『民主主義を殺すのか』


安倍自民党が、国会審議での与野党の質問時間配分を、8:2、あるいは7:3に
しようと画策している。

トランプのアジア訪問や、加計学園獣医学部認可の動き、座間の事件報道などで、
世間の目が逸らされているけれども、『野党の質問時間を削る』というこのことは、
議会制民主主義を、日本人が自らの手で葬るのも同然である!!!

私は、強い危機感に居ても立ってもいられないくらいだ。

いったいどれくらいの人が、このことに関心と危機感を持っていてくれるであろうか・・・

だが。
断じて!
国会審議の与野党の質問時間の時間配分を、今の与党:野党で2:8から後退させては
ならない。
自民党の出してきた5:5などという妥協案も、野党は絶対に
飲んではならない!!!



国民もまた、『5:5なら、まあまあ公平だからいいんじゃない?』などと目眩ましされてはいけない!
5:5は、今の日本の国会における与野党の力の差を考えれば、けっして公平な配分などではないのだ。

何度もここで書いているけれども、日本は、『議院内閣制』を採用している。
議院内閣制では、原則として衆院選挙において最大議席を得た党から内閣総理大臣が
選ばれ、その下で内閣が組織され、『行政権』を担うことになる。
すなわち、日本においては、『三権分立』と謳いながら、実際は、行政府である内閣と
立法府である国会の最大政党は、その意思決定の方向や中身がほぼイコールの関係にある。
ほぼ『ツーカー』の関係にあると言っていい。

だから、内閣府が持ち出す議案について、国会の場で与党議員が質問に立ったからとて
そこで、その案件に対する問題点などが指摘されることなどはめったになく、与党議員による
質問は、ほぼ内閣の決めたことの追認や補足説明・・・はっきり言って、内閣の決定の
『よいしょ』に終始することが多いのは、一度でも国会審議を見たことのある人ならば
ご存じのことだろう・・・
それはもう・・・私など、いつもぷつぷつ鳥肌が立ってくるほどの『おべっか』や『追認』の
オンパレードである。

一方。野党側には長い質問時間が与えられてはいるけれども、これまた国会本会議・・・
とりわけ安保法制や共謀罪法などの問題における各委員会審議などを見たことのある人
ならばおわかりいただけると思うが、野党の質問に対する安倍首相や大臣達、また
参考人などの答弁は、議論の核心に誠実に答えるものとはとても言いがたく、ぬらりくらりと
同じ文言を繰り返して時間稼ぎするだけの答弁であることがいつも非常に多いと言わざるを
得ないのが実情である。

それでも。
今はまだ、野党の側に多くの質問時間が与えられているから、加計問題にしても
森友問題にしても、またこれからおそらく本格化するであろう改憲論議においても、
その重要さ、その問題点が、なんとかかろうじて国民の目の前にさらけ出される効果が
あるのである!

これが、安倍政権の求めるままに、野党が2か3、圧倒的多数を占める
与党が8か7、などという質問時間配分になってしまったら、
もう、国会などというものの存在する意味はなくなってしまう!


それは、そのまま、『三権分立の死』であり、『議会制
民主主義の死』であるということを、私たち国民は知るべきだ。




安倍自民党が、なぜ今、国会における野党の質問時間を削ろうとするのか。
『若手議員に質問のチャンスを与える』などというのはまやかしにすぎない。
それは一に、『加計・森友問題の追及逃れ』がその目的だ。
また、これから本格化するであろう改憲論議で、野党の反対意見を
時間的に封じるという大きな狙いもある!


以前、イギリスの国民投票の際に記事にしたことがあるけれども、我が国でもいずれ
日本国憲法を変えるための国民投票が、このろくでもない政権によって行われることに
なるであろう。
そのときに、それについて私たち国民がよく考えるための一つの大事な参考となる国会論議が、
圧倒的多数を占める与党議員による『よいしょ』質問にその7割や8割もの時間を費やされて
しまって、果たしていいのだろうか??????????????

何度も何度もこれも書いて来たけれども、時の一政権が暴走してしまうことを防ぐための
仕組みというものが、およそ先進国と言われるような国ならば、何重にも幾重にも施して
あるはずだ。もちろん我が国にも、何重もの防波堤となるべき仕組みがある。
そのもっとも大事なものが、他でもない、私たちの日本国憲法であり、またそこに謳われた
『三権分立』であり、議会の衆参両院の『二院制』であり、内閣府における『法の番人』とも
かつては言われていた(!)『内閣法制局』
であり、与党内の良識派議員であり、
また、国民に広く政治のありようを知識として伝えるジャーナリズムの役割であり、
『教育』の役割であり、そして、最後に私たち国民の目であるわけである。


悲しいことに、安倍政権によって、それらがことごとく突き崩されようとしてしまっているのだが、
どうも、国民の側にはその危機意識がないようだ・・・

当たり前にこれまで守られてきたそうして仕組みが、いま、安倍政権によって、ぐずぐずとなし崩しに
弱体化し無力化していること。
その中でも、国会における野党の質問時間を削るなどということは、あってはならない
暴挙だと私は思う。
明日からいよいよ、もりかけ国会が始まるが、野党は、この時間配分という問題において
絶対に妥協などしないで欲しい。
それは、『議会制民主主義の死』そのものになるからね。




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『衆院選後記 其の一 「立憲民主党」よ』

台風21号は、過ぎ去ったあとにもあちこちにその爪痕を残しているようだ・・・
我が家は、車を持たない交通弱者。つれあいはほぼ寝たきりである。
どこへいつどうやって避難するか・・・。大雨などの被害は、他人事ではない。
被災なさった方々に、心からお見舞い申し上げる・・・


             ***

さて。600億円以上という無駄金使った、虚しい衆院選が終わった・・・・・・。

結果としては、無念というしかない。
与党自公に改憲ラインの3分の2超え、という圧勝をさせてしまったからである。
これで、安倍総理は、もりかけ問題も自分の不人気も何もかも、国民の信任がこれで
得られたのだから『みそぎが済んだ』、と胸を張るだろう。そして
『これで、九条を初めとする自民党の改憲姿勢に国民の賛同が得られた』と、
まっしぐらに自分の個人的妄執『日本国憲法を変えた総理として歴史に名を残す』
という目標を果たすべく、『この道』をまっしぐらに突き進むことになるだろう・・・・・・!

立憲民主党の飛躍は嬉しいが、共産党が議席を減らしてしまったのでは元も子もない・・・
しかし、その敗戦にもかかわらず、立憲民主党の大勝利を祝福し、自らの党の勢力減に
については、『自分たちの力が足りなかった』と言う・・・。
一言も恨みがましいことなど言わず潔い志位さんらの態度には、本当に頭が下がる想いである・・・

無念さ腹立たしさを抱えつつも、今度の衆院選について、私の思うところを、書いていって
みようと思う。


1.なぜこれまで民主党を応援してきたか。

私は、根っからの民主党~民進党ファンではない。共産・社民の緩やかな連合、というものを
ずっと支援してきた。
その私が、(旧)民主党を応援するようになったのは、何度も書くけれど、あの3.11からだ。
菅元総理は、福島第一原発事故が起きるまでは、はっきり言って原発推進派であった。
2010年秋頃には、確か海外への原発売り込みや国内の原発増設を考えていたはずだ。

だが。不幸にも東日本大震災は起きてしまった・・・
福島第一原発は3基が次々にメルトダウン。4号機も爆発崩壊の危機に至った・・・
菅政権は、津波と原発事故の両方の対応に追われた・・・
本当にあり得ない・・・世界も想像したこともないような深刻な危機である・・・

菅総理というひとは、3.11を機に変わった!

2011年5月。彼は明確に原発ゼロを打ち出した!
そのときからだ。菅総理にあからさまなネガティブキャンペーンが仕掛けられ出したのは。
菅総理を『無能』『変人』扱い、『市民運動家上がり』などという言葉でおとしめる言論が
剥き出しにされるようになったのは。
無論、それ以前にも、『イラ菅』などと、3.11の総理の対応ぶりを批判する声は小さくは
なかった・・・。だが。それでも、未曾有の危機に必死で対応する菅総理をじっと見つめている
ほどの自制というか遠慮は、まだ言論界にあったように思う・・・

私は、3.11以降、どれほど多くの情報をかき集めていたかしれない。
朝日新聞はもちろん、東京新聞、そしてそれ以外のタブロイド紙、週刊誌、雑誌、書籍、ネット・・・
ありとあらゆるメディアの情報を読み、そしてそれらを元にじっと自分になりに考え続けてきた・・・・・・

その私が見るところ、菅総理に対するバッシングがさらにあからさまになっていったのは、
菅総理が福島第一原発事故3ヶ月後の5月、中部電力浜岡原子力発電所について、
東京電力福島第一原子力発電所事故を踏まえ、大地震に伴う重大事故発生を防ぐため
すべての原子炉の運転停止を中部電力に要請したときあたりからだ。
また、同じ5月。主要国首脳会議(G8)で『日本のエネルギー供給の20%を2020年代の
早い時点で再生可能エネルギーで賄う』とし、
『1000万戸の家庭に太陽光発電パネルを置く』との構想を示した時点、あたりからだったと記憶する。

彼のその構想は、当時、ある種の『たわごと』『変人発言』扱いされて、多くの人に冷笑されて
いたように私などは感じていた・・・・・・。
経済界は一斉に反発。とりわけ当時の経団連米倉会長などは、菅批判の先鋒であった・・・
自民党を含め原子力政策をそれまで強力に推し進めてきたいわゆる『原子力ムラ』からの
菅総理への圧力はいかほどばかりであったろう・・・
電力業界の組合団体である『電力総連』あたりからの圧力も相当なものであったに違いない・・・
それは政権与党である民主党内部からでさえそうであったと思う。
いわば、菅総理に対して『後ろから弓をひく』議員は、民主党内部にも多かったのである。

菅総理は、孤立を深めていった・・・・・・・・・
政権の内外から吹いた猛烈な『菅下ろし』の風!・・・・・・

だが、菅氏は、自然エネルギーの『固定価格買い取り制度』いわゆるFITに関する法律が
成立するまでは、その激しい外部内部からの『菅下ろし』の風に逆らい続けて、あざけられようが
どうしようが総理の座を断固として下りず、2011年8月、ついに『再生可能エネルギー特別
措置法案、いわゆる『再生可能エネルギー買い取り法案』が成立したのを見届けてから、
民主党代表の座を下りたのである!

そして代わりにあの野田佳彦氏が代表、総理の座についた!
野田佳彦氏は、菅総理の脱原発路線を積極的には継承せず、2012年、安倍総理の
『踏み絵』に応じて、愚かにも自党の議員たちの覚悟準備もなにも整わぬうちに解散総選挙。
衆院で、公示前の231議席から、一挙に174議席減の、わずか57議席という党壊滅に導き、
ついに、政権の座を安倍自民党に明け渡してしまったのである!!!

私が、大嫌いな安倍総理に対してさえ使わない『馬鹿』という言葉を、野田氏に対して冠するのは
この理由からだ。><


だが。
菅元総理への『菅下ろし』の風、そして大多数が望んだあの『菅総理退陣』から7年たった今。
日本の再生可能エネルギーの発電量に占める割合は、昨年2016年のデータで14.8%。
電力八社総力を挙げての送電網独占など『再生エネルギーつぶし』の強い逆風にもかかわらず、
菅総理の目指した『2020年までに20%』にはさすがにまだ届いていないものの、昨2016年時点で
14.8%を遂げているのである。
民間・経済界双方の努力で全国的に進んだ省エネ効果も大きく働いて、今、2011年の
福島第一原発事故当時の原発の総発電量に占める割合25%をカバーして、日本は、原発なしで
十分すぎるほどやっていっているではないか!!!
電力業界は、原発推進の自民党政権と協力し、風力発電ネガティブキャンペーン、
固定価格買い取り制度打ち切り、送電網独占など自然エネルギーつぶしをこの7年間
ずっと躍起になってやってきた・・・
だが、その激しい逆風にもかかわらず、2016年時点での住宅への太陽光発電装置
設置累計戸数は、200万戸以上に達している。企業、公共建物などメガソーラーの
導入件数はちょっと今、データがないが、これこそ相当な数であることは確かだろう・・・

太陽光発電、風力発電などにそれ自体が抱える問題は確かにある。だが、それでも
蓄電技術の向上など、社会・企業全体としての動きは、明らかに、脱原発・省エネの方向に
向かっていることは確かだろう。そうして、その動きから、さまざまな新たな技術革新や産業が
生まれでているではないか!

菅元総理の掲げた脱原発政策は先見の明があり、正しかったのである!

だが。
民主党内部からさえ、菅元総理に対する風当たりは、その後も強くあり続けた・・・・・・
自民党、経済界、学会など原子力ムラからの・・・、そして民主党内部からさえの
菅元総理叩き、菅バッシング、菅総理へのネガティブキャンペーンによるイメージ作りは
功を奏し今もしぶとく生き続けて、一般の国民にそこはかとなく抱かれている彼への印象は、
『愚か者』『変人奇人』の類いなのではあるまいか。
それは、沖縄の負担軽減をすべく、普天間基地の海外移設を言い出した鳩山由紀夫元総理
へのバッシングと、極めて似ている・・・私は、彼を極めてまっとうな政治家であったと今も高く
評価しているのだが。


3.11後、私は同様に、ずうっと、菅総理の一貫して揺るがぬ『脱原発』の姿勢を高く評価
してきた・・・
そうして、旧民主党内部にあって菅総理のそうした姿勢に後ろから弓引く・・・足を引っ張り
続け・・・軽んじ馬鹿にし続ける勢力を、原子力ムラを憎むと同様に憎んできたのである。

私は、このブログで、何度菅元総理を激励する記事を書き、そうして、自民党と同じような考えを
持つ旧民主党勢力を批判する記事を書き続けてきたかわからない。
『民主党よ!』などと言うタイトルで、私は、民主党内の親自民的勢力やその志向を叱り続けて
来たかしれない・・・・・・

それはもう。自分の元々の支持政党=共・社応援とは別の時点で、旧民主党の覚醒を
願い続けてきたのである・・・
『民主党(旧)よ!あなたたちの政党としての使命はどこにある?
自民党と同じ政治を打ち出してどうするのだ!!!???』

と。

つまり。『第二自民党』など作っても仕方がない。
そんなものなら、自民党を志向する国民は、自民党内部の改革を、
つまり総裁=総理の交代を求めればいいだけのことで、投票先は
変わらず自民党にすればいいだけのことである。


民主党(旧)が生き残る道は、『自民党と違う政策を打ち出すこと』である!
自公との対立軸を明確に保って行くことである。
何度私は、そのことをここで訴えてきたかわからない。

しかし。旧民主党~民進党は、その内部に左派に近い勢力から自民に極めて近い勢力
までが混在しているために、常にごたごたを繰り返してきた・・・・・・。
9月28日の前原代表による独断専横の小池『希望の党』への合流と民進党解体劇は、
どれほど私にとって、悲しく腹立たしかったかわからない!・・・・・・



・・・・・・
しかし。結果的に、旧民主党~民進党内部のそうした政治姿勢の根本的違いから来る
ごたごたは、今回の合流騒ぎ、そして枝野氏による立憲民主党立ち上げと、衆院選での
大勝利、そして一方、民進党内の自民に近い思想の政治家達が、ほとんど皆『希望』や
無所属になって出て行ったことで、すっきり整理された結果となった・・・。


可笑しいのは、このたび『希望の党』に喜んで合流していった民進党の政治家達は、
その主なメンバーのほとんどが、私が、旧民主党~民進党内の、失礼ながら『腐った林檎』だと
思っていた面子だったことである・・・


その一方で、ある種の深い悲しみと感慨でもって歓迎するのは、
このたび立憲民主党を立ち上げ、それにいち早く参加を表明した議員たちの多くが、
3.11の時の菅政権の中枢にいて、あの東日本大震災の大地震~大津波の悲劇と
福島第一原発が次々にメルトダウン、爆発崩壊していくその未曾有の悲劇としか
言いようのないあの日々を、間近どころか当事者として対応に苦慮せねばならなかった
そのメンバーにほぼ重なることである・・・・・・



上記、菅元総理は、その一番の当事者責任者であった・・・
枝野氏は、当時の政府のスポークスマンたる内閣官房長官、そして今回の立憲民主党
立ち上げで、いち早く参院の側から枝野支援に出て、同党幹事長に就任した福山哲郎氏は、
3.11当時の菅内閣の内閣官房副長官で、菅氏、枝野氏共々、津波被災地対応と、
次々にメルトダウンしていく原発の対応とがどれほど人智を超えるような悲惨かつ大変な
ことであるかを、目の当たりに体験し見てきた当事者の人々である・・・・・・

祈るような気持ちで食い入るようにニュースに見入っていたあの悲しい日々・・・私の心に
残った政治家達は、全責任者になった菅氏であり(その対応は十分ではなかったにせよ)
スポークスマンとして表に立たざるを得なかった枝野氏であり、その後ろにいて枝野氏を
支える福山氏であった・・・。
当時の菅政権の対応に不満や厳しい批判はそりゃあろう。
だが、もし、菅内閣以外の誰があのとき政権を担当していたとして、あれ以上の対応が
出来たと言えるだろうか?
仮に安倍晋三氏が政権を担当していたとして、あれ以上の対応が出来たと言えるだろうか?
安倍晋三氏は、2006年、共産党の吉井英勝議員が、『福島第一、第二のように、
海岸線にいくつもの原子炉建屋が集中したところで、大地震大津波が襲ったら、
全電源喪失の危険がある』、として、
『巨大地震の発生に伴う安全機能の喪失など原発の危険から国民の安全を守ること
に関する質問主意書』を提出し、原発の安全対策について注意を警告したとき、
『日本の原発は二重三重の防護装置が施してあるから事故など起こさない』という認識で
それに応えることなく、福島第一にその全電源喪失への対策を行わなかった当事者である!
吉井英勝氏は、京都大学工学部原子核工学科の出身である。原発のことに詳しかったのだ・・・

公平を期すれば、共産党吉井氏は、2010年4月9日にも衆議院経済産業委員会で、
老朽化原発に巨大地震が重なったときの事故の重大性について訴えているが、当時の
民主党鳩山内閣の経済産業大臣の直嶋正行氏も、 
『安全第一の上で原子力発電は推進をするというのが基本方針』と答弁している・・・。

鳩山由紀夫氏が、3.11後の2012年7月20日に官邸前で行われた原発再稼働
抗議デモに、与党の政治家でありながら民衆の間に加わって参加し、それ以降も脱原発の側に
立つようになったのも、沖縄の民衆の側に今立っているのも、3.11が鳩山由紀夫という政治家を
変えたからではないかと、私などは思っているのだが。

話を元に戻すが、原発導入から建設を長年推進してきたのは、圧倒的に自民党政権である。
もし、安倍晋三氏が3.11当時の政権担当であったとしたら、菅総理以上の対応を
したかどうか、私は大いに疑う。
おそらく、森友、加計学園問題におけるごとく、責任の所在を曖昧にし、情報は隠蔽。
福島の人々の被爆は『なかったあるいは極めて軽い』とその影響の重大さの軽量化を画策し、
原発事故の一切の記憶さえ、闇に葬って行こうとするのではなかろうか。
実際、現に今の安倍政権が福島第一原発事故に対して採っている態度・・・、
オリンピック誘致前のIOC委員会での演説『福島第一原発は完全にコントロールされている』発言や、
福島への住民の帰還を急ぎ、避難者への支援を早期に打ち切りたがり、山野、海の汚染も
住民の健康被害も過小評価の方向へ方向へと持って行きたがるのは、そういうことでは
ないだろうか???!!

私は何も、菅さんその人が好きだから、こういうことを書き続けているのではない。
安倍さんその人が嫌いだから、こういうふうに書いているのでもない。
原発過酷事故の危険性に何ら手を打たず、3.11後もひととして存在の根源を問うこともなく
変わらずにいて
今もなお原発推進政策を続けている安倍総理のような人々が、
当時その原発事故への対応に奔走していた菅政権の足を引っ張り今なお揶揄し続けているのは
おかしいだろう!?、と思うから、こうして批判するのだ。

私は今、NHKスペシャル『メルトダウン』取材班が総力を挙げて調べあげたドキュメンタリー
『福島第一原発1号機冷却「失敗の本質」』という本を読んでいる・・・
これについてはまた書きたいが、とにかくこの本を読んでいると、あの2011年3月11日の
大津波のニュースそして福島第一『全電源喪失』の一報・・・あのときのことを再びまざまざと
思い出さずにはいられない・・・・・・。
あのときの悲しみと憤怒と、ただひたすらの祈りと・・・文字通り心の中で『慟哭』する、としか
言いようのなかった日々を、再び生々しく思い出さざるを得ない・・・・・・。

この本には、3月11日、一号機の冷却不能になった時からの、現地の生々しい状況が、
時間と日を追って記してある・・・
あのとき、いったい、誰に、何が出来たか・・・。

だから、私には、自公が今回そうしたように、いまだに選挙時にその菅政権の対応をあざ笑い、
一方的に、その失敗や至らなさを責めるようなことはとても出来ないのである。
公明党の山口那津男代表はこの14日、自民党の衆院選候補者らの応援のため、仙台市や
福島市、盛岡市で街頭演説を行ったが、そこで山口氏は、
『(立憲民主党の)代表は枝野幸男氏、顧問は菅直人氏。2人は東日本大震災で
しっかり対応できなかった』などと批判した・・・
なんという卑怯!なんという姑息さ! じゃあ、あのときあなたはいったい何をしていたのか!

当時は野に下っていた安倍総裁も、菅氏が1号機の海水注入を止めた、そのことが1号機の
メルトダウンを引き起こした、などという事実と違うことをメルマガだったかにしゃべり散らして
津波被災地と先がどうなるかわからない4基の原発の対応に追われていた菅政権の足を
引っ張るような姑息なことをしていただけである・・・。

あのときの悲しみは、被害者にしかわからない・・・
あのときの大変さ、心が焦げ付くような焦りは、福島第一原発の
吉田所長以下、作業に当たっていた現場の人々にしかわかるまい・・・
あのときの混乱と焦慮は、津波と4基の原発事故が次々に起こるのに
対応しなければならなかった官邸中枢のものにしかわかるまい・・・・・・


私は、何度もここで書いた。
あの大津波、あの福島第一原発事故・・・!!!
それを経験して、人間が変わらないと言うことがあリ得るのか!?
と。

だが、安倍自民党は変わらない。公明党も変わらない(むしろ悪く変わった・・・)。
そして、旧民主党~民進党の、一部議員も変わらなかった・・・・・・。
その人達が、今度の解散・総選挙を画策し、民進党解体劇を引き起こした人々と
ほぼ100%重なる?であろうことは、深い皮肉としか言えない・・・
おそらく。後世の歴史は、そのことを、総括し、判断して行くであろう・・・

立憲民主党の代表枝野氏と幹事長福山哲郎氏は、日本の立憲主義の破壊とも言うべき
あの2年前の、安保法制の自民党による強行採決の秋、衆院と参院で、法案成立阻止の
ための『フィリバスター』を行った政治家でもあった!
私は、この二人の政治家がずっと好きだったのである・・・
その二人が、奇しくも、私のずっと望んでいたような形での立憲主義、民主主義再生の政党を
立ち上げて、二人並んでいる・・・。
何か、非常に感慨深い・・・。

彼らの前途にはこれからも幾たびも波乱や困難があるだろう・・・
だが、国民のある層が、立憲民主党誕生を望み、押し上げ、その誕生を喜び、明確に
それを指示していくことを選んだこと・・・それを忘れない限り大丈夫だ。
枝野氏のその言葉通り、『草の根』からの立ち上げの心を大切にして欲しい。


              ***

私が、民主党~民進党~立憲民主党を、これまでこのブログで叱咤激励してきた理由は、
上に書いてきたように、民主党政権の時代にあの3.11が起きてしまい、それにもかかわらず
自公などが、民主党の対応のまずさを不当にあげつらって選挙戦にまで利用するような、
そういう卑怯さに立腹したこと。いわば、自公への反感と民主党への『不憫さ』もあった
のかもしれない。
だが。
第一の理由は、この国にはやはり大きな『中道』をゆく政党があるべきではないか、と
思っているからである・・・
私は、共産党、社民党の長年の支持者である。
だから、自公政権への明確なアンチテーゼとしての彼らの存在は、この国にとって極めて大事だと
思っている。
思いつつ、彼らだけでは、自公に対峙する勢力としてこれ以上の広がりがなかなか望めそうもない
ことにじりじりとした焦りも感じている・・・。
なんとなれば・・・この国の国民の、『共産主義』『社会主義』的なものへの謂われなき恐怖感、
というものは、そのシンパである私などが思う以上に根深いものであることを、常に感じない
わけにはいかないからである・・・
今度の選挙戦を通じて、私がこの選挙のキーワードまたは鍵そのものであるのでは
と思ったものは、それは世間一般・・・すなわちメディアなどで盛んに取り上げられる『小池新党』
などではなく(!)、この国の民の思ったより以上の根深い『共産党恐怖』『共産党嫌い』なのでは
ないのか、ということである・・・。『日本共産党』を知りもしないまま、恐怖する人々の、その
心性の根深さは、私が想像していた以上に、多くのひとの心の内にある、ということ・・・。
私は、そのことを、このたびの選挙戦で、いやというほど再認識させられた・・・

このことについては、また、別の記事で書こうと思う。
私が、共産党と社民党だけでは勢力として足りないと思い、民主党~立憲民主党をも
ともども応援するのは、安倍政権のような民主主義、立憲主義、『内心の自由』の破壊者がこれからも
出てくるであろう・・・それらからこの国を守るためには、
分厚い中間層・・・単に思想信条の右左という分類分けではなく・・・『倫理』一般、公正さや
公平さを大切にし、国民主権や基本的人権、三権分立などの価値の大事さのわかる、幅広い中間層を
今、育てておくことは、是非とも必要なのではないか、と思うに至ったからである・・・・・・・・・




 

              ***


今度の衆院選挙戦は、今までのどの選挙にも増して、政治家達の『党利党略』というより
もっとひどい・・・政治理念も政治家としての矜持も何もかなぐり捨てた『自己保身』の動きが
あからさまに見えた選挙であったように思う。

なにかこう・・・個々の政治家達の、人間としての『本性』が見えてしまったような醜い選挙戦であった・・・。

が。その中で、注目すべき美しいものも、実はあった・・・。
一つは、なんと言っても、共産党の潔さである。
党利党略より、真にこの国の政治を憂えての『市民と連携した野党共闘』への強い意志と犠牲。
テレビ東京の開票報道番組で司会の池上彰氏が小池晃書記局長に対して、
『共産党は、自民が公明なしで選挙ができないのと同様に、立憲民主党に対して影響力を
持とうとしているのではないか?』と、意地の悪いとも言える質問をしたとき、
小池晃氏は、『僕らは損得や見返りを求めているわけではない。見返りは民主主義
と答えたそうだ。
なんと見事な切り返し。そんなことより何より、なんといい言葉ではないか?

今ひとつは、立憲民主党を立ち上げた枝野氏らの応援をする人々の、SNS上、また街頭での
選挙演説会場での、温かさである。立憲民主党の公式ツイッターアカウントで、立憲民主党を
フォローする人々がいろんなことを書くのだが、それに対し、いつの間にか『中の人』と
名前がフォロワー達によってつけられたスタッフの一人(または複数人)の返事が、なんとも
ふんわりと賢く温かく、この『中の人』応援のハッシュタグが出来て、それ自体がどんどん
フォロワーによって拡散され広まっていくというような・・・また、『立憲民主くん』という
キャラクターがこれまた立ち上がって、そのゆるキャラ着ぐるみが、候補者の選挙応援演説でも
ツイッターでも大活躍するというような、そうして、そのフォロワー同士の横の繋がりもどんどん
広がっていって、そこに共感の輪が広がっていき・・・
普通だったらぴりぴりしそうな選挙戦中にもかかわらず、なんとも不思議な温かい『場』が、
立憲民主党の周りに出来上がっていたことだ。

この、これまで政治などと全く無関係だった人々にも、自分も
政治に参加できる!という、ふうわりとした『場』が出来たと言うことは、
これからの政治のありよう、また市民運動のありようをいい方に
さらに変えていく一歩になるのではないか、と私などは思うのである。


もう一つ。私が、自分の選挙区そっちのけにして応援していた地域、または個人の候補が
幾組かあった。個人では鹿児島一区の立憲民主党候補川内博史氏であり、東京23区(町田市
多摩市)などの共産党候補、松村亮佑氏の市民運動と連携した動きなどであった。
県ぐるみの大きな運動としては、長野県の市民と連携した運動のありようであり、新潟のそれ
であリ、北海道のそれであった・・・
私がなぜ、この三つの道県の運動のありように着目し密かにツイッターなどで応援し続けたか、
その理由は、また別のところで書こう・・・。








『比例は共産党へ』






『比例は共産党へ!』









『「ファシズムの兆候」と私たちの国』


ふう~~~~~・・・・・・・・・

衆院選挙まで、今日を入れてあと2日。

こうやって、記事では今、立憲民主党について書いているところだけれども、実生活では
介護の合間を縫って、地元共産党候補の法定ビラのビラ配りをしている。
と言っても、まとまった時間はとれないから、自宅周辺地域へのポスティングだ。
小さな路地路地にも入っていって、一軒一軒のポストにビラを入れる・・・・・・

立憲民主党には勝って欲しいが、共産党の票を喰うのでは元も子もない。
社民を含め、この三党を揃って勝たせたい・・・
訴えたいのは、無党派層と言われる人々にだ。自公希望など支持の人々にも。

さて。前の記事で、ときの政権が暴走してしまうのを止めるための防波堤について書いた。
もう一度箇条書きしたものを掲載しておく。



【時の政権が暴走することを防ぐための仕組み】

①立法府(衆院・参院)の役割と矜持。
②政権与党の自浄能力。
③内閣法制局の役割。
④司法権の独立。
⑤ジャーナリズムの力。
⑥学校教育の、権力からの独立性。
⑦最後の砦=国民。



通算6年、二度にわたる安倍政権の元で、私たちの国は、上のようなことが①から⑥まで
ことごとくおろそかにされ、あるいは意図的に介入の手を入れられ、弱体化してしまって
行きつつあるのを、国民のどれほどが自覚してくれているだろうか・・・・・・

一つ一つについて、詳しく説明したいのだけれども、時間がない・・・


            ***



『ファシズムの初期兆候』という、こんな記述が米ワシントンDCにあるホロコースト記念館に
展示されているそうだ。
政治学者ローレンス・ブリット氏による『14のファシズム(独裁恐怖政治)の初期兆候』
(原題:【The 14 Characteristics of Fascism】)という論考。
それを、宮島謙二という方が、要約して紹介したもの。
ローレンス・ブリット氏はヒトラー、ムッソリーニ、フランコ、スハルト、ピノチェトのファシストたちを
研究して、彼らの築いたファシズム体制の初期兆候として14項目の共通点を見出した。


ファシズムの兆候 ②



ああ・・・・・・
残念だが、なんと安倍政権のやり口、そしてそれを取り巻く人々の言動は、ここに掲げられた
特徴と似ているのだろう! 安倍首相に限らない。およそ、いつの時代の、どこの国の話で
あっても、このような社会はたまらなく息苦しく、それこそ暗黒の世、と言えるであろう。
私たちの生きる日本が、こんな社会にならないよう!祈りを込めて、ここに掲げておく。

1.強情なナショナリズム

森友学園の籠池氏を、安倍総理は10月11日のテレビ朝日「報道ステーション」の党首討論で、
『籠池さんは詐欺を働く人間。昭恵も騙された』と切って捨てた。
籠池夫妻は、まだ公判前。その罪が確定したわけではない。それを『詐欺をはたらく人間』
と一国の総理が言う!明らかにこれは、『「何人も有罪と宣告されるまでは無罪と推定される』
という、近代法の基本である『推定無罪』の原則を、知らないか、敢えて無視した発言である。
一国の総理ともあろう人が、こんな乱暴な、法無視の発言を公然とするとは!

だが。その前に、安倍氏と夫人の昭恵氏は、ごく最近まで・・・森友学園問題が浮上して
騒がれ出す今年2月頃までは、幼い子供達に『教育勅語』を暗唱させるこの籠池氏の
森友学園の復古主義的国家主義的な教育を、『素晴らしい』と褒めたたえていたのである。
正確に言えば、今年2月17日には、『妻から(籠池)先生の教育に対する熱意は素晴らしい
と聞いている』と評価していたのである。
昭恵夫人は、森友学園が新設する予定であった『瑞穂の國記念小學院』の、名誉校長を
引き受けてさえいた!
安倍氏の思想の根本にあるものは、敗戦後の70年の日本の否定。戦争に負ける前の
『強い』大帝国日本の価値観を取り戻したいという想いなのではないか。

2.人権の軽視。
安倍政権が復活してから、この国に『ヘイト』発言やそれに類する言動が、明らかに
増えてきたように思うのは私だけだろうか。
実際、私が、街頭で署名集めやビラ配りをしているときに、何度、『バイコク!』とか
『キョーサントー』とか、『ハンニチ!』とか『ザイニチ!』などという言葉を、全くの見ず知らずの
人から投げつけられたことか。『Are you Korean?』などと言いながら、にやにや笑いと共に
去って行った男性もいた。
民主党政権時代のことを、安倍氏は盛んに持ち出して、その頃よりどれほど自分の政権に
なってから良くなったか、民主党政権時代を暗い時代などとさえ、表現する!
だが、私に言わせれば、民主党政権下で、少なくとも、署名集めに街角で立ってていて、
『ザイニチ!』とか『ハンニチ!』などと言う言葉を投げつけられるようなことは一度もなかった・・・
そのことだけでも、私は、民主党時代を評価する。
この感じが私だけの偏見と言う人もいようか。
だが、安倍政権は、国連の人権理事会から女性差別や従軍慰安婦問題で注意を受け、また、
福島第一原発事故後の福島の人々の放射線被ばくに対する補償や放射線被ばくの
健康リスクについての情報公開の欠如、そして福島第一原発の現場で働く緊急作業員の
人々に対する不当な扱いなどに関しても、報告書を上げているのである。
沖縄の人々の長年負っている苦しみ。これにも安倍政権は無頓着であるどころか、ますます
沖縄の人々に負担を強いてさえいる。辺野古移転や、高江ヘリパッド建設などがそれである。
オール沖縄の声を安倍首相は聞きもしない。

3.団結のための敵国づくり
安倍内閣の財務大臣であり副総理である麻生太郎氏の『ナチスの手口に学べ』発言では
ないが、どうも、安倍政権は、敵国を曖昧に示して国民の危機感を必要以上に煽り、
それを人気取りに利用しているようなところがあるように私には思えてならない。
北朝鮮の脅威を利用しての、今回の解散総選挙などは、その典型だ。
ドイツ、ナチスの国家元帥ヘルマン・ヴィルヘルム・ゲーリングはかつてこう言った。
『国民は常に指導者たちの意のままになるものだ。簡単なことだ。
自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。そして、平和主義者については、
彼らは愛国心がなく国家を危険に晒す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。
この方法はどの国でも同じように通用するものだ』

サミュエル・P・ハンチントンもその著書『文明の衝突』の中で、『外に敵を作れば、国はまとまる』
と書いている。 

4.軍事の優先
まあ、これは、説明せずともいいだろう・・・

5.性差別の横行
安倍政権は、『女性の輝く社会』と称して、女性の社会進出や雇用促進。男性優位の雇用環境の改善
男女役割分担意識の変革、シングルマザーや非正規雇用の女性を支援する、などと謳ってきたが、
一方で、その閣僚、議員団の多くは、選択的夫婦別姓制度反対をかかげる日本会議をバックアップ
する日本会議議員連盟のメンバーであり、女性、女系天皇に反対、女性宮家にも反対している
人々である。
また、自民党の憲法改正草案では、第4条に、
『家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければ
ならない。』という文を加えている。これは、『家族』の意義を強調し、解釈によっては、『女性は
家庭にいて妻として母としての務めをせよ、介護も自分たちでせよ』、との、時代に逆行するような
家族観で、女性達を縛り付けることになりかねない、愚かしい改定案と言わざるを得ない。
『従軍慰安婦問題』の根底にあるのは、韓国人女性への根深い蔑視感情である。

6.マスメディアのコントロール
このことの怖さは、『政治の教育への過干渉』と共に、国民が、肝に銘じて常に用心しなければ
ならないものである。
政治によるメディアコントロール、そして教育への過干渉は何を生み出すか。
国民への情報遮断である。国民の意識コントロールである。
国民の『知る権利』を奪って、ものを考えない・・・政治がコントロールしやすい・・・従順な国民を
作り出すのに大きな力を及ぼす。
安倍政権の特定メディアへの憎悪は、このたびの選挙期間中にも目にしたかたは多いのでは
ないだろうか。加計報道に関する朝日新聞への怒りの爆発など。

7.国家の治安に対する執着
安倍政権になってから、いったいいくつこれに属する法律が出来たことか。それも多くは
国会における十分な審議、すなわち国民に対する十分な説明もないまま、強行採決
されたりしたものが。
2013年。国家安全保障会議(日本版NSC)を創設。
同     特定秘密保護法成立。
2014年。他国を武力で守る集団的自衛権の行使容認。
2015年。日米防衛協力指針(ガイドライン)を再改定。
2016年。サイバーセキュリティー基本法 および情報処理の促進に関する法律の一部を改正
       する法律案」、すなわち「インターネット監視法」。
同     「刑事訴訟法等の一部を改正する法律」、つまり、「自由盗聴法」。
同     「中小企業の新たな事業活動の促進に関する法律の一部を改正する法律案」、
       つまり、「中小企業監視法」。
2013年 マイナンバー法成立、2016年より実施。
2017年。共謀罪法成立。



8.宗教と政治の癒着

これはもう!公明党と創価学会。
そうして。
安倍政権のほとんどがメンバーである『日本会議国会議員懇談会』『神道政治連盟国会議員懇談会』
『みんなで靖国神社に参拝する国会議員の会』など、安倍政権と国家神道は結びつきが
強い。

9.企業の保護
これも説明する必要はあるまい。大企業の内部留保はどんどん増えて406兆円ともいうが、
国民の可処分所得は思うようには増えていない。

10.労働者の抑圧
日本におけるブラック企業の増加。派遣労働拡大や時間外労働とワーキングプアの問題。
「1億総活躍社会」「同一労働同一賃金」「働き方改革」などの旗を振りながら、一方で
労働法の全面的な規制緩和に乗り出している。
そして選挙前にしきりに画策されていた、「残業代ゼロ」法案。企業がいつでも労働者を解雇
できる解雇規制撤廃、国内の低賃金労働をさらに促進する外国人労働力の増加策など
安倍政権が、労働者に優しいなどとはどう見たって言えない。

11.学問と芸術の軽視
これはもう。私にとっては、小泉政権の国立大学の法人化から始まる、一連の大学改革の
ことに尽きる。安倍政権が大学の文学・社会科学系学部の統廃合を露骨に進め、また
基礎数学など、すぐには学問の成果が出ない基礎学問を軽視する傾向があることなど
については、私も何度も記事で批判してきた。
学問というものは、総合的に学んでいかないと、いずれ限界にぶつかることの多いもの
である。理科系学部学科がすぐに社会に役立つからといって、文系、社会学部系の
学問をおろそかにし、それを統廃合していくなどと言うことは、世界に類を見ない愚かな
文化政策だと私は思う。
文学、哲学、倫理学、宗教学、歴史学・・・そういった学問は、人間が、広く世界を見つめるのに
大事な大事な学問である。
安倍政権の学術文化政策は、一言で言えば、『半知性主義』そのものだ。

12.犯罪の厳罰化への執着
これはもう、『共謀罪法』に尽きる!

13.身びいきの横行と腐敗
森友・加計学園問題!!!

14.不正な選挙
これについては、『不正』と言えるかどうかはわからないが、前の記事で書いた、このたびの
突然の解散・総選挙。これは、野党の足を隙をうかがってその足を掬うような、卑劣なやり口
である。これは、信託をした国民に対しても、不誠実であるのではないだろうか。
一票の格差は、いっこうに縮まらない。死票があまりにも多く出る小選挙区制の問題にも
真剣に取り組む様子はない。
ネット界でしきりに噂されている『ムサシ』なるものの不正については、私はよく知らないし
根拠も曖昧なので、その議論には与しないが。




***


私は、安倍政権に対して厳しすぎだろうか?




なお、上記、『ファシズムの兆候』については、あの『薔薇の名前』などを著した
作家ウンベルト・エーコも、その『永遠のファシズム』という本の中で、ファシズムの兆候を
次のように挙げているようだ。
(amazon のサイトでの書評から拝借した)

(1)「伝統崇拝」志向であり、「反知性」志向であること
(2)「反近代主義」あるいは「非合理主義」であること
(3)「行動のための行動」を崇拝すること
(4) 批判を許さないこと
(5)「余所者排斥」あるいは「排外主義」、「人種差別主義」であること
(6) 社会的・経済的危機における個人や社会の不満から発生すること
(7) 一般大衆に向かって「ナショナリズム」を訴えること
(8) かならず「敵」を作るが、敵の力を客観的に把握する能力に欠け、最後は敗北する
(9) 大衆一人一人を英雄にすべく、教育すること
(10) 潜在的意志を性の問題に向け、女性蔑視や性的マイノリティ排斥に向かうこと
(11) 少数の選ばれた集団の声が「民衆の声」にすり替えられること(質的ポピュリズム)
(12) 貧弱な語彙と「単純な表現」を好むこと

近いうちにじっくり読んでみたい・・・。


『立憲民主党誕生に寄せて ⑥』


以上のような理由で、『民主主義は死んだ!』 などと言う人もいるけれども、
この国内外の政治のありようを見ていればその気持ちはわからなくはないけれども、
私は、それは早計に過ぎると思っている。

『民主主義』でない、他のいい方法があるだろうか?あるならそれに変えることもいい。
『民主政』以上の政体、『民主主義』以上のシステム、考え方というものがあるのならば。

『民主主義(およびその制度、政体、)』の対語というのは、貴族制、寡頭制、独裁制、専制、
全体主義など・・・であるという。
その定義が正しいかどうかは、私にはわからないけれども、そのどれも、いやだなあ!
ただ・・・。
こうした概念の定義づけとか解釈というのは非常に難しい。
『民主制』というシステムとか、その概念としての『民主主義』というものは、上の記事でも書いた
ように、それが成り立つ前提というものがあり、その前提が崩れれば、容易に『独裁制』などに
近いものにもなり得る極めて微妙にしてヤワなものでもある・・・

つまり、民主主義を成り立たせ、うまく機能させていくためには、上で書いたように、社会の
構成員の政治参加の機会やその恩恵の享受の平等性というものがなければならない。
民主主義というものが、一部の人の富や権力の持続のための手段とか便宜になってしまっては
いけないのだ。

多数決によって、強者の論理だけがまかり通っていき、弱者、少数者の意見や想いが
通らない社会
になってしまえば、それはもう民主主義の社会とは言えない。

ましてや、『代表選挙』の仕組み自体に不備があったりして、その結果があまりにも
民意と乖離していたり、
一応正当な選挙を経て選ばれてきた代議員達ではあるのだが、
彼らが地位と権力を握った途端に、『自分たちの地位は、選挙民の信託によって一時的に
預かっているものにすぎない』ということを忘れてしまい、政治を私する
ようになってしまったら、

あるいは、もっと極端に、一部の政治家にあまりにも権力が集中してしまって、独裁化
またそれに近いもの
になってしまったら、確かにもう『民主主義』は死んでしまう・・・・・・



そこで。
民主主義がうまく機能していくために不可欠なものが、『立憲主義』
というものなのである。

『立憲主義』とは何か。
これもまた、その歴史や定義が難しいものなのではあるけれども、私がここでこの記事を
書くに際して理解している範囲の解釈でいえば、
『国家権力は、法による縛りがなされなければならない』ということである。そして。
『法の支配』というこの場合の『法』というのは、国家権力が変えうるような通常の『法』ではなく、
より上位の法すなわち日本などにおいては、最上位の法律である『憲法』
によって、国家権力には一定の制限が加えられていなければならない

ということ
である。

日本においては、それは『日本国憲法』である。
日本国憲法が謳うところの『国民主権』『三権分立』
『基本的人権』などというものが権力の暴走を阻む、
そういう仕組みが、民主主義には不可欠なのだ。

これが、立憲主義だ、というふうに私は解釈している・・・

『民主主義』が真の意味で機能していくためには、この日本国憲法が保障しているところの
『言論の自由』とか『少数派の尊重(法の下の平等)』とか、『政治の透明性』を担保するための
『国民の知る権利』とか、そのための『情報公開』などが是非とも必要なのである。




このように、最上位の法である『憲法』によって担保されている民主主義、その考え方を、
『立憲民主主義』と呼ぶのではなかろうか。


             *** 

さて。
あと2日経てば、衆議院議員選挙だ。
私たち国民は、上に書いてきたような、立憲民主主義の社会で、今度の選挙・・・
私たちの代わりにさまざまな決めごとを行う人、またその中からさらに選ばれて
私たちの代わりに政治を行う人、を選ぶことができるだろうか?

今のところは・・・極めて危うくなりつつはあるが、私たちは法の支配と縛りの下、
選挙に臨もうとはしていると思う・・・
しかし。安倍一強政権のもと、この立憲民主主義の精神や仕組みが、
極めて危うくなってきていると私は感じる。


このことについては、実はもう何度も記事にしてきているのだが。例えば。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1874.html
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1875.html

これらの記事は、昨年参院選の前に、改憲の発議に必要な議席3分の2越えを
阻止したくて私が一所懸命書いたものだ。だが。そこからさらに追い詰められてしまった!><

改憲のことはまた語ろう。
それよりも今は、私に近い考え方のひとだけでなく、自公や、維新・こころ・希望など安倍政権と
同じような考え方のかたにも、一時、その政治・思想信条や支持政党、などということを抜きにして、
虚心坦懐に聴いていただきたいのだが、
ときの一政権が暴走するのは、いいことだろうか?
それとも好ましくないことだろうか?


