『やめてください!!!』



ガザ。

ウクライナ。

憎しみが憎しみを生み、子供達や争いに関係ない市民の命が失われていく。

人間は、なんという愚かな生きものなのだろう。


ガザ







スポンサーサイト

『キャンドル・ナイト 40』

ああ…もう…40回にもなるのだなあ…

忘れるということはないのだ…
どうして忘れることができるだろう。

回を増すごとに、月日が重なっていくごとに、言葉が重くなっていくだけだ……

ラジオを聴いていたら、女のひとが、
『あの日以来、台風で大風が吹いても、激しい雨になっても、ちょっとした地震があっても、
被災地のこと、福島のことを思わないでいられることはない…』
というような意味のことを言っていた。   
…ほんとうに。……


                    *

大きな台風が近づいていて、庭の百合たちにつっかい棒をしてやっていたのだが、
朝、起きて見ると、その一本が、つっかい棒とくくりつけたその結び目のところから
ぐったり折れてしまっていた…
ああ!ごめんね!ごめんね。
もっと、上の方まで念を入れて結びつけておけばよかったものを!!

大きな白い百合に走り寄って、ぐったり折れた花を頬ずりをせんばかりに抱きあげ、
さて…。

傍からもし誰かが見ていたら、おかしいと思われるかもしれないが、大きな百合に
「ごめんね。ほんとにごめんね」と、何度も話しかけながらハサミを入れ、
また、「ほんとにね。ごめんね」となおも話しかけながら抱いて家の内に連れてくる…。
なんだか、いろんなことが重なって、泣きたい…

                     *

キャンドル・ナイト。
本当は違うセッテイングを準備していたのだけれど、
百合の花をお供えしてみることに切り替えた……

小さなろうそくと、わずかにピンクのところもある大きな大きな白い百合。

蝋燭は、口の小さな赤い瓶の上に乗せて、背伸びさせている。
お家の中に入ってほっとしている百合が、その17,8センチはあろうかという顔をうつむけて、
小さなろうそくが一所懸命背伸びしてお話ししているのを
聞いてでもいるかのようだ…



PICT0003.jpg 





                      *

今まで、デジカメとパソコンをつなぎさえすれば、簡単に写真を取り込むことが出来ていたのに、
急にそれが出来なくなった。…何度やってもだめ。

四苦八苦していろいろやってみた挙句、別の方法でようやく写真アップできたけれど、
とても手順が面倒になった…。
それでも、とにかく一応できるようにはなったので、あらためてキャンドル・ナイトの記事アップします。

                      *


今朝がたの福島沖が震源地の、東北地方の地震。
あの被災地の方々が、再び津波の心配から避難……
どんなに恐ろしくて、そして悲しくていらっしゃったことだろう……


                         
心ひとつに キャンドルナイト




南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。







『キャンドル・ナイト 40』



写真が…
アップできない…

『集団的自衛権行使容認の閣議決定で終わりではない』

さて。いよいよ、安倍政権は、『集団的自衛権の行使容認』を閣議決定。
その憲法を蹂躙する独善的手法は、これまでにない怒りを国民の間に巻き起こしていると思う。

日本の市区町村は1742。そのうち206もの議会が『容認に反対もしくは慎重な審議を求める』
意見書を政府に出すことを決議している。(6月30日『報道ステーション』)
この決議を否決した議会数はわからず、そしてまだ議論していない議会もあると思うので、
この比率がどうだこうだと言えないが、一つの案件に対し、これほど多くの地方議会が
それも、与党自民・公明党の議員までが意見書提出賛成に回ったことは例がないという。

6月15日には全国215人の民主党や無党派等の地方議員が参加する「自治体議員立憲ネットワーク」
(共同代表、角倉邦良・群馬県議ら5人)が設立。
各法曹団体、宗教団体、文化人の団体、労働者の団体、学生の団体、など、それこそ信条や党派を超えた
多くの人々が、安倍政権の暴走に抗議の声をあげて動き始めている。

閣議決定前々日の6月29日には、多くの人々が行きかうJR新宿駅南口架道橋の構造鉄骨の上で、
70歳とも一部伝わる男性が、『集団的自衛権行使容認の閣議決定』に反対する訴えを
拡声器を使って1時間に及び行ったのち、与謝野晶子の『君死にたまふことなかれ』の一節を
唱えたのち、自らの身にガソリンをまいて火をつけ焼身自殺を図った。
幸いなことに、…全治1,2か月のやけどということで命は取り留めたようである。
NHKでは一切の報道なし。その後のその他のマスコミの報道も止まっている。
政権に抗議する手段としてこのような手法が知れ渡り後に続く者が出てくるのを恐れての
自粛があるのかないのか。
このことについては、いずれ別の記事で書けたら書きたい。

東京官邸前では前日と当日に夜遅くまで4万人ともそれを超えるともいう人々が集まって抗議。
(人数が把握できないというのは、警官隊の規制がきつく、人々が歩道上に分散されてしまったからだ!)
大阪、広島、大分、…全国各地で抗議集会が行われ、今も各地で続けられている。

…それにもかかわらず、閣議決定はなされてしまった……

デモもその他の運動も、勝たなきゃ意味がない、と思われがちだけれど、そんなことないのだと
私は信じている。
ひとつひとつの声は小さくても、それらが今回のようにうわ~っと纏って、大きな運動になったとき、
それは結果の如何を問わず、直接的効果のある無しを問わず、なにかを確実に変えていく…
それは何よりも、人々の心に確実な変化をもたらすのだ。

今回のデモ参加者は、都心地方を問わず、若い人々が本当に、ほんとうに多かった!
それは、twitterやfacebookなどでの呼びかけがあっという間に広がっていったからである。
私も閣議決定の日が迫るのに、なにかをしないではいられず、twitterを覗きこんだ。
…それが6月24日だ。
その前から、ぽつぽつ『30日に官邸前へ』という呼びかけは散発的にあったのかもしれないが、
私が見ていた限りではretweetの数が等比級数的に伸びていったのは、24,5日ころから…
つまりわずか1週間のことだった。

若い人々のtwitterの文言を拾っていくと、『私も行きたい』『けど、初めてだから不安』
『やっぱり(デモに出たりするのは)こわい…』などという、周りが大きく動き始めた中で自分も
その動きに参加したいのだが、初めてだしデモというものがやはり恐ろしくて参加に踏み切れない…
というつぶやきが当日まで結構あった。
(かわいそうに。初めてデモに出るのってどんなに勇気が要ったことだろう!)

しかし、一旦参加してからのはじけ方は、すごい!

デモというものは、出てみないとわからないものだと、私も3年前に初めて思った。
その規模が大きければ大きいほど、想いを同じくする群衆との一体感がすごいのだ。
今回も、前の記事で紹介したYou Tube映像を見ていただくとわかるが、一人の中年女性が
目にうっすらと涙を浮かべて人々とすれ違っている…
今回の官邸前デモの報告の中にも、『涙を浮かべている人が多い』というのがたくさんあった。
その涙の質はなにか。
私は、『安倍政権の無法なやり口に対する怒り』のための涙もそりゃあるかもしれないが、
それよりはむしろ、『ここには想いを同じくする人々がこんなにたくさんいてくれる…』という、
むしろ安堵というか、『ひとりじゃない』ことを確認したゆえの感動の涙ではなかろうかと思っている。
私自身がそうだから。そうだったから。

たった一人のデモ参加者…。
しかし、そのひとりひとりのちっぽけな達成感とか承認感というものは、実は大きい力をやがて持つ。
その経験は、個々人の心の中で静かに醸成され、やがて確固とした確信に変わっていくことが多いからだ。
公平に言えば、それは、集団的自衛権反対でも安倍晋三賛美のデモ行動でも関わりなく起こることだ。

若い人々のtweetを読んで行くと、「幼いなあ…」と思ってしまうものもある。
集団的自衛権のことは実はそう良く知らずに、回りの興奮ムードの中でとりあえず参加してみたら、
想いのほかの一体感と高揚感にしびれてしまった末の発言も結構多い。
『あべ、死ね!』とかのヘイト的叫びもあって、『これこれ。ちょっとそれは…』といさめたくなるような
発言も実際ときにはある。
過去に安倍さんなどに対し『あなたたちが、福島第一の原発建屋に入りなさい!』と
書いてしまったことのある私が、諌めることのできる資格はないかもしれないけれど、
言ってはいけないこともあるということを学んでって欲しいと思う。これは我が身の反省でもある。
極端から極端へ走る抗議活動には、ぱっと燃え盛る激しさと同時に、それがゆえの脆さ(『負けた!
もうどうにでもなれば!もうやめた!的な諦めの早さ)も内包しがちなので、おばさんの私などは
一抹の危惧も感じずにはいられないというのも本当の気持ちだ。

だが。
だが…。

そうした一部に危うさ、脆さへの危惧を抱きつつも、私がこうやって若い人々が立ち上がってくれた
ことを嬉しく思うのには理由がある。
私が戦争をしないさせないために一番大事だと思っていること、それは、『戦争を語り継ぐ』ということだ。
その、語り継ぐ相手が今回たくさん生まれたことが、何にもましてうれしいのである。

先ほども書いたように、経験というものは、ひとの心の中で
やがて静かに醸成され、『成長・成熟』していくものだ。
今、幼く見える過激なtweetも、『政治に興味を持ってみる』というなかなか普段は難しいことの
突破口が、こうやって一度開きさえすれば、やがて多くの人の意見を見たり語りあったりすることを通じて、
若い人々自身が経験を積み、政治的にも成熟していくであろうと私は信じる。
これは、思想の方向に関係なく、そうだ。
経験の蓄積とその内在化は、その人の精神の骨格を形成していく。
問題は、その経験の『質』と『向かう方向』であって。(!)


私は改憲には反対である。
それなのに、2年前の冬、『国民投票の是非を問う都民投票』の都議会での審議を求めて
署名集めに街頭に立ったことがある。
改憲の手続きである国民投票に現時点で反対していながら、なぜ署名集めに参加したか。
それは首都東京において署名活動が達成されなかった!という負けを喫したくなかったからである。
そして、この投票活動や、投票行動に参加した人々に、ある種の『政治活動の成功体験』を
小さなことでもいい、経験させたかったからである!(自分も含めて)

想えば、日本のリベラルの政治闘争の歴史は、ほぼ敗北に次ぐ敗北の歴史である。
その十年一日のごとき戦い方のまずさや内部闘争や、うちうちの党活動や組合活動にばかり精力を傾注して
市民の中に入っていかないその運動のありかたや…諸々の要因があって、リベラル勢力は
泣けてくるほどに今、衰退してしまい、安倍政権のような怪物政権が誕生してこの国の
根本まで変えてしまおうとしていても、私たち国民は、その怒りを託すべき政治の受け皿を持っていない…。

長い間続いた自民党の一党支配と、それに対抗する野党勢力の衰退を見せつけられた来た国民は、
うんざりしてしまって政治を変えようとする意識や意欲を減退させてしまい、あの福島の事故が起きてさえ、
その多くが、『不本意ながら現状承認』の無気力状態に陥ってしまっている……

私は、自分も含め、もう一度国民に、政治的活動の『成功体験』をさせたいのである!

政治的活動そのものの参加することは無論、それに対する興味や関心さえも多くの国民が失いつつある中で、
一部の政治集団が圧倒的多数の力を恣にして、憲法の形骸化を図ろうとしている今。
私は、国民の手にもう一度政治を取り戻したいのである!

だから、今回の閣議決定のことで負けたことは、無論口惜しいことこの上ないが、
一方で私は、小さな希望を抱き始めてもいる。
それは、安倍政権のあまりのやり口に、国民の政治意識が目覚めてきているということである!

人が一度経験したことは、無駄にはならない。
大小の経験の積み重ねが一人のひとの精神的骨格を作っていくのと同じように、
国の歴史も、その時々、国民がどういう経験を自らしていったか、そうしてその経験を
国民がどういう風に内在化させ(内在化。これが大事)、成熟させていくか、というその積み重ねで、
その、国家としての精神的骨格もまた出来あがっていくものだと思うからだ。

だから。
安倍晋三という、一人の個人的盲執に満ちた政治家が、この国が経験してきた悲惨な戦争の歴史と
その中で形成されてきた国の根本的精神というものを無理矢理捻じ曲げようとしても、
国民がそれを許さない!と思っている限り、そうやすやすとその根幹は揺るぎはしない。

確かに『蟻の一穴』というように、憲法にもこうやって小さな穴があいてしまえば、そこから
土の壁はほろほろと小さく崩れていって、やがて憲法自体、国自体の崩壊につながっていく…
しかし。
あきらめや投げやりな気分は、その開いてしまった穴にさらに水をかけて、崩壊の速度を
速めてしまうようなものだと思う。

                       *


今回の集団的自衛権行使に関する性急な政権内部だけでの議論と今日の閣議決定までの
一連の騒動には、どうも、ずうっとわかりにくい曖昧なところがあって、国民がよく検討する時間も
ないまま、あれよあれよといううちに閣議決定まで行ってしまった感じだ。

そのわかりにくさは。
論点の質が違う問題が、ごっちゃになって語られている、ということにあるのではなかろうか。
それでは、どんな論点があるのか。私が考えつく範囲でこれから一つ一つ書いていってみたい。

安倍総理自身も閣議決定の夜、記者会見で言っていた通り、
『今回の閣議決定を踏まえ、関連法案の作成チームを立ち上げ』というように、
閣議決定したからと言って、すぐにそれが動き出す、というものではなく、行使のためには、
これから自衛隊法、PKO法、武力攻撃事態対処関連3法など、さまざまな法整備を
行うことが必要なのである。
明日から、『さあ!いつでもどこの国でもかかってこ~い!集団的自衛権行使してやる!』
というわけではないのだ。
ということは、それらの審議がこれから行われるその間に、我々国民ももっとこの集団的自衛権について
よく知っておき、猛烈に反対して、これらの法案が通されないようにする必要があるわけで、
今日からじっくり勉強するというのでもまだ決して遅くない。
まだまだ出来ることがある、というのはそういうわけなのだ。
国会議員・地方議会議員が怖がっているのは、選挙で議席を失い権力の座から滑り落ちることである。
来年の統一地方選を待っていなどしないで、個々の地方選で、自公にNO!と言うことだ。
自公が圧倒的に多く、野党にも集団的自衛権行使論者が多い今の国会では、
関連法案審議に際し野党が頑張って成立を阻止するということはあまり期待できないが、
それでも、なんとか一人づつでも、党の拘束に背いててでも平和主義を守るという
信義に基づいて行動する議員を増やしていくこと。
今回の決定に至るまでの過程と今後の関連法成立に際し、その法律上の水漏れを、
日本弁護士会など法律の専門家と協力して突きつけていくこともできる。
内閣法制局長官人事に関して、彼等の長年の経験と見識に基づく人事慣例に敢えて逆らい、
自分と気脈を通じる外部の人間(小松前長官。故人を責めるつもりはない)をその座に据えた
安倍総理のやり口に対し、法制局には不満を抱く人も多いだろう。
内閣法制局のありようについては何もかもがいいと言うわけではないだろうが、長い間にわたって
政権が憲法から逸脱するのをできるだけ食い止めてきた実績がある。
今こそ彼等が、長年培った行政府内での法の番人としての見識を示すべき時だ。
私たちはそういう応援もできる。
小さなことでもとにかく積み上げていけば、大きな力になる。

                       *

私はこの重苦しい空気の中にあって、加藤周一の著作をいまさらながらだがずっと読んでいた。

戦争中に青年期を過ごし、知識人がそうして国民一般がどのように戦中戦後を生きたかを
仮借なく問い続けたこの『知の巨人』の厳しい言葉ほど、今、私の胸に届くものはないようにさえ思われる。

紹介したい言葉は山ほどあるけれど。

                       *

『われわれの自由が完全に奪われたあとでは、どういう抗議もできない(ということは
経験によってあきらかである)。とすれば、自由の奪われていく過程のどこかに、抗議が必要であり、
また可能であり、それによってやがて自由が全く失われるだろう過程の進行をくいとめることのできる
決定的な時期があるはずだろう。(中略)その決定的な時期は、一体いつだろうか。
警官の入った深夜の国会で安保条約の採決が行われたときに、そういう時期の一つが到来した、
とわれわれの多くが感じたことは確かである。
 (中略)それは、立場の左翼的であるとか、自由主義的であるとかいうこととは関係ない。
ファシズムを通ってきた人間が、ファシズムをふたたび日本の国土に迎えたくないということ、
またどういう種類のいくさであっても、いくさには一切まきこまれたくないということ、従って
すべての武装を放棄した平和憲法制定の精神を守ろうということであるにすぎない』

   (ちくま学芸文庫 「言葉と戦車を見すえて」:『安保条約と知識人』より)  
                 

  
この一文の初出は、1960年『朝日ジャーナル』6月12日号。『東京日記』24。
今から、54年前。安倍総理の祖父岸信介氏の内閣が、安保条約改定に臨み、衆院特別委員会で、
座り込みをして抗議する社会党議員らを警官隊や一部右翼の傭員などを動員して強制排除。
強行採決に至り、新安保条約が締結された時期の記事である。
この時は、33万人とも言われる人々が国会前に集まって激しい抗議を行った。警官隊との
もみあいの中で東大生樺美智子が死亡。
詳しくは、『安保闘争』

戦後間もない60年安保。
『戦争はもう2度といやだ!』という、人々の骨身に染みた想いからくる激しい情念も、
結果的には改訂成って屈してしまった。
けれども、これだけの激しい民衆の抵抗の記憶が、長く後世の自民党閣僚たちにも強く印象付けられて、
集団的自衛権までは踏み込んでいかない、という歯止めをかける効果を生んできたと思うのだ。
しかし、戦後およそ70年。戦争の悲惨を直接知る人々は少なくなった……
岸信介の外孫安倍晋三氏が、『日本を再び戦争のできる国へ』と、歴史の歯車を巻き戻す……

私たちは、先人たちが流血と涙で勝ち取ってきたこの平和憲法を、こうやすやすと
蹂躙させてしまっていいのだろうか。






『安倍政権を許さない!』官邸前デモ

昨日2014年6月30日。官邸前の抗議デモに行った。
今日7月1日。今午後2時半。こんな時に、パソコンがとりわけワード機能が朝からだめ。
もどかしいことこの上なし……

…少しパソコン動き出した…騙し騙し一語づつ打つ…

2014_0630_184958-CIMG2816.jpg


官邸前。ひとが少ないように見えるだろうが、警官隊が要所要所を封鎖していて、抗議参加者が、
官邸前に近づけないように、またその数が多く見えないように分散させているので、
一見静かに見えるかもしれない。



2014_0630_190540-CIMG2827.jpg

人が集められた一角。
参加者は国会周縁の歩道。それも、三角コーンでさらにせばめられた、要するに空撮した時、
樹木の影になって見えないところに押し込められている。
それがどんなに長い列になっていようと、上から見た時には寂しげな映像になってしまうのだ。
1960年の安保闘争の時のように、大群衆が国会前の道路を埋め尽くす映像のようなものは、
だから今の集会ではもうみられなくなってしまった。



2014_0630_192332-CIMG2831.jpg

参加者4万人という…

これが皆官邸を取り巻く道路上に溢れていたら。もっと迫力ある抗議に見えるだろう。

列はどこまでもどこまでも続く……

暑い!
人いきれでもう、むしむし。
すれ違う人の腕に触れて、互いの汗ばんだ肌で、ますます不快指数は上がるところ。
でも、誰も顔をしかめたりする者はいない(…だろう)。
安倍政権への怒りで、それどころじゃないのだ。




2014_0630_202644-CIMG2852.jpg

若い人々が多い。
本当に多い!!!
今までの脱原発デモ、秘密保護法反対デモと明らかに違う。
twtter やfacebookなどで、拡散に拡散を皆が重ねた結果が明らかに現れている。
(私もここ数日間、twitterに貼りついて、拡散にこれつとめていた)
確実に、安倍政権は、若者の怒りを引きだした…!


今、4時。もうすぐ閣議決定の一報は、今日も官邸前に集まっていてくれる人々だけでなく、
日本全国まで駆け巡るだろう……

だけれど、これで終わりじゃない。
安倍政権はもっと先をたくらんでいる。この国を、その盲執のままに作り変えてしまうまで。
わたしたちがやれることはまだたくさんある。


6月29日。
人でにぎわう東京新宿の歩道橋上で、集団的自衛権行使容認反対を訴えて、自らの身に
ガソリンをかけて焼身自殺を図った70歳という男性のその後は、報道さえされない。
NHKはまるで無視。海外ではちゃんと取り上げられているのに、である。

同じ東京…
多くの人ごみに賑わう都会を見下ろしながら、橋の上で、彼はなにを想いつつ火をつけたろうか。
彼の行為の良し悪しはここでは言わない。
けれども、一人のひとの、深い想いを、私はしっかり受け止めたいと思う。













プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
06 | 2014/07 | 08
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード