『地球号という船に乗って』

こんなものご存じ?

船や灯台が鳴らす霧笛(fog horn)というもの。
霧の濃い夜などに、船舶同士が、あるいは船が岸壁などにぶつからないよう、
音で信号を送りあいます。
霧の濃い夜、この霧笛の音を聞くと、いや、実際に聞いていずとも、
その情景を想像するだけで、何か胸がきゅん!とするような旅情といいますか、
せつない懐かしさがかき立てられます。
今は、船舶にGPSなど電子機器が完備されて、灯台の霧笛は無用のものになりました。
いや、灯台そのものが今は無人化して、昔の役をもう果たさなくていいようになってしまっている。

でも、船に取り付けられた霧笛はまだ活躍中。
そして、橋にもfog hornがとりつけられているところがあって、船に合図を
送ります。それらの音はなぜか哀愁を帯びていて、なかなかいいものです…

ところでこの霧笛。霧の夜などだけでなく、大型客船などが出港する時にも
鳴らします。
世界の港を旅してまわる豪華客船…
それらが互いに行き交う時にも、お互いの旅の安全を祈って、この霧笛を
鳴らし合うのです。

まずこの映像を見てくださいね…
以前、一度記事にしたことがあるけれど、また違った願いをこめてこの映像を
アップしてみたいと思います。






ああ!
なんと楽しげなのでしょう!
この屈託のない笑い。そして船と船がすれ違う時、顔さえ互いによく見えぬ相手に向かって
手を振りあい、指笛を鳴らし、笑い声を交わし合うこのなんともいえぬ共感のこころ…!
片方の船がホーンを鳴らせば、その乗客が歓声をあげ、相手の船の乗客が拍手と歓声を送る。
そして、相手方の船からホーンのエールが戻ってくる…
ここにはこの時この瞬間、人種の違いも、国の違いも、言語の違いもなにもありません。
あるのはただシンプルに触れ合うひととひとのこころです。
無論、知る人ぞ知る。船上というのは、かつて思う以上に、階級を自覚させられる世界でした。
何等の客になるか、によって、無論船室の場所から、その設備から、足を踏み込める場所から、
乗組員の扱いから事故時の避難順序までなにからすべて差をつけられるというそういう世界。
三等船室の客などになると、窓もない、船倉に近い部屋で、しかもデッキやレストランの
出入り先まで等級によって差がつけられて行けないところがあったという。
今は、クイーンエリザベス二世号など一部の船を除き、世界の豪華客船には、
そんな等級によるレストランなどの利用の差別などはなくなっています。
ホテルと同じで、無論値段によってキャビンの質に差はあるけれど、他は平等。

…それでも、こんな豪華客船に乗ってクルーズすることのできる人々は
恵まれた人々と言えましょうか。でも調べてみると、カリブのクルーズ料金など、
案外お手ごろ。わたしもいつか。こんな旅がしたいなあ…。

閑話休題。
とにかく、この船の人々の楽しげなこと!
今、船と船がすれ違うこの瞬間、人々はほんとうに、国籍も人種も言語の相違も関係なく
同じ船上の、同じ地球の海の旅人同士として、こころを温めあっています。

この一つの船の上で、人々は戦争をするだろうか。小さないさかいはあっても。
この一つの船の上で、人々は核兵器を使うだろうか。
そんなことをしたら、船は沈んでしまいます。
このお互いを讃え合う船と船が、ミサイルの撃ち合いをするだろうか。

…よく、地球のことを『宇宙船地球号』などという言い方をする。
宇宙から地球を見た映像を見ると、本当になんと地球は美しい奇跡の星だろうか!
といつもいつも私は思います。
美しい水の星、地球…
ここに、あなたも私も、みんな、今、束の間の生を生きています。
それは二度と巡りこぬものです。

なんで、ここで戦争をするだろうか!
なんで、この奇跡の美しい星を、穢して平気だろうか!……

人間と人間が、生物としての素の一人一人に立ち返ってみたら、
赤児のような初々しい目でこの世のすべてを見てみたら、
なんで人間は愚かな戦争や地球環境破壊などしたくなるでしょうか!

港に船が着く…
船と船が行き交う…
人々と人々が束の間、見知らぬ相手にエールを送り合う…
なんて楽しく美しく、そして束の間の人生の喜びに満ちていることでしょう。


私は、この映像を君に贈ろう。
こころを自由に。大きく育てて行きなさい。
国や人種や言葉や…そんなものを超えて、大きな海に船出しなさい。
そして、人々がこうして懐かしく寄り集まるこころの港のようなひとになりなさい。

von voyage!














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『ててごとひろば~月三夜・星三夜』

女たちは、古来から、家というものの重圧や、
女に生まれたということだけで負わねばならない悲しみに
じっと耐えて生きてきました…

女は悲しい時にどうして来たでしょう…。
どうやって悲しみをこころの内で何とか消化してきたのでしょう…

一つは、ざあざあ水を流しながら洗い物をすることです…
暗い台所で…。あるいは家の外にあって、誰にも涙を見られないですむ
井戸の脇の洗濯場で…。
女たちは涙を洗いものと一緒に流してきたのです。
そして今一つは、針仕事、それに類したことをすることでしょうか…。
ちくちくちくちく、針を動かしながら、束の間、その間だけは女たちは無心になれるのです。
家中の者が寝静まった夜、家族の者たちの足袋や下着のほころびを繕いながら…
古くなったり汚れた着物をほどいて洗って、仕立て直したりしながら…
悲しみを一針一針に縫いこめ、いつしか無心になっていくのです。
編み物をするのも、機織りをするのもそれと似ているのではないでしょうか。

今度の東日本大震災、そして福島第一原発事故のもたらした悲しみは、
とりわけ、深い、到底癒しがたい大きな悲しみを人々にもたらしてしまいました…
私は女です。女という立場から、その悲しみを想う時…

被災地の方々が欲しいものは、お金で買えるものも多いでしょう。
しかし、大事な方や、慣れ親しんだ家、そして地域の暮らし…
そういったかけがえのないものを失ってしまったこころの隙間は、
容易に埋めることなど出来ないと思います。
出来ないとはわかっているのだけれど。それはわかっているのだけれど、
手を動かしていれば、その間ほんの束の間でも、悲しみを忘れることは出来ないかしら…
お針仕事の道具一式とか布とか糸とか、毛糸とか、避難所の方に
お送リしたらどうかしら…
そんなことを私はずっと考えていました。
でも、援助物資は山のように届き、しかもその分配なども滞りがちとのこと。
私が考えるようなもの送っても、しかたがないかな、と半ばあきらめていました。

そんなとき、私はクウ―ママさんの活動のことを耳にしたのです。
クウ―ママさんは、岩手県盛岡市在住の布工芸作家でいらっしゃいます。
クウ―ママさんは、東日本大震災で家族や友人や家を失った方々のために、
なにか支援が出来ないかとずうっと考えていらっしゃいました。
(すみません。敬語だと他人行儀で書きにくいので、ここから先、敬語でなく
普通の言葉で書かせていただきます。)

