『空』

なんだか、悲しみがこころに溜まりすぎてしまった…

こんな歌、聴きながら、去年から今年一年あまりで撮った空の写真、ご覧ください。











2011_0112_143543-CIMG3802.jpg


なんと!青い空だろう!
本当に雲一つない…
去年の1月12日。まだ、あんな大震災や原発事故が起きるなんて思っても見なかった…



2011_0113_091941-CIMG3809.jpg


スワロフスキーのように綺麗。
いや。この美しさをスワロフスキーが再現したんだな…



2011_0213_090606-CIMG4018.jpg


私がいつもパソコンをする部屋から見える空。



2011_0215_092502-CIMG4099.jpg


2月15日。雪が降りました。
まだ、この時は、清浄な雪だった………。





3月11日。






それからしばらくは、空の写真がありません…







7月。ようやく空にカメラを向けました…


2011_0711_153854-CIMG4831.jpg


抜けるような青空。






2011_0913_171539-CIMG5144同じ空の下


9月。ほうきでさっと掃いたような美しい雲でした。
でも、悲しみがこころを満たしていた……



2011_0913_170856-CIMG5130.jpg


これは、去年のブログにアップしました。
「待って、待ってよ~っ!」
飛行機の追いかけっこを、黄花コスモスなどのお花たちが、ばんじゃ~い!しながら
見ていましたっけ…
いじらしい花たち…いじらしい地球…この大地……




2011_0923_145305-CIMG5303.jpg



上の写真も同じ日のブログにアップしました。
アップした写真には、日傘の女性が写っていた…
何となく忘れられない、この日の、二度と帰らない一瞬でした。



                ***

   
『明日という日は、今日の連続として必ず来るという保証はないのかもしれない…』

そのことを、わたしたち日本人は悲しいことに知ってしまいました。

ひとの胸にある想いは、言葉にしなければ、文字にしておかなければ、
写真などの記録に残しておかなければ、
大事なことも、やがて、一人一人の存在の消滅と共に、ときのかなたに消え失せてしまいます。

大事な人がいるのなら、「大事に思うよ」と言葉にして言っておく。
好きな人がいるのなら、「好きだよ」と、今、抱きしめておく。
忘れたくない出来事があるのだったら、今、書きとめておく。
謝りたい人がいるのなら、今の内に謝っておこう……。


『鮮やかなとき』は、一瞬のうちに過ぎて行ってしまいます。



                ***


…そんなことを書きました。




 

2011_0923_145807-CIMG5304.jpg



我が家の門を出た道路から見上げた空。
写真の建物や樹木は、我が家のものではありません。



2011_1025_132340-CIMG5586.jpg



2011_1025_132115-CIMG5582.jpg




ああ…… 
いい雲だ……




2011_1121_142454-CIMG5799.jpg



11月。荒々しい雲の動きの珍しい日でした。
ルネ・マグリットか誰かの絵のよう。





2011_1121_150055-CIMG5809.jpg



ヘリコプターがパタパタと飛んでいました。
私のこころにその音が、なぜかやさしく響いてきました。

ああ!…あんなところにも、ひとがいる…と。






2011_1121_140152-CIMG5786.jpg


同じ日。
不穏な空気をはらんだ感じの空。



2011_1121_140040-CIMG5784.jpg



2011_1121_135224-CIMG5775.jpg




2011_1121_134146-CIMG5764.jpg


…ああ…
吸いこまれそうだ……





2012_0124_093231-CIMG6448.jpg



2012年。年が明けて1月。雪が降りました。
なんと白く輝かしいのでしょう。

でももう、去年の雪と同じように見ることが出来なくなってしまった…
その、自分のこころが悲しい。



2012_0203_144917-CIMG6473.jpg


2月。原発都民投票の署名集めに向かう午後。



2012_0218_145312-CIMG6592.jpg



家の近くの森林公園に梅や蝋梅や椿が咲いていないか見に行ったけれど、
高い梢から、氷になった雪のかけらが、綺麗な音を立てて時折落ちるばかりで、
人っ子一人いず、花一輪とてなかった…





3月。震災から一年を迎えた…









2012_0313_134957-CIMG6721.jpg


2012年。3月13日。



2012_0404_002012-CIMG6891.jpg


4月。




2011_0428_143856-CIMG7159.jpg



デジカメの年度が間違っているけれど、これが一番最近に撮った写真。
2012年。4月28日。







2010_0527_153453-CIMG2067.jpg


2年前の5月の写真。


…ああ…綺麗だ!………








ブログ、しばらくお休みします。
何か、書かなければいけないことが起きたら、また書きます。















スポンサーサイト

『3.11から』 ⑤ [瓦礫処理其の四 福島のゴミ そのごまかし]

さて。瓦礫の問題を続けます。
原発や瓦礫の問題ばかりで気が重くなってしまうかもしれませんが、
どうか我慢してお読みくださいね。

4月17日の朝日新聞によれば、26の都道府県がすでに瓦礫の受け入れに
協力姿勢を示したと言います。

おやおや。

本当に愚かなことを進めていませんか?
『瓦礫の広域処理に国民の皆さんに協力してもらわないことには、被災東北3県の
復興は進まない』という、国を挙げての情緒的な一大キャンペーンで、
今回出た瓦礫の20%足らずを、沖縄にまで薄く広く全国に広めたとして、
それで、瓦礫問題が一切解決し、復興は急速に進むのでしょうか?
広域処理の予算1兆7000億円という大金は、どこに流れていくのでしょうか?
これは被災した地元に落ちる金ではない、広域処理を受け入れた自治体にずぶずぶと流れていくのです。
まるで、政府のいうことを良くきくいい子に与えられるご褒美のように。

しかも、そのお金はさらにどこに流れていくのでしょうか?
一部は、受け入れ自治体の住民のために、また例のごとく保養施設やスポーツ振興施設など
箱モノに使われて、多少は役立つかもしれないけれど、その多くは、瓦礫処理の
産廃業者や、焼却施設建設で、大手建設会社などにただ流れていくだけなのではないでしょうか?

受け入れ自治体の従来からある焼却施設で瓦礫を燃やして、本当に放射性物質が
付近の環境に流れ出ることはないと、誰が言いきり、そしてそれは信用できるのでしょうか?
私は信用しません。瓦礫の放射線量測定は、おそらく杜撰なものであろうからです。
サンプルで、低い数値しか出なくても、別の瓦礫からは非常に高い数値が出るかもしれない。
それを、400万トン、正確で正直な数値でデータ、出してくれるのでしょうか?

中国で作った自転車のかごから放射性物質コバルト60が検出されたといいます。
かごの上側の縁の表面から毎時7.5~10.6マイクロシーベルトが検出されたそうです。
この自転車に、毎日1時間乗ったとして、年間で浴びる放射線は、0.059ミリシーベルトで
放射線被害の心配はないと言います。(4月18日朝日新聞)
また、これだ!0.059ミリシーベルトと言えば、それだけ取り出せば小さいようだけれど、
国が、年間1ミリシーベルトの被ばくに抑えたいとしているその、100分の6ですよ!
私はほぼ毎日1時間近く自転車に乗っているかもしれない。
もし人がその自転車を知らずに乗り続けていたとしたら、ただそれだけで100分の6!
食べものからも、空気からも、庭の土からも、あるいはもう流通してしまって
知らずに住んでいるかもしれない、あの、福島の汚染された土砂を使った建物。
それから知らずに買った汚染された中古車からも、…いろいろなものから、100分の1ずつ、
1000分の3づつ、…放射線を浴び続けるのかもしれません。

中国産の自転車かごだったから、なあんだ!とほっとしますか?
なんで中国でコバルト60なんかが混入したのか、原因はわからないけれど、
毒入り餃子などやらかす中国の、いかにもやりそうなことだなあと、馬鹿にして済ませますか?
微量だから大丈夫、と思いますか?

ちょっと視点を変えてみましょう。
瓦礫でも、また、関東地方の落ち葉などでも、放射性物質を含むものは、焼却すると
線量の高い焼却灰になります。ご承知のように、放射性物質のほとんどは
放射線量がすぐには減りはしない。
水で流され、燃やされ、空気中に拡散し、土表面に堆積し、…ただ、移動するだけです。
それらを私たちは、日々いろんなところで、上にも書いたように、あらゆる形で
浴び続け、また摂食や呼吸から体内に取り込むことになるのです。
原子力関連施設から出る資源ごみは、放射線が低レベルのものは、あるいは公園のベンチになり、
フライパンになり、建材になりして、リサイクルされます。
今度の瓦礫からリサイクルされるものもおそらくそうやって、わたしたちの日常に
ありとあらゆる形で入りこんでくるでしょう。

エッ?と思われますか? …こういうことがあります。

しかしながらここに、「スソ切り」という都合の良い考え方が出てくる。
スソ切り、というのは、「放射能のレベルが極めて低く、人の健康に対するリスクが
低ければ、放射性廃棄物として扱わなくていい」という考え方である。
この制度が2005年の国会で認められたのである。
スソ切り、正式には「クリアランス」とも言う。
クリアランスレベルは放射能の種類ごとに決められているが、
分かりやすく言うと、(職業として放射能を扱う人でない)一般人が、年間に
浴びても健康に差支えない放射能の被曝限度は年間1ミリシーベルトとされているのだが、
クリアランスレベルはその100分の1。すなわち、年間0.01ミリシーベルト未満なら、
原発から出た放射性廃棄物を、一般ごみとして処分したりリサイクルに回してもいいですよ、
という法令なのである。                                        

つまり、廃炉から出た大量のコンクリートやプラスチック、鉄材などが、
その放射線量が低ければ、一般の産業廃棄物として埋め立てに使われたり、
住宅用の建材や公園のベンチ、フライパンなどに姿を変えて、私たちの生活の中に
入りこんでくる、ということなのである。
こうすれば、廃炉の際のゴミは劇的に激減し、あとはレベルの高い放射性廃棄物の処分だけを
考えればいいということになる。
年間0.01ミリシーベルト。ごくわずかな値であるから、身近な生活の中で受けても
害はない、と推進側は言う。
しかし、私たちはいますわっている公園のベンチが
廃炉から出た微量ではあるかもしれないが放射能を帯びたものであり、
今日も使ったフライパンや玩具がそういう性質のものだ、ということは
まったく知らされず、健康被害があってもそれは証明されにくく、
責任の所在も全く追求できない。               
 

実はこれは3年前の7月31日に、『故郷の廃家』という、前のブログで
わたしが書いたものの転用です。
これは、『どうする?放射能ごみ』(西尾 漠著、緑風出版)を参考にして書いています。
                           
福島原発1~4号機は、先日正式に『廃炉』が決まりました。(今頃?という感じですが)
あれほどぐじゃぐじゃに壊れたものが、とりわけ炉心がこれから廃炉していけるのか、
という問題は別にしても、周辺地域の瓦礫なども含め、これから現実に、
とてつもなく多くの量の福島の瓦礫が問題とされることになる。
政府は、福島と、宮城・岩手とは分け、福島からの瓦礫は福島県内で処分、と
言っていました。
皆さんは、「あ、福島の瓦礫は、外には出ないんだ!それじゃ一応安心だ!」
そう思っていらっしゃいませんか?
表向きは、政府はそう確言しています。
ところが、政府はこんなことをやっているのです。
まず、この記事をお読みください。

