『散財』…?

最近少し、映画と音楽づいている。


DVDを六本も買っちゃいました。
寂しさを紛らすための衝動買い?(笑)
違いますよ。古いいい映画が見たいだけです。

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上から順に、

『シシリーの黒い霧』(1962年・伊)フランチェスコ・ロージ監督
『シシリアン』(1969年、仏)アンリ・ヴェルヌイユ監督
『女ともだち』(1956年、伊)ミケランジェロ・アントニオーニ監督
『女猫』(1958年、仏)アンリ・ドコアン監督
『パンと恋と夢』(1953年、伊)ルイジ・コメンチー二監督
『さらば恋の日』(1969年。伊)マウロ ・ボロニー二監督

どうですか。みな古い映画でしょう。
特に期待しているのが、『シシリーの黒い霧』
第二次世界大戦直後のシシリー島。独立義勇軍の闘士の青年が殺される。
殺したのはマフィア?警察?歴史の暗部に潜む事実をドキュメンタリータッチで
描き出すネオ・リアリズムの問題作。

でも、どれもよさそうです。私の好きな俳優たちや作曲家、脚本などで、
ベルリン、ヴェネツィア映画祭などで賞をとった作品も。

しかし一本だけ、あれっ?と思ったのが、『シシリアン』。
ようやく手に入れた!と思って、どれほど嬉しかったかしれないのに。
ジャン・ギャバン、アラン・ドロン・リノ・ヴァンチュラの、仏三大スターが
競演するフィルム・ノワールの大作。
脚本がジョゼ・ジョバンニ。撮影が、『大人は判ってくれない』『死刑台のエレベーター』
などのアンリ・ドカエ。音楽エンニオ・モリコーネ。
最近いろいろ映画を覚えはじめた私が知る最高に嬉しい布陣…。
なのに、ちょっとかけてみたら、なんと音声が英語か日本語!
どうしてフランス語じゃなかったのかなあ。
でも、エンニオ・モリコーネのこの主題曲が私は昔から大の大の大好きで。
この人のには『ニュー・シネマ・パラダイス』などもあるな。

それでは今日は、『シシリアン』のテーマを。
聴くだけで私は胸がきゅ~っとします。ニーノ・ロータの『太陽がいっぱい』、
ヴァレリオ・ズルリー二の『激しい季節』などと共に、私の琴線をいつもストレートに揺らす曲。
みなさんの今晩の気分にはいかがでしょうか。

ああ!
こういう音楽を音響のいい実際の映画館で聴けていたら…。

上映時間が来て、それまで映画館を照らしていたライトがふうっと消えて劇場が暗くなって、
そうして、その中でこんな音楽が流れ始めたら……
きっと、嬉しくて感動してぶるっと震えて、腕に鳥肌がたっちゃうだろうな。
「寒いの?」と隣にいるひとにきかれたりして(笑)。

http://www.youtube.com/watch?v=GwmdscZNTQU




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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『初めて見た洋画』 



初めて私が見た洋画の記憶は、私が小学校5年生の時のことである。
いくら私の年代にしても、ずいぶん遅い方なのではないだろうか。
『制服の処女』『戦場にかける橋』『野ばら』の3本。
これらは1957年、58年に公開されているのだが、
どれを一番先に見たか、記憶がはっきりしない。

『野ばら』はウィーン少年合唱団を題材にしたもの。ミヒャエル・エンデという少年が
主役を務めていた。(作家のミヒャエル・エンデではありません)
これは、私が小学5年生のその頃、ある地方都市のNHKの児童合唱団にいたので、
そこから全員で連れていってもらったのだったと思う。

さて、後の2本は近くの映画館で母と見たのだが、どうして母と洋画など
観に行ったか、というと、券を貰ったから。
当時住んでいたアパートの隣の部屋に、近くの映画館で支配人をしている人が住んでいた。
支配人と言っても、雇われ支配人。
フランク永井という往年の歌手に似た、もう中年にさしかかった人であったが、
その人の奥さんが、若くてちょっとやくざなところのある、綺麗なひとだった。
何かわけあり、という感じを全身に漂わせていたが…

まあ、そのご夫婦が、私たち母子によくしてくれて、その人が勤める東宝系の
映画館や、たまに、街の少し離れたところにある洋画の上映館の切符を
くれていたのである。

『制服の処女』は自分より少し上の年頃の少女たちを描いたものだったので、
印象的だった。
ドイツの寄宿制の女学校に一人の少女が転校してくる。
寄宿生の憧れの的の美しい女の先生。
母を失ったばかりの主人公もその人に憧れ、あるときその愛を皆の前で公言してしまう。
そのためにその女教師は叱責され、学校を去らねばならなくなる。
それを悲しみ責任を感じた少女は、学内で飛び降り自殺を図ろうとする…そんな筋立て。

その時主役のその少女を演じたのがロミー・シュナイダーである。
額の広い、少女ながら知的なその独特の風貌に私は魅かれた。
そのあとも劇場で洋画を見るという機会は、ほとんどなかったが、
『スクリーン』などの映画雑誌はよく見て、たくさんの女優さん男優さんの
顔と名と出演作を記憶した。

ロミー・シュナイダーは歳を重ねるごとに、その知的な美しさに
磨きがかかっていき、また本来の可愛らしさが貴族的な風貌や仕草の陰から
時折覗いて、私は大好きな女優さんだった。

先日、彼女が少しだけカメオ出演している映画を見、
また、『ボッカチオ’70』という、1963年公開のオムニバス映画に
彼女が出ているDVDを借りてきて見た。
やはり可愛らしく、しかも、他の女優さんにない、どこか貴族的で、
どこかはかなげな美しさが見られて、やっぱりロミー・シュナイダーは
好きだなあと、あらためて思った。

若い皆さんはまったくその名もご存じないだろうな。
その個人としての生涯は悲しい。
が、ここでは語らずにおこう。


彼女の不思議な目の色と、その輝き。
頬や顎の独特な感じ、そしてその唇のカーヴの絶妙の優しさ美しさ。
少女のようにも、王女のようにも、娼婦のようにも、そうして、この上なく
気品のある大人の女性としても… どの顔も魅力的なひとだった。


今晩も曲をお送りします。
ロミー・シュナイダーとは直接関係ないけれど、彼女はオーストリア、ウイーン生まれ。
フランス人を愛し、ナチを糾弾する映画に出続けた。
そのためもあってドイツと微妙な関係にあった彼女。一種の祖国喪失者でもあった。
イタリア映画にも出ている。

ドイツ、フランス、イタリア…ということで、イタリア生まれのイタリア・スペイン混血の
女性歌手による『ILove Paris』のドイツ語での歌唱をお送りする。
『ILove Paris』はもともと、アメリカのコール・ポーターによる
ミュージカル『Can Can』のテーマ曲で…ああ、ややこしい。
ロミー・シュナイダーもそうだが、ヨーロッパの人の国籍って…
とにかくお聴きください。
私はドイツ語の響きが好きで、この歌もドイツ語の歌唱がとってもかっこよく聞こえるのだが。
歌手は私などにはとても懐かしい、何ケ国語も操る実力派カテリーナ・バレンテ。
 

この歌を、佳人ロミー・シュナイダーに捧げよう…

http://www.youtube.com/watch?v=kjRV7bcL0MU

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『 What a sky 』

昨日今日と、空がとても美しかった。

昨日。午後。突然の激しい雨。
驚いて外を見ると、空は晴れている。
雨は断続的に降ったりやんだりを繰り返した。

「虹が出るかも!」と思って、ベランダに飛び出す。出ていない。
外に出て、河原まで行った。晴れているのに、雨粒が顔にあたる。

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やっぱり出ていなかった。こんな感じの雲の時は駄目なのだろう 。
こちらは晴れて、北の方の空に雨雲がかかってそこらが雨でなくては。
虹が出る空は、もう少し季節が先かな…。

そして、今日。

今日の空。

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吸い込まれてしまいそうである。

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気持ちよさそうに、ひとり、空を漂うこんなまるっこい子もいた。



こんな空だと、普段見慣れた景色も、なんだか違って見える。

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なんだか、南国的に見えるから不思議。
プエルトリコや地中海のカーサとは言わないけれど。


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雲のお供え餅? 『三』の文字? 誰かからのメッセージ?




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あ~~~。ほんとに綺麗な青だ。
心の悲しみも屈託も、みんな吸い取ってくれそうな、深い深い色。

・・・あの空の彼方に何があるのかな・・・。




この記事をご覧になってらっしゃるあなたのところの空はいかがでしたか?


週末の夜。
皆さんは今晩は遅くまで起きていらっしゃるかもしれませんね。
それではそんなあなたのために、今宵も音楽をお送りします。

http://www.youtube.com/watch?v=YJiziWpeD4o




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『東京』

『東京』…

『東京』、っていったい私にとってなんなんのだろう。

40数年前、九州の高校を終えた私は、何が何でも東京に出なくっちゃ、
と思って、とにかく東京に出てきた。

高校が工業系だったので、電子部品を作る、大田区の一応東証一部上場企業の
会社に就職。技術課に配属された。
40数年前の今頃。私は花のOLだった(笑)。
母が工面して買ってくれた、渋い良い色合いの金茶色のスーツや、綺麗な赤紫色の
ツーピースなどを着て、歌にもなったあの『池上線』に乗って通勤していた。
髪は短くして、いまよりほっぺたなどもふっくらとして。
お昼時になると、技術職などデスクワークの社員も、工場の方の社員も、
一斉に大きな社員食堂へ。
食事が終わると、芝生の上で、お定まりのバレーボールを課の人々と(笑)。

住まいは、田無というところ。東京の西の方にあるので、今は西東京市、と
名前が変わっている。大田区からはずいぶん遠い。
なぜそのような遠くに住んだか、というと、次姉が結婚してそこに住んでいたから。
やくざな気質の次姉はあてにできないと知りつつ、やはりあてにして、
一緒に住ませてもらったのである。