あるとき、全国から集まった支援物資の衣類のうち、引き取り手がなく宙に浮いている
もののことを耳にします。
折角の皆さんの善意の衣料…でも、確かに、季節が合わなかったり、
今はあまり日本人が着なくなってしまった和服だったり…良いものでも
引き取り手がないものも出ますよね。
それを、自分の手仕事の力を活かして再生し、復興支援の一環として
なにか活動できないか、とクウ―ママさんは考えます。
引き取り手がなくて廃棄される運命の衣類たち…。
それを丁寧にほどいて、アイロンかけて、パッチワーク用の素材に使うのです。
チラシを作ってこのボランティア活動に参加してくださる方を募って、
みんなでパッチワークのひざかけや小物を作って、それを、東日本大震災被災地復興支援チーム
『SAVE IWATE(セーブイワテ)』
『羅針盤』さんに届けます。
それらの作品は、被災地へ届いたり、支援アピールの場で売られて義捐金になったり、
あるいは作った方にささやかなお楽しみの報酬になったり…。
被災なさった方がた自身がこうしたものづくりに参加してくださって、
それで多少の収入が得られたら…楽しみにも張り合いにもなります。

すると、その想いに応えるように、『おうちカフェ ヂルチクリエイト』さんが
立派なフリースペースを提供してくださるということになって、
件の衣類も使わせてもらえることに話が進んで、とんとん拍子で、
クウ―ママさんの想いはかたちになって行きました…

ててごとひろば

そしてついに、6月14日。第一回の『ててごとひろば』が開かれます。

私が、クウ―ママさんの活動を知ったのは、ちょうどその頃でした。
我が家には、私が長年かかって骨董市などで買い集めた派手な着物がたくさんあります。
私は娘が0歳の時から、ほとんどその着るものを手作りしてきました。
オーバーから展覧会のパーティ用のドレスまで…。
そんなことのために買い集めたものです。でも、娘の好みがはっきりしてきて
もう使わないだろうと思う着物や端布がたくさんある。
これを利用していただけないかしら?

『布、使っていただけますか?』
私の問いにクウ―ママさんから『喜んで』という返事が届きました。

で、送らせていただきました。
クウ―ママさんやボランティアでパッチワークの作品をお作りになる方が楽しんでいただけるよう、
なるべく綺麗な色の着物の端布などを、クリアポケットなどに配色も美しく詰めて。

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で。受け取っていただけました。


ててごとひろばに着きました

段ボール箱を覗きこんでいる可愛い子は、クウ―ちゃんです。


クウ―ママさんの活動は、『ててごとひろば』だけでなく、東日本大震災被災地復興支援チーム
『SAVE IWATE(セーブイワテ)』の 『羅針盤』さんの2か所にわたります。
そこに集まってくれた女性たちと、古着を丁寧にほどき、パッチワーク用に切り、
そして縫い方を指導して行きながら、みんなで巾着袋などの小物入れや、ひざかけなどの
大きなものまで作りあげていきます。
活動の様子はこちら。

http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-1368.html
http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-1382.html
http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-1394.html
http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-1423.html


ここには、被災なさった大槌町の方もおいでになって、みんなといっしょに
おしゃべりしながら手を動かし、避難所生活の憂さをその間だけでも
忘れてくださる、というお役にも立っているそうなのです。

クウ―ママさんのブログから、一部引用させていただきます。


『少し足を引きずりながら参加して下さる80 才の方は
津波から助かったものの全てを失って、盛岡へ避難して来て間もなくご主人が亡くなって、
海も山も見えないアパートに一人残されて泣き暮らしていたと・・・

ひとりで家で出来るようにと、終了後も残って今日のおさらいをして
すべすべ滑って手こずらせる絹を縫いながら、来て良かった・楽しいと言ってくれる
その表情が穏やかで、込み上げる涙を飲み込んでウンウンとうなずくしか能の無い私。

よく、出て来てくれたね。来てくれてありがとう。
やっと見つけた楽しい事が、ずっと貴方を慰めてくれますように・・・』



『ててごとひろば』『羅針盤』の活動は、やがて新聞社などの知るところとなり、
盛岡タイムズや岩手日報、IBCラジオ、テレビ岩手とめんこいテレビの取材も入ったのだそうです。
すごいじゃありませんか!

クウ―ママさんは、そうやって2か所でボランテイアなさる一方で、ご自分の個展の
作品作りもしていました。
展覧会はこちら。


展覧会布ぅ楽 


おっと! 見覚えのある布があります。嬉しいな。
このポスターはお嫁さまがレイアウトしてくださったのだそうです。
すてきです。
お近くにお立ち寄りの方、ぜひぜひ覗いてみてくださいね。
クウーママさんの作品は、クウ―ママさんのブログのカテゴリーの、『作品』という
ところでご覧いただけます。
あ。展覧会は、盛岡市ででなく、秋田市でです!



そして。
私、クウ―ママさんから、なんと作品いただいちゃいました!
布たちのお礼ということで、大事な作品の中から私にと、選んで選んで
くださったのです。

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まあ、なんと懐かしさと温もりを感じさせる作品でしょうか。
遠くのなだらかな山並み。近景の森の木立ち…
小さなキツネの子が『ケーン!』と遠吠えしています。
お母さんの姿を求めて鳴いているのでしょうか……

タイトルは、『月・三夜』。

これらの布も、私の世代の者には懐かしいです。昔、父や祖父や、あるいは
祖母などが着ていた普段着の着物や、長襦袢などにこういう布が使ってあったことを
思い出します。
真岡木綿やモスリン、一部、絹も使ってあるのかな…
それらを丁寧につなぎ合わせて、ステッチを入れて…どれほどか手のかかる作業です!

クウ―ママさん。ありがとう!♪


『月・三夜』…。
私は今夜も、流星群を見に、川原に出ます。オリオン座流星群です。
私には願い事があります。
どうしても3つ流れ星を見たい…

昨日の夜も夜半過ぎ、例の『浅川君』と名付けたディレクターズチェアを抱えて、
川原に出て、一時間ほど空を見上げていました。
でも、昨夜は、一個しか見ることができませんでした……
今夜も、明日の夜も、たぶん私は、一人で夜の空を見上げています。
私の『星・三夜』…。

ペルセウス座流星群を見ていた8月と違って、今は夜になると
さすがに寒いです。薄手のダウンジャケットを着て出たけれど、
帰って来た時には体が冷え切っていました…

玄関で、『月・三夜』の子ギツネちゃんが、「寒かったでしょ」と出迎えてくれました……


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願わくは一日も早く、被災地の方々が安心して出来る限りこころ安らかに暮らせる
日が来ますように。
SAVE IWATEなどでは、まだみなさまの応援を待っています。
クウ―ママさん達のような、息の長い地道な支援こそが大切なのだと思います…

http://cooplus.blog4.fc2.com/blog-entry-1426.html









『さようなら原発集会in日比谷』

2012年、10月13日。
日比谷公園野外音楽堂で、大江健三郎さん、落合恵子さん、瀬戸内寂聴さんらが
発起人の『さようなら原発1000万人アクション』の集会がありました。

7月16日。17万人を集めたと言われる代々木公園での『さようなら原発集会』、
7月29日。首都圏反原発連合主催による国会議事堂前のキャンドルデモ、
それ以来、私はデモに行っていませんでした。
久しぶりのデモ参加です。

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これが『野音』と俗に言われる日比谷野外音楽堂です。
ここで数々の伝説的コンサートが開かれています。
今日の集会は、主催者発表6500人。
前回の代々木の17万人とも言われる規模に比べれば、「ああ、減ったな!」という
感じは否めません。


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大江健三郎さんは今回もおいでになって、デモの先頭を歩かれました。
魯迅の言葉を引き、『そもそもこの地上に、道というものはなかった。
ひとが歩けばそこに道が出来るのだ。この集会もそういうものであると思う』
というような話をなさった…
大江さんの話はまともに声が聞こえていても聴き取りにくい。
この日も話のほとんどは聴き取れなかったけれど、大江さんはもう、
ある意味、『象徴』のような存在になてらして、いてくださるだけで有難いと
思ってしまいます。
城南信用金庫理事長の吉原毅さんが閉会とデモ開始の挨拶。
「経団連、日本商工会議所、経済同友会の経済3団体が、『経済界は原発ゼロに反対している』
などと、まるで経済界全体の意見を代表しているような言い方をしているけれども、
城南信用金庫は商工会議所に一応加わっているが、一度も意見など聞かれたことはありません」、
などと話して、会場を笑わせてくれていました。

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デモ出発。待機している時、前の方にいらした方のプラカード。
かつての全共闘運動の闘士たちを想わせるヘルメットをかぶった優しそうな顔の犬が、
『右翼でも左翼でもなく仲翼(仲良く)!』と言っている…!

どなたが考えたのか知らないけれど、うまいなあ!と思ってしまいました。
本当にそう。
この国のことを真剣に思うなら、国民の健康で安全に生きる権利を奪ってしまう
そして国土の一部をひとの住めない場所にしてしまって、今後何百年と
放射能汚染と向き合って暮らさねばならないようなことにしてしまった原発を
いいと思えるわけがないのです。
右翼と左翼とか老人だから若者だから、日本人だからそうじゃないから、なんて
関係ない。反原発運動の運動方針の多少の意見の相違などなんでしょう!
みんなの気もちを緩やかに、大きな一つの力に結集しなければ!!!

でも、現実には、今回の集会でも感じたけれど、こちらの『さようなら原発
1000万人アクション』主催の集会・デモには若者の姿が減りました…
官邸・議事堂前の首都圏反原発連合の集会は、なるべく、組織的な団体…、
幟旗をたてて昔ながらのスローガンを叫ぶ古い形の運動家たちを、
あからさまにではないけれど排除する傾向がある…

さびしいことだと思います。
幟旗だって組合旗だって手作りのプラカードだってなんだっていいじゃないですか。
『原発をなくしたい!』…その想いのもとに皆が集まれば…

しかし、11月11日には、この首都圏反原発連合とさようなら原発1000万人アクション、
またその他の団体が手を結んで、霞が関界隈で100万人規模のデモをしようと
今準備中らしい。そうこなくっちゃ!!

占拠11.11 100万人大



さて。若い人が少なく鳴りものも少ないので、デモはおとなしくスタート。

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デモをしながら、少し東京ウォークしましょうね。
これは『市政會館』。大正9年。東京市長になった後藤新平は、ニューヨーク市政調査会
を範として、大正11年、東京市政調査会(後に後藤・安田記念東京都市研究所に改称)を設立し、
自らは初代会長に就任した。
建物は建築家8人による指名設計競技の結果、佐藤功一の案が採用され、これをもとに
清水組(現・清水建設)が施工。昭和4年に落成。
建築物の北側部分を公会堂(日比谷公会堂)、残りを会館とした。(Wikiより)

日比谷公会堂、というと、ある年代以上の人には懐かしい響きを持っているでしょう。
NHKのど自慢大会や『三つの歌』などの公開放送はここから送られていました。
年末の紅白歌合戦もここで行われたことがあります。
昭和35年。日本社会党委員長浅沼稲次郎が右翼の山口二矢に刺されて亡くなったのもここ。
写真に写っているのは、市政會館側。
近くから撮ったので、美しい時計台等、ゴシック様式の全体像が映せなかった。
都選定歴史的建造物になっています。
コンペで勝って設計を担当した佐藤功一氏は早稲田大学大隈講堂の
設計者でもありました。


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これがにっくき東京電力本店ビル。この紅白の鉄塔が目印。

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デモ隊の人数が少ないということもあるのか、それともすぐ近くの東京国際フォーラムで
IMF・世界銀行年次総会が行われていて、そちらに警備要員をとられているからか、
デモの規制はあまりうるさくなく、少しほったらかし。(それも張り合いがない…
要するにデモのインパクトがないということでもあるので…。大勢の警官や機動隊員…
それも上空から見れば、枯れ木も山の賑わい、と言っては失礼だけれど、
集会の規模の大きさの可視化、に貢献してくれているようなもんだ)

しかし、この東電前だけは、相当な数の警官が配備されていたなあ。
そうそう。日比谷公園を出たばかりのところにも、私のようなぼおっとした者にさえ、
これは公安関係か?と思わせるような、いかつい体つきと鋭い目つきの男たちが
威嚇するように並んでいたなあ。


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これは大手広告代理店、あの電通の銀座ビル。昭和9年竣工。
1967年に築地に本社が移るまではここが本社。さらに今は本社は東新橋、汐留貨物駅跡地の
巨大なビルに移って、この銀座のビルはギャラリーになっているとか。
私の写真では分からないけれど、建物の交差点に面する角を丸く取ってあって、壁面は
緑系の総タイル貼り。当時としては斬新な横長の窓も面白い。
これは真ん中の広いガラス部分は固定されていて、両側の細長いガラス部分が
開閉できるようになっている『シカゴ窓』という形式なんだそうだ。
あと、ちょうど樹の陰になってなってしまっているがエントランス上部の
レリーフなど、建物として魅力的なもの。
『電通』と聞くと、私には複雑な思い……

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デモは、つつましげな「原発いらない!」などのシュプレヒコールが
小さなグループごとに行われるだけで、鳴りものもなく、静かに進んでいく…

…空を見上げると!

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なに!この空!
こんなの見たことない!

なにか、言いしれぬ、喜びとも悲しみともつかぬような感情がこみ上げてくる……




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東京駅に着いた。
ちょっと遠くから、デモ隊の姿を写して、私はここでお別れ。
デモ隊はもう少し先まで行く…


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東京駅地下を通って、八重洲口の方から丸の内方面に出る。
10月1日にお披露目したばかりの新装なった東京駅駅舎を見ていきましょうかね。




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一番右が、新丸の内ビルディング。
その奥が、丸の内ビルディング。いわゆる丸ビル。
でも、昔の丸の内ビルヂングは、こうだったんですよ。

http://www007.upp.so-net.ne.jp/haikeiroku/marubiru.html



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ほんとはもう少し早ければ、もう少し先の三菱一号館美術館でやっている
『シャルダン展』を見たかったけれど、もう5時過ぎていたので、また
出直すことに。
足も痛くなっていたので、新丸ビルの最上階に行って、景色を見ながら
ちょっと休むことにしました。


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7階から見下ろした東京駅。


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この新丸ビルの7階には、四方の窓から東京の街が見えるように配置された
8つのダイニングや、バーなどがあります。
それぞれのお店の内装もお洒落なんだけれど、食べものや飲み物は、外周のテラスでも
食べることが出来るようになっています。


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私も、カウンターで支払いすませてから、飲み物持って、テラスに出ました。
テラスには、こんなふうに植栽がしてあって、食事をするテーブル席や、
ただの冷やかしの人でも自由に座れる木のベンチなどあって親切です。
たくさんのひとがこうして、ライトアップされた東京駅を初め、美しい夜景に見入っていました。

帰ったらすぐに食べられるようあわただしく夕食の支度をして家を飛び出してきたので、
朝から、何も食べていません。喉もからから…
ブラッドオレンジジュースを頼みました…


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このテラスは建物の四囲をぐるっと回って見ることが出来るようになっています。
丸ビルの側に回って見ると、街路樹がイルミネーションで飾られています。
もうじき、クリスマスも来てしまうのでしょうね…。
時の過ぎゆくのがなんて速いのだろう……


ビルとビルの間に小さく東京タワーが見える。
ああ!……

私は東京タワーが好きです…


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さあ。いつまでも夜景をこうして見ていたいけれど、もう6時。
帰らなければ…
ドームのライトアップが素晴らしく綺麗です。