福島の警戒区域内の放射能ゴミを広域処理化!千葉県がヤバイ

長いので、一応、私が危惧しているというか、怒りまくっていることの概要をまとめておきます。

この4月、環境省は、「放射性物質汚染対処特措法施行規則」改正案に対する意見の募集をした。
内容は、
平成23年12月26日の原子力災害対策本部決定「ステップ2の完了を受けた警戒区域及び
避難指示区域の見直しに関する基本的考え方及び今後の検討課題について」に基づき

警戒区域・計画的避難区域(以下「警戒区域等」という。)の避難指示が見直されることと
なっています。これにより、警戒区域等内の空間線量の低い地域では、
警戒区域等の解除前でも事業活動が再開され、相当量の廃棄物が生ずることが想定されます。
 再開された事業活動に伴い生ずる廃棄物を対策地域内廃棄物として国が処理した場合、
汚染廃棄物対策地域外の事業者との競争上の不公平が生ずることが考えられます。

このため、このような公平が生ずることのないよう、避難指示見直しにあわせて、
早急に対応することが必要となっています。
したがって、本件意見提出については、行政手続法(平成5年法律第88号)第40 条第1項
の規定に基づき、必要最小限の期間を設定して、あらかじめ意見の募集を行うこととしたものです


つまり、警戒区域等の避難指示が見直されたことにより、復興に着手すると、
当然ながら倒壊・半倒壊家屋、公共建造物などの瓦礫が大量に出る。それを、
国が責任を持って処理してあげると、他のケースに比べ不公平だから、他の地域の
ケースと同等に処理しましょう、というのです。

不公平?
記事からの引用。
『つまり通常、事業系ごみはゴミを出した事業者は、事業者自身が処理費用を負担します。
これを(福島に限って)国がやるのは不公平だということ。
なので、警戒区域内であっても比較的放射線量の低いであろう「避難指示解除準備区域」
から出る事業系廃棄物は、通常の廃棄物として事業者が自分で処理することにする。
つまり、放射能で汚染されている恐れのあるゴミの処理を民間の事業者、
つまり産廃業者に丸投げするということなのです!
では、その放射能で汚染された産廃=がれき=ゴミはどこに持っていくのか。
福島県以外にも可能だ。それは民間の産廃業者が決めるのだから。国の規制もない。
産廃業者にまる投げ状態では、不法投棄の問題も出てくる。』

避難区域の指定から解除されたからと言って、倒壊した家屋などは、当然
放射性物質に汚染され、それ自体が放射能を持つだろう!
それを事業者ゴミとして、普通に処理していいというのである!
無論県外に運び出してもいいということ。

更に許せないのは、これが「施行規則」の改正だということである。
つまり、規則なので国会の審議がいらないのだ。

でも、「環境省の役人が勝手に決めた」と批判されるのはまずいので、
一応「国民の意見を聞いて」とパブリックコメントをわずか1週間でやり、
アリバイ作りをしようとしている。〆切は4月9日だった!


放射性物質汚染対処特措法施行規則改正案に対する意見の募集(パブリックコメント)
http://www.env.go.jp/press_r/15080.html

この記事の中では、環境省(TEL:03-5521-9267)に問い合わせた
その返答も載っている。

環境省「処理主体を国から事業者に変える改正です」
環境省「責任は国ではなく事業者になります
G「そうなると国と違って反対しようがないですよね。あっち系の人が強行したら住民は反対なにも、泣き寝入りしかないですよね」
環境省「ですから、そうした意見も多いですが、暴力団対策を行っていく予定です」

わずか一週間!!!!!!!
わずか一週間の期間、こういった『意見募集』という名の巧妙な誤魔化しをやって、
しかもそれは、『施行規則の改正』なので国会審議もいらない!!!

わたしがこれを知ったのは4月半ば。とっくに4月9日という締め切り日は過ぎていた!
確か、朝日の新聞記事でほんのちらっと見たような気がしているのだが、
今、確認しようと検索して見たが見つからなかった…
つまり、マスコミもろくにこのことには気づいていないか、あるいは気づいていても
報道しないのか、とにかくこんな大事なことがひそかに行われていたのである!

結果が気になったので、先ほど上記の環境省の電話番号にかけて確かめてみた。
電話に出たのは受け付けの女性。問い合わせの内容を訊かれる。
こういうことだ、と説明すると、途端に警戒した声で、バブリックコメントを
受けたが、予定通り「もう施行されています」、と言う。
「避難区域から解除されても、家屋などは当然汚染されていますよね。その解体したものを
通常の解体事業者が処分して、、例えば県外に運び出してもいいということですか?」
と質問すると、「それは、安全性が確認されたという判断がされたわけですから、
そうなります」という返事だった…!!!!!!

安全性が確認され避難区域から解除された?そんなことを言ったって、
その安全、危険の線引きは、いったい何なのでしょう?

岩手、宮城の瓦礫の広域処理について、その放射性物質としての危険性について
今、国を2分するほどの議論があるんですよ。
それなのに、その陰で、当の福島の被災地から出る廃棄物については、
国会の議論を必要としない『ただの規則改正』だから、と言って、わずか一週間の
意見広告公開で決めてしまったんですよ!!!しかも、数日でもう施行!

『福島から出る瓦礫は当然福島で』処理する、と言っているのは大嘘じゃないですか!
また、『事業活動に伴い生ずる廃棄物を対策地域内廃棄物として国が処理した場合、
汚染廃棄物対策地域外の事業者との競争上の不公平が生ずることが考えられます。』つまり
通常、事業系ごみはゴミを出した事業者は、事業者自身が処理費用を負担します。
これを国がやるのは不公平だということ。
それを言う一方で、『事業者東電が出した、これほどひどい核のゴミは、事業者東電に
処理を任せるのではなく、国が国民の税金をふんだんに使って、処理してあげる』
というのですか?!!!!! おかしいじゃないですか!!!!!!
こんな大きな不公平をやっているじゃないですか!!!!!

http://search.e-gov.go.jp/servlet/Public?CLASSNAME=PCMMSTDETAIL&id=195120001&Mode=0

早速、千葉県の産廃業者は、事業のチャンスとばかり、受け入れを積極的に
進める算段のようです。君津市には水源があるというのに!
この問題には、『南亭雑記』のNANTEIさんが取り組んでおいでのことは
以前紹介しました。

家や公共建造物が取り壊され、それは公のチェックもなく、一般産廃業者が
『平等に♪公平に♪♪』処分する。コンクリートも、鉄骨も、アルミも、
プラスチックも、時には、家具や車や、衣類や家電や、食器や・・・・
そういった大きなものからこまごました物までが、そのままの形で、あるいは
再加工されて、わたしたちの日常の中に入り込んでくるということですよ!
放射線を浴びて雨ざらしになっていた鉄骨やアルミ、プラスチック製品などを
一度溶かし、再加工した、新品のフライパンや家具や、公園のベンチや
ブランコ。砂利や土はどうですか?

わたしたちは、そういう『微量の』、個々を取ってみれば『ただちに健康に害はない』
ものの数々に囲まれて暮らしていくことになります。
赤ちゃんや子供を、そういった環境の中で育てていくことになる!
放射能というのは何十年、何千年と、見えはしなくとも、姿は変えようとも
消えはしないのです。

そういった健康面だけではありません。
『原発を止めると、経済が経済が』、と、日本の経済のことばかり、政府や
推進派の権力者は言う。庶民も、そう思う……。
でも。いつか西日本の工場で生産された工業製品から、普通より高い放射線が検出
されるかもしれません。
日本の食の宝庫、北海道の野菜から、高いベクレルが検出されることになるかもしれません。
日本の大事な資源。海が汚染されて、海産物の多くから、高放射能が検出されるかも
知れません。

ニュースは一瞬にして世界を巡ります。

…中国産の自転車…「あ、やっぱりね!」と笑ってすますことが出来るでしょうか?
明日は日本産の工業製品かもしれないのです。
明後日は、日本産の農作物、海産物、その加工製品かもしれない。
いや、今だってすでに、海外では、日本産は厳しい検査の対象になり、
日本製品の安全性に対する、日本人の安全意識に対する世界的信用は、地に落ちかけていると
言っていいのではないでしょうか?
中国産食品、中国産自転車かごを、わたしたち日本人が笑うことが出来るでしょうか?
経済にとって打撃を与えるのは、原発事故ですか、それとも節電ですか?

…放射能汚染は、出来る限り、いや、絶対に、広げない方がいいのです。
たとえ一つ一つの事例は微量であろうと、低線量であろうと、累積させない方がいい!
低線量であろうと、浴びない方がいいのです。

放射性廃棄物だけではなく、また、岩手、宮城の瓦礫だけではなく、
わたしたちの日常から出てくる瓦礫についても、わたしたちはあまりにも通常無関心です。
首長が瓦礫受け入れを表明した自治体のみなさん。
こんな映像をご覧ください。
これは、東京都に続き、いち早く瓦礫受け入れを表明した島田市の
管理型最終処分場の雨の日の映像だそうです。
これは2月の映像だそうですので、島田市が瓦礫受け入れ表明したそのことと
直接関係はありません。放射性物質測定の数値など出ていますが、これも
受け入れ表明前のことですので、直接の参考にはならないでしょう。

しかし、『管理型』最終処分場という、なんだか名前はいかにも立派そうなものが、
実はこのようにとても管理がずさんなものであるということの一つの例には
なるだろうと思います。

http://youtu.be/RFezsYgYdk0

わたしは、瓦礫は拡散してはならないと思っています。
苛酷なことを言うようだけれど、福島のゴミは福島で処分する。
除染除染といっても、それはただ単に移染でしかなく、一度除染したところも
また放射線量が高くなるところもある。
そこへとにかく住民を急いで戻らせようとしているようにしか思えない政府と自治体。
線量が下がったと言ったって、その数字が信用できないから困るのです。
例えば食品にしたって、100ベクレルは危険だけれど、99ベクレルなら大丈夫と
言われて誰が信用できるでしょう。
わたしは、福島第一原発の周辺の地域は、国が早くこれを買い上げ、そこに、
今回の事故による核廃棄物の処理場を作り、国と東電が責任を持って管理していくしか
ないだろうと思っています。
父祖伝来の土地に住み続けたい…そう思うお年寄りの気持ちは充分理解できるけれども、
国が中途半端な姿勢でいては、いつまでもいたずらに帰還の希望を持たせ、
その間も子供や若い人の被曝は進んでいく…彼らには長い未来があるのです!

福島から出た瓦礫は、小出裕章さんが言うように、いずれ第一第二原発を
廃炉、解体するために、コンクリート、砂利、鉄骨など大量の建材が必要になる。
それにあてよ。…それがいいのだろうと思っています。それしかないでしょう。
国がこっそり責任放棄して、民間解体、産廃業者に任せるなどもってのほかです!