義兄は穏やかないい人だった。2歳になったばかりの男の子を目の中に入れても
痛くない、というほど可愛がっていた。
それなのに、姉と義兄は、私が行って一か月もしないうちに離婚。
夫婦間のことは余人にはわからないけれど、どうしてあんないい義兄さんと
別れたいというのか、若い私にはまったく姉の気持ちが理解できなかった。
私が行く前から、夫婦間は揉めていたのだろうが、私が同居したことが
その時期を早めたようで、やさしい義兄になにかすまない気がした。

義兄は会社を辞めて九州に帰り、姉と私と小さな甥が東京に残った。

そこからさあ、糸の切れた凧のような姉は、本来のやくざな性格丸出し。
私と子供を連れて、転々。

この姉といっしょにいては、自分の生活もだめになると思った私は、
一人で小さなアパートを借りて、一人暮らしを始めた。
3畳一間の小さな私の城。
そして、梅雨がもうすぐ始まるという、ちょうど本当に今頃の季節だったな。
私は、大学へ行く勉強をするために会社を辞めた。

そこから先は長くなるので話しません(笑)。

それから約半世紀。
いま、私は、東京と言っても、都心に出るのに小一時間もかかるようなところに
住んでいる。『花の都』に住んでいる、という実感は全くない。

ああ。東京って、私にとってなんだったのかな。

私にはそんな人はいなかったけれど(本当?)、これからご紹介する歌のように、
付き合っていた男性(ひと)のもとを去って、ひとり東京に出てきた女性(ひと)は
たくさんいただろうな。逆に、付き合っている女性(ひと)をこころならずもあとに残して、
東京に出てきた男性(ひと)もたくさんいただろうな。
残された者にとって、東京は、遠い憧れの街、愛する人の住む、
その名を耳にするさえせつない『花の都』だったんだろうな。
また、残して来た者にとっても、生きていくのにせつない街東京、だったんだろうな。

なんでこんなことを思い出したか、というと、会社を辞めたのがちょうど
季節が今頃であったし、ある映画を見たから。
『ボッカチオ’70』という、オムニバス映画。
60年代に作られた映画だが、当時を代表する名監督デ・シーカやフェリーニ、
ヴィスコンティ、モニチェッリが競作している。
その中に、会社が終わってわ~っと大勢の労働者が出てくるシーンがあって、
その空気感が、まったく私が勤めていた頃のことを思い出させたからである。
普段、たった2カ月しかいなかった会社のことなど思い出しもしないのに、
ふと珍しく懐かしくなったのである。
何しろあそこで私の『東京』は始まったのだったから。

ああ。『東京』…。
住んでいながら、私には遠い街である。

こんな歌、お送りします。
これは、さかごろうさんの記事のトラックバックと言えるかもしれません。

さかごろうさん。いきなりずっと前の記事http://fairground.blog78.fc2.com/blog-entry-908.html
の利用させていただきますが、ごめんなさい。


それでは、歌をどうぞ。
http://www.youtube.com/watch?v=LPoiY0jlyWE


東京タワー…。
この映像に出てくるけれど、いくらスカイなんとかが出来ても、
私には、東京はやはり東京タワーだ。

私は東京タワーを愛し続ける…。
『東京』をいつもちょっぴり複雑な想いで見つめる…。

だって、私は『東京』に恋して失恋したから。
そうして、いまもなお、『東京』に恋し続けている気がするから。

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『今宵も眠れないあなたに』


時計の針がまた、12時を回ります。

今日も、彼岸花さんは、本を読んだり音楽を聴いたりして起きています。

今晩も、まだお仕事の方や、考え事などで眠れない方に、
音楽をお送りします。


おやすみなさい。

I wish you a sound sleep tonight.


それでは曲を。今晩のは短いです。
http://www.youtube.com/watch?v=s8EKFjHPvIk






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『梅雨近き夜に』

雨が降っている。
しとしとという言葉がぴったりの、静かな雨である。
梅雨入りがもう近いことを思わせる雨の音。

ああ。季節の過ぎゆくのが速いな。

日曜日の夜が更けていく…

また明日から始まる仕事に備えて、もうお休みになられた方も多いかな。
まだ起きて、お仕事してらっしゃる方もいらっしゃるかな。
考え事で、眠れぬ夜をお過ごしの方もいらっしゃるかな。

とにかく、まだ起きてらっしゃるあなたに夜の音楽をお届しましょう。

とっくにご存知の方もいらっしゃるでしょう。
今頃そんなの聞き始めたの、と笑われるかな。
そんな歌手。見たことも聞いたこともありません、という方もいらっしゃるかな。
昔の人ですから。
でも、私からの、夜のプレゼントということで。

失われそうな恋の歌ですが、それは気にしないでください(笑)。

今日、私はこの人のCDを3巻も借りてきて、
今晩は、ずっと雨の音と共に、この人の歌を聴いていました。
大人の女性の恋の歌はかくあるべきかな、と思うほどの歌唱です。


みなさん、静かな夜をお過ごしください。そしていい眠りを。

http://www.youtube.com/watch?v=FtIEkdTlnC8

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『鳥の歌…命の声』

さて。一回の間を置いて鳥の記事を2つ続けて書いたが、ここで、音楽を紹介。
実は、これは、いつもお邪魔させていただいている乙山さんとららさんの記事からの
トラックバック記事。
…なのですが、どうしてもうまくトラックバックできないので(笑)、
URLを貼り付けさせていただきます。
私の記事を読み終わってから、ゆっくりお訪ねくださいね(笑)。



乙山さんは、パブロ・カザルスの『鳥の歌』。ホワイトハウスでのコンサートの
それを紹介してくださった。
弾きながら興に乗ってくると、鼻歌というのでもない、鼻息というのでもない、
感興の声が自然に漏れてくる、その演奏の凄さを紹介されている。
そうして、その音源の古さについてだが、音楽というもの、素晴らしい録音で
聴くにこしたことはないが、音源の善し悪しなどというものを越えて、
その背後にあるものの凄さを感じさせる演奏がある、ということについて書いておられる。

私が、ディヌ・リパッティというピアニストの音楽を紹介した時の気持ちがまさにそれ。
音楽、文学、絵画彫刻…、すべての芸術に言えることではないかと思う。
一人の芸術家のたぎりでる想い、というものは、表面に現れたものの背後からでも
必ず命の声となって迸りでるものだと思う。
http://flaneur777.blog35.fc2.com/blog-entry-285.html#tb

ららさんは、いつも感性豊かな素晴らしい写真を撮るお嬢さん。
優れた写真をお撮りになる方はたくさんいらして、それぞれに私は好きだが、
ららさんの写真には、風景にしても鳥や植物などの生きものの写真にしても、
何かいつも私は、無音のはずの写真から、この地球にあるものの
『いのちの声』『いのちの歌』というようなものを感じ取る。
水芭蕉の群落を見て、…、まあ、その感受性の豊かさというか、この場合は、
ららさんの感性のかわいらしさというか…は、実際にららさんの写真と
文章をご覧ください。
http://lalala0o0o0o2.blog47.fc2.com/blog-entry-354.html#trackback-top
http://lalala0o0o0o2.blog47.fc2.com/blog-entry-628.html#trackback-top

お二人だけにということではなく、いつも私を励ましてくださる
ブログ上のお友達のお一人お一人皆さんに、感謝の想いをこめて、
カザルスの国連でのコンサート風景と、別の人の歌を、ここに
ご紹介してみたいと思う。

『鳥の歌』は、カザルスがチェロ曲として編曲して世に出し有名になったが、
本来は、スペイン、カタロニア地方の民謡。
歌の中身は、『イエスの誕生を祝って鳥たちが喜びの歌を歌っている』というような
内容のクリスマス・キャロルだという。
フランコ政権の圧制を批判して祖国スペインを去ったカザルス。
フランスに渡るも祖国のことは忘れられない。そして、母親と妻の生まれた地である
プエルトリコを終生の地に選ぶが、祖国への想いはいつも熱く彼の胸に内にあった。
望郷の想いと、祖国の平和と、自由と平和が世界に訪れることを願って、彼が演奏し続けた曲。
ほぼ、一世紀を、世界の平和を願って戦い続けた人が、国連デーの折のコンサートで、
自分のその願いを語って演奏する。
このとき彼は95歳直前。おそらく往年の名演奏に比べれば、もうよれよれと言っていいかもしれない。
でも、そんなものを超えるものが、ホワイトハウスでのコンサート、この国連でのコンサート
にはあると思う。
ひとという存在の凄さを否が応でも感じさせられる映像である。

歌の方は、これもスペインの女性歌手。どういう経歴の人か調べたかったけれど、
スペイン語なのでわからなかった。でも、とても歌唱力のある人だと思う。
ローザ・ロペス?の同じページに、バルセロナのモントセラト少年合唱団の歌う『鳥の歌』
もある。これが本来のカタロニア民謡、クリスマスキャロルかと思う。
これも美しいのでよければお聴きください。少年の大写しの顔のです。

『鳥の歌』…

私はホトトギスの鳴き声にしても、ウグイスにしても、日常聴けるヒヨドリの声にしても、
その声を聞き、喉の奥から絞り出すようにして歌うその姿を見ると、
「ああ、あれは素晴らしい『いのちの声』『いのちの歌』だ!といつも思う。

そうしてまた、ヒトという生き物のつくりだす作品の中には、この『鳥の歌』のように、
その人の命の叫びのほとばしりでるような作品や演奏が必ずあるものだ。

私はそういうものを耳にし、また目にするとき、ああ、生きていてよかった!
生まれてよかった!と、この世に生を受けたこと自体への感謝と喜びを
しみじみ思うのだ。



http://www.youtube.com/watch?v=rt9iz3xApVg

http://www.youtube.com/watch?v=_OMq1MDDjMQ


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『鳥の歌』 その一

昨晩もまた、上空を過ぎていく、ホトトギスの声を聞いた。

毎年ホトトギスの声を聞くたびに同じことを心配する。
彼は、恋人を見つけられるのだろうか、と。
おそらく我が家の上空を飛んでいるホトトギスは一羽の雄である。
彼が恋の歌を歌う相手の雌は、はたしてこのあたりにいるのであろうか。
彼は、姿のない恋人を、虚しく求めて飛び回っているのではないだろうか、と。

