『原発都民投票』


今日1月28日、街頭に立ってみました。

『原発都民投票』

東京電力の電気をふんだんに使っていた私たち東京都民。
それは福島第一、第二や柏崎刈羽原発などの地元民の犠牲の上に成り立っていると
言っていいと思います。
東京都民は、一度立ち止まって、そのことを深く考える必要があるのではないか。
東京都は、東京電力の第5位の大株主です。
言ってみれば、都民一人一人が、東京電力の株主でもある。
東京電力の事業方針に、責任ともの言う権利がある。
それならば、今後原発をどうしていくのかを、私たち都民も真剣に今、
考えてみようじゃないか…
東京都知事に対し、『原発の是非を問う都民投票』をするための条例を制定し
都民投票を実施するよう求めよう…

そういう考えのもとに、『直接請求を成功させる会』は発足しました。
宮台真司さん、今井一さん、湯川れい子さん、落合恵子さん、
山本太郎さん、飯田哲也さん、岩上安見さん、田中優さんなどが
呼びかけた「みんなで決めよう『原発』国民投票』運動の一環として始まったものです。
新聞などでご覧になってご存じの方も多いかと思います。
それには東京都の有権者の2%の署名を集めなければなりません。
実は大阪府でも、署名活動をし、すでに必要数を集めています。

東京では12月からこの署名を集め始めました。
だが残念ながら、都民の関心は高いとは言えず、2カ月の期間中に
22万筆の署名を集めなければならないのに、非常な苦戦をしているようです。
無効になるものを見越して30万筆を目標としているのですが、1月26日現在で
14万筆しか集まっていない。
締め切りは2月9日なのにです。

実は、しかし、私の住む市部などでは、1月に市長選挙がありました。
そうしたところは選挙期間中は署名集めが出来ない。それで、選挙が終わった23日から
署名集めが始まりました。期日は3月22日までです。

この署名は、東京都の選挙権を持つ人でなければ出来ない。
『受任者』というものに志望してなった人が、自分の居住区域の住民からのみ、
基本的に対面で署名をもらうことが出来ます。
(渋谷など、大きな駅の駅頭などでは、都民であれば、区、市を問わず署名できる
場所もある)

さて。
私は、今井一さんなどが、原発の是非を問う国民投票をやろうと言っているのを
聞いたときから、賛同人のはしくれに名を連ねさせてもらっていました。
私のような無名の一主婦でも、枯れ木も山の賑わい、と思ったからです。
しかしながら、国民投票にも都民投票にも実は懐疑的でした。
まず、国民投票に持って行くまでが難しい。そして仮に国民投票が実施できるように
なったとしても、まだ『原発がないと電気が無くなって、昭和30年代くらいの
不便なころに戻らなきゃいけなくなるんじゃないの。日本の産業もだめになっちゃうんじゃないの』、
と、これまで政府や東電が巨額の宣伝費を使って刷りこんできた原発神話を
信じ込んでいるひとの多い国です。
福島であれほどの過酷事故があり、国土もひとの健康も、心までがある意味
汚染されてしまってなお、怒らない国民。
羊のように、お上や巨大資本の言うことにおとなしく従う日本人…

私は悲しいことだけれど、その日本の民の自発的な行動とか内省の力を
信じきれないような気持ちを持っていました。
こんな国で、国民投票しても、原発をいらない、とはっきり言う者は
今もなお少ないのではないか、心情的に原発を忌み嫌う感情はあっても、
いざ投票行動になると、この国の民は、結局変化を嫌い、長いものに巻かれろで、
原発を容認してしまうのではないか、
…そう考えていたからです。
言わば、私もやる前から、その効果のほどを疑っていたのです。

しかしながら。
大阪府では規定以上の署名が集まったと聞いた。ところが東京都の折り返し点での
中間発表では、9万筆だったかな?ほんとにわずかしか集まっていないようだった。
それを聞いたとき、私の闘争心に火が付きました。
これは大変なことだと。
この都民投票の成否は、ただ、東京で『原発都民投票』が出来るか出来ないか、
という問題を越えた大きな意味のあるものだと感じたからです。
これが成り立つと成り立たないでは、今後の脱原発運動に弾みがつくかつかないかの
大きな分岐点になりかねない!…そう思うようになりました。

そうしてそれはさらに、ただ原発を止めるか止めないかを決める、ということだけでさえなく、
もっともっと大きな国民の意思決定、それにさえ影響を今後及ぼしかねない、と。

日本では、実は、国民が国を変えるために立ちあがり、あるいは大きな声を上げ、
その結果国を変えることができた!という成功体験がありません。
2年前の民主党の政権奪取は、ある意味そうだったかもしれない。
国民は自分の一票が国の政権を代えた!と高揚感を経験したと思います。
でも、それは民主党歴代政権によって期待を裏切られてしまっている。

ここで、東京都民が、何もしないことを選ぶ。
自分たちのエネルギー政策をこれまで通り人任せにする。
原発事故が起きても、なにも意識を変化させない。
…そんな無気力状態に、この東京をしてなるものか、そんな姿を全国民に曝してなるものか、
原発推進の東電やその他原子力ムラの人々に『それ見たことか!』とほくそ笑ませて
なるものか!と思ったのです。
やってみたがだめだった…という記憶を子供たちにも植え付けたくない、そうも思いました。

私は大体において出不精の人嫌いです。いや。人は好きなんだけれど、
自分から求めることはしない方です。
だから、これまでも、反原発は一人こうやって呟くだけで、行動はしなかった。
昔、一時ほんの少しかかわった反原発活動も、間もなく辞めています。
でも、重い腰を上げてみようと思ったのです。

もう一つ。
私はこのブログを通じ、また先日横浜の脱原発世界会議にも行ったりして
福島の方がたのことを少しだけ実感として知るようになりました。
そこで考えたことは、前にも書きましたが、福島の人に今、声高に叫べ、
雄々しく立ち上げれ!と言うのは酷なのでは、と言うことでした。
そうするにはあまりにも悩みは深く大きく、また分断されている。
…それならば、私のように、時間もありまだ少しは体力も気力もあるものが
動けばいいじゃないか!…そう思ったのです。

原発国民投票、都民投票を、懐疑的に見る反原発派もいます。私が1か月前まで
そうだったように…
しかしながら、『原発を止めたい!!!』そう切実に願う者同士が、そんな小さなことで
分断していてどうする!!! …そう思うのです。

さあ!ですので。
私、今日、自分の住む地域の原発都民投票の署名集めのために街頭に立って来ました。
うう~!寒かったです!
受任者のかたがたは私の他に7人ほど。若いお嬢さんが一人だけ来てくれましたが、
他は皆私と同じくらいのおばさまがたばかりでした!
立った場所は、新興の駅の広い広場。風が吹いて気温が低く、署名用の
ボードを支える手がかじかみました。
お昼から2時間立って、道行く人をつかまえて趣旨説明をする…
2時間で、何人の方が署名してくれたでしょうか???

