『日本の役割』

アルジェリアの人質事件…。
なんとも痛ましい結末に、犠牲となられた方々のこと、そして残されたご家族のことを
思えば、ただもう黙って頭を垂れるしかない…。
こころからの、こころからのお悔やみを申し上げたい…。

わたしの胸中は非常に複雑である。
なかなかうまく書き表せないが、背反する想いがいくつも、胸の中で渦巻いている。
まずその一つは、日本人の技術者がこうして海外に出ていって、そこで
今回のような奇禍に遭遇してしまうことへの複雑な想いである。
とりわけ、反原発を訴える身としては、今回の事件が、海外の天然ガス開発事業者の
プラントで起こったことには、痛ましさと同時に、すまなさというような
複雑な想いを抱いてしまうのである。エネルギーを自国で賄えないということは、
現在の安定した暮らしがこうした人々の努力と犠牲の上に成り立っているということを
意味するのでもあるのだと…

安倍総理は、今回の人質事件に巻き込まれてしまった日揮及びその協力会社や
派遣技術者の皆さんのことを、『企業戦士』という言葉で表現していた。
1月22日の自民党役員会で、
『企業戦士として世界で戦っていた方々がああいう形で命を落とすことは、痛恨の極みだ』
『全ての責任はテロリストにある。世界の国々と連携してテロと戦っていく』と。

この言葉を今のこの時期に使う無神経さを指摘する人もいた。
これは事件の被害者を10人も出した悲しみのうちにある国の総理が言った言葉である。
それは英語など他の言葉に翻訳されて一瞬にして世界を駆け巡る。
『企業戦士』…。それを英語に直訳すれば、『corporate warrior』となるそうである。
warriorという英語に該当することばを、一国の首相が民間人のプラント技術者に対し使うこと…
それは、今もなお、そしてこれからもまた、今回の事件にめげず海外に出ていって
技術者として現地で働く人々に、誤ったイメージを付与してしまうのではないか、という指摘である。
例えばイスラム過激派などが、日本人技術者に対し、そういう印象を強く持つのではないか。
「そうだ。日本からのあれら技術者は、俺達の国に経済侵略を仕掛けている『兵士』だ!」と。
日本人の安全を守るべき総理が、そうした言葉を迂闊に使う軽率を諫めているのである…

だが、私は、総理のそのことば自体の上げ足とりをする気持ちはここではない。
私がこの記事を書きながら、相反する複雑な想いを抱いていると言ったのは、まさに
それと同じような印象を、私自身も、海外に出ていって働いている人々に対して
抱いていたからでもあるからだ…

『企業戦士』という言葉には、会社のために、家族のために…
自分のために、仲間のために…日本のために…雄々しく働く男、という、
一種の使命感、悲壮感を伴うイメージがある。
別に自衛隊を国軍化しようという悲願を抱く安倍総理でなくとも、私たちは日常的に、
「企業の『最前線』で働く男たち」とか、『就職戦線』とか、『今年のお中元戦線』
とか『マーケッティング戦略』などというもともとは戦争用語を無意識に使っていはしまいか。

『企業戦士』……

私は原子力発電というものに激しく反対している。
また、日本の大企業がさらに販路拡大することを求めて参加を願っているTPPにも
反対している。
そんな私の価値観から推測すれば、私は、科学文明のやみくもな崇拝者ではなく、
物質至上主義からは程遠く、経済発展…いわゆるグローバリズムなどというものには背を向けた、
内向きな人間と思われているだろうか…。

…まさにそうなのだが、しかし、そこに私の揺れ動く複雑な想いはある…

…私は、人間が新しい科学的発展を求めて、新しい技術を求めて、新しい産業を求めて
新天地を切り開いていく姿を、美しいと思わないわけではないのだ。
私自身は科学…、化学、物理学、地質学、◌◌工学、…そうしたものにまったく弱いけれど、
そうした分野で働く人々に、尊敬の念は持っている。
原発に反対はしているけれど、原子力工学の草創期、男たちが新しい学問に
大きな希望を抱いた気持ちがわからないわけではないのである。
未知な領域…神秘に包まれている科学の深い広い領域に分け入っていこうとする人間の探究心を
どうして否定できようか!
同じように、新しい市場を求めて、例えば日揮の人々のように海外に雄飛していく人々を
どうして否定できようか!

先の戦争に負けて、日本は瓦礫と焦土の中から雄々しく立ち上がった。
日本は経済の勢いは衰えたりと言えど、まだまだ全体としてはなんと言っても豊かな国である…
その豊かさを私たちにもたらしてくれたもの…それは、常に新しい発展を求めて
常によりよいものを求めて、こつこつと努力して来てくれた、数知れない多くの企業戦士たちの
お蔭ではなかっただろうか?
私は、ベトナム戦争にアメリカ軍が使用した枯葉剤を作ったモンサント社…、
今また遺伝子組み換え食品で世界の90%のシェアを持つ悪徳企業モンサント社と
そこと長期的協力関係を結んでいる住友化学、そこの米倉経団連会長などを
憎んでいるけれど、モンサントにしても、住友化学にしても、そこで日夜
新しい化学的発見と商品開発を目指して努力している研究者たちまでもを全否定して
しまうことはなかなか出来ない…

つまり、私の中には常に、科学の発展とそれに従事する人へのある種の尊敬と、
一方で、果てしれぬ科学の発展への飽くなき欲望が人類…いや地球にもたらすものへの怖れとが
常に同居しているのだ。
また同様に、未知な市場を求めて海外に雄飛していく企業人たちの勇気を立派だなあ、と
思う反面、アフリカ、アジア、南米等、未開発の大地のたくさん残る地域…
歴史も宗教も経済事情も大きく違う地域への、先進国の大企業の果てしれぬ欲望を
危ういものにも思う。
それは多くの人も同じではないだろうか。

今回のアルジェリアの天然ガスプラントで起きた悲劇。
これをどう捉えるか、ということで、日本人は混乱しているように見える。

テロリズムは悪である!
今回のような無差別殺人を、どんな理由があれ、許すことは絶対に出来ない!

しかし、この多くの犠牲者を出してしまった今回のイスラム過激派の蛮挙を、
ただ、仏英米など西側諸国、今実質的に世界を支配しているようにふるまっている
キリスト教圏の大国の価値判断だけで見ていいのだろうか?
日本は今、自らはアジアの民でありながら、これら欧米の大国と、こうした
油田開発などの大事業という経済活動を共に行っている。
そして、この12月の選挙で勝利した安倍氏率いる現政権は、近い将来、
軍事行動もこれら米英仏などのNATO軍にオーストラリアなどを加えたものと
共に出来るようにしようと、今、着々と準備を進めている…!

邦人が、アフリカの地で、テロに巻き込まれた!
だが、憲法第九条で戦争の放棄を謳った日本は、軍隊を持てない。
自衛隊は実質上の軍隊以外の何ものでもないが、それでも、憲法の縛りは大きく、
自衛隊は、同胞が海外でこうした人質などにとられても、それを武器を持って
助けに行くことは出来ない…「安全」とみなされる地域へでなければ、救援機を
飛ばすこともできない。

今度の事件の一報があってすぐ、石破幹事長は記者団の質問に応え、そうした自衛隊法の
見直しに言及した。
自民党は、今回の問題に対する検証委を作って、日本人が今後
海外でテロなどに巻き込まれないようにするための、そして不測の事態が
起きてしまった場合の、邦人の救出についてプロジェクトチームを作って
検討していくそうである。
その中には無論、危険地域でも自衛隊が邦人輸送できるようにする自衛隊法の改正案の検討も
含まれていくであろう。
公明党がそれには慎重なだけが救いだが、今回の事件をきっかけに、
自民党が前のめりに、自衛隊の海外での活動範囲を、現地での武器使用も含め
広げていくことには、強い違和感を感じる。

