『原子力規制委員会人事に抗議する』

オリンピックの日本人選手の活躍を見守って、国民が一喜一憂する中、
その陰で、大変なことが国によって決められようとしています。

『原子力規制委員会』という新組織が立ち上げられようとしているのをご存じで
いらっしゃると思います。
これは、今回の福島原発事故に際し、内閣府の原子力安全委員会や、経産省の
原子力安全・保安院がまったく役に立たなかった。
その原因が文科省も含めた縦割り行政や、一つの行政組織が原子力利用の推進と規制の
両方の機能を担うことによって、正しく機能しなかったことにあったことを反省し、
まったく中立公正な立場で独立して職権を行使する組織を早急に作りあげることが
必要になってきたため設けられる委員会です。      
環境省の外局に置かれ、原子力に関連する様々な規制や安全をこれから一手に
引き受ける独立性の強い委員会です。
委員会は5人の委員によって構成され、内一名が委員長に任命される。
この委員は、国会事故調の報告にもあった通り、いわゆる原子力産業と原子力を規制する側とが
ある意味癒着した関係にあって、正しい指導、規制が出来なかったことを反省して、
人格高潔な、原子力利用における安全の確保について専門的知識及び経験を持った者が
推薦され、衆参両議院の同意を得て、内閣総理大臣が任命することになっています。
委員長の任免は、天皇が認証することにもなっている。

天皇が認証する!ということは、どれほどこの役職が国にとって重要な任務であるかを
示すものではないでしょうか。
人格高潔、ということは、つまり、原子力に関する様々なことを決定して行くに際し、
いわゆる原子力ムラから金品を受け取ったり、利益や便宜供与をされることなど
過去になく、またこれからもあり得ない、公正なひと、という意味でしょう。
また、もし、今回の福島原発事故のような過酷事故が起きた際には、その収束の責任を
ここが負う立場になります。ということは、原発に関し深い実務知識も持っている人でないと困る。
また、原子力というものは一国だけの問題ではない。国際的な視野に立って、指導規制が
出来る人物でなければなりません。

菅総理が、あの慌ただしい事故対応の真っただ中の東電に、直接乗り込み、
現場を混乱させた(私はあれは当然の行為だと思っています。それほど状況は
差し迫っていた!)、という反省点に立ち、今度の原子力規制委員会には基本的に、
総理大臣も口出しできないほどの権限が与えられています。
委員長の任期は5年。一度任命されてしまえば、その人物に問題があっても、
総理大臣でさえ、これを罷免することは出来ません。

なぜ、それほどの権限が与えられるか、というと、なにものにも冒されないで、
公正かつ中立な判断をしていってもらうためです。

今、日本で動いている原発は、大飯、3、4号機の2機だけで、これはみなさんご存じのように、
野田政権が、国会事故調の報告書が上がるのも待たず、国民の大きな反対の声も無視して、
強引に再稼動を許してしまったものです。
日本のその他の号機は、今定期点検やストレステストを実施しつつ、この新しい
原子力規制委員会の発足を待っている状態です。この委員会によって、
新たな原子力安全基準の策定が行われ、ストレステストの評価も実際上なされることになるからです。

つまり、日本の原発をどうしていくか、ということが、この委員会のメンバーによって
方向づけられると言っていいくらい、重要な役割を担うことになっているのです。

今月26日、その人事案が発表されました。
委員長候補として名前が挙げられているのは、田中俊一という人物。
私は、原子力規制委員会設立の話を聞いたときから、この人選がどうなるか、5分の4くらいの
あきらめと、5分の1くらいの希望を抱いて、注意して見つめてきました。
あきらめがほとんど、というのは、どうせこの野田政権がろくな人物を選ぶわけないということが一つ。
また、実際、上に書いたような、原発に関する深い実務的な知見と十分な経験を持ち、
国際感覚も持った公正かつ清廉な人物など、原子力産業界にいるのだろうか、という
不安が大きくあったことが第二点。
いや、原子力業界にも、小出裕章さんや後藤政志さんのような反原発の立場を明確に
していらっしゃる方はたくさんいる。でも、おそらく彼らを政府が選ぶことはないだろうと
言うこと。
5分の一の希望、というのは、もしかして、一人くらい、しっかり強固な、反原発の
委員を探しだすのではないか、と、おひとよしなことに淡い期待を抱いていたのです。

その期待は見事に打ち砕かれました。
委員長候補の田中俊一氏がどういう人物か、皆さんご存じでいらっしゃいましたか?
私は、最初、ピンときませんでした。
でも、福島原発事故後、原子力ムラがこぞって自己保身のだんまりを決め込む中、
一部の原子力ムラの科学者たちなどが、記者会見を開き、事故に至るには自分たち
関係者の責任がある、と反省の辞を述べたことがあった。その時の一員だったと知りました。
さらに、飯館村で試験的に一戸の家で除染実験を行った。そのとき、ひとりの科学者が
除染作業を指揮し、率先して自らも体を動かしていた。その時の人物が
田中俊一氏だったと聞いて、「ああ、あの人物か!」と思いました。

なんだか良さそうな人じゃありませんか。科学者の良心の塊のように見える。

しかし、しかしです。
この方は、実は原子力ムラの中枢に今もいる人物なのです。
1945年。福島生まれ。専門は放射線物理。原発の構造を知りつくした人ではありません。
科学者というよりは原子力に関する組織をうまく渡り歩いてきた政治やです。
元原子力委員会委員長代理(常勤)。
元日本原子力研究開発機構特別顧問。
NPO法人放射線安全フォーラム副理事長(福島の除染)

このひとがどんな人か、金子勝さんのtwitterに『田中俊一ってどんな人?』
というのがあるので、そのまとめを見てください。
http://togetter.com/li/346704
すこし例を引きましょう。


『福島県で山下俊一、高村昇氏らと、100ミリシーベルト以下なら健康被害がない、
問題は不安から来る精神的ストレスだと主張していた』

『田中俊一氏は、地元自治体や母親の学校除染の要請で環境省が除染目標を
年1ミリとしたとき、これに反対し5ミリまで切り下げを主張した。
一貫して、東電の費用削減を住民、子供の健康より優先してきた原子力官僚』

『飯館村長泥地区はバリケード封鎖され、立ち入り禁止にされた。 その長泥地区で、
田中俊一氏が事故後に区長宅におしかけ、異常な線量にもかかわらず避難もすすめず
「除染実験」を試みた。 』

『田中氏は日本原子力研究所出身、もんじゅの原子力研究開発機構顧問で
原子力委員会委員長代理で原子力村そのもの』

『田中俊一氏は、当初の徐染目標だけでなく、食品の安全基準を500ベクレルから
100ベクレルに、水の安全基準を100ベクレルから10ベクレルに引き下げるのも
「風評被害」を広げると反対していました。一貫しているのは東電・政府費用の削減だけ』           


どうですか。読売新聞はこのひとを選んだことを大歓迎。早く両院協議にかけて
人選を決定するように焚きつけています。
あと数日で、この人選が決定してしまいそうなのです。
そうすれば、9月にはこの原子力規制委員会が発足し、このひとのもとで、原発の今後の
重要決定がなされていくのです!!!

他のメンバーはどうでしょうか。
5人の委員のうち、3人が、明らかに原発推進派そのものの人々です。

更田豊志 :現・日本原子力研究開発機構安全教育センター副センター長。
      平成17年12月の『やらせ・玄海原発プルサーマル公開討論会』でオブザーバー。
      平成15年から昨年までほぼ毎年、日本原子力発電から講義の報酬を受け取る。

中村佳代子:日本アイソトープ協会医療連携室長。
      一般人の年間1ミリを20ミリに決めた放射線審議会委員の一人。

詳しくはこちらを。ここにはいろいろな関連映像もあります。

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1456.html


こんな人選で原子力規制委員会が作られては大変です。
しかも、政権がたとえ代わって、脱原発の首相が誕生したとしても、
首相にさえ口出しを許さず、首相でさえ罷免出来ない、そんな強力な権限を
この人々、とりわけ田中俊一委員長は持ってしまうのです。
彼は日本原子力研究開発機構の出。もんじゅも当然推進したがるでしょう。
『除染』というまやかしのもと、福島の人々は被曝を強いられ続けることになるでしょう。
『風評被害を無くす』、という美辞麗句のもとに、食品の放射性物質の基準は
緩められ、日本全国民が内部被ばくに曝されていくことになるでしょう。
各地の原発の、稼働のハードルは下げられ、建設中のものは建設再開し、
国が掲げた『脱原発』は事実上、撤回され、『推進』に切り替わるでしょう。

・・・そうしたら、そうしたら、もう、デモや署名活動などやってももう無駄です・・・
誰も。・・・一国の総理でさえ、彼を彼らを止められないのです!!!


止めましょう! 衆参両院で決定されてしまう前に止めましょう!
あと余裕は、1,2日しかありません。
twitterで facebookで、『原子力規制委員会人事に抗議!』の声を上げましょう。
オンライン署名も出来ます。
いろいろな団体が手分けしてやっていますが、とりあえず急ぎで一つご紹介します。
国際環境NGO FoE Japan
https://fs222.formasp.jp/k282/form2/

ここで、紙版の署名用紙も手に入れられますので、お知り合いの方にも是非!
締め切りは8月2日です!

パブリックコメントも、ぜひぜひ、ご家族様、お知り合いの方にお声かけていただき、
一通でも多く、『0シナリオ』、と明記してお送りください。
お願い申し上げます。




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『7.29 国会大包囲』

大包囲国会

今日も行ってきま~す!



『エネルギー・環境会議意見聴取会』

今、国が全国11か所で行っている革新的エネルギー・環境戦略についての意見聴取会。
8月12日までのパブリックコメントと8月4、5の両日に行われる「討論型世論調査」。
これらの国民参加の議論を経たのち、8月中に、政府は日本の将来のエネルギー・環境の
大きな方向を定める革新的エネルギー・環境戦略を決定し、
政府として責任ある選択を行うのだそうである。

国民の意見を直接こういう様々な形で聞く…一見良さそうな試みである。
しかしながら、ここには大きな大きな落とし穴と欺瞞がある。

まず。一番問題なのは、この議論が、2030年度に原発をどうするか、という前提で
すべての設定が組まれており、今すぐ全原発を停止して、速やかに自然エネルギーへの
移行を図る、という選択肢が最初からおそらく意図的に排除されてしまっていることである。

第二に、大飯原発再稼働の手続きと同じく、この国民の将来を決定するような大事なことを
決めるのに、あまりにも急ぎすぎているということである。
福島第一原発は、プールが倒壊すれば日本の半分以上がもしかすると失われ、
世界に災禍を広くもたらすかもしれない4号機を含め、収束に向けた見通しは
まったくたっていない。住民は先の生活の見通しも立たない中、日々目に見えない
放射線に怯えつつ今日も福島で暮らしている。急ぐべきは4号機を初めとする
第一原発の現状把握と収束作業と、住民の安全確保と生活再建であって、
原子炉崩壊の状況もその原因もまだ見ることさえできない状態の中、他の原発の
稼働の予定など、語ることが許されていいものだろうか?
しかも、その議論というのが、3つの選択肢を決めるのには確かに一年という時間をかけたようだが、
国民参加の議論を謳うその肝心の国民への周知活動は、広報から、結論を引き出すまでに
わずかに期間正味1か月と少ししかない。
その上、その広報というのが、例えば私なども、パブコメのことは、河野太郎さんの
ツイッタ―でようやく7月6日になってから知ったのである。パブコメ受付が始まった7月2日の
4日後である。河野太郎さんのツイッタ―の文言に『ひっそりと始まりました』
とある通り、よほど政治に興味がある人でない限り、政府の広報におそらく掲載されていたのであろう
パブコメの開始に気づいた人は少なかったのではないだろうか。
原発のことに関心があって、しかもネットの使える環境にある人でないと見落とすに
違いない、『広』報とも言えない通知のしかたである。
確かに、7月8日の朝日新聞朝刊には、第7面に4段抜きで、今回の議論のことが出てはいた。
ただしパブコメについての記載はなし。新聞を精読せず、ネット環境にもない人は
今回のことはずいぶん後になるまで知らなかったのではないだろうか。
『国民的議論』と言うならば、すくなくとも主要新聞の第一面、そして主要テレビの
夕方7時のニュースくらいは使って、広くあまねく知らせる努力を国の責任で
行っておくべきではなかったろうか。
また、その議論の期間も、実質一カ月強ではあまりにも拙速。こんな大事なことには
充分に時間をかけ、周知広報活動にも時間をたっぷりかけて、一年くらいの議論は
必要なのではないだろうか。

