『春の贈りもの』


家人が、入院などして、少し身辺が落ち着かないでいる…
検査のための入院なのだけれども、一か所で済まなくて、一度退院してまた入院して…
病状と治療法がはっきりするまで、なにか宙ぶらりんな感じだ。
なにもないといいのだけれども…。 
でもまあ、お互い年なので、いろいろあるのは仕方がないなあ…。



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そんな中、友から贈り物が届いた!





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美しい色変わりの毛糸。

ちょうど、桜の樹の幹と花の色のような組み合わせだ…
曇り空の下で見上げる満開の桜の花のよう…
私は、曇天の桜、というものも好きだ。




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ああ……もうじき、こういう美しい季節がやってくるなあ……




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美しいバッグも贈ってくれた。
これは友の手しごとの技だ。
フランスの伝統のプリント布、『トワル・ド・ジュイ』のきれを使って作ったトートバッグに、
友の心のこもった刺繍技をプラスして。




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これも、薄霞のかかった空のような印象の、春らしい軽やかなバッグだ。




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バッグの中におまけの小バッグが一つ。 その中には。





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ちょっと写真の色味が、実物と違ってしまったけれど、神経細やかな友が、毛糸だけでは
すぐに編み物に取り掛かれないだろうと、編み棒まで、セットして入れてくれてあった… ^^






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そして。編み物の本も。
この毛糸は、ドイツの高級毛糸のメーカー・TUTTO社の『オパール糸』と名付けられた
多色染めの毛糸だ。編み進めて行くにつれ、色変わりして複雑で繊細な模様を描きだす。
実は、この毛糸を取り扱っておいでなのは、梅村マルティナさんというドイツ女性。
彼女は東日本大震災時、京都に住んでいたのだが、被災地の女性たちの心を慰めることは
出来ないか…、と思っていたときに、編み物の贈りものを考え付いた…。

この想い。私にはすごくよくわかる。
ちくちくと編み棒を動かして編み物をしているとき、おんなは無心になれるのである。
悲しみも…、やるせない想いも…、やり場のない怒りも…
編み物をしているときは、なぜか無心になって、つかの間忘れていられることがある…
それはまあ、編み物に限らず、昔から女たちは、家族のつくろいものなどの夜なべ仕事を
しながら、せつなさや生活の労苦や…報われない想いや…家族への想いや…
自分のさまざまな感情を処理してきたのである…

だが、マルティナさんは、そこでとどまらず、『共感』の想いを、被災地の女性たちの自立支援へと
広げて行く…
東日本大震災後の気仙沼に、『梅村マルティナ気仙沼FSアトリエ株式会社』を立ち上げ、
この美しく肌触りの素晴らしくいいこの『オパール糸』を使って編みあげた製品の販売を、
被災地の女性たちとすることにしたのである…
マルティナさんたちの活動は、アフガニスタンなど世界の支援にまで広がって行こうとしている…

詳しくはこちらを。
http://kfsatelier.co.jp/philosophy/index.html




世界には、悲しみが、そして不条理が、充ち満ちている……
この頃、年齢のせいもあるのか、そのどうしようもない不条理に、すこし押しつぶされかかっている私だ。
いくつも記事を書きかけにしてはいるのだけれども、それらをまとめあげる気持ちのいわば腕力がない。


・・・・・・
ああ・・・やさしい色合いの毛糸だなあ・・・
私は、これを、春先にふわっと首に巻く薄手のショールに編みあげてみようかな・・・
茶色い糸の方は、これは友が、私のつれあい用に、と見繕って贈ってくれたものだ。
これで私は、つれあいの靴下を編もう…。
ただしこちらは、渡すのはクリスマスか誕生日になりそうだな(^^)。

ショールは先に編んで、春らしい色無地のブラウスでも一枚縫って、首元にショールをふわっと巻いて、
友の手仕事の技の光る、軽やかなバッグを持って、
そうだ。 お花見の散歩に行こう。



                  ***




今日。たぶん…。
病院帰りに、『ツグミ』を見た…。













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『香りの贈り物』



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友から、思いがけず贈り物が届いた…


お手紙と、包みが三つ。
なんでしょう…




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白い包みは、古伊万里のお茶碗でした。

私は、いわゆるいいものは一つとて持っていないけれど、器類が好きです。
陶器、ガラスなどの器類の他にも、花瓶、ガラス瓶、箱類……
なにか『入れるもの』が好きなんだな。^^
それはおそらく…私が、子供の頃、引っ越しばかりして『自分の家』というものを経験した
ことがなかったので、小さな箱やなにかの中に自分だけの小宇宙を想像してみるのが
好きだったということがあるのかもしれない、と自分では分析しています。

私の好きな、『松』と、鶴の模様。^^

梅の花の柄の縮緬地の布の上に置いてみました。





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これは初めて見たものです。
『塗香』。
『ぬりこう』、と読むのかと思ったら、『ずこう』と読むのだそう。
香りを聴く、と言ったら、香木を灰で温めてその香りを楽しむいわゆる香道や、練り香の
形にして燻らせるとかは知っていたけれど、これは種々の香木の粉末を、仏様や自らの体に
直接塗って、穢れを清めるのだという。
くんくん…。
このまま匂いだけ嗅ぐと、漢方のお薬のような清浄な香りがします。あたしの好きな匂い・・・
すうっとして呼吸が通る感じ。ネットで調べてみたら、なるほどただ香りを楽しむだけでなく、
風邪をひいたりして呼吸が苦しいなどの症状の時、胸に塗って磨りこんでもいいのだそう。
もともとは仏教の聖地インド発祥のもので、僧侶たちが身を清めるために使ったそう。
正式の作法もあって、左手の上にこの粉末をごく少量とり…右手の親指と人差し指で
つまんで、口にわずかにふくんで口中も清め、それから両手の手の甲や手のひらに
すり合わせ、その手で体を清める・・・そうやって身も心もともに清めるのだという。

昨夜、寝る前に両手に少しだけ塗って床に入ったら、いい香りでぐっすり眠れました。^^

珍しいものをほんとにありがとう。





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こちらは、お香。
その名も『紅桜』。…ああ…いいなあ……

沈香、白檀、丁子、龍脳、貝香、零陵香、甘松、麝香、タブ皮粉・・・
原料を列挙するだけで、いい香りがしてきそうでしょう。
知る人ぞ知る名香木『沈香』や『白檀』のほかに…『甘松』というのが気になって調べてみたら、
『甘松(かんしょう)』。 オミナエシ科の多年草、ナルドスタキスの根及び根茎を用いる。
ヒマラヤから中国西南部の高山帯に自生するナルドスタキスは、四川省の松州に産し、
甘みがあるため甘松の名がある。

とあります。
『タブ』の木も、私は以前から気になっている木なのでなんだか嬉しい。クスノキ科の照葉樹です。

一本試しにつけてみました。
香立ての代わりに、ずっと以前、骨董店でみつけて、何にするものやらわからないまま、
その造形が面白いと思って買っておいた真鍮?製のオブジェに立ててみました。
これ。つる性の不思議な花の形のようでもあるし、一輪ざしかな、と思ったのだけれども、
底が抜けていて、水を入れると漏れる。><
ずっとこれといった使い道も思いつかないままに、ただ飾っておいたのだけれど、
香立て、に。 いい使い道が見つかった。

下に敷いてある布は、金糸銀糸を織り込んだ、松葉の柄のマジョリカお召し縮緬の羽織だ。


…んん~~……塗香も線香も、いい香りです…






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緩衝材の代わりに使われていた中国語文献のコピー紙。友の畏愛する瞿秋白の経歴を
記したものだ。綺麗に伸ばして、これも大事にとっておこう…。

もうすぐ、我が家の梅の花も咲く。
そうね…
がっくりするようなことばかりの人の世の動きだけれども、嵐に花は散っても、来年になれば
また花は咲き、その馥郁たる香りで春の到来を告げてくれる…



勇気こそ地の塩なれや梅真白 
                                       中村草田男








『秋のいろ』


秋って、寂しいのだけれども、なにかしみじみ幸せな気もする季節である。
寂しいのは、夏の盛り・・・すなわち人生の盛りは過ぎてもう二度と戻ってはこないのだ、
ということを否応なしに感じさせられる季節であるからなのだろうが、しかし、
人生の盛りを過ぎたがゆえに、もう、夏のようにけたたましく頑張っていなくても済むのだなあ…
とでもいうような、静かな心境になれるところが、なにかちんまりと幸せなような気が
するのでもあるのだ。

とは言いつつ、昨年もその前も、秋に私は何をしていたのかなぁ…
あまり記憶がないのである。
なんだか、政治の夏を引きずって、そのままこころ猛々しくいたような気もする…
怒っていたばかりで。><

だが、この秋は、久しぶりに、秋の訪れを静かな心境で迎えている。
あきらめと開き直りとは言いたくないのだが・・・
9月、雨ばかりで残暑がほとんどなかったせいもあるかもしれないな。
10月に入ってからは、夕焼け空の美しい日が続く。
今夜(16日)は満月だ。遅くなっての買い物に、家々の屋根の上に低く、ぽっかりと
美しい月が出ているのを見て、なんだか胸がきゅうっとした。
ここ1、2年ほどのあたしは、ほとんど空を見上げることも少なくなってしまっていたから…




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友が送ってきてくれた小包。
箱が可愛い。



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友のきっかりした手仕事の技の、コースター。




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ああ!編み物の季節が来たなあ。
わたしも、編むこと自体は好きで、子供が小さい頃は、セーターなどよく編んでいた。
若い頃は、殊勝なことに、つれあいに凝ったアラン編みのセーターなども編んだりしてたけれど、
こっちは体の大きいひとなので、毛糸がやけにいっぱいいる。編んでも編んでも
面積が広くて編み進まないので、短気なあたしは懲りてしまって、子供が生まれてからは、
亭主の物は編んでいない。
そう言えば、自分のものもほとんど編んだことがない…
自分のものだと、(編むエネルギー)>(着る喜び、着せる喜び)に思えてしまうからかも。
自分で着るものならどちらかというと、太い糸のざっくりした編み目のものより、
中細、合細毛糸くらいでシンプルな棒針のメリアス編みの、細身のセーターなどが好き。
子供の頃見た中原淳一のファッションブックの女達の着ているような、小ぶりの
質のよさそうなセーターとカーディガンは、いつも私の憧れだった…



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そう。この。左のページの少女が着ているような。

この本は、林檎を贈ってくれた友が、同じく以前贈ってくれた本だ。
中原淳一の本、懐かしいだろうから、と。
秋になったら、紹介しようと思っていて、ようやくその季節が来た。

そうそう。上半身は、こういうふうに体にピタッとしたセーターやシャツの袖を
少しかきあげて、下はタイトスカート、そして細い高いヒールの靴。というのは、
私の定番だった。
袖まくり、と言えば、私は塾に勤めていた時でも、家で水仕事している時でも、
いつも袖をこの絵の少女くらいまくり上げている。
『お仕事モード』に入っている時は、いつだって、このように『さあ、やりますぞ!』と
腕まくりして臨むのだ(笑)。いや、習慣で、ほぼ一日中かもしれない。
袖口や前髪がもたもたしているというのがどうも苦手だ。



高校生の頃は、レース編みなど鉤針編みもしたし、編みもの自体はとても好き。
編みものも無心になれるところがあるから。
ただ、編みものもその人の性格が出るもので、むらっ気な私は、鉤針編みはうまくない。
テンションが高くてぎちぎちに編んでいるところと、脱力していてゆるめになってしまう
ところと、気分が一定しないから編み目も一定しないのだ。
ちょうど、ブログのありようとも似てますなぁ。 怒りのテンション高くて突っ走っている時と、
がっくり来ていてぱたっと記事が書けなくなるときと(笑)。