私たち8人ほどが努力して、120筆くらいでした!
たったそれだけ?
22万、いや30万必要なのに、たった120?
…それでも今日はとても好成績なのだそうです。カンパもだいぶいただきました。
私ですか、頑張りましたよ。積極的に声かけて25人分くらい(笑)。
さらに嬉しいことに、私たちの姿を見ているうちに「私も受任者になります!」
と言ってくださった方が、10数人?来てくださったのです。

…しかし。
身にしみて感じました。
人々は、原発に無関心なのだなあ…と。
若いお母さんたちが子供を連れて何組も何組も行き交いました。
しかし、そのほとんどが、原発、と聞いただけで、手を振って足早に通り過ぎて
行きました。若い男性も、足を速めて通り過ぎます。
『反原発』とか『脱原発』と言っているわけではない。
一緒に原発のことを、そしてエネルギーの今後をどうするか真剣に考える
機会を作りましょう、と呼びかけている段階にすぎないのですが。

そう…実感としていちばん署名をしてくれたのは、私と同じ年くらいの
初老にさしかかった婦人たち、また、老ご夫婦連れでした。
結婚して間もなさそうな若いカップルも結構協力してくれました。

しかし。小さな子どものいるお母さんたちの無関心ぶりは、私にはどうも理解が
出来ないのでした。子供の食を彼女らは何も考えないのだろうか。
わずかかも知れないけれど、東京にも流れてくる放射性物質のことを思わないのだろうか。
そうして、福島の、自分たちと同じような年ごろのお母さんや子供たちが
今日も、食べるものにも空気にも水にも住むにも放射線量を気にしつつ
悲しみの中で生きていっていることをちょっと考えて見ないのだろうか…
そういう人々が一番関心を持っているのではないか、そう思っていた私には
大変意外でした。

まあ…。柔らかく話しかけてみるしかありません。
今日は顔を隠しつつ足早に通り過ぎた人でも、こころのうちに何かを感じ、
別の時に別のところで署名してくれるかも知れません…

辛抱と対話ということが大事なときです。
明日も、別のところに立ちます。
出来る限り時間をさいて立ってみます。
一人でも多くの署名を集めたいと思います。
…成功させたいのです。
やって、その結果大きく足りなくても、これだけの多くの人が署名した!という実績を作りたい。
そうして。遠くから、福島にエールを送りたいのです。
東京も、想っていますよ、と言うエールを。

さらに、未来を担う若いひとに、こういう先の世代の姿を見せておきたいのです。
今は、種が今日のような冬の冷たい風に吹き飛ばされたように思えても、
あとで、どこかにこぼれた種が、しっかり芽を出すかもしれませんからね……

皆さま。ここにおいでくださる方で、東京にお住まいのかたは少ないと思います。
でも、もし御親戚、ご友人などで東京在住で、関心をお持ちの方がおいででしたら、
是非、原発を考える都民投票に、ご協力くださいますよう、お話くださいませんでしょうか。
お願い申し上げます。




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『短歌』 其の四

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              短歌なんですけれど、南亭師匠のバナー、使わせていただきます。

                       倶楽部なんちゃって俳人










『脱原発世界会議』②

体調でぐだぐだしている間にいつの間にか、ここを訪れてくださった方が、一万五千人を超え。
皆さま、我が茅屋へのご訪問。いつもありがとうございます。
恒例の、若き日の写真公開、したがって、出来ずに過ぎてしまいました~(涙)。 

さて。だいぶ間があいてしまいましたが、続きを書きましょうか。


福島の声を聴きたい。若い人が何を考えているか知りたい…!
面白そうな、そしてためになりそうな催しはたくさんあったけれど、
100もあるというブースを身一つで回ることはできません。
それに、整理券をもらったり、待ったりという無駄もしたくなかった。

『ふくしま若もの会議』という部屋があります。
福島から来た若者たちが、福島の現状を訴えたいと開いた部屋。
そこで、地域や年齢に関係なく、自由に話が出来ると言う。
早速そこへ行ってみることに。

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会場はこんなふうにいくつものテーブルに分かれていて、そのどこかのグループに適当に入る。
私が行ってすぐ、休憩に入ったようなので、皆立っています。
入口付近にはボードが置かれていて、そこに福島から着た人々、その他の参加者の
生の訴えが貼りだされていました。

『僕たちはモルモットなんですか?』
『福島の野菜が店頭から減っている。農家の方々の仕事が無くなっている』
『子供だけでも何とかして』
『伝えられない温度差』
『終わってないんです。収束なんていていない』
『県内では危ないと言いづらい』
『福島内。皆疲労困憊。無関心になってる』
『「がんばれ」の声に耳をふたぎたい。一番楽なのは無関心』
『子供でも吐きだす場が必要』・・・等々等々…  

最初、若い人一名、私と同じ年くらいの人が5,6人というグループに
入りかけたが、ご老人が議論をリードしているようなのでやめました。
大体私と同じことをおっしゃりそうだから。
若い人の声が聞きたい。
まだ集まったばかり、という若いグループがありました。
私のような年齢的に異質の者が入ってもいいかどうか、お伺いしてから
仲間に入れてもらいました。
…が、なかなかこうした場での、急な議論の難しさを実感。
まず、中心になって議論を引っ張って行く人が必要だと思いますが、
皆、謙虚というかおとなしい。そして、広い会場に、いくつものテーブルがあって
隣の声がよく聞こえてくる。それから、総合司会、この場を取り仕切る人が、
会の進め方など、丁寧に説明するのがたびたびあって、とにかく同じテーブルの
ひとの声も身を乗り出さないとよく聞こえません。
アメリカから参加している若い学生さんがいらして、通訳の方が横についている。
彼女が意見を言って通訳する。すると総合司会で中断される…
と言った感じで、なかなかまどろっこしいのです。
私がしゃしゃり出て、司会役をしようかな、とも思ったけれど、それではなんだか
私がこの性格だと、一人でしゃべってしまうことになりそう。
それでなくても、年長者ということで、遠慮があるでしょうから。
ですから、南相馬からいらしているという若者に、司会役を務めてくれるよう
頼みました。

彼は東京の大学を出て東京で就職していたのだけれど、あの事故が起こった。
自分のふるさとが、大変なことになってしまった…
それで、南相馬に帰ることを決めたのだそうです。
そうして、若者仲間と地元でNPO団体を立ち上げ、復興支援活動をしている。
例えば今、外で安心して遊べない福島の子供たちと親を、宮城県に連れて行って
思いっきり遊ばせてあげるとか、また、『復興デパートメント』というものに
参加して、福島だけでなく、被災4県の物産などを売る活動をし、復興の
手助けをしている。
また、公的機関や企業などにも働き掛け、支援を求めている。その成果として、
yahoo, softbank などの理解と協力を得られ、線量計を得て、それらを一般に
貸出しているなど、とにかく多岐にわたった活動をしているようでした。