第三に、その内容である。
まず、意見聴取会も、全国たった11か所、というのは少なすぎ、しかも時間が2時間あまり、
質疑応答もなしと言うのでは、あまりにも貧弱。
メインの企画であるらしい『討論型世論調査』にしても、たった300人が
一泊2日の議論。
私が一番不満に思うのは、政府が国民に提示する情報の不十分さである。
欧米では、3番目の『討論型世論調査』というものは、割合海外ではよく行われているらしい。
ただ、その準備段階として、中立的な委員会が資料をチェックし、人選も(電話ではなく)
訪問して決められるなど、準備期間として数カ月かけて
いるらしい。
先日、NHKの『激論 日本のエネルギー』というのを見ていたが、そこで誰だったかが
言っていた。ドイツの知人に「日本でこういう国民的議論を一カ月かけてやるんだ」
と話したら、大笑いされたと。「ぼくたちは10年20年かけて真剣に議論してきた」と。

さて。その政府によって示された資料。それは十分なものだろうか。
まず、上に書いたように、海外でのそれのように、公正な中立的な委員会によって
チェックを受けたものであろうか。すべての選択肢について、国民が判断するのに
欠かせない正しい情報が充分に提示されているだろうか?
大体、即時全炉を廃止、という選択肢がないこと自体がもう十分に恣意的に政府に都合の
いいように設定されてはいないか。2030年と言えば、18年後である!
地震活動の活発化しているこの日本に、18年という余裕はあるのだろうか?
また、公平を期すれば、2030年に25%以上、という選択肢もあってもいいはずである。
つまり、日本は脱原発などしない!という選択肢も。一応は。
選択肢が3つということは、人間の自然な感情の動きとして、とりわけ日本人のように
自分で判断責任を負うことを回避したがり中庸を選びがちの国民に提示するには
真ん中が政府の求める正解だよ、ということが最初から意図的に仕掛けられているようなものである。

中身を精査してみよう。
資料は以下でご覧になれる。

『エネルギー・環境に関する選択肢[概要]』

さて、肝心の0%、15%、20~25%シナリオの3つの選択肢の、説明文であるけれど、
ここに巧妙な世論誘導の意図を感じるてしまう。
9ページのゼロシナリオにはこう書いてある。
『省エネ性能が劣る製品の販売制限・禁止を含む厳しい規制を広範な分野に課し、
経済的負担が重くなってでも
、相当高水準の再生可能エネルギー・省エネ、
ガスシフトを実施する。』


11ページの20~25%シナリオにはこう書いてある。
『原子力及び原子力行政に対する国民の強固な信認が前提となる』

さて。10ページ。選択肢真ん中の15%シナリオはどう表現してあるか。
『原子力に、再生可能エネルギー、化石燃料を組み合わせて活用するので、エネルギー情勢や
地球環境をめぐる国際情勢、技術革新の変化などさまざまな環境の変化に対し
柔軟に対応


なんだかここを読んだだけで、素人は、ああ、じゃあ、真ん中の
15%が一番いいんじゃない?と文句なしに思わないだろうか?
確かに、原発0%にするには、再生エネルギーの急速な拡大が必要だし、
強力な省エネも必要になってくるだろう。そして火力に一番大きく頼るからには
供給の不安定や価格高騰など、電気料金も含め、国民の我慢は一番大きく求められるのは
確かだ。しかし、どのケースでも、実はこれは同じことなのではないだろうか。
20~25%シナリオだって、石炭石油に頼らざるを得ない部分はあるわけだし、
省エネはしなければならない。ことさらに0%の場合だけが苛酷な国民の我慢を強いる、
というような誤解を生む記述はフェアではないのではなかろうか。

実際、マスコミなどはこれも意図あってのことかどうかはここでは敢えて問わないが、
0%シナリオの苛酷さだけを記事のヘッドラインにして、マイナスイメージを強調する。

一例が、0%シナリオだと、太陽光パネルは、『耐震性が弱い等により現在設置不可能な
住戸までも改修
して導入して、1200万戸』設置を目標、と書いてある。
また、『経済的負担が重くなってでも導入を促進』と。

ここだけ読んだら、『0%シナリオは大変だ!』と思ってしまわないだろうか?
15%、20~25%にはそんな苦労は国民に強いないのだろうか?
なにもきついことは一切書いていない。
でも、実際の数値目標を見てみると、この2つのシナリオの場合だって、
太陽光発電は1000万戸につけるのが条件なのである!!!
ただ1200万戸と1000万戸の違い…。それなのに0%の場合とのこの説明の差は何???

1000万戸に太陽光パネルをつける、という、野田政権が今回15%、20~25%シナリオで
提示したこの数値目標。1年前の5月26日、菅前総理がパリにおける経済協力開発機構(OECD)
で講演し、『1000万戸に太陽光パネルを』と言った時、野党のみならず、与党民主党までが
彼の言を荒唐無稽なものとして馬鹿にしたことは、皆忘れてしまったのだろうか?
それを今回、高々と目標として掲げている…
マスコミはこぞって菅前総理を、笑い者にし、その名を言うだけで失笑し、結局
彼を総理の座から引きずり下ろしたい原子力ムラのお先棒担ぎをしたことを
よもや忘れたとは言って欲しくない。
わたしは怒りを持って告発する!
原発事故直後の対応に不満がなくはないが、あの過酷な事故の悲惨を、与野党全国会議員の中で
もっとも生身で痛感し、脱原発にいち早く切り替えようとした人を、去年彼らは笑い者にし、
総理の座から無理やり引きずり下ろしたのではなかったろうか?!
そのあとに総理になった野田氏の悪政を見よ!彼のしようとしていることはおそらく
国民にとって50年100年の禍根となるかも知れない政策である。

菅総理を引きずり下ろしたことによって、少なくとも原子力・エネルギー政策のことに関して、
確実にわたしたちは、1年、という貴重な時間を失ってしまったのではないだろうか?

さらに、野田総理のやり口は、国民から民主主義への正当な希望をも奪ってしまった!
正当な手段を経て提出された750万もの原発停止を願う署名は握りつぶされた。
民主党党内の、そして国会の議論も、時間切れという理由で、
十分な議論が尽くされないまま、総理や裏で糸を引く仙石氏や前原氏などに
一任されてしまい、結局全員で議論したこともチャラ。
2大政党が切磋琢磨してこの日本の政治を良くしていって欲しいと願って
国民が2010年の選挙で民主党に託した願いは、野田総理が自公にすり寄り、
実質上の大連立をやってしまったことで、これも、少数派の意見、いや、国民大多数の
原発いやだ!という思いさえ、今、確実に踏みにじっていこうとしている!
選挙によって選んだ人が、議会で十分に議論を尽くしてくれて、国民の願いを
実現する方向へ持ってってくれる…これが民主主義の基本理念である。
ところが、これだけ多くの民が原発再稼働ちょっと待って!と声を上げていても、
野田総理は、数人の閣僚と利権に目のくらんだ立地自治体の首長との、
ごくわずかな人間の意志だけで、強引に巧妙に、大飯再稼働を決めてしまった!!!

今、多くの普通の市民が官邸前で、あるいは全国各地でデモを行っているのは、
原発問題だけのことではないと思う。野田政権がその姑息な強引な手法で、
国民の民主主義と『正しく善が行われること』への信頼を踏みにじってしまったことへの
大きな大きな悲しみと怒りで人々は集まって来ているのではないだろうか。

私は、野田政権のそうした国民の絶望を誘う政治手法に強く抗議するとともに、
マスメデイアの怠慢と意図的な世論誘導にも厳しく抗議したい。

話を元に戻すが、例えば風力発電。0%にすると、東京都の面積の2.2倍の土地が必要だ!
電気料金の国民の負担は、0%にすると、なんと今の2倍にもなる!
CO2削減も23%しか達成できない!

そういう見出しを踊らせはしまいか。普通の国民、私もそうだが、ニュースは
ヘッドラインしか見ないことも多い。すると多くのひとはこの見出しの数字だけを
記憶し、原発0%にするとなにかと厳しくなってしまう、と先入観念が独り歩きし始める…。
ところが。ところがよくすべてのケースの数字を自分で見比べてみれば、

風力発電は、15%シナリオの時でも、東京都の面積の1.6倍は必要である。電気料金は、新聞などの試算によって数値は微妙に違うが、私が見たものでは
0%が2倍、に対して15%では1.7倍~1.8倍であった。
政府の出した試算では0%の場合、月4千円~1万1千円のアップ。
         15%の場合、月4千円~8千円のアップ。
       0~25%の場合、月2千円~8千円のアップ
である。標準世帯で。
CO2 削減に至っては、おそらく政府お勧めの15%のシナリオでも、0%の場合と同じ、23%の削減である。
原子力発電依存20~25%の場合のみ、25%の削減という見込みを出している。

電気料金は福島の事故もあったし、廃炉費用も必要だし、いずれにしても将来電気料金の
負担は避けられないことは国民が皆わかっているところだ。
ただこの各ケースの差。2千円から3千円の違いである。
わたしなら…わたしなら、月々2,3千円の差であったなら、生活の無駄使いをやめて
その分のお金を浮かし、原発におびえないで済む安心の方を選びたいと思う。

ただ、公正であるために言っておくが、確かに企業や商売をしている人々にとっては、
この差は大きいだろう。
しかしながら、夏場、工場の壁にわずかに霧状の水を流し、それによって放射冷却効果を
上げて、冷房費で25%の削減を果たした、ある中小企業の例をテレビで見た。
電気料金が上がる上がる、と騒ぐ前に、日本人なら出来る省エネ、節電の工夫は
たくさんあるはずである。
0%にすると電気料金が2倍になる…そこのところだけを意図的に切り取って
国民の不安を煽り、15%に結果的に誘導するような報道はやめてほしい!

今回の国民的議論、ということのために作られた一連の企画とその説明を見ると、
主に経済的側面からの情報しかあたえられていないことに気づく。
国民が、日本の将来のエネルギーをどういうふうに選択して言うか、ということを
考えるとき、ただ電気料金など、0%シナリオの場合の国民が負う経済的負担の
点だけ強調したような、このような広報は片手落ちではあるまいか。
ことは『原発をどうするか』という問題だ。
原発政策を維持する15%、20~25%のシナリオにおけるマイナス面ということを
正直に国民に情報として与えなければ、公平な議論など出来ないのではないだろうか。

ここには日本の活断の多さのこと、地震活動が活発化していること、
それに対し、各原発の対策は十分とはとてもいえず、もしどこかで福島と同じような
事故が起きたら、という場合の、経済的、環境問題的想定は一切されていない。
まるで18年後の2030年までは、大きな地震や人的ミスによる苛酷な原発事故は
起こらない、という想定で、この一切の議論は条件が設定されている。
またそこには、今、各地の原発で収容能力の限界に近付きつつある使用済み燃料が
新たにプールを作らない限り、全機を再稼働すれば5,6年で満杯になってしまう、
そのための費用や、その使用済み燃料に行き場がなくなった場合、原発は停止せざるを得ない、
という事情には一切触れられていない。
さらに大きな問題は、今回放射線被ばく量をごまかすために、ビルドアップ社が
作業員に線量計に鉛のカバーをするように進めていた件でも伺えるように、
福島原発の収束も、他の原発の稼働、停止期間中の管理も、皆、現場原発作業員の
被曝、ということを前提にしなければ、原子力発電というものは成り立たないのだ、という
基本的条件もどこにも考慮のうちに入れられていない。
2030年までは大地震も事故も起きません、ということを大前提にしてしまっているのと同様、
福島でも他の原発でも、かき集めれば誰か、危険な作業を引き受けてくれる者はいるさ、
という前提で、原発を動かそうとしてはいないだろうか。
私が去年の3月11日。福島第一原発で全電源喪失、というニュースを聞いたときすぐに
頭にうかべたのは、この危機的状況の中で、東電の社員、作業員たちは現場を放棄しないだろうか?
ということだった。
もし、彼らが自らの身の安全を守るため、持ち場を放棄していたら、
それは人間が、いや動物が身を守る本能であって、誰もそれを責められないと思うのだが、
そうなっていたら、福島第一の4つの炉。5,6号機も含めれば6つの原子炉は
一体どうなっていただろう!
ベント作業を決死の思いで行い、水を投入し続けてくれた人々がいてくれたから、
福島はさらなる最悪の事態を避けられたのだ。最悪の事態…それは何か、というと、
燃料を冷やすことが出来ずに炉内がもっと高温になって圧力容器自体が損傷し、
覆いのなくなった放射性物質が大爆発によってチェルノブイリのように広範囲に
飛び散ってしまうことである。しかも一基がそうなれば、もう人間など近付くことは
一切出来なくなり、他の機が次々と、6機も大爆発を起こすということだ。
その恐ろしさを考えてみてほしい。
そんなことが起きていたら、第二原発にだって人は近づけなくなっていたかもしれない。
東電社員、協力会社の社員、下請けの作業員たち、それから自衛隊、消防署、…
自分の身の危険を顧みず、高い放射線と爆発の恐怖におびえながら、冷却作業を
続けてくれた人々がいたから!何とか福島はあれで収まったのである。

