『燦めく日々』 (『希望の曙光?』改題)

原子炉中央制御室に明かりが灯ったという嬉しい知らせ。
これは解決へ向けた希望の曙光?
今、とってもこの曲を聴きたい気分。
ただ、わけもなく聴きたい…。

イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』
You Tube映像が残念ながら、削除されてしまいました。ごめんなさい。


…上の記事を書いてから、二日。
原発の収束は一進一退して、なかなか進まない。
その間に、野菜、土壌、そして水の汚染までが次々にわかって来、
現地、近県、そうして遂には予測通り、東京の水も放射性物質に汚染されて
いることが発表された。
赤ちゃんのための水を買いに行く人々。
赤ん坊がいないのに、水を買い溜めする人々。

蛇口をひねれば豊かに迸る水。
透明で、きらきらゆらゆらきらめいて美しい、命の水。
それが、微量にもせよ、放射能を帯びているとは…
そうして、我が家のささやかな庭…この土も、きっと2日ほど降り続いた先日の雨で
かすかながら、ヨウ素やセシウムを帯びていることでしょう。

私はなにを悲しんでいるか。

自分の命が惜しいのではありません。
もうね、63年も生きさせてもらったのですから。

でも、悲しくて仕方がないのは…

なんと言えばいいのでしょう。
『明日を知らない、人間の定めの悲しさ』というのでしょうか。
あっという間に、今までの平穏な生活が崩れていく…
それを知らずに生きていかざるを得ない、ひとというものの『今日』の悲しさ、
そんなものを悲しんでいる気がします。

イーグルスの『ホテル・カリフォルニア』を聴きながら、胸がきゅ~っとしました。
1976年。私が29歳。娘が3歳の時です。
この歌を、こんなせつないほど若い声で歌っているドン・ヘンリーなど多くのメンバーは、
私と同じ年です。ボーカルで歌詞も書き、印象的なギター・ソロをやっているドン・フェルダーの
若いしなやかな体の、足の線の美しいこと!

この歌が街に流れていた頃、私は何をしていたでしょうか。
その頃、私は、30数年たって、自分たちが、この日本という国で、
このような悲劇を見ることになろうとは思ってもいなかった。
ありえない、と思っていたことが、
よそではありえても、自分の身には絶対に起こらないと、なんとなく思っていたことが、
ある日、突然起こる。
赤ん坊に飲ませるミルクを作る水がない。あっても汚染されている…
『昨日』、そばにいた人が、もういない…
折角取り留めた命が、寒さで消えていく…
そんな日が来ると、誰が思っていたでしょう。


その、人間の無防備、波に嵐に揉まれてなすすべもない人間の、
明日の知れない『今日』が悲しいのだと思います。

今はまだ、明日の希望があるから、明日が知れないからこそ、人生は美しいのだ、
というふうになかなか思えないのです。

『ホテル・カリフォルニア』は不思議な歌詞の歌です。
旅人が、長い長い道を車で走るのに疲れ、
ふと、ある古いホテルに宿泊する。
そこでは銀器やシャンデリアが美しくきらめき、
どこか退廃的な雰囲気を漂わせた人々が笑いさざめいている。

旅人は、そこの居心地良さに惹かれながらも、なぜか、
「ここにいつまでもいてはいけない。出ていって旅を続けよう」と決心します。
でも、ホテルの従業員から言われた言葉は、
「お客様はいつでもチェックアウトできます。でも、ここから出ていくことはできない…」

この歌は、商業主義に堕していくロック界を皮肉る歌詞だとも、
また、アメリカそのものの爛熟と退廃と閉塞感を歌ったものだとも言われました。

『昨日』という日までの日本の状況。
なにか、この歌詞に似ているような…。

でも、それさえが不思議と懐かしい、『今日』という日。


メンバーたちの若い体の線を見ながら、
胸が締め付けられるように若々しい歌声やギターワークに
聴き入りながら、
『今日』という日が、『昨日』までの思い出と共に穢れてしまったことを悲しみ、
それでもやはり、『明日』という日にまた希望を抱いてしまう彼岸花なのでありました。






スポンサーサイト

『静かな激情』

東北地方太平洋岸は、いま…

私の住む関東地方も、今、重苦しい空気に包まれている。
東京も、すっかり元気がない。
地震と福島の第一原発の事故が、重苦しく人々のこころを覆っているのだ。

夕方自転車で買い物に出た。
帰り、ほんの小さな雨粒がポツリポツリと落ちてきた。
すれ違った老夫婦の奥さんの方が、空を見上げて、

「ねえ、今、ここに、雨があたっちゃったわよ。」

そう旦那に言って、自分の額を服の袖で拭った。
二人は顔を見合わせ、急に足を速めた。
私も自転車を急がせた。
ああ。なんで、雨ひとつぶがこの恐怖を呼ぶ?
雨に罪はなかろうものを…

私は東京の西郊に籠っているので、都心の様子はわからないけれど、
昨日仕事で都心に出た娘は、その暗さに驚いていた。
新宿の伊勢丹百貨店も、お店の明かりを落として、
外資系の化粧品のブースは真っ暗で人けもなく。
国内の化粧品のブースには明かりがついていたらしいが。
卒業式をとり行わない大学もあるという。
海外からのアーティストの公演は、いくつも中止になり。

まあ、東京は、これまでが、言ってみれば贅沢過ぎたのだ。
少し、虚飾をいささか取り払って、人間の本来の体に戻るのもいいことだろう。

しかし。それを自分たちで考えて選択する、ということと、
外部からの強制的事情によって、それに抗うすべもなく、ただ従う、ということは
別物だという気がする。
そこに私は、怒りを感じるのである。

こうなった根本の原因を考えてみるがいい。
東京という大都会に住み、その便利さを享受してきた私たちは、
こうなる道をまっすぐ、考えもせずに導かれてきたのではなかったろうか?
それはしかも、今恐怖に怯えているかの地などの犠牲の上に立った便利さだったのだ。
文句を言う筋合いがあろうか?
私も含めたおとなしい羊たちは、もっと前に、自ら気づいて、
牧夫の誤りを糾すべきではなかったのだろうか?


4つ頭を並べて、質問にさえ答えられないで青ざめているT電社員の顔…。
それさえ今は責める気になれない。彼らもある意味、犠牲者である。
背後にいる、もっと大きなもの…。それは実は一企業とか、
一政府とか、一県市町村とか、そう言う具体的なものでさえなく、
人間の飽くなき欲望という、大きなものである、という気が今、私はしている。

だが、ああ。まあ。今は言うまい。

今は、人間の底力を信じたい。
昨日(…ああ、もう一昨日だ…)、原子炉3号機に見事長時間にわたる放水という
任務を成し遂げて帰還し、報道陣に答えている東京消防庁の3隊長たちのあの顔!
なんと、美しかったことであろう!

私が電気をあかあかと灯して、外を降る雨の音を悲しいものに聴きながら
こんな文を書いている今も、別働隊が、深夜、高い放射能を持つ建屋に向けて、
放水作業をしていることであろうか。

何もかもが瓦礫となってしまった故郷の地で、避難場所で今、寒さに震えながら
明日のことも思えずにいる人々。
被災地の人々を気遣いながら、なにか自分にもできないであろうかと考えている、
日本の他の地域の人々。
そうして、地震に襲われたその上に、さらに原発の事故に遭遇し、
屋内退避、自主退避、そのいずれであろうと、生活の基本である食料、燃料、
水、移動のためのガソリン、医薬品…すべてを得られず、
目に見えぬ放射線の恐怖に怯えつつ、
暗い夜を息をひそめながら過ごしているであろう人々。

ああ!それらが、皆、この同じ夜の空の下にいる!
悲しくも美しき この連帯感よ…。


ああ!わたしは、美しい歌を歌いたかったのだ。
春を告げる鶯のように、
胸を張って、高らかに、美しい歌を歌いたいのだ!
明日が穢れるなどということを知らなかった、純朴な昨日という日に戻って、
高らかに美しい歌を歌いたかったのだ!