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駅舎の南北にあるドームは高さ約35メートル。ドームの内部です。
改装なってから、乗降客が4割も増えたとか。
なんと!一日100万人の人がここを行き来します…。

…なんという矛盾でしょう…
同じ日本に、このような繁栄の大都会があり、また、
原子力関連施設でもなんでも受け入れなければ、村や町の暮らしが
成り立たないと思うほど追いつめられた過疎の地があります…
原発を受け入れなければ、本当に生きていけないのか…
そのことは別にして、とにかく、格差があることは否定しようがない。


このきらびやかな街の灯り…
その電気のほとんどは、ここで作られているものではありません…


自分自身の気楽さ…。
私もまた、ある意味で、悪の加担者なのではないでしょうか…

ブラッドオレンジのジュースの味は、ほろ苦かったです…


私は、脱原発とは関わりのない悲しみを一つ抱えています。
私にとって、今日の外出は、ある種の巡礼です。
私はこれからも、自分一人の、こころの巡礼を続けていくんだろうと思います…







『キャンドルナイト ⑲』

あの日から19カ月が過ぎた…

日本はどこへ行くのだろう…
なんだか糸の切れた凧のような、こころぼそい国になってしまった…

復興は進まず、
警告を発した他党の議員の言葉を無視し、
『福島第一原発はだいじょうぶだ』と言いきって何の対策も講じようとしなかった元総理が、
また何食わぬ顔で総理の地位に返り咲こうとしている…


それでも。
今宵もキャンドルを灯そう。


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薄い玻璃の器に、シンプルに、小さなカメヤマローソクを立ててみた……。



葉っぱさん、れんげちゃんのバナー。
今月もお借りしますね♪

                         
心ひとつに キャンドルナイト



こちらは、NANTEIさんが、こころをこめてお作りになったバナー。
お借りします。


南亭さんバナー②




















『お散歩行くよ!』

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10月4日。
台風19号が太平洋を通り過ぎてゆく。
雨風は幸いないけれど、雲は嵐の影響か、荒れた気配をわずかに漂わせている。
こんな、空模様の日が好きだ。
散歩に行くよ。ついてくる?


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見る間に晴れて来た…

ああ……
ひきこまれそうな青さだ……



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彼岸花もまだ咲いている。
今年は残暑が厳しかったこと、花の季節の前に草刈りが行われたことの
影響か、彼岸花を長く楽しむことが出来た。


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ここ。あたしの好きな一角よ。


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ね?


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ね?
これ。今年の5月の夕暮れに撮った写真。
田中一村かアンリ・ルソーか、という感じでしょう?


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橋のたもとの公園。
誰かがある年、コスモスを植えて、それが年々増えていった…
いいところでしょう…


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ああ……


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雲さん。遊びましょ。


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ああ…  
暖かくて、眩しくて、なんだかあたしたち、しどけなくなってしまう…



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恋して、恋して、恋し尽くしたいわ…
そのためにあたしたち、生まれて来たの…






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私は松の木が好きだ。
松の、そう、針葉樹の新鮮な香りが大好きだ。


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とりわけこのような、松の木下道を歩くのが好き。
木漏れ日が青い下草に影を落として…、
一帯に針葉樹の香りが満ち満ちていて…。

死ぬなら、海辺の黒松の林の中に立つサナトリウムか、
高原の赤松の林の中にぽつんと立つ小さな病院で死にたい、などと
思ったことがある…
松籟(しょうらい)…松の梢に吹く風の音を聞き、カーテンを揺らす
夏の風に乗ってくるかすかな針葉樹の香気に包まれて眠りたいなどと思う。


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おや。先日の台風17号で、枝が折れたんだな。
ひと節、貰っていこう…松ぼっくりも拾って帰ろう…

昔、松の葉っぱで、相撲とって遊んだことがある。
松の葉っぱの針は大抵が、根っこで2本がくっついている。
それをひっかけあって、引っ張りっこして遊ぶ。
あら。日本じゃくっついてるのは2本だと思っていたけれど、所変わればいろいろ
あるらしい。アメリカテキサスの松林の松は3本一組で、スウェーデンの松林でも3本で、
レスピーギの名曲『ローマの松』に謳われた松は2本だった、なんてことを
ちゃんと実証して書いている人がいて面白い!
世の中には、こんなことに興味のあるひとがいるんだなあ…
http://www.mr-kondoh.com/pdf/matsunoha.pdf#search='%E6%9D%BE%E3%81%AE%E8%91%89+%E4%BA%8C%E6%9C%AC'

どれ。ちょっとこの下草の上に座って、引っ張りっこして遊んでみる?
こんなふうにして遊ぶのよ。
http://youtu.be/h-HBQ6g8Ka4
下草の汁がスカートやズボンに染みつくといけないわね。
おや。向うにブロックがある。あれを持ってきてあげるから、それにお坐りなさい。
あたしはジーンズだからだいじょうぶ。
では、童心にかえって、はっけよい!





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干上がっていた川にも台風で少し水流が戻った。
この川は、あなたの川、あなたの海に続く川……


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ごめんね。なにも食べるもの、持ってないのよ。


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きみは綺麗だねえ……
なんという色とかたちをしているの!


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蜻蛉も眠たくなる秋の日差し…


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空の青を映して。
こんな色のインクでお手紙書きたい…
じつぁ、こんな色のインク持ってるんだ、あたし…


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自然の造形は、時に人間の発想を超えた色や形態を示すことがある。
こんな色で植物を描いたら、杓子定規な美術教育していた昔だったら怒られていただろう…
「実と茎の色が、逆だろう!」って……。

あるひとは、「紫と黄色の絵を描く人は、狂人の傾向がある」と言い、
私は激しくそれに反発したものだった。

…なんだってありでしょう? 私はそう思うわ。
この世のすべてのいきものは美しいのよ。

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ほら。こんな小さな子たちだってね。綺麗でしょう。
酢漿草(カタバミ)とヒメツルソバ。
ほら。カタバミは黄色と紫よ。
狂ってなんかいないわ。

ぼくたち、なかよし。
そうね。なかよし。


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ああ!……


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ああ……!

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恐竜の子が空をゆく…



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おかえりなしゃい♪

いつもこの子が迎えてくれる。



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さて。拾ってきた松の小枝を、お水に挿してやりましょうかねぃ…

この季節にしかない青い蜜柑と、松と。
青い蜜柑の匂いや、松の木の枝葉のつんとする青い香りが大好き。


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ぴったりのガラス瓶があった…
この日から5日が過ぎて。生命力の強い松の葉っぱは、青々としているが、
松ぼっくりは笠が開いた!

疲れたら、松の葉っぱを一本、先をちょっと折り取って
くんくんしてみる…
こころと体の細胞を、松の林の新鮮な香を含んだ風が吹き抜ける気がする
青い蜜柑は…、食べた…



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おまけ。
うちのおねぃさん(娘のこと)が描いた、テツカエデの細密画。






『・・・まいっちゃったこと』

いきなり、『まいっちゃったこと』?
何のことやら。
「・・・いったい、何にまいっちゃったんですかね」・・・そうお思いになるでしょう?^^
いつも、原発関連のことばかり書いているので、ちょっと骨休めの記事を、
ということで。^^
わたしの話はいつも前置きも本文も長いんですが、まず前置きから聞いてください。

今日、ある方のところで、小熊英二さんのお名前をふと見た。

小熊英二。
1962年生まれ。社会学者、慶應義塾大学教授。専攻は歴史社会学・相関社会科学。
1996年 - 『単一民族神話の起源――<日本人>の自画像の系譜』でサントリー学芸賞社会・風俗部門。
その後も、『<民主>と<愛国>――戦後日本ナショナリズムと公共性』で
     第57回毎日出版文化賞第2部門。
     『<民主>と<愛国>』で第3回大佛次郎論壇賞。
     『1968』で角川財団学芸賞受賞。

膨大な文献を渉猟し、ナショナリズム、民主主義を中心に政治思想とその歴史を論じている。
東日本大震災後は、反原発運動のアジテーターとして知られており、2012年8月22日、
野田佳彦首相と反原発市民団体「首都圏反原発連合」の代表者11人(小熊英二を含む。
ただし小熊は「首都圏反原発連合」のメンバーではない)との首相官邸における
面会を、菅直人前首相とのパイプを使って実現させた政治力を持つ。(以上Wikipedeaより)


私は、小熊英二の名前は、脱原発のデモに参加するようになってから知って、
それから、ちょくちょく耳にするようになって、いったいどういう人なんだろうと
思っていた。実はその年齢さえ知らなかった。
昨年の6.11の新宿デモの時、演壇でスピーチをするのを遠くから聞いた記憶は
あるのだが、まわりが騒がしくてよく聞こえなかったし。
Wikiを今日、調べていて、『1968』というその著書は、全共闘運動を
詳細に記述・分析した大著である、ということを知った。
1962年生まれということは今50歳。全共闘運動を知っている世代では無論ない。
全共闘運動に批判的だった、いわゆる『しらけ世代』にぎりぎり属するかな・・・
それなのにどうして、全共闘運動のことを?と興味をひかれたのである。
そして顔が見たくなった。で、画像検索してみた・・・

http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E5%B0%8F%E7%86%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C

ああ!このひとか!このひとの顔なら知っている…
ここで私は、ちょっと笑ってしまった…
だって。だって、あまりにも、全共闘運動活発なりしころの学生たちの髪型や
ファッションをしているんだもの!
一応ことわっておくが、可笑しかったから笑ってしまったのではない。
その時代を生きた女子学生として、同時代に生きた男たちの姿を見た気がして、
懐かしさについ笑ってしまったのである。

Wikiをさらに続けて読んでいくと、
『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』においては、
「日本=単一民族」説が戦後になって唱えられたものであり、植民地を保有していた
戦前日本においては、「複数民族が共有する日本」が思想的に提唱されていたと主張した。


というところに興味を惹かれた。
『単一民族神話の起源』。最近考えているテーマに関連しているから、一度読んでみようかな…
それでさらに検索を続けていくと、『松岡正剛の千夜千冊』というサイトに
辿りついた。
これは編集者、著述家、日本文化研究者で編集工学を提唱した松岡正剛氏が、
自分の読んだ本千冊について語るというコラム。無論千冊で収まるわけもなく、
今も続いて千五百冊にも達しているのだが。
私は、これどんな本かな、と思う時、このページを時々覗いてみることがある。

話はまた逸れるが、松岡正剛氏と言えば、東京駅丸の内北口を出てすぐのところに
OaZO という複合商業施設がある。そこの中の丸善書店4階の一隅に『松丸本舗』
という店がある。実はこれが松岡正剛氏がプロデュースした本屋。
普通の本屋のように例えば『哲学』『ビジネス』『歴史』などと分類してない。
松岡正剛氏の好みのままに、このひとの感覚で、この本とこの本は同じ棚に、
という選び方で本が配列してある。折々のテーマごとにさまざまなジャンルの本が
配置されているのが特徴。詩集のとなりに科学の本が、専門書もマンガも仲良く同居。

だから、初めて行くとすごく戸惑う。分類してないから、めざす本はすごく探しにくいのだ。
でも、本屋と言う先入感を捨てて、誰かの書斎をでも覗いているような気持で
ゆったり構えると、へえ~、こんなところにこんな本がという発見があってすごく
楽しくなる。
その折々の企画もあって、私が行ったある時は、レジカウンターの上の本棚に
『黄色い本』の特集コーナーがあった!漫画から画集から、文芸書から洋書まで、
とにかく表紙の黄色っぽい本がずらりと。それがすごくすてきで、
「ああ!お金があったら、これ、棚ごと買いたい!」と思ったものだ。


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お店の人々も感じよく、「写真撮ってもいいですか?』と訊くと、快諾してくださったんだった…


娘と、あるいは一人で時々行って、ここで見つけた本を何冊か買って、丸善も覗いて、
それから5階の『つばめKITCHEN』で休んで、お互いに選んだ本を見せ合ったりして、
『つばめ風ハンブルグステーキ』を食べるのがお楽しみだったのにな。
そうそう。ここで必ず頼むのが、オードブルの『鰊の酢づけ つばめ風』。
新鮮な鰊のマリネはとても美味しいのだ。 

さて、話を元に戻して。
この『松岡正剛の千夜千冊』というコラムの、松岡正剛による
小熊英二著『単一民族神話の起源』の解題が、今回の私の記事のテーマである!
ありゃ~。これまでのは前置きかい!!!(爆)

まず、そのページをちらっと見てくださいね。そして、私の記事に戻って来てください。^^
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0774.html

長いでしょう。そして難しいです。
私も無論、小熊さんのこの本を読んでいないので、松岡さんによるこの本の紹介の
出だしのところを引用させていただこう。

『日本が単一民族の国だというふうになったのは、古いことではない。
古いどころか、日中戦争や太平洋戦争以前は日本は多民族国家として位置づけられていた。
大日本帝国の時代はむしろ日本は多民族国家・混合民族論を標榜したがった。
日本が日本を単一民族国家と見るようになったのは、戦後のことだったのだ。
 このような、ある意味では意外に思われそうな“結論”を指摘するために、
著者が本書でしてみせたことはまことに重厚で詳細をきわめた作業であった。
まだ40歳をこえたばかりの慶応大学の相関社会学の教授(東大農学部出身)。
「日本人の自画像の系譜」が副題だ。』


この小熊氏の本は、膨大な歴史資料を精細に読みこんで構築した
壮大な著作であるようだ。それを松岡氏は要領よくまとめて見せてくれる。
新井白石あたりから始まって小金井良精(森鴎外の義弟。鴎外の妹の夫である。
作家星新一の母方の祖父)、穂積八束・井上哲次郎、永井亨、物集高見、
…石原莞爾らへと続く国体論の系譜を見て、そこに徳富蘇峰・大隈重信、
岡倉天心、柳田国男、宮本常一などがさらに絡んでくるとなると、
それでなくても歴史が得意でない私などは、目がくらんでしまいそうになる。

さて。でも、私が『まいっちゃった』のは、この小熊英二さんの著作の
内容の膨大さ、スケールの大きさのことを言っているのではない。
すごく読みたいとは思うがまだ読んでないのだから。
私が『まいっちゃった』のは、松岡正剛氏が、この大部の本を紹介したのち、
最後に、本文より小さな文字で、『参考』としてつけ加えたこの一文に、である。

¶本書のではなく『民主と愛国』の「あとがき」に、著者は自分がこのような研究に
夢中になる理由を問われると、いつも「自分でもよくわかりません」と
答えてきたと書いたうえで、初めて父親のことに触れ、
日本兵として中国にいてシベリアに抑留された小熊謙二がはたして
“加害者”だったのかということを、さりげなく書いている。
 すでに本書を読み進めていたときから感じていたことであるが、
ぼくはこのような著者の研究のほうが、聞く者を圧倒する強烈な主張や
訳知りたちを唸らせるロジカルな思想地図をたちどころに披露できる連中の成果より、
ずっと重要なような気がしている。なぜならここには「織物」があるからだ。


私が『まいった』のは、この文の最後の一文である。
『なぜならここには「織物」があるからだ』

ああ!こんなすてきな誉め言葉がありますか?!

小熊謙二氏というのは、小熊英二氏の父。中国で日本兵として終戦を迎え、
シベリアに抑留される。その時の戦友が中国籍朝鮮族の呉雄根氏。
昭和63年、日本政府は抑留者に対し、10万円国債を公布した。
しかしこれは生きている日本人に限られ、同じ苦労をともにした外国籍兵(主に韓国人)
は不当にも除外された。
小熊謙二は戦友の呉に“一人の日本人としてお詫びの気持ち”の手紙とともに
半分の5万円を送金。
『戦前は日本人だからと徴兵し、戦後は日本人でないからと補償から外す、こんな
身勝手なことが許されるか』と来日した呉と共に、最高裁まで争った。
『蟷螂夜話』を参考にさせていただいた)
そういう『義のひと』である父君を持つ小熊英二氏が、明治以来、大日本帝国という名で
多民族国家を標榜していた日本が、戦後、なぜか単一民族国家というようになった経緯を、
歴史を遡って検証し、壮大な論考をする…

『なぜならここには「織物」があるからだ』

一人の若い研究者の深い想いをこめた、一冊の壮大な著作に、この誉め言葉。
これだけで、もう十分にこの本の内容を言い表しているのではないだろうか。
歴史は、過ぎ去った過去の、事件の断片をただ機械的につないで出来あがっているのではない。
あなたや私と同じ一人一人の人間の、生きた証の集積なのだ、ということを、
そうしてこの本が、そうした視点から書かれて見事である、ということを、
この一言で表している…


私はときに、本そのものの素晴らしさとはまた別に、書評の一文に深く
惚れ込んでしまうことがある。
私のうちは朝日新聞をずうっと購読しているが、週に一度の書評ページを
これまでも、まあ今も、日曜の朝の淡い楽しみにしている。
最近はめっきり少なくなったが、それでも時々、惚れ惚れするような書評に出会うことがある。
まあ、それは私だけに強く訴えかけるものであって、他の人はまた
他の書評に感動するものなのかもしれないと思うが。
でもそんなときはいつも、何やらとても幸せな気持ちになる。

妙な話だが、追悼文で私の記憶に今も残るものがある。
2007年?朝日に載った『読書にこだわった<狐>』というタイトルの追悼文である。
これもいつか転載してみたい。

             *

さて。ここまでを実は一旦、今朝4時頃アップしていた。
ところが、朝刊を見てびっくり。
松丸本舗は、この9月いっぱいで店を閉じたのだという。
わずか数日前ではないか!全然知らなかった!
それを知らせてくれた記事は、実は私が楽しみにしているとついさっき書いたばかりの
朝日日曜版の書評ページだった。
その書評を書いたのは近世比較文化研究で私の好きな田中優子さん。
評された書物は、なんというシンクロか、松岡正剛著『千夜千冊番外録 3・11を読む』。
つい4時間ほど前、彼のネット上の書評『千夜千冊』や松丸本舗について
書いたばかりだったのに!

その偶然にもちょっとまいったなあ、と思ったのだが、
なによりも、松丸本舗がわずか3年にして撤退せざるを得なかった、日本の書店事情…
それも知って、私はさらに、別に意味で『まいっちゃった』のであった……
ああ!あのすてきな空間はもう無いのか……!

偶然と言えば、実は数日前、ラジオを聴きながら『戦後史の正体』を読んでいたら、
眼をやった20文字ほどの一文と、まったく同じ20文字ほどの文を含む
ニュース原稿が、まさに私の目の動きとどんぴしゃりのタイミングでアナウンサーによって
読みあげられるという偶然があったばかりで、これにも『まいった』んだったなあ……










『憂いの9月 野田内閣 の正体』

10月1日。野田首相は内閣改造を行い、野田第3次改造内閣がスタートした。

私は、この9月、ずっと憂いと迷いの中にいた。
憂いの元は、無論、この国が脱原発に舵をきれそうもないという悲しい予感から
来ている。

まず、第一にがっかりしたのが、原子力規制委員会人事を、19日、最初の案通り、
国民の反対を押し切って、決定してしまったことである。
しかも、国会審議すれば自党の人事案に反対の議員と紛糾して、分裂騒ぎが
起こるのを恐れてか、『原子力緊急事態』という言葉を悪用しての、
首相による強引な任命に踏み切ってしまった!
何度も書いているが、これは、規制委員長には原子力行政に関し清廉なひとを、
と願う国民の民意無視であると同時に、大事なことは国会で決めていく、という
基本中の基本ルールを踏みにじる、重大な、民主主義への裏切り行為である。

…この国は、こんな総理を生んでしまい、生かし続けねばならないのか…!
こんな決め方が民主主義の国で通用するのか!
野田首相は許しがたき悪しき先例を作ってしまった…

このことに対する私の落胆は思いのほかに大きかったのである。
わたしはこれまで、なんだかだ言っても、この国は民主主義の国だと思っていた。
独裁国家のように一国のトップが暴走することなど,今はあり得ない。
仮にそのようなことが行われようとしても、大きなルールというものが何がしかの
ブレーキをかけるであろうと、甘いことに信じていたのである。

野田総理は、その民主主義のルールに対する信頼を壊してしまった!
このことが、国民心理に与えた悪影響は、計り知れないと私は思うのである。
話し合いの結果や、民意などというものは、結局一顧だにされない…
これからも、彼のような手法が、あちこちで出てくるのかもしれない…
なにしろ先例が出来てしまったのだから…
その絶望は大きい!!!  野田総理にはこのことが分かっているのだろうか!

第二の落胆。7月から8月にかけて、国はパブリックコメントや討論型意見聴取会などの
手段で、国民の意見を聞いてきた。
今すぐに0という選択肢がないのは不満だったが、まあ、こうして国民の
意見を求めるだけいいか、と思っていたのである。
結果、パブコメは9万件近い意見が集まったうち、約90%が原発ゼロ。
意見聴取会でも討論型世論調査でも、原発ゼロの人が圧倒的に多かった。
この結果については、参加した人が最初から、脱原発の強い意志を持った人が
多かったであろうことなど、数値に国民の意思が正確に反映されているか
どうかは問題として、それにしても、原発はいらないと考える国民が多い、という
立派な意志表示にはなったと思う。

ここでは野田内閣は一応民意をとりいれて、9月14日のエネルギー・環境会議において
『革新的エネルギー・環境戦略』を決定した。

『革新的エネルギー・環境戦略』

『2030年の』と言っていたのが、いつのまにか『2030年代に』と、
9年も時限が延びたこと、『2030年代に原発ゼロを可能にするよう』と書いてあって、
『原発ゼロにするよう』とは書いてないこと、安全性が確認された原発は稼働する、と
明記してあることなど、不満だらけ抜け穴だらけの決定ではあったが、
一応、『原発ゼロ』の文言が入っていたことを、評価したいと思っていた。

ところが皆さんご存じでいらっしゃるように、野田内閣は、19日、これをそのまま閣議決定
することはせず、『今後のエネルギー・環境政策については、革新的エネルギー・環境戦略を
踏まえて、関係自治体や国際社会等と責任ある議論を行い、国民の理解を得つつ、
柔軟性を持って不断の検証と見直しを行いながら遂行する』
という、訳のわからない逃げ口上だけをなぜか閣議決定して、
ついに、『原発ゼロ』の文言は、実質上葬り去ってしまった…

