『生きてゐる兵隊 ②』

いつも不思議だなあと思うのは、何かを熱心にしていると、それに関係した出来ごとが
偶然、不思議なつながりを見せて次々に起こるシンクロニシティというべきもののことである。

今回、もう忘れられかけている戦争文学を掘り起こして、今の日本の抱えている問題を
その繰り返しの中で語ろうと決めて、その第一章を火野葦平にしよう、と決めたら、
ちょうど偶然、NHKで先に言及した『従軍作家たちの戦争』というドキュメンタリーをやった。
しかも、その中心に据えられていたのは、火野葦平であった!
次に書くのは石川達三だな、と準備していると、なんと今度は、またどんぴしゃりのタイミングで、
朝日新聞夕刊で、8月27日から9月6日まで、『筆禍をたどって』という、まさにこの石川達三の
『生きてゐる兵隊』の検閲をめぐる取材シリーズが始まったのである!
この朝日新聞の連載からも引用しながら書いていってみよう…。


盧溝橋事件をきっかけに日中戦争が本格化した1937年。32歳の石川は、9月、
こんなことを読売新聞に書いている。

『戦争ルポルタージュにも野心が出るし、新しい人間性を発見する機会も多くなる。
何と云っても戦争は人間の魂の素晴らしい燃焼で、文学の対象として野心せざるを得ない』

『戦争は人間の魂の素晴らしい燃焼』かぁ……

この言葉の批評はともかくとりあえず置いておいて先に進もう。
石川は中央公論社に働き掛け、中央公論の特派員として、望み通り中国に渡る。

1938年1月5日上海着。8日、南京に入る。
上海を日本軍が占領したのが1937年11月。そして南京陥落が12月13日。
石川はそれらから一カ月とたたない上海、南京の様子を見ることになる。
石川は、火野のように自分で直接経験した戦闘の様子を書いたわけではない。
南京攻略に携わった第16師団33連隊に取材し、その結果著されたのがこの小説であり、
兵士や新聞記者たちを精力的に取材して、それらをもとに書いたのである。
ただ、その際、石川は将校連には取材しなかったという。戦果を鼓舞しがちなそうした軍の
上層部の話は排除して、下級の兵士たちや記者たちの目で見た戦場を掬いあげようとしたのであろう。
石川は、20日には上海を再び発ち、日本に帰って僅か11日間ほどで一気に
『生きてゐる兵隊』を書きあげた。

ところが、何回も社で検討を加え、危なそうな描写は伏字にしたりしたものの、この作品は
発売日の前日に発禁処分となってしまう。雑誌は石川の作品を削除して発売を余儀なくされた。

1909年に施行された新聞紙法は、
『第23条 安寧秩序を乱したり風俗を害すると認められる新聞の発売・頒布禁止 (第41条において
発行人・編集人の処罰も定められている)
第27条 陸軍・海軍・外務各大臣による、軍事外交に関する記事の禁止・制限権』などを謳い、
各新聞雑誌は発行時に内務省や検事局に納付するように定められていた。
内容が不適切とされるものを内務大臣は発売領布を禁止出来たのである。

警視庁特高部検閲課が、達三、中央公論編集長、発行人を尋問。
その結果、この作品は『日本軍の軍規弛緩、士気喪失、非戦闘員の殺戮などの『虚構』を
書き、『安寧秩序を紊乱』したとして、一審で石川と中央公論編集長は禁固4カ月執行猶予3年、
発行人は罰金100円の判決を言い渡される。今のお金で言うとおよそ30万円くらいというところか。
検事側は判決を不服として控訴したが、二審の判決も一審と同じだった。

                *

『生きてゐる兵隊』のどこが検閲に引っ掛かったのであったのだろうか。

物語は、1937年7月29日の北京陥落後、太沽[タ―ク―。天津市浜海新区(旧塘沽区)]に
主人公たちの部隊が上陸するところから始まる。大陸は残暑の頃であった。
そこから敵を追いながら南下すること2カ月。
季節は秋深い霜が哨兵の肩に白くなる頃。
次の命令を待って寧晋の部落で主人公たちは束の間の休養をとっている…。

連隊本部に充てられていた民家のすぐ裏から、突然火の手が上がる。
火をつけたのは22,3の、貧しげな身なりをした中国人の青年であった。
通訳が呼ばれて話を聞く。

「こいつ奴。自分の家に自分で火をつけたんだから俺の勝手だって言やがる!」

笠原伍長はそれを聞くと、青年を連行して一町も歩き、楊柳の並んだクリークに行く。

「あっち向け!……と言っても解らねえか。不便な奴じゃ」
 彼は已むなく自分で青年の後ろにまわり、ずるずると日本刀を鞘から引き抜いた。
それを見るとこの痩せた烏のような青年はがくりと泥の中に膝を突き何か早口に大きな声で
叫び出し、彼に向って手を合わせて拝みはじめた。然し拝まれることには笠原は馴れていた。
馴れてはいてもやはりいい気持ちではなかった。
「えい!」
 一瞬にして青年の叫びは止み、野づらはしんとした静かな夕景に返った。首は落ちなかったが
傷は十分に深かった。彼の体が倒れる前にがぶがぶと血が肩にあふれて来た。体は右に傾き、
土手の野菊の中に倒れて今一度転がった。だぶんと鈍い水音がして、馬の尻に並んで
半身はクリークに落ちた。泥だらけの跣足の足裏が二つ並んで空に向いていた。


小説は、このようにしていきなり火事のシーンと、その犯人として捕まり、自分の家に付け火をしたと
告白した中国人青年の首を、主人公の一人、笠原伍長が日本刀で刎ねるところから始まる…。

さて。先ほど『主人公たち』と書いたが、この小説も、筋立てらしい筋はなく、
従って主人公らしい主人公というものはいない。
数人の、入営前の経歴も性格も違う人物たちの、いわば戦場における群像劇である。
石川自身の描いた言葉も借りて主な登場人物を紹介すると…。

 平尾一等兵はかつてはある都会の新聞社で校正係をしていたロマンチックな青年であった。
感受性の強い繊細な彼の神経は戦場の荒々しい生活の中では耐えられない。その代わりに
彼が身につけたのは、一種捨て鉢な闘争心であった。戦線に出るようになってから彼は
急に大言壮語することを覚えた。
 小隊長倉田少尉は、勇敢な小隊長であるが、部下と対している時には、かつて小学校の先生
であった自分を思い出してしまう三十一の独身将校。
 笠原伍長は、冒頭のシーンで、中国人民間人の首をはねた人物である。
笠原伍長は農家の次男で学問はなかったが、それだけに理屈なしにこういう境遇に
腰を据えて揺るがない心を持っていた。
彼の殺戮は全く彼の感情を動かすことなしに行われた。ただ彼の感情を無慙にゆすぶるものは
戦友に対するほとんど本能的な愛情であった。彼は実に見事な兵士であり、兵士そのものであった。
 近藤一等兵。彼は入営前は医学生であった。戦場で人を殺す自分と、医者として人の命を
救う立場だったかつての自分とのおりあいがまだつきかねている。
 片山玄澄従軍僧。本来は戦死者を弔うことが彼の役目であるが、自ら戦闘に参加して、
シャベルといったあり合わせの得物で、すでに20人以上殺している。
 中橋通訳。
 そして彼等の上に立っているのが連隊長西沢大佐である。兵士たちが崇拝してる上官である。
豪胆な性格だが、普段は兵たちに対しても温厚な人物である。
兵たちが焚火を囲み、薩摩芋を焼いていると、西沢連隊長がやって来て、兵たちの輪に加わる。
そうして兵の差し出した焼き芋を食べてくれるこだわりのなさを、兵たちは有難いと思うのである。

 彼(西沢大佐)が行ってしまうと皆は肩をゆるめて饒舌りはじめ、火の中の芋を先を争って
取り出した。笠原伍長は右足の靴を脱ぎ靴下を脱いだ。垢が黒く塊まった大きな平たい足が
湯気を立てていた。
(中略)
「何をやるんだね」
『足の皮がお前、あんまり歩かすもんだから堅くなりやがって、痛くってお歩けになりませんのだよ。
弾丸があたったより痛いぞ」
 彼は足の裏の上に顔をかがめ洟水をすすりながら、刀で以てこわばった皮を削りはじめた。
充分に拭われていない刀には何個所も刃こぼれがあり多少の赤みさえも残っていて、
脂肪の濁りで刀身は鉛のように光がなくなっていた。


つい先ほど、中国人の民間人の青年の首を刎ねた刀で、…その血のりをよく拭いもしない刀で
自分の足の皮を削る…。
笠原伍長の神経の太さを、言ってみれば、自分が首を刎ねた中国人青年の死への鈍感を、
ひいてはそれは兵としての適合性を、作者は、こうした描写で表わしている。

翌朝出発。
石家荘から、北京、北京から天津、塘沽、奉天、大連へ…、隊は列車で移動していく。
大連から汽船に乗船。まだ自分たちの行き先さえ知らなかった兵たちは、ようやく自分たちが
上海から南京に向かうことを知る。近藤一等兵当番の連隊長室に、軍用機密地図の包みが
あるのを見つけたからである。

 それは上海から南京付近に至る長江筋一帯の精密極まる地図であって、網の目のように
入り組んだクリークの一筋ごとに、その幅、深さ、泥の深さ、徒渉し得る場所、道路の幅、
雨後は泥濘になる場所までも記入されてあった。これが彼等を待っている新しい戦場である。
(中略)兵たちは丸窓を開けて遠ざかり行く大連とその辺りの島々とを無言のうちに眺め、
(大連で)買って来た土産ものを波の上に投げ棄てた。そしてごろりと鉄格子のベッドに横になり、
みんな黙って眠った。


 日暮れ前に中橋通訳は歩兵砲隊の兵に頼まれて馬の徴発に部落を歩き回った。(中略)
砲を曳いていた馬がクリークに落ちて足を折ったから、明日の進軍に困るというのだ。
(中略)
「おい、婆さん」と彼は戸口に立って言った。「俺達は日本の軍人だが、お前の所の牛が入要だ。
気の毒だが貰って行くよ」
 老婆はきいきいと甲高い声で反抗した。(中略)
 この野郎めえ……と通訳は舌打ちして後ろから彼女の襟首をつかみ、力かぎりに引きたおした。
彼女はひとたまりもなく道傍の泥田の中にあお向けざまに落ちこんだ。
(中略)兵たちは良い気持であった。無限の富がこの大陸にある。そしてそれは取るがままだ。
このあたりの住民たちの所有権と私有財産とは野生の果物のように兵隊の欲するがままに
開放され始めたのである。

 
さて。ここにこうして、日本軍が行軍しながら近隣の現地の人々の食糧や馬、牛、鶏、
豚などを、食料として、あるいは運搬用として徴発していったことがこのように書いてある。
日本兵の略奪、ということに関して、いやそれは違う。ちゃんと日本軍は金や軍票で払っていた、
などと言う言論もあるようだが、それは原則。支払った例もあったろうが、なにしろ現地の
村は住民が逃げてしまっていて、交渉しようにも支払おうにもそもそも相手がいない。
そうしたこともあって、黙っていただいていくことが当たり前になり、食糧、水など現地調達しながら、
つまり略奪しながら行軍していくことが、暗黙の了解事項としてあったことが、
この『生きている兵隊』や『麦と兵隊』のような文学作品のみならず、元兵士たちの証言にも
数多く散見される。
広大な中国大陸の奥地へ奥地へ、しかもいくつもの部隊として散開しながら、長く延びて進む隊列に
後方からの食糧を迅速に届けることには最初から無理があったのだ。
太平洋戦争が始まって、南方に送られた兵士たちの食糧事情がもっと厳しいものであったことは、
次の大岡昇平作品でまたあらためて触れたい。
日本軍の兵たちへの糧食、弾薬、医薬品などの補給態勢は、ほんとうにひどいものだった。

この物語は、石川達三が聞き書きをもとに書いた創作である。
フィクションはフィクション。真実とは違う。確かにそれは言える。
では、ここに、第十六師団長、陸軍中将 中島今朝吾の日記から引用しよう。
南京陥落の数日後の、陸軍中将の日記である。

中島今朝吾日記

◇十二月十九日 薄曇り

一、戦勝後のかっぱらい心理

 我々が入るときは支那兵が既に速くより占領したる処である 彼等には遺棄書類によつて見れば
大体四、五月以降給料は払ふてない 其代りかつぱらい御免というので如何なる家屋も
徹底的に引かきまわしてあるから日本軍の入るときは何ものもなく整頓しては居らぬ

一、そこに日本軍が又我先にと侵入し他の区域であろうとなかろうと御構ひなしに強奪して住く
 此は地方民家屋につきては真に徹底して居る 結局ずふずふしい奴が得といふのである

 其一番好適例としては
 我ら占領せる国民政府の中にある 既に第十六師団は十三日兵を入れて掃蕩を始め
十四日早朝より管理部をして偵察し配宿計画を建て師団司令部と表札を掲げあるに係らず
中に入りて見れば政府主席の室から何からすつかり引かきまわして目星のつくものは
陳列古物だろうと何だろうと皆持つて往く

 予は十五日入城後残物を集めて一の戸棚に入れ封印してあつたが駄目である 翌々日入て見れば
其内の是はは思ふものは皆無くなりて居る 金庫の中でも入れねば駄目といふことになる

一、日本人は物好きである 国民政府といふのでわざわざ見物に来る 唯見物丈ならば可なるも
何か目につけば直にかつぱらつて行く 兵卒の監督位では何にもならぬ 堂々たる将校様の盗人だから
真に驚いたことである

(中略)
一、最も悪質のものは貨幣略奪である 中央銀行の紙幣を目がけ到る処の銀行の金庫破り専問のものがある
そしてそれは弗に対して中央銀行のものが日本紙幣より高値なるが故に上海に送りて
日本紙幣に交換する 此仲介者は新聞記者と自動車の運転手に多い 
上海では又之が中買者がありて暴利をとりて居る者がある

 第九師団と内山旅団に此疾病が流行して張本人中には輜重特務兵が多い そして金が出来た為
逃亡するものが続出するといふことになる 内山旅団の兵隊で四口、計三、〇〇〇円送金したもの
其他三〇〇、四〇〇、五〇〇円宛送りたるものは四五十名もある 誠に不吉なことである

 (「南京戦史資料集」旧版P331~P333)


これもよく、『日本兵が略奪したのではない。支那兵が逃げる前にさんざん略奪し、放火していくのだ』
と言う人がいる。この、中島今朝吾日記にも確かに支那兵が略奪をしていった跡の様子が書いてある。
しかし、そのさらに後に、日本兵が、しかも将校や新聞記者までが何かめぼしいものがあれば
略奪していったことを、なんと陸軍中将自身がこうやって日記に、その風紀紊乱を嘆いて書いているのである。

詳しくはこのサイトを。ここには、ちゃんと払おうとしていたということも書いてあるが、また、いかに
実際はひどい徴発が上から下まで横行していたか、ということの例も、いやというほど載っている。

http://www.geocities.jp/yu77799/nicchuusensou/chouhatu.html


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『彼岸花』

ああ…なんだか記事書くのが遅くなってるな…

去年あたりはもっとがっかがっかと勢いに任せて書いていたものだが。

彼岸花を名乗っていながら、彼岸花の季節が過ぎてしまうままにしておくのも悲しいな。
もう数日前に撮った写真ですが、アップしておきます。



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玄関先のおしろい花。
どこにでもある花かもしれないけれど、なぜか懐かしい花。
ずうっと庭に欲しいと思っていたけれど、縁を結ぼうとしなかった。
でも、去年、散歩の途中の川原のおしろい花から種をいただいてきて、植えておいたら、
今年、小さな株になって花も咲いた。
記念に撮っておいてやろう…




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これが私の散歩道。
彼岸花が年々増えていっている。


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ね。いい川原でしょう。



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彼岸花…
日向に咲いてても日陰もののイメージの花…



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ああ…もう…
なにもおっせんすな(おっしゃいますな。廓言葉)

恋に理屈はないものを


…なあんて、ね。








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ここもいつも私がなにかと写真を撮る一角。



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「おかえりなしゃい!」
いつもこの子が玄関先で迎えてくれます。
無邪気で一途なタマスダレ。


へい。
なんということもないんですよ。



ただのおなぐさみ。






『見てね♪』

今夜24:40
正確には、24日の0:40

よろしければ、
NHK総合
地方発ドキュメンタリー
「鯨の町と野球の女の子~ 」

を、ぜひご覧になって下さいませ。

実は、我がブロ友で姉妹のちぎりを交わした(^^)
『うたたね気分』 ブログのLily姫さんのご次男さんが番組の音声担当。
エンドロールにもお名前が出るとか。

姉妹のちぎりを交わしたLily姫さんの息子さんってことは、私の甥になるんだな。(笑)

秋の夜長にいかがでしょうか。^^

『原発事故子ども・被災者支援法』パブコメ締切迫る


パブコメ、今日23日までです。無記名でも大丈夫ですので。


基本方針をめぐるQ&A(パブコメ提出情報も入っています)
http://hinan-kenri.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-ae5a.html