ちょうど今、ラジオでは、昨夕、ウィーンフィルが、定期プログラムの前に、
日本の被災者たちに向けて哀悼と見舞いのメッセージを発してくれたということを伝え、
そこで最初に弾かれたダニエル・バレンボイム指揮、
モーツアルトの『ピアノ協奏曲第23番、第2楽章アダージョ』を、
マウリツィオ・ポリーニの演奏で流している。

悲しみに満ちた美しい演奏である。

ああ!私も歌を歌いたいのだ!
胸一杯に春の気を吸いこむことを恐れる必要もなく…

高らかに、人生に恋する歌を歌いたかったのだ!

美しい歌を。
翳りなき歌を。





ウイーン・フィル。マウリツィオ・ポリーニの演奏。ただし、指揮はカール・べーム。




『音楽の贈り物』

グレン・グールド。

この彼の姿を見ていると、涙が出てくる。
ピアノに生き、ピアノに死す。
人間と言うものが辿りつける崇高の境地。

この天災、そうしてこの人災で、一体何人の
尊い命が失われていくのであろう。

ああ。ひとは かくも生きられたであろうものを!


">


この美しい調べを聴き、この美しい手を見ただけで、
私も、この世に生まれてきた甲斐があったというものだ…




『こういう時こそ美しいものを』

嘆いたり怒ったり。
泣いたり笑ったり。

自分でも、つくづく激しい気性だと思います。

明日は笑っていたいなあ…。

こんな気分の時こそ、美しいものが必要かもしれない。
音楽の贈り物。みなさまにお届けします。

映画『アルゼンチンタンゴ 伝説のマエストロたち』の中で
使われていた、タンゴの名曲。
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』と共に、私の大好きな音楽映画。
この映画を見に行ったころ、私はある悲しみを胸に抱えていたのだけれど、
今は、そんな悲しみさえ、懐かしいものに感じる。

この曲は、私の、大事な大事な思い出の曲。






貼り付け画像だとご覧になれないかたはこちらで。
http://www.youtube.com/watch?v=ADR6qO0zlFk



『嘆いていないで』

ずうっと、被災地の現状を映すテレビ、原発事故についての報道に
見入っていた。

胸の内に溜まる悲しみと怒り。

しかし、ここで私がいくら怒り、いくら嘆いても、被災地のかたに
なにかが届くわけでも、原発の事情が好転するわけでもない、という、
当たり前のことにふと気づく。
今は責めまい。それはおいおい国民皆で考えていくことだ。

今、私にできることをしよう。

そう思った。
現地の人々に今は物資は届きにくい。
だから、今日、僅かですが、募金をしてきました。
どの組織がいいか、わからなかったけれど、とりあえず、大きな組織に。

私はいろいろな事情から、自分で救援に行くなどということができない。
もう少し、支援体制が整って、現地でなにが必要か具体化して、それを届けることが
可能になったら、物品での支援も考慮に入れて、今からその準備をしよう 。
(ただし新品を。)

まあ、そんなことをとりあえず、今日考えてみた。

今日、もうあと一時間ちょっと。夜6;20から、10:00まで、
我が家の方でも、計画停電に入る。
その前に夕食。あとは暗くても寒くても我慢だ。
昨日までのように、不手際ばかりの電力会社を罵ったりすまい!(苦笑)

ただ、一言。
日本人はおとなしい。
こういうことが起こっても、公の組織の指導に従って、皆、整然と行動する。
それは中国だけでなく、世界中から、今回驚きと感動を持って見られているようである。
この、日本人のもの静かな反応。それは日本が誇れる美質であると思う。