歳をとってから、毛糸あたりとでもいうのだろうか、ウールの匂いをずっと嗅いでいると、
好きな匂いなのに、めまいに襲われることが多くなって、編み物はもうすっかりやめてしまった…
冬、布地屋さんのウール生地の売り場にいても、ふわ~っと気分が悪くなることもある。
それでも、季節がだんだん涼しくなって行って肌寒いくらいになり、炬燵でもいよいよ出そうか、
という今くらいの季節になると、なぜか無性に編みものがしたくなる。



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そう。秋から冬にかけてのこの季節は、この絵の世界感が少女の頃の私の理想で。
美しい着物と、お湯を沸かしたりお餅焼いたりできる火鉢の炭火、ぬいぐるみのお人形。
そして読みさしの本。
美しい箱。(私は、綺麗な『紙の小箱』というものがとても好きだ)
ここに、編みかけの毛糸があったら、私の世界完成!
今でも、この理想の図がちっとも変っていない。

なんともかんとも。いかにも古めかしいなあ!(笑)
少女の頃からすでにあたしはひどく時代遅れの美感をもっていたな。
(今、乾いてスピード感のある時代についていけない、時代を拒否してるのは当然かも。)


さて。
コースターの下に入っていたのは、こんな美しい林檎たちである。


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なんて!なんて美しい赤のいろなんだろう!
しばらく惚れ惚れと見つめてしまう。
これは岩手の樹齢90年もたった紅玉の原木からもいで送ってくれたリンゴだ。
(うふふ。70年ではなく、90年でした~~!訂正して、林檎の木さんに改めて敬意を♪)
もう樹勢が衰えて、収穫できるのは今年が最後かもしれないということだ…
なったとしても、かろうじて林檎農家のご家族が食べる分くらいだろうと。



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届いて早速皮ごとかぶりついたリンゴの味は、その時、風邪気味で熱っぽかった体に
沁み渡るほど新鮮な酸味と水気があった。
これこれ、これでなくっちゃ。
私はぽそぽそして甘いだけの林檎はあまり好きでないのだ。
あたしにとって、大事なのは、みずみずしさと、酸味とか一抹のほろ苦さとかの
いわばパンチとニュアンスだ。
そして香気。
静けさ。

今年も、ちいちゃな子が入っていて、嬉しい。




友に感謝。おかげさまで、風邪、すぐ良くなった。^^











『クウーママさんの作品展 写真編』


この4月に東京・中野『ヤチムン工芸ギャラリー』で行われたクウーママさんの
作品展。
ところが私、今までの操作ではデジカメから写真が撮りこめなくなっていて、
とりあえず展覧会の文章だけ載せさせていただいたのだけれど、ようやく写真が
アップできるようになったので、載せます!

でもすでに、展覧会にいらした多くの皆さんが思い思いにすてきな作品写真を載せて
おいでですので、それと重複しないようなもので、やはり一言説明しておきたいものだけ
ご紹介してみようかな。^^
クウーママさん、ごめ~ん! 大事なタイトル撮り忘れて作品名載せられないけど
許してくださいね。



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展覧会が始まる前から、クウーママさんのところの事前紹介で初めから気になっていたのが
これ。
これね、『おしらさま』。
ご存じでいらっしゃいますか。Wikipediaの説明をお借りします。

『おしらさま』は、日本の東北地方で信仰されている家の神であり、一般には蚕の神、
農業の神、馬の神とされる。
ご神体は、多くは桑の木で作った1尺程度の棒の先に男女の顔や馬の顔を書いたり
彫ったりしたものに、布きれで作った衣を多数重ねて着せたものである。
おしら様は、女の病の治癒を祈る神、目の神、子の神としてのほか、農耕神として田植え、
草取り、穀物の刈り入れなどに助力するともいう。
また『遠野物語拾遺』には、かつては狩人が狩猟の際、どちらの山に行けばいいかを知るため、
おしら様の神体を両手に持ち廻し、その馬面の向いた方角へ行く風習があったため、
おしら様は「お知らせ様」であろう、とある。

東北地方には、おしら様の成立にまつわる悲恋譚が伝わっている。それによれば昔、
ある農家に娘がおり、家の飼い馬と仲が良く、ついには夫婦になってしまった。
娘の父親は怒り、馬を殺して木に吊り下げた。娘は馬の死を知り、すがりついて泣いた。
すると父はさらに怒り、馬の首をはねた。すかさず娘が馬の首に飛び乗ると、そのまま空へ昇り、
おしら様となったのだという。『聴耳草紙』にはこの後日譚があり、天に飛んだ娘は
両親の夢枕に立ち、臼の中の蚕虫を桑の葉で飼うことを教え、絹糸を産ませ、それが
養蚕の由来になったとある。


私は、この最後の方の馬と娘との悲恋譚が好きだ。馬の目はとても優しい・・・
人間が馬に恋する、ということはありそうな気がするのである・・・
とても悲しい結末なのであるけれども、娘と馬が祟りをするのではなく、逆に故郷に
養蚕の技術を教える、と言うところが、なんだかせつなくていいなあ…と思うのである。

クウーママさんは、この東北に古くから親しまれた『おしらさま』を、稲藁?を使って、
作品にされている。この土着の壮大な物語を、小さな額の中に閉じ込めたその心が
いいなあと思う。色彩もいかにも2人(?)の悲恋にふさわしく、赤を多用して激しい。
小さな小枝が留め具として生かされているところも好き。




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激しい恋の物語の後は、対照的にストイックな作品だ。

クウーママさんが、白い布を、ただちくちくキルティングしたものの写真は、やはりブログで
見ていて、「へえ・・・ただ縫っただけでも、なんかきれいなもんだなあ・・・」と思って
いたのである。さて、それと組み合わせられたものは。
これも、クウーママさんのブログで、枯れた蓮の実を拾った、ということはお伺いしていた・・・
この二者が合体。
なんと、固く乾ききった蓮の実を真横に切り、ころんと転がり出た種も縫いつけられている。 
そして、その種のあったところには、鮮明な色の布で小さなピンクッションのようなものを
作り、すぽっとはめ込んであるという、発想の豊かさにあふれた作品である。
これもおそらく道端で手に入れた?木の枝(蓮の茎ですって。^^)?が、リズム感を生み出して効果的。
全く異素材のものが違和感なく組み合わされつつ、…どこかストイックな世界を作り出していて、
ちくちくちくちくただ縫った針の運びに、私は、経文か何かのような『祈り』を感じるのだ。

…この作品、とても好きです…




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次のこの作品は、色味としては、一つ上の作品と共通する、抑えた色調だけれど、
ここではクウーママさんのリズム感が全開になっているように思う。楽しさも全開だ!
フクロウやウサギ、蝶々やゼンマイみたいな植物、お花たち・・・一つ一つのモチーフは
とっても手が込んでいるのだけれど、それらが絶妙な配置で組み合わされて、
ここからは、『経文』じゃなくって、弾けるような季節の喜びを歌う『春の歌』が、
聞こえてきませんか? ^^




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この作品は、母子の合作です。
後ろに配された緑色系の透けた布は、実はこれが、あの、『蚊帳』!!
もういらなくなったという白い蚊帳を、どなたかがクウーママさんに託した。
その『蚊帳』の思いがけない素材美にクウーママさんがお気づきになられて、
美しい緑色に自ら染められたもの。
そして、前に配された白い繊細な透ける布は、実はクウーママさんのご子息様が、
学生時代に織られたテキスタイル作品なのだ!
夏の季節の『間仕切り』にも壁飾りにもいい、いかにも涼しげな、お洒落な作品に
なっていると思いませんか?






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母を慕って月夜に鳴く子狐ちゃんは、クウーママさんの大事な作品モチーフの一つで、
私はこの子狐ちゃんがとても好きなのだけれど、さて、この新美南吉か坪田譲治かの
童話のような世界の、背景に使われている渋い緑色の布…実はこれも、上記の作品
とは別の古い『蚊帳』です!
蚊帳を細く切って、折りたたんでそれを互い違いに編み込めば(四つ目編み?)、
こんなしっかりした壁掛けになる!
ここでも、クウーママさん独自のリズム感が生きてるなって思います。




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同じ『蚊帳』の織物は、こんどは壁掛けの土台ではなく、敷物に。これからの暑い季節に
このシンプルさとくすんだ蚊帳の緑色がいかにも涼しげで、生け花の下に、テーブルランナーに…
と、いろいろ使えそうだと思いません?

それと対照的な、鮮やかな『緋色』の、葉っぱ形のパッチワーク作品は、これはクウーママさんの
昔からのひそかなお気に入りで、『売らないでとっておく』ための作品だったらしいのですが、
なんとそんなこととは知らない『彼岸花さん』が、勝手に『お買い上げ』しちゃいました!!!
クウーママさん、許して。(笑)
だってこの緋色。彼岸花の色だもん。あたしの色だもん。
それに、この、『網代編み』に似たパッチワークの布の配置がとても好き。

私事だが、昔、私の父は、今、九州の大地震のニュースに時々名のでてくる
町(当時は村)で、竹細工の仕事をしていた・・・。大分は、竹の産地で竹細工が
盛んであった・・・
私と母は街に残って、父とは私が小学校2年のときに別れて暮らすようになった
のだけれど、5年のとき、父を訪ねて、夏休みを高原の村で過ごしたことがあった。
父が納屋の土間で、竹籠をリズミカルに編んで行くのを飽きずに眺めていたものだ。
『四つ目編み』、『六つ目編み』、『ござ目編み』、『網代編み』、・・・私も見よう見真似で、
今でも簡単な籠くらいは編める。『網代編み』は好きな編み方である…




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この度の展覧会の作品の多くが、クウーママさんたちが岩手山麓柳沢地区で
お暮らしになった数年間をモチーフにした、『山の暮らし』に関するものが多いのだけれど、
この作品はちょっと毛色が変わっていて、私の目を引きました。
打って変わって、『南国の楽園』的モチーフ。
けものたちも、鳥も、人も、楽しそうに呑気そうに飛び跳ねていますね。
ここでもクウーママさんのこころのリズムが踊っていると思うけれど、クウーママさんには
意外や、こういう南国的な要素もおありなんだな、って、ちょっと思った!^^
(ごめんね。勝手なこと言って!)



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さて。この作品は、どなたもが取り上げていらっしゃるけれど、やはりあたしも取り上げたい。
『父の箪笥の引き出し』というタイトル通り、ここで使われている布たちは、クウーママさんの
お父さまが、針仕事を職とする娘のために、いつか役立つだろう…と、きちんと整理して
残しておいてくださった着物や洋服地?なのだそうなのである。
それらの古い着物地などを、これはなんというテクニックか呼び方は知らないけれど、
大変に手の込んだつなぎ方で、パッチワーク作品に仕立てたもの。
土台になっている、一枚の樹の皮を剥いだものか、あるいは牛の皮のようなものは、
これはなんと、古い帯の帯芯だそうなのである!
私も、古い帯をほどいて、洋服に作り変えたりバッグにしたりすることのある人間だから
知っているけれど、帯の表地には面白い柄ゆきの布がたくさんあって大事にしても、
中に入っている帯芯などは、古くて汗染みがついていたりして汚いし、昔のものは
分厚いだけで意外とよれよれだし、これを苦労して洗ったとしても使い道などなさそう
だから、と、惜しげもなく捨ててしまうことが多い。(私の場合、ということですが)
ところがクウーママさんは、そういうものも粗末にしない。
なんと、この牛革のような土台地は、その帯芯に漆を塗って、固く丈夫な一枚布に
仕上げたものなんですって!
おお!・・・すごい立派な素材となって見事に甦っているではありませんか!
そして、極めつけは、この土台布とパッチワーク作品に配された、古い箪笥の取っ手です!!!
これはもう、ね。
見事だな、って思います。
お父さまの娘への想い・・・そして娘が父の恩を作品化したもの…
私は、この作品は、今回の展覧会の代表作品というもののうちの一つ、と言って
いいんじゃないか、と思いました。




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さて。最後にはやはり、この展覧会を貫くテーマの『岩手山麓柳沢地区での暮らし』
の、素晴らしい大作がいくつかあるんだけれど、その中の一つを載せておきましょうか。
犬、猫、兎、狐、狸?テン?、おおっと!熊?…リス、ミミズク、飛翔する雉、
燃える薪、煙突のある山小屋、…樹木たち…そしてお山…
山暮らしの間の、友たちが、総登場します。
ここでも、子きつねちゃんは、お月さまを見上げている・・・


他にも気になる作品は数々あったのだけれど、クウーママさんの個展はこんな感じ
でした、というのはおよそお伝えできたのではないかと思います。

ものを作るということ・・・手仕事によって無から有を生み出すということは楽しいことです。
頭の中のイメージを手先が『形あるもの』に変えて行く…
でも、しばしば、その手は、『頭』のはるか先を自由に、楽しげに、飛翔していきます。
手が、心のリズムを直接に描いていく……
クウーママさんには、これからも、無理のない範囲で、作品を作り続けて行って
ほしいなと思います。







『クウーが来た』

『クウーが来た』
先ごろはやりの朝ドラマのタイトルもじってみましたが…

熊本を中心とした連続地震のニュースに世間が胸を痛める中、クウーママさんと
ご子息さま、そしてミニチュアシュナウザーのクウーちゃんが、クウーママさんの展覧会
開催のため、東京にいらっしゃいました。心優しきクウーママさんは、こういう時期に
展覧会があることを気にかけておいででした。ブログ上の友も被災している・・・・
そのことを気遣いつつ。

岩手県盛岡在住で、あの東日本大震災を身を以て経験していらっしゃるクウーママさん。
内陸部盛岡は津波被害とは縁がなくてすんだものの、同郷の沿岸部の人々のあの悲劇に、
こころやさしいクウーママさんが平気でいられるはずもなく。
支援の仕方はさまざま。
とりあえず仮設住宅に移れ、住む場と食べ物などの不安はなくなっても、あの地震大津波
によるご家族などの喪失、財産の喪失など大きな大きな心の痛みからは、人々は
なかなか立ち直れるものではない。
クウーママさんは、長年、パッチワークキルト作品その他、手仕事を生活の糧ともして
ひとり息子さんを育て上げてこられた方です。
『自分にできる支援はないのか…』
そう考えられて、被災地の方々の心の隙間を、『黙って手を動かす』ことで少しでも
埋めることができるんじゃないかと、小さな可愛い袋作り、、クリスマス飾り…
実用的なバッグ…その他のパッチワークキットを、季節季節に被災地大槌町の
避難支援センターに、送り届け、また自ら足も運んで、被災者の方々に『手仕事』の
コツをお教えする、という活動をしてきました……
黙って手を動かすことは、その間だけでもつかの間、悲しみを忘れさせてくれます。
そしてまたひとりで仮設住宅に閉じこもりがちなお年寄りに、皆とおしゃべりしながら手を
動かすという、微かな楽しみをもまた提供できます・・・

我が家には、集めた布がたくさんあります。
それも使っていただけないか、と申し出たのが、クウーママさんと私の交流の
深まるはじめでした。
そのクウーママさんが、自らの手仕事の技を、『作品』として、東京で展覧会で示す
ことになったのです。場所は中野の『ヤチムン工芸ギャラリー』。


                ***


15日。展示のためご子息さま。そしてクウーママさんの愛犬、というよりは
大事な家族の一員のクウーちゃんを連れて来京。一日で展示済ませます。
16日から展覧会開催。
16,17日はクウーママさんにとって多くの懐かしいご友人、知人の方が観に来て
くださったようです。
16日夜は、何と、我が家にクウーママさん御一行がお泊りに。
狭くて古くてきたない我が家ですが、出来るだけ綺麗に片づけて(笑)お迎えしました…
最寄りの駅までお迎えに行ってタクシーで我が家まで。

なんと、クウーちゃんが、我が家の廊下や、フローリングの床をカシャカシャと
爪の音させて走っているのですよ!(最初に感動したのはそこか~い!)
勿論!、クウーママさんとご子息様とも初対面。
ブログ上で、手紙で、…親しくお付き合いさせていただいて来てはいるものの、
お会いするのは初めて。でも、ぜんぜん初対面という気がしない。想像通りの
優しいもの静かな方でした。息子様も、なんだか、おひげとかが、我が家のお婿さんを
思わせて、親しみが持てました。クウーママさんに似て、綺麗なお顔立ち!^^
美術系ということで、ほんとに偶然ながら共通の知人もいたりして・・・

お泊まりはわずかに一夜。
クウーママさんといろいろいろいろお話ししたかったけれど、夜はあっという間に
時間が過ぎ、展示や展覧会初日でおそらくめちゃくちゃ疲れておいでであろう
お二人とクウーちゃんには、早く休んでいただきました。
でも、その前にほんの少し、いつも私が買い物に行ったり、流星群の夜には
寝転がって空を見上げる、裏の川べりの道を、クウーちゃん連れてお散歩しました。

             *

17日は、すごい強風と雨の一日。
でも、展覧会場は、クウーママさんの密度の高い作品で、外の嵐など何のその。
作品の写真たくさん撮ってきたのですが、うう・・・! まだデジカメからパソコンに
写真の取り込みが出来ない!
申しわけありませんが、会場の様子は、足をお運びくださった次の方々のブログで
お察しください。ノエノッカさん、onorinbeckさん、ご紹介させていただきますこと
お許しくださいね。

クウーママさんのブログ『『布ぅ楽雑記』
onorinbeckさんのブログ『The Beatlesを聴きながら』
ノエノッカさんのブログ『Noe Nokka -ノエノッカの写真日記-』

クウーママさんたちがかつてお過ごしになった、岩手県岩手山麓柳沢地区での
自然の中での暮らし…
そこでは、牧場の牛や、飼ってらした猫たちは無論のこと、山の狐、梟、雉、ホトトギス…
水辺の生き物たちや草木たち・・・すべてがクウーママさんの豊かな想像力を刺激する
友たちでありました・・・
作品には、その山での暮らしの記憶などが、色濃く取り込まれています。

クウーママさんの作品で驚くことは、その一つ一つの手法が違うことです。
使われている布たちは、決してそこらで購入された新しい布たちではない。
父君が残してくれておいた昔の着物・・・お知り合いの方々が託してくれた布…
全てが、人々の暮らしの痕跡をとどめた古い布たちです。
彼女はそれらを無駄にしない。
古い古い帯の帯芯は、普通、帯の表布が目的で解くなら、帯芯などもういらないからと
捨ててしまうでしょう。しかし、クウーママさんは、その帯芯をつないで土台にして
大きなパッチワーク作品を作り、あるいは同じ帯芯に漆を塗って、固い薄い木のような
質感のものにして、それをまた別の作品の土台にしたりします。
ご友人から貰った、古い蚊帳は、それこそ変幻自在なクウーママさんの発想力で、
あちこちに全く違う形でいろんな作品に使用されていました。
『ぇっ!これが蚊帳?』というような、美しい作品に。
写真を一枚一枚お見せできないのが本当に残念です。アップできるようになったら、
遅くなっても載せてみます。

会場では、このブログで時々皆さんもそのお名を見かけられると思うのですが、
しほさんが待っていてくださいました。
しほさん、とってもすてきな方でしたよ。^^
クウーママさんのところでいつも間接的にお会いするノエノッカさんともお会いできました。
ノエノッカさんもまた優しげなお姿のすてきなかたでした。

クウーちゃんは。文句なしに可愛かったです。^^

展覧会は、22日まで。





『展覧会へのご案内』



            



                                             個展のご案内です。

                                    私の友であり、妹みたいな(^^)




         クウーママさんの、作品展。
                 4月16日~22日。 
        東京中野の『ヤチムン工芸ギャラリー』で






               繊細な手仕事の技に出会えます。お近くのかたはお訪ねくださいね。
               私も行きます。
               クウーママさんの作品の一端は、クウーママさんのブログ
               http://cooplus.blog4.fc2.com/
               カテゴリー欄『作品』というところをご覧ください。
               今度出展される作品の一部及び、前の作品などがご覧になれます。





クウーママさん個展




ヤチムン




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『クリスマスには』

ふ~ぅ…
朝、新聞を開くたびに、怒ってばかりの日々だけど。

せめて、クリスマスくらいは、心おだやかに過ごそうかな。

クリスチャンでもなんでもないわたし。およそ宗教というものに無縁できたけれど、
宗教などということがわかる以前に、西洋のこの行事は、なんと子供にとって
眼にも心にも魅力的に映ったことだったろう!
街に流れる『ジングル・ベル』の軽やかな響き。ショーウインドウを彩るツリーの飾り。
憧れだった、大きなホールのクリスマスケーキ!(切ってあるのはダメなの…)
紙箱に入ったそれを、お父さんたちが会社帰りに買って行く…

みんな我が家には縁がないものだったけれど、それでもなんだかうきうき幸せだった。
大人になっても、このわくわく感だけは、少しも減じることがない。


…子供が小さい頃は、自分の叶わなかった夢を代わりに実現するとでも言うように、
クリスマスのお祝いはきっちりやったなあ。
子供ももう大きくなって家を出て行ったあとは、ツリーも飾らないし、ケーキも焼かなくなった…



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去年から、飾りつけは、これになった。
ガラスの丸いのは元は電灯の笠だった。
そこに、去年、ふと思いついて、子供が2歳くらいのクリスマスの時から使ってきた
豆電球のつながったのを入れてみた。
麻の葉模様にカットされたガラスに、赤、緑、青、黄色の電飾が乱反射して
思いがけない美しさ。


静かなクリスマスの夜。
年賀状を書く手を、しばし休めて、お茶休憩。




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友が自ら作って手間をかけて仕上げ、送ってくれた干し柿。^^
自然の甘味はなんて優しいのだろう!
友の心が優しいから、甘みもうまみも増すのだな。
友よ。心からごちそうさま!^^



                    *


干し柿は、やはり子供の頃の暮れの日の、父の思い出のひと品でもあった。
小学校二年生の時、私は父と別れて暮らすことになったのだが、毎年暮れになると
父が決まって干し柿を、米や豆類、山芋、干し椎茸などと一緒に送ってきてくれたのだ。
私宛のお小遣い500円と、少女雑誌の新年号も必ず送ってくれた。
楽しい美しい付録がいっぱい入って分厚いその雑誌を胸に抱いて、母に干し柿2つほど貰って
ちいさな二畳の(!)自分の部屋に引っ込む時のあの幸せ!
外は木枯らしでも、部屋には小さな火鉢があって暖かく、隣の六畳間では母と姉が、
同じく干し柿をほおばりながら、ラジオから流れてくる落語などを聴いている…
母はそうする間も縫物の手を休めない…
ふうてんの姉はその時たまたま家に帰って来ていたのである。さすがに正月近かったからか。

貧しかったけれどなんて幸せだったのだろうなあ!



ふ~ぅ…

シリア難民の人々のこと、戦火の下の子供たちことなどを、またふと想うのである…
この日本の、国内でだって、貧困化が進む…
空腹を紛らすために、母に隠れて貰い物の『テイッシュ』を食べたこともあるという幼い姉妹…。
『テイッシュは甘いんだよ』と言ったという…
 




昔。いつも気丈で貧しくともプライド高く、涙一つ見せたことのなかった母が
ただ一度だけ、『私と一緒に死のう!』と言って、私の手を無理やり引っ張ったことがあった…。
家賃が払えなくなって、上記の小さな二畳間のあったそのアパートを追い出され、
母の知人…仕立物を通じての知り合いか…の家に転がり込んでいたときだった。
その家も貧乏人の子だくさんの家。
いつまでもそこに厄介になっていられるわけではなかった…
母が『死のう』とそう言って私を引っ張った時、私はその家の柱にしがみついて抵抗した。
あの家は、どういう人々の家だったのだろうなあ…。普通の家のように間仕切りとか
建具というようなものがなく、部屋と部屋は、土間を囲んでぶちぬきになっていた。
まるでそう…人足置屋ででもあるような。
その柱にしがみついて、『死ぬのはいやだ!』と抵抗したのである…
窓のない部屋部屋と土間に裸電球が灯り、昼間でもなお暗い家だった。
凍りついたように遊びなどの動きを止めて、母と私の姿を見つめていた
その家の子供たちと大人たち…。
私より一級上の女の子がいて、そのこは数年後に、県内でも優秀な工業高校の建築科
に入ったと、後に聞いた。女子が建築科に入るのは、まだ珍しい時代だった……

母が、どうやって住む家も食べるものもないその窮地から脱したのか、
小学校四年生だった私は知らない…。
都合半月ほどは、その同じく貧しげな家に居候していたのではなかっただろうか……
そこを出てからさらに、別の家の二階に、厄介になった記憶がある。
そこの主人は大工さんで、薄暗い屋内材木置場があった。だが、その脇の住居部分は、
真新しい木の香りがして日差しに溢れていた。
そのおじさんは、私たちがまだ二畳間のあるアパートにいたころ、母と私に
見事な細工の鳥かごに入った十姉妹をくれた人だった。
白い鳥は、私になついて、私が学校から帰ってきて柵の間から指を突き出すと、
つつっと止まり木を移動して来て、私の指先を甘噛みした…
でも、やがて、鳥など飼っていられないと母が判断したのであったろう。
鳥は鳥かごごと、そのおじさんに返されたのだった…
その家の人々もとても優しかった。小さな男の子たちがいたかな。
わけのわからない子供の私は、『ここにずっといられたらいいのになあ…』と思ったものだ。
だが、そこにいたのは、二、三日だったか。
おそらく、この一家も、母の仕立てもののお得意さんだったのではなかったろうか…。


昭和30年代の初めごろ。
まだまだ皆が貧しく、それゆえに、さらに困った者には、当たり前のように
赤の他人が手を差し伸べる時代であったのだろう…。

クリスマスの夜に、ふと思い出した、昔々のおはなし。










『秋の日』



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友からこんな真っ赤なかわいいこたちが届いた。
ありがとう~~~~~~~♪

なんと、これ、樹齢90歳の樹に実った紅玉たち。
秋田の飴も入っています。



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絵葉書が添えてあるの。
こんな感じで生っているのかなあ。 
ああ…行きたいなあ…行って、その林檎の木の下にしゃがんでいたい…

ふふ。お孫ちゃんが一所懸命シール貼ってくれたのね。



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大きなお皿に盛ってみたけれど、山盛りいっぱいだ。
早速一つ洗って、かぷり!と食べてみます。
ああ…!ああ…、美味しいなあ…これが秋の味だ。
あたしは、昨今の甘いだけのかすっとしたリンゴはそう好きじゃない。
昔ながらのこの酸味のある果汁の多い紅玉が好き。

ああ…この香り…!
新鮮な林檎の香りだいすき。


そうか…もう、9月が終わるんだなあ…
いつもあたしは、9月の今ごろの季節が好きなんだ。
夕暮れ。長袖の木綿のシャツをふわりと羽織る頃…
金木犀のほのかに香る頃…

一年中で一番感覚の鋭敏になる頃のはずなのに、今年はなんだか
ぼんやり過ごしてしまっている…
林檎の清冽な香りが、季節感を取り戻してくれたよ


友のやさしさに感謝です!





『こころの栄養』


正直言って、政治の記事など書くのは疲れる。
昨日も今日も、『選挙の争点 ③』を書こうとして、頑張っているけれど、今書こうとしているのは
経済に関することで、経済問題は私は弱いのだ。
調べ調べ別なところでその信憑性を確かめ確かめして書いていくので、
は~~~ぅ、エネルギーがいる…疲れる…

そんな記事読む方だって楽しくないんだから、書くのやめればいいじゃないかと言われてしまいそうだが、
因果な性分で、政治が変な方へ向いていくのを黙ってられないんだなあ…

そのようなとき、何よりの、元気の素が届きましたよ!



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可愛いクウ―ちゃんの絵はがきだ!
無論、裏にはお手紙が。^^
可愛いですねぇ。ちゃんと専用枕の使い方がわかっているみたい。
私もこんなふうにふかふかぬくぬくしたい。



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なんでしょね…。





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お~ぅ! 手首ウォーマーです!
こりゃいいなぁ! 
私、買い物、いつも自転車なので、これからの季節、体が冷え切ってしまう。
と言って、手先を温め過ぎると、心臓ばくばくというか、息苦しくなること多いのです。
お湯でお茶碗洗っていたりすると苦しくなる…
足先もそう。足首はいつも冷た~ぃのに、足先を温め過ぎるのは気持ち悪い。
これなら、手先は温めなくて済んで、冷たい風が袖から忍び込んでくるの防げるです。^^
クウ―ママさんの手編みだ… 友の手編みだ! それだけで心がほっこりしてきます。
色も私の好み~。
私はいつも紺系統の服が基本なので、ブルーみを帯びた淡いピンクのこの色、
服に合うでしょう?

彼岸花の手で~す! がさがさでもいいのっ。しわしわでもいいんだい!(笑)
え?爪ですか? 椎の実形でしょ? それは昔から自慢。
私は、爪を伸ばしていると、それが家の中の仕事などしているとき、硬いものにカツカツあたる感覚が
大っ嫌いなので、いつもこんなふうに爪はとても短く切っていま~す。縫いものする時も邪魔だし。^^



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これは?
なあに?



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と、とぼけつつ、実は待っていた!

クウ―ママさん、手作りの干し柿。
お孫ちゃんも協力して、モミモミしてくれたそうです。^^

干し柿については、いつかブログでも書いたけれど、父の想い出がある…。

もう60年前になるが、私が小学2年生のときに父と母が別居して、それ以来、
母の前では父のことは禁句。歌を歌う時でも『父さん』などという歌詞が出てくると
慌てて口を噤んだりしていた…
でも、1年に一度だけ、父のことを思いっきり懐かしんでいい日がある。
それは、もうすぐ今年もそんな季節になるが、年の暮れ……父が、小荷物を毎年送ってくれるのである。
中には、この干し柿がいつも入っていた。父は父の妹一家の隣に暮らしていたから
多分、叔母が毎年作っていたものだろうと思う。
包みの中には、その他に、少女雑誌の新年号が。
今の人にはわかるまいが、当時の少年少女雑誌は、週刊でなく月刊。
そして毎号付録がたくさんつく。とりわけ、12月号のクリスマス特集号や、1月新年号には、
本の厚みの3倍くらいの嵩の付録が豪勢につく。
美しいクリスマスカードや年賀はがき、カルタ、綺麗な箱や、ファッションブック、しおり…
別冊漫画も数冊ついていて、とにかく夢のある美しい付録がいっぱい。
父からの手紙の封筒には、お年玉、と言ってお小遣いもきっと入っていた!^^

母や大きい兄、姉向けには、父が掘った立派な山芋や、焼き米という今ではもう食べられない
香ばしい米加工物や、お米、小豆・大豆などの豆類、切干大根・干し椎茸など乾物など。
その日ばかりは、母も素直に夫からの贈り物をいそいそと仕分けして、戸棚などにしまい込むのだ。
(二人は生涯、籍は抜かなかった……なんなんでしょネ~……)

私は小さな3畳間を自分の勉強部屋に貰っていた。夜は兄や姉がいるときにはそこが
占領されることもあったけれど、昼間は私だけの部屋。
私は甘い干し柿を貰ってきて、父の贈ってくれた少女雑誌を、まず付録からいそいそと開くのだ!
窓辺には座机。そとは木枯らし。
でも、なんという幸せだったろう!

…そういえば、東京では木枯らしが吹く日が少なくなったような…なぜなんだろう。
関東の空っ風というが、昔はもっと、冬、風の日が多かった気がする。
今、風が窓ガラスをがたがた鳴らすなんて言う日は、めったになくなった。
アルミサッシで気密性が高まった、などというのとは違うように思う。
北風が窓の外で呻るように泣く、なんて音も、もう久しく耳にしないもの。
東京の冬は、気温が低くて寒くとも、いつも穏やかに晴れた無風の日が多いような。(ビル風は別)
私だけの感覚か?


さて。子供の頃、いそいそと自分の3畳間に、干し柿を持ってこもったように、
67歳の私も、いそいそとお茶でも沸かして、そして友のこころのこもった干し柿、いただくかな。
時間もちょうど少し遅めのおやつどきだ。 ^^



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甘~い! 美味し~い!
クウ―ママさん。ごちそうさま~♪

こころも体も元気出たので、また書きます! ^^






『朋有遠方……むぐぐ』

9月某日。

友より思いがけず、荷物が届いた。


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中には一冊の書物とお手紙が。

『李賀』の漢詩集。

李賀(り が、791年 - 817年。貞元7年 - 元和12年)。中国中唐期の詩人。字は長吉。
昌谷(現・河南省洛陽市の西約50km)の人。
『鬼才』と評された。この鬼才という言葉は日本語のそれよりもはるかに意味が深い。
屈原、陶淵明、李白、杜甫、・・・数多くの世界に冠たる詩人を生んだ中国にあっても、
『鬼才』と称えられるのはこの李賀のみであるという。

その詩は伝統にとらわれずはなはだ幻想的にして、想像力の飛翔を見る。
豊かで絢爛なその用語の色彩感は独特のものだが、その主な情調は沈鬱にして悲憤に
満ちている…
27歳で早世するも、彼の詩を愛する文学者は同時代にも後世にも数知れず、
韓愈、魯迅、毛沢東…、近代日本の作家のなかにも、泉鏡花、芥川龍之介、日夏耿之介、堀辰雄、
三島由紀夫などがいるという。



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私は漢文の素養が全くない。
そのことを、このブログを始めてからも何度悔いたことだろう。
私の、人生における三大後悔は、この『漢文の素養がないこと』と、『楽器が弾けないこと』『泳げないこと』
と、何度もあちこちで書いている…(苦笑)
漢文の素養がないということは、漢字という文字の豊穣を、いわば半分くらいしか
味わえないということだ。そうしてそれは、中国文学の豊穣もまた、知らずに人生を
終えてしまうということだ。
こんなに漢字の持つ意味の世界が好きなのになぁ…言葉をもっと豊かに自在に駆使したいのになぁ…

過去に、ひとにも『勉強してみれば?』と何度も勧められたけれど、漢詩の世界は、私には敷居が
とんでもなく高かった……
しかし、この秋、私は意を決して、受験用の漢文の参考書を買い、文字通り一から勉強する
ことにしたのだ。
そんな私に、友が贈ってくれたのが、この李賀の詩集だ……

 


                                                                                ***




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切手がたくさん。

この切手についての詳しい事情はここでは書けない…

だが、ひとのこころのあたたかさと、ひとの縁の不思議さに、久しぶりに泣けてしまった……

 

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これらは、『このひと(私のこと)は、鳥が好きだ』ということを聞いたあるかたが、
わたしのために、たくさんお持ちの切手の中から選んでくれたものだ。 
わたしは花も好きだが、小鳥たちも好き。
自分で飼いたいとか、その生態をよく知っている、とかいうのではないのだが、
小鳥たちの姿やしぐさに、造型的興味を非常にひかれる。
鳥をモチーフにした香合など欲しいなあと思ってオークションを覗いてみるが、
いいものは高くて手が出ないのであきらめている…
だから鳥たちの切手。とても嬉しい。



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その他にも、たくさんの美しい切手たち。
実は私は、収集こそはしていないけれど、切手のもつ小宇宙がとても好きだ。

これはまた別の話だけれど、いつも、美しい珍しい切手を貼って、荷物や案内状などを
送ってくださるかたがいる…
小包の箱などはさすがにかさばっていくので取っておけない。
そこでわたしはいつも、それらの使用済み切手を、いつも丁寧に切り抜いて、
綺麗な箱に入れて全部とってある。
切手の持つ小宇宙…そのデザイン性の豊かな世界に魅了されるということもあるけれど、
その人が、数多く送るものの一つ一つに、その送る相手の趣味や雰囲気を想いつつ、
一枚一枚切手を選び分ける、そのこころをとてもすてきだと思うから。

さて。今回のこの切手の数々。
これをくださったかたと私は面識がない。
それでも。
そのかたは、見知らぬ私のために、見知らぬ私の姿を想像しながら、これらの切手を
こころ籠めて選んでくださったのだ。
私にも、その、切手を一枚一枚選んでいく、細い指が(おそらく)見えるような気がする……


追記: 友よりお許しが出たので、追記として書かせていただきますが、
     『そのかた』と私が書き記したのは、『李賀』をくれた友のご母堂。
     想像の通り、やはり指は細くっていらっしゃるそうです。^^
     話の前後関係からして、「ああ、本のかたのお母さんだろうな」ってわかっちゃったかな?
     これで、話が繋がっていきます…^^
     きっとお若い頃、お花のようなかただったろうと思うので、切手の感謝をこめて
     薔薇色の文字で書いてみました。 ^^



               
                        *


昔……もう30年以上の昔になるが、母が、私と娘に、時折ハンカチなどを思いがけず送って
よこしてくれたことを思い出した。
母は長男である広島の兄の所に引きとられて、向うの親戚ばかりの見知らぬ土地で
その生涯を終えた。彼女には資産などこれっぽっちもなく、わずかな年金を
自分の自由に使える唯一のお金として、ほそぼそと老後を生きていた。
年金と言っても、働きづめに働いても月々の掛け金など納めてこれなかったはずだ。
どういう仕組みでその母がわずかばかりでも年金を手にできたのかわからないが、
おそらく当時、その額は月々にすると千円か、2千円といったところではなかったろうか。

母というものはいつまでも母であって、そのわずかな年金ででも、
大きくなった娘にもその子にも何かしてやりたいといつもいつもせつなく思う…
それが母というものなのであろう。
年に一回か二回、手紙に添えて、ハンカチやシャツのようなものを送ってくる。
そのハンカチなどは、おそらく母が歯医者などにたまに街に出た機会に、近くの
スーパーなどで買ったものであろう。
でも、それらを選ぶとき、母はどれほど真剣にこころ籠めて、選んでくれたのであったろうか。
そのうつむいた顔と、小さな、苦労の多かった手を(母は小さな女だった)私はいつでも容易に
思い浮かべることができる。

なぜか、或るその方が送ってくださったこれらの切手を一枚一枚、手にとって見て行きながら、
私は久しぶりにわが母のことを思い出し、その母に報いてやることのなかった自らへの
本当に歯噛みしたくなるような悔恨と…でも不思議に懐かしい気持のよい涙を流したのである…。


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60年前。46歳くらいの母と小学校1年生の私。ああ…46歳にしてはなんと母は老けていたのだろう!
美しいひととは言い難かったかも知れないが、膚は肌理こまやかで色が白く、
髪が多くて艶やかなのが唯一の自慢だった…
二人の少女は、私と年の変わらぬ姪たち(母にとっては孫たち)。
彼女たちが来たこの日、私は具合が悪くなり、この日か翌日入院したのでよく覚えている。
肺浸潤で、夏休みから2学期にかけて2カ月ほどの入院措置が必要になった。
写真を撮られていた間も、気分が悪かったのではなかろうか。むくんだ顔をしている。
母は、なんとなくおそらく元気がなかったであろう私を心配しつつ、久しぶりに会う孫たちをも
母鳥のように手を広げて抱いている…

…この小さな手。よく動く器用な手だった。
縫い物などよくする人の手にしばしば見るように、母の手も、指先が丸かった…
私は、母の縫ってくれたワンピースを着ている。
母は和裁を仕事にしていたけれど洋裁はできなかった。
でもこうして、私の夏のワンピースくらいは、自分で考えて工夫して縫ってくれた。
りんごの柄のこの木綿の布。なんとか、同じものを手に入れられないかと探しているが、
似て非。私にとって幻の、なつかしい布だ。




                       *
                          
母親というものは、その愛情を、子供(や孫)にだけでなく、子供に関わる人にまで、
radiate(放散、輻射)するものなのだなあ、と、しみじみ思う。










                         ***


10月某日。
別の友から、荷物が届いた。

林檎!


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まあ!なんと可愛くて綺麗なのだろう!
りんご農園で摘んできたばかりという林檎たちは、農薬も使っていないので
皮ごとガブリと食べても大丈夫だという。


余談だが、
実は、箱の中にパッキング材として入っているこの白くて透明な、細いそうめんのようなもの。
私は子供の頃からなぜかこれが好きで。でも、当時これは高級果物などをデパートで
贈答用などとして買わないと、滅多にお目にかかれなかった。したがって、我が家にはあんまり縁がなく。
でも、一緒にままごとなどしている友達の家にこれがあったりすると、貰って、
これをかき氷に見立てて、朝顔の花の絞り汁などをかけて遊んだ。
…と書ききってみたが。
しかし、果たして50~60年も前のそんな昔から、このパッキング材、あったりしたかしら…?
もしかしたら、「そういう風にしたら面白いだろうなあ…」という想像しただけだったのかしら?
それとも40年ほど前、小さかった娘相手に、そんな遊びをして見せたのだったかしら?
でも、娘はままごと遊びにほとんど興味を示さない子だったがなあ……

とにかく、私は今でもこの、ぴらぴらきらきらしゃりしゃりふかふかしたパッキング材の
手触りと見た感じが大好きである…
だって、弱い日差しが差す真冬の午前、陽光の温かみを受けてシャーベット化してきらきら光る
あの汚れなき雪のようじゃないか?♪

『ところで、これは、一体なんという名前のものなのだろう……』

いつもその疑問は頭にあったが、今まで調べてみたことはなかった。
でも、どんなささやかな目立たぬ商品にも、呼び名はちゃんとあるんだよなぁ。
そうでないと商談するにも困るから。

……
調べてみた。
ちょっと探すのに苦労した末に、やっとこれの名前がわかった。
『セロパッキン』というのだそうだ。
『パッキン』は、packing (荷造りすること)という英語そのままだなあ!と思ってちょっと笑う。
でも、『セロ』はなんだ?
…ああ!『セロファン』かぁ!(爆)

これ。石油製品のようにいつまでも土に還らず海や土壌を汚染するものではなく、
セロファンってセルロースを加工した透明の膜で、主な原材料は木材を粉砕して作るパルプであるため、
紙と同様、土にかえる生分解性の環境にやさしい緩衝材なのだという。

なんとも即物的な、そっけない名前をつけられているけれど、長い間好きでも名前を
知らなかったこれの、名前がわかって、ちょっとじ~んとする…

ちなみに。調べている途中で知ったこと。
昔々、プチプチ(別称:気泡緩衝材、エアパッキン、エアキャップなど)やこのような市販の緩衝材が
なかった時代…長距離での輸送ではシロツメクサ(白詰草)も使われていた時期があり、
白詰草の名前はそこから来たのだそうだ!
シロツメクサは、海上輸送が標準的に利用されていた時代に梱包資材として盛んに使われたため、
世界各地にその種子も運ばれ、帰化植物としてかつての海運網拠点を中心に繁茂しているのだという。(Wikiより)
白詰草。いわゆるあの、『クローバー』である。

へええっ! 知らなかった!……皆さんご存じでいらっしゃいましたか?
1846年 (弘化3年)にオランダから献上されたガラス製品の包装に緩衝材として詰められていた
のが日本における白詰草の最初だそうだ。
へええっ…試しに、亭主にシロツメクサの名前の由来を知っているかと訊ねてみたら、
ちゃんと知っていた! …びっくり。…知らなかったお馬鹿さんは私だけ?(笑)


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小さな、宝石のように綺麗な林檎たちを、山水画の描かれた和皿に並べてみる…
可愛いなあ。美しいなあ。
可愛すぎて食べられないよ~
(葉っぱのついた一個だけを残して、もう食べてしまってありませんが)



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どれくらいちっちゃくって可愛いかというと。
普通こういうとき、100円ライターなどと比べることが多いのかな。
でも、うちにはライターがない。そうだ。いつもキャンドルナイトの時火を灯すのに使うマッチだ!
あら。そういえば、マッチ、使いきっちゃったんだった!(買ってきておかなくっちゃ)
チャッカマンは比べるには大きすぎるし。
ということで、小さなミシン糸のロットと比べてみる。ね。可愛い林檎でしょう?

実は、9月の半ばごろひいた風邪がまだ治らない。
咳の風邪で、毎日、あんまり咳をしすぎて筋肉が痛くなってしまった胸とおなかを
かばうように手で押さえながら、身をまるめて苦しい咳をしている。

小さい頃。私が病気になると母が食べさせてくれたのが、擦りおろしりんごだった。
おなかが痛いときでも、風邪で喉が痛くてものを飲みこめない時でも、熱がある時でも…
冷たい擦りおろしりんごは、熱に倦む子供の口になんと優しく甘かったろう!

まるで私が風邪をひいたのを知ってでもいたかのように、偶然りんご園に行って、
それでもぎたての林檎を送ってきてくれた友……

すりおろすのは無論もったいないから、かぷり!と、皮ごといただきました。^^


                     ***


秋もだいぶ深まって、台風が一過した今夜は、美しい十三夜の月が空に輝いている……
月を見に玄関の外に出れば、我が家にもささやかな金木犀の木があって、
もう花は終わりかけだけれどまだかすかに名残の香はある……

李賀は、木犀が出てくる漢詩をいくつも書いているなあ。

    
…というくらいしか、漢文初心者の私には言えないのが口惜しいところ。てへへ。





『ふるさと便り』

友から思いがけない荷物が届いた。
何だろう……


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中には岩手名産の、ふるさとの香りがいっぱい。^^
お手紙も本も。^^
早速開けて頂きます。


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おや。この子たちは誰?

これは亀の子せんべい。

一匹は逃げ出そうとしています。


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あ。ほら。そんなことするから、ひっくり返っちゃった!(笑)
胡麻の香りの香ばしい甘辛いおせんべいです。百年以上の歴史あるお菓子。


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岩手名産のお漬物ほろほろ漬け。器に移しました。
う~~ん…いい香り!
大根、人参、きゅうり、茄子や季節の野菜を細かく刻んでもろみ味噌漬けにしたもの。
食欲をそそる香りです。白いごはんが欲しくなる。
お~い!誰かごはん山盛りよそってきて!…(と言っても自分しかいないか。笑)

これがほんっとに、冗談でなくごはんが進むんです!
熱々のご飯にのっけて食べれば、もう何もいらないっ!^^
おにぎりの具にしたり、冷ややっこにも載せて食べました。
これ。もうだいぶ食べちゃてて減っているところ!(笑)


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はい。今日は風邪も治って元気が出て来たので、こんなのも作ってみました。
写真の瓶詰めは、オ二クルミの甘じょっぱい醤油たれ。
オ二クルミは、私の大好きな漫画『とりぱん』(岩手が舞台)の中にもよく登場するので
一度食べてみたいなあと思っていました。そのオ二クルミを使ったたれ。
上新粉でお団子作って茹でて、それをこんがり焼いて、このたれをかけてみました。
うンま~~~~~~~~~~~~~~い!

香ばしいお茶も同封されていたので、お茶を飲みながらむぐもぐ。
しあわせ~~~♪ ^^


             ***
そして、本は。
河原れん著『ナインデイズ』。
これは東日本大震災・津波が起きたあの2011年3月11日から9日間の
岩手県における災害対策本部の動きを活写した本です。
一応分野としてはノンフィクション小説、ということになっている。
ノンフィクション小説?
これは著者が、実在の人物をモデルに書きあげた小説っぽいノンフィクションということに
なるのかなぁ。
主人公にあたるその人は、岩手医科大学付属病院の医師である秋冨慎司氏。
岩手県高度救命救急センター医師。
彼はJR福知山線脱線事故で、救命活動に参加。医療チーム撤収命令が出たのちも
最後まで生存者がまだいることを信じて救急医療活動にあたった…
『もっと被災者の発見が早ければ…、もっと手を尽くせていれば…』というその時のやりきれない
思いからスタートして、日本の行政や社会そのものににまだ充分意識化されていない
緊急時医療制度の仕組みの確立に生涯を捧げようと決心したひと。

DMAT(災害派遣医療チーム)と呼ばれるものに入るための訓練を受け資格を取り、
意識の高い英米など海外でも実践トレーニングを受けて緊急時医療の研究を進めていた。
救助技術は世界のトップレベルと言えるほど高くても、それを統率する仕組みの弱い
日本の緊急時医療の仕組みに危機感を抱いたからである。
とりわけ岩手は、巨大震災と大津波の歴史があり、またいつ起こるかわからないという
土地である。
『災害が起きてからでは遅い!…医療の分野だけではなくあらゆる組織が効果的に
連携出来るシステムつくりが必要なんだ!』
彼が県に粘り強く働き掛け、災害対応システムを根本的に構築しようとその体制作りをしていたところへ
東日本大震災は起こった!……

私たちはマスコミが報道してくれるほんの一部しか、大災害の実態を知らない。
国は何をしているんだ!県は何をやってるんだ!市は動いているのか!
職員はちゃんと仕事をしてるのか!
何も伝わってこないままに批判することしかできないししない…

この本は、その数日間、救急車やヘリコプターなどの燃料さえ一般車両ととりあいに
ならざるを得ないほどの圧倒的物資不足と連絡網の崩壊の中、県の職員たちや医療チーム、
自衛隊、消防、警察などが、いかに人命救助と被災者の生活確保のために苦闘したか、の
記録である。

折しも、昨日の朝日新聞であったか、大災害時帰宅困難者のための拠点として
国交省が選んだ全国50の駅のうち、11駅しか充分な対策が出来ていない、という記事が
載ったばかりだ。

(災害大国 あすへの備え)帰宅困難対策、主要駅2割 国交省50駅調査、計画整備促す
朝日新聞デジタル 4月21日(月)5時40分配信 (有料記事)

全国の約50の主要駅のうち、帰宅困難者対策を進めるための十分な計画ができているのが11駅にとどまることが、国土交通省のまとめでわかった。東日本大震災後、国交省は鉄道会社と周辺施設、自治体らで協議会を立ち上げて計画をつくるように求めてきたが、ソフト、ハード両面からの整備は始まったばかりだ。▼36面=家路急ぐな、39面=一時滞在施設がカギ

 主要駅は「(近隣駅とあわせて)乗降客30万人以上」の基準を目安に、国交省が東京・大阪・名古屋の3大都市圏のほか、札幌や福岡といった地方都市の拠点駅から選んだ。
 計画には、災害発生後の各自の役割や帰宅困難者を収容する「一時滞在施設」の確保、情報伝達の方法といったソフト対策から、備蓄倉庫や非常用発電機の整備といったハード対策まで盛り込むよう求めている。……

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20140421-00000001-asahik-soci

この2月、『大雪と原発』の記事で私も、娘の帰宅困難の経験をもとに、都市の非常時に対する
対応の弱さのことを書いたが、
大災害が起きると、そこに住んでいる人々の無事の確認と安全の確保、傷病者に対する医療活動は無論のこと、
それが大都市であるならば、そこに他地域からの通勤者が大量の帰宅困難者となって加わり、
その人々の安全と避難所の確保も必要となってくる……
それには、駅そのものと駅周辺の公的私的施設の活用がぜひとも必要になってくるのだ。

大雪程度であのように多くのことが混乱をきたしてしまう…
東日本大震災とあの大津波がいったいどれほど大変なことであったのか!
それは経験した人々にしか真にはわからないことであろう。
この本の中でも、多くの組織上の不備が生んだトラブルや無駄、当事者の感情の齟齬、
連絡の遮断や不備や、誤解・想像力の欠如が生む間違った指示などがありのままに描きだされている…

だが、この本の解説に、当の秋冨氏が書いているように、私たちは、あの大震災と津波の悲劇から
学ばねば!
そうして、出来得る限りの対策と準備を平時からしっかりシステムとして
作り上げておかねばならないと思う。
政府と一体になって再稼働を望んでいるように思われる原発立地自治体は、
自分のところの住民だけでなく、30キロ圏内に住む人々の避難の誘導や
安全の確保の責任を負う覚悟と準備は出来ているのか?!

…嬉しい友の贈り物から、思いがけず硬い話になってしまったが、
友がこの本を送ってくれた気持も、きっとあの災害を他人ごとと思わないでくれ…
まだそこから立ち直ることさえ出来ていない人々のことを決して忘れないでくれ…
その想いをこめてのことと思うので、こうして本のことも記事にしてみました。^^


            ***


ふるさとは、自分の生まれたところ、いま住む土地だけではないのだと思います。
こころがそこにあれば、そこも自分のふるさと。
友の住む土地は、もう見知らぬ地ではありません……
旅で訪れてこころが残る土地も、もうわたしのふるさとです。
なにかで特別深く調べて知るようになった土地もふるさとだ。

真ごころのいっぱい詰まったおくりもの。^^
ありがとう~~~♪








『松井大門「ふるさと東北の大切な宝物たち展」in盛岡』

【拡散希望】岩手県公会堂:ふるさと東北の大切な宝物たち展11/22~27

【ふるさと東北の大切な宝物たち】松井大門水彩画展

場所 岩手県公会堂1階ギャラリー
岩手県盛岡市内丸11番2号
019-623-4681
  
 
日時 11月22日(金)~11月27日(水)
22日 10:00~17:00
23~26日 9:00~17:00
27日 9:00~16:00

展示: 流される前の東北風景
関連出版: 日めくり(¥2,625)2種 ポストカードセット(¥1,050)2種
☆会場限定1枚100円バラ売りポストカードもありますよ


展覧会の様子がすべてわかる、れんげちゃんのブログ。http://milkveth.blog103.fc2.com/

テレビ放送の映像。ぜひご覧ください…




                   ***
 
東日本大震災で流されて失われてしまった郷土の懐かしい風景…
松井大門先生は、東北各県を実際に訪れて、なにか自分にも出来ないかと考えられ、
震災前の風景の写真を多くのかたに声をかけて集め、それを水彩画に描き起こして
仮設住宅などで今も不自由な暮らしをしておいでの方々をお慰めすることが出来ないかと考えました。
2年の月日をかけて描きためた水彩画は90余点。
この秋、先生とれんげちゃんは福島を皮切りに、東北各地で展覧会をしてきました。
その集大成ともいえる展覧会が、盛岡で開かれます。


今度の盛岡会場は、国の登録有形文化財にもなっている岩手県公会堂です。
1927年開館。設計は、大隈講堂や日比谷公会堂の設計で有名な建築家・佐藤功一。
そして今回の展示は、なんと、『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんが、おともだちにも
手伝っていただいて、先生のお手伝い。クウーちゃんも会場でおとなしく警備係り!(笑)
きっときっとさらに心温まるすてきな展覧会になるだろうと思います。

クウ―ママさんの会場設営の記事。http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-2020.html

大門先生は、90枚の絵を日めくりや絵はがきのかたちで自費出版。
それを売ったお金でさらに多くの日めくりを作り、仮設住宅などに今もお住みの方々に
プレゼントする活動をしているのです。
経費を抑えて一部でも多くの方に配る方に廻したいと、福島、宮城そして盛岡各地での
展覧会はご自分で運転して絵も運び、宿泊は車中泊。そんな移動移動の日々です。
今回の東北での一連の展覧会は、今日からの盛岡で一段落しますが、これから日本全国を回り、
震災後2年8カ月、だんだん他の地では忘れ去られていくような被災地の現状を
風化させないためにも展覧会を続けていこうとなさっています。

ある仮設住宅では、先生が絵に描いたその場所に住んでいたという青年などにも巡り会い。
ここ知ってる!ここで遊んだ!などという、失われてしまった光景のありし日の美しい姿を
懐かしむお年寄りの声も聞かれたと言います。

『見てね♪』

今夜24:40
正確には、24日の0:40

よろしければ、
NHK総合
地方発ドキュメンタリー
「鯨の町と野球の女の子~ 」

を、ぜひご覧になって下さいませ。

実は、我がブロ友で姉妹のちぎりを交わした(^^)
『うたたね気分』 ブログのLily姫さんのご次男さんが番組の音声担当。
エンドロールにもお名前が出るとか。

姉妹のちぎりを交わしたLily姫さんの息子さんってことは、私の甥になるんだな。(笑)

秋の夜長にいかがでしょうか。^^

『岩手からの便り』

1月のある日。嬉しいお荷物が届きました。


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中には、贈ってくれた方の心映えを忍ばせるように、
こんなお菓子たちが綺麗に箱詰めされて入っていました。
わたしの好きな南部せんべいなど北国の香りを伝える、心のこもったお菓子たち。

その中の一つ。
ピーナッツ味の割りみそせんべい。
上の方に小さな写真が載っています。

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『在りし日のおもかげです』と書いてある。
立派な蔵造りの商店です。
『八木澤商店』
文化4年(1807年)酒造業創業。岩手県陸前高田発祥の老舗。
そこの醤油は何度も醤油品評会で農林水産大臣賞を獲っていた…。

しかし平成23年3月11日。
あの東日本大震災により、陸前高田市は壊滅的被害を受け、
八木澤商店も蔵、製造工場を全壊、流失してしまいます。
この写真は被災前の面影。
でも、八木澤商店の皆さんは雄々しく立ち上がります。
工場を借りて醤油製造再開。現在、陸前高田市内陸部に新店舗を立ち上げ営業中。

この南部せんべいは、その八木澤商店の味噌を使ったタレを染み込ませて
作ったものなんです。

送られてきたお菓子は、皆、岩手県の銘菓。
これを一つひとつ選んで箱に詰めてくださった贈り主のお気持ちや、
これらを作った人々の復興への想いをかみしめながら、一つ一つ見入っていると、
不覚にも涙が出てきそうになりました…!

進まぬ政府の復興策…。
本当に被災地の気持ちになって進められているのかどうなのか。
『絆』を謳いあげた最初の頃の国民の熱狂も去って、どんどん忘れ去られていきそうな焦り…。
国をあてにばかりしていられない…自分たちで立ち上がろう!
…そういう動きが加速化していると言います…。

これは実は、『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんから送っていただいたものです。


綺麗に詰められたお菓子たちの一番上に入れてあったのがこれです。
あ。見覚えのある布!!!
これ。去年の夏。私がお送りした布たちの一部なんです!


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クウ―ママさんは、同じ岩手で、
被災した方々のおこころを何とか慰め、また同時に、少しでも収入の道につなげられないかと、
得意の手仕事の技を活かして、ワークショップ『ててごとひろば』を立ちあげられました。

クウ―ママさんは『ててごとひろば』だけでなく『羅針盤』( save iwate 東日本大震災被災地支援チーム〉でも、
ものづくりを通して、被災地復興のお手伝いをなさっています。
ここには被災なさって今仮設住宅などにお住まいの方などもおいでになって、
クウ―ママさんの指導のもと、いらなくなった衣類や古い布を利用して、
綺麗なバッグやカードケース、ひざかけ、風呂敷、ふくさ、…など
皆でワイワイいながら楽しく作ります。そしてそれらの売り上げは、復興の一助に。

私は去年の夏、それまでたくさんリフォーム用に集めていた古い着物地などを、
使っていただけないだろうかと、クウ―ママさんにお願いしてみたのです。


その古い布の一部が、このような美しい作品になって、『羅針盤』で売られることになりました。
これは袱紗です。テーブルナプキンにも、インテリアの敷物としてもいろいろにアイディアで活かせそう。
クウ―ママさんが、「こんなふうに役に立っていますよ」って、私に送って来てくださったのです♪
まあ、なんと優しい作品に仕上がって戻って来てくれたことでしょう!

裏には、やはり着物の裏地が再利用して使ってあります。淡い黄色のぼかしの。

まあ。この手触り!
…これは触った人にしか伝わらないだろうなあ…
この柔らかさ、なのにこのしっかりした感触!
これはミシンで縫っては絶対に出せないやわらかさです。
一針一針、ひとが手で縫う…それでしか出せないやわらかさです。

人間の手仕事の技の不思議さ…これは手に取ったひと、経験のある人にしかわかっていただけないかも。


…こうして、あちこちから集まった小さな端布が、クウ―ママさん達の手によって、
一つ一つ、見事な作品になって蘇っています。
そして、その中の一つが、私の元にこうやって里帰りして来てくれました!

ク―ママさん達の支援は、震災後全国から集まった支援物資の洋服類などのうち、
厚ぼったすぎるとかいろいろな理由で引き取り手がなかった布たちを
暖かいひざかけや、被災地の小学校のクリスマス会の可愛いオーナメントなどに蘇らせる…
その、集まった物たちを無駄にしないで活かす…その意味でだけでなく、
こころの支援にもなっています。
仮設住宅にぽつんといらしても、被災者の方々はどうしても思い出の辛さや孤独に
引きこもりがちになります…
何とか、外に出てきていただいて、こうして一緒におしゃべりをしながら、手を動かす…
それが作品を作る楽しさだけでなく、こころの支援にも、また小さな収入の道にも…
といった、幾重もの支援になっているのです。

クウ―ママさん達の活動は、岩手タイムズなど地元の新聞やテレビでもいろいろ報道されたそうです。
私も、ほんのちょっとだけどお役に立てたかな…
こうやって見事な袱紗という作品に生まれ変わって来てくれた小さな絹の端布…。
立ち上がろう!支えよう!という東北のこころを胸に刻み込んで、大切にしたいと思います。

さて。
そのク―ママさんのところで、別の活動のことを聞きました。

岩手県大槌町。
震災後に町長をはじめとした町役場の幹部が全員行方不明になられてしまったこと、
地域紙であった「岩手東海新聞」が廃刊したことで、情報が閉ざされていました。
しかし、地元の人々が立ち上がり、2012年8月から活動を始め、
READYFOR?(津波被害で「沈黙」した町 岩手県大槌に地域メディアを創る)
の支援を得て、大槌の「今」を伝えるメディア「大槌みらい新聞」を立ち上げます。
町民レポーターも多く募集。地元に密着した地元の今、を伝える活動をしています。

その中の一つの活動。

『大槌町のおばあちゃんたちの写真展』

被災なさったお年寄りなどは、仮設住宅にどうしても悲しみを抱えたまま閉じこもりがち。
そんな方々にデジカメを持ってもらって、写真を撮ることを勧めてみよう。
外に出ていって若い支援の人々や、同じ被災者同士、写真を撮ることで
繋がっていければ、少しでも元気を出していただけるのではないか…

そうしたアイディアから始まった活動です。
最初のうち、デジカメなど触ったこともないから、と、尻込みしていらした方々も、
身近の人々やもの、風景などの写真を撮って、それをお互いに見せ合ったりしているうち、
だんだん楽しくなっていって、積極的になっていらっしゃいます。

それならば、これらの大槌町のお年寄りたちのお撮りになった写真。東京で
写真展を開けないか、と言うふうに話が膨らんでいきました…。

生きていく張り合いとなれればいいな、そして、大槌町の今を、少しでも
東京など多くの人に知ってもらいたい…そういう想いで、今、スタッフのみなさん、
頑張っていらっしゃいます。
今、その資金集めと、東京での展覧会開催場所を探していらっしゃるようなのです。

私もそれで、こうやって情報拡散させていただくことにしました。
どこか、いい開催場所ないものでしょうか…


…こうして、政府からの支援がなかなかいき届かない中、被災地の方々は
自力で立ち上がろうと懸命です。
それを支援する多くの方々もいらっしゃいます。
でも、東京の私などもそうですが、離れているとどうしても日々の暮らしの中に
被災地の方々のことは忘れてしまいがちになります。

小さなことでも出来ることを…


そう自分にも言い聞かせ、また願う私です。
クウ―ママさん。ありがとう♪







『銀座にて』

9月12日。銀座へ。
5丁目の画廊で開かれている個展を見るため、そして友に会うために。




詳細はこちら




☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆ 松井大門展 情報 ☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆


日時 : 9月11日 ~ 17日  11:00 ~ 18:00
場所 : アトリエスズキ 東京都 中央区 銀座5-5-13 並木通り坂口ビル4F

画像をクリックしていただくと、大門先生のところに飛べます。




勿論、松井大門先生の絵を見せていただくため。そしてこのブログでお世話になっている、
れんげちゃん、葉っぱさんと会うためです。

お昼12時。個展の会場へ。
大門先生が、どなたかお客様とお話ししてらっしゃるのがまず見えました。
「ナマ大門だっ!」と思わずこころのなかでつぶやく…(爆)
お~~~~~~!!!
先生はとってもやさしそうでした。絵がいいんです!!!

先生の絵は、ブログ上で見せていただいていましたが、まだ、この日本にかろうじて
残っている農家などの絵が、とっても私などには懐かしく。
少女の頃、こういう畦道を学校帰りに歩いたよなあ、
小5の夏。父に会いに帰った九州の高原の村の、私の生まれた家もこんなだったのでは!
…などと、風景だけでなく、田舎の家の、なにか大豆か何かを煮ているような
独特の甘いような匂いや、水を入れた田の泥の香りや、また、初夏の、
青い柿の実の匂いや、…そんなものがすべてわ~っと思い浮かべられるようでした。
今回は、中国に取材にいらした折りの、向うの素朴な老人たちの笑顔の絵など、
人物像もありました。また、先生だからこそ!、と思うような、暖かみのある
植物図譜もあります。

れんげちゃ~ん!!!
彼女は、ちょっと横っちょに隠れて、恥ずかしそうにはにかんでいました。
写真はブログで何回か拝見していたからというのもあるんだろうけれど、
初対面にして、なんというこの懐かしさ!
すぐに手をつないで。…言葉はいりませんでした。

申しわけないけれど、先生を残して、れんげちゃんと私は銀座の街へ。
これからどこかでお食事です。
最初は、銀座ライオンでビールかな、と思っていたけれど、昨日すでに
行ったということなので、資生堂パーラーに案内することにしました。
パーラーはおやすみ、ということで、10階のファロ資生堂に行きました。

こんな感じ。れんげちゃんとの思い出に載せておきましょう。

http://faro.shiseido.co.jp/restaurant/

お腹の今すいてらっしゃる方には、お目の毒かな。
ここはミシュランの一つ星だそうです。お料理はイタリアンと言うより、フレンチみたい。
給仕をしてくださる男の方たちは皆訓練が行き届いて、もの静かでやさしく。

内装もすてきでしたよ。野又穫さんの絵が何枚も壁に高く掲げられていました。

ワゴンでサービスされるデザートは、何種類選んでも切ってくれる。
盛り付けが感動的に綺麗でした。

お腹一杯になって、いろいろ話もして、そこから松坂屋の少し先にある、
ミタケボタン、というボタンやさんにれんげちゃんを案内しました。
れんげちゃんは、お野菜作りがプロみたいだけど、いろいろなんでも自分で工夫して
手作りするのも好きだということで。

このミタケボタン店は、ここ銀座で営業70年の老舗。
先代が海外に行って買い集めて来たという、ヴィンテージボタンが
たくさんあって、服飾界では知る人ぞ知るというお店なのだそう。
私は、『ku:nel』という雑誌の表紙になっていた、ここのボタンを見て、
この店のことを知りました。

ミタケボタン

私は目移りしちゃって、今日は何も結局買えず。
今度、縫いあげた服を持って、それに合うボタンをゆっくり探しに来よう。

さて。画廊には大門先生の奥さまと葉っぱさんとが、戻っておいでの頃です。
れんげちゃんと、西日の照り返しの強い銀座の街を急ぎ戻る。

大門先生の奥さま今日子さんと、葉っぱさんも、すてきな方でした!
大門先生とは日本が捨てようとしている良きもの、についての話をしたり、
今日子さんは、アンティークの服からすてきなバッグなどを作る先生なので、
この日持って来てらした、スエードのバッグを見せていただいたり、
れんげちゃんがミタケボタン店で買った、皮のボタンを見せてもらったり、
これまた、驚くほど多趣味、というかなんというか、マルチな才能を持った
葉っぱさんに、万華鏡作りの話を伺ったり、
そんなことしてるうちに、あっという間に、5時を回ってしまいました。
名残惜しいけれど、先生ご夫妻とれんげちゃんとはお別れ。
温かい握手をしていただいて、私は葉っぱさんと有楽町駅に戻りました。

奥さまともう少し、手仕事の話がしたかった気がします。
もの静かな、気品のある方です。
近くに住んでいたら、いろいろ楽しい情報交換できるだろうのになあ。
いろいろ教えていただいたり。
また、葉っぱさんとは電車の中で、原発のこととか政治のこととかいろいろ
話ながら帰ったけれど、やはりもっともっと話したかった。
ものすごい勉強家です。掘ればいくらでもいろいろなものが出てきそう。
…葉っぱさんとは近いので、また会えるだろうと思います。だといいな。
「姐さん!」と。呼んでみたくなるような人。
わたし、こういうタイプ、ふらふらっとついて行きたくなるんだ!(爆)
葉っぱさん。ごめんね(笑)。

れんげちゃんとは、…れんげちゃんとは。なにか、あまり話さなくても
もうじゅうぶんいっぱい話したような…。そんな満足感があります。
母子?以上に年は違うんだけれど、そのキュートな外見に似ず、というのも
おかしいかな。彼女はすっごい大人です。そしてもの想うひとです。
ブログで知るれんげちゃんは、文句なしに明るいひと。
誰のこころにもストレートに、爽やかな風のように飛びこむ。
しかし、そのまっすぐさは、なんというかなあ。単純な形態ではありません!
ものすごく、微妙なニュアンスのあるストレートなんだ…うまく言えないけれど。

だから。彼女は。みんなのれんげちゃんになる…。
うつむいてる顔や仕草が。可愛い。



そして、大門先生。
先生は絵を通じて多くの人に伝えたいことがある…
それは、なぜ、この日本にまだ、地方には素晴らしい家屋や、人の暮らしが
残っているのに、それを壊そう壊そうとするか!という問いかけです。
先生の描く、古い農家など。それらはまだまだ修理すれば立派に生きていけるのに、
ひとはどんどん惜しげもなくそれらを取り壊し、日本全国どこへ行っても見られるような
新しい、でも味気のない建物に建て替えてしまいます。

先生が訴えたいそれは、ただ、古いものへの哀惜というような単純なことではない。
そこには、何もかもが東京や大阪などの大都会に集まってしまい、
地方の生活が成り立って行かなくなってしまっている、この国の農政や林業政策、
また文化格差など、大きな大きな問題が見えている…。

それは根本のところで、私が今書いている、原発問題にも通じる課題です。
なぜ、福島浜通りに、かくも多くの原子炉が建設されるにいたったのか…
青森県六ケ所村、北海道泊村に、なぜ、各施設は建設されたか…

やさしいやさしい、やわらかい色調の、美しい水彩画です。
でも、私は、先生の、剛毅な思想の一面も見せていただいた気がして、
深く考えこみながら、葉っぱさんともさよならした後の、電車に一人乗っていたのでした……



一匹狼的な生き方をしてきて、いつも根無し草の感覚を持って生きている彼岸花。
このまま。墓場まで、この生き方を貫くのだろうなと思っていた。が。

ひとっていいな、そう、思えた日でした……





『ご案内』

こちらにおいでいただいている松井大門先生が、
銀座で個展を開催なさいます。
私もれんげちゃん、葉っぱさんなどと、見せていただきに伺おうと思っています。
東京近郊の方にご案内申し上げます。
素晴らしい松井大門ワールド、楽しみにしています。



詳細はこちら




☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆ 松井大門展 情報 ☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆


日時 : 9月11日 ~ 17日  11:00 ~ 18:00
場所 : アトリエスズキ 東京都 中央区 銀座5-5-13 並木通り坂口ビル4F

画像をクリックしていただくと、大門先生のところに飛べます。

『わたしのクリスマス①』

少しの間ブログをお休みしてしまいました。

メリークリスマス。みなさま。

クリスチャンではないけれど、クリスマスというとやはり心が浮き立つ彼岸花です。
雪の中でクリスマスをお迎えの方もおいででしょうね。
昨日のクリスマス・イヴの日の昼間。東京の空はこんなでした。

私が勤めていた町に行くときは、電車に乗るためにいつもこの台地を
はあはあ言いながら自転車をひいて登っていました。
ここまで来てようやくいつも一息ついていた。
その頃は、ただ先を急ぐばかりだったけれど、今は深い想いを込めて
空を仰ぐことが多い。

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素晴らしい青空。
風が強かったけれど、面白い形の雲が次々に流れて、
なぜだか妙に忘れがたい美しさの空でした。

東京はこれからおおむねこういう青空の、乾いた日が続きます。
今日も青空。
クリスマスを過ぎると、東京もいよいよ本格的に冬到来、という感じがしてきます。
この冬が、皆さまにとっていい冬となるといいな、と願うクリスマスです。



『わたしのクリスマス②』

こんなケーキをいただいたので、深夜、コーヒーを淹れて、楽しみました。


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可愛いパッケージでしょう。
シンプルな白い段ボールの箱なのに、くるみ方でこんなにお洒落。

ごめんね。ちょっとお部屋を覗かせてね。


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や~ん!(笑)
ケーキは恥ずかしがって、お外に逃げていってしまいました。
こんなふかふかの白いベッドにいたのね。



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これ、こうして一つ丸ごとお皿に乗せていますが、一回ではとても食べ切れないほど
濃厚で芳醇なケーキです。

まず、香るのが、いちじくの独特の素晴らしい香り。
食べると、いちじくのプチプチした食感と、松の実などのナッツの食感、
そして香ばしさが見事にミックスされて、
極上の豊かな味わいのケーキでした。
ココアとブランデーの香りも効いて、しっとりと重く濃厚です。
私はこういう、濃厚な味わいのケーキが大好き。

ああ、美味しかった! ごちそうさま。




なにか、とっても豊かな時を過ごせたイブとクリスマスだった気がします。

みなさんはいいクリスマスをお過ごしになられましたか?




テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『ありがとう 』


みなさん。うっかりして私、この2日ほど、コメント欄引っ込めてしまっていましたね。
深い意味はありません。いつもどおり、実に他愛のないうっかりミスです。
あれ~?彼岸花さん、どうしたんだろう、と、心配して来てくださった方も。
ごめんなさい。でもありがとう~。

さっき気づいて慌てて元に戻しました。

実はコメント欄に関しては、ご報告したいことがありました。
今まで、私のコメントのページ、字がすごく小さくありませんでしたか?
このブログのテンプレート、気に入ってるんだけど、どうもコメントの文字が小さい。
ずうっと、それが気になっていました。
読みに来てくださる方も読みづらいだろうなあ、と。
しかも私がまた、長い返事を書く人間ですし(笑)。

そしたら、あるお嬢さんが、一挙にその問題を解決してくれました。
フォントの大きさを変える方法教えてくださったのです!

皆さん、見に来てみて!(笑)あ。強制しちゃいけませんね。
コメントもレスもすごく見やすくなりましたから。
文字の色も薄くてずっと気になってたけど、濃く出来ました。
一年以上も気にかけていたことが一挙に解決したのです!
ありがとう~。そしてこれまでのご不自由ごめんなさい。

私が困っていたり、元気がなかったりすると、
すぐに何かを察してフットワークも軽く応援に来てくださる方がいらっしゃる。
あるいは、黙って察してくださったり。

皆さん、いつもありがとうございます。
ほんとに、みなさんにいつも支えられています。

お礼にこんな映像お送りします。
ユーリ・ノルシュテイン。ロシアの偉大なアニメーション作家の作品です。
少し暗くて見づらいので、この映像だけ、画面を明るくしてご覧くださいね。

みなさん。おやすみなさい。












テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『父の贈りもの』 嬉しきもの 其の三

故郷の姉から、荷物が届いた。
姉といっても、風来坊で行方知れずの次姉ではなく、長姉のこと。

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干し柿、モチ、干しぜんまい、干したけのこ、姉の漬けたラッキョウの瓶詰、
ここには写っていないが、米、カボス、干しシイタケ。
そして茶封筒に入った姉の優しい手紙。
80歳近い姉は、小柄だが、まだまだ元気で頭もしゃっきりしている。
懐かしいふるさとの香りのする贈り物である。


思い出すのは、父のこと。

何回か書いているが、私は、父とは小学校2年生の時に生き別れをした。
母、兄、私は温泉街の家に残り、父は生まれ故郷の高原の村に、自分の妹を頼って
帰ってしまったのである。
次姉は私たちと一緒にいたり、父のいる村にふらっと帰ったり、落ち着かなかった。

いわば、父は家族を捨てたことになる。母はそれ以降、父を憎みとおした。
家族を捨てて、おめおめと故郷の村に恥をさらしに帰った情けない男として。
でも幼い私は、優しかった父を懐かしがる。
すると母が、何とも言えない複雑な悲しい顔をする。
私が、「父さん」という歌詞の入った歌を何気なく歌ってさえ、母は眉をひそめた。
だから、だんだん母の前で父のことを話すのは、私にとってタブーになっていった。

そんな私だったが、年に二度、おおっぴらに父と触れ合うことができる日があった。
それは、7月の私の誕生日の時と、歳の暮れのちょうど今クリスマスの前頃との二回である。
その時は、毎年、父が忘れずに私に贈り物をしてきてくれるのだ。

贈りものは決まっていた。
まず、少女雑誌。
当時の女の子たちの憧れは、「少女ブック」「少女クラブ」「りぼん」「なかよし」
などの雑誌で、バレリーナ姿や、バイオリンを構えてポーズをとった松島トモ子や鰐淵晴子だった。
高橋真琴のバレエ漫画。手塚治虫の「リボンの騎士」も楽しみだった。
当時の少女雑誌は月刊誌。月にたった一度なのだが、それでも私が母に雑誌を買ってもらうことは
本当に稀にしかなかった。まあ、他の女の子たちも似たり寄ったりで、
買って貰った者がいると、みんなで回し読みをする。
父は毎年二回欠かさず、大抵は「少女ブック」を送ってくれていた気がする。

それから、茶封筒に入った500円札。今でいうといくらくらいの価値があるだろう。
一万円?くらいかなあ。
母にあてては、叔母の田でとれた米2,3升。父が掘った立派な山芋などが荷に入っている。
夏なら、叔母の家の庭でとれたトウモロコシなども。
母は文句を言いながらもいそいそとそれらを戸棚などに仕舞っていた。

私にとってとりわけ嬉しいのは、暮れの方の父からの荷物だった。
まず、少女雑誌の中身が、普通の月と違うのだ。
新年号ということで、付録のボリュームが普段と違った。
当時の少年少女雑誌の付録はとても豪華だった。
藤井千秋画伯描くところの美しい便箋と封筒のセットなど嬉しかったなあ。
漫画や少女小説の別冊付録もたっぷりついていた。

いつものように茶封筒に入った500円札。そして父の手紙。
父の字は綺麗だった。よく字を知っていて達筆だったので、
近所の人々が手紙の代筆を頼みに来るほど。
その美しい読みやすい字で、「お小遣いでお前が好きなものを買いなさい。」などと
書いてある。

母にはいつものように、お米や山芋。小豆などの袋もあったな。
それで母がいつか美味しいぜんざいを作ってくれる。
そうして、甘い干し柿がたくさん。

私は、干し柿を早速2個ほどもらって、3畳間に本を持って引き上げる。
この3畳間は私の寝室兼勉強部屋になっていて、窓に寄せて座机が据えてあった。
何故かここには兄も姉もあまり侵入してこない。
私だけの城のようなものだった。
外は、木枯らしが悲しげな音をたてて吹き荒れ、私のいる窓辺を訪れて
窓ガラスを時折鳴らしても、干し柿を食べながら少女雑誌を読みふける私は
王女様のように幸せだった。

そのうち、母が一声、「焼き米を食べるかい?」と訊ねてくる。
歳の暮れの贈り物には、必ずこの焼き米が入っていた。
この、『焼き米』というもの。私の故郷では「やっこめ」という感じで発音する。
ご存じの方はほとんどいらっしゃらないだろう。
その正確な作り方は私も知らない。
うろ覚えで聞いたところでは、これは大変贅沢な米の食べ方なのだそうで、
秋、新米が本格的にとれる時期のさらに前、完熟前の稲を刈り取って、
まだかすかに青味の残る玄米で作るらしい。
臼でついて平たくつぶしてから(?)、香ばしく炒ってある。
大変に手間のかかるものらしい。
何が贅沢かというと、手間がかかることもあるが、
完熟するまで待てば収穫量も増えるものを、まだ青い玄米で作れば、
量が当然少なくなるからだそうで。
もしかすると、ぜいたくなどではなく、逆に、江戸時代などは
米の収穫前にこっそり青い米を収穫してごまかし、それを美味しく食べるための
貧しい農民の知恵だったのではないかと思ってみたりもする。

焼き米とはどんなものか。
簡単に表現すると、お米で出来たフレークといったところだろうか。
かすかにまだ青味の残った、平たくつぶれたお米。
さらさらした感触で、そのまま手のひらに一掬い取って、口に放り込めば、
コメ本来の持つ何とも言えない香りが口いっぱいに広がる。
一度火が通っているので、そのまま食べられるのである。
モチモチした噛みごこちで、米の甘味がこんなにあるのかというくらい、香ばしく甘い。

これは昔は全国で見られて、戦陣や旅の携行食として好まれていたようなのだが、
今では知る人も作る人もごくわずかなのだろう。
長姉に先日手に入らないかと訊ねてみたが、知人でたった一軒作っていた人がいたが、
その人ももう作らなくなって、手には入らないとのこと。

私は、何も手を加えず、そのまま口に放り込んで自然な甘みを味わうのが好きだったが、
普通はこれを椀に入れ、塩を一つまみ入れて熱いお湯を注ぐ。
すると一見おかゆのようになるのだが、焼き米はモチモチした食感で、
しかも本当に香ばしく、なかなか他にない美味しい食べ物であったように思う。
焼き米に砂糖を混ぜ入れて、おやつのように食べる方法もあったが、
私はあまり好きではなく、自然のままの味が好きだった。

でも、寒い木枯らしの吹く日、母に呼ばれて兄も姉も火鉢の周りに集まっている六畳間に行き、
みんなで着いたばかりの焼き米を、そうやって熱い湯をかけてふうふういいながら食べたのも
今となっては楽しい思い出だ。

ああ、父はどんな想いでいつもあの、私宛ての小包を用意してくれていたのだろうか。
焼き米は当時でも作る家は少なかっただろうから、早くからそこに声をかけておき、
小さな村に書店などというものはないから、多分何でも扱う村の雑貨屋で、
東京からはるばるやってきたピカピカの少女雑誌を買う。
(本当は私の住んでいるところは地方の大都会なのだ)
私の喜ぶ顔を思い浮かべながら、焼き米、干し柿、小豆、山芋・・・、と、
一品一品新聞紙にくるんでいく。
手紙を書いて500円札と共に封筒に入れる・・・。

父よ。母よ。
あなたたちはどういう人だったのだろうか。
あなたたちは本当に憎み合っていたのだろうか。

でも、二人がそれぞれに、私を愛していてくれたことだけは確か。
今は長姉がこうやって、故郷の香りを届けてくれる。
歳の暮れの一つの幸せ。

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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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