『忘れ得ぬ面影 その二』

                        *

昨日、深夜、ホトトギスの初音を聴く。

ああ!……今年も無事に来てくれた!
鳥の命がどれほどあるものか知らないけれど、同じ単体でなくとも少なくとも命の引き継ぎは
成り立っているようなのがなんともしんみりと嬉しい。
ちょうどここまで書いた深夜0時35分。今しも、我が家の上空をホトトギスが叫びながら渡って行っている…!

おうおう!…また戻ってきた!
自分が主人公であることがわかってでもいるかのように、また啼いて通り過ぎていく……。

                         *


シンクロニシティ、というか、偶然のお導きというか、世の中には面白くも何やら
不思議な気のするような出会いというようなことがあるものである。
今年私は、ホトトギスの初音を聴いて、いつも思い浮かべる『夏は来ぬ』、の歌ではなく、
ホトトギスがやはり出てくるある古い歌をしきりに心の中で歌っていた。
昭和22年に中学校の教科書に載っていたと云うから、この私でさえ、学校で習った歌ではない。
だがなぜか聴き覚えている歌だ。

『ほととぎす』という歌である。
作曲ライトン。作詞は、近藤朔風。
だがこの歌は『暗路(やみじ)』というタイトルも、また『秋夜懐友』というタイトルも持っている。
『秋夜懐友』の方は犬童信蔵作詞で、大正3年に発表された唱歌のひとつだったという。
実はこの歌は、もともとは、原曲は、イギリス人のライトン(W. T. Wrighton,1816-1880)作曲、
カーペンター(S. E. Carpenter)作詞の恋の歌。
亡くなった恋人の姿が、その明るい笑顔が、どこにいても、忘れられないと歌う歌。
1857年頃の作と伝えられているという。
わが国では近藤朔風(1880-1915)作詞の「暗路(やみじ)または、ホトトギス」が1909年(明治42年)に『女声唱歌』に、
犬童球渓(1879-1943)の「秋夜懐友(しゅうやかいゆう)」が1914年(大正3年)に『尋常小学唱歌(6)』に載り、
私が生まれた1947年(昭和22年)には上記のように中学2年の教科書に載っていたという。

不思議な偶然で面白いなと思ったのは、この歌を鮫島有美子が歌っているらしいのだが、
その歌詞の2番は、なんと私が勝手にリンクさせていただいている『志村建世のブログ』の志村建世さんが
お書きになられているのだというのだ。志村さんは野ばら社元編集長。
いつもただ読ませていただいているばかりで、お声をおかけすることもできないでいるが、
一度だけ、火野葦平『麦と兵隊』『土と兵隊』の記事にコメントを入れさせていただいたことがある。
志村さんのことは、南亭雑記のNANTEIさんに教えていただいたのではなかったろうか。

実は志村さんのことは、NANTEIさんのルートからと別に、私はあるブログから辿りついてもいた。
それは私が小学校5年生の時、地方のNHK放送局の児童合唱団のオーディションを
受けた時のことを記事にした時のことである。その時私は、自由曲として『母の歌』というのを歌った。
記事にするに際し、あれは誰の作詞で誰の作曲だったろう…と調べていて、このブログに辿りついたのである…

『エムズの片割れ』

その記事によれば、私が探していたその歌は、野上弥生子作詞・下総皖一作曲の文部省唱歌で
あったらしい。
そしてエムズの片割れさんご自身もこの歌の出所をさがしていらして、そこで、志村建世さんのこの記事に
辿りついたのだという。
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=692146

今回、『ほととぎす』の歌を探していて、私はタイトルが果たして『ほととぎす』そのままかどうか
わからなかったので、『小暗き夜半を 一人ゆけば』という記憶の中の出だしの所の歌詞で
検索にかけたのである。
そうしたら、再び、『エムズの片割れ』さんに辿りついてしまったのである…!
それがこの記事。
実は上の方に書いた情報は、こちらからも一部拝借したもの。

http://emuzu-2.cocolog-nifty.com/blog/2014/03/post-6157.html

鮫島有美子歌う志村さんの歌詞の『ほととぎす』は、ここで聴ける。
それを載せさせていただこうかと思ったのだが、歌唱に一部聴き取れないところがある…
そしてMP3とやらのコピーが出来るのかどうかがわからない…

肝心の歌であるが、古い人間である私は、この古い音源でこの歌をご紹介しようか。
最後に、ホトトギスの悲痛としか言い表しようのない『いのちの声』も入っている。
そして後半部の二重唱になる部分の編曲が素晴らしい。




曲の紹介に『秋夜懐友』とサブタイトルが入っているが、これは厳密に言えば間違いではなかろうか。
『秋夜懐友』は、上に引用したように犬童球渓の作詞で、まったく違う歌詞である。
でも、とてもいい映像で、嬉しい。

「ほととぎす」
  作詞:近藤朔風  作曲:ライトン

小暗き夜半(よわ)を ひとり行けば
雲よりしばし 月はもれて
ひと声いずこ 啼くほととぎす
見かえるひまに すがた消えぬ
夢かとばかり なおも行けば
またも行く手に 闇はおりぬ


この歌詞!胸がきゅうっと締めつけられるようだ。
何に? この孤独に、だ。
小暗き夜半をひとりゆく…それはそのままの叙景とも、また人の心の情景、心のありようとも言えるであろう。
その孤独な心で聴くホトトギスの声……
ホトトギスは枝に止まって啼く印象は私にはない。いつも暗い夜の空をいずこよりか来て
『魂極まる(たまきわまる)』とでも言えばぴったりするようないのちの声で痛切に啼きながら
いずこへか飛び去っていく…

そしてまた、胸が締め付けられるのはこの歌のメロディの『転調の美しさ』に、だ。
『転調の美』というものを、私たちは忘れていはしまいか。世の中が何やら平板になっていはしまいか。
と言って、ころころ変われ、ということでは決してないよ。
ここでこう変わるか!と舌を巻くほどの見事な転調、だよ。
いわば、『いのちの声』『生きることの美』とでも言えるほどの、『いのちをかけた転調』だよ。



                      *

実はこの歌。原曲の歌詞はこの近藤朔風の歌詞と違い、忘れようとして忘れ得ぬ人への思慕の歌だ。
志村さんの2番の歌詞は、その恋の歌の歌詞に忠実であるとお見受けする。

興味のある方のために、S. E. Carpenterのもとの英語歌詞も載せておこう。

”Her Bright Smile Haunts me Still”

'Tis years since last we met,
And we may not meet again,
I have struggled to forget,
But the struggle was in vain;
For her voice lives on the breeze,
And her spirit comes at will;
In the mid-night on the seas,
Her bright smile haunts me still.

At the first sweet dawn of light,
When I gaze upon the deep;
Her form still greets my sight,
While the stars their vigils keep;
When I close mine aching eyes,
Sweet dreams my senses fill;
And from sleep when I arise,
Her bright smile haunts me still.

I have sailed ‘neath alien skies,
I have trod the desert path;
I have seen the storm arise
Like a giant in his wrath:
Every danger I have known,
That a reckless life can fill;
Yet her presence is not flown,
Her bright smile haunts me still.
Every danger I have known,
That a reckless life can fill;
Yet her presence is not flown,
Her bright smile haunts me still.



英詩の脚韻の美しさ。

この歌詞で英語のお勉強、というサイトも見つけたので、載せておこう。
そこには英訳も載っている。この歌の情報は、こちらからも一部拝借した。
http://eigouta.com/2007/10/her_bright_smile_haunts_me_sti.php

ああ、この原曲もなんという歌詞…!

ひとはこのように恋することもあるものだ…
忘れようとしても忘れ得ぬ面影……
この英詩の主人公も、逃れられぬ孤独の内にある…

恋人は今は亡きひとか。生き別れか。
その美しき面影は、たとえ地の果てまで逃れようと、いかにしても去ってはくれぬのである。
この原詩に、『ほととぎす』の歌詞をあてはめた明治ひとの心。
…ああ、なんとしっとりと湿りけがあるのだろう!……

私はこころがカラカラだ。

でも、楠の小さな枝の放つ香気を嗅ぎ、
ホトトギスの『魂極まる(たまきわまる)いのちの声』を深夜ひとりで聴きながら、ほととぎすの歌について書く…
もう、恋は、私には、はるか遠くに去ってしまった感情だけれど、忘れようとして忘れ得ぬ面影…そんなものが、
自分にもかつてあったような、そんな錯覚に浸ってみる…
そんなことをしていると、自分本来の感情の湿り気を、うるおいを取り戻すことが出来る気がしてくる。