無論、今後もこのようなケースがまた起きる可能性はある。
それに対して、日本政府は邦人のためなにをするのか、それを考えていく必要は
あるだろう…
しかし、今回の悲劇を利用するるかのように、拙速に自衛隊法の改正などには
結び付けていって欲しくない。

アジア、アフリカのイスラムの人々に、以前は日本人はある種の好意を持って見られていたと思う。
それは、日本が憲法で不戦をはっきりと謳い、現実に自衛隊の海外派兵などには
極めて慎重で、武力によって他国に言うことをきかせようとするNATO軍などとは
一線を画していたからである。日本人技術者、ボランテイアなどのの優秀さ、真面目さも
その好感の印象を強めるのに無論大きな働きをしていたであろう。
それは実は、日本人が海外で経済活動やNGO、NPOなどの活動をする時に、
日本人を守る大きな力となっていたのではあるまいか。
…ところが2003年イラク戦争が勃発すると、小泉政権下の日本はイラクに自衛隊を派遣した…
今、日本は、海外からどう見られているか…
今回の事件でも、昨日のテレビ放送によると、『ターゲットは、英仏日』という命令が
犯行グループに上から来ていた、という。
はっきり日本人もテロのターゲットになっている…そう思った方がいいのでは。
日本人は、もう、アメリカの友軍、NATOの一員と見られているのであろう。

日揮など、海外で真面目にプラント建設などに尽くしてきた企業…
それは無論、利得をそこから得る活動であると同時に、現地からの要望を受け、
現地の発展に寄与してきたものでもあると思う。
しかし、アフリカ、中東の緊張がこうしてどんどん高まって行くとともに、
日本への現地の人々の感じ方も変わってきていることを、日本人はもっと自覚するべきであろう。

それでは、日本もアメリカやフランス、イギリスなどのように、強力な軍隊を
いつでも紛争地に派遣して、自国民の安全を守り、なにかあった際には武力で持って
相手を鎮圧し、同胞を救い出す…そう言ったやりかたに倣っていくのがいいのであろうか…

仏誌「パリマッチ」(電子版)は21日、アルジェリア人質事件で犯行声明を出した
国際テロ組織アルカイダ系の武装組織「イスラム聖戦士血盟団」のスポークスマンが、
「犯行は90%成功で、フランスなどマリに軍事介入した国は代償を支払うことになる」
との内容の声明を出したと報じた。
 同誌によると、声明を出したのは「血盟団」のベルモフタール司令官の側近。
アルジェリア軍による最終突入の前に同誌が協力者を通じ電話で連絡を取ったとしている。
声明では「800人の兵士が警備する戦略拠点にわずか40人で到達した」と指摘。
アルジェリアの事件は「始まりに過ぎない」としている。


襲撃側の声明だから、800人の警備というこの数字はそのままあてにはできない。
しかし、相当数の警備は付いていたという。
それにもかかわらずこの凶行は行われてしまった…

日本はこれから一体、こうやって海外で働く人々をどうやって守って行ったらいいのか…。
石破氏が言うように、自衛隊法を変え、場合によっては武器使用も許す、というような
ことが必要なのか…
自民党の首相側近の誰かが言ったと言われているが、海外の大使館などに、自衛官を
常駐させ警備強化したり、CIAのような情報組織の強化を図るべきなのか…。

はっきり言って私にはわからない。
アフリカ、中近東地域の政情不安は、もう、日本一国の一市民がどう考えるなどと
言えることではなくなってしまっているからである。
なにが正しくてなにが間違っているのか…あるいはそのまったく逆なのか…

そもそもアルジェリアの問題を語るとき、かつての宗主国フランスを抜きにして
語ることは出来ない。今回の犯行は、フランスのマリ侵攻への報復だと言われている。
しかし、この犯行計画自体は2ヶ月半も前から計画されていたとも伝え聞く。
フランスのマリ侵攻は、その後である…
フランスは自国の民が一人死んでいるが、今回のアルジェリア軍の拙速とも見える
テログループ(そこには捕虜も一緒にいた)への一斉攻撃は正しい判断だったと評価。
イギリス、アメリカもそのフランスと態度を一にしているようである…
これで、フランスはますます北アフリカ地域での軍事行動へ深く踏み込んでいくことになり、
対するイスラム過激派は、フランス、アメリカおよびその同盟国(日本も含む)への憎しみを
募らせていくであろう。ヨーロッパ本土へのテロ攻撃も激化するかもしれない。
イギリスのキャメロン首相は、『北アフリカでのテロとの戦いは今後、数十年続く』と
言明したそうである(26日朝日朝刊)。
英仏などでこうした政治のイスラム過激派との対決姿勢が強まっていけば、
ヨーロッパ本土の白人のイスラム系移民への差別や厭悪感はこれまた徐々に強まっていく…
そうすると、そこで暮らすイスラム系住民の反撥心や怨みもまた強くなっていく…
負の感情の連鎖の強化である……

私自身のアンビバレンツ…好悪相反する感情…のことを言ったが、
私たち日本人は、戦後、概して西欧的道徳、西欧的価値観、西欧的教養の中で
育ってき、暮らしてきたのではないだろうか。
私などは戦後のアメリカによる民主主義教育の中で育ってきた…。
アメリカの自由や豊かさ、またフランスやイギリスの深い伝統文化やその芸術作品には
大きな憧れを抱いて育ってきた。今でもその憧れの気持ちは失せていない…

だが、調査によって数値は違うが世界には68億の人口のうちの約23%にあたる約16億の
イスラム教徒がいるそうである(2009年時点)
また、その米非営利調査機関ピュー・リサーチ・センターの試算では、今後イスラムの比率は
増えていき、2030年までに世界人口の4人に一人26.4%まで増えるだろうとも言う。
(因みに、世界人口の32パーセントにあたる22億人がキリスト教を信じており、
15パーセントにあたる10億人がヒンドゥー教、7パーセントにあたる5億人が仏教を
信じていることが示された。その他に、世界人口の6パーセントにあたる4億人が土着宗教を信じている。)
一方で、無宗教という者は、世界人口の3分の1もいて、いかなる宗教にも関与せず
暮らしているという。

宗教と政治がイコールではないことは無論である。
だが私自身も無論含め、私たちはあまりにも、あらゆるものの考えかた行動様式で、
西欧的世界観に傾きすぎてはいないだろうか?
とりわけ、情報分野において、西欧のそれに頼りすぎてはいないだろうか?
アメリカやフランスや、イギリスや…それらが発する情報を正しいと鵜呑みにしては
いないだろうか?
アフリカの『狂犬』と呼ばれ、反政府暴動のさなかに正当に裁かれることもなく処刑された
あのカダフィー大佐は、西欧のメディアが流したように、本当にその死が歓迎されるべき
極悪人だったのだろうか?
一方では、彼の善政を懐かしみ、彼の死を悼むアフリカの民も大勢いるものを……
後ろで糸を引いていたのだろうと思われるフランス国民の中にも、彼の
不当な死を悼む者はいる……

この混沌とした世界にあって、何が正しいか悪いか、などの判断はほんとうに難しい。
私の感情も揺れ動くのである…。
だが、一つ。
憎しみによって問題が解決されることは少ない。
武器によって一時的に平和がもたらされたとしても、それは長続きのする平和であろうか。
武力で紛争を解決しようとすること…それはほんとうに効果があるのだろうか?
…今回だって、プラントは大勢の兵士によって護衛されていたはずである…

海外にいる自国の民を救うために軍隊を投入する…
一体何人投入すれば安全だという保証があるのか…
救援部隊がまた襲われたら、さらに多くの軍隊を投入するのか…
その虚しさを描いた映画がある。
一つは1998年公開の『プライベート・ライアン』(スティ―ブン・スピルバーグ監督)
舞台は第二次世界大戦中の1994年のノルマンディ―上陸作戦。(以下青字部分はWiki)
掩蔽壕の機関銃座から猛烈な銃撃を受けながらもオマハ・ビーチ上陸作戦を生き残った
米軍第5軍第2レンジャー大隊C中隊隊長のミラー大尉(トム・ハンクス)の下に、
米第7軍第101空挺師団第506パラシュート歩兵連隊第1大隊B中隊に所属する
ジェームス・ライアン2等兵(マット・デイモン)をノルマンディー戦線から探し出し
無事帰国させよ、という任務が下った。ライアン家の4人兄弟はジェームス以外の3人の兄弟が戦死し、
彼が唯一の生存者であった。息子たちの帰国を本国で待つ母親に息子全員の戦死の報せが届くのは
あまりに残酷だ。たった一人だけでも生かし、母親の下に息子を返してやりたいという
軍上層部の配慮だった…。


一人のいのちは無論大事である。…だがそのために8人の別の兵士が、危険な敵陣に
命を賭けて救出に行けと言われる…
この映画は、その非情なほどの戦闘シーンのリアルさで有名である。それゆえに、
武器フリーク、戦争フリークから高い評価を受けているとも聞く。
だが、私には、戦争というものの残酷さと虚しさだけがこころに残った。

もう一本。
2001年公開の『『ブラックホーク・ダウン』(りドリー・スコット監督)。
これは1993年に実際にソマリアでおこった壮烈な
「モガディシュの戦闘」(米軍を中心とする多国籍軍とゲリラとの市街戦)を描いている。

1993年、国際世論におされた米軍は民族紛争の続くソマリアへ派兵。
内戦を終結させようと、最大勢力ババルギディル族を率いて
和平に反対するアイディード将軍の副官2名を捕らえるため、約100名の特殊部隊を
首都モガディシュへ強襲させた。
当初、作戦は1時間足らずで終了するはずだったが、作戦の開始直後に、
アイディード将軍派の民兵の攻撃により、2機のヘリコプター、ブラックホークが
RPG-7によって撃墜されてしまう。
敵地の中心へ仲間たちの救出に向かう兵士らは、泥沼の市街戦に突入していく。


本作はソマリア内戦への超大国による介入とその失敗を描いたノンフィクション小説
『ブラックホーク・ダウン アメリカ最強特殊部隊の戦闘記録』(マーク・ボウデン著。早川書房刊)
を映画化したものである。
私はまず、この無益なアメリカによる武力介入のノンフィクションの方を先に読んでいた。
超大国といわれる先進国が、アフリカの内戦に介入していく…
だが、最新鋭最強と言われたブラックホーク部隊も、シミュレーションで思い描く
戦闘と、女子供でさえ戦闘員になリ敵味方見極めのつかぬ混沌とした現地で
実際によく建物などの位置関係もわからぬまま戦わねばならない実戦は大きく違い、
地獄の泥沼のような戦いに引きずりこまれていく…
戦争というものはこういうものなのだ…その実態を知って非常なショックを受けたものである。
映画は多少の戦争美化というか、アメリカ軍の視点から描かれていて不満がないわけでは
なかったけれど、大国が他国の内戦に介入していくその論理と、戦闘の無益さ、悲惨さは、
十分に出せていたのではないかと思う。

映画版における最大の特徴は、その徹底した描写である。従来の戦争映画とは違い、
状況説明を最小限にとどめ、作品のほとんどを戦場という状況の直接描写に徹した点にある。
喧騒とした街に突如として降下するアメリカ兵、一般住民と民兵が入り混じった乱戦、
少数精鋭のアメリカと数で押す民兵、現場と司令部との齟齬など、
分かりやすい正規戦をモチーフとしたこれまでの戦争映画とは違い
現代の不正規戦における混乱が的確に描写されている。


この、Wikiの記述がよく表してくれているように思う。
出来たら原作のノンフィクションを読んで見てほしい。アフリカにおける大国の論理の
無茶苦茶さと、その大義と言われるものの虚しさ。
そもそもここにアメリカを中心とした国連軍が介入していくのは、
長年にわたるソマリア内戦で想像を絶する飢餓状態にあった子供たちを救うためなど、
もともとは人道支援目的である。だが、それ以前に、ソ連やアメリカが
ちょっかいを出していて、大量の武器が残されていたなど、やはりここにも
超大国の勝手な思惑が問題を複雑化したという経緯があった。
部族間の対立…内戦による絶望的な荒廃と飢餓。それを放ってはおけないというのはわかる。
しかし、一体どこまで内戦に大国は関与していいのか…
果たして関与することが、アフリカの民にとっていいことなのか…?
答えのない問いが胸を重くする……


さて。戦地や紛争地における同胞の安全確保と、ことが起こった時の救出方法…。
これはこれだけ、邦人も世界に数多く出ていって仕事をする現代、しかも、世界で
紛争地が増えていっている現代、避けては通れない問題であろう。
だが、安易に、自衛隊を送り込めばいいという問題ではないはずである。
憲法を変えて、日本もアメリカやその友軍と共に、世界の紛争地に自国の兵士を
送り込めばいいという問題では断じてないはずである。

ブログを拝見させていただいている『★いつか星降る夜に…』ブログのその日暮らしさんの、
『★今こそ非戦の誓いを!』という記事に
イラク戦争に派遣された自衛隊員の自殺率の高さのことが書かれている。
衆議院議員照屋寛徳氏の質問対する政府答弁書による数値。

平成十九年十月末現在で、テロ対策特措法又はイラク特措法に基づき派遣された隊員のうち
在職中に死亡した隊員は、陸上自衛隊が十四人、海上自衛隊が二十人、航空自衛隊が一人。
そのうち、死因が自殺の者は陸上自衛隊が七人、海上自衛隊が八人、航空自衛隊が一人、
病死の者は陸上自衛隊が一人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人、
死因が事故又は不明の者は陸上自衛隊が六人、海上自衛隊が六人、航空自衛隊が零人である。


また、イラクから帰還した自衛隊員がその後に自殺を遂げていることについては、
東京新聞が次のように明らかにしているが、それもその日暮らしさんの記事に載っている。

  ■東京新聞2012年9月27日朝刊■

イラク帰還隊員 25人自殺
二〇〇三年に米国主導で始まったイラク戦争に関連して、中東へ部隊派遣された自衛官のうち、
先月までに二十五人が帰国後に自殺していたことが防衛省への取材で分かった。
陸上自衛隊は十九人、航空自衛隊は六人に上る。
防衛省は「イラク派遣との因果関係は不明」としている。

 陸自は〇四~〇六年、イラク南部のサマワに合計五千五百人を派遣し、空自は〇四~〇八年、合計三千六百人をクウェートに派遣した。海上自衛隊は現地駐留せず、自殺者もいなかった。

 自衛隊全体の一一年度の自殺者は七十八人で、自殺率を示す十万人あたり換算で三四・二人。イラク特措法で派遣され、帰国後に自殺した隊員を十万人あたりに置き換えると陸自は三四五・五人で自衛隊全体の十倍、空自は一六六・七人で五倍になる。

 一般公務員の一・五倍とただでさえ自殺者が多い自衛隊にあっても極めて高率だ。防衛省の担当者は「帰国後、何年も経過した派遣隊員と一年ごとに調べる隊員の自殺者数を比べても意味がない」と反論。派遣隊員が自殺した時期は明らかになっていないが、陸自のイラク派遣期間中の三年間は毎年九十人以上が自殺しており、自衛隊全体の自殺者数を押し上げている。

 イラク派遣された陸自は宿営地で十三回、計二十二発のロケット弾攻撃を受け、うち四発が宿営地に落下した。車両で移動中、仕掛け爆弾による攻撃も受けた。

 空自は武装した米兵をバグダッドへ空輸する際、たびたび携帯ミサイルに狙われたことを示す警報が鳴り、着弾を避けるため、急旋回などの飛行を余儀なくされた。

 過酷な環境下で任務遂行したことになるが、前出の担当者は「心的外傷後ストレス障害(PTSD)で自殺した例は確認できていない」としている。 (東京新聞編集委員・半田滋)


またこんなデータもお借りする。

■第二次世界大戦後、米国が戦争、爆撃をした国■
中国(1945-46、1950-53)
朝鮮(1950-53)
ガテマラ(1954、1967-69)
インドネシア(1958)
キューバ(1959-60)
ベルギー領コンゴ(1964)
ペルー(1965)
ラオス(1964-73)
ベトナム(1961-73)
カンボジア(1969-70)
グレナダ(1983)
リビア(1986)
エルサルバドル(1980年代)
ニカラグア(1980年代)
パナマ(1989)
イラク(1991-99)
ボスニア(1995)
スーダン(1998)
ユーゴスラビア(1999)
そして、現在、アフガニスタン

(アルンダーティ・ロイ『ピーナッツバターにまみれた野蛮』から)




…このようなデータを知ってなお、自衛隊の海外派兵の道を
私たちは選びたいだろうか?
アメリカなど共に、こうした無益な戦争にくわわりたいだろうか?