私は、自分の思想信条を抜きにして、そのような状況は避けたいと思って、上の私の過去記事で
次のようなことを書いた。もっと前にも同じことは書いているはずだ。



            ***


【時の政権が暴走することを防ぐための仕組み】

①立法府(衆院・参院)の役割と矜持。
  立法府が立法府としての機能を十分に果たしている。すなわち、与野党の勢力が拮抗していて、
  そこで十分な議論が戦わされ、また、各政党の議員が、『党議』に縛られず、評決できている。
②政権与党の自浄能力。
  与党内に、大局的に物を見る経験豊かな長老などがいて、また、若手が『党議』に縛られず
  研究会や議論を自由にする雰囲気があり、言わば『党内野党』ともいうべき、自浄勢力が
  あり、政権の暴走を防ぐ役割をする。
③内閣法制局の役割。
  内閣内の『法の番人』とも呼ばれる内閣法制局がしっかりしていて、内閣が憲法にそぐわない
  ような法案を提出するのをチェックできる。
④司法権の独立。
  司法権が、立法府や行政府、あるいは地方自治体の長などの権力から、文字通り
  独立していて、必要な時、公平な判断を下す働きをする。
⑤ジャーナリズムの力。
  ジャーナリズムがしっかりしている。間違っても権力と癒着などしていないし、権力に
  媚びたり妙な忖度などしていない。国民に必要な情報を提供するという矜持を失っていない。
  すなわち、『報道の自由』『国民の知る権利』がそれによって担保されている。
⑥学校教育の、権力からの独立性。
  学校、教育機関も、時の一政府の『指導監督』などというものによって萎縮したりしていない。
  学校は、次世代の子供達、若者達を育てるところである。そこで特定の権力のほしいままに
  教育が行われたらどうなるか。その恐ろしさを考えてみて欲しい。
⑦最後の砦=国民。
  国民が、自分の頭で考える。政治に無関心などではなく、
  憲法によって保障された自分たちの権利を守るためには声を上げ行動するという
  政治的『成熟』をしている。声の大きいもの力を持ったものにむやみに迎合しない。



そうだ。一番大事なことを書き漏らしていた。
民主主義ってなんだ?

人民が『主』ということだ。いかなる場合にも、
人民一人一人がまず社会の出発点であり、同時に最後の砦でもある、
ということだ。その『人民』が、その自覚を失い、自ら民主主義を
捨ててしまうような無気力や愚かな選択に至ってしまうとき、・・・
・・・民主主義は本当に死ぬ。


もう何度私は、憲法のこの条文をここに載せたかわからない。

日本国憲法第十二条
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、
国民の不断の努力によつて、これを保持しなければ
ならない。』


           ***

いかがだろうか。
私は、ときの一権力が、その権力は『国民からの一時の付託』にすぎないという
事実を忘れ、己の地位や権力を過信して政治を恣(ほしいまま)にし、暴走してしまうことを
防ぐためのこれらの縛りや仕組みが、
今、安倍政権下で、ことごとく弱体化し、無力化していて、
今、私たちに残されているものは、⑦の、『最後の砦=国民』
というところに近いところにまで来てしまっているのではないか

と思うのだ。


これは極めてまずい!
安倍政権だからどうだとか、私が安倍政権を嫌いだからどうだ、とかいうことではない!
これは、仮に誰が、どのような政権がこの国のトップの座にあろうと、極めてまずいことだ
と私は思うのである。

私たちは、もう一度、『立憲民主主義』の大切さについて、考えてみるべき時に直面している。
タイトルは『立憲民主党誕生に寄せて』だが、衆院選のこの時期、真剣に、この国の政治について
考えてみていただきたくて、このシリーズを書いている。




この記事、また上  に続きます。


『立憲民主党誕生に寄せて ⑤』

さて。ようやく本論だ。

『立憲民主主義とは何か』

その前に、民主主義とは何か。民主制とは、民主主義政体とは何か。
実はそれを語るのは非常にむつかしい。民主主義についての本を何冊も何冊も
読んでみたけれど、私などには到底一言で書き表せるようなものでない。
この言葉の歴史や、定義の変遷など書いていると、とんでもなく長く難しくなってしまうから、
一応ざっと、私がここでこの言葉を使う場合のとらえ方だけ、書いておこう。

『民主主義(政体)とは、社会なりなんなりのある共同体のその一人一人の構成員が、
その集団のいろいろな物事を決めていく際に、みな平等に参加して発言する権利を
保障されているシステム。またその考え方』

とでも言えばいいのかな。
要するに、社会の主役は、その構成員一人一人である。そしてその、社会の構成員が、
みんな平等に政治に参加できる仕組み、またそういう考え方。ということだ。

実は、これにもいろいろなありようがある。
一人一人の構成員が、みんな直接政治に参加していろいろなことを決めていくのなら、
『直接民主制』だ。
しかし、『立憲民主党誕生に寄せて ②』でも書いたけれど、現実の政治…日本の
ような国レベルの政治、となると、もちろん国民全員が一堂に会して国の様々なことを
決めていくなどということは当然、出来ない。
そこで、日本では、『間接民主制』…『議会制民主主義』という考え方を採っていて、
私たち国民は、『選挙』によって選ばれた私たちの『代表』を議会に送り込んで、
そこで、その人たちに私たちの代わりに、いろいろなことを議論し決定してもらう

という形態をとっているのである。

今、私たちは、その私たちの代表、すなわち『国会議員』、を選ぶための選挙戦
真っ最中である。
だが。今ここで、『私たちの代わりに』という文を私が強調して記したように、
国会議員は、私たちの代理として国のいろいろなことを決めるよう、私たち国民によって
その仕事とそれに伴う諸権利や身分を、一定期間、仮に『付託』されている
のであって、
決してそれは、永久のもの、また無制限の権利などではない
ということを、しっかりと
確認しておかねばならない。

しかし、この『民主主義』のその現実の社会でのありようは、その
もともとの理念や理想からは程遠いものになっていってしまいつつある…

そのことは、今、選挙戦のただなかにある日本国民の多くが、ひしひしと身をもって
お感じになっていらっしゃることではないだろうか?

まずは、今回の衆院選の発端となった、安倍首相による、突然の『解散』宣言だ。
この度の解散総選挙に大義がない。いや、それどころか、安倍首相が、自身の
『森友・加計学園問題への追及から逃れるために打った、身勝手な
解散劇』
ととらえている国民は多いのではないだろうか。
そしてその奥にはさらに、自分の代でとにかくどこでもいいから憲法を変えたい…
『あの「日本国憲法」を変えたのは自分だ!』という足跡を残したい、
という、安倍首相個人の情念、
私に言わせれば、「妄執」がある…。

行政府の長である内閣総理大臣。だが、それが、自分にとって自党にとって好都合の時に
恣意的に、気ままに『解散』を打っていいものかどうか。
首相の解散権、などということは、実は憲法のどこにも書かれていない。
天皇の国事行為としての『衆議院解散』を記した憲法第7条を拡大解釈しているだけだ
という指摘も法学者などの間にあるくらいだ。

今回の、いわば『安倍総理のための、安倍総理による』解散総選挙に、
どのくらいの費用がかかるものかというと、およそ600億円くらいだそうだ。


600億円……その金額は馬鹿に出来ない大きなものだ。
例えば、今、日々大変な過重労働しかも責任の重い介護や保育の仕事に
就いている人5万人分の月収を、20万円から30万円に、つまり月に10万円、
1年間上げることが出来るほどの金額である。月1万円のアップなら、50万人分だ!

そんな巨額の費用がかかる総選挙。
それが、『まっとうに』行われるのなら、まあいい。

だが。安倍首相は、この度の解散の大義を十分に説明できないばかりか、(『国難選挙』
などと、北朝鮮の脅威を煽ってはいるが)、そもそも、森友・加計問題はまだ十分に
納得のいく説明がなされていない、と考える国民が60%も70%もいる中で、その
説明のために野党から要求された臨時国会を3か月も開かず放置した末に、9月、
開いたとたんに一切の審議もなされないまま、いきなりの冒頭解散、という暴挙に
出た。
これは、私たち国民が、「一定期間だけ、安倍晋三という人に仮に付託した」
代議員の資格
を、その信義を、踏みにじる行為ではないのだろうか??!!

それは、都政を放り出して国政の権力ゲームに乗り出した小池都知事についても
同じだし、また、【『民進党』という一つの党】に投票したのでもあったその選挙民からの
付託を、軽々に裏切った前原民進党代表らの行動
についても同じである。


            ***

だが。日本の選挙の仕組みには、そういう政治家個々人の人間性の問題ということ
のほかにも、本当に多くの問題がある。

『民主主義は、もはや機能していない』という批判があるようだ。
日本は議会制民主主義を採っているが、その問題点などが噴出しているのである。
その要因の例を挙げれば。
①一票の格差の問題。
②小選挙区制の抱える問題。
  現実にこの選挙でも、小選挙区制であまりにも『死票』が出てしまい、国民の民意が
  必ずしも選挙結果に正しく反映されない、などという問題がある…
③世襲議員の問題。
  日本などでとりわけ顕著にみられる傾向だけれども、二世三世のいわゆる世襲議員が
  あまりにも多くなってしまっているために、それら、親や祖父らの地元の『地盤』や、
  名門の『看板』そして潤沢な政治資金という『鞄』…いわゆる『三つのバン』を最初から
  持っている世襲議員たちには、無名かつ無地盤の新人候補には太刀打ちが出来にくい。
  そもそも立候補するには、衆院だと小選挙区で300万円、比例区では600万円という
  「供託金」を用意しなければならないということから、圧倒的に、志はあっても無名の
  新人は当選できにくい、そもそも立候補さえしにくいというハンディがあるのも問題だ。
④党員候補と無所属候補との間の選挙戦におけるあまりにも大きなハンディの差。
⑤選挙民への情報の質と量の問題。
これは公職選挙法そのものの矛盾点、不可思議さなどと関係してくる。
 日本の選挙運動に関するもろもろのおかしさ。例えば、選挙期間中の被選挙者、および
 その応援運動をする者への不要かつ非合理な縛りが多すぎる
ことなどである。
 選挙期間も短いし、選挙民が各候補者について知りうるに十分とはとても言えない現状。

 とりわけ今回の、安倍首相による『解散権乱用』ともいうべき国会冒頭での解散、
 などという抜き打ち的ケースでは、与党以外の各政党の選挙への準備が十分に行われない
 可能性
がある。それができないということは、私たち有権者への情報も、不十分かつ
 不公平なものとならざるを得ないということとほぼイコール
であろう。



…。これらはいわば、民主主義(及びその政体、制度)の「入り口」に関するものである。
それでは、民主主義の中身そのもの、についてはどうだろう。

⑥『多数決原理』そのものの問題点。

  …。これが一番大きな問題であろう。
  集団の一員である私たちは、日常のあらゆる場面…例えば学校、町会、会社レベルから
  国会に至るまで、あらゆる場や機会に、この『多数決』の場面に遭遇する。
  そしてそれが、構成員の全員の心からの賛成を得られることはまれであって、多くは
  議論は時間切れということをもって途中でうち切られて『採決』となることが往々にして多い
のは
  皆さん当然ご承知でいらっしゃるだろう。

  そこでは、その案件への議決の『多数派』の意見が採用されることになる。
  そこで、一部の『少数派』の意見が、単に切り捨てられてしまうのではなく、それも
  構成員の意見の大事な一部として、のちの議論や実行に生かされていくのであればいいが、

  この社会では往々にして、少数派意見つまり多数決で負けた方の意見というものは
  軽視され、無視され、葬られてしまうことが起こってくる…



つまり、『民主主義』が正しく機能するためのそもそもの大事な条件…
『社会の構成員に等しく政治参加の機会があること』 『そしてその
民意は、公正に反映されること』という、前提そのものが崩れている

のである…




さて。ここからが大事なことである!

結果次第でこの国の形を変えてしまう怖れのある衆院選の投票日3日前の今、
とても大事なことなので、我慢して協調部分だけでもせめてお読みくださるとうれしいです。


この記事、下の記事 に続く。順次書いてアップしていきます。


            ***


『立憲民主党誕生に寄せて ④』


そのように、福島の原発事故からこの社会の不公正や不条理・・・政治の問題に
目覚めた私は、新宿、渋谷、日比谷・・・そして国会前の集会やデモに足を運ぶようになった・・・。
国会前に多くの市民たちが集まって、『原発止めろ!』と叫んだその中に私もいた。
その動きは、日本全国にあっという間に広がっていった・・・。

おそらく、それら多くの市民たちは、私と同じように、それまで政治活動のようなことは
したこともない人も多かったのではなかろうか。あるいは、1960年、70年代・・・
安倍氏の祖父、岸内閣の安保改定に反対して国会前に集まった若者や
アメリカのベトナム戦争に反対をしてデモ行進をしていた若者が・・・、今、60代70代に
なりもはやかつての政治運動のことなど忘れていたのが、福島第一原発事故を
きっかけに、再び世界の大きな不正に目覚めたのであったかも知れない・・・。
そして。この福島第一原発事故をきっかけに国の政治に関心を持つようになり、
後にSEALDsなどを立ち上げることになる一群の若者たちもいた・・・

福島第一原発事故!・・・こんなことが許されていいのか!
みんなのそういう想いはいっしょであったと思う。それが素朴な想いであったろう。
(それは・・・おそらく、・・・ネトウヨ、と呼ばれるような人々の心の内も同じだったのではないかと
私は思っている。)


やむにやまれぬ想いで市民たちが国会前に・・・また全国の町町で・・・立ち尽くしていたそのとき、
国会の中からも、市民たちの中に足を運んでくれたごく少数の政治家たちがいた・・・
それが、共産党の志位和夫氏であり小池晃氏であり、社民党の福島瑞穂氏であり、
そして山本太郎氏(2012年衆院選に出馬、2013年参院選で当選。国会議員となる。)
であり、民主党の鹿児島選挙区選出議員川内博史氏らであった・・・。
(いくつか前の記事で、あの愚かな野田政権による2012年の解散劇で、民主党内の
こころある議員が落選して去って行った・・と書いたとき、その念頭にあったのは
この川内氏のことだった)

私は、国会前にいるそのとき、これらの議員さんたちを、何があっても生涯応援し続けようと
思ったものだ・・・。太郎氏は、まだその頃政治家ではなかったが。

また、それら脱原発反原発の市民たちは、2015年の安倍政権による安保法制の
強行採決の際にも、国会前に、各地の街角に・・・必死の思いで集まった・・・
そのとき、国会から出てきて市民の間に入ってくれたのが、また志位氏、小池晃氏、福島氏、
山本氏らであり、民進党からは枝野氏、福山氏、辻元氏などであったのだ・・・。
安保法制が安倍政権によって強行採決されようとしている2015年秋。衆院で、参院で・・・
審議を時間切れに持ち込むための長い演説・・・フィリバスターをしたときの、枝野氏、福山氏、
そしてただ一人、道化になるのもかまわず議場で牛歩戦術を採った山本太郎氏の姿をも
私は一生忘れない。


つい先日9日。あの元SEALDsの奥田愛基青年らが、再び立って、新宿アルタ前で
「『BOTTOM UP DEMOCRACY』新宿アルタ前大街宣」というのを行った。
私は、ツイッターでその知らせを見て、当日までずっとリツイートなどを続けながら
心の中で応援し続けていた・・・今は、介護で新宿にも行けなくなってしまったから・・・。

『脚立が足りない』とメンバーの誰かがつぶやくと、それを見た人々が当日脚立を持ってきた・・・
メンバーの一人が、 『忙しいだろうことはわかってるけど、枝野さん来てくれないかな・・・』と
呟いてみたら、なんと枝野氏が福山氏と共に、アルタ前に駆けつけスピーチをした!・・・

そのときの奥田青年のスピーチをぜひご覧ください。







・・・こういう青年を、私たち大人は、このように悲しませていいのか!
『俺たちは捨てられた』・・・そんなことを、この若者に言わせるなんて・・・・・・

なんか今でも泣けてくるが、
彼はこう言った。
「今日、俺の肩書きは・・・『人間』って書いた」 


『人間』!そうだよ~~~~~!!!!!

数年前、こんな記事を書いた。http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1331.html
井上ひさしさんの書いた人形劇のドラマ『ひょっこりひょうたん島』。
岩手県出身だった井上さん。ドラマの中では、その岩手県大槌町にある蓬莱島がモデルに
なったという架空の島に流れ着いた子供たちが暮らしている。
『大人たちは偉くなるために、お金持ちになるために勉強しろ勉強しろ、いい子になれと
言うけれど、そんなの聞き飽きた。』と歌う子供たち。するとサンデー先生が歌うのだ。
『ひょっこりひょうたん島』より、『勉強なさい』。
これまた、何度聴いても、私が泣けてくる歌だ。先生は言う。

『いいえ賢くなるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために さあ勉強なさい』
『いいえよい大人になるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために


そう!人間は、『人間になるために』勉強するのだ(無論学校の勉強だけを意味しない)。



東日本大震災のあの津波と福島第一原発事故は、いわば、私が『人間になった』・・・、
そういう衝撃を私に与えた不幸な出来事である。私の原点とも言える出来事でもある・・・。
3.11後の、胸の内に渦巻く憤怒と悲しみ。それをぶつけるために国会前に行っていた・・・。
あのとき、日本の津々浦々で立っていた名も知らぬ多くの人々を、私は生涯忘れないだろう・・・。
あのとき、いっしょにいてくれた政治家たちを、同じく私は生涯忘れない・・・。

それが私が、今も、市民共闘を・・・共産党、社民党、そして民進党内リベラルの
政治家たちに、共闘して欲しいとひたすら願い続ける出発点なのだ。
そうして、原発政策をなおも続けようとする政治家に絶対に信をおかないことの
出発点でもある。


だって。あの大津波を見て・・・福島第一原発事故を経験して・・・、
人間の価値観が変わらない、などということがありうるものだろうか??!!

たかが『電気』のために、私たちは、福島の人々の生活をすべて・・・、そして
美しかった福島の大地を海を、何万年と経っても完全に元には戻らぬ放射性物質で
汚してしまったのだ・・・!
だがそれは決して、政治家たちや、原子力ムラの人々だけの責任ではない。
私たちが、自らの便利さ快適さと引き替えに、原子力発電というものを
選んできてしまったのだ。


ここに、政党がどこだのこうだのという区別はなかった。
少なくとも私の中では。

『ひとりの人間』としてどう思い、どうふるまうか、という問題であったと思うのだ。



              ***



だが。政治は、そのような『人間の心』を踏みにじり、捨て去ろうとしているかのように見える。
5年間の安倍政治はあまりにもひどすぎる!!!!!

9月25日。安倍政権は、全く大義なき、衆院解散を表明した!
『森友、加計問題への追及から逃げた』と言われても仕方のないような、国民にとっては
全く納得できないいきなりの解散である。
9月28日には『希望の党』小池氏と、信じられないことに、民進党の前原氏が組んで、
突然の民進党の『希望』への合流と、あの同じ民進党の仲間であったリベラル勢力の『排除』、
全くの『裏切り』と言われても仕方のない、突然の民進党解体劇!


私など、どれほど悲しくて、どれほど嘆いたかわからない・・・
これで、あのおぞましい安倍政権に正面から反対してくれる者が、
共産党と社民党しかなくなってしまった!!!!!

共産党はぶれない。だが、あまりにもその両党だけでは勢力として小さすぎる!

・・・もう、私などの想いを代弁してくれる『代議士』は、共産党と社民党だけになってしまった・・・・・・
これから安倍政権は、日本国憲法の蹂躙を、・・・日本の姿を根こそぎ変えてしまうような
数々の『破壊』を、本気で、本腰入れてやろうとしてくるのは必至だ。
その大事な、今!!安倍政権らに抵抗する政党が、共産党と社民党だけになってしまうとは!


3.11から6年半。
多くの人が熱い怒りを抱き続け、戦ってき続けたその結果が、この事態か!!!

そう思う、その悲しみと言ったらなかった・・・・・・・・・
そして。
『ナイーブ』(お人好し、という意味もある)すぎると笑われてもいいが、「あの、枝野氏が?
あの、福山氏が?あの、辻元氏が?・・・・・・」という愕然、もあった・・・・・・
前原氏や細野氏らなどどうでも良かった。彼らはそもそも市民の側にいなかったのだから。
ただ・・・あの国会前で市民の間に交じった・・・そして国会でフィリバスターをやって
『安保法制』に反対したあの熱い枝野氏や福山氏らが、こともあろうに小池氏(イコール自民党)の
軍門に降るのか???!!!

本当に、信じられない想いだった・・・そんなはずない、と思いたかった・・・
民進党の全員がこの前原氏の独断専行に納得している、・・・そんなこと信じられない・・・

70年生きてきた自分の目を信じたかった・・・


『枝野、立て!』
『民進党内の良心よ、立て!』

『立って、共産党、社民党と共に、この安倍政権の悪政と戦ってくれ!』

どんなに、それを願ったかわからない・・・・・・


そして、枝野氏は立った!



『枝野、立て!』と叫んだのは、ぎりぎりに追い詰められた民衆の、必死の声だったと思う。
その声を、彼は聞いたのだ。福山氏は、本来前原派である。だが、彼も、言ってみれば
『義』のために立ってくれた。

そして。共産党!
共産党志位氏のことを想うと、これまた私は泣けてくる・・・・・・

共産党こそ、『義』の人達だ。

(社民党もね。社民党のことを想うと、これまたこれは哀憐の情で泣けてくる・・・)


彼らは聞いたのだ。『なんとかしてくれ!』という民衆の声を。
その彼らを等しく応援しないはずがないじゃありませんか。





                 ***


自分の想いばかり書いていて、なかなか、『立憲主義』とは何か、という本質のところへ
行けないな・・・
ちょっと情に流れすぎているのはわかっているのだが。
だが、これが、この激動の15日ほどの、私の正直な気持ちだ。

次は、必ず書きます。






『立憲民主党誕生に寄せて ③』


今のこの政治ブログと化した私のブログが与えるだろう印象とは違って、もともと
私は、政治にあまり関心のなかった方である。
母も兄も政治に全く言及することなどない家庭で少女時代を過ごした。
だが。極端に貧乏だったので、幼心になんとなく、世の中の不条理、『この世は不公平なものだ』
という印象は漠然と抱いて育ったように思う。
自分が『持てるもの』と『持たざるもの』のどちらに属するかということは、もう事実として
日常、見聞きしていたから、本能的に『弱者』の側に立ってものを考えるよう育って
来たように思う。
だから、小さいときから、なんとなく、自民党や自民党的なものが嫌いだった!

それでも、特に私が政治に関心が高かったとは言えない。政治活動らしきこともしたことがない。
選挙権を得てからは、『アンチ自民』として、共産党か社会党のどちらかに票を投じ続けてきた、
という程度のもので、結婚してからも、相手が同じような考えの人であったので、我が家は
ずうっとアンチ自民としての『社共連合』というようなものを期待し続けて選挙のときだけ
票を投じてきた、いわばまあ、ノンポリ層である。



あの、2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が起きた日・・・。
政治にそれほど熱心でなく関心も乏しかった私が目覚めたのは、そのときからだ。
それまでにも、チェルノブイリ原発事故以来、不定期ながら反原発団体に顔出し
してみたり、原発のことを調べてブログに書いたりはしていたが。

福島第一原発事故は、私の中に眠っていた、政治への怒りや、この世の中の
がっちりと組み上がった利権構造への疑問や・・・もろもろのこの世の『不公正』や
『不条理』への潜在的な怒りを一気に目覚めさせてしまった!

原発!・・・こんなものが許されていいのか!
ひとたび過酷事故を超せば、人の命も、人々の穏やかな暮らしも一挙にすべてを
失わせてしまう原発というもの。

(福島市には実は、私のつれあいの弟・・・優しい穏やかな性格の弟やその一家、また
母を早くに亡くしたつれあいの、母代わりのような存在でもあった義理の姉なども
住んでいる。)

・・・そこからだ。私が、政治について考えるようになったのは。
そして、原発についての情報を集め、その導入の歴史を調べ・・・その奥に
横たわる巨大な利権組織などのことを知って行くにつれ、原発の問題というのは、
水俣問題にも、沖縄問題にも、そして日本が侵した侵略戦争のことにも・・・
すべてどこかで繋がってくること。そして、それらはいつも同じ構造をしていることに
気がつくようになっていったのである。

一口に言えば、それは、強者が自分たちの利益をさらにうるために引き起こした
悲劇は、弱者が常に最大の犠牲者になる
、というようなことだ。
そしてさらに深く考えていけば、それは単に強者対弱者の構造に終わるもの
ではなく、大きな悲劇や大きな不幸は、社会の構成員がその不条理に無自覚
であることから時として生まれ、それが結果的に、自らや同じ社会の構成員を
苦しめるものに至る・・・
、ということだ。

元読売新聞社会部記者で、日本の売血制度を告発し、ペンの力で、日本に
献血制度を導いた本田靖春というジャーナリストがいた。
その人一人(いちにん)を詳しく知れば、その人の中に、この日本の不条理の構造が
ほとんど見えてくる・・・、というような、まあ私にとっては一つの大きな出会いであった
人がいる。その著書を通じての出会いということだが。
その本の書名は『我、拗ね者として生涯を閉ず』(2005年、講談社)

この人についての記事を、私は、福島第一原発事故から40日後ほどの
2011年4月23日に2本続けて書いている。


原発事故も売血制度もそのスタート時にアメリカGHQやCIAの関与があったこと、
そしてまた、それはたどっていけば、日本軍の中国における731部隊に
おける非道や、広島・長崎の原爆後のABCC(原爆傷害調査委員会:原子爆弾による
傷害の実態を詳細に調査記録するために、広島市への原子爆弾投下の直後に
アメリカ合衆国が設置した民間機関)の非人道性や、戦後66年経た東日本大震災・
福島第一原発事故の年になお残っていた731部隊の日本の学閥への影・・・
のことなど、いろいろなことがそこから芋蔓式につながっていって私を目覚めさせた・・・
いわば、私の勉強の原点ともいっていい記事である。

『我、拗ね者にして』 其の一 
『我、拗ね者にして』 其の二

同じ本田氏が、『村が消えた  むつ小川原 農民と国家』という本を出していて、
それが、福島の原発事故後まだ3ヶ月、胸の内に吹き上げる怒りの遣り場がなかった
私の中で、また、原発と戦中の日本の満蒙開拓団の関係、日本の農政問題
などと繋がっていく本であることを知ったときには、大きな驚きとある種の不思議さを
覚えたものだ。
私というひとりの人間の抱く社会への憤怒と問題意識が、会ったこともない一人の
ジャーナリストの書いた本の中に面白いように凝縮されていたことに。


この本についての私の記事。『貧しさの構図』

その人の言葉で、とても印象に残った言葉がある。それは、
『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない』


国策として満州の地に渉り、そこの農民の耕した土地を簒奪するに近い
かたちで得て開拓農業を始めた人々が、戦争に負けて日本に帰るのだが、
そこでようよう得た土地での農業が、またしても国策で翻弄される・・・。
昭和40年代の新全国総合開発計画である!
『小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺、
ならびに八戸、久慈一帯に巨大な臨海コンビナートの形成を図る』という、壮大な計画
であった・・・・・・
(そしてその計画もまた頓挫して、ついにその地には、後にあの六ヶ所村
原子力関連施設が建つわけだ・・・。)

満州に渡って行った開拓民は、国策の被害者である。
しかし、彼らはまた、中国の民から見れば、彼らの土地を奪った簒奪者でもある。
戦後、またしても国策に翻弄され続けた彼ら。
農業を続けるか農業は見限って金を受け取るか・・・・・・。
しかし、金に踊らされ、土地を、農業を捨てたのは、彼ら自身の選択であった。
高騰する土地の買収金。賛成反対派で村は2分され、村長選挙では裏金が舞う…
本田氏は書く。
『開拓地に酪農が根づかなかったように、戦後の選択であるはずの民主主義も、
下北には根を張ることがなかった。
『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない。』


この本田氏の言葉の『下北』という部分を『日本』という言葉に置き換えれば、
『戦後の選択であるはずの民主主義も、日本には根を張ることがなかった』となる。

『自らを守ろうとしないものは、だれも守らない』というこの言葉を、
今、日本の民主主義の危機ともいうべきこのときに、私は、
胸の鋭くうずくような痛みと共に思い出すのだ。


私たち日本人は、今度の選挙がどれほどのおぞましい変革を・・・
極めて、極めて悪い方への変革をもたらすかということを自覚し想像して、
それに向かおうと、果たして、しているであろうか?



あのような事故を経験しその被害者である福島の人々がその生活再建の鳥羽口にさえ
つけていない人々も多くいる中、この国で、またしても原発は次々に再稼働されていこうと
している・・・。また、それを願う立地自治体の人々がいる・・・。


私は、あの事故後、憲法を何度も何度も読み、ここでもずいぶん記事にしてきた・・・。
安倍首相が『みっともない憲法ですよ』と言って、今、無残に蹂躙しようとしているその
日本国憲法が、私は大好きでたまらない!

こんなよく出来た憲法があろうか、とさえ思う。
数ある私の好きな憲法の条文の中で、もっとも好きな箇所の一つ。それは、

日本国憲法第第十二条『この憲法が国民に保障する自由
及び権利は、国民の不断の努力によって、これを
保持しなければならない。





(この記事続く)

続きを読む

『立憲民主党誕生に寄せて ②』

前の記事の結びで、私はこんなことを書いた。

安倍氏の身勝手な解散宣言から始まった今度の衆院選の一連の騒動は、
多くのことを国民に見せつけ、そして『考えること』、を突きつけているように思う。
当然のことながら、当の政治家たち自身にも。

 
自分の立場とか損得とか、身分の安全とか保身とか、思想信条とか、
支持政党とか・・・、
そういったものの一切から少しの間離れて、この間の騒動を客観的に、
冷静にみつめてみてごらん・・・。

・・・それは、人間としての『信義』とはいったい何なのだろう、と言うことではなかったか。
一人の政治家である前に、一人の人間としての、身の振り方、ということだ。
その姑息、その惰弱、その卑怯、その胡散臭さ、一方で、その身の振り方の美しさ、
などということを・・・。


支持政党や自分の思想信条を云々する前に、まずはこのことを考えてみよう。
議員としての信義、人間としての『信義』にもとるようなことをする人物を、私たちの国会に
送り込んでもいいのかどうかを。


            ***

国会議員という職業を選んだ人々の『本分』とはいったい何であろうか。

少し政治の基本を語ろう。
日本は、代議制、議会制民主主義の国である。
代議制、とは何か。国家なりある組織の構成員の信認を得た代議員が、それら
個々の構成員に代わってさまざまなことを議決したり、また決まりそのものを作ったりする
仕組みのことである。
小さな組織の決めごとを話し合うなら、直接構成員が集まって相談し、多数決なり
なんなりで物事を決めていける。だが、『国』というような大きな組織では、国民が
全員で一カ所に集まって話し合うことなど無論出来はしない。
そこで私たちは、『選挙』という仕組みを通じて、私たちの代表を選んで議会に送り込み、
その人々に私たちに代わって、国のさまざまなことを決めてもらう。また必要ならば、
決まり(法律)も作ってもらう。・・・これが、代議制であり、議会制民主主義である。

私たちの国の最高法規としての『憲法』にはどう書いてあるだろうか。 

日本国憲法前文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起こることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。』             



すなわち。国会議員は、国民に『選挙』によって、国政を『信託』されているのである。
しかも、その信託は『厳粛な』ものである。

今度の一連の政治騒動を見ていて、私たちは、安倍首相はじめ、その他の
国会議員たちが、この憲法前文に書かれた国民からの厳粛な信託に応えていると
思えるだろうか?

まずは、安倍首相である。安倍首相は、『行政府の長』であるが、同時に『立法府』の
一員である。なぜならば、日本においては、『議院内閣制』というものをしいているからである。

『議院内閣制』とは何か。
我が国では、日本国憲法第67条第1項によって、『内閣総理大臣は、国会議員の中から
国会の議決で、これを指名する』ことになっている。また、第68条第1項によって、
『内閣総理大臣は、国務大臣を任命する。但し、その過半数は、国会議員の中から
選ばれなければならない』としてある。
つまり、憲法では、内閣の首長である内閣総理大臣も、国務大臣も一定数は
国会議員から選出される必要があるとしている。これが『議院内閣制』だ。

こんなことは皆さん当然ご存じでしょう。
それでは、ここに今書いたことは、もっと深いところでどういうことを意味するのか。

内閣は、国会の『信託』を受けているということである。内閣総理大臣はじめ、
総理大臣が選んだ多くの国務大臣も、元々は、国会議員である。つまり、同じ
立場の者である。その国会議員の中から、内閣総理大臣や国務大臣の多くは
選ばれていると言うことは、彼らは、そのほかの国会議員たちの『信託』を受けて
『内閣』の一員となっているということだろう?

そこを、日本国憲法ではどう書いてあるか。
日本国憲法第66条第3項。『内閣は、行政権の行使について、国会に対し連帯して責任を負ふ。』

つまり、内閣は、国会議員の信託を得て選ばれるが、それゆえに、その行政権を
行使するにあたっては、国会に連帯責任を負う。
また、その国会議員は、立法権を、国民の信託を選挙によって得る、という構造だ。

つまり、国会議員も内閣も、最終的には、国民に対して大きな責任を負うと言うことだ。
つまり、立法府も行政府も『その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者が
これを行使し、その福利は国民がこれを享受する』
ということだ。


再度言うが、今回の安倍首相による『国難解散』とやらいう身勝手な突然の解散劇や、
また、小池氏の『希望の党』と、『民進党の一部議員』による民進党解体劇は、今、
上に書いたような、国民に対する内閣や国会議員の責務を果たしているものと言える
だろうか?

まずは、安倍首相だ。
安倍首相は、上に書いたように、国会議員の一員であり、またその中から選ばれて
『行政府の長』にもなっているという立場である。
日本では、ご存じのように、ほとんどの場合、衆院選で第一党となった党の
党首が、内閣総理大臣に選ばれることが多い。そしてその総理がまた内閣を作り
国務大臣を選ぶ。
つまり、『三権分立』とはいうものの、日本においては『立法府』と『行政府』は、議会の
第一党においては極めて近い、というかほぼイコールの関係にある。
それだけに総理はじめ内閣の構成員は、立法府に自分たちの方針を勝手に
押しつけるようなことがあってはならないし、また、立法府には、内閣イコール行政府を、
それが暴走しないように手綱を引き締めるという役割が課せられていることを
常に忘れないでいるという政治道義が求められることになっているだろう?


ところが、安倍首相、および安倍政権のやり口はこれまでどうだったろう。
上に書いたような、日本の政治の仕組みを、憲法の高い理念を理解し、それに沿って
やってきたと言えるだろうか???


否!だ!
そのひどいひどい例を挙げていこう。

●『国会議員であること』と、『行政府の長であること』の身勝手な使い分け
今書いたように日本では総理大臣は自民党の国会議員であってまた
行政府の長、である。だから、日本においては、完全な『三権分立』というものが成り立ちにくい
のである。だからこそ三権分立の精神を生かすには、総理大臣や国務大臣などは、
そこがぐずぐずにならないよう、身を糺す必要があるだろう?
ところがどうだ。安倍総理の国会での答弁を聞いていると、自分の都合の悪いときには
『私は行政府の長でありますから』と、国会での説明や決定の責任から逃れて
ばかりだ。一見、この安倍総理の態度は、自分が国会議員であることすなわち立法府の
一員であることと行政府の長であることを明確に区別しているつまり、『三権分立』を
尊重している態度であるように見せながら、実は、そのことを言い訳にして、都合の悪い
ときに国会における誠実な答弁から逃げ続けているだけにすぎない。
私たち国民は、安倍総理のそうした不誠実を、国会答弁において何度見せられてきた
ことだろう?
果ては、同じく今年5月8日、衆議院予算委員会で、当時民進党、現在立憲民主党
議員である長妻昭氏に、『国防軍の創設などを盛り込んだ自民党の憲法改正草案を
取り下げるのかどうかを問われると、『自民党総裁としての考え方は、相当詳しく
読売新聞に書いてあるので、熟読してもらってもいい』と答弁する始末!
こうやって、安倍首相は、いつも国会での大事な議題の時に、『私は行政府の長ですから』
ということを言い訳に、真摯な答弁から逃げ続けてきた。こともあろうに、自分の考えは
読売新聞に書いてあるからそれを読め、とは!

●『改憲』への個人的情念剥き出し
一方で安倍総理は、自民党という『党』の総裁として、国会の議論から離れた
ところで、いきなり、自分の党が過去に決めた『自民党改憲案』さえも無視して
憲法九条に自衛隊の存在を認める項目を書き加えるという案を出し、改憲の日程を
急ぐように自党に圧力をかけた。それはこともあろうに、今年の5月3日、『憲法記念日』
にである!
国会内では憲法審査会が改憲について、まあまあ慎重な議論をしている・・・
ところがそれでは、自分の任期中に憲法改正案を提出し国民投票に持ち込むと
言うのに間に合うかどうかわからない。しびれを切らした安倍首相は、そうやって
『2020年を新しい憲法が施行される年にしたい』と、アドバルーンを打ち上げ、自党に
改憲論議を急ぐよう圧力をかけたのである!
それは、少数政党も論議に加わっている国会憲法審査会の審議に行政府の長である
安倍晋三氏が強い意向を示すことであり、第一に少数政党の軽視、ひいては
自党の論議をさえ無視するものである。憲法九条の条文変更については自民党内部の
意見統一さえ出来ていないそのときに!

とにかく安倍首相は、自分の祖父もなし得なかった憲法改正を、自分の任期中に
成し遂げたい、条文がどれでもいいから、とにかくあの「『日本国憲法』を変えたのは
自分だ!』という実績作りのために、いわば安倍晋三という政治家の個人的情念のために
ひたすら憲法を変えることを急いでいると言うようにしか見えない。

●解散権の乱用
安倍首相が、
日本国憲法前文『そもそも国政は、国民の厳粛な信託による』という部分や、
日本国憲法第66条第3項。『内閣は、行政権の行使について、国会に対し
連帯して責任を負ふ。』
や、憲法が最高法規であることを明記した第十章
第九十九条『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』

という、国民主権を謳う現行憲法に明記された、立法府の国会議員および
行政府の国務大臣への、国民を守るための縛りや三権分立の精神を、あからさまに
無視しているということがもっとも如実に表われている例の一つが、この『解散権の濫用』
であろう。
そもそも、『首相に解散権が与えられている』とか、『解散権は首相の専権事項である』
などということは、憲法のどこにも書かれていない。内閣についての取り決めを書いてある
第五章『内閣』にも、どこにもそんなことは書いていない。あるのはただ、
第一条第3項『天皇』の国事行為に関するところで、
『天皇は、(内閣の助言と承認により、国民のために、左の国事に関する行為を行ふ。)
三 衆議院を解散すること。』とあるだけである。
歴代内閣は、この天皇の仕事を定めた第一条の『内閣の助言と承認により』という
箇所だけを根拠に、『首相の解散権』を認めてきた。
確かに、日本では三権分立が憲法の要諦の一つではあるが、だからといって
国会が内閣の行政権を無視するようであってはまた、ならない。
そのために、歴代内閣総理大臣は、これまでも『衆議院の解散権』という、
法的には曖昧なものを行使してきた・・・。
だが、だからといって、内閣総理大臣が、その解散権を闇雲に行使していいはずがない。
上にも長々と書いてきたように、日本では『議院内閣制』を採用しているために、
議会と内閣の関係は微妙である。それだけに、内閣は、国会に対し、その行政権の行使
に対し連帯責任を負うし、国会に対してもひいては国民に対しても、その行政権の濫用には
自制的であり謙虚である必要があろう???

歴代首相の中で、安倍総理ほど、この『衆院の解散権』を濫用してきた総理大臣は
いない。
今度の『もり・かけ隠し解散』などは、その最たるものである!


●政治の私物化
これはもう、あらためて書くまでもない。皆さんご存じでいらっしゃることだ。
森友問題に見る、安倍氏、および昭恵夫人の、自分に近い特定の思想を持つ
一私立学園への異様なほどの肩入れのしかた!
二人と森友学園との親密関係は、まだまだこれから国会ででも言論の場でも
追及されていかねばならないだろう。
また、加計学園における同じく安倍総理と加計学園理事長の親密さが、公正公平
であるべき国の行政を歪めていないか、ということは、さらに厳しく追及されてしかるべきだ。

考えてもみてごらん。仮にこれが、他の政治家であったとすれば。
たとえば、旧民主党代表で元総理鳩山氏が、菅氏が、およびその夫人たちが、
同じようなことをしていたとしたら、自民党やマスコミは、どれほど激しく厳しく
それを追及するであろうか???!!!
自分の支持政党の総理やその夫人、またその親しい友人ならば許されて、自分の
支持しない政党のトップのすることは厳しく叩く。あるいは現政権に忖度して
攻撃に手心を加える・・・。
そんなことはおかしいということは、自分の思想信条を抜きにして誰にとっても
わかることだろう?

安倍首相についてはもっともっと書くべきことが山ほどあるので、また書く。
小池氏についても同様だ。


           ***

・・・・・・・・・
安倍晋三氏は、国会議員そして同時に国務大臣としての本分を忘れている!
また、同様に、小池氏の『希望の党』に、その政策さえまだ明確に打ち出されて
いない時期に、『政策協定書』なる『踏み絵』に応じてサインしてしまった民進党議員
たちも、国会議員としての本分を忘れてしまっている!
とりわけ、『政策協定書』なるものの、
1.希望の党の綱領を支持し(以下省略)
4.憲法改正を支持し、憲法改正論議を幅広く進めること。
8.希望の党の公約を遵守すること。


というところに、憲法改正や希望の党の公約などの具体的な中身も書かれて
いないのに、一国会議員として安易にサインしてしまうということは、国民に対する
重大な裏切り、そして背信以外の何ものでもないだろう?
だって、国民は、民進党としてのあなた方に、民進党の全体的方針を担うあなた方に
票を投じてきたのだ。
その身勝手は、それまでの仲間を裏切った背信行為だけではない。民主党~民進党に
これまで投票してきた国民に対する重大な背信であり不実であり不公正ではないのか?
同じく積極的に民進党を応援してきたサポーターや地方議会議員およびその支持者への
裏切りと背信でもあるのだぞ!


私が、一つ前の記事で、衆院選直前のこの時期に政治について直接書くのではなく、
『人間としての『信義』とはいったい何なのだろう。
一人の政治家である前に、一人の人間としての、身の振り方、ということだ。
その姑息、その惰弱、その卑怯、その胡散臭さ、一方で、その身の振り方の美しさ、
などということを、支持政党や思想信条などを離れて考えて見てごらん
』ということを
テーマにしてみたのは、そういうことを考えて欲しかったからだ。



第九十九条『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』
と、憲法に書かれている国務大臣でもあり
国会議員でもある安倍晋三という人自身が、かくも改憲を急ぐ。
安倍首相だけではない。今回の希望の党の小池氏による民進党解体騒ぎ以降、
『改憲』ということが、いつの間にかもう規定の路線ででもあるかのように新聞等の
報道でも扱われ出したことに私などは驚く。その変化はおそろしいほど急激だ。

今回の衆院選で自民党公明党、そして小池氏の『希望の党』そこに加わった
民進党内の改憲を望む右派グループ、そして小池新党成立以来急に発言を
ましてきた『こころ』や維新など改憲派の政党。これらが国会に送り込まれれば、
国会内には三分の二をはるかに超える一大改憲グループが出来上がってしまう!
一説には、改憲勢力が80%にもなるという!

そのことの怖さ、おぞましさを国民は本当に理解して今度の選挙に臨もうと
しているだろうか?
九条を改憲するだけではないぞ。小池氏は、『憲法を変える』と言うことを党是に
しているのである!どんな改憲案がこれからその一大改憲グループによって
持ち出され、国民を縛るような恐ろしい条項が圧倒的多数の改憲派によって
可決されてしまうか、国民はよく想像してみた方がいい。

今、私たちの『国民主権』を明記した日本国憲法が、かつてない
重大な深刻な危機にさらされているのだぞ!


内閣は国会に責任を負い、その国会は、私たち国民の厳粛な信任を得て
国民の福利のために国のさまざまなまことを議論する。つまり、国民に主権がある!
それが『議会制民主主義』であり、現日本国憲法の要諦だ。


そのことを忘れてしまったような議員を国会に
送り込んではならない!
何度も言うが、皆さん、自分の支持政党や思想信条
ということを、いったん取り外して、このたびの、
そしてこれまでの、安倍氏を含む国会議員たちの、
人間としての『信義』の有り様を、冷静な目で見て
投票してください。


『立憲民主党誕生に寄せて ①』


さて。ようやくいろいろな裏側の事情もわかりかけてきた。
また、客観的に書いて行ってみよう。

2.『解散から民進党分裂まで』


9月28日の、前原氏による民進党解体劇には本当に驚かされた。
前原氏と小池氏のどちらが仕掛けたのか、とか、誰が裏で糸を引いていたのかとか、
そんなことはもういい。
リベラルから自民党に極めて近い思想の政治家までごちゃ混ぜで、いつも党内が
ごたごたして大事なときに一本にまとまりきれず、そのごたごたを国民の目にさらし
信頼を失い続けてきた民進党は、いずれこういう時が来るのが運命づけられていたので
あったろうし、それが今回はっきりと、希望へ行く者と立憲民主党に行く者と
(またそのどちらでもない者と)がくっきりと分かれる結果になったのは、かえって
よかったのではないかと私などは思っている・・・

もう何年も・・・と言っても私が政治にこのように関心を持ち始めたのは、実はあの
3.11からなのだが、それ以来、どれほどこの、当時『民主党』内の『反リベラル』勢力
とも言うべき人々・・・むしろ自民党に極めて近い人々が党内をかき乱していることに
腹立ちを覚え続けてきたかわからない・・・。
リベラル勢力と右派の人々と、そのどちらでもない人々が仮に三分の一ずついたとして、
なぜ右派の人々を私が『かき乱している』と表現したか、というのは、彼らの行動が
民主党、民進党の政党として掲げる方針から矛盾しているように見えたからである。
国会などで民進党は、自民党・・・長年この日本で政権を担当し、日本が今抱えている問題や
矛盾の多くの原因を作り出してきた自民党の政策を批判し、それとは違う政治軸を打ち出して
来たはずだ。
左派、ではないにしても、少なくとも中道左派から幅広く中道右派、右派までの議員を抱え、・・・
いずれにしても明らかに自民党とはいろんな政策上の面で方針を一にしない政党として
選挙戦を戦い、多くの国民の信を得て国会に送り込まれ、その国会で一強をおごる自民党を追及し、
問題点を明らかにすることを担う政党として期待されていたはずだ。

とりわけ2009年、民主党が多くの国民の絶大な支持を獲得して自民党から政権を
奪取したとき、支持者たちが民主党に求めていたものは、自民党と同じ政治を
することだったろうか?
そうじゃないだろう?
同じ政治をして欲しければ、自民党に入れればいいだけのことだ・・・。

ところが、民主党は、その支持者たちの期待を叶えられなかった。
私は、民主党が政権の座についた選挙のとき掲げていたマニフェストを実現出来なかった
からと言って怒りはしない。
理想を実現するのは、常に大変なことである!そう約束したことを簡単に叶えられるものか。
私は、民主党に、その約束に近づけようとする強い意思がある限り、たとえその進みが
遅々としていても、応援し続けるつもりでいた・・・。
辛抱強く、自民党に代わって政権を担当しうる政党が育つのを待つつもりでいたのだ。

だから、このブログでも、何度『民主党よ!』と呼びかける記事を書いて、その初志を
見失うな、支持をした国民の想いを見失うな、と叱ってきたかわからない。
それは、このブログをずっと見てくださった方なら、何度も目にされたことであろう・・・。
無論、こんなちっぽけな、名も無き個人のブログと言うことは百も承知で、それでも
黙っていられずに書き続けてきたのである。

しかし。民主党は、そういうふうに左派に近いリベラルから明らかに右寄りの議員まで
一つに収まっているために、いつもごたごたを国民の目にさらしてきた・・・
それでも民主党を支持し続けた人々が、民主党に求めていたもの・・・それはやはり、
大きく見て自民党と違う政治をして欲しい、と言うことではなかったろうか?