14日からわずか一週間もしないうちにいったい何が起こったのであろう…

まずは、青森県の原発関連施設立地自治体からの抗議があった。
六ケ所村議会は7日、県と村、サイクル施設を運営する日本原燃の3者で
取り交わした覚書を根拠に、サイクル政策見直しなら燃料を返還するとした
意見書を可決。青森県知事と立地自治体4市町村の長は、20日、枝野氏と会談。
使用済み核燃料を再利用する「核燃料サイクル政策」を変更しないよう求めた。

核燃サイクル中止なら、預かっている燃料返還…。
危険な原発関連施設を置いてやっているということで、このような横暴が出来ていいものだろうか!
このことにも私はがっくり来てしまった。
政府だけでなく、私たちはいわば、弱みを握られているのである。
原発立地自治体の人々にだけ危険を押しつけて、そこで生みだされる電気の恩恵だけを
享受しているという弱みを…。そしてその結果生まれた危険な使用済み燃料等の
仮置きを、してもらっているということなどに。
だから、私たちはこれまで、原発関連立地自治体の我儘とも見える要求に対しても、
批判の言葉をぐっと我慢して飲み込み続けて来たのではなかったか!
『あなたたちは、その代わりに、多額の、国からの交付金や、固定資産税や核燃料税などの税金、
電力会社からの寄付金などを受け取って来たのではなかったのか!』という怒りの言葉を。

原発関連施設立地自治体がどれほど、一般市町村とかけ離れた固定資産税や電力会社などからの
寄付金を得ているか、市民オンブズマンが調べた平成21年度のデータを見て欲しい。
特に表5の、人口一人当たりの、歳入歳出の、全国平均との差を。
全国では大体住民一人当たりこのくらいのところの歳入歳出でやって行っているのだ、という数値と、
とりわけ、刈羽村、おおい町、六ヶ所村などの数値を比べてみて欲しい。
http://www.ombudsman.jp/nuclear/yugami.pdf#search='%E5%8E%9F%E7%99%BA%E7%AB%8B%E5%9C%B0%E8%87%AA%E6%B2%BB%E4%BD%93+%E4%BA%A4%E4%BB%98%E9%87%91'

ずっと。それを言っちゃおしまいよ、と言わないできたが、でも、もう、我慢がならない。
大飯原発再稼働時の、おおい町議会、福井県知事のやり口、そして
今回の、むつ市、大間町、六ヶ所村、東通村、青森県の要求は!
福島の事故の前ならいざ知らず、あの事故を見たあとでさえ、原発に依存して暮らそうとするか。
わたしは、以前、六ヶ所村の歴史についての本田靖春さんの本
『村が消えた むつ小川 原農民と国家』を紹介する記事を書いたことがある。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-date-201105.html

この本を読めば、六ヶ所村の人々がいかに貧しさと国家に翻弄されたかがわかる。
九州の貧しい山村に生まれた私…どうして六ケ所のこころがわからないはずがあろうか。
しかしもう…。彼らが「原発はいる」とまだ言うのなら、もう、もう共感は出来ない。
本田靖春さんの言葉を借りて言えば、
『自分を守ろうとしないものは、だれも守らない』
原発稼働をなお望む立地自治体の人々は、このことを覚えていて欲しい。

枝野経産省は青森にすっ飛んで行って、核燃サイクルの継続と、大間原発の
建設続行を約束してきてしまった!
電気供給の恩恵を受けているとはいえ、なぜ、なぜ私たちは、これらの
無体に思える要求を我慢して、原発を我慢しなければならないのだろう?
100%原発に頼っていたと言うなら、黙るしかないかもしれない。
でも、事故前でも原発の電気供給の割合は、全体の26%に過ぎなかった。
今は、おおい町議会と福井県知事と国の密略に近いもので、大飯原発が2基
再稼動するようになってしまっているけれど、たったそれだけで
日本は今、原発ほとんどなしでやって行っているではないか。
なぜ、立地自治体の我儘を、日本国民全体が我慢し、もの言わぬようにしていなければ
ならないのだろう!
…私のやるかたない怒りは、そこにもあった………!

次に、米倉経団連会長を初めとして、経済同友会、日本商工会議所の財界3団体の
トップがそろって記者会見し、2030年代原発ゼロを撤回するよう政府に
圧力をかけたことである。

さらにアメリカも、9月以前から、日本の「原発ゼロ」の動きには懸念を表明し続けていた。
日本が原発から撤退することがアメリカの原子力産業にも影響し、
「安全保障上」の協力関係にも影響するというのである。

野田政権はこれらに屈してしまう。

さて。わたしの憂鬱の大きな原因の一つは、このアメリカの圧力ということである。
経団連などは、再生可能エネルギ―その他新エネルギーの普及が進み、
省エネ技術も進んで、原発を抱え込んでいるより、手放した方がいいとなれば、
経済の論理で、いつか脱原発に変わらないものでもない。
しかし、こと、アメリカが日本の脱原発を望まない、となるとことはそう簡単に
行かなくなる…そのことを今までだって知ってはいたが、この9月に、
痛感させられてしまったということである。

7月…そう。8月の上旬までは、ただ『原発反対!』と国会前で、官邸前で
叫んでいれば、この国を変えられると、私も信じていた…
しかし、少し、現実にこの国を動かす官邸サイドに立って原発問題を
考えてみると、ことはそう簡単ではない、これまでの日本の来し方から来た
いろいろな足枷が、がんじがらめにこの国を縛りつけていて、その足枷を一つひとつ
外していくのがいかに大変か、ということが見えてきてしまったのである。

私は今、日本の戦後史を少し勉強し直している。
原発問題、領土問題、沖縄問題、TPP…すべてがまるで遠近法における消失点のように、
アメリカの占領政策と日本の処し方、という一点に絞られていくからである。
前にも記事にしたが、日本に原発が持ち込まれた歴史…、
そこに、アメリカが深くかかわっていたどころか、アメリカの意志、戦略で
日本に原発が導入されたのだということを知ってからは、
反原発の記事を書くのに、アメリカと日本の戦後は、ちゃんと
勉強しなおさないとな、と思っていたところだったのである。

戦後の政治史などを読んでいると、日本にもかつては、アメリカの傘の下から出でて
本当の意味で独立しようと考えた政治家がいたことがわかった。
でも、今はどうだろう…
アメリカから、一睨みされたら、…いや、睨まれてさえいない、
クリントン女史に眉をひそめられただけでも、「はいはい、原発ゼロは
撤回します!」と気をきかせて自ら政策を引っ込めかねないほど、
日本の政治家は、アメリカに対してものを言えない者ばかりになってしまった。

いや、政治家ばかりを責められない。私も含め、日本人の心の中に、
アメリカに対する属国根性はかなり深くしみついてしまっているのではなかろうか。

折悪しく、老醜石原慎太郎都知事の煽りなどがあって、日本の近海は、
竹島問題、尖閣問題で、一挙にきな臭くなってしまった!
アメリカの庇護がなくなったら、日本はどうなってしまうのだろう!
原発問題やTPPでアメリカを怒らせるのはまずい。
ここは一つ、オスプレイは沖縄の人にやはり我慢してもらって、自衛隊はアメリカ軍に
共同演習させていただいてその協力体勢を中韓に見せつけておかねば…

…今はそんなムードである。
そんな状況を見透かして、原発問題は10年先送りの姿勢でことを荒立てないように
息をひそめてきていた自民党が、
そして、政権を取る見込みのない時にはじっと息をひそめて、ひとのいい谷垣氏を
後ろからちょこちょこ突くばかりだった自民党の政治家が、
ここ9月になって急に元気が出て来たのも、私の憂鬱と怒りの原因の一つであった。

折角政権を担当しうる二大政党を作りたいと、民主党を勝たせた国民の
願いもむなしく、民主党は情けない体たらく。
世論調査の結果では、近々選挙があったら、また自民党政権に逆戻りしそうである。
ああ……原発問題は振り出しに戻ってしまう…!!!

そしてまた腹が立つのが、大手メディアが、すでに自民党が政権をとり返すとでも
言うようなちやほやぶりで、自民党党首選などを大々的に報道して見せることである。
安倍総裁の顔の露出が増え、原発関連記事は反比例するように減って行く…
福島の人々の苦悩など、被災地の復興の進まぬことなど、もう本当に
とりあげられることは少なくなっているように思える。

さてなあ。次にもうそう遠くなく選挙があるのだろうが、いったい私は
どこに票を入れればいいのか…
いやなに。私はもう昔から社共のどちらかと決めているので、私自身に関しては
迷いはないのである。
だが、社共は政権担当から程遠い状態。
私個人の票はともかく、脱原発を進めるために、いったいどこの政党を
盛り立てていけばいいのか、ということを考えると、
はあ………嘆息してしまうのである…緑の党の前途は遼遠だし…

自民党は、風向きが悪い時にはひた隠しにしていた原発推進の爪と牙を、
総裁選でいよいよ図々しくも剥きだしに出してきたから問題外。
維新は胡散臭い。国民の生活が第一は、マスコミの操作がきっとあると見えて、
その話題が取り上げられることさえ少なく存在感も政策も見えてこない。
民主党はだめ…

…こうやって、あれもダメ、これもダメ、と消していくと、結局残るのは
最後に笑うのは、原発文句なしに推進でアメリカにべったりの自民党だけ!
という情けないことになりそうで怖い。
今度自民党に政権を明け渡したら、民主党は解体。民主党の右派、タカ派は自民党か
維新に流れて、もう、しばらくの間は、自民党に対抗しうる真の野党と言える政党は
なくなってしまうのではなかろうか。維新は自民党に近いからである。

原発推進を含め、そうなったら、日本は、10年は逆戻りだ、と私は思っている。

下手をすると、戦前のいやな時代に逆戻りだって考えられうる。
好戦的な論調が増え、軍機購入など防衛費の予算が跳ね上がり、
国旗国歌に従順であることが強要され、何となくの言論統制や監視が強まって行き、
日本海は常に一色即発の緊張状態になる…
ついに憲法改正され、自衛隊が内外でアメリカ軍と行動を共にすることが多くなり、
徴兵制も考えられるようになる。
原発は増設され、もう、国民の原発反対の声は完全にもみ消されてしまう…


それで本当に日本はいいのか?本当にいいのか!

ここは一つぐっと我慢して、民主党にもう一回やらせてみるしかないのではなかろうか…
これを、何とか、国民の思うような政党に育てあげること…
悪い政策の時には、デモでもなんでもして、それは悪い政策だよ、ということを教え、
いいことをすれば、それはいい!とまた、意思表示をして、徐々に
民主党をしっかりした、政党に育てていく。
まだ、民主党内部には、伸びしろがあるような気がするのである…。

まあ、この9月はがっくりして気力も失せつつ、そんなことなど、いろいろ
それでも考えていた私だった。

が。民主党の野田首相は、今度の内閣改造で、閣僚にあってただ一人、
脱原発の意志をはっきり持った人物を。
野田、仙石、前原、細野、藤村…推進派の閣僚ばかりの中で、枝野氏(かろうじて本音は脱原発)
と二人、踏みとどまって、7,8月国民の声を聞く一連の企画を実践し、
14日の『革新的エネルギー・環境戦略』をまとめ上げ、『原発ゼロ』の文言を
入れた、あの古川元久国家戦略相を、今回の組閣で外してしまったのだ!
彼に私が注目したのは、7月のNHKの討論番組でである。
顔に似合わず、これは気骨ある男、脱原発に真剣だ、と見てとって以来である。
私は今回、彼を閣僚として、とりわけ今まで通り国家戦略相として残すかどうかで、
民主党を見放すかどうか決めようと思っていた…。
結果はこれである……
そして古川氏の代わりに国家戦略相になったのは、なんとアメリカ追随、
民主党内でもタカ派と言われる前原氏である!

細野氏に私はたいして期待していなかったけれど、野田氏よりはまだましじゃないかと思っていた。
彼は総裁選から自ら下りたとき、
『原発対応ないがしろに出来ないから』というようなことを言ったのではなかったか。
その彼は、原発担当相を外れた…。ほっとしていることであろう…
後任の長浜博行氏の力は未知数である…

また、環境副大臣として東京電力福島第一原発事故で発生した「指定廃棄物」の
最終処分場の選定を指揮してきた横光克彦氏も10月3日、内閣改造で退任。
『三日午後、環境省の玄関で職員の見送りを受けた横光氏は涙を見せた。
暗礁に乗り上げたままの選定問題については「残念です…」と、一言述べて同省を後にした。』
(東京新聞10/4朝刊より)

古川国家戦略相のことにしても、この横光氏にしても細野氏にしても、内閣改造は
人事をいじればいいというものではないだろう。仕事半ばで簡単に交代させてしまい、
また新任の大臣が一からやり直すというのでは、交渉相手の地元の人々との
信頼関係だって築いてはいけない。民主党はこんなことをしていては、
有能な若い人材をつぶしてしまう!最後まで責任を持たせ、国民に政治家の顔を
売って行くということも大事だろうに…


透明性を期待されていた原子力規制委員会は、記者会見から「しんぶん赤旗」を
「特定の主義主張」や政党機関紙であることを理由に排除しようとしていた!
しかし、多くの市民や報道機関やフリーの記者が「透明性の確保や情報公開に逆行している」
と抗議の声をあげ、言論・報道の自由にかかわる問題として紙面やネットで報道したおかげで、
原子力規制庁は10月2日、排除方針を撤回し『赤旗』の会見参加を認めると発表した。

おやおや。最初からこれだ!…



絶望は深い……

だが。絶望してストップしてはおしまいである。
私は、官邸前のデモのエネルギーを、政治的な力に結集しないとだめだと
思うようになった。どこかの政党というわけではない。
とにかく脱原発議員を育てることを考えなくては。
政治に無関心で、自民党でも維新でもぱっと見、新しそうなこと言うところだったら
どこでもいいという人や、自民党がしてきたことにまだ目覚めぬ人々などに、
政治にもっと関心を持ってもらうこと…
そして脱原発をしっかりした法にするまで、政治的行動を市民がしていく…
今はこれしかないのだろうか、と考えている。

まずはこれだ!
脱原発法制定!

http://datsugenpatuhounet.blog.fc2.com/

それからこれだ!
『原発国民投票』

そしてこれも!
日比谷野音 反原発アクション
http://sayonara-nukes.org/2012/09/121013/

『きっと誰かに愛されている』ブログの愛希穂さんが、私へのコメントで、
こんな言葉を紹介してくださった。

むのたけじさんのこの言葉を思います。
「絶望と見える対象を嫌ったり恐れたりして目をつぶって、そこを去れば、
もう希望とは決して会えない。
絶望すべき対象にはしっかりと絶望し、それを克服するために努力し続ければ、
それが希望に転化してゆくのだ。
そうだ、希望は絶望のど真ん中のそのどん底に実在しているのだ。」






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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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