岩手宮城の瓦礫は、一部どうしても焼却せねばならないのなら、国が責任を持って
さっさと最新型の、放射性物質やダイオキシンなどを外の環境に出さない
焼却炉を今よりもっとたくさん早急に作って、しかもそこで同時に発電もすると言うような
よりいい方法を取る。
でも、出来るなら燃やさない方がいい。
わたしは、宮脇昭先生の提言するように、瓦礫を使って、防潮堤を建設し、
そこに、その土地の樹木を混植、密植して、容易には崩れない堤防の森をつくる…
それがベストだろうと思っています。

大量の瓦礫は圧縮されて腐敗し、腐敗ガスを出す、それが火災を起こす…
それは確かに問題ですが、日本の技術と知恵を持ってすれば、それは解決できない
ことなんかじゃあるまいと思います。
それから、瓦礫を、汚染されていない、西日本にまで大金をかけてばらまくのは
反対だけれど、被災地内で移動させるのは構わないのではないかと思う。
現に、福島県南相馬市の櫻井市長は、防波堤を作るために瓦礫が足りない。
岩手宮城の瓦礫が欲しい、と言っていたのです。
しかし、国と県はなぜか、考慮することもなくいきなりこれを断りました!
http://youtu.be/H_oqbXS8CFE

その一方で、福島の廃棄物の一部を、厳重な放射線量管理もなく、
国が責任放棄して民間の解体・産廃業者に扱いを許す!

こんな姑息なことを陰でやる政府ですよ!
岩手・宮城の瓦礫の広域処理の議論は、福島のゴミを県外に持ち出して
減らすための隠れ蓑だったのでは?と勘繰りたくなります。
そして、『施行規則の改正』だけで、いとも簡単に福島のゴミを県外に
ばらまける前例と実績がこれで出来てしまうことになります。
これから、福島原発内のものを、そういう手法でこっそりと処分していくのではないか…!
もし、誰かにこの一連の誤魔化しについて追及されても、
『私どもは、ちゃんと正式に国民の皆様に意見募集を行いまして、国民の皆さまの
了解を得ております』と言い抜けするのではないでしょうか。
そうして、さらに…
わたしが一番恐れるのは、こうやって徐々に徐々に、政府の巧妙な汚染ばらまきを
何の批判精神もなく、ただ『絆』などという情緒的ことばに流されて受け入れていって、
国民に
「もういいよ!どうせ日本中もう薄く広く汚染受け入れちゃったんだから、
原発でも、中間貯蔵施設でも核燃料再処理施設でも、焼却炉でもなんでも、作っていいよ!
お金がたくさん下りるんだし…!」
といった、捨て鉢なあきらめが蔓延してしまうことなのです。

この、パブリックコメントなどというごまかしをして、福島の大なり小なり
汚染されているだろう廃棄物を、無責任なものもいるかもしれない民間業者に任す!
こんなことが、なぜもっと報道されないのでしょうか!
ジャーナリストは何をしているのでしょうか!


……
ああ、嘆きたいことばかりです!

でも、こちらにおいでくださる『杜の舟』ブログのmorinofuneさんが、先日こんなコメントを書いてくださいました。

風の丘の杜はいつの間にか12年目を迎え
幾多の動植物が棲みつく豊かな杜に成長しました。
山中に移り住み、切り開いた土地にもう数千本を超える樹を植えたでしょうか。
たったの十数年で、それもほぼ一人の力でも広大な雑木の杜が出来るのです。
瓦礫を粉砕し木質、無機質なものと土壌を混合させてやれば
腐敗ガスなどが大量に発生することはありません。
工房から出る木屑や鋸屑などを土手に廃棄しているうちに
カブトムシの幼虫が大量に発生し、それを猪が掘りあげて食べています。
踏み荒らされていくうちに土と混ざり、今では椎や樫、紅葉、楠、タブ、椿
キイチゴ、タラの木、烏山椒、櫨、もう限りなく多様な木々が芽吹き
こんもりとした小林を形成し始めています。
この国土の再生は最初の一歩を踏み出せるかどうかに掛かっていますね。


あまりにもひどい、そしてお粗末な政府とこの国の現状…
それに疲れたかたは、一度、杜の舟さんを覗いてご覧になられてください。

たった一人の力で…数千本の樹を…
『椎や樫、紅葉、楠、タブ、椿、キイチゴ、タラの木、烏山椒、櫨、
もう限りなく多様な木々が芽吹き』そこに、多くの生きものたちが集う豊かな森…、
四季の花がいつでも咲き乱れています。
椿だけでいったい何種類あり、それぞれの美を歌っていることでしょう!
これだけの森をたった一人が。十数年で成し遂げられるのです。

宮城、岩手、福島…
多くの人が波にさらわれてしまった、あの悲劇の地・・・
人々の想いを、生活の記憶を今もとどめる瓦礫…
その想いの籠る瓦礫を使って、そこに、このような美しい防潮堤である美しい森が、
海岸沿いに延々と出来たなら、どんなにいいでしょう!
そこに多くの動植物たちが生き、人々が散策したり出来る美しい森…
そして、その内陸部の高台に人々が住み、海岸近くの低地は、自然エネルギー開発の
一大拠点として、世界にその技術を誇る、自然エネルギー『ムラ』を
作っていけないものでしょうか!

巨額の大金を使って瓦礫を汚れていない日本の各地にまでばらまいて、一部業者を喜ばせ
日本中の国民に薄く被曝を広げること。
そこにどんな希望があるというのでしょうか!





















『桜逍遥』

今さら桜?という気もしますが、それは関東以南での話。
これから桜が咲き始める、というところもありますね。

我が家は東京の西郊にありますが、山に近いせいか、都心の、上野の桜などよりは
毎年、一週間から10日は遅く盛りを迎えます。
染井吉野の頃の、家の近くの川は、こんな感じです。
およそ1.5キロくらいは、このような桜並木が川の両岸に続きます。


2011_0413_173953-CIMG7043 (640x480)




2011_0413_170455-CIMG6974.jpg





2011_0413_170937-CIMG6980.jpg





2011_0413_170955-CIMG6982.jpg





枝垂れ桜の大木もあります。


2011_0413_171622-CIMG6999.jpg




2011_0413_170027-CIMG6970.jpg





2011_0413_171240-CIMG6987.jpg




枝垂れ桜と染井吉野の競演。


2011_0413_171327-CIMG6989.jpg




2011_0413_171532-CIMG6997.jpg






2011_0413_172304-CIMG7013.jpg



さすがに今は、染井吉野と山桜はもう葉桜になって、
今は、八重桜が綺麗です。
染井吉野の半数くらいはあって、桜の季節を長く楽しませてくれます。
日付設定が狂っていますが、この写真は皆、今年の桜です。


ね。いいところに住んでいるでしょう?^^



2011_0421_165711-CIMG7083.jpg





そして。
これが私の、もっとも愛する桜の樹。
オオシマザクラです。匂い大島。
染井吉野に10日ほど遅れて咲き、素晴らしい香りがあります。
少し離れた橋の上からさえ、その芳香を嗅ぐことが出来ます。
花は純白。染井吉野より少し大ぶりの花です。
下を流れる川面の上にまで、大きく枝をさしのばし、
幹は一かかえもある、それは見事な桜です。


私の最も愛する桜








久しぶりに。

2011_0421_165256-CIMG7080.jpg












『枝野氏 、頑張れ!』


2つ前の記事の追記。

15日の『原発が一瞬ゼロ』発言で、枝野氏が軽率だったと、謝罪している。
昨日の朝日新聞では、朝刊第5面に、5段にわたって、
『「一瞬ゼロ」発言に波紋 枝野氏に批判集中』というタイトルで、大きく扱われていた。
この発言は、政府が大飯はすぐに再稼働するという前提に立っている、と
誤解されかねない。軽率だ、と、政府内部や周辺自治体の関係者から
批判されているというのである。藤村官房長官も、16日、記者会見で、
「『一瞬』というと、その日にまた次が再稼働するのかと受け止められかねない』と
不快感を示したそうである。

おやおや。
なんだか、いやな予感がするな。
まさか、私の考えすぎかもしれないが、政権中枢にあって、ただ一人、厭原発の
気分を持っている枝野氏を、周辺の皆で追い落とそうとしているのじゃあるまいな。
あれほど不自然に激しい菅バッシング、のことを考えると、何が何でも本当は
原発推進したい現政権にあって、枝野氏だけがブレーキをかけている、それが邪魔だと
思われているとしたら、今後ますます枝野氏への周辺の締め付けは、厳しさを
増していくのではなかろうか。

今回の『原発が一瞬ゼロ』発言だって、それほど大した失言とは思わない。
だって、政府のやり口を見ていれば、大飯はどうしたって何がなんだって動かしたいのだろう、
政府としては、原子力ムラとしては、『日本に原発ゼロの日が来た!』という日は、
何が何でも作りたくないのである。
それが、地元の合意などがすぐには得られないために、5月5日、北海道電力
泊原発3号機が定期点検で止まれば、実に42年ぶりに、日本に『原発ゼロ』の
日、という実績ができてしまう!!!
本当のことじゃないか。そして、政府が大飯をいずれ近々再稼働するのであれば、
原発がゼロ、の日は本当に、『一瞬』である。本当のことじゃないか。
レトリックの問題なだけである。
最近、報道も、政権も野党も、政治家の細かい発言を大袈裟に取り立てて大騒ぎするが、
醜いことである。そんな細かい発言のニュアンスより、問題にすべきは、
安全性の保証も出来ぬのに、何が何でも再稼働しようとする、そのことである!

朝日新聞の細谷毅記者は、当該記事の中で、枝野氏に同情的である。
『ただ、枝野氏はもともと原発の再稼働には慎重だ。野田政権が再稼働に向けて
動いているため、4月以降は担当大臣として「慎重」と「積極」の間を揺れているのだ。
(中略)
なぜ揺れるのか。それは政権が短期的にはどれだけ原発が必要で、中長期的には
どう脱原発を進めるかという道筋を描いていないからだ。枝野氏に近い関係者は、
「彼個人は原発が嫌い。時折、再稼働に慎重な本音が漏れてしまうのだろう」という。
政権の芯のなさが枝野氏の揺れを生み、国民を惑わせてもいる』


私もこの感じ方に同じである。
お馬鹿なマスメディアや、それに簡単に乗せられた一部ネット利用者が、
菅バッシングに続いて、枝野バッシングを始めねばいいが。
政権中枢でただ一人、脱原発に目が向いている政治家を、寄ってたかってつぶす!、という
ことにならねばいいが。


枝野、頑張れ!






『枝野氏をそれでも信じたい』

枝野幸男氏がぶれにぶれている。
東電に対し、一貫して厳しい態度をとってきたように見える経産大臣、枝野幸男氏。
彼に対する評価は、twitterなどを見ても、このところ、激しく下降気味である。

枝野幸男経済産業相は4月13日の衆院経済産業委員会で、東京電力福島第1原発事故を
踏まえた国内原発の今後の在り方について「できるだけ早く原発依存から脱却して、
原発への依存をゼロにしたい」と述べた。個人的な意見と断って言及したが、
エネルギー政策を担う経産相の発言としては異例。自民党の菅原一秀氏の質問に答えた。
(共同通信、4月13日記事より)

この時は、私なども、ひそかに『枝野、やれやれ~!』と拍手したものである。
ところが、翌日14日には、なぜか「いまの需給状況では原発を再稼働する必要がある」と
正反対の立場に見えることを言いだした。
一週間のうちに、野田総理、枝野経産相、藤村官房長官、細野原発事故担当相は
大飯原発再稼働に向けて、ごり押しと思える強引なやり方で動き出した。
枝野氏は14日に、福井県知事、おおい町町長を訪れ、再稼働への理解を求めている。

いったい、なぜ急に枝野氏が、姿勢を変えてしまったのか!!??