自国民は守らねばならない…
それは確かなことである…。
だが、日本には、第二の道…武力解決によらない道があるのではないだろうか?
それは、西欧諸国でもない、アフリカ、中南米、中近東でもない、アジアの一国…
世界の長い長い宗教戦争や紛争の連鎖の歴史からも一応離れた立場にいるこの私たちの国…
しかも優れて豊かな工業技術力や農業技術力も持つこの日本…
そして、大きな戦争の悲劇、瓦礫と焦土の中から必死で働いて立ち上がった国…
2度と戦争に加担しない、起こさないと憲法で高らかに謳った国…この日本。

その日本が世界で果たしうる役割は、アメリカなどにただ追随することのほかに
ありはしないだろうか…
世界で唯一原爆を2回も投下された国。戦争の悲惨さは十二分に知っているはずである。
そして福島第一原発事故も引き起こしてしまった国。私たちは科学の進歩の素晴らしさと同時に、
それが人間の飽くなき欲望の追求に使われ続けた時どういうことを引き起こすか知ったはずである。
その日本が世界で果たしうる大きな役割がありはしないだろうか…

それは、世界の紛争を、中立公平な立場で何とか武器によらずに平和的に解決する
その先頭に立つこと。自らそれを国の生き方として示していくこと。
そのことではないだろうかと私は思うのだ。
甘いかもしれないが、それがなによりの日本人に対する安全保障になると。


最後にこんな映像をご紹介。
こういう視点もあるということを知っていただくために。

http://iwj.co.jp/wj/open/archives/54705

同志社大学大学院、グローバルスタディ研究科長・同教授。内藤正典氏への
岩上安身氏によるインタビュー。アルジェリア問題の本質。マイノリティと
グローバルスタンダードの問題など。

無料で見られるのは期間限定記事なので、2時間近くと長いですが、ぜひ、お早いうちに。



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『お嫁に行ったこたち』

クウ―ママさんを通じて、わたしの人形たちが岩手県の東北大震災被災地に
お嫁に行きました。
『羅針盤』 (save iwate 東日本大震災被災地支援チーム)は皆さんが復興のための
お仕事に集まる場。そこで束の間のなごみにでもなれればと、お願いして貰っていただきました。
クリックしていただくと、皆さんのところに届いたところの写真がありますので
見てくださいね。

可愛がっていただいているようで嬉しいです。

わたしの娘たちのうちのふたり…。
ここに、記録しておいてやろうと思います。
ショートヘアの子のほうは、12月4日の記事『こんなこ』で一度紹介した子です。


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これは、羅針盤に届けられる前に、お正月をクウ―ママさんのおうちで
暖かく過ごさせていただいた時の、クウ―ちゃんとの記念写真。
私には宝物の永久保存版写真です!


むすめたちクウーちゃんと


クウ―ママさん。ありがとう♪







『岩手からの便り』

1月のある日。嬉しいお荷物が届きました。


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中には、贈ってくれた方の心映えを忍ばせるように、
こんなお菓子たちが綺麗に箱詰めされて入っていました。
わたしの好きな南部せんべいなど北国の香りを伝える、心のこもったお菓子たち。

その中の一つ。
ピーナッツ味の割りみそせんべい。
上の方に小さな写真が載っています。

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『在りし日のおもかげです』と書いてある。
立派な蔵造りの商店です。
『八木澤商店』
文化4年(1807年)酒造業創業。岩手県陸前高田発祥の老舗。
そこの醤油は何度も醤油品評会で農林水産大臣賞を獲っていた…。

しかし平成23年3月11日。
あの東日本大震災により、陸前高田市は壊滅的被害を受け、
八木澤商店も蔵、製造工場を全壊、流失してしまいます。
この写真は被災前の面影。
でも、八木澤商店の皆さんは雄々しく立ち上がります。
工場を借りて醤油製造再開。現在、陸前高田市内陸部に新店舗を立ち上げ営業中。

この南部せんべいは、その八木澤商店の味噌を使ったタレを染み込ませて
作ったものなんです。

送られてきたお菓子は、皆、岩手県の銘菓。
これを一つひとつ選んで箱に詰めてくださった贈り主のお気持ちや、
これらを作った人々の復興への想いをかみしめながら、一つ一つ見入っていると、
不覚にも涙が出てきそうになりました…!

進まぬ政府の復興策…。
本当に被災地の気持ちになって進められているのかどうなのか。
『絆』を謳いあげた最初の頃の国民の熱狂も去って、どんどん忘れ去られていきそうな焦り…。
国をあてにばかりしていられない…自分たちで立ち上がろう!
…そういう動きが加速化していると言います…。

これは実は、『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんから送っていただいたものです。


綺麗に詰められたお菓子たちの一番上に入れてあったのがこれです。
あ。見覚えのある布!!!
これ。去年の夏。私がお送りした布たちの一部なんです!


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クウ―ママさんは、同じ岩手で、
被災した方々のおこころを何とか慰め、また同時に、少しでも収入の道につなげられないかと、
得意の手仕事の技を活かして、ワークショップ『ててごとひろば』を立ちあげられました。

クウ―ママさんは『ててごとひろば』だけでなく『羅針盤』( save iwate 東日本大震災被災地支援チーム〉でも、
ものづくりを通して、被災地復興のお手伝いをなさっています。
ここには被災なさって今仮設住宅などにお住まいの方などもおいでになって、
クウ―ママさんの指導のもと、いらなくなった衣類や古い布を利用して、
綺麗なバッグやカードケース、ひざかけ、風呂敷、ふくさ、…など
皆でワイワイいながら楽しく作ります。そしてそれらの売り上げは、復興の一助に。

私は去年の夏、それまでたくさんリフォーム用に集めていた古い着物地などを、
使っていただけないだろうかと、クウ―ママさんにお願いしてみたのです。


その古い布の一部が、このような美しい作品になって、『羅針盤』で売られることになりました。
これは袱紗です。テーブルナプキンにも、インテリアの敷物としてもいろいろにアイディアで活かせそう。
クウ―ママさんが、「こんなふうに役に立っていますよ」って、私に送って来てくださったのです♪
まあ、なんと優しい作品に仕上がって戻って来てくれたことでしょう!

裏には、やはり着物の裏地が再利用して使ってあります。淡い黄色のぼかしの。

まあ。この手触り!
…これは触った人にしか伝わらないだろうなあ…
この柔らかさ、なのにこのしっかりした感触!
これはミシンで縫っては絶対に出せないやわらかさです。
一針一針、ひとが手で縫う…それでしか出せないやわらかさです。

人間の手仕事の技の不思議さ…これは手に取ったひと、経験のある人にしかわかっていただけないかも。


…こうして、あちこちから集まった小さな端布が、クウ―ママさん達の手によって、
一つ一つ、見事な作品になって蘇っています。
そして、その中の一つが、私の元にこうやって里帰りして来てくれました!

ク―ママさん達の支援は、震災後全国から集まった支援物資の洋服類などのうち、
厚ぼったすぎるとかいろいろな理由で引き取り手がなかった布たちを
暖かいひざかけや、被災地の小学校のクリスマス会の可愛いオーナメントなどに蘇らせる…
その、集まった物たちを無駄にしないで活かす…その意味でだけでなく、
こころの支援にもなっています。
仮設住宅にぽつんといらしても、被災者の方々はどうしても思い出の辛さや孤独に
引きこもりがちになります…
何とか、外に出てきていただいて、こうして一緒におしゃべりをしながら、手を動かす…
それが作品を作る楽しさだけでなく、こころの支援にも、また小さな収入の道にも…
といった、幾重もの支援になっているのです。

クウ―ママさん達の活動は、岩手タイムズなど地元の新聞やテレビでもいろいろ報道されたそうです。
私も、ほんのちょっとだけどお役に立てたかな…
こうやって見事な袱紗という作品に生まれ変わって来てくれた小さな絹の端布…。
立ち上がろう!支えよう!という東北のこころを胸に刻み込んで、大切にしたいと思います。

さて。
そのク―ママさんのところで、別の活動のことを聞きました。

岩手県大槌町。
震災後に町長をはじめとした町役場の幹部が全員行方不明になられてしまったこと、
地域紙であった「岩手東海新聞」が廃刊したことで、情報が閉ざされていました。
しかし、地元の人々が立ち上がり、2012年8月から活動を始め、
READYFOR?(津波被害で「沈黙」した町 岩手県大槌に地域メディアを創る)
の支援を得て、大槌の「今」を伝えるメディア「大槌みらい新聞」を立ち上げます。
町民レポーターも多く募集。地元に密着した地元の今、を伝える活動をしています。

その中の一つの活動。

『大槌町のおばあちゃんたちの写真展』

被災なさったお年寄りなどは、仮設住宅にどうしても悲しみを抱えたまま閉じこもりがち。
そんな方々にデジカメを持ってもらって、写真を撮ることを勧めてみよう。
外に出ていって若い支援の人々や、同じ被災者同士、写真を撮ることで
繋がっていければ、少しでも元気を出していただけるのではないか…

そうしたアイディアから始まった活動です。
最初のうち、デジカメなど触ったこともないから、と、尻込みしていらした方々も、
身近の人々やもの、風景などの写真を撮って、それをお互いに見せ合ったりしているうち、
だんだん楽しくなっていって、積極的になっていらっしゃいます。

それならば、これらの大槌町のお年寄りたちのお撮りになった写真。東京で
写真展を開けないか、と言うふうに話が膨らんでいきました…。

生きていく張り合いとなれればいいな、そして、大槌町の今を、少しでも
東京など多くの人に知ってもらいたい…そういう想いで、今、スタッフのみなさん、
頑張っていらっしゃいます。
今、その資金集めと、東京での展覧会開催場所を探していらっしゃるようなのです。

私もそれで、こうやって情報拡散させていただくことにしました。
どこか、いい開催場所ないものでしょうか…


…こうして、政府からの支援がなかなかいき届かない中、被災地の方々は
自力で立ち上がろうと懸命です。
それを支援する多くの方々もいらっしゃいます。
でも、東京の私などもそうですが、離れているとどうしても日々の暮らしの中に
被災地の方々のことは忘れてしまいがちになります。

小さなことでも出来ることを…


そう自分にも言い聞かせ、また願う私です。
クウ―ママさん。ありがとう♪







『キャンドルナイト 22』

2013年1月11日。

今日も静かにキャンドルを灯す。


22キャンドルナイト


キャンドルを灯しても、炎を見ていても、心が鎮まらない…


この国のありよう。
絶望してはいけないのだろうが、出るのはため息ばかりである。


この写真。
1月4日の朝日新聞に載った、この、福島県田村市の除染現場の写真。
これが、今のこの国の政治のありよう…民の心映えのありようのすべてを象徴している気がする…


除染現場手抜き (500x446)


以下、1月4日、朝日新聞デジタルより引用。下線部は私、彼岸花による。


『「手抜き除染」横行 回収した土、川に投棄』
http://www.asahi.com/national/update/0104/TKY201301040001.html

 【青木美希、鬼原民幸】東京電力福島第一原発周辺の除染作業で、
取り除いた土や枝葉、洗浄に使った水の一部を現場周辺の川などに捨てる「手抜き除染」
が横行していることが、朝日新聞の取材でわかった。
元請けゼネコンの現場監督が指示して投棄した例もある。
発注元の環境省は契約違反とみて調査を始めた。汚染廃棄物の扱いを定めた
特別措置法に違反する可能性がある。

 環境省は昨夏以降、福島県内の11市町村を除染特別地域に指定し、
建物や道路、農地などから20メートル内の本格除染を始めた。
それ以外に広げるかどうかは今後の課題だ。これまで4市町村の本格除染を
ゼネコンの共同企業体(JV)に発注した。
楢葉町が前田建設工業や大日本土木など(受注金額188億円)、
飯舘村が大成建設など(77億円)、川内村が大林組など(43億円)、
田村市が鹿島など(33億円)。

 環境省が元請けと契約した作業ルールでは、はぎ取った土や落ち葉は
すべて袋に入れて回収し、飛散しないように管理しなければいけない。

住宅の屋根や壁は手で拭き取るかブラシでこする。
高圧洗浄機の使用は汚染水が飛び散るため雨どいなどごく一部でしか認めていない。
洗浄に使った水は回収する決まりだ。




この写真が撮影された田村市の除染費用は、鹿島建設などに33億円が行くという…
33億の金は、私たちが払う税金から出ている。
それほどの金を懐に収めながら、この放射性物質に対する認識不足!
こっそり川に流してしまえばすむという、そのこころ!
良心の欠如したいい加減な除染作業である…!
これのいったいどこが『本格除染』と言えるのであろうか!

集めた落ち葉の行き場がないから、つい…。
まともに袋詰めなどしていたら、とても工期に間に合わない…。
…そんなことは言い訳にならない!

福島から出たこうした汚染物の、中間貯蔵施設の建設地も、政府はまだ見つけられていない。
建設候補地として打診を受けた自治体は、反対を表明。
都会の人々は、このような被災地の実態を知らぬげに、テレビのお笑い番組に
今日も笑い転げている…

…何もかもが欲と利己心とに凝り固まって、この国は雁字搦めである。

なんでもそうだが、組織のトップが腐っていれば、下の構成員の心情も腐っていく…
国が腐れば、国民のこころもやがてこのようにささくれだって腐っていく…
この、除染作業の現場責任者と思われる人物一人だけを責めているわけではないのである。
巨大な除染現場と落ち葉の山…それをかき集めていちいち袋に詰める。
その袋の置場もろくにない…国はいったいなにしてるんだ!?
こんなことしていて、いったい意味があるのか?…
ええい、面倒くさい、川に流してしまえ!川に流してしまえば、見えなくなる…

巨額の税金をいただいて仕事を請け負いながら、
その日々の作業の不毛さに、こうして現場作業員のこころが腐っていく。


国は、今後、除染作業が適切に規則通り行われているかどうか監視の目を強めて
いくというが、なに、そんな監視などいき届きゃしない。
もうすでに、見られている時だけはちゃんとやるよう用心しろ、という指示が
現場では出ているそうである。
国がそれでは、本気で除染の効果があると考えているかというと、おそらく誰も
あの山がちの福島県、しかも今も福島第一原発から放射性物質が日々放出されている
土地のすべてを、完全に除染できるなどと誰も思っちゃいまい。
ただ、言い訳に惰性に近いものでやっているだけであろう…。
そこに動いている確実なもの、と言えば、巨額の利権だけである……
金だけが確実なものとして、人々の行動を支配する…

3.11は、不幸な不幸なことだったが、あれを機会に
日本は生まれ変わらなければならなかった…亡くなられた方々のためにも。
3.11は、私たちに、私たちがこれまで知らなかった権力の構造というものを
見せてくれた。原子力ムラに象徴されるような、複雑に絡み合ったこの世の利権構造を。
1%が99%を支配する、この現代社会の仕組みを…。
99%が立ちあがるいい機会だったと思う。

だが、そうはならなかったようである…
あまりにも望んでいたことと真反対の方に日本が舵を切ってしまったこと…
なんだか悲愴を通り過ぎて、馬鹿馬鹿しくなる…



しかし。しかし。
国が腐れば、国民も腐っていく…
それならば、その逆もまたありうるだろう?

