『名残りの美』


東京は例年になく暖かい十一月でした 。
洗濯物を干すのも買い物に行くのも温い陽を浴びながらできる。
そんな中で、散歩の途中に発見した美をご紹介しましょう。


鉢物に仕立てた白菊。
こういう花の咲き方をするものを、『管物(くだもの)』と呼びます。
私の菊の『こころ』のようなのは『厚物咲き』。


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見事でしょう。
でもこれ、とある人家の軒先に無造作に置いてありました。
なんと繊細な美なんでしょう!


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なにかいい香り!
私がその日つけていた『夜間飛行』かな。
一瞬そう思いましたが、似た匂いじゃない。
これでした。なんの花かわかりますか。
ヒイラギです。木へんに冬と書いて『柊』。本当に冬の花。
雌雄異株とのことで、これはどうやら雄株のよう。
おしべが可愛いです。
なんと言っても香りが素晴らしいの。ひそかで気品のある香です。
なんとなくお母さんの化粧台の匂いの記憶みたいな。

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白い花だけじゃない。こんな子も秋の灯を精一杯浴びようと
けなげに咲いていました。
ペチュニアです。ペチュニアって、群がって咲いているときはそう好きな花でもないのだけれど、
こうやって、こんな壁の隙間にこぼれ種から一本だけ生えているような
濃い赤紫色の花は、はっとするほど可憐です。
一緒に生えているのは、ビッグボーイ。ナス科の植物で、小さな白い花を咲かせ、
ミニトマトに似た真っ赤な実を夏から秋につけてつける。



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この川をずっと下ると、私がかつて働いていた、
私にとってたいへんに懐かしい街へつながる。


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ああ! 銀杏が! 空が!


胸がなんだかきゅ~っとします。

この写真を撮った日の前の日は、とりわけ夕焼けが綺麗でした。
空一面に美しいピンクが広がって、建物や、白い橋脚も、
淡い紅に染められていた。

忘れられない美しい夕暮れでした。

冬到来前の美しきものたち・・・・







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『こころが…ない !』

『こころが…ない! 』

思わせぶりなタイトルですが、実は『こころが…いない! 』と言った方が
私の気持ちに近いです。

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覚えていらっしゃるでしょうか、この子たちを。

去年、近くの美容院の店先に置いてあったバケツの中に挿してあった菊たち。
厚物咲きの鉢仕立ての季節が終わって、でも、そのまま処分するにしのびなく、
花先だけを切り取って、道行く人に見せていた、こころやさしい『髪結いの亭主』さん。

私はひょんなことから、この子たちの一本を貰って帰ることになって、
その子に『こころ』という名前をつけました。

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             『こころ』2009



今年も、菊の季節が来ました。
同じ美容院の店先。

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こ、こころがない! 『こころ』がいないっ!

どうやら、今年はご主人、違う種類の菊を作りたくなられたようです。
厚物咲きと言われるぽってり厚ぼったい菊ではなく、
今年は厚物は厚物でも少し小ぶりで花の下の方が垂れる『厚走り』と言われる
種類が作りたかったようです。
手前にある黄色いのが、その『厚走り』。
後ろの方には、スプレー菊と言って、一つの枝にたくさん花がつくものが
飾ってあります。

去年のような、ころころした子たちはいません。
がっかり。ちょっとさびしいなあ…。
…でも、なんとなし、これでよかったような気もします。
来年。もしまた、ぽってりころころした子たちがまた作ってあっても、
もう私は、貰って帰ったりしないと思います。
出会い、というものは一回性のものだからいい。
毎年の習いとなってしまっては、もうそれは出会いではない別のものです。


『こころ』……。
あのこは、去年出会った、私だけの特別な菊。
花とだって、こころに沁みる「出会い」というものはあるんです。



去年の、『こころ』の記事、ぜひどうぞ。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-37.html

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『誰も知らない…  青空と赤い実と私』



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ああ。なんと青い空!
11月の光の中で、ハナミズキの赤い実がつやつやと輝いて。




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2010年、11月某日。

ただこの秋の光の中に私が今、いる、ということ。
ここにこうして青空と赤い実を見上げているということ。
誰も知らない。ただ私だけが知る。


他になにも言葉はいらないな。








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『M 姉に』




アストール・ピアソラ作曲『リベルタンゴ』(1974年)。

ピアソラはアルゼンチンのバンドネオン奏者、作曲家。
従来のアルゼンチンタンゴに飽き足らず、クラシック音楽、ジャズの要素などを
取り入れ、その上にアルゼンチンタンゴの持つ美しい旋律を乗せて、
タンゴを革命的に変えたひと。

私はタンゴの曲も踊りもとても好き。
しかしながら、国際ダンス選手権などに見る競技用ダンスのタンゴの踊りは、
あまりにもアクロバティックになってしまっていて好きではない。

この映像のダンサーたちの振り付けのストイックさが、私がタンゴに望むものに
比較的近かったので、ご紹介してみた(ほんとはもっと抑制されたものがいいけれど)。
アルゼンチンの街かどで、普通の市民が辻音楽士のバンドネオンの演奏に合わせて踊る。
ちょっとした舗道の空き地で踊るのであるから、競技用タンゴのように、
両手を鳥のように打ち広げたり、めまぐるしく体勢を変えたり、激しく動き回ったりは
しないのである。
男と女が、情の向くままにつと抱き合って踊り始める。
そうして、踊るにつれ、情感は高まっていくのだけれど、その情感は
抱き寄せる男の手の力や、男の首にかけた女の手指の熱さ…
そんなところにぐっとこもっていくだけ。
男と女の情が高まれば高まるほど、踊りは逆に抑制されてストイックになっていく…
男と女の情が絡み合うように、二人の足だけがせつなく絡み合う。
そんなタンゴが私は好きである。

映画『セント・オブ・ウーマン』の中でアル・パチーノがタンゴを踊るシーンが素晴らしい。
(『リベルタンゴ』が終わった後に出てくる画面下の映像の中にあります。)
その時の曲は、カルロス・ガルデル作曲の『ポル・ウナ・カべーサ』。 
このときのアル・パチーノも、ほとんど大きな動きはしない。
その抑制が、何ともいえず、官能的なのである。

タンゴは恋の甘さも苦さも知りつくした大人の踊り。

これを、優しかった義理の姉に捧げたい。



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『訂正とお詫び』


このひとつ前の記事を読んでくださった皆様に、お詫びをしなければならない
ことに気づいてしまいました。
コメントへの返事を書いているとき、
もしかして、これ、ミニチュアのキットとして売られているものなのでは? 
という疑問がふと頭に浮かびました。
で、調べてみたら、あったんです!
そっくりこのままのキットが!

http://a9a.jp/yokarakuya/shosai.php?itemCD=PSR-007

おお、なんということ!?私って迂闊!
この小さな行灯たちに感動して素直に記事にしてしまいました。
ここの人のオリジナルだとばかり思い込んでいました。
このお店の人に責任は全くありません。私が勝手にオリジナル作品と勘違いしただけです。
(笑)と書きたいけど、ちょっと自分を恥じて書けないなあ。

お店の人にも、読んでくださった方々にも申しわけないことをしました。
お断りしてお詫びさせていただきたいと思います。

記事の本意は、これらのミニチュア行灯の芸術性やオリジナル性などに
あるわけではなく、ものを作ってそれを飾ろうとするこころ。
人にもそれを見てもらいたいと思う、人間の素直な気持ち。
それに、とある夕暮れ、心魅かれて、立ち止まって見入った私。
そうして、これについて話をきくこともなく、どこかへ去っていってしまった
この店の人々への果敢ないような想い。

それが記事の眼目なので、本質には変わりはなかろうか、と思います。
いや、むしろ、これが誰にでも買え、手間暇さえかければ
誰にでも同じように作れるキットであったがゆえに、ここに一時期
こうして飾られ、やがて消えていったこの行灯たちとそれを一所懸命作った
ひとのこころがせつなく偲ばれます。

本当は、この『晩秋の飾り窓』という記事も、そうした、町でふと見かけた
いじらしい庶民のものづくりのこころ、それをシリーズに出来たら、と思って
始めたのでありましたっけ。
そうして、そうした人々や、彼らが作ったもの、作り上げたお店が、
時の流れと共に消えていったり変質していく果敢なさが言いたかったので
ありましたっけ。

行灯がオリジナルかどうかは、あまり関係ないのでした(笑)。


それでも、ここに、早とちりのお詫びをさせていただきたいと思います。






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『晩秋の飾り窓 其の三』


私が住むのは、東京郊外のまあ割と大きな街。
それでも、日本という国が徐々に往年の勢いを失い、
高齢化、過疎化していっているのを象徴するように、
いつか街全体が、さびれていく傾向にある。

私がここに越してきてから30年。その間に随分、以前あったものが消えていった。
新しいものが生まれていないわけではない。
でもそれは駅の周辺だけ。
少し離れると、店がいつか、一つ一つと消えていったりする。
2か月ほどそこを通らないでいると、前あった店が無くなったりしているのだ。

この店もその一つ。


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行灯屋さんではなく、作業着を売るお店だった。
工場で働く人が着るグレーの綿ギャバの上着とか、鳶職のお兄さんが着る
ニッカボッカーとか、つなぎ、軍手など、およそ作業関係の衣服小物など
すべてを取り扱っていたように思う。
幹線道路の一本脇道沿いにぽつんと立っていたが、それでもぽつぽつ
客は来て、もう30年ほども商売が続いていた。

私もここで数回買い物を。
娘が受験の画塾に通っていた頃から、ここで、オーバーオール、
日本風に言うと『つなぎ』を時々買ってやっていたのである。
油絵を描く時、衣服が汚れないよう、すぽっと着る。
なんでも、赤いのや黒いの、青いの、5着くらいは買っている。

そこのご主人だろうか、誰が作るかは知らねども、いつからか、店の
ショーウィンドウにこんなものが飾られるようになった。
ミニチュアの行灯。夕暮れになるとこういう風にぽっと灯がともる。

「まあ、細かい細工! きっと楽しく作ってるんだろうなあ!」
そう思いながら、ここを通ると覗いて見ていた。
最近は娘がもっぱらアクリル絵の具で机代わりの炬燵で小さめの絵を
描くようになったので、もうつなぎを買いに来ることもなく、
どなたがこれらを作っているのか訊ねる機会も無くなっていた。

これは今年4月のある夕暮れにそっと撮らせてもらった写真。
ところが、この夏には、この店。閉じてしまって無人となってしまった。
長年のご愛顧に感謝する、という貼り紙があるのみ。
建物自体もその後取り壊され、後に何か立つ気配もない。

いつか、立ち寄って詳しく話を聞こうと思っていたのだが。
写真を撮るとき、一声かけてみるべきだったなあ。
どんな人が、どんなこころで作っていたろうか…。
商売をやめて、ここの人はこれからどこでどうして生きていくろうか。

時は流れ、人は変わっていく…。
街は生きている。
いつかまた、ここに人は住むであろう。
しかしながら、ひととのふれあいの機会は時を逃せば過ぎていく。

きっと折角の力作。多くの人に見てもらいたかったろう。
断りもなくなんだけれど、ここにご紹介して、作った人の楽しいこころを
お伝えしたいと思う。



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『晩秋の飾り窓 其の二』



老婦人が今も現役で切り盛りする小さな美容院の近くには、
金魚や小鳥を扱ううらぶれた感じのペットショップがある。
今流行りの、ミニチュアダックスフンドやチワワなどの犬でも売れば儲けようものを。


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ところが実は、数日前の新聞に載っていたのだが、この頃お魚を飼う人が急増しているそうである。
1950、60年代くらいだったかな、熱帯魚がブームになった時代があって、
応接間に革張りのソファとガラスの天板のテーブル。観葉植物、
そして、ネオンテトラやグッピーなどの熱帯魚の水槽…というのが
定番の時代があったっけが。
人々の生活が、戦後ようやく豊かになり始め、家に応接間、などというものを
庶民も持ち始めた時代である。
それを第一次熱帯魚ブームとするなら、バブルがはじける少し前の時代が
第二次熱帯魚ブームなのかな。
この頃、水槽に関する技術が飛躍的に発展して、しかも、水草、石、照明など、
熱帯魚の水槽を総合的に美しく演出することが始まった。

しかし、景気が悪くなると、生活の余裕も気持ちの余裕もなくなり、
熱帯魚などを飼うのは一時下火になっていたと思う。
私はそういう感覚で、このペットショップのうらぶれ方を見ていた。
今どき、魚や小鳥を売るこんな店、やっていけるのだろうか、と思っていたが、
そうなのか。魚を飼うのがまた流行りだしているのか・・・。
なんでも、ひとり暮らしで寂しい、などという人が飼うのだそうである。
犬や猫ほど、手間もお金もかからないし、独身者のアパートでも
気兼ねなく飼えるから。
生きものを育てるという経済的な余裕や、精神的ゆとりから飼っていた
第二次ブームとは違い、今は、寂しさを紛らすために飼う人が多いのだろうか。

赤い子がたくさん!
この子もあの子も、どの子も真っ赤。
お前たち。ずいぶ赤いわね・・・。


私もガラスに顔を寄せて、そんなことを話しかけてみる。
これで一匹一匹、生きているんだからなあ。
私の命も、この子たち一匹一匹の命も、いのちの重さということでは
なんの変りもないのよ。

ポニョがいっぱい・・・・。



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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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