『今回の事故で直接死んだ人は一人もいない』…
意見聴取会に出た中部電力社員がつい本音を漏らしてしまって、ごうごうたる非難を
浴び、会社が謝罪する羽目にまでなったが、実は原発がこれからも必要だ、と考える人々は、
政府の人々も含め、実はこういうふうに心の中でたかをくくってはいないだろうか。
テレビのコメンテーターなどという人々によっても、そのセリフはどれほど
つぶやかれたことだろう…
もし、現場の社員、作業員、自衛隊、消防などの人々が、わが身の安全を守るという
当然の権利を行使して、福島の現場を放棄していた場合、日本がどうなっていたか!
どれほどの死者を出したろうか!ということは、そういう暢気な人々の想像の範囲には
入っていないのであろうか。

つまり、原発というものは、危険な現場で常に何がしかの被曝をしながら作業をする人々の
犠牲の前提に立って成り立っているものなのだ。
国民が2030年、将来の日本のエネルギー・環境のことを決定するに際して、
無論経済のことは大事だが、こうした理不尽な前提条件がある、ということも情報として
国民にあらためて示さなければ、片手落ちに過ぎるとは言えないだろうか。

この他にも、今回の議論の設定や、選択のために与えられた情報でおかしいと思うことは
私のような科学的に素人である者にとってさえ、いくつもいくつもある。
再生エネルギーを増やしていくのは大変だ!という叙述は上に述べたようにしつこすぎる
くらいに書いてある。しかし、与えられた条件は太陽光と風力の2つだけ。
再生可能エネルギーにはこのほかにも小水力、波力、潮力など有望なエネルギーが
日本にはたくさんあり、また火力の他にも、木質バイオマス、地熱、メタンガスなど
有望なエネルギーが日本にはたくさんあり、その技術も持っている。
ところがこれらの可能性は、最初からオミットされているかのようだ。
言い分としては、それらの技術開発がまだ、追いついておらず、将来のエネルギーとして
2030年、あと18年の間には実用化があてにできない、ということなのだろう。
原発がなければ日本はたちゆかない、という主張をする人々は、決まってこのことを言う。
『太陽光や風力は雨の日、風のない日にはあてにならない。』
『地熱や、日本海にたくさんあるというメタンハイドレード、潮力、波力発電などは、
まだ、実用化までには遠く、2030年(18年後)のあてにはできない』と。

しかし考えてもみよう。
携帯電話の急速な発達と普及を。今から18年前というと1994年である。
1994年以前の携帯電話はアナログだった。『携帯』出来る電話であったのに過ぎない。
90年代半ばにデジタルになり、90年代後半にインターネットにつながった。
覚えていらっしゃる方も多いと思うが、携帯が使われ始めたころは、持っている人はごく少数で、
そういう人が見せびらかすように電車やバスや歩きながら、携帯で話していると顰蹙を買ったものである。
それが今はどうだろう。この普及と機能の発展のもの凄さ!
私などはもう今の高性能の機種の機能にはまったくついていけない…

18年という同じ月日を、人は恣意的に長いものとして扱ったり、短いものとして
扱ったりする。原発がどうしてもいる、という人々は18年という月日を、
自然エネルギーが使い物になるようになるにはあまりにも短いと考え、大地震などが
その間に起きたら?という心配に対しては、ダイジョウブ、明日明後日に次の地震が
起きるわけない、と18年という長い月日を放置する考えである。
逆に言えば、私などは、18年あれば、自然エネルギーの実用化は、携帯電話の発展と同じように、
本気になりさえすればおそらく想像できないほど進むだろうと考える。
またその一方で、18年という月日を、危険を放置するにはあまりにも長い、と考えてしまう。

いずれにしても、18年後。私はおそらくこの世にいないであろう。
ああ…そのとき、日本はいったいどうなっているのであろう。
心配でしかたがない……

以上、今回の国家戦略室による『エネルギー・環境に関する選択肢』について
書いてみた。
一つ。意見聴取会の実際の映像をいくつかずうっと見ていて感じたこと。
0%を選択した人が、多くは自分でよく調べて自分のことばで語っているという印象に対し、
20~25%を選択した人のは、マスメデイアなどがヘッドラインでセンセーショナルに
マイナスのイメージを書きたてる、それをそのまま信じて使っている人が多いのでは
と感じた。「風力発電は、0%のシナリオだと東京都の面積の2.2倍も必要なんですよ。
それだけの土地確保は困難なのではありませんか?」などと。
ところが彼(彼女は)15%シナリオ、20~25%シナリオでも、1.6倍
必要だ、という数字は見ていないか、無視する…
15%を選択した人々は、経済のことがなければ、原発はないほうがいい、ということで
すこし発言に迷いと自信のなさがうかがえるように思う。

また一つ。原発を推進するひとが、原子力を無限のエネルギーと考えているらしいことにも
驚く。石油、石炭その他の鉱物と同じように、ウランも枯渇資源である。
現時点では、参照するものによって多少の数値の違いはあるけれど、大体80年前後、という
のが、予測される埋蔵量である。石油、石炭の奪い合いによる価格の高騰ばかりを
原発推進派は声高に論じて、それが電気代に跳ね返ることを脅しのように使うが、
ウランだって、これから中国、インドなど後発の国々がすごい勢いで原子力発電所を
稼働し始めたら、80年という予測はさらに短くなる。

みずほ情報総研 環境・資源エネルギー部 シニアコンサルタント 田原 靖彦氏は、
『世界で始まったウラン資源争奪戦』という記事の中で、こんなふうに書いている。
『中国やインドを中心に原発増設計画があり、今後ウラン需要は大幅に増加すると考えられる。
経済協力開発機構(OECD)と国際原子力機関(IAEA)の共同調査報告書「ウラン2005」の
高位予測(高めの需要を見込んだ予測)は、2015年にはウラン需要量が8万3,000トン程度まで
増加するとしている。つまり、2次供給減少とウラン需要増加を賄うだけのウラン鉱山の
新規開発がなければ、2015年ごろには深刻なウラン供給不足が発生する可能性がある。

供給不足を防ぐには、2015年までに年間の天然ウラン生産量を現在の約2倍に
引き上げる必要がある。』

http://www.mizuho-ir.co.jp/publication/contribution/2008/economist080624.html

まあ、この後に、カザフスタン、オーストリアなどのウラン鉱山の採掘が進めば
この事態は回避できる、という一文が続くわけであるのだが、それは石油、石炭、
天然ガス、シェールガス…皆同じである。つまり、ウランは枯渇エネルギーであり、
近い将来、石油の奪い合いと同じような激しい争奪戦が、この地球で行われることは
確かだ、ということ。そうしたら、今までは安い安いと言われていた原子力発電のその価格は
うなぎ上りに高騰して行くであろう。
安くもなく、大きな大きな危険をはらんだ原子力発電というもの。
ウラン鉱山で採掘にあたる海外の人々の被曝や、自国の原発の危険な現場で、
日々不当に安い賃金で被曝を続けながら働く人々の犠牲の上に立っているもの。
いったん過酷事故が起きれば、今、福島の人々が負わされているような、生活基盤の
根底からの崩壊と健康への不安と、将来への絶望、という重い重い犠牲を
立地自治体のひと、広く周辺地域の人々に押し付けてしまうものなのだ。

コストの面からだけ原発のことを語って欲しくない。
そんな安易な不公正な設定の『国民参加』で、国民の総意を問うた、などと言って欲しくない!

もうすぐロンドンオリンピックだ。いつもなら夢中でテレビにしがみついて、
開会式や、素晴らしいアスリートたちの競演を見るところだ。
…しかし、このオリンピックムードに国民が酔っているうちに、野田政権が
いろんな大事なことをちょろちょろっと決めてしまいはせぬか。
もしかしたら、知恵者の官僚がいて、わざとこの国民参加の議論を、オリンピックの時期に
ぶつけるように設定したのでは?などと考えてしまう。
疑いすぎだよ、と自分を笑ってみはするが…。

しかし。意見聴取会。
それ自体は、参加者の真剣な発言もあって、一度は見るに値するものになっています。
どんな人々がどんなふうに、各シナリオについて考えているか…
是非、一度真剣にお聞きください。
素晴らしい意見陳述なさってる方がたもいらっしゃいます。どの立場のひとも真剣です。
見るには2時間もの長丁場ですが、こういう議論で、私たちの将来が決まるのだと思えば……














 

『さようなら原発10万人集会にて』

今日は、7月16日。
渋谷区代々木公園で、大江健三郎さんなどが呼びかけた『さようなら原発1000万人アクション』
の一環、『さようなら原発十万人集会』が行われました。

広い代々木公園。会場は大きく4つのブロックにあらかじめ分けられていました。
メインの第一会場はサッカー場。第二会場はその隣の野外音楽堂広場。
その他に、第3案内カ―、と第4案内カ―が配備され、その周辺では、今回の
官邸デモ(紫陽花デモ)を主導している首都圏反原発連合のトークやライブが、
また泊、女川、上関、川内など原発現地の人々の集まりや、詩の朗読など、広範な
催しが企画されていた。
それら2つの案内カ―まわりでのイベントは午前11時から。でも、私はそこまで参加すると
長時間になりすぎなので、午後1時開始の第一ステージのサッカー場での開会式に照準を
合わせることにして、朝11時、家を出ました。

最寄駅のJR原宿駅に着いたのは開始30分前。ホームは階段前に人が延々並んで動きません!
原宿駅は普段でも、訪れる人の多さに比べて改札が狭く、いつも混雑していますが、
今日はまた格別。いつホームの階段を登れるかさえわからないのに、3分おきに電車は到着し、
また新たな参加者を吐き出していきます…
竹下口寄り方面の出口はすいていると駅員さんのマイクで、私はそっちに回ってみました。
あらら。すいていてすぐに外に出られました!
原宿駅前は普段の遊びにきた若者たちの他に、今日の集会の参加者であふれかえっていました。
道の両側、歩道橋にも人がうじゃうじゃ。交差点を渡るのも大変です。
今日はすばらしい青空の真夏日和。汗がどっと噴き出てきます。

でも、代々木公園内に入ると、さすがに涼しく広いので歩くのが楽になりました。


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官邸前デモと違って今日はさすがに組合系の旗や幟がとても多そうです。


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これがメイン第一会場のサッカー場。
まだ始まってすぐでこの状況。これはたまりません!
日差しを遮るものがまったくなくなくこれじゃ暑さでまいっちゃうだろうから、
メイン第二会場の野外音楽堂広場の木陰に陣取って、スピーカーから聞こえてくる開会挨拶などを
聞いていました。広いここも人がいっぱいです。
でも、何となくやはり間接的に聴いているのもつまらない。立ち上がって移動です。


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代々木公園はその昔、陸軍の練兵場があったところ。東京オリンピックの時には選手村としても
使われた、東京23区内では4番目に大きい公園です。一万四千本の樹木は、ケヤキや
クスノキ、マテバシイ、ユリノキなどが数十年の年月を経て大木になり、涼しい樹影を
作ってくれています。その下に陣取りました。


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頭上には夏の青空が広がります。ああ!……

この青空、この大地が穢されてしまったなんて!信じられますか?


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大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さん、澤地久枝さん、内橋克人さん、鎌田慧さん、
落合恵子さん、広瀬隆さん、そして、坂本龍一さん、…
福島からの武藤類子さんなどが次々に演壇に立って、原発はいらない、それを推進しようとする
現政権への怒りと悲しみを訴えます。
瀬戸内寂聴さん。おん年90歳!なんと艶やかに、そして張りのある声でしょうか!
そしてこの、若々しい怒り!