ただし、唯々諾々とお上の言うことに従うのと、自分の理性と判断基準に従って
もの静かに行動することは、違うことだと思うのだ。
声をあげるべき時に黙っていてはならない。
国民の声が政治を動かし企業を動かし、ひとを動かす。
原発に関してもそう。
おとなしい羊になってはならないと思う。
理性と温かい隣人愛と、正しい批判精神を持った、人間でありたい。
(人間が羊より上だと思っているわけではありません。比喩的表現です。念のため。)

静かにそう決意している。



『悲しみ』

今回の東北地方太平洋沖地震 。
日本中の人が、息を詰めるようにして、報道を見守っているだろうと思う。
想像を絶する地震被害である。
被災地の方々に、こころからのお見舞いとそうしてお悔やみを申し上げる。
その悲しみに対しては、頭を垂れるしか表現のすべがない。


私は深い悲しみに包まれている。
そして、深く深く恐れている。

今日も青い空の下を歩きながら、こういう平凡で幸せな日常が、一瞬にして
むごくも奪い去られてしまう、その理不尽を想っていた。
人間の予測を越える天災のその凄まじさ、むごさ。
そうして、こういうことが起きねばいいが、とずっと恐れ続けてきた、
深刻な原発事故が、ついに起こってしまったことを。

今、被災地のかたは極限状況の中で耐えていらっしゃる。
救助活動にあたっている消防、警察、自衛隊、そして海外から
ありがたくも来てくれた支援部隊の人々…
その他、ボランティアとして活動していらっしゃる方や、医療関係者、
原発の終息作業に危険を賭してあたっている現場の作業員、等々…

その大変さを想うと、今は過激な言葉は避けようと思う。

しかし、胸の中には人が避けようとしても避けようのない天災への深い悲しみと、
そして、もしかしたら避けられていたかもしれない原発事故の深刻化への
なんとも言えない怒りが渦巻いている。

今は、ひとりでも多くの人が、無事でいらっしゃることを祈ること、
早く被災地の暮らしが少しでも改善されること、
そうして、福島原発が何とか、コントロールできるようになり、
これ以上の重大事故に至ったりしないことを、ひたすら祈っているしかない。

なんという理不尽であろうか…。
やはり、怒りはふつふつと胸にたぎる。






『ひな祭り』

あずさのお家にやってきました。
今日は雛祭り。
年に一度、あずさをお外に出してやらなければ。

2011_0303_172240-CIMG4148_convert_20110303211444.jpg

ここがあずさのお部屋です。
アンティークの茶箪笥の、ガラス戸つきの小部屋が
あずさのお部屋なの。
・・・まだ眠っているみたい。


2011_0303_172218-CIMG4147_convert_20110303211133.jpg

あずちゃん、あずちゃん、おきなさい。

2011_0303_172317-CIMG4150_convert_20110303212236.jpg

起きてきました。まだ眠そうです。

2011_0303_172333-CIMG4151_convert_20110303212526.jpg

おはよう・・・。はっ!このひとだれ?
なんでもないの。めちゃんが韓国で買ってきたバッジよ。

ここどこ?
めちゃんの新しいお家よ。
だいぶ広くなったでしょう。


2011_0303_204543-CIMG4172_convert_20110303214232.jpg

あずさを我が家に連れてきました。
まだ、なんだか状況が飲み込めていなようにぼうっとしています。

おなかがすいた・・・
そう。もうすぐごはんよ。待っててね。

2011_0303_204514-CIMG4171_convert_20110303214830.jpg

今日はちらし寿司よ。
雛あられもあるのよ。でも一個だけしか、お皿に乗っからないわね。
さあ。召し上がれ。

あとで、皆さんにご挨拶しましょうね。


2011_0303_173622-CIMG4163_convert_20110303213733.jpg

みなさん。こんばんは。
あずさです。



あずさのことをご存じない方は、こちらをどうぞ。

去年の雛祭りの記事。

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-92.html




プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
02 | 2011/03 | 04
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード