『彼岸花』



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         薔薇 紅(くれない)
       我は緋なりと
       彼岸花







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       彼岸花のかたへに ひねもす座りて
        彼岸花の化身となりたし




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       西方浄土へ 続く道





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『ご協力お願いします』

先日、銀座での個展にお伺いした、画家の松井大門氏。

東北の被災地の方のため、なにか自分に出来ることはないかと
真剣にお考えになって、こんな企画を立てられました。
被災地のかつての姿を絵に描き、今、故郷を失って大きな悲しみの中に
いらっしゃる方々に見ていただき、勇気を出していただきたい、
という企画なのです。それで、その地域の写真をお持ちの方に
絵のもととするため、使わせてもらえないか、声をかけていらしたのです。

ところが、わたしは、今回の被害を受けられた地域に行ったことがありません。
ですから、写真を提供することが出来ません。
ですので、このブログをお訪ねくださる方の中に、もしかして被災前の
それらの地域の写真をお持ちの方おいでにならないかと声をかけてみることに
しました。

まずは、ブログの記事を転載させていただきましょう。
先生の絵を転載したかったのですが、わたし、やり方がわからないのです。
松井大門ブログにお入りになって、ご覧いただけると幸いです。

『遥かなる明日へ ~画家松井大門の七転八起き~

http://daimonatelier.blog64.fc2.com/


何時もどこかで心を癒してくれていた風景

何気ない風景のありがたさは、無くなってみて初めて気づくのかもしれません
3月11日の大震災

何気ないけど本当に大切な大切な風景達が一瞬のうちに飲み込まれて行きました
そして今、多くの尊い魂とともにどこをどうさまよっているのでしょう

被災された皆様のえぐり取られた深い心の傷
一体何時になったら癒されるのでしょう?

僕に出来ることは何?
あれからずっと考えていました

で、出た結論は
義捐金1000万円なり~~~~とかっこよく行きたいですが
ははは とても無理無理ぃいいい!

僕に出来ることはやっぱり絵を描くことです

よし、流されていった風景達を心をこめて絵にしよう~~~~~~!

そこで皆様にお願いがあります!!!
絵にするための写真が欲しいのです

絵にして残しておきたい写真大大募集いたしますぅうううう!
あなたが持っていなくともあなたの友達が持っているかもしれません~~~~~!
幅広い呼びかけをぜひお願いいたします!!!
ぜひ皆様のお力をお貸しください

心をこめて描かせて頂きます!!!!!
来年の秋にはその絵を持って被災地の皆様に見てもらうべく各地を廻りたいとおもいます

今年の11月11日~16日
被災地の各地を回ってきます
その道中で東北のブロガ-さんたちともお会いできればと思っています

思い出の風景が少しでも取り戻せるのなら、そしてほんの少しでも皆様の癒しになればと
僕の精いっぱいの心をこめて描かせて頂きたいと思います
なお写真は風景でも人物でも結構です!!!!!
デ-タ-の写真は大きいほうがいいのでなるべく圧縮したものじゃないのをお願いします

daimondai666@yahoo.co.jp ←ここへ送ってください
場所の名前 あなたの住所氏名もお願いします


どなたか、写真貸してもいいとお思いの方、おいででしたら、よろしくご協力
お願い申し上げます。

『初秋のお散歩』

ご好評に応えて? 秋のお散歩、もう少しやってみようかな。
しばし、この、人の世の憂さも不条理も、秋の金色の光の中に忘れて。

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ああ!なんだか懐かしい風景だなあ……
小学生や中学生になって、学校に行きたくなるな。


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待て待て!待ってよ~~~~~~っ!


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わ~い!飛行機の追いかけっこだ!
万歳三唱とかは嫌いだけど、ばんじゃ~い!

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ばんじゃ~い!


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ばんじゃい!…… 



さて。もっと歩いて行ってみましょう。

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私が一年中好きな、カゼクサ。
春も。夏の朝早く、これに朝露がおりて、おりしも上ってきた朝日に、
それらの露がダイヤモンドのようにきらきら輝くのはすばらしく美しい。
また、こうした秋も。そして、初冬の早朝、これに霜が降りて白くなっているところも
めっぽう美しいのです。
ああ。見ていると、ぼうっと眠くなりそうだ……

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エノコログサも、靄のよう。
モネの絵にでもありそうでしょう。


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嫌われ者のアレチウリ。
北米原産の特定外来生物。繁殖力が強く、こうした川原の葦原など、在来種を
駆逐してしまう。
でも、これだって植物に罪はないものを。よく見りゃ、それなりに綺麗で、一所懸命生きてる。

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によ~~~~~ん!
あっちでもこっちでも、によ~~~~~ん!

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こんなの見っけ!

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このこも赤いこ。おまえはお目々もお鼻(お口?)も赤いのね。


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赤い服。彼岸花いろ。
娘に、先日のトーク用に縫ってやりました。
隣は、『薔薇の服』。数年前、昔の帯地をほどいて作りました。
こういう着物地の服は、季節に合わせて着せたい。
…そう思っているうちに、薔薇の季節は過ぎ、やがて、娘自身が肉付きがよくなり
(怒られちゃうな。笑)、折角の服も一度も手を通さぬまま、箪笥の中に
しまわれたまま。



去年、可愛い!と思ってカメラに収めておきながら、こちらが悲しみにふさいでいたので
お蔵入りになってしまっていた子。

爬虫類や両生類の類の苦手な人は、スルーしてね。

     * * * * * *


あ!なにか動くものがいる!
なに?


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小さ~い!

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そばの、カタバミの葉っぱと比べても、その小ささがわかるでしょう。
このカタバミだって、小さめだったのです。


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小さなオヒシバの葉っぱの陰に隠れているつもり。


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* * * * * *



本当の季節も、ひとの季節も、盛りの刻はあっという間に過ぎて行ってしまう。
写真を折角撮っても、こちらがエネルギーがなくもたもたしているうちに、
アップする間もなく、過去の写真になっていってしまいます。
仕方ないことなのかもしれないけれど、鮮やかなものは鮮やかなうちに、
花咲くところを見せてやりたい。記録にとどめておいてやりたい。

ああ。これについて書いておかねば!
そう思ったことも、世の中の動きの方が早く、あっという間にタイミングを失してしまう。
3月11日から、さまざまな想念が胸を去来したけれど、書ききれなくているうちに、
その印象さえ薄れて行こうとしています。
菅総理の最後のまとめ記事も、まだ書いていない。

『明日という日は、今日の連続として必ず来るという保証はないのかもしれない…』

そのことを、わたしたち日本人は悲しいことに知ってしまいました。

ひとの胸にある想いは、言葉にしなければ、文字にしておかなければ、
写真などの記録に残しておかなければ、
大事なことも、やがて、一人一人の存在の消滅と共に、ときのかなたに消え失せてしまいます。

大事な人がいるのなら、「大事に思うよ」と言葉にして言っておく。
好きな人がいるのなら、「好きだよ」と、今、抱きしめておく。
忘れたくない出来事があるのだったら、今、書きとめておく。
謝りたい人がいるのなら、今の内に謝っておこう……。


『鮮やかなとき』は、一瞬のうちに過ぎて行ってしまいます。


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このひとも…。このパラソルの影も…。

一瞬ののちには、無人の風景に変わってしまいました。


2011年の秋の。
ある、鮮やかな一瞬。










『嵐のあとに』

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大きな害をもたらした台風15号の去ったあと。

久しぶりにカメラを携えて、川原を散歩。
日本の川の常で、わずか一日で水はあっという間に下流へと流れ去り、
川の水はさほど多くない。しかし、川床に生えた葦が皆なぎ倒され、
川の護岸に枯れ草がこびりついているのを見れば、水がどこまで上がったかわかる。


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風雨の乱暴狼藉の跡。
おそらく、台風の当日は、ここも小さな川のようになっていたに違いない。
ここに越してきて35年ほどになるが、ちょうどそのころ植えられた桜の並木が、
立派に大きくなっていたのだが、そのいく本かが、激しい風に根こそぎ倒されていた。
市の職員か、すでにいくつかに切り分けてあるものが、川原のあちこちに固めて置いてあった。
折角大きくなったのになあ。
不安定な土手に斜めなりに生えたりしていたから仕方がなかったかなあ…

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おや!この方は、何をしているのでしょう。市の職員?


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どうやら、そうやって切り倒された桜の樹の、皮を剥いでいるらしい。
失礼ですが、何をおつくりになるのですか、と、話しかけてみる。
「笛ですよ。」
「えっ!笛?」

お話では、この方は日本の龍笛やお囃子笛の作家でいらっしゃるらしい。
写真撮ってもいいですか、とお伺いすると、恥ずかしげに微笑んで、「構いませんよ。」

このように、桜の樹皮を注意深く剥ぎ、これを0.9ミリの細い紐状にしたものを、
煤竹で作った笛本体に巻きつけていき、さらにそれに漆を塗って仕上げるのだそうだ。
普通はこの桜樺、専門の卸商から買うのだそうだが、今朝、川原でこれらの材を見つけ、
試しに少し、磨きをかけてみたのだそうである。

それがこの破片。灰色っぽい樹皮が、磨くと?こんなふうになる。

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横にはこんな立派な切り株もあるけれど、こう皮がざらざらなのは使い物にならない。
ただ、差し渡し40セントほどもある立派な樹。鼓を作るのにいいそう。
ただし、彼自身は、笛専門で、鼓作りはしないらしい。

こんなふうに、皮を20数センチ×60センチくらいのものに切り取り終えた。

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この中の、節くれだったところを避け、つややかな部分だけを使ってつないで、紐状の
ものにする。一本の笛に20メートルの長さが必要だそうである!

興味は尽きなかったけれど、作業の邪魔をしてもいけないので、お礼を言って別れた。

ああ!なんだか愉快だな。外を歩くとこういう面白いこともあるんだわ♪

そう思いながら、楽しく川を下っていると、先ほどの紳士が、自転車で
私を追いこして行った。お互いに挨拶を交わして。

住所、お名前などお伺いして、工房見せていただければな、とちらっと思ったけれど、
お互いに名も知らない、…その方がいいのでしょう。
良い樹の皮だったらしいので、ここに打ち捨ててある桜、使えそうなもの
全部お持ち帰りになったらいいんじゃないか、勿体ないな。と、素人は欲張りなことを
考えるけれど、一枚で十分だと言う。一本笛を作るのに一年かかるって言ってたな…。
なんだか、淡くっていいな……


煤竹を笛にするのはわかる。でも、その上に桜樺(桜の樹の皮をそう言うらしい)?
どうもイメージが湧かない。
家に帰って、出来上がった笛がどんなものになるか調べてみた。
写真があったので、引用してみよう。

http://fuu-chou-sha.jp/about.html



さて、散歩の続き。

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エノコログサが金色に色づき始めている。
なんだか、おいしそう。
雀たち、きっと、これ、『おいしい!♪♪』って思って食べるんだろうな~。

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こんな子たちだって、よく見りゃ美しい。そしていじらしい。


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こんなの見つけ!




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ああ!いいなあ!



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ああ!いいなあ!


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秋だ!
人恋しい秋が来た!





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     かりそめの 恋ゆえ紅し 彼岸花











『さようなら原発5万人集会』の報道について

さて。主催者発表6万人という、9月19日の明治公園からの『さようなら原発5万人集会』
と、それに続くデモ。
マスコミではどのように報道されたか。
NHKでは5時のニュースにちらっと報道されたけれど、7時のニュースの
黄金タイム、と言える時間には、一言も触れられなかったそうである。
(私はこの時間、デモから帰宅途中だったので見ていない。)
9時のニュースは見たが、これが「はあっ??!!!」と言いたくなるようなもの。
まず、福島原発が冷温停止状態に近づいた、というニュースを、長めに5分以上
やったのだが、その途中で唐突に、わずか1分間だけ、その日の明治公園のデモに
触れたのである。その後はまた冷温停止に関するニュースに戻って。
なぜ、別々に報道しない?
まるで、わずか1分間の報道でさえも惜しみ、その印象を薄めようとする意図か、
と勘繰りたくなる。
原発はちゃんと冷温停止に近づいていますよ、こんなデモ、お騒がせなだけですよ、
とでも言いたいのか。と思うような、あざとい演出にしか見えなかった。

その他のテレビの報道も、熱のない報道だったな。
これだけ多くのひとが全国から原発をやめさせたい、という希望を持って
集まってきた。
呼びかけ人は、ノーベル賞文学賞の大江健三郎氏をはじめとする、
日本の『良心』とでもいえるような以下の人々。
内橋克人、大江健三郎、落合恵子、鎌田 慧、坂本龍一、澤地久枝、
瀬戸内寂聴、辻井 喬、鶴見俊輔

賛同人の人々の一部。
山崎朋子、湯川れい子、田島征三、樋口健二、上野千鶴子、
井出孫六、大谷昭宏、池田香代子、山田洋次、石川文洋、
加賀乙彦、中山千夏、雨宮処凛、佐高 信、湯浅 誠、飯田哲也、
小室 等、久田 恵、和田誠、今森光彦、小中陽太郎、
池澤夏樹、森 詠、山中 恒、中川李枝子、姜 尚中、早坂 暁、
鎌田實、赤川次郎、柄谷行人、道浦母都子、玄侑宗久、
石牟礼道子、田沼武能、羽仁 進、沢田研二、大石芳野、……
ああ!全部はとても書ききれない!

デモに集まったこれほど多くの一般人と、それに賛同する人々の熱い想い。
その熱気は、どこの放送局もみた限りではほとんど伝えていなかったように思える。

新聞はどうだったであろうか。

我が家は朝日新聞をとっているのだが、翌朝の朝日では、明治公園での集会とデモの記事は
1面ではあったけれど、ほんとに小さな扱いであった。
写真も、全体をとらえる俯瞰写真ではなく、歩いている参加者を一部切り取っただけのもの。
まるで、あの規模の大きさは伝わってこない。記事そのものも、僅か14行という軽い扱い。

対照的であったのは東京新聞。まず、1面で自社ヘリからの俯瞰写真を載せていた。
しかも、他の社の航空写真と違って、公園の中だけでなく、外周の道路に溢れた人々も
画面に入っているので、どれほどのひとが集まったのか、よくわかるのである!
東京新聞はさらに、26,27面にも密着ルポをど~んと載せ、29面にも大きな
記事を。…東京新聞、腰を据えてるな。

他の新聞はさて、どうであったのであろう…。

私は写真家で作家の藤原新也氏が好きなのだが、
彼が自身のホームページで、今回のデモの報道でその社の原発に対するスタンスが
くっきり踏み絵のように見えてくる、というような趣旨のことを書いている。

その記事の中で、藤原氏は、新聞各社の翌日のデモの報道を、写真入りで
載せて比較している。私は実は、こういった比較をしたかったのであるが、
この記事によって本当に、知りたかったことが明らかに見えてき、
我が意を得たり!と思ったことであった。

リンクフリー、転載OKということなので、記事を転載させていただこう。
タイトルは、『原発集会報道は各紙の踏み絵である』

http://www.fujiwarashinya.com/talk/index.php

私があきれた朝日の記事も、また、東京新聞の写真もここにある。
藤原新也氏も書いているが、おかしいのは、読売、産経、日経の3紙の扱いの
極端な小ささである。この3紙は、しかも、写真さえ載せていないのである。
…もうここまで、『デモを小さく見せたい!』という意図があからさまに見えると、
なんだか笑えてきてしまう。

デモの規模の大きさを素直に伝えて、その熱気が、感動が、より多くのひとに
伝線していくのが怖いのであろうか。
そんなにまでして、原発利権を守りたいのであろうか…

そうした、日本のマスコミの扱いの絶対的な薄さ、冷たさに比して、海外の
報道はどうであったのだろう。

http://www.abc.net.au/news/2011-09-20/tokyo-anti-nuclear-rally-draws-thousands/2907108
これは、オーストラリアのテレビ。
呼びかけ人の大江健三郎さんらについては触れていないものの、事故時の映像や、
収束作業にあたる人々、また野田総理が今週国連で、原発の再稼働が必要と言う予定であること、
菅前総理が、最悪の場合、東京を中心に3000万に人々を避難させねばならなかったかも
知れないという、厳しい認識をもっていたことなども、ちゃんと伝えている。
大事なことはちゃんと収めた3分間の報道である。

こちらは、ヘルブラウさんに紹介していただいた、ドイツ、ZDFテレビのニュース。
http://youtu.be/CBGWW2XeGfw

東京の汚染された汚泥の行方。それさえどうにも処理できない現実と
野田総理は、原発再稼働を目していることとの、庶民と政治の感覚の乖離。
それを盛り込むことで、デモをする6万の人々の脱原発の真剣な願いを
浮き彫りにしている。

日本の国営放送に近いNHKは、それに比し、わずか1分??!!
その上、それは、デモの意味を卑小化するような演出!

おかしくないか???

だが、がっかりすることはない!
本当にいいデモだったと思う。
これだけの人数が集まったにもかかわらず、警官との小競り合いや、参加者同士のいさかい、
暑さや人いきれで倒れる人など、ほとんどいなかったように思う。
無線連絡が回ってきて警官たちに緊張が走ることなどなく、またパトカー、救急車などの
サイレンの音が近づくなど、私の知る限り、一回しかなかったから。
それさえ、関係があったかどうかもわからない。

千駄ヶ谷の駅のホームに電車が着いて、ホームからこぼれそうなほどの人垣を見、
改札までの階段をすし詰め状態で牛歩しながら、今日はこんな状態がずっと続くのなら
将棋倒し事故や、熱中症や、そういった事態に遭うのもを覚悟しとかないといけないかな、
そう思ったものである。

しかしながら、人々の意識は高かった。スピーチが終わって、デモ開始が告げられてから、
Aコースの群れにいた私。前後左右を人に囲まれ、汗ばんだ肌をお互いにときにくっつけながら、
実際デモが動き出すまでに、そう…2:40くらいから30分ほども、前も後ろも横も
様子が見えない、ただ人人人の中で、ひたすら待った。
指示は誰からも来ない。始まったかどうかさえ分からない。
どくだみの清冽な香りだけ。
あとでわかったことだが、実は私などまだ早く出発できた方だったのである。
なんと同じAコースの最後の一団が、明治公園を出発できたのは、
実に、5時を回っていたという。2時間以上も会場で待たされた人々がいたわけである。 

…それでもおそらく人々は文句を言っていない。少なくとも私の周囲にはいなかった。
人々の意識は、『原発を停めたい!』…ただその一点に集中していたからである。
主催者の誘導の仕方、警官の警備、暑さ、汗ばんだ人垣の不愉快さ…そんなものは
その大きな願いの前では、小さなことだったのである。

報道が少ない?
そんなことは気にすまい。
この場にいた人々。大江健三郎氏をはじめ、呼びかけ人は概してご高齢であった。
しかし、鎌田慧さんにしても澤地久枝さんにしても、長く反原発・反戦の想いを
貫いてきた、バリバリ現役の闘士である!
その方がたの謦咳に接し、また、若々しい山本太郎氏の呼びかけに、若い世代への
希望を見、そうして、バス十数台を連ねて、福島のナマの声を伝えに来た
『福島隊』の人々、子供たちと、一体になった…!
街のあちこちで、デモに参加してはいなくても、微笑んでくれる人がいた。
こうやってブログを書いたら、「ごくろうさま』とねぎらってくれる方々がいる…。

おそらく、みな同じ願いを胸に抱いている。
いつか、原発などない、安全な日本にしたい………! そういう願い。

この熱い想いが、広がっていかないはずがあろうか。
一人が二人に伝え、その二人が四人、八人に伝える…
原発、無くそう。子供たちに安全な未来を渡そう…
警備にあたっていた、警官隊の人々だって、多くはこころの内ではそうであろう。

動かしたいものは、政治である。
デモ、署名、メール、投書、直接に面会して原発への姿勢を問う…
なんでもいい。どんな方法でもいい。
政治家、企業、マスコミ、学界…。それらで、おかしなことを言う人々におかしい!と
抗議すること。素晴らしい意見や行為には、はっきりとしたエールを送って励ますこと。
家族で、職場で、学校で、…あきらめずに語りかけること。

原発を無くしたい!

この日の輪を、この声を、大きく何重にも広げて行きたいものである。
この美しい日本をこれ以上汚さないため。
少女たちに、『私、結婚できないの?子供持てないの?」などという
悲しいことを言わせなくてもすむように。

こんな人を最後に紹介しよう。
 
反骨の写真家、ジャーナリスト、ノンフィクション作家。
ヒロシマ、ナガサキの被爆者の姿をフィルムに収め、三里塚闘争を追い、
自衛隊・兵器産業を追及し、公害列島を歩いて告発し、今また
山口県祝島の人々と共に、上関原発の建設に反対する…

私は不勉強なことに、この方のことを知らず、3.11後になって、
『★オッぺケペー星降る夜に…』ブログの、『その日暮らし』さんに、
教えていただいた。そして、写真集『原爆と人間の記録』『戦争がはじまる』
などを見た。
…その壮絶な闘いの人生は、とても一言で語れない。
でも、こんなブログがある。

http://usagikobeya.blog68.fc2.com/blog-entry-477.html

この不屈の写真家の人生が、よく語られている。
官憲との戦い、右翼からの脅迫、家への放火…それでも彼は屈しない。
長い長い人生を戦い抜いてきた。今もなお現役である。凄絶な生である。

福島菊次郎氏。90歳と6カ月。

http://twitpic.com/6nehwg

http://www.tweetdeck.com/twitter/yamamoto_1934/~cifaB





『9.19 さようなら原発5万人集会』

9月19日。東京明治公園で行われた『さようなら原発5万人集会』に
行ってきた。

ライブなどは、体力がもつかどうかわからなかったので、
1:30からの、大江健三郎さん、落合恵子さんなど、呼びかけ人の演説から
聴ければいいや、と思って、少しのんびり家を出た。
1:20。明治公園最寄駅の中央線千駄ヶ谷駅に電車が到着。
しかし、ホームには半ば着いているのに、ドアが開かない!
ようやく開いて、ホームに降り立つと、わけがわかった。
ホームに、溢れるほどの人がすでにいたのである。
その人々が少しはけるまで、電車の乗客を外に出さないようにしていたのだろう。
まあ、ラッシュアワーでも、こんなに人はびっしりホームにいないと思う!
新宿駅や渋谷駅じゃない、千駄ヶ谷駅ですからね。

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明治公園の方に、大勢の人が続々駅から吐き出されてくる。
なかなか前に進まない。

もう、1:30。呼びかけ人の話などが始まる時間である。
明治公園についたけれど、まわりの道路にも、参加者や警官が溢れていて、
中に入れない。

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道の両側にも人がびっしり。
反対側の舗道をおお回りするといい、と警官が言っていた。
そうすることにする。

公園の入口らしきところに辿り着き、中に入ってみた。
時間はすでに1:50くらい。

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わあっ!!!

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これ、ほんの一角を写しているだけ。
とても、奥の方には入り込めないので、私は、ほんとに入り口近くの端っこから、
演壇の方を遠望してみるけれど、誰が話しているやらよく聞こえない。
どうやら、ドイツからの方の応援演説みたい。
俳優山本太郎さんの元気なシュプレヒコールで会場が盛り上がる。
大江健三郎さんはもう話し終えられたようだ。

暑い!この日の東京は真夏日。それに、人いきれが!
外周の石垣に少しのスペースを見つけて、そこで、休んで体力温存しておくことに。
持って行ったゼリー状の栄養ドリンクを飲んでおく(笑)。
演説がようやく終わったようで、座っていた人々も立ち上がる。
人があとからも入って来て、中の人はだんだん外に向かうし、周囲が立てこんできた。
人と人の間隔が全然取れない。みんな汗ばんでいて、隣の男性の汗ばんだ腕と
触れ合ってしまう。無論私も汗ばんでいる。
前の女性の、Tシャツの背中の体温が伝わってくる。

ずうっと立って待っているけれど、出発予定時間の2:15を過ぎても、
30分、40分になっても、人の列はピクリとも動かない。

お茶を飲むけれど、汗はしとどに流れる。
あら、わたし、大丈夫かしら。こんなところで気分悪くなったら大変!

さっきから、なにか、とても嗅ぎなれた、青臭い匂いがしきりにしてくる。
頭上の樹の葉の香り?
そうじゃなかった。植え込みに生えているどくだみの香り。
人々の足に踏まれて、派手にあの、独特の臭気というか、香気を立ち昇らせていたのである。

9.19集会と言うと、わたしはきっとこの、どくだみの強烈な香りを
思いだすんだろうな…。

行進の列は動かない…

が、それでもようやく動き出した。

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画面奥の方にも、小さく旗などが見える。後続のグループである。

公園を出てすぐのあたりが、なかなか、歩みが進まず、警官の誘導に
文句を言う人もいたが、概ね、参加者はわたしと同じくらいの
年齢の、まあ、落ちついた男女等も多くいて、9.11新宿デモのように、
逮捕者が出るなどということもなく、穏やかにデモは進んでいった。

というより、あまりの参加者の多さに、警官隊もどこもかしこもを
誘導規制していられなかったみたい。
わたしの入ったグループは、

明治公園→青山通りを渋谷方向→表参道を右折→宮下公園→
勤労福祉会館前→代々木公園/NHK側で解散

というコースだったが、他に2つのコースがあって、それは全く別の出口から
別方向のコースを取った。

2011_0919_164636-CIMG5224_convert_20110920010456.jpg

表参道。

わたしは申しわけないけれど、神宮前で隊列を抜けて、原宿から帰りの電車に乗った。

別のルートの人々とここで遭遇。

2011_0919_170429-CIMG5232_convert_20110920020032.jpg


主催者発表によると、なんと6万人、7万に届こうかという人々が
参加したらしい。あまりの多さに、千駄ヶ谷駅で断念した人もいたとも聞いた。

明治公園のこの日の全容は、毎日新聞社の空撮映像でご覧ください。
この航空写真は公園の中だけを写しているが、実際は、この外回りの
道路にも、千駄ヶ谷に続く道にも、延々と人の列が出来ていたのである。

http://mainichi.jp/select/wadai/graph/20110919/1.html

ああ!これほど多くの人が、反原発脱原発の、熱い想いを胸に全国各地から
駆けつけてきたのであったろうか。

バスで帰っていく人々と、エール交換。

2011_0919_164202-CIMG5222_convert_20110920020943.jpg

福島からおいでになった方々ででもあったろうか…


これほど多くの人々の祈るような気持ちを結集したデモ。
大江健三郎さんも老いられました。
なにか神々しいようなオーラを発していらっしゃる。
『日本の良心』を、象徴してらっしゃるんじゃなかろうか…。
そういう人は、この日本に本当に少なくなってしまった…。

それなのに、NHKでは、メインの夕方7時のニュースではこのデモについて
一言も触れなかったそうだ。6時台のニュースであっさり触れただけ。

…この国のかたち。
この国はこれからどうなっていくのだろうか。
今日集まった人々。来られはしなかったけれど想いを同じくした
さらに多くの全国の人々…
その想いが、福島を救う力として結集され、原発を止めることが出来るだろうか。
それとも。原発はまた、人々の熱がさった頃を見計らって再稼働され、
第二の福島の悲劇を生むようなことになるのであろうか……。



 




『雄弁な映像』

『脱原発』に踏み込んだ菅政権が引きずり降ろされてから、
原発関連の記事や報道が一気に少なくなったような気がするのは
わたしの錯覚であろうか。

人間というものは弱いものである。
私などもそうだが、出来れば、いやな仕事をするのは明日に回したい。
いやなことは、考えたくない、見たくない、という心理が働く。

3月11日。日本に東日本大震災・大津波、そして福島第一原発事故が
もたらした悲しみと精神的苦痛は計り知れないものがある。
被災地の方の苦しみ、悲しみはいかばかりか、
なんでもあの日から、日本人の呼吸が浅くなっている傾向があるそうである。

ゆったりとして満ち足りた気持ちでいれば、ひとは大きく深く息をする。
ところが、恐怖や大きな悲しみなど、ストレスを感じていると、
ひとは浅く呼吸をしてしまうのだそうである。
自分の体を思うとき、

「ああ、そうかもしれないな」と思う……。

人間のこころとからだは正直。
いやなもの、つらいことからは目をそむけていたい。
そのこと自体がなかったことのように思いこみたいという心理が働くものか。

しかし、しかしである。
遠くにいる、当事者でないものはそれですまされる。
しかしながら、愛するものを失ってしまった人々、明日の生活の希望も見えない人々、
そうして今もなお、目に見えない放射能の恐怖と闘いながら、
そこで生き続けなければならない人々は、
現実から目をそむけることなど出来ない。なかったことにしておくことなど
到底出来ないのである。

悲劇は一時の注目と同情と共感を呼ぶ。
しかし、やがてそれは、遠い人々の記憶からは薄れていき、やがて『無関心』というものに
なって忘れ去られてしまうだろう。
とりわけ、本当は一番切実な共感者でいて欲しい、政治とマスコミは、
誰よりも早く、今回の悲劇を忘れたがっているように思えてならない。
そうして、原発事故に関して、ことの張本人である、原子力ムラの人々は。

ここにおいでのfukashiさん、『最後の水たまり』という、静謐にして深い
ブログを書いてらっしゃる青年でいらっしゃるが、そちらで拝見した
ある映像。『想像の世界』。

これは、人々の意識の中の、福島第一原発による日本の汚染状況の認識地図である。
どなたが作ったか知らない。だがネットで自由に流れているそうである。

ああ…!納得!
ひとの意識はこんなものかもしれないな、と思う。
無論、それはひとによる。福島に住んでいてさえ、現実をみようとしない者も
いるだろうし、遠い九州に住んでいても、我がことのように嘆く人もいる。
しかし…大かたの意識はこんなものかもしれないと、思わされる映像である。

原発のことはずうっと書いているけれど、地震、津波の瓦礫の中でもがく人々に
対して、触れることの少ない自分。
…深い反省をこめて私はこれを見る。

http://livedoor.blogimg.jp/yukawanet/imgs/b/f/bf9f69cc.jpg

もう一つの映像。
これは、1945年から1998年までの、世界の核実験の場所と数を、
1か月という時の長さを1秒に縮めて俯瞰的に表現したものである。
これは、箱根ルネ・ラリック美術館でキュレーターをなさっている橋本公さんの作品。
1945年7月16日。アメリカが世界で初めての核実験を、ニューメキシコ州アラモゴードで
行った。これはマンハッタン計画と言って、第二次世界大戦中、ドイツなど枢軸国の
原爆開発を恐れたアメリカが、国家計画として推進を急いだ核開発計画のその最初の
示威である。
すべて埋め立てはしたものの、50年以上たった今も、その地では通常の10倍以上の
放射線量が計測されるという。

…それから、広島。長崎。…ビキニ環礁での核実験…

アメリカ、ソ連、フランス、イギリス、中国、インド…
世界でやった核実験が、ただ、ボンという音と光の点だけで表してある。
言葉はいらない。見ればわかる。
とりわけ1962年の核実験のその数!Wikiによれば、なんと1年で約140回!

わたしにとってとりわけ悲しいのが、1954年、アメリカが太平洋ビキニ環礁で
行った水爆実験ブラボー(なんという名をつけるのだ!アメリカという国は!)。
この実験で近くにいた日本の漁船第五福竜丸の船長久保山愛吉さん以下乗組員32人が
死の灰を浴び、久保山愛吉さんは亡くなった。

広島、長崎に原爆を落とされた日本では、激しい原水爆核実験反対運動が起こった。
アメリカへの反感から、日本がソ連に近づいていくことを恐れたアメリカは、
『核の平和利用』というキャンペーンを大々的に展開していく。
日本人の核アレルギーを、逆に、日本に原子力発電というものを持ち込んで
封じ込めようとした、アメリカの壮大かつ狡猾な戦略である。
それに応じたのが、元読売新聞社主、正力松太郎氏。そして政界では若き日の中曾根康弘氏。

そのことに関してはわたしの4月8日の記事『原発はいかにして日本に持ち込まれたか』
に書いてある。しかしながら、NHKによる1994年の この優れたドキュメンタリー、
『原発導入のシナリオ^冷戦下の対日原子力戦略~』は削除されてしまった。

ところが、この素晴らしい映像を文字に書き起こしてくれているサイトを発見。
ここには映像もある。日本にどうやって原発が持ち込まれたか、
その不気味な一部始終を未見の方は、お時間のあるときじっくりとご覧ください。是非是非!
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005/e/8cb417e24c312960bb2b392917366a20

閑話休題。
先の橋本公氏の映像には、言葉はないけれど、こうした歴史の暗部も
知っていれば見えてきて、核開発というものに執念を燃やす人々の恐ろしさに
暗澹とした想いにさせられるのである。
1957年。アメリカから輸入された日本最初の研究用原子炉JRR-1が、
茨城県東海村原子力研究所で臨界に達した。我が国初の"原子の火"が点火されたときである…。
1960年。福島県が東京電力に対し、双葉郡への原子力発電所誘致の敷地提供をする旨を表明する。
1971年。福島第一原発、1号機が営業運転開始。
………


原子力の『平和』利用?
クリーンエネルギー?
とんでもない大嘘である。
福島に、日本に、このような悲しみと、実際の被害の全容さえ計り知れない損失を
もたらした原子力発電というもの。
それはこの核兵器開発と同じ腹から生まれたものである。 

今こそその正体がいやというほどわかったではないか。
それでもなお、原発を推進しようと蠢く輩がこの日本には数知れずいる。
それらの人々は、原発によって何らかの大きな利益を得ている人々であろう。

その一部の人間に利益を与え続けるために、日本はまた、福島への道と同じ道を
歩き続けるのか?!!!!!


…人類は一体何をしようとしてきたのか…
これでいいのだろうか?

深い嘆きと怒りをもって、この映像。お送りします。

http://www.ctbto.org/specials/1945-1998-by-isao-hashimoto/




『舌禍』

鉢呂経産大臣が、自らの不適切な発言と行動の責任をとって辞任した。
…なんとまあ!…
『原発は0になる』と認めたことで、彼のことをとても期待していただけに、
なんともはや、残念とも何とも言いようがない。

まず彼が、福島原発を視察して、周辺の無人の街を『死の町(街)』と
表現したことについて、マスコミと野党が大騒ぎ。
現地の人々の感情を逆なでする、というのである。その発言について。

しかし、よく考えてもみよう。チェルノブイリの周辺は、25年経った今も
住民は戻れていない。春が来れば森林が緑に芽吹き、草は丈高く成長してはいるが、
かつてそこにあった村は、今はほとんどが無人化している。
ほとんど、というのは、被曝を承知でそれでも、故郷の村に住みたい、という
老人たちなどが僅かにいるからである。

鉢呂大臣が視察後に漏らした『死の町(街)』という感想…。
その言葉を使うのはどうか、と正直言って私も思うが、しかし、
マスコミや野党などが、大騒ぎしたのは的外れだと思わざるを得ない。
そういう言葉を正直に思わず発してしまった人の感覚がおかしいのか?
その発言だけを取り上げて非難などしているより、福島をそういう場所にしてしまった
東電などの電力業界、これまでの政府、経産省などを追及していくのが本筋であろう?
また、原子力発電はクリーンで安全です、という嘘を垂れ流す大きな役割を
になってきたマスコミ自体を反省するのが先であろう?
自民党政権下で、原発は導入され、やみくもに推進されてきた、その反省は、
いったいいつなされた?

私は、このままいけば、少なくとも原発周辺の、放射能汚染度の高い地域は、
やはり人は住めなくなってしまうであろうと思う。まだ、事故は収束してさえいない。
そんな言葉は使わない方がよかったには違いないが、大臣の認識は
決して大袈裟ではないと思っている。
むしろ優しい同情家面をして、『いつか帰る日のために』などという方が
無責任であろうと思う。
住めないところは住めないとはっきり言い、その代わりに精神的ケアも含め、十二分な
生活の保障と先行きの希望を与えるのが、政府と事故を起こした東電の責任である。
それを見張っているのがマスコミの本来の役目であり、瑣末なことを針小棒大に
騒ぎ立て煽るのが役割ではあるまい。

衝撃的ではあるが、こんな映像を見た。
人気のない真夏の、原発付近の道路。
その道路の真ん中に、一匹の動物のからからに干からびた死体があった。
もはや犬とも猫とも見分けがつかない。
この子は、ここに力尽きて横たわり、亡くなる前、最後に空を仰いで
何を想っただろうか……
きっと、懐かしい懐かしい、飼い主の顔であったにちがいない……

こんなことを引き起こしたのは原発である。

福島の子供たちの訴え。『私たちは子供を持てないの?』…

こんなことを子供たちに言わせることになったもの。それは原発である。

責めるべき者はどこにいるのか。糺すべきものは何なのか!
物事の本質は何なのか!
報道陣が本当に追及し、報道すべきものの本質を見失ってはいないか?

…しかし、鉢呂大臣の『死の町』発言は擁護する私も、
『ほら、放射能!』と言って、取材記者の一人に防災服の袖をこすりつけた?
と言われている行為に対しては、それが本当ならば弁護のしてやりようがない。

これは、『死の町』発言と少し意味の重さが違い、本質にかかわることだと
思うからである。これはあの、東海テレビの、岩手県の米をセシウムさんと
テロップ入れた件と同じで、普段から、そのような認識をしているから
こういう発言や行動が出てくるのだ、と言えるような、人間の本性、
本質にかかわる問題である。
鉢呂氏は経験も長く、『農業の鉢呂』とも呼ばれ、与野党の議員とも話が出来る
割と骨太の議員ではないかと、私は期待していたのである。
推進派の人間ばかりが委員会などを構成する。それを改め、総合エネルギー審査会に
原発に疑問を抱く人も入れる…。
おお~!このひとはやってくれそうだな、そう思って期待していたのである。

こんな!こんなつまらないことで、大臣の職も全く何もしないうちにふいにしてしまうのか!
こんなくだらない行為で、おそらくであるが、彼は次の選挙で落選するかもしれない…
なんとまあ…情ないことであろうか…。
もし本当なら、仕方ないな。

…そうは思えど、やはり何か割り切れないものが残る。
『放射能、つけちゃうぞ』と言って、記者の一人に近づいて、防護服を
相手にすりつけようとした…
本人ははっきり記憶していないという。
…しかし、彼が口にしたというセリフ。それが報道各社によって、全部違うのである。
『放射能をつけちゃうぞ』『放射能をうつしてやる』『ほら、放射能』…
『現代ビジネス』の『ニュースの深層』の長谷川幸広氏が鉢呂氏本人に
インタビューして、その日の真相を聞きだそうとしている。

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/19475

困ったことに、鉢呂氏自身がよく覚えていないらしいのである。
ただ、本人は、ある記者に近づいて行った事は認めるけれども、『こすりつける』と
言うような仕草はしていない、と言っているらしい。
また、『放射能』という言葉を口にしたかどうかもわからない、という。
朝日は大臣が『線量計を覗いて』その日の視察で85マイクロシーベルト被曝した、
と言った、と書いているが、線量計は返してきたので、大臣が持っているはずもなかった。

また、さらにおかしいのは、この大臣の発言を、第一報で真っ先に流したのは、
フジテレビだったというが、大臣によれば、フジの女性記者なら知っている、
フジの記者はその場にいなかったと思う、というのである。
その場にいなかったフジテレビが、ただの伝聞情報を真っ先に流したのか?

以上は、上の『ニュースの深層』に書いてあったこと。
筆者の長谷川氏は、鉢呂氏が、エネルギー審査会に半数は反原発の考え方のひとも
入れる、という考えを持ち、すでに人選も終えて正式に記者発表する直前であったこと。
鉢呂氏辞任を、鉢呂氏を快く思わない経産省は歓迎しただろう、というようなことを書いている。

鉢呂氏がその晩のオフレコ会見で、何と実際は言い、どんな動作をしたのか、
その場にいた記者の記事さえ、そうバラツキがあるようでは、真実はもう藪の中である。
まあ、そこにいた記者たちの陰謀説、などということはさすがにあるまい。
おそらく、気が緩んでいたのであろう。
いかに夜のオフレコ会見といい、大きな批判を招くようなことのもとは実際にあったので
あろうから、一国の大臣として、軽率であったということは、弁護のしようもないであろう。
…期待していただけに、…残念である。
本人は張り切ってこれからいろいろやろうと思っていたであろうから、
さぞかし無念であろう…。


しかし、この一連のマスコミの報道。おかしくないか!!!
鉢呂氏辞任の記者会見の際、こんな一記者の無礼な態度が、今、ネットで取り上げられている。

http://www.youtube.com/watch?v=FEf9sd56tqE&feature=related

少なくとも、一国の大臣の、正式な辞任会見の場である。
そこで、大臣に対し、最初「説明しなさいよ」と言っていたが、だんだん言葉を荒げ、
ついには「説明しろって言ってんだよ!」と恫喝するように。
それに対したまりかねた同席の記者が、「記者でしょ。敬意を持って質問しなさいよ」、と
たしなめている。
この暴言記者。時事通信の記者ということで、鉢呂氏に後日、上司と共に正式に
謝罪に行ったそうであるが。

私が感じる違和感。
それは、原発事故が起きた3月頃の、保安院、東電などの記者会見の会場での、
記者諸氏の、とりわけ大手マスコミ取材記者諸氏のおとなしさを思うからである。
あれほどの大事故が進行中。しかも東電も政府も一向に情報を出さない。
出さないというよりは、東電自体が状況をつかみきれなくてあたふたしている感じだった。
それに対し、大手メディアの切り込みは、本当に甘かった!
鋭い質問をしているのはフリーのジャーナリストと呼ばれる人々がほとんど。
一時は、このフリージャーナリストや外国人記者も会場に入れないように
締め出されされかかっていたと、上杉隆氏などが憤っていた。
本当に、なにか東電、保安院と慣れ合ったような、どよ~んとした馴れ合いの雰囲気。

ところが、同じ記者クラブの人間が、辞任決まった鉢呂氏に対しては、この威丈高!
まるで、弱い者をつつく鶏のようである。
わたしは、ずうっと、どこかでジャーナリストというものを信じたい気持があった。
本田靖春氏のような、気骨ある新聞記者を。
…ところが今のマスコミの報道はどうだろう!
3.11以来、彼らにほとほと私はあきれ、いや、ある意味絶望してしまった!
世界のあらゆる不正を、該博な知識と経験に裏うちされた直感と足を使って
調べて回り、それを鋭く暴きだし、不正をただすその最先峰に立つのがジャーナリストである…
その、私の信頼は今、ぐずぐずに壊れている。

なんという愚劣な!なんという浅薄な!
しかもその、視線を向けているところさえ、意図的にか何か知らないが、ピントがずれている。

大臣が変わるたびに、小さな瑕疵や経歴上の問題点を調べ上げ、それを
鬼の首でも取ったかのように大騒ぎして、ついにはそのひとを引きずり下ろす。
ほとんど仕事も出来ないうちに、である。
それはなにも菅総理、鉢呂氏などに限らず、たとえば、麻生氏の『未曾有』などについてもそうであろう。
報道の本当の役割は、小悪とも言えぬものをつついて笑いものにすることではないはずだ。
巨悪を放っておいて、なんで瑣末なことに大騒ぎする?

物事の本質を見るべきである。

鉢呂氏の『死の町』発言にあれほど大騒ぎしながら、前原政調会長が、10日、
武器輸出三原則の見直しや海外に派遣された自衛隊の武器使用基準について、
政調の防衛部門会議で見直しを議論するよう指示したことを明らかにし、
また集団的自衛権の行使が今の憲法解釈で認められていないことについても、
「個人的には疑問がある」と述べた、
…そんな大きな問題に対しては、通り一遍の報道しかしない。

前原氏に今、大きな権力が集中しつつある。
前原氏は、アメリカ追随型の、いわば、アメリカと一緒に自衛隊を
海外派遣し、武器を持って戦わせたい考えのひとである。
ということは、平和憲法を将来改憲したいという考えの人でもあろう。
今のところは解釈改憲、ではあっても。この前原発言を、自民党の石破氏が評価。
さて、野田総理をはじめ、大連立したい議員がたくさんいる中、保守系与野党の
大連立が成ったならば、この国では少数派の意見というものは通らなくなっていって
しまうであろう。一方多数派の意見は、憲法改正も、自衛隊の軍隊への格上げ?も、徴兵制も、
原発増設も、もんじゅも、…なんだってやりたい放題になってしまう!

そのような大きな問題をはらんだ発言は放っておいて、
これから原発のことを真摯にやろうとしていたひとの失言を、事実関係も
細かく調べ上げないままに過熱報道。ついに鉢呂氏を引きずり下ろしてしまった!

一国の大臣を引きずり下ろす。その原因となった、件のオフレコの記者会見。
これほどの大きな責任を大臣に取らせるのであれば、その時その場にいて、
記事を書いた、記者たちの名も自ら明らかにすべきではないか?
『放射能、つけちゃうぞ』…その短い言葉さえ、報道はまちまち。
ああ!ここに、外国人記者が一人いたなら…!

報道の自由?…それは大事。
だが大事だからと言って、これほどの大きな影響を持った一言。
報道する記者も、自ら名乗って、その責任を持つ、くらいのバランスがあってもいいのではないか。

今のマスコミは、報道陣としての見識も責任感も本当に意味での鋭さも失い、、 
低劣ないじめ集団のようになってしまっている。
わたしがもう一つむかっ腹をたてているのは、例の野田首相の『どじょう』発言
に対する報道である。いったいいつまで、マスコミはこの言葉を
嬉しがって使うつもり?全く、馬っ鹿みたいだ!!!
本人の野田総理も困惑し、そのラベルを早く剥がしてもらいたいだろうに。
自分の国の総理が、いつまでも『どじょう』と思われていいのか!
全くくだらない…!



舌禍…。

日本の政治家よ。マスコミも低俗だが、あなたたちももう少し、
発言と行動に気を配ってくださいよ!!!
わたしのような、名もなき一主婦でさえ、ブログを書くのに、言葉を選び選び、
推敲を何度もしながら、人を傷つけたり間違った内容を伝えたりしないよう、
気をつけて人前に出すものを…!



マスコミ、記者クラブについてはまたいずれ。




『銀座にて』

9月12日。銀座へ。
5丁目の画廊で開かれている個展を見るため、そして友に会うために。




詳細はこちら




☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆ 松井大門展 情報 ☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆


日時 : 9月11日 ~ 17日  11:00 ~ 18:00
場所 : アトリエスズキ 東京都 中央区 銀座5-5-13 並木通り坂口ビル4F

画像をクリックしていただくと、大門先生のところに飛べます。




勿論、松井大門先生の絵を見せていただくため。そしてこのブログでお世話になっている、
れんげちゃん、葉っぱさんと会うためです。

お昼12時。個展の会場へ。
大門先生が、どなたかお客様とお話ししてらっしゃるのがまず見えました。
「ナマ大門だっ!」と思わずこころのなかでつぶやく…(爆)
お~~~~~~!!!
先生はとってもやさしそうでした。絵がいいんです!!!

先生の絵は、ブログ上で見せていただいていましたが、まだ、この日本にかろうじて
残っている農家などの絵が、とっても私などには懐かしく。
少女の頃、こういう畦道を学校帰りに歩いたよなあ、
小5の夏。父に会いに帰った九州の高原の村の、私の生まれた家もこんなだったのでは!
…などと、風景だけでなく、田舎の家の、なにか大豆か何かを煮ているような
独特の甘いような匂いや、水を入れた田の泥の香りや、また、初夏の、
青い柿の実の匂いや、…そんなものがすべてわ~っと思い浮かべられるようでした。
今回は、中国に取材にいらした折りの、向うの素朴な老人たちの笑顔の絵など、
人物像もありました。また、先生だからこそ!、と思うような、暖かみのある
植物図譜もあります。

れんげちゃ~ん!!!
彼女は、ちょっと横っちょに隠れて、恥ずかしそうにはにかんでいました。
写真はブログで何回か拝見していたからというのもあるんだろうけれど、
初対面にして、なんというこの懐かしさ!
すぐに手をつないで。…言葉はいりませんでした。

申しわけないけれど、先生を残して、れんげちゃんと私は銀座の街へ。
これからどこかでお食事です。
最初は、銀座ライオンでビールかな、と思っていたけれど、昨日すでに
行ったということなので、資生堂パーラーに案内することにしました。
パーラーはおやすみ、ということで、10階のファロ資生堂に行きました。

こんな感じ。れんげちゃんとの思い出に載せておきましょう。

http://faro.shiseido.co.jp/restaurant/

お腹の今すいてらっしゃる方には、お目の毒かな。
ここはミシュランの一つ星だそうです。お料理はイタリアンと言うより、フレンチみたい。
給仕をしてくださる男の方たちは皆訓練が行き届いて、もの静かでやさしく。

内装もすてきでしたよ。野又穫さんの絵が何枚も壁に高く掲げられていました。

ワゴンでサービスされるデザートは、何種類選んでも切ってくれる。
盛り付けが感動的に綺麗でした。

お腹一杯になって、いろいろ話もして、そこから松坂屋の少し先にある、
ミタケボタン、というボタンやさんにれんげちゃんを案内しました。
れんげちゃんは、お野菜作りがプロみたいだけど、いろいろなんでも自分で工夫して
手作りするのも好きだということで。

このミタケボタン店は、ここ銀座で営業70年の老舗。
先代が海外に行って買い集めて来たという、ヴィンテージボタンが
たくさんあって、服飾界では知る人ぞ知るというお店なのだそう。
私は、『ku:nel』という雑誌の表紙になっていた、ここのボタンを見て、
この店のことを知りました。

ミタケボタン

私は目移りしちゃって、今日は何も結局買えず。
今度、縫いあげた服を持って、それに合うボタンをゆっくり探しに来よう。

さて。画廊には大門先生の奥さまと葉っぱさんとが、戻っておいでの頃です。
れんげちゃんと、西日の照り返しの強い銀座の街を急ぎ戻る。

大門先生の奥さま今日子さんと、葉っぱさんも、すてきな方でした!
大門先生とは日本が捨てようとしている良きもの、についての話をしたり、
今日子さんは、アンティークの服からすてきなバッグなどを作る先生なので、
この日持って来てらした、スエードのバッグを見せていただいたり、
れんげちゃんがミタケボタン店で買った、皮のボタンを見せてもらったり、
これまた、驚くほど多趣味、というかなんというか、マルチな才能を持った
葉っぱさんに、万華鏡作りの話を伺ったり、
そんなことしてるうちに、あっという間に、5時を回ってしまいました。
名残惜しいけれど、先生ご夫妻とれんげちゃんとはお別れ。
温かい握手をしていただいて、私は葉っぱさんと有楽町駅に戻りました。

奥さまともう少し、手仕事の話がしたかった気がします。
もの静かな、気品のある方です。
近くに住んでいたら、いろいろ楽しい情報交換できるだろうのになあ。
いろいろ教えていただいたり。
また、葉っぱさんとは電車の中で、原発のこととか政治のこととかいろいろ
話ながら帰ったけれど、やはりもっともっと話したかった。
ものすごい勉強家です。掘ればいくらでもいろいろなものが出てきそう。
…葉っぱさんとは近いので、また会えるだろうと思います。だといいな。
「姐さん!」と。呼んでみたくなるような人。
わたし、こういうタイプ、ふらふらっとついて行きたくなるんだ!(爆)
葉っぱさん。ごめんね(笑)。

れんげちゃんとは、…れんげちゃんとは。なにか、あまり話さなくても
もうじゅうぶんいっぱい話したような…。そんな満足感があります。
母子?以上に年は違うんだけれど、そのキュートな外見に似ず、というのも
おかしいかな。彼女はすっごい大人です。そしてもの想うひとです。
ブログで知るれんげちゃんは、文句なしに明るいひと。
誰のこころにもストレートに、爽やかな風のように飛びこむ。
しかし、そのまっすぐさは、なんというかなあ。単純な形態ではありません!
ものすごく、微妙なニュアンスのあるストレートなんだ…うまく言えないけれど。

だから。彼女は。みんなのれんげちゃんになる…。
うつむいてる顔や仕草が。可愛い。



そして、大門先生。
先生は絵を通じて多くの人に伝えたいことがある…
それは、なぜ、この日本にまだ、地方には素晴らしい家屋や、人の暮らしが
残っているのに、それを壊そう壊そうとするか!という問いかけです。
先生の描く、古い農家など。それらはまだまだ修理すれば立派に生きていけるのに、
ひとはどんどん惜しげもなくそれらを取り壊し、日本全国どこへ行っても見られるような
新しい、でも味気のない建物に建て替えてしまいます。

先生が訴えたいそれは、ただ、古いものへの哀惜というような単純なことではない。
そこには、何もかもが東京や大阪などの大都会に集まってしまい、
地方の生活が成り立って行かなくなってしまっている、この国の農政や林業政策、
また文化格差など、大きな大きな問題が見えている…。

それは根本のところで、私が今書いている、原発問題にも通じる課題です。
なぜ、福島浜通りに、かくも多くの原子炉が建設されるにいたったのか…
青森県六ケ所村、北海道泊村に、なぜ、各施設は建設されたか…

やさしいやさしい、やわらかい色調の、美しい水彩画です。
でも、私は、先生の、剛毅な思想の一面も見せていただいた気がして、
深く考えこみながら、葉っぱさんともさよならした後の、電車に一人乗っていたのでした……



一匹狼的な生き方をしてきて、いつも根無し草の感覚を持って生きている彼岸花。
このまま。墓場まで、この生き方を貫くのだろうなと思っていた。が。

ひとっていいな、そう、思えた日でした……





『9.11』

9月11日。

今日は、新宿で行われた脱原発、反原発のデモに行ってきました。
直前に警察がコースを変えるよう言って来たとかで、
新宿をおおまわり。←これ、別にダジャレじゃありません(笑)。

6月11日よりは残念ながら、参加者は少なかったと思います。
あちこちで行われていたので、分散してしまったのかもしれません。


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今回も私。

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キャンドルナイトも忘れていません。
葉っぱさん、れんげちゃん企画です。



心ひとつに キャンドルナイト
 




復興の願いを込めて。
そして、世界が悪意に包まれることのないように。


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『9・11-19 脱原発アクションウィーク 』

バナー脱原発アクション


9月11日から19日。
日本全国で、脱原発、反原発の行動が予定されています。

私も、19日。東京明治公園集合の『さようなら原発5万人集会』に出るつもりです。
呼びかけ人、賛同人は、ノーベル文学賞受賞の作家にして日本の良心、大江健三郎氏の他、
落合恵子氏、鎌田慧氏、池澤夏樹氏、田島征三氏、上野千鶴子氏、…など、
各界の良識ある人々が名を連ねておいでです。
http://sayonara-nukes.org/sandou/

集まれ5万人! 9・19は「さようなら原発集会」へ

概要
◎名称  さようなら原発 5万人集会
◎日時  9月19日(月・敬老の日)
13:00~ライブ  13:30~集会  14:15~パレード
◎会場  明治公園(東京都新宿区霞ヶ丘町6)
JR「千駄ヶ谷」下車5分
地下鉄大江戸線「国立競技場」(E25)下車2分
地下鉄銀座線「外苑前」下車15分
◎参加費 無料

◆内容
◎オープニングライブ  寿
◎発言   落合恵子さん 大江健三郎さん 内橋克人さん 鎌田慧さん
山本太郎さん 武藤類子さん(ハイロアクション福島原発40年実行委員会)
ドイツからのゲスト
◎送り出しライブ  ランキン・タクシー、ナラカズヲ


こちらでは、来年2月28日までに、原発を止めるための1000万人署名活動も
行っています。
この私のブログにおいでくださって、反原発、脱原発、厭原発のご気分を
お持ちでおいでの方、ぜひ署名と、多くの方がたにこの運動を広げるご協力
お願いいたします。

pdf は  http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/08/0830sayonara_genpatu.pdf
WORDは  http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2011/08/0830sayonara_genpatu.pdf 

私は11日、新宿アルタ前集合の、『9.11新宿 原発やめろデモ』にも
参加したいと思っていますが、こちらは家の用事が入るかも。
6.11のデモに参加し、なぜかひどく感動してしまった私でした。

全国各地のデモ情報は以下の通り。

http://nonukes.jp/wordpress/
詳しくは同ページの右側の方の、『関連するアクション』
の、Twitter @911nonukues をごらんください。

『菅総理の功罪』 其の三 「菅総理の3月、私の3月。そして9月。」

可笑しいのは、これほど東電のこと、これまでの原発政治のことを怒っている
当の私が、いちばんたくさん放射性物質が2号機の爆発によって放出された
3月15日に、外を走り回っていたことである!
おそらくその日に、東京の私も、なにがしかの被曝をしている!

なぜ、3月15日正午ごろに私は外を走り回っていたか。
その前日。3月14日。今も思い返せば腹が立つ、あの、計画停電なるものが
我が家のあたりでも始まった。しかも我が家は、夜停電するグループだった。
私は、普段のこころがけ悪く、ものを買い置きするということをしない。
計画停電の計画が唐突に発表された時も、蝋燭は大きいのが一本あるし、
ラジオは、大きなラジカセがあるから、それを電池で聞けばいいやと思っていた。
ところが!昔の図体のでかいそのラジカセ!なんと単一電池が8個、そして
単三電池を4個も必要としていたのである。
新しい単一電池は我が家には4個しかストックがなかった。
3月14日と言えばまだ寒い。
我が家は電気こたつがメインの暖房で、石油、ガスストーブの備えもなかった。
寒さは2時間くらい、ふとんにくるまっていれば何とかやり過ごせる。
しかし、真っ暗な闇のなか、携帯も持っていない私、地震の余震もまだある中で、
ラジオの情報が得られない、というのは全く大きな不安であった。
被災地のことを想えば、何の比較にもならないほどのものだが、それでもやはり。

原発には用心深い私。11日。地震が起きてすぐ、原発事故の苛酷さを想定し、
東京にもその放射性物質の飛来は当然のように予測した。
東京がパニックに陥り、機能不全になることまで予測し、娘たちを九州に
いざとなったら逃げさせるよう、九州の姉に頼みまでした。
その季節は、おおむね風向きは春になり南からの風の日が多くなっていた。
それでも北から風が吹いているときには、特に特に外出を控えるよう、
娘に注意もした。
…それなのに、それなのに、である。
ラジオのない不安は、わたしを突き動かし、15日昼10時~12時頃、わたしは
単一電池を探して、町を自転車で走り回っていたのである!
15日の朝、2号機が爆発したことも知っていた。
しかも風は北風。
それでも、250キロも離れた東京には、まだ放射性物質は飛来すまい…。
そう多寡をくくって、自転車で。
ああ!その時ほど、自分たちが弱者であることを自覚したことはない。
大勢の人々が買い出しのパニックに陥り、広い広いスーパーの駐車場は車でいっぱいだった。
米の棚も水の棚も空っぽ。無論電池の棚には、メインとなる単一、単三は売り切れて無かった。
どこを走り回っても電池も小さなポケットラジオなどもうあるはずもなく…。
自家用車を主義として持たない我が家。車の中にいるなら多少の被曝防止効果も
あったろうが、自転車で、生身を曝して走り回るしかなかった。
携帯がないから、いざという時の情報も手に入らないし、連絡もとれない。

地震津波、原発事故、戦争などの大災害時、大非常時には、弱者から真っ先に
犠牲になる!ということを、今更ながらに実感したのである。
我が家の隣の市で、ガイガーカウンターを窓に設置し、その刻々のデータを
ネットにアップしてくれている人がいる。
それで見ると、わたしが自転車で走り回っていた日のその時間帯が、今まで中、一番
放射線量の高かった時間帯なのである!
それはもう。笑ってしまうほどに、グラフがピンとその時だけ跳ね上がっている…!(爆)
『灯台もと暗し』『紺屋の白袴』…?(笑)…笑い事ではないです!
3月23日にもグラフが跳ね上がっている日があるが、その日何をしていたのか記憶がない。

せつないのは、あれほど私が守りたいと思う娘たちまでが、その時間帯に
外にいたことで、聞けば私のためにポケットラジオと電池、蝋燭を
入手して、届けに来る途中だったという。
大きなスーパーの店先でぱったり出会った時の、わたしのなんとも言えない無念さや
二人のこころづかいの嬉しさ。娘の傍に男の人が居てくれる安心感、などの
いろいろ混じり合った複雑な気持ちを、今でも忘れることが出来ない。

パニック。
この私もパニックを起こしていたんだな、と思う。
だから、私には、菅総理の気持ちがなんとなくわかる気がするのである。
8月19日付(発売日は8月9日)の週刊朝日に、菅総理の独占インタビューが載っている。
現役の総理が、週刊誌のインタビューを受けるというのも珍しいこと。
四面楚歌に悩む菅さんが、唯一最後の味方は国民と、インタビューに応じたのではなかったろうか。
しかしながら、思ったほどの効果は上がらなかったか、twitter でも、他のところでも、
この記事に言及してあるのを、わたしは少なくとも見ていない。
菅さんは脱原発の姿勢を示して後、野党、与党の同僚、マスコミ、経済界…
いわば全権力からの攻撃を受けたわけだが、それでもやめずに脱原発に
道筋をつけようとした。あちこちで彼は言っている。
「国民の脱原発への後押しがあれば。」と。
私には、この週刊朝日へのインタビューは、菅さんが、国民の後押しを求めて
最後に打った手のように思えるのである。
しかしながら、世間の反応は、それほどでもなかった…。

無念である…。
私には、菅さんがこれ以降ぐっと、辞任への意志を固めていったような気がしてならない。
国民が味方についてくれた!と思えば、彼は脱原発解散にまで突き進んだかもしれない、と。
しかし、このあたりで、急速に彼は闘志を失ったのではなかろうか。

記事タイトルは、
『原発から辞任まで 総理・菅直人「3.11後」を語る

それによれば、菅さんは、
地震発生時、参議院の委員会長室で質疑を受けていた。
すぐに官邸に戻り、自衛隊派遣など、地震・津波に対する対応にあたった。
ほどなく原発事故の知らせが入ってきた。複数の原子炉が同時に深刻な事故を
起こしたのは世界でも例がない。
「本当に大変なことが起きた。これからどうなるか」というのが最初の認識だった。
初めの10日間は、津波被害は勿論、原発事故の影響がどこまで広がるのか、
背筋が凍りつくような思いだった。