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午後2時半、スピーチは終わり、デモに出発です。
広い第二会場にも、外周の道路にも、木立の間にも人は溢れかえって、デモ隊の一部は
1時半にすでにとっくに先陣が出発していて、それらがもう立ち往生している状態。
主催者発表でこの日の参加者17万人ということですが、航空写真でもこのすべてを
収めた映像はなかったのではないでしょうか。
下に、新聞『赤旗』の号外をお借りして載せておきますが、メイン会場のサッカー場に
写っている人はその一部。隣の第二会場野外音楽堂広場にいて、スピーチやライブを聴く人々…
また、外周道路には既に出発したデモ隊が長蛇の列を作っており、
さらにはこの広い敷地のあちこちで、売店でご飯を買って食べたり、ライブを聞いたりしている
人々が大勢いるのですが、樹木の蔭になっているので、その全容はつかめないのです。

スピーチが終わった後の演壇には、ライブの準備が行われました。
実は、私は、これが見たかった!
デモに無理して早く加わろうとせず、会場に居残ります。


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前の記事でも紹介したFRYING DUTCHMAN。
"human ERROR"の演奏です!
彼らについては、一つ前の記事をご覧くださいね。

ほんと、彼と一緒に「ばかやろー!!!」と叫びたくなります。
私は団扇で拍手して、団扇を振って大盛り上がり!(笑)



会場ではまだライブが続き、第二会場の音楽堂では私の好きな、ドイツ文学翻訳家の
池田香代子さんがスピーチしていらしたけれど、それだけちょっと聞いて一応デモに参加しに行きます。

ほんとにいろんなひとの寄せ集め、という人々の群れに入りました。





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表参道の美しい欅並木をデモ隊は賑やかだけれど整然と進んでいきます。
感じをつかみたかったので、歩道橋にあがって写真を撮りました。
警官隊が適当なところで区切っていくので、一グループはこんな感じだけれど、
これが延々と、前にも後ろにも伸びているのです。

反対側はこんな感じ。



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私は、スポーツドリンクとお水を飲んで、日焼け止めの効果もあるウエットテイッシュや
濡れタオルで、首筋や腕を冷やしながらデモ。
しかし思うのは、
『東京の中心部は、ほんとに緑が多いんだなあ!』ということでした。
無論江戸時代以前にも松並木等はあったのだけれど、明治の欧化政策によって
東京を中心に『街路樹』というものが積極的に植えられる施策が取られた。
とりわけ70年代になってからは、CO2やヒートアイランド現象を抑止する効果なども
意識され出し、本当に、どの通りに曲がっても、街路樹が大きく育って豊かな緑陰を
作ってくれています。銀杏、ケヤキ、クスノキ、プラタナス、トチノキ、……
これらの他にも中央分離帯にはツツジなどの植え込みが必ずある。
まあ、大都会のビル群が日陰を作ってくれるということもあるのだけれど、これらの
木々の涼やかさが、どれほど、夏の剥きだしの肌にだけでなく目にも心にもやさしいか知れません。


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それでも、会場に着いてからもう3時間。さすがにエネルギー切れで疲れてきました。
デモにも一応参加したし、場合によってはここから引き返してもいいわ、と思って、
街路沿いにあるカフェでちょっと休憩することにしました。
出てくるまでだいぶ時間がかかって、それからゆっくりとクレープと冷たい紅茶を
いただいたんだけれど、その間もデモ隊は切れ目なく街路樹の下を通過していきます………


お腹に少し入れて元気回復したので、再び、デモに戻ります。
どこに飛び入りで加わっても文句など言われない。
洒落た高級ブテイックやレストランの立ち並ぶ街並みを進んでいきます。


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私がそのとき一緒にいたのは、思い思いに個人で、、またグループで参加した人の群れでした。
こんな幟旗を掲げて歩いている人がいた。
『福島の女たちと一緒に子どもたちを放射能から守る会』と書いてあったかな。
神奈川から来ていた人達らしかった。

……『エンポリオ・アルマーニ』の巨大な洒落た看板とこの幟に書かれた文字の中身!
エンポリオ・アルマーニというのは、ジョルジオ・アルマーニのセカンドライン。
セカンドラインというのは、デザイナーズブランドの若者向けの普及版として開発されたブランド
のことです…
ブランド物には興味も縁もまったくなく、財布一つ、イヤリング一つ持っていない彼岸花であります。
でも、デザインの美しさや質の良さ、宣伝の質の高さは、見るだけだけどわかる。
これも、はっと目を引く大広告でした。
原宿の町を行く人びとはお洒落です。
中には、ああ、素晴らしいな!と感嘆したくなるほど洗練された趣味の美しいひとがいる。
海外のひとも当たり前のようにカフェで、あるいは歩道を、日本人の友人たちと
談笑したり歩いたりしています。
有名海外ブランドのほとんどがここには店舗を出している…
豊かな。贅沢な。日本の明るい光の部分を象徴しているような街です。
若者は集い、お店は常に時代の先端を求めて、変化し上昇し続けている……

その一方で、この都会の贅沢を支えるために、原発というものは、過疎地の、産業のない、
寂しい、でも美しい海辺の村や町に次々と作られていきました……。

ああ!この矛盾!
この洒落た大広告とこの手作りの幟の文字とが同じ夏の青空のもとに掲げられて
あるのを見て、泣かずにいられますか?

この日の東京の空は、本当に綺麗な夏空でした!
青い空にいろんな面白い形の夏雲が浮かんで。日差しはきらめいて、風が気持ちよく吹いて…!
人々は、夏休みが始まった気分で、この街に繰り出して来ています。
大企業や公務員は夏のボーナスも出たでしょう。
緑豊かな。一流のお店が立ち並ぶ街。
でも。ここだって、あの青空は汚染されてしまったんです。美しく着飾った人々も
その身の内に、放射性物質を微量ながら日々取り込んでいる。

見えない。聞こえない。感じられない。…だからなにも言わない。
なにごともなかったかのように豊かさを享受していく街と人々…

でも、一歩裏通りに曲がりこんでいくと、ささやかな人々の暮らしは、このような
華やかな街の片隅にも、地方と同じようにあります。

一本道を逸れると、普通の民家もある。
道路沿いの家の二階の窓が、中途半端に開けられ、男物のズボンが、どこやら
くたびれてしどけない感じで干してありました。

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横手はなにか作業場のようだった。連休の休みに作業ズボンを洗って干したのでしょうか…
生活感のない、表の原宿の裏には、こうした人の暮らしが昔ながらにあります。

デモに参加した人々の想い…
福島で今も、逃げるに逃げられず、といって生活の立て直しのあてもなく、
ここ東京よりはるかに高い線量の中で、生き続けなければならないひとびと…
そうして、こうした国民の想いはそ知らぬげに、なおも経済の豊かさばかりを
虚しく志向するこの国の指導者たちの嘘…

なんという理不尽でしょうか。
この美しい青い空のもと。この地球上で。この、私たちが生きている時代に…!!!

黙々と前のひとの背中を見つめながら歩くデモ。ふと眼を上げて、夏の大空を見上げると、
なんとも言えないこの人々の一体感への感動と共に、生きていく、ということのいじらしさ、
『命の一回性』というものの重み、などが胸を打ち、
眼がうるんでくるのを何度も感じました……




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さあ…さしもの長いデモも、終点に辿り着きました。明治公園。
ここで流れ解散ということになっているのだれど、こうしてまだ人々がカンパの箱を
差しだしたり、今日のことを語りあったり、待ち合わせをしたりしています。

私はいつもの如く一人。千駄ヶ谷の駅に向かって歩いていきます。
このあたりも、深い緑の街路樹。
ふと、いい香りがしたのであたりを見回してみると、道際の刈り込みの中に、
咲き遅れた梔子の白い花が一輪だけ、人に知られず生きていました。




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取材のヘリコプターさん。御苦労さま。
警備と交通整理の警察のかたがたも御苦労さま。
私は決して警察が好きなわけではありませんが、今度のデモは、こうしたやむを得ず仕事で
交通規制などをかけ警備する警察官の一人一人も、なぜか仲間のような気がしてなりません。
戦う相手はこういう人々ではない。政治家であり官僚であり、原子力に群がって
甘い汁をなおも吸い続けようとする、この世のぶくぶく太った白蟻たちなのです。



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電車の中から撮った、今日の暮れゆく空。


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川べりのいつもの道も、薄闇の中に沈み始めて。

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『お帰りなさい♪』
土手の紫陽花たちとおしろい花たちが出迎えてくれました。

『あたちたちも放射能なんてイヤ!』
みんなで、つぼみを振り上げてシュプレヒコール!




『さようなら原発10万人集会ライブ映像』

『赤旗号外より』





『明日は、さようなら原発10万人集会』

さようなら原発1000万人アクション

明日7月16日は、東京代々木公園で『さようなら原発10万人集会』という、
大江健三郎さんなどが提唱なさった集会とデモに行ってきます。
そこに、官邸デモを主催している首都圏反原発連合など、多くのグループや、
私のような個人参加のものなどがたくさん集まる予定です。
びっくりするくらい多くのひとが集まるといいな。


詳しくはこちら。

http://sayonara-nukes.heteml.jp/nn/wp-content/uploads/2012/07/120716program2.pdf



この青年の歌声が好きなので、もう一度載せておきましょう。
ストレートな歌詞がストレートに心に入って来ます。明日は彼らも来る。









『パブリックコメント書いて送ろう!』

現在、政府は、東日本大震災及び東京電力福島第一原子力発電所の事故を踏まえ、
エネルギー・環境戦略の見直しを行っている。そしてそのために『国民的議論』を
した上で、将来の日本のエネルギー戦略を決定するのだそうだ。

…その国民的議論というのは、以下のようなもの。

  (1)エネルギー・環境の選択肢に関する意見聴取会
   ⇒国民が意見を表明する聴取会を全国11 カ所で開催
 (2)エネルギー・環境戦略に関するパブリックコメントの募集
   ⇒7月2日(月)から8月12日まで
 (3)エネルギー・環境戦略の選択肢に関する討論型世論調査
   ⇒8月上旬に無作為抽出で募集した多様な意見を持つ少人数グループを組成、
    委員会が作成した資料に基づき学習し、その上でグループ討議を実施

政府はこれらの国民の意見を参考にしながら8月中に、「革新的エネルギー・環境戦略」
としてまとめるつもりだという。

(2)のパブリックコメント。折角国に意見を言う機会。これを見過ごすことは出来ない。
もし、意図的に、政府の息のかかった者が大量に、20~25%などという選択肢を
パブコメとして送りつけたりしたら、『国民の多くは20~25%を選択しました』ということに
され、原発再稼働どころか、40年廃炉のはずが50年60年と老朽化した原発を動かし、
さらにはバンバン原発を新設する道を国民が選んだということにされかねないのである。
これはもう、是非、2030年には原発依存0、という意見をたくさん送りこまねばならぬ。

ある意味で、これは官邸前で再稼働NO!原発いらない!と叫ぶのと同じかそれ以上に
切実な、差し迫った行動が求められているということになる。
みなさん。是非是非、簡単にでいいですから、パブコメを送ってください。
後ろに文例集をつけておきますので。



パブコメの募集期間は、平成24年7月2日から8月12日までの間。
2030年のエネルギー・環境に関する3つの選択肢
原発依存度を基準に、 ①ゼロシナリオ、
              ②15シナリオ、
              ③20~25シナリオ
(数字は依存度を表す%)

2030年度の時点で、日本が原発にどの程度依存するかを、
上記の3つの選択肢の中から選び、意見を述べることが出来る。

無論私が選択するのは、①の原発依存0%シナリオ。


そもそも、この3つの選択肢がここにこうして国民の目の前に置かれるまでには
すったもんだの議論があった。
まず。原子力委員会 新大綱策定会議。ここには金子勝氏や、原子力資料情報室共同代表の
伴英幸氏など反原発の委員も数人参加していた。ところが、この会議の裏で、
原子力委員会が大飯再稼働に関連して議案隠しをしたり、電力会社(電事連)に事務局が
議案作成の資料情報を流したのではないかということが毎日新聞のスクープですっぱ抜かれた。
要するにこういう表の会議の陰で、電力業界と原子力委員会が裏で通じていたという疑惑である。
原子力委員会の原子力大綱の検討委員会が秘密会議というのをやっていたという。
裏でそこに出すための案を業界・利害当事者を呼んですり合わせをしていたと、
実際内容も書き換えたということが報じられている。

詳しくお知りになりたい方はこの映像を。いいわけが見苦しい。http://www.ustream.tv/recorded/22785000

また、総合資源エネルギー調査会、基本問題委員会当の議論では、
エネルギーミックスの案として、最初のうちこんな5つが上げられていた。
(1)市場における需要家の選択により最適な電源構成を実現
(2)0%
(3)15%
(4)20~25%
(5)35%

(1)は、国として決めるのではなく、市場原理に任せる、ということである!国としての責任を回避!
(5)の35%は、『咬ませ犬』であるという厳しい批判が脱原発の考え方を持つ人々から
寄せられた。『咬ませ犬』…要するに、これを入れておけば、政府が本当は
これを選択したい20~25%が妥当に見える、という効果があるということである。
2030年に35%ということは、今あるものをフル稼働するのは無論、建設中のものを
完成させさらに数多くの原発をどんどん新規建設し、さらに40年廃炉を50年、60年に
するということである。これはもう、まったくの原発推進であって、脱原発依存などではない。
こういうひどいものを入れておけば、20~25%がまっとうに見えるという効果があるのである。

もっとひどいことに、これよりさらに以前は、0からいきなり20%に飛んでいたのである。
こういう選択肢の示し方のテクニックとして0か、20~25か、35かという選択肢を
示せば、人間はまん中を選びがちであるということを官僚たちは知り尽くしているのだ。
金子勝委員など脱原発の委員が粘ってようやく15%という数値を入れた。

さて。このようにして原発推進派の委員と脱原発の委員の熾烈な綱引きが行われて、
一番上にあげた①0% ②15% ③20~25%という選択肢は決定された。

今も言ったようにこういう選択肢では、人間は真ん中のいわゆる中庸を選びがちである。
0は極端。15%くらいでいいんじゃないの、と。

しかし、その心理が実は極めて危ないのである。これらの%が実際はどういうことか
ということを書いてみる。
0%ははっきりしているから説明はしない。
②の15%であるが、福島原発事故前の我が国の原発依存率は26%くらいだった。
それに比べれば減原発になっているように一見思える。
しかし、日本の原発は、本来40年で廃炉すると決められた老朽化しつつある基が
たくさんある。政府が認めてしまいそうなようには50年、60年の延長を
一切認めず、40年が来たものをきちんと廃炉していき、新規建設を認めないと
いうふうにすれば、日本の原発依存は2030年には放っておいても15%に
なってしまうのである!
つまり、この15%の数字は、脱原発依存という、政府が国民にそして世界に対し
約束した方針にもかかわらず、なにも具体的には脱原発に向けて手を打たず、
放っておく、というのがこの数字なのだ!

