一人一人に立ち返ってみたら、
赤児のような初々しい目でこの世のすべてを見てみたら、
なんで人間は愚かな戦争や地球環境破壊などしたくなるでしょうか!

港に船が着く…
船と船が行き交う…
人々と人々が束の間、見知らぬ相手にエールを送り合う…
なんて楽しく美しく、そして束の間の人生の喜びに満ちていることでしょう。


私は、この映像を君に贈ろう。
こころを自由に。大きく育てて行きなさい。
国や人種や言葉や…そんなものを超えて、大きな海に船出しなさい。
そして、人々がこうして懐かしく寄り集まるこころの港のようなひとになりなさい。

von voyage!














『月・月・月』


ブルームーン。
一カ月の間に、2度満月があるとき、その2回目の満月をブルー・ムーンと言う。
今夜はそのブルー・ムーン。
その2回の満月を見たものは願いが叶うという…

あなたもご覧になっていらっしゃっただろうか…



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東京はもう、20日?ほども雨らしい雨が降っていない。
近くの川は、川床が干上がってしまっている。
流星群の夜…かすかにぽちゃんと水音させてはねていた鯉は、
どうしているだろうか…
今宵も、空はくっきりと晴れていたのだけれど、なにもない空に月一つは
絵にならない。雲が通りかかるのを待って、ブルームーンを撮ってみた。


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8月もいつのまにか過ぎてしまった……。
本当にどこにも行かない、空も見上げない、なんだか心を閉ざした夏だった…。

今年の夏のあたしは、夜に咲く花…


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我が家の門扉。
二日前。十三夜の月と夜顔の花たち。
『十三夜』といえば、夕食後、樋口一葉の短い人生をドラマ化
していたのをテレビで見ていて、ぼろぼろ泣いた。
あたしは『大つごもり』が大すき。


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夜顔。
夕方5時頃から咲く子もいるけれど、大抵は夜になってから密かに咲き、
朝が来れば凋んでしまう。
朝顔に似ているけれど、朝顔より花びらが分厚く、真珠光沢がある。
花の径は12、3センチもあって、かすかな芳香がある。

英名 moonflower.
まさに、月の花というにふさわしい。

小さな門扉の前にささやかな鉢を置いてそこに植えてあるのだけれど、
毎夜、2~4輪の、白く気品のある花を咲かせてくれて、この夏、寂しい私に
朝は濃い青の朝顔、そして夕方から夜はこの夜顔たちが、つつましい楽しみを
与えてくれた。



この夏の、私の気分は白。
年に一度、昔の塾の生徒R子とM子に会うが、この夏は、白い無地のTシャツと
ジーンズのあっさりした姿で会って、珍しがられた!
だって、塾時代の私は、いつもかちっとしたスーツ姿だったもの。下はタイトスカートで。
ジャケットの袖はいつも腕まくりしていた!


夜の庭には、こんな花も咲いていた。


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カサブランカ?
今年は10本ほど植えておいたのが、順次咲いて、そのいくつかは、
こうしていつもパソコンする横のベンチチェストの上に飾っておいた。
この夏の暑さにも負けず、花は長くもって、その香りで私のこころを
どれほど慰めてくれたことだろう…
百合の花の香りは、私の最も好きな香りの一つだ。


この夏は、こんな花も咲いた。


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月下美人。ああ………!

これも、なんという気高い花であろうか。
馥郁たる香りは、薔薇とも百合とも牡丹とも違う。
これも、夜の花の香りである。
夜咲く花は、虫媒花。
花の蜜をすう蛾を呼び寄せるために、甘い香りを夜に放つのである。
こんなに豪華なのに、この花も、一夜しか咲かない…
『月下美人』とは、よくもその名を誰か考えてつけてくれたものだ!

主の心が内向きになっているのを象徴するごとくに、このように
夜の花たちは、艶めいて咲いてくれたけれど、昼の真夏の花は百合以外全滅。
ダリアも、ジンジャーも植えては見たけれど、花は咲かなかった!
あの、どこにでも咲くたくましいおしろい花でさえ、まだ花が咲かない。
日当たりが悪いということはかくも如実に。

それでもあたしは満足。
この夏の気分に、なんとこれらの白い花たちはぴったりと寄り添って
くれたことだろう!