私は、非常に情けなく思いながらも、おそらく彼が『原発ゼロ』と発言したことに対し、
相当な圧力が周囲からかかったんだろうな、と思った。
ここに来て、裏で糸を引いていたのが、仙石由人氏であることが報道されて来ている。
仙石由人氏は今、肩書としては、民主党政調会長代行であるに過ぎない。
それがなぜ、将来の原発稼働再稼働に大きな影響を与えかねない総理・関係閣僚4者協議に
影響力を行使する!!??
仙石氏は、東電・電力改革プロジェクトチームの会長でもあるらしいから
その資格で?
聞けば、オブザーバーの立場で、ということらしいのだが、オブザーバーに
そんな決定力影響力が与えられているのが変である。
仙石氏は、民主党では長老格の実力者。枝野氏はかつて、いわばその弟子のようなもので
あったらしい。枝野氏が菅内閣で、師匠格の仙石氏を差し置いて
官房長官に登用されたことで、一時関係が冷えたけれども、後に回復。
枝野氏の上に、暗然たる影響力を持つ人物がいるとすれば、この仙石氏だろうと
私は思っていたが、やはりそうだったか!……

さて。この記事のテーマの枝野氏であるが、彼に対する評価は、3.11後、
極端に2分されていると思う。
一つは、枝野氏が事故当時官房長官として、福島第一原発の状況について、
「ただちに健康への影響はない」と言い続けたこと、また、SPEEDIの存在を
隠匿して、住民に無用な被曝をさせたこと。この大きな二点で、枝野氏の罪は
非常に重いし許せない、とする立場。
これは、菅総理に対する批判と同じ性質のものを含んでいる。
後の一つは、私のように、枝野氏が経産相になってから一貫して東電に
容赦ない態度をとり続けていることで、彼に脱原発とまではいかずとも、厭原発の
気分を見てとり、応援して行こうか、とする立場である。

脱原発系のtwitterなどの意見を読んでみても、『枝野』と呼び捨てにして、
彼が事故後、官房長官として、いたずらに国民を安心させるような誤った情報を
発表し続けた事を厳しく批判する声が圧倒的に多いようである。

だが、私は少し違って、彼を心の内で応援していた。
まず最初の彼の印象は、これは気骨のある、腹の据わった男だな、という印象であった。
あの大震災と原発事故直後の大変な時期、菅総理もばたばたして、誰も彼もが
浮足立っているように思える中、彼が官房長官として、マスコミにきちんと答える形式をとってから、
政府や東電の動きがようやく一般国民にも見えるようになった、あの数日の印象である。
不眠不休と思えるほど頻繁にマスコミの質問に冷静に応え続けるその態度は、
海外からも高く評価された。私も、これはいずれ総理の器だな、と思ったものである。
『ただちに健康に影響はない』と彼が言い続けたことが、一番大きな批判と揶揄の対象に
なっているようだが、最も頼りにできるはずの斑目原子力安全委員会委員長が
あの情なさ。後に徐々にその実態が分かってきたが、官邸にほとんど
正確な情報が届かぬ有様のあの中で、官房長官が何を発表できただろう…

思い出して欲しいが、NHKを初めとして、あの当時、それぞれのメディアは、
それぞれに専門家と称する、やけに学歴肩書きの立派な原子力専門の科学者を
呼んで、意見を語らせていた。そのほとんどことごとくが、「ただちに健康にどうのという
ことではありません」と言っていたではないか!
政府が頼りにした専門家、という者も、おそらくあの程度の人物集団であっただろう。

SPEEDIの存在を隠匿して、住民にいたずらに被曝を増やしたこと。
これについては、私も、菅氏や枝野氏…当時の政府関係者を弁護する言葉を持たない。
この間の事情もだんだん明らかにされていっているが、SPEEDIの存在は、
官邸最上層部にはしばらく伝えられていなかったという!
混乱の中で、菅総理も「私には情報が上がってきていなかった」と語っているが、
それにしても、指揮系統のトップは、たとえ知らなかったことでも、責任は問われる。
また、本当に知らなかったのかどうかも、その前年大規模な訓練に菅首相は
参加していたはずだから、そこで聞かされていなかったのだろうか?

情報が上がってこない、専門家がまったく頼りにならない、という状況の中であっても、
当時の菅内閣の、大震災、福島原発事故に対する対応は、それでもやはり、
まずかった、としか、私も言いようがない。

…それでは、私が、去年から何度も菅総理を応援する記事を書き、
そして今、枝野氏を糾弾しきれないでむしろ応援しているのはなぜか、というと、
最初の対応は混乱の中でまずかったとしか言いようがないが、当時の政権党、民主党にあって、
後に脱原発の意志表示をした、数少ない政治家の中の二人であったからである。
要するに、あれほどの大事故がこの日本で起きてしまった中、
これが大変なことであって、もう二度とこういう事故を起こすのはいやだ!という
認識をしたように思える数少ない民主党議員のそのトップにいたのが
菅さんであったからである。

見よ。菅さんをマスコミもなにもが寄ってたかって馬鹿よばわりしひきずり下ろして
野田さんに首相が代わって、それで復興は進んでいるか?脱原発から自然エネルギーへの
移行への道筋は見えてきたか???

菅さんが、去年、与野党問わない反対勢力と世論の『辞めろ』コール一色の中で、
権力にしがみつく馬鹿総理、と悪しざまに言われながらも、
『民主党として脱原発依存を目指す』とせめてでも言っておいてくれ、
浜岡をなんだかんだ悪口を言われながらでも止めて置いてくれ、またこの七月から
再生可能エネルギーの固定価格買い取り制度が施行されるよう決めて置いてくれなかったら、
野田政権は、もっと早くに原発再稼働を決め、もしかすると建設中のものの許可も
下ろし、さらに電力自由化からは遠い日本になっていたかもしれない!

私が、大震災当初の不手際にもかかわらず、菅さんを応援し続けたのは、
彼が、苛酷原発事故というものは、二度と起こしたくないと、骨身にしみて
思った一番の政治家であったろうと思ったからである。あれだけの震災、事故が
ありながら、なお、脱原発に踏み切れない他の政治家の誰が彼にまさると当時言えただろう?!

では、枝野氏は?
私は、彼が、菅元総理退陣の後、政権中枢に残って原発推進にただ一人ブレーキをかけ続けた
政治家であったから、枝野氏を応援してきたのである。
馬淵澄夫氏、川内博史氏なども脱原発の立場をとっているが、残念ながら政権の中枢には
いない。

枝野氏に関して、その認識は買いかぶりだよ、甘いよ、という意見もネットの中では見られた。
枝野氏が、東電に厳しい言動を取っているのは、あれはポーズであって、彼は経産省の
官僚にとっくに抱き込まれている。次期総理に推す、という暗黙の了解で、
国民に目くらましをかけ、東電に厳しい人ということで人気を集めておく…
そういう目論見の下で、計算づくでやっているのだと……。

今回の彼のブレぶりを見ていると、「ああ!枝野、お前もか!」と
シーザーのように絶望の声を上げたくなってしまった私だった。
やはり、あれはポーズだったのかな……

しかしながら、まだ私は、彼が変節した、あるいは、最初から脱原発の意志など
なかった、とは思いたくないのである。

15日に彼は、「一直線に原発を減らしていく」と言っている。
5月6日には「日本で原発が一瞬ゼロになる」とも言った。
…これをまだ、ポーズと見るか、それとも本音とみるか…

無論枝野氏の本当に気持ちなどわからない。
ただ、枝野氏にはがっかりした!という意見が多い中、どこで誰だったか
出典がもうはっきりしないが、確か女性の識者の方で、枝野さんを変節、ブレていると
責めるのでなく、逆に今こそ応援しようではないか、という
呟きをちらっと見た。
私が考えているのがまさにそれである。ばりばりの原発推進信者に
国民が選挙で脅しをかけてもおそらく変わらない。
しかし、少しでも脱原発にこころが向いた人が、今周囲の圧力によって
その言を引っ込めざるを得なくなっているのであれば、
国民が彼を応援することによって、彼は確固とした脱原発政治家に
変わっていくのではなかろうか、と。
菅さんが、誰も自分を応援しない四面楚歌の中で、脱原発の意志を固めていったのと
経路は違うかもしれないが。

批判して政治家をこれじゃまずいな、と成長させるのも、
逆に応援して、国民の理想とする政治家に近づけていくのも、両方ありである。

可笑しいのは、あまりにも拙速な政府の大飯原発再稼働の動きに、
世論が激しく反発しているのを見て、かどうかはわからないけれど、
開き直ったかに見える、先日の『日本は集団自殺をするようなもの」という仙石発言。
もっと、うまい説明の仕方もあろうに。
これでは、それでなくても仙石批判が起こりつつある中で、なお煽ることに
なってしまう。やけっぱちになっての極論だとすれば、国民による、
大飯原発の拙速な再稼働と仙石氏への批判は、あるプレッシャーを与える効果があったことになる。
悪いことは悪い、と、やはり、言わなければならないのではないだろうか。
世論が背を向けた!と思えば、官僚は動かせないかもしれないが、政治家は
動かせるものだ。そう信じよう。


それにしても、この国の政治家はセンスが悪い!
菅さんがもし、3月11日直後に、今の菅さんであったなら、彼は歴史に残る
名総理と讃えられたかもしれないものを。
自民党谷垣総裁だって、菅総理が、昨年3月、閣内に入って復興に協力してくれ!と請うたとき、
電話で頼むなんてどうだのこうだのなどとケツの穴の小さいことを言わず、
自民党を説得して、政権政党の民主党、他の野党などと一致協力して、素早い復興と
原発対策のために全力を注ごうじゃないか!、というくらい度量の大きい政治家で
あったなら、今頃は、自民党も、次の政権党として盤石の人気を国民に得ていたかもしれない。

自民党石原幹事長は、6月7日『たけしのTVタックル』という番組で、自分は当初から
SPEEDIの存在を知っていたけど黙っていた、と発言。それはわたしも放送で聞いた。
知っていたのなら、なぜ、与野党の枠など越えて、菅政権に進言しなかったのか!
国民の安全を第一に考えて、強く進言しなかったのか!
テレビで、『自分は早くから知っていた』と、『知っていた』ということを
自慢げに言って、政治家としての粒の小ささを暴露してしまったそのセンスのなさと無責任!

枝野氏も、脱原発なら脱原発で、確固として方針を曲げなければ、国民はどれほど彼を頼もしく
思っていただろう。たとえ原発推進の考えの人にだって、『気骨ある政治家』という
印象を与えてい続けられたはずだ。
いずれは総理の器、と認められていたかもしれない。しかし、今度のブレまくりで、
彼は少なくとも5年分くらいの経歴と実績をふいにしてしまったのではなかろうか。
かなりの器、と私など期待していただけに、惜しいことである…

…それでも、今は、この政権に、彼しかいない。
彼しか、脱原発に少しでも近付こうとする人間は、政権中枢にいない。
だから、私はもう一度、彼を信じてみようかと思っている。
民主党、自民党、維新の会、…他の政党。
それから。これから少しずつ姿を見せてくるかもしれない、緑の党系列の
新しい党…。

それらを伸ばすのもつぶすのも、国民である。
個々の政治家の言動に目を向けていよう。
マスコミの、煽り報道にすぐに乗せられることはやめよう。
その政治家の、向けている視線の先を見てみることにしよう…。
なかなか、ひとの考えていることなど見えてきはしないものだが、

それでも、やはり…!!!。





『音楽の贈り物』


…やりきれない気分。
そんな時は、音楽でしょうか…

色っぽい歌詞なんですが、なんだかこんな歌が聴きたくて。








『キャンドル・ナイト』

静かに春の雨が降っています。
ようやく我が家のあたりでも満開に近くなった桜も、
今夜は雨に濡れそぼっていることでしょう。

4月11日。
今夜も、東日本大震災で亡くなられた方々や、大事な方を失ってしまわれた方の
無念を想って、静かに蝋燭を灯します。

葉っぱさん、れんげちゃんのバナー。

                         
心ひとつに キャンドルナイト



こちらは、NANTEIさんが、こころをこめてお作りになったバナー。
お借りします。

バナー南亭








2011_0411_211341-CIMG6957.jpg


『愛川欽也「パックインニュース」』

去年、大震災、福島第一原発事故の後、
私は、スカパー!e2でCS放送の『朝日ニュースター』という番組を良く見ていた。

これは朝日新聞社やテレビ朝日などが出資する株式会社衛星チャンネルが
運営していたニュース専門チャンネルであった。同社は、朝日新聞社の子会社であり、
テレビ朝日グループには属していなかった。
討論番組や時事解説番組が大部分を占め、どちらかというと、朝日新聞に近い左派・リベラル
論調の番組が多いものの、右派・保守論客や政権担当者も数多く出演しており、
全体としてはバランスが取れている。
また、マスコミ検証的な番組も多く、他のメディアでは見られない様な
(朝日新聞やテレビ朝日も含めた)メディア業界の自己批判(記者クラブ制度や
メディア業界の金権体質などへの批判)が積極的になされていることも特徴である。
さらにビデオジャーナリストによる取材の導入や記者会見の専門番組があることでも、
他の専門チャンネルとは一線を画していた。(Wikiによる)


ところが、このチャンネルが、まあ、経営上の問題からか、2012年4月1日から、
テレビ朝日が運営する民放直営(地上波と同一法人)のチャンネルになってしまったのである!
(チャンネル名称・ロゴマークは変更なし)
法人格としての衛星チャンネルは解散(テレビ朝日に法人を吸収合併)し、
従業員は全員退職した…。

いい番組がたくさんあった。
ここで私がとりあげようとしている、『愛川欽也パックインジャーナル』や、
『ニュース解説 眼』や『ニュースにだまされるな』『月刊国際観察』
『ニュースの深層』など、ほんとに、従来の地上波テレビや新聞などでは
触れられない本音トークが行われていたのである。
「ただちに健康被害はありません…」そのような嘘ばかりを流し続ける普通の
マスメディアの中にあって、私はこのチャンネルからどれほど多くの情報を得、
学んだかわからない。

とりわけ、愛川欽也さんが司会者になってやる『パックイン・ジャーナル』は、
その中でもほんとに歯に衣着せず、政治のおかしなところなどを告発し続けて
くれていた。

…それが、経営上の問題からか、チャンネルが身売り。いくつかの番組は残ったけれど、
この『パックイン・ジャーナル』を初め、私が見たかった番組に限ってなぜか
存続打ち切りになってしまった!!!
このチャンネルの独自性を愛するひとは多かったのにである。
4月から経営が変わって『朝日ニュースター』は名前はそのまま続いてはいるけれど、
色合いはまったく変わってしまった。
プロ野球の西武ライオンズの放送などを延々とやる。私は西武ライオンズは
広島カープと共に昔からファンではあるのだけれども、それとこれは話が別。
まったく平凡な局になり下がってしまいそうである。
…もうわたしは、『朝日ニュースター』を見るのはやめ、そのためにこそ、
月々3980円払っていたスカパーe2も解約しようかと思っている。
まったく頭にきたからである。
あんな良いニュース専門チャンネルが、ただの平凡で特徴のないチャンネルに勝手に
なってしまい、しかも、私がよく見ていた洋画配信チャンネルの一個も、
CSから無料のBSに移ってしまったし!

愛川欣也さんは、長い長いテレビ人生の最後の仕事として、この
『パックイン・ジャーナル』に相当入れこんでいたと思う。番組打ち切りにどれほど
がっかりしたことだろう!ほんとにほんとに熱く語っていたのに。
時には暴走しすぎると思えるほどに。

しかし、愛川さんはそのまま尻尾を巻いて引きさがりはしなかった!
自分のテレビを立ち上げてしまったのである。ネット上に!
彼は自分ではパソコンはやらない。それなのに、このまま引き下がれるか!という
一念だけで、採算など度外視してニュース配信、ニュース解説、政治討論の
番組をネット上に立ち上げたのである。

4月7日に最初の配信があった。
大体2時間の討論番組だが、見損ねた人のために再配信が毎日ある。

ただし有料。
でも有料と言っても、月額500円!
同じ500円で、私は、宮台真司さんなどの、videonews.com というのも見ているが、
ここも、原発事故後、たくさんの情報をくれた。

初回は、見ていて非常につらかった!
ここに一つの良心がいらっしゃる!…
…しかし、今の時代は、もうこういう本当のことを言う人を
葬ってしまおうとする時代なのかもしれない。
愛川欽也さんは78歳である!そんなふうには見えない、頭は非常に明晰、
熱い魂がほとばしり出ているが、それにしても、この年の人が義憤のあまり、
自分でネットテレビを立ち上げねばならないようなこの時代!……
この人を切って、野球放送をするか!!!
私は、なにに対し怒ればいいのかわからないけれど怒っている。

震災後、とりわけ原発事故の関連の報道は、従来のマスメディアというものが
いかに権力に取り込まれていてしまったか、を私たちに見せつけた。
その中にあって、大震災当初から、原発事故の真実に鋭い切り込みをかけ
情報を流してくれていたのは、上杉隆さんなどフリーのジャーナリストたちと、
雑誌、それからこういう、コマーシャリズムから比較的自由なテレビメディアであった。
しかし、これで大きく一つ、そういうチャンネルが無くなってしまったのである。

それでなくても、独自の報道姿勢が弱い日本のジャーナリズム。
ジャーナリズムこそが、国の政治の、社会の理不尽を糾す役割を本来
担っている筈であるのに!!!

ジャーナリズムを育てるのもだめにするのも、
政治家を育てるのもだめにするのも、
実は国民である。

みなさん。もしよければ、一カ月間でもかまわないです。
500円で、このkinikin.tv (http://kinkin.tv/
契約して、一度ご覧になられてみませんか?
深い警世の言葉に満ちた番組です。

初回トークのメンバーは、
司会:愛川欽也
今井一(ジャーナリスト、原発国民投票世話人)内田誠(ジャーナリスト)
早野透(ジャーナリスト、コラムニスト桜美林大学教授)、
マエキタミヤコ(コピーライター、クリエイティブ・ディレクター、環境保護運動家)、
横尾和博(文芸評論家、作家)の各氏。




   



『3・11から』 ④ [瓦礫処理 其の三 希望はあるか]

さて。ちょっと原発以外の、思い出の記事や署名集めの感想など書いて休んだので、
また瓦礫の問題に戻ります。

私の瓦礫広域処理に反対する一番の理由は、
なにより、瓦礫に含まれているかもしれない放射性物質を、日本のまだ汚染されて
いない地域にまでバラまいちゃいけない!というのがなによりの理由です。

しかし、それならば、関東はどうか。
私の住む東京、それから千葉、茨城の一部などでは、福島第一原発からの距離が
岩手、宮城などとさほど変わらず、実は場所によってはこちらの方が汚染されている
地域もあるのです。それならば、瓦礫の放射性を理由に瓦礫受け入れ拒否するのは、
おかしいではないか、ということになります。
私自身は、東京都は瓦礫受け入れをしたっていいんじゃないか、と実は思う。
ただ、そうやって一か所を認めると、原発の再稼働を一か所認めるのと同じで、
次から次になし崩しに認めることになっていきそうだからです。
既成事実を自分たちで作りあげ、勝手にことを進めていく政府のやり方を
どうしても信じることが出来ないのです。
東京、神奈川などの自分のところから出たごみの焼却灰からだって高い
セシウムの値が検出されている。瓦礫を受け入れて焼却すれば、さらに空気や土壌を
汚染していくことにもなります。やはりそれは子どもたちのためにも避けたい。

ところが、こういうふうに、瓦礫の広域処理を反対する時、そこには、
福島、岩手、宮城の人はじゃあ、どうなるんだ!という視線がやはり抜けています。
瓦礫の問題で困っている当の人々を放っておいて、広域処理の賛成反対を
語っているのは、どう考えてもおかしい。
なにか、なにかいい方法はないのだろうか。いい知恵はないのだろうか。
ずうっとそのことを無い知恵を絞って考えようとし、またいろいろなものを読んだりして、
この瓦礫の問題に画期的な知恵とか、アイディアは、ないのだろうか、と
探していました。この広い空の下、優秀な、独創的なアイディアを持つ者が
いないはずがないのだが…と。
だけど、自分を無論含め、なかなか、これは!と思う提案はないです+…
どなたか、どこかで、良い提言している人なりグループなりをご存じでしょうか…
今は、日本という国自体が思考停止に陥って、誰も、そういう画期的な方策を
思いつかないのでしょうか……

そんな中で、私が、これだ!と思ったアイディアがあります。

水口健司さんという方の3月11日のtwitter。https://twitter.com/#!/KenjiMizuchi
瓦礫の広域処理に対するすばらしい対案「宮脇昭の提案」

生態学者である宮脇昭さんは、もう有名な方です。ご存じの方も多いでしょう。
杉や松、檜のように、人間が木材とするために人工的に植樹した、単一樹木の
森は地盤がもろい。その土地その土地に本来生えていた樹木を混植しかも密植させて
出来た森は林は強い、という信念と実験データによって、日本だけでなく世界各地の
砂漠化防止や熱帯雨林再生などの緑化運動に貢献してこられたすごい方です。

その宮脇さんが東北大震災の被災した海岸に、松などの単一樹木の防潮林でなく
この地に本来生えていたシラカシ、ウラジロカシ、タブノキ、椎などに、アオキ、ツバキ
などさまざまな樹木を密生して混植するプロジェクトを提案していらっしゃる。
実際、1993年、多賀城市のイオン多賀城店で『イオンふるさとの森つくり』に
宮脇さんがタッチし、1300人の人々と共に13800本の苗を植えた。
そのわずか1メートルほどの森が、他の大きな建物などが流されてしまった中でも
しっかり残っているのです。
そのノウハウを生かして、東北被災地の沿岸にこのような森を作ろうという
提言なのです。名付けて『命を守る300キロの森づくり』。

宮脇さんは、そこで瓦礫を使って、長い長い堤防を作ることを提案します。
今回の震災津波で出た瓦礫を積みあげて、いわば万里の長城のような高台を作ります。
そこに、今言ったように、この土地本来の樹木を他の灌木などと
植えこんでいく。
樹木の生育には、根っ子が空気を必要とするが、瓦礫は空気の層をたくさん作る。
樹木は空気を吸って、水を求めてぐんぐん伸びていく。その時に瓦礫を包むように
抱き込む。これを大小さまざまな種類の樹木がやってくれれば、少々の地震でも
崩れないしっかりした地盤を作りあげてくれる。