③の20~25%に至っては、以上のような事情から、40年経った老朽化したものを
さらに10年、20年稼働認めるか、それをしないなら新たに14基も新規建設しなければ、
事故前に26%あった数字も維持できない。要するにこの20~25%は減原発などではなく、
この地震国日本で老朽化した原子炉を働かせ続けるということ、新規立地するということ、
すなわち原発推進でしかこれもないのである。

今、日本の原発から出続けていた使用済み核燃料は、その置き場が無くなりつつある。
福島第一4号機に使用中だったもの使用済みのものを含め1535体もの核燃料が
プールに仮置きしてあり、そのプールが地震などで壊れたり、また冷却のための配管
のどこかが不具合を起こしでもしてそれらの燃料が冷却できなくなったら、日本は終わりだと、
世界から警告を受けている。実はあれは福島だけの問題なのではなく、行き場を持たない
使用済み核燃料は、みんなの住む街に近い各原発施設の建屋の中にあるいは敷地の中に、
福島と同じようにひそかに仮置きされて冷却され続けている。冷却が止まったら、大変なのは
福島と同じなのだ。しかもその収容力はもう限界に近付いている……

「電事連によると、全原発の使用済み核燃料プールの保管容量は2万630トン。このうち7割近くが埋まり、残りは6400トン分しかない。全原発が通常通り運転した場合、発生する使用済み燃料は年間千トン。6年ほどで満杯になる計算だ。1999年から各原発の使用済み核燃料を受け入れている青森県六ヶ所村の再処理施設も2860トンに達し、限界(3千トン)が迫る。」(東京新聞2012.3.9)

つまり、このまま再稼働を政府が次々に容認していけば、いずれ6年後には使用済み核燃料の
置き場は無くなり、原発の稼働を中止せざるを得ないのである。
『トイレなきマンション』と言われる所以はここにもある。

…こう考えてくれば、もう、私たちが選びたいのは①の、0%しかないのではなかろうか?

ところがここで、経済のこと、電気料金のこと、CO2排出問題などが必ず
持ちだされてくる…
国民に一番関心があるのは、電気料金がこれらの①~③案で、どれがどのくらい
違ってくるのか、ということだろう。
マスコミなどは、『選択肢0%では電気代が今の2倍になる!』というような
センセーショナルな見出しが躍る。
ええっ??!!電気代が2倍?そりゃ大変だ! 0%はちょっとそれじゃ困るなあ…。

しかし。よくシミュレーションの数値を見てみると、15%~35%の場合でも、
電気代は、1.7倍になると出ている。
ところが、原子力ムラに取り込まれたマスコミは、そこのところは積極的には触れない!
気がついた人だけが、「なんだ!0で2倍。15~35%で1.7倍。そう違わないじゃないか。
そのくらいの違いならば、危険な原発などないほうを自分は選びたい」と思う。
でも、マスコミのセンセーショナルな見出ししか見ない多くのひとは、2倍になっては
大変だ!とただ思ってしまうのではなかろうか…

このように、こういう改定の素案をおそらく作る官僚は、数字のトリックを知りつくしている。
極めて極めてそういった意味で頭のいい人間たちである。マスコミも含め原子力ムラの
人々は、ありとあらゆる巧妙なやり方で、自分たちの思うように民を誘導していく…
なにしろ彼らは今、権力とそれをふるうための情報も手段も握っているのだから。

私には、これでさえごまかしの、甘い、再稼働推進寄りの選択肢に見えるこの3つの案。
それをかの、醜悪な経団連会長、米倉氏は、逆の立場から批判している。
『日本再生戦略』で目標とする名目3%増、実質2%増という経済成長に必要なエネルギーを
これでは確保できないというのである。福島をあのままに経済成長だけを言う醜悪!

本当は、本当は、2030年に原発0というのでさえなく、今すぐ、日本は
高らかに『原発0』を世界に宣言し、自然エネルギーへの転換をめざすべきだと
私は考えている。政府がその方針を明確にしないで、どうして自然エネルギーの開発が
活発に進むであろう。
原発推進派がこれまでいやというほど口にしてきた恫喝のことば…『原発をやめるというのなら
代替エネルギーの具体的見通しを出せ!』と言う言い分…
自分たちで、自然エネルギーの発展を積極的に妨害しておいて、よくそんなことが言えるものだ。
送電網の独占、マスコミによる自然エネルギー開発へのネガティブキャンペーンなど、
やりたい放題これまでやって来たのは自分たちではないか。

上記、電気料金の問題にしても、『0%なら電気料金が2倍に!』と、そこだけ書けば、
0%は困るな、と思う人がたくさんいるだろう。でも、他の案の15%~35%にしたって、
電気料金は1.7倍になる。そこのところをわざと見出しにしないところが、すでに
マスコミによるネガティブ操作なのである。
私たち国民はこういうものたちと戦っていかなければならない。ようく新聞を読み、
情報を精査する必要がある。
一見、真ん中がよさそう、という事なかれ主義のムードで、大事な決定をしないようにしないと…

3つのシナリオについてわかりやすくまとめてくれてあるサイトがあったので、
公平を期するため、メリットデメリットを含め載せておこう。

2030年原子力ゼロシナリオ
  ・化石燃料への依存率が高い→CO2削減が難しい
  ・現存の原発への地震津波対策・安全性向上のための改修費等が必要なくなる。
  ・直接処分決定なので、核燃料サイクルの研究終了→直接処分方法を具体化していく

2030年原子力15%シナリオ
  ・今既に建設中(間近)の大間・島根3号機・東通を稼働させる前提。
  ・新規建設は無し・40年廃炉が原則とすると2050年に原発全廃となるシナリオ。
  ・核燃サイクル・再処理研究費が必要?現存の使用済核燃料冷却施設を増設する必要がある。→先延ばし(費用予測できず)

2030年原子力20~25%シナリオ
  ・今までどおり原発を増設していき、40年廃炉の場合には新規建設が14基必要。或いは50年~60年稼働等をしなければ達成できない。(脱原発依存に反する)
  ・核燃サイクル・再処理研究費用が必要。現存の使用済核燃料冷却施設を増設する必要がある。→先延ばし(費用予測できず)



是非是非、みなさん、簡単でいいですから、パブコメを送りましょう!
黙っていてはパブコメというものは、政府の都合の良いようにいくらでも利用されてしまいます。
民意が20~25%などということにされてしまったら大変です!
何のためのデモなのか、原発国民投票運動するのか、意味がなくなってしまう!!!

政府が予定している、『討論型世論調査』。
これは、3000人ほどの無作為母集団から300人程度の抽出を行って行うもの。
原発依存の度合いについてその人たちに討論してもらい、その結果を日本のエネルギー戦略に
繁栄させていくのだという。
一見、国民にオープンな議論の場を提供し民意を反映させるということで、良さそうな
話だけれど、準備期間はわずかに一カ月!
人選も、あの数々の電力会社の『やらせ説明会』ややらせメールなどのやり口を
見ていると、公正かつ中立的な人選が行われるのかどうか、300人という少ない数字が
果たして民意を代表できるのか、といった大きな疑問がすでにある。
本当は、集められたおそらく素人の人々が、討論のための資料や専門家から
十分な情報提供を受け、じっくりと討論した後に再度意見を調査するには、相当な準備期間と
周到な調整が必要なはずである。
これは原発国民投票と同じに少なくとも一年くらいはじっくりかけてやるべきものである。
パブリックコメントも本当はそう。情報をもっと詳しく国民に開示して、こういうものをやります!
と、すくなくとも主要大新聞やNHKなどの主要メディアを通じて、国民に広く
知らせてから行われるべきだろう。官公庁の広報を注意深くウオッチしている人でなければ
気がつかないような『パブリック』コメントなどおかしい。ましてエネルギー政策という、
国の将来を左右するような重大な課題についてである!
私は河野太郎さんのtwitter で10日ほど前に知り、これは大変だ!とリツイートで
広めようとした…。
 
わずか300人の急集めな人々による『討論型世論調査』。

メディアの記事の見出しの扱いと同じで、議論というものは、一見民主的手段の
ように思えて、実は主催者の意志は司会者の選定や、配布する資料等の文言一つで
容易に好きな方向に誘導出来るものである。
特に、野田総理になってから、議論は一応行っても、最後に司会者が『三役に一任!』
とか宣言してしまえば、議論の流れなど一度で吹き飛ばされてしまう、そんな無茶苦茶な
手法が定着してしまいつつある。
この討論型世論調査がそんなふうに政府によってうまく誘導されてしまい、
最初から結論ありきの会議になって、『一応国民の意見はああしてちゃんと聞きましたよ』という、
「政策のアリバイづくり」にされなければいいが。
海外ではこの討論型世論調査(PD)は割とよく行われているらしい。
ただ、その準備段階として、中立的な委員会が資料をチェックし、人選も(電話ではなく)
訪問して決められるなど、準備期間として数カ月かけているらしい。
今回は開催まで1カ月。討論の結果をどう公表し使用するかの道筋もまだ明らかでない。

馬淵澄夫民主党議員は「おそらく選択肢「ゼロ」を避けるため大規模世論調査を行わず」、
一方で「迫り来る民主党代表選挙の争点などになるのを避けるため」、
このような形の調査を行うと推測している。(同氏のコラム)

拙速な国民への意見聞き取りの数々。本来なら一年以上かけて国民投票を行っても
いいくらいの大問題である。それをパブコメにしても、わずか一カ月の期間、しかも
知っている人しか知らない、というようなひそやかな方法…
このように政府が何かを急ぐ時は、裏に何かの重大な意図があるときであろう。
馬淵議員の言うように、来る選挙のためのいいわけづくり、目くらましと見れなくもない。
また、官邸前デモのように、国民の原発への関心と反感が高まっていく気運の中、
じっくり国民に考えさせたり議論をさせては、脱原発の声が燎原の火の如く
ひろがって行きかねない…。
国民が騒ぎださないうちに、国民がお馬鹿なうちに、『国民の意志』なるものを、
ここで出してしまわせようという意図もあるのではなかろうか。
下手をすると、このわずか一カ月間の国民参加を、これを『民意はこうだった!』と
後で、国民の選択の結果であって、責任は国民にある、などと言いだしかねない!!!


野田首相になってから、ほんとに政治が悪くなった…
いや、こういった巧妙な悪辣なやり方は、きっと自民党の頃からあったのであろう。
でも、それをあからさまにやって見せているのが野田政権である。

国民は、しっかりしないといけない。
いろいろなことが政策として決定されてしまったら、それを国民が変えるのは
実質不可能なことが多い。決められてしまう前の行動が大事である。
さらに言えば、普段からの国民の関心としっかりした現状把握が大事である。
政治をしっかり見つめていくこと。マスコミのうわべの報道の中身を読みこむ力を持つこと。

そういう危機感を持った取り組みはすでに一部国民の中から生まれている。
なにしろ一カ月しかないので!
それをひとつ紹介しよう。

討論型世論調査:原発政策巡り上智大教授ら、川崎市民に 情報提供し意見聞く /神奈川
(毎日新聞 2012年07月05日 地方版)

 電力供給に占める原子力発電の割合など将来のエネルギー政策について
政府が選択肢を示したことを巡り、学識者らの民間グループが今夏、川崎市民を対象に
「討論型世論調査」を実施する。柳下正治・上智大教授(環境政策)らのグループが、
「民間団体による中立・公平な意見集約の場も必要」として、今回の調査を企画した。
市民に情報を提供し議論してもらった上でそれぞれの意見を聞く手法で、
「中立の立場で、市民が考えた末に練られた意見を示すことが重要」と話している。
http://bochibochi-ikoka.doorblog.jp/archives/3438677.html

そう。政府が用意したお仕着せの討論会の前に、こうした市民レベルの自由な
議論が行われることがすごく大事だと思うのだ。恣意的にある方向に誘導されないで
(たとえそれが脱原発派によるものであろうと)自分の意見を国民がしっかり持つためには、
こうした市民の取り組みがこれからますます大事になっていくであろう。

どうか、皆さん。パブリックコメントを是非、お願いします。
そうして、これをお読みくださったお一人のかたがたがそれぞれにご家族や友人知人の
方々と、この日本の将来のエネルギーの選択肢について語り合って欲しいです。
皆でワイワイ話しあいながらパブコメを書いて送るというのも言いですね。

詳しい投稿方法は、この下の『続く』に載せておきます。
専用入力、FAX,郵送様式もそこでダウンロードできます。

また、『パブコメの例』も載せておきますので参考になさってください。
およその引き写しでもかまわないと思います。
グリーンピースジャパンのページからお借りしました。ページの下の方に例がたくさん載せてあります。