これを書いていた深夜一時半。
窓の外で、にわかに雨音!
久しぶりのお湿りだ!
玄関に出て外を見てみると、大粒の雨。でも、月が明るく輝いている!
おや、星もきらめいている!
夜の驟雨である!
キツネの嫁入り…夜のお天気雨…

夜の虹が出ないかしら…
そう思って傘をさして、しばらく門の前に佇んでみたけれど、
明るい月が、傘の影をくっきりと地面に落とすばかりで、
月のまわりの雲がわずかに彩られている気がしたばかりで、
夜の虹などというものは、そうそうは見られはしないのだった。


こんな音楽、いつものようにお送りしましょうか。
さて。ナイトキャップにオンザロックでもちょっと作って、
月にもう一度ご挨拶してから、私も寝ようかな……

みなさま。おやすみなさい。














『流星群の夜 2012』

オリンピックが最終日を迎える夜。
日本では、ペルセウス座流星群がピークを迎える。

太平洋岸は天気が大きく崩れるという予報で、「ああ、今年のペルセウス座流星群は
見られないのかな」と思っていた…
ところが、12日の東京は快晴。この調子なら夜、流星群が見られそうだ!…

夜、9時半。
例年の如く、一人川原に出てみた。
去年は、川原の草原に、マットを敷いて、ごろりと横になった。
え?女ひとりで夜の河原にいるなんて危なくないかって?
…ええ。危ないんだろうけれど。
まあ。もう、60半ばの老女だし(見かけはそうではありませんぞ!笑)。
川原は我が家から、歩いて2分とかからない。
私がいつも流星群を見るサイクリングロード脇の草原のすぐ横には、
普段から自治会などで頼りにしているお宅が、まだあかあかと電気を灯している。

さて、言い訳はともかく、とにかく流星群を見たい! …その一心。

私、流星群観察用の椅子まで買った!!!
と言っても、家から河原まで運ぶのに軽量なことが第一。
近くのDIY店に行ってみたら、欲しかったデッキチェアはなかったけれど、
ディレクターズチェアがあった。

去年、川原に寝転がって見て、それが星空を広く観察するには一番いいのだけれど、
なにぶんにも、やはり、夜の犬の散歩やジョギングなどで通り過ぎる人を
ぎょっとさせてしまうのが困る。
川原に人が深夜横たわっていれば誰しも驚くだろう。へたをすると死体かと
思われるかもしれないし、よくて女の酔っ払いか行き倒れ。
現に去年は、ドーベルマン2匹を連れて散歩中の男性に
「大丈夫ですか???!!!」と、声をかけられてしまった。

買ってきたディレクターズチェアは、キャンピングなどアウトドアで使う仕様だろうか。
軽いパイプ構造の布張り。これなら私ひとりで楽々河原まで運べる。
背もたれはリクライニングタイプではないので、寝るほどは広角で空が見られないかな
と思ったけれど、背もたれが長く、頭支えまでついているので、なかなか座りごこちがよく、
思いのほか、広く空を見ることが出来る。

川原に据えるとこんな感じ。


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こんな暗いところに一人で?
…実際は、街灯がかなり明るく、星空観察には邪魔なほど。
さて。蚊よけのスプレーもしたし、飲み物は椅子にポケットまで親切についているので、
そこに入れて、容易は万端……



時折、すぐ横のサイクリングロードを、ジョギングのひとが通る。
上の細い道路を車も結構繁く通る。
それ以外は、本当に静か。
それでも、生きものの気配がそこここでする。
下の川の流れの方からは、蛙の鳴き声がずうっと途切れなく聞こえてくる。
この川には、綺麗な声でなくスズガエルもいるはずなのだが、今宵は
ヒキ蛙?の声。
後ろの八重桜の木立の中では、時折アブラゼミがジジッ!とねぼけた声をたてる。

雨が少ない川は、水音がしないが、時たま、鯉か、蛙か、ちゃぽん!という
かすかな水のはねる音が聞こえてくる。
私の近くでは鳴いていないけれど、川の向こう岸からは、もうコオロギの鳴き声が
届いてくる。