…もし、今回のような大津波が襲って、堤防の一部が崩れ樹木が流されたとしても、
多くの樹木は残るだろう。
今回の津波で、単一樹木の松林は、ことごとく流されてしまいましたね。
そして流れた背の高い大きな松の木が、住宅などをなぎ倒していってしまった。
雑木の林ならば、あの松のような風にはならない。
津波というものは引き波の時に人をさらっていってしまう。
今回の例が示すように、浜辺には、木が残っていなかった。
だから、人もそのままさらわれていってしまった。そこに、わずかでも樹木が
残っていれば、それに引っかかって一人でも二人でも、もしかしたら
命を救えるかもしれないじゃないか…

波にさらわれていった多くの人々の無念を思い、声をふり絞るようにして語る
先生の言葉は、尋常でない説得力があります。

実際に映像を見ていただいた方が早いですね。是非是非、ご覧ください。






これだ!!!
私は思いました。
無論、瓦礫はある程度、放射線のことや、アスベストなど有害物質の
ことを考え、仕分けはしなければならないでしょう。
それは大きな仕事になり、地元に雇用を生みだします。
深い穴を掘って仕分けした瓦礫と土を混ぜて埋め込みます。そうやって長く高い堤防を
被災地の海岸線沿いに作る。そこに人海戦術でさっきいったような樹木を植えこんでいく…
これも大きな大きな雇用を生みだします。
瓦礫をわざわざ高い費用をかけて、日本の遠隔地にまで運ぶことはありません。
お金は地元に落ちます。そういう仕組みにしなければなりません。
このプロジェクトを、国を挙げて徹底して行う。
すると、次のような複層的効果があるというのです。

①津波の進入を防ぐ。
②何層にも生えた樹木の破砕効果で津波の進入を遅らせる。
③引き波に人がさらわれるのを少しでも食い止める。
④雇用が生まれる。
⑤緑の樹木で地球温暖化を防ぐ。
⑥そこには多くの生きものが住み、生物多様性を守ることにもなる。
⑦これからも世界で起こる津波の対策のモデルを示す。


どうでしょうか!
宮脇先生のこの活動に、細川元総理が大変興味を示し、3月20日、宮脇先生と細川氏は
野田総理に会って、この案を説明しました。野田総理も大変興味を示したというのです。
まあ、消費税のことばかりで頭がいっぱいの野田総理が、この案の素晴らしさを
どこまで認識したかこころもとないけれども。
さらに、細野環境相は3月20日、瓦礫をがれきを防災林の土台に活用する方針を明らかに
したそうです。場所は仙台平野の沿岸部の数十キロ。
これも、宮脇先生などの提言を受けてかどうかわからず、瓦礫処理に切羽詰まって
打ち出した方針かどうかわからない。
しかし、先生の提案の方向性と同じ。

…しかし、政府はその後、この案は積みあげた瓦礫から生じる腐敗ガスのことも考えねば
ならないからとあまり乗り気でないという記事もどこかで見ました!
しかし、今だってどうにもならず、もう一年も積みあげてそのままにしてあるものを!
今のように、ただ積みあげておけば、腐敗ガスが発生しないとでも言うのでしょうか。
同じことでしょう!
宮脇先生は、特に木質系の瓦礫はやがて分解して樹木の肥料になる、と言っています。
野田内閣はなんだかだと理屈をつけて、動きたくないだけなのではないでしょうか。
一部地域で実験的にやってみればいいじゃないか。そこで、腐敗ガスの問題が本当に起これば、
また方法を考えればいい。そのくらいの知恵とノウハウは日本にはあるでしょう?
ガス抜きをするルートを最初から作っておくとか、専門家なら、いい知恵が必ず
あるはずです。


こんな知らせもあります。
私のブログに貼り付けてありますが、菅元総理が3月1日からご自身のオフィシャルブログを
立ち上げている。

http://ameblo.jp/n-kan-blog/

菅総理の功罪については、さまざまな考えがあろうかと思います。
私も、いつか書く書くと約束して、まだ、自分の考えのまとめを書いていないけれど、
一口で言えば、地震直後から5月ごろまでの菅総理は、まだ、総理としての
メンツとかが第一に来、それゆえに判断ミスをすることもあったと思います。
しかし、浜岡原発を止めた前後、あの、野党だけでなく自分の与党内部からさえ、
菅バッシングが始まり、マスコミなどがこぞって失礼ないい方だが
『馬鹿総理』というような扱いをするようになったあたりから、素の自分、
かつて市民運動に携わっていた頃の若い自分の気分というものを
取り戻して行ったのではないか、とわたしは見ています。

今、菅さんは本気で原子力発電から、自然エネルギーの転換へ、積極的に発言、
活動していこうとしているらしく、わたしにはおもえます。
彼が昨年、最もバッシングのひどかった6月7月8月、国民に味方になって
もらおうとしたか、孫さんなどとの討論会をネットで発信したり、
新聞のインタビューに盛んに答えたりしていた。
そのとき彼が一番いい笑顔を見せたのは、植物の持つ力について語っている時でした。
何億年も前の古生代の植物たちが、石炭や石油を残してくれた。
それを現代人は、わずかこの300~400年ほどで使い尽くしてしまおうとしている。
森を守らなければならない。森林の保全に本気で取り組まなければならない。
森を守るということは、海を守るということ、水を守るということである。
森林を保全するには間伐など人の手が必要である。
そうして、そこで出た間伐材などは、バイオマス燃料として無駄にしないよう
利用させてもらう。
また、震災の瓦礫のうち、木質系のものはこれは資源である。
放射性物質の除去ということに考慮しながら、これを焼却する設備を急いで作る。
そしてそこで出てくる焼却熱も、小規模発電に利用する…
大きなエネルギーだけを考えるのでなく、小水力発電等も含め、
小規模の発電というものを、地産地消でもっと考えていくべきである……

…このひとを、どうして、あれほど全マスコミを挙げて、バッシングしただろうか!
少なくとも、今の野田総理よりははるかによかったのではないか!

また、こういう動きもあります。
宗教学者の中沢新一さんらが、日本版『緑の党』のようなものを立ち上げた。
私は、このひとの『日本の大転換』という本を読んで、早く早く、この緑の党の
ようなものが実現しないかと待ち望んでいました。
脱原発を選択したドイツにあって日本にないもの。
(『緑の党』という名称の党が、昨年別に発足しているが)

これは、『最後の水たまり』
ブログのfukashiさんから、お借りした情報です。
毎日新聞の記事ですが、直接瓦礫処理とすぐに直結しているわけではないので、
これは次の記事に回すことにしましょう。
この以上3つのどれもに共通しているのが、『森』というキーワードでした。

この記事のタイトルに『希望はあるか』と入れたけれど、しかし、
あの、被災地に山のように積まれた瓦礫。それを再利用し、あるいは処分する
決定打、というものはまだ誰も打ち出していません。
政府はわずか20%のものを、無理やり広域処理してそれで仕事が済むと
思っているのでしょうか。
宮城や岩手の海岸沿いに住む住人がテレビで言っていました。
宮城でも、今仙台市の中心街では、復興需要にお金も人もどんどん集まって、いわば
復興バブルが起こりつつある。ところが、周辺部、とりわけ海沿いの地域は
人が去り、仕事はなく、商店を開いても客がくる見込みもない。
あれほどひどかった町は、でも一応瓦礫がいく箇所かに集められて片付いた。
しかし、それらをいったい誰が片付けたのか、実体が見えない。
地元に金は落ちていない……

大手のゼネコンなどに瓦礫の処理など、これから復興に向けていくらでも
出てくる大仕事を寡占させてはいけないのです。除染作業もそうです。

私などは、遠くに住む素人の一主婦に過ぎません。
でも、この国が今、地震津波の被災地の復興に向けてしていること、
それから、地震、津波、原発事故、風評被害、さらにはそれらすべてが原因の
精神的苦悩…この4重苦、5重苦に耐えている福島の人々に向けてしていること…

それらはどう見ても、なにか上滑りの、その場しのぎの、先に展望もなにもない
行き当たりばったりの施策にしか見えません。
現地の人々の実態や感情は置き去りに、従来の土建国家的体質を丸出しにして、
ただお金を無駄にばらまいて構造物関係から手をつけるあのやり方…
結局、儲けたりいい目を見るのは、大手ゼネコンや、それらと癒着した役人たちばかり、
という、あのやり方から、一歩も発想が進んでいない気がしてならないのです。

希望はどこにあるのでしょうか。どこかにあるでしょうか。
誰か、どなたか、教えてください。



関西電力大飯原発の再稼働に、厳しい態度を示していた枝野さん。
彼もとうとう、電力会社と官僚と、与党内の原発推進派に取りこまれたのでしょうか。
野田政権は、何が何でも大飯原発再稼働に持ち込みたいようです。
枝野さん、もう少し、気骨があると思っていただけに、私がっかりしています。

…それでも、考え続けねば。
被災地の方のことを思えば、考え続けるくらい何ほどのこともありません。
もっと明るい記事になるはずだったのに、今日の私は悲観的です。
でも、明日はまた。




『U先生のこと』 ③

そうして……

U先生と私との関係というものは、関係などと呼べるものでもないままに、
時が過ぎて行ってしまった。
あの、鬼気迫る迫力の、しかも余裕と気品ある授業ぶりでいらしたU先生の課題に、
つまらないことを書いた、若き日の愚かな私。
遠くから見ていただけではあったと言え、折角、『これが学問というものか!』という
大きな薫陶を頂戴したにもかかわらず、学校をでたのちは、学問というものには
縁なき人間となってしまった…

それでも、先生が、その身に纏っていらっしゃった、いい意味での『象牙の塔』の住人の、
高級な煙草とブランデーと、古い書物の香りの混ざりあったような雰囲気は、
私の心の片隅に消えがたく残って、その後の私の趣味というか、
ある意味、生き方に、実際は大きな影響を与えたのではなかったかと思う。

たった一度の授業の記憶だけで、そんなにひとが人から影響を受けるか、
と問われるだろうか。
『はい!』と答えるしかない。
U先生の漂わせていた学問の香りと、その姿。
それから、『池面に石を投げて波紋が広がっていく』
…ただそんなふうな内容だったというくらいしか覚えていない短いテキストから、
古今の古典や、心理学や、象徴学や、…といった
めくるめくような学問の世界への扉を開いて見せてくれたあの授業!

…若い心にどれほどそれが眩しかったことか!

自分はなしえなかったけれど、学問の世界への淡い憧れ、というものは、
その後も私の中に消えずに残って、それは私が子供を育てるときにも
なにがしかの影響をきっと及ぼしている。

一言で言えば、『世界は多様で、驚きに満ちているものだよ』ということだろうか。

先生が、その身で私に教えてくれたことは、そういうことだった。
私が、自分の子供にも、そしてささやかながら塾で教えた子供たちにも
どうしても伝えたかったのは、そのことであったような気がする。

一つのものごと…ただの池の面の波紋…そこからだって、めくるめくような
学問の世界、人間の歴史、自然界の不思議、…そんなありとあらゆる
知らない世界が垣間見えるのである。
学者にならずとも、書物からだって、会う人、見ているものからだって
すべての物事から、そういう世界を探り当てていくことは出来る…
その喜びを知っていれば、多少の悲しみには耐えていけるのではなかろうか…。




ときは過ぎ……
冒頭に書いたように、つい、一カ月ほど前。
かつての私の生徒で、今、1児の母でありながら、もう一度学び直したいとして
大学の通信教育を受けているそのR子がメールに書き送ってきた言葉。
『スクーリングの時に会った先生が、全身から漂わせている気配が
よかった』
…その言葉を聞いたとき、ふと若き日の自分とU先生のことを
ぱあっと思いだしたのである。

大学ではU先生の傍に行ったことさえない。
話したのは、あの電話口で、だけである。
無論先生は、私のことなどまったくご存じでいらっしゃらない。
突然夜、基礎的な馬鹿な質問をしてきて、レポートにも失礼なことを
書いてきた、愚かな一女子大生。すぐに忘れておしまいになったであろう。

私の側からしても、実は先生のことはほとんど知らないと言ってよかった。
それほど憧れていながら、そのご専門とその後の私の生き方は関係がなかったので、
著作もまったく読んでいない。
ただ、東大の英文科の先生で、雑誌『ユリイカ』などに盛んに書いていらっしゃる、
というくらいしか知らなかった。

U先生って、本当はいったいどんな方だったんだろう……

その日。夜の無聊に、私はふと、U先生の名をパソコンで検索してみたのである!
先生の経歴をWikipediaでまず、検索してみた。
画像もあった!私が習った42歳の時の先生より、だいぶ若い先生が、こちらを
優しく見ていらした。
おお、先生!お久しぶりございます。そうそう。このお顔でいらっした。
私の記憶の中にある通りのお顔だった。
ああ、やはり東大の教授でいらしたんだな。
ああ!先生はもう、お亡くなりになっていらした! 1990年8月9日。
なんと61歳の若さで。1990年というと、私が43歳、娘が17歳の時か…

やっぱり!先生は『夢の浮橋』の舞台でもあった京都のお生まれか!
道理で、なんとなしの物腰の柔らかさがあった…
先生の父君は、哲学者。母方の祖父は東京高等師範学校教授で、U先生の父君の師で
あったという。そうか。やっぱり教育者の家庭にお育ちになられたんだ!
父君はU先生が生まれたとき、ドイツに留学中でいらしたという。

人間には、一代ででは出来ない顔、というような顔というものがあるものだ。
何代も続く清らかな系譜の水に洗われたような顔。(それはなにも旧家名家、という
ことを意味しない。何代も続く職人さんの家庭にそういう顔を見ることが多い。)
先生はそういうお顔をしていらした。

東京に転居されて東京高等師範学校付属小学校から、…そうか、学習院大学から
慶応大学の大学院にいらしたんだ!そして、…東大教養学部英語科の助教授に招聘されたんだ。
そうか、その時から東大の先生になられたんだな…。
教養学部英語科主任をなさっていらした…。

検索した文は続く。
…しかし。
『任務の重さによるストレスや東大英文出身でないことによる孤立感に悩み、
やがて酒乱(アルコール依存症)に陥り、晩年(1985年)には四方田に対し
暴力沙汰を起こすなど奇行が目立った。
東大退官後は、東洋英和女学院大学教授となったが、約一年半後に死去。』(Wikipedia )

ああ!ああ!……

先生がそんな晩年を送られるとは!
なんということだろう!!!

先生の東大での愛弟子の一人に四方田犬彦氏(名前だけは私も知っていた)がいて、
『先生とわたし』という本を出しているらしい。
…私は早速その本を手に入れた。


四方田氏は先生の直弟子である。それももっとも可愛がられていた弟子のひとりであった。
そこには、腰掛的アルバイトで教えに来られていた女子大の、
しかもろくに授業にでもしなかった一女子学生であった私の知らない、
私などには知り得ない先生の素顔が描き出されていた。
先生は、ご自分が東大英文科出身ではないことを気にかけていらした。
先生はたくさんの本をお書きになった。
その豊かな、類稀れな学識で多くの書物をものされた…。
『フランス文学の渋澤龍彦、ドイツ文学の種村季弘、そして、英文学のU』
と3人並び称される所以である。
しかし、英文学の学界においては、どちらかと言えば、不遇でいらした。
そうして、東大教養部英語科主任という重責と。
それが徐々に先生をアルコール依存に、追いつめていったろうか… 

衝撃的な本である。
とりわけ、この本を書いた四方田氏との疎遠のいきさつのくだりなどは。
そして、直弟子、愛弟子の一人から、このような赤裸々な思い出の本を書かれようとは。
私は本を読み終わって、しばらく茫然としていた。

……だが不思議に、そこに書かれた人生は、とても先生に合っているという気もした。
あの美しいひとが、好々爺になって円満な晩年を過ごす、というのも逆に
想像できないような気もするのである。
書斎に足の踏み場もないほど積みあげられた書物と、煙草の紫煙と香りの中で、
徐々に狂っていっていて欲しい、そんな気のする美しいひとであったのである。

四方田氏はこの本を書いたことで、先生を思慕する他の門下生から
責められたりもしたようだ。
う~む。
私も、この本については、いいとか悪いとかのコメントを避けよう。
それは、あまりにも痛ましい、師と弟子の訣別の物語である。
それはまた、あまりにも美しい、師への思慕の書でもある。

そこには私が知りたかった、若き日のU先生の、東大での生き生きした授業風景も
描いてあった。先生は、教養学部の教養科目としての英語を教えていらしたのだが、
生徒たちに、めくるめくような学問の世界を、そこでは惜しげなく開いて見せて
いらしたようである。
まだ学会で誰も言及していない、誰も見つけてさえいないような、最先端の
文学哲学…ありとあらゆるる系譜の学問の最先端を、生徒に見せて、
生徒にレポートを書かせ、懇切丁寧に批評してやる…

こんなことを私が書くより、四方田犬彦著『先生とわたし』から引用した方が
先生の本当の姿が見えるであろう。一部引用させていただく。
お名前は、本では実名で書いてあるのだが、ここでは今はU先生と書かせていただく。

『わたしの手元にある講義ノートで確認してみると、4月20日にゼミの説明会が
図書館4階にある402番教室で行われている。だがこの時は志願者があまりに多く、
狭い教室から廊下へと人が溢れかえってしまうことになった。少し遅れてゼミの
主催者であるU助教授が現れた。長い髪をオールバックにし、広い額と優しげな
眼差しをした人物で、パイプを銜え、ベージュ色の背広を着ていた。その一挙一動の
優雅さに、先ほどまで雑談をしていた学生たちはたちまち静かになった。(略)
U.Kは押しかけた受講志願者の群れにも眉一つ動かすことなく、今回のゼミは
アーキタイプ、つまり文学における原型的想像力について行うからと、もの静かに宣言した。
(略)
 一週間後、図書館の大ホールを用いて選抜試験が行なわれた。会場に行ったわたしは、
雰囲気の異様さに驚いた。定員の十倍近い、百人ほどの学生がすでに席に就いていた。
そして、ホールの壁を震わすかのように、ワグナーの『ワルキューレ』が鳴り響いて
いたのである。(略)
問題用紙には赤塚不二夫の漫画がコピーされていて、この漫画のどこがどう面白いかを
分析せよとだけ、簡潔に書かれていた。

 Uゼミの真骨頂は、90分の公式的なゼミが終わり、U.Kが個人研究室に
引き上げてから、本格的に開始された。アルバイトやデートの約束がなくて、もっと
ぼくと話したい人は、紅茶を出すからいらっしゃいと、彼は私たちを招いた。
そこでわたしたちは、通称イケチンと呼ばれた、旧制第一高等学校以来の木造二階建ての
研究棟へと移動して行った。U.Kは学生たちのために紅茶を入れ、自分の分には
たっぷりとオールドパアを入れると、尋ねてくるのだった。
ところで最近の収穫は何かね?何か新しい発見があったかね?
 研究室に招かれた全員がその1週間のうちに読んだ書物や観たフィルム、足を向けた
展覧会について報告めいたことを言うと、U.Kはたちどころにそれに注釈を与え、
そこから始まって即興的な、第二の講義が開始されるのだった。ブレイクから
エリアス・カネッティへ、ネオプラトニズムからクセナキスへ、またドゥシャン・
マカヴィエフから吉田喜重へと、話題は自在に飛躍した。きみ、それについては
あれを読みたまえ。(略)……』  
 


おお!ここに、私の知りたくて知りえなかった
U先生が生きて動いて語っていらっしゃるではないか!
先生の指導ぶりが眼前に見えるようだ!
ああ!私が知りえなかったU先生!
その声が、その微笑が!その指導が!講評が!

先生の本業ではない女子大学の、名もなき一女子学生に過ぎなかった私…
たった一度、夜の公衆電話から、お話させていただいただけの私…

でも、こんな記述があった。

U先生が亡くなられたことを知って四方田氏が吉祥寺の先生の家を
訪れた時の記述。

『吉祥寺は、夏の盛りにあった。油蝉の鳴き声がいたるところで聞こえている。
(略)U家は森閑としていた。ヴェネツィア風の洒落た柱を立てたベランダが見えてきた
時、(略)
応接間は80年代初頭に訪問したときと、ほとんど印象が変わっていなかった。
世界中で作られた、夥しい数の木菟の人形や縫い包みがソファや床の間に陳列され、
(略)
家の外に出ると、わたしは振り返って、生い茂る樹木に囲まれた二階のベランダを
眺めてみた。何本もの柱が高雅に並んでいる。懐かしさと喪失感が入り混じった、
複雑な気持ちがした。(略)……』



ここに描かれているのは先生の晩年の住まいの様子である。
私が習っていた1971年には先生は、この家ではなく、同じ沿線の別の街に
お住まいでいらしたらしい。その家の様子は無論分らない。
だが、ああ! 24歳の私。大学院生の夫と、夫の弟(福島から林檎や桃を送ってくれる
あの義弟である)である大学生と、3人で住んでいた練馬区のアパート。
下は中華料理屋で、大家が口うるさかった!
そのアパートのちょうど道路向かいに、小さな煙草屋があって、そこに公衆電話が
置いてあった。
夜8時ごろ。十円玉をたくさん用意して、先生のところに電話をかけたんだっけ……

この、吉祥寺の家とは無論外観も違っていただろうけれど、きっと先生は、
その頃もすでにたくさんあったに違いない木菟の応接間で、もしかしたら、
私の電話をお取りになったかもしれないな……。
なにか私には、その夜の、公衆電話から緊張して先生のご自宅に電話かけた
自分の姿が見え、また、おそらく書斎から電話の音を聞きつけて歩いていらっしゃる
先生の足音までが蘇ってくるような気がしたのであった。



U先生…。由良君美先生。(ゆらきみよし、と読む。)

由良なら、Yの字を使うべきですかね。でも、U先生と呼びたかった。
由良先生。あなたは私などご存じない。
でも、四方田犬彦氏など、直弟子の人々に鮮烈な面影を残していかれたように、
たった一度きりの授業でも、あなたは、私の心に忘れ難い大切な何かを
伝え残してくださいました。
折角先生がレポートのテーマとして選んでくださった倉橋由美子。
『糞面白くもない』だったかな、『胸糞悪い』だったかな、そんな汚い言葉を
使って感想書いて申しわけありません!(笑)
倉橋由美子さんと言えば、日本の文学史に女流作家として確固とした地位を
お築きになりました。
でも、折角のお引き合わせだったのに、私はその後も、彼女の作品を敬遠して
読んでみようとは思いませんでした。
倉橋由美子さんも、もう、2005年にたくさんの名作を残して、お亡くなりになりました。

その倉橋由美子さんの作品の一つが文庫化された時、先生、なんと私の娘が、
先生が顔さえご存じでおいででなかった一生徒である私の娘が、そのカバー絵を
担当したんですよ!