以下、IWJより転載させていただきます。




被害者支援の第一歩だったはずなのに… ホネぬきにされる「原発事故子ども・被災者支援法」法の理念無視、被災者の声不在…復興庁の基本方針案

 「原発事故子ども・被災者支援法」――。

 原発事故被害者の救済と権利回復のための第一歩となるはずだったこの法律が、ホネぬきにされようとしています。

 8月30日、復興庁は、「原発事故子ども・被災者生活支援法」実施のための基本方針案を発表しました。当初、9月13日まで、わずか2週間のパブリック・コメント(一般からの意見聴取、以下パブコメ)にかけるとしていましたが、高まる抗議の声に10日間延長しました(締切9月23日)。



 「子ども・被災者支援法」は、2012年6月22日、全国会議員の賛成のもとに制定されて以来、1年2か月もの間、「塩漬け」状態になっていました。背景には、避難を阻み、帰還を進めたい福島県と国の思惑があります。今年、8月22日には、原発事故被害者19人が国を相手取って、同法の実施を求め、提訴を行いました。そのわずか8日後、復興庁は、度重なる被災者や市民団体からの要請に一切答えることなく、基本方針案を公表。被災者・市民の意見が実質的に反映されていないこと、法の理念とは程遠いこと、既存の施策の貼り合わせであることなど、問題の多いものとなっています。形だけのパブコメを行い、このまま閣議決定することを許してはなりません。

◇「原発事故子ども・被災者支援法」とは◇

 20mSv撤回運動、自主的避難の賠償問題、避難区域設定…。福島原発事故後、被ばくの影響を過小評価し、住民を福島に縛り付けようとする政府と市民の攻防は一進一退を続けました。いかに市民が声をあげようと住民が切実な被ばくの問題を訴えようと、政府は動きませんでした。そんな中、心ある国会議員と市民、弁護士グループの力で、原発被害者のいのちと暮らしを守るための立法が進められました。これが「原発事故子ども・被災者支援法」です。

 2012年6月21日、全会派・全国会議員の賛成のもと、国会で採択されました。第一条の「目的」に「放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分解明されていない」と明記。これに鑑みて、「居住」「避難」「帰還」の選択を被災者が自らの意思で行うことができるよう、国が支援を行うことになっています。具体的には、医療の支援、移動の支援、移動先における住宅の確保、学習等の支援、就業の支援、保養などです(第五条)。

 また、特に子ども(胎児含む)の健康影響の未然防止、健康診断および医療費減免などが盛り込まれています(第十三条)。

◇「基本方針」で実施を担保/鍵にぎる「支援対象地域」◇

 「子ども・被災者支援法」は、いわゆる「プログラム法」であり、理念や枠組みのみを規定したものです。

 政府は、支援対象地域の範囲や被災者生活支援計画などを含む「基本方針」を定め、その過程で、被災者の声を反映していくと規定されています(第五条)。支援の範囲は、いままでの政府指示の避難区域よりも広い地域を「支援対象地域」として指定し(第八条第一項参照)、そこで生活する被災者、そこから避難した被災者の双方に対する支援を規定しています。いままで、市民団体や弁護士グループ、心ある専門家は、国際基準や国内法令が、公衆の被ばく限度を年1mSvを基準としていることを踏まえ、少なくとも追加被ばく量年1mSv以上の場所を支援対象地域に含めるべきだと要請してきました。





◇法の理念を無視した復興庁の基本方針案◇

 ところが復興庁の基本方針案は、このような法の理念を無視しています。

 基本方針案の「I.基本的方向」には、「放射線による健康不安を感じている被災者や、それに伴い生活上の負担が生じている被災者に対し、本基本方針に基づく、支援を着実に推進し、被災者が安心して生活することができるようにする」としていますが、放射線被ばくの影響は「不安」だけで片付けられるものではありません。子ども被災者支援法を特徴づける下記の目的や理念は無視されてしまっています。

・放出された放射性物質が広く拡散していること、当該放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分に解明されていないこと(第一条)
・健康被害を未然に防止する観点から放射線量の低減及び健康管理に万全を期すること(第二条)

◇「線量基準」を放棄/「支援対象地域」は狭すぎる上に、支援内容ほとんどなし◇

 「支援対象地域」は福島県内33市町村としています。子ども・被災者支援法の規定を無視して、線量を基準にしていません。あまりに狭すぎる上、これに対応した具体的施策はほとんどなく(※1)、意味がありません。

※1-復興庁は、支援対象地域向けの施策として、1)子ども元気復活交付金(原発事故の影響により人口が流出している地域において、全天候型運動施設等の整備や、プレイリーダーの養成などのソフト事業の実施を支援)、2)公営住宅の入居の円滑化、3)高速道路の無料化――としています。しかし、2)に関しては、家賃補助もなければ、優先入居もなく、既存の公営住宅法の適用のみです。3)は、すでに今年の3月に打ち出された施策です。福島県の中通り、浜通りプラス宮城県の丸森からの母子避難者が対象と限定的です。さらに、「準支援対象地域」が設定されていますが、これは既存の政策それぞれの適用地域を呼び換えただけのものです。

 施策の中身を見ると、全施策120のうち87の施策が、今年3月15日に公表された被災者支援パッケージと全く同じで、既存の施策の寄せ集めになっています。また支援パッケージには入っていなかった施策でも、少なくとも7施策が以前からある施策。残りの26施策も、大半は除染と健康不安の解消に関わるもので、最も重要な「避難の権利」を保障する避難者支援策は全くありません。

 福島県県民健康管理調査の問題点については手つかずです。多くの専門家や市民は、甲状腺癌や生活習慣病のみをターゲットとした現在の福島県県民健康管理調査の見直しを求めてきました。ニーズが高かった県外における健康対応については、「有識者会合を設置して検討」とするにとどまっています。

◇市民にできること◇

 この大問題の基本方針案は、「一定の線量以上」の地域を支援対象地域に指定するという第八条から逸脱しています。政府は、「一定の線量」を決める際には、年1mSvにすべきという世論の圧力をかわすため、「一定の基準」を定めず、うやむやにするという腹です。

 また、被災者の声が実質的には何一つ反映されていません。このこと自体、被災者の意見を反映するとした法の規定に違反します(第十四条)。わずか24日間のパブコメ期間中、説明会は福島県で1回、東京で1回。全国に避難している原発被害者は、このこと自体知ることができない人がほとんどでしょう。できればお住まいの自治体に、わが県(または市)で、基本方針に関する「公聴会」を実施してほしいという要請を国に挙げもらいましょう。

 また、ぜひパブコメを出しましょう!まわりの人にも広めてください。
原発事故子ども・被災者支援法をめぐるアクションや最新情報、パブコメ情報は、随時「避難の権利」ブログで紹介していますので、ご参照ください。(満田夏花/FoE Japan)

FoE Japan, IWJブログ, パブコメ, 原発事故・子ども被災者支援法, 満田夏花

『葛西臨海公園の自然を守ろう』

『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんから教えていただいた情報。
葛西臨海公園ってご存じでいらっしゃるでしょうか。
東京都が東京湾沿岸の汚染や埋め立てで破壊された自然環境を再生しようと作った公園です。
開園は、平成元年(1989年)。面積 約81万平方メートルもある広い園内は、
25年という歳月の間に、野鳥や昆虫、植物の宝庫になっています。
野鳥の会の調べでは、園内で野鳥226種、昆虫140種、クモ80種、樹木91種、
野草132種が確認されていると言います。

その都会地に近接した公園としては珍しい自然豊かな環境を、都は、2020年オリンピックの
カヌー会場に作り変えようとしているのです。

建設計画の詳細は明らかではないものの、招致委員会がIOCに提出した立候補ファイルによると、
カヌー競技会場は東京都が24億円、大会組織委員会が8億円を投じて建設。
工事は17年12月にも始まり、完成後は立ち席3000席を含む全1万5000席を備え、
五輪期間中には4種目が予定されている。五輪後は、市民がカヌー競技以外にラフティングなどの
レクリエーションにも使える施設を残すというのですが。
競技場建設で公園の3分の1程度の自然環境がなくなった場合、その影響が公園全体の生態系に
及ぶと、野鳥の会は指摘しています。

他に代替候補地がないわけではないでしょう。なぜ、わざわざ25年もかかって出来上がった
この都心のオアシスともいうべき葛西臨海公園をカヌー会場にするのか。

葛西臨海公園以外の、東京湾埋立地内の未利用地や湾岸の未利用地といった、環境への影響が少ない
場所を競技場に利用するように、今、署名活動が行われています。

クウ―ママさん。情報、お借りします。
みなさん、都民でない方も、ぜひ、このような美しい環境を守るため、署名にご協力ください。

http://www.change.org/ja/キャンペーン/25年もかけて育てた葛西臨海公園の自然を-オリンピックのために壊さないで?share_id=BVggcfUHYb&utm_campaign=twitter_link_action_box&utm_medium=twitter&utm_source=share_petition

この署名活動の趣旨と葛西臨海公園の様子、お知りになりたい方は、このかたのブログお読みください。


http://yaplog.jp/eikisato/archive/275


『生きてゐる兵隊 ① 』

さて。少し間があいたが、また、日本の戦争文学を紹介する記事を続けて行こう。

戦後68年。
なんでいまさら、古い過去のことを蒸し返すの?
そう言われそうだが、過去という時は今という時と全く断絶しているわけではなく、
過去の亡霊のような精神が今も、この日本という国の心の底流に依然として流れ続けているように
思えるから、敢えてこうして掘り起こしているのである。

戦後私達は、もう二度とあんな思いはいやだ。もう二度と戦争はしたくない!
そう思って、不戦を誓う憲法を大切にし、ずうっと守って来たのではなかったか。
時の自民党政権によって、何回も、この平和憲法の根幹をなす憲法前文や第9条などを
変えてしまおうとする試みがあった。だが、なんだかだいって、国民の戦争忌避の強い意志が
それらを食い止めてきた…

ところが今。先の衆院、参院選で圧倒的多数を得たことにより、自民党が
勝手に憲法やその法解釈を変えてしまうことを縛って来た、良識の箍(たが)が外されてしまった!!!

私が、こうやって古い文学を自らも学びつつ掘り起こしているのは、戦争に至る道というものが
いつも極めて似ている過程を取るからである。
以前、渡辺白泉の句を紹介したことがある。
渡邊白泉。1940年京大俳句事件に連座。
2月15日、特高警察は『京大俳句』の幹部の8人を一斉に逮捕。これが俳句史上、最大最悪の
言論弾圧事件である「京大俳句事件」の始まりだった。
白泉は第2次検挙で逮捕され、第3次検挙では、西東三鬼、第4次検挙で、東 京三(秋元不死男)
などが逮捕されている。
 「京大俳句」のみならず、どの俳句結社に所属していようとも、ちょっとでもおかしな俳句を
詠んでいる俳人がいれば、直ちに「赤い俳人」と言うレッテルを貼り逮捕した。
留置所に1、2年留置され、連日の取調べを受けた。それは殆ど拷問だったと言う。
東 京三(秋元不死男)の句に、『冬空をふりかぶり鉄を打つ男』、と言うものがある。これに対して、
「鉄と言うのは資本主義のことで、プロレタリアがそれを叩き潰すと言う意味なんだろう?」
と言う具合に詰問し、何日も何日も東 京三を責め立てた。
 さらに酷いのは、「自由律俳句」の俳人らに対しても、俳句の定型を無視して『自由』を標榜するとは、
危険至極な思想である!、と言う始末だった。
参考http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46998080.html

1943年には『きりしま事件』が起こる。これは、鹿児島日報(現在の南日本新聞)の記者2名と
販売局員1名を始め総勢37名が鹿児島県警察部特高課に治安維持法違反並びに不敬で検挙された事件。
いわゆる「新興俳句弾圧事件」の一つ。検挙された3名はいずれも俳句同人誌『きりしま』の同人であった。
当時、鹿児島県警察部特高課長であった奥野誠亮は、『きりしま』に掲載された俳句のうち、

 われら馬肉大いに喰らひ笠沙雨(かささあめ) 

 熔岩に苔(こけ)古(ふ)り椿赤く咲く

などを、「馬は軍馬として戦地へ赴き、兵士とともに働く貴重な戦力である。それを大いに食らうとは
不届きな思想にほかならない。しかも食料統制の策を批判している。」
「椿の赤色を賛美するとは、『共産主義の肯定』である。」

などという理由で、この大量検挙に検挙に踏み切ったのである。

俳句だけではない。川柳もまた、その時流批判性のゆえに特高の厳しい弾圧を受けた。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 万歳と挙げた手を大陸においてきた

これを書いた、鶴彬(つる あきら)は、昭和6年(1931年)、21歳の時に徴兵された。
配属された兵舎に日本共産党青年同盟の機関誌の「無産青年」を持ち込んだことで逮捕されて、
軍法会議にかけられ懲役1年8月。出所後4年で、川柳作品が軍を批判してるとして再び逮捕されて、
ノミやシラミだらけの不衛生な留置所に何ヶ月も拘束され、8ヶ月後の昭和13年(1938年)
留置所内で感染した赤痢が悪化。まだ29歳の若さで転送先の病院で亡くなっている。

獄中死ということでは、いわゆる『京都学派』と呼ばれる哲学者、三木清氏も、
1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして
検事拘留処分を受け、東京拘置所に送られ、その後に豊多摩刑務所に移された。
この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、また腎臓病の悪化とともに、
体調を崩し、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡していることが発見された。
48歳没。
疥癬患者の使っていた毛布を消毒しないで三木に使わせたために疥癬が発病したという。
日本共産党発行の文化評論1976年臨時増刊号では、194人が取調べ中の拷問・私刑によって死亡し、
更に1503人が獄中で病死したと記述されている。
小林多喜二の名はみなさん、勿論ご存じでいらっしゃるだろう。
小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。

さて。話はもとにもどるが、その渡邊白泉の代表句。

『戦争が 廊下の奥に 立っていた』

は、戦争というものが、人々の暮らしの中に、いつのまにかそれと気づかぬうちに
忍びよっている怖さを表している。
そして。『きりしま事件』で中心的な役割を果たした鹿児島県警の特高課長、奥野誠亮。
その名をご記憶のかたも多いだろう。彼は、戦後、無実の人々を拘留逮捕した罪を問われることもなく、
後に自民党の衆議院議員になり、田中角栄の内閣では文部大臣、鈴木善幸の内閣では法務大臣、
竹下登の内閣では国土庁長官をつとめている。

治安維持法を運用した特別高等警察を始めとして、警察関係者は多くが公職追放されたが、
司法省関係者の追放は25名に留まった。
池田克や正木亮など、思想検事として治安維持法を駆使した人物も、ほどなく司法界に復帰。
池田は追放解除後、最高裁判事にまでなっている。
特高警察を指揮した内務官僚には安倍源基や町村金五(町村信孝の父)などがいる。
1932年。 警視庁の初代特別高等警察(特高)部長になり、後に警視総監を務め、
多くの思想犯弾圧を指揮した悪名高き安倍源基(安倍総理とは関係ない)は、
戦後、A級戦犯容疑者の一人として逮捕された。しかし、東條英機らの死刑執行が終わると、
占領政策の転換で不起訴となり釈放された。その後、岸信介・木村篤太郎らと共に
新日本協議会を結成、代表理事に就任した。のちに全国警友会連合会会長、東京都警友会会長を歴任。
従三位勲一等を受賞。

私が、過去という時が、いまと断絶しているというわけではない、過去の亡霊のような精神が
今も、この日本という国の心の底流に以前として流れ続けている、というのはこういうことなのだ。
いつか、それは書きたいが、GHQの占領占領政策に2つの流れがある。
一つは以前記事にして書きかけのベアテ・シロタ・ゴードンさんがその下で働いていた、
民政局局長ホイットニー准将、ケーディス大佐らの、「日本を徹底して民主化しよう、戦争の罪は徹底的に
洗いだそう」という占領初期の流れと、もう一つは、ウィロビー少将率いるG2と呼ばれる
治安、諜報活動を受け持つ組織である。
この二つは激しく対立していた。ホイットニーの部下のケーディス大佐はリベラリスト。
ウィロビーはホイットニーやケーディスらを「ピンカーズ」と呼んで毛嫌いしていた。
ピンカーズとは共産主義者がかった者という意味である。彼等はそうではなかった、
ただリベラルなだけだったのだが。
占領後期は、この第二の流れ=後者のウィロビーなどの考えかた、すなわち、日本をソ連の脅威=『赤化』
に対する防波堤にしよう、と考え、日本に警察予備隊(のちの自衛隊)などを復活させた一派の
方針が主流となった。
アメリカ本国の方針もそれであった。

A級戦犯として、戦争中に犯した罪を裁かれるべきであった、上記のような人々…
政治家や、警察官僚や、法曹界や、経済界の人間たち…それらの一部には、GHQの占領政策転換によって
自由の身となり、戦後の日本でそれぞれが、各界の中枢的地位についていった者も多いのである。
その中には、無論、安倍首相の祖父、岸元首相もいた…。


何度も言うが、私が、過去という時が、いまと断絶しているというわけではない、
過去の亡霊のような精神が今も、この日本という国の心の底流に以前として流れ続けている、
というのはこういうことなのだ。

こういう空気が、こういう流れが、今、顕著に表に出てきつつあることを
私は警戒して、このように戦争のことを書きつづっているのだ…。
原発のことも、どこか底辺でしっかりとこういうものと結びついている。

それについては、もし興味のおありのかたは、満蒙開拓団と青森県六ヶ所村のことを書いた
本田靖春氏の本についての私の過去記事。『貧しさの構図』を、お読みいただけると幸いである。

ここにも、戦後は続いている…という一つの例がある…



『きっと誰かに愛されている』ブログの愛希穂さんが、9月15日付神奈川新聞に載った
作家、辺見庸氏の『歴史的瞬間に立ち会っている私たち』という、とても考えさせられる記事を
紹介してくれている。全文はそちらで見ていただくことにして、特にポイントとなる箇所を
抜粋してここでも紹介させていただく。

 「現在は平時か。僕は戦時だと思っています」
 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈を変えようとしている。
なりふりかまわぬ手法をどう見るか、そう尋ねた後だった。

 「日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも
変わったかどうか。変わっていないはずです。あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを
深く考えようとしなかった。実時間の渦中に『日中戦争はいけない』と認められた人はいたか。
当時の新聞が『その通りだ』といって取り上げたでしょうか」

 ずっと以前に有事法制は通っている。そして集団的自衛権の憲法解釈の変更への傾斜、秘密保護法案…。
「今が戦時という表現は僕は必要だと思う」。辺見さんは念を押した。

「日本のファシズムは、必ずしも外部権力によって強制されたものじゃなく、内発的に求めていくことに
非常に顕著な特徴がある。職場の日々の仕事がスムーズに進み、どこからもクレームがかからない。
みんなで静かに。自分の方からね。別に政府や行政から圧力がかかるわけじゃないのに。
メディア自身がそうなっている」
 
 橋下徹大阪市長の従軍慰安婦発言、在日外国人への罵詈雑言、麻生太郎副総理のナチス発言。
「無知」で「醜い」ことが立て続けに起きている。
 「平和性を自己申告して、千数百万人から2千万人が殺されたアジアの人たちの誰が信用しますか。
好戦的な国か、平和な国かは他の国が決めること。旭日旗に対する恐怖は彼らに焼き付いている。
相手の恐怖に対する想像力を著しく欠いている」

 誰も予測しなかった恐ろしいことが今、起きているのではないかと辺見さんは危ぶむ。
「虚無社会です。人の内面も空虚になっているのではないか」。忖度、斟酌、皆一緒。
言葉を脱臼させ、根腐れさせるシニシズムがはびこる。
進んで不自由になろうとする社会に、どう抗えばいいのか。

 「個として、戦端を開いていくべきだ」。辺見さんは力を込めた。
 「違う」と声を荒らげることが、むなしいこと、かっこ悪いことという空気が醸される中で、
一人で怒り、嫌な奴をぐっとにらむ。
 「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」。
例外を認めず、孤立者を許さない。それがファシズムだからだ。
今我々は日々歴史的瞬間に立ち会っているのに(原発事故、秘密情報保護法案、集団的自衛権、
実教出版教科書問題など日本社会の、主体なきファシズム化)、誰もそれを言わない。
だから自分が言う、ということだった。



私達は、日常にともすれば埋没して、特定秘密保護法案や集団的自衛権の法解釈、
96条改訂など、私達が自由に平和に生きる権利をいずれ脅かしかねないような
あれ?ときな臭く思われるようなことを政治がうち出してきても、なかなかそれに反応しない。
たいへんだ!と思った時には、もう遅いことが多いのだ。

とりわけ。
2つの選挙で、自民党に真の政策面で対抗しうる政党というものが壊滅したいま、
これまで雄々しくリベラルの旗を掲げて来た者の中にさえ、もう駄目だ!なるようにしかならぬ…
という、悲しいあきらめが生まれつつある。

…これが最も危険な時なのだ。辺見庸さんの言うごとく。

私はここで、日中・太平洋戦争の頃の反戦文学を取り上げようとしているわけだが、
純粋な意味で反戦を戦中に貫くことがどれほど大変だったことか!
それは上に書いたような、文学者哲学者などへの思想弾圧の歴史を垣間見ただけで
察することが出来るだろう。

ある者は地下に潜って息をひそめ、ある者はうまく官憲の目をごまかしてひそかに
暗喩に満ちた作品を書き、またある者は自分や家族の身の安全のために転向せざるを得なかった…
無論、進んで戦意高揚の作家になっていった者もあろう。

こうなってからでは遅いのである。
出版や新聞などの言論の自由が奪われてしまってからでは!!!

さて。次に書く予定の石川達三『生きてゐる兵隊』には、そうした作家の胸中が
いかに作品の中に表出しているだろうか……

長い長い前置きでした!



『汚染水のこと ①』

 東京電力福島第1原発の地上タンクから汚染水が漏れた問題で、東電は14日、
タンク北側約20メートルの観測用井戸で13日採取した地下水から、トリチウムを
1リットル当たり15万ベクレル検出したと発表した。
8日採取分と比べると濃度は5日間で約36倍上昇。地下水のトリチウム濃度は日を追うごとに高まっている。
(産経新聞 9月14日(土)18時18分配信より)

タンクから汚染水が漏れたのは8月20日である。漏れたのは300トン。
漏えいした汚染水からは、ストロンチウム90(法定基準は1リットル当たり30ベクレル)など
ベータ線を出す放射性物質が1リットル当たり8000万ベクレルと極めて高濃度で検出されたという。
1リットル当たり8000万ベクレルで、それが3トンである!

 東電は「タンクから漏れて土壌にしみ込んだ汚染水が、地下水に到達し、量が日ごとに増えている」
とみているという。果たしてそれだけのことなのだろうか。


これを書いている今、東京は台風18号の激しい吹きぶりの中にある。
雨台風に風台風の要素が加わって、雨戸をゆする音、渦巻く風の音は恐ろしいくらいだ。

この台風の中、今もまた東電福島第一原発ではタイベックを着た作業員たちが、
雨の中、土嚢を積んだりポンプの操作をしたり慌ただしく働いているのではあるまいか…。
昨日夕方の福島放送局によれば、
原子炉建屋の近くに設置された大型のクレーンが強風で倒れたりしないよう、おもりで固定し、
屋外にある、原子炉に注水するためのポンプや配管などがロープで固定されているか確認。
さらに、高濃度の汚染水がたまっているタービン建屋の地下や「トレンチ」と呼ばれる
地下のトンネルなどに雨水が流れ込んであふれないよう、パトロールの回数を増やして警戒を強めている
という。
台風は今夕6時ごろ福島を通過するという。1時間80ミリの雨も予想されている。
どうか、どうか、福島第一が重大な被害をうけませんように。



                  ***

東京は雨が上がった。
テレビを見て、台風の爪痕の激しさに驚く……

どうか、皆さまのところがご無事でありますように。


『汚染水のこと ②』はこの下に続く。





『汚染水のこと ②』

そもそも福島第一原発事故は、事故の最初から水との戦いだった…。
私のような素人の目から見ても、あの大量の冷却水はいったいどこへ流れて行くんだろうと
冷却の成否を案じるのと同時に、水の流れて行く先を心配していたものである。
海に流れて行く…それしかないじゃないか…。

2011年。事故当時の民主党及び東電の対応について、毎日新聞がいい記事を書いてくれている。
1~15ページまである長いものだが、今、このように汚染水対策に苦しまずにすんだかもしれない
ターニングポイントがそこからよく読みとれる。長いので、お時間のあるときにでも。
http://mainichi.jp/feature/20110311/news/20130907ddm010040006000c2.html

一部抜粋して見よう。一部省略。

 「原発周辺の地下水の状況を調べてほしい」。
中長期対策チームの責任者として汚染水対策を担う馬淵澄夫首相補佐官は4月中旬、東電幹部に要請した。
汚染水が地下水を汚すのを懸念したほか、山側から大量の地下水が建屋に流れ込み、
汚染水の量を拡大させていると考えたからだ。
 東電担当者は「地下水との関連は考えにくい」と渋ったが、調べさせると、建屋直下に
阿武隈山系の地下水流があった。
それでも東電は「汚染水と地下水が混ざり合うことは考えづらい」と反論した。
馬淵氏は国土交通相時代の部下ら直属スタッフ数人で独自調査を始める。
原発の補修工事の際に提出する「不適合報告書」をしらみつぶしに当たり、
過去に地下水が建屋に流入した事例が何度もあったことを突き止めた。


 馬淵チームは5月11日付で作った「地下水汚染防止対策報告書」で「地下水が汚染水と混ざれば
(建屋真下を通る地下水流が汚染水を洗い流し)早ければ半年で海に到達する可能性がある」と警告。
海への直接の流出を防ぐため、すでに検討されていた海側の遮水壁に加え、建屋の四方を
粘土の壁で囲う陸側遮水壁の設置を提言した。検討過程で、粘土式より施工期間が短く、
初期費用が安い凍土式も俎上(そじょう)にのぼった。しかし、土を凍らせて壁にする
凍土式の大規模な施工例は海外にもない。効果に疑問があるとして、候補から消えた。
 馬淵氏は6月11日、福島第1原発に入り、粘土遮水壁の配置計画を固め、14日に
記者発表する段取りだった。だが、11年3月期に1兆2000億円を超える最終赤字を出した東電は
遮水壁の建設負担を恐れた。政府に文書で「1000億円規模のさらなる債務計上となれば、
市場から債務超過の方向と評価される可能性が大きい。ぜひ回避したい」と伝え、再考を迫った。


だが結局、政府も国庫負担や担当府省、予算費目のことなどを考え、馬渕氏の14日
記者発表はならず、事故収束に向けた工程表でも、実現の可能性を調査する「中期的な検討課題」に
とどまり、着工時期や費用は明示されなかった。
「遮水壁は進めてください」。馬淵氏は東電を訪れ、武藤栄副社長に念押ししたが、確約は得られないまま、
馬淵氏は6月末、首相補佐官を外れた。

ああ!この時東電や民主党政府が、予算や手間を惜しまなかったならば、
馬渕氏が首相補佐官を外されず、そのままこの考えで東電を指導していてくれたら、
そして菅政権が菅下ろしのバッシングなどでばたばたせずにいられて、それを全面的に支えていたら、
今頃遮水壁は既に着工され工期の幾分かははかどりを見せていたであろう。
ねがわくは、野田氏でなく馬渕氏が時期民主党代表になっていたら!……

馬渕氏が2年前その実用性を危ぶんだ『凍土壁』案が今頃安倍政権によって採用され
予算もついたようだが、その実効性は依然として疑問。

                  *

そもそも福島第一原発が、今の場所に建設を決定されるまで、どういう場所であったのか
知りたくて、いまさらながらだが、Wikipediaで『福島第一発電所』と検索してみた。
すると、気になる記述があった。

もともと今の福一があるところは、高さ30メートルほどの海岸段丘が長く連なる地形であった。
その高さ30メートルもある丘を、冷却水の取水や津波対策、それから原子炉建屋を強固な岩盤の
上に建てるなどという諸条件を考慮したうえ、20メートルほど掘り下げて
現在の福島第一が出来あがっている。工事が始まったのは1966年。
ああ!この時、津波の想定をもっと厳しくしていたらと悔やまれてならない!

私が気になったのは次の記述。
『敷地造成』という見出しのところにこんなことが書いてある。

『この敷地造成に当たり、掘削必要量は約120万立方メートルであり、地質に適合した
大型機械を使用した。具体的には標高35mから標高27mの間は柔らかい土質で地下水の湧出も少ない
ためのモータースクレーパーを使用し、標高27mから標高10mの間は常に地下水が湧出し
地盤がぬかるみやすい層であったので
ウェルポイント工法で地下水を汲み上げし、
仮排水路も設置しつつ、掘削にホイールローダーが使用された[45]。』

上に引用した馬渕氏と東電のやり取りで、
『東電担当者は「地下水との関連は考えにくい」と渋ったが、調べさせると、建屋直下に
阿武隈山系の地下水流があった。』という記述が正確なら、東電担当者は知っていてしらばくれていたか、
相当に無知だったか、いずれにしても、この時もっと馬渕氏の警告を聞いて真剣に
対応していたら、と残念である。
小出先生等も隋分早くから、遮水壁のこと、言ってらした。
そもそも、一日850トンも地下水を汲みあげなければならないところに
原発が建っているなんて。

ここに、福島第一の航空写真とわかりやすい見取り図を掲げてみる。


              俯瞰図福一


福島第一見取り図


問題の300トンの汚染水漏れを起こしたタンクのある群も見える。

9月13日。東電はタンクの近くを流れる排水溝から採取した水が、ストロンチウムなど
ベータ線を出す放射性物質の濃度が1リットル当たり940ベクレル検出したと発表した。
6日採取分(1リットル当たり120ベクレル)から約8倍に上昇しているが、これは
この排水溝を、7日から高圧洗浄機を使った排水溝の除染作業をしており、東電は
「除染作業で事故の際に飛び散った周囲の放射性物質が集まった可能性がある」と説明しているそうだ。

これを見ると、この時の洗浄水、排水溝から直接海に流してるんじゃなかろうか。
汚染された地面の残留放射性物質も、雨などが降れば、この排水溝から海へ直接流れるだろう。

地下水くみ上げ井戸がたくさんあるなあ…60本もあるのだそうだ。
福一は、すざまじい高線量の溶融した燃料との戦いと同時に、本当に水との戦いを
してるんだなあ…
そのことをよく示してくれているのが、9月12日の東京新聞の記事だ。

『福島第一 汚染水対策綱渡り 建屋周辺地盤 液状化の恐れ』
 東京新聞 こちら特報部:ニュースの追跡より 


『東京電力福島第一原発の汚染水の脅威は、海洋流出による汚染にとどまらない。
現在、海側に流出を食い止める遮水壁を建設中だが、逆に1~4号機周辺の地盤に水がたまり、
軟弱化する恐れが指摘されている。大きな地震が来れば、一気に液状化しかねない。
汚染水対策は文字通り綱渡りの状態だ。(林啓太)

◆遮水壁で地下水たまり「泥沼状態」

「福島原発は沼地に立っているに等しい。地下水の水位の上昇は危機的だ。
大きな地震が起きたら惨事に直結する」。脱原発市民団体「たんぽぽ舎」副代表の
山崎久隆氏はこう警鐘を鳴らす。

原発敷地の地下水位は先月、岩壁を薬剤(水ガラス)で固める工事により、地下水が
流れにくくなり、地表から1.2メートル下まで上昇していた。
地下水位の上昇について、大阪工業大の日置和昭准教授(地盤工学)は
「一般論として基礎の打ち方が浅い建物は水の浮力で浮き上がったり、地盤が弱まり
傾く可能性がある。地震が起きた際は、地盤が液状化しやすくなる」と指摘する。
山崎氏が「沼地」と表現するのは、この原発が地下水の豊富な場所に立地するからだ。
建屋の周辺に地下水くみ上げ井戸が約60本あり、事故前は毎日850トンがくみ上げられていた。

◆埋め立て地の海側周辺軟弱

東電は現在、水ガラスの壁とは別に、海側に全長約800メートルの遮水壁を建設中だ。
来年9月の運用開始を目指す。だが、山崎氏は「遮水壁の前に地下水がたまり、
地盤がさらに緩くなる原因になりかねない」と懸念する。とりわけ、タービン建屋の
海側周辺は埋め立て地。砕石などで埋め立てられており、軟弱だ。
そんな場所で大地震が起きたらどうなるのか。
山崎氏は「震度6の地震で建屋の周辺は液状化する。放射性物質を含む地下水が土砂とともに噴出し、
手が付けられなくなる」と想定する。「建屋も傾斜しかねない。使用済み燃料プールや
冷却水の配管が破壊されれば、大変な事態になる」
4号機では11月中旬から使用済み核燃料プールに保管する1533体の燃料を取り出す作業が始まるが、
地盤の緩みで大きな事故が起こらないか、不安が残る。
燃料はキャスクと呼ばれる容器に入れ、クレーンでつり下げて地上に下ろすが、高低差は約30メートル。
山崎氏は「キャスクの強度は、高さ9メートル以上からの落下には保証できない」と問題視する。
「容器が破損して中の水が抜ければ、数日で発火する。液体窒素をかけるなどの対応ができなければ、
現場に残された残りの燃料を巻き込む火災になり、放射性物質がまき散らされる」

東電広報部の担当者は「液状化は地面の表層部については可能性を否定できない」
としつつも「タービン建屋の下は岩盤なので、液状化の可能性はないと考える」
と安全性を強調している。
一方、東電は1~4号機周辺の土壌を凍らせる凍土の遮水壁を造る予定だが、
元国会事故調査委員会委員の田中三彦氏は「氷は水より体積が大きく、霜柱と同じ原理で
建屋が浮き上がってしまう可能性がある」と別の問題を指摘している。


少し大きな地震が来たら、福島第一の立地点が液状化!?
…考えてみただけで恐ろしい。

こうやって見ただけで、福島第一は、『コントロール下にある』とか
『収束した』などとはとてもとても言えはしないのである。

ついに政府は、こういうことに踏み切った。これが正直なところなのではなかろうか。


『技術、国際公募へ 政府がトリチウム除去で有効策なし』
福島民報 9月14日(土)8時57分配信

 東京電力福島第一原発で高濃度汚染水が漏れた問題を受け、政府の汚染水処理対策委員会は
13日、汚染水からの大量のトリチウム(三重水素)除去などは現時点で有効な対策が
見当たらないとし、技術を国際公募することを決めた。国内外の英知を結集するための専門チームを新設し、
政府が11月までにまとめる汚染水の追加対策に反映させたい考えだ。(2面に関連記事)
 福島第一原発の多核種除去設備(ALPS)は汚染水から約60種類の放射性物質を
処理できるが、トリチウムを除去できない。このため、処理後に海洋放出できる基準値を下回っても、
地元の理解が得られず、敷地内で貯留している。
 経済産業省資源エネルギー庁によると、汚染水が少量の場合はトリチウムの濃度を薄める
技術が開発されている。ただ、同原発の大量の汚染水を処理する技術は確認されていない。
 公募では、接合部をボルトで締める「フランジ型」の地上タンク底部の強度を高める技術や、
汚染水の漏えいが微量でも検知できる手法、モニタリングを担当する作業員の被ばく線量を
減少させる方法なども募る。
 専門チームは廃炉技術を確立するために8月に設立した国際廃炉研究開発機構が事務局を担当する。
汚染水管理や地下水流動など幅広い専門家を加え、提案された技術を評価する。
提案がない場合は国際研究機関などにあらためて開発を働き掛ける。
対策委員会は同日、都内で会議を開き、政府が示した汚染水問題の基本方針への対応などを協議した。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130914-00000002-fminpo-l07


ああ…とてもいいことである。
もうメンツとか金がどうだとか言っていられまい。
汚染水対策は無論だが、4号機の使用済み燃料棒取り出し…それからそれに続く
廃炉の技術も、全智をもって、国際協力も仰いで取り組んでほしい。

こんな方法などどうなのだろう。
http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=280913&g=121201

そしてもう一つ。作業員の待遇を改善しなければ、いずれ、福一は働き手がいない、
またいたとしてもその質の低下や意欲低下から来る重大なミスを犯す…というようなことになり、
こういう人的なことで収束作業が破綻してしまうかもしれない…

国民が声を上げ続けて、政治が真剣にこれらの問題にとり組まざるを得ないよう
していきたいものだ。

最後に。こんな映像見つけた。
福島第一の基礎工事が始まった頃の映像。ああ!この風景!いいところだったのだなあ…。
こういうものを見ていると、日本がまだ若くて希望に燃えていた時代の空気を
私もぱあっと思い出して何やらせつなくなってくる…

誰が悪かったのか……

問題は、これは間違っている!と気づいたとき、立ち止まって道を変えるか引き返す勇気がない
ことなのではあるまいか。
今また日本人はその勇気を問われていると思うのだが。





『隣を知るということ』

今、私は、遅ればせながら、お隣の中国や韓国のことをもっと知りたいと
ぼちぼち勉強していっています。
国同士に任せておくと、どうも、お互いに対する悪意ばかりが強調されていき、
いつかそれが、体に染みついた偏見になっていってしまいそうだ。

今、韓国の人々から見た日本像、に関する本を読んでいますが、そこに、
日本に行ったことがある人…とりわけ仕事や勉学などで日本に住んだ経験が
あってその期間が長いほど、日本への悪意や偏見が少ない、という調査結果が
載っていました。
日本側からのそうした調査があるのかどうかわからないけれど、おそらく逆に
日本人にとってもそれは言えるだろうと思います。

いや、日中韓の間のことだけに限らない。
人間は、相手の国の人々を個人的に知って行くほど、その国に対する理解は
増すのは一般的なことであろうと思います。そして故のない悪意は減る…。
それは小さなブログの世界でさえ、言えます。
今まで行ったこともなければ、知人もいないので、好き嫌いというよりそもそも関心の
無かった県が、市が、町が、たった一人の友が出来たことによって、俄かに親しい
気になる地域となり、天気予報やニュースで、その地の名が出るとはっと画面に見入る、
ということは皆さん経験していると思います。

だが、日中、日韓間の関係は、戦争は無論、国交を回復してからも、領土問題や
歴史認識問題などに、お互いの指導者たちの愚かな言動や、また国民自身の不勉強などもあって、
こんにち、非常に憂うべき関係になっていってしまっています。

まず、知ることが大事。
実はこれまで、あまりそうした問題に関心も知識もなかった私。
今、そう思って勉強し始めたのです。

こちらにおいでになるある方から、教えていただいた情報。

岩上安身氏のIWジャーナルで、明日9月14日、17:05〜18:45

日中の識者たちの討論会が行われます。
どのような討論になるか、私もまだわかりませんが、秋の一夜、中国と日本について
考えてみるのもいいのでは。

それに先立ち、番組では、中国と日本の関係に関する事前アンケートを行っています。
このアンケートは、番組中に参考にされます。
興味のおありのかたも、ええ~・・・・と思われる方も、ちょっと覗いてご覧に
なりませんか。アンケートもぜひ。
ただし強制ではありません、番組ご覧になるだけでも結構。
IWJは、日本のマスメディアが、信頼に足る報道をしてくれない中、本気で
真実を追いかけ続けている良心的なネット番組です。

この回は、ライブなら、無料でご覧になれます。
以下、引用。

              *******

<岩上安身さんのメールより>

このたび、9月14日(土)IWJとフェニックスネット(鳳凰網)が協力し
日中討論会を共同配信することが決定しました。

「中日関係を打開する知恵―
 フェニックステレビ時事弁論会スペシャル番組 共同配信」

>> 17時5分から18時45分まで(日本時間)IWJのサイトで配信します <<


IWJ&フェニックステレビ共同配信特設ページ
http://iwj.co.jp/feature/iwj-ifeng/
この番組は、中国側のゲストと、日本側のゲストが参加し討論会を行う番組です。


・ キャスター:黄海波

・日本側ゲスト:天児慧(早稲田大学教授)、柳澤協二(元内閣官房副長官補)、
        宮家邦彦(元駐中国日本公使)、城山克巳(時事通信社北京特派員)

・中国側ゲスト:李秀石(上海国際問題研究院前日本研究センター主任)、
        朱鋒(北京大学国際戦略研究センター副主任)、
        林泉忠(台灣中央研究院近代史研究所副研究員)、
        邱震海(フェニックステレビコメンテーター)


この番組を、日本側で配信してくれるところはないかということで
フェニックステレビから打診があり、IWJでお引き受けしたものです。

IWJは制作には関っておりません。配信の協力のみを行います。


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼


ここで、皆様にお願いです!!

この番組の中で使うアンケートを募集します!

アンケート>>>
http://iwj.co.jp/feature/iwj-ifeng/questionnaire1

なるべくたくさんの回答を集めたいのです。
ご友人などへも転送ください!


※ただし、複数回答を防ぐため、回答画面は一度しかアクセスできないようになっています。
 ご家族で1台のPCをお使いの場合は、1回だけのご回答となります。
 ご注意ください!!


▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼▽▼

そしてぜひ、9月14日(土)17時~IWJ香港chにお集まりください。
番組視聴ページはこちらです。
↓ ↓ ↓
http://iwj.co.jp/feature/iwj-ifeng/view
生中継はオープンですべての方に見ていただけます。
その後は、IWJの会員の皆様に限り、一定期間見られることになりました。



『キャンドルナイト 30』

震災の日から2年と6ヶ月。
ああ…もう…30回もキャンドルを灯したのか…
そんなに灯したっけな…

今夜は、夏の旅で立ち寄った有名な喫茶店の、小さな土産物売り場で買って来た鳥。
その背に小さな蝋燭立ててみた。


2013_0911_212215-CIMG1082.jpg


アルミ製だろうか。小さいのも小さいが、とても軽い。
これ、本当はメモスタンド。小さな鳥のくちばしに小さなメモを銜えさせる。
どこの国って言ってたっけな、アフリカのどこかの国のささやかな土産品だ。


2020年。東京でオリンピック開催が決まった。
朝、5時過ぎ。その知らせだけ聞いてからテレビを消した。
私は、イスラム圏初のオリンピック、ということで、イスタンブールがいいなと
思っていた。日本は、冬も合わせれば、もう3回もオリンピックを開催しているのだし、
今はそれどころじゃないだろうと。

いや。オリンピックがいやなんじゃない。
とてもとても好きなのだ。特に、世界の人々が集まる開会式、閉会式など大好きだ。
どの民族も、本当に美しいなあと思う。

しかし。
安倍首相のあのスピーチはどうだ!
もう、多くのかたが何かしら書いてらっしゃるし、多くは重ねては言わないけれど、
福島第一原発の汚染水はコントロールなど出来ていないでしょう!
「完全にブロックされている」「コントロール下にある」というのは言い過ぎでしょう!
当の東電や経産省の人間でさえ、首相の世界に向けての発言には困惑。

<安倍首相>汚染水「完全にブロック」発言、東電と食い違い
     毎日新聞 9月9日(月)21時7分配信より一部抜粋。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130909-00000101-mai-soci

 汚染水は遮水壁の上を越えて港湾内に流出した。フェンス内の海水から、ベータ線を出すストロンチウムなどの放射性物質が1リットル当たり1100ベクレル、トリチウムが同4700ベクレル検出された。東電は「フェンス外の放射性物質濃度は内側に比べ最大5分の1までに抑えられている」と説明するが、フェンス内と港湾内、外海の海水は1日に50%ずつ入れ替わっている。トリチウムは水と似た性質を持つためフェンスを通過する。港湾口や沖合3キロの海水の放射性物質は検出限界値を下回るが、専門家は「大量の海水で薄まっているにすぎない」とみる。
 さらに、1日400トンの地下水が壊れた原子炉建屋に流れ込むことで汚染水は増え続けている。地上タンクからは約300トンの高濃度汚染水が漏れ、一部は、海に直接つながる排水溝を経由して港湾外に流出した可能性がある。不十分な対策によるトラブルは相次ぎ、今後もリスクは残る。「何をコントロールというかは難しいが、技術的に『完全にブロック』とは言えないのは確かだ」(経済産業省幹部)という。


また、総理は、上記記事の記述を借りれば、

安倍首相は「食品や水からの被ばく量は、どの地域も基準(年間1ミリシーベルト)の100分の1」とも述べ、健康に問題がないと語った。厚生労働省によると、国内の流通食品などに含まれる放射性セシウムによる年間被ばく線量は最大0.009ミリシーベルト。だが、木村真三・独協医大准教授は「福島県二本松市でも、家庭菜園の野菜などを食べ、市民の3%がセシウムで内部被ばくしている。影響の有無は現状では判断できない」と指摘する。


この映像を見てほしい。






総理には、このような福島県民の声が届いていないのだろうか。
血を吐くような悲痛な、農家の声だ。
放射能汚染水流出の影響を最も受ける漁民の声も、これに劣らず悲痛だろう!


『福島は東京から250キロも離れており、危険性は東京にない』という
竹田JOC会長の発言は、なんと無神経なことだろう。
誘致の情緒的な道具立てには被災地のことを利用しておきながら、一方で、福島は
東京から遠いことを印象付け、まるでその存在を隠そうとでもするように。
福島は、いったい何なのだ。同じ日本じゃないか。
オリンピックをとにかく誘致したいがために、もう東京の安全のことしか念頭にないから
そういう無神経な発言が出るのだ。

海外からのお客を『もてなし』するにしても、この福島の農家の方々の、正直な告白、
『自分たちが作った作物を自分たちは食べない、それは一番よく知っているからだ。
自分たちが食べられないようなものを他の地域に出荷するその苦しさ』というような
告白を真剣に受け止めてこれまで対処してきたのだろうか。
そしてそのことを、また海外の人々に向けても誠実に説明していくのだろうか。
放射性セシウムがキロ当たり100ベクレル未満は出荷してもいいという。
99ベクレルのものが日本全国に出荷されているかもしれないのだ。
オリンピックのある7年後には減っているだろう?
確かに。セシウム134は半減期2年だ。しかし2年でゼロになるということではない、半分になるだけ。
セシウム137の半減期は30年だ。しかも、セシウムは原発事故で大量に拡散された
放射性物質のほんの一部にしかすぎない。

2011年3月11日の、福島第一原発事故で放出された放射性物質は、そのほとんどが、
日本国内にただ場所を変えて存在しているだけなのだ。

多くの人を呼ぶ方も呼ぶ方だが、総理のあの説明で納得する方もする方だ…。

ただ海外の目は、IOCの委員の目ほど甘くはあるまい。
現実の各国の対応はこうだ。
活字が小さいので、拡大機能を使ってみてほしい。
2013年9月の時点での世界各国の、日本の食品の輸入に対してとっている厳しい措置である。
全面的に輸入禁止のもの…、日本政府の説明を要するもの…そしてその輸入国側が
サンプルをとって検査するもの…それらの農産物の名前と県名とが一覧表になって載っている。

『諸外国・地域の規制措置』

ここで、韓国がオリンピック開催国が決まる直前に異常に厳しい輸入禁止措置をとった!などと
またそのことを争いの種にしないでほしい。他の国々だってかくも厳しい制限を設けているのだ。
韓国のスペースが異常に大きいようだが、他の国は『すべての食品』とまとめて書いてある
場合もあるということだ。

福島の農家の方々の悲痛な叫びを聞き、この各国の厳しい対応を見、それでもなお、
オリンピックが来ると、単純に喜べるものだろうか。

これから日本はまた空前の建設ラッシュに突入するのであろう。
今でさえ、岩手、宮城、福島等の震災の被災地では、土木・建設作業員とコンクリートが
不足気味だという。
首都『東京』で行われる華やかな祭典。そのための都市大改造によって、
人員やコンクリや何より大事な予算など、本当に何よりも第一に被災地に行くべきものが奪われねばいいが。

そして、ある原発作業員がTwitterで懸念しているように、これから福島は『使用済み核燃料棒』取り出し
などという『廃炉』作業の一環に着手していくことになるのだが、7年後、海外からの
賓客を沢山迎え入れるというので、それらの大事な、危険極まりない作業が先送りされたり、
或いは急げ急げで杜撰におこなわれたり、秘密裏に行われたりしないことを
心から願う。

その頃、私はまだ生きているだろうか…。



スポーツはすばらしい。
世界のアスリートたちの力と美!
オリンピックを愛すればこそ、日本という国を愛すればこそ、ああ…こういう
気重な複雑な想いで、東京誘致決定を聞きたくはなかった…

決まったのだからあとは私達に出来ることは、日本が世界に向けて約束した
安全な大会を厳密に実現するよう、これからの政治や行政を厳しく見て行くしかない。
そして何より。
この被災地からの思いを僭越と知りつつ代弁して言っておきたい…


2013_0911_222814-CIMG1091.jpg



追記:

   フランスの週刊誌、カナ―ル・アンシェネの、東京五輪決定を揶揄する風刺漫画は
  ひどい。一人は手が三本、ひとりは足が三本の痩せこけた力士が対戦している図。
  被災地への対応遅れはそのままの日本政府を揶揄する知的な風刺漫画なら仕方がないかなと
  思うが、こういうのは無知そのもので、原発被害に苦しむ人々への侮辱である。
  最近、飲食店の厨房などで悪ふざけをしている自分たちの画像をtwitterなどで
  流す馬鹿者がいるが、ユーモアと品性下劣な行為をはき違え、健康な政治批判と
  低劣な侮辱の区別のつかない者が、国内にも海外にも増えて来ているか、と
  心がうすら寒くなってしまう。要するにどこの国がした、という話ではないのである。
  品性下劣は、どこの国でやっても品性下劣である。




                         
心ひとつに キャンドルナイト




南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。









『旅の記録』

旅の記録…と言っても、私の旅じゃありません。

画家、松井大門先生とれんげちゃんが、先生が2年にわたって描き続けられてきて、
このほど完成した、画集『ふるさと東北の宝物~かけがえのない風景』や、絵ハガキを
携えて、今、震災の被災地の旅を再び続けていらっしゃいます。

これは、2年前、東日本大震災で津波に流された東北各県の懐かしい建物などの風景たち…
その失われた風景を、先生が水彩画に再現して、被災地の方々や、日本全国の人々に
見ていただきたい、というプロジェクトです。
2年間、こつこつと描き続けられた絵は、90数枚の水彩画に。


2013_0807_171551-CIMG1011.jpg



今、被災県各地の方々に絵を見ていただき、また、仮設住宅で思うようにならぬ生活を
忍んでおいでの方々に画集やはがきをお届けするための旅を、先生とナビ役のれんげちゃんが
再び続けていらっしゃいます。

盛岡では、『布ぅ楽雑記』のクウ―ママさんと息子さんとクウ―ちゃんに会って。
いっしょに展覧会場候補や新聞社などを訪問。
なんと、盛岡では、国の指定文化財である岩手県公会堂での展覧会も決まりました!
すてきな建物です!

先生とれんげちゃんの旅は、今も続いています。
旅の記録としてもれんげちゃんの弾けるパワーでとっても楽しいですが、プラス、
被災地の今の様子がありありとわかる、大切な復興の記録にもなっていると思います。

ぜひ、先生たちと旅をご一緒になさって見てください。

↓ これは、煉瓦ちゃんのブログ。クウ―ママさんたちとの邂逅のシーンです。
『tetenGO』

↓でも、東北の旅はこのページから始まっています。
福島、仙台などの旅もご覧ください。この前のページには富山県射水市での
展覧会風景もあります。
http://milkveth.blog103.fc2.com/page-7.html

先生のブログ『遥かなる明日へ~画家松井大門の七転八起き』

クウ―ママさんのブログ『布ぅ楽雑記』




『秘密保全法についてのパブコメ』募集

「特定秘密の保護に関する法律案の概要」に対する意見募集について
9月17日までです!
なんか書いて出しましょう!


『秘密保全法って?!?』

説明したいけれど、時間がありません。
日本弁護士連合会の作った、秘密保全法の危険、ご覧ください!

http://www.nichibenren.or.jp/library/ja/publication/booklet/data/himitsu_hozen_qa.pdf


プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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