北海道出身で、今神奈川県の大学に通っているお嬢さんは、自分自身はこうやって
原発のこと、福島のことを憂えているけれど、その想いは、友人や家族には
わかってもらえないと、語っていました。
この会議に参加する、と話しても、興味を持ってくれる友人はほとんどなく、
北海道の家族も、「なんであなたがそんな会議に?」と不思議がった、と、
少し悲しそうでした。
アメリカから来て今、東京の大学で学んでいる女性は、非常に真摯でした。
アメリカでも、原子力発電に疑問を持っているものはいる。
福島のような事故が起きた今、当事国の国民である日本人はどう考えているのか、
また今の本当の状況がどうなっているのか、海外には伝わってこない。
それを知りたくてこの会議に参加した、と言っていました。

1時間半ほどは話した筈なんですが、何となく、しょっちゅう会話が中断され、
議論が進まないうちに、長い休憩ということになり、私は他も少しは見て回りたいので、
この会場を去りました。この後、また形式を変えて、交流会が夜まで続いたのかな…。

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この会議の賛同人でもある、歌手の加藤登紀子さんが、休憩中のこの部屋を
訪ねてきてくださいました。画面中央より右の方の、白いシャツに黒いベスト姿の人が
そうです。こういう時私は近付いて行ったりしないタイプ(笑)。
それでも一応、写真だけ遠くから撮らせていただきました。
加藤登紀子さんはずうっとぶれないでいます。立派だなあと思います。

あっという間に過ぎてしまった時間。
それでも、今日の話し合いで強烈に得た印象が一つあります。
それは、悲しいけれど、ふくしまのこころは、福島で今も被曝し続けているものにしか、本当には
わからないのだということです。

私が、この会議に参加したこころのその奥底には、東電や、歴代の政府に対する、
そうして、これまでそれらによる原発推進を、無批判に、むしろ共に推進してきた
マスコミ、学界などに対する怒りを、共にしたい、という気もちがありました。
福島県民は、激しく怒っているだろう、と何となく思いこんでいたのです。
しかしながら、その怒りのことばは、福島に今も住んで、一所懸命、福島の産業を
復興させようとしている若者の前では封印せざるを得ませんでした。

彼も言っていましたが、福島も、一番被害の大きい浜通り、中通り、会津地方では
汚染度も違い、そこに考え方の相違が大きく生まれて、もの言いにくい雰囲気になっている。
…そうだろうなあ、と思います。
原発によって職を得て来た労働者や、周辺に飲食店などは、いまだに原発に
希望をかけていて、東電にもものが言えない者も多いのでしょう。
避難した住民と残った者の間で、妻と夫の間で、妻と舅姑の間で、…
それぞれが違った複雑な事情と思いを抱えていて、胸に溜まった想いは吐き出せないように
なってしまってる。
ボードに止められた福島の人の声、

『福島内。皆疲労困憊。無関心になってる』
『「がんばれ」の声に耳をふたぎたい。一番楽なのは無関心』

などが、その辺の複雑な、やりきれない想いをよくあらわしているかもしれません。

そんな中でも、ひとは生きていかねばなりません。
政府からも東電からも、一時的なお金は出たとして、これからの展望もない、
職もない。健康に対する怯えを押し殺して、それでも何かは食べなくては生きていけない。
何とかして、福島の産業を復興しなければ。
ちゃんと計測をして、放射能汚染されていないようなものは、出来る限り
やはり県外でも買ってもらえるよう、宣伝活動に努めたりしていかねばなりません…。
じいっと座して絶望しているわけにはいかないのです。
怒りは無論ある。でも、起きてしまったことは、もうどうしようもない。
だから、前を向いて生きていくしかないじゃないか…。そうなるのだろうと思う。

その若者の体を隣に感じながら、わたしに何が言えたでしょうか!
なかなかいい顔つきの立派な体格の、しっかりした考えの青年でした。
でも、その体も、日々、だいぶ収まった?とはいえ、被曝を続けているのです。
それでも彼は、わざわざ東京から戻り、地元のために逃げないで戦おうとしている。
私のように東京に住んで、多少の被曝はあったとしても、その程度たるや比べ物にならない、
そう言った外部の者が、『検査をくぐりぬけ、放射能汚染された農産物が出回るかもしれない。
なるべく売らないでほしい』などという残酷を、そのひとたちに
対して、とても言えたものではありませんでした。

無論、福島の中で、政府や東電に対する責任追及を、果敢に行っている人々も
います。子供を連れてどこか出来るだけ原発から遠いところへ逃げたいと思っても、
家族の『絆』や経済的な事情から、毎日子供に自分の無力を詫びながら、
ほとんど泣き暮らしている母親もいるだろう…

私が、この脱原発世界会議で強く思ったのは、今の福島に『戦え!』というのは
酷なのではなかろうか、ということでした。
あまりにもひどすぎる。想像以上のひどさなのではなかろうか。

実はここで、ボードなどに書いてあったこと、まとめの時に、いくつかのグループから
上がった声…それらは皆、新聞やテレビや雑誌を丁寧に読んで、想像力を大きく
働かせれば、すでに情報として知っていることでした。
…しかし、同じ内容のことを、当事者の生身の体を前にして聞くのは全く別のことでした。
『これが現実なんだ!』ということを鋭く突きつけられた気持ちでした。
『もう精いっぱい、もうこれ以上頑張れないほど頑張ってるんだよ!』
『わたしたちにこれ以上の何が出来るというの。もうへとへとなのよ!』
『悲しみの涙の袋はもう一杯なの!』
…そんな抑えられた声が聞こえてくるような気がしました。
福島の方が明るくふるまえばふるまうほど。

こんなことを生みだしてしまった原子力発電と、それをやみくもに推進してきた者。
それに対して、また、怒りがふつふつとわき上がります。
そうして、外部の者が軽々に福島を語る不遜も思いました。
ああ。私はまた迷います!
正しいのは何なのか。
正しいと思って突き進む言動が、福島の人を傷つけはしまいか…!!!