先生が私の心に播いた、学問への憧れ、という一粒の種。
『世界は多様で、驚きに満ちているものだよ』という、そんな心で
私はこの子を育て、生徒たちにも接してきたつもりです。
その生徒の一言で、先生のことをふと思い出し、先生のことを調べてみて、
『先生とわたし』という本にもめぐり会いました。
そして、なんと迂闊なことに、娘がカバー絵を描いた倉橋由美子さんの作品。
その倉橋さんこそが、先生があの時課題として出された、そして私が若気の至りで
糞味噌に書いた、当の作家であったということを、私、今更ながらに気づいたのです!

なんと迂闊な!
しかし、なんと面白い人生の偶然でしょうか!

世界は本当に驚きと喜びと、そして哀感に満ちている…

64歳になった私はしみじみとそう思います……


29歳の由良君美先生

スキャン0001




『U先生のこと』 ②

さて。
当時の記憶を探ってみるのだが、なぜ私がU先生の授業を一回しか
受けた記憶がないのか、どうしてもわからない。
おそらく、初めの方は、私がさぼっていたのであろう。
そして、もしかすると、あとの方は先生ご自身の都合により、休講、というようなことも
あったかもしれない。
私が、もう少し真面目な生徒であって、先生たちに自分の方から教えを請いに行く、
といったタイプの人間であったなら、先生にもう少し近づいていたかもしれない。
だが私は、今でもそうだが、そういうことがどうも苦手である。
授業の前後などに、あるいは研究室に先生に質問に行くなどということは
U先生に対してだけでなく、他の先生にも考えてみもしなかった。

だから、私は、本来東大の先生である(あった、かな)という噂のU先生の、
いわばその他大勢の中の一人の女子学生に過ぎず、無論向こうは私の顔など
ご存じでらっしゃらない。一度も直接面と向かって話したこともない…。

それでは、『思い出』にもならないだろうと思われるかもしれないが、
もう少し、実はあった……。



それは、その、学期末のU先生の
「倉橋由美子『夢の浮橋』におけるセルフ・アイデンティティについて述べよ」
という課題に関してである。
私はもともと、こういう課題に一所懸命になるたちである。
英文科の勉強でも、ただテキストを読んで訳して、学年末、それの訳の復習の
テストをする、というような授業は熱心でなかったので、一向に英語力は
つかなかった劣等生であったが、何かについて調べて自分の考えを述べるとか
そういう課題には燃える方であった。そういう科目では割合高評価をいただいた方である。
まして、一回の授業で、その学問的な雰囲気にすっかり魅了されてしまった
U先生のレポートである。いいものが書きたかった。
あの、白皙の額、あの豊かな髪のあの先生に、うんうんとうなずいて欲しいと
いう願いをひそかに持ったのである。

ところが、私が授業に出ていなかったせいなのか、
それとも先生は、そんな言葉はあらためて教えずとも学生ならみんな当然、
知っているはずだと思いになったか、『セルフ・アイデンティティ』という
肝心の言葉の意味が、私にはわからなかったのである。
辞書を引くと『同一であること。身元、正体』などとある。
今でこそ、IDカード(Identity Card)などという言葉が
日常に使われ、セルフ・アイデンティティという概念も、
だいぶ一般的に知られるようになって来ていると思うが、40年以上前、
それはまだ、日本にそうは馴染みのなかった概念だったのではないだろうか。
エリク・エリクソンが、何年にこの概念を初めて世に問うて、それが
いつ一番最初に日本に紹介されたのか、私は知らない。でも、U先生は、かなり早い時期に
この概念を知り、私たちの課題として、とりあげて紹介してご覧になったのではなかったろうか。

今ならば、Wikipediaなどを使って、門外漢でもいろんな分野の語句や事項の、
簡単な輪郭は検索してあっという間に手に入れることが出来る。
しかし、40数年前の当時はそんな便利なものはなく、図書館で調べるしかなかった。
けれども図書館にある本は概して古く、ましてそういった新しい概念についての記述が
そうやすやすと見つかるものでもなかった。
今、Wikiで検索してみたら(笑)、セルフ・アイデンティティに関する本で、
モラトリアムという言葉を紹介して有名になった小此木啓吾さん等の訳した
『自我同一性 - アイデンティティとライフ・サイクル』(小此木啓吾・
小川捷之・岩田寿美子 邦訳 、誠信書房。)というのが,1973年に出ている。
U先生が私たちの大学での課題としてお出しになった1971年の時点では、
まだそれほど広く知られている概念ではなかったはずだ。
私はそのとき、図書館に行って調べたけれど、その言葉の意味はついにわからなかった。

おそらく、先生は授業中にひととおりは説明なさって、それでその課題を出されたはずだ。
しかし私は、授業に出ていない。誰かに教えてもらおうにも、私はその授業を
仲のいいグループから離れて一人で履修していたので知っている人は誰もいない。

そもそも、倉橋由美子の『夢の浮橋』という小説自体が、今調べてみると、
1971年出版。ああ!やっぱり!出たばかりである。
無論、その評価なども確定しておらず、書評なども手に入らない。
自分で考えるしかなかった。

…レポート提出期限は近づいてくる。良いレポートは書きたい!
困った私は、或る晩、先生に直接電話でお伺いしてみようと思った。
なぜ、電話などでなく研究室を訊ねなかったか、今となってはわからない。
そもそもが、いわば腰掛け的に私の大学で教えられていたのだろうから、
研究室があったかどうかさえ分からない。
でも、ある夜、私は、その当時住んでいたアパートの道路向かいにあった
煙草屋の公衆電話から、先生のお宅に電話をかけたのである。
時代の感じがわかります。煙草屋の公衆電話…!
電話番号をどうやって知ったか、それも今となっては思い出せない……
あまり個人情報がどうのこうのとうるさくはなかった、のんびりとした時代。
便覧にでも載っていたかな。

夜の8時頃であったか…寒い季節だった…
十円玉をたくさん用意して入れておく…。
ダイアルを回すと、しばらく向こうのベルがなる間合いがあった後、
先生が直接電話口に出られた。
私は少ししどろもどろしながら、自分が先生の授業をとっている…という者であること。
レポートを書こうとしているが、肝心の『セルフ・アイデンティティ』という
語句の概念がわからないので書けずにいると、正直に話した。

U先生は、電話の向こうで、一瞬絶句なさった。授業で聞いていないのか?
とお思いになったのか?
けれども、すぐに苦笑なさっているように、笑いをふくんだやわらかい声音で、
セルフ・アイデンティティについて、簡潔に説明してくださった。
私は突然自宅にまで電話した失礼を詫び、何度もお礼を言って受話器を置いた。
先生は、あきれながらもお怒りになどならず、ただ面白がっておいでのような
感じだった。
『間抜けな生徒がいるもんだ。どんな子だろうか』とでもお思いになったのかもしれない。

さて。私は何度も『夢の浮橋』を読みこみ、一所懸命関連しそうな文献を調べて
レポートを書いた。
倉橋由美子『夢の浮橋』とはどんな小説だったか。
もううろ覚えであるが、舞台は主に京都。主人公の女子大生は良家の令嬢である。
彼女には恋人がいるのであるが、二人の間はまだ口づけ程度である。
二人は実は兄と妹なのである!それは、彼女の母と彼の父が昔恋人同士であって、
主人公は実はその二人の間に生まれた娘。そして恋人は、彼女の
異母兄妹ということになるのである。彼女は無論そのことは知らない。
しかも、彼女らの両親たち二組は京都嵯峨野の奥深い宿で、夫婦交換をしていた…
…筋立ては最後まで書かないが、まあ、言ってしまえばハイソな人々の恋愛模様というか…
夫婦交換という禁忌。さらには、兄妹である二人が、一度は別れてそれぞれ別な
人と結ばれるが…おっと!これ以上書かないんだった!
まあ、美しい京都の風景の中で、犯してはいけない禁忌にどうしても魅かれゆく人々…
美と死のイメージとが交錯する、恋愛小説…とでもいいましょうか。
とにかく主人公の若い二人と、その両親たちの住む上流階級の世界。
それと、当時、真っ盛りであった学生運動の世界が、醜悪な世界として
対照的に時代背景を表すものとして使われている。

さてそんな中身のこの小説と『セルフ・アイデンティティ』というものを
24歳であった私がどういうふうに料理してレポートにまとめたか、今はもう覚えていない。
ただ、一所懸命考えて書いたなかなかの力作ではあったと思っている。
無論タイトルからして、源氏物語には当然触れ、フランスの貴族社会のサロンというもの
に言及したりして、我ながら、よくできた!という実感を持っていた。

ところが。である。レポートの仕上がりには自分で満足したが、
この小説自体はとても気にくわなかった。
私は、自分では活動に加わっていなかったけれど、大学の解体や安保改定反対、
ベトナム戦争反対、成田空港建設反対などを叫んで若い命の火花を
散らしていた同世代の学生たちに、心の奥底で熱い共感を抱いていた。
そんな私だったから、この小説の登場人物たちの住むような、この世と隔絶したような
上流階級の恋愛模様などに感情移入出来るわけがない。
学生運動している若者たちを、ものすごく汚く粗野な者たちとして書いてあったのである。
そこのところに凄く引っかかってしまった……。

レポートはレポートとして、一所懸命書いたが、読後感としては後味が悪いものがあり、
若かった私は、レポートの最後に、なんと!

『…それにしても、個人的感想を言わせてもらえば、なんとも胸糞の悪い小説である。』

という一行をつけ加えたのである…!
なんかもっと女子学生らしからぬ悪態を書いたような気もするが…(笑)
でも一方、礼儀正しくレポートの裏に、先日夜、電話した者である、ということも書き、
お礼とお詫びも書いた気がする。


U先生がさて。私のレポートをご覧になって、どういう反応をなさったか。
それはわからない。この小説を課題として選ばれたのだから、あの気品ある
佇まいの先生は、おそらく上流階級に属されるかたであって、この小説を
『好し』と思われていらしただろう。
それにそんな下品なコメントを入れる女子大生がいるとは!と不快に思われたかな。
いやいや。きっと先生は、最後の一行をお読みになって、爆笑なさったのではあるまいか。
レポート自体は大真面目にいろいろせいいっぱいの分析を書いていたから
その落差に一瞬びっくりなさり、そのあと爆笑されたのでは。

先生は、私のそんなレポートにどんな成績をつけてくださったか?
私の大学ではAからFまでの評価。E、Fは単位がもらえない。
Aには、さらにその上にAプラスというのがあったんじゃなかったっけ…
どんな成績をつけてくださったと、みなさん、お思いになられますか?




実は、卒業式の日、成績表を事務所に取りに行かねばならなかったのに、
女子大学というものに未練のなかった私は、4年次の成績表を受け取りに行かなかったのである!

他の科目の成績は別にいいが、U先生が、あれにどういう成績をつけてくださったかなあ…

…それだけは知りたかったかな、と、今も思う私である。


『U先生のこと』 ③に続く

 




プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
03 | 2012/04 | 05
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 - - - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード