『ブルームーン』②

今夜は、今年になって2回目のブルームーンです。

ブログのお友達、さかごろうさんから、ブルームーンについて教えていただいて、
1月30日の記事で、ブルームーンの写真見ていただきました。
今夜も先ほど少し外に出て、『一か月に2回ある満月の日の、
その2回目の方の満月 =ブルームーン』の写真撮ってきました。

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夕食を終えて8時。女一人の夜の川原のお散歩。
危ない危ない(笑)。
でも、見てよかった。
本当に今日の月は綺麗です。
ほんの心持ち、朧がかかっているのかな。
春の月、という感じがします。

私はここ10日ほど風邪をこじらせて咳がひどく、
皆さまのブログへの訪問もできぬままに。無沙汰をお許しください。

ブルームーンに願い事…。
今宵もしてきました。

  

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ジャンル : 学問・文化・芸術

『静子叔母と正之叔父 ②』 忘れがたきひと 其の五

兄は当時、26歳くらいであったろうか。
しっかりした若者なら、もう一人前に一家をなしてもいいくらいの年齢である。
が、彼はまだ、職も居所も定まっていなかった。
彼ももがいてはいたと思う。
理想やプライドの高さと、現実のおのれの姿とのギャップに悩み、
自分の生きる道をまだ模索していた。
好きな女性もいて、一緒になりたいとは思っても、仕事も安定せぬ身。
母親や、妹の生活のことも考えてやらねばならない。
そんな鬱屈を酒と喧嘩に紛らす…。

そんな兄だったが、この叔父叔母には不思議に素直になれるようだった。
私たちにはもう一人、紳士服店をしている叔父がいたが、
その叔父は、兄のそんなありさまを見ると、情けながってつい、説教をする。
が、静子叔母と正之叔父は、「お前、今、何をしているのか」とも
兄に尋ねなかった。ただ、美味しいものを作って食べさせてくれるだけ。
私などは、5歳くらいの時に会ったきりの、10年ぶりくらいの再会であったが、
二人の家庭は、なんの気兼ねも構えもいらないと思わせる温かさ。
ただひたすらやさしい二人だった。

一日目は、日当たりのいい平屋の家の縁側で、兄は叔父と将棋を指したりして
寛いでいた。
私は叔母の持っている雑誌などをいろいろ引っ張り出して見る。
叔母も手がすくと、傍らに座って、ファッション談義などをしてくれた。
気の若い叔母だった。
私は、雑誌を見ながらも、手は、寮から持ち込んできた、レース編みを続けていた。
鮮やかな黄色のレース糸で、パイナップル編み、と言われていた編み方で、
ドイリー(花瓶敷きのようなもの)を編んでいた。
レース編み。今はすっかり廃れてしまって、やっている人も少なくなった。
私は長じてからはこういうこまごました手芸が嫌いになってしまったのでまったくやらない。
が、当時は女の人の趣味の一つで、大流行だったのである。
これができたら、叔母にあげたいと思って、私はせっせと手を動かしていた。

二日目。叔父は釣竿を三人分用意して、近くの池に釣りに行こうという。
叔父と兄と私の分。叔母は夕方の花見の準備で家に残る。
叔父の家の周りは住宅地といえどまだまだ開発されておらず、
少し歩くと、椿や楠などの繁る林や、日当たりのいい農道などがあって、
春の散歩にはうってつけのところだった。

植え付けのために掘り返された新鮮な土の香りがする畑の間の道をたどって、
やがて林の入り口にたどり着き、奥に踏み込んでいく。
まだ、落葉樹は浅い緑の芽を吹き出しはじめたくらいの時期だったが、
この地方に多い照葉樹は林の間につやつやした葉を輝かせ、
ボケ、ユキヤナギなどの灌木が花開いて、林はもうすっかり春めいていた。
雑木の間に、深い緑色をした水面が見えた。
湧水ではなく溜池だったろうか。

父に似て釣りの大好きな兄は、大喜びで早速釣り糸を垂れる。
叔父は万事のんびりしていて、私の釣り針に餌などをセットしてくれると、
穏やかな顔して、釣竿を構える。
池面は凪いだように滑らかで、果たしてどんな魚がいるものやら。
でも、叔父も兄も、別に何かを釣り上げようというのではなく、
のんびりした叔父甥の気楽な時間を楽しんでいるふうだった。

春の日差しがポカポカと温かく、林の奥で時折ウグイスが鳴いた。
私たちの背後には大きな椿の木が枝をさしかけていて、
小さめの真っ赤なその花が、私たちの足元にも散り落ちていた。
ああ、眠くなるような春の日……!

その日の釣果は一匹だけだった。
それも私が釣った!叔父でも、釣り好きの兄でもなく。
釣ったのは、赤い金魚!(笑)
誰かが池に放したものらしい。10センチにも満たない小さな赤い金魚。
しかもそれは、釣ったというよりは引っかけたと言った方が正確。
私の釣り針に其の金魚のえらがかろうじて引っかかっていただけなのである。
勿論すぐに池に放す。
三人は笑いさざめきながら夕方まだ早い時間だったが、叔母の待つ家に帰って行った。

そのあと少しして、だいぶ長くなった春の日が林の陰に隠れる頃、
私たちは叔母も一緒に、さっきの林に夜桜見物をしに行った。
釣りをしたところもそうだったが、この林には山桜がたくさんあった。
それを夜、見物に行こうというのである。
叔母はこの時のために朝から忙しく立ち働いて、豪華な弁当を作ってくれていた。
重箱三段に、野菜の煮物や卵焼き、私の好きなかまぼこ、焼き魚、
酢のものなどなど。

あまり奥に行くと帰りが大変なので、林の入り口に割合近いところの、
大きな一本の山桜の木の下で、用意してきたござを広げる。
着いたときは山桜の上にまだごくわずかの赤みを残す夕暮れの空が広がっていたが、
重箱などを広げて、叔父叔母と兄が酒を酌み交わし始めるころには、
あたりはすっかり日が落ちて暗くなっていた。
強力な懐中電灯と、カンテラ2個の明かりで、酒盛りである。
頭上には夜目にも白い山桜の花。

叔母の花見弁当はとてもおいしかった。
煮物などは母と同じ味付け。
ここで私は初めて、玉子焼きに海苔を巻き込んだものを食べた。
香り高い海苔を渦巻状に巻き込んだ玉子焼きは、見た目もよかったが、
何より、海苔の磯の香が香ばしく美味しかった。
そうして、私がさらに初めて知った美味がもう一つ。
それは、タラの芽の酢味噌和えとてんぷらである。

さっき、釣りの帰りに、叔父と兄が採っていたものはこれだったのか!
初めて食べたその春の山の味は、少しほろ苦く、酢味噌和え、てんぷら、どちらも
本当に美味しかった。

頭上に広がる、白い山桜の花と暗い夜空を見ながら、
私はしみじみ叔父や叔母、そして兄と過ごすこの一夜の幸せを想った。
誰に気兼ねすることもなく、誰に文句もない、それは極めて和やかな、
親密さに満ちた、春の一夜であった。


私はそれきり、この正之叔父と静子叔母には会っていない。
その2年後、高校を卒業した私は、東京に出てしまったからである。

話に聞けば、二人はその後、正之叔父の親せき筋にあたる私と同じくらいの年の
少女を養女に取ったそうである。やはり二人きりの生活は寂しいと思ったのであろうか。
本当は二人は、私を養女にしたかったらしい。
姉である私の母には4人の子がいたから。
でも、母がそんな話に乗るはずはなく、二人はその子を家に迎えた。
しかし大きくなって迎えた子。何かとその後問題があったらしく、
養子縁組は解消。
二人はまたもとの二人の生活に戻った。

たがいに音信をしないまま月日は流れて、30余年。あるとき、私はふとこの叔父叔母が
たまらなく懐かしくなって、二人に長い手紙を書いたことがある。
これも長く無沙汰を重ねていた長姉から、故郷の町に遊びに帰っておいで、という
やさしい手紙があるとき着いた。
その中に二人のこともちらっと書いてあったからである。
長姉だけは、二人と年始の挨拶などかわしてその消息を知っていたいたらしい。

その春の思い出がとても懐かしく幸せだったことの礼や、
高校をでてから以降の自分の消息などを書いた長い長い手紙を。
書いたは書いたが、想いが十分に伝わっていない気がした。
長年の無沙汰で、なんとなく心の敷居が高くなり、手紙を出してどうなるものかな、
というためらいもあった。
しかもその時現在の住所がわからない。
長姉にいつか尋ねて、またもっといい手紙を書きなおして、と思っているうちに、
静子叔母が亡くなったことを長姉から聞いた。
音信のない私のところにその知らせは来るはずもなく。
兄一家も知らなかったのではないだろうか。
ああ。ひょうきんで気さくな、やさしい叔母だったが。

出そうと思っていた手紙は、バインダーの中に挟んだまま、今もおそらく
本棚のどこかにそのままある。

ああ、なぜすぐに長姉に二人の住所をきかなかったかなあ。
叔父は警察を定年で辞め、二人はそれまでずっと一緒に勉強してきた書道の技を
生かすべく、二人で書道教室を開いて、子供たちを教えていたそうである。
子供たちに囲まれて和やかに過ごす二人の仲のいい姿が見えるようである。

手紙、届いていれば、どんなに喜んでくれたかなあ。
それとも、姪の一人である、長年音信不通の私のことなど忘れたかな。
いや、そんなことはないな。大喜びした二人から、きっと達筆の手紙が
すぐに帰ってきただろうな。
娘のことなど、孫のように喜んでくれただろうな。

ああ。自ら選んだ生き方とは言いながら、人と人との縁を大事にせず、
根無し草の心性を持って生きてきた自分の罪深さよ。
父を捨て、母に孝行せず、兄姉との交際も自分からは進んでしてこなかった私。

長姉からの便りでは、正之叔父も、2年ほど前に亡くなったそうである。
ほんとにいい叔父だったが…。
血のつながった叔母は亡くなっても、せめて優しかったあの叔父に、
悔やみの言葉と慰めを兼ねて、詫び状を出せばよかったな。


帰る日までに編みあげて叔母にプレゼントした美しい黄色のドイリー。
あれはどうなったかな。ずっと持ち続けていてくれただろうかな…。

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「静子叔母と正之叔父 ① 』  忘れがたきひと 其の五

毎年、今頃の季節になると思いだす懐かしい人がいる。

それは、母の妹、私にとっては叔母に当たる静子と、
そのつれあいである正之叔父のことである。

母は私が育った高原の村からまた更に山奥に入った村の出身である。
母は5人姉弟の次女。その母親が体が弱かったため、弟妹のお守りから
掃除洗濯炊事に至るまで、母と長女がまだ小学生の頃から二人で
手分けをしてやっていた。
だから小学校に行くのも交代。
明治末年に生まれた人。時代が時代だったとは言いながら、母は自分が半分しか
尋常小学校に通えていないことをよく残念がっていた。

その母がほとんど自分の子のように可愛がって育てたのが、末っ子の静子である。
静子叔母は美人ではなかった。美人ではなかったが、ひょうきんで明るい性格が
その口元あたりに表れていた。
正之叔父は警察官。私が知っていたころは警部補だったが、どのくらいの階級まで
行ったか知らない。渋みのある、立派な顔をした人だった。
その頃二人はいくつくらいだったろう。40代半ばくらいだったのかな。

叔父と叔母は、生涯愛し合いながら仲良く暮らした。
それは二人が又従兄妹の関係にあり、山奥の村で小さいころから殆ど兄妹のように
仲良く育ち、お互いの気心が、早くから知れていた、ということがあったかもしれない。
小さい頃から、二人は将来結婚するものと、おひなさまのように並べて周囲の者が
扱っていたのかもしれない。

二人の間には子供ができなかった。
仲のいい二人にとっては、それは大きな悲しみであったろう。
しかし、子供がいなかったからこそ、二人がお互いを頼み、生涯仲良く
過ごしたのだろう、ともいえるのである。

それは私が高校一年生から二年になる春、ちょうど今頃のことだった。
その一年前、高校入学とともに前のアパートを去って、私は母と、
前のブログで書いたことのある『沈丁花の家』を借りて、ある海辺の町に住み始めていた。
しかし、二人の生活を支えてくれるはずだった、兄からの送金は途絶えがち。
学費はただだったとは言うものの、母と私はまったく生活の糧に困ってしまった。

そこで二人はどうしたか。
アパートの少ない家財道具は一切売り払い、私は高校の寮に入れてもらうことにした。
学費だけでなく寮費も私は無料だったからである。
母は、風来坊の次女がその頃出産して助けが必要だったため、次女のいる
東京に働きに出た。兄は、瀬戸内海周辺の各地を転々として、肉体労働をして、
時々、思いついたように私にお金を送ってくる。
つまり、それでなくても、バラバラだった家族の、母と私の絆さえその頃は切れて
しまっていたのである。

『ハリーポッター』シリーズをお読みの方はご存知であろうが、
学校の寮は、春夏冬の休みになると、ほとんどの者が帰省して、
がらんと寂しくなってしまう。
ところが私にはもう帰る家さえない。
同室の者も帰省して、私は一人、寮で春休みを過ごすことを覚悟した。

そんなときである。
寮母さんが、電話がかかっている、と呼びにきた。
それは、離れて暮らす兄からの電話だった。
春休みの間、一緒に静子叔母たちの家に泊まりに行こう、というのである。
二人は私の寮のある海辺の街から、汽車で一時間半ほどの街に住んでいた。
私は寮から。兄は山口あたりから。叔母の家のある街の駅で落ち合う。

子供のいない叔父叔母は、私たちを大歓迎してくれた。
二人の住む家は、あれは警察官舎だったのかな。
真新しい平屋建ての家で、綺麗でこじんまりとした、居心地のとてもいい家だった。
間取りは3間ほど。静子叔母は美人ではなかったが、頭のいい、センスのいい人で、
自分の家を当時考えられる最もおしゃれな部類のインテリアで飾っていた。
ふかふかした皮張りの応接セット。洒落たシェードのついたフロアスタンド。
大胆な模様のカーテン。ガラス戸のついた本棚の中には、全集本や雑誌。
飾り棚の中にはコーヒーの洒落たカップやグラス類。棚の上には
当時のそうした応接間の定番ともいえる、ケース入りのフランス人形が。

帰る家さえない私には、その家は、まるで天国のようにも思えた。
叔母は気さくな人柄。叔父は物静かでやさしい人。
二人は精いっぱい私たち兄妹をもてなしてくれる。

最初の夜が明けて、朝、目を覚ました時は、瞬間どこにいるのかわからなかった。
が、ダイニングキッチンから、みそ汁のだしをとる香りが漂ってき、
同じ部屋で寝ている兄の背中が見えた時、ああ、叔母夫婦の家に来ていたんだ!と、
不思議な喜びが徐々に心に広がっていった。

私が起きたと見ると、叔母は笑ながら台所から出てきて、みそ汁の具にする
ニラを、庭で摘んできなさいという。
叔母の庭下駄を引っかけて、ささやかな、でも明るい庭に出ると、
縁側に沿った土間のヘリに、二ラが一列に生えている。
まあ、その朝の、豆腐とニラのみそ汁のなんと美味しかったことだろう!
あれが、生涯で一番おいしかったみそ汁だったのではないか、とさえ思える。
上手にとれただしに、香り高い白みそ。絹ごし豆腐を小さめの賽の目に切って、
今摘んできたばかりのニラを細かく刻んで、ぱっと散らして…。


[②に続く]


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『親子の風景』

昨日、あ、もう一昨日になるな。
久しぶりに遠出。

連休の土曜日ということもあって、電車の中ではとりわけいつもより多くの
親子連れ、それも幼児を連れた若い親たちを何組も見た。

可愛い子がたくさんいたな。
お年寄りに席を譲った母子。
白いショールカラーのブラウスにグレーの上等のジャンパースカートを着て、
綺麗に編み込みした髪に、白いリボンを2つつけた、ちょっと古風な感じの
5歳くらいのおんなのこだった。時代が50年くらい遡ったような、深窓の嬢ちゃんという感じ。

3歳くらいの男の子。黒目がちの瞳がとにかく印象的な子だった。
色が白く、まつ毛の長い目は本当に円ら。
口をきっと引き結んでいるところが、とっても賢そうで、
どこか見たことのあるような、懐かしい感じのする男の子だった。

若い父親が大きな荷物と上の子の手を引き、母親がベビーカーの下の子と
哺乳瓶、おむつなどの荷物を持った、これから旅行かなというような、
見るからに大変そうなカップルも何組もいた。
今日見た子供は皆、電車の中で騒いだりぐずったりということは
していなくて、おとなしく親に手をひかれていた。



私の住んでいるのは東京でも外れの街。
混んでいた車内も段々にすいてきて、電車は身軽になったかのように、
夕日に向かってひたすら走り続けていく。

ある静かな駅に着いて、電車のドアが開き、一組の親子がホームで待っているのが見えた。
お母さんは30代初めかな。
これもやはり3歳くらいの男の子を連れ、6か月くらいの赤ん坊を乗せたベビーカーを引っ張っている。
乗り込もうとして足をかけた途端に、上の男の子が、ああん、という声を一声あげた。
その瞬間、その子と私の目が合った。

「ああ、本格的に泣きだすな!」
そう思った。
案の定、3歳くらいの男の子は、電車のドアが閉まり、動き出すと同時に、
若いお母さんの足にしがみつき、小さな手でお母さんの足をぶちながら、
大声で泣き始めた。
眼の縁に涙がぐっと湧き上がり、それがころころ流れ落ちるのが見えた。

なぜ私が「ああ、本格的にこれは泣くな」と思ったか。
それは私と目が合ったからである。
子供がぐずりだす瞬間。大抵わかる。
少し前にもバス停で同じようなことがあったな。
やはり3歳くらいの男の子が、バスのステップに足をかけた。自分で一所懸命に。
後ろの列は長かった。
若いお母さんはひょいっと子供を後ろから抱えあげてバスに乗せた。
「ああ。これは泣くぞ」私は思った。
案の定、その途端に男の子は、大声をあげて泣き始めた。
彼は『自分で』バスに乗り込みたかったのである。

電車のその男の子は、乗り込む前何があったか、すでに何かに怒っていた。
でも、もし、そこで、電車の中に乗ってこちらを見ていた私と、
たまたま目が合わなかったら、彼は泣きだしてはいなかったかもしれない。
ぐずっても、大泣きはしなかったかもしれない。

もう少し彼らの様子を見ましょう。

男の子はお母さんにむしゃぶりつきながら泣いている。
大泣きしながら、その間も、私の方をちらっ、ちらっと見る。
若いお母さんは偉かった。すっとその場でしゃがみこむと、男の子の目線になった。
そしてやさしく「どうして泣くの。電車の中で泣いちゃだめよ」と言い聞かせた。
すると男の子は、その時は私の方を見るのも忘れて、

「だって、お母さんがぼくのことずうっと怒ってばっかりいるからだよう!」
と、また新たな涙を噴きあがらせながら、叫ぶような声で訴えた。

「だけどね、電車がもう出発しそうになってたでしょ。急いで乗り込まないと、
ドアに挟まれたりしちゃ大変でしょう。怒ったわけじゃないのよ」
お母さんは、男の子の口に何か、小さなお菓子のようなものをふと含ませて、
諄々と男の子を急がせたわけを説いて聞かせる。

偉いなあ。私は若い彼女のやり方を感心しながら見つめていた。
こういう時、母親は絶対立ったまま上から覆いかぶさるようにして言って聞かせては
だめなのである。屈んで、子供の目線と同じになって、子供の目を見ながら
やさしくわかりやすくわけを説いてやらなくては。彼女はそれをしていた。

どうやら男の子は、電車に乗る前、お母さんに急ぎなさい、と言われたのが、
お気に召さなかったらしい。
でも、たぶん、彼の怒りはそれだけのことではなかったのだと思う。
6か月くらいの赤ん坊をベビーカーに乗せて、3歳の子を連れての外出。
これは母親にとっては大変なことである。
おそらく、電車に乗るずっと前も、お母さんは気が張っていて、上の男の子の
感情にまで気を回す余裕がなかったであろう。

上の男の子はおそらくその日だけではない、下の子が生まれた時からずっと、
お兄ちゃんになったのだから、ということで何かと我慢をさせられてきただろう。
かつて親の愛が一身に自分の上に注がれていた日を想い、悲しみを抱えてきたのであろう。
電車に乗って外出をしたその日は特に、賢いお母さんであっても、上の子に
我慢を強いていたかもしれない。
その悲しみが、電車に乗ろうとして急ぎなさい、と言われた。
その一事で、怒りとなって一気に噴きあげて来たのであろう。

しかし、もし。もし、乗り込んだ瞬間に、よそのおばさんである私と目が合っていなかったら、
彼は、少しぐずるくらいで、大泣きはしなかったのではなかろうか。

小さな子供を、私たち大人は、半人前、四分の一人前の人間と考えがちである。
小さいからその感情の発達も四分の一人前であろう、と。
しかしこれは大間違いである。
3歳くらいの子供でも、大人と同じくらいの意地やプライドを持っているものである。

彼は自分が親に怒られたところを、私が見ていたと誤解したのではなかろうか。
本当は、電車がホームに滑り込む前、ドアが開く前だから、私は彼が怒られるところなど
目撃してはいない。ただ、ドアが開いた瞬間の彼のぐずり声を一声聞いただけ。
しかし彼は、よそのおばさんに、自分の怒られているところを見られた、と考えた。

その時一挙に、彼の子供なりのプライドが崩れ、これまでずっと溜めこんでいた悲しみが
どっと噴き出したのではなかろうか。
彼は大きくしゃくりあげて泣きながら、私の方を何度もちらっ、ちらっと盗み見た。
それは、悪いがあまりにも可愛らしくて吹き出しそうになるほど。
私は彼と目を合わせないように、うつむいたり目をあらぬ方にやったりしていた。
その小さな男の子のいじらしさに心揺さぶられながら。
男の子に微笑みかけることはできた。
しかし、仮にそうしていたら、彼はますます泣いたのではなかろうか。
よそのおばさんが、自分のことを笑った!と。不安にもなりながら。
もうこれは、タイミングの問題なのである。
子供というのは、タイミングが悪いと、泣きだすことが多い。それを私は経験で知っている。
今回、私と目があったタイミングが悪すぎた。

あまり男の子が私の方を見るので、お母さんまで、なんだろう、と私の方を見た。
でもこれは、彼と私の間の出来事。お母さんは事情を察することはできない。

お母さんが口の中に放り込んだお菓子の効果と、目を見ながら語って聞かせる
やさしい言葉の効果で、男の子は聞き分けよくすぐに泣きやんだ。
そうして、お母さんと普通の会話を始めた。

まつ毛の長い、ほっぺたの丸い、男の子らしい顔をした子だった。
彼らが乗っていたのはわずかに一駅区間。
次の駅のホームに電車が滑り込んでいくと、お母さんは男の子を促して
私の座っている側のドアの方に近づいてきた。
私は、男の子に最後ににっこりして、軽く手を振ってやろうかな、
そう思って、待ち構えていた。
が、男の子は、こちらをもう見なかった。
お母さんはベビーカーを両手で引く。自分の手を引いてはくれられないことを知っている。
だから、少し電車とホームの間に空きがあっても、
自分は一人で頑張って気をつけて降りなければならない。
そっちの方にもう彼の意識は行っていたからである。
助けが要りそうなら、つと立って手伝おう、そう思って様子を見ていたが、
どうやらその必要ななさそうだった。

「さよなら」
私は心の中で、どこか雄々しいその小さな男の子と、やさしげで賢そうな
そのお母さんとに別れを告げた。

時刻は夕暮れ時。
西に向かって走ってきた電車。
その車両は駅のホームの端のほう、もう屋根が切れたところに停まっていた。
西日がホームを照らしていた。
人気のないホームに降り立つ母子。
私のすぐ傍らを通り抜けていく男の子の顔。
そのきりりとした顔の、丸いほほに、くっきりと、さっきの涙の跡が一筋
乾いて残っているのが、春の日の、やわらかい夕日に光って見てとれた。



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『沈丁花』 

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沈丁花。
私が以前のブログでハンドルネームに使っていた花の名。

沈丁花は、短歌や俳句にどう歌われているのかな。
角川版の歳時記と検索上の歳時記などで沈丁花を詠み込んだ俳句を探してみた。
たくさん句はあったが、なぜか寂しげな句が目立った。
沈丁花には恋の句が多い。

いまどきの、建物も庭も明るい家では、そういうイメージも薄れたが、
昔、沈丁花が生えている場所といえば、大体決まっていた。
裏庭の、ご不浄のそばのじめじめした薄暗がり。細い路地の突き当たりの家・・・。
どうも、あまり燦々と日差しの降り注ぐ明るい場所に生えている、という感じがしない。
これが決定的に、沈丁花を日陰の花、夕闇の花、人知れず咲く花、というイメージに
結びつけてしまうのだろう。

そんなところから、俳句のイメージも固定されてくるのだろうか。
恋の苦しみ、耐える恋、を詠んだ句に秀句が多く、明るい題材と沈丁花を
結びつけた句は、どれもどこかぱっとしない気が私見ではする。

中で私が好きだったり、なるほど!と思う句をあげてみよう。
句の後ろは作者名。句誌名。上梓時の順。

沈丁の雨に重たく匂ふなり   高垣和恵 雨月 200305
沈丁の匂ふくらがりばかりかな   石原八束


確かに沈丁花は、からりと晴れた真昼よりも、雲が重たくたれ込めた日や
夜の庭などで、より強く香りを発するようだ。
姿より、その香りで、その存在に気づかれる花。

沈丁花近づきて香を遠ざけて   稲畑汀子 ホトトギス 200003

上の句など、ああ、わかるわかる!と思われるかたは多いのでは。
沈丁花、遠くからは、『!』、と思うほどによく香るのだが、いざ顔を近づけて見ても、
意外に香ってくれない。それをズバリと表現している句。

日陰にもの想う花、という其のイメージから多くの恋の句が。

暗がりに涙を溜めて沈丁花   あさなが捷 空 200508
人恋の匂ひ放てり沈丁花  田淵宏子
沈丁や胸に泡立つ過去一つ   小山徳夫 遠嶺 200806
満杯の胸が破れる沈丁花   河野志保 海程 199907
深追いの恋はすまじき沈丁花   芳村うつぎ


人を密かに想わざるを得ない女の、重いせつない胸の内を詠んだ句が数多くある。
そういえば沈丁花の花びら。ぽってりと厚みがあって冷たく、
どこか熟れた女の体を思わせるようなところもある。
そうして、なんといってもあの香り!
空中高くふわっと軽やかに香ってくる香りではなく、
闇に重く流れてくる一種官能的な香りである。

そうしたところから、じっと恋を耐え忍ぶ女、恋に苦しみ悩むせつない女心のイメージを
人は沈丁花に対して抱くのであろうか。

暗がりに涙を溜めて沈丁花
の句などは、まるで、花の姿をした女が実際にそこにいるような気さえする。

沈丁の闇に止まりし男下駄  荒井千佐代 空 200307

偶然だが、この句は、涙を溜めた沈丁花に応える句ででもあるかのような。
待ちびとが、ついに来てくれた、というふうに想像してみる。
それとも、この男下駄は、通りすがりの人のものであって、
ただ沈丁花の香にふと足をとめただけ、とも解釈できる。むしろそちらかな。
いずれにしても、男が、沈丁花の香のする家の前で立ち止まる、
という状況は、何やら艶めいて、これも色っぽい。


そうして、やがて。

時が過ぎ、恋も過ぎゆき……
下にあげた句などは、恋の苦しみなど様々な想いをもう通り過ぎて、
達観の歌になっている。

幸せも寂しさもあり沈丁花  岡 輝好

この句の持つ、ひっそりとした寂しさの感覚好き。


春の今頃ののんびりした気分を詠んだものも少し挙げておこう。

沈丁に呼ばれてひらく障子かな   延川五十昭 六花 200205
梅咲いて沈丁咲いて足るくらし   園多佳女 雨月 200305

この2句は、恋も嫉妬も焦燥も、仕事、家庭そのほかの苦悩ももう自分で消化しきって、
穏やかな老後の、静かな境地に入った人の句のようだ。


さて。読んだ範囲の多くの句の中で、最後に一句挙げるとすれば、これかな。

花終へしときは知られず沈丁花  稲畑汀子 ホトトギス 200404



沈丁花を詠んだ数多くの句から、女の恋と時の流れゆくせつなさを詠んだ句を、
時系列で追って遊んでみました。
さて、みなさんは、どの句がお好きでいらっしゃるでしょうか。

蛇足ではありましょうが、恋の句の沈丁花と、ブログ上の沈丁花は、同一人物ではないので、
誤解なさいませんよう(笑)。


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『だれも知らない』 ④

春の野菜が好きである。
ふきのとう、タラの芽、春キャベツ、菜の花、…
新じゃがにグリンピース…
中でも最近特に好きなのが、春先に出てくるそらまめ。


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子供の頃は格別好きではなかったが、数年前のあるとき、そのおいしさに目覚めた。
ズッキーニを焼いたときに通じるような、独特なほろ苦さ、えぐみといった方がいいかな、
それが好き。

塩ゆでしてそのままをビールのおつまみなどというのもいいが、
私は 、これも春に出回るグリーンピース、アスパラ、と合わせて、
翡翠色のサラダにするのが好き。

でも、記事にしたいのは、料理のことではなく、豆をむく時の楽しさのこと。
豆をむいているときの心楽しさのこと。

台所で一人、豆をむく。それはこころ鎮まる作業である。
莢の中に綺麗に並んで、まるで冬季オリンピックのボブスレーの選手たちのように見える
グリーンピースをむくのも楽しいが、このそらまめをむくのがまた楽しい。

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そらまめはこんなふうに、白いふかふかの布団にくるまれて育つ。
豆の莢をねじって、ポカンというような音をさせて莢を開くと、
そこに、こんな子たちが。
「あら、3人?大きな立派な莢だから、4人入ってると思ってたんだけどな。」
豆たちはすまなさそうに、白い布団の上で、口をつぐんでいる。
そんなふうに見えませんか?

いいのよ、いいの。3人でじゅうぶん。
はじめまして。
あなたたちを見るのは、私が初めてよ。

そうなのだ。豆をむくとき、私がいつも感じるのは、この神秘のこと。
だってそうではないか。
この豆たち。こんなふかふかのベッドで、これまで一所懸命育ってきたのだ。
豆たち兄弟だけで、語り合い励ましあいながら。
やわらかな緑色の部屋で、外を降る雨の音を聴いていた夜もあったかもしれない。
外を吹く木枯らしの音に震えあったこともあるかもしれない。
でも徐々に徐々に、豆たちは大きくなっていき、布団のふかふかも厚みを増していく。
あるとき、それまで薄い緑色に包まれていたその世界が、パカッ!という音と共に
突然開く。そうしてそこに、見知らぬ人の手と顔が・・・。

私です(笑)。

この子たちに出会う人間は私が初めて。
だから、こんにちは、はじめまして。

いつも豆をむくとき、私はこのちょっとした神秘に心打たれるのである。
この豆たち。誰もこれまで見た者はいないのだなあ。
私が、この子たちを初めてこうやってこの世に出してやる、
そうして、初めて見てやる人間なんだよなあ。
この子たちと私との出会い、それを誰も知らないんだなあ、と。

それはちょっと、ほんのかすかにエロティックでさえある感覚である。

豆をむいてそんなことを感じる私はおかしいかな(笑)。



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さあ、全部むき終わりました。
なんだか可愛いな。

それにしても、この莢の内側の白いふかふか。
大きなやわらかい豆を守るためにこんなにふかふかなのだろうが、
この毛のようなもの、何かにできないのかな……。



そこで、ふっと、昔、私が4歳か5歳くらいだった時の不思議な経験を
思いだした。淡い淡い記憶……。

その頃私たち一家は、九州のとある温泉街の家に住んでいたのだが、
あるとき、母は私一人を連れて上京した。
そうして、私たち母子はある映画関係の人の家に数カ月滞在していた。

問題のその日。私はなぜか、乙羽信子の家に母と行っていた。
乙羽信子といっても、今の方はご存じあるまい。
かつてその愛くるしい笑顔が、『百万ドルのえくぼ』などと讃えられて、
1950年代くらいの頃、大活躍した元宝ジェンヌ。
後の演技派大女優にして、映画監督新藤兼人の夫人である。

台所というか、今でいうダイニングルームのようなところに通されていた。
玉のれんが下がり、調味料、食器類などあふれんばかりににぎやかな台所だった
ような記憶がある。

でもその日は乙羽信子本人には会えず、私は次に誰の家とも知らないが、
応接間の立派な家に連れて行かれた。
それが同じ家の中であったのか、別な家だったのか、そこもはっきりしない。
母亡き今、それが誰の家だったのか、もう確かめるすべもないのである。
分厚い緞帳のようなカーテン、革張りの立派な応接セット、豪華な書棚、
天井からはシャンデリア、そうしてお洒落なフロアスタンド、と、
小さな温泉街の娘など見たこともないような、豪華で立派な部屋だった。

大人たちが話をしている間、小さい私は応接間の控えとでもいうような、
廊下のようなところで、ある人に相手をしてもらっていた。
壁際にはガラスの入った大きな資料棚のようなものがあり、
そこには立派なアルバム、額などが飾ってあった。

クッションのきいたソファに座らされた私は、その人に、切り絵か貼り絵の様なものの
束を一枚一枚見せられていた。
小さい子供が退屈しないように、子守役でも仰せつけられていた人であったろうか。
男の人か女の人かさえ…、いや、あれは男の人だったように思う。

その人は私に一枚の花の絵を見せながらこう言っていた。
「これはね。絵具で描いた花じゃないんだよ。この葉っぱの緑色のところ。
これはね、朝顔などの葉っぱを思い浮かべてごらん。細かいじがじがした
毛が生えているでしょう。それをはぎ取って、ここに貼り付けて
この緑色の葉っぱの絵を描いてあるんだよ。」
『この花の黄色い部分も、こちらの葉っぱも、みんな、
本物の草や花の毛を採集してそれで描いてあるんだよ。」

ああ、その記憶ははたして本当のことだったのだろうか。
子供の私は、その人の説明を素直に信じて、感心しながらうなずいて聞いていた。

しかし後年、もう少し大人になった時、その時その人の言ったことを
私は疑うようになった。だってそうじゃありませんか。
そんなことが信じられますか?
朝顔やかぼちゃなどの夏の植物の、葉っぱのじがじがする毛をむしって、
それを貼り付けて絵を描くなんて。
そんな短いわずかな毛などを貼り付けて、絵が描けるわけがない。
あの人は、子供の私をからかったのに相違ない・・・。
そう思うようになった。

だが、それからもっとして、母もとうの昔になくなり、私自身が
その頃の母の歳をとっくに越えた頃になって、ふとその時の記憶を
蘇らせてみると、その場面自体が本当にあったことなのか、と
疑わしくなってしまった。

そんな変な冗談を、4,5歳の子供に大真面目に言う大人があろうか。
あの、立派な応接間には本当に行った。それは確かなことにしても、
その控えの間である、あの廊下の様な資料室のような部屋でのことは、
私がうたたねに見た夢だったのではなかろうか?と。
それにしても、その資料室の様なところ。壁際のガラスケース。
その中に飾られた写真やアルバムや、今でいうファイルのようなもの。
誰か大人が私の相手をしていてくれたこと…それはくっきりと覚えているのである。
そうして、夏の葉っぱのじがじがを貼り絵にするというその人の説明もはっきりと。

ああ、あれはいったい何だったのだろう…。
あれは本当にあったことだったのだろうか。
あれはいったいどういう人だったのだろうか。
母のいない今、その日のことを語ってくれる人はもう誰もいない。

私のその不思議な記憶の真実は、…誰も知らない。


さて、そんな記憶を私に呼び戻させたそらまめはどうなったか、というと、

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こんな浅緑色のスープになった…。
ちょっとそらまめのほろ苦さの残る…。


ああ。人生には、淡い夢のように幸せなことや、忘れがたい出来事が、
ときどき私のようなものにも巡ってくる……。

人が生きていくこと…なんて不思議。
私は、初めて外界を見た一粒のそらまめのように、
今さらながらに驚いているのです。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『またね』  愛しき(かなしき)もの 其の十五

みなさん。またね。

小さなあずさはまた箱の中。
娘の家の茶箪笥のお家に帰っていきました。


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『雛祭り』 愛しき(かなしき)もの 其の十四

明日は3月3日。桃の節句である。

子供が小さい頃は、正月に始まって、七草粥、節分、桃の節句など、
年中行事は一応大切にやっていた。しかし、子供が独立して家を出てからは、
狭い家に場所をとる七段飾りを飾る気力もなくなり、もうずっと、
お雛様たちは押し入れの中に入ったままであった。

しかし、先日娘がお雛様を絵の中に描きこみたいというので、
押し入れをごそごそして、お内裏様とお雛様だけを取り出した。
で、今年はその流れで、簡単にお雛様、飾ってみました。
我が家のお雛さま。屏風もなしでごめんなさい。

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おや、お雛様の裾のあたりにあるこの箱は何?

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開けてみましょう。

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おや。箱の中で、ハンカチーフのお布団で眠っている子は誰?
20年ぶりくらいに起こしてみましょう。
「これ。起きなさい。ちょっと目を覚まして出てらっしゃい。」

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こんな子が出てきました。まだ眠くてぼうっとしています。

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そっちじゃないのよ。こっち。
ちゃんと皆様にご挨拶してね。

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こんばんは。
ここどこ?

めちゃん家(ち)よ。めちゃんはおるすよ。

ふ~ん…。…


はい。この子が誰かと言うと、実はこの子はろうそく(笑)。
今から、そう…。今から33年前くらいの雛祭りの、
デコレーションケーキの上に飾ってあった、ろうそくのお人形。
不二家か何かの出来合いのデコレーションケーキだった。
身長は5センチ。

娘が3歳の雛祭りの日。ケーキを食べ終わって、片づけをするとき、
一応この人形はクリームなどをふき取って、取り除けておいた。
「これいる?」と訊くと、娘は「いる。」と言う。

それからこの子はしばらくの間、娘のおもちゃ箱の中に、
他のガラクタおもちゃと共に放り込まれたまま、大切にもされないで
そこにいた。
が、一年くらい後のあるとき、増えてきたおもちゃを整理していて、私はこの人形を見つけ、
そばにあった屑籠の中に何気なくふと捨てた。
だって、顔はおもちゃ箱の中で擦れて汚れ、髪の毛も剥がれかけて
あまり綺麗じゃなかったから。

ちょうどその時、部屋に入ってきた娘が、私の動作を見た。

「あっ!」
娘は叫んで屑籠に突進した。
「これ。めちゃんの!これめちゃんの大事なのなの!
捨てちゃだめなの!」

屑籠から人形をすくい上げる動作の速かったこと!(笑)

「だって、もうだいぶ汚れてきたなくなってるし、第一、おもちゃ箱に入れたまま、
ずうっと遊んだりしてなかったじゃないの」
私がそう言っても、娘は小さな人形を抱きしめて、絶対に捨てちゃだめなんだ、と言う。

それ以来、この箱が、小さなろうそく人形のベッド兼住まいになった。
娘は進学のため家を出た時もこの人形を持って行った。
数度の引っ越しにもこの人形はいつも一緒。
と言って、幼いころから、ままごとや人形遊びは好まない娘。
別に可愛がるというわけでもない。
ただ、捨ててはだめ、なのだそうである。

世田谷区は下北沢というところに、昭和の頃のしっかりしたアンティーク家具を扱う店が
あった。娘が、猫の『にゃー』をかまっていた頃のことである。
そこで娘は、飾り棚付きの茶箪笥を買った。
それからずっと、この子は、箱に入ったまま、その茶箪笥の、襖つきの小部屋のような
ところに入っている。

今回記事にするために娘のところから借りてきた。
「これ、ちょっと借りてっていい?」
私が尋ねると、娘はきっ!と言う感じで振りかえって、「なぜ?」と訊く。
その顔が、32年前のあの日とまったく同じ(笑)。

私が増え続ける荷物を少しでも減らそうと、要らない衣服や鏡台の中の
古いアクセサリを捨てようとしていたとき、娘が飛んで来て私の手から
ひったくるようにしてすくい上げた紅い玉のネックレス。
あの時も同じ顔をしていたな。
だってそのネックレス。私が1970年代くらいに買ったただのプラスチックの、
やたらに大玉の流行遅れの真っ赤なネックレス。もういらないと私は思ったのだ。
でも、娘にとっては、母の鏡台を開けると一番に目に飛び込んでき続けた、
いわば、私という母親そのものを象徴するようなものであったらしいのだ。

さあ。またお布団に入りましょうね。
お雛様が終わるまでここにいなさい。
終わったらまた箱の中で眠るのよ。

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この子の名ですか。
名前は『あずさ』

4歳の娘がつけた名前。
なんでだか知りません(笑)。

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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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