それでは、当事者でない私たちはなにが出来るのか。

『戦うこと』だ!
私はそう思いました。
福島の方々には、せいいっぱい今を生きていっていただくしかない。
その支援を外部の者が力いっぱい行っていくこと。それはもう不可欠。
そして、戦いは、外部の者が一所懸命やって行く。それしかないのではないか、と。

無論、福島の方にも戦って欲しい。
でも、闘うことにはエネルギーがいる。
だから。出来るものが出来ることをする…それが大事なのではないかと思いました。
あなたに今できること。わたしに今できること…
デモに参加するとか、そんな行動でなくてもいい。
原発の危険なこと、その理にかなわぬことを、ちいさな声でいいから広めていって欲しい。
小さなことでもいいから、恥ずかしがらずに。

福島の部屋を出た私は、いろいろな団体がそれぞれの活動を紹介し、訴えているブースに
行きました。出来るだけ、とにかく署名したかった。
9月19日の明治公園でのデモの『さようなら原発一千万人署名 市民の会』や、
『実現させよう原発都民投票』
『玄海原発プルサーマル裁判を支える会』のブースなど、その他にもいっぱいいっぱい
活動なさっている方々がいらっしゃいました。
う~ん。私くらいの年か、もう少し年上の方がたが多かったような。
若い方もいなくはないけれど、数から言うと少なかった気がします。
若い方々は、講演会や、この脱原発世界会議とは別の山下公園までのデモがあったんですが、
そちらにも多く行かれたのかな。
ちなみに、この日のデモ参加者は5000人。
会議の方は、14日15日の2日間で、延べ11500人の参加者だったそうです。
デモと合わせれば、16500人が、脱原発の想いで、集ったことになります。

そうそう。前の記事でも書きましたが、20年にわたり、六ヶ所村で核施設の
反対運動を続けられてこられた菊川慶子さんのブースで、菊川さんご本人に
お会いすることもできました。
なんと小さな、なんとつつましやかな、そしてもの静かな雰囲気の方だったでしょう!


菊川さんは六ヶ所の地で、『花とハーブの里』というのを開いていらっしゃる。
そしてそこを訪れる一般の来場者の方に、声高にではなく、静かに粘り強く、
核処理施設がここに集中していることの危険と悲しみを訴え続けていらっしゃいます。

菊川さんのところで作った、ルバーブのジャムを買わせていただきました。
あとは同じ会場で買った、脱原発世界会議のタオルと、『ふくしま会議』のバッジなど。
黄色いのは、売れなくてしょんぼり一人でいらした外国の方から
買いました(笑)。
ありがたいことです。こうやって、日本に来て、反原発の活動を
になってくださるのですから…。

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小さな考え方の相違は数限りなくあるだろう。
分断もあちこちに限りなくある。
でも、それで割れてしまったりしてはいけない。
原発いやだよね、とう小さな思いも集めて、大きなうねりにして、
何とかこの国から、原子力発電所をなくしていきたいものです。







『脱原発世界会議』

今日は横浜市みなとみらいのパシフィコ横浜で行われている『脱原発世界会議』
というものに行ってきました。1月14日、15日の2日間にわたって行われます。

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脱原発世界会議 2012 YOKOHAMAは、実行委員長を吉岡達也(ピースボート共同代表)とする
実行委員会が下記6団体により形成され、ピースボート内に事務局が設置されています。
■「脱原発世界会議」実行委員会
ピースボート
環境エネルギー政策研究所
グリーン・アクション
原子力資料情報室
国際環境NGO FoE Japan
国際環境NGO グリーンピース・ジャパン

世界30カ国からの原子力の専門家や、脱原発の市民グループなどが一堂に会し、
福島の問題を皆で考えること。そうして、日本の脱原発を推し進め、それをさらに
世界の潮流にしていこうという大きな目標を持った世界会議です。

本当に凄いメンバー、凄い団体が、広いパシフィコ横浜に集結しました。
会場の一階から四階までの大小さまざまな部屋を使い、56もの(もっと多かった?)
ブースに分かれて、原発と福島の未来について考える。

メンバーのほんの一部をご紹介しましょう。

肥田舜太郎氏。1917年広島生まれ。95歳。医師。広島で被爆しつつも
直後から被爆者の救援・治療にあたる。以降、60数年にわたって、
内部被曝の危険を訴え続ける。

雨宮処凛、飯田哲也、任キョンア、伊藤恵美子、今西憲之、岩上安身、上野千鶴子、
枝廣淳子、大河原多津子、小熊英二、小野寺愛、加藤登紀子、金子勝、海渡雄一、
鎌田慧、…ああ、全部書ききれません。…佐藤栄佐久、田中優、手塚眞、中沢新一、
野中ともよ、ピーター・バラカン、伴英幸、マエキタミヤコ、宮台真司、山本太郎、
ああ、書きもらした方ごめんなさい。

海外からは、ドイツ原子力安全委員会元委員長、現委員のミヒャエル・ザイラー氏。
アメリカ、憂慮する科学者連盟、エドウィン・ライマン氏。
カナダ、オンタリオ・持続可能なエネルギー協会事務局長、クリストファー・スティーブンス氏。
デンマーク。ミドルグロン洋上風力発電所協同組合取締役会、ハンス・クリスチャン・そーレンセン氏。
ロシア、NGOラジミチ・チェルノブイリの子どもたち、アントン・ヴドヴィチェンコ氏。
マーシャル諸島、前国会議員、アバッカ・アンジャイン・マディソン氏。
スイス、核戦争防止国際医師会議、放射線学者、アンドレアス・ニデッカー氏。
韓国、環境財団代表、崔 冽氏。
中国、中国発展簡報編集長、付 濤氏。
モンゴル、モンゴル緑の党・元党首、セレンゲ・ラグヴァジャブ氏。

ああ、こちらもとても書ききれないほど多くの海外の方が!
インド、ヨルダン、ケニア、バングラディシュ、エルサルバドル…

その他、日本各地の脱原発、環境問題などのNGO、NPO、市民団体などの
皆さん。そして福島からのたくさんの人々。
小学4年生の少年も会議でスピーチしました!

ブースのテーマ、と言ったら、これも書ききれません。
まずはオープニングの『開会イベントふくしまから世界へ』
『福島原発事故で何が起きたのか』
『世界のヒバクシャから学ぶ』
『原爆から原発へ 世界の核を追ったカメラマンの証言』
『東電福島第一原発事故 被害の実態と被ばく最小化への提言』
『東京平和映画祭presents 脱原発映画祭』
『ふくしま若もの会議』
『原子力の先にあるエネルギー』
『原発100キロの地で子どもと生きる』
『原発に頼らない南アジアを考える』
『原発反対30年!未来に輝け 上関・祝島』
『希望ある未来を自分たちの手で~ドイツの市民が目指す原発のない社会』

等々、等々……

参加団体、これも書ききれません!
9・19の際、ご紹介した『さようなら原発一千万署名 市民の会』や、
『実現させよう原発都民投票』
『玄海原発プルサーマル裁判を支える会』
『週刊金曜日』のブースもありました!

実は、私はこれに参加するかどうか迷っていました。
あまり体調も良くなかったし。でも、出が遅くなったけれど、お昼前に家を出ました。
パシフィコ横浜に着いたのが、すでに2時近く。
チケットがなかったので並んだんですが、会場入口付近に長蛇の列!
チケットを買うだけに30分もかかってしまいました。

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会場で行われている反原発ポスター展。週刊金曜日で有名になったものなどもあります

さて。どのブースを見るか!前もって調べておかなかったので、迷いました。
映画も見たいけれど、劇場でも見れる。エネルギー問題などについては
ネットや本でもまあ、見られるかもしれない。
今日でなければ、ここ、この会場でなければ、というものに参加したい!

私は、福島の生の声を聴きたいと思いました。とりわけ、福島の若い方が
なにを考え感じていらっしゃるか知りたかった。
だから、『ふくしま若もの会議』のブースを覗くことに的を絞りました。
本当は、山下公園までのデモにも加わりたかったし、他にも山のように
興味あるブースがあったけれど、福島のひとの声を聴くこと。
それが今、自分に一番必要な気がしたから。

さて。その感想は、また次回で書きたいと思います。
さすがに疲れました……


もっと早くこの会議のこと知っていれば、自分が行く、行かないにかかわらず、
情報をここでアップできたと思うのですが、私も、3日前にふと見つけたので、
ご紹介が遅くなってしまいました。
15日に行きたいと思う方がいらしても、間に合わないかなあ…。
一応、公式ページ、ご紹介しておきます。

http://npfree.jp/


また、Ustream映像も。
長いですが、内部被曝の危険性を70年近くも訴え続けていらした医師、肥田舜太郎氏などの
厳しいけれど慈愛の声や、小学4年生のしっかりしたインタヴューなどもあり、
会場のにぎやかさや熱気が伝わってくるかと思います。

http://www.ustream.tv

そうそう。なんと、六ヶ所村で、ずうっと長きにわたって反原発運動を続けて
来られた菊川慶子さん、5月20日の記事でとりあげた菊川さんが
六ヶ所村の現在を紹介するブースを出しておいでになり、少しお話させていただきました!

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-509.html

この小柄でもの静かな方のどこに、40年も、反原発運動を続けてこられる
エネルギーがあるか、という感じの方でした。
そして、悲しげでした…!
悲しみの気配が、その身から滲みだし、私の胸に静かに浸みこんでくるようでした……




 

『キャンドルナイト』今年も

2011年という、日本にとって悲しい年が去り、2012年という新しい年がやってきました。
今年、日本は、それを希望の年へ変えることが出来るのでしょうか。

復興も原発収束の見込みもいまだ。

意識的に努力しなければ、記憶は薄れて行ってしまいます。

今日もキャンドルナイトの日です。葉っぱさん、れんげちゃん企画。
毎月11日。灯りを消してキャンドルを灯し、被災地の方々のことを
静かに想います。
バナーをまたお借りします。

             
心ひとつに キャンドルナイト



こちらは、NANTEIさんが、こころをこめてお作りになったバナー。
お借りします。

バナー南亭






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写真のカーネーションは、実はクリスマスの時に飾っていたものです。
もう、18日…、半月以上、萎れないで、みずみずしい花びらのままで頑張っています。
鮮やかな紫色のアネモネは、今年のお正月花でした。
お花って、植物ってなんて強いんでしょう。ひともかくありたい……

小さな白と金色のデミタスカップに飾ってみました。
蝋燭立てに見えるのは、実は、帯止めです。


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『不幸の均霑プロパガンダ』に寄せて

『不幸の均霑プロパガンダ』…いったい何のことだと思われますか?

『均霑(きんてん)』というのは、『均す(ならす)こと』という意味です。
『不幸の均霑』とは、戦争など有事の際に、『不幸を一部の人にのみ負わせるのは不公平だ、
皆でその不幸を平等に分け合うではないか』と言って、不幸の原因となった
大元のものを国民が追及批判したりしないようにする一種の思考操作の手法のことです。
また、プロパガンダとは、特定の思想・世論・意識・行動へ誘導する宣伝行為のことを言い、
そうしなければならない、と、民衆を意図的に何ものかが導いていくということです。

それによって民衆は、大元の原因を批判することから眼をそらされ、むしろ、
その、『不幸の共有という強制された大義はおかしい』と正しく批判する者を
排斥するようになる。そこに至って、この不幸の原因を作り出した者への批判は
すっかり、それはおかしいじゃないか、という者への批判にすり替えが行われ、
国民が分断されて、ますます批判精神、批判力も失っていってしまう状態のことを言います。

3月11日の東日本大震災そして原発事故の後、政府の力で、そしてマスコミや
経済界や学界や司法の場で、そして地方行政や小さくは、一市民レベルで、
全日本を覆ってしまっているように私には思えてならない、この『不幸の均霑プロパガンダ』。

私は大震災と原発事故の報道がなされ始めてからずうっと、こころの内に
もやもやと割り切れない、やりきれないある感情を抱いてきました。
それは、『違う!批判すべきものが違う!何か議論の、視点のすり替えがある!
本質はそんなところにあるんじゃない!』という想いでした。

一つの象徴的な例が、あの、東電と政府による『計画停電』でした。
タイミングが良すぎた。計画停電という胡散臭いことを打ちだすそのスピードが
素早すぎた。事故による放射性物質汚染のモニタリング、それをもとにした
住民の安全かつ十分な避難など、緊急の課題さえ、ほとんどなされていないように
思える中、どうして計画停電だけがかくも素早く大々的に行われたのか。
そうして、なぜ東京を中心とする東電管内の人間は、粛々とそれを我慢し受け入れたのか!
私にはずうっとやりきれない思いがありました。
これでいいのか?事故を起こした当の本人である東電が仕切って、このように多くの人に
我慢を強いる。そして数千万もの人がそれにもくもくと従う…。
これは、明かりや暖房や交通の足を奪うことによって、民衆の東電への批判の心や力を奪う、
大規模にして姑息な策略なのではないか?
…そう感じていました。
でも、そんなことは当時、証拠もありませんし、とても言えませんでした。
日本を上げて、『一つになろう』という善意のキャンペーンが行われている中、
東電をさえ、『いまは東電批判しているときじゃない!国民が心を一つにして
難局に立ち向かわなければ!』と言って守ろうとする論調もあったからです。

なにか違う。なにかおかしい。…そう感じつつ、私は事故後、しばらくの間
記事らしい記事は書かず、音楽などをアップしていました。
私のそのやりきれない想いは、3月15日。こんな文でかろうじて小さく
口に出してみています。

今日、もうあと一時間ちょっと。夜6;20から、10:00まで、
我が家の方でも、計画停電に入る。
その前に夕食。あとは暗くても寒くても我慢だ。
昨日までのように、不手際ばかりの電力会社を罵ったりすまい!(苦笑)

ただ、一言。
日本人はおとなしい。
こういうことが起こっても、公の組織の指導に従って、皆、整然と行動する。
それは中国だけでなく、世界中から、今回驚きと感動を持って見られているようである。
この、日本人のもの静かな反応。それは日本が誇れる美質であると思う。

ただし、唯々諾々とお上の言うことに従うのと、自分の理性と判断基準に従って
もの静かに行動することは、違うことだと思うのだ。
声をあげるべき時に黙っていてはならない。
国民の声が政治を動かし企業を動かし、ひとを動かす。
原発に関してもそう。
おとなしい羊になってはならないと思う。理性と温かい隣人愛と、正しい批判精神を持った、人間でありたい。
(人間が羊より上だと思っているわけではありません。比喩的表現です。念のため。)

静かにそう決意している。


この記事の下線部に、私の東電への、そうしてこれまで原発を推進してきた者への怒りと、
マスコミの論調などへの深い懐疑と危惧が籠められています。
しかし、それは非常に気をつかいながら、でした。
3月の記事を遡るとわかりますが、3月11日から13日の記事はない。
私は、地震大津波で命を失った人々の、そして残された人々の感情を想い、
原発のことだけに的を絞った記事が書けなかったのです。

ようやく14日になって、遠慮がちにお悔やみの記事を書いています。
むしろ私の素直な怒りは、コメント欄に出ているかと思う。

『日本人はおとなしい羊になって、東電にまたしても言いくるめられてしまうのではないか。
今、こうして、被災地の方の苦労には及ぶべくもないが、明かりを奪われ、暖を奪われ、
交通の足を奪われして、気力を萎えさせられているうちに…!!!』
という、やりきれない想いが。

その、なにかに対する妙な遠慮、妙な自己規制は、それからもずうっと私を縛っていました。
今はあまり過激なことは言えない…。
多くの人々が耐えきれないほどの悲しみを背負っているときなのだから…。

twitter をやるようになって、ある方のツィートに『不幸の均霑』という
聞き慣れない言葉をふと見つけ、その方のブログを読んだ時、
『ああ!私を縛っていたものは、これだったのか!』と初めてわかりました。

吉田明彦さん、という方のツィートと記事です。
『今何がおきているのか――流布される「不幸の均霑(きんてん)」プロパガンダ 』
https://sites.google.com/site/livingwithfukushima/literature/critics/yoshida

すごい記事です。どうか、私の記事の先でもあとでもいいですから是非お読みください。
一部イタリック体で書いてあって読みづらいところもあるので、『続く』のところへ、
コピーして引用させて置いていただきましょう。

そもそも、吉田明彦さん自身も、この『不幸の均霑』という言葉に、ある本で出会って、
眼の覚めるような想いがなさったらしい。その本というのは、これです。
私も買って読みました。

加藤陽子・佐高信対談集『戦争と日本人 テロリズムの子どもたちへ』(角川学芸出版)

なぜ、どのように日本は先の戦争に無謀にも突入して行ったのか、ということに
関する歴史学者加藤陽子さんと評論家佐高信さんの対談集です。
『不幸の均霑』という言葉は、加藤陽子さんの造語であるという。
彼女が、日清、日露から日中戦争、太平洋戦争にかけての兵役関係の史料を読んでいくと、
この『均霑』という言葉が実によく出てくることに気づいた。

例えば、通常は2年間、入営しなければならないものを、「青年訓練所」というものに
入れば、週3日ほど朝の軍事教練と夜の学科授業を受けることが出来る。
しかも在営期間が6カ月短縮される。これを4年受けると、
本来は、旧制の中等学校以上の人間や師範学校出の人間にしか認められない
在営期間の短縮が、尋常小学校しか出られない貧しい農村の若者にも認められ、
しかも尋常小学校の上の高等教育が受けられる、と言って、いわば、
兵員の青田刈りと兵員確保を美味しい言葉で巧みに行った。それが『均霑』である。
一見、高等教育を受けた言わばエリートにだけ認められる権利を、貧しい農村の
青年にも与える。機会の平等と身分の平均化を目指しているようであって、
実は、戦争に行く兵士を早くから訓練確保しているのに過ぎない。

ああ。この構図。アメリカ軍の兵募集システムに実に酷似しているではありませんか!
アメリカ軍は各地の高校から、卒業予定生の家庭事情や経済状況を入手する。
そうして、家計が逼迫している者、大学に進学したいが経済的に苦しく夢が
叶えられない者にピイポイント的に的を絞って、軍に入ることを勧誘する。
一家の生活を支えるに足る夢のような高給と充実した福祉、そして一定の
任務をアフガニスタンやイラクなどの戦地で終えて帰国すれば、大学進学出来るように
するという美味しい餌を吊るすのです。
…これも、貧しい若者に機会均等の夢を与えているようであって、実は、彼らを
確実に戦地に送り込み、そうすることによって、富裕層の若者を皆兵制度によって
戦地に送り込まなくていいようにする、巧妙なごまかしに過ぎない。
何やら、原発作業員の募集方法にも類似したところがありはしないでしょうか。
…なんと、不幸の構図は似ているのでしょう!

閑話休題。
『不幸の均霑プロパガンダ』から少し離れてしまいました。
吉田さん自身の文を一部引用しよう。吉田さんが言い、そして私が大きく納得した
『不幸の均霑プロパガンダ』とはこうです…

権力が民衆に苦痛を受容させるとき正面からそれを要求したのでは
反発を買い成功しない。そこで、非常有事に権力は
「不幸の均霑(きんてん)=不幸を公平に分かち合うこと」というレトリックを使った
プロパガンダを流す。その途端に不思議なように民衆はそれを受け入れ、
苦痛を強いる権力に対してではなくその苦痛を少しでも免れようとする同胞に
怒りを向けるようになる。太平洋戦争末期に「欲シガリマセン勝ツマデハ」
「一億火ノ玉」「一億玉砕」などのスローガンが流布され、それに異を唱える
者たちは「非国民」との罵りと排斥を受けたのが分かりやすい例だ。

■大手を振ってまかり通る「不幸の均霑」プロパガンダ

放射線量が高い地域の農産品、畜産品、水産品を買わないようにする
当然の消費行動を、国や福島県他の自治体や福島JA五連などは
「風評被害」と呼び、マスメディアもその語を垂れ流して、被害者の怒りを
見当違いの方向に向けて煽り、一方消費者たちに理不尽な罪責感、加害者意識を
植え付けている。正に「不幸の均霑」プロパガンダそのものである。

…これを読んだ時、私自身を縛っていたものの性質がわかったような気がしました。

さらに、
>

太平洋戦争中、ヒューマニスト、社会主義者、キリスト者など
十分の知識を得ていたはずの知識人たちが次々と転向し大政翼賛会になびいて
いったのは何も治安維持法による弾圧の恐怖のゆえからだけではあるまい。
悲惨を極める前線の戦況を聞けば聞くほど、批判的な発言をしてはならないと
良心の怯えを覚え、思想と言論の自由が脅かされても多少のことは我慢
しなければならないと自らを規制して体制への隷属を受け入れたのではなかったのか。

「不幸の均霑」プロパガンダは感情に訴え知性を麻痺させる点において実に恐ろしい。
私たちには免疫があるわけではない。目覚め続けなければ私たちはいとも容易く
その魔の手に落ちてしまう。

ひとつの例を取れば、放射性物質が降下した被災地のがれきを
被災地以外の都道府県が受け入れなければ被災地は復興できない、
放射能被害をこれ以上被災地にだけ押し付けて涼しい顔をする気かと恫喝されたときに、
被災地以外の住民たちは心の責めを感じずに抵抗できるだろうか。
また、一旦「NO」と言った後にがれき処理ができないゆえに悲惨な状態のまま
捨て置かれ続ける被災地の姿が延々と伝えられるようになり、被災者の怒りの声が
伝えられるようになってもなお私たちのひ弱な良心は持ちこたえられるだろうか。

「がんばろう日本」との情緒的なスローガンは、裏を返せば地震、津波、原発事故
による被害に関しては「一億総懺悔」をしてその不幸を民衆全員で負うべきであるという
プロパガンダだ。



この記事を私は5月半ばごろに見たのだったでしょうか…
本当に眼から鱗の記事でした。
この記事をずっと紹介したかった。そして、私自身の3月11日近辺に感じていた
あの違和感をずうっと分析し、書き表してみたかった。

…しかし、それがなかなかできませんでした。
私への『良心』『思いやり』という善意の名を借りた縛りは、それほど大きかったのです。
正直言って、自分はどうすればいいのかわからなかった。
例えば野菜一つ買うことにも。自分や家族の身を守るのは本能です。
だから福島産、という野菜はスーパーで敢えて買いたくはなかった。
しかしその一方で、自分の良心がその自分を責める。

『じゃあ、いったい、福島の人にこれからどうやって生きて行けというの?
米を作っても、牛を育てても野菜を育てても売れない。それだけで生きてきた人々に
どうやって生活の道を得よというの?
仕方ない。小出さんが悲しみをこめて言うように、ある程度年を取ったものが
福島産のものを買って、国民で悲しみを分け合って食べるしかないんじゃないの?』と。

私の縛りが解けたのは、12月18日の私の記事の中で紹介させてもらった
この福島に現在も住んでいる方からの悲痛な訴えを読んでからです。

『ただいま被曝中』

そこで著者は、全国民に訴えている。福島産の米を買わないでくれ。
それは福島を助けることにはならない。
米がある程度ででも売れれば、政府や東電は手を抜く。それでいいすむと思ってしまう。
そうすると、かれらの責任の所在が曖昧にされ、追及できにくくなってしまう!と。

…福島の方自身が、『不孝の均霑』を決して望んではいないのだ、ということを
この記事で知り、私の呪縛は解けたのです。

本質を常に見なくてはいけない。一時の情に流されてはいけない。
本質はどこにあるのか。

春から何カ月もかかって米を作る。土を作り野菜を慈しみ育てる…それを今まで
農家は晴々とした喜びと共に売ってきました。
消費者は、『ああ、福島の米、福島の林檎、福島のインゲンか』…そう強くは自覚しなくとも、
とにかく晴々とした、何の疾しさもない気持ちで買っていました。
それが当たり前のことです。
事故後の今は、それが出来なくなってしまいました……。
買いたい。買って支えたいと思いつつ出来ない自分。そういう自分を責める。
何の問題もなさそうに見える野菜たち…それを出荷した農家の気持ち…。
し~~んと心の底に冷たい水が溜まっていくような悲しみです。
そんな気持ちで毎日の買い物をする…

そんな気持ちが、推進派の人々にはわからないのだろうか?
こうやって、私が記事を書けば、それはまた、これを読んでくださる方にあるプレッシャーを
与えてしまうであろう…そう思えば、書くことを躊躇ってしまう私がいる…

このような感情の分断を生んでしまったのは、そもそも何なのでしょう?誰なのでしょう?
野菜を買う、などという卑近なことではない。
夫と妻が、妻子と舅姑が、友人同士が、被災した地域社会内部が、福島原発立地市町村と
近隣の市町村が、被災者とそうでない者が、東と西が……分断の危機にある。

田んぼが汚染されているか知れないと思いつつそこで米を作り、それを
出荷した農家が悪いのか!
それを買いたくない消費者が悪いのか!
瓦礫を受け入れてくれないと、復興の手がつけられない、と受け入れを願う被災地が悪いのか!
いや、もしかすると、宮城・岩手のそれも、福島の原発事故でわずかではあるかもしれないが
汚染されているかもしれない。受け入れるのはどうもなあ、と、ためらう他の
県市町村がエゴイスティックなのか!?

そうではないでしょう?
日本の原発は安全安全と、国民を、いや、空疎なお題目を唱えているうちに、
自分たち自身をさえ欺いていつしかそう信じ込むようになり、安全対策を怠り、
この狭い地震国日本に54基もの原子炉を作ってしまった、電力会社と時の政府、
そうしてそこで生まれる巨大な利権にしがみついてきたマスコミや学界や
その他の経済界や…そうした人々に責はあるのではありませんか?

この美しい日本の自然。
海と山と川と空と…水と、空気と土と緑と…豊かな生きものたちと…

それらは穢されてしまいました。数カ月後、来年まで、ということなんかではありません。
十年、二十年、三十年…百年後も…この大地は穢されたままです。

豊かに実った稲が汚染されている。
子供たちは外で遊ぶことも出来なくなってしまった。プールで、海で泳ぐことも。
恋人たちは木陰の草原の上で愛を語ることを躊躇わなくてはならなくなってしまった。
お年寄りたちが、ふかふかした枯葉の道をゆったりした気持ちで歩くこと…
これも失われてしまった。

いいぇ。実際は何もかもが汚染されているわけではない。
どこもかしこもが汚染されているわけではない。
しかしながら、ひょっとして汚染されているかも、と思わなければならなくなってしまった
この悲しみ。それはいつ、晴々とした安心感へ変わるのでしょうか。
変われるのでしょうか。

反発しあうは国民同士であってはなりません。追及すべきは東電と政府、
そして原発で利してきた人々です。
徹底した食品や土壌の安全検査を行うこと。
福島の食品を救うにはそれしか道がない。
福島の人々の健康管理を徹底して行うこと。
チェルノブイリの例を見ても、除染というものにどれほどの効果があるのか。
汚染された土地に福島の人々を『住める、住める』と言って希望を持たせて
閉じ込めておいて、放射線を浴びるままにしておく…
そうして、福島のものを全国にさりげなくばらまいていく…
こんなことがあっていいのでしょうか!
いつかまた、第二の福島をこの日本に作っていいのでしょうか!

『不幸の均霑プロパガンダ』は、至る所にあります。
それは一見、『思いやり』や、『公平』という美しい言葉で語られ、
私たちの心に忍び込んでくる。そうして、私たちの心を懐柔し、
本質を見えないように、批判の目を他へ移すように、論理のすり替えを巧妙に
行い、国民を分断していきます。

行われるべきは、やはり、この事故の原因の解明と責任の正しい追及でしょう?
そうして何より先に、原発周辺の徹底した汚染調査と、危険地域からの住民避難だと
思います。住めないようになってしまったところを、いたずらに住めると言って
住民に希望を持たせひきとどめておくべきでない。
故郷を捨てる。…それがどれほど、とりわけお年寄りにとってつらいことか!
選択の自由はあるべきとは思いますが。
食品の徹底した汚染調査を行う。そうして安全なもののみ流通させる。
か。国が全量買い取りをするしかない。
罹災した人の賠償と経済的支援をもっと早く手厚く行わねばならない…

…ああ、やるべきことがどれほど大きいことか!
ああ、いったいどれほどの経済的、精神的負担が私たちを待っているでしょう!

