『音に身を浸す』

少し長い旅から帰ると大抵いつもそうなるが、
東京で暮らしている自分が本当の自分なのかどうか、
何か、自分というものが自分から乖離してしまったような違和感を
いつも感じてしまう。

何か自分の日常が白日夢か何かででもあるような実体のなさ、
自分のこころはどこかに置き忘れて来たような、
と言って、旅をしていた時の私が本当の私か、というと、
それもふわふわと浮ついて、本当の自分の姿とも思えない。
そんな状態がしばらく続くので困ってしまう。

とりわけ今回の旅は、いまだに自分のこころが定まらなくて
少し困っている。
何か捉えようのない悲しみというか空白感がずうっと胸にしこりのようにある。

そんなときは、音楽を黙って聴いているのがいちばんいい。
その時の心情にぴったりした演歌やポップスなどもいいのだが、
今回はクラシックばかりなぜかぼうっとして聴いていた。
と言っても、家にそんなにクラシックのレコードやCDがあるわけではなく、
あるものを聴いている、というのにすぎないのだが。
あとはYou Tube から拾ったり、i-Tunes で買ったり。

とりわけ私が好きな曲、好きな演奏をご紹介しましょう。

ショパン:ピアノ協奏曲第一番ホ短調
演奏はディヌ・リパッティ。
オットー・アッカーマン指揮チューリッヒ・トーンハレ管弦楽団
1950年録音。

ディヌ・リパッティ(1917~1950年)はルーマニア生まれ。
わずか33歳の若さで悪性リンパ腫でこの世を駆け抜けるように逝ってしまったピアニスト。
聴いていただけばわかりますが、彼のピアノの透明感ある音は、60年も前のモノラル録音
などという条件をはねのけて、今も人のこころを強く打つ、気品と哀調に
満ちています。

うちにはレコードしかないので、You Tube からの貼り付け。
演奏の途中で無残に切れていますが、続きは同じページから聴くことができます。
ピアノに向かって左向きに写っている写真のが、この続き。
オーケストラの前奏はもっと長いのですが、カットされているみたい。

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『私が愛してやまない一本の桜』

今年はブログにたくさん桜の下手くそな写真を載せたが、
まだ紹介していない一本の桜の樹がある。

私が愛してやまない桜の樹。

それは、オオシマザクラの樹(たぶん)。
ソメイヨシノなどに10日ほど遅れて咲き始める。
私が旅に出る前にもう3分咲きくらいになっていたので、帰ってくるころには
もう散り始めているかもしれないな、と半ばあきらめていたが、
寒い日が続いたせいか、帰ってみると、花の盛りは少し過ぎたが、
まだ散り始めぬ前の姿で待っていてくれた。

この桜は、いつも私が通るあの橋のたもとに生えている。

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この桜はソメイヨシノより花が大きくてしかも白い。
大きな違いは、ソメイヨシノが、花が先に咲くのに対して、
オオシマザクラは、葉も一緒に出てくること。
そうして、なんと言っても、この桜の特徴は、匂いが素晴らしいことである。
なんの香りに似ているか、と言われても、桜の香り、としか言いようがないのだが、
とにかく素晴らしい香りである。
桜の香、というと、桜餅の葉の香りを思われるかもしれないが、まるで違う。

不思議なことに、沈丁花などと同じく、そばで鼻をつけて嗅ぐより、
遠くからの方がよくその香りが楽しめる。
上の写真が、私がいつもこの花の香を楽しむ定位置。

少し近づいてみよう。

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川べりのサイクリングロードの際に、危なっかしげに立っている。
匂いの素晴らしさに足をとめる人も、気づかず通り過ぎる人も。
私としては、かくも人の行き来の多い場所ではなく、もっと広いところに
ぽつんと立っていてほしい気がするが、それもこの樹の運命なのだろう。

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幹回りはかなり太くなって、直径50センチくらいはありそうだ。
ああ、素晴らしいこの香り!……
皆さんにお届けできないのが残念だ。

