『神の劫火』 ②

いつも長い文の私ですが、今回はさらに長いです。
でも、私の普段考えていることの本質が、ある新聞記事に書かれていたので、
それを引用しながら、原発問題の根幹を考えてみたいと思います。
どうか、どうか、いやいや覚悟して、じっくりお読みください(笑)。
読んでくださった方には、彼岸花のサイン入りブロマイドを差し上げます、なんちゃって。
いらないですよね?(笑)冗談ですよ…。


私は、3.11以来、この国の作家とか評論家とか、いわゆる文化人、知識人は
何をしているのだろう…と思い続けていた。
これほどの大きな悲劇。
ひとのそれまでの価値観がひっくり返ってしまうほどのカタストロフィ。

そのようなときこそ語るのが作家や評論家や哲学者や映画人その他の芸術家なのではないかと思っていた。
無論、『世界』とか『文藝春秋』とか、左右硬軟の雑誌にそれらしい記事は数多くあった。
しかしなにか、『大震災特集』というそれぞれの雑誌の中に収まってしまっていて
見る人が見れば、ああ、ここでこういうひとが発言を、とは思うが、
それが繋がって、大きな動きになるというような熱さは感じられない気がするのである。

こんな時こそ、右左とか保守革新とか与野党とか、そういったものを超えて、
大きな歴史的視点に立った論評が求められているのに…。
なにかそれが大きなうねりとなって感じられず、非常に個人的で単発的なものが多い
気がするのである。
メディアが死んだ、と言われて久しいが、それだけではなく、日本の論壇というもの、
日本の良心を形成していく、といった職業にある人々自体が、もう熱さを失い、
精神的に若さを失ってしまったのであろうか?
私が単にアンテナの張り方が悪く、勉強不足なだけだろうか?


そんな中、5月26日、朝日新聞朝刊の第15面(多摩版だが)。論壇時評のページは
そんな私の不満をちょっと払拭してくれた。
筆者は作家の高橋源一郎氏。
いろいろ、引用して個別に語ってみたいことをたくさん含んだ記事だった。
高橋氏による論壇時評なので、私がまたそれを引用すると、引用の引用となって
煩瑣である。原文は、『続く』のところに載せておく。

タイトルは『非正規の思考 原発もテロも広く遠く』。高橋源一郎

震災と原発事故のニュースを、カリフォルニアで聞いた加藤典洋は、
『自責の気持ちも混じった悲哀の感情』を抱いた、と、『一冊の本』5月号で語る。
高橋源一郎自身も、同じような想いを抱いたそうである。
私が、東北を襲った想像もつかないような地震と、それに続く福島第一原発の
事故のことを知った時も、同じであった。遠い安全なところにいて、
評論など世に向けて言を発する仕事についているわけでもない私。
それなのに、しばらく胃腸の調子を悪くするほど、嘆き悲しんでいた。
それは私が、母である、ということからも来ていたと思うが、それは、
「このような悲劇を、この日本で起こさせてしまった!」と言うのに近い、
しーんとしてしまうような『すまなさ』の感情であった。
誰に対して感じていたか、と言うと、それは、若い人々に対してであったような気がする。

自分の娘やその恋人、彼らの子供(はおそらく実現しまいが)、とにかくその子供たちの世代、
そうしてさらにその先の世代、それから、人間以外の鳥や虫や花などに対しても、
なぜか『すまない』と言う気持ちを私も抱いたのである。
原発に関してその危険を知っていながら、止めるための動きに加わっていなかった自分を悔いた。

それに関連し、私が『ほほう!』と思ったのは、引用されている河野太郎氏の言葉である。
河野太郎はネット上の対談『BLOGOS対談』で、『反原発』に批判的な池田信夫の質問に
答えている。池田の質問はこうだった。
廃棄物は日本海溝の下に埋めるか、シベリアやモンゴルに金で引き取ってもらえば?」

この質問が期せずして、原子力発電を推進する側に立っている人々の、基本認識を
端的に表してはいないだろうか。
放射性廃棄物を、ひとのいない(=自分の近くでない)遠隔地に
捨てればいい、とする認識。それが世界の海に繋がる日本海溝であろうが、シベリア、モンゴルで
あろうが、自分のところでなければいい、とする認識。しかもそれを金の力で
やろうとする認識。これが、まさに福島浜通り、六ヶ所村などに、つまり産業の乏しい地域に
金をばらまいて原子力関連施設を作る、という構図に繋がってくる…。

この挑発に対し、河野はこう答えたと言うのである。

「ずっと先の世代を縛るわけにはいかない。それは経済的合理性の問題ではなく、
「文化論」に近い問題なのだ、と。

これを読んで、私は、ハタ!と自分の手で膝を打ちたいような気がした。
河野太郎氏。もしかすると、ハンス・ヨナスの『責任という原理』を読んでいらっしゃる
のではなかろうか。

思いだすことがある。2年前の『故郷の廃家』と言う私の前のブログのコメントで、
私はその哲学者と著書のことを、ある青年から教えてもらったのである。
彼のハンドルネームは、evgene さん。
私が原発のことを懸命に調べて記事を書いていたとき、私が、「原発と言うものは、
その廃棄物の問題や、また一旦事故を起こしてしまえば、何十年何百年と、
監視しなければならないと言うことや健康被害など、未来の世代に
大きな禍根を残すものである」と発言。
すると、別のある青年から、それは偽善だ!とツッコミを受けたのである。
自分の孫子に対してならともかく、全く知らない未来の人間にまで、責任を感じるなんて
情緒的すぎる、それは貴女の偽善だ、と。
私は、それは想像力の問題なのだ!と結構激しく反論した。
未来の世代と顔見知りかどうかなんてそんなこと関係ない。地上の草や木や
生き物に、人間のような感情や知性がないから、なんてそんなの関係ない。
それは想像力の問題である、と。
かっかする私に、evgene 氏が、その本を紹介してくれたのである。

ハンス・ヨナス。1979年『責任という原理 ――科学技術文明のための倫理学の試み』
(加藤尚武訳・監修。東信堂、2000年)

ハンス・ヨナスについてのあらましはここを。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%A8%E3%83%8A%E3%82%B9

さて。この本のあらましを紹介するのは難しい。なにしろ図書館で借りてきて見たら
厚さ4センチくらいあるんじゃない?と思うようなずっしりしたハードカバーの本。
450ページくらいある。新装品は5千円だけれど私が見たのはもっと高かったんじゃないかなあ。
すみません、evgene さん。拾い読みしました(笑)。
斜め読みしながら、大事そうなところに紙片を挟んでいった。
あとでじっくり読もうと思って。でも結局読みかえしはしなかった。
返却するとき、挟んだ紙片を外すのが大変だった(笑)。

そんな読み方だったが、およそのことはつかんだ。
現代は科学技術が驚異的に進んで、それは自己増殖しながら、とどまるところを知らぬ
発展を我々人類にもたらした。しかしながら、その行く先は、地球環境破壊や資源の枯渇など
にやがて行きつき、それは我々の後の人類や他の生物、地球環境に限りなく大きな
厄災を持たらすかもしれない。
今生きる我々は、未来の人類に対し、また地球に対し、責任を負うのではないか?

…そういう問いから、この書物は書かれている。

従来の倫理学というものには、この、『未来に対する責任』という視点は欠けていたか
あっても弱かったのである。そもそも倫理というものは、今を生きる我々、というものを
対象にし、それは基本的に時代が変わろうと変化しない性質のもの、と考えられていたから。

しかしながら、自分の孫子ならともかく、会ったこともない、会うこともありえない
未来の人々や、動植物にまで、我々は責任を負う必要があるのか?
そうしてそれは可能なのか?
我々が、未来の人々のために現在の生活をたとえば切り詰めて我慢する…しかし
それが未来のひとのためになったということさえ、我々は確かめることさえできない。
『倫理』というもの、『責任』というものは、同時代の、しかも相互方向的な働きを
意味のうちに内在している。
それの成り立たない、未来の人々や動植物などに、我々はそもそも責任を
感じられるのか?…

まあ、こういったことを書いた本である。
哲学的な素養のない私などには、とても難しくて、簡単にまとめるなんてできない。
あれこれ検索してみた結果、この方の文がとてもわかりやすかったので、
拝借させていただこうと思う。ハンス・ヨナスに興味のおありの方は是非どうぞ。

http://www.geocities.jp/kawasakisoichi2004/hansjonas.html

ここではその方の一節だけを引用してみよう。ハンス・ヨナスがどういう認識を持っていた人か、
この一言でわかり、そうしてとりわけ今は、多くの方が、「ああ!」とお思いになると思う。

ヨナスは、未来の世代に与える影響に関する予測が楽観的なものであってはならないことを、
くりかえし強調している。「救いの予言よりも、不吉な予言にこそ耳を傾けよ。」(56頁)
未来の予測はつねに外れる可能性があり、当たる確率よりも外れる確率のほうが
圧倒的に大きいのであるから、「未来倫理」は未来における最悪の可能性を
考慮するのでなければならない。言い換えれば、未来に対するユートピア的な観点を
とってはならない。それゆえ、未来の世代に対する責任とは、宗教的な来世における
救済のイメージや、ある種のマルクス主義に見られる未来におけるユートピア主義とは
正反対のものでなければならない。
(途中略)
未来の不可知性にのっとって、少なくとも未来に対して負の遺産を残さないよう
努めなければならない。
「未来倫理」とは、「遠く隔たったものへの責任の倫理学」(49頁)でなければならないのである



さて。脱線したが、この、未来に我々が責任を負う、ということは、原発を考えるときに
避けて通れない問題である。
河野太郎氏は、そういう目線を持っている人なのだったか!と、彼の言動を高く
評価している私は、あらためて感心したのである。
河野太郎氏については、また別に書きたい。

高橋源一郎氏は、我々が議論の外に置いてきた、この、「これから生まれ出る人々」
を、原発問題の関係者として召喚すること、これも今までの「正規の思想」にはなかったことだ、
と書く。  

そうしてさらに、
テーマが切迫したものであればあるほど、逆に、広く、遠く、枠を広げて論じる姿を
わたしは見たい
。』とも書く。
これこれ!
これは、私の前のブログの、大きなテーマだった。
老いてもう先が見え始めた私が、若い世代の方に書き残しておきたいと思って
始めた前の『故郷の廃家』というブログ。

その大きな通奏低音は『悲しみ』であり、テーマの3本柱は、

「人間だけが、この地球で認識をし、想像することが出来る生きものである。
それならば、人間に与えられた役割、というのは、この地球の、奇跡のような
美しさ豊かさを認識し、それを守って後世に残すこと。
そのためには『想像力』というものが何よりも求められる」ということ。

「そのためには、『遠い視線』が必要である。自分や自分のまわりの『今』
だけでなく、地球の他の地域にすむ人々や動植物のこと、そして時空を超えて
過去や未来の人々にも向ける視線を持つこと。無論、遠くばかりを見ていては、
足元の不幸に気づかない。近くのものに対してはやさしい『眼差し』がいる。
つまり、『遠い視線と近くへの眼差し』の両方が必要。」

「上記2つを人間が獲得するためには、まず『知る』ことが必要である。
知識と経験のないところに、想像力も理解も生まれない。学校の勉強が優秀であれ、
ということではない。テレビ、本、ひとの話、旅行、労働などの実体験…、
あらゆる方法で、『知る』ということ。この世の仕組みとからくりを
知るということ。知ることはひとに、ときに『悲しみ』をもたらす。それでも、人間ならば、
その悲しみを、あえてその身に引き受けること。『知る』ことはまた、大きな大きな
『歓び』でもあるのだから。」

私がずうっと一貫して、若い人々に訴えたかったのはこのことであった。

ああ…。
この新聞記事の中に、それらがみな書いてあるではないか!

さらにもう一つ。
高橋氏の文は続く。

たとえば、目の前にある危機である「原発事故」を、「文明論」の中で考えようとする
関廣野や中沢新一のように。
関は、原子力は本来ニュートン物理学の枠外に位置しているとする。それは、
日常の感覚では理解できない種類の存在であり、それ故、人びとを不安に陥れ続けるのだ。
一方、中沢は、「生物の生きる生態圏の内部に、太陽圏に属する核反応の過程を、
『無媒介』のままに持ち込んだ」原子力発電は、他のエネルギー利用とは本質的に異なり、
我々の生態系の安定を破壊する、とした上で、さらに踏み込んで、本来そこに所属しない
「外部」を、我々の生態圏に持ち込む有り様は、一神教と同じとする
。   
「原子力技術は一神教的な技術」であり、「文明の大転換」を試みなければならない、
という中沢の主張は、いま、奇異には聞こえない。

  

備考
 ⑤関 廣野氏の『廣』という字は本当は日ヘンがついているが、パソコンに出てこない。
  お許しください。出典:「ヒロシマからフクシマへ」(現代思想5月号)
 ⑥中沢新一「日本の大転換(上)」(スバル6月号)


おお~!なんと!私がテレビの旅番組で、町角の小さな祠を見てぼんやり考えた
原子力発電の火は、一神教の神の燃え盛る劫火みたいだな、という漠然とした想い。
それが、ここにも書いてあるではないか。
とすると、その後にわたしが続けて考えた、自然エネルギーは、日本のさまざまな
小さな神たちのよう、ということも、まんざら的外れで突飛でもないだろうか。

日本人の中に根強くある、こうした大らかな宗教観、それは、日本人が
山や川や海や、森や木々や風や草や花や鳥獣や、雨や雪や波や火山噴火…
そうして変化に富んだ自然の中に生活してきたところから来る大らかさと
内ふところの深さから来ているものであろう。
そうした日本人に、強大ではあるけれど、厳しく過酷な、原子力の火は
本当は似合わないのではなかろうか。
日本人はきっと、自然エネルギーの先進国になれる資質を豊かに潜在的に
持っているはずである。

私は、未来の人々に禍根を残すことをしたくなく、
また、今、この日本の人々が、そして大地が…見えない放射線などによって
冒されていく理不尽に、我慢がならないのである…。憤怒するのである。

物事を遠い大きな目線で見ることが出来る者…
哲学者、文学者、評論家、芸術家、科学者…そうした人々はもっと声をあげないか!
これだけ多くの一般の人々が、一所懸命考えているものを!


いや、そうじゃないな。
高橋源一郎氏の、この文のタイトルにあるように、一般の私たちの、新鮮な『非正規の思考』こそが
大事なのかもしれない。大きく国を動かす力を持っているのかもしれない。
評論家などという人々に方向を指し示してもらえることを、つまり、
なにか「こうしろ」と言われることが与えられるのを、待っていてはいけないのかもしれない。
自分で、自分の頭で一所懸命考えること、過去を調べてみること、
そうしてそこから未来への、遠くへのまなざしを自ら得ることが大事なのであろう…

そう。それから。高橋源一郎氏の記事には書いてないけれど、
私もまた、「知らなければ想像力も生まれない」と書いたけれど、
人間には後天的な『知』の他に、本能として、醜悪なもの、危険なものを
避けようとする知恵が本来ありはしないだろうか。
とりわけ、日本の様な豊かなやさしい自然の中に育った我々には。
それは、なにも、誰かから学ばなくとも、我々のうちに眠っている知恵である。
言わば、直感的な知恵である。

反原発、脱原発の声の中。これまで原発推進政策を積極的に言ってきた人々の
強弁を目にするとき、この人たちにはその、人間の生物としての本能的、直感的知恵が
欠落しているか、あるいは欲のために鈍ってしまったのではなかろうか、
また、日本人の素朴な信仰心、自然に対する畏れ、などという美質を、
どこかに置き忘れてきてしまった人々なのではなかろうか…、と、
ある種、傷ましいような想いを持って、その顔をしみじみを眺めてしまうことがある。

福島の子供たちに20ミリシーベルトなどという年間被ばく許容量を設定した
専門家、そしてその言を取り入れた為政者。
彼らにも、その人間の、動物としての本然的知恵が足りないのではないか…。
そう怒りを覚えてしまう。
科学的知識などない一般庶民だって、その残酷が容易に見抜けるものを…。

『非正規』だってなんだっていい。
私たち一人一人の持つ知恵と良心の声を、何とか大きなうねりにしたいものである…。



…長くなりました。
でも、ここに、私の言いたいことのすべてがあるような気がしています。







高橋源一郎氏の論壇批評は以下に、その原文の前半部を載せておきます。
また、後半部には、国際情勢などについて書かれたものに対する論評が
本来はありましたが、それについてもいつか私も触れてみたいので、ここでは載せず、
また、あらためてご紹介したいと思います。




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『神の劫火』  ①

テレビの旅の番組をぼうっと見ていて、ふと思った。
日本は宗教に対し、非常におおらかな国である。
昔は、例えば織田信長と一向宗が争ったり、明治の初め、廃仏毀釈などということも
あったけれど、概して日本人は、大変おおらかにいろいろな信仰を受け入れ、
生活の中にそれを取り込んできた国民と言えるだろう。

大きな寺院や神社は無論のこと、日本には民衆の信仰心の表出した
祠などがほんとにあちこちにある。
険しい山のてっぺんにも小さな社が祀られていたり、農道の追分に道祖神が祀られていたり、
大都会の裏通りの民家の庭にお稲荷さんがあったり…。
祀られているものもほんとにいろいろ。
勿論お釈迦さまから弘法大師様から、菅原道真公から、妙見様から乃木希典大将まで…。

「ああ、おおらかだなあ…日本は…。

なんだか、原発って、まるで一神教の神の国の、燃え盛る『神の火』みたいな
もんなんじゃないかしら。」…ふと、そう思ったのである。

人間が触ることの本来許されない神の炎。
まあ、これはなにも、私が考えたことではなく、よく例えられるものかも
知れないが。プロメテウスが盗み出したという、神の火。

日本原子力産業協会によれば、福島原発事故前の今年初めの時点で
世界で436基が運転中。建設中が75基で計画中の原発は91基だそうである。

先進国がこうやって燃え盛る神の火を手に入れて発展を遂げてきたのなら、
開発途上にある国が自国にも原発を、と思うのは当然であろう。
例えば、先の記事で書いたモンゴルが、アメリカや日本の核のゴミを受け入れる代わりに
原発の技術を提供してもらおうと考えたように。

先進国の人々はこれを危ぶむ。
自分たちは事故を起こさないけれど、開発途上国の人々が果たして安全に
原発を管理していけるのだろうか、と。
また、紛争中の国などでは、原発を狙ったテロだって起こりうる…。

自国の原発を売り込んで、商売で大儲けはしたい。けれども、その後の安全運転には
危惧を抱き、本当は原発をあまり持って欲しくはない…。

これが先進国の勝手な本音なのではないだろうか。
アメリカが、自国は原発を104機も持ち、大量の核兵器を持ちながら、
核拡散を心配しているのが示すように。自国の原発増設を認める大統領が
核兵器なき世界を訴え、ノーベル平和賞を受賞したのが象徴しているように。

今回の福島第一原発の事故で、原発がいったん暴走を始めたら、それは人間には
手がつけられないものになるという恐ろしさを、日本人は知ったはずである。
今回の経過を見ていると、メルトダウンが起きていながら偶然が重なって、
危機一髪のところで、最悪の事態は避けられたということがわかって慄然とする。
最悪の事態というのは、1~4号機のどれかで、水蒸気爆発が起き、
核納容器も吹っ飛んで大量の瓦礫と共に放射性物質が空に巻き上げられ、
そのために、誰も第一原発に近付けなくなってしまう。
そうして、1~4の他の原子炉も冷却が出来なくなったために次々と
メルトダウンし、建屋ごと爆発していく・…という恐ろしいシナリオである。

そうならないよう、放水を続けて、何とか、再臨界を抑えてはいる。
しかし、そのために大量の放射性物質に汚染された水がたまり続け、もうすぐ
収容しきれなくなりそうだ、というのは皆さん御承知の通り。
この高濃度汚染水の処理費用だけでも、少なくとも531億円かかりそうだという
見積もりを昨日東電が出したばかりである。それが最終的に一体いくらまで
ふくらむのか、誰にもわからない。ここには低レベルの汚染水は含まれていない。

これからあと5年から10年もかけて燃料を冷却し続け、ようやく燃料を
取り出すことが出来るようになったとして、それから解体が完了し、
出てきた、高レベル、低レベルの大量の核のゴミをどこに処分するのか、
いったいそれにいくらかかるのか…
農産物、海産物汚染の補償。住民への補償がいったいどこまで出来て、それはいったいどこまで
ふくらむのか???

福島の事故がなかったとしても、これから次々に老朽化して使えなくなる日本の原発。
それらはいずれ解体処理されなければならない。いったいそれにいくらかかることか!
原発を新設するのだって、一基数百億円というお金がかかるもの。
そうして、仮に天変地異がなくとも、人間のミスによって、チェルノブイリや
スリーマイル事故のように、大きな被害を何十年と地球にもたらすもの。

それを世界は、これから、予定通り全部建設されたとすると、今あるものを含め、
計610基も持とうとしていたのである!

…そう考えると、本当に原子力発電というものは、人間が手にしてはならない『神の火』
だったのではないか、という想いが強くなる。

さて、日本の道祖神などの話に戻るが、私たち人間にとって、これからそちらに
だんだん切り替えていきたい自然エネルギーというものは、これらの、小さな
さまざまな神や仏に似たものなのではないかなと私は思うのである。

日本人がその歴史の中で育み、大切に守り続けているお地蔵様や、お稲荷さんや
天神様や、妙見さんや、東郷平八郎や乃木将軍や道祖神やお不動さんや
時には河童やお岩さんや、大きな石まで…!(笑)
それらは、大きな主流である神道や仏教やキリスト教の神仏の寺院神社の他にあって、
我々が日常的にさりげなく生活の中でお参りし、手を合わせる小さな神々である。
まあ、お地蔵さんは仏教だけれど、ささやかにまつられる仏さんだから。

原子力発電の火が、われわれの触れてはならなかった『絶対唯一神の神の火』とするならば、
石炭、石油、ガスなどは、日本における混交の神仏たち、つまりキリスト教や
仏教や、神道の代表的な神仏たちの様なものであり、
水力、太陽光、太陽熱、風力、地熱、波力、潮力、バイオマスなどの自然エネルギーは、
日本人がこまごまと愛し守ってきた、こうしたささやかな神仏たちに似ているのではないか、と。

勿論、こうした神々には、世界を変えるほどのエネルギーは今のところない。
(将来はわからないが)
つまり、大きな自動車工場を動かし、精密機械で世界をリードしていくような
そういう分野では、ガス、火力などの強くて安定したエネルギーが必要であろう。
しかし、一般家庭や学校や役所や、個人会社などでは、その地域の事情に合わせて
こうした小さな神々、太陽光や、風力や地熱や時には雪や、間伐材から取れるバイオマスや
と言ったエネルギー源を使い分けしていけばいいではないか。

それがこれまでできなかったのは、電力会社11社が地域の独占企業であって、
発電送電を一手に独占してきたこと、自然エネルギ―開発をむしろ積極的に
妨害してきたこと、そのためにこれらのコストが高いこと、が原因なだけである。

日本人のこうしたおおらかな宗教観は、もし、電力会社と、自民党政権が
ずうっとやってきた独占政策によって撓められ萎縮されることなく、エネルギー開発が
大らかに薦められてきていたとしたら、おそらく大きな力を発揮して、
日本を自然エネルギー大国にさせていたかもしれないと私は思うのである。

道端の、小さな鼻の欠けたお地蔵様に小さな蜜柑を供え、千羽鶴を飾り、
お稲荷さんによだれかけをかけ、大きな樹や岩にも畏敬の念を抱き祀る
日本人の素朴な宗教観。それは、四季折々の変化に富み、山や川や水や木や、風や波や
お日様や雨と共にずうっと暮らしてきた私たち日本人の、自然から発する宗教観である。

おそらくその心は、自然エネルギーというものを大らかに受け入れる素地を
豊かに内包していたはずである。
もしも、電力会社、時の政府、学会…そうした原子力村にかかわる
巨大な組織が、組織ぐるみで、『原子力しかないんだよ!』という刷り込みを
長年にわたり、巨大な資本の力でやってきていなかったとしたら…。


そうして。これは単に日本だけの特殊事情ではないと思うのである。
これから、開発途上国に何基も何十基も原発を作っていく…

しかし原発というものは、作るのにもやめるにも、また処分するにも
膨大な時間と費用を食う、巨大な神の火である。
それは一度燃やし始めると、止めるのがこんなにも難しい。
それどころか、休めることさえ、膨大な費用を食うものなのである。
100万キロワット級の原子炉を一基、一日休めると、一億円の損失という。
また、原子力発電は夜間消費電力が少ないからと言ってその間止めることが出来ない。
だから電力会社は、何がなんでも原発を稼働させようとし、そのためにはどんなことも
するのである。エコ給湯。電気自動車…。一見いいもののように宣伝されてはいるけれど、
それらは原発を休められなくてあまる電力を、国民に使わせるための方策でもある。

そんな、巨大なエネルギー。それを例えばモンゴルに作るのか。
アフリカに作るのか。
一度計画したら最後、中止も、休止も、停止も大変な神の火を燃やすのか。

いずれはウランだって枯渇するものを…
今の先進国と言われる国々で、いずれはウランも石油も石炭もガスも、レアメタルも
鉄鉱石も掘り尽くしてしまうであろう。そうしたらそのあとの世代は、
そうしてこれから文明の恩恵を手に入れようと努力している国々は
何をエネルギー源として使い、何を持ってものを作り、その上汚染された地球のどこに住む?

いずれは。いずれは地球人は、再生エネルギーに頼らざるを得なくなるのである。
いずれは。いずれは地球人は、無尽蔵に資源を掘り出しふんだんにものを作っては捨て
ということは出来なくなるのである。
生活を縮小させ心まで萎縮させるということではない。
賢くコンパクトに生きる生き方が、いずれ不可欠な世の中に確実になるのである。

おそらく、今生まれた赤ん坊が、一番の働き手となるころ…。

小さな神々の火。例えば風力、例えば地熱、たとえば潮力…
そうしたその土地に合ったエネルギーを、一種類でなく複層的に
利用するようにしていけばいいではないか。それらと従来の火力、ガスなどを組み合わせて。

家に太陽光発電機を取り付け、窓は二重サッシにし、地下との温度差を
利用して冷房の代わりとする、自転車の街にする、公共交通網をめぐらせ車は使わない…
地産地消で流通の無駄をなくす…、無駄にびかびか夜電気を灯さない…
そんな程度のことである。

日本は原発先進国の地位を譲ったっていいじゃないか。
太陽光、風力、地熱、潮力…こうした技術は日本のお得意でもあるはずであった。
その日本人の優秀さで、これから伸びてくる国々のモデルに自らなり、その経験と
能力で技術指導と援助をしていけばいいじゃないか。
そうすれば、日本は世界から尊敬される国になれるであろう。

…テレビの旅番組を見ながらこんなことを考えていたちょうどその翌日。
朝日新聞に感動的な記事が載っていた。
ほんとはそれと絡めて書くつもりだったけれど、もう十分長すぎるので(笑)、
別記事にすることにしよう…。


『どくだみ荘日乗』

深夜一時。
今夜も、ホトトギスが我が家の上空を鳴いて通り過ぎていく。
『テッペンカケタカ!』
二声、三声…。せつない、いのちの限りの声で叫んで渡っていく。

毎年、今の季節になると、一羽、ホトトギスがこのあたりにやってくる。
私は毎年それを待ちわびている。

『何かを待つ』『誰かを待つ』…その幸せと寂しさ。
何を具体的に待つ、誰を待つ、というのでもないのだけれど、何かを待っている…
そんな心に、深夜のホトトギスの声は本当にしみじみと呼応する。
今年はとりわけ、彼の、血を吐くようにせつないいのちの叫び声が
胸に響く。
待つ人、待つものがある人は幸せである。が、
波にさらわれて待てど戻って来ぬ人を求めて求めて、ホトトギスのようにこころに血を流しながら
今も想いを夜にさすらわせている人がいるに違いない…。



どくだみ荘に、どくだみの花が咲いた。


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今、どくだみ荘に踏み入ると、どくだみの青臭い香りが瞬間ぱあっと立ち昇る。
それは強烈な、でも鮮烈な、なにか『青春の』香りである。
若い男の子の、女の子の汗の匂いのような。
でも、不思議に、花自体は実は気品のある別の香りがある。
ほんのかすかで、気づかれないくらいだけれど、白い花特有の芳香が。


でも、今、どくだみ荘はどくだみとは別の、この花の香りに包まれている。


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我が家の裏の垣根いっぱいにからんだテイカカズラ。
気品のある甘い香り。我が家だけでなく、このあたり一帯に漂っている。
深夜。窓を閉め切った今も、昼間の間に入ってきたこの花の香りが
まだかすかに、この私のいる部屋にも残っている。


ああ。またホトトギスの声だ!

深夜二時。



誰も知らない 私だけのこの想い。









http://youtu.be/UbdGxgxbBEc


『是非、見てください』

今日、参議院の『参議院行政監視委員会』で、このような理事会が開かれた。
議題は『原発事故と行政監視システムの在り方に関する件』。

参考人として、次の4人が呼ばれた。
  京都大学原子炉実験所助教      小出裕章氏
  芝浦工業大学非常勤講師       後藤政志氏
  神戸大学名誉教授          石橋克彦氏
  ソフトバンク株式会社代表取締役社長 孫 正義氏。

これはその時の模様をユーストリームが配信してくれたもの。
(「参議院テレビ 脱原発への道」)

http://www.ustream.tv/recorded/14906087

http://www.ustream.tv/recorded/14907869

すごい会である。このメンバーをよく集めてくれたと思う。
よくこの人びとが集まって語ってくれたと思う。
また、よく配信してくれたと思う。

政府が、東電が、そうしてマスコミが、語ろうとしない、日本の原発行政の実態。
福島原発の現状。そして、今後の見通しが、本当に正直に語られている。
こんな会議が、行われたとは!
そうして、こんな中身の濃い、真剣な会議が、なぜ、国会で行われないのか。

…これを見れば、今の現状がわかってがっかりもするけれど、逆に正確な現状を
知ることによって、これから私たちはなにをすればいいかという希望も湧いてくる筈である。

ああ。どうしてNHKがこれを広く国民に向けて放送してくれなかったかなあ。

皆さん。ぜひ、これをご覧ください。
ユーストリームの配信の著作権がどうなっているかわからないけれど、
とにかくこれは、一人でも多くのひとに見てほしい。
悪いのかなと思いつつも、ここにアップしてみます。

ぜひ、ぜひ、腰を据えてご覧になってください。
日本の良心がここに集まっている気がします。
参議院も捨てたもんじゃない。参議院は本来こういうことをすべき組織であったのです。


『理不尽』

日米が共同で、モンゴルに使用済み核燃料などの貯蔵・処分施設を作る計画が
昨秋から進んでいたそうだ。

5月9日付。毎日新聞。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110509-00000001-maip-soci

ご存じのように、日本では、青森県上北郡六ヶ所村弥栄平地区に、1993年から
使用済み核燃料の再生工場が建設されている。当初の計画では
7600億円の予定だったが、まだ完成に至らず、2011年2月現在で
2兆1930億円にまで建設費用が膨らんでいる。

敷地内にはウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、
高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターが併設して建設されている。
今後 MOX燃料工場の建設も予定されており、核燃料サイクルのための
核燃料コンビナートを形成する。

ところがこの六ヶ所村の施設は、基本的に、核燃料サイクルと言って、
日本全国の原発で燃やされた使用済み核燃料を集め、
その中から核燃料のウランとプルトニウムを取り出し、それをもんじゅや、
普通の軽水炉で燃やして、何回もそれをサイクルさせようという考えの
もとにつくられた施設である。核のゴミ置き場ではない。
しかし、プルトニウムを燃やす高速増殖炉もんじゅは、計画自体が頓挫。
核燃料を『サイクル』させるという謳い文句とは異なって、日本では
毎年毎年、各原子量発電所から大量に使用済み核燃料が出て、それの
行き場がないのである。プルサーマルなどと言って、ウランにプルトニウムを
混ぜたMOX燃料を軽水炉に使用してはいるが、危険な使用済み燃料は
溜まっていくばかり。
仕方ないので、各原発の施設の中に、使用済み核燃料プールを設け、
そこで冷却を続けている。
福島第一原発4号機の、使用済み核燃料プール、あれなどを見ればどんな感じか
おわかりいただけるだろうと思う。

アメリカではネバダ州ユッカマウンテンにブッシュ政権時代、巨大な地下処分場を
作っていた。が、地下水の問題が指摘されて、オバマ大統領が計画の中止命令を出した。
日本もアメリカも、どんどん出てくる使用済み核燃料の処分場がないのである。
いや、世界各国にこの問題は共通している。

そこで、アメリカと日本はモンゴルに目をつける。
モンゴルは地盤が固く、また、原子力による経済発展を望んでいた。
その両者の思惑が合致し、昨年の秋から、極秘裏に3国の間で計画が進められて
来たらしいのである。

しかしながら、日本で今回の大地震が起こり、原子力推進の動きは一時
凍結に近い。モンゴルに、使用済み核燃料の最終処分場を、という
日米の思惑は、これからどうなっていくのかまだ分からない。

今回の事故でよく一般の人も知ったことと思うが、使用済み核燃料、とは言っても、
それは巨大な崩壊熱をまだその内に有する、大変に危険なものである。
そうしてそれは、安定的に、5年も6年も水の中につけて冷やし続けなければならない。
そうして後、初めてプルサーマルに回すために再処理されるか、あるいは
アメリカのように、そのまま地中深く埋めてしまおうとするか、とにかく
次のステップがようやく踏めるようになるという厄介なものである。
プルサーマルで再利用とは言っても、全部が使いきれるわけではなく、
一回で処分してしまう場合に比べて、僅かに、1.5倍ほど有効なだけ。
プルサーマルの過程で、さらに多くの高レベル放射性廃棄物や低レベルの廃棄物を
大量に生み出す。それらの貯蔵場所も、日本はじき満杯になってしまう。

皆さんも、今回の福島原発1~4号機の内部の設備が、映像や図で繰り返し
紹介されたので、各原子炉建屋には、原子炉格納容器そのものの他に、
使用済み核燃料のプールがあるのをもう、ご存知でいらっしゃるだろう。

2年前、『故郷の廃家』で私自身が書いた記事を一部転載する。
参考文献等はそちらでご覧いただきたい。

  『100万kW 級の原子力発電所を1年間稼働させるのには、40000本弱の燃料棒が
  必要で、一年間運転すると少なくとも30トンの使用済み燃料が取り出される。           
  
  『2004年版原子力白書によれば、日本の原子力発電所の
  使用済み核燃料貯蔵量の合計は、11,110トン。
  管理容量が16,940トンというから、使用後の燃料を各原発で一時的に
  貯蔵して置いても、いずれ近いうちに、いっぱいになってしまう。
  解決法の見つからぬまま、多くの国ではしかたなしに、使用済み燃料は
  30~35年もプ-ルに入れたままにしておくこともあるという。』

2004年時点でこの数字である。いまはいったいどのくらい溜まっているものやら!

核のゴミは、そうやって各原発などに溜まっていくばかりなのである。
いっぱいになれば、原発の稼働そのものが行き詰ってしまう。
そういった意味でも、日本の原発は、実はもう限界にきているのである。                  

だから、日本もアメリカも、処分場を見つけようと必死である。
しかし、考えてもみよう。
いくら、モンゴル政府自身がそれを経済発展のために望んでいるとはいえ、
日本やアメリカ、つまり他国の核のゴミを、自国に持ち込まれるのである。
なぜそんな危険なものを、お金のために持ち込ませるのか?と思うだろう。


ああ。しかしながら。
日本では、これまでそれを散々国内でやってきたのである。
つまり、地味が痩せていて、あまり耕作に向かないような僻村。
他にめぼしい産業もなく、働く場所もなく、村全体の所得レベルの極めて低いような
地方の村や町。経済的に行き詰ったようなそんな村に、巨額のお金をちらつかせて
原子力発電所を作ることに同意させる…。

私は、日本の経産省、アメリカのエネルギー省、そして、誘致した
モンゴル外務省が計画している、この核の処分場の話を聞いたとき、
思わずため息が出てしまった。

ああ!またしても、札びらで貧しい地域のひとの横面を叩き、
強者が原子力関連施設を作るのか!と。
そうしてそれらは、いよいよの時が来るまで、大抵は水面下で一部の人びとによって
話が進められていく。
六ヶ所村に石油コンビナートの計画が持ち込まれたときのように。
そうして、心ある人が、これはまずい!と反対の声をあげても、
その時にはもう立地は承認され、工事はもう決定してしまい、お金も動いて、
流れは止めようがなくなってしまっている。
後は、もう『決まったことは仕方がないよ』『出来ちゃったものは仕方がないよ』
と、あきらめるのである…
そうして、いったん今回のような重大事故が起きると、誰ももうそれを止められない。
真っ先に被害を受けるのは地元民である。そうしてそれは地元にとどまらない。

今、神奈川、静岡のお茶に暫定基準値以上のセシウムが検出され、
岩手、宮城など、東北地方の牧草もまた、汚染されているとのことである。
海の汚染に至っては、これからどこまで広がっていくことか。
日本だけの問題ではすでにない。
そうしてそれは、2012年という一時点ですむことでさえなく、これから
何年も、何十年も、正直に言えば数百年も監視を続けなければならない汚染を
この地球に、そして私たちの子供たちに残したのである。

私がかくも腹を立てているのは、この理不尽に対してである。
この、馬鹿馬鹿しいほどの不条理に対してである。

いったい誰が、原発事故に、永久的な責任を負えるのであろう?
推進してきた人々の、いったい誰が?
もう、決まったことは仕方がないよ、と言って流れのなすがままに任せてきた
私たち自身の、いったい誰が?
私たちは、自分たちがふんだんに電気を使うために、モンゴルの人びとに
危険な放射性廃棄物をお金の力で押しつけるのか?
モンゴルの人びとは、それをよく承知しているのか?

なぜ、なぜ、こういう大事なことが、早い段階で明らかにされ、
決定までに十分な情報が提供され、十分な議論が国民の間でなされたのち、
国民の総意を問う形で決定される、ということが出来ないのであろうか。



『貧しさの構図』

こんな本を読んでいた。
先日ご紹介した本田靖春さんの本。
『村が消えた むつ小川原 農民と国家』

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シンクロニシティというのかどうか、不思議なことに、一つのことを
調べたりし出すと、いろいろな偶然が重なって同時に起こっていって、面白いなあ、と
思うことがよくある。
去年本田さんの本を手に取ったときは、今、私がまさに読みたいと思うような
題材について、本田さんが書いていらっしゃるとは思わなかった。

これは、国家によって生涯にわたり翻弄され続けた、ある僻村の人々の
戦中戦後を追いかけた、渾身のノン・フィクションである。

むつ小川原…。その地名を聞いて、あ!と思う方もいらっしゃるだろう。

そう、青森県上北郡六ヶ所村弥栄平地区…。
日本原燃の使用済み核燃料再生工場が建設されている、あの六ヶ所村の
ある一帯である。

昭和初年頃。東北各地は相次ぐ農業恐慌にあえいでいた。
地震、大津波、大凶作、金融恐慌などが、それでなくても貧しい東北地方の
農民たちに襲いかかる。農家でありながら、ひどい不作で米を食べられない。
藁の節を蒸して、臼でついて作った、ひどい臭いの藁餅で、糊口をしのぐ。
自分の懐に湧いた、シラミをとって食べる老婆…。
口減らしのため、元旦の朝に入水自殺する老人。
昭和6年の大凶作の際には、東北6県で最も被害の大きかった青森県では、
餓死寸前の者が10万5千人。自殺者が県内で129人いたという。
女性たちは村を次々に離れて、芸妓、娼婦、酌婦、女給、女工、女中などとして、
県内、県外の遊郭などへ言わば身売り同然に働きに出る。

しかしこれらの農村の悲劇は、単に天災などのもたらした凶作によるだけのものではなく、
ごく少数の地主、自作農と、大多数の、土地を持たない小作農という農村の構造そのものが
生みだす貧困の仕組みがそこにはあった。
米はとれなくても、秋になれば、小作農は地主に年貢を納めなければならない。
不作で納められない不納米は、年利3割の借金として計算される。
不作が何年も続けば、小作農は、娘を身売りさせるくらいしか、生きていく道がなかった。

…そんな時代。
日本は関東軍が中国大陸で拡張を画策していた。
彼らは軍隊に変わるものとして、『満州開拓団』というものを考えだす。
疲弊する極貧の農村で、開拓民を募集する。それらは、軍隊に変わって
国境警備の任を果たしながら、満州の土地を開墾して、これから日本が大陸に
手を広げていけばたくさんの渡満人口が見込まれる、それらの食糧を供給する
役割も果たさせる、というもくろみであった。
一方、農民の側からすれば、小作農として土地にしがみついていても、
借金がかさむばかり。開拓団に加われば、15町歩の土地が貰えて、自作農の
身分になれる。また、次男三男、婦女子は、口減らしにもなる。

そうやって、青森、秋田、岩手など東北6県の農民たちが、満州に渡っていった。

昭和8年、第一次武装移民団が、中国に渡っていく。
一つの例が、中国北東部、弥栄村。
しかし、そこでの生活は、決して農民たちが夢見ていたようなものではなかった。
まず、彼らは中国の側からすれば、自分たちの土地を無理矢理収監した掠奪者である。
『匪賊』(日本側の呼び方)達は開拓民をたびたび襲撃する。
移民たちは、これらと闘いながら、劣悪な環境の中、赤痢などの病などにも
苦しめられながら、必死で農業を続ける。
それはこの新天地で、農家として独立し、生活を楽にしたいという熱烈な
想いがあったからである。
最初の入植者の中には、あまりの劣悪な条件のため、離農するものも多くいたが、
やがて、農業は軌道に乗り、日本の各地から続々と移民が送り込まれてくる。
新天地に夢を抱いて渡ってきた人々であった。

しかし、戦局はだんだん悪化していく。
そこからは、よく知られている通り、満州に渡った人々には苛酷な運命が待っている。
ロシア兵と中国兵に怯えながら、潰走潰走、また潰走の連続。
関東軍は彼らを守らない。持ち出したものは略奪され、あるいは生き延びるために売られ、
婦女子は子供を守るために、中国人男性の妻になるなど、飢えと病と恐怖と
戦いながら、日本になんとか帰ろうとするのである。

満州に渡ったこれらの開拓民は、満蒙開拓少年義勇軍と呼ばれた少年移民を含めて
約27万人いたという。そのうち、8万人が命を失った。

さてようやくの想いで、日本に帰りついた彼ら満州からの引揚者を待っていたもの。
それは、故郷の喪失である。戻る家も仕事もない。
政府はこれらの難民を救済するため、日本全国で緊急干拓、開拓事業を行うことにする。
そこに満州や樺太からの引揚者を送りこみ、彼らに仕事と住む場所を与えたのである。
しかし、与えられた土地は、誰もが耕地として考えてこなかったような、
高冷地や荒れた土地、国有林などであった。

樺太や満州国弥栄村からの引揚者は、青森県六ケ所村の松林を切り開きそこに入植する。
しかし、痩せた土地での畑作は思うような収穫を上げることが出来ない。
働いても働いても生活は困窮を極めている。
酸性土壌での雑穀つくりに見切りをつけ、弥栄村の人びとは、県から借金をして、
酪農に切り替える。それまでにも人々は国や県の農業政策に翻弄され続けている。
ビートの作付が奨励されたと思うと、製糖会社が倒産して、駄目になる。
次は、開田政策が奨励され、それがはかどりを見せた時に、国から減反政策を言い渡され、
稲作も駄目になる。そのように、開拓部落の人々は、国や県の方針に翻弄され続けた。
もともと六ヶ所村は、6月になると、太平洋からヤマセが吹きつけはじめる。
6月に摂氏十度を割り込む日があって、寒冷に弱い稲作には向かない土地なのである。
六ヶ所村の昭和45年の就業者一人当たりの純生産額は、青森県の中で最低。
全国の市区町村平均の62,6%しかなかった。
総世帯の約半数が、出稼ぎに出なければ食べていけないほどの貧しさであった。

終戦から20数年たってようやく酪農が軌道に乗りかけたかと思われる昭和44年。
普段は馬車、雪の冬には馬橇が主な交通手段の六ヶ所村に、
東京ナンバーの白いセダンが出没するようになる。
夏にかけて、何回もそういった車が村を見ていく。それらの車の中には、
当時の経団連首脳、植村甲午郎、岩佐凱実、堀越禎三などの乗った車もあった。

同年5月。時の佐藤内閣は、新全国総合開発計画(新全総)を閣議決定する。
その頃日本では、重化学工業が規模を拡大した結果、太平洋ベルト地帯が過密化して、
周辺の大都市の人口集中や、公害、交通、住宅問題などの弊害が見られるようになっていた。
一方、日本の他の地域では過疎化が進むなど、国土利用の不均衡が甚だしくなってきていた。
これを再編するため、重化学工業を、北海道、東北など遠隔地に立地しようというのが、
この新全総であった。

産業が乏しく、出稼ぎなど住民の流失を防ぎたい青森県はこれに大きな興味を示す。
住民にろくな説明もしないまま、経団連に開発予定地として名乗りを上げ、視察を要請する。
植村ら、首脳陣の視察はそのためであった。

ひどいことに、最初のうち、六ヶ所村の農民達は、県がそのような巨大コンビナートの
候補地に名乗りを上げていて、それらの視察は、農民から土地を買い取ろうと
しているためなのだと、本当のことを知らされない。北海道のサラブレッド生産者が、
競争馬の牧草地を探しているのだ、と聞かされるのである。

が、やがて、内外不動産(三井不動産の子会社。三井不動産の江戸英雄社長は、新全総の
計画内容の作成に携わっている!)の、六ヶ所村などの山林原野の買占めは
広範に拡大し始める。
それは、『小川原工業港の建設等の総合的な産業基盤の整備により、陸奥湾、小川原湖周辺、
ならびに八戸、久慈一帯に巨大な臨海コンビナートの形成を図る』という、壮大な計画の
もとに進められていく。
住民にようやく正式に説明会が開かれたのは、翌年の6月であった。
産業のない村は、降ってわいた景気のいい話に湧きかえる。
『公害のない巨大開発と、これと調和した近代的農業林業の育成』という、
『農工両全』を、県は謳いあげる。

取得予定地は三沢、野辺地、六ヶ所の17500ヘクタール。これにより、
34部落、2026世帯、9614人の立ち退きが要求されることになる。
六ヶ所村についていえば、総世帯数の半分の1260世帯が立ち退きを迫られることになる。

しかしその代わりに、ここには石油精製、石油化学、火力発電所などの巨大石油コンビナートが
立ち並び、当然そこでは大規模雇用が行われる。もう出稼ぎに行かなくていい。
そうして、土地を売り払った各戸には大金が転がり込む…。

六ヶ所村に土地ブームが湧きおこり、札束が乱れ飛ぶ。小学校で一万円札の
落し物があったが、誰も取りに来ない。村の道路わきのぬかるみに車が嵌まり込むと、
それを見捨てて新車を買う。

村民は、代々の農業を続けたいというものと、少しでも自分の土地を高く売って
村を捨て、農業も捨てて他の土地で生きたいというものとが、村を2分する対立となって
村長選などを戦った。当然そこでも札束が陰でやり取りされる。
なにしろ昭和44年(1969年)から46年までの間に、六ヶ所の土地買い取りに
介在した不動産業者は東京など首都圏を中心にした373業者。
その中でももっとも熱心で、全体の約3割を手中におさめたのが内外不動産であった。
内外不動産は、三井不動産の子会社。三井不動産の江戸英雄社長は、新全総の
策定に関与した人物である!
46年からは伊藤忠、京成電鉄、丸紅、国土開発、小松製作所、などの大企業なども
次々に土地取得に乗り出す。
農業もうまくいかないで、村の半数が出稼ぎに出なければ生きていけない村。
そんな村の住人たちにお金の力は絶大だった。

昭和46年3月。『むつ小川原開発株式会社』とその委託を受けて土地買収を行う
『財団法人青森県むつ小川原開発公社』が、設立される。
出資した企業は、川崎製鉄、新日本製鉄、日本鋼管、東京電力、東北電力、
出光興産、三井石油化学、昭和電工、トヨタ自動車、住友銀行……

『農工両全』を謳い文句にしてはいるが、実体は六ヶ所村の農業の切り捨てで
あることに気づいて、反対運動も巻き起こり、村を2分する村長選、リコール騒動
なども続いたが、結局、これらの巨大な資本の前には、反対派はもろくも突き崩されてしまう。

つまり、震災や大飢饉など農業で食べていけなくて、国策に乗り満州に渡っていった
農民たちは、満州でも、また土地を失い、ようよう安住の地に選んだこの
六ヶ所で、また、国策により、土地を失い離農せざるをえなくなるのである。

本田靖春氏が描いた、むつ小川原の人々の姿は、青森県上北郡六ヶ所村上弥栄地区の、
戦後間もなくの開拓から、1973年(昭和48年)、国と県の進めた巨大開発計画によって
村の半数が離農し、上弥栄村は27年の歴史に幕を閉じ、解散する…そこまでである。
文庫版が出版される際のあとがきにちらっと、核燃料サイクル基地のことがでて来る。


昭和55年。筆者は冬の上弥栄を訪れる。
そこにあった開拓村は『消えてしまった』。ただ一人、小学校の管理を委託されて
残った老人の他は。
村人たちは、立ち退きで得たお金で三沢市や黒石市などに移住して、そこで生きていく。
そこまでが、本田氏の描いた、上弥栄村の姿である。

その後のことを書こう。
さて、そうやって始められた『むつ小川原巨大開発計画』であるが 。
農民の横面を札束で殴るようにして、取得された広大な土地。
その一大石油コンビナートはその後どうなったか、というと、その年に起きたドルショック、
1973年に起きたオイルショックによって、計画は大幅に予定がくるってしまう。
しかし、一度動き出した巨大計画は止めることが出来なくなっていた。
計画は縮小されるも、1983年には、むつ小川原開発株式会社の借金は
1303億円にも膨らんでしまっていた。

そんなときに、12月、中曽根康弘首相が総選挙遊説先の青森市で記者会見し
「下北半島を原子力基地にすればメリットは大きい」と述べる。
翌84年7月。 電事連が核燃施設の立地点を六ケ所村と特定、事業概要を発表。
1985年。県と六ケ所村が核燃施設立地協力要請を受諾する。

…今、六ヶ所村は、国の核燃料サイクルの拠点として、使用済み核燃料再処理工場、
ウラン濃縮工場、低レベル放射性廃棄物埋設センター、
高レベル放射性廃棄物貯蔵管理センターがあり、MOX燃料加工工場建設も計画中…。



さて。本田さんの描いた、むつ小川原地区の農民の姿。
明治22年、六つの部落が寄り集まって六ヶ所村は生まれた。
それ以来、そこに住む人々は、耕作に適しない土地にしがみつくようにして生きてきた。
しかし貧しさから抜け出ることが出来ない。その一部は開拓農民として
満州に渡る。が、敗戦。満州で自作農にという夢は奪われる。
国に帰って、新たに与えられた痩せた土地を開墾して、農業を続ける。
が、それも、高度経済成長に湧く時代が訪れ、国策によってそこが巨大開発の
ターゲットとなり、またしても、農民たちは土地を奪われる。
そうしてさらに、そこは今、日本に54基ある原発から出る核のゴミの
置き場とされてしまっている…。

本田さんの目は厳しい。
満州に渡って行った開拓民は、国策の被害者である。彼らのなめた辛酸。
しかし、彼らはまた、中国の民から見れば、彼らの土地を奪った簒奪者でもある。
戦後、またしても国策に翻弄され続けた彼ら。
しかし、金に踊らされ、土地を、農業を捨てたのは、彼ら自身の選択であった。
高騰する土地の買収金。賛成反対派で村は2分され、村長選挙では裏金が舞う…

本田さんは書く。
『開拓地に酪農が根づかなかったように、戦後の選択であるはずの民主主義も、
下北には根を張ることがなかった。
自らを守ろうとしないものは、だれも守らない。』

しかし、彼の目はまた、限りなく優しくもある。
それは、彼自身が朝鮮からの引揚者であったことからきている。
あの時代、いったい誰が、誰を責めることが出来ようか?
そうした根本的な問いが、彼の中にはあって、彼の視線の厳しさと優しさの同居は、
そうした生い立ちからきているように思われる。


さて。まさに今、である。
青森県知事選が、今日告示された。
六ヶ所村を抱く青森県。建設中の原発2基を加え、3基の原発を持とうとしている。
現知事は、むろん原発推進派で3選を目指す。
対するは、民主、国民新党推薦の新人。原発の新規建設は否定する立場。
共産党推薦の候補だけが原発に反対。

県民の選挙前の調査では、7割が、現知事に投票すると言っているという。
テレビがその声を街で拾っていたが、「もう出来てるものは仕方がないでしょ。」
「原発がなくなったら、仕事もなくなって、なにもなくなるでしょ。」という声が
聞かれた。

…そうなのかな。
ほんとにそうなのかな。出来ないと思っているだけなんじゃないのかな。
第二の福島原発周辺の人びとになりたいのかな。
六ヶ所で何か起これば、福島の比ではないんだがな。


長い記事になりました。
わたしはまた、悲しいです。
この国の人びとは、なにを求めているのだろう…。

最後にこんな映像、お送りしましょう。





『物事の本質を見定めるということ』 其の一  菅政権批判について①

この国を今、包んでいる混沌の雲。

私は、名もない一介の老主婦ではあるけれど、この歴史にもかつてない困難な時代を
今、生きている者の一人として、私の見たことを、記録しておこうと思う。
そしてまた、それらについて、私なりに考えたことを書いていこうと思う。
勿論、私の独断に満ちた私見であるから、そこには当然、思想的バイアスもかかっている。
でも、それでもいいのだと思う。いろいろな考えを持った人が、自分の考えを出して、
それらについて、議論がなされていくことが大事だと思うから。
反発も受けるだろう。
本当は、政治的な記事はなるべく自分のブログに持ち込みたくなかった。
でも、こんなことになってしまっては…黙っているのも、私の性格からしてまた苦痛(笑)。
これが、若い方々の、考えるための叩き台になってくれればいいと思っている。
それでも、できうる限り、公平に見ては行きたい。
それが私の示せる『誠実』であるから。


私の文はいつも長い。それは、私が63年間の間、胸に抱えてきたさまざまな想いを
一挙に出そうとしてしまうから。
だから、ここでは、単発的に、それぞれの課題について書いていこうと思う。
順不同になるかもしれないが、思いつくままに書き記していこう。
まずは…


『1.菅政権批判について①』

テレビでは今、菅総理が国会で答弁をしている。
質問者は、また、判で押したような例の質問『総理が福島原発を視察に行ったことによって、
ベントが遅れ、それが水素爆発につながった』をやっている。
…もう、この質問、いい加減にしてほしい。

正直に言おう。実は私もこれは、行かなかった方がよかったとは思っている。
菅総理の、3月12日の福島原発視察。それによって、原発の人びとの、
当日のさまざまな作業に遅れが出たことは否めないと思う。首相がくるとなれば、
あらゆることに大がかりな準備が必要だったと思うから。それは、なにも原発に限らず、
天皇による植樹祭など、全てのお偉方の視察に付きまとうことである。
あの日、首相は、官邸にいて、必要な措置を指示していた方がよかった。
それは言えると思う。混乱時にさらに混乱を生むようなことをすべきではなかった。

しかしながら、野党側、それから民主党の一部、マスコミが、
この問題をいつまでも取り上げ、それによって、菅総理の責任を
追及し続けるのには、私は大きな違和感を感じる。
まるで、『菅総理が、12日朝、視察に行くと言いださなければ、1号機の
水素爆発は回避でき、福島原発の今回の大惨事は全て避けられた』とでも
いうような論調。

しかし、よく考えてみよう。
それでは、1号機はともかく、他の3号機、4号機の水蒸気爆発はどうなる?
3号機は14日、4号機は15日、そして建屋は残っているものの2号機でも
14日には燃料棒が全露出。どこかで爆発音。
これも、菅総理が12日に訪れたせいなのか?…関係なかろう。

これらは大津波による全電源喪失を想定してこなかった福島第一原子力発電所の、
ひいては、日本の原子力政策そのものの想定、対策の甘さを示すものであって、
言い換えれば、原子力発電そのもののはらむ危険性を示すものであって、
一総理が、視察したからとかしなかったら、とかいうレベルの問題ではないと
私は思うのだ。

事故から2カ月たってなお、菅総理の視察がどうのこうの、と追及する…。
それは菅政権を引きずり下ろすために、議論の争点を矮小化しているだけ。
本質は、原子力発電所の大災害に対する想定の甘さ、さらにいえば、
『原子力発電は絶対に安全。大事故など起きるはずがないのだから、それに備えることは
考えなくていい』とする、この国の長く続いた原子力政策そのものにある。

そうして、日本に原子力発電を導入し、その政策をこれまでずうっと貫いてきたのは、
今、菅政権を、菅総理一日の行動に論点を矮小化して責め立てている自民党の、
歴代政権である。それを許してきた国民自身である。
その本質的事実を、私たちは忘れてはならないと思うのだ。

民主党も、もちろん、原子力発電推進の方針を持ってやってきた。
しかしながら、今のこの事態は、言わば、自民党がやってきた政策の過誤の尻拭いを
一所懸命現政権がやっているようなものである。
自民党の人びとは、どの口でもって、現政権を批難出来るのであろう…
私はそう思ってしまうのだ。

そうして、問題がそのように、菅総理一人の責任に卑小化される過程で、
マスコミも、それを面白おかしく今になってさえ書きたてる過程で、
菅政権の求心力が弱まっていったこと。それでなくても、今こそ国民が
全精力を傾けて被災地への復興支援と原発の収束にあたらなければならない時期に、
政権批判が先行していることを私は嘆く。

無論、菅政権には私だって多くの不満がある。その対応の遅さ、組織ばかり作って
実行の具体的手段構築は弱い、そのやり方は大いに批判されるべきである。
しかしながら、菅総理にその面での弱さがあるなら、なぜ民主党はそれを補うべく、
全党の力を結集して、今の難局を乗り切ろうとしない?
小沢氏にその政治的決断と実行力とを期待する向きもあるようだが、
私も、一時、小沢さんならどうだっただろう、と思ったこともあったが、
彼の動きを見てきたら、ああ、彼も所詮、自分の権力維持のことしか
考えていなかったのか、とがっかりせざるを得ない。
本当に、国民のことを想うなら、東北と大きなつながりを持つ彼は、
大震災が起きた直後から動いてもよかったはずだ。
菅総理の失敗を、なにも自分はせず遠くから見守って待っているだけ、
いよいよ弱体化したとなると、倒閣に向けて陰で盛んに動き出すなど、
所詮この人は、東北を想いその救済に尽力する政治家ではなく、ただの政治屋
だったのだな、と思ってしまう。
自民党の総裁谷垣氏や、他の議員たち、野党与党を問わず、ただ批判しているだけの
ほかの議員にしてもそうである。

ああ!本当の政治家が欲しい!
理想を持った政治家。
国民のためになすことを第一義に考える政治家。

菅さんがその力を、その志を持っているかどうか…。
彼の本心は見えにくい。
ただの低徊家。決断力のない優柔不断さと、その反対の、場当たり的な猛進主義の
ミックスした、総理の器でないひと、という気もする。
が、彼の言動の片隅に、時折ちらっと見える理想主義。
それに私は、賭けてみたい気がする。
彼には、その理想と、時に唐突に消える果敢さ。
…それをつなぐ大事なもの…
すなわち、『自信』というものが欠けているだけ、という気もするのである。
そうしてその自信のなさは、鳩山前総理にしてもそうだが、
民主党が政権を担当して間もないこと、そうして、自民党が長く政権を
支配し続けてきたがために生まれた悪弊。つまり、官僚がもろに自民党体質であること。
民主党に協力しないこと、また、民主党も官僚を敵視し、それを有効に
使いこなせないことからきている気がする。
ウィキリークスによって、このほど明らかになった、沖縄基地問題に関する
外務省の明らかな鳩山前政権、ひいては国民への裏切りなど、そのいい例である。

今回の原発事故についても、東電、経産省から、どれほどの正確な情報が
ごく早い時期、官邸にもたらされていたのか…。
昨日、今日あたりから、次々に、地震大津波直後の第一号機の実態が
明らかにされつつある。地震当日の夜にはすでに核燃料は融け落ちていたのだ。
それは、東電がなにも心を改めたからではなく、
作業員が危険を冒して、内部に入り、正確な水量が把握できるようになった。
それでもう、隠しだてできなくなったからである。
東電は、いったい、直後にどれほどの実被害を把握し、それをどのくらい
官邸に報告していたのであろう?そうして、どれほどの事故拡大を
危機感を持って予測し、迅速な手をうったと言えるのだろう?
また、経産省はどれほど知っていたのか?
私など、原発事故を前々から恐れ続けていたものには、事故後の情報は
東電が単独で握り込んで、官邸には十分にそれが伝わっていないのではないか、
という印象が強かった。

菅総理の福島原発視察、そうしてこれも。菅総理の横暴として、よく批判の対象になっている、
情報の報告の遅れに対し東電幹部を一喝したこと、自分の元に全てを統括しようとしたこと、
…それらの焦りは、こうした、事故後の、東電や官僚組織の動かせなさに対する
苛立ちからきているように思う。

責められるべきは、総理の福島原発視察によるベントの遅れ、などという一事だけではなく、
自民党と、経産省(かつての通産省)文科省等の官僚、それにがっちり守られてきた
横着な東電。そうしてそれを許し、いやむしろそれを大額の補助金や
天下りや官への登用などの相互の利益のゆえに、結果的に後押ししてきた
マスコミ、学会の一部などの癒着構造という、
大きな大きな『国民への不誠実』の構造、なのではなかろうか。


想像力があれば、一つの事象から、その奥に大きな構造の広がりは、予測できる。
物事の表面、一事象だけに気を取られ、その奥に隠れている、本当の問題を
見せない、見ようとしないのは愚かなことである。

報道されることの表面だけを見て、大局を見失うこと。それが怖い。
小さな報道の奥を見よう。意図的に国民の目が表面だけに行くように、
うまく操作されているのかもしれない。

菅政権を支持するとかしないとかの問題では実はないのである。
常に私たちは、眼をしっかり見開いて、政治の表裏を見ていくことが大事。

明日の日本を選択するのは、私たち自身なのだから。







『灯火に願いをこめて 5月』

もう、あれから2か月…。

被災地の方の悲しみは、少しは軽くなっただろうか…

いやいや。そんなことはあり得ないのだな。
悲しみは変質しながら胸に残って、永遠に消えはしないのだ。

私は怒ってばかりいるけれど、怒りは時に虚しさを生む。
優しさの方がどれだけいいかわからないな…

そんなことを想いながら、震災2カ月目の今晩も、蝋燭に火をともす。


2011_0511_210219-CIMG4484_convert_20110511231112.jpg


今日はこんな器に蝋燭を立ててみよう。
ずっと以前、長崎で買った、びいどろのぐい飲み。
蝋燭は、カメヤマの豆ダルマ。
5センチほどの小さいのをさらに切り取って短く。


ああ…暖かいな。

  いのちの灯だな。

   ふと浮かぶ面影…。



 









『あれから2カ月』

早いですねえ。東日本大震災の悲劇からもう2カ月めがやってきます。
復興の手順はなかなか見えてきていない。

それなのに、少しずつ、支援や、人々の関心は薄れてきている気がします。
被災地の方々のことを忘れないようにするためにも、明日は私もまた
僅かでも献金をして、葉っぱさん、れんげちゃん企画の『計画節電』の
キャンドルナイト、やりたいと思います。


心ひとつに キャンドルナイト
 

http://koubouneko.blog87.fc2.com/

http://koubouneko.blog87.fc2.com/

また、『うたたね気分』のlily 姫さんのお部屋では、ほんとにたくさんの方が、
東日本大震災の被災地の方がたのための支援の気持ちを形にして表していらっしゃいます。
ほんとにこころ強い限りです。
私も何か形にしたいけれど、方法が思いつかない…。

http://suzuran0228.blog35.fc2.com/




先月の写真。


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『山を少し動かした?』

昨日夕方、菅首相が中部電力に対し、浜岡原発の全3基の停止を要請した、
という発表を国民に対して行った。
中部電力はその要請を受け、今日それを受諾するかどうかということを協議。
しかし、今日は結論が出なかった。明日以降に結論は持ち越されるという。

菅首相の真意と、その発言に至った経過はいったいどんなことだったのか。
『菅降ろし』の強風が吹く中、起死回生の一発勝負に打って出た、という見方も
あるようである。

だが私は、菅さんのこの決意を大きく評価したい。
いつもこの人は拙速である。今回もその感はあるけれども、
政治家の事情などどうでもいい。
『浜岡原発を止める』という発言が、首相の口から出たということは、
これはもう、大きな大きな一歩である。
たとえそれが期限付きであってもなんでも。
菅さんが、この思いきった手に打って出た、ということの奥には、
それが国民の望みであるから、ということは大きく影響していると思う。
国民を味方につけよう…その意識が生まれただけでも大きな第一歩である。
『浜岡原発を止めて!』という、悲鳴に近い国民の声は、確かにこの国の
首相に届いたと言えるのではなかろうか。
拙速であろうが、手順がおかしかろうが、自分の内閣の延命のためであろうが、
それはいい。とにかくこれは大きな前進なのである。

さて、みなさん。今が、発言のし時の一つではないだろうか。
おそらくこれから、中部電力の中で、原発をなにがなんでも動かしたい、と
思う勢力が、強力に反対して一国の首相の要請をさえ蹴ろうとする動きが
出てくるだろう。
せっかく動き出した、この山をまた止めさせてはならない。
菅首相の意志は、国民の意志である、ということを大きな声で今こそ言いたい。
これまでの菅さんの遅い対応。それとこれは一旦切り離し、今回の
決断を大きく評価しようではありませんか。
その意志を示すことが今、大事です。

『国民の希望すること』…本来はそれが、国を、企業を、動かすようでなければならない。
これまで、そのようなチャンスは、選挙で一票投じるときにしかあまりありませんでした。
でも、今回の東日本大震災は、その固定観念を変えつつあります。
我慢していなくていい。正当な意見は声に出して表に出せるのです。
ネットというのは、大きな力を持っています。
私自身、これまで、そのことをそうは認識していなかった。

しかしながら、今は、御用テレビがあまり積極的に流さない、小出さんのような一学者の悲痛な訴えも、
ネットの世界では繰り返し繰り返し流される。反原発デモの様子も流される。
浜岡をとめよう、福島の子供たちの年間累積放射線量の基準をみなおさせよう、
…そうした声は、ネットを通じて広がりつつあります。

ネットをやるひとだけか、というと、意外なことにそれがそうでもない。
ネットで騒がれ出すと、結局新聞一般紙や、地上波のテレビなどでも
それを取り上げざるを得なくなる。
…それが大変に大事なことだと私は思います。

わかっているひとだけがわかっていればいいという時期ではもうありません。
ひろくどの人にも、原発のことを知って欲しい。
そうしてこれまでの固定観念にとらわれず、原発を止めるかどうかということを
真剣に考えて議論して欲しい。
機会を積極的に見つけて、いろいろな人に話をして欲しいと思います。
これまでのように、「反原発」運動をするのは、特殊な人々、というような
あり方ではなく、職場で、家庭で、学校で、…多くのひとが当たり前のように、
自分たちの未来のエネルギーをどうするか、ということについて、
語り合う、そんな状況にしたいものです。

菅さんは今回いい決断をしました。
それを応援したい。
無論、彼のしたこと、することのすべてに賛成するわけではない。
国民は菅首相に限らず、他の政治家の言ったりしたりしていること、
それから、企業の対し方を、しっかり見つめて行きましょう。
一票の力、というのはどれほど潜在的に大きな力を持っているか知れないのです。

