『ブルームーン』

ブログで親しくさせていただいている、さかごろうさんに教えていただいたすてきなお話。
さかごろうさんは、女性には珍しく、天文に詳しくていらっしゃるのである。
あ。これは、女性は科学に弱い、という、私のわが身に照らしての偏見かな(笑)。

その話というのは。
ひと月の間に2回、満月の日がある月がごく稀にあって、
今月と3月がそうなのだそうだ。
毎年必ずそういう月があるというわけではないらしく、
3年から5年に一度。
今年のように年2回もあるというのは珍しいらしい。

で、その2回目に来る満月の日の月を、『ブルームーン』と呼ぶのだそうだ。
そうなったいきさつは、半ば誤解と人間の月に寄せる特別な想いと願望などが
生んだ、本例の天文学事象とはまったく関係ない、半ば民間伝承のようなこと
なのらしく、そう古い話でもないのだが、
厳密ないきさつなどはさておいて、
『ブルームーン』、美しい言葉ではないか。

しかもそのブルームーンに願いをかけると、願い事がかなえられるという。
なんてすてきなお話。

英語でブルームーンと言うと、そんなことあるわけない、ということから転じて、
「あり得ないこと』という意味にもなったりするらしい。
また、塵などの関係でごく珍しく、ある地域で本当に月が青く見えたりすることも
あるという。でもこれも、科学的に実証されたことではないようだ。
だんだん、追及していくとなんだかつまらなくなる。
流れ星を見て、それが消えるまでに3回願い事を唱えれば、願いが叶うという。
それって誰がいつ言い出したの。流れる時間はあっと言う間だから、3回も
唱えるのは無理。それってでたらめじゃない?
そんなことを言い出すとつまらなくなってしまうのと同じ。
それよりは、この、ひと月に2回ある満月の日の、その月をブルームーンと呼び、
願い事をすると叶えられる、という話のほうがずっとすてきだとお思いにならないだろうか。

というわけで、私、頑張って、今宵のブルームーンの写真撮ってみた。

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夜の写真撮るの初めて。7時頃の月。
なんとか、今日の月の美しさの感じが出ているだろうか。
こころなし、青みがかって見えないだろうか?

今、自転車を取り込むために外に出て、また月を見た。
夜12時。月は中天にかかっている。星が一つ、寄り添うようにいる。
本当に今日の月は青い感じがする。

私?勿論願い事をかけましたよ。


月には不思議な力があると信じている私です。




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『本の運命__付記』

先回の記事について、調べたことやわかったことを少し。

本の間に入っていた、一円札の新札。
肖像の主である人物について「武内大臣って誰?」と、無責任に書き飛ばしていたが、
この際だから、と反省して少し調べてみた(笑)。

武内大臣。
  武内宿禰(たけうちのすくね・たけのうちの-・たけしうちの- 、
  景行天皇14年(84年) - 仁徳天皇55年(367年)4月?)は、
  『古事記』『日本書紀』で大和朝廷初期(景行・成務・仲哀・応神・仁徳天皇の5代の天皇の時期)に
  棟梁之臣・大臣として仕え、国政を補佐したとされる伝説的人物。
  建内宿禰とも表記される。
  紀・巨勢・平群・葛城・蘇我氏などの中央諸豪族の祖とされるが詳細は不明。
                             (以上、Wikipediaによる)

そっかあ!建内宿禰(たけのうちのすくね)、のことかあ!
そう書いてくれて、そう読めれば、なんとなく私にだってわかったのにな・・・。
そう思ったが、実はたけのうちのすくね、だって、どんな人かよくは知らなかった彼岸花(笑)。
でも、肖像の主がはっきりしてすっきりした。
すっきりついでにもう一つ。
この、ピカピカの一円札。一体いつのものか、そしてどのくらいの価値があるのか、と
皆さんもお思いになりませんか? 調べてみました(笑)。

お札には「日本銀行兌換銀券」と書いてある。
つまり当時は、一円相当の銀と交換できたわけである。
今でも、この紙幣は通用する。ただし、価値は額面通り、一円!(笑)

ではいったいいつ発行されたものだろう、ということで一円札の歴史を調べてみた。
一円札には、旧一円券、改造一円券、い号券、A号券の4種があるらしい。
旧一円券は1885年(明治18年)発行。絵柄は大黒天。
札を丈夫にするために、こんにゃくを混ぜて作られていたため、虫やネズミに食べられるという
欠点があり、そのために出されたのが、改造一円券。
改造一円券は、絵柄は武内大臣。
い号券は1943年(昭和18年)発行。
絵柄はやはり武内大臣。戦局が悪化したため、物資が不足になり、
きわめて粗悪な紙幣であったらしい。
A号券は、絵柄は二宮尊徳。1946年(昭和21年)発行。

さて、私が手にしているこの武内大臣の一円札。
改造一円券なのか、い号券なのか。
い号券だったらがっかりだな。
なぜならば、先回の記事で書いた、私のロマンチックな想像が否定されてしまうから。

どんな想像をしていたか。
この紙幣が挟まっていた外国人向けの冊子は、1936年(昭和11年)5月に、國際観光協會が
東京日本橋丸善で売り出したものである。発売所は丸善と東京駅構内にあったジャパン・ツーリスト・
ビューロー、すなわち日本旅行協會。
昭和11年と言えば、二・ニ六事件のあった年。日中戦争突入の前年である。
時代は不穏な空気に包まれていたはず。英米等との関係も悪化しつつあった。
しかしまだ、英米からの観光客はあったとみえる。というのも、それでなければ、
この本のような英文の観光案内が新たに出版されるわけがないから。