・・・・・・・・・・・・

だが。
今回の解党劇は、あまりにもひどかった!!!
今回のそれは、単にかつて一度は政権を担ったこともある政党が分裂した!という、
政治上のことだけでななく、多くのことを有権者に感じさせ考えさせたのではなかったろうか。


また、当然のことながら、『森友・加計問題』や自衛隊の日報隠秘問題への追及から
逃れるように、強引に、今の度の衆院解散・総選挙に持って行った安倍政権、公明党や、
民進党の一部議員と画策して今度の解体劇を演じた『希望の党』などの一連の動きも

多くの・・・本当に多くのことを、私たち国民に見せてきた・・・・・・
そうして、政治に対する大きな疑問を、懐疑を、不信を抱かせてしまった・・・・・・

誰がどうだったのこうだったの、などということはここでは言うまい。
とにかく国民は、一部始終を見ていた。
安倍自民党、公明党、希望の党、維新、(略して)こころ、自由党、
そして共産党、社民党、そして新たに立ち上がった立憲民主党など、すべての党および個人の
議員・政治家諸氏の活動や動きを見ていて、多くの国民が感じとったこと考えたことがある。
おそらくそれは、『右か左か』などということも、支持政党などということも関係あるまい。

・・・それは、人間としての『信義』とはいったい何なのだろう、と言うことではなかったか。
一人の政治家である前に、一人の人間としての、身の振り方、ということだ。
その姑息、その惰弱、その卑怯、その胡散臭さ、一方で、その身の振り方の美しさ、
などということを・・・。

安倍氏の解散宣言から形としては始まった今度の衆院選の一連の騒動は、
多くのことを国民に見せつけ、そして『考えること』、を突きつけているように思う。
当然のことながら、当の政治家たち自身にも。

 
自分の立場とか損得とか、身分の安全とか保身とか、思想信条とか、
支持政党とか・・・、
そういったものの一切から少しの間離れて、この間の騒動を客観的に、
冷静にみつめてみてごらん・・・。

ここから何かを学ばないものは愚かものである・・・・・・。



             ***


さて、立憲民主党について書くんだった。











『民進党リベラルよ、立て! ②』



民進党のリベラル派議員よ。『希望』などに未来の希望はない。
立ち上がってくれ! どこにも投票するところがない、と嘆いている人々の想いに
答えてくれ!


一つ前の記事、『民進党リベラルよ、立て!』では、書いているうちにあまりにも
腹がたってきて、感情のままに書いたので、今度は少し落ち着いて分析していってみよう。

             ***


1.『踏み絵』

なぜ、前原氏は、党全員を『希望』に差し出したのか。

私が民進党の『希望』への合流の話を知ったのは、28日の夜のことだったが、
最初の驚きから冷めて、その合流話のことをよく考えてみたとき、最初に浮かんだ疑問は、
① なぜ、民進党内のリベラルや、先の記事にも書いたように、『一院制』を党の基本政策に
するなどとたわけたことを言っている若狭氏などの軍門に、参議院の議員たちまでが
唯々諾々と下ることを了承したのか、という疑問
だった・・・ 

次に湧いた素朴な疑問は、
② 民進党は、これまでも、リベラルから中道右派、極右的な人まで、いろんな考え方の
議員がごちゃ混ぜになっていて、そのことが党内の足並みをいつも乱し、自民党や国民からも
揶揄される原因となってきた・・・
仮に今度の『希望』への移籍を、前原氏の説明するように、全員が『希望』に塊として
行うとなると、民進党のそのごたごたを『希望』が背負い込むことになる!
小池氏は、よく言えばしたたかな、有り体に言えば非常に計算高い政治家である。
その計算高い小池氏が、なぜ、民進党丸抱えに応じるのだろう?
ということだった。
『希望』の現有勢力は、たかだか10人。小池氏を除けば、言っては悪いが、党の顔として
到底通用するような政治家たちはいない。
そこへ、民進党の候補者も含めた衆参全員が合流することになれば、『希望』はもはや
『第二民進党』でしかなくなり、ただ、民進党に小池氏が顔となってプラスされた、というだけの
ことになる・・・
何度も言って申し訳ないが、あのしたたかな、あの計算に長けた小池氏が、そんなことを
許すものだろうか?

だが。民進党には一説には150億という、政党交付金などの資産があるという。
そのことを聞いたとき、「ははあ・・・」と、今度の合流話の裏の真実が見えてきた気がした。

人気落ち目の民進党は、小池氏の人気に便乗する。小池新党は、民進党のその潤沢な資金と
『連合』などの応援を得られるという人的パワーと、政党としての厚みを獲得できる。
双方にとって、ウィンウィンの取引じゃないか。

だが。
それがもし仮に真実に近いものであったとしても、代表前原氏の、20年近い歴史と実績を持つ
自党を解体してその名を消してしまうという決断には、どうしても納得がいかなかった。
どう考えても、これは公平な取引ではない。
『安倍政権を倒す』という大義のため、という理由も、民進党の失うもの・・・『民進党』という
党の存在そのもの、一度は政権も担ったというその歴史、そして地方議会やサポーター
なども含めこれまで民進党という党を信じてついてきてくれた人々・・・、そういったものすべてを
失うということの重みを考えれば、民進党が払う犠牲はあまりにも大きすぎる。

一方、小池氏の『希望』の方は、何も失うものはないのである・・・なにひとつとして。

挙げ句の果てに、小池氏らは、『希望』に入りたければ、安全保障関連法や憲法改正への
賛同を条件とする、という『踏み絵』を民進党議員に課するという。民進党全員のリストは
すでに小池氏の元に出してあり、小池氏自らが、『この人はだめ、この人は入れる・・・』
という選別をするというのだから、驚いてしまう。
小池氏らはいったい、なにさまなの??

しかし。上にも書いたように、民進党は、リベラルから極右までの寄せ集めであった・・・
その全員を、自ら非常に極右に近い小池氏が、そのまま受け入れると思う方がおかしいのでは
ないか? 政治のど素人の私でもそんなことは想像できる。
ましてや、民進党の前原氏などは、同じ政治家なのだから、これまでの小池氏の言動は
よく見てきていて、彼女がどういう思想の持ち主なのかは、熟知しているはずだ。
それなのに、民進党議員を参議院議員も含めてすべて『希望』に合流させ、しかも、
『希望』になど行きたくないという人も当然出てくるであろうのに、民進党そのものを
解体してしまって、そういう人々の戻るところさえもすっからかんに無くしてしまう。
『民進党から出馬したい』という議員にも、公認さえ与えない、などという、私のような
名も無き市井の一老婆さえ、『そりゃ無茶だろう!』と思うようなことをどうして前原氏は
決めてしまったのか。
そして何度も言うけれど、どうしてすべての議員がそれを一度は良しとして了承したのか。


前原氏が、いったい何を思ってその決断に至ったのか、そこに何があったのか、
誰と話し合って、どういう計算をして、どういう始末を想像してついにそういう決定に
至ったのか。もしかして彼に入れ知恵をしたものがあったのか?彼の独断なのか?
その真実のところは、今後も明らかにはされないのではなかろうか。

一つ考えられることは、前原氏はもともと自民党に・・・、いってみれば『希望』にも近い
政治思想の人である。だから、前原氏自身は『希望』との合流は願ったり叶ったりであるはずだ。
それでは自分の党内の、リベラル派・・・また、『希望』には行きたくない者はどうするのか。
『希望』に入るか入らないか。その踏み絵で、リベラル派などはこの際、排除してもいい。
そうすれば、面倒くさい党内調整などや党内抗争などの面倒から一挙に逃れられる・・・

・・・前原氏の政治家としての思想信条を好むかどうかは別にして、前原氏の顔を見ていると、
上に書いたようなことのすべてをわかっていて、予測していて、それでもなおかつ今回の
ような、民進党にとって圧倒的に不利な、笑ってしまうほど不利な決定を『希望』と結んだとは
どうも思えないのである。
・・・前原氏はそのようなことも計算ずくで、小池氏と結んだのであったのだろうか?
要するに、一部の仲間を売ったのか?言葉は悪いが、仲間を切り棄てたのか?
う~ん・・・・・・そこまで小ずるい計算に長けた人物でもないだろうという気もするのだが。

自分が凋落していく民進党の代表になった、党をなんとかしなければ・・・
その使命感が、ひょっとすると、お人好し前原氏の正常な判断力を失わせてしまったのかも、と
善意に考えるなら思いたいところだが。  う~~~ん・・・・・・苦しい解釈だ。



とにかく。もう、後戻りは出来ない。
民進党は、大きな傷をこれでさらに負ってしまった。
本当に後戻り出来ない。だって、戻る党がなくなるのだから。
・・・なんと愚かな!
私個人の思惑や好き嫌いは別にして、民進党、というかつては政権を担ったこともある
政党の終焉の形としては、これはあまりにも寂しい。

だが、そうやって屈辱的な『踏み絵』を踏んで、そして500万円とかいう公認料や寄付金まで
支払って『希望』に公認はしてもらっても、その議員が手厚い『希望』の支援を得て(疑問だ!)、
なんとかまた当選し国会に戻ることは、なかなか難しいのではなかろうか。
国民は、ずっと、この間の経緯を見ていたのだから。判断をするのは国民なのだから。

自分の党を捨て去ってまで自分だけは『希望』に行って、自分の保身を図りたいか!
国民の冷静な目は、そう見るのではないだろうか。

私は、この4日間、『踏み絵』報道などを見ていて、これとそっくりなことが前にもあったな、と考えていた。
・・・それは、2012年秋、自民党党首に復活した安倍総裁と、当時の民主党代表野田氏が、
『税と社会保障の一体改革』という約束を巡って、衆院を解散することについて議論していた
ときのことだ。自民党にも賛成してもらって『税と社会保障の一体改革』を実現するために、
その引き替えの条件として衆院を解散するという約束を、野田氏がしてしまったとき。
『衆院を約束通り解散するんですかしないんですか!』と安倍氏に詰め寄られて、『します』
と約束した野田氏の姿を見ながら、『なんと愚かなことを・・・』と、私は溜息をついたものだ。
あれも、安倍氏が理不尽にも野田氏に課した、一種の踏み絵のようなものだった・・・
当時すでに民主党は国民の支持を失いつつあった。解散総選挙をすれば、多くの党員が
落選するであろうことは読めていたはずだ。それなのになぜ、解散、などという約束をして
しまったのか。
それよりは、したたかに開き直って、そうして国民の信頼を回復できるよう国政に注力する。
人気は無くとも、地道に努力していれば、そのうちそれは必ず評価される。それを信じて
任期まで仕事を全力で全うする。それが必要だったのではなかろうか。
本当に愚かだ。

心配したとおり、民主党は衆院選で惨敗。民主党の議員たちが、仲間が・・・たくさん
路頭に迷ってしまった・・・いい議員たちもいたのに・・・
私は、野田元首相を、民主党凋落の重要戦犯(嫌な言い方だが)の第一と、今でも考えている。
彼も、民主党内の、自民党に極めて近い思想の政治家であったよ。



対等であるべき政治家同士の一方が、別の政治家に『踏み絵』を課す・・・。
嫌なことだ。
政策の違いを明らかにする・・・それは必要なことだろう。
だが、やり方があまりにも一方的だ。屈辱的だ。
小池氏のソフトな外見の陰に潜む極めて冷徹な計算ずくの心性・・・私は好きではない。
そして同時に、なんと民進党の人々は、お人好しなのだろう!とも呆れる。
民進党内の、共産党嫌いで自民に近い議員たち・・・日本会議のメンバーなども当然いる。
彼らは今度の解散劇を歓迎しているのだろう。
だが、自分の党を棄てて保身のために他党に走る議員など、長い目で見たとき決して
長続きはしていない。小池氏の『希望』に最初から集まっていたいわば『吹き溜まり』の
ような議員たちの姿。それが『希望』の行く末だ。

私だって、どれほど安倍政権を倒したいかわからない。だが、それをしてくれるのは
絶対に彼らではない!



              ***


今度の民進党の『希望』への乗り換え騒ぎで、自分個人の支持政党とか好みとかを越えて、
もう一つ私が考えたこと。

それは。日本人の特性とも言える、『集団思考』というか、『集団志向』というか、
個々人の判断よりも『集団のルール』や『集団の維持』を重視する心性のことである。
なぜ、『安倍政権を本気で倒す』ために、民進党という一つの党まで解体して、『みんなで』
『希望』に合流させてもらわなければならないのか。
なぜ、『私は民進党に残り民進党として選挙戦に出たい』という議員として当然の選択肢まで
根こそぎ奪って、〈皆で一斉に〉、『希望』に移らなければならないのか。
しかも、今の同じとき、地方で選挙を戦っている民進党の地方議員やサポーターは置き去りにして。

私は、溜息つきながら、『勝ち目はない』とわかっていながら、太平洋戦争に突入していった
旧日本軍と日本国民のことを想っていた・・・・・・
勝ち目はもうない、食料も弾薬ももうない、もう野垂れ死にするしかない、ということが
わかっていながら、それでも投降することも許されず、自爆死していった旧日本軍兵士たち
のことを想っていた・・・・・・太平洋の島々やインパールで・・・・・・
また。『皇国の国難というこのときに、我が身を捧げる勇気のある奴はおらんのか!』
などと上官に特攻を志願することを迫られて、一度は互いの顔を見合わせ躊躇はしたものの、
ひとりが『自分は志願いたします!』と申し出ると、次々に特攻隊に志願することを申し出た
かつての日本軍の若い兵士たちのことを想っていた・・・・・・

なぜ、日本人は・・・、何も民進党のことだけを言っているのではない、個々人の自由意志が
集団の意思の次に来るのだろう。
たとえその集団の意思が間違っているとわかっていても、日本人はなかなかその集団の意思、
集団の維持、ということから逃れられない心性を持った国民である。

このたびの民進党の『希望』への党ぐるみの合流話は、日本の戦中の翼賛体制・・・
個々人の意思の認められない息苦しい時代を私に連想させてしまったのである。
その行こうとしている先が、こともあろうに『希望の党』!----
 『個人の生まれながらにして持つ諸権利』を護る日本国憲法を変えようとし・・・
『国民主権は国民から取り上げねば』などという人物に都民ファーストの代表を務め
させていた小池氏の党だとは!!





仲間を大事にし、自分の属する集団の秩序を破らない・・・日本人のそうした心性はいいところも
あるにはあるのだが、息苦しい社会でもある。
そういう社会で押しつぶされていく芽はどれほど多いだろうか。
人間の知の導きだす普遍的な『理』や、自然な人間としての感情
よりも、、集団の論理が優先される社会は私は嫌だ。

そういう社会で、個人の自由な伸展というものは得られるのだろうか。
ブラック部活・・・ブラック企業・・・それに類似した息苦しい集団は至る所にある。

まずは、政治から、そういう頸木を少し外していってみたらどうだろう。
日本に特有なものかどうかは知らないが、あの『党議拘束』というものからまずは。
これは、自民も、民進党も共産党も、他の政党も同様だ。 
そりゃ、党の方針というものはあるだろう。
だが、安保法制など、極めて重大な問題に関しては、『党議拘束』はかけて欲しくない。
トランプの共和党で、公然とトランプに非があればそれを批判することの出来るアメリカ・・・
党員が一つの事案で造反しても比較的寛容だというフランス・・・
たとえば、参院においては党議拘束をかけないで自由な討議や採決が出来るようにするなど、
改善の余地はありはすまいか。

そして、あまりにも行きすぎた『上意下達』や、下の者が上の者や
組織の論理に『忖度』しなければならないような政治風土は、変えるべきだ。

また、自民党や、小池氏の党などのやり口に極めて多く見られる事象なのだが、国民にとって
都民にとって極めて大事な事案に関して議論が紛糾する。それはいい。議論は徹底的に
行われねばならないからである。ところが、その議論の果てに、『最終的には、〈上〉に一任』
してしまう、ということが、政治の世界に限らず日本の組織にはどうしてああも多いのだろう。
かつて、日本がアジアに侵略して泥沼にはまり込んだとき、それを打開しようとしてさらに
連合国と戦う羽目になった・・・あの開戦の前夜。政治家たちや軍部は、最終判断を
天皇に仰いだ。終戦のいきさつも同じだった・・・・・・
日本人の、その『議論』に対する粘り腰のなさ。徹底的に討論する西欧諸国の気風は乏しい。
そうして最終的には、『上部』の判断に丸投げをするという、組織優先の論理は、日本を
結果的に弱い国にしてはいないだろうか。


日本における『リベラル』政党とは、そうした議論を大事に考える政党ではなかったのか?
安倍政権における目に余る隠蔽体質。安倍総理で急速に進む総理への権力の集中。
その安倍政権や自民党を倒して、『クリーンな』政治を目指すと、都知事選や都議選のとき
あの満面の笑みで言っていた小池氏は、その言葉通りクリーンな政治をしているだろうか?
東京都知事選、都議選における小池新党は、『透明さ』をも売り物にしていたんじゃなかったか?
ところが内実はどうだ?
小池氏の独裁だ。大事なことはぎりぎりまで明かさない。それがいつも小池氏の手口だ。
そうして相手をぎりぎりまで引っ張っておいて、結局最後は平気で『はしご外し』をする。
都民ファーストの新人議員たちには箝口令。都民ファーストの新人議員が何を考え、
何をしているかは、彼らに投票した選挙民にさえいまだに見えまい。
代表の座も、小池氏は、自分の恣意で下りたりそうして与えたものからまた取り返してみたり。
若狭氏、細野氏に希望の立ち上げは一任するようなことをいいながら、さっと彼らの
決めたことを『リセット』したりする。
『リセットする』と言ってもそれは、『清新な』政治など意味しない。小池氏の気の向くまま。
小池氏の損得勘定でやりたい放題ということだ。
彼女は国政でもそれをやるぞ。安倍政権よりなおたちが悪いかも。
そして最悪なのは、ゆくゆくはほとぼりの冷めた頃、その両者は必ず、改憲や国防などで
協力するだろうということだ!



民進党のこころある政治家よ。目を覚ませ。そして立て。
市民と共に4野党共闘を進めてこの国の『倫理の礎』たる
憲法を守ってくれ。






『民進党リベラルよ、立て!』


枝野氏らが、『希望』に合流することの白紙撤回を求めて、両院議員総会を再度
開くことなどを求めているという。またその一方で、『希望』に行くことを潔しとしない
議員たちを集めて、リベラル派の新党を立ち上げることも視野に入れているともいう。
良し!そう来なくっちゃ!

リベラル派の党立ち上げを急げ!

市民連合などは、もうずっと長い間、どれほどそれを待ち望んでいたかわからない。


                 ***

リベラルも極右もいっしょくただった民進党。そのために、あろうことかいつも
大事なときに限って内部の紛糾をあらわにして国民の信頼を失い続けてきた民進党。
考えてもみてごらん。いつも、代表の足を引っ張り続けてきたのは誰だったか。
リベラル派だった?・・・そうじゃないだろう? いつも、代表の足を引っ張って、
民進党内部にごたごたを起こしそれを大事なときに限って国民の目にさらしてきたのは
民進党内の、自民に近い考えの、右派の人々だったじゃないか?!
民進党がここまで落ちぶれたのはリベラル派のせいなどではない。常に右派の人々が
民進党の存在意義を無にするようなことをし続けてきたからではなかったのか!

そして。あろう事か、またしても民進党右派による今度の解体劇だ!
なぜ、いまさら一緒にやっていく必要がある?????
民進党リベラルは立て!
民進党でも旧民主党でもいい。別の名でもいい。党の『名』を残せ。
ただの字義通りの『名』ではないよ。民主党の存在意義としての、『党の矜持』としての『名』だ!
前原代表が自ら棄ててしまった『名』だ! 国民への信義としての『名』だ!

国会前で・・・日本全国の町町で・・・とにかく安倍政権のようなものを倒して欲しい、
原発はやめて欲しいと、声を上げ続けてきた市民たちは、民進党リベラルがたち上がることを
どれほど待ち続けたかわからない。
昨年の参院選の青森、宮城、山形、また新潟、長野、などでの4野党共闘は、
2013年参院選で一人区で自民に20勝2敗と無残な負けを喫したのに比べ、
2016年は21勝11敗と、共闘の効果を大きく発揮した。その流れは、市民の側では
今も続いていたのだ。
それを一方的に断ち切った愚か者は、民進党よ、あなたたちだよ。
森友・加計問題、また自衛隊隠蔽問題などで大きく国民の信頼を失いかけている
安倍政権を、今こそ倒さねばならないときに、は~~~~~ぁ???党を解体???!!!
前原氏など右派の連中は、いったいなに考えてんの?????!!!!!

自公が恐れていたものは何か。市民を巻き込んだ4野党共闘の勢いが増すことだったと思うよ。
『希望』の党が参戦したから野党票が割れる? 『希望』がどれほどのものだというの??
もし、今回の民進党の合流構想がなかったら、究極の風見鶏、小池氏は、都知事職を
すててまで『希望』の党の代表に専念はしないだろう。
若狭氏、細野氏、そして元『こころ』の中山夫妻。そんな人らが代表する、政治資金も
人的パワーも実績もなにもない『希望』が、どれほどの脅威になったと思うの?
あの小池氏が表に立っている。それだけの魅力でしかない。
しかも、その小池氏の魅力などというものは、底の浅い幻想にすぎない。

民進党のリベラルよ。立て。
そしてまだ去就を迷っている議員たちよ。『希望』になどに希望を抱くな。
あなたたちには、国会議員としての、衆院議員としての責任がある!
小池氏がその代表の名を取り上げるまでは新党『希望』の代表?であった若狭氏は、
『一院制』などを新党の政策の『柱』として持ってくるような愚か者だよ。
小池氏も確か以前、そのようなことを口にしていたはずだ。

はああ~~~~~っ??!! 一院制????????
先進国のどこに、一院制の国などある?
スウェーデン、フィンランド、デンマークなど北欧の福祉国はそうじゃないか?
確かに。だが、そうした国は、国民の政治への意識の成熟度が大変に高くて練れているのだ。
そうした国は、これまでの長い時間をかけた熟議で、国民と政府の間に信頼関係が
築き上げられている。そうして政治の透明性がおそらく担保されている。
だから、そうした国々では、高税・高福祉が成り立つのだ。国民が国を信用できるのだ。
一院制でも与党が暴走する恐れをあまり抱かなくてすむのだ。(それでも危ないと私は思うが)

一院制の根本的な危険度は何か。
それは、ただ一つの議会の決定が、そのまま決定となってしまうことだ。
言っては悪いが、そして非常に残念なことだが、日本のように国民が政治に無関心で、
個々人が自分自身の考えで判断する・・・個々人が政治的定見を持つ、ということにおいて
非常に脆弱な国で、また、その時々のムードに非常に流されやすい国民性の国で、
一院制など導入したらいったいどういうことになるか。想像してみればわかる。
悲しいことだが、戦中の『大政翼賛政治』が、日本をどこに導いたか、私たちはあれほど
痛い経験をし、またアジアの近隣諸国に途方もない痛みも味わわせてしまって、
国民が一方向を向いてしまうことの危険を思い知ったはずではなかったのか??

時の政権を握るものに暴走をさせないための仕組みは、分厚ければ
分厚い方がいい

それはまず、憲法そのものだ。とりわけ、『最高法規』としての憲法を明記した第10章。
そして行政府の暴走を止める第二に大事な仕組みが三権分立
一つ一つの事案を衆参両院で議論するという二院制の仕組みも、その極めて大事な仕組みなのだ。

それらをことごとく無視し、政治を私物化しているのが、今の安倍政権だ!
議院内閣制をとっている日本では、衆院選挙における最多議席をえた政党から
慣習的に内閣総理大臣が選ばれ、彼が内閣=行政権を担う。
安倍政権の、憲法や三権分立の仕組みを軽視した専横政治に終止符を打つ。
そのための選挙に、はああああ~~っ!!?? 一院制などを謳う『希望』を選ぶ?
そんなものに、前原氏は、自分の党を、しかも自分に近いものだけならいいが、全議員を、
しかも、参議院議員までもを、党の助成金という持参金つきで差し出したのですよ!
『希望』の党は、参議院はいらない、という党ですよ!!!
民進党内参議院議員は、なぜそのことに激怒しないでいられるの???????????

国民の皆さんもこのことだけは知っておいてください。
参議院は、確かに日本では今は、衆議院の付け足しみたいになってしまっていて、
衆議院≓政権与党のチェック機能を十分に果たしていないただの衆院の追認機関、無駄に
税金を食う機関、と思う方がいるかも知れないが、それはとんでもない認識だ。
参院は、その働きをいまだ失ってはいない。
参院が今、十分に機能していないように見えるのは、国民の皆さん、そういう議員を
あなた方が選んできたからだ。
『良識の府』としての参議院を育てるのもだめにするのも、皆さん、国民なのだ。


一院制、などというたわ言を党の主要政策に掲げる政党が『日本会議』などという
戦前回帰の時代錯誤の思想団体のメンバーばかりであり、政権与党の暴走を止め国民を
護るための大事な仕組みの憲法を変えようとしている政党であるということの恐ろしさを、
それが同じく日本会議ばかりの自民党と結託してこの国の姿を根本から変えてしまおうと
していることの恐ろしさに、皆さん、目を覚ましてください!
おそらく、このたびの民進党解体騒ぎで、中心となっている人々も、日本会議のメンバーか
それに極めて親和性の高い政治信条の議員たちであろう。

日本を再び、翼賛政治のあの時代に似た国にしたいですか?




もう一度言う。
民進党のリベラルよ。立て。
そしてまだ去就を迷っている議員たちよ。『希望』になどに希望を抱くな。
あなたたちには、国会議員としての、衆院議員としての責任がある!

記事はまだ続くが、この記事としての最後に、私の知人の言葉を引用しておこう。

今日現在も、地方で市議選などが戦われてるみたいなんですが、
民進の議員さんは、もう~先が全然見えなくて、
「私は誰?政党はどこ?」
ていうみじめな戦い方をしてらっしゃるようなんです。
前原氏の罪と責任は重大です。
なんか先週からの一連の流れを見てたら、
ひどい取り込み詐欺にあったような気分です。』
 


民進党は、なにも、衆議院議員だけのものではない。
この地方議員の悲しみや動揺。これまで民進党を民進党として支持してきたひとりひとりの国民の
信頼と期待を裏切るのか!!!


去る者は追わない。だが、民進党の名とその資産は置いていってくれ。
『希望』が要求しているという『踏み絵』を踏んで(心痛まぬのか?)、同じく『希望』が要求しているという
500万円だかの『希望』への公認申請金は、自分で用意して去ってくれ!




『民進党解体に思うこと』


やれやれ。びっくりだ。
民進党の離党組またその予備軍が『希望』の党に合流するだろうことはわかっていたが、
まさか党の代表自身が、自らの党を事実上解体してしまうとは。
いろいろな人が論評しているが、私の感覚としては、自民党の重鎮で元衆院議長の
伊吹文明氏の以下の言葉が一番ぴったりくる。

『民進党は、一度は日本の政権を担った。衰えたとはいえ、厳然たる野党第1党。
かつては日本一の会社だった。今、人気という運転資金が無くなってきて、慌てて
本社もない(希望の党という)バブル企業に資金繰りを頼んでいるということでしょう。
10人程度の議員しかいない新興バブル会社が、合弁の条件にいろんなことを言って、
一緒になったらお前は新しい会社で雇用してやるが、お前は雇用してやらないと。
そんな交渉を、おめおめと引き受けるというのはリーダーとしてどうかと思いますよ。
リーダーである限りは、やっぱり自分が責任を持っている議員、党、組織、
立候補予定者を、最後まで身の振り方を全てきちっと仕上げた上で、自分のことを
最後に考えるのがリーダーの当たり前の姿勢。
かつて日本一の政権をとった政党をたたき売って、たかだか10人くらいのバブル企業に、
身売りをするのは、ちょっとわからないですね。』


ほんとうにそうだ。
昨日の驚きと呆然からすこし気持ちを立て直して、冷静になって一日考えてみたが、
どんなに考えても、民進党前原氏の説明では、民進党議員たちにとってのメリットが
あるのかどうか、あるとすればそれはなんなのか、が、私にはどうしてもわからない。
前原氏は、『名を捨てて実を取る』という。
だが、民進党に残された『実』などあるのだろうか???




ちょっと順序立てて考えていってみよう。

確かに、民進党は、その内部のごたごたやもろもろの自分たち自身の引き起こした
要因で、国民の信頼を激しく失い、目も当てられないほどの尻すぼみの状態であった。
今度の衆院選でも、何もしなければ、さらに議席を減らしていたであろう。
だが。その流れを食い止めるためと、安倍政権を引きずり下ろすため、という
名目がいくら切実であろうとも、自ら空中分解して、あろう事か、安倍政権よりもっと
極右的な、そして中身など何もない『希望』の党とやらに、母屋を明け渡してしまうとは!
言ってみれば、民進党の参院議員、地方議員、そしてサポーターなども含めて、
これらをすべて、小池新党なる玉虫色の新興政党に差し出したも同然なのだが?

民進党の失った国民の信頼や人気を、小池氏の人気に便乗して取り戻す。
民進党支持の8%に、小池新党の支持率12%かそこらを上積みして、両者が
合体して国民の民意の受け皿になるとなれば、さらに支持率は上積みされて、
旧民進党議員の落選は避けられ、あわよくば安倍政権を倒してふたたび政権奪還
することも可能になるかも知れない・・・

前原氏はそんなことでも考えてこのたびの大博打を打ったのか?
そんな、捕らぬ狸の皮算用、みたいなことを、衆参両院の議員を前にして、
語ったのであったろうか?記者を閉め出してのちの会の様子はわからないので
知りようもないのだが。

だが。そんな期待、計算など、机上の空論に過ぎない。
国民も馬鹿ではない。
国民の多くが安倍政権のやり口にどれほどうんざりしているか知れないが、一方で、
このたびの民進党の『希望』への合流を、それも、伊吹氏の言うように、まさに
『身売り』という言葉がぴったりするようなプライドもかなぐり捨てた態度で
小池氏の一党に頭を下げて合流させてもらおうとする態度を、国民はしっかり
醒めた目で見つめている・・・。
そんな卑屈な元民進党議員たちを、国民は再び国会に送り出そうとするだろうか??!!
民進党単独で戦っていても、このたびのようにプライドも何もかなぐり捨てて、卑屈に
『安保法制と改憲に賛成かどうか』という踏み絵を踏んで(なんと情けない!)『希望』に
入れてもらっても、どうせそんな情けない議員は落ちる。
それならば、飽くまでも『民進党』として、正々堂々と戦って散っていった方が、国民の
精神衛生のためにもどれほどよかったことか。><

私がわからないのは、前原氏が表向き聞こえてくるような理由だけで、仮に自党の
議員たちにこのたびの党解体と『希望』への合流を両院議員総会説明していたとして、
他の議員たちがそれを『理解』『了承』し、満場一致で拍手で散会したという、そのこと
である!
私には、いくら考えても、その理屈がわからない。
安倍政権をなんとしてでも倒すという大義。それはまあわかる。私も同じだ。
しかし、そのために協力を仰いだのが、安倍政権よりももっと悪質な極右政党、自民党
よりもっともっと定見と節操のない空疎な政党である、ということが、まず理解できない
のである。
しかもそれを、民進党内にもわずかにまだ残っているだろう、まあ『リベラル』と
目される議員たちまでもが、なんの抵抗もなく受け入れた、ということが!

私は、先走りすまいと思って、昨日一日、民進党関連の動きのニュースに注目していた。
とりわけ、午後からの両院議員総会などの様子、そして個々の議員などが発する声を
気をつけて見ていた・・・・
相当に、とまでは行かずとも、両院議員総会では、かなりの反対意見や疑問が
執行部に呈されるだろうと思っていたからである。大揉めするかも、と。
しかし。
あの民進党議員たちのなごやかぶりはいったい何だ??? 緊張した顔をしていたのは
さすがに総責任者たる前原氏のみで、枝野氏などまでが、にこやかに執行部の席で
前原氏に声をかけていたりした。
まあ、テレビでは全員の顔が、ずっと映されているわけではないので、私のように
『悲憤慷慨』して握り拳を固めていた議員ももしかしたらいたのかも知れない・・・。
だが、それにしても、全員一致で、前原執行部の方針を了承、今後のことも一任
したという。伝え聞くところによってもたいした波乱も混乱もなかった、ということは、
まあ、これが民進党議員の総意、といってもいいのであろう・・・

しかし。国民はそれで納得すると思うか?????!!!!!
とりわけ、なんとか、この戦後最悪と言っていい安倍政権を倒すために、民進党
共産党、社民党、自由党などの野党共闘を実現しようと努力し、先の参院選でも
地方選でも一定の成果を上げてきた、名も無き市民連合の人々・・・そして
そこに投票した一般の選挙民の気持ちはどうなのか。彼らは、今度の選挙戦でも
すでに4党共闘のための準備に入り、動き出していたのである。
そのことを前原など執行部は、ちらとでも考えてみたのだろうか。
その他の議員たちも、その市民の想いを想像してみたのだろうか?

私は、何度も書くけれど、これまでも民進党には投票したことがないか、一回くらいは
したかどうかというくらいの、半世紀にわたる社共支持層である。
だが。安倍政権だけはなんとしても一刻も早く倒したい。その一念で、これまでも
『市民連合』に正式に加わってはいないものの、周辺から民進党をも応援してきた者である。
昨年の参院選でも、地元の民進党候補の応援に駆けつけた。(共産党も応援したけど。)
民進党のベテランO氏。民進党内部の事情は詳しくは知らないが、その言動など見て
『リベラル』と言われる会派?に属する人であろう。そのもうすこし高齢の候補は、
選挙予測で危ないのではないか、と言われていた・・・
運動員の腕章を借りてビラ配りを手伝いながら、ずっと私はその選挙運動で真っ黒に
日焼けした顔を遠くから見ていたのだが、なんと寂しそうな顔をしているんだ!と
思ったものだ・・・知的な顔でもあって、長年の政治活動にも汚れていない感じがした・・・

・・・そのひとも、このたびの『民進党解体』を、唯々諾々と受け入れたのであったろうか??
民進党には、数少ないかも知れないが、今の自民党議員などよりは、そうして言っては悪いが
政治家としては 『残滓』の寄せ集めのような、政党渉り歩きの『吹きだまり』のような
小池新党なるものに今いる議員などよりは、少しはましな誠実な議員もいたはずである。
それらが皆、前原氏の意向に心から賛成し了承したのであったろうか???

・・・それならば、もう私などは何も言うことはない・・・




『名を捨てて実を取る』。
政治など決して綺麗事ではないのはわかっている。常にどろどろの世界なのであろう。
だが。それでも、『名』を棄ててしまってはお終いだろう。
『名』というのは、単に民主党とか民進党とかそういう名のことでは無論ないぞ。
『政党としての矜持』である!
少なくとも、国民の信託を受けて一国の政治に携わる・・・そのことへの責任感と
誇り、そして畏れ、でもある・・・
その矜持のない政党などに、『実』など望めようか?



・・・わからない・・・
前原氏の選択には、説明には、全く納得がいかない。
安倍政権を倒すために、もっと極右的な小池氏らと組む???
はあ~っ?????!!!!! なんですかそれは!!!
いくら説明してもらっても、わかりません!



           ***


となると。
前原氏の一見悲壮な顔など作り物。
前原氏らの今回の動きは、何も理解しがたい不思議な動きでも何でもなく、
前原氏ら民進党内の親極右的勢力、安倍政権と何もその思想性において変わらない勢力が、
ついに、民進党解体に踏み切った・・・そして民進党から、邪魔なリベラル勢力を
追い出すことに成功しつつある・・・と見るのが、わかりやすいこのたびの動き、なのでは
なかろうか。

それにしてもわからないのは、それらリベラルと目される人々のふがいのなさ、
である・・・
これも、そう言われる人々は実はリベラルでも何でもなかった、と考えると
ぴたっとすべては理解がつく。
話は違うが、自民党の谷垣禎一氏や河野太郎氏などが、『みなさんはそうおっしゃるが、
私はリベラルでもなんでもありません』と、『リベラル』というレッテルを貼られることを恐れ、
枝野氏もまた民進党内リベラルの中心人物と目されながら、これまで一度も
思い切った行動に出ないことも理解がつくのである。

『リベラル』と言われることが、『アカ』と呼ばれることと同じ汚名ででもあるかのような
ものの見方が、この国では根深くある。
『市民運動家』などというものに対する謂われなき偏見と漠然とした怖れも
同じ心性だろう・・・



そう考えるのは、あまりにも寂しいが・・・・・・
これで、私も、『民進党よ、さようなら』と、決定的に言うことになるのだろうか。

前原氏らの決断に、私のような政治素人など想像もつかないような深謀遠慮が
実はある、と(ないない!苦笑)、民進党内にまだ、気概ある政治家はいると、
信じたいのだが。

ふ~ぅ・・・・・・・・・・・・





この続き、当然のことながら、あります。














『ちーがーうーでしょーっ!』



何もかもが間違っている。
もう、あきれ果てて、憤怒のこぶし握りしめて立ち尽くしているしかない。
これほどの政治劣化を、国民は黙って許していていいのか!

『もりかけ隠蔽』 解散!ちーがーうでしょーっ!
小池新党が民意の受け皿? ちーがーうーでしょーっ!
小池氏が脱原発!?嘘でしょーっ!
民進党が『希望』の党に合流!ばっかじゃないの!

なにもかも。ちーがーうーでしょーっ!




続きは、頭を冷やし情報が今少しはっきりしてから、今夜書く。




『共謀罪法成立 この忖度の国ニッポンで!①』

ついに、『平成の治安維持法』、と呼ばれる共謀罪法案は、衆参の両院で強行採決
され、成立してしまった。もう6月21日には公布され7月11日は施行の運びという。
なんとおぞましいこった!
これほど国内外の多くの識者などから、そのテロ対策への効果への疑問と必然性への疑義、
そして一方で国民の自由権やプライバシー権などを奪うなどその重大な危険性を指摘
されていた法案を、かくも短く粗雑な国会論議ののちに自公維新らがこれほど急いで
採決成立させた本当の理由はなんなのか。
世論調査に拠れば、国民の70%近くがこの法案の意味がよくわからないと答え、その多くが
『成立を急ぐ必要はないのじゃないか』と感じているようだ。
だが、国民の中には、政権の『テロ対策やオリンピック・パラリンピックのためにこの法案は
必要なんだ』という説明に、まんまと欺かれている人々も多そうだ。
街頭インタビューなどで、そう答えている声も聞いた。  
政府と政府寄りの報道機関などが、繰り返し繰り返し『テロ対策とオリンピックのため』と
唱えることで、それが悲しいことに真実のようになっていってしまう・・・・・・
だが、何度でもいうが、この法案が必要な理由としてその二つをあげるのは、それこそ
『印象操作』の最たるものである。

本当の理由は何か。
私は前回の記事で、ざっと次のような理由を列挙してみている。
無論これがすべてではないだろうが。

①警察権(とりわけ公安警察)の拡大強化。
②市民運動など政権に反対する運動の萎縮とジャーナリズムの体制批判萎縮。
③森友学園・加計学園問題からの視線反らし。
④アメリカからの要望(スノーデンなどはそれを指摘している)
⑤やがてもくろんでいる改憲のために、改憲反対言論・集会などの力をそぐこと。



私の詳しい考えを述べる前に、ちょっと前置きしておきたいのだが、安倍政権および自民党が、
共謀罪法成立に固執するのには、〈短期的〉と、〈長期的〉と、大きく分けて二つの理由がある

のではないか。

〈短期的〉理由とは何か。
それは、なぜ安倍政権がかくもこの共謀罪法案の可決を急いだのか、という疑問に直結する。
よく挙げられている理由の一つに、都議選が近づいているために、自民党が同盟を組む
公明党に配慮して、国会の早期閉幕を急いだ、ということがある。自民党都議連そのものも、
小池知事の都民ファーストに押されまくっているので、都議選立候補予定者には、国会の
会期が延長され、共謀罪法や加計学園問題で、悪印象が広がるのは絶対に避けたい、という
ことがあっただろう。

だが、私は、安倍政権そのものには都議選への影響などということは二義的なものに
思えているのではないかと考えたので、敢えて、この5つの項目の中にはこれを入れなかった。
共謀罪法の今後の歴史に与える影響を見た場合のその重大性に比し、都議選、という
課題はあまりにも意味が小さいと思うからでもある。
何よりも私は、小池氏の『都民ファースト』などという政党だかなんだかに全く関心も共感も
ないし、小池氏の政治思想は安倍氏のそれとなんの違いもないので、都議選に
しらけきっている、ということもある。自公維新プラス都民ファーストの改憲勢力が、
都政であるにせよ、予想で7~8割の得票を得るという状況は、これまたおぞましい
のではあるが。

安倍政権が共謀罪法案にかくまで固執し、その成立を急いだ理由。
短期的理由は、ただ一つ。
無論、上記の中の③。あの、森友問題、加計学園問題への安倍総理自身の関与が疑われたので、
その火消しと目くらましのために、共謀罪法審議の方へ、野党と国民の目を反らそうとした

ことだった、と私は考えている。
しかし、これだけを安倍政権が共謀罪にこだわる理由だとしてしまうには、時系列的に行って
無理がある。なぜなら、森友、加計問題が浮上するよりも、共謀罪法案を次期国会(今国会)で
やろうと自公らが思ったことの方が先だからである。昨年からすでにその意図はあった。
森友、加計問題は、非常に重大で大きな問題を含んでいるテーマなので、これらについては
また、このあとで書いていくつもりだが、
私が、この記事で真剣に考えて書いていってみたいのは、むしろ①、②、④、⑤の〈長期的理由〉
の方である。
(②と⑤は同じじゃないかと見えるだろうが、②は言論の萎縮そのものがターゲット。⑤は
『改憲』が至上課題、という点で分けて書いた。まあ、一つにまとめてもいいのだが。)

安倍政権および自民党が共謀罪にこだわる〈長期的理由〉。
それはなにか。


ふ~う・・・これを語るのは長くなる・・・
まずわかりやすいところから行こうか。
⑤『やがてもくろんでいる改憲のために、改憲反対言論・集会などの力をそぐこと


安倍氏および自民党、日本会議の人々などを含む安倍氏周辺の人々の政治的悲願は何か。
それは、あの『GHQに押しつけられた』『醜い』憲法を、改憲することである。
安倍氏が自らいつも繰り返し言うように、それは『自民党結党以来の政治綱領』であり、
1955年(昭和30年)、自由党(1950~1955年)と日本民主党が『保守合同』して
新党『自由民主党』(現在の自民党)を結成したいわゆる『55年体制』の立役者の
ひとりが、安倍氏の祖父岸信介氏であり、岸氏は、その自由民主党の初代幹事長
であった。

党の政綱
昭和三十年十一月十五日

(中略)
六、独立体制の整備
平和主義、民主主義及び基本的人権尊重の原則を堅持しつつ、現行憲法の自主的改正
をはかり、また占領諸法制を再検討し、国情に即してこれが改廃を行う。
世界の平和と国家の独立及び国民の自由を保護するため、集団安全保障体制の下、
国力と国情に相応した自衛軍備を整え、駐留外国軍隊の撤退に備える。


現行『日本国憲法』の改定は、自民党結党以来の悲願であり、それはなにも安倍氏に
限ったことではなく、何代もの歴代自民党政権が願ってきたことではある。
だが、その祖父の日本国憲法を自主改定する願いを引き継ぎ祖父の叶えられなかった願いを
自分の代で実現したいという改憲の想いの強さと因縁にかけて、安倍晋三氏の上を行く
政治家は少ないだろう。
その願いの叶えられる条件が、今ほど整ったことはかつてなかった。
私たち国民が、安倍政権下の与党およびその補完勢力に、衆参両院で改憲発議に必要な
三分の二以上の議席を与えてしまったから
である!!!

すべては、『改憲』に向かってまっしぐらに突き進んでいる。
安倍氏は、第一次政権の時から、着々とその環境を整えてきた・・・
まずは2007年。国民投票法を成立させ、改憲の第一段階をクリアした。
18歳から投票できるとした国民投票法と、現在の選挙権が20歳からということの不整合を
直すため、昨年2016年、公職選挙法をついに変えて、18歳以上に選挙権を与えることにした。
以上は、まず改憲のための法整備、ということである。

国家に従順な国民を育てるには何が一番手っ取り早いか。『教育』である。
2006年。教育基本法改定。

2007年。学校教育法・教育職員免許法及び教育公務員法・地方教育行政の組織及び運営
に関する法律、いわゆる『教育改革関連三法』改定



安倍政権の、教育への過干渉。それは、今回の森友学園問題や、加計学園問題
などとも密接に繋がってくる・・・
森友学園で行われていた幼児への『教育勅語』教育。それを安倍昭恵夫人は素晴らしいと
褒め称え、新設される予定だった小学校の名誉校長に就任。昭恵氏は15年6月から、
加計学園が神戸市で運営する認可外保育施設「御影インターナショナルこども園」でも
名誉園長を務めている。

安倍晋三氏自身も、森友学園問題が表面化して国会で追及されるようになって、
籠池氏との関係をまるでそれまでなかったかのように忌み嫌って(!)断ち切るまでは、
かの森友学園の教育方針を『森友学園の教育方針に私も妻も非常に感銘しており』、と
褒め称えていたのである

さらに言えば、安倍政権下で進む特定の歴史および公民の教科書採択。
たとえば、育鵬社のものだが、加計学園問題で注目されている加計孝太郎氏は、
第一次安倍政権で行った『教育基本法改定』、その改定教育基本法に基づいた
歴史教科書及び公民教科書を出版することを目的として設立された『教科書改善の会』
の賛同者であり、グループの岡山理科大付属中学では歴史・公民ともに育鵬社の教科書を
採択している。


育鵬社の教科書がどんなものか。たとえば公民の教科書に安倍首相の写真が15枚も
掲載されている、ということ一事をとってみれば、それがどのような性質のものか
わかろうというものだ。詳しくは、『育鵬社版の中学校社会科教科書を読んでみた』

話を戻そう。
特定の国家観に沿うような従順な国民を育てるのに有効なのは、『教育への介入』だと
書いた。もう一つある。
それは、国民の『知る権利』を奪うことである。ジャーナリズムを萎縮させること。

共謀罪法案の大きな目的の一つはそれだ。

それは、安倍政権および自民党のこれまでのいろんなやり口や考え方を総合してみれば
明らかなのである。
16年、衆院予算委員会で、放送局が政治的な公平性に欠ける放送を繰り返した場合の
電波停止の可能性に言及した高市早苗総務大臣。
15年。安部首相に近い自民党の若手議員約40人が作家の百田尚樹を講師として招き
開催した憲法改正を推進する勉強会「文化芸術懇話会」の初会合においては、
『マスコミを懲らしめるには広告料収入をなくせばいい。文化人が経団連に働き掛けてほしい』
『悪影響を与えている番組を発表し、そのスポンサーを列挙すればいい』などの発言が相次ぎ、
沖縄県の地元紙が政府に批判的だとして、『沖縄の2つの新聞はつぶさないといけない』と
安倍首相とも非常に親しい作家百田尚樹氏が発言。
NHKの経営委員人事で、自分の思想に近い人物たちを送り込む。一方、自分に批判的な
テレビ局解説者などには、報道が偏向していると言ってクレームを入れる・・・

そうした日本政府の報道への姿勢と報道機関の独立性に対し、国連報告者の
デービッド・ケイ氏が懸念を示すと、共謀罪法に関して国民の自由権やプライバシー権
についての懸念を示した同じく国連報告者のジョゼフ・カナタチ氏に対してと同様に、
日本政府は異常なほどの猛反発を示した・・・
自分たちを批判するもの、苦言を呈してくれるものへのこの異常なほどの過敏な反応・・・。
一方で、読売新聞、日本テレビ系列などへの一部『親安倍』的メディアには、首相自ら
記事を寄せたり出演したりして、報道を私物化する傾向がある。ついには国会での
自らの改憲案に対する『丁寧な説明』はまるで無しに、『読売新聞に書いてあるから
それを読んでくださいと、説明放棄する始末。
このほかにも、この政権の中枢およびその周辺にいる人々がしてきた発言には、政権に
融和的なメディアや私企業には甘いが、国家権力の言うことを聞かない市民やマスコミは
懲らしめていい、というような考え方が充ち満ちている・・・

極めつけは、もうこのブログでも何度も記事にしているが、現行憲法が保障する国民の
諸権利に、自民党改憲草案では、第12条、13条、21条、29条などの条文で、
『公の秩序に反しない限り』という条件を付加していることである。

これは、軽く考えればたいした違いではないと思われる向きもあるかも知れないが、
現行憲法が、主権者たる国民に当然の権利としてさまざまな自由権や生存権に属する権利を
与えているのに対し、『公の秩序に反しない限り』それらの諸権利を認める、という自民党
改憲案の底を流れる根本思想は、国家がその権利を与えてやるよ、という、国家主権の
思想そのもの
であると言うことが、大きな大きな違いであると言うことを、私たち国民は
知っていなければならない。
それは、彼らが回帰したがっているようにしか思えないかつての大日本帝国憲法の、
第29条『日本臣民ハ法律ノ範圍内ニ於テ言論著作印行集會及結社ノ自由ヲ有ス』
(現代語訳: 日本臣民は、法律の範囲内において、言論、著作、印行、集会及び結社の自由を有する。)
に戻るどころか、それよりもなお、強権的色彩を帯びている!

この、自民党改憲草案の『公の秩序に反しない限り』という文言が、
まさに、共謀罪法案の本質を為していると私は思っている。

安倍氏や金田法務大臣が、共謀罪法論議の最中に、『一般人は対象にならない』と何度も言っていたが、
『一般人』とは何か。政権に批判的な言論・運動をしない、すなわち『公の秩序に反しない』
『公の秩序に適合する』おとなしい国民のことを『一般人』と言っているのではないか

そのおとなしい『一般人』も、沖縄の基地闘争の人々のように、自分たちの生活権を守るために
座り込み運動などをすれば、『公の秩序に反した』として、『テロ集団』とみなされる危険性だって
大いにあり得るのである。それに近いことはすでに現に行われている・・・
共謀罪法には277も対象になる犯罪があるが、私がその中でも警察権の乱用の危険性が
あるととりわけ心配するのが、『内乱等幇助、騒乱、往来危険、組織的な威力妨害業務、組織的な
建造物損壊』など
である。こうした罪が対象になるということを後ろ盾に、デモ、集会、散らし配りなど
正当な国民の権利としての政治行動をしている市民団体などに対し、『往来危険』罪などを
適用する、などという極めて警察公安などの恣意的解釈による逮捕などが増えていく恐れは
十分にあり得る。やがて、そうした国民の政治参加は、萎縮して行くであろう・・・

共謀罪法案についての街頭インタビューで、『私はデモなどしないし(関係ない)』と答えていた
人がいたが、自分がデモなどの市民運動をするとかしないとかいう問題ではない。
『反政府的な』言動を取り締まろう取り締まろうとする・・・萎縮させる方向へ方向へと
動く傾向のある政府というものが、国民にとって望ましいかどうかと言う問題なのである。


安倍氏の第一の悲願は、先にも述べたように、祖父もなし得なかった改憲・・・
自民党政権の歴代総理の誰も出来なかった日本国憲法の改定を、自分の政権時において
成し遂げることである。
すべては、その一点に集約されていく・・・
そのために何よりも大きな障害となるものは何か。
世論である。
国民の反対が大きくなれば、改憲は無論なし得ない。
それでは、国民の考え方を変えるにはどうすればいいか。
改憲反対運動など、反政府的な運動を萎縮させることである。
そして、都合の悪い情報を与えないことである。

2013年。特定秘密保護法。
2015年。マイナンバー制度。
2016年。通信傍受法改定。盗聴対象拡大。


そして。
2017年。共謀罪法成立。







(この記事続く)



『共謀罪法案に反対する ②』

共謀罪法案は、60%もの国民がよくわからない、といっているにも関わらず、
衆院法務委員会で採決可決され、23日には衆院本会議で可決されるのであろう。
『テロ対策』『2020東京オリンピック・パラリンピック』のためだ、と言われれば、
国民は、そうかな、やっぱり必要なものなんだろうな、と思わされてしまう。

だが。今回上程された共謀罪法案は、テロ対策や、オリンピックの名を借りて、
国家権力が国民の思想信条・集会結社の自由など現行憲法が国民に保障する権利を奪う、
少なくともそうした活動や精神の自由を萎縮させてしまうものに化けかねない、
いわば、戦中の治安維持法にも似たとんでもない悪法である
ことは、前の記事でも書いた。

とは言えども、普通の(と言う言葉がこの頃私は大嫌いなのだが)暮らしをしている、
いわゆる『一般人』には、自分には関係ない、その恐ろしさも感じない、というもので
あろうことも事実であろう。

この法案が成立しても、『普通の人』の生活は何ら変わらないだろう。
『普通』、市井に慎ましく生きているひとは、テロ準備を疑われるような物騒なことは
考えもしないし、それに荷担・共謀を疑われるようなことはしない。
また、『物言えば唇寒し秋の風』と、昔から言うけれども、なにも権力にたてつくようなことを
物言うようなことをしさえしなければ別にこんな法案が通ろうが怖いことはないのである。

今回、この法案の審議中、政府側の人間の口から何度も、『一般の人にこの法律が
適用されることはない』という保障が語られたけれども、そう!まさに!この『一般の人』
と言うのが、こうした、慎ましくおとなしく生きている物言わぬ民のことなのであろう。

しかし、世の中はそれでいいのだろうか。
政治家や官僚、またその他いわゆる権力を行使できる立場にいる人々が、常に正しいことを
するとは限らない。ときに彼らもとんでもない間違いを犯すことだってあり得るだろう?

政治やその他権力者のしていることがおかしければ、それを『おかしい』、『間違っている』と、
勇気を持って言う人考える人がいなければならないだろう。
最悪、政治や権力があまりにもひどい場合には、立ち上がって戦うことも必要だろう?
この悪法が成立し、施行されていくということで問題なのは、そういう人々がこの法で萎縮して
いなくなっていく怖れがある、ということなのである。

それで萎縮する程度の正義感なら、もともとたいしたものではない、と思われるかも
知れないが、世の中の正義というものは、たとえ弾圧されようと屈しないそういう桁外れの
強い意志を持った一部の人だけが守っているのではない。
強い抵抗者ではあり得なくても・・・、なにも物言えずとも・・・、心の内に不正を憎み正しいことを
志向する多くの『一般の』人々が、『世論』というものを形成して初めて力を持つものなのである。
今度の法律は、悪用されれば、そういう人々が、あきらめ萎縮していく・・・。そのことが怖いのである。
あるいは、マスメディアなどジャーナリズム、教育界などが、急速に、あるいは徐々に
萎縮していって、権力にあらがうようなことはしなくなる、そのことが怖いのである。
ジャーナリズムや教育が、権力を忖度しその意向を察して動くようになると何が起こるか。
国民は、『知ること』が出来なくなる。
知らなければ、問題意識もおこらないから、ますますおとなしい物言わぬ民が、『一般人』が
増えていく・・・。

要するに、権力にチェックを入れるものがいなくなってしまうのである。


今回の『『組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する法律等の一部を改正する法律案』、
いわゆるテロ等準備罪を含む組織犯罪処罰法改正案、要するに『共謀罪法案』の本質は、
そこにある。

5月20日付朝日新聞に、こんな小さな記事が載っていた。赤字強調は彼岸花。
『「共謀罪」法案、国連特別報告者が懸念 首相に書簡送る』

特定の国の人権状況などを調査・監視・公表する国連特別報告者で、「プライバシー権」担当のジョセフ・カナタチ氏(マルタ大教授)が、「プライバシーや表現の自由を制約するおそれがある」として懸念を表明する書簡を安倍晋三首相あてに送った。18日付。書簡は法案の成立を急いでいるために十分に公の議論がされておらず、人権に有害な影響を及ぼす危険性がある」と立法過程の問題にも言及している。

そして次のような懸念を示しているというのだ。
①法案の「計画」や「準備行為」が抽象的で恣意(しい)的な適用のおそれがある
②対象となる犯罪が幅広く、テロや組織犯罪と無関係のものを含んでいる
③どんな行為が処罰の対象となるのか不明確で、刑罰法規の明確性の原則に照らして問題がある
共謀罪を立証するためには監視を強めることが必要となるがプライバシーを守るための
 適切な仕組みを設けることが想定されていない




安倍政権は、国連の『国際組織犯罪防止条約』に入るために、国内法を整備しなければならない、
そのために今回の『組織犯罪処罰法改正案』いわゆる『共謀罪法』を新たに設けなければ
ならない、と言っているのだが、当の国連関係者から、その成立過程の杜撰さやその恣意的運用の
危険ひいては国民の人権侵害の恐れを指摘されているのである。

このジョセフ・カナタチ氏の懸念と共に、一つ前の記事で同じく私が引用した米ノースイースタン大
ニコス・パッサス教授の言葉を思い出してもらいたい。彼は国際刑法の専門家で、2000年に
国連総会で採択された同条約に関連し、各国が立法作業をするための指針を示した『立法ガイド』の
執筆で中心的役割を担った人である。

『「国際組織犯罪防止条約の目的はテロ対策ではない」と明言。
それぞれの国は、完全に条件を満たしていなくても条約を批准することは可能
と指摘。
国内法の整備においては)法の支配にのっとり公正でなくてはいけない。
日本国民の意向を反映させるべきだ
」と忠告する。


国民の60%以上が、まだ法案の意味がよくわからないといっている中、あんな恥ずかしいレベルの
審議をわずかにしたのみで、このように海外の専門家からさえ危険を指摘されるような法案を
国会における数の力を利用して強行採決するこの政権のやり口が、果たして『法の支配に則って
公正に行われ日本国民の意向を反映したもの』と、言えるのであろうか???!!!

           ***


さて。実はここからが、私がこの記事で本当に言いたいことだ。
今、政府与党が遮二無二 この際通してしまおうとしているこの『共謀罪法案』。
前の記事でも引用したのだが、もう一度上記ニコス・バッサス氏の書いた当の
国際組織犯罪防止条約のための『立法ガイド』に戻ってみよう。
そこには、こんな一文がある。

43. 国内法の起草者は、単に条約文を翻訳したり、条約の文言を一字一句逐語的に
新しい法律案や法改正案に盛り込むよう企図するよりも、むしろ条約の意味と精神に
主眼を置くべきである
。法的な防御や他の法律の原則を含め、新しい犯罪の
創設および実施は、各締約国に委ねられている(第11条6項)。したがって、
国内法の起草者は、新しい法が国内の法的な伝統、原則、
および基本法と合致するものとなることを確保しなければならない。

これによって、新しい規定の解釈において裁判所や裁判官の違いにより対立や
不確定要素が生じる危険性を回避することができる。


ああ!私は、この一文を読むと、私たちの現日本国憲法の前文や、国民に侵すことの出来ない
永久の権利としての基本的人権を保障した第十一条や『すべて国民は、個人として尊重される』とし、
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利に最大の尊重を約束した第十三条や、
法の下の平等を明記した第十四条、また、私が、これを付け加えておいてくれたことを
一番GHQの人々に感謝する・・・そして自民党改憲案では見事に全削除されようとしている
第十章『最高法規』の条文を読んだときのように、涙が出てきそうにさえなる・・・・・・

第十章 最高法規

第九十七条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである

第九十八条 この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。
2 日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。

第九十九条 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。




・・・なぜ、こんな堅苦しい憲法などの法律の条文を読んで涙が出てくるのか。


それは、そこに、人類の叡智が凝縮されているからである!




安倍政権の『共謀罪』法案成立過程とその中身に、人権侵害の危険を予感し、懸念の
書簡を安倍総理宛てに送った国連のジョセフ・カナタチ氏、同じく国連の『組織犯罪防止条約』
のための立法ガイドを執筆したニコス・パッサス氏。そして、71年前、日本国憲法草案に
『第十章 最高法規』の条文を滑り込ませておいてくれた、若きGHQの軍人たち・・・

彼らは皆、『法の理念』というものの大事さを知る人々であった、また今、ある、ように思う。
法律は、ときの権力者などによる恣意的な書き換えや運用を許すものであってはならない。
ましてや、一国の根本理念を書いた憲法においては。

ところが、私たちの国の今の政権の人々は、その、法や憲法の理念の大事さに対する『畏れ』がない。
彼らは、一国の法や憲法を、自分たちのものだとでも勘違いしているのではないか。
行政府の長である総理が、憲法を2020年までに変えると言う・・・

何が腹が立ち何が悲しいか情けないかと言って、私が、一番、腹立たしくもまた情けなく
思うのは、この国が今、『理』というものをどぶに捨て去ろうとでもしているように思えることだ・・・

『理』『理念』『理性』・・・『人類の叡智』と言ってもいい。
人類が、長い時間をかけて学んできたもの・・・
血と涙と汗と・・・ときに命をかけて獲得し守ってきたもの・・・

そこには、あらゆる尊いものが含まれている・・・
『平和』 『自由』 『平等』 『人権』
『人としての信義』・・・『真理やより高いものを希求するこころ』・・・『豊かな想像力』・・・
『人間の高潔さ』・・・『根本的優しさ』・・・
そうした情動的なものから、『人間の智の総和、とでも言えるような学問・知識の
分厚い蓄積』まで。
無論そこには、『法』とは何か。『民主主義』とは何か。『法治国家とは何か』
などといった概念やそれを獲得するまでの人類の長い戦いの記憶も含まれている・・・・・・・・・
『教育やジャーナリズムの不偏・独立性』という大事な原則もある・・・

そうしたものが、一部の政治家の恣意によって、蹂躙・破壊されていいのか?!

今、世界は、激動期に入っている。
それに振り回されてはいけない。
人類が長い長い時間をかけて築いてきたものがあるはずだ。
それは、この宇宙の大きな『理』にも合致する、極めて賢い理念のはずだ。


         ***


まだまだ、想いをうまくすべて書き表せないのだけれど、また、続けて書いていこう・・・





『共謀罪法案に反対する』

『共謀罪法案』。
政府が言うところの『組織的な犯罪の処罰及び犯罪収益の規制等に関する
法律等の一部を改正する法律案』が、いよいよ19日中にでも衆院法務委員会で採決可決され、
来週23日頃には、衆院を通過しそうである。

みんな、この法案のことをいったいどのくらい理解しているのだろう・・・
政府は、委員会で30時間審議した、もう十分だ、と言うつもりだろうが、このような曖昧な、
しかも、現在から将来にわたって大きな禍根を残すことになるかも知れない法案を、
わずか30時間の審議、それも、皆様ご存じのように法務大臣自体が法案を本当に
理解しているのかどうなのか、へろへろの答弁と、官僚の代弁ばかりでいたずらに
時間をつぶしてしまったそんなお粗末な審議で、通してしまおうとしている。

この法案を通したいと急いでいる人々は、この法が成立しないと、日本は
『国際的な組織犯罪の防止に関する国際連合条約』(略称『国際組織犯罪防止条約』
パレルモ条約とも。)に入れない
、と言う。
『テロを含む組織犯罪を未然に防止し、これと戦うための国際協力を可能にするための
この条約を締結することが必要不可欠であります』(安倍首相の演説より)
そして、世界の百数十の国および地域がすでにこれを締結していて、まだ締結していないのは
日本とどこそこだけ、と言うような言い方をして国民を煽る。

だが。本当にこの共謀罪(テロ等準備罪を含む)法が成立しなければ、日本はテロ対策が
出来ないし、国際組織犯罪防止条約にも入れなくて、世界から取り残されていくのだろうか?
そもそも、共謀罪法を通したら、テロ対策はそれで成った、と言えるものなのだろうか?

私たち国民は、わかりやすいプロパガンダに概して弱い。
この共謀罪法を、『テロ対策』と2020年東京オリンピックのため、と言われると、
「ああ、そうか。それはひつようかも」と思い込んでしまいそうである。

だが待ってくださいよ。

5月5日の朝日新聞朝刊にこんな記事が載っていた。
米ノースイースタン大のニコス・パッサス教授は、国際刑法の専門家で、2000年に
国連総会で採択された同条約に関連し、各国が立法作業をするための指針を示した
『立法ガイド』の執筆で中心的役割を担った人であるが、その人自身が、
そもそも、『テロ対策は国際組織犯罪防止条約の目的ではない』と語ったというのだ。
また、条約に加わるために新規の立法が必要なのか、と言う問いに対しては、
『既存法で加盟の条件を満たすのであれば、新法の必要はない』と語ったと言う。

http://www.asahi.com/articles/DA3S12923852.html
朝日新聞の記事は、途中までしか読めない。
だが、5月18日のテレビ朝日系列「報道ステーション」で、この件について詳しくやっていたので
そちらを是非見てほしい。

https://www.asahi.co.jp/webnews/ann_g_000100921.html

こちらの説明から引用しよう。

『「国際組織犯罪防止条約の目的はテロ対策ではない」と明言。条約は、マフィアなどの経済犯罪を取り締まる目的で制定されたもので例外的にテロリストが対象になるのは、資金集めなど金銭的な利益を得る目的で犯罪を行った場合だけだという。パッサス教授は、過激派組織「イスラム国」などに対する制裁措置を定めた国連決議がテロ対策としてすでに機能していると指摘。日本は、国連の主要なテロ対策条約13本についてもすでに批准、法整備まで完了している。パッサス教授は「テロなどの犯罪に対して、現在の法体系で対応できないものは見当たらない」と話す。さらに、「それぞれの国は、完全に条件を満たしていなくても条約を批准することは可能と指摘。「どの国の政府も、国際条約を口実にして国内で優先したい犯罪対策を実現させることは可能。(国内法の整備においては)法の支配にのっとり公正でなくてはいけない。日本国民の意向を反映させるべきだ」と忠告する。


つまり簡単に言うと、今、日本政府が、『テロ防止やオリンピックの安全な開催のためには、
国際組織犯罪防止条約に入らなければならない。そのためには、新しい法を作る必要がある。
(つまり共謀罪法が必要だ)と言って、十分な中身の審議もないままに、国民への十二分な
衆知も図っていないままに、この法案をしゃにむに通そうとしているのは、おかしいと言うことだ。

私は、この共謀罪法案の本質は、テロ対策やオリンピックの名の下に、国家が
国民の言論や思想の自由、集会・結社の自由など、現行憲法で保障された権利を
制限しよう、萎縮させようとしている、というところにあると思っている。

大げさすぎ、恐れすぎじゃない?と思われるだろうか。
だが、それは、自民党の改憲案と比べてみるとよくわかるのだ。現行憲法では、主権者たる国民に、
生存権、自由権などさまざまな権利が保障されているが、それに対し、自民党改憲案では、
いたるところの条項に『公益及び公の秩序に反しない限り』という文言が付け加えられている。

『公の秩序に反しない限り』と言う文言にとりわけ注意してもらいたい。
今共謀罪審議で、何度も何度も『一般人は対象とならない』と法務大臣以下は答弁しているけれど、
『一般人』という言葉の定義は何か。
自分は一般人だから関係ないな、思っている人でも、捜査当局が『公の秩序に反した』と
判断したら、共謀罪の対象になりかねないのが今度の法案なのだ。
とりわけ、国民を縛る意図を秘めた共謀罪法案に関連して、自民党改憲案の中で象徴的なのが、
第二十一条の改憲案である。
現行憲法は、『第二十一条 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。』
となっているだけだが、自民党改憲案では、
『2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
並びにそれを目的として結社をすることは、認められない
。』
という条文が付け加えられているのである。

また、第一次安倍政権以来の、この政権の『教育への干渉』の強い意志や、秘密保護法など
を含む諸法・諸制度の改悪の方向を合わせて考えると、よりはっきり見えてくるものである。

私は、デモなどにも行かないし、一切の危ない政治活動などはしないから、共謀罪の
対象になどなり得ない、とお思いだろうか。
だが。本当は、今回の共謀罪法案の怖さは、自分が実際にその対象になるかならないか、
などという問題ではない、と私は考えている。
これは、国民の『知る権利』の問題である。国民が、国家のくびきから自立した存在で
いられるかどうか、というぎりぎりのところで、大きな禍根を残すことになる法案だ、と
考えているのである。