そこから、官邸にいろいろなところからの情報が入っては来るが、
だれが責任者で、どこまでが正確な情報で、どこまでが伝聞なのか、
何がまだ伝わってきていないのか、錯綜している様子が記事の菅さんの言からも伝わってくる。

官邸では、目の前に原子力安全委員長はいるけれど(斑目氏!彼の無能無策は重罪レベル!
これは私の意見)、現場を見て判断しているわけではありません。保安院も
いろいろ言うけれど、どこまで状況を把握しているのか、わからない。
生の情報をいちばん持っているはずの東電も、現場から私に伝わるまで伝言ゲームのように
人が介在し、結局誰が判断しているのか、誰が責任者なのか、聞いてもわからない。
すべてが匿名性の中で行われていました。(菅さんが福島第一原発に視察に行って、
それが収束を送らせたと批判の対象になっているけれど。[彼岸花、付記])
吉田所長と会って、「やっと匿名で語らない人間と話が出来た」という思いでした。


菅さんが視察したことを責める声が圧倒的だけれど、このような情報の混乱の中、
総理が現場を見て、直接指揮したい、と思う気持ち。私は無理もないと思っている。

次のこれもまた、菅さんの普段から怒りっぽい資質の現われとして、指揮官としての
冷静さや部下の扱いのまずさを示す例として、相当非難の対象となったが、
東電を怒鳴り上げた件。

その日(3月15日)の未明に、私のもとに「東電が原発事故の現場から
撤退したいと言っている」という報告が来ました。私は「何が撤退だ」と思いました。
彼らが撤退して冷却作業が止まったら、6基の原子炉と7つの使用済み燃料プールが
放置され、そこから相次いで放射性物質が放出されることになりかねません。
へたをしたら途方もなく広い範囲に汚染が広がるという図が脳裏に浮かんで、ゾッとしました。
私は即座に、「何としても事故収束に向けての作業は続けなければならない」と
決断を固めました。そして、今すぐ政府と情報を一元化する部署を東電に作らなければならないと
判断して、本社に乗り込み、「撤退なんかあり得無い!』と語気を強めて言ったんです。


私は、『週刊金曜日』という雑誌を取っている。
この本の存在は、当ブログにおいでくださるある方から教えていただいたのだが、
その、9月2日号に、菅内閣の内閣広報室審議官であった、下村健一氏への
インタビュー記事がある。そこからも、当時の混乱ぶりを引用してみよう。
彼は元TBSの報道アナウンサー。ニューヨーク特派員を経て退社後、
市民メディア・アドバイザー。東大法学部在学中から菅さんの選挙や政策立案などを
手伝っていた。
私は官邸のホームページ内の菅ブログを見て、そこにときどき菅さんへの応援
メッセージを、枯れ木も山の賑わいと書きこんでいたが、そのブログを
菅さんの代わりに書いていたのが、この下村氏である。

彼のブログの仕事ぶりには私はずっと不満があって、「もっとたびたび菅さんの思いを
アップしなさいよ。国民にとにかく話しかけて、国民を味方にしなくっちゃ!」
と、その発信の疎らさにじれったさを感じていた。
だが、朝日ニュースターで彼の話すのを聞いて、ああ、真剣なんだなあ、と
考えを改めた。閑話休題。

…略…原発も本当に何が起きているか訳がわからなかった。いまだに、福島の四つの炉の中で
何が起きているかを実際に見た者はいないのだから。
東京電力や原子力安全・保安院、原子力委員会からも精鋭の人たちが
官邸に集まったはずだが、ほとんど判断が出来ない。どの情報が確実なのか、
誰にもわからない状態が延々と続いた。日本という名の安全システムがガラガラと
崩れていくのを目の当たりにするような危機感だった。
「政府は隠しごとを全部言え]「真実を政府は掌握し、隠している」
などと批判されるたび、隠せるぐらい真実が見えているならどんなにいいか、
誰か教えてくれと思った。


   『問い:米専門機関、あるいは国内のどこか、たとえば東電などには
   真実がわかっていたことが官邸になかなか届かなかったのでは』

…略…当初の遅滞ぶりを間近で見ていた個人的印象としては、東電は本当に官僚的な体質で、
情報一つでも現場から順々に上げていかないと、現場の判断でどこかにポーンと
飛ばして繋がることは許されにくい組織なのだはないか。それがもたつきの原因の
一つなのでは、とも感じるが、それも推測だから、事故調の究明を待ちたい。
 ただ一つ、事故調以前に断言できること。「ここまで有事の対応ができないのだったら、
原発なんて、まだ作るなよ」と、本当にかつて原発建造に見切り発車し、それを安全神話で
継承してきた歴代の為政者たちに対して、怒りに震えた。」


菅さん自身とその側近の一人。それらの言からも、当時の混乱ぶりは伝わってくる。
私だってこれでは、イライラして「どうなってるんだ!」と怒鳴りたくなる。

菅さんは数多くいる民主党自民党の議員の中で、東電からの献金を
受け取っていない2人の議員のうちの一人であったという。
あとの一人は小泉純一郎氏。へええ!と思う。(『AERA』2011年6月20日号による)
菅さんは3月15日に東電に乗り込み怒鳴り上げる以前の、そもそもの最初から、
東電には距離を置いていた政治家、と言えるかもしれない。

東電その他の電力業界と官僚・政治家のずぶずぶの癒着。その中にあって、従来の慣例に
従わない変わりものの偏屈な政治家。しかも3.11以来自分たちに信を置いていない。
そう思ったとき、東電側や経産省の官僚などが、菅さんに不信感を抱き、
情報をわかっていて上げない、ということは考えられるのではないか、どうだろうか…。

私はむしろ、東電そのものも、事故の状況が把握できていなかったのだろうと思う。
東電の上層部が、福島第一原発のプラント設備の詳細を、どれほど知っていたものやら!
なにしろ原子炉本体は、アメリカからおしつけられた古い形式のものである。
アレバ社とアメリカの除染装置を日本の技術で配管するときのもたもたぶりを
見てもわかるように、まして複雑な構造の配管が交錯する原子炉建屋内部。
あれほどの大きな地震と津波の後で、どこがどう破損していてもおかしくない。
全電源を喪失、という一報があってから、私も祈るような気持ちで、東電が打つ手を
注目していた。それが、どうにもこうにも行き当たりバッタリ。
メルトダウンの認識も、検出された核種の種類を見て、小出さんなど外部の人間は
すぐにわかったらしいが、現場にいる人間が、それを認識していたかどうか。
もう、6基同時の過酷事故の対応に追われ、現場の報告も乱れたろう。
まして東電本社にいた上層部の人間などは。
そもそも、一基だけでも制御しがたい原子炉を、6基も同じところに、しかもあのように
くっつけて建設するというのが無理なのである。
結局、原子力政策自体が、これまで無理をごり押しして推進されてきたのである…。

東電本社の彼らの頭にあったのは、いかにして事故の影響を少なく見せるかということ、
東電を守る!ということが第一だったのではないか。
実際の現場の惨状と窮状をよくは把握せぬまま、いや、その大変な悲劇を当事者として
感じ取っていたからこそ、あとあとの補償や、全世界から受ける批判への対策に
知恵は向き、事故を過小評価過小評価する方向へと動いて行ったのではないか。
企業としての東電上層部も。そうして政府もやはり。

ああ!、あのころの私自身の見聞きした、そして感じたことの記録を
すべてきちんと書き残しておけばよかった!
素人の私ですら変だな!と思うことは山ほどあったのである。
唐突な計画停電の話もそうだったし、3号機への放水が多いなあ…という印象も、
3号機がプルトニウムを含むMOX燃料を使用していたと聞けば、ああ!と妙に
納得できる。MOX燃料=プルサーマルは、電力業界が高速増殖炉を
実現稼働できるまでの、電力政策の要である。原発を稼働すれば稼働するほど、
核のゴミは溜まって行き、高レベル~低レベルの放射性廃棄物の処分場も
まだない日本はもうその処分の限界に来ている。プルサーマルによって、『ごみ』と言われる
ものを『資源』と言い変えたい電力会社の、言わば絶対に守るべきものであり、
逆に言えば、アキレス腱である。
プルサーマル、高速増殖炉計画が破たんすれば、日本の原発は、核のゴミの問題で、
自然に停止に追い込まれるのである。
それを使う3号機をおおごとにしてはならない…
プルトニウムの問題は、その後も、なぜかマスコミではあまりとりあげられることなく…。


菅さんが、こういう電力会社の思惑を、どれほど共通認識と理解をもって
3.11後の政策を進めて行ったか…。
そこのところが!どうも菅さんという総理大臣のわからないところである。
いまだに「どうして?」と思うところはたくさんある。

さて、その菅さんが、原発に対する態度を、『脱原発』に踏み切ったな、と感じた
5月以降のこと。それは次のところで書こう。
私もそこから、菅支持をブログでもはっきり言いだしているのだが。

          ***

ゆっくり書いていたら、世の中の方が早く動いていく。
週刊朝日8月19日号で菅さんがインタビューで語ったことを、菅さんが、
今朝の東京新聞インタビューでまた語っている。
しかも、総理という立場から自由になった菅さん、週刊朝日のときより一歩踏み込んで、
経産省を批判し、「太陽光などの再生可能エネルギーについては
産業的にも可能性があるが、電力業界と経産省が三十年前から抑え込んできた。
それをどう突破するか。私も頑張ってやろうと思う」と述べている。
おお~!!!
週刊朝日の記事。全文ブログに掲載しよう、私のキーボード操作の遅さでは
大変だな~、と思っていたが、東京新聞が出してくれたので、ここに転載しよう。
くびきが取れて、より態度が明確になった菅さんがここにいる!

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011090690070913.html

また、同じく今朝の朝日新聞。菅さんがここでも単独インタビュー。おお~!
菅さん、怒りのゼンマイが巻かれて、動き出したな!

朝日新聞では、さらにさらに踏み込んだ発言をしている。
3.11直後から、いかに菅さんのところに情報が上がってこなかったか。
決して言い訳めいた内容ではなく、週刊朝日の時点ではまだ自分が政権を担当しているがゆえに
奥歯に物の挟まったような言い方をしていた部分が吹っ切れて、明らかに、
東電、保安院、経産省に対し、批判をはっきりと述べている。
全文掲載したいが、私では時間がかかりそう。今日、手に入る方はお買い求めいただくか、
図書館等でぜひご覧ください。

私も、この記事のシリーズ、早く書かなくっちゃ。菅さんの動きに追い越されてしまう。
また、野田新政権の動向にも注目。
いい組閣をしたんじゃないかな。とりわけ鉢呂経産省には注目。
うみそら居士さんのブログ『原発のない社会をめざして』で、先ほど知ったこと。
http://stopatomicenergy.blog59.fc2.com/blog-entry-367.html

鉢呂氏。『総合資源エネルギー調査会』について 、9月5日、
「原子力行政に批判的な委員も入れるべき」との考えを示し、また、原発の新設や増設は
事実上不可能だろう、老朽化した原発は廃炉にする、と述べた。
「原発が将来ゼロになると言うことか]という記者の質問にも、「基本的にそうなる」と明言。
野田新総理も基本的に考えを同じくしている、という。
ほんとかな、ほんとだといいなあ!
鉢呂氏はその他の点でもいいですよ。この人がつぶされないように、国民みんなで
応援しなくっちゃ!

『菅総理の功罪』 其の二 [SPEEDIその他]

3月11日。あの大地震、大津波、そして原発事故を受け、それ以降、官邸はどう動いたのか。
その真実のところは、直接そこにいた人々以外、わたしたち一般の者には誰もわからない。
私はCSで、『朝日ニュスター』という局をよく見る。
ここは珍しく、反原発・脱原発をテーマにしたトーク番組などをやってくれるのだが、
それらを見ていても、評論家、と言われる人々にさえ、実際、その頃、官邸の奥で
何が行われていたか、知る者はいないようなのである。

東電は事故の重大さをいつ認識し、どういう対応を取ったのか。
官邸、そして首相には、どこまで話したのか。
官邸の人には伝わったとして、菅さんや枝野官房長官にはちゃんと情報は上っていたのか。

菅さんが、普段からイラ菅、と言われるほど短気だったとしても、
報道で伝えられたほどに当時の菅さんがいらついて周りの者を怒鳴り散らしていたということは、
菅さんに必要な情報が、うまく伝わっていなかった、ということを表してはいまいか。

たとえば、SPEEDIの問題であるが、6500枚ものデータが
事故後に取られていたのである。
前の記事でも疑問を呈したけれど、菅さんはなぜ、このような今こそ使うべきシステムを
事故後すぐに使わず、3月23日になってからようやく一枚だけそれを公開し、
SPEEDIというものの存在を明らかにする、という、奇妙にして許し難いことを
したのであろうか。かなり遅くまで知らなかったのか。

ブログをお訪ねくださったAngela さんから、こんな興味ある内容のコメントをいただいた。
ご許可を得て、転載させていただく。

7月、東電&経産省と戦い、(それとの因果関係さておき)証拠なしの収賄容疑で
起訴された元福島県知事の佐藤栄佐久氏の話を聞く機会がありました。
その際とっても驚いた発言;

「福島県担当職員は3/13にSPEEDIの結果をもらっていたが、国が公開しないので
知事にも上げず公開もしなかった」

聞き間違いかと思いましたが、後日福島県いわき市で行われたシンポジウムでの
佐藤氏のこの話を、飯田哲也氏もツイッターしていました。
これから総てのことしっかりと検証してもらいたいです。


Angela さん。ありがとうございます。
う~む。
またこんなことも。自民党の石原幹事長がTVタックルで、発言していたこと。
彼はSPEEDIのことを知っていたが、政府が何も発表しないので、
事故後、バタバタしている菅政権を見ながら、敢えて何も言わなかった、というのである。

菅さんも、枝野さんも、「SPEEDIのことは知らなかった]と言っている。
自民党の石原氏が知っていたことを、本当に菅さんたちは知らなかったのか?
知っていたのに、彼らは嘘をついていたのだろうか。

それに関して、ニューヨークタイムズが8月8日に このような記事を載せている。

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2011/08/i-7608.html

東京支局のノリミツ・オオニシ、マーチン・ファクラー両記者による、
「日本政府、放射能情報隠し 避難民を危険に曝す]という、長文の調査報道記事である。
それによると、あの「涙の会見」を行ない、福島の児童達の年間被曝線量積算値を
20ミリシーベルトという途方もなく高い数値に設定していることなどに、
涙の抗議の辞任をしたあの小佐古・東大教授が、菅直人首相の「トップ・アドバイザー」に対して
繰り返し、必死になって「SPEEDiによる拡散地図」を公開するよう求めたが、
無視された――と証言している、という記事である。

これによると、小佐古氏は、その「トップ・アドバイザー」が誰なのかここでは
明らかにしていないが、とにかく繰り返し訴えたけれども、その声は事務方や
アドバイザーのレベルで止まってしまい、菅総理に届いていなかったようにも思われる。
…ああ!

この間のことを、テレビなどはどう伝えていたのだろうか。

http://www.youtube.com/watch?v=bh6fYtKOZB4

原子力安全委員会斑目氏、原子力安全・保安院、SPEEDIを管轄していた文科省…。
これらが取材に対し答えているのだが、どこも知ってはいたが、責任を回避し、
他の省庁や組織に、判断と発表、菅総理への報告を丸投げしていた様子が
あきれるくらい無様に聞きとれるのである。
そして枝野官房長官を中心とする官邸も、確かに「聞いていなかった」と言う。

誰がどこまで知っていて、誰が判断し、報告や発表を差し止めたのか。
菅総理たちは、いつそれを知って、知りながら、3月23日までデータ公開しなかったのは
なぜなのか。自民党の石原氏が知っていたことを、菅総理たちが、いくら文科省や
斑目氏、保安院等から正式の報告が上がってこなかったからと言って、3月23日まで
放置していた形になったのはなぜなのか。

先ほども、私は「朝日ニュスター」というCSの局を見ていると言ったが、
『宮崎哲哉のトーキング・ヘッズ』という番組にゲストで出た上杉隆氏がこう語っている。
長い番組ですが、ジャーナリズムと政官の癒着についての興味深い話なので、
いつかお暇のときにゆっくりお聞きください。
1から4くらいまで続きます。

http://www.youtube.com/watch?v=iIGNBk6iryQ&feature=related
    http://www.youtube.com/watch?v=qBlZVKCnfY8&feature=related
    http://www.youtube.com/watch?v=024wk_a0ayk&feature=related
    http://www.youtube.com/watch?v=knRQi9Z4wzU&feature=related


まとめるとこうである。いろいろな人がSPEEDIのことを知っていた。
しかし、誰もそれを口に出してはっきり言わなかった。上に報告して行かなかった。
自分のところで差し止めたのである。
なぜか。一つ。それを公表することによって、大パニックが起こり、
それが自分たちが公表したせいだという責任を回避したかったから。
一つ。そんなはっきりした自覚でさえなく、曖昧になぜか上にあげなかった…。

上杉氏は、むしろ、その曖昧な責任回避、ということを厳しく告発している。
そうして、日本人のその『周りの空気を読む』という、独特の精神構造、
そして『横並びの』発想、行動、というものを、厳しく叱っている。(1/4の、14:30くらいから)
彼自身が数多くの記者会見などの取材等の過程で感じた、ジャーナリストの
馴れ合い体質について語っている際に、である。

長々とSPEEDI について書いたが、私は、菅さんを擁護するためにのみ、
これらの記事を書いていっているつもりはない。彼の脱原発の姿勢ゆえに、
彼を応援してきたけれど、そしてそれを今でも評価しているけれど、
それでもなお、菅さんはこのSPEEDI そのほかのことに関し、十分に仕事を
し尽くしたとは思っていない。

私が一番嘆くのは、こうした、多くの責任ある立場にいた人々が、菅さんを
頂点として、枝野氏、官邸の事務方、閣僚その他のアドバイザー、原子力安全委員会の
斑目氏、保安院、文科省。
末端に至っては、Angelaさんがお書きになった福島県の職員、そして知っていながら
菅内閣のもたもたぶりを傍観していた?自民党石原氏、などに象徴されるように、
一旦大事件や大事故が起きると、こうして、誰もが責任を取らない、
政治的行政的空白が生まれがちだ、ということに対してである。
誰もがおたおたし、どうしよう!とまわりを見る。誰もその横並びから一歩出て
声を上げる勇気がない。それは自分が声を上げることによって、大パニックなどが
引き起こされ、あとになって自分がその責任を取らされるのが怖いから。
結果、(国民の賢さのおかげで)パニックは回避できたけれど、浪江町を悲しい一例とする
無益な被曝が広がるのを放置してしまったのである。

どこかで責任の放棄があった。
どこかで嘘をついた。
…それらはまた、さらなる責任回避やより大きな嘘に発展していってしまう。
SPEEDI の問題は、汚染藁を食べた汚染牛の流通、などにもやがて繋がって行く…!
おそらく、3.11直後に行われた大きな欺瞞と裏切りは明らかにされないまま
うやむやのうちに終わり、それをうやむやにしたことが、
日本人の歴史の汚点として残るであろう。
ちょうど、先の戦争のとき、責任所在が曖昧なままのうちに開戦に突き進み、
また終戦後、その反省と追及が完全にはなされないまま、いまだに過去の亡霊が
大手を振って歩いているのと同じように。

私が嘆くのは、こうした、人間の弱さ、卑怯さについてである。
それは何も上層部の人間だけに限らない。

県の職員だって、それからテレビに出て「安全です]「問題はありません」の
発言を繰り返した識者と言われる人々もそうだったし、局側の人間だって、
自分たちが番組で煽ったせいで、パニックが起きることを恐れ、本当のことを
ジャーナリストとしてどこまでも追及し、報道しようとはしなかったのである。

かく言う私だって、3.11の直後。いや、3月いっぱいくらいまでは、
こうした疑問を胸の内に渦巻かせながらも、誰かを名指しで告発することはしなかった。
計画停電の話が、全く『唐突に!』東電と政府から一方的に言いだされた時も、
「ああ!これは、東電が国民とりわけ都民の目を原発からそらすため、
そうして非難の矛先を東電からそらすため。
原発がないと、こんなに困るんだぞ!ということを庶民にいやというほど
思い知らさせ、国民の怒る元気を奪う、巧妙な刷り込みだ!」と、すぐに感じた。
しかし…私も、そのことを家族以外の誰にも言わなかった…
証拠もないことだし、自分が怒りを煽り、パニックの発信源に少しでも
なりたくはなかったからである。
かくして、私自身も、ブログに本当の気持ちはずうっと書けていない。
記事をふりかえってみると、実に4月2日まで、書くべきか、抑えるべきか迷っている!
4月3日にようやく怒りの記事を書き始めると宣言している!

「今は非常のときだから、余計なことは言うまい。」

…そういう自己規制を、わたしまでもがかけていたのである!
一匹狼的な生き方を好み、人に同調するのが嫌いなこの私も、目に見えぬ同調圧力に
屈していたのである!
わずかに、「おとなしい羊にはなるまい」という表現で、怒りを無理に抑えて。

ああ!そんなことをこの私自身がしているうちに、
そういうふうに、国のトップにいる人々から、行政の末端にいるひとまでもが、
責任を回避しているうちに、放射能汚染は広がって行ってしまったのである…
人々が3月、ゆえなくしなくてもいい被曝をしてしまった。
そうしてその、責任の所在の不明確を許した日本人の精神構造は、今もまだ、
食品の放射能汚染の広がりや、肥料化された汚染汚泥、放射能汚染された瓦礫の
持ち出し等によって、今後もまだ、被曝を全国レベルにまで広げ続けようとしている…








『菅総理の功罪』 其の一

平成23年8月30日。菅内閣が正式に総辞職。
残念である。
もう、世の中は、菅さんの『か』の字もでなくなってしまったよう。
『去る者日々に疎し』とは言うが、冷たいものである。
今は、皆の頭は、新総裁の野田佳彦氏一色。
奥さんがどんな人かとか、泥鰌の話とかが、目下のテレビの話題の的のようだ。
今は、変わったばかりなので、概ね新総理には好意的。
みんな、菅さんに下りてもらって、気分をぱあっと一新したかったんだな。

私のバイアスのかかった見方かもしれないけれど、菅内閣が総辞職してから、
一挙に原発関連の記事や番組が少なくなったような。
国のトップが代わったからと言って、福島第一原発事故が収束したわけじゃないんだけどな。

さて。菅前総理の功罪。
彼のまずかった点については、もう新聞、テレビ、政界…あらゆるところで
批判されてきているので、私が改めてここで上げる必要もないであろうか。
とにかく、福島第一原発事故も含む東日本大震災に対しての対応は、
弁護のしようもないほど、やはり遅かった、と私も思う。

菅さん以外の他の人がやっていたらどうだったか、…そんなことは比べようもないので
言っても仕方ないであろう。ただ、菅さんに出来るはずの最善を尽くしたとは
やはりどうしても言いきれまい。
震災の対応だけでなく、民主党のマニフェストは、ついになし崩しに次々と
見直しや廃案に追い込まれ、TPP問題、沖縄の基地問題、領土問題など、
経済・外交の大問題も未解決のまま、次政権に先送りである。

その失政を事細かに述べていけば、きりもなく、これはまあ、やはり、菅さんという
総理大臣は、皆がいう通り、どうしようもないダメ大臣だったかなあ…

私は菅さんが、脱原発依存、を口にした、そのことだけで、彼を支持してきた。
だから、ここでも、菅さんと原発、ということに的を絞って考えてみようと思う。


私がまず、いちばん疑問に思うのは、脱原発依存を言い、浜岡原発を止め、
太陽光発電で孫さんと意気投合し、また若い頃から植物エネルギーが果たす役割に
注目して来たと熱く語る菅さんと、福島の子供たちの年間被曝線量を
20ミリシーベルトに設定したまま、長く平気であった菅さんとが、どうしても矛盾する、
というそのことである。
スピーディ、という、大枚をかけ開発した、放射能汚染の影響予測をする装置。
こんな便利なものがありながら、一番大事な事故直後の初動の判断を誤り、
福島原発から避難する浪江町などの人々が、原発の近くでも比較的汚染度の小さいスポットから、
わざわざもっと放射線量の高い地区へ避難してしまったり、無用な被曝をしてしまったこと。
また、これも初動が本当に大事だったと思うが、出来るだけ速やかに、
徹底した広範囲かつ細かいモニタリング調査を徹底して行い、空気、土壌、水などの
汚染分布地図を作製し、汚染度の高い食品などの流通による無益な汚染の拡散や
逆に風評被害を避ける手立てを講じなかったこと。
…これらについても、どうして?なぜ?という疑問は今でも消えない。

これらの疑問点を考えると、菅さんは、彼を批判する人々が言うように、
本当に原発を停めたいのではなく、ポピュリズムで、『脱原発』を政治的に
利用しているだけなのだ。それが証拠に、3.11前は、菅さんは日本の原発を
積極的に海外に売り込もうとし、また将来原子力発電が総発電量に占める割合を
50%にもしようとしていたではないか。
浜岡原発を止めたのも、彼一流の、自分が目立ちたいがためのスタンドプレーだ!
…そういう見方も、出来なくはないなあと思えてくる。

しかし、しかしである。
私はそれでも、菅さんが浜岡を止め、『脱原発依存』『エネルギーシフト』を
明確に表明したその一事だけで、彼をやはり支持する。
見よ!今回の総裁選。菅さんの後に国を引っ張ることになる首相候補のうちの誰が!
その応援をする議員たちの誰が!いったい、菅さんのように脱原発と言ったであろう。

ある者ははっきりと『原発は稼働』といい、ある者は姑息にも、国民の厭原発の
空気を読み、と言って経済界などにも気を遣ったか、どちらともはっきりしない言い方を
する者もいて。

私は、菅さんが原発推進から、3.11を機に、嫌原発に変わったというなら、
それは立派ではないかと思うのだ。正しいことに変節するなら、変節も歓迎しよう。
むしろ十年一日のごとく、原発がないと日本の経済はダメになる。
原発がないと夏大停電が起きるかもしれない。
原発はコストが安い。もんじゅの高速増殖炉は、夢のエネルギーだ。
…そういい続ける人の方がおかしいではないか。
これらは明らかに間違っていることがわかってきたにもかかわらず、同じ考えに固執するとは。

3.11からの菅さんを、私はずうっと見てきたつもりだ。
菅支持、不支持にとらわれず、私の率直な印象を述べていってみよう。

3月11日。あの、恐ろしい大地震と大津波が発生した、その映像を見たとき、
その規模の大きさに、現地の人々の被害の大きさが想われて暗澹とするとともに、
私の頭をよぎったのは、六ヶ所、女川、福島、東海村などの核施設は大丈夫だろうか!
というどす黒い不安だった。
その不安は悲しくも的中。原子炉の安全維持のために最も大事な冷却装置。
その冷却をするために不可欠な電源を福島第一原発で全喪失!というニュースが
飛びこんできたときの絶望!
私がすぐに恐れたのは、東電の係り員が逃げ、誰も収束作業をするものがいないまま、
メルトダウンまで突き進むのではなかろうか、ということだった。

東海村のJCO事故。あの時も、またこれまでちょくちょくあった原子力関連施設での
事故。その会見を聞いていて、私がいつも不安に思っていたのは、インタビューに
答える責任者が、いつも一様に、「なお、社員は全員避難して安全でございます」
という、そのことであった。無論私とて、原子力関連施設に働く人に、
無駄な被曝をせよと言っているのでは無論ない。
しかしながら、事故が起きたとき、まず事故を人員の力を結集して止め、
付近の住民に被害をもたらさぬこと。
それが、各施設に働く者の責任であり、宿命ではなかろうか。
…そこのところの認識が、いつも責任者たちは甘いのではなかろうか。
彼らのそうしたもの言いから、私はそう感じていた。

チェルノブイリは、旧共産圏の事故である。アメリカなら軍隊がある。
国家の権力で持って、大事故が起きれば、国は命令で軍隊を収束に派遣する。
しかしながら、軍隊をもたない日本。結局は自衛隊がその任にあたるのだろうな、
そうは思っていたが、今回のことでもわかったように、自衛隊は軍隊ではない。
国の命令権ははるかに弱いのである。消防や警察も同じ。
お願いして行ってもらうしかない。

一旦原発の過酷事故が起きたら、誰が一体危険な場で作業するというのだろう…
結局、下請けの下受け、というような人々が、あまり専門知識や危険の認識もないまま
作業にあたらせられるのではなかろうか…
JCO事故の二人の作業員の死などを思い起こしながら、私はメルトダウンを恐れていた。

案の定、東京電力は社員を引き上げさせる、と言ったらしい。それに対し、菅総理は
激怒して、東電に乗り込み、「あなたたちがやらないで誰がやるんだ。やってくれ!」と
怒鳴り上げたという。

さて。このことが、普段から『イラ菅』の異名を取る短気な菅総理の、
横暴で権力を振りかざす振る舞いとして、マスコミまた野党などから非難を
浴びたのを、みなさんもご記憶でいらっしゃるだろう。
だが、私はこのことを少しもおかしいとは思わなかった。
これは異常な非常事態である。東電社員が避難する?そんな場合か!!!

また、菅さんが亡き笹森連合元会長とのオフレコトークで、この原発事故は
下手をすると東日本がつぶれるかもしれない、と言ったという。
それに対しても轟々の批難が日本中から湧き起こった。
東北の被災地の人々の感情に、あまりにも無神経な発言だ、というのである。
しかし、私は、これもそうおかしな発言とは思わなかった。
私自身もそれを恐れていたからである。
福島の事故はいやも応もなく拡大するであろう。だって建屋があんなにくっつきあって
6個も建っているのだ。打つ手が間に合わず次から次へそれらがメルトダウンを起こす。
そうしたら、被害は福島には無論とどまるまい。東京にも及ぶであろう。
東京でパニックが起きたら、日本は福島を中心にして完全に分断されてしまう。
東京の政府の対応は届かなくなり、西の物資もどこかで滞る。
東日本のとりわけ地震津波原発の被災地は完全に見捨てられてしまう!!!

私はあの時の菅さんの認識は全く正しいと思っている。
被害を小さく小さく見積もろうとする人間の心理。それはわからなくはないが、
為政者はそれでは困る。最悪の事態も想定してそれに備えて貰わねば困るのである。
私はその時むしろ、笹森会長が、なぜ記者団の前で、オフレコ会談の中身を
軽はずみに漏らしたのか、その方が理解できなかった。
菅さんとは信頼し合った仲、というが、親友ならば、話していいことと
悪いことは考えるんではなかろうか。笹森氏は意図的にリークしたのでは?
そんな疑問さえ、その時私は抱いた。
そうして、菅さんという人が、案外友に恵まれていないのでは、という不安を抱いた。
後にそれは、菅さんの『孤立無援』という形で、現実になってしまうのだが…。

とにかく、大震災、原発事故が起きてからの菅さんは、私などのような素人の目から
見ても、無駄な動きが多すぎ、何をどうするという命令系統が一向に機能して行って
いないようには感じた。記者会見にもほとんど出てこず、執務室に閉じこもって
いるとか、組織ばかりたち上げているとか、とにかく怒鳴ってばかりいるとか、
聞こえてくるのは、悪い評判ばかり。

その中で最も批判の対象になったのが、12日の視察によって、福島第一原発の
ベントや、そのほかの作業に遅れが出たこと、また菅さんの指示による注水の中断によって
事故の深刻さが拡大したこと、の2つであろう。
これも、専門家でもない菅さんが、自分が一切をしきっているということを
印象付けたいがためのスタンドプレ-のせい。それが重大な収束の遅滞をもたらしたとして、
菅さんの『僕はすごく原子力には強いんだ』という発言と共に、皮肉たっぷりに
さんざん報道され、また国会でどれほど追及を受けたかしれない。

しかし、この2つのことは、直接菅さんのせいではないことが、あとになって徐々に
明らかになった。ベントする前にすでに、一号機は燃料溶融を起こしていたのである。
菅さん批判の急先鋒であったと言っていい産経ニュースでさえ、4月9日付で
こんなことを言っている。
遅れの最大の理由は、12日朝の菅直人首相の視察ではなく、電源喪失だった。東電は手作業によるベント開放に手間取ったのだ。この間に炉心溶融が進み、
圧力や高熱で圧力容器や格納容器が損傷し、『閉じ込め」機能が失われた可能性がある。』
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110409/dst11040908340010-n1.htm
菅さんの視察がベント遅れの原因であり、それが被害を拡大したというなら、
1号機に続いて、菅さんがとっくに帰ったあとの14日15日に起こった、2号機、3号機、
4号機の爆発も菅さんの視察のせいか?
菅総理の命による海水注入中断についても、実際は第一原発所長の判断で、海水は
注入され続けていたことがずっと後になってなぜか判明。
『菅総理の命で、海水注入中断!事故が深刻化!』という国会を揺るがした大問題は、
あっけなく片付いた。
しかし、ある官僚から自民党安部元総理に流れたというこの情報。
安部総理がメールマガジンで発信し、それを産経、読売新聞社などがそのまま信じ、
自民党谷垣総裁が国会で激しく菅総理を追及した。
その間のいきさつを、あるブログが安部元首相のメール発信の記録とともに考察している。
http://blog.goo.ne.jp/wiia/e/e00c9c43eafe3ca04bd9e500cdc6ffd7

ブログの記事をそのまま信じてはいけないのは常識としても、安部元総理の発信記録や
それを受けた各新聞社の記事というものは、事実であろう。

このように、マスコミで菅たたきの根拠とされ、国会での追及の元になったこと…
そのどちらも菅さんに直接の責任はなかったことになる。
まあ、それでも、彼が総理大臣なのだから、すべては彼の責任と、開き直った安部元総理
のように言えなくもないだろうが。
このようにして、あることないこと…全て悪いことは菅総理のせいだ!という図式が
マスコミや国会を通じて、国民の間に広がって行く…。

いったん広がった印象というものは、なかなか消えてはくれないものである。
菅さん、というと、『ベント遅れ』『海水注入中断』という言葉で持って
これから、長く語られ続けていってしまうのではなかろうか。

野田新総理大臣が、もう『どじょう』という言葉と切り離しては考えられなく
なりそうだ、ということと同様に…。
 
私の思うところ。
無論これは、詳しい官邸の事情など知りようもない一国民の私の
漠然とした印象であるが、菅さんの失敗の多くのその原因は、彼および官邸に、
正確な情報が上げられてがいなかったことから来ているものが大変に多かったのではなかろうか。
あれほどの大震災と津波、同時に起こったレベル7という過酷原発事故。
政府の現場が混乱するのは無理もない。
おそらく、菅さん以外の誰が総理であっても、相当に官邸はわさわさしていたことであろう。
そんな際の危機管理能力に長けていそうな政治家が、日本にいたか?
谷垣さん?石原伸晃氏?一事人気の桝添要一氏?海江田氏?前原氏?
かろうじてこの人なら、と思えるのは、どちらも嫌いだが、小沢氏と石破氏くらいなものかな。

もし、もしも、菅さんに正確な情報が上げられない、ということが、
菅嫌いの官僚のサボタージュによるものだったとしたら…。
菅さんに怒鳴りあげられて、菅さんに恨みを持った東電が、意識的に官邸に
必要な情報を上げなかったのだったとしたら…。
いや、そうしたくても、東電自身が状況をつかめていなくて、あげようにも
上げられなかった、という方が近そうだが…。
菅さんを批判し、その足を引っ張る者は山ほどいたのに、好き嫌いなど言っている場合じゃない!と
国民のために全面協力を惜しまない有能な部下や与野党の政治家がいなかった。
それらの援護が得られなかったために、菅さんのやることなすことが
うまく機能して回って行かなかったのだとしたら…

それは国民に対する大きな裏切り行為である。
…そこらへんのほんとうの事情は、一介の国民の私などには全然わからない。
ただマスコミを通じて伝わってくるのは、菅さんが唯我独尊で、怒りっぽく
人の話を聞かない。だから、官僚も閣僚も田の政治家たちも、マスコミも、
多くのものの心が菅さんから離れていってしまい、官邸が機能しなくなって
しまったのだと…。そういう切り口の報道ばかり。

しかし!そんなこと言っていられた場合だったろうか?
自民党は何をした?自分たちが日本に持ち込み、このような事故が起きると
二進も三進もいかない原子力ムラ、という悪の組織を作りあげてしまった自民党。
そうしてマスコミ。肝心かなめの東電…。
それらこそが、国民の批判を仰ぐべきだったのに、彼らは菅さんを
よってたかって一人悪者に仕立て上げ、国民の目、国民のいら立ちや怒りを
菅さんに集めることによって、自分たちは安全なところに身を潜め、
反原発の嵐が吹きすぎるのを、じいっと目立たぬようにして待っていたのではあるまいか!


(続く)





『ご案内』

こちらにおいでいただいている松井大門先生が、
銀座で個展を開催なさいます。
私もれんげちゃん、葉っぱさんなどと、見せていただきに伺おうと思っています。
東京近郊の方にご案内申し上げます。
素晴らしい松井大門ワールド、楽しみにしています。



詳細はこちら




☆゚・*:.。.☆゚・*:.。.☆ 松井大門展 情報 ☆.。.:*・゚☆.。.:*・゚☆


日時 : 9月11日 ~ 17日  11:00 ~ 18:00
場所 : アトリエスズキ 東京都 中央区 銀座5-5-13 並木通り坂口ビル4F

画像をクリックしていただくと、大門先生のところに飛べます。

プロフィール

彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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