さて、ここからは私のたくましい想像世界(笑)。
日本橋丸善、あるいは東京駅で、ひとりの外国人がこの本を買う。
最初は男性を想像していたが、着物の美についての本だから、ひょっとすると、女の人かも。
どんな人だったかな。キャサリン・ヘップバーンのようなすらりと背の高い、
いかにもインテリ女性という感じの人だったかもな。
胸や腰の膨らみ、そしてウエストのくびれなど体のラインを強調した、きりりとした
タイトスカートのツーピースを着てたかな。旅先だからパンツルックだったかな。

彼、または彼女は、日本での仕事を抱えていて、落ちついたのは神戸の街である。
なぜ、神戸か、と言うと、この本が次に人手に渡ったのが、神戸の海岸通り一丁目にあった
J.L.Thomspson & Co.,Ltd という会社にであったということが、小さな書票で読みとれるからである。
当時の神戸。神戸から芦屋、宝塚、西宮などにかけて、『阪神間モダニズム』と呼ばれる、
和洋折衷の華やかでお洒落な文化圏を形成しかかっていた頃である。
 
『 昭和初期の1930年代になると、海に面して神戸郵船ビル以東、香港上海銀行、海岸ビル、
  商船三井ビル、オリエンタルホテル、神港ビル、チャータード銀行といった
  石造建築が連続する洗練された都市景観を形成していた。』(Wiki による)

ああ!浪漫的!(笑)
海岸通りのその洋書店には、世界から日本を訪れていた外国人たちが本を売ったり買ったり
しに来て、また当時の新興文化人、富裕層の日本人なども訪れていたかもしれないな。
しかし…。

私の想像はさらに続く。
翌年日本は、日中戦争に突入。アジアへの侵略(敢えて私はそう言う。)を強めていく。
欧米列強との関係は悪化。独伊の友好国以外の西洋人は、次々に日本を離れ本国へ帰っていく。
この本の持ち主も、日本を離れることを決意。神戸の住居をたたみ、家具調度品なども処分。
日本で買い集めた書籍なども大事なものを除き、このJ.L.Thompson & Co.,Ltd という書店に
処分を頼んだのではなかろうか。
綺麗な一円札を、本の間に挟んだことは忘れたまま・・・・。

大量に処分されたもののうちの一冊であろう、ということは、古書店の店主がお札に気付かなかった、
というところから、判断したわけで(笑)。
そうしてそれは、さらに、東京神田の一誠堂という古書店に。書票が貼ってあるからわかる。
そこからさらにどうやって我が家に来たか、は、記憶がないのである。

さて、彼岸花古書探偵の推理はさらに続く(笑)。
この一円札。先にあげた4種の一円札の中のどれに属するか、と言うと。
改造一円札というものにあたる。
私はこれを調べていくうちに、これが、い号券だったらいやだなあ、と恐れていた。
い号券は絵柄はやはり武内大臣。昭和18年発行。
太平洋戦争まっただ中である。
そうすると。戦争に突入する前の、まだ英米向けの本が発行されていた頃に、ひとりの
英米圏の人がこの本を丸善で買った、という私の美しい想像が崩れてしまうではないか(笑)。

だがご安心。い号券はもっと粗悪で、しかもデザインが私のとは違っていた。
それでは私の改造一円券はいつ発行されたものか、と言うと、
実は2回にわたって出されている。最初のものは1886年(明治22年)発行。
ただし、これは漢数字で通し番号が振られているらしいから、私のとは違う。
1916年(大正5年)8月15日発行。これだな!!
ここから先発行されたものには通し番号がアラビア数字で振ってあるのである。

このお札がオークションなどで好事家の間でどのくらいの価値があるのかも、
ついでだから調べてみた(笑)。
改造一円券。漢数字の明治22年のものなら汚れていても一万円くらいの価値。
私のもののようなアラビア数字のものだと、未使用のピカピカでも、せいぜい千円(笑)。
んまぁ、そんなところだな。

でも、そんなことはどうでもいいのである。
要するにこれは、ロマンなのだから。
私の想像をかきたてる、美しいロマンなのだから。

さらにもう一つ。
J.L.Thompson & Co.,Ltd という書店。
これがまた、強く想像をかきたてないだろうか?
戦前の神戸の雰囲気。ああ!憧れがかきたてられないか?
海岸通り一丁目。どんな風景で、どんな感じの店だったのだろう・・・・。

で。検索してみたのである。

虚しく関係ない項目ばかりが延々と続く。
Thompson はThompson でも違う人ばかり・・・・。Ltd だけでつながっているまったく関係ないものまで。
もうこの古書店は、神戸にもどこにもないんだな。
もうばかばかしいからやめよう・・・。
そう思っていたときに、あった!!
J.L.Thompson & co.,Ltd  Kobe.....
これだこれだ!
Books on Japan というページにたくさん、日本についての外国書籍のリストが載っている中に、
一冊、根付についての本が、1928年11月に、J.L.Thompson & Co.,Ltd から出されている。

ん?とすると、ここは古書店ではなく、出版社?
想像がガラガラと崩れていく(笑)。

でも、この本を出したのは確かに國際觀光協會で、売ったのは丸善と東京駅構内だ。
どういうこと?
でも、いいや。
いいではないか。
たった一冊の本の間に挟まっていた一円札が、これだけ楽しい想像をさせてくれるのだから。


束の間、いたずらな想像を膨らませて、憂さは忘れて・・・・・



海岸通りの風景今昔に興味のある方は、こちらをどうぞ。
http://www5f.biglobe.ne.jp/~yamamura/koube_kaigandouri_motomachi.htm

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「本の運命」 『誰も知らない』 ②

古本屋を時々覗くことがある。
新刊書店もそうだが、古本屋も、入った瞬間に、
「あ、この本屋は私の趣味に合うな』とか「合わないな」とかはすぐわかる。
好きな古本屋の本は、何か匂いで私を呼ぶようなところがある。
ブックオフなどに並べられた本は、そういう匂いを発していないのである。

気に入った古本は、それ自体が出会いであるが、時々、その本の中に、
さらに思わぬ秘密が隠されていて、ドキッとすることがある。

たとえば本の間に一葉の写真が挟まっていたりする時。
昔私が買った美術全集の間に挟まっていた、一枚の写真。
その写真は、どこかの会社の慰安旅行の集合写真であった。
時代はおそらく昭和30年代。大きな木造2階建ての宿屋の庭で撮ったと思しき写真である。
各部屋の窓の木の手すりに、温泉で使った後の宿の手ぬぐいが干してあるような、そんな宿。
建物の壁には茶色のペンキが塗ってあり、それが風雨でいい味を出しているような、そんな宿。
そこの庭で、50人くらいのひとが、一枚の写真に収まっているのである。
朝の光と思しき光線の中。おそらく出発前に撮られたものではなかろうか。
殆どの者がもう着替えて身支度整った中、まだ数人、宿の浴衣のままのひとがいるという(笑)。
大きな旅館で、みんなの背景に移っている松の木がかなり年古びているところから見ても、
かなり有名な旅館なのではあるまいか。

本の間にその写真を挟んだ人も、この50人ほどの中に必ずいるはずである。
どの人かな・・・・・。

不思議ではないか。
見ず知らずの人が挟んだ、楽しい旅の思い出の写真。
古い美術全集。それも有名な大画家のものだけでなく、時代時代の美術の流れを捉えた
割と渋い内容のもの。そこに写真を挟んだ人はおそらく男のひとではないだろうか。
もしかしたら、この最後列の右から3番目のこの男のひとではあるまいか?
もしかしたら、彼はその前列の、彼の斜め前くらいに写っている、この綺麗な
若い女の人をひそかに想っていたのではあるまいか?
そんな想像をさせる。

それが今、巡り巡って私の手元にあって、私がそんなことを想像しながら見ているなんて、
本人も、古本屋の店主も、誰も知らない。

こんな本もある。

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昭和11年5月。日本橋丸善が定価五拾銭で売り出した、海外からの旅行者のための
日本紹介のガイドブック。そのうちの一冊。
昭和11年と言えば、日本が支那事変によって日中戦争に踏み込む前の年。
英米などとの関係も悪化していきつつある頃である。
英語で書かれているこの本を、丸善で購入したその外国の人は、
いったいどういう人だったのだろうか。

もう家族の誰がどこで買ってきたのか記憶がない。
いくつかの古書店を経てきたものらしく、神戸海岸通りの、J.T.Thompson & Co.,Ltd
及び、東京神田Isseido の2つの古書店の小さな書票が貼ってある。
日本橋丸善でこの本を買った外国の人は、その後神戸に移り住み、太平洋戦争突入前の
不穏な空気の中、帰国することにして、J.T.Thompson & Co.,Ltd という会社の手に
他の多くの本と共にこの本の処分も委ねたのかもしれないな・・・・。
そんな空想がどこまでも膨らむ。

中身は大したことない、外国人向けの日本の着物文化紹介。
だが。

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中にこんな、旧壱円札の新札が。
肖像の主は「武内大臣」と書いてある。武内大臣って誰?(笑)
このパリッと美しい壱円札にどれほどの価値があるのか。
おそらくもう20年以上うちに来てから経つが、ここに挟まれたまま。
大体、私たちは、これを誰かに返すべき?(笑)
本自体は50銭(壱円の半分ですよ)。この紙切れに価値あり?
誰がなぜここに挟んだのだろうか。
この本を最初に日本橋丸善で買った外国のひとが、お札のデザインの珍しさに魅かれて
ここに挟みこんだものだろうか。
古書店を渡り歩いている間に、誰かほかのひとが挟んだ?
誰ももう、こんな本とお札が、私の手元にあること、知らない。

そうして。
最近見つけてお気に入りになった古本屋で、私が最近偶然手に入れた本。
映画ポスターのイラストで有名なある画家の作品集成である。
野口久光氏(1909~1994)。
日本の映画、ジャズ、ミュージカル評論家。画家。翻訳家。
ここに載っているのは昭和8年から35年までの作品。
映画好きなら、「ああ!」と思うような名画の数々の
ポスターを描いた人。