なお。最初の発表ではパブコメ受付を7月31日(火)までとしていましたが、
本日7月13日付で、『8月12日(日)午後6時まで必着』と変更になったようです。
訂正しておきます。

最後に。この3つの選択肢。実はそこにも巧妙な仕掛けがあります。
2030年、ということは、それまでは何がしか、原発を稼働させていく、ということ
ではないでしょうか。0の選択肢でさえそうです。2030年にゼロ、ということだから。
私は、この3つの中では無論2030年に原発ゼロ、を選ぶが、
本当は今すぐ、全原発を停止する、という考えだ、ということをパブコメに書いておこうと
思っています。



続きを読む

『キャンドルナイト ⑯』


今月もキャンドルつけて、被災地を想う…
ということにしたかったけれど、元気なく、先月に溜め撮りしていたものを
使おうと思います。


髪飾りでキャンドル



葉っぱさん、れんげちゃんのバナー。
今月もお借りしますね♪

                         
心ひとつに キャンドルナイト



こちらは、NANTEIさんが、こころをこめてお作りになったバナー。
お借りします。


南亭さんバナー②



『NO NUKES 2012 ライブ』 

『原発のない社会をめざして』の、うみそら居士さんのところで、こんなすてきな
ライブのお知らせを見せていただきました。

『NO NUKES 2012』。
坂本龍一さんを中心にYMO や、元ちとせ、Ken Yokoyama などそうそうたる日本の
アーティストたちが参集して行われる反原発のライブ。
7月7日、8日の両日、千葉、幕張メッセで行われる。

うみそら居士さんが、昨日7日のそのライブのYMOなどの演奏をアップしてくださっています。
彼らが最初に演奏した曲は、なんと『RADIOACTIVITY(放射能』。
見ていて、そのあまりの精神のかっこよさにしびれてしまいました。
そう。精神のかっこよさ、なんです。見かけのかっこよさなんかじゃない。




出演者がすごいです。


[7日]
ASIAN KUNG-FU GENERATION / アナログフィッシュ / KRAFTWERK / ソウル・フラワー・ユニオン /
難波章浩 –AKIHIRO NAMBA- / the HIATUS / HIFANA / 元ちとせ /
YMO+小山田圭吾+高田漣+権藤知彦

[8日]ACIDMAN / 9mm Parabellum Bullet / Ken Yokoyama / 斉藤和義 /
七尾旅人+大友良英+坂本龍一+ユザーン /
NO NUKES 2012 忌野清志郎スペシャルセッション 仲井戸麗市BAND+トータス松本+坂本龍一 /
BRAHMAN / 山崎まさよし / YMO+小山田圭吾+高田漣+権藤知彦

わ~ん!行きそびれました!
今日もこれからじゃ間に合わない!

でも、本日7月8日、午後12:20頃からUSTREAM で中継があります。
http://www.ustream.tv/channel/nonukes-fes


去年の3月11日。東北大震災が起きてから、日本の芸能界、文化人はなかなか
動きませんでした。個々の活動は無論あった。被災地に炊き出しに行ったり、
慰問の小規模ライブやったり。

でも、ご存じのとおり、日本の芸能界は電力会社が大きなスポンサーとして
後ろで勢力をふるっているので、原発に反対する声をなかなか上げられない。
上げると、山本太郎さんのように芸能界から締め出されてしまいます。

でも、もし、ひとりふたりでなく、芸能人、文化人が一斉に原発いらない!の声を
上げれば、裏で糸を引く原発ムラもどうしようもなくなる。

どうして日本では、そういった大きなムーブメントが起こらないのだろう…
ロックの魂というものは、こういう時にこそ突き動かされるものなんじゃないのか!

ずうっとそのことを不思議に思い、情けなくも思ってきました。
坂本龍一さんは、事故が起きる前から一貫して、六ヶ所村のことなどを
とりあげて来た、日本で数少ない反原発の意識を持つアーティストでした。

朝日新聞6月15日の記事に、坂本さんの言葉があります。
これも、うみそら居士さんがブログにアップしてくださっているのでお借りします。

『存在かけて声上げ続ける 坂本龍一さん』

『私はまだ、諦めていません。自らの存在をかけて、声を上げます。
欧米では有名無名を問わず、社会的な問題について意見を言うのは当たり前です。
日本だって1960年代末から70年年代くらいまでは、ロックミュージシャンが
政治的な発言をしていた時代もあったんですよ。それがいつしかチャリティーですら
「偽善だ」という批判に強くさらされるようになり、とてもやりにくい時代が続いた。
音楽家は音楽だけやっておけ、政治的な言動はとるなと。』


『自分の存在をかけて、声を上げ続ける』……
なんと重い言葉でしょうか…
実際に、3.11後の坂本さんの言動は、それを静かに実行しているという気がします。
『消費増税に命をかける』という、頓珍漢な政治感覚しかもたないこの国の総理……

坂本さん。YMO。参集したロッカ―たち。本当にすてきです。
今日もうすぐ。USTREAMで。お時間のおありの方はぜひご覧ください。


なお、この2日間の幕張メッセでのライブの電源は、彼らは自然エネルギー100%で
やっているということです。徹底しています。

あ。USTREAM 配信始まりました。







『どくだみ荘日乗』

今、我が家は、裏に植えてある梔子の香が一日中しています。
私の大好きな香り。白い光沢のある花。

久しぶりに音楽でも。聴きながらお読みくださいね。
梔子の季節にはいつもこの曲お送りしている気がします。




ヴィム・ヴェンダースが監督した映画の中でイブライム・フェレールが歌っていた曲。
私の大好きな映画。記事はこちら。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』

Gardeniaは『梔子』のこと。


もう7月にいつのまにかなっていたんですねえ…。
私の生まれ月でもあります…。誕生日はまだ先ですが。

原発原発と言っているうちに、日々はジェットコースターのように過ぎていって
しまいます。
自分は何のために生きていってるんだろう、とふと考えることがある。
すると猛然と焦ります。

娘は私が去年以降最近あまり縫物をしなくなっているのを寂しがっています。
『ハハ』はどこか、何かが変わってしまった!、と悲しんでいるんじゃないでしょうか…

買い溜めた布はまだたくさんある。じゃんじゃかじゃんじゃか縫って、
私が死んだ後も彼女が着るものに困らないくらい、いろんなすてきな服を縫っておいて
やりたいなあ。少し地味目なのも作っておいて、彼女が40,50,60歳になっても
着られるように…

縁あって母子として出会って、私の持てるすべてを注ぎこんで育てて、
…それで、私は彼女を残してこの世を去らねばならない。
生きている間に、私に出来る限りのことはしておいてやりたいとこの頃思います。

そう思うのですが、なぜか一日はあっという間に過ぎていってしまいます。
集中力が明らかになくなって行っている…


娘たちが母の日父の日を兼ねてこんなものをくれました。

2012_0705_151400-CIMG7543.jpg


なんでしょう?ロボット?
喫茶店に昔置いてあった、占い機みたい?

…これ、家庭用プラネタリウムです。
スイッチを入れると、天井や壁に星空が映し出されます。
私の大好きな流星も一個だけだけれど時々流れます。
15分ほどにタイマーをセットしておいて、電気を消し、スイッチを入れると、
部屋にいながら、星空の下で眠りに着くことが出来るんです!
いいでしょ~~~? ^^


2012_0704_164434-CIMG7526.jpg


私の好きな黄色いちょうちょだ!!!

ん?でも、どこか変?




2012_0704_162623-CIMG7521.jpg


実はこれ。太陽光電池で動く蝶々です。
太陽光に小さなパネルの部分をあてると発電して、黄色い蝶々がひらひらと
舞い始めます。ほんとの蝶の動きにとてもよく似ているんですよ。
室内や夜には普通の電池で動かすこともできますが、太陽光の下ででの方が
ほんとの蝶の動きにそっくり。
これも、娘がくれました…。

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彼女、さすがに私の喜ぶものを熟知しています。
母の日に何がいいだろうと、一所懸命考えてくれたであろう娘の心を考えると、
涙が出てきそうになります。



どくだみ荘の日常…。

…昼はこんなので遊んで、夜はこの頃は毎晩、レイ・ブラッドベリの作品集を
枕元に積み上げて片っぱしから読んでいっています。
レイ・ブラッドベリ。この6月5日。91歳でお亡くなりになりました…。
たくさんの素晴らしく美しい不思議な話を世界のひとにプレゼントして行ってくれた。
レイ・ブラッドベリの作品のことは、近いうちに書いてみたいと思っています。

…そうしてうっとり眠くなったら、プラネタリウムのタイマーをセットして、星空を見ながら
夢の世界に入って行くのが、この頃の私の日常です。

一見穏やかな日々…そう。暮らしそのものには何の不満もありません。
だが…だが、胸の底に溜まった、この冷たい水のような悲しみは何なのでしょう!

自分では分かっているけれど、ことばで人に伝えるのは難しい。
…まあ、敢えて語ろうとするのはやめておきます…。


植物たちは慰めです。
陽の射さない、狭い庭ではありますが、今年はいろいろ植えてみました。
百合、ジンジャー、朝顔、夜顔、おしろい花…ダリアも鉢に2本。
杜の舟さんに分けていただいた黒種草が、もうすぐ咲きます。
私がぼんやりして植えどきを失していたので、季節外れに生えて来た子たちは
ほんとにか細くて、私は毎日心配で見守っています。
夜顔は、おそらく8月の終わりごろから、夜に開く白い花です。
朝顔に似ているけれど、少し光沢を帯びた花は厚みがあって、芳香を
夏の夜の空気に漂わせます。
月下美人も今年は咲くので、夜顔と月下美人と、妖艶な白い夜の花の
競演が楽しみです。これにカラスウリのレースのような花がもしあったら、
三大夜行性美女が揃うのにな。

ジンジャーも百合も、梔子も香り高い花。
私は高貴な感じの香りを持つ白い花がとても好きです。

昼はウグイスが時々近辺を飛び回って啼いています。
深夜と明け方には、ホトトギスが上空を飛んで行きます。
プラネタリウムで眠りに入っても、途中で目が覚めて眠れなくなることもある。
そしたらまた、ブラッドベリを取り上げて読んでいます。
そうすると、明け方、ホトトギスが、啼いて行くのです。
ホトトギスは、よく行く大きなスーパーのはるか上空も飛んで過ぎる。
見上げて探しても小さな点にしか見えない。でもそのよく響く声を聞くと、胸がきゅんとします。
スーパーの中。小さな女の子が『ママ!』と呼ぶ声。
張りのある、澄んだ、幼い声です。幼女が『ママ!』と呼ぶ声は、ホトトギスと同じように、
そう、何か一種のこれも『魂の叫び声』だと私はいつも思う。
そんな声を聞いたときも、胸が瞬間、じ~んと熱くなります。

結局、何なんですかね…。
寂しいのだろうか。



さて。『どくだみ荘日乗』…。

ブログ訪問者が、おかげさまであと20人くらいで述べ2万人になります。
恒例の、彼岸花の若い頃の写真公開。


すみません。いつまでも曝しておくものでもないですから、日付けが変わったのと共に
ひっこめさせていただきました。また、25000人か3万人記念の時にお会いしましょう…^^



『この民衆の声を聴け!』

皆さま。いつもに増して長い記事ですが、大飯原発再稼働の夜。
彼岸花、渾身の力を込めて思うことを纏めてみました。
どうか、途中で投げ出さず、お読みいただけると嬉しいです。




6月30日午前6時半、冷却装置のポンプ回路の故障で冷却が止まっていた
福島第一原発4号機燃料プールは、33時間後、復旧がなって冷却を再開することが出来た。
ここには1535体もの燃料が入っている。
それが冷却できなくなったらどうなるのか…
今回は幸い、復旧できたからいいようなものの、1~4号機までの冷却装置は
事故後、急ごしらえの、極めて不安定な装置である。いつ、どの個所で、どんなふうに
重大な故障が起きてもおかしくないのが福島第一原発の現状である。

大飯原発は今夜の再稼働開始を目指して、着々と準備が今も進められている。
私が数時間後、この記事を書き終わる頃には、大飯原発が動き出しているのだろう …
あれほど激しい、再稼働反対の声にもかかわらず、野田政権は再稼働に向かって
突っ走ってきたのである。
今も、おおい町では、再稼働反対を実力で阻止しようとする人々が、雨の中、現地で抗議活動を
しているはずである……

今日7月1日は、まだ福島の収束もまったく手がつけられないにもかかわらず、
ただ経済のため保身のために、野田首相をはじめとする少数の人間が
国民の声を無視して愚かしい決定を実行に移した、大きな歴史の汚点として記憶される
日になるだろう…
腹立たしさを通り越して、虚しささえ感じる…



『白蘭独』ブログのstanislowskiさんから、今日の昼過ぎコメントをいただいた。
これは、stanislowskiさんへの返事であると共に、私がずうっとこの頃考えていること。
いっそ、だから。記事にして書いてみようと思った。

stanislowskiさんのブログ記事を一部引用させていただく。 

                                                          * * *

 『再稼働反対』

福島のひとのブログを見る。
「福島の人は大人しいと思われるようだけど違う。声を出してもう喉がカラカラ。
声を出しても届かない無念さに何をしても無駄だと言う虚無感。」

何と言ったらいいのだろう。
「諦めないで。疲れているあなたの代わりに今、私が頑張りますから」
と、自重気味に思うが私だって同じ。こんなブログで呟いて何か変わるのか?!と行ったり来たり。

もうそおっとして置いて欲しい福島の人をよそに私も行ったり来たり。もがく。
関係ない記事を載せたり。
そしてまた戻る。
「声に出すことを止めてしまったら、そしたら、対岸の火事と思っている人たちと一緒くたにされてしまう」

「叫び続ける私の声は届かない」と、
「灰になるまで何が正しかったか分からない」などと、自分が悟りの境地に入ってしまったら愛するものを守れなくなってしまう。

むさぼるアイツらに殺されてたまるか。

再稼動反対!!!!!!! 