                          *


最後に。
こんなのも見つけたので、ご紹介。
1919年。エドワード・ジョンソンというテノールが歌った原曲。
エドワード・ジョンソン(1878~1959)はカナダ出身のテノール。1949年から1950年にかけての
シーズンを最後に引退して後、メトロポリタン歌劇場のプリモ・テノーレから総支配人へと転じたひと。
この歌唱もなんだか泣けてくる。

http://youtu.be/jWV5w5v47MY


         *

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『忘れ得ぬ面影 その一』

「楠の木の花はいい香りらしいよ」

娘からそんなことを聞いたのは、もう2年も前のことだ。
「ふうん」と返事をして、興味は魅かれたけれど、なんとなくそのまま季節は二回も過ぎてしまった。

楠といえば、私の生まれ故郷の九州にはたくさん生えていたはずだ。
九州や、四国など日本の南の方の地域には照葉樹が多く生育しているからだ。
しかし、高校までその地にいたにもかかわらず、樹木にあまり関心がなかった私は、
楠の花の匂いは無論、樹自体、どんな木だっけと思ってもピンとこないのである。
ただ漠然としたイメージはある。
木全体の姿は丸っこい。そして常緑樹であるのでその樹下は小暗い、というその程度のイメージだ。

楠(クスノキ)。クスノキ科ニッケイ属の常緑高木。
各部全体から樟脳の香りがする。樟脳とはすなわちクスノキの枝葉を蒸留して得られる
無色透明の固体のことで、防虫剤や医薬品等に使用される。
カンフル注射のカンフルはこの樟脳を指しており、“camphora”という種名にもなっている。(Wikipediaより)

照葉樹林の種類
高木:カシ・シイ・タブ・クスなど
亜高木:ヤブツバキ・モッコク・ヤマモモ・ユズリハなど
低木:サカキ・サザンカ・ヤブニッケイなど

私が今住む関東の林には、ケヤキやクヌギなどの落葉広葉樹や、杉、ヒノキなどの
人為的に植えられた針葉樹が多く、楠の木を探そうしても、さて、どこを探せばいいのやら。
そんなこともあって、『いい香りの花』と聞いて心動かされはしたものの、積極的に探しもしないで
2年は過ぎたのである。

ところがつい先日のことだ。
娘が上野公園の杜を通っていて、甚だいい香りのする樹を見つけ、その地味な花の写真を
ネット上にアップして、『この花、なんの木の花?』と訊ねたところ、すぐさま知りあいの女の子から
『楠の花です』という返事が返ってきたのだという。
娘から私のところに『楠の木探しに散歩に行こう』と電話があったのは、次の日曜日のことだった。
さあ、花の姿がわかった、樹木の全体的な姿の特徴もわかった、花の香りもわかった!ということで。^^

我が家の周辺には大きな公園もあり、小さなお社やちょっとした雑木林もある。
歩いていれば一本くらいは見つかるだろうと思って、午後中娘と歩きまわったのだが、
それらしい姿の木も、また上野の杜で濃厚に漂ってくるという花の香りらしきものもしてこない。
その日はついに巡り会えなかった……。

それから2日後。私はいつもの川べりの道を歩いていて、ふと向こう岸の高校の
グランドの塀際に生えている樹木群の中に、もしかしたらあれは楠ではないか、という木を見たのである。
娘から聞かされていた丸っこい全体の姿。そして今花が咲いているゆえに、葉の色調が明るい木。
わざわざ道を引き返して橋を渡り、向こう岸のその高校まで行ってみた。
……あったあった!
楠だ!
木は塀際に生えているが、塀の向こうだし、高い梢に花は認められてもそこまで手も鼻も届かない。
上野と違ってここらでは花はまだ蕾に近いようで、あたりには花の香りもしない…
折角見つけたのになあ……

ふと足元を見ると、前夜から朝にかけて吹いた激しい雨風に、楠の葉や小枝が数本
ちぎれて落ちていた!
小躍りしながら、その小さな枝を拾って持ち帰ったことは言うまでもない!
それがこのこ。


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お雛祭りに、ちいさな蝋燭人形のあずさを登場させる時、ひなあられを背中に載せて出てくる
ガラスのエッグスタンドのこっこちゃん、そのこっこちゃんに水を汲んで挿してみた。

楠が照葉樹であるというわけが、このつやつやした美しい葉っぱでわかります。


葉っぱを一枚ちぎって匂いをかぐと、なるほど樟脳はここから!と納得するような強烈な
青い新鮮な香りがする…でも私は、この葉っぱの青臭い臭いも嫌いではない。


2014_0522_011156-CIMG2641.jpg


さて。問題の花の方は。
蕾の直径は何と1ミリくらいしかなく、開いた花でも2,3ミリしかない。
しかもこの時開いていた花は、2つだけだった…
それでも。
それでも、ああ!なんという香りだろう!
私がいつもパソコンをする部屋は4畳半なんだけれど、このたった2輪の2ミリほどしかない花が
部屋をその香りで満たすほど、強い芳香を放つのだ!
その香りは……そうだな。今ちょうど咲いているテイカカズラなどの香りに似ていなくもない。
要するに、5月というこの青葉の季節の、白い花の新鮮な香りだ。青い香りだ。
でも、離れて嗅ぐと、ふと懐かしい昔の白粉のような香りにもなる。

ろくでもない政治に、怒って悲しんでかさかさになったこころ。
そのかさかさの心に、この楠の木のちっぽけな小枝の香りが、どれほど慰めを与えてくれて
いることだろうか!

いまも、このこは私のそばで香っている……。

「植物は、なんと『じょうとう』なのだろう!」……
そう思うことが時々ある。
じょうとう。上等。

それに比べてこの人の世は…その先は言うまい。



                        *

『忘れ得ぬ面影 その一』とタイトルはなっているが、
一にはひとが出てこないじゃないか、と思われるかも知れない。
でもいいのだ。植物との出会いだって小さな生きものとの出会いだって、忘れ得ぬ出会いと
いうものはありうる。
それは何も同時代のひとやものとの出会いであることに限る必要はなく、過去に生きた人々や
その作品などとの出会いが、生涯忘れ得ぬ宝物になることだってあるのだ。
そういった意味で、『忘れ得ぬ面影 その一』『その二』は、本当は続けて読んで欲しい
一つながりの記事である……。

『忘れ得ぬ面影 その二』 次の記事に続く。











『連絡~』


2014_0513_202438-CIMG2601.jpg

おや。この子、だあれ?






2014_0513_205708-CIMG2627.jpg

わたしよ。



2014_0513_205553-CIMG2625.jpg


星空の・・ちゃん。

2014_0513_205752-CIMG2629.jpg



実は裏はこんな感じ。
羊毛フェルトを専用の針でチクチクすると、こんなアップリケもできま~す♪






『キャンドル・ナイト 38』


38回目のキャンドル・ナイト。



2014_0511_221123-CIMG2571.jpg

東京は今日、初夏のようなさわやかな一日であった。

こんな白薔薇を買った。


白い薔薇をそばに置いておきたい……
なぜかこのごろずっとそう思い続けていた。

名前は『ホワイトマジック』。
花の大きさは10センチくらい。かすかな芳香がする……

私のそばにいてね。
私を見つめていてね。


2014_0511_224221-CIMG2581.jpg


今日使った器は、こんな緑いろの小さなグラス。
リキュールグラス?





2014_0511_223827-CIMG2577.jpg

もう、ずうっと前に、友に教えてもらって、あっという間に読み上げた本。
記事を書こうと、付箋をいっぱいつけたまま…。

実は『大雪と原発』のシリーズの番外編として、この本と絡めて書きたいことがある。

明日、その記事を書くことにします。


                  ***






2014_0511_221029-CIMG2570.jpg

グラスの形状によって、温められた空気で対流が起こるのか、
窓は閉めてあって風はどこからも入ってこないはずなのに、炎が大きく揺れる……
炎に意志があるようだ……


今日も炎を見つめながら、静かに、あの日の記憶と対峙する……









                         
心ひとつに キャンドルナイト




南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。







プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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