いのちの限りを尽くして歌っているような、その物悲しいほどの叫び声…



私の家の辺りは、緑は多いが、それでも、環境としてはやはり他の地域と同様、
さまざまな動植物の生息を許すような複雑性がなくなってきているように思う。
植物は、外来植物が古くからあったやさしい草を駆逐していっている。
虫もそれにつれて、数も種類も確実に少なくなっている。

ホトトギスはウグイスなどに托卵する鳥である。
これを残酷として、ホトトギスを憎む人もいなくはないが、
それがその鳥の習性であるならば、ホトトギスに罪はないものを。
でも、我が家の近くで聞く春のウグイスは、おそらくただ一羽。
同じ鳥であるように思う。
このウグイスがいなくなれば、ホトトギスも…
いやいや、単にテリトリーの関係で、一羽の声しか聞かないのだ、と思いたい。


私は自然は好きだが、ぼうっとしているので、科学的な観察ということができない。
いつも、勘で、自然の変化を感じるだけである。
私だけの感覚であるから、誤っていることが多いだろう。
それでも、案外的外れでない観察をしていることもあるのではないだろうか。

数年前、なんとなくなのだが、「最近、雀をあまり見かけないな」とふと思った。
自分がただ外に出なくなっているからなのかな、そう思って、深く考えないでいた。
すると、北海道でスズメの大量死、という新聞記事が出た。
北海道の雀の死も、はっきりとした原因は突き止められなかったようだし、
まして遠く離れた東京でのこと。まったく関係ないのかもしれない。
関係ないのかもしれないが、もしかしたらあるかもしれないではないか。
北海道の出来事の原因だって、はっきりとは解明されていないのだ。
案外私の直感は当たっていて、その年に東京でもスズメの数が
実際、減っていたのかもしれないではないか。
雀の数の統計が取られているわけではないようなので、
もしかすると私の直感も当たっていたかもしれない。

何にせよ、身の回りの、それまで親しんできた昆虫や鳥たちの声や姿が
見聞きできにくくなるというのは、寂しいことである。
レイチェル・カーソンの『沈黙の春』ではないが、あるときふと気づいたら、
鳥の声も虫の音もしなくなっていた、などということが起きたら、本当に怖いことである。

気候変動や農薬の影響などという、そういう怖いことではなくても、
ささやかな人間の行為によって、すぐに明らかに影響が出ることもある。

一つの例だが、私の長年の友であり、仇でもあるヒヨドリ。
これが我が家の周りであまり飛び回らなくなった。
原因はおそらくはっきりしている。
隣家の大きな、杏の木が切り倒されたからである。
一年前、我が家のベランダから見えた、春の景色。


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この素晴らしい杏の木はもうない。
根元から切られてしまった。
隣家の人は、広い庭も割合自然のままにしておく、やさしい植物好きなひとなのだが、
その隣人が、この3月。杏の花がもうすぐ開くだろうという時に、
木を切り倒してしまったのである。
驚いた私がベランダ越しに事情を聞くと、もう隣家の人は老夫婦だけになって、
庭の手入れも思うようにできない。杏も花のころはいいが、秋になると
大量の落ち葉を、隣近所にまき散らす。近所に迷惑をかける。
木の勢いも弱まって、去年は殆ど実をつけなかった。
だから、切るのだというのである。

隣近所、というが、我が家は、特に私は、落ち葉などちっとも気にしない。
毎年、見事な杏の花を楽しませてもらっていたのである。
誰か、違う隣近所から、落ち葉のことででも苦情が来た?

「もったいないですよ~。あんなに綺麗に毎年咲いてくれて、私、花の季節を
楽しみにしていたんですよ。」
そう、遠回しに、杏の延命嘆願を言ってみたが、木を切る作業は止まなかった。
がっくりしてしまったが、隣家の庭のことである。
切らないで、と私が強く言う筋合いのものではない。

切られた後の画像は、悲しいのでここには載せない。

そうして…、ヒヨがあまり来なくなったのである。
実はこの杏の木は、ヒヨの見張り場であった。
彼はいつも、この木の高い枝にとまって、キーヨ、キーヨ!と
テリトリー宣言をしていたのである。
そうしてそこから、我が家の窓をかすめるようにして、びゅんびゅん飛び回っては
他の鳥をことごとく追い払い(笑)、生まれたばかりの蝉を空中でキャッチして、
バリバリ食べたりしていた。
そのヒヨの鳥影が我が家の窓先をめったにかすめなくなってしまった。むろんその声も。

では、ヒヨがどこかへ行ってしまったのか、というとそうでもないらしく、
昨日、20メートルほど離れたお宅の、高い松の木で鳴いているのを見た(笑)。
まぁ。よかった!

それにしても、ヒヨの声の聞けない窓辺は寂しいものである。
まして、もし来年、ホトトギスの声を聞くことがなくなったら…
…そんな寂しいことはあってほしくない。


…そんなことを記事にしていた雨の日の今日。
ヒヨがびゅんびゅん、我が家の窓のそばを飛び回っていた(笑)。
雨をものともせず、キーキー鳴いて。
存外に、自然はたくましいものなんだな。

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『泣いて血を吐く…』

今年もホトトギスの初音を聞いた。
と言っても、私にとっての初音だが。

2,3日前、午後、用があってあって出かけたとき、
自転車に乗って、家の一つ先の角まで来て、ふと自転車を停めた。
ホトトギスの声だ!

毎年今頃、いや、いつもはもう少し遅いかな、夜、し~んとした部屋に
一人で起きて本など読んでいると、窓の外の上空をホトトギスが
一声、悲しげな声で鳴きながら渡っていくのを聞く。

『テッペンカケタカ!』と聞きなしされる声は、一人の夜を
さらに物悲しくするような、何やらこの上なく寂しげな鳴き声である。

母が昔、よく、母子二人の生活の夜話に、このホトトギスの話をしてくれていた。
母の生まれた九州の山奥に伝わる民話。似た話はあちこちにある。
私が中学のときには、国語の教科書にも載っていた。

貧しい兄弟がいた。兄は目が見えない。
弟は毎日山に出ては、山芋を掘ってきて二人で食べる。
その年は、作物は不作で、山芋も探しても細い固いものがわずかに掘れるばかりだった。
弟はいつも兄にいいところを食べさせ、自分は尻尾の固いところばかりを食べていた。
ところが目の見えない兄は、弟が自分に隠れて美味しいところを食べて
いるのではないかと邪推する。
そうしてとうとう兄は弟を殺して、その腹の中を探ってみる。
ところが弟の胃の中から出てきたのは、硬い小さな芋の尻尾だけだった…

「それで、その兄さんは、後悔して後悔して、泣きに泣いているうちに、
とうとうホトトギスの姿になってしまって、それで夜な夜な、
弟の姿を探し求めて、夜の空を飛ぶんだよ。
あんまり泣いたから、ホトトギスの喉は赤いんだよ。
『鳴いて血を吐くホトトギス』、と言ってね。」

そんな悲しい話を子供の頃から聞いていたものだから、
ホトトギスの声は、私には母の思い出とも重なって、常に物悲しく聞こえる。
でも、深夜、その声を聞けば、「ああ、今年も来てくれた!』と嬉しいのである。

珍しく今年は、その声を昼間聞いた。
高い空のどこを行くか、姿は見えなかったが、声は明らかに。
ああ、いいなあ。
ホトトギスの声は大好きだ。

私にとってのホトトギスの声は、弟を探し求める声でもなく、
中国の故事にあるように、死んでホトトギスの姿になった望帝杜宇が、
自分が再興した蜀の国が秦に滅ぼされたのを知って嘆き悲しみ、
「不如帰去」(帰り去くに如かず。帰ることが出来ない。)と鳴きながら血を吐いた
と伝えられる、その声でもない。
『ひらすら恋人を探し求める、生きものとしてのせつないほどの憧憬の声』である。

ああ、彼は、今年恋人に巡り合えるのであろうか…
こんなに森も林も少なくなってしまったが…


百人一首のこの歌も好き。

ほととぎす
鳴きつる方をながむれば
ただ有明の月ぞ残れる   
(後徳大寺左大臣)


この歌や、『菜の花や 月は東に 日は西に』などという句などを思い浮かべると、
鯉のぼりもそうだが、かつて日本人は、自然の中にゆったりと身を置いて、
大きくものごとを捉えていたんだなあ、と、きわめて近視眼的になってしまった
今の暮らしぶりのせせこましさを、ふと情けなく思ってしまう。

http://www.youtube.com/watch?v=UbdGxgxbBEc
(動画は koimo9koimo さんのものを使わせていただきました。)

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『封印』




一つ前の記事。

お読みになった方はおわかりになるだろうが、
記事の一部を、ここであらためて封印する。

母という一人の女の想い…。


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白い花だと思っていたけれど、
母は熱い、火のような女だった……




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ジャンル : 学問・文化・芸術

『 旅人追想 』  まれびと 其の三

前回、前々回と、『まれびと』をテーマに書いてきた。
この、『まれびと』と、『閉ざされた村、もしくは町』の人々との束の間の触れ合い、
というものは、昔から文学作品などや映画などにも題材として使われている。
オペラ『蝶々夫人』のピンカートンなども蝶々さんにとっては『まれびと』。
実在のラフカディ・ハーンやシーボルトなども、節子さん、お滝さんにとっては『まれびと』。

最近見た映画の『刑事ジョン・ブック/目撃者』。
警察内部の犯罪を目撃してしまった幼い少年を守るために、彼の生まれ育っている
アーミッシュの村に入り、そこに身を隠しつつ犯罪を暴こうともがく
刑事ジョン・ブックなどは、アーミッシュの人々にとって、
とりわけ、少年の母で、ひそかに彼と想いを交わし合うことになる美しい
アーミッシュの女にとっては、まさに『まれびと』。
キューバ革命の活動家の妻と、アメリカ人ギャンブラーの叶わぬ恋を描いた
『ハバナ』も、そうかな。
『カサブランカ』のイングリッド・バーグマン演ずるイルザも、
ボギー演ずるリックにとって、訪れて去っていく『まれびと』。
追い求めても手には入らぬ夢のひと、なのである。