『国民の後ろ盾がある…』
それを今回のことで菅さんが学んでくれれば、
これから彼自身ががらりと大きく変わっていくかもしれません。

地震大津波の被災地の方のことにしても、誰かがとにかく動かねばなりません。
みんなで首相の足を引っ張っている時ではない、…そう思います。

国民の目は正しい。現に、河野太郎さんなどの発言は、党派を超えて、
注目を集め、指示の輪も広がっているように感じます。

自分たちの力を信じましょう。

国の政治を変えるのは、国民自身。私は今ほどそれを強く思うことはありません。




『この国のかたち』

5月5日付、朝日新聞4面に、こんな記事があった。

『自民 原発推進派はや始動』

サブタイトルは、『「原子力守る」政策会議発足』。
以下、転載。

 東京電力福島第一原発の事故に収束のメドが立たない中、国策として原発を
推進してきた自民党内で早くも「原発維持」に向けた動きが始まった。
原発推進派の議員が集まり、新しい政策会議を発足。「反原発」の世論に対抗する狙いだ。
この会議は「エネルギー政策合同会議」。自民党内の経済産業部会、電源立地および
原子力等調査会、石油等資源・エネルギ―調査会の3つを合体させた。
電力需給対策とエネルギーの再構築の検討を目的に掲げるが、党幹部は、
「原発を守るために作った」と明かす。
 幹部には原発推進派が名を連ねる。委員長は元経済産業相の甘利明氏。
旧通産省(現経産省)出身の細田博之元官房長官が委員長代理。
西村康稔衆院議員が副委員長に就いた。先月12日の会合では、幹部陣の隣に
東電の元副社長で現在は東電顧問の加納時男・元参院議員が「参与」として座った。
 甘利氏は「安易に東電国有化に言及する閣僚がいる」と指摘する資料を配布。
会議後に河野太郎衆院議員が「原発推進派が並ぶ人事はおかしい」と抗議したが
認められなかった。
 自民党は中曽根康弘元首相らを中心に「国策・原子力」の旗を振ってきた。
(以下、略)

おやおや。
いまは、反原発、脱原発、そうしてそこまではいかずとも、ちょっと考えようよ、という
声は随分高くなっていると思う。
週刊誌などには、原発政策を告発する見出しが躍っている。
これまで、推進側に立ってきた人々の反省の弁などもよく載っている。
そんな中では、原発推進ということを言いにくい雰囲気であろうから、
こうした考えを持っている人々には随分と腹の立つことであろうと思う。

だが、いずれ。いずれ、原発を推進しようとする人々は、顔をぐっと
もたげてくるだろう、とは私は思っていた。
大人しく引っ込んでいるはずがないのである。とにかく既得権益が絡んでいるのだから。
昨日の新聞を開いてこの記事を見たとき、「案外早かったな!」と、
溜息が出そうになった。

勿論、言論の自由、思想信条の自由がある。原発推進の人々が集まって
会議を立ち上げたっていいわけだが…。
この朝日の記事には、この会議で参与を務める、東電の元副社長で現在は東電顧問の
加納時男・元参院議員と、河野太郎・衆院議員へのインタビューも載っている。
それぞれ、原発を推進しようという側と、核燃料サイクルへの疑問を抱く側に
立っての発言である。

加納時男氏の発言。
[続く]に転載しておくので、朝日新聞をとっていらっしゃらない方、
まあ、読んでみてください。
こういうひとが、この国を引っ張っているのかと思うと、個人の考えは自由だとしても、
なにかまた、溜息である。
脱原発には、こういう既得権益べったりの壁を突き崩さねばならないのか、と思うと。

河野太郎氏。
原発を国策として推進してきた自民党の議員なのに、核燃料サイクルの矛盾に
気づき、核燃料サイクルを止めようとしている変わり種。
しかし、反原発、というわけでなないらしい。
そこがよくわからないのだが、彼が、videonews.com にゲストとして
語っている映像がある。
彼は言わば、自民党の内情もよく知りつくし、また現政権も外からよく眺めて
いるので、割合、公平な立場から、原子力発電というものをみているひとなのでは
ないかと思う。

加納氏のように、東電の側の論理でしかものを考えないで、この悲劇があってなお、
原発を、そして東電を守ろうとする人間と、私もそうだが、原子力発電に
生理的嫌悪感を持って、それを止めようとする人間の間には、本質的に
越え難い深い溝がある。

河野氏のようなひとこそもっと増えて、原発論議が、国民の間にもわかりやすく
展開されるようになれば、この国の未来のかたち、というものがもっとよく
見えてくるだろうと思うのだが。
しかし、河野氏のようなひとは、自民党内で異端扱いされる。自民党にありながら、
党の趨勢とは違う考え方を持っている、そこが大事で、そういう人を大切にする
組織なら信頼できるのだが。

それにしても、だんだん東日本大震災事態に関する報道も少なくなり、
意図的にかどうかは知らないが、原発の記事もめっきり減った中、
政府内部や、旧政権の自民党の中で着々と書き進められる、東電生き残りと原発再推進の
ためのシナリオ。

それを国民はしっかり見ていく必要がある。
なんと言っても、いかに反原発の声が今は高まっているように見えても、
これまで原子力発電を推進してきた自民党、そうして今進めている民主党、
それに東電はじめとする原子力ムラの勢力は、有している力の規模が
そもそも反原発の声を上げているグループなどとは違う。

その既存の巨大な力、学会やマスコミまでををまきこめるお金の力を
持った人々に、どうやって一体対抗したらいいのか…。

それは、国民ひとりひとりが小さくてもいい、声を上げることなのだと思う。
自分の周囲に、原発について考える輪を広げていくことである。
例えば、私がこれほど反原発、と心の中で思っていても、
ここ一月ほどのように黙っていては、暗黙のうちに容認したということに
みなされてしまうのである。

河野太郎氏のような政治家に声援を送ることも大切。
選挙の一票で意志表示をすることが大切。
ネットの力は、国を動かす力を持っていることは、シリアの例を見てもわかる通り。
あきらめないで、自分の考えを発信し続けることが大事だなと思っている。

彼岸花さん。この年でtwitter も始めたんですよ。えらいでしょ~(笑)。
少しでも、片隅からでも、発信し続けたいから。

河野太郎氏の話。ぜひ聴いてみてください。
核燃料サイクルというものの矛盾、自民党の体質、原発推進の歴史などが
とてもよくわかりやすく語られています。

また、同じページに、京都大学原子炉実験所の、小出裕章さんのインタビュー映像も
みることが出来ます。
彼も、原子力ムラにあっては異端の少数派。
しかし、教授になるとか、学会でもてはやされるとか、ましてや自分の研究で
大枚のお金を稼ぐとか、政経済界で地位を得るとか、そんなことを一切考えないで
ただ研究にいそしんでいる人の生き方の潔さ。
「週刊誌などで、私が迫害を受けている、などという書き方をされているようですが、
私は一度も迫害など受けたことはありません。いやな想いをしたことはありません。」
と言い切る、その声の、なんと爽やかなことだろう…。

これもまた、お暇の時に、ぜひご覧ください。
三者三様の人生の生き方が見えてきます。
三人の語る姿に、この国の今のかたちというものが、なんとなく見えている気がします。


http://www.videonews.com/




続きを読む

『身体感覚を取り戻す』 ①

4月某日

 新しい大きなスーパーが川下にできてから、
 私はあまり夕暮れに買い物に出ることが少なくなっていた。
 それに、今回の東日本大震災が起きてから、家に閉じこもっていることが多く、
 以前のように、川べりの道を自転車をひいて歩いて、暮れゆく空を眺めたり、
 道端の草に眼をとめる、ということなどがめっきり少なくなってしまっていた。

 桜は、ソメイヨシノも、ヤマザクラもギョイコウも見たけれど、なぜか心楽しむことはなく。
 言わば感情が閉じて、感覚が鈍磨している状態であった。

 今日、夕方まだ明るい頃、珍しく橋を渡って、昔馴染みのスーパーに行こうとしていた。
 新しくできたスーパーに行くのさえ、面倒な気がしたのである。
 例のとおり、橋を自転車をひきながら歩いていると、
 向こうから、女のひとに連れられたビーグル犬がやってきた。
 間はまだかなり離れていた。私は気にもせず、歩いて行く。
 すると、そのビーグル犬が、いきなり私の方に突進してきたのである。
 伸縮性のあるリードを引き延ばしながら、まっしぐらに私に向かってくる。
 敷石を掻く爪の音がし、その「フン!」という鼻息が私の足にかかる。
 (彼岸花。冬でも、タイトスカートを履いている。ソックスは履いているけれど、
 基本的に足は真冬でもなま足。笑)

 「おっ♪」と思った途端、ビーグル犬は飼い主にリードを強く引っ張られて
 引き戻されてしまった。
 「すみませ~ん!」
 「いいえ~!」
 それだけ言葉を交わして、すれ違う。  
 
 ほんの一瞬の出来事。 
 だが、私の胸には、なにか説明のつかない、ある感動がわき起こっていた。
 …言葉にするのは難しい。
 なにか、温かい、しばらく忘れていた感情であった。
 生き物のちから、とでもいうのだろうか。
 ビーグル犬という犬は、体が割合がっしりしてる。その犬が私に向かって
 突進してくる…鼻息が、足にかかるほど近くまで来る…

 そんな生々しさを、本当に久しぶりに味わった気がした。
 
「私はもう、ずうっと、子供を含め、こうした生きものと触れていなかったんだなあ…」
 
 …それはなにか。ぐっと胸をえぐられるような、せつない感情であった。

 ふと、橋から下の遊歩道を見下ろすと、鴨が2羽。何かを待つように、
 じっと護岸のコンクリートブロックの上に立ちつくしている。
 そうして、2羽の間になぜか、ムクドリが一羽。
 これもじっと動かない。
 3羽は鈍角二等辺三角形を描くいたまま、夕暮れのあわい色調の中に、
 彫像のように立ちつくしていた。

 …彼らは、パンおじさんを待っているのである。
 ここで時々、パンの耳を撒きに来る、70くらいの少しくたびれた感じのおじさんを。

 「あら、鴨の足って、ずいぶ赤っぽい黄色なのね。」
 そんなことに今更ながらに驚きながら、またしても、私の胸には、
 生きものの一途さ、というようなものへのふしぎな感動が、じわじわと
 湧いてくるのだった。
 「待つ」ということの美しさ。「待たれる」ということの幸せ…。
 

「…ああ!わたし。こころがヨワッテイル !」



 



 
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
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http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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