花びらは豊かに白い。
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ご紹介した川べりの道には、ほかにも何本かオオシマザクラはある。
うす黄緑の花びらをした、御衣黄などという変わった桜もある。

それなのに、なぜ私はこの樹がそんなに好きなんだろう。




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私の愛してやまない、一本の桜の樹……。

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『ただいま』

4泊5日の旅から帰ってきました。
留守中もお訪ねくださった皆様がた、そうして、そっと
帰るまで待っていてくださった方々…、皆様に感謝いたします。



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『桜 其の二』


前の記事の写真を撮った日の夕暮れ。
美しい夕焼けになった。

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ほのかに紅を帯びた染井吉野。
しかし、夕焼けはそれよりさらに紅く、淡雪のように咲く染井吉野と
美しいピンクの諧調を見せてくれた。

美しいのだが、何やら寂しい。



紅く点々と写っているのは、提灯。
毎年この時期、町会の人々が手分けして、桜に明かりを点す。
そばに行くとこんな感じ。
これがずっと、2つ先の橋のあたりまで続く。

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時折、夜桜見物の人も通るが、皆静かである。
写真がぼけているせいもあるが、何か、幽玄の世界から出てきたひとのように、
皆、足音をさせないで歩いている、といった感じだ。





いつも私が買い物帰りに佇む橋の上から、夕焼けと桜を見てみた。
川面に提灯の紅い色が滲んで映っている……

もう少し遅い時間になると、この水面の紅が、幾筋も伸び、
橋のたもとにあるパチンコ店の紅いネオンサインも川面に同じく
映し出されて、本当に綺麗なのだが、夜景をとる写真技術がなく、
お見せできないのが残念。


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今年の桜は、何やらせつなさを伴う桜であったような…。


彼岸花。明日から少し旅をしてきます。

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『桜  其の一』

私の家の近くの川原の桜をご紹介。
私の写真は、安穏で平和なところにいるのに、いつも『ちょっとピンぼけ』。
たくさん載せるのは多少気恥しい気もしますが、
ただこういうところに住んでいます、と言うことで(笑)。
ご覧になるとき、パソコン画面を明るめにしてご覧ください。
そうすると、桜の華やかさが際立ちます。私の腕の未熟さもカバーできますし(笑)。
写真は上下をカットしたのが数点ある以外、色などはまったく無修正です。
この日はそのくらいの青空でした。

さあ、ご一緒に歩いていって見ましょう。

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たくさんある桜の木の中で、なぜかT字路の角に咲いているこの桜が好き。
ここに昔から生えていた。他の殆どの桜は、私がここに越してきた後で植えられ、
ここまで大きくなった。

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同じ桜でも、私にとって名前のある桜とそうでない桜があるような気がする。
この桜などは、名前を持っている方。
さしづめ、名をつけるとすると、・・・『みちこ』。


もう少し歩いて橋の上まで来て、今来たところを見て見ると。

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どうですか。いいところでしょう。
でもこの日は、警察の駐車違反の取り締まりが出るほどの人出。
以前は近所の者しか歩いていなかったけれど、最近ちょっとした名所化してきたか、
車で来る人が大勢。車のすれ違いもできず、私の自転車も通れないほど、
川原沿いの道路に違法駐車の列が。
サイクリングロードの方がすいている。

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上の2枚は染井吉野よりもっと白い。花も大ぶり。
桜の種類は600種もあるというから、素人には見分けがつかない。
染井吉野にも、白色、大輪のものがあるらしいから、これもやはり
染井吉野なのかな。大島桜にしては香りがないし、葉も出ていない。

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この、松の青々とした葉を背景にした桜も好き。
大体、松という樹木自体が、私は昔から好きである。
あのさわやかな香りが。
しかし、日本の松も随分少なくなった。いわゆる松枯れ病の影響か、
それとも日本人が、松をそれほど大事にも思わなくなったせいか。

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こんな見事な紅しだれ桜もここにはある。

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雪景色の時や、もの想いに沈んでいた日の記事などで、何回か
ご紹介したことのある、私のなじみの橋の上からの眺め。

橋を渡って、川を下っていって見ましょう。

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どうですか。広々として、気持ちがよかったでしょう。
私は根無し草的な気質があって、自分の住むこの街を愛しているとは
言い難く、常にどこかへ動きたいという気持ちはあるが、
この川べりの風景だけは気に入っている。

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少し日が西に傾いてきた。

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私のお花見散歩はこれでおしまい。
今年は開花が始まってから、寒い日が続いたので、東京の都心あたりでも
かなり長めに桜を楽しめたのではないだろうか。
このあたりの染井吉野は、今が満開。
散り始めたら、花吹雪に顔を打たれながら、また歩いてみよう。

でも、私がいっとう好きな桜。私の実名をつけて一日その下にいたい、とさえ思うような
匂い桜のオオシマザクラは、まだこれから花が開く。
その頃には、八重桜がまたこの河原の道をさらに濃艶に彩ってくれる・・・。

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『たっちゃん』 バイオリンその③

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             この楽譜はヴィターリの『シャコンヌ』のもの。
             記事に書いた曲の楽譜がちょっと見つかりませんでした。




娘が3歳からバイオリンを習い始めた、ということを、2つ前の記事で書いた。
先生は音大を出たての、若い男の先生。
娘はその先生になついて、また彼も本当にかわいがってくれた。
この前、検索でお名前をひいてみたら、まだまだご活躍の様子。
音信が途絶えて久しいが、それを知って嬉しかった。

その先生は、私たちの住む団地と、ご自分の実家の2か所で教室を開いていた。
年一回の発表会の時期になると、その2教室合同で練習することになっていて、
娘も先生のご実家の方の教室に伺っていた。

そこで一緒になっていた生徒たちの中に、たっちゃん(仮名)という男の子がいた。
たっちゃんは娘と同じ3歳。もう一人3歳の男の子がいて、大勢の生徒たちの中で
その3人が際だって小ささが目立っていた。
年に数回会うだけなので、特に仲良くなったというわけではなかったけれど、
発表会の『きらきら星』などを並んで弾いたりしていたので、
お互いの中に、その姿ははっきり記憶されていたことと思う。

娘が小学校一年生の時、先生が引っ越しをされ、やむなく娘は別の先生につくことになった。
たっちゃんとは、都合3年間くらい、発表会の度に会っていたのかな。
でも、先生が変わって、たっちゃんともそれっきり。
眉毛の濃い、目のくるっとした可愛い男の子だったが…。

前にも話したように、小学校5年生くらいで娘の興味は絵の方にうつり、
バイオリンのお稽古は先細り。ついに中二で止めてしまった。
バイオリンは手すさびに弾くくらいになってしまって、高校2年からは
本格的に美大受験のための塾に通うようになった娘。


ところが、その絵画塾で、娘はたっちゃんと再会するのである!
たっちゃんもいつかバイオリンはやめて、絵の道を選んでいたのである。
最初は二人とも、お互いのことに気づかなかったらしい。
ただ仲良くなって、たっちゃんの名が娘の話の中に時々出てくる。
気づいたのは私である。
その姓名を聞いて、「あれ?昔バイオリン教室で一緒だった子が
確か同じ名だったんじゃないかな?」
そう思って、翌日娘に塾で確かめさせた。

やっぱりその青年は、あの時のたっちゃんだった!
二人がさらに仲良くなったことは言うまでもない。
東京の、市部に私たちは住んでいるが、たっちゃんは3つも4つも離れた市の住人。
絵の大学だって、東京には美大だけで5つもある。
ましてそれらを受験するための絵画塾は、本当に20,30ではきかないだろう。
その中で、どうしてこの幼馴染の二人が偶然にも、同じ塾に通うことになっただろう!

私はたっちゃんとの何か深い縁を感じて、たっちゃんのことが何やら可愛く思え、
娘がたっちゃんと恋人同士にならないかな、とひそかに思っていた。
勿論私がたっちゃんと会うことはない。ただ写真で見るだけ。
娘の話からすると、本当に性格のいい、さわやかなやさしい男の子に育っているようだった。
塾のクリスマス会。大勢の高校生の男女が楽しそうに写真に写っている。
その中で、二人並んで踊っているたっちゃんと娘の姿も!
娘は踊りながら、例のごとく弾けるように笑っていて、その横に
たっちゃんの朗らかな笑顔の、長い脚の若い姿が…。


たっちゃんと娘はどうなっただろうか?

良い友達のままだった。

小さい頃に出会った二人。親しさはあっという間に深さを増して、塾で二人は
とても仲が良かった。でも、そこまで。
たっちゃんはどうだったか知らないのだが、娘にはその頃別に好きな人がいて、
二人は十人ほどの仲良しグループの、その中でも双子の兄妹のように仲のいい
二人のままで終わった。

娘はたっちゃんとはその後、違う大学に行った。
それでも、しばらくの間、連絡はしあっていたようである。
娘の大学仲間の集まりにたっちゃんが顔を出している写真がある。
塾の仲間もその中にはいたし。
たっちゃんが娘の誕生日か何かに書いて送ってくれた
手綴じの自作詩集のようなものが今も家のどこかにしまってある。
娘はそういうことに大雑把でドライだが、私が大事にとっておいてあるのである。

たっちゃん。
優しそうないい子だったが…。

人間の縁というものはつくづく不思議だと思ってしまう。
この広い東京。市部だけで言ったって、私の住む市はそこだけで人口数十万である。
たっちゃんの市はやや少ないがそれでも同じくらいはいる。
その間の市を考えると、200万人以上はいるだろう。
塾で出会う可能性のある区部や市部を考えれば、500万人はいるかもしれない。
そこで幼いころに出会って、何かの縁に結ばれたように、10余年後に偶然出会った二人。

それでも縁はほどけていく……。
たっちゃんが何をしているか、今ではもうまったくわからない。

ひとはどうして偶然出会い、そうしてまたいつか、別れていくのであろうか。
結ぼれる縁と、ほどけてしまう縁は、どこにその違いがあったのだろうか…。


大小2挺のバイオリンを見ながら、そんな、人間のえにしの不思議さに
想いをいたす、静かな春の宵、でした。



娘が、中学1年の時の発表会で弾いた曲。バッハの『二つのバイオリンのための協奏曲』を
お送りします。一緒に弾いたのは勿論たっちゃんではなく、違う先生のもと、
別な男の子と弾きました。
動画の演奏はなんと、ユーディ・メニューインとダヴィッド・オイストラフ。
伝説のバイオリニスト二人によるものです。


http://www.youtube.com/watch?v=i2dNQH-PXps


この2つのバイオリンの旋律のように、ひととひとの運命が絡み合って、
ときには離れて、また寄り添って、このように美しい音楽を
この世に紡ぎだせるといいのになあ、と考えてしまいます。
動画が長くて、しかも演奏途中で切れていますがあしからず。

なお、楽譜を載せた、ヴィターリの『シャコンヌ』をお聴きになりたい方は
こちらをどうぞ。演奏は、これも20世紀を代表する巨匠ヤッシャ・ハイフェッツ。
http://www.youtube.com/watch?v=pnEaVdIwYzE


お若い方はご存じないと思うので、
ユーディ・メニューインについてはこちら。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A6%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BB%E3%83%A1%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%82%A4%E3%83%B3
ダヴィッド・オイストラフについてはこちらを。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%80%E3%83%B4%E3%82%A3%E3%83%83%E3%83%89%E3%83%BB%E3%82%AA%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%95

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『私の花便り』

あちこちから満開の桜の便りが聞こえてくると、なんとなくいつも少し焦ってしまう。
「ああ、花が散ってしまう!花が散ってしまう!」と、気もそぞろになる。

でも、実は、東京でも外れの我が家のあたりの桜は、都心より例年ずっと遅れて咲く。
満開に近い樹もあるにはあるが、今日見に行くと、平均してまだ5,6分咲きというところ。
だから、桜満喫の散歩は数日後まで待つことにして、今日の散歩は他の花に
目をやりながら行った。桜はまだわざと見ないようにして。
だって、まだ完全に咲きやらぬ桜の花を見るのは、
なにか、『化粧中の美しき人を覗き見しているような』気がするんだもの。



だから今日はまだ桜ではなく、
他の花たちをご紹介。


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これはエイザンスミレ。
我が家の空いた植木鉢の中にどこからか種が飛来して、いつの間にか、
庭のあちこちに増えていっているたくましい草。
本当の花の大きさは指し渡し3センチほどもないが、こうやって真正面から
写真にとって拡大して見れば、豪華なランの花にも負けない意匠を
凝らしていることがわかる。

次も我が家の玄関先に定植して、健気にも根付いてくれたもの。

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これはハナモモ。源平桃という種類。
紅の部分と白い部分がまじりあって咲くのを、源平合戦の白と赤の旗に見立ててこの名がついた。
一つ一つの花が皆違う模様。絞りになっているものもある。



それでは玄関を出て、河原に散歩に行きましょう。

おや、これは何の花?実に鮮やかな赤い色である。

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これは実は花ではない。カナメモチという、生け垣などによくつかわれる植物。

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このように全体を見れば、そこらの植え込みによく使われている植物である。
が、この時期出てくる葉の新芽は、実に花と見まがうばかりの鮮やかな赤い色をしている。
葉っぱでこういう鮮紅色になるのは、ドウダンツツジの紅葉がこれに引けを取らない赤さだが、
あれは秋の季節。

鮮やかな色彩がまた、向こうにも見える。
あれは何かな。近づいてみる。

これはニワウメ。たぶん。

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まあ、びっしりとよく花を咲かせるものだ。これはこれで見事。

この川べりの道には、見事な桜並木がある。
桜の花は…撮るには撮ったけれど、今日はご紹介しない。
さっきも言ったように、もっと見事に咲いてから。


散歩を終えて家の近くまで帰ってきた。
最後にこれを。

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まぁ!鮮やかな黄色!
私も若い娘の頃、こんな鮮やかな色のポロシャツにジーンズのスカート。
長いまっすぐな髪をポニーテールにして、かかとの高いサンダルを履いて
東京の街を歩いていたことがあったな。
またこんな色の服着てみようかな。着れるかな。

これはレンギョウ。
この花を見るたびに毎年、ふっと、『レンギョウの花明かり』
という言葉が口をついて出る。
まるで、煌々と明るく灯りを点したように、この花は春の比較的早い時期に
輝き咲き出ずる。
その一角が、ぱあっと明るんで見えるほどだ。
でも、私が自分で考えだした表現ではない。
何か出典があったはずである…。そう思って角川の現代俳句歳時記を開いてみた。

あったあった!



行き過ぎて 尚 連翹の花明かり  中村汀女

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『ハタノサンのバイオリン』 バイオリンその②

前回の記事で紹介したように、娘が使ったバイオリンは、一番最初の1/10 サイズのものと
大人用のものとは、今も大事にとってある。
それでは私が5歳くらいの時に使ったバイオリンはどうなったのであろうか。
  
『やぎさん』のいた屋敷のバイオリンの先生は、その後東京から戻ってこなかった。
母も新しい先生を苦労して探すほどには私にバイオリンの素質がないと、はや見てとったか、
それとも当時のことだから、先生を見つけられなかったのか、
私はそれきりでバイオリンをやめることになってしまった。

私が小学校二年生の頃までは、確かにバイオリンは家にそのままにあったが、
何時からか、家の中に見かけられなくなってしまった。
しかし、ちょうどその頃、父母が別居することになって、
バイオリンの行方どころではなくなって、そのままに、
いつしか私もバイオリンのことなど忘れてしまった。
もし見つかっても、もう私の体には小さくなりすぎていただろう。

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                                                                           (これは娘の1/10 のバイオリン)

 


私が、自分のあの小さなバイオリンの行方を知ったのは、それから3年後。
私が、小五の夏休みに父のもとへ帰った時のことである。
『故郷の廃家』ブログの最後の記事になった、あの夏のことである。

その頃父は、自分の故郷の高原の村に一人帰って、妹の家の離れを借りて、
竹細工をしながら一人暮らしていた。
父がその離れを借りる前に、そこに住んでいた人がいる。
母屋の人々、つまり私の叔母と従兄二人、そしてその奥さんたちは皆、
その男の人を『ハタノサン』と呼んでいた。
『ハタノサン』は『波多野さん』であったろうか、それとも『旗野さん』
あるいは『秦野さん』であったろうか。
皆は、『は』の音にアクセントを置くのではなく、「たのさん」を高い音程で
言っていたから、『旗野さん』だったのかな。
とすると、「や」にアクセントを置く『やぎさん』は?(笑)

ハタノサンは、父に離れを明け渡してからは、母屋で叔母たちと一緒に暮らすようになっていた。
小学校5年生の私には、その間の事情はよくわからなかったが、
ハタノサンはどうやら、長年寡婦のままでいた叔母の、内縁の夫、という存在で
あったらしい。

『ハタノサン』と、叔母自身にも従兄たちにも呼ばれていたことが示すように、
ハタノサンは、叔母と入籍して正式に母屋の主となったわけではなく、
どこかいつまでも、借家人のように遠慮がちに暮らしていたようだ。
叔母たちが農作業に出て忙しい時も、彼はよれよれの浴衣をときには着たままで、
暇そうにしていた。どこか体でも悪くして療養中ででもあったのだろうか。

父とは同い年くらいか少し下か、同じ敷地内に住んでいるのだから、
もっと行き来してもよさそうなものだが、そうお互いに行き来することもない。
と言って仲が悪いわけではなく、静かな隠遁者同士、共にいてもいなくても
気心は通じている、という風でもあった。
うっとおしすぎるくらい多い、硬い半白の髪は、従兄のお嫁さんが美容師のこととて
綺麗に刈り上げてもらっていたが、色黒の、歯が少し出た、
頬骨の高いくたびれた顔つきの人で、痩せていた。
でも、私などにも優しく、母屋の台所などでばったり出会えば、
にっこり笑って、一言二言はにかみながらものを言いかけてくるような人だった。

このハタノサンが、私のバイオリンをいつか弾いていた、と父が言うのである。
私の母と住む温泉街の家から、いつか消えてしまった私の小さなバイオリン。
それでは、ここに来ていたのか!
でもそれにしても、誰がここに持ってきたのだろうか。
父の口ぶりからすると、父が別居するときに持ち帰ったというわけではないらしい。
とすると、考えられるのは、私の次の姉。高原のこの村と、温泉街の母の家との間を
落ちつきなく行ったり来たりしていた次姉が持ってきて、それが巡り巡って
ハタノサンの手に渡ったのだったかもしれない。

ハタノサンがどうやって、あの小さな子供用のバイオリンを弾いていたのであろうか。
そもそもバイオリンの弾き方を知っていたかさえわからない。
たぶん、無聊をかこつ人が、戯れに、ギーギーと弾いてみていたのであろう。
私は、帰るまでに一度、父を通じて返してもらうよう頼んでみようと思った。

しかし父の家での私の短い滞在期間は瞬く間に過ぎて、特に最後の数日は
熱を出して寝ていたので、父との別れの日が来た時も、
ついに私はバイオリンのことを言い出さぬまま、母のもとへ帰って行ったのである。

いつしかそれから半世紀という長い長い時が過ぎてしまった。
私のあの小さなバイオリンは、それからどうなったのであろうか。


ごく最近、わずか半月ほど前のこと、郷里に今も住む長姉と電話で話していたとき、
ふとハタノサンのことが話題に上った。
なんと、ハタノサンは、土地測量士だったというのである!
土地測量士と言えば、あの時代、あの山奥の村においては、
インテリの仕事の部類に入るのではなかろうか。

私は姉の話を聞いてびっくりすると共に、よれよれ浴衣の『ハタノサン』が、
弦が一本くらいは切れてしまって、音も狂ってしまった小さなバイオリンを、
人知れずギコギコと弾いている姿を想像し、
何やら物悲しいような、何かすまないことをしたような、
だけど笑ってしまいたいようでもある気持ちになったのであった。



『やぎさん』と『ハタノサン』と私の小さなバイオリンのおはなし。

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『バイオリンとやぎさん』 バイオリンその①

娘は小さい頃バイオリンを習っていた。
なぜ急に、バイオリンが出てきたかというと、ある方のブログでバイオリンの
お話をしたからで。

もう30年ほど前になる。娘のバイオリンが具合が悪くなったので、
先生に紹介され、あるバイオリンの制作工房を訪ねたことがある。
東京は渋谷の雑踏もそう遠くはないある住宅街の中。
といっても、高級な住宅街という感じではなく、なんとなく、
昔の町筋の残った、うらぶれた感じの住宅街。
かつてはどぶ川であったろう細い川はもう暗渠となっている。
その暗渠に沿った少し小暗い細道の奥に、その家はあった。
普通の住宅の一室をバイオリン製作と修理の工房にしている人の家だった。
壁にはできあがった真新しいバイオリンが幾挺もかけられ、
テーブルには作りかけのものが拡げられてあった。

そこでどんな話をしたか、どんな人だったか不思議に記憶がない。
ただ、駅からその家に向かう途中の、夏の日の午後の日差しの感じと
暗渠のある町の家々の翳の感じをふと時々思い出す。

娘がバイオリンを習い始めたのは3歳の冬。
後になってピアノもやり始めたが、なぜバイオリンが先だったか、というと、
単に知り合いに子供用のバイオリンを貰ったからで(笑)。
それがこれ。CDの大きさと比べてほしい。

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大人用のバイオリンを完全縮小したもので、バイオリンは子供の体の大きさによって
買い替えをしていかねばならない。
一番小さいもので、1/16。順に1/8,1/4,1/2,3/4,4/4 と大きくなっていく。
今、ちょっと娘のものの中をのぞいてみると、1/10 と書いてある。
こういうサイズもあったのかな。

娘は、中二までかろうじてお稽古を続けた。かろうじて、というのは、
もうその頃には本人も親も、バイオリンには才能がないなということが
わかってきたからということもあるし、本人の興味が絵の方に移っていたから。
それでもまあ、長いことやっていたので、発表会のときなどには、
コンチェルトを小編成のオーケストラと共に弾くくらいまでにはいった。
その頃弾いていた大人用のバイオリン。最初のものと並べてみよう。
年季が入った感じがするのは、買い替えるごとに、前の小さいものを
下取りに出して、また誰かの使っていたものを買い取るからで。

2010_0402_041439-CIMG1708_convert_20100403081230.jpg


娘にバイオリンをやらせたかったのは私である。
それは私が 果たせぬ夢だったから。

実は私も、幼いころピアノとバイオリンを習っていたことがあるのである。
バレエもやっていた(笑)。
その頃はまだ我が家も生活が割合豊か。母は私に期待をかけ、いろいろやらせていたのだと思う。
しかし私はその頃、大変虚弱な少女であった。
ピアノとバレエは数カ月も習わないうちに、2度の入院で辞めざるを得なくなった。
バレエは私の体を丈夫にしたい、という母の願いもあったのだろうが、
才能もなかっただろうし体力がつく前に病気になってしまったのである。
そのあと母が習わせ始めたのがバイオリンである。
娘のと同じくらいの大きさか、もう一回り大きい1/8 というサイズだっただろうか。


バイオリンの先生の家は、大きな、古色蒼然としたお屋敷だった。
暗い感じの大きな玄関と長い廊下を通って、広い洋間に通される。
洋間と言っても和洋折衷。畳に絨毯を敷き詰めた部屋は、障子からさす薄明りで、
これも明るい部屋ではなかった。
ゴブラン織り風のカバーをかけたアップライトがたのピアノが壁に据えてあり、
革張りの大きな応接セット、大きなガラス張りの書棚、フロアスタンド。
それらの間の空間を埋めるように、譜面台、雑然と本を積み上げた小テーブルがいくつか。
観葉植物やそのほかの鉢植えなどがあって、なんとなくごちゃごちゃしているところが
逆にわずかに居心地の良さを作りだして、子供の緊張をほぐしてくれていた。

先生は若い男の先生だったが、しかしこのバイオリンも長くは続かなかった。
これは私の方の事情ではなく、先生が急に東京に行くことが決まって、
2か月ほどでお稽古が打ち切りになったからである。
私が習ったのは、バイオリンの構え方と『日ノ丸』だけ(笑)。
『白地に赤く 日ノ丸染めて ああ美しや 日本の旗は』というあれ。
ご存じない方の方が多いだろう。昭和20年代の時代の雰囲気がわかろうというもの。
随分昔の話。だから先生の顔もお稽古の感じももう忘れてしまった。

先生の顔も忘れたのに、ここで淡く記憶に残っていることが一つある。
それは『やぎさん』。

錦鯉の泳ぐ池や築山のある広い日本庭園の奥に、この『やぎさん』は住んでいた。
と言っても、あの、白い体におひげを生やした動物の山羊さんではなく、
『やぎさん』というのは、このお屋敷の離れを借りて住んでいた人のこと。
お稽古を終えて、私がご不浄を借りようと長い廊下に出ると、
このやぎさんが、庭伝いに母屋にやってきて、縁側の大きなガラス戸を
外からがらりと開けて上がりこんでくるのに、出くわすことがあった。

『やぎさん』が母屋の人とどういう関係であったのかは知らない。
ただ彼が来ると、皆が『やぎさん』『やぎさん』と親しく呼んでいた。
それも、一種の尊敬の念を込めて接しているのが子供心にも分かった。
細身でどことなく飄々とした感じの初老の男性で、顎の下に半白の山羊ひげを蓄えていた。
『やぎさん』は『八木さん』であったのだろう。
しかし、皆が『ぎ』のところではなく、『や』にアクセントを置いて
呼んでいたので、いつも皆が『ああ、やぎさん』、などと言うと、
幼い私は笑いをかみ殺すのに必死だった 。
そんな私の頭を、いつも『やぎさん』は黙ってにこにこしながら、
ぐりぐりと撫でてくれた。

バイオリンで私が覚えているのは、この古い大きな家の暗い洋間と、庭に面した
長い縁側の明るいガラス戸。そこをやってくる『やぎさん』、が漂わせていた
時代の香り。それだけである。

それから、バイオリンの先生の家を出ての帰り道に、赤く咲いていた夾竹桃の花。
その夾竹桃の大きな影が、くっきりと強い日差しに道路の上に落ちていた、
そんな昔の住宅街の、夏の午後の光と翳の印象。
……それだけである。

私が、街の写真館でバイオリンを構えて撮ってもらった写真があった。
当時としてはとても洒落たワンピースを着せられていた。
赤に黒の細いテープでスカラップがスカートの裾と袖口に施してあるワンピース。
頭には、赤と黒に染めた羽飾りのついた小さな黒い帽子をちょこんと乗せて。
横向きの顔でバイオリンを構えている。



その写真も、引っ越し続きの家のどさくさにいつしか紛れて、
遠い時代の彼方に消え去ってしまった……。




[付記]この話は、バイオリン②に続きます。

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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