『月見草』

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月見草。
私の好きな花の一つ。
もっと早い時期に撮りに来てやればよかったのに、
葉っぱが虫食いなどになってからでごめんね。
こんなところに咲いてると思わなかったの。

月見草。本当は、白い花で別に月見草というのがあるらしいのだが、
私にとっての月見草はこの黄色い花しかない。
別名、マツヨイグサ。竹久夢二風に言うと、宵待草。
これは、コマツヨイグサの方かな。

本当に月の出を待つように、夕方から朝にかけて咲く。
でも、我が家の界隈では見かけることが少なくなってしまった。
私の住んでいるところは、いつもご紹介するように、草木の多い川べりなのだが、
3年くらい前までよく見かけていたこの花が、めっきりここ2,3年で減ってしまった。

それは、行政、また個人が行う、神経質な川原の草刈りのせいかも。
私がここに越して来た頃は、一年か二年に一度くらいだった川原の土手の草刈りが、
個人でやるものも加えると、年に4,5回は行われる様になったのである。
電動式の、怖いような音を立てる円形の鎌で、花の咲く草もそうでないものも
ウィーン、キューン、ガガガガッ(小石をはねとばした音)と刈っていく。

「あっ、あっ!それは月見草よ!残しておいて!」
そう言いたくても、いつの間にかきれいさっぱり刈られてしまっている。
それが数年続くうちに、一本もいつもの場所に生えなくなってしまうのである。

そのたびに、風情のある植物が消えていってしまう。

以前はあって、今は消えてしまったもの。
れんげ、ホタルブクロ、ネジバナ、野イバラ、木イチゴ、金ミズヒキ…、その他にもたくさんある。
そしてこの月見草も、ほとんど今は生えていない。
この写真は、いつも私が通る道でなく、サイクリングロードに下りて、
草刈り機の及ばない川の斜面にかろうじて刈り残されていたものを撮った。

草刈りをした後の草の匂いはすばらしく、土手がさっぱり明るくなっていいのだろうが、
そうして、危険な蜂など害虫の巣にならなくていいのだろうが、
川原の植物がどんどん淘汰されて、植生が単純になっていってしまうのは寂しい気がする。
散歩をしても、あ!と思うような草に出会えなくなってしまった。

月見草。

ご覧になったことおありだろうか。
今でも、場所によっては、道路わきの草むらなどに生えているかもしれないので、
もし見つけて、ちょうど花が開いている時間帯だったら、ちょっと鼻を近づけて
この花の香りをかいでみてほしい。

あのね。お月さまの匂いがします。

昨日、一昨日は、美しい、ほんとに美しい月が出ていた。
もしあの月に、匂いというものがあるとしたら、きっとこんな匂い!
そう思うような、甘くて気品のある香りがする。

でも、咲くのが日没後から早朝にかけてなので、開いているところを
見るのは少し稀かも。
私の中学校は、なぜか校区の外れの川の河口近くにあって、大抵の子が
毎日3~40分ほど歩いて行かねばならなかった。
旧国鉄の本線と、ある国立大学の広い敷地の間のまっすぐな一本道を
延々と歩いて通う。夏は暑かったなあ。
その線路際の道に、このマツヨイグサがずっと生えていた。
夏は合唱コンクールの練習が本格的なとき。
友とパートに別れて練習曲をハモりながら朝練に歩いて通っていたな。
いつもこの花が咲いているのを見ていたような気がしていたのだが、
私たちが通う頃には、日没後から早朝までの一日花はもう閉じてしまっていたはず。

いつもこの花が見ていてくれた気がするのは…あれは幻だったのかな。


今日朝早く、月見草を撮りがてら散歩してきた。

小雨が降り始めていた。涼しい。
ああ、この涼しさと空気感は、もう、なんだか秋の気配さえする。
単に、先日ウィーンと刈られた芝地が茶色くなっているからだけかもしれないが。



今日の歌。先日もご紹介したヴァンゲリスが若い頃結成していたアフロダイティーズチャイルド
(Aphrodite's Child)の曲。ヴァンゲリスは『ブレード・ランナー』などの作曲をした人。
パッヘルベルのカノンがもとになっているのかな。

今日は全国各地に大雨の予報が出ているようだ…。


http://www.youtube.com/watch?v=nnf7ISLpQdw


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『笑い声』 其の三


私は花火大会というものが大好きである。
一人ででも行きたいくらい好き。
線香花火もいいが、やはり夜空に打ち上げられて豪快に花咲き、消えていくあの打ち上げ花火が。
お腹にズド~ンと響くあの音もたまらない。
毎年、我が家の近くの野球場で花火が上がる。
球場の中は出るときが大変なので、外にいつも決まって花火を見る場所がある。
そこは早くから数十組もの人が敷物を敷いて、ビールを飲んだりしながら
花火を近くで堪能する。
花火大会の司会の女性のうるさい声も、音楽も、ここからならあまり聞こえないで済むし。
あのうるささは願い下げ。

数年前、私の席の隣に、4、5歳くらいの女の子を連れた一家が陣取っていた。
可愛い柄の浴衣を着せられている。その女の子の声がとても美しかったのである。
その子は、花火が夜空に上がるたびに、胡坐をかいた祖父の片膝からぴょんと立ち上がって、
「まあ!きれい!」
「うわあ!きれい!」
と、手を打ちあわせ、笑顔になって、声をあげて感動するのである。
そうして、祖父の方をにっこりして振り返る。おじいさんっ子なのかな。
私は最初のうち面白がって見ていたが、そのうち、不思議な感動が
胸の内に湧き上がってきた。
この子の声の澄んできれいなこと。笑い声の美しいこと!
そうしてその言葉のきれいなこと!
その、ぴょんと飛び上がって手を打ちあわせる仕草の少女らしいこと!

大体、今の人は、あまり「まあ!」と言って感動しないでしょう(笑)。
「うわ!」とか「わあ!」とか「ひええ!」とか「すっげ!」とかは言っても。

一時間半ほどの打ち上げの間中、その子は、「まあ!きれい!」と、
ぴょん!と飛び上がって手をたたきながら言い続けていた。
私の予想に反して、あとになって興奮して疲れて泣きだす、などということもなく…

きっとやさしい祖父母と両親が、大事にやさしく育てている子に違いない。
ああ。いい子だったなあ…。
「まあ!きれい!」…
あの声は本当に澄んで美しかったなあ……

もうじきまた、その花火大会の日がやってくる。
私はもう、ここ数年、見に行っていない…。


              *


梶井基次郎に『城のある町にて』という作品がある。
軽い結核を病み、しかも幼い異母妹を失って傷心の梶井が、姉の住む
伊勢の松阪に療養に行った時のことを描いた作品。
その中の『手品と花火』に、主人公がある夕暮れ、城にのぼって、
遠くの市で上げる花火を見つめる美しいシーンがある。

『星水母ほどのさやけさに光っては消える』…

そんな遠い花火も、私は大好き。
遠く…ぴんぽん球ほどの大きさで、淡く浮き上がっては消える音のない花火。








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『笑い声』 其の二



先日は、灯台やフォッグホーンの記事で、人々の屈託のない笑い声について書いた。
思わずこちらもつられて微笑んでしまうような明るい笑い声。

今日は、私がこの上なく美しいと思う笑い声について。

それは幼な子の笑い声である。
幼な子が、きゃっきゃっと笑う、あの声。
でも、普通の笑い声ではなく…んん~、なんと表現すればいいのだろう。
笑いすぎて泣き出す一歩手前の、興奮した子供の笑い声…。
それを私はこの上なく美しいと思う。


こんなことがあった。
郊外から都心に向かう電車の中。車内は空いていた。
私は座席についていた。
1歳になったばかりくらいの幼な子を乳母車に乗せた若い夫婦が乗り込んできた。
子供が少しぐずり出した。
すると、20代後半くらいの若い父親は、立ち上がると子供をベビーカーから
掬い上げ、『高い高い』を始めた。
「ほ~ら!高い高~い!」と叫んで、子供を天井に向けて抱えあげる。
子供は喜んできゃっきゃっと笑う。
車内の人に顔をしかめたりする者はいなかったと思う。
子供をあやす若い父の姿は美しかったから。

子供が喜んで、若いお父さんはだんだん興奮してきた。
「ほらほらほ~ら!高い高い高~い!それっ!」と言って、
子供をさらに高く突き出す。子供の体がお父さんの手から浮くくらいに。
子供は興奮して、ただの笑い声を通り越して、殆ど悲鳴のような笑い声をあげる。

「今に泣きだすな…。」
経験豊かな母親である私(?)は、微笑みながらも、子供の興奮しすぎを危ぶんでいた。
こういう笑い声を通り越すと、子供の興奮は極まって、大抵最後は泣きだすことで
終わるケースが多いのである。

案の定、というか、若い父親は、さらに高く子供を天井に向かって放りあげた。
「ごちん!」という大きな音がして、子供は頭を天井にぶつけてしまった!
火がついたように泣き出す子供。慌てる父親。あきれて子供を受け取る若い母…。
車内の者は、私を含め、このいきさつを微笑みながら見ていた。

「ああ。なんて美しいのだろう!…」

私は、このような若い父の姿を、いつも極めて美しいものに思う。
町を歩いているときなどに、若い父が一人、子供をベビーカーに乗せて
連れ歩いているのなどを見ると、なぜかいつも感動するのである。
どうしてなのだろう。
ひとりの男の子が、大人になって、家族を持ち、父になり、一家の柱となっていく…
そのことがなにか痛ましいような愛しいような気がするからなのであろう。
Mさん、Rさん…私の愛していたかつての教え子たちが、若い母になっているのを
見たときに感じた痛みと同じように。

そうして、そのような子供の、興奮して泣きだす一歩手前くらいの笑い声を
私はこの上なく愛する。

どうしてか。
それは、この人の世の生が、歓喜と、そうして一抹の不安に彩られていることを、
この幼い子がなぜか予感しているような笑い声に思えて仕方がないからである。


今日の一曲。
子供のそんな美しい笑い声が出てくる映像を。
『日陽(ひび)はしづかに発酵し…』。ソ連のアレクサンドル・ソクーロフ監督作品。1988年。
名作の誉れ高い映画です。
笑い声は冒頭のシーンだけに出てきます。

http://www.youtube.com/watch?v=FFsnCyirUcs


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『Stay Gold』


いつも夏のこの季節になると、思いだして見たくなる映画というものがあります。
それは、少年の日の鮮やかな思い出を描いた映画。
たとえば、『スタンドバイミー』や古くは『エデンの東』など。
だって、夏という季節は、青春の象徴そのものですものね。

その中でも、私が特に好きなのが、この映画です。
『アウトサイダー』。
1983年。アメリカ。フランシス・フォード・コッポラ監督作品。

見たことのない若い方は是非。
後の大スターとなる人々が、ここに集結している、と言っていいくらい、
大勢のスターたちの若き日の姿を見ることができます。

C・トーマス・ハウエル、マット・ディロン、ラルフ・マッチオ、
パトリック・スウェイジ、ロブ・ロウ、エミリオ・エステベス、
トム・クルーズ、レイフ・ギャレット、トム・ウェイツ、
ソフィア・コッポラ…
そしてヒロインは、私の好きなダイアン・レイン…
凄い顔ぶれでしょう。

ストーリーは、シェークスピアの『ロミオとジュリエット』が下書きになっているのでしょうか。
だから、かの有名な『ウエストサイドストーリー』にも似ています。
オクラホマのダラス。町の貧困層の若者のグループ『グリース』と富裕層の若者の
グループ『ソッシュ』が対立を続け、ある夜決定的な戦いになってしまいます。
そうした中で、グリースの一人が死に、一人は警察に追われる身となり、
やけになった果てに意味もない強盗を犯し、警官に銃殺されてしまう…、
そのなかで育まれる恋…
といったような話です。

愚かで軽はずみで衝動的な若者たち。
でも、どうしようもなく切なく、皆がきらきら輝いている…
時は否応なしに過ぎ、若者はその輝きをいつか失っていきます。

ロバート・フロストの詩が象徴的に使われています。

ロバート・フロスト(Robert Frost,1874-1963)

"Nothing gold can stay"

Nature's first green is gold,
Her hardest hue to hold.
Her early leaf's a flower;
But only so an hour.
Then leaf subsides to leaf.
So Eden sank to grief,
So dawn goes down to day.
Nothing gold can stay.

萌えいずる緑は黄金
うつろい易き色よ
萌えいずる葉は花
それも一瞬
やがて葉は葉に戻り  
エデンは悲しみに沈み
暁は今日に変わる
黄金のままではいられない (訳者不明) 


青春の日は移ろいやすくいつか過ぎていく。
だけど、友よ。いつまでも少年のこころを失わないで。

火事になった教会に飛び込んで人助けをして大火傷を負った
グリース団の少年が、親友に最後に残す言葉です。

STAY GOLD.
いつまでも金色のままでいて。








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『音楽の贈り物』 ⑦

記事をいくつか書いたけれど、なかなかそれにぴったりとする音楽というものは
みつからないものです。凝り性のところもあるので、見つかるまで探したくなってしまう。

じゃあ、音楽と記事を切り離せばいいじゃないか、とも思うのですが、
なんだか最近習慣みたいになっているので、音楽を入れないのも寂しく(笑)。

でも今晩は音楽だけお送りします。
こんなのいかがでしょう。

数年前に、娘に教えてもらったグループですが、あまり有名じゃないのかな。
グループ名は、CaliforniaとMixicoの合成語のようで、実際にある地名らしい。
アリゾナ在住の2人組のバンドCalexico 。『Muleta』という曲。
娘はこれを、深夜、ドイツのアウトバーン…どこまでも伸びる高速道路を
走りながら聴いたらしい。黒い森と遠くの原発の灯。
なぜかそれがとても心にせつなかったと言っていました。
確かに、深夜、車を走らせながら聴くといいかもしれません…。


私はこの曲が一番好き。
一週間の疲れた体にも心にも優しく響く曲ではないかと思うのですが。
とっても綺麗な曲。まずはお聴きください。




イヤホンでお聴きになると、良さが引き立つように思います。

皆さま、どうぞいい週末を。


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『一人記念日』

今日はあることの記念日。

でも、祝うのは私ひとりです。
私が勝手に作った記念日だから。

静かな夜…。

もうあれから一年経ったんだなあ。ようやく一年経った、という気もします。


こんなしんみりとした夜は何をかけようかしら。


http://www.youtube.com/watch?v=_NqBWLeP9f4


昨日の夕焼け。

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『父の家計簿』


父は、極めて几帳面なひとであった。
明治の人であったから、学校は高等小学校というところまでしか出ていない。
今で言う中卒である。
でも、大抵の人が小学校で勉強を終えてしまうのに比べれば、まあ
ましだった方かもしれないが。
都会に生まれていれば、そうして家庭の事情が許すならば、もっと上の学校まで
行って勉強したかったに違いない。
漢字などは自分で学んで、本当によく知っていたし、字も達筆であった。
何かあると、近所の人がよく手紙の代筆を頼みに来ていたらしいから。

前にも書いたが、彼は農家の長男。動くに動けない。
しかし、夏畦と司峰という名の二人の叔父は、東京横浜まで出て上の学校で
勉強していた。
その二人がちょうど今頃、夏休みに入って帰ってくると、父は蔵の二階の涼しいところで、
二人に英語などを習っていたという。
きっと本当に、上の学校で勉強したかったんだろうなあ。

何回か書いているので、ご存知の方もいらっしゃるだろうが、父は家族とわかれて後、
一人で仙人のように、高原の村で暮らし、82歳のとき、どうにも体が
云うことを聞かなくなる前に、自分で自分の人生に決着をつけた。

私は、その日の夜、12時近くに、兄から連絡を受けた。
すぐに行こうにも、もう新幹線も飛行機もない。
兄は、どうせもう間に合わないのだから、明日慌てないでゆっくり来い、という。

翌朝早朝。私は夏休みに入ったばかりの小学校5年生の娘を起こし、新幹線に乗った。
小学5年生と言えば、奇しくも私が『故郷の廃家』ブログの最後の記事で書いた、
あの父と私の思い出の夏の、私の年齢と同じである。
それまで私は娘に、おじいさんはもうとっくの昔に亡くなっている、と
話していた。それがいきなり、朝早くたたき起こされて、祖父の葬儀にはるばる
九州まで連れて行かれるのだから、娘は何がなんだか最初はわからなかったに違いない。

九州に入ると、私たちは小学校5年生の時の私が辿ったとは反対側の方から、
父の待つ高原の町に近い駅に近づいて行った。
方向が違えど、丈高い夏草が列車の車体すれすれをかすめ、時折なでしこなどの
やさしい姿が見てとれるのは、25年前とそっくり同じであった。
深い、恐ろしいような渓谷が眼の下を通り過ぎるのも。
最寄りの駅についたのは夏の日も暮れてしまった時間帯だった。
駅から高原の間の暗い暗い道路を縫ってタクシーを飛ばす。
人っ子一人いない夜の暗い高原の上空に、青白い月がかかっていて、
それはなにか、父の死そのものとその時の私の心情のように、凄惨を帯びた風景であった。

まあ、そこからの細かいことは省略しよう。
愉快な話でもないから。

さて。葬儀も終えて、兄と私は後片付け作業に入った。
父がそれまで借りていた家を畳まねばならない。家財道具一切を処分して
家を空にして村に返さねばならない。兄も仕事があるし、娘は林間学校が近づいていたので、
一日半ですべて終えねばならない。
片づけの指揮は兄と、それから父の妹の息子で、小さい頃から兄とは兄弟同然に育ち、
父が非常に可愛がっていた従兄弟が執った。彼はまた、故郷の村に父が一人
帰って以来、本当の息子のように、何くれとなく父の世話をしてくれていた人物である。
長姉はその時体を壊していて、手伝うことができなかった。

父は近所の人に慕われていたらしく、大勢の人が炊き出しなども手伝ってくれていたので、
父が貯めていた道具類や家具などは、近所の人に貰ってもらった。
珍しいオレンジ色のツツジなどの庭木も隣家の人が欲しいというので差し上げた。

父は身ぎれいに住んでいて、布団など新品のものは兄嫁が広島に持って帰るという。
食器類などのめぼしいものはやはり兄嫁がより分けて、残りは近所の人に
貰ってもらった。
町の老人会が毎年送ってよこすシーツやタオルや、何やらかやの品々も、
父の手で、一つ一つの箱に『シーツ。・・年、町からのもの』などといちいち書いてあるのを、
ああ、几帳面だった父らしいなあ、と思いながら、私は涙をこらえて
手早く処分していっていた。それらも兄のところが車で持ち帰る。

『・・・ちゃん。あんたぁ、何か欲しいものがあったら、取り分けといて持って帰りんさい。
私が後でまとめて東京に送ってやるけぇ。どうせここに置いとくわけにもいかんのじゃから、
なんでもどんどん選びんさい。」
兄嫁は目を真っ赤にして、淡々と作業を進める私にやさしく声をかけてくれる。
しかし、私は一切、父のものを持ち帰るつもりはなかった。
私たち母子を捨てた父が憎かったからではない。
この父の死にざま、この寂しい葬儀の後で、そんな恩讐などとっくに私からは消えていた。

私が、「なにもいらない。」と思ったのは、これまで父をひとり、この高原に
住まわせて、手紙一つ、盆暮れの贈り物一つしてやらなかった私が、いったいどうして
父の形見など、貰って帰る資格があろうか!と思っていたからである。
従兄弟の奥さんや、兄嫁は父と連絡もとって、何くれとなくやさしくしていた。
だから彼女たちが皆、必要なものは持って行ってくれればいい。
私はなにもいらない、この父の葬儀のありさまだけを深くこの心の奥に刻んで、
これから一生悔いて過ごすのが、私に課せられた報い……そんなふうに考えていた。

さて、選ぶものを全部選び出した後、あとに残ったガラクタ類は、
兄と従兄弟が、高原の従兄弟の家の空き地に大きな穴を掘って、そこで燃やすことになっていた。

仕分けの最後の方で、「あっあっ!これは私が欲しい!」と、私のこころが叫び声をあげた品が
二つあった。

それは、父の家計簿と父の着ていた黒いとっくり襟のセーターである。

そのタートルネックのセーターは、「父がこんなお洒落なものを着ていたのか!」と思ったから。
だいぶ着こんではあったけれど、綺麗好きの父らしくきちんとたたまれてたんすに入っていて、
虫食いの穴一つなかった。それを着た父の姿、父の香りが想われ、よほど、
「これ、私が貰う。」と言おうかと思った。

私がまだごく幼かったころ。ある冬の夜。父が囲炉裏のはたに座っている。
私は胡坐をかいた父の膝の上にすっぽりと収まっている。
父がふざけて、私の頭の上で顎をカクンカクンと鳴らす。
私は喜んで上を見上げる。その頃すでに半白になっていた父の顎鬚が見える。
手を伸ばして触ってみる。ジョリジョリした感触…。
父の温かい息が私の頬にかかる…
あれはいったいどこでだったのだろう。自分たちの家でなかったことは確か。
長姉の嫁ぎ先の居間ででもあったかなあ。
そんな淡い記憶を呼び起させるような…父の衣服…

もう一つの家計簿、というのは、ただの黒いビニール革の表紙の、B5版くらいのノート。
手早く遺品をより分けている最中にふと手に取った。
開いてみると、父の亡くなる年の、家計簿兼日記であった。
書き込みは、亡くなる前のひと月前くらいまでの日付まで。
ああ、このあたりで父は覚悟したんだな、と思った。
日記と言っても、父の心情などは一切書いてなく、誰それと郵便局で会った、だの、
町会から、タオルを貰った、だの、・・子(長姉の名)が菓子を持ってきた、だの
他愛もない、その日の出来事が一行くらい書いてあるだけ。

あとは、父の几帳面な筆跡で、その日使ったお金の明細が、毎日きちんと
書き連ねてあった。
見れば、「ああ、この日、鯖の干ものを焼いて食べたのか!」などということが
事細かにわかる…。

「これとセーターだけ、貰おうかな」…そう正直思った。
しかし、ちょうどそのとき、兄が、首にかけたタオルで汗を拭き拭き庭からやってきた。
そうして、手をとめてぼんやりノートを見ていた私に、
「さあ、どんどん選んで燃やさんと、間に合わんで。」
と声をかけてきた。私は反射的に、いらないものの山の中に、その2品を
入れてしまったのである……ああ…!

今になって思えば、なんて馬鹿なことを!と思う。
誰に遠慮はいらなかったものを…
でも、私の、もう取り返しようのない父への負い目と、親類の者たちへの
つまらない意地がそうさせたのであったろうと思う。

あの手帳が今でもここにあれば、父の生活の跡をつぶさに想像し、
父がいつでも身近にいるように思えただろうに…つくづく愚かな娘である…。



7月20日。今日は、父の27回目の命日・・・。

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『笑い声』 其の一

先日、灯台の本のことと、世界の灯台の霧笛(fog horn) のことを書きました。
それ以来、私はfog horn というものにいたく惹かれてしまいました。
『霧笛』と言うと、極めて日本の演歌的になって、『夜霧のブルース、男の涙』…
という感じになって、それはそれで私自身はとても好きなのですが、
今日は、世界のおもしろfog horn をご紹介しましょう。

ついこころがほぐれる、そんな映像をご覧ください。


灯台からの霧笛を聞きましょう。
まずはニュジーランドはノースランドにあるマ―ズデンベイ(Marsden Bay)の灯台。
そこのフォッグホーンをお聴きください。

http://www.youtube.com/watch?v=bMIlfL3LDxI

どうですか。今あなたはどんな反応をなさったでしょうか。
私は、フォッグホーンの音そのものよりも、それを聞いて笑い転げる女性の声を聞いて、
思わず引き込まれて笑ってしまいました。
彼女。なんていい人なのでしょう!ヒラリーさんという名前なのかな。
きっと、フォッグホーンが鳴るのを聞くまでは、どんな音だろう、と
真面目に待ち構えていたに違いありません。
ちょうどたった今、あなたがここでそうだったように。

ところが彼女。聞いた途端に笑い出してしまいます。
いい人だなあ、と思うのは、彼女が一所懸命笑いをこらえようとしているところ。
本当はここは笑うところでもないのです。
サウター灯台はサウスシールズ南2マイルのところにあって、マ―ズデン湾の断崖を
見下ろす位置に立っています。数十ダースもの船を難破させ多くの海の男たちの命を奪った
悪名高きウイットバーン・スティールの岩場と潮流のあるところ。
この灯台は1871年に建造され、大事な役割を果たしてきたわけです。
だから、このフォッグホーンを聞いてもそう笑うこともないハズなんですが…。
でも、音のおかしさを我慢して我慢して、ついに吹きだしちゃったこの女のひと。
なんていい人なんでしょう。
我慢のあまり、体をよじらせて笑っています。そしてカメラの外。人のいなさそうなところに
逃げていってそこで笑いを鎮めようとしている。
可愛い人だなあ、と思ってしまいます。見るたび私は吹き出してしまいます。

さて。次のフォッグホーン。
音が大きいので、びっくりなさらないでくださいね。

豪華客船クイーンエリザベス2世号とクイーンヴィクトリア号が、港で互いに
別れを惜しみ合います。こういうフォッグホーンの使い方もあるのですね。
一方は港にまだ停泊。一方は、出発準備が整って、次の目的地に向かって
しずしずと埠頭を離れていきます。
本当なら、ちょっと厳粛な、しみじみと旅情を誘われるシーン。ところが・・・
こちらの船の人々の反応が面白いです。

http://www.youtube.com/watch?v=e5wh098yEwE

どうですか。可笑しいでしょう?

もう一つ、笑ってくださいね。

これには三隻の船が参加します。
まずはカーニバル号が、それからもう一隻少し小さな船が、最後に
デイズニー・マジック号がフォッグホーンバトルを繰り広げます。

http://www.youtube.com/watch?v=yEKMp9bNp5s

ほんとにみんな楽しそう。つられて笑ってしまったのではありませんか?
私も笑ってしまいました。
でも、後で少ししみじみ考えました。

こういうふうに、人生をこころから楽しめるっていいなあ、と。
日本の客船も、こういう風にさばけたフォッグホーンバトルなどをするのでしょうか。
一見ふざけた鳴らし方のようにも思える。悪乗りしてるように思えるかも。
でも、船員も、乗客も、こころから航海を楽しんでいるんですね。
明るい笑い声。もっとやれよ、と励ますような口笛。手を振る人々。
ああ、人生を素直に楽しむってなんていいんだろう!と思ってしまいます。

数年前。私は芦ノ湖を遊覧する船に乗りました。
海外からの団体客が30人ほど乗り合わせていました。英語、ドイツ語、スペイン語…
いろんな言語が飛び交っていました。
彼らが、本当に楽しそうなんです。
ここに出てくるような豪華客船とは比べ物になりませんが、それでも、
そんな豪華客船の旅でもしているかのように。
11月のもう寒い季節だったのですが、デッキに皆で出て、わあわあ言いながら、
向こうの島影などを指して笑いあったりしている。
それが本当にこちらも微笑みたくなるほど、旅を満喫しているふうなんです。
と言って、他の乗客に迷惑になるような騒がしさではない。

私自身は、どちらかというと、糞真面目で、あまり人生の楽しみ方を知りません。
でも、こういうこころからの笑い声を聞いていると、ああ、笑うっていいなあ、と思います。

どうでしたか。少し楽しんでいただけましたか。

最後に、フォッグホーンバトルの豪華客船の、本当に綺麗な映像を。
たまらなく船旅がしてみたくなります。夢でしょうけど…

憂き世の憂さを何もかも忘れて、波を蹴立てていく船に身を任せて…
美味しいカクテルでも飲みながら…

http://www.youtube.com/watch?v=Fpkg4g8peSQ

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『グラマラスな娘たち』



水色シリーズを3つやってきましたが、また水色のもの。
これ、なんでしょう?

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少し引いてみましょう。ああ、これで、なんだかわかってきた。


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洋裁をするとき、洋服を立体的に仕立てるのに必要な、ボディーというもの?
ウエストがきゅっとくびれて、なかなかいいスタイルでしょう。


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全身像はこんな感じ。
これ、実はラジオ。AM放送がちゃんと入ります。
タンゴでもこれから踊る、というように、腰のところに手を回して、
やさしく後ろのダイアルを回すとボリュームを上げ下げ出来ます。
選局は、首のところのつまみを回す。高さは20センチほど。

10年くらい前かなあ。世田谷のボロ市で見つけて買ってきました。
ボロ市。12月15、16日と1月15、16日の年に二回。世田谷で行われる蚤の市です。
ボロ市は、なんと1578年、北条氏政によって始められたという、伝統ある市で、
今も700店くらいが出店し、20万人の人でにぎわいます。
世田谷線という路面電車に乗って、とことこ行く。
私が行ったころは、まだ、木の床の緑色の旧型車両で、チンチ~ン、と発車音を
鳴らしてから走るという懐かしいものでした。



本物のボディーも勿論あります。

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どうですか。なかなかグラマラスな子でしょう。
この子は数年前に我が家にきました。
ウエストのくびれ以外は、大体娘の体の大きさにあっている。


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今日はこんな服を縫って着せてみました。昨日一日で裁って縫った。
吸湿性のいい柔らかい木綿地に、『紅梅』という着物地の端切れを合わせています。
でも、まだ未完成。ボタンがついていません。
これからボタンホールを開けて、合うボタンを探さなくっちゃ。
アイロンかけてピシッとさせて…。
これは娘のではなく、私が自分で着ようと思って縫ったもの。
デートのときにでも着ようかな。…誰と? …くすん。(笑)
どうでしょう。彼岸花さんのイメージ湧きましたか。こんな服、着ます。

青のシリーズはこれで終わります。

さて今朝は、なんの曲をお送りしましょうか。グラマラスなタンゴで行きましょうか。
先日はタンゴ『碧空』でしたが、今日はこちらで。
演奏もちょっと味がありますし、使っている写真がなかなかすてきで面白いのです。
作曲者はウルグアイ、モンテビデオの17歳の建築学の学生だったとか。
本人は、スズメの涙ほどの値で、この楽譜を売りました。
後に、タンゴを代表する名曲、と言われるようになるとは思ってもみず。
写真がいいです。ウルグアイの古い町並みかなあ。

私はこういう古い写真を見るのが大好き。
ジャック・フィニィの物語世界に一気に入ってでも行ったかのように、
心惹かれます。2世紀くらい生きたような満足な気分になります。

 http://www.youtube.com/watch?v=LkfzK_nX-QM





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『海に行きたい』



水色の服。美しい青空…、水色尽くしをもう一つ。
今、こころがすっきりと晴れず、明るくやさしいものを求めていらっしゃるかたに。
海の青を。







旅をしたら、すべての土地が懐かしい思い出になるというわけのものでもなく、
本当に心に残るのは、そのうちのいくつかである気がする。
客観的に見て、素晴らしい土地だから、心に残るというものでもなく、
さもないところが妙にいつまでも懐かしく思えたりする。

また、楽しい旅だったから記憶に残るとは限らず、せつない想いで仕方なく
旅をしたところが、妙に心に残ったりするものだ。

神奈川県、三浦半島にある城ケ島は、私にとってそんな、妙に心に残るところだ。
何が楽しかったというわけではない。行ってごらんになるとおわかりになると思うが、
たいくつな風景でさえあるかもしれない。そんなに見るべきものはないのだ。

それでも私にはなぜか惹かれるものがあった。
とりわけ、途中の、小さな漁船などの並ぶ漁港としての風景に。
典型的な小さな港町。
船溜まりに係留されたいくつかの漁船。
葉山などに見られる遊興用のボートのようにピカピカではないけれど
汚れて古びたものはなく、皆丁寧に手入れされてある。
それらの船腹や埠頭を洗うかすかな波の音。

明るい空気とかすかに漂う腐った魚介の匂い。
我が物顔で通り過ぎる猫。
埠頭のコンクリートに座り込んで、網を繕う日焼けした若者の、
太陽に曝されて赤銅色になった髪とつやつや光る肩。
その膚からは、きっと磯のいい香りがするのだろう。

赤松の林の奥に、平屋建ての診療所のようなもの…。
ああ、いいな!と思ってしまう。

私がここで静かに寂しく晩年をすごせたら…と、そう思うような場所。

辿り着いた灯台のまわりはあまり整備されていなくて、
僅かにある土産物店なども、寂れた感じ。
岩場にはフナムシのようなものがいて、海藻や漂流物の吹き溜まりもある。

…それでも、何か私の情趣をかきたてるものがあるのだった。
北原白秋好きも影響しているのかもしれないけれど。
赤松の林の中のサナトリウムというイメージは、私が小学校2年まで住んでいた温泉街の、
高台にあった平屋建ての療養所。5歳くらいのときに数カ月入院していた、
その療養所のイメージがあるのかもしれない。
明るい海を見下ろす松林の中にあった…。



…もう20年ほど前の旅の記憶。
ああ、またいつの日か、城ケ島に行きたい。






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『音楽の贈り物』 ⑥


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今日の東京の空。
悲しくなるほど、変化に富んで美しかった。
雨が激しく降ってきたかと思うと、さあっと上がって、晴れ間が出て。
虹が出るのではないか、と何度外に出てみただろう。

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あなたが今日、見上げた空はどんなだったのでしょうか。

今晩は、こんな音楽をお送りします。

http://www.youtube.com/watch?v=UDmpRJ6EhUM


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『雨の季節に』

久しぶりにミシンに向かう。

素材はこんな布。
『絽』という、夏の絹。
骨董市の古着屋の、ぼろの中から見つけた。

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素晴らしい柄。
それなのに、なぜ、ぼろ扱いかというと、

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一番大事な、着物の裾模様のところが、汚れて変色して、しかも、あちこち
生地が薄くなって穴あきになっている。
もう着物としては到底売り物にならない状態。
でも私はこれを買ってきて、丁寧にほどいて、ごくごく気をつけながら
洗った。そうして生乾きのうちに熱い蒸気アイロンをあてていわば殺菌消毒。

穴あきの部分は切り取って、はい。こんなブラウスできました。

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娘の、正式な場で気合を入れて語らねばならない時のための、仕事服に。
二枚重ねに仕上げた、やわらかいスカートもお揃いであります。


これから大雨の地方もあるとのこと。
こころに雨の降る人もいるかもしれない…
そんなあなたに、お見舞いをかねて、今日はこの曲を。

http://www.youtube.com/watch?v=lIPan-rEQJA


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『勘違い』

人の気持ちを読むことは本当に難しい。
今度の選挙、なんだか思惑のすれ違いが甚だしくて、それで、見ていて
虚しくなっちゃったんじゃないかしら、などと考えてみる。

まず、第一の勘違い。
民主党は、とりわけ菅さんは、国民が何を望んでいるか、を読み違ったな。
国民の希望は、ひとつの事象にこんなにはっきりと表れているのに。
その一つの事象、というのは、蓮舫氏の、圧倒的高得票獲得ということ。
彼女は、選挙で危なそうな同僚議員の応援に駆り出されて、ほとんど自分の地盤の
東京で、選挙活動をしていない。それにもかかわらず、あの圧倒的勝利。
それは国民が、彼女のこの数カ月の仕事ぶりを大きく評価した、ということの
何よりの表れである。
つまり、国民の意志は、国の経済の安定を望んではいるけれど、それは増税という方法では
まずなく、まず、徹底的に無駄を洗い出してほしい、ということだったと思う。
それを菅さんは読み切っていなかった。

消費税の増税についての、国民へのアンケートの結果を見ると、
増税も将来的にはやむなし、と考えている人が、とりわけ働き盛りの男性などには
多い、ということがわかった。国民はちゃんと現実を見ている。
だから、言われているように、菅さんが増税のことを選挙前にいきなり持ちだした、
そのことが今回の民主党の絶対的な敗因、というわけでもないのではないだろうか。
それならば、同じく消費税増税を考えていた自民党になぜ、今回国民は投票した?

要するに、やり方が、民主党、とりわけ菅さんは下手だったのである。
もうちょっと云い方の順番と比重を変えていればよかったのである。
事業仕分けは、今後も厳しく続けます。
現在のところ数字はこれこれで、今後の見通しは、こうなっていきます…
それをはっきり国民に示して十分に説明したうえで、それでも国はこれだけの
財政赤字を抱えている。将来的には増税も検討せざるを得ないかもしれない。
そうした場合の考え方はこれこれで、私が標榜する通り、貧しいものへの保護を
手厚くするよう、具体的課税率は、一律にするのではなく、こういうふうに、熟慮いたします。

…そんなふうに、最初から言えなかったものか。
そもそも、一律の消費税として、貧しいものからも取る、というのが間違い。

第二の勘違い。
政党支持率の結果の気にしすぎと、読み違い。
これは、民主党と国民。自民党と国民…。いたるところであったように思う。
鳩山さん、菅さん。政党支持率を気にし過ぎて、大事なことを読み違ったのではないか。
まあ、民主党全体がそうだが。
また、もし菅さんが消費税増税発言をしなかったならば、おそらく相当
厳しい選挙戦を戦わねばならないことになっていたであろう自民党、みんなの党、などが、
云わば敵失によって今回の選挙で勝利を収めて、谷垣さんなどが
顔を輝かせながら勝利宣言をしているのなどを見ると、
そりゃ、大きな勘違いですよ、と、大きなため息をつきたくなってしまう。
同時に、民主党の慌てぶりなども。何をそんなにバタバタしているの?

国民は馬鹿ではない。蓮舫議員のように必死で仕事をやっているな、という者には
理解があるし厚い支持もするのである。
だから、高校無償化問題、高速道路料金の問題、事業仕分けが思うように進まぬこと…
官僚との意思疎通や協力、またその悪習の是正、などといった難しい問題が、
マニフェスト通りにはなかなかいかないことを、隠したり、ふらふら方針を
変えたりするのではなく、国民の前に広く実情を明かせばよかった。
そうすれば、国民は理解したはずである。
マニフェストを何が何でも実行する無謀よりも、臨機応変の柔軟な方針返還を
する方の勇気を、国民はこころの奥で望んでいたのではないか。

政党支持率、という人気のバロメーターの数字を気にし過ぎて、
民主党は政権の発足当時から、ちょっと己を見失っていたのかもしれないな、と思う。

それは同時に国民にも言えることで、マスコミが面白おかしく書きたてる、
政党の人気度、というものに、私たちはいつも踊らされすぎるのではなかろうか。

こんなにくるくると政権が代わる国がどこにあるだろうか。
これでは、諸外国は、日本の誰に向かって、経済関係、軍事を含めた友好関係
などの、長いスパンで、長期的な哲学的展望を持って語り合わねばならない問題を、
交渉していいかまったくわからないだろう。
これではそのうち、いや、もうそうなってるかな、日本の外交は世界から
笑いものになって置いて行かれてしまうだろう。

確かになあ。自民党時代から民主党になってからを通じ、ここ数人の歴代総理はひどすぎた。
こんな人物に政治は任せられない。早く、早く、やめさせて!
そう思うような人ばかりだった。

しかし…。ブッシュだってひどかった。イタリアのベルルスコーニ首相なんて、
よく続けさせるよなあ、とはたからは思われる。
けれども、政権は続く。
ろくでもない政治家が総理の座に居座る…これは悲劇である。
しかし、日本の政権交代劇はあまりにも、過剰反応、短絡的にして、
視野が狭すぎの、激しく変わりすぎの…、情けない茶番劇に陥ってしまっている。

こうしょっちゅう、代わっていたのでは、育つ政治家も育つまい。
国民の信を問うのは、選挙や政権の顔を変えることによってではなく、
十分な国会での論戦と、粘り強い政策実行によってであってほしい。
国民は、多少の欠点には目をつむって、(ともなかなか言いにくいが)
もっと長い目で政治家のすることを見ていく必要がある。

パフォーマンスの旨さ。口当たりの良さ。かっこよさ。そんなものはいらない。
一人一人の政治家の発言から、その人間の、その政党の目指す政治の方向を見極めることこそ
大事なのではなかろうか。

それには知識と想像力と忍耐がいる。
『構造改革』という美しい言葉が盛んにもてはやされてきはじめたとき、
国民の誰がいったい、その本質に潜む政治的残酷を想像しただろう。
でも実は、鋭敏ならば、先は読めていたはずである。
現在国民の多くが舐めている苦しみや歪みのある部分の多くがこの時生まれた。
それを直視することなく、またしても、民主党が駄目だからと言って、
安易に自民党に戻っていくのだろうか?
本質はどこにあって、それはどう変わったのだろうか?

この、日本人の、『顔をすげ替えさえすれば、なかみも新しくなる』的な発想。
障子を張り替えさえすれば、部屋が明るくなる。この安上がりな家の構造。
長年日本人は、そういう風にちょっと手を加えさえすれば、表向き
気分が変わって新しく生まれ変わったような気がする、ということを、
殆ど体質的ともいえる習慣にしてきた。
よく言われるように、日本は河川の水が豊か。なんでも汚ないものは
川に、海に流してしまえば済んだ。
『いやなことは、直視せず、徹底的に分析して反省したりせず、とりあえず
水に流してしまおう』的な発想の仕方。
それに私はうんざりしているのかもしれない。
そうして、それは、自分自身の中にも色濃くあるから、余計にうんざりするのである…。

特に鳩山さんの身の処し方を見ていると、ああ、まったく日本人的だよなあ、と
私などは思ってしまった。
したたかでないのである。あっさりしている。そうして、八方美人である。
そうして八方美人であることを隠すこともできず、すぐ見透かされてしまう。
要するにお人よしなのである。
彼には、もう少し詳しく聞いてみたい、理想があった気がするのだがなあ。
そしてそれは最近の日本の政治家としては珍しいことであったのだがなあ。
『国民が私の話に耳を貸さなくなった』という、あの例の発言。
すっかりマスコミなどで笑いものにされてしまったが、私には痛々しい発言に聞こえた。
一国のリーダーとしては確かに彼は弱すぎたかもしれない。

しかし、鳩山さん、菅さんに限らず、自民党政権の時も、何か総理としての
瑕疵が一つ発見されると、寄ってたかって、それを汚して引きずり降ろそうとする傾向。
それで、いい政治家が育つだろうか。

国民全体が、今、短兵急になってはいないだろうか。
拙速になってはいないだろうか。
すぐに効果が上がり、すぐに結果を出すことを求め過ぎてはいないだろうか。
日本だけでなくアメリカなどを見ても、今、世界がそういう風になっているのかもしれない。

安易に首をすげ替えることでは本当の改革は生まれない。
じっくり皆で知恵を持ち寄ること。とことん議論し合うこと。
そうして迅速に行動すること。
その根本に、他者に対する想像力があること。未来に対する理想があること。

…そんなことが大切なんだがな。
なんだか皆がどこかでボタンの掛け違いをしているような…そんな虚しさの残る選挙だったな。
大変なのはこれから。

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『たのみます!』

参議院議員選挙。
この記事を書いている時点で開票はまだ、全部終わっていないけれど、
なんだかすでに虚しいなあ。

国民が一票を投じた結果、沖縄問題や消費税の問題で、ぶれにブレた民主党に
厳しい審判が下った。自民党は失地を回復した。

政権を担当しうる二大政党があって、それが国民の投票行為を仰いで、
政治を交代でとり行う。
それは、議会制民主主義の根本的な仕組みが機能した、ということだから、
いいことなのだろうけれど、そうして、第三の勢力も力を伸ばしてきているので、
さらにいいのだろうけれど…なんだかな、虚しい。

民主党はまだまだ、育つ必要があった。
風雨に曝されてもしっかり大地に根を張って動じずにいられるまで、
もう少し育ててやる必要があった。
政権をとってそれをしっかり運営していける、という見極めがつくまで。

だが、民主党自身のやり方のまずさから、ヒヨヒヨした若木のうちから
激しい雨風にさらされることになって、今、根が浮いてしまいかかっている。
待っていても、これはあまり立派な木になりそうもないぞ、と、国民から
判断を下されてしまったようだ。

しかしなあ。それで帰っていくのが、根っこが古びてもう腐りかけたような、
自民党という古臭い木のもとへ、というのでは、あまりにむなしいじゃないか。
考えてもみてください。自民党は野に下って与党を批判していたけれど、
自らはそんなに綺麗な政党だったんですか。

何より一番虚しいのは、幻想がはかなくも壊れたことである。
自民党に代わって政権を担当しうる政党が育って、そうしてそこで
政治家が研讃しあって、国の政治をよくしていくこと。
ようやく日本にもそういう時代が来た!と思って喜んでいたら、
まあ、民主党のいろいろな懸案への対応のまずかったことったら!
まるで中学生が政治をやっているみたいだった。
ぁ。中学生に失礼かな。
鳩山さんにしても菅さんにしても、自分が総理として口にすることの重みを
もうちょっと考えてほしかった。庶民が酒場で勢いに乗ってしゃべり散らすことと
同じレベルの軽さでは困るのである。
まだ、経験が浅いというか、なんというか…。
嫌いだけれど、小泉さんなどはしゃべることには計算が行き届いてたなあ。

最初の頃のあの希望に満ちた民主党の姿はいったいどこへ?
何が彼らをそうさせてしまったのか。
官僚?経済界からの圧力?マスコミの意図的攻撃?国民の目線?
それとも、あれは単なる幻影だったのか?

ちょっと考えれば、中学生だってわかることだろう。
政治にかかる無駄金を徹底的に調べ上げ、それを綺麗にしなければ、
それには時間がかかるにしても、その姿勢を緩めていないことを国民にしっかり
納得してもらってからでなければ、消費税増税などということを国民が
認めるはずがないってことくらい。
説明不足やブレを一番国民は嫌うのだ、ということくらい…


自分の希望を大きく託したものが、ろくに活動もしないうちから失速していくのを
みている虚しさ…

民主党がだめだった、というだけなら、まだ失望は少ない。
選挙に一応勝った、と言えるのが自民党だから虚しいのである。
あの自民党に帰っていかざるを得ないのか、と思うから虚しいのである。
勢いのあった『みんなの党』も、旧自民党だし。
どこに代わっても同じかあ…そういうしらけ。

それが何より一番怖い。
それが何より一番、国民の感情、空気に影響していく。
これが国民の鋭気を失わせることになっていかねばいいが。
大人ががっかりすれば、子供のところでは、それがいじめや自殺や暴力、
という形で出てこないものでもない。

そんなことにはしてはならない。

厳しく見守り続けていくことしかないな。
政党を育てる。
それしかないのだ。
たのむから、国民はムードに流されないでください。
口当たりのいい言葉や、美しい顔になどごまかされないでください。
今回また、二世議員や、タレント議員が当選しそうである。
やめてくださいよ~!
そういう人たちがいてももちろんいい。参院というところは、そういう
政治家以外の感覚を持った人々もいる良識の府、が本来の役目だから。
でも、投票する側の人は、考えなしにただ有名だから、とか、あの人の子だから、とか
顔や姿がかっこがいいから、ということで投票するのはやめてくださいよ~。

あ~~ぁ。

国民のためのいい政治というもの。………前途遼遠だなあ。
それはありえない幻なのでしょうか。そう思いたくないけれど。
でも、あきらめないようにしましょう。
民主党政治はまだ続くわけだし、これをなんとか立派に育てなければ。
そうして、自民党も、旧悪を簡単に忘れずにこれを正し、そのいいところは
伸ばしていかなければ。
第三の勢力も、みんなの党に限らず、伸ばして育てていかなければ。

かつて、小泉政権が誕生した、あの自民党の圧勝の選挙の後、
自分も自民党に一票を投じながら、「自民党に勝たせすぎた」とインタビューに
答えていた人がいた。
去年の衆院議員選挙で民主党が大勝したときも、そう思った人はいただろう。
今回は、選挙結果に国民はどう反応するのかな。
民主党に厳しすぎた、と反省する?

それはおかしいのである。
そういうことは、国民がある種のムードに酔わされているときにおこる現象なのではないかしら。
自分の投票行動に、確信を持てなければ。
数々の情報を自分で取捨選択し、自分の頭で分析し行動に移すこと。

ああ、難しいなあ。
どうして、庶民の生活感覚レベルではこれがいいと、はっきりわかっていることが、
政治のレベルでは出来なくなるんでしょか。


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『音楽の贈り物』 ⑤

とりとめもなく音楽を聴き漁っている。

自分が同時代人としては聴き逃してしまったもののあまりの多さに愕然とし、
ときに、その音楽の森で途方に暮れて行き暮れてしまったような
気分になることもある。
しかし、これまで自分が全く知らなかった世界が無限に近い広さで
広がっているので、森が少し開けて、明るい木立の間に道が見えるようになり、
その先に広がる草原を予感するときはとても楽しい。

今日も東京は、薄曇りではあるけれど梅雨明けが近いのでは、と思わせるような明るい空。
どこか爽やかな緑の中を、軽快に歩いてみたくなる。
そんな気分の曲を選んでみた。
オリジナルは、1940年にヴィンセント・ローズによって作曲、詩はアル・ルイスと
ラリー・ストックによって書かれ、ヴィクターレコードからトミー・ライアンの歌で
出されている。

エルトン・ジョンのピアノもとても楽しいので、どちらにしようかなと迷ったが、
やはりここはこの歌をビッグヒットにしたこの人の歌で。





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『天使の歌声』?

土曜日の朝。
爽やかに晴れ渡っている。今日は全国的に晴れたところが多いのかな。
夏の到来をおもわせるそんな朝。
今日も、美しい歌をご紹介します。

こんな名前の歌手をご存じだろうか。

ロベルティーノ・ロレッティ。

Wikipedea の『多数の言語版にあるが日本語版にない記事/人物/9言語版』。
そこに彼の名前が出ているくらいだから、海外では知られていても、日本ではあまり
知られていない歌手だったのではなかろうか。
彼が活躍したのは、1950,60年代。
彼がティーンエイジャーだった頃だけである。彼はその、少年の声が売り物だったから。

彼は私より一つ上。まったく同年代だから、もし彼が日本でも有名だったのなら、
私は知っていなければならないはずなのだが、さて。困ったことに、私は昔も今も、
あまり音楽や映画に詳しくないのである。だから、彼について、リアルタイムには語れない。

私は彼を偶然見つけたのである。
自分の心が汚れてきたなと思うとき、自分の心を水鏡のように澄ませたいとき、
私は美しいものに照らし合わせて、それを鎮めたくなる。
無心に顔を洗う可愛いうさぎの顔、ひっそりと咲く花…
素晴らしい歌や映画などの芸術も、そうした力を持っている。
で、イタリア民謡やオペラのアリアなどを聞いているときに、彼の歌声に出会った。

その時私は、カルーソーやデル・モナコ、現代を代表するパバロッティや
アンドレア・ボチェッリなど。世界の至宝とでもいうべき名テノール歌手の歌を聴き漁っていた。

ところがその過程で、ふとロベルティーノ・ロレッティという子供のような顔をした歌手の
写真にぶつかった。よく見ると、まったくの少年である。
が、その歌を聴いてすぐに、胸にじ~んと何かがこみあげてくるのを感じた。
こんな声、聴いたことない。
大人のテノールなら、カルーソーのように卓越した声の歌手は数多い。
逆に、ウイーン少年合唱団のような、美しいボーイソプラノの声も
何回も耳にする機会はある。
しかし、その声は、少年のボーイソプラノでもない、と言って勿論変成期を過ぎた青年の
若々しい声でもない。変声期中の日本の中学生の男の子のような、黄色い声でもなかった。

それは、何とも言えず清潔な、何とも言えず味わいのある、
子供が大人の青年になる前のほんのわずかな間の、奇跡のような、少年期の声。
本当に、『間(あわい)の美』とでも表現したくなるような声である。


まずは、素晴らしい歌声を、じっくりお聴きください。
一曲目は有名なイタリア民謡『帰れソレントへ』。
私がよく水仕事をしながら、無意識に口にしていた曲らしいです。
「らしい」というのは、娘が小さい頃、ママが歌う歌、というと
この曲だったらしいので(笑)。
ロベルティーノ、最初は少年らしくあっさりした歌いぶりから入ります。  

http://www.youtube.com/watch?v=3_0pcI-yHLE

http://www.youtube.com/watch?v=7vqlR-CaBc4

二曲目。Guaglione(ガリオーネ)とは、ナポリの街で、顔見知りではあるけれど、名は知らない、
などという人に親しく語りかける、「やあ、若者!」というくらいの意味らしいです。

彼がどんな人か知りたい方は続きをどうぞ。

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『音楽の贈り物』 ④



今晩も音楽お送りします。

少し寂しげな曲になってしまったかも。
『ブレードランナー』『南極物語』『炎のランナー』などの音楽を
担当した、ギリシャの作曲家。ヴァンゲリスの音楽。
ちょっぴり悲しげではありますが、お休み前に心落ち着く曲ではあると思います。
タイトルは『海の少女』とでもいうのかな。

今日、しあわせだった方にも、今日、ちょっと憂いをおびた方にも…静かな夜を…

http://www.youtube.com/watch?v=6gL3k_tpzPI






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『音楽の贈り物』 ③

梅雨の中休みの快晴。でしょうか?
週の半ばの日の、しかも、そろそろおやつ時。でしょうか?

それどころではない!という方もいらっしゃるでしょうね。

いずれにしても、ちょっと休憩なさいませんか。
久しぶりに明るい音楽を。

1967年のもの。
アンディ・ウイリアムスの『恋はリズムに乗せて』はこれのカバー曲。
でも私はこちらの方が好き。
若い方でも、一度はどこかでお聴きになったことがおありなのでは。
Bob Crewe という人は、ポップスの世界では、知る人ぞ知る、有名なひとのようです。
映画『バーバレラ』のサントラを担当したり、マイケル・ジャクソンなど
数多くのアーティストの仕事にもかかわっているそうです。
私は曲はなんとなく聴き知っていても、その作曲者や背景などを知らないのです。
今回、初めていろいろ知りました。

画像も、当時を彷彿とさせる、レコードラックの写真がすてきです。
ペプシコーラのコマーシャルにも使われたみたい。
編曲が楽しいので、お送りしてみました。







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『母の歌』


前回の記事で触れた『母の歌』。

私にとってはずうっと幻の歌だったが、この記事を書いて、再び巡り合うことができた。
『母の歌』をブログ上で紹介していてくださった、『エムズの片割れ』ブログさん。
トラックバックをお願いすると、快くOKしてくださった。
心から感謝いたします。
先にも書いたように、私は小学校5年生のとき、この歌でNHK地方局の児童合唱団の
オーディションを受けた。
と、偉そうに言っても、私に突出した歌の才能があったわけではなく、
その後は音楽と縁のない生活を送っている。

だからこれは、合唱団の思い出、というよりは、母との思い出の曲である。
小学校の音楽の先生に言われて、オーディションを受けることになったとき、
自由曲に何を歌うか、先生と相談した。
一人一人が講堂に呼び出されて、先生と曲を決めていく。
その春転校したばかりの私を非常に可愛がってくれていたクラス担任の
江藤先生も立ち会ってくれていた。
子供なので、もっと弾むような、明るい歌、美しい歌は他にも選べたと思う。
しかし私は、私を育てるために、毎日毎日頼まれものの縫物をしている母に、
何かの形で感謝を伝えたかった。
曲を選ぶとき、私がこの『母の歌』を歌いたい、と2人の先生たちに告げたとき、
2人ともちょっと首をかしげた。合唱団員試験には、もっと明るい、
もっと子供らしい曲がいいのでは、と思ったのに違いない。
音楽の先生は、私の声質に合いそうな他の曲をいくつか提示してくれさえした。
でも、「とりあえずまあ、試験の練習だと思って、私たちの前でその歌を
歌ってごらんなさい。」ということになった。

季節はちょうど今頃。いや夏休みに入る少し前くらいだったかな。
緑の匂いのする風が吹き渡る、小学校の講堂のピアノで、音楽の先生は、
前奏を弾き始めた。
私が歌い終わったとき、2人はにっこりして、「これで行きましょう!」と言ってくれた。

さて、これが私がその時歌った『母の歌』。
作詞:野上弥生子、作曲:下総皖一、歌:桑名貞子。

『エムズの片割れ』さんのブログで、昭和34年発行の小学5年生用の音楽の教科書に
この歌は載っていたこともわかった。私の学年の一学年下に該当する。
たぶん私は、この歌は、所属していたクラブ活動の合唱部で使っていた教本で
習ったのだったと思う。
しかも、野上弥生子と言えば、私の尊敬する女性作家。

私は今でもまあそうだが、歌声は細く高い。パートはソプラノだった。
際だって個性のある声では正直いってなかったけれど、少女らしい、
繊細な声ではあったかもしれない。
『エムズの片割れ』さんを通じ、安田祥子さんの歌うものもあることを知った。
でも、私の声質とはまったく似ていない。この桑名貞子さんという方の声の方に
どちらかと言えば近いかもしれない。(むろんそっくりというわけではありません。)

NHKのスタジオに一人入って、慣れぬマイクにおびえながら、でも
母の姿を一所懸命想い、こころをこめて歌う、小学5年生の少女の姿を
想い浮かべながら、お聴きいただけると幸いである。

『エムズの片割れ』さん。貴重なブログを快くお貸しくださり、
心からお礼申し上げます。



『母の歌』

 http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2008/06/post_ae37.html?cid=51543733#comment-51543733



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『ピケ帽子 そして 緑のワンピース』

夏の服で思いだすものが、もう一つあります。

それは私が小学5年生の夏に、母が縫ってくれたワンピース。
もうその頃は、洋裁店に注文して仕立てて貰う、などということは我が家では
出来なくなっていました。
母は和裁が専門。洋裁は習ったこともなく、おそらく基本のきも知らなかったと
思うけれど、私が小さい頃から、ごくシンプルな夏のワンピースなどは
縫ってくれていました。ミシンはなかったので、手縫いの返し縫いで。

その夏、私はNHK地方局の合唱団のオーディションを受けることになっていました。
私がその春転校したばかりのその小学校は、生徒数の非常に多い、
市内でも有数の、いろいろな活動の盛んに行われている小学校でした。
音楽の先生も意欲的で、7組まであった各クラスから、2、3人ずつくらい
歌の得意な子をピックアップして、そのNHKのオーディションを
受けさせようとしていました。あれは個人的になさっていたのかなあ。

夏休みに入ってからも、20人弱くらいの生徒たちが、練習に通っていたように
思います。試験は自由曲のほかに、ソルフェージュのようなものがありました。
和音の聴きとりや、簡単なメロディーの書かれた楽譜を渡されて、
初見でそれを歌ったりするテストが。

私の家にはピアノは勿論オルガンもありませんでした。
でもなぜか私は、ごく小さい時から絶対音感は身についていて、ソルフェージュに
苦労はしませんでした。いつも私はこれを不思議に思います。
前にも書いたけれど、ごく小さい頃、ピアノとヴァイオリンを習ったことがあるのは、
合計しても3ヶ月くらいです。それだけで絶対音感が身についたとは思えない。
やはりあれは学校の音楽教育のおかげです。普通の授業で身についた。
あとは、兄や姉が、歌を正確な音程で歌う人たちだったからかな。
 
閑話休題。そのオーディションのために母が縫ってくれたのが件のワンピースでした。
それは、落ちついた、でも冴え冴えとしたいい深緑色の地に、
5ミリくらいの白いストライプが、4センチおきくらいに入っている、
パリッとした木綿地の布でした。縦縞です。
その縞の布で、袖なし、首元はスクエアカット、そしてスカート部分は、
車ひだ(ワンウェイプリーツ)の、シンプルなワンピースを縫ってくれました。
何の飾りもないワンピースでしたが、緑の発色がとてもよく、
白の縞もくどすぎず寂しすぎず、涼しげで、私の肌の色によく合っていたと
思います。

私がオーディションの自由曲に選んだのは、『母の歌』という曲でした。
検索で探してようやく見つけました。
他の方のブログで紹介されていました。御許可を得られたら、次の記事ででも
トラックバックしてご紹介したいと思います。

コンクリートの照り返しもきつい、夏のある日、私はそのワンピースを着て、
オーディションに臨みました。市内だけでなく、近隣の街からも
大勢の少女たちが集まってきていました。
初めて入る放送局のスタジオ。大人の男の人たちがたくさんいました。
調整室のガラスの向こうで指示を出すひと。機械に向かう人。
広い広いスタジオで、少女たちの緊張をほぐし世話をしてくれる先生らしき人。
向こうのピアノの前でにこやかにほほ笑む伴奏の先生…。
私は、母の縫った緑の服を着て、母のことを想いながらこころ込めて歌いました。
結果は合格でした。10倍くらいの競争率でした。ちょっと自慢します。

その中で、私がこのこは目茶苦茶うまいな、と思う子が一人いました。
私と同じ小学校で、一級下の学年。
学校でのレッスンの時から私はそのうまさに舌を巻いていました。
私は音程などは極めて正確でしたが、自分の声に個性や魅力があるとは、子供ながらに
思っていませんでした。いわゆる突出しない、合唱向きの声です。
ところがその子は、極めて張りのある、素晴らしく独特の声をしていました。
合唱団の中では目立ちすぎるかな、というほどの。
ピンと張りつめて、しかも明るい、天に飛翔するような声。
不思議なことに、合唱団というのは、私のようにいくら正確でも
凡庸な声が集まっていてもだめなのです。
中に数人、極めて美しい声の子がいなくてはならない。他の子はそれにつられて
美しい声を出すようになるのです。そんな気がします。
その子はそんな声の持ち主でした。

その子の歌った自由曲は、『ピケ帽子』という歌でした。
これはさすがにどこを探しても見つかりません。こんな歌詞です。
本当のタイトルはわかりません。作曲者作詞者もたどれません。

     『ピケ帽子』

  夏が来ました ピケ帽子
  僕も私も  ピケ帽子
  富士のお山も ピケ帽子
  白い帽子を かぶってる


ああ。この『ピケ帽子』という言葉。
その子の声にぴったりでした。
夏休み。子供たちは自由になって、てんでに緑の中へ
遊びに飛び出していきます。
その子は小柄でしたが、敏捷そうな、ばねのある体つきをしていて、
歌声も、今にも夏に向かって飛び出していきそうな声でした。
その頭にあるのがピケ帽子。畝織のあるしっかりした木綿地でできた帽子です。
色は勿論白でしょう。つばも広く、少女の顔を強い日差しから守ってくれるのです。


あのこは今、どんなひとになってるでしょうか。
歌のお仕事についたでしょうか。
今でも、あのこの声は、鮮やかに思いだすことができます……。





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『夏のドレスのこと』



本格的な夏がもうすぐ来ようとするこの季節になると、
いつも思いだす夏服がある。

あれは私が幼稚園の頃だったかなあ。
当時は今と違って、年少さんから幼稚園、などということはなく、
小学校入学前の一年間だけ、幼稚園に行っていたと思う。
後に一家が離散して、貧しくなってしまう我が家だけれど、
その頃はまだ、田畑を売ったお金も残っていて、姉や私の着るものなどは、
母が案外贅沢に誂えてくれたりしていた。

その夏も、母が私に新しい服を作ってくれるという。
実は私にはその時とても欲しい服があって、母にせがんでいたのである。
その服というのは、当時大流行していた、少女のドレスだった。
もう、それこそ、ちょっと豊かでおしゃれな少女のお出かけ着の定番、
というくらいに。

あれはなんという布だったのだろう…。
シフォンかな、オーガンジーかな。
うすく透ける生地で、やわらかいのだけれど、シフォンほどくたっとしていなくて、
もう少し張りがあり、でもオーガンジーほどパリパリでもなかった。色は白かブルー。
蝉の羽のように薄い、半透明に透ける生地に、全体に2ミリほどの大きさの
ドットが、とんでいる。その小さな水玉柄は、織り出した模様や描いた模様ではなく、
ビロードのようなもこもこした質感のあるものが、どういう加工をするのか、
吹き付けで貼ってあるという感じ。

とにかく見ただけで、女の子なら「ああ、すてき!」と憧れるような生地だった。
それをスカート部分などではギャザーをたっぷり寄せて、何層かに重ねてある。
スカートがバレリーナのチュチュのようにぱっと広がるように、
スカートの下には、パ二エという、ごわごわした素材でできたアンダースカートをはく。
上身頃は、割と体にぴったりと仕立てて、ただし、袖が可愛らしいパフスリーブになっていた。
パフスリーブってわかりますか。提灯袖とも言います。
要するに、半袖の部分が、ちょうちんのようにふわっと膨らませてあるのだ。
ウエストは、共布をたっぷり使って大きくリボン結びを後ろでするようになっている!
本当に少女らしくて夢のように可愛らしいドレス。

幼稚園生だった私は、このドレスに憧れて憧れて。
でも、母は、『あの素材はあれは暑くて仕方がないよ。」と言って
それまではずっと取り合ってくれなかった。
ところが、ある日、私を繁華街の方に連れ出して、これからドレスを誂えてくれるという。

その頃私は、九州のある温泉街に住んでいた。
家は中心部からほんの少し離れた町にあって、その頃の地方都市のお定まりの
・・銀座、とか、・・銀天街、などという繁華街に行くには歩いて20分ほど。
ちょうど今頃の季節。梅雨の晴れ間のある日、母は私を連れ出したのである。

まあ、私の嬉しかったこと!スキップしながら母の先を行く。
念願の、お姫様のような、バレリーナのような、蝉の羽のように優雅なあのドレスが
自分のものになる!しかも既製品ではなく、繁華街の洋裁店で、私の体に合わせて
縫ってもらうのだ!

その店は、こじんまりとしてはいるけれど、いろいろな色の布や、ボディにかけた
仕上がったドレスの数々や、ファッション誌や、観葉植物や、
いろいろなものがセンス良く並べられていて、とっても小綺麗なお店だった。
そこでこれから私は採寸してもらい、新しい夏のドレスを注文するのだ!

その当時、あんなに流行ったのだから、きっと、それにはモデルがあって、
『少女ブック』や『なかよし』のなかで、松島トモ子や鰐淵晴子が着ていたのではなかろうか。
ずうっと後年になって、その頃の古い少女雑誌やファッション雑誌を何冊か入手して
探して見たことがあった。
しかし、誰も着ていない。似たものさえない。
あれは、あの地方都市の、その2,3年間だけの流行であったのだろうか…?

さて、それから2週間ほどして、盛夏の頃。
待っていたドレスが出来上がる日。
私は母と、またその店に行った…。

ドレスは出来ていた。が。
私の憧れていた、あの淡いブルーのシフォンのふわっとしたドレスではなかったのである。
それは、淡い美しいブルーであるにはあったが、普通の平織りの、透けないしっかりした
布地で作られていた。麻でも木綿でもないな。薄手のサマーウールででもあっただろうか。
袖は確かに私の希望を入れてパフスリーブになってはいた。控えめな。
スカートも精一杯ギャザーを寄せてはあった。
でも、私が憧れていたパ二エは、透けない生地にはいらない、と母は言って買ってくれなかった。
だから、スカートはあの夢のスカートのように、ぱあっと膨らんではくれなかった。

ああ。私が、大人の現実主義というものを思い知らされた日よ!

母は、山奥の村に生まれたけれど、いや、それだからこそかな、自覚が高く、
着るものなどにもセンス良く、子供の教育などにも理想が高かった。
それなのに、どうして、よりによってこの誂えの服に、子供の夢を
思いきり盛り込んではくれなかったのだろう! 
夏の、絽の浴衣や、冬の外出着は、東京の子でも着ていないような洒落た服を
買ってくれていたのに!
費用はそう変わらなかったはずである。むしろしっかりした上質のサマーウールの方が
高かったかもしれない。今、大人の目で見れば、あの流行のシフォンは
安っぽいペラペラの布だったようにも思えるから。

…私の幻の夏のドレスの話。

え。その誂えの服はどうしたかって?
大いに悲しみはしたけれど、そこは子供。新しく自分の体に合わせて縫ってもらった、
一応パフスリーブの、淡い水色のドレス。私はそれを着たくて仕方がなかった。
ところが母はなぜかここでも、厳しかった。あまり袖を通させてくれなかったのである。
その夏は、一回着たきりくらいではなかったろうか。
そんなに改まったお出かけの機会というものはないものだから。
2年目もそうだったかな。
そうして3年目。母が、『いつでも好きな時に着ていいよ』と言ってくれたときには、
ああ…!
その水色のドレスは、細くて背ばかり伸びた私には、もうつんつるてんに短く
なって、着るに着れないしろものになっていたのである!
母は賢かったのでしょうか?(笑)

しかし、今、大人のセンスで考えると、憧れのあのドット柄のシフォンは確かに、ぺたりと
汗ばんだ肌にくっついて暑かったに違いない。そして、西洋の、金髪でミルクのような
肌をした少女には似合ったかもしれないが、おかっぱの刈り上げ頭の日本の少女に
果たして似合うものだったかどうか…。
(私は刈り上げのおかっぱ頭ではなく、くるくるにパーマをかけていましたが。)

目を閉じると、平織りの水色のドレスでも嬉しくて、でも、パ二エを下に着ていないので
スカートがあまり膨らまない。しかたがないので、自分がくるりくるりと回って、
スカートをぱあっと膨らませていた、痩せて目ばかり大きな、か細い少女の姿が
まぶたの裏に浮かぶ気がする…。


くるり。ぱあっ!・・・・またくるり!・・・




今宵の音楽。
そんな少女は、こんな歌が好きな大人に。

http://www.youtube.com/watch?v=KJUe0FIItVI


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『雨』


本格的な雨降りになりました。

雨音だけが聞こえる、土曜日の夜。
なにも理屈をつけず、この曲をお送りしましょう。

もう眠ってらっしゃる方には、その眠りが健やかなものでありますようにと願い、
まだ起きてらっしゃる方には、そろそろおやすみなさい、と言い…

おや、なんだか、宮沢賢治の『雨ニモ負ケズ』の詩のようになってきてしまいました。


エリック・サティ。『雨の中で』。





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『音楽の贈り物』 ②


東京は梅雨の合間の、まあまあの天気の一日だった。
それでも蒸し暑くて、何もする気が起こらず。
おととい借りてきた日本の灯台の写真集などをずうっと見入っていた。

私は九州の高原の村で生まれたのに、あるいはそれゆえかもしれないが、
海の風景にはとても憧れる。
今晩は何の音楽お届けしようかと探していて、やはりお送りしたくなったのは
海外の、灯台のある風景。

こんな歌と美しい風景お届けします。灯台もあります。
曲はパティ・ペイジの歌のにしようかと、散々迷ったのですが、
より私好みの風景のあるこの映像を。

パティ・ペイジの歌も同じ頁で(駄洒落ではありませんからね)
見られますから、興味のある方はどうぞ続けてお聴きください。


http://www.youtube.com/watch?v=JdNcRuJ1vME



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『こんな本こんな音』



昨日 、図書館でこんな本見つけた。

2010_0630_035502-CIMG2284_convert_20100701030604.jpg

『日本の灯台 流氷の海から珊瑚礁の海へ』
山崎猛著。株式会社ぎょうせい発行。

おお!
灯台になぜか昔から魅かれる私。
重いけど借りて帰った。
B4判横にしたハードカバーの大型本なのでかなり重量がある。

中身を写真でとっちゃいけないのだろうが、遠くからちょっとだけ。

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大分県水の子島灯台だそうだ。
なぜ、私は灯台が好きか。
昔、『喜びも悲しみも幾年月』という映画があった。
主演は高峰秀子、佐田啓二。木下恵介監督、1957年。松竹。
佐田啓二は俳優中井貴一さんの父君。
日本の海を行く船舶の安全を守るために、崖にはりつくように建つ灯台で
生きていく灯台守の一家の、戦前から戦後の25年間の生活が描かれている。
主人公はいろいろな灯台に転勤させられる。
それらの厳しく寂しい風景に子供だった私は妙に惹かれた。
10歳くらいの時だった。
若山彰という人が歌ったテーマ曲がまた好きで。子供心にその歌のうまさに
感心したものだ。声楽の基礎のしっかりできた歌は違うなあ、と、生意気にも感じていた。
もっとも当時の歌手は皆そうだったんですけどね。

モデルになったのは福島県塩屋埼灯台長だった人ということだが、映画では
この大分県の水の子島灯台や、観音崎、御前崎、野寒布岬、瀬戸内海の男木島、女木島
などがロケに使われた。まあ、なんと寂しい灯台だろう。
ミニチュアみたい。

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これは、高知県の足摺岬灯台。
おお~!
田宮虎彦著『足摺岬』が大好きな私。でも、そこにある灯台は初めて画像で見た。
イメージと違わぬ姿だった。

昔、ラジオのNHK第二放送で流される気象通報を聴くのがなんとなく好きだった。
『南シナ海の北緯16度、東経117度では、北北東の風、風力6、天気曇り、気圧15ヘクトパスカル…』
などというあれ。
そこに出てくる地名にわけもなく心惹かれた。
石垣島、南大東島、南鳥島、足摺岬、室戸岬、潮岬、御前崎、
石巻、宮古、浦河、根室、稚内、ウルップ島、ハバロフスク、テチューへ、ウラジオストク、
ウルルン島(鬱陵島)、アモイ(厦門)、全羅南道のモッポ(木浦)、・・・・・・

どうですか。心惹かれませんか。

足摺岬なら、「清水特別地域気象観測所」。以前の名称で言うと「清水測候所足摺分室」という
ところからの報告である。そこにはいったいどんな人々が働いているのだろうか…。
暗い海を行く船舶や、海洋気象ブイからの情報が入る…。
遠く離れた見知らぬ岬の灯台の灯が、台風が近づいて荒れた海をゆっくりと照らしている風景や、
そこで忙しく働く灯台守の人々のシルエットを激しい雨の向こうに想像したり…。
また、誰もいない暗い暗い夜の海にぽかりと浮かんで、海の情報を送り続けてくる
気象ブイのいじらしい姿、などを想像して、物悲しいような、
たまらなく人恋しいような気がいつもしたものだ。今でも大好き。

最近読んだ、村上春樹の旅の記録の本に、
『旅行をしていつも不思議に思うのだが、世界には島の数だけ、島の悲しみがある。』
という一文があって、さすがにうまいこと表現するなあ、と思った。
それを、『岬』、という言葉に置き換えてもあてはまる気が、私にはしてならない。
あるいは、『岬の灯台』と置き換えても。
この写真集の灯台の写真に、上空からフィルムに収めたものもあって、
どうしてまあ、よくこんなところに灯台の建物を作るよなあ、というような
動物さえ近寄れないような絶壁の上などに建っている灯台がある。
たとえば、鹿児島県の佐田岬灯台。たとえば長崎県の大瀬埼灯台。
そこに、一筋、見えるか見えないような程度の幅の狭い階段がずうっと
くの字に曲がりくねりながら続いているのなどを見る。
すると私は、「ああ、人間って!」といたく感動してしまうのである。

この本、手元に欲しいなあ、と思ったが、なんと2万円もする。
あと、世界の灯台の本もあったら見たいな、と思うが、うちの近くの図書館の
人に調べてもらっても、そこにはなかった。
水の子島灯台は明治33年に着工。九州四国の間の豊後水道の中央にある無人島。
陸から遠いため、工事は難を極めたという。昭和61年に完全自動化。
それまではなんとこの小さな島に、灯台守の人々が常駐していたという!なんとなんと!
一つの灯台でさえ、そこには凄い人間の歴史が刻み込まれていて、
凄いと思うのだが、灯台の本は意外と少ないのであろうか。



さて。
どんな音楽お届けしましょうか。
こんな映像いかがでしょう。音楽ではないけれど、これも私が
そぞろ旅情をかきたてられる霧笛の音。
霧の深い日は、灯台の明かりも届かない。船舶の衝突を避けるために、霧笛を鳴らします。
世界の灯台や、橋の霧笛の音。
金門橋など、次々に他の映像もご覧ください。なにか物悲しい、でも人恋しくなる音です。

http://www.youtube.com/watch?v=Jg8a4GinZew

ウイットビーWhitby 灯台はイギリス、東ヨークシャー州。
北海に面する東海岸沿いにある。
美しい声で鳴き交わす海鳥の声。遠くかすむ海を行く船。そして霧笛の音…
なんだかそれだけでじ~んとしてきます。
でも、サウター灯台というところの映像では、霧笛を聴いて笑い転げている女の人がいて、
その楽しげな笑い声につい、たった今じんとしていた私も、つられて笑ってしまいました。
霧笛を聴いてじ~んとするのも、笑い転げるのもどちらも人間。
どちらも愛しい、という気が今の私にはします。

でも、この灯台の霧笛なども先進機器の導入で、徐々に消えつつあるとか。
日本の灯台は、今はほぼ無人化されていて、定期的な巡回などは人の手によって
行われても、昔のような泊まり込み、住み込みの勤務はもうないといいます。

私が嵐の夜の灯台の、雨の向こうに動く人影を想像したような、そんな風景は
実はもうまったくの幻なのです…


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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
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