国民一人一人が、真剣にこの国のことを考えて立ち上がれば、国は腐って行ったりしない。
誰も見ていないからといって、危険なごみを川に捨てる…
このような心性を国民の一人一人が改めていけば、
自分の行為が世の中とどうつながっているのか、ということを考えるような国民であるならば、

国はまともな方向に歩いていくはずなのである。…そうじゃないだろうか?


希望の灯をあきらめずに灯し続けていこう…。



               計画節電


               葉っぱさん、れんげちゃん。今月もバナーお借りします。




                  ③NANTEIさんバナー

                なお、2020年までの核兵器廃絶を目指して、
               「核兵器禁止条約」の交渉開始を求める署名運動が続けられています。
                街角で署名運動を見かけたらご協力のほどよろしくお願いいたします。

                オンラインでも署名することができます。
                その際はこちらをご覧になってください。
                https://www.ssl-hiroins.city.hiroshima.jp/pcf/jp/form.htm

                NANTEIさん。新しいバナーと署名の紹介。お借りします。





『冬の谷間の記録』に寄せて

こんな本があります。

『冬の谷間の記録』…

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これは、私のブログを訪れてくださる『Aya 光年の森』ブログのすーさんの、
お父さまの遺作とも言える作品です。

すーさんへの友情を籠めて。そして一人の、誠実に生きた作家への尊敬を籠めて、
この記事を2013年という、厳しさの予感される年の、実質上の最初の記事にしたいと思います…
長いですが、一所懸命、今の私のすべての想いを籠めて書きました…
どうかゆっくりお読みくださいね…

すーさんのお父さまの遺作『冬の谷間の記録』(上下)は、
ここから電子書籍をお読みいただいたり、製本したものを購入することが出来ます。

http://onamomi.biz/



すーさんの紹介文から、一部引用させていただきます。

 鈴木与一は、1996年6月、64歳で他界しました。
父は56歳の時に病に倒れ、その後8年間の闘病生活のなかで詩や小説を書き遺しました。
「冬の谷間の記録」は余命2年と宣告され、全身全霊を傾けて執筆に挑んだ
長篇小説(原稿用紙726枚)です。高校教師や会社経営などを生業とした父でしたが、
作家になる道は青年時代から志していました。晩年、病と闘わざるを得ないことに
なりましたが、そのことによって天から執筆する時間を与えられたのだと僕は思います。

 物語は、戦前に生れた主人公が13歳の時に敗戦を迎え、上州から上京して大学生活に入ります。
戦後間もない1950年代の日本は、日米安保反対闘争など様々な運動が
全国的に展開されながら、志ある学生たちも必死に生きる時代でした。
主人公は、イデオロギーによって革命家になろうと決意して行動して行きます。……


これは、ひとつの時代を象徴するような、一人の青年の青春の記録です。

第二次世界が終わって、敗戦国日本はアメリカの占領下にありました。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本の民主化を進め、その中で
戦中は非合法とされていた日本共産党は合法的に活動が出来るようになります。
社会主義を背景にした労働運動が激化。日本共産党は、1949年1月の、
第24回衆議院議員総選挙で、なんと35議席を獲得します。
しかし、同じ1949年に中華人民共和国が成立。
朝鮮半島が不穏な状況になってくると、GHQ/SCAPは、共産主義の脅威を
いうようになり、一転、共産党等の活動家を弾圧する方向に施策を切り替えます。
この年には、下山事件、三鷹事件、松川事件といういわゆる国鉄三大ミステリー事件が
立て続けに起こります。日本共産党と国鉄労働組合がこれらを仕組んだのだという
プロパガンダがなされ、そのために、日本共産党・共産主義者排斥の空気は
一挙に高まっていきます。

1950年5月、マッカーサーは日本共産党の非合法化を示唆。
6月に徳田球一ほか日本共産党中央委員24人、及び機関紙「アカハタ」幹部といわれた
人物を公職追放、アカハタを停刊処分にします。

『冬の谷間の記録』の中から引用しましょう。

24名の中央委員全員の公職追放に続いて、新聞界七百名、映画界百余名、
公務員七百名、民間各社で約一万名と、米軍の要求でレッド・パージさ。
(中略)…今年の四月にマッカーサーが解任され、リッジウェイ中将が引継ぐと、
戦争責任を問われて公職追放になっていた連中が次々と解除され、動き出している。
CIAや公安の動きも目立つし、紐つきの単独講和が強行されそうなんだよ」


レッド・パージ、いわゆる『赤狩り』です。共産主義者、またその同調者という烙印を
押された者が、公職から追放されたり、民間でも職を失ったりしていきます。
アメリカ本国でも、マッカーシズムという赤狩り旋風が吹き荒れます。
これは、1950年2月。アメリカ合衆国上院で、共和党議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーが
「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したと伝えられる演説を契機に、
ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」に発展した事件です。
『マッカーシズム』について若い方はあまりよくご存じない方もおいででしょう。
上記Wikipediaの記載などをぜひご覧ください。

本題に戻りましょう。
このように、前年から吹き荒れ始めたレッド・パージと、1950年の朝鮮戦争勃発。
日本に置かれた米軍基地から、次々にB29が朝鮮半島に飛び立っていく。
手痛い敗戦を経て、アメリカ占領下にあったとはいえども、せっかく民主化に動き始めた日本。
その日本で、CIAや公安が暗躍し始め、再び思想統制が苛烈だった戦時のきな臭い臭いを
させ始めた…そんな時代の1950年代前半。主人公は東京で大学生になるのです。

主人公は13歳で終戦を迎えた。彼は戦争中の尽忠報国の軍国主義教育のありさまも、
教師たちが、終戦後、手のひらを返したように民主主義を標榜するようになる
その変わり身の早さもその狡さもつぶさに見てきています。
戦争はほとほといやだ…!
彼の心にはそのことが深く刷り込まれました…。
…しかし、戦前から戦中、国中が戦争にまっしぐらに突き進む中、
いのちをかけて戦争に反対し続けた一群の人々がいたこと…
それが共産主義者たちであった!

そのことをしっかりと認識するのは、大学に入って、大学の自治会に
つながりが出来て顔出しするようになってからです。

けれども、彼は一家の期待を一身に背負っていた。生きるためのアルバイトもあります。
思想問題に興味を持たないわけではなかったけれど、もともと彼は、むしろ、
高校の頃は文学を志向していました。戦中の価値観を引きずるいやな教師もいたけれど、
高校には多くの素晴らしい教師たちがいて、彼は彼らから文学の手ほどきを受けていました…

その彼が、決定的に運動の方に身を投じていくのは、1952年のメーデー…
後に『血のメーデー事件』と呼ばれる騒乱に意図せずまきこまれてからです。
その後の彼は、その一本気な、正義感と責任感の強い性格も相まって、
まっしぐらに学生運動にのめり込んでいきます…
そして、ついに、共産党に入党します…

そこからの彼の青春は、そして彼を取り巻く仲間たち…共産主義運動に身を投じ、
あるいはそこから抜けていく…その彼らの青春は、本当に苛烈です!
ある者は、運動の路線の違いから仲間から厳しい糾弾を受けて、グループから追われていく…
ある者は、『家』を背負う重圧と運動のはざまに立たされて、学校をやめ
都落ちして行ったり、自ら死を選んだりします…
彼のまわりで、どれほど多くの若者たちが、その一途さゆえに精神のバランスを
失って行ったり、自死を選んだりしていくことでしょう…!