実はその人の展覧会がこの暮れにあったのだが、行かずに過ぎていた。
どんなポスターがあったのか見たいと思っていたが、偶然、家の近くの古書店で
この本が手に入ったのである。
これはもちろん今回の展覧会のカタログではなく、昭和59年に朝日ソノラマから出た、彼の作品集。

私がその古本屋にふらっと入ってみたのはその日で3回目。
一回目はもう半年ほど前になる。店はそこで営業を始めたばかり。
その時は、愛想のない主人の態度にカチンときて、二度と行くもんかと思った。
まるで売るのを嫌がっているふうだったのである。
二回目は、少しアメリカ文学の話などをしてややうち解け、J・カゾットの『悪魔の恋』
という本を、その縦長の版型と、訳が渡辺一夫、という、それだけの理由で買ってきた。
三回目。何か面白い本はないかなあ、と本棚の間を物色しながら歩いている私の手元を、
店主は、本の手入れをしながらこれまでもひそかにうかがっていたらしい。
3回とも客は私ひとりであったから。

本好きの性とでもいうのだろう。古書店の店主というものは、
客がどういう本を手に取り、それをどういう風に棚に戻すか、
本をどのように扱うか、が気になってよく見ていて、それで、その人の本の嗜好や
思い入れが全て見てとれるのででもあろうか。
「こんなのありますがどうですか。」と私に声をかけてきたのである。
私はその時、植草甚一の『植草甚一主義』という、彼の世界を網羅したビジュアル本を
「欲しいけど高いなあ。」と思いながら遠慮がちに眺めていた。

店主がその時差し出した大型本がこれ。

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なんと、私が見たいと思っていた野口久光氏のポスター集成ではないか!

私は店主に野口の「の」の音も口にしていない(笑)。
ほぼ行きずりに近いこの古書店に、氏の画集があるなんて思ってもいなかった。
というよりは、そもそもそういう本が出版されていることさえ知らなかった。
知らずに、見たい、と求めていたのである。

確かに最初に訪れたとき、映画の本の棚をしばらく眺めていたことはあったかもしれない。
でも、3回目の日も、映画のことなんか話もしなかったし、店主と話したのは、
植草甚一のこと、昔持っていた文学全集のこと、数人の作家のこと、そのくらいである。

おそらく彼は、私が初めてそこを訪れたとき、私が映画関係の本の棚のところで
しばらく足を止めていた。写真集や画集に興味がある。文学好き。
その3点だけで、この本をピックアップして私に勧めてきたのである。
それが、どんぴしゃり!私の求めていたものであったわけである。
自分でさえ、野口久光の「ひ」の字も思っていなかったのに、である(笑)。
これだけ山積みにしてある本の中から、どうして偶然にもこれを!?

本は昭和59年発行のもの。当時2800円の本が、今5千円の値がついている。
でも、私は値切ったりしないで、その本を買った。
当然ではないか。本が私を呼んでいたのである。

そうして、さらに表紙をめくると、

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氏のサインが。送られた人の名前はわざと伏せておいた。
出版記念の日に本を買い求めた人であろうか、それとも氏が自ら贈った人であろうか。
いずれにしても、およそ本を出す人で、自分が献じた本やサインをした本が古本屋に出て
喜ぶ人はいまい。
でも、仕方のないことでもあるのだ。贈った当人も贈られた者も今は亡く、
膨大な書物の処理に困った2代3代後の家族がなじみの古書店主を呼んで、
一括して引き取ってもらうということはよくある話。

本としては情けない運命かもしれないのだが、
だがしかし。
この本を意識せず強く求めていたこの私の手に、偶然のように古書店主から
この本が差し出されたということ!
これを運命と言わないでなんと言おうか。
しかも、野口久光氏のサイン入りである。

本の運命・・・・誰が一体こういう偶然の奇跡のような配剤をしているのであろうか。



誰も・・・知らない。

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『本の美しさ』 私の「もの」がたり 其の八

先日の記事で、『小口の美しい本が買いたい』と書いた。

小口というのは、本の背の反対部分のこと。
私は、表紙裏表紙、見返し、扉…などといった、本の装丁の主要部分にも
もちろん魅力を感じるが、さして凝った本でなくても、この小口が綺麗に揃った
本やノートというものにもすごく心を惹かれる。

たとえばこの本などどうだろう。

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ねっ。小口が綺麗でしょう?
男の方のダークな色のジャケットの袖から一筋きりっと覗く
白いワイシャツの線みたいに綺麗でしょう?

本の表紙、ケースなどの体裁はこう。

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レースのカーテン越しの午後の光の中で撮ってみた。
本の中身も、ケースの白黒だけの渋い装丁も、実は白い部分が純白ではなく、
ごく淡いクリーム色を帯びていて美しい。
すてきな本でしょう?

と、書くと、うちにはこういう装丁の極めてセンスのいい本ばかりを
集めてあって、書棚はこういう本ばかり、と思われるかもしれないが、
実は、私の本棚には文庫本が多い。(笑)。
書店に行けば、今でも、装丁に意匠を凝らした魅力的な本はたくさん売られている。
が、何かひとつ強く惹きつけられない。
反発をかうかもしれないが、やはり一昔前の本のほうが装丁などに深い味があったと
私などには感じられてならない。

残念なのは、今言ったように、我が家にはそういった装丁のすてきな本がほとんどないことで、
2代3代と続いた家の出で、古い書棚には父母の、そして祖父母の読んだ本などが今もうず高く積んである、
などという人の話を聞くと、本当にうらやましくなる。

それで思い出すのは、以前、娘が住んでいた東京世田谷は下北沢の近く。
池ノ上という駅の近くにあった、『十二月文庫』というすてきな古本屋のことである。
せいぜい間口一間半ほどの小さな古書店。
ささやかにカフェもやっていて、入口脇のコーナーに小さなテーブルと椅子が置いてあり、
陽だまりの中で物色した本などを見ながら、コーヒーを飲めるようになっている。

私と娘が、散歩の途中で初めてこの古本屋兼カフェを見つけた時には、扉を開けて中に入った途端に、
たぶんオイストラフ演奏による、タルティー二『悪魔のトリル』が耳を撃ってきた。
それはもう、耳を撃った、というほどの鮮やかな印象。

見れば、小さな店の古本の棚の奥に、レジ台を兼ねるカウンター席があって、
そこに、30代?位の女店主が一人番をしていて、
その女性が、レコードをかけていたのである。

本は、と見て行くと、まず、童話、絵本、古今の小説、ちょっとした学術書、写真集など、
印象としては、どこに焦点のある古本屋かわからない、素人っぽい品揃えであった。
素人っぽい。・・・・そう、その言葉がぴったりする。
おそらく、であるが、おそらく、今、クラッシックのレコードを書けながら店番をしている
この若い女性店主の、家にあった本をそのまま売っているのではないか、という感じであった。
たぶん、彼女が、幼いころ読んでいた童話。
たぶん彼女のお父さんが集めた学術書。
たぶん彼女のお祖父さんが若いころ読んだ文学書・・・。
ささやかなおもちゃなども控えめにディスプレーしてあった。

C.V.ゲオルギューの『二十五時』、新保満著『石をもて追わるるごとく』など、
私よりさらに一世代か二世代前の人々の思想、教養書、といったような本が多かった。
いまどきの大型化した古書店などと違い、本の天地や小口に丁寧にやすりをかけ、
ビニールカバーやパウチをかけて新しくきれいに見せる、といった手入れもしてない。
本当に、ある古い家の古い書棚の本をそのまま持ってきて並べたという感じ。

でも、何か、温かいのである。
書店全体が午後の陽ざしを窓から取り込んでいるというだけでなく、温かいのである。
女性店主は無口な感じで、決して愛想がいいわけではないが、なぜか居心地は良かった。
さて、このちょっと不思議な古書店兼カフェで、その時何を買ったか、私は記憶がない。
娘は『悪魔のトリル』といい、非常に鮮やかな印象を受けたらしいので、買った物を
覚えているかもしれないが。
「いつかまた来て、その時はコーヒーでも飲もうか」と言いながら店を後にしたが、
その後娘は池ノ上を去ったので、私はそれきり、この店を訪ねていない。
(娘はその後2回ほど行ったようである)

今回この記事を書くにあたり、まだあの小さな店があるかどうか検索してみた。
そうしたらあった!
やはり心惹かれる方が多いようで、『十二月文庫』で検索すると、
何件か出てくる。店はその後、隣の店舗を買い取ってぶち抜きにし、
前よりずっと広くなったようである。
おそらくあの時の本の品揃えのまま店を続けられるわけがないから、
『悪魔のトリル』をかける女店主の嗜好と感覚で選んだすてきな本が
今はぎっしり詰まっているのではないだろうか。
カフェも少しだけ拡張したようである。

もう一度訪ねて、私好みの、凝った作りのすてきな古本を探してみようかな、という気もするが、
いやいや、あれは幻の本屋、あの時のままの素朴な思い出のままに、
と思う気持ちも、また一方で、ある。


さて。と言っても、私が好きな、私が愛せる!と思う本は、
ハードカバー、箱入りの立派な作りの昔の本だけなわけでもないので。

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ご存知、ハヤカワポケットミステリーブック。
と言っても、この本自体は、私もある人に紹介されて、Amazonを通じて買ったばかり。
この装丁を見、この少し縦長の本を手にした途端に、「愛せる!」と思ってしまった。
写真が下手で、この本の小口と天地の美しい黄色がはたしてよく出ているだろうか。
なにイエローと表現すればいいだろうか。
山吹色?カナリアイエロー?日本水仙のラッパの部分の色?

ピシッと裁断された、天地、小口の美しさ。
そこに塗られた本当に綺麗な黄色の美しさ。
いまどきのショッキングイエローなどではない、何か深みのある黄色である。
表紙は各本ごとに、違う油絵風の絵が使われている。

今でもこのシリーズ、大きな書店に行けばあるのだろうか。
そう思って、実は今日、私の街でも大きめの書店に行って確かめてみた。
あった。数は少ないがまだ出ていて、置いてあった。
でも少し心細くなる品揃え。買う人も少ないのだろうか。

ある時代の空気、ある時代の香りをとどめて、美しい本、愛せる本だと私は思うのだが。






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『東京の雪』

日本のあちこちが寒波に見舞われているようだ。
東京も今日は、おそらくこの冬一番ではないかと思うくらい、冷え込みが激しい。
もう12月からずうっとほとんど雨が降らず、毎日のように異常乾燥注意報が出されていた東京。
喉も膚も、目までからから。
庭木や川辺の草木までが乾燥でしおたれた感じである。

しかし。


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降りはじめた!待望のお湿りである。しかも雪が!
東京郊外の幹線道路。写真が下手なので、雪がはっきり写っていないないけれど、
右側の青い車のあたりではそれと見てとれるかも。

吹雪いてきた!
雪が激しくて、視界がぼやけている!
上空を行く飛行機の音さえ、雪雲に閉ざされてくぐもって聞こえてくる。
雪の日に独特の音である。
これは夕方にかけて相当積もりそうだな!

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と、言うのは、大袈裟に過ぎて、
吹雪いているように見えるのは、カメラの焦点が合っていないだけ(笑)。
残念ながら、実際に積もったのはこの程度。



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わずかに、手前の桜の樹の足元と、遠景の芝生がかすかに白くなっているのが
見えるだろうか。
しかもこれも一瞬の間。雪はあっという間に雨に変わってしまった。


これしきの雪で興奮するなんて、豪雪地帯の人に笑われそうである。


こんな寒い雨の日は、金柑のシロップ煮でも、くつくつ作ろうか。

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出来上がったら、3,4個味見しながら、静かな部屋で炬燵に入って
本でも読もう。

外はまだ冷たい雨。
ヒヨドリの鳴き声が、灰色に湿った虚空を切り裂くように鋭く
聞こえてくる。
庭の南天や千両の実をついばもうとしてやってくる鳥を、
ああやって終日番をして威嚇している。
意地悪なヒヨドリ・・・・。
でも、その鋭い声も、寒い冬の日の風物詩ではある。

今晩あたり本当に雪になるのではないだろうか。
降れば降ったで、明日出かける、という人の足元が気にはなるが・・・・。

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『私の好きなノート』 私の「もの」がたり 其の七

年頭ということで日記の記事を書いたが、何人かの方からやはり日記に関する
思い入れについてのコメントをいただいた。
皆さんのそれぞれの想いが伝わって嬉しく楽しく。

日記、また日記代わりのノートについて補足記事をひとつ。

私が日記にしている、『マイブック』は、カバーを外すとこんな感じ。

2010_0106_122024-CIMG1178_convert_20100109115445.jpg

最初からカバーを外してご紹介すればよかった。
下にある新潮社の文庫本とまったく同じ仕様。
ね。ちょっといいでしょう。
タイトルの下に、島崎藤村著などという代わりに『・・・著』と書けるようになっています。
この本を、自作の詩や短編、随筆などの作品を書くために使う人はここにご自分の名前を。
まあ、私は、そういう趣味も能力もないので、カバーをかけたままですが(笑) 。

『千曲川のスケッチ』は私の好きな本。
先の記事で挙げたギッシングの「ヘンリ・ライクロフトの私記」もそうだが、
写生文というか、淡々と過ぎていく人生の間(あわい)を一瞬鮮やかに切り取ったような
文章が大好きである。

マイブックは、でも、何しろ版型が小さいので少し書きにくく、
すてきなペンとインクで『書く』という動作の醍醐味を味わいたい方には不向きかも。
それにはやはり、ある程度の紙面の大きさというか、ノートの開き具合の良さが
不可欠であるように思う。

そういう意味で、私はリング綴じのノートがちょっと苦手。
書いてきて、リングのごつごつに、掌がぶつかる感触がどうも・・・・。
必要があってコピーなどをとるときにも、リングが写りこむのが気になるし。
また、いらなくなったノートをごみとして処分しなければならない時、
紙をリングから引き剥がして、金属部と分別しなければならないが、
それが女手には、なかなか力が要って大変なのも、リングノートを敬遠する理由。

ルーズリーフをバインダーで綴じるのは、扱う資料が多い人などには、差し替えが自由に効くので
いいのかもしれないが、私のように暇な人間にはもう不要(笑)。

というわけで、私がノートを使うならやはり昔ながらの大学ノート、と呼ばれるもの。
そもそも大学ノートって、なぜ大学ノートなの?
というわけで検索してみたら、ちゃんと説明してくださっている方が。
http://www.union-net.or.jp/cu-cap/daigakunote.htm

それによると、大学ノートは、『1884(明治17)年に東京帝国大学(現:東京大学・本郷)
の近くにあった文房具・洋書店の松屋で売り出されたことに由来する。』とある。
『ヨーロッパから留学帰りの同大学の教授が勧めたもので、イギリスからフールス紙という
クリーム色の洋紙を輸入、製本されたこのノートは学生の間で人気となる。
これを学生が大学ノートと呼んだとも、松屋が大学ノートという名前で売り出したとも言われる。
少し後に神田の丸善が大学ノートとして大量生産。その名は広く知られることになる。』

検索していると、『小学生の頃、大学ノートって大学生にならないと使っちゃいけないのかと
思っていた』などという投稿もあって愉快だった。
子供の心とは純朴だなあ、と微笑ましい。

今では可愛いイラストなどの入った、そうして表紙の素材もバラエティに富んだB5判のノートが
たくさん出ていて、それらも大学ノートと総称して呼ばれているきらいがあるが、
私にとっての大学ノートはやはりこれ。

2010_0109_163317-CIMG1204_convert_20100110160658.jpg

左にあるのが一般的に大学ノートと呼ばれているものだろう。伝統的にフールス紙を使用。
私は好みの強い母親で、子供にも早くから、こういった大学ノートを使わせていた。
子供は可愛いイラストなどの入ったものが欲しかったかどうか、訊いてみたことさえない。
でも結果的に
「大人の好みというものは、こういうものだよ。』というのを、小さいうちから叩き込んだのは
よかったのではないかと思っている。

ノートといえば、だれにとっても懐かしいのはこれだろう。

2010_0109_163427-CIMG1206_convert_20100110161806.jpg

おなじみジャポニカ学習帳。
ノートについてストイック好みの私も、これには愛着が。
表紙の美しい写真。そして目的に応じて子供に使いやすいように、『こくご』『さんすう』
『しゃかい』『自由帳』『漢字練習帳』など種類も中身も工夫されて文句のつけようがない。
ジャポニカ学習帳フリークは大勢いらっしゃるんじゃないかな。

小学生のノートといえば。
さて、このノートは?

2010_0109_173131-CIMG1218_convert_20100110164940.jpg


『さんすう 下級用 文部省基準品』と書いてある。
バックは児童画で有名だった初山滋風。前にいる男の子と女の子の二人の顔や服装は、
どこかアメリカナイズされた絵柄。

実はこれ。私の小学2年生の時のノート(笑)。
実に実に、今から55年前のノートである。
中身は?
一部お見せしようかな。

2010_0109_164540-CIMG1208_convert_20100110165446.jpg

どうやら、引き算を習っているところで、自分で文章題を考えて作る、という課題のようだ。
算数のノートだが、国語の教科書体の活字のお手本どおりに正確なひらがなを書こうとしている
小学2年生の、几帳面な私が見てとれて、何やら自分で自分がいじらしい(笑)。

裏表紙には『二ねん一くみ。名前・・・・』が書いてあって、
そのほかに、2年生の彼岸花ちゃんは、超まじめな性格だったにもかかわらず、
その時どうやら授業中退屈していたかして、自分の名前の漢字のサインの練習が
たくさんしてある(笑)。
芸能人のサイン風に一所懸命くずし字にして頑張って幾パターンも書いてある。
そうして、『わたしのサイン』と、見出しまで振ってある(笑)。
その時の子供の心が見えるようだ。
あ。私のことなんですけどね(笑)。
本名が分かってしまうので、お見せできないのが残念。
あの、小さな彼岸花ちゃんは、どこに行ってしまったのだろうか。


こんなのもある。その算数のノートの間に挟まって、ずうっと人生25回もの引越にも
かかわらず、私と一緒にくっついてきたもの。

2010_0109_164843-CIMG1212_convert_20100110172114.jpg

小学校一年生の時の私の国語のプリント。
真ん中のは傷みがひどいが、母が引越の際に茶碗をこれでくるんでいたのを、
私があわてて回収した記憶がある。まるで、江戸末期の浮世絵の運命のような話(笑)。
その記憶さえ、もう50年くらい前のこと。

浴衣や犬に模様を描きこんでいるところが私らしいな、と思う。

ああ、ノートの話からだいぶ脱線してしまった(笑)。

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『日記帳』 私の「もの」がたり 其の六

新年が明けてもう5日経つのに、今頃今年の日記帳を買った。
新潮社から出ている、『マイブック』という文庫本型の日記帳。

2010_0105_034238-CIMG1164_convert_20100106025615.jpg


もう、10年以上、この版で日記を毎年つけ続けている。
最初のきっかけは、画家として一人でおそらく生きていくであろう一人娘に、
何か書き残しておいてやろう、と思ったことからだった。
彼女が一人ぼっちで行き暮れた時、私の声が聞けるように。
日記をつけていることは、彼女には今は内緒(笑)。

彼女がいつか読むかもしれない、ということを念頭に置いているので、
あまり私の感情はあからさまに書いていない。
その日あったこと、何かについての感想などをわりと淡々と書き綴っている。

日記をつけ始めると、習慣になって、しばらく休んでいたりすると気持ちが悪い。
私は迷信など信じることは嫌いな人間なのだが、数年前、日記をしばらく
つける気がしなくて休んでいたことがあった。
すると、娘の乗った車が事故を起こし、娘は額に傷を負ってしまった。
それも私の誕生日に!
大事に大事に育てて、体に傷一つ負わせずに来た娘。
それが、顔に傷を。
幸い今ではほとんど目につかぬほどの傷ですんだが、その時の私のぞっとしたことったら!

それ以来何か験担ぎでもするように、日記は曲がりなりにもきちんとつけてきた。

しかし、去年。私はブログを始めた。
ブログも最初は娘に書き残しておくつもりで書いていた。
すると、日記とやることが重複してしまう。
自然、日記の方は休みがちになり、昨年の日記はほぼ白紙である。
だから、今年はもう日記はやめようかなあ、そう思って『マイブック』も買わずにいた。
ぶっきらぼうな娘にも恋人ができ、結婚の形を取るかどうかはわからないが、
おそらくずっと二人は一緒には生きていくであろう。
私が日記をつける意味もそうするとだいぶ薄れてきてもいる。
もう日記やめてもいいんじゃないかな。
私の母としての役目もほぼ終了かな・・・・。そう思って。

でもやはりなんだか落ち着かない。
日記帳を買うことが、10年来の習慣になっているからか。
ブログの方も、娘に書き残すもの、というよりは、やはり自分自身の
生活感情がメインになってきているしなあ。
日記はやはり一応つけ続けようかな・・・・。
そう思い直して、今日、買ってきたのである(笑)。
さあ、この一年、ちゃんとつけ続けますかどうですか(笑)。

今までは、ボールペンだったりそこらにある鉛筆だったり、
いい加減な筆記具で書いていたが、ちゃんとした筆記具を買おうかな。
ブログの文とはまた違う、備忘録に徹するかな。
それではつまらないかな。
でも、いくら母親だって、心の内面のことでは書けないことだってあるしな。
そういうことはむしろブログの方が書きやすいな。 
買ってきたのに迷っている。
でも、書かれない日記帳というものは、何かかわいそうなのである。
去年の日記帳はきっと、私にあまり顧みられずに泣いていただろうな、などと思うと。
ちゃんとブログと棲み分けをして、きちんと日記つけてやろう・・・・・。

一緒に写っているのは、岩波文庫の『ヘンリ・ライクロフトの私記』
作者はジョージ・ギッシング。
ある年代の人には懐かしい書名ではあるまいか。
絶えず貧乏に追われ続けてきた売れない文筆家が、
晩年になって思いがけず友人からの遺産を受け継ぎ、悠々自適の生活が出来るようになる。
彼はロンドンの安下宿を引き払って、エクセターの美しい自然の中で、
著作と思索と散歩、という静かな満ち足りた暮らしをするようになる。
作者ギッシングも同じように貧しく、これはいわば作者の憧れの生活を描いたもの。

何の物語性もドラマもない退屈な話。
しかしその美しいイギリスの自然の描写や、時代への静かな考察の魅力によって、
1903年の発行の年から、長く世界で愛され読み継がれてきた本である。

岩波文庫のこの装丁が好きなので、写真を撮るときだけカバーを外してみた。

なんで、この本を日記と並べたかって?
『マイブック』という日記帳がほんとに文庫本仕様なんですよ、ということを
示すため。というのが理由の一つ。
もう一つの理由は。
『ヘンり・ライクロフトの私記』…。
なぜか何度読みなおしても、最後まで読みとおせない(笑)。
『ヘンリ・ライクロフトの私記』というタイトル。ギッシングという作者の名前。
美しいイギリスの片田舎で営まれる静かな思索生活。
隠遁文学の見本と言えるようなストイックな本。
それらのすべてを、愛しているのに、大好きで大事に思うのに、
何故か最後まで読み続けられない。
なんだか、毎年、12月になるとばったり書き込みの少なくなる私の日記と
酷似しているの(笑)。





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『冬の雨』

深夜、一人で起きて本を読んでいると、ぱらぱらと雨粒が地面をたたく音が
聞こえてきた。
閉ざしたカーテンを少しめくって、雨が降りだしたことを確かめる。
暗くて雨粒は見えないので、街灯の明かりで地面が濡れて光っているのを
確かめる。

そのうちに、激しい雨音になってきた。
冬の雨。
晴天の日が多く、連日、乾燥注意報が出ることの多い東京では、
珍しい冬の雨。しかも夜の雨。

乾燥しきった地面には、植物には、恵みの雨であろう。
インフルエンザなどの予防のためにも、雨はありがたい。

しかし、やはり何かさびしい音である。
「氷雨」などという歌を思い出す。
恋に破れた女が、一人酒場で酒を飲む。
外は冷たい冬の雨・・・・。そんな内容の歌。

暖かい部屋に幸せでいる人には、なんということもない静かな平和な音であろう。
しかし、もの想う人には、耐えがたく寂しい音であるかもしれない。

わたし?
雨音を聞いて寂しいと思うのだから、もの想う人の仲間のほうかな(笑)。

そうそう。百人一首の恋の歌で、私がこの間挙げた

逢い見ての後の心にくらぶれば 昔は物を思はざりけり

という歌と並んで、私が恋の歌として巧いなあ、と思うのがこれとこれ。

忍ぶれど 色に出でにけり わが戀は 物や思ふと人の問ふまで

                                          (平 兼盛)

忘れじの行く末まではかたければ 今日を限りの命ともがな

                                          (儀同三司母) 

下の歌は、「君を忘れないでいつまでも愛するよ、という貴方の約束ですが、
貴方はいつ心変りしてしまわれるかわかりません。いっそあなたに愛されている今のうちに、
死んでしまいたいとさえ思います。」というような意味の、激しい恋の歌。
ここまで深く愛されると、男の人というものはかえって気持ちがひくのであろうか、
それとも、可愛い女、と愛が増すのであろうか。
まあ、歌による遊びではあるのだけれど、それにしても激しい恋。
「髪結いの亭主」という映画を見たとき、この歌を思い浮かべた。
恋する心は、洋の東西を問わないと言うことであろう。



先日、NHKで万葉集の特集を見た。
万葉集には上記3首とまた違う、素朴すぎるくらいの、そして激しい恋の歌がある。
万葉集をちゃんと読んでみようかなと思っている。                                             

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『新年のご挨拶』

皆さま、新年おめでとうございます。
昨年中は、ブログを通じて、多くの方と知り合いにならせていただき、
もったいないほどのお言葉を多くかけていただきました。
心から御礼申し上げます。
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

皆様のこの一年が、実り多い年となりますように。



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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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