土地に縛り付けられ、一生をそこで過ごす運命のもとに生まれた者にとって、
たまさかその地を訪れた旅人は、見知らぬ土地の話、遠い異国の香りを
運んで来てくれる、一種の異人である。
彼は、世界には、別な暮らし方、別な生き方があるのだよ、ということを
土地に縛り付けられたものに、垣間見せてくれる。
見知らぬ土地、違う暮らしへの憧れは、時に、そのまれびとその人への憧れに
姿を変えて、「この人が自分を見知らぬ世界へ連れ出してくれるかもしれない。」
という、恋心に変質することもありうるのではなかろうか。
しかし、『まれびと』は去っていく。『まれびと』は一つ所にとどまらないのである。
ラフカディオ・ハーンのように、節子さんと結婚して、日本の名を得、
日本という異国の地に住み着いても、『まれびと』のこころは、いつもたびびと。

まれびとが去っても、残された者の毎日の暮らしは続く。
でももう、それは、まれびとが来る前と同じではあり得ない。
いっそ外の世界など知らなければ、一生を同じ土地で暮らして安穏な気持ちで
いられたものを…。



『まれびと』というものを、私が体験的に実感したことがあるような気がするのは、
母の育ちを幼いころから聞いていたからかもしれない。

母は私が生まれた『上の屋敷』に嫁いでくる前は、そこからさらに車でも1時間以上かかる
深い深い山懐の村で明治43年に生まれた。
生家は、平家の落人の末裔と言われている旧家。
今ではどうなっているか知らないが、母が子供のころは数年に一度、直系の子孫の
名を書きこむ系図祭りが一族の者を集めてとり行われていたという。
蔵には、先祖の使用した鎧兜などが大切に保管されてあった。

母は昔がたりに、自分の生家のことをよく話してくれた。
古い大きな家。屋敷の裏手はものすごい急な崖になって下に落ち込んでいて、
崖には樹木がうっそうと茂って、あたりを小暗くしている。
その樹木の隙間から、崖の下を覗き込むと、恐ろしくなるほどはるか下に、
白く泡立つ急流が、まるで竜か何かの大きな長い生き物のように
音たてながら流れているのが見える。
その白い流れの水は、流れのすぐ上を飛ぶ小さな羽虫を落とすほど
夏でも冷たかった。手を入れると切れそうなほど冷たかった、という。
しかもそれは、炭酸を含んでいて、白く泡立ち、飲めばまさに炭酸水の味だった。

落人が隠れ住んだくらいだから、近辺にはその一族の者しか住んでいない。
訪れてくるものもめったにいない。
深い深い杉の林と急な渓谷と、僅かに一族の者が何代もかかって山の斜面を
切り開いて作ったささやかな段々畑と…。
そういう僻地の村で母は7人姉弟の次女として生まれ育った。
たくさんいる弟妹の守りで、母は小学校も半分くらいしか行っていない。
病弱な母親に代わって子守や家事をやる日と学校に行く日を、
長女と交代で日を決めて分担していたからである。

めったに訪なう人もなく、小学校すら毎日はいけない。
そんな『ケ』ばかりの日の母の暮らしの中で、わずかに訪れるささやかな『ハレ』の日。
そんな日の一つに、年に一度、大きな風呂敷に荷物を背負って、村々を訪れる薬売りや
呉服の行商の老人の訪れる日があった。
彼らが運んでくる、見知らぬ土地の話…。
特に呉服の行商人の来る日は、近在の女たちが母の家に集ってくる。
風呂敷包みをほどくと、そこにはありとあらゆる年代の人のための反物が
入っている。女子供向けの美しい反物もある。
盆、正月、そしていつか来る自分の嫁入りの日…
そうした数少ないハレの日のための櫛や笄の類の綺麗な装飾品も
彼は小引き出しに入れて運んでいる。
それは山育ちの若い娘たちにとってどれほどまばゆい憧れの品々であったろうか。

母は特別な美人、というほどではなかったが、若いころから山育ちにしては
日焼けもせず抜けるように色が白く、髪は豊かに黒く、眉は筆で描いたよう。
目は大きくはないにしても切れ長の涼しげな目で、まあ、そこそこに
美しかったようだ。

母はそんな山奥の村に娘として長じて、やがてある日、馬車に揺られて父のもとに嫁いだ。


その母の生家のあった山奥の谷あいの村を、なんと今回の旅で
私は車で通ることができたのである。姪夫婦が気をきかせてくれた。

ああ!
そんなところを訪ねる機会が生きているうちに訪れるとは思ってもみなかった。
その場所さえ私は正確に知らなかったし、家を継いだ叔父はもう早くに亡くなっていたので、
親せきづきあいなどというものは、母が生きていたころでさえなくなっていたからである。

母の話の通りに、それは急峻な谷あいの村であった。
深い杉やヒノキの木立。深くVの字型に切れ込んだ谷!
覗きこんだはるか下方に、母が言った川と同じかどうか知れないが、白く流れる渓流がある!
車が通る道は切り開かれてはいても、通りかかる車など一台もなく、
谷にもささやかに切り開かれた山の斜面の畑にも人っ子一人見当たらなかった。

私は写真を撮るのも忘れて、ただ立ち尽くしていた。
なぜか知らぬ土地、という気は全くしなかった。
母の気配がそちこちに残っているような気がしたのである。

小さな体に赤ん坊を背負い、山道を行く母の少女時代の姿が暗い林の奥に
見え隠れするような気がした。
小柄だけれど敏捷な、働き者の娘。山道もとっとと駆ける。
母の少し荒くなった息遣い、その軽やかな足音までがどこからか空耳に
聞こえてくるような気さえした…。

ああ。もうこれでいい!
故郷の廃家への旅は終わった!

…そんな想いを私はそこで味わった。

なんでその時写真を撮っておかなかったか、と後で悔やんだが、それでよかったのだろう。



母の人生…。


よくよく考えてみれば、誰か特定の資格なり資質を持つものが、閉ざされた村に
しがみつくように生きる人々にとっての『まれびと』になりうるのではなく、
私たち、人間という存在のひとりひとりが、実は、この世に稀有のごとくして
生まれおちた、そうしていつかここを通り過ぎていく美しい旅人、すなわち
『まれびと』であるのかもしれない……。


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『まれびと 其の二』

今日はテレビの話。
最近のテレビ番組の騒々しさに、テレビをほとんど見なくなってしまった私だが、
NHKだけは時々観る。

先日BSの方で、『関口知宏の中国鉄道大紀行 最長片道ルート36,000Kmをゆく』
というのをやっているのを途中から見た。
私はこの番組が好きである。毎回見続けていたわけではないが、たまたまやっていれば必ず見る。
関口宏氏の子息、関口知宏という人がなかなかの好青年で、彼が、中国の広大な大地を、
ひたすら鉄道に乗り続けて片道切符の旅をしていくというもの。
第一回チベット自治区ダサを出発し西寧を経由して始まった旅は、延々36000キロを
鉄道で乗り継いでいく、という壮大な企画である。

途中から見たので、よく詳しいことはわからなかったが、今回見たのは、
その最終回の旅、であったらしい。
長い長い旅の最終目的地はカシュガル。カシュガルは広い広い中国の西の果て。
新疆ウイグル自治区の西南部に位置する街である。
彼はカシュガルから460キロの距離にあるアクスの駅にいた。
アクスは、ウイグル自治区を東西に走る南疆鉄道の駅。
南疆鉄道は、 往年の天山南路に沿って伸びており、天山山脈の南麓、
タクラマカン砂漠の北縁を通っている。

私は中国の地理には詳しくなく、その遠さが実感としてわからないが、
まあ、とにかく中国の最奥地の旅である。

私が見始めた時、彼はある村の、綿花の畑の中を歩いていた。
どこまで行っても広い中国の大地。だだっ広い平地にポプラと白樺の木が
ところどころに散在する寂しい農村。

綿花畑の中で、一人の女性が、黙々と綿を摘んでいる。
関口知宏が挨拶の声をかける。
いぶかしげに固まってしまう女性。年の頃は20代後半くらいか。
このあたりの住民の90%はウイグル族であるという。
人種的にはモンゴロイドとコーカソイドの混血であるといわれるだけに、
中には中国的な顔と言って私たちが普通にイメージする顔と大きく違い、
ヨーロッパ人に似た顔立ち、金髪、碧眼の人等も多くいる。

綿花畑の中に一人たたずんでいたこの女性も、どちらかというと、
ロシアの農婦のような顔だちをしていた。
太陽と風と寒さに曝され続けて、毛細血管が浮き上がったような、赤い頬っぺた。
がっしりとした体躯。他の土地との交流もない小さな村で一生を過ごす人間に
よくありそうな、用心深い、やすやすとは見知らぬ人を受け入れぬような厳しい顔である。
頭には、トルストイの『復活』のヒロイン、カチューシャなどがかぶっていたのではないか、
と思われるように、髪の毛は大きなスカーフですっぽりとくるんでいる。

いぶかしさで言葉少ない彼女。
それはそうだろう。村人しか知らない、その村人さえおそらくきわめて少ない
辺地の村に、いきなり、日本の一人の青年とNHKの取材クルーが大勢
乗り込んだのである。世慣れない彼女が戸惑い、警戒するのは無理はない。

関口知宏は、構わず、いつもの人懐こい笑顔を浮かべながら、
綿摘みの手伝いを申し出る。
「なんであなたが?」と警戒心丸出しの彼女。
最初はとってもぎこちない。関口も綿を摘む動作が頼りない。
綿自体は柔らかいものなのかもしれないが、植物そのものは、からからに
乾燥して、茎や枯れた葉は手を傷つけそうである。
現に、ここまで来る途中の列車に乗り合わせた綿摘みの出稼ぎの少女たちの手は、
作業で荒れているなどという生易しいものではなく、薬が塗りこめられているのが
逆に痛々しかった。

NHKに限らず、どこまでこういうドキュメンタリー番組に演出の手が
加えられているか、視聴者の私たちにはわからない。
だが、まあ、番組を素直に信じるとすれば、それから関口知宏青年は、
広い綿畑で、何一つ覆うもののない、最果ての地の太陽と風に曝され続けながら、
彼女と二人、太陽がポプラ並木の向こうに低く落ちて、あたりが夕闇に
包まれ始めるころまで、一緒に黙々と綿摘みをした。

私が面白いなあと思い、また、人間の愛しさに胸をギュッとわしづかみにされたような
想いになったのは、彼女の顔の変化である。
彼女が、薄暗くなりかけた畑で、摘んだ綿を関口青年と同じ袋に詰め込む。
その時に彼を見上げる目が、もう、恋する女の眼になっていたのである。

それは私も年はとっていても女なので、直感でなんとなくわかる。

スタッフが最初に彼女に声をかけて、関口青年が綿を摘み始めた時。
彼女の顔は、「いったい何をしに来たの!」といういぶかしさでいっぱいの顔であった。
厳しい環境に生まれ落ちて、そこで一生を過ごすよう半ば運命づけられている者の、
余所者を容易に受け付けない厳しい顔。

それが、まるで13,4歳くらいの乙女のような恥じらいを頬と目に湛えて
関口青年を下から上目づかいで見るように、そこまでわずかな間に変化していたのである。
ああ、あの目つき!
なんといじらしい、恋する乙女の必死の眼差しではないか!

二人が綿を摘んで、同じ袋に入れる…
それを畑の端の方の道を行きながら、遠く眺めている一人の現地の若者がいた。
「あの青年は、この彼女をひょっとしたら、想っているな」
私はそう思った。

まれびと……

そう、関口知宏という、はるばる日本から取材の旅にやってきた青年は、
彼女にとって、そうして、そこで遠くからこちらを伺うようにしていた若者にとって、
まさに、『まれびと』以外の何者でもない。

彼らは多分、この新疆という辺境の地に生まれ、そこで育って、
おそらく一生そこで暮らす。
朝早く綿摘みに出かけ、一人綿摘みをして 、夕方になって暗くなると仕事をやめて帰る。
毎日はその単調の繰り返しである…。

稀に、稀に、祝い事や不幸、祭りなどの村の集まりがあるにしても。
よそからふらりと訪れて、ほかの土地の香りを運んでくる、本当にたまさかの旅人というものは、
土地に縛り付けられて生きる者にとっては、自分の生活に新しい刺激と息吹を
注ぎ込んでくれる、一種の神のような存在なのである。
それが異国の、明るい人懐こい笑顔をしたハンサムな青年の姿をしていたとしたら、
どうして、若い娘がそれに恋せずにいられるだろうか?

でも、旅人は長くその地にはとどまってはくれない。
彼はまた旅を続けて、彼女のもとを去っていくのである。
そうして、また別のどこかの地に、神のように降り立つのである。
それが『まれびと』というもの。


ああ、せつない!
私は26,7かなと思われる、その純朴な娘の心のうちのせつなさを想い、
一人でほろりとしていた…。

行きずりの神に恋してしまっては……

ところが、ところが、である。
いよいよあたりが暗くなって、一日の仕事を終える時間が来たとき、
彼女の夫が、彼女を迎えに来た!

がくッ!(笑)
私っていつも考えすぎ?想像を働かせすぎだな。

あの、恋する乙女の目つきは何だったの?
いやいや、彼女は絶対に関口青年に束の間の恋心を抱いた。
あの上目遣いの甘い目つきで青年を見上げる時の
彼女の笑顔、彼女の仕草の一つ一つが示しているもの。
あれをどうして恋でないなどと言えようか。
(…、とまあ、勝手に私が想像したわけなのであるが…。)

でもここで私が言いたいことは、恋でなくても別にいいのである。
関口青年が旅をするその行く先々で、彼を「まれびと」のように迎え、
歓待し、心を寄せ、親しみ、別れのときには涙を流さんばかりに惜しんだ
老人や子供、婦人たち、男たちなどが数限りなくいた。
そこには、日本と中国の間の戦争の忌まわしい記憶や政治的な駆け引きなどは
まるでなかった。ただ笑顔と笑顔が触れ合うだけ。懐かしさと懐かしさが出会うだけ。

人というものはいじらしい生き物であるとしみじみ思う。

あるいは。である。あるいはあの彼女は、関口青年との
綿摘みの日の奇跡のような思い出を、一生その胸に大事に大事に抱いて
これからの人生を過ごしていくかもしれない。
あるいは。あるいは荒れた農地で彼と束の間触れ合い、その姿を
絵に描いてもらった老人は、青年を遠い異国の自分の孫かなにかのように、
折にふれ、懐かしく思い出し、それを幾度となく反芻するのかもしれない。
旅人は、何事もなかったかのように、次の土地へとまた旅を続けていく。
しかし、その訪れは、ライ・クーダーがキューバの老ミュージシャンたちにとって
そうであったように、確実に、訪われたものの生活と意識を変えてしまうのである。
自分の一生のうち、そう何度も起こることのない、
たぐいまれな、宝石のように美しい思い出として。


『まれびと』…
あなたは人生でそのようなひと、あるいはものごとに出会ったことがありますか?

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『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』 まれびと 其の一

想いをうまく伝えたくて、何回か筆を入れて書きなおしています。
音楽、静かな夜にイヤホーンなどつけてお聴きになってみてくださると嬉しいです。
若い方にはどう響くのかなあ。




キューバ革命前夜の頃を舞台にした映画を、立て続けに3本見た。
団塊の世代に属し、学生運動などを肌で感じ取って来た私には、
フィデル・カストロ、チェ・ゲバラなどという名前と、キューバ革命という言葉は、
やはり懐かしさ以上のある種の憧れと痛みを感じずにはいられないものである。
映画は、革命側の視線で描かれたもの、というよりは、
革命前のバティスタ政権下で、うまい汁を吸っていたマフィア組織や
ハバナの熱く燃える夜の雰囲気を描いたものである。
革命前の不穏な時代の空気と、夜の世界で生きる者の非情な掟とがあいまって、
どれもどこか甘く切ないすてきな映画だった。

もっとキューバに関する映画や音楽を知りたい、と思って検索などしていると、
ある映画にぶつかった。

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

この映画はアメリカのギタリスト、ライ・クーダーが
たまたま耳にしたキューバの老ミュージシャンたちの音楽に惚れ込んだことから始まる。
彼はつてを辿ってそれらの老人たちを一人一人探し出す。
もうとっくの昔に現役をやめてしまった者、細々と演奏を続けていた者…
いずれにしても、彼らの多くは世間から忘れ去られていた。

その彼らが、旅人ライ・クーダーの眼にとまったことによって、
再び、ミュージシャンとして集結。ライ・クーダーとのセッションが実現する。
それをきっかけに吹きこまれたレコードは1997年のグラミー賞部門賞を受賞。
アルバム名は、これらの老ミュージシャンたちの多くが1940年代キューバにあった
音楽クラブの会員であったこと、
ハバナに『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』というダンス・クラブが
実際にあって、そこで演奏されていた古き良きキューバ音楽を再現しよう、
という、その目的に由来している。
その一連の出来事をヴィム・ベンダースが監督した映画が、1999年の、この
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』である。
一種のロードムービー。

映画は、カストロとチェ・ゲバラの思い出の写真から始まリ、
ミュージシャンの一人、ギタリストのコンパイ・セグンドがブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブの
跡地を探すシーンに続く。まあ、このコンパイ・セグンドが
年をとっていても粋なこと!
ライ・クーダーが再びキューバを訪れて、イブライム・フェレールの歌を録音する。
アムステルダムでの感動のコンサートシーン。
世間からほぼ忘れ去られた老ミュージシャンたちが、
どういう音楽人生を辿ってきたかが、そのあと一人一人、簡単に紹介されていく。
ストーリーらしきものは何もない。
ただ、簡単な彼らの独白と、演奏シーンなどだけ。
でも、一人一人の顔と演奏が素晴らしいのだ。
長い長い人生を生き抜いた、その歴史の刻み込まれた顔。顔。
70歳,80歳という高齢のミュージシャンたちとライ・クーダーが、
最後にカーネギー・ホールでのコンサートを実現させるそのシーンまで、
全編を通じて、古典的伝統キューバ音楽が流れ続ける、いわば音楽映画である。
でも、退屈しない。深い深い映画。

…と、知ったような口をきいているが、私自身、今回初めてそれらのすべてを
知ったわけで。
でも、このアルバムと映画は、知る人ぞ知る、名アルバム、そして映画音楽の名作なのである。
私がただ知らなくてこれまで来て、今回初めて知って、感激してこれを書いているだけなのだが
それでも、もう一度取り上げてご紹介する価値はあるだろうと思う。

何に感激したか、というと、そのキューバ音楽の演奏の素晴らしさにも
勿論感激したのだが、何よりも、人の人生の味わいというか、
「ああ、人生ってなんと奥深くて面白いものなのだろう!』というそのことに
感動した気がするのである。

民俗学の考えに『まれびと』というものがある。
柳田國男や折口信夫が折に触れこれについて書いているが、
『稀人』というのは、山に生まれ山に生きた『山民』、農業などを営んで
里に定着した『常民』に対し、士農工商の身分制度から離れて生きていた
『辺界の人々』、旅に生き旅に死んでいく遊行の民のことを言う。

元旦に門付けをして歩く万歳、獅子舞など、神事を司る遊行の人々。
まれびとは、土地にしばりつけられ自らは動くことの少ない常民のところに、
神の代理人として、あるときにふらりと訪れる。
常民にとって、まれびとの訪れは、一生に数度、あるいは一生に一回しかないかもしれない
稀な出会い、稀な奇跡の日である。

私は、これらの老ミュージシャンにとって、ライ・クーダーは、
まさにこの『まれびと』のようなものであったのではないかと思うのだ。
かつてキューバがアメリカの強烈な影響下にあった頃。
華やかなダンス音楽が流れ、人々が正装して群れ集い、カジノで遊び、
酒を飲む。裏で暗躍するマフィアも。
そんな時代のハバナのダンスクラブ『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』。
その頃名演奏をしていたミュージシャンたちも、今は歳をとり、
思いだしてくれる人もほとんどいなくなっている。
・・・そこに、まさにまれびとのように、ライ・クーダーという神が訪れ、
彼ら老人たちを発掘し、再び明るい陽のあたる場所にひきだし、
なんとカーネギーホールでの演奏、というところにまで連れていってくれるのである。
ボーカルの中心メンバーとして全編を通じ、出演するイブライム・フェレールという
失礼ながら、一見あまりハンサムとは言えない(でも、彼はほんとにいい顔をしているのです)
だが素晴らしい表現者である老人が、
カーネギーホールでの演奏を前にして(?)夜のニューヨークを歩く。
華やかにネオン輝く夜のマンハッタン。
ライ・クーダーに見出される前、彼は音楽もやめて靴磨き職人をしていたという。
彼にとっては、一生夢に見た街、遠い遠い手の届かぬ憧れの街である。
そこを、なんと自分が実際に歩いている。
カーネギーホールでのコンサート!この自分が!
…その信じられないような奇跡!