主人公もまた、深く苦悩します。
自分は本当は、自分の卒業をただ一つの希望として待っている父母や弟妹のためには
学業をおろそかになどしていられない身分だ…。
文学・学問への憧れは、まだ彼の胸の中で燃えています…。
彼にはこころに深く想うひともいました………


わたし、彼岸花は、大体記事からおわかりだと思いますが、これまでずっと
選挙では、共産党か社会党(社民党)に票を入れてきました…
だが、自分自身は、どちらの党員でもないし、実は共産党と社民党の路線の違いさえ
真にわかっているとは言えないくらいのいい加減な、いわゆるただの『シンパ』でした。
ただ護憲や原発反対など政治のいろいろな考えかたで、この両党が自分の考えかたに
近いので、選挙時応援してきたにすぎない。
また、自民党の長い長い政権が続いて、国が一党支配されることの危険を
強く感じてきました。そのために、自民党にNO!という政党を応援してきたと言えます。

そんな私にとって、共産党に限りません…一つの主義を貫いて、それを守るために
政治活動に身を投じる、ということの現実は、実はほとんど知らないと言ってよい世界でした。
無論、少々のプロレタリア文学は読んでいます。
小林多喜二『蟹工船』、宮本百合子『貧しき人々の群れ』『伸子』、中野重治『梨の花』…
でも、末端の党員の生活そのものを描いたものは読んでいませんでした…

共産党党員であること…
それはなんと厳しいものなのでしょう!
常に自己の中にある怯懦なこころと向き合っていなければならない。
党への忠実さ、仲間への信頼と献身…
何よりも共産主義の根本原理、そして党則への忠実さが常に問われ続ける…
仲間同士の批判だけでなく、自分の良心に恥じないかということと常に向き合って生きねばならない…

その党則や党の方針が常に正しいならいい。…しかし、人間の集団には常に
矛盾や齟齬が生じがちです。特にこの時代の共産党は、その党の方針を巡って
激しい理論抗争が上の方で行われていました。
末端の党員はそれに振り回されます。昨日良しとした活動が、明日批判される…
…その理不尽とも戦っていかねばならない…

主人公も、常にこうした苦悩の内にあります。

私は、党員である、ということの重圧を、この本で初めて知ったかもしれません…
ここで描かれているのは、党の上層部ではありません。党の最前線にいた若者たちの群像です。
そのいわば末端の党員としての普通の人々の生活(1950年前半頃の)です…
私は、署名集めやデモでさえ、単独で行動したい人間です。
私にはこういう生活、こういう運動、…とても耐えられないな!と思いました。

…重い、重い小説です!


でも、すーさんの父君、鈴木与一氏の文章は巧みです。
こんな重いテーマですが、一気に読ませてしまいます。
…ここに出てくる青春群像の、なんと痛々しくも純粋なことでしょう!
主人公の目を通したその一人一人の悩み苦しみを、淀みない文章で、書いていきます…
これは、そういう、共産党員の学生たちの姿を描いていると同時に、1950年代初頭という
終戦後すぐの時代の、いわば荒々しい匂いも、私などにはまざまざと思い出させてくれます。
私はこの頃、まだ幼女でしたが、後に11才歳の違う兄が大学生になったとき
漂わせていた空気などの中に、この時代の同じ匂いを嗅ぎ取っていました…

さて。
それから共産党はどうなったでしょう…
この、血のメーデーの5カ月後の総選挙で、共産党は35の全議席を失ってしまいます。
その運動のあり方が一般国民の共感を失わせていったこともあるでしょうが、
何より、レッドパージなどCIA,官憲も絡んだ反共産主義宣伝が、国民に強く
刷り込まれたということがあったのでしょう。それからはずっと議員数一桁台の低迷が続きます。
しかし、全共闘運動等、学生運動が盛り上がった1969年に14人にまで増え、
1972年の衆議院総選挙では、一気に議席を38にまで飛躍させる!
1972年…これは一体どういう時代だったでしょうか。
この年、第一次田中内閣が成立。中国との国交が回復されます。
1969年の東大安田講堂攻防戦を頂点にする学生運動は、この年72年の2月に起きた
あさま山荘事件で、ほぼ終焉を迎えます。
アメリカでは、ウオーターゲート事件が起こってニクソン大統領が辞任に追い込まれました。
日本共産党は、この頃までには暴力によらない平和革命路線を鮮明にして党がまとまっていたこと、
クリーンな政党のイメージが定着しつつあったこと、社会党との共闘などで、
革新政党としての存在感を増していっていました…
1979年には39まで議席を伸ばしています。

しかし、2003年の第43回衆院選挙では、20議席から9議席に一挙に議席減。
それまでは曲がりなりにも10~20台の2ケタの議員数を維持していたのに、
この回から以降、今日までひとケタ台です…
この年、何があったのでしょう…
この時の自民党総裁は小泉純一郎氏です。自民党は10議席減らしている。
それではどこが大勝したのか?
菅代表の民主党です。民主党が40議席も伸ばして177議席に。
社民党も共産党と共に、12議席も減らしているから、要するに、社共の票を
民主党が奪ったのでした…
『自民党に対する党としての社共!』という構図を、国民がはっきりと捨て、
民主党にその役割を託した意味深い選挙だったと思います。
そこから再び社共が浮上してくることはありませんでした。


そしてさらに…ご存じのように、共産党は今回の衆院選挙では、8議席です。
社民党に至っては、前回の7から5議席も減らしてわずか2議席になってしまった!
参議院と合わせてもわずかに6議席になってしまいました……
あの!脱原発運動の盛り上がりを見せた2012年。共産党の志位委員長も
(社民党の福島瑞穂党首も)よくデモなどにも参加し、共産党は怖いという先入感は、
少しずつ取り払われていっているように思われました。
が、現実にはむしろ1議席減らしてしまいました…!

国民が最終的に選んだのは、改憲→軍国化そして原発推進の安倍自民党でした!

私は、一昨年からシリーズ記事として『第五の敗北』という記事を書き続けてきました。
自民党に対し得る政党としての社会党共産党の凋落を書いてきました。
リベラルの敗北の歴史です…。
(まあ、リベラルの定義は厳密にはややこしいのですが、私は
『極右的ネオリベラリズム」に反対する勢力』というような意味で使っています。
ネオリベラリズム。国家によるサービスの縮小と大幅な規制緩和による市場経済重視の経済思想)

第五の敗北。
それは私にとっては、リベラル最後の香りを残す脱原発の菅元総理への激しいバッシングと追い落とし、
そして自民党となんら変わらない保守色濃い野田政権成立を指していました。
2011年の春夏…あの時に、原発をこの国に54基も作り、今この国が抱える
数々の問題を生んだ自民党政治に対抗しうる政党は、この国から消えてしまったのだと私は思っています。

そして、去年11月8日の記事。『第五の敗北』シリーズの結びに、
「これが第六の敗北にならねばいいが」という危惧を書いています。

『第六の敗北』…それは、憲法を改正して国を軍事国家に徐々にしていく…、
国民を思想統制するような国家の出来(しゅったい)です…


11月8日に危惧していた、その時点でさえ、これほどのひどい結果は、実は私も
予測していませんでした。…国民の良識を信じていたのです…
だが、違った……!

『冬の谷間の記録』
…なんというタイトルでしょうか!

市井の一作家…尊敬を籠めて敢えてそう呼ばせて頂きます。
ここには、党の幹部として生きた人々やプロレタリア文学の代表作家と呼ばれる人々とは
また違う、一人の市民として生き抜いた人の誠実な視点があるから…

わたしたちは今、この市井の一作家の遺作の主人公、大学生賀来皓一が生きていた
冬の時代に突入しようとしているのでしょうか…
折角国民がそこから血の涙を流しながら脱出してきた戦争…
それなのにまた再びきな臭い匂いがする時代に戻ろうとしている冬の時代に。
『国家』というものが国民を統制する時代に。

皓一が共産党に入党を決意した、1952年5月1日の血のメーデー。
第23回のメーデーは、全国400か所以上で110万人の人が集まりました。
東京では40万人という大衆の怒りは、それまでは使用が許されていた人民広場(皇居前広場のこと)を
官憲が使用不許可にしたことに向けられた。会場は仕方ないので明治神宮外苑広場に。
ああ!それまでずうっと日比谷公園からデモ出発出来ていたのが、東京都の
横槍で突然出来なくなった去年の11.11集会と、なんと似ているのでしょう!

皓一たち学生民衆の怒りは、GHQの命令により警察予備隊(のちの自衛隊につながる)が
編成され、日本が再軍備することに反対するものでもありました。
朝鮮戦争が勃発して、日本に駐留していた米軍戦力がそれに向けられる。
日本の治安維持が手薄になるのを避けるため、アメリカが命じたのです。
ああ!安倍政権のやろうとしている軍備増強、自衛隊の国軍化と、なんと似ているのでしょう!

上で『冬の谷間の記録』から青い字で引用した部分に、
「戦争責任を問われて公職追放になっていた連中が次々と解除され」
という箇所があります。
安倍晋三現総理の敬愛する祖父である岸信介氏は、戦中に商工大臣、軍需次官などに就き、
経済統制を仕切ったということでA級戦犯容疑者として東京巣鴨拘置所に
収監されていた。それが冷戦の激化に伴いアメリカが日本を「共産主義に対する防波堤」と
位置づけ、旧体制側の人物を復権させアメリカに協力させることにしたお陰で戦犯不起訴となり、
1948年に釈放、公職追放となります。
そして、まさにこの1952年!サンフランシスコ講和条約の発効にともない
公職追放解除となっているのです。従って、この小説のその引用部分は、
『昭和の妖怪』とも後に呼ばれた第56、57代内閣総理大臣岸信介氏のことなどを
指して言っているのです。

安倍現総理の悲願の一つは、この敬愛する祖父の、A級戦犯容疑者の汚名を雪ぐことも
一つにあると言われています。

歴史の歯車が大きくぐる~っと旋回して、賀来皓一の時代に戻ってしまったような…!

戦前、戦中、戦後を通じて一貫して、日本共産党は、戦争に反対してきました。
だが、『人間は平等』というその基本理念が、すでに権力と巨万の富を掌中に握っている者たちに
とっては脅威でした。共産党は大金持ちの、すなわち権力者の敵とみなされる
宿命を最初から背負っています。
そのために共産党を蛇蠍のように嫌う権力者によって、共産党への弾圧や
ネガテイブ・キャンペーンがいつの時代も行われてきました。
日本のレッド・パージ、アメリカのマッカーシズムなどがそうです。
今でもそれは一般大衆の心に根強く刷り込まれています…。
『共産党』というだけで顔をしかめる人のなんと多いことでしょう。
『赤』という色さえ、色眼鏡で見られるところがあります。
『赤い花』は、ある種の人からは潜在的に嫌われるんじゃないかしら…
(私が彼岸花を名乗るのは、そうした偏見、色眼鏡への反抗心があるんですけれどね)

残念ながら、賀来皓一たちが命をかけて全魂を全生涯を賭けて育て守ろうとしてきたもの…
不戦の誓いが守られる国、平和を守ろうとする国、……
そうした日本は、今、その土台から覆されようとしています。

共産主義者、社会主義者…そうしたものをひっくるめて、『アカ』と蔑視する人々…
そういう人々は、自分たちが今、当然のこととして享受している権利が、
こうした社会運動家などの血のにじむような戦いによってかちとられたものであるということを
もしかして知らないのでしょうか。

言論の自由…。今はまだ私たちはネットなどで自由にこうして言いたいことを書いたり出来ます。
でも、その権利はいとも簡単に政治家によって奪われ得るものです。
集団結社の自由…。組合を毛嫌いする人がこの国には多いけれど、無論そのありようは
多くの問題もあるだろうけれど、組合の権利のないのがどれほど怖いことか
考えてみたことがありますか?
例えば労働時間が大体8時間で守られている…それは昔からそうだったわけではありません。
少年さえもが16時間安い賃金でこき使われていたひどい時代もあったのです。
最低賃金だってそうです。最低賃金が守られていなかったら、自給300円などと
会社から言われてもなんともどうとも抵抗できない…そういう時代もあったのです。
会社の厚生関係の権利もそうです。…健康保険や退職金が当たり前のようにある…
男女同権もそうです。育児休暇もそうです。
…私たちが今、当たり前のように享受している諸権利は、先人達が血と涙で
勝ち取ってくれたものです。そしてそれは、実はいとも簡単に奪い去られ得る…!

そのもっとも大きなものに『平和』があります。
『健康で安全に好きなところで生きる権利』があります。
『労働に見合った正当な対価と福利厚生』があります。
それらも、いとも簡単に奪われ得るのです!

原発は、福島の人々の、父祖の地で健康に安全に暮らす当たり前の権利を奪ってしまったじゃありませんか!
組合のない福島第一原発の下請け、孫請け…の作業員たちは、あの危険な仕事を
国民のためにしながら、途中でその当然受け取るべき賃金をピンはねされて
日給わずか8000円(ほぼフルに働いても大卒の初任給くらいにしかならない…)くらいで
今も働いている人がいます! 被曝して体を壊しても彼らは使い捨てです!

人間は幸せな時は、こうした、自分が享受している権利に気づきません。
それらは永久に失われて初めて、その価値がわかるものです。
気づいた時にはもう遅い…

わたしたちはこの12月。怖い選択をしてしまいました。
私は実は、まだそのショックから立ち直れていない気がします。

先人たちの努力を、私たちは水泡に帰してしまったのでしょうか?
自民党に対抗しうる勢力の無くなってしまった今、その原発推進、TPP、
憲法改正と集団的自衛権の行使などへの意志を、いったいどうやって私たちは止められるのでしょう?

ちょうど時も時。
日本国憲法に男女同権の思想を明文化してくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんが
1月1日亡くなられました。彼女が22歳という若さで、日本国憲法作りに
携わったことを、意外の感、というよりは『遺憾』という言い方で語っている人が
結構いました。彼女がそんなに若い女性であったことが、日本という国の
一国の憲法をつくるのには失礼だ!というような言い方です。
だから、日本国憲法は作りなおされなければならない、という所へ持っていきたがる…。

なんという言い草でしょうか。若くて女だったら失礼なのか?無能なのか?
それならば、この条項を入れたのが、年をとった男性だったら、まあ許すとでもいうのでしょうか?
そういう偏見を抱く人が多いからこそ、男女同権の条項を明文化する必要があったのでは?
私は、ベアテさんに感謝を捧げます。そして心からの哀悼を捧げます。

人間の生きていく諸権利…
それを守るには、私たちはしっかりしていなくてはなりません。
それを明文化するまでに、どれほど多くの先人達が戦ってきてくれたことか!
それは、なまじいな戦いではなかった筈です!
ただの慣習化、暗黙の了解、曖昧な合意ではだめなのです。そんなものは一挙にひっくり返される!
野田政権の『2030年までに原発ゼロ』が、一挙にひっくり返されたように…。

最後に。この詩を思い出してください。

       『歌』          中野重治

 おまえは歌うな
 おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
 すべてのひよわなもの
 すべてのうそうそとしたもの
 すべての物憂げなものを墢(はじ)き去れ
 すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
 もっぱら正直のところを
 腹の足しになるところを
 胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
 たたかれることによって弾ねかえる歌を
 恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
 それらの歌々を
 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
 それらの歌々を
 行く行く人々の胸郭にたたきこめ



              注:擯斥(ひんせき) しりぞけること。排斥。

プロレタリア作家、中野重治のあまりにも有名な詩です。
自分の思想を貫くためには、
それを詩に表現し抜くためには、
やわやわとした私情は捨てろ!と自らに決意する歌。
年下の同志に宛てたともどこかで読んだ気がするが、出典がわからない。

命がけで、こうした戦いを続けてくれた先人達が勝ち取ってくれた権利。
それをいったん手放してしまうと、
また、同じ苦しみを辿って、手に入れなおさなければならないのです…





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『本年もどうぞよろしく』

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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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