…もう夜はすっかり秋の気配だなあ…

蚊よけのためだったのだけれど、長袖のシャツを着て来たのは正解だった。
夜の河原は、もう少し肌寒いくらいである……

上空は風が強いらしく、昼間見れば可愛い真っ白な綿雲であろうと思われる
いろいろな形の雲が、南から北の方角へ向けてどんどん流れていく…
あれはなんという星だろう…頭の真上近くに明るく輝く星が二つ。
その星たちは目に見えるほどの速さでは無論動いていないのだけれど、
雲が流れていくので、じっとしているはずの星たちが、まるで、北から南へ
ぐいぐいと流れていくように見える…


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!!と!
一筋、鮮やかな流星が、北から西の空にかけて、つう~~~っと流れた!
ああ!!!

その5分ほどあとに、また一つ!

…それから、しばらく…待っていたけれど、星は流れない…

でも不思議。ちっとも退屈なんてしない。
椅子は極めて座りごこちよく、体のきついところもないし。
ただ、夜空を見上げて、ひたすら、次に星が流れてくれるのを待っている…

去年、地べたに横になっていた時は、夜の大空に吸い込まれてしまいそうで、
否応なしに自分の卑小さを感じ、怖くてぞうっとするほど寂しいのだけれど、
なぜか、あの空はいずれ自分が還って行くところ…という、なにか
大きなものへの帰属感があった。
だが、今年は、ディレクターズチェアに足組みをして座っているので、
なんだか夜空を自分が演出している気分?・・・・というのは大袈裟だが、
去年のような、『生存の深奥の悲しみ』というような気分は薄れ、
やわらかい布張りの椅子のフレキシブルさは、なにか、幼い頃、父親の胡坐の中に
すっぽり嵌まって、囲炉裏ばたにでもいたときのような安心感。
でも、いつでもそこからすっと立ち上がって行けるという自立感もある。

……人間、自分の意志で、自分の骨格で、体を起こして座っている、というのと、
去年のように、大地にただ無防備に体を横たえている、ということの間には、
これほどの精神的自立感の違いがあるんだなあ、ということなどに驚く。
我が身を横たえる、ということは、自分のやわらかい腹も、心臓がある胸も、
ものを見聞きし声を出す、そして息をする鼻腔や口も、すべて無防備に曝す、ということである。
『あなたに命をゆだねます!』、ということである。
動物が、争いの相手に敵わない!と思った時、腹をさらすように……

『あなたに命をゆだねます!』という時の『あなた』とは、夜の河原で流星を見るために
寝転がっている時は、まあ…大自然、宇宙、という、いわば神のようなもののことである。
その大きさ、その悠久さの前に自分の卑小さを感じて、わが身を任せる…
流星を見ることに、一種の、神による凌辱、そして懐胎を感じると、去年そんな歌を書いたけれど、
そう。おんながおとこに身をゆだねるときと、夜の河原で寝転がって、流星を浴びる感覚とは
似ているのだ。

少女の頃。たまに風邪などひいて学校を休んでいることがある。
兄がものを取りに、私が昼間から寝ている部屋に入ってくることがあった。
兄妹なんだけれど、その感覚はなにかひどく恥かしかったなあ…
「おう!おまえ、どうしたんか!」
…そうやって声をかけられれば、いつもの兄と妹なんだけれど。

夜、まっとうに寝る時間が来て、布団にもぐりこんで心も体もふくふくとして天井を
見上げている時はなにも感じないのに、まっとうな睡眠以外のことで、
身を横たえる時に感じるあの一種の罪悪感、羞恥のこころは、女だけが抱く感情だろうか?

………

まあ、そんなとりとめもないことどもをぼんやりと思いながら、夜空を見上げていると、
流星が一つ。…………また、一つ。

つつ~っと明るい光が夜空を流れていくのを見ると、そのたびに小さく声を上げてしまう。
顔は自然に微笑んでいる。

ああ!天の恵みだ!
虹や流星は。ちっぽけな人間に天が下しおかれる生の喜び。束の間のこの世の生の確認ですよ…。

カシオペヤが頭上できらめいている……
遠くを行く電車の音が、昼間と違って寂しげに聞こえるのはなぜなんだろう……


この夜見た流星は全部で9つ。
長くくっきりしたのが7つと、短いのが2つ。


一度、家に戻って木綿の長袖シャツの上にさらに薄手のシャツを羽織って来たりして、
都合、計二時間ほどもいて、深夜、家に引き上げるとき、東の低い空をふと見ると、
川原では家々にそれまで隠れて見えなかったのだが、二十四夜の細くなった月を挟むようにして、
あれは金星と水星?木星?、2つの大きな明るい星と月が一直線上に並んでいた……

今夜ももし晴れていたら、また川原にお気に入りになった椅子を持ち出そうか。
今夜明け方東京では2時40分過ぎに、月が金星を隠す金星食も見られるはずだ。

でも、流星を見てそのまま、明け方まで起きてオリンピック閉会式を見ていた私。
今夜はそんなに起きていられそうもないな。


今後、ご愛用になりそうなディレクターズチェアには、名前を付けた。
その名前ですか? 『浅川さん』(爆)私の愛する川の名前そのまんまです!

流星に願い事?その願い事は。それは秘密。



去年の『流星群の夜』

    ↓

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-615.html

『回転草 Tumbleweed 』

ちょっとエネルギー溜めるためのブログ休止していましたが、
いろいろ社会の動きで書いておかねばばらないことも溜まってきました。
ブログ再開です。彼岸花の闘争も元気に再開!!!

さて。再開第一号の記事ですが、まずは前から書きたいと思っていたもののことを
書いてみたいと思います。


回転草ってご存じでいらっしゃいますか。
英語では、tumbleweed と言います。
tumble…『転がる』。体操の床運動競技でタンブリングというのがありますが
まさに、『転がる雑草』。

わたしがこれを記事にしたい、と思ったのは、実は、fukashi さんの『最後の水たまり』ブログ
の、こんな記述をふと見かけたからです。
(fukashi さん。前にお願していた通り、御記事引用させていただきます。)

『風が一日建物を激しく揺らしていた。
近くに桜の樹などないのに、壁には花びらが貼りついて。
西部劇で見るような蔦や干し草のからまった球状のものが道路を横切ったのを初めて見た。
追いかけていた人がいたから、きっと大事なものなのだろう


『あっ!tumbleweed かな!』
瞬間そう思いました。

tumbleweed 。回転草。
ヒユ科オカヒジキ属の植物群。ロシアアザミとも。
もともとは、アフリカとユーラシアに分布し、乾燥地や塩性地に生えることが多い。
風に乗って地面をコロコロ転がる姿が西部劇で御馴染である。
株はボール状に成長し、秋に果実が成熟すると風によって茎が折れ、
原野の上を転がる。この運動により種子をまき散らす。
アメリカ合衆国ではS. tragusが1877年にサウスダコタ州のボンオム郡で
発見され、外国産の雑草として米国農務省に報告された。(Wikipedeaによる)

この草。アメリカの西部劇など見ると、時々出てくるので面白いなあ、と思ってはいました。
でも、私が、tumbleweedという言葉そのものを知ったのは、3年近く前、
前のブログで原発問題を書いていた時でした。
アメリカの核施設ハンフォードの敷地内での火事のこと。


 2000年6月27日。アメリカワシントン州にあるハンフォード核施設で大火災が発生した。
そもそもの火災は、核施設境界付近でのトラックと車の衝突事故を発端として起こった。
日本の新聞各紙では、ほとんど紹介されなかったけれど、アメリカのニュースは
トップ記事で大きく報道した。
ハンフォード核施設の約半分のヨモギに火が燃え移って大火災となってしまった。
ハンフォードは、第二次世界大戦中のマンハッタン計画の下、核兵器用プルトニウムを
40年間にわたって生産していた。560マイル(約900キロ)四方くらいの広大な核施設である。
ここは、米国内最大規模の放射性廃棄物貯蔵施設で、もっとも汚染された土地でもあるという。
核廃棄物は、わずか6フィート(約1.8メートル)の地下に、177の貯蔵タンクに
つめられている。火災は90分で20マイルもの速さで燃え広がり、この貯蔵タンクの
2マイルにまで近づいた。(一説には0.5マイルとも)
核廃棄物タンク爆発の危険もあったという。
この大火災は、4日近く燃え続けて191000エーカーを焼き尽くし、
30日(土)になってやっとおさまった。
当局はこの火災による放射性物質の外部への放出はないと言っていたらしいが、
核施設の土壌や草木に含まれている放射性物質が、火災によってまき散らされた
可能性も大きい、と見る専門家もいると言う。

ハンフォードという核施設、これは一つの独立した記事にいつか書きますが、
長崎に落とされた原子爆弾を初めとして、核の暗い歴史を象徴するような
恐ろしいほど汚染された場所です。付近は風下に広大な穀倉地帯。
ここでとれたトウモロコシやジャガイモ、その加工食品は、日本にも入って来て
わたしたちは日常知らずに食べているのかもしれません。

さて。ここで『ヨモギ』と書かれているのは、米語でsage brush,
日本で『ニガヨモギ』と呼ばれているもの。
そして、このニガヨモギとともに、ハンフォードに多く生えているのが、
一見カラス麦に似たcheatgrass という草と、そしてこのtumbleweedです。
tumbleweed は大きな株となり、枯れると風に転がって種をまき散らしながら移動する。
だから、繁殖力も大きいのでしょう。
自動車事故の火は,このニガヨモギやtumbleweedに燃え移り、あっという間に燃え広がって
いったのでしょう…
『ハンフォード核施設火災』
tumbleweedについて書かれた部分は
Executive Summary,ES-2


また、このtumbleweed 自身が、核施設の汚染された土壌の地下水に届くまで深く根を張り
旺盛に生育していくことによって、土壌や水の放射性物質を体内に取り込み、
拡散しているという話もあります。それらは燃え広がれば、空気中にも汚染物質を拡散する…
tumbleweeds との戦いに、アメリカは膨大なお金を費やしているようです。

だが。しかし。
tumbleweed 自身には、無論罪が無い。
アメリカにとっては迷惑な外来植物です。でも、アジア・オーストラリアから
これが持ちこまれたのも人間の経済活動によってです。まして、ものすごい汚染の
ハンフォードの放射性物質をその身に取り込んで、秋が来たら茎が折れて
ころころ転がって汚染を広めるから、などということも、まったく
人間のおぞましい核開発のせいであって、tumbleweedの罪なんかではない。

むしろこれは夢と笑いを誘う植物です。
fukashiさんがご覧になった、その丸い転がる植物のようなもの…
日本での話ですので、tumbleweed ではないでしょうが、それを追いかけている人の姿は
笑いを誘います。

それでわたし、こんな映像をご紹介しました。



これが回転草です。…すごいでしょう!?

このtumbleweed の量のもの凄さ!
この映像を見てくださったfukashi さんは、
この子供の笑い声に、奇跡のような多幸感を感じさせられる、と書いてくださいました。

わたし、それを読んではっ!としました。
実はわたしは面白がると同時に、この子供の笑い声に少しエキセントリックさを感じていたのですが、
その自分のこころを、さびしいと思いました!……
tumbleweed 見てすぐ、ハンフォードの核施設を想うこころも…。

そういう自分のこころの毒の部分を取り去って、あらためてこの映像を
見たとき、わたしのこころの底から湧きあがってきた、純粋な喜び!

…それが、今回、この記事でお伝えしたいことなのです。

なんと楽しい映像でしょうか!
こんな光景が世界のどこかで、繰り広げられているのです!
信じられない光景…。

そう思って、もう一度この映像見ていたら、なんだか涙が出てきそうになりました。

…世界は驚きに満ちている!!!

そう思って。

実際、この風景の中に自分がいることを想像してみます。
おそらく、言葉にできないほど感動するのではないかと思います。
この、広漠とした大地!この風!そこを数限りなく転がってくる回転草!
これが彼らの、子孫を残すための生きものの知恵なのです!

この世にあるということ……
この地球が、この宇宙にあるということ……

その、奇跡のような地球に、今、わたしたちは生きています。
tumbleweed のように、わたしたち人間の意志などあずかり知らぬところで
必死に生きている植物たちや虫たち魚たちなども数限りなく存在します。

日常の喜びや悲しみとはちょっと違った次元の、世界への驚きとときめき…
大袈裟なことでなくてもいいのです。
通りすがりの誰かの言った一言にもそれを感じることはある…
ひとの営みのささやかなエピソードにそれを感じることはある。
動植物の生のいじらしさ、不思議さ…
そして。それから。
素晴らしい芸術に触れた時も、ガツ~ン!と横面を張られたような
強烈な衝撃を感じることがあります。そのあとに来るのが、この、
そう、『無償の喜び』の感情です。

そうなんだ。これらに共通していることは、お金では贖えない喜びであるということ。
先日、空に大きな大きな見事な二重の虹を見たときもそうでしたが、
なにか、何かおおきなものに『許されている』『包まれている』という感じも
する一瞬です。
私は宗教心など一切ない人間だけれど。

原発力ムラの構造などというものは、この対極にある気がします。
原子力そのものを発見した時の科学者たちの驚きと喜び…
それは、tumbleweed の生態の可笑しさに驚き喜ぶ私のこころとおそらく同じでしょう。
私は、そうした科学者たちの喜び、までも否定しているわけではありません。
神の火に近いエネルギーを発見した時の喜び、それを実用化したいという
科学者としての興奮はわからないわけではない。

ただ、それが大量殺戮兵器になってしまった!!!
原子力発電の技術は、巨大な利益と絡み、一部の人間の一部の組織の利権や名誉欲や、
と言ったものに強力に絡んできて、そしてそのために多くの経済構造の末端に
いる、どちらかと言えば貧しく力のない者が危険な仕事に従事し、さらには
健康や正当な賃金までも奪われる、また、何の罪もない子供たちの
未来までが奪われる…そんなものになってしまいました…
このことのどこかに、生きる歓び、というようなものはあるでしょうか?
核兵器、そして暴走の止めかたや廃棄物の処分のしかたさえわからぬまま、人間の欲のために
推進されている原発というもの…
ついに、この日本で、あってはならない事故が起こしてしまいました!
これから、何十年、何百年と管理していかなければならないもの…
今いる、そして未来の人々の、健康に明るく生きる権利を冒してしまいました!
本来非常に愉快な生態を持つ植物までもを、汚染植物にし、
米や野菜の収穫の喜び、食べる歓びも奪ってしまったのです。
…この、どこに、祝福はあるでしょう?歓びはあるでしょう?


そのことに私は激しく怒っているのです。


tumbleweed …たかが一つの雑草…

しかし、この世にはこうしたささやかな驚きに満ちたものがたくさんまだまだあります。
原発ムラに火のように激しく怒りながらも、こうした、私が感動したものの数々を、
ここで、これから、ご紹介して行こうかな、と思っています。

tumbleweed の映像をあと2つ、ご紹介しましょう。

http://youtu.be/j2r0JILoJLA

なんだかこれも胸がきゅ~~~ん!とします。
この若い人々の、tumbleweed と戯れ笑う姿と声!!!
こういう恋もしてみたかったかな…。ふと、そんなことも思います。

http://youtu.be/hXQL5_0RYuU

ああ。こちらも、胸がきゅ~っとします。
それぞれが有名な映画のワンシーンです。

こんな映画を見てわたしは育ってきました……


tumbleweed……




[お詫びと訂正]

私、ハンフォードの『ヨモギ』とあるのを、tumbleweed のことです、と書いて
いました。でも、tumbleweed の草姿と『ヨモギ』という名が合わないなあ、と、ふと不安になり、
日本語で読んだハンフォード火災記事の原典を確かめてみました(上掲)。
すると『ニガヨモギ』というのはsage brushという植物。tumbleweed とは別ということを
確認しました。
別のサイトでハンフォード施設のtumbleweed との戦いの記事を読んでいたものですから、
短絡して勘違いしていました。
お詫びして訂正させていただきます。




プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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