それがみな、一つの電力会社が引き起こしたことなのです。
電気のために。それも全部ではない、30%程度の電気のために。
しかもこの夏わかったように、なくてもすんだかもしれない原発などというのために。

次は、私自身の、3.11直後の精神状況について、時系列に沿って書いていきたいと思っています。

この年末、あちこちのテレビ局で、福島第一原発事故の検証番組のようなものが
放送されました。NHKが地震直後から数日後までの第一原発の現場の様子を
再現したものなどもあって、多くの人があの日のこと、そしてその後の政府の対応など
について語っていました。
事故当時は全くわからなかった状況の細部が、9カ月という時を経て、徐々に
明らかになっていく…。
大きな嘘も明らかになって来ています。大きな過ちも白日のもとに曝されつつあります。
あの日、現場はなにをしていたのか。政府はどういう対応をしたのか。
なにを誤ったのか。なにが行われたのか。行われなかったのか…!

しかし、野田首相が年末に、事故の収束宣言をしたことに象徴されているように、
『事故のことは、もうなるべく早く忘れたいんだ。なにごともなかった事故前の
暮らしに早く戻りたいんだ!」という気分が、一方である。
twitter のあるつぶやき。友人に原発事故のもたらす影響の恐ろしさを語っていたら、
『もう、その話はいいよ!聞きたくない。あたしは何も知らないでいたい。
あたしは弱い人間だから、今までどおりに平凡に暮らしたいだけなの!』と拒否された、
というのです。

ああ!やはり!と思う。そうだろうなあ、とも思います。
人間というものは暗い重い事柄に、そういつまでも耐えていたい生きものではありません。
前に向かって歩きたいと思う。その気持ちは痛いほどわかります。私自身がそうですから。

一般の国民だけでなく、政府や経済界なども、日本の製品が今回の原発事故の
放射能汚染を恐れて海外で売れなくなっていたり、観光客が減少したことに危機感を持ち、
そういうこともあっての『福島第一原発事故は一応収束』という宣言を、
世界に向けて、また自国民に向けて一刻も早く出したかったのでしょう。

しかしながら…。
それで果たしていいのでしょうか。
傷口は早くふさぎたい。福一の原子炉建屋にカバーがなされていっているように、
傷口はなるべくもう見たくない。(まあ、カバーをする必要があるわけですが)
それが人間の正直な心理だろうと思います。
でも、怪我の原因を、怪我に至った遠因をしっかと今、見据えておかないことには、
第二、第三の手ひどい事故をまた私たちは冒してしまうかもしれない!

昨年私は、東電を告発する記事をたくさん書いてきて、ときに沈黙してしまうことが
ありました。その沈黙の原因は、今書いたようなことの中にあります。
そう…。私自身も、自分の心の中を見つめるのが時に苦しくなったからです。

自分の中にある、『自分は関係ない。自分の身が安全であれば、ことを荒立てたくはない!』
という気持ち。

それに引っかかっている間に、書かれずにおいてしまった記事がたくさん生まれてしまいました。
私は、自民党政権時代の原発導入と推進を厳しく批判してきたけれど、
民主党は、昨年事故が起きるまでは、原発による発電を50%にまで持っていこうなどという
目算を立て、ベトナム、インドなどに原発を輸出し、またモンゴルにアメリカと目論んで
核のゴミの処分場を作ろうなどとしていた!それへの批判はしてきませんでした。
菅元総理を応援する記事は書いたけれど、彼の功罪の内、『罪』の部分については、
まだ書き残したままです。

福島第一原発事故は、日本人のこころと体に開いてしまった、大きな醜い傷口です。
でも、本当の意味で先に進むためには、その傷口に、ひりひりと塩を塗りこまなければ
ならないのだろうと思っています。それも、今。
政府が、人々が、完全に目をそむけて、そして忘れてしまわないうちに。

おそらく、これからの記事は、あまり楽しいものにはならないでしょう。
私自身にとってもそうです。でも、やらなければならない。
これを私は、自分の子供や、その子孫のために、というような狭い考えで
書いていくのではありません。
以前、ハンス・ヨナスの記事を書きました。
現在という時に生きる人間は、現在のことだけを考えて生きて行けばいいのか…
自分というものが、この地球に、奇跡のように存在した、ということ…
その意味を深く考えるとき、いのち、というものは、後世に何らかの形で
つないでいかねばならない、それは結婚して自分の子供を持つ、などというだけの
単純な意味ではありません。もっと深い意味で、自分が奇跡のようにこの世にあった証として、
後世にその命を、想いをつなげていかねばならないのではないかと思うからです。
そうして、自分の代で、意図的に命を絶ったりすることが、これまで私たちの前に
何万人、何千万人といた祖先たちのいのちの繋がりを絶つことになるのと同じに、
私たちの時代に、この地球を取り返しもつかないほど汚して使い切ってしまうこと…
それは、過去に対する、そして未来の人間や生きものすべてに対する、
勝手なふるまいである、と思うからです。
それは無論、同時代に生きるものへの勝手な振る舞い、ででもあります。

…長い記事になると思います。何回かに分けて書いていきます。
キーワードは、『不幸の均霑』という言葉になると思います。
この記事でもって、昨年書けずにいた数々のことにも、その都度触れて行きたいと思います。



私自身のこの記事。考え考え書きました。何回か手を加えることになりそうです。 

ご紹介した記事へ続きます。
『今何がおきているのか――流布される「不幸の均霑(きんてん)」プロパガンダ』
吉田明彦@keziahjp

      ↓


続きを読む

デジカメ画像をブログにアップする方法 

皆さん。これはちょっと連絡用の記事です。

『新年に』

皆さま。
新年のご挨拶謹んで申し上げます。

昨年は言葉に尽くしがたい悲劇の年でした。

ひととはなんだろう…人間の存在価値とはなんだろう…
そう心に問い続ける一年でありました。

そんな中でも 残されたひとは、強く生きていかねばならない。

悲劇は新たな絆を生みました…
絆を強めた人々もいました…
昨年は婚約や結婚に踏み切った男女が多かったという…
我が娘もその一人でした。

式もあげぬ、入籍をしに役場に行っただけの密かな結婚。
それでも母は 二人に 晴れ着を縫いました。


若い体に。 放射能は。
原発事故のために切れてしまった絆はどうしてくれるの!

あたし、子供が持てるの?と、まだ幼い顔の中学生が問う。


悲痛な叫びは、彼らの心を揺さぶらないのだろうか!


…怒りのブログは今年も続きます。
政治とはなんだろう…
国とはなんだろう…

どうか、本年もよろしくご指導のほど、お願い申し上げます。




2012 年頭に









プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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