本当は、このことについてしっかりと書かねばならないだろう。次の記事でそれについて書く。

だが、この記事では、ニコス・パッサス氏の言葉に添えて、氏が起草した、当の
国際組織犯罪防止条約のための『立法ガイド』の中の、次の一文を、とりあえず
掲げておこう。

43. 国内法の起草者は、単に条約文を翻訳したり、条約の文言を一字一句逐語的に新しい法律案や法改正案に盛り込むよう企図するよりも、むしろ条約の意味と精神に主眼を置くべきである。法的な防御や他の法律の原則を含め、新しい犯罪の創設および実施は、各締約国に委ねられている(第11条6項)。したがって、国内法の起草者は、新しい法が国内の法的な伝統、原則、および基本法と合致するものとなることを確保しなければならない。これによって、新しい規定の解釈において裁判所や裁判官の違いにより対立や不確定要素が生じる危険性を回避することができる。


今度この政権が無理矢理通そうとしている『共謀罪法』は、犯罪実行前の幅広い摘発を、
それも捜査当局の恣意を許す恐れのある危ういものだ。本来、日本の刑法は、実行後の
処罰を原則としてきた(既遂処罰原則)のに、この共謀罪法案は、その日本の刑法の体系を
大きく変えるものになっている。
上記に引用した『立法ガイド』の、『国内法の起草者は、新しい法が
国内の法的な伝統、原則、および基本法と合致するものとなることを確保しなければならない』
とする、その『国内の法的な伝統』と合致しないどころか、国内法の体系を根本から
破壊する恐れさえある法
だと私は思う。
さらに。
同じく上記立法ガイドで、『基本法と合致するものとなることを確保しなければならない』とある
その基本法、すなわち、日本にとっては『日本国憲法』の保障する
国民の内心の自由までもを奪いかねない醜悪かつ稀代の悪法を、
私たちの国は今、通してしまおうとしているのだと
言うことを
しっかりとここで言っておきたい。


『立法ガイド』の訳文は、こちらのサイトからお借りしました。
『国連立法ガイド』を読んでみよう
http://blog.goo.ne.jp/hosakanobuto/e/8f36e10fcd09bb4e6962c52da297b697


(この記事続く)







『日本国憲法公布の日に』


こんな調査のデータがある。
ご覧になったことおありだろうか。


世界の憲法に謳われている権利ランキング


これは、今からちょうど4年半前、2012年5月3日付の朝日新聞に載っていた
記事中のデータである。
本文を、下の方に引用させていただくが、簡単に言うとこういうことだ。

                   ***  

2012年、ワシントン大学(米ミズーリ州)のデービッド・ロー教授と、バージニア大学の
ミラ・バースティーグ准教授が、成文化された世界のすべての憲法188カ国分を分析した。
第2次大戦後の1946年から2006年まで、各国憲法の改正や独立国の新憲法をチェックし、
国民の権利とその保障の仕組みを項目ごとにデータ化。国際的な変化が年代別に分かるように
した
のである。
上の表は、その結果のうち、日本とアメリカを比較したもの。

少し説明しよう。
ご存じのように、私たちの日本国憲法は、今からちょうど70年前の1946年11月3日に
公布され、翌年1947年の5月3日に施行された。
私たちの憲法は要するに今から70年前に作られたのだが、信教の自由、報道・表現の自由、
平等の保障、集会の権利、団結権、女性の権利、移動の自由の権利、労働権…などなど
以上にあげた国民の諸権利を、70年前にすでに憲法で国民に保障している、
極めて先見性に富んだものであって、それは今も、世界の憲法の最先端を行っている、
ということなのである。


アメリカの合衆国憲法と比べてみよう。
アメリカ合衆国憲法では、日本国憲法で保障されている『団結権』『女性の権利』
『移動の自由』『労働権』『教育の権利』『違憲立法審査権』『身体的権利』などが
2012年のこの時点でまだ成文化されていないのである!


横軸に、『1946年』『1976年』『2006年』とあるが、この下の数字列が何を意味するかというと、
たとえば、『女性の権利』でいえば、1946年の時点では、世界の憲法中、それを
明文化してある割合は35%しかなかった、ということである。ところが1976年には70%、
2006年には91%の国で、憲法に『女性の権利』が謳われることになった、ということである。
『身体的権利』については、いまだに79%の国でしか憲法で保障されていない。
日本ではどうか。

奴隷的拘束・苦役からの自由(18条)
適正手続を受ける権利(31条)
不法な身体拘束からの自由(33条)
理由の告知・弁護人依頼権を与えられなければ抑留・拘禁されない権利,正当な理由なく拘留されない権利(34条)
令状がなければ住居侵入・捜索・押収されない権利(35条)
拷問・残虐な刑を受けない権利(36条)
公平な裁判所の迅速な公開の刑事裁判を受ける権利,刑事被告人の証人審問権,弁護人依頼権(37条)
自己に不利益な供述を強制されない権利(38条)


…こんなに多くの条項で、国民が不当に身体的拘束を受けないよう、憲法で守っているのである!
既に70年も前に。
『アメリカから押し付けられた恥ずかしい憲法である!』、と、今、一部の人々が
これを根本から変えてしまおうとしている私たちの現行憲法は。

最後の60番目に挙げられている『武装する権利』のところを見てみようか。
当然アメリカは、憲法でこれを保障している。だが日本では、ご存じのように、憲法第9条
で不戦の誓いをし、『戦力はこれを保持しない』と謳っているので、この項目は×印に
なっている。
今、自衛隊を今のあいまいな位置づけから『国防軍』と明確に位置づけ、内閣総理大臣を
その最高指揮官と位置付け、国民にも国とともに国土を守ることを義務付けした
憲法草案が、自民党によって出されている。
『軍隊を持つ普通の国』と、総理やその周辺の人々などは盛んに言うが、しかし、
この表を見ると、憲法で『武装する権利』を明文化などしている国は、世界の188カ国中、
わずかに2%しかないのである!
しかも、それは、1946年の10%から、2006年の2%へと、減ってきているのである!



               ***

この調査は、今日本を分断する『護憲か改憲か』、などという二項対立から全く離れたところで、
アメリカの大学教授たちが客観的に行った調査である。
『日本では、米国の「押しつけ」憲法を捨てて、自主憲法をつくるべきだという議論もあるが』
という問いに対して、デーヴィッド・ロー教授の言った言葉。
『奇妙なことだ。日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支持が強固
だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する
政争の道を選ばなかったのは、日本人の賢明さではないでしょうか』




この言葉を、改憲を目指す政府与党だけでなく、憲法のことをあまり考える機会の少ない
国民全員に、11月3日というこの日に、もう一度しっかり噛みしめてもらいたいと、私は思う。

確かに、ドイツ、カナダなど、憲法の条文を何回も変えて、時代や環境に合わせるように
改善してきた国はたくさんある。
だが。 これらの国々に見る通り、

憲法をもし変えるのであれば、前のものより優れた
ものになっていなければならないはずだ。

およそ先進国とも名乗る国で、憲法を改悪する国などどこにあろう。

世界にこうして誇れる私たちの日本国憲法が70年前に公布された
この日が、それを時代に逆行する悪法に変えようとしている勢力によって、
復古主義的な『明治の日』に変えられることなど、私は断固として反対する。




               ***


   『日本国憲法、今も最先端 米法学者ら、188カ国を分析』
                  2012年5月3日付「朝日新聞」          
世界に民主化を説く米国の憲法は、急速に時代遅れになっている。一方、日本の憲法は今でも先進モデル――。米国の法学者たちが世界の国々の憲法をデータ化して分析した結果だ。日本の憲法は3日、「65歳」になるが、世界の最新版と比べても遜色がない。
■最古の米国、時代遅れに
 分析したのは、ワシントン大学(米ミズーリ州)のデービッド・ロー教授と、バージニア大学のミラ・バースティーグ准教授。対象は成文化された世界のすべての憲法188カ国分。
 第2次大戦後の1946年から2006年まで、各国憲法の改正や独立国の新憲法をチェックし、国民の権利とその保障の仕組みを項目ごとにデータ化。国際的な変化が年代別に分かるようにした。
 それを見れば、時代とともに新しい人権の概念が生まれ、明文化された流れが読める。たとえば、女性の権利をうたった憲法は1946年は世界の35%だけだったのが06年は91%に、移動の自由も50%から88%に達した。最近では、お年寄りの権利も上昇中だ。
 国別に見ると、国際情勢の断面が浮かぶ。独立後間もない18世紀に定めた世界最古の成文憲法を抱える米国は、長らく民主憲法の代表モデルとされてきた。だが、この研究の結果、特に1980年代以降、世界の流れから取り残される「孤立」傾向が確認された。
 女性の権利や移動の自由のほか、教育や労働組合の権利など、今では世界の7割以上が盛る基本的な権利がいまだに明文化されていない。一方で、武装する権利という世界の2%しかない「絶滅」寸前の条文を大切に守り続けている。
 米連邦最高裁判所のギンズバーグ判事は、民衆革命を昨年春に遂げたエジプトを訪ねた際、地元テレビでこう語った。「今から憲法を創設する時、私なら米国の憲法は参考にしない」。憲法の番人である最高裁判事自らが時代遅れを認めた発言として注目された。
 米国に代わって最先端の規範として頻繁に引用されるのは、82年に権利章典を定めたカナダや、ドイツ、南アフリカ、インド。政治や人権の変化に伴い改廃を加えてきた国々だ。憲法の世界でも、米国の一極支配から、多極化へ移っている現実がうかがえる。
■不朽の先進性、実践次第
 一方、日本。すぐに思い浮かぶ特徴は戦力の不保持と戦争の放棄をうたった9条だが、シカゴ大学のトム・ギンズバーグ教授によると、一部でも似た条文をもった国は、ドイツのほか、コスタリカ、クウェート、アゼルバイジャン、バングラデシュ、ハンガリーなどけっこう例がある。
 世界から見ると、日本の最大の特徴は、改正されず手つかずで生き続けた長さだ。同教授によると、現存する憲法の中では「最高齢」だ。歴史的に見ても、19~20世紀前半のイタリアとウルグアイに次いで史上3番目だという。
130502kenpou  だからといって内容が古びているわけではない。むしろ逆で、世界でいま主流になった人権の上位19項目までをすべて満たす先進ぶり。人気項目を網羅的に備えた標準モデルとしては、カナダさえも上回る。バースティーグ氏は「65年も前に画期的な人権の先取りをした、とてもユニークな憲法といえる」と話す。
 ただ、憲法がその内容を現実の政治にどれほど反映しているかは別の問題だ。同氏らの分析では、皮肉なことに、独裁で知られるアフリカなどの一部の国々も、国際人権規約などと同様の文言を盛り込んでいるケースが増えている。
 「同じ条文であっても、どう実践するかは国ごとに違う。世界の憲法は時代とともに均一化の方向に動いているが、人権と民主化のばらつきは今も大きい」。確かに日本でも、女性の権利は65年前から保障されてはいても、実際の社会進出はほかの先進国と比べて鈍い。逆に9条をめぐっては、いわゆる「解釈改憲」を重ねることで、自衛隊の創設拡大や海外派遣などの政策を積み上げてきた。
 日本では、米国の「押しつけ」憲法を捨てて、自主憲法をつくるべきだという議論もある。それについてロー氏は「奇妙なことだ」と語る。「日本の憲法が変わらずにきた最大の理由は、国民の自主的な支持が強固だったから。経済発展と平和の維持に貢献してきた成功モデル。それをあえて変更する政争の道を選ばなかったのは、日本人の賢明さではないでしょうか」(ワシントン=立野純二)」



『とりごえ勝手連@・・・』


都知事選まであと6日。

ぐずぐず言ってても仕方ないので、とにかくできることはしようと、『鳥越氏を都知事に!』
の勝手連に参加して、ふたたびビラ配りなど毎日している…

今日は講演会のビラ配り。
ビラ配りの場所は、駅前の広場なのだが、そこには、いつもと違う光景が今、出現している…
例の『ポケモンGO』というものでしょうか?
それをやっているらしき若者たちが、駅前に何十人と集まって、でも互いに顔見知り、などと
言うのでもないらしく、ただ隣り合わせに座りこんで、スマホ画面を覗き込んでいるのである。
『トレーナー』さんっていうのかな?

ビラ配りしながら、みていると、歩いているトレーナー同士が、ぶつかったりしている。
画面に気を取られていて、前を見ないで歩くので、お互いにぶつかりあうのだ。
私も、一度、とん!と後ろからぶつかられた。
でも、私にぶつかったことにも、気がついていないみたいだった。
ぶつかられた私が、『あ!ごめんなさい!』なんて言ってたんだけれども><反応なく。

危ないよ。
大きな事故に遭わないように。 

選挙にも関心持っておくれ。








『国民投票とはどんなものか ① 露骨な情報操作の中で』


次から次にいろんなことが起こって、昨日のことがあっと言う間に遠い日のことの
ようになってしまう。
こうやって世の中のめまぐるしい動きに流されているうちに、着々と改憲の動きは
自公によって水面下で進められているのであろう。
続きを書かなくては。だがもう、参院選について語っても仕方あるまい。

どのような重大な事も、それがいったん決定してしまうと容易にそれを受け入れ、
そこで思考をストップさせてしまう性癖の強い日本人


…昔からそうだった…
もう、恐ろしいことに、改憲阻止勢力の敗退と共に、『国民投票』も『憲法改正』さえもが、
国民の間で規定の事実として認められ受け入れられつつあるようだ。

また後手後手にならないよう、憲法改訂のための国民投票についてしっかり書いていこう。
まずは、国民投票の道順を一応確認して知っておこう。


3.憲法改定までの道順

  
(1)憲法改正原案の発議(例:衆議院発議の場合)
  改訂提案議員
(複数名)が、衆議院なら100名以上の賛成議員の氏名
  (参議院なら、50名以上)を連ねて、
衆議院に改正原案を発議

(2)衆議院憲法審査会(委員数50名)による憲法改正原案の審議。
  ここで大事なことは、以下の下線のところです。
  この『委員』は、衆参それぞれの議席数に応じ各党に委員が配分される。 

(3)衆議院憲法審査会による憲法改正原案の議決。
  出席議員の過半数の賛成で可決。

(4)衆議院本会議(475名)における憲法改正原案の審議と議決。
  衆議院議員総数の3分の2(317名)以上の賛成で可決。

(5)参議院憲法審査会(委員数45名)に送られて審議される。
  ここで大事なことは、やはり、『参議院の議席数に応じ各党に委員が配分される。』
  ということです。

(6)参議院憲法審査会で採決。
  出席議員の過半数の賛成で可決。

(7)参議院本会議(242名)における憲法改正原案の審議と議決。
  参議院議員総数の3分の2(162名)以上の賛成で可決。

(8)これで、憲法改正案の発議はなされ、そのことが国民に告示される。


(9)発議から60日~180日の間に、国民投票が行われる。
 この国民の考慮期間の長さは、国会にて議決されて決められる。
 ここで大事なのは、最悪の場合、わずか60日で、国民投票に至る。その長さも、
 国会議員が決める。

 ということなのです。

(10)憲法改正案が、国民投票にかけられる。
 国民の有効投票数の2分の1以上で憲法改正案成立。





上記、(1)から(10)までの過程を、背景に色をつけてみた。
なぜ、こうしたか。
憲法改正に関する過程の(1)から(9)の途中までは、実に、国会議員が
これを行う、
ということである。国民が携われるのは、実に、(9)と(10)の
最終段階に過ぎない。



このことで何が言いたいか。
安倍首相は、改憲について尋ねられるたびに、少し鼻白んで、『だって、それは、国民の
皆さんが、最終的にお決めになることなんですよ』
と、言う。
総理の発言は、国民投票法の手順としては確かにそうだが、国民投票の理念としては、
その理解があまりにも傲慢だ、ということである。

私たちは今回の参院選で、おそらく国民のかなりの部分の人々が、この憲法の
改憲要件、『衆参それぞれの議員の3分の2』ということを知らぬまま、あるいは
それをよく知らされぬまま、投票行動を行った。
実際は、どんな改憲案が出てくるのかも、どの程度、国民がそれを十分に理解するまでの
公平かつ十分な議論や報道が行われるのか、ということは、その時になってみなければ
わからないのである。
この政府の
●『集団的自衛権行使容認の閣議決定』、●『国会での同じ答弁の繰り返しによる時間稼ぎ』
●『安保関連法制一項目あたりは平均すれば僅か11時間程度の審議時間にすぎない』
●『強行採決ともいえる強引な国会議決』●『秘密保護法、●TPP、などの審議の秘密主義』…
などの、過去の案件で示された
十分な審議してくれ!という国民の願いを無視した強引で傲慢な手法
を考えると、憲法改定というこの国のかたちまで変えてしまうような大事な議論が、
これから、安倍首相の息のかかった国会議員たちと、『偏向と忖度』ばかりの
報道の下、行われていくのか
と思うと、私は本当に心配でならないのである…

私は20日あまり前、こんな記事を書いた。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1876.html

『報道の自由』国民の知る権利』がいかに何物にもまして大事か、という記事だったのだが、
そこで私は、こういう意見を引用した。

 この表現の自由が保障されることによって、国民は自分の政治的な意見を持つことができ、
 自分たちの代表者である国会議員を選ぶことができます。
 逆に言うと、表現の自由が憲法違反の法律や行政処分で違憲状態にまで制限されると、
 国民の政治的意見が損なわれてしまい、国会議員の構成まで本来と違うメンバーが
 選ばれてしまう
ことになります。
 このような違憲状態で選ばれた国会議員は憲法違反の法律を改めようとは絶対にしないでしょう。
 なぜならそういう違憲な法律でこそ、自分は選ばれたんですから。』



ここでいう『表現の自由』を、『知る権利』という言葉に置き換えれば、私の危惧がよく
おわかりいただけるだろうか。
国民が憲法改定の国民投票に対する十分な情報もない中で選んだ国会議員たちによって
国民投票が発議され、審議され議決される。しかも、上記手順のところで注意喚起したように、
憲法審査会の委員は、衆参両院とも、それぞれの議席数に応じ各党に委員が配分される
多少の斟酌はされるであろうが、衆参両院とも改憲勢力の議員が3分の2を占める中で、
憲法審査会の委員が各党にその議席数に応じて配分されるのである。
識者など参考人も召喚されるであろうが、これもまた、改憲勢力の圧倒的主導によって
選任されることだろう。(2015年6月4日。衆院憲法審査会で、参考人として意見陳述した
長谷部恭男、小林節さんらの三人の憲法学者が、『安保法制は憲法違反』と明言した
例で懲りているので、今度は自公は自分らの改憲案に沿うバリバリの改憲論者を
選任してくるであろう…)
これでどうして、国会における憲法改正討議が、公正に公平に行われ得るだろう?

私は本当に嘆く。

憲法改正が政権の悲願でありながら、そのことが争点であるということを表に極力出さず、
参院選前と最中は、改憲について露骨に発言を封印した自公政権と、
それに露骨に加担したジャーナリズム。
そのような中で行われた国会議員選挙で選ばれた議員たちによって、これから
憲法改正の国民投票が発議され、主導されていくのだろうか、と。
本当は順序が逆なのである。
①憲法改定の意思を、政権が明確に国民に示す。
       ↓
②憲法改定に必要な衆参議員数の3分の2、ということの意味も、国民に周知させる。
       ↓ 
③その上で、衆参両院選を行う。

これでなければ。なぜならば、ここで選んだ国会議員たちによって、国民投票に至るまでの
すべての過程は行われるからである。その人々が、最初からある偏りを持って選出された
人々であるならば、どうしてその審議が公平公正に行われることがあろうか。

これに関しては、前の前の記事の報道ステーション、富川アナの
『国会での発議が行われる前に、さらに言うならば、その国会議員を選ぶ前に、
安倍政権が行おうとしている改憲の意志と意図を国民の前に明らかにし

改憲を問う国民投票というものの意味を十分に国民が周知せしめ
られた上で、今度の参院選は戦われるべきだったのではなかったか


という懸念は、あきらかに、憲法改正国民投票の本当の意味を理解している、といえる。


これに関しては、7月18日付朝日新聞、長谷部恭男、杉田敦による『考×論』記事の
杉田氏の言葉が、一番要点をわかりやすく伝えてくれているので引用しよう。

『安倍さんはいま、「政治の技術」を発揮し、しきりに国民投票があるんだから、最後に決めるのは国民だと強調していますね。しかし、レファレンダム(国民投票)と、プレビシット(人民投票)は違う。プレビシットは民意を聞くためではなく、為政者への人民の信任を求めるために行われる国民投票で、為政者が自らの権力維持を図る狙いで行われるものです。行政の長たる首相が主導する形で行われる国民投票はプレビシットの典型です。その腑(ふ)分けをきちんとしておく必要があります』

自公政権がこれから行おうとしている憲法改定のための国民投票は、
まずそれを発議する国会議員たちを選ぶのに国民が知っておくべき最低限の情報知識さえ
あらかじめきちんと与えられないまま選挙がおこなわれた。そしてそれによって選出された
国会議員たちによって、これからその原案が発議される。そしておそらく3分の2の威力を持って
極めて予定調和の国会審議が行われた後、正式に発議され、国民投票が行われるという、
まさにプレビシット的な国民投票になっていくであろう!

私が、国民投票を危ない手法だ、と考え続けてきたことの意味が、この杉田氏の言で
よくわかった…。
ヒットラーが、数度にわたる選挙と国民投票で、言わば民主的な方法によって、
あれほどの権力をわが手に集中させていった、あれがまさにこのプレビシットであったのだ。




ヒットラーの投票用紙


これ。なんだと思いになりますか?
1938年4月10日、オーストリアではヒトラー率いるドイツ第三帝国(ナチス・ドイツ)と、
オーストリアが合併するかどうかの国民投票が行われたが、その国民投票は実質ナチス・ドイツの
手によって行われたものだった。
これはその投票用紙だという。
ナチス・ドイツに統合されることに関して「はい(Ja)」と「いいえ(Nein)」の欄が圧倒的に
大きさが異なり、しかも、アドルフ・ヒトラーの名前が大きく書かれている。
マジですか?これは。悪い冗談としか思えないが?
ヒットラーの名のあとに?マークがついているように見えるが、誰かが強烈な皮肉として
作ったものか? 
この投票用紙の真贋は保留ということにしておくが、このくらい、その当事者の力関係も
歪な国民投票であった、ということは明らかに言えよう。
ちなみにこの国民投票で、97%が合併に賛成したと発表された。
関係記事こちら。http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1890.html


【追記】
出典があった!やはり本物らしい。
合邦を問う国民投票用紙。
「あなたは1938年3月13日に制定されたオーストリアとドイツ国の再統一に賛成し、
我々の指導者アドルフ・ヒトラーの党へ賛成の票を投ずるか」
』という文だそうだ。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%82%B9

マジっすか…!歴史でほんとにこんなことが…びっくりする。



思わず笑ってしまったが、笑いごっちゃない!
我々の国民投票は、おそらく、本当に短い、しかも不十分な議論の後,じきにやってくるであろう。
あれよあれよという間に。

国民投票という最後の砦で、私たちは果たして、
現行憲法を粗悪で低劣な憲法に変えることを阻止できるのであろうか。














プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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