そこでの演奏を最後として、老齢のため亡くなっていく者も出、
このメンバーでの『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』は事実上解散するのである。

この人生の不思議なドラマ!
彼らとライ・クーダーの出合いは、ひとつの奇跡。

それにもう私は感動してしまったのである。

長々と書くより、実際に聴いていただきましょう。
これらの音楽を聴きながら、カリブ海の荒い波頭が堤防にぶつかり
高い波しぶきをあげているシーンを思いだすと、キューバに行ったこともないのに
なぜか人生というものの愛しさに泣けてきてしまう私です。
人の人生、ひとつの国の歴史…

『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のテーマ曲とも言えるこの曲から。
http://www.youtube.com/watch?v=UhHWhRTkVBE

http://www.youtube.com/watch?v=b7huuRDyeQw
二曲目。タイトルの『ベインテ・アニョス』は『二十年』という意味。
あなたに死ぬほど愛されたあの遠い日。20年という歳月がもとに戻って
あなたにまた愛されたら…と、切々と女ごころを歌う。

最後は、映画には使われていないが、カーネギーホールでのコンサート収録曲。
女性ボーカルのオマーラ・ポルトゥオンドの歌唱が素晴らしい。
ピアノのルーべン・ゴンザレスは映画ですでに80歳くらい。
でも、ピアノに向かうと鬼気迫る演奏をしている。

http://www.youtube.com/watch?v=gZbEC5th9ao

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『一人で映画もまた楽し』


この頃、一人で映画に行くことを覚えた。
…まだ3回ぽっきりだけど。

観たもの?
『This Is It』と『アバター』と(笑)。
最近観に行ったのは、古いモノクロ映画で、『鉄道員』。

若い皆さんは勿論ご存じないでしょう。
1956年のイタリア映画。
製作カルロ・ポンティ
監督・主演ピエトロ・ジェルミ
音楽カルロ・ルスティケリ。

映画を見たことのない方でも、テーマ曲はどこかで聞いたことがあるかも。
http://www.youtube.com/watch?v=1QhnSON63_U


頑固一徹で酒飲みの父親をピエトロ・ジェルミが自ら演じる。
50歳のマルコッチは鉄道の機関士。
彼は自分の家庭が崩壊しかかっているのに気付かない。
長男は働かず、長女は、妊娠して仕方なしに結婚しては貰うものの夫との間は
うまくいっていない。
ただ一つ希望だった赤ん坊は死産してしまい、若い夫婦は
さらに心が離れてしまう。満たされない彼女は昔の男友達と不倫。

それを知った父親は彼女を打擲。娘も止めに入った長男も家を出ていってしまう。
残されたのは、マルコッチと、辛抱強い妻と幼い末っ子サンドロだけ。

家長のマルコッチ自身も、自らが列車の操縦しているときに飛び込み自殺の
男を轢いてしまう。列車を再び動きださせるも、茫然としていたマルコッチは、
駅で赤信号を見落とし、あわや別の列車と正面衝突という
不始末を起こしてしまう。彼は厳しい取り調べの末、機関士の職からはずされてしまう。

おりしも、鉄道会社の労働組合は、待遇改善を求めて全面ストライキに入っている。
愛する仕事を奪われ収入も少なくなっていたマルコッチは、スト破りをしてしまう。
ストは成功。喜びに沸きかえる労働者たち。
だが、マルコッチは、『スト破り』として、もう仲間には入れてもらえない。
酒におぼれ、家にも帰らないマルコッチ・・・。

イタリアンリアリズムの名作と言われる映画。
これでもかこれでもか、というくらい、次から次に、マルコッチの一家には
悪いことが次々に起こる。
映画は幼いサンドロの視点で描かれる。

最後は、崩壊しかかったこの一家が再び、クリスマスの夜に
皆集まって…、というところで、父マルコッチは亡くなってしまうのだが、
救いはあるものの、まあ、何とも暗いテーマの映画である。

今のひとが観るとどうなのかな。あまりにも、型どおりの不幸で単純すぎるように
思うかな。私も、久しぶりに劇場で見ていて、最初のうち、そう思った。
でもやはり、いつの間にか涙が頬を伝っていた… 。

考えてみれば、派遣切りの嵐の吹き荒れていた昨年、一昨年。
正社員でも突然失職 、という悪夢が現実であった日本。
今だって、景気は完全に回復しているわけではなく、『鉄道員』のこの一家と
同じような悲劇を経験した家庭もたくさんあったのでは。

でも、何かが決定的に違うのだな。
一つは、映画の作られた1956年ころは、まだ皆が貧しかったということだ。
今は、一部生活に苦しむ人がいるとは言っても、全体としての生活のレベルは
昔と圧倒的に違う。

いま一つは、だからこそ、今の貧困には救いがないということだろう。
皆が貧しかったころ。そこには人の助け合いや共感という人情が溢れていた。
映画は救いのない状況を描き出していても、そこにはこの人情の温かみが
濃く流れて、見るものはそれにどっぷり浸かって涙を流せるのである。
今の貧困には、そういうウェットなところがない。
人の視線は乾いている。
『自己責任』などという冷たい言葉がまかり通って、何か人のこころは
殺伐と乾いて来てしまっている。

そう思ってしまうのだがどうだろうか。

と言っても私が昔に帰りたい、というわけではない。
末っ子のサンドロはちょうど私と同い年くらいである。
私も、職のない兄が自棄酒を飲んで暴れたり、姉が恋破れて子供を堕胎するのなどを
幼い目で見てきた。兄が金を得るために、血を売って来た日のことなども。

映画は甘く悲しく悲惨を描く。でも、現実の悲惨は、決して美しいものなどではなかったな。

それでも不思議。やはりいい映画はいいのである。
滴るような親子の情愛。隣人たちの温かさ…
音楽が何しろ魂を揺さぶる。
そうしてサンドロのけがれなき目の美しさ。

長女役を演じたのは、シルヴァ・コシナ。
グレース・ケリーやエヴァ・ガードナーなどとは違う、親しみやすい美貌かな。
でも、そう役に恵まれた女優さんというわけではなかったような。
時代のお色気路線に飲み込まれてしまった感がある。
知的な顔立ちの、演技もうまい女優さんであったと思うが、残念なことである。



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さて。次の一人映画は、何を観るのかな…。
まだわかりません。

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『花のように美しい女性(ひと)』②

映画の記事が少し続くかも。
あなたの無聊な時の慰めになれば、と思って書いています。
あなたが別に無聊をかこっていらっしゃらないなら、好奇心でどうぞ。


大輪の花のように美しい女性(ひと)…

YouTubeを覗いているうちに、面白い画像を見つけたので、アップしてみます。
好き嫌いは別にして、これぞ私が言う、昔型の豪勢な美人、というひとの
映像を見つけました。
本当に『豪勢』過ぎて、食傷するかもしれないくらい(笑)。
実は私も、前は、ちょっときつい顔立ちかなと思っていたのですが、
今回その桁外れの美貌を再認識。
あまり化粧の濃くない時の、やさしい表情をしている時の顔を
見てください。本当に綺麗です。
こんなひとがそばに立ったら、さぞかしどきどきするだろうなと思います。
狩猟と豊穣の女神でもある、月の女神アルテミスもかくや、
と思うような、ある種人間を越えた美貌。大袈裟すぎかな。

でも、このひととシャロン・ストーンの類似性を挙げて、
「僕は(私は)若い頃のシャロン・ストーンの方が綺麗だと思う」
とコメント書いてる人がいて、それに対し、また
「確かに、シャロン・ストーンは美人ではある。
だけど、このひとのあまりに美しくてあきれて顎がたれてしまうような
美しさはシャロンにはない。」という反論があり、笑ってしまいました。
this wow-jaw dropping effect ねえ。
なるほど。本当に豪勢に美しすぎて、「わ~!」と言ったきり
顎がたれてしまいます(笑)。

誰のことかは、見てのお楽しみ。好き嫌いは勿論あると思いますが。
私は、1:14、1:27、2:43、6:39などの時の、
素顔に近いやさしい顔が好き。

さあどうぞお楽しみください。
歌はアラン・スーション他。

http://www.youtube.com/watch?v=E8Bilsz7x5s

テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

『花のように美しい女性(ひと)』

狭い庭だが、今年も牡丹の花が咲いた。
全部で5輪。一番大きい花は直径20センチほどもある。

2010_0428_114444-CIMG1921_convert_20100502163448.jpg

私は思春期になって、自分の顔や姿の美醜が気になり始めた頃、
この牡丹や、大輪の薔薇などを見ると、いつもこんなことを考えていた。

「『花のように美しい女』と、よく女性を花に例えるけれど、
花のように美しい女などというものは、本当にいるものだろうか…。」

自分自身はというと、情けないことに、自分の理想とする女性の美の基準からは、
あちこちの造作が大きく外れていた。
まず、色が白くない。痩せていて、胸が小さい(笑)。
思春期の頃はそれが悲しくて、もっと綺麗だったらなあ、と思って
鏡をのぞいてはため息をついていた。
世の中には美しい人がたくさんいる。そういう人はいいなあと思っていた。
そして、「花ほど美しい女性などいるものだろうか」などと考えていた。

確かに、花でも花によっては、それに似た人はいる。
コスモスの花のようにはかなげで楚々とした女性(ひと)はいそうだし、
ひまわりのように明るい女性。
パンジーのように小柄で可愛い女性。

しかし、しかし、である。
綺麗なひと、と、大雑把な言い方をするが、牡丹や薔薇ほど美しい女性はいるだろうか?

2010_0428_114308-CIMG1918_convert_20100502163739.jpg

この大写しの牡丹の花をよく見てください。
なんと豪華に美しいのでしょうか!
しかも、薔薇もそうだが、この牡丹、馥郁たる高貴な香りを持っている。
これほど美しい女性がいますか?
体自体からこんないい香りをさせる女性がいるだろうか?…

私が「花は人間より美しい」と高校生の頃思ったのにはもう一つ
理由があって、人間は「ものを食べて、排泄する」!(笑)
この「排泄」ということに、思春期で潔癖だった私は、いつもやるせなさと
情けなさを感じていた。
「ああ、人間はなぜものを食べて、そうしてトイレに行かなければ
ならないのだろう!」と。
変な高校生でしたでしょう(笑)。

でも世の中には、本当に、妙な表現だが、体の隅々まできっと綺麗なんだろうな
と思わせる、本当の美人というものがいるものである。

母一人子一人の生活で、映画を観に行くことなど考えてもみなかった私だが、
『スクリーン』など外国の映画雑誌は時々見たりしていた。
1950~60年代のヨーロッパやハリウッドの女優さんたち。
本当に綺麗だなあ!と思わせられる人がたくさんいた。
イングリッド・バーグマンやオードリー・ヘップバーン。
ヴィヴィアン・リーやキム・ノヴァク、スザンヌ・プレシェット……

シルヴァ・コシナ、ジーン・セバーグ、エレオノラ・ロッシ=ドラーゴ、
ロミー・シュナイダー、アヌーク・エーメ、ラナ・ターナー、……
これらは私好みの女優さんたち。綺麗なだけでなく、何か内面の深い雰囲気を
漂わせていたひとたち。

ただ綺麗なだけでなく強烈な個性を持ったひともたくさんいた。
ソフィア・ローレン、シャーリー・マクレーン、ローレン・バコール、
ジャンヌ・モロー、……

本当に百花繚乱という感じ。

その中でも当時二大美女、と言われていたひとが、エリザベス・テイラーと
後にモナコ王妃となったグレース・ケリーである。 

たくさんこうやって、かつての美しい女優さんたちの名を挙げても、
若い方々は殆どご存じないだろうなあ。
その美しさが言葉では伝えられないのが残念である。

で、久しぶりにちょっと似顔絵を描いてみた。グレース・ケリー。

繧ケ繧ュ繝」繝ウ0001_convert_20100508102940


描いていて、ほんとにこのひとは綺麗だったんだなあとあらためて思った。
似顔絵を描くとき、描く者の視線は、描かれているものの細部を眼で撫でるように
見ながら描く。グレース・ケリーの眼、眉、鼻、口、顎の線……
まあ、なんて綺麗な目なんだろう!
これ、つけまつげじゃないなあ。なんて睫毛が長いんだろう!
まあ、眉のラインの美しいこと。そしてまぶたの綺麗なこと!
う~ん、鼻筋が通ってるなあ。でも、決して高すぎない。
秀でた額の美しいこと!またこのひとは髪の毛が見事なブロンドで、
それを美しくカールして、一部の隙もない髪型なんだよな。
このひとはちょっと顎がしっかりしているんだよね。
でもそれが意志の強さと気品を逆に醸し出してるな。

そうして、何より驚嘆したのが、その唇の美しさ。
少し薄めの唇。なんて綺麗な上唇のラインだろう!
まあ、そうして、下唇のやわらかそうなことったら!
ああ、この唇の感触を絵で表すのは難しいなあ。
でも、本当、完璧な唇。この上なく美しい唇だよなあ…
カトリーヌ・ドヌーブってグレース・ケリーと細部が似ているな。

そんなことを思いながら描いていく。
似ているかどうか?
グレース・ケリーをご存じの世代の方に判断していただきましょうか(笑)。

しかしながら、60年代後半~70年代に入るころから、ハリウッドもヨーロッパも、
正統派美人ではなく、ジェーン・フォンダやミア・ファーロー、キャサリン・ロスなど、
個性派女優の時代にだんだんなっていく。
そうして、グレース・ケリーのような正統派美人はだんだん少なくなっていってしまう。
要するに、映画俳優が『スター』という高嶺の花の存在ではなくなり、
より、普通の人に近づいて行き始めるのだ。

ファニーフェイスとか、個性派、演技派女優男優を重用する流れは、
今もハリウッドで続いているのではなかろうか。日本も然り。
ざっと見渡しても、『これぞ正統派美女』と言えるような女優さんが、
今はハリウッドであまり見かけられなくなった気がする。
綺麗でも、どこかに癖があったりして、欠点のない美女というひとをなかなか思いつかない。
二コール・キッドマン、シャロン・ストーンなどの顔立ちは、昔がたの美人女優の
顔立ちだが、何かが違うなあ。
ウィノダ・ライダー、メグ・ライアン、キャメロン・ディアス、シガ二ー・ウイーバー、
グウィネス・パルトロウ……、みな美人女優というよりは個性派女優さんだよなあ。

と言っても、私が美人女優好みで、個性派が嫌い、というわけでは全くない。
女優としてのグレース・ケリーを特別好きというわけではなかったし、
私が好きな顔立ちは、ロミー・シュナイダー、シャーリー・マクレーン、
ローレン・バコールなど、個性の強い人たちが好きだった。

ただ、こうやって、絶世の美人女優が少なくなった、と嘆くのは、
世に『高嶺の花』とか『憧れ』とか言うものが、もう少しあってもいいような
気が少しするからである。
『隣のお姉さん』のように親しみやすい顔立ちの女優さんもそれはいいが、
『はるかに憧れる美しきひと』という、手の届かない存在がこの世に
あってもいいような気がするからである。


5月。花々が咲き乱れ、我が家の庭に牡丹の花が開くと、
いつもそんなことを思う。

『花よりもなお美しいひと』…誰かご存知でいらっしゃいますか?



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『鯉のぼり』

昨日から少し風邪気味。心にも多少の屈託がないわけではないが、
折角晴れた五月の日に家にばかり閉じこもっていてもと、散歩に出た。
いつも紹介するうちの近くの川原では、今、鯉のぼりの川渡しが行われている。
もう、日本全国のあちこちの川で行われているので珍しくもないが、
これは、川沿いの町の町会などが、子供が大きくなっていらなくなったりした鯉のぼりを
各家庭から寄付してもらって、川にロープを渡してつるし飾るもの。

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私の家の川向かいの町は、なかなか町会活動が盛んで、桜の季節になると、
先日紹介したように、桜並木に赤い提灯を灯してライトアップしたり、
また端午の節句にはこうして、鯉のぼりの川渡しを企画する。
規模はまあさほど大きくはないが、川の大体2つの橋の間くらいに
そうだなあ、何匹くらい掲げるだろうか…200~300匹くらいはあるかな、
真鯉、緋鯉、子鯉、そうして吹き流しをつるす。

橋のたもとには、これも町会の人々が綿菓子、焼きそば、などの屋台を用意して、
子供らが群がる。まあ、ささやかなお祭りである。

ところが2年ほど前から、この屋台などに加えて、ここでよさこいソーランを
やるようになった。
今日も、鯉のぼりの写真を一応撮っておくかなと思って、橋の袂まで行ってみると
まあにぎやか!
よさこいソーランの歌がすごいボリュームの音で流され、そろいの衣装を身にまとった
人々が町民センター前の道路で踊っている。多くの見物人も群がって。

私は、今日本全国で大流行の、このよさこいソーランというものがどうも好きでない。
夏の祭りの季節がくると、あっちの町でもこっちの町でも、よさこいソーラン祭りが
催される。それぞれに揃いの派手な衣装を着た婦人たちが幾組も、踊る順番を待って
待機しているのに行く手をふさがれて、私はいつも、あああ、などと思いながら、
そこを大回りして素通りする。踊りを見る気もしない。
「…ソレソレソレソレ!』などという掛け声が後ろから聞こえてくる。
この掛け声もどうも……

なんで嫌いなのかな、やってる本人たちは楽しいのだろうな、とは思うが、
音楽といい踊りといい、何より、暴走族の特攻服を思わせるような衣装が
どうもなあ。

でも、高知のよさこい祭り、北海道の『ソーラン節』は別に嫌いではないのである。
よさこいソーランが苦手なのだ。
私はひねくれ者なので、一体に、流行しているものが苦手。

でも、鯉のぼりは違う。
鯉のぼりは、私はこれは、日本が世界に誇れる文化の一つだと思っている。
何より発想のスケールが大きいではないか。
後漢書にある、鯉の滝登りが立身出世を象徴するという考えを敷衍。
川で泳ぐ鯉を布で作って、それを5月の空に泳がせるという発想。
それがすごい。


2010_0503_151410-CIMG1946_convert_20100505012526.jpg

今日はあまり風が強くなかったので、鯉は五月の薫風をはらんで
天高く泳ぐ、という感じではなかったけれど、
それでも、鯉のぼりを見るたびに、この発想はすごいよなあ、と思わざるを得ないのである。

日本の文化はどちらかというと、盆栽やトランジスタラジオなど、
ちまちましたミクロ視線のものに特質美質があるというように思われがちだが、
なかなかどうしてこの鯉のぼりの発想はスケールが大きいではないか。

私はこの鯉のぼりと花火は、江戸時代に発展をみた2大壮観だと思っている。
花火の文化もすごい。
もともとは日本発祥ではないにしても、大きく菊花を咲かせるいわゆる割物花火というやつ、
その大きさ、色の複雑さ、変化…、日本人は花火を、世界で最も優れて華麗な花火芸術にまで
発展させてきた。

鯉のぼりと花火。どちらも、大空をその舞台としている。
気宇壮大でいいなあ。


唱歌『鯉のぼり』の歌詞もまたいい。
『屋根より高い…』もいいが、私はこちらの方が好き。

甍の波と雲の波
重なる波の中空を
橘香る朝風に
高く泳ぐや鯉のぼり

http://www.youtube.com/watch?v=C6pB0SCgTm4


ところでこの小さい橋には、近辺の幼稚園保育園の子供たちが作った小さな
鯉のぼりも飾ってあり、夜になるとそれらもライトアップされる。
なかなか綺麗である。その写真も撮っておけばよかったな。
陽が落ちて、ライトアップされているけれど人気のないこの橋を
通っていると、カジカガエルが綺麗な声で鳴くのが聞こえて来て、
初夏の気分をかきたててくれる。
それもまたなかなかいいものである。

[追記]
ちょうど新聞の地方版にここの記事が出て、それによれば、
鯉のぼりの数は700匹だそうです。結構な数ですね。

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『夏畦』

『夏畦』……

夏の畦。
夏の強い日差しに照らされて水がぬるくなった田に、
青々と健康に育った美しい稲が、高原の風にそよいでいる風景が浮かぶ。
細い畦道には人の足に踏み潰されて丈が短くなったスズメノテッポウや
エノコログサ、オオバコなどが、びっしり生えている。
人の足の届かぬあたりには、少し丈の高いギシギシや、
ミゾソバ、イヌタデ、ゲンノショウコ、ママコノシリヌグイなどが…。
風が少し強く吹くと、田んぼの泥のかすかな匂いと、若い稲の
すがすがしい香りがたちあがる…

おっといけないいけない、また脱線するところだった。
夏の田んぼの植物のことを書きたかったわけではないのである。

夏畦。
実はこれは私の叔父の名前である。父の弟。
夏のあぜ、と書いて『なつね』と読む。

今からおそらく90年以上も前。九州の山村に生まれた男の子につける名前としては
とても洒落た名前ではなかろうか。
今でこそ、子の名前に親が凝るようになって、聖羅だの海斗だの、大翔と書いて「ひろと」
だの、凝った名前、いやちょっと凝りすぎで読めないわというほどの名前が多いが、
明治末年か大正初めごろの男の子の名前なんて
~太郎だの~次郎だの、三太だの、生まれた順番がすぐにわかる名前や、
子だくさんで苦しい親の願いを込めて末吉だの、ひどい場合には捨吉だのと
いった、手っ取り早いつけかたの名前が多かった時代である。

農家の子だから夏畦…。それも即物的な名前じゃない?と思われるかな。
それでは、司峰はどうだろう。
峰を司る、と書いて『つかね』と読む。
夏の九州の、なだらかだけれども幾重にも重なり合う壮大な山々の峰。
それを司る、というのだ。なんとスケールの大きい名前ではないか。
実はこれは、もう一人の父の弟の名前。
90年以上くらい前の男の子の名前。

私の祖父母は、そんな時代にそのような辺鄙な村で
いったいどういう考えを持った人々だったのだろう…
私の父の名前は?ここでは言えないが、なぜか彼だけ平凡な名前である(笑)。

祖父母は、自分たち自身は尋常小学校しか出ていない明治の人たちであったが、
理想は夏の峰のように遙かに高く、子供たちにできるだけの教育を
施したいと願っていたようである。
その証拠に、この辺鄙な山里から、司峰叔父と夏畦叔父を東京に
勉強に出している。
司峰叔父は法律を少しかじって官吏に。そして、夏畦叔父は……

陸軍士官学校または大学受験を目指して、東京の中学で勉強していた。
中学と言っても旧制中学。今でいう中学と高校一、二年くらいに当たるかな。
殆どの人は尋常小学校卒。よくてその上の高等小学校卒。
中学校、しかも東京の中学校に行く人なんて、その当時の村では
異例のことだったのではなかろうか。
大正15年のデータで、尋常小学校から旧制中学に入る子の比率は、3.6%だったという。

夏畦叔父は、勉強の傍らある官立病院でアルバイトをしていたが、
そこで結核に感染してしまう。
そうして志半ばにして九州の故郷の村に帰ってきた。

前の記事で姉の描いた、私たちの実家『上の屋敷』をご紹介したが、
画面右隅に、蔵が建っている。
志やぶれた若い叔父は、この蔵の二階で、一人暮らすことになった。
母屋には、私の父母、そうして幼い女の子たちが3人いたので、
それに結核を感染させないためであった。
当時、そのような僻村でどの程度の医療が受けられたものか。
夏畦叔父は、間もなく結核で亡くなった。そうして、母屋に住んで、
病人とは接触のなかったはずの、私の姉(次女)も間もなく結核で亡くなった。

姉の描いた絵で、母が一人、前の畑で麦わら帽をかぶって農作業をしてる。
姉は事実を意図せぬままに案外正確に描いたのだろうと思う。
この家で、働き手はほとんど母一人であったのである。

祖父は若いころ働き者のやり手であったが30歳くらいの時にもみ殻が眼に入って、
田舎のこととてその手当が悪かったか、失明。後にもう片方の目も悪くなって、
その頃はまったく見えなくなっていた。だから農作業はできない。
本来一家の大黒柱であるはずの父は、いわゆる長男の甚六。
祖父母に大切にされて育って、釣りをしたり、尺八を吹いたり、
将棋を指したり、弟たちと一緒に英語をかじったり、と言った風流人ではあったが、
農作業に熱心ではなかった。
母が目の不自由な舅と結核の義弟。三人の幼い娘たちを抱えて、ほとんど一人で
きりきり舞いしながら家を支えていたのである。

夏畦叔父が帰ってきたその当時も、母はこの前庭、裏の庭で自家のための野菜を作り、
そうして遠く離れたところにあった広い田数か所で稲を作っていた。
父も働かないわけではなく、夫婦二人が朝早くから田に出る。
母は乳飲み子を背中におぶって連れていく。長女は小学校。
その間眼の見えない夫と結核の三男と、二番目の小さい孫娘の面倒をみるのは祖母の役目。
ところがこのひと、無類のおしゃれで外出好き。
いい着物を着て、少し賑やかな町に嫁いだ自分の娘のところに遊びに行く。
父の妹のことである。そこから二人でバスに乗って遠くの街まで芝居を見に行ったりする。

母が夕方農作業から帰ってくると、次女がいない。
あわてて蔵に駆けつけると、眠っている夏畦叔父のそばで、小さな娘が遊んでいる、
ということが一回や二回でなくあったらしいのである。

夢破れた夏畦叔父が亡くなって間もなく、この次女も結核でこの世を去った。
もう一人いたその下の妹は、数年後、やはり母が農作業に出ている間に、
父の妹の息子、つまり従兄たちと庭で遊んでいて、地面に落ちた腐った枇杷を
拾って食べ、赤痢にかかって、やはり幼くして亡くなった。
小学生の男の子たちは残酷。自分たちは木に登って新鮮な枇杷を
食べていたが、小さな従妹には採ってやらず、仕方なしに落ちた枇杷を拾って食べたのである。

先にアップした、一枚の素朴な絵。そこに描かれている風景には、
そんな一つの家と家族の記憶のあれこれが籠められているのである。

でも、絵を描いた長姉によれば、夏畦叔父は立派な顔をした、とてもハンサムな青年
だったようで、病を得て故郷に帰って来たとき、長姉はちょうど小学校入学。
その幼い姪のために、若い叔父さんは東京で、ベージュの革のとてもおしゃれな靴を
お祝いに買ってきてくれたそうなのである。

昭和の初年頃。都から遙かにはるかに遠く離れた草深い高原の村。
姉はどれほど誇らしい想いで、その可愛いデザインのベージュの革靴を、
入学式に履いて行ったことであろうか。

いまだに、姉からくる綺麗な文字の手紙には、3通置きくらいに
その靴のことが書いてあるくらいだから(笑)。
残念ながら、私がこの家に生まれるのは遙かに後のことなので、私は
このハンサムで頭のよかった叔父を知らない。

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もう一人の叔父、司峰は?
彼には幼いころ会ってはいただろうが私の記憶には無く、
父がこの高原の村で一人亡くなったその葬儀のとき、殆ど初めて会って挨拶をした。
亡くなった父と瓜二つな顔をしていたのには驚いた。
血液型も、父や私と同じ、O型のRhマイナスだそうで。
一族のうち、この3人だけがこの血液型なのだそうで。


祖父母が下の息子二人に託した、高等教育の夢。
長男であるがゆえに農家を継がざるを得ず、満たされなかった自分自身の
『上の学校に行きたい!』という夢を、兄や私など、自分の子供たちに
託し、農業を捨てて街に出た父と母…。

その夢は孫子の代では叶わなかったが、曾孫の時代にようやくどうにか叶ったかもしれない。
今日、娘は彼氏と共に、九州の私の姉の家に行っている。
そこには、又従兄弟など、若い者たちが、娘が来るということを聞きつけて
京都の大学や広島の企業から駆け付けてくれて、今頃ちょうど酒盛りをしているはずである。
故郷は捨てた、などと意地を張って生きてきた私のせいで、
娘は母方の親戚というものをこれまでほとんど知らず、皆とは初対面である。
でも、会いに駆けつけてくれる…その気持ちが嬉しいではないか。

その光景を見たら、祖父母や父母、そして夏畦叔父などは
どれほど喜んでくれていたであろうか…。


夏畦叔父と司峰叔父…。
その名から何か清々しい想いを抱かされる、私のよく知らぬ二人の叔父たち…。

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プロフィール

彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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