                                                           * * *

…このstanislowskiさんのお気持ち…。
まさに私が、事故以来ずうっと感じ続けていることだ。

ブログでこんなことをひそかに書き綴ったり、デモに参加したり…でも、それが何になる?
官邸前に15万とも言われる人々が集まって、『再稼働反対』『福島返せ』の
抗議の声を上げても、野田政権は、今晩大飯原発を再稼働させ、そして、
福島は、除染もままならぬ土地に、人々が今も赤ん坊、子供たちと共に住み続けている……

国民の声は為政者には届かず、原子力ムラの人間たちは少しも変わらない…
彼らにはわかっているのだ。この、今大きなムーブメントに見える原発いらない!の声も、
そんなもの無視してどんどんあちこちの原発再稼働に突きすすんで既成事実を作って行けば、
抗議の燃えたける火も、やがて内部からくすぶり始めて、
いずれは諦めてぷしゅっと消えてしまうであろうことを……

結局、庶民が政治を変える力なんてない。それならば、いっそ自分の日々の暮らしに
埋没してしまいたい…いやなことはもう考えたくない、見たくない…と私も思うことがある…。
それでも、心は揺れ動くのである。
これを。この政府と一部の利権集団の横暴と理不尽を許していいのか、と。
福島を、歴史の、やがて来る忘却の中に見捨てていいのか、と。
さらに、こういう運動自体が、果たして福島の心に添うているのであろうか、という根本的な問いもある…
『見捨てる』…
今私は『見捨てる』という言葉をつかった。
でも、この言葉自体が、実は、福島で現実に苦しむひとの心の煩悶や、生活の苦しさを
本当にはわからない、部外者の、思いあがったことばではないだろうか…

こんな記事を見た。twitterで見たのである。

『フクイチ原発収束作業員、都市部の反原発運動に悲痛な訴え』

皆さん、こんばんは。僕は福島第一原発の収束作業をしています。僕は昨年度、たった3カ月間で7ミリ(シーベルト)の被爆をしています。僕の職場は比較的安全というか、いちばん安全な場所かもしれません。そのようなところでも、すでに労災白血病の認定基準である5ミリシーベルトに2カ月半~3カ月でなっています。

 皆さん、原発というのは差別を生み出すシステムでした。今、収束作業を行なっているのは、都市部の貧困の人々、そして、寄せ場や福島の貧困な地域(の人々)、東北の出稼ぎ労働者(といった方々です)。皆、本当に日給1万円にも満たない状況のなかで働いています。

 原発労働というのは、実は差別の問題であります。その差別的な状況を、実は推進派であっても、反対派の皆さんであっても(よく分かっておられない)、今、廃炉という作業、収束の作業をやっているのは、紛れもない僕たち人間です。僕たちは人間なんだ。そして、僕たちはその人間としての尊厳を取り戻したい(のです)。

 日給8000円とか1万円とか、そんな金額でどうなんでしょうか?将来の不安もものすごくあります。多分、このままですと、僕たちは健康被害が出たとしても保障されないかもしれません。そして、僕たちのような収束作業員のことを親身に気遣ってくれるのは、福島の現地の住民です。

しかし、都市部の住民は、無責任に「ハイロ、ハイロ」とそのようなコールをします。だけど、その廃炉の作業をしているのは人間です。収束作業員です。都市の人たちに本当に言いたい。無責任な「ハイロ」という言葉ではなくて、その廃炉に向けて皆でこの原子力という技術が生み出す差別の問題を、自問自答しながら、そしてこの新しい社会、新しいエネルギーをこれから皆で考えて(いきたい)。

原子力という技術が生み出した差別の問題を、自問自答していかなければ福島の現地住民や収束作業員と一緒の気持ちで未来に向けた収束作業、廃炉作業はできないと思います。

 皆、本当にこの原発をなくしたいんだったら、人任せの廃炉作業(ではなく)、僕たちに任せるのではなく、廃炉作業を行なう僕たち収束作業員をもっともっと増やして欲しいですし、皆でどのようにこの原発(廃炉)を現地の人と一緒にやっていけるのか、考えて、本当に考えてください。

 大飯原発の社長さんに会いました。社長さんはテレビのインタビューがあった時に、「私は再稼働に賛成だよ」という話をしました。しかし、収録が終わった後、社長さんはこう言いました。皆、反対なんだよと。自分の身内は皆反対なんだと。この大飯原発の現状は、賛成、反対がごちゃまぜになっているところに、クサビを埋め込むのが、そして分断していくのが都市部の反原発運動であったり、電力会社であったりするわけです。賛成も反対も同じような支配者の視点からそのような原発住民の分断を図っている。そのようなことを皆さん、もっともっと気付いて、そしてその中で未来に向けて皆でやっていくことを模索していきたいと、そういうふうに皆さんに提案したいと思います。



この、原発労働の実態。
これは私が、事故が起きる前から、ずっといつかちゃんと書かねば、と思ってきた
問題である。近いうちに是非、この胸を打つ問いに真剣に向き合って書いてみたいと思う。


さらに。福島からの声!!!

『福島人権宣言』

        福 島 人 権 宣 言

 私たちは今、大いなる不安の中で日々生活しています。うつくしま、福島。私たちの故郷がカタカナでフクシマと呼ばれたり、放射能問題に頭をこれほど悩ますことは、全く考えたこともありませんでした。

 原発事故直後、私たちは老若男女を問わず、放射線を浴びました。その後も、線量の違いはあれ、外部被ばく・内部被ばくを続けています。原発から放出された眼に見えない放射線が、電離作用によって身体の細胞分子を日々切断しています。子どもを外遊びさせるかどうかなど、日々困難な選択を迫られています。何も気にせずに深呼吸することさえできなくなりました。これらの事実により、私たちは精神的にも大きく傷ついています。

 このような放射線の健康リスクと隣り合わせの環境で、日常生活を送っている人が大勢います。しかし決して健康に無関心というわけではありません。簡易な放射線検査機を購入して測定をしながら、外部被ばく・内部被ばくをどうやって避けて生活したらよいか毎日悩んでいます。特に、感受性の高い子どもたちの被ばくを避けるためにどうしたらよいかは切実な問題です。外部被ばくを避けて子供たちが思い切り遊べる室内施設が不足しています。内部被ばくや食品の放射性物質を検査するための機械も足りていません。

 住み慣れた場所から避難している人も多くいます。それが強制であれ、任意であれ、それまでの日常生活を捨てて生きていかねばなりません。経済的な負担はもちろんのこと、家族や地域と離ればなれになることによって精神的な苦痛を感じています。

 福島に残っている人も、去った人も、かつては希望と期待を持って福島で生活していました。みな故郷を愛する気持ちは同じです。にもかかわらず、福島に留まる人、避難している人、避難しようとしている人との間に心の隙間が広がっているという悲しい現実があります。

 原発事故により私たちは多くのものを失いました。しかし、もうこれ以上失いたくありません。

一、 私たちには、憲法で保障された幸福追求権があります。
一、 避難する、しないを自分で選択する自己決定権があります。
一、 放射能被害について、私たちが納得いくまで情報を得る、知る権利があります。
一、 差別のない、自由かつ平等な社会を求める権利があります。
一、 健康な身体を持ち、福島の自然を愛し、楽しむ生活を送る権利があります。
一、 財産が放射能汚染により侵害された場合には完全な補償を求める権利があります。
一、 私たちが愛した元の福島を返してほしい。そう主張する権利があります。
   何も考えずに水が飲みたい。おいしい米、野菜、果物、魚、肉、これらを何の不安もなく食べるこ
   とのできる、元の福島に戻してほしい。
   子どもの笑顔を見守りながら、家族や近所の人たちが笑顔を交わして仲良くできる、昔の福島に戻してくだ   さい。
一、 元の福島に戻すことが無理ならば、私たちが納得のいくまで、その償いを求める権利があります。
   私たちは立ち上がることをここに宣言します。本当の笑顔と人権を取り戻すため。
 
                  2012(平成24)年6月17日



今、私は、岩上安見氏が立ち上げたインターネット映像配信、IWJチャンネルを
見ながらこれを書いている。大飯原発の前で声を限りに叫び続ける若者たちの姿。

7月1日。午後9時。大飯原発3号機は予定通り、制御棒を引き抜き、再稼働始めた…

これは。民衆の声を無視した、野田総理など政府の一部高官と利権集団とによる、
強引にして理不尽な原発再稼働である。大きな大きな、歴史上の汚点となるだろう…
このネット映像を今、リアルタイムで2万6000人が同時に見、通算27万人近くが
再稼働反対を叫ぶ人々と、それを取り締まる機動隊の隊列を見ていた…
twitter、 facebookなどの声は一体どれほどあったことだろう!

それにもかかわらず、大飯原発は予定通り、再び炉に火が入れられた…

今、脱原発の運動の点でも、私たちは、大きな歴史の転換点に立っている…

この人々の叫びを、後の歴史はどう評価するのだろうか!
敗北とされるのか。あるいはこれが新たな、人々の政府への怒りとなって、さらに大きな運動として
展開していくのか…。

おそらく、大飯原発が再稼働されてしまったことで、何がしかの人ががっかりして
運動をやめるであろう。
この、IWJの映し出す、大飯原発前の人々…機動隊に規制されながら
声を枯らして、一種の念仏にも似たシュプレヒコールを上げる人々…
これを見て、心が運動から引いていってしまう人も多いのではなかろうか。
「私には、これはとてもついていけるものではない…これはやはり、一部の熱狂的な
人々の、特殊な活動である]…と。

今日は、大飯原発が再稼働され、原発ゼロの日が2か月で終わってしまった
歴史のターニングポイントの日であったのと同時に、脱原発の運動それ自体の
ターニングポイントになるだろうと私は考えている。

いや、6月29日。国会議事堂周辺に15万人もの人が集まったあの日に、
すでに、脱原発運動の変化の兆しは見えていたように思う。良くも悪くも。

ニュースステーションで鳥越俊太郎氏の指摘を待つまでもなく、
今回の官邸・議事堂前のデモは、従来のこうしたデモにあたり前のようにあった
組合の旗や学生運動組織の幟などが本当に少なかった…。
昨年の9月19日の『さようなら原発5万人集会』の幟の多さに比べると、
その対比が本当にくっきりと感じられる…
私自身は、学生運動の盛んな時代に青春時代を過ごした者であり、9.19のあの
たくさんの幟に鳥肌が立つほどの感動を覚えたものである。

だが、かつての血気盛んな学生活動家も老いた…!
それだけでなく、社民党の凋落、民主党の悪辣政治家を見るまでもなく、
かつては、政治権力ヘの抵抗組織で民衆の味方であった『組合活動』というものも、
自ら変質し、それにつれて、人々の『組合』を見る目も変わってしまった。
今は、それに代わって、名もない若者が個人で脱原発運動を立ち上げ、それが
ネットや口コミを通じて、このような大きな運動に増殖するそんな時代である。
…去年の事故から、わずか1年3カ月余の間に、である。
おそらく、去年、組合の旗のもとに参集した人々も、この紫陽花革命では
個人として官邸前に来たのではなかったろうか…
昨年の6.11の新宿デモ。若い人々の鳴りもの入りの集会に、別の場所で集会を
開いていたおじ様たちが、従来通りにハチマキ、たすきがけ、そして横断幕を
皆で持って、どこか恥ずかしげに小さくなってあとから会場に加わってきたあの
姿を微笑ましく思い出す。

社会運動の主役は変わったのだ…!
歴史はそういった意味でも大きく動いている。

私が悲しいのは、そうした時代の変化に気づかず、あるいは気づいていても
自分の思考と行動のパターンを柔軟に変えることがもう出来ず、
6月29日のあの見事なデモの主催者の若者たちに、ロートルの一団が、文句を
つけたらしいことである。私はその場を見ていなかったので、どんなふうだったのか、
詳しいことはわからない。
だが、twitterなどに多くの書き込みがあり、元活動家らしい中高年の一団が
『官邸に突っ込まなければ意味がない。生ぬるい。時間がきたら解散なんて
そんなものは運動じゃない!』と煽ったらしいのである。
この煽りに対する批判が随分twitter上に見られた。

私は嘆く。なぜ、もう、内部でこのようなつまらないいさかいをするか!

その、文句をつけた一団は、29日のデモが象徴する、社会運動の変化に
ついていっていない。もう、昔のように、学生たちが、組合員が、体で反体制運動を
する時代は、おそらく終わったのだ。(…もうしばらくの間は…もっとひどい政治になれば
その復活はありうる…私はそういう時代が来ないことを祈る)
彼らはよく振り返ってみる方がいい。暴力に訴えたあの学生運動が、何か結実を
もたらしただろうか?
なにも政治は変えられず、結局内部分裂がひどくなって、最後はあさま山荘事件に
いきついてしまい、あれで、決定的に、日本の学生運動は壊滅してしまったのである。
民衆の心から乖離してしまったのである。
そうしてそれは、直接関係ない革新政党の凋落の一因ともなって、今日の情けない政治地図と
なっている…

また一方で私は、その旧活動家の一団を批判する人々のtwitter の文言の過激さにも
危惧を抱く。彼らは、学生運動の歴史を身を持って知っているわけではない。
かつての若い一途な青年たち…それは現在の若者と根本において変わらない。
かつての若者が抱いた、社会悪への憎悪と怒りは、今、脱原発を叫ぶ若者が抱いている
政治権力への憎悪と怒りとなにも変わるものじゃない。…同じなのだ。

…ということは、かつての若者が失敗した経路を、今の若者も辿る危険があるということである。
年を取っている、考えかたが古い、と決めつけず、むしろ、先の世代が犯した失敗を
自分たちにも起こりうることと思う謙虚さも必要なのではないだろうか。
それは、先の世代の学生運動の熱狂を歴史をたどって学ぶことで初めて理解できるものではないかと
私は思う。歴史は連続しているものだ。先の世代、今の若者、という分け隔ては
なにも生み出さない一つの不幸であると、自戒を込めて思う。

また。もう一つ今度の運動をずうっと見守っていて感じること。
いや。原発事故が起きる前から、そう、労働者の首切りと年越し派遣村などが
話題になっていた頃からずっと思っていること。
今、日本では組合活動というものが、電力総連など組合が民主党の支持母体となっていることもあって、
一般にひどく評判が悪い。『クミアイ』『ニッキョウソ』『カツドウカ』などという語が
悪のイメージと今はなってしまっているようだ。
今回あじさい革命に参加している若者たちの中にも、『プロ市民』などという語で、
これら組合から反原発脱原発運動に携わっているものを差別し排除しようとするものが
一部に見られるが、これも私は悲しいことに思う。
昨年の菅総理のバッシングに、どれほどこの『プロ市民』ということばが飛び交ったことだろう。

この点でも、歴史に学ばねばならないと私は思うのだ。
組合活動は確かに変質したのだろう。例えば、東京電力の組合は、会社の御用組合と
なってしまっている。本来組合活動というものは、経営者の横暴から、社員の権利を守る、
そのことが使命だった…ところが東電の組合などは、会社そのものとなってしまって、
しかもそれは、正社員達の組合であって、今現実に高い放射線量の中で収束作業に
あたっている下請けの下請けの…そういった作業員たちを守るものでは全然ないのである。
同じ会社の仕事をする同じ労働者でありながら、東電の組合は、下請けの人々に
助けの手を差し伸べない…

これでは『クミアイ』というだけで、若い人々から嫌悪されるのも無理はない…

しかし。もともと、組合というものは、この社会に絶対に必要なものだと私は思っている。
ここ3、40年…日本は発展に発展を遂げてきた。日本は豊かになっていた…
皆が生活が豊かになれば、労働者が資本家に搾取されている、などといってもピンとこないだろう。
しかし、かつて日本には、人間が生きる最低限の権利も奪われるひどい時代があったのである。
婦人参政権もそうだが、今当たり前と思われているもろもろの権利は、先人たちが命をかけて
権力から勝ちとってきたものなのである。
あなたが今、当然のものとして受け取る給料…労働の対価…。健康に働く環境…。
それらは昔から当たり前のようにあったものではない。先人が勝ちとってきたのだ…。

…そういう時代を知らぬものが組合の悪いところだけを見て、その必要性を理解出来ないのも
無理はないとは思う。
しかし。おそらく。
私はこれからの時代は、組合の様な存在の必要性を人々が痛感する時代が必ず
来るであろうと思っている。それはある意味で不幸な時代の予感がするからである。
日本が上昇に上昇をしていく時代は終わってしまった…
他の原発も次々とまた動かそうと、愚かな政治家と大企業などの利益共同体は画策している…
しかし、原発はいずれどこかでまたガタがくる…。いずれは巨額のお金をかけて廃炉
しなければならない。放射性廃棄物の処分も考えねばならない。
福島はどうする。東北の復興はどうする!
自民党の愚政から引き継いでいる、この巨額の国の借金をどうする。
上記の原発労働者の方の訴えるように、彼らがまっとうな労働の対価を受け取る権利は
共に勝ち取るしかないのだ。電力会社と国に向けて彼らが団結し要求していくことが
必要だ。私たちはそれをわが身の問題として、支援していかねば。
これから、愚かな消費税増税が実施されれば、今、下層にいる人間はさらに生活が苦しくなる。
小さな町工場、商店はますます経営が苦しくなるだろう。
一人でブツブツ言っていてはこれらのやがて来る大きな不幸は防げない。
やはり、人々があきらめないで大きく声を上げ、あらゆる方法で国を変えていくよう
働きかけるしかないのである。

本当はあの不幸な大震災と原発事故が起きた去年と今年が、日本が大きく生まれ変わる
チャンスだった。欲をかかず、そこそこの経済活動で、それよりは国民の健康と
暮らしの安全と満足をめざす社会に生まれ変わる大きな機会だったのだ。
…しかし、今晩、日本の愚かな政府は、その反対の政治をしていくことを、国民に
いわば挑戦状のように叩きつけ見せしめをした。
その、大きな転換点を今日国民は見たはずである。

この国の今の政府は、そしておそらく次の政府も、その次の政府も、…
国民の幸福など考えてくれはしない。自分の選挙の支持母体となる金持ち企業を
優遇し、国民から集めた血税は、またぞろ、もんじゅなどの無駄な箱モノや
公共事業にずぶずぶ垂れ流して行こうとしているのである。
弱者は切り捨てていかれるだろう…

弱い労働者は個人では戦えない。そういう不幸な時代になれば、組合のような活動が
大変に重要になってくるのである。みんなで力を合わせて、自分たちの労働に対する
正当な賃金と労働環境を要求できるように。
人間の尊厳を奪われないように。人間の健康で安全で
幸せに生きる権利を奪われないように。


冒頭部分で紹介した、原発労働に従事している方の声をもう一度聴こう。
福島の声を聴こう。

私たちに今必要なのは、この国をどうしていくか、本気になってみんなで考えることである。
力を合わせることである。
国民の声を大きく一つにまとめて、ひどい政策をしている政府と権力者たちを
変えていくことである。変わらざるを得ないほどの大きな国民運動にしていくことである。

ようやく始まったばかりの、この国民運動の火を、運動方針の違いや、好き嫌いの感情や、
偏った先入観で自らばらばらにしてしまい、消してしまうようなことにしてはならない。
小さな紫陽花の萼片たち…せいいっぱいの声を上げ始めた小さな花たちを
それが大輪の花になる前に委縮させ摘んだり萎れさせてしまってはならない。

確かに原発で働くこの方のいうのはある点で本当だ。過激な、お祭り騒ぎの脱原発運動…
それは確かに、実際原発で防護服を着て作業する人々の気持ちは本当にはわかっていないかもしれない。
福島で、『子供を連れて避難したい!』と思っても、家族の中に、親しい友の間で、
地域の雰囲気で…そして何より経済的な事情で。逃げたくとも逃げられないで子供にただ詫びる
母親のつらい想いは本当にはわからないだろう…
収穫の歓びと生きる糧を得る農地や漁場を奪われた人々の絶望は確かに本当にはわからない!
たとえ放射能汚染されていても、父祖の地のふるさとで生きていくことを選択した人々…
でも、彼らも、地元に店がなくなり商売も成り立たなくなり、病院や学校も
機能しなくなり、町としてムラとしての機能がなくなれば、そこで生きてはいけない。
その寂しさと絶望は、確かに、ノリノリで『再稼働反対!』と踊る都会の市民には
本当にはわかっていないのだろう…

だが、お互いのそんな違いばかりを洗い出していって、感情をそれぞれが先鋭化させていっては
この不幸を解決はできない。
力を合わせる時が来ているのである。本気で皆で考える時が来ているのである。

大飯再稼働は敗北なんかじゃない。

これからが日本の正念場だ。政治を変えていかねば。私たち自身が勉強しなければ。
原子力発電というものが、原発労働に従事して危険を冒してくれている人々なしでは
成り立たないことを、原発ムラの連中もそうだが、私たち国民も忘れている。
誰かがやってくれる、と思っているから、確かに『廃炉!』と大声で叫べるのである。
福島か青森かどこかの県が原発の高レベル~低レベル廃棄物の捨て場になってくれるだろう、と
思うから、『廃炉』と叫べもするのである。
福島第一原発はどうせ廃炉になるんだから、そこを核の廃棄物処分場にすればいいのじゃないか、
…私などもそう考えを口にしたことがある。しかし、それはなんと残酷な言葉であろうか!
確かに、これでは原子力ムラの思想と変わりない…。

それでも。それでも、だからと言って黙ってしまっていいか?
そういった厳しい自己反省も含め、原発の問題は、考え続けていかねばならないものだ。
やはり声は上げ続けなければ。
政治というものが、必ずしも国民のことを考えてはくれないものだ、ということを
私たちはいやというほど知ったはずである。
東北の復興はほったらかし、福島の子供たちは、政治家らに忘れ去られてしまっている。
弱者からは否応なしに消費税増税でそれでなくても乏しいお金を巻き上げ、
強者である大企業などは逆に優遇したままにしておく政府である。

この国を良くすることが出来るのは私たち自身しかない。
この怒り、この悲しみを、やはり声にして、大きな大きな声にして
心ある政治家を応援し、悪辣な政治家は選挙で遠慮なく落とし、
この国を徐々に変えていくしかないのだろう。

先ほども述べたが、私たちは今、気づかずして、先人たちが涙と労苦で勝ち取ってくれた
働く者の権利や労働環境の恩恵を受けている。それは、『クミアイ』などを揶揄する
人々も同じにその恩恵を享受しているのである。
また、確かに、過去の学生運動、市民運動などは、政治を大きくは変えられなかったかもしれない。
学生運動は無残に終焉した。
しかし、民衆が声を上げることは、決して無駄にはなっていない。
過去の反原発運動だってそうである。大きくは変えられなかったかもしれないが、
それらの声は、政治の抑止力に必ずなるのである。
それらがなかったら、国は暴走するのである。

今、私たちが当然のように受け取る給料、ボーナス、快適な職場環境、
労働時間…そういったものは、何度も言うが、先人達が200年ほどを
かけて一つ一つ勝ちとってきたものである。
私たちは、後世の人々に、あとで感謝されるようなものを残すことが出来るであろうか?
…残したものが、放射能に汚染された大地と空気と海、というのでは恥ずかしくないか?
折角先人達が築いていてくれた、世界でもお手本にされるべき平和憲法や、
国民皆保険制度や、自由にもの言える環境や、そんな人間社会の宝とも言える
数々の制度や仕組みを、私たちの時代に、愚かな政治家にぐずぐずに壊されていいのだろうか?
原発をこのまま使い続け、核のゴミをどうしようもなく膨大に、私たちの後世への土産として
残していくのか? そんな愚かな時代の民でありたいのか?!!!

知恵はある。きっとある。
原発に依存しなくても、おおい町が生きていく道はきっとある。
原発に依存しなくても、日本が生きていく道はきっとある。
それを信じていこう…
原発はいるんじゃないの、と今言っている人々の中にだって、他の道があるなら
そりゃ原発など欲しくない、と考えているひとは多いはずである。
分断などされないで、力を合わせてこの国を作り替えていこう。
今、民衆の間に湧きおこったこの希望の火を消さないようにしよう。
小さな花たちのつぶやきを、見事な大輪の紫陽花にしよう。

再稼働を許した政治家よ。国民をこのように分断して愉快か!
あなたにとって、幸せとは何なのか?
あなたは何のために政治家になったのか?ただ、名を成すためか?
そこには少しの理想もなかったのか?
人間の悲しみへの想像力が、あなたには少しもないのか?
誰の笑顔をあなたは見たいのか?

国民のこの声を聴け!!!!!!
心を開いて真摯に聴け!!!!!!
















プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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