『           』

ずうっと考えている。彼、湯川さんのことを…。
深い悲しみと怒りと。
そして後藤さんの無事を祈り続けている……。

今夜また、もう一つの通告がなされた。
時間がない。
『テロリストには屈しない』などと言って突っ張っている場合か。
『国民の命を守る』というのは、こういうときじゃないのか!

後藤さんとヨルダンのパイロットの命を救うためになんでもとにかくやってくれ!

ヨルダンの人々に本当に、本当に申し訳ないと思う…





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『「民主党よ」 未来を見据えて ②』 

衆院選結果の出た12月17日の、いわば絶望の記事の最後に、
私は、『それでは第三の道はないのだろうか?』という問いを投げかけ、
それについて『私が小さな頭で精一杯に考えた、第三の道、というか、思いつくままの提言を
書いてみたいと思っています』と書きました。
それをぼちぼちやっていってみようと思います。

1.民主党改革

国民にとって、何が一番情けないでしょうか。
私はそれは、自民党の政治がよくないとわかっても、それを糺し得る、
自民党にNO!と言いうる政党が今、ない、ということなのではないかと思っています。
一強多弱の政治は、どのような結果を生むか、
いわゆる『決められる政治』がどんなに実は怖いものか、
国民の皆さんは今、身に染みて感じていらっしゃるのではないでしょうか。

ちょうど三年前、私はこんなつたない歌を詠んでみました。


受け皿無きを


今、振り返ってみれば、この頃はまだなんとましだったのだろうと思います。
私は、脱原発を望む人々の民意の受け皿がないということだけを嘆いていたからです。
脱原発のはっきりした意志と目標を掲げてくれた菅政権から、本質的には原発推進の
野田政権に変わったことを、激しく嘆いてはいたけれども、それでも、民主党の頃は、
まだ、国民の声を一応は掬いあげようという姿勢もわずかにでもあったし、何より、
あの頃は、私は、改憲の怖れがこのように目の前に近づいてこようとは思っていませんでした。

『税と社会保障の一体改革』というものも、胡散臭いとは警戒しつつも、それが
自民党政権によって、このように社会保障の部分は切り捨てられ税制の改革だけが…
それも、大企業や資産家など富者のためになる改革だけがあからさまに行われる
今のような形のものに堕してしまおうとは思っていませんでした…
沖縄の普天間基地の辺野古への移転が、あのように沖縄の反対する人々を
実力行使で排除して強制的に工事再開へ突き進もうとは、
しかも、沖縄県知事に首相も官房長官も会わない、振興費はあからさまにカットする、などという
暴虐な政治が行われようとは思ってもみませんでした…
何よりも、閣議決定というようなもののみによって憲法の根幹をなし崩しにし、集団的自衛権
行使を可能にしてしまうような国民無視の手法がまかり通るなどとは思ってもみませんでした…

少なくとも、民主党政権であったならば、これほどの国民軽視の暴虐政治は
行われていなかったでありましょう。
明日は、民主党の代表選が行われます。
届け出順に、長妻氏、細野氏、岡田氏、の三氏の戦いになりますが、
ここで、私は言っておきます。


                     ***


民主党よ。代表選に投票する権利を有する民主党の支持者たちよ。
自民党と同じ政策をする人を、今回代表に選んでしまったら、民主党は本当に終わりだ。
はっきり言えば、細野氏はダメだ。
細野氏は、自分の色を鮮明に出さない日和見主義者だが、根っこは、民主党右派だ。
安倍自民党となんら変わらない一派だ。

民主党よ。まだ懲りないのか。
まだわからないのか。
国民があなたたちに何を求めているのか、それは、『自民党と違う政治をすること』だ。
自民党との対立軸を鮮明にして、自民党、とりわけ安倍政権の暴走を止めることのできる
強力な野党第一党を、国民はとりあえずは求めているのだよ。
せつないほどに求めているのだよ。


私は本来、社共の支持者だ。
それでも、なんとか原発を止めて欲しいゆえに、憲法第9条を守っていきたいがゆえに、
自民党の長年の一党独裁によってこの国に蔓延した権力構造の膿を、なんとか少しでも
出したいがゆえに、民主党をも応援している…してきた…

民主党は2つに別れよと言いたい。
自民党と同じ考えかたの議員は自民党とでも、維新とでも組んでしまえ。
自民としっかりした対立軸を掲げる議員だけが民主党に残れ。
一時は議員数ががくっと減るだろう。それでもいいのだ。
自民の暴虐を許さない!というしっかりした旗印を『鮮明に』掲げて、安倍政権と敢然と戦うならば、
次の選挙では、国民は民主党に票を投じるだろう。

民主党よ。もう一度野党の本分を尽くせ。
自民党と同じ政治をしていては、民主党の未来などないということを胆に銘じてやっていってくれ!



                                                                      ***



『キャンドル・ナイト 46』  

ああ…もう…46回も、ろうそくを灯し続けて来たんだなあ…
自分でその回数に驚く…
こんなに続けることになろうとは自分でも思っていなかった。

続けてこられたのには、この、小さなろうそくの力もあったような気がする。
カメヤマローソク『豆ダルマ』。



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一箱の中に、長さ5センチほどの小さなろうそくが90本。
東日本大震災で、東京電力の管内で計画停電が行われることになって、
でも家には古い蝋燭が1本しかなかった。
ラジオを聴くための電池もなかった。
それを言ったら、娘たちが、3月15日、あちこちを歩き回ってこの小さなろうそく一箱と、
電池を見つけて買ってきてくれたのだ。
…しかし、その3月15日午前10~11時ごろというのは、東京で最も放射線量が
上がった時なのだということが後でわかった。

ああ!私としたことが!不用意に、ろうそくと電池がない、などと言ったばかりに!
若い二人の体に、何がしかの被曝をさせてしまったのである!

あの前後の頃の悲しさと言ったら……
被災地のかたがたの悲しみに比ぶうべくもないけれども、人間の力を超える自然の
脅威への恐怖と、…そして人知によって避けようと思えば避けられたであろう事故の
ついに起きてしまったことへの怒りと虚しさと…

もうすぐ4年になるのだが、あの悲しみを忘れるということはあり得ない…

小さなろうそくは、その私のこころを知っていてくれるのだ。

いろんなセッティングをしてきたけれど、今月は、こんな変わった趣向にしてみた…



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中国風の小さなテーブルといすのセット。
うす青い磁器。
一個所欠けたところを金継ぎしてある。





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冬の午後の日差しの中で・・・







                       
心ひとつに キャンドルナイト







南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。













『二度目の四国の旅に想うこと ①』

四国への旅の写真をアップしてみます。

四国へはこれで2回目の旅です。
これまでも、おそらくこれからも、あまり旅行をしない私。
日本で行ったことがある地というと本当に少ないです。
四国はその中でも、憧れつつも、おそらく縁がないだろうなあと思っていた土地でした。
ところが、お婿さんがなぜか仕事で四国に縁があって、彼のおかげで私までが、
昨夏、そしてこの12月と、旅をすることができました。

と言っても、私が訪れたのは、島嶼の一部と高松市だけです。
それでも、私にはなぜかもう、忘れられない懐かしい土地になっている…
今回は、ブログのお友達ともお会いすることができ、さらでも嬉しい旅が、よけいに印象的な
旅となりました。


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飛行機で行きゃ早いのでしょうが、新幹線の旅が好きな私。
今回も岡山まで新幹線、それからマリンライナーに乗って、
瀬戸大橋を渡り四国へ入ります。娘とお婿さんと私と、三人旅。
瀬戸内の海。もうなんだかよく知っている風景のような気がしてきています。



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私。来たわ。また……



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今回は一泊だけ。
あちこちを見て回る時間はありません。
高松に着いた日は金刀比羅さんだけに的を絞ることにしました。
可愛らしい琴平駅の駅舎。



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この時、時間はすでに3時過ぎ。
琴平の街は、このように西日が長い影を落とす、夕暮れの気配のなかにありました…



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観光名所と言われるところに増して、旅で心魅かれるのは、こうしたなんでもない
町の一角、人びとの暮らしの営まれている建てものなどです。



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金刀比羅さんの門前町。
お顔がはっきり見えないよう、小さな写真にしておきます。



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写真に撮られることに慣れて、もう達観してるようにじいっと動かないでいてくれた
あるお店の猫ちゃん。
旅先で出会った動物たちというのも、別に特別ななにかはなくとも、妙に忘れられないものです。



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この時、時間は既に4時近く。
帰りの時間を考えると、金刀比羅さんのまだほんの途中ですが、さらに行くのはあきらめました。
その代わりに、明治の洋画家、高橋由一の作品が数多く収蔵されているのを見ました。
高橋由一と言うと、私は、あの有名な鮭の図と花魁図くらいしか知らなかったのですが、
ここには、その油絵作品を27点も常設展示している場所があって、私は彼の作品を
殆ど初めてみたかのような驚きに包まれてしまいました。
…なんて、いいのでしょう…なんて上手いのでしょう…
何よりも、なんて詩情があるのでしょう…。

その作品群は、ここで見ることが出来ます。
http://www.konpira.or.jp/museum/yuichi/yuichi_2012.html



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琴平の街の夕暮れ。



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あっという間に、冬の日は暮れてしまいます。
旅先のこんな光景は、なんだか胸がきゅんとするほど懐かしい…
この少し前に、ブログの友に初めて電話して、その声を聞いています。

それから、琴電に乗って、高松の中心街に、今宵の宿に向かいます。
もうあたりは真っ暗。
車窓からは何も見えません…



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今宵の宿に辿りついてほっ!
時間は9時を過ぎていました。
それから、夜の高松の街に出て三人で食事です。
高松の街は、前回も感じましたが、とても立派な便利で住みやすそうな街です。
飲食店もたくさん!
今回は、創作料理のお店、というところへ入って、そこが出てくる料理がことごとく
めっぽう美味しかったので、大満足でした。基本イタリアンかな。
いろいろ注文して分けあって食べました。フォアグラなんかも食べちゃったし、
ワインもしこたま飲みました。^^
(うう…お留守番のパパさんも連れてきたかった…)



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翌朝、友と少しの時間会えました。^^
旅の目的を済ませたら、もう、汽車に乗らねばならない時間です。
慌ただしい旅は、よけいに何か旅先に大きな忘れ物をしてきたような、そんな
後ろ髪引かれる想いがします。
さようなら。四国のおむすび型の山々よ…。
この旅の間は、日本全国を大寒波が襲っていて、四国でも少し前に徳島で
大雪の被害者が出るなど、空も荒れ模様でした。
晴れていたけれど、怪しげな水分をはらんだ雲が、山の方へ方へと流れていっていました…






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さよなら。灯台さん。
きっと。きっとまた来るわ。



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さよなら。
瀬戸内の海よ。



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ああ・・・もう・・・
帰りの新幹線の中です。
私は、旅の見知らぬ土地を走る新幹線などの中から、こうやって、線路と平行して伸びる
道路や、直角に交わる農道などを、小さな軽トラックなどが一所懸命走っているのを見ると、
いつもきゅんとしてしまいます。
誰かがあそこを、何をか思いながら、車、運転しているのです。



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おお!
大阪を過ぎてしばらく走ったな、と思って、ちょっとの間、うとうとして、ふと目を上げると、
外は雪景色でした。
岐阜羽島から米原のあたりは、東海道新幹線の他の土地が快晴でも、このように
雪が積もっていることがあるのです。




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しばし黙って雪景色を見つめている……
ここにも。ここにも、人々の暮らしがあります…。
私は、新幹線から、南東側と南西側を疎林の小高い丘に、そうして西側は線路と、
三方を囲まれて、北側だけに開けた、真昼間でも山陰に沈んで少し小暗いように見える
住宅地などを通りすがりに見ていると、これまた胸がきゅんとします。
ましてその一角に小さな、なにを作っているとも知れぬ小さな工場などがあったりすると。




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名古屋には雪はなく、雨は少し降ったらしい土地を新幹線は黙々と走り続けます。
おお…夕焼けです…



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新幹線と交わる川の光景にもいつも魅かれます。
この旅では、ようく遠くにこうして観覧車が見えたなあ。
新幹線からは4か所。極め付けに哀しいほど綺麗だったのは、真っ暗なところを走る
琴電から見えた、灯りに照らし出された観覧車でした……

さて。もうあと一時間と少しもすれば、東京駅です…。



この記事、この下の記事に続く。











『二度目の四国の旅に想うこと ②』

この日はちょうど、衆議院選挙の投票日でした。
私は旅の予定と重なることがわかっていたので、期日前に投票は済ませていました。
しかし、日本全国雪などで大荒れです。投票率は当然低くなるでしょう…
旅の間も、選挙のことが頭から離れることはありんせんでした。
日本の国を左右するような、大事なだいじな選挙なのだけれど、たとえ雪が降っていなくても、
投票率は低かったでしょう。
国民の想いを受け止める政治の受け皿がなく、国民があすこよりはこっちの方が
まだましかなあという消極的選択しか出来ないというのでは…。
しかし、それでも、政治に関心は失って欲しくない。
歴史を逆に戻っていくような政治を許してはならないのです。

…しかし。
旅をするとさまざまなことを、東京にいるのとまた違う感覚で思います。
一つの例が、あの米原あたりの雪です。
日本は、本当に南北に長い国土だなあということを実感する。
そうしてまた、南北に長いだけでなく、かつて、『表日本』『裏日本』と言われ、
今はそれが多少の差別意識を伴うことに配慮したか、天気予報などでは
『太平洋側』『日本海側』という言葉で表現されるようになった、日本の言わば
横幅部分での気候や風土の違いなどにも、深い思いを致してしまうのです。
この、『表日本、裏日本』という表現に関しては、私の12月15日の記事、『帰ってきました』に、
NANTEIさんから頂いた含蓄深いコメントと、それに対する私の返事の中で
触れていますので、よければお読みください。
簡単にまとめれば、私は、自分が東京、それも太平洋岸に住んでいるわけですが、
何の気なしにその側を『表日本』といい、日本海側を『裏日本』と表現して、
長い間、その表現に内包される差別意識に気づかずにいたということにあるとき気づいて
愕然としたことがあったのです。

ふだん私たちは自分の住む地域を中心にものを考えがちで、他の地域に住む人々のことを
あまり考えないものだということへの私自身の覚醒というか反省については、
こんな思い出もありました。

娘が中学1年生の時の担任は、地理の若い男性教師でした。 
年の頃は30少し過ぎ。いかにも教師として活力のある盛りのきびきびした歩き方と話しぶり。
ちょっと島田洋七氏に似たような体系と風貌だっかかな。
その先生による父母授業参観があるときあったのです。

教えぶりは、時折のたくまざるユーモアを交え、想像通り活発でいきいきしたものでした。
参観のお母さんたちの間にも、笑い声がしょっちゅう起こる。
『日本列島のおよその大きさをイメージするには、東京を起点にして北海道の端まで
直線でおよそ千キロ、南は沖縄までおよそやはり千キロと掴むとわかりやすいです』
などという説明を聞くと、自分自身は同じ中一の時、地理科の女教師のことが嫌いで、
地理という教科自体が苦手になった経験を持つ私も、『ほほ~っ!』と感心して、
ああ、こんな先生に地理習いたかったなあ!と思ったものです。

その時の先生の話に、日本列島が南北というか東西にも長いために、
日の出時間や日没時間が場所によってずいぶん違うのだ、というのがあって、
その時私は、37歳くらいでしたが、恥ずかしながら初めて、自分の長年の疑問が
解けたような気がしたのでした。

その疑問というのは、『どうも自分が子供の頃よりも、一日が短くなった気がするなぁ!』
という感覚でした。
自分が子供の時は、学校から帰って外に遊びに出て、夕方いよいよ暗くなって家に帰るまでの
時間がすごく長かったような気がする。しかし、娘の生活など見ていると、まあ、私立の小中学校に
通っていたということもあるのだろうけれども、どうも学校が放課して後の
子供の自由時間がなんだか短くせわしない気がしてしかたがなかった。
と同時に母親としての自分の夕方も妙にせわしなかったわけです。

それを私は、単に自分が大人になったせいかなと漠然と深く考えもしないでいたのですが、
その時先生の一言を聞いて、
『あ!そうかぁ!単純に、博多は日没が東京より遅かったんだぁ!』と、遅ればせながら
初めて気がついたというわけなのです。
私は子供時代を九州福岡市で過ごしました。
例えば、今日1月6日の日没時刻は東京は16:42ですが、福岡市では17:24です。
42分も福岡の方が日が暮れるのが遅いということになります。
42分! そんなにあったら、子供が外で遊べた時間も長く感じた筈です!!

その代わりにそう言えば、福岡は逆に日の出も遅いわけで、7:23です。
6:51に日が昇る東京と比べれば32分も朝が暗いということになります。
…そうだそうだ。高校の頃、冬の朝まだ暗いうちに起きだすのが厭だったなあ!
と思い出します。

ちなみに、今日1月6日、日本の主要都市で一番日の出が早いのが千葉市で6:49。
一番遅いのが長崎市で7:23。日本最西端の与那国島に至っては7:33です。
一方、日没が一番早いのは、札幌市で16:14。一番遅い那覇市は17:51です。
実に 1時間半近くも札幌の夕暮れは早い。
http://www.motohasi.net/SunriseSunset/JapanSun.php

こんなこと、日本各地に住んだことのある人や、よく旅行をする人なら当然のように
知っていることでしょうが、同じ地域にずっと住んでいる者は、普段あまり、他の地域の
夕暮れの訪れの早さ遅さのことなど想ってみないのではないでしょうか。
旅をして気づかされるのは、こうした、普段気付かない自分中心のものの見方のことです。
自分の生きている世界の感覚がすべてのようになんとなく思いこんで暮らしていても
何の支障もない。

こんなこともあります。
あるときネットで飛行機雲のことをなんとなく見ていて、日本からヨーロッパに行った人が、
飛行機雲が平行にではなく、縦横無尽に空に描かれているのを見てびっくりした、
という小さな記述を見たのです。
私もびっくりしました!
このサイトでした。写真映像見てください。動画も興味深いです。
http://teleradiology.jp/MRI/11_misc/AirTraffic/NetherlandsSky.html

私の住む多摩地区は、近くに米軍横田基地や厚木基地などもあり、一日中、実によく飛行機が飛びます。
夕暮れなど、赤く染まった空に、上空高く飛行機が平行に追いかけっこなどをしている
その航跡は実に綺麗です。
『平行に』…そう、日本の飛行機雲は、基本、長い日本列島に沿って平行に走っていることが
多いですよね。そうじゃない地域もあるのでしょうか…

さらに驚いたのは、上記のサイトだったか別のサイトだったか、コメント欄に、
『日本では飛行機雲を見たことがなかったが、ヨーロッパ旅行して初めて飛行機雲を見た』
と書いていた人がいたことです。
日本で飛行機雲を見たことがなかった??!!
そんなひとがいるのかとびっくりしました。
…しかし、考えてみれば、そのひとが住んでいる地域が、飛行機の航路にあたって
いなければ、そうしてそのひとが若くて旅の経験の少ないひとならば、飛行機雲を
一度も見たことがない、ということだって不思議じゃありません…
それはそこが市街地であるか過疎地であるかなどということとは関係ない。

現に、たまたまでしょうが、私のこの1泊2日の旅の間、私は結構外にいたのだけれど、
上空を飛行機が飛ぶのを一度も見ませんでした。
いや。そうだ!大阪あたりで、新幹線の中から低く飛ぶ飛行機を一機見たかな。
まあ、ほかのことに気を取られていたからかもしれないけれど、機影を見なくたって、
音くらいは耳に入って来たはずなのですが。

まあ、逆に言えば、私の住む多摩地区のように、米軍機が一日中低く飛んでいるというのも
異常なのです。

ところで、東京など首都圏の上空を日本の飛行機は基本的に飛べないということ
ご存じでいらっしゃいますか?
関西や九州など西日本から羽田に向かう飛行機は、そのまま空港に一直線に着陸せず、
グルッと千葉方面から回り込んで高度を下げる。羽田から西へ向かう場合も、
わざわざ東京湾上を旋回してから向かいます。
原因は『横田空域問題』というものがあるからです。
『横田空域』とは、東京・福生市にある米軍横田基地の上空を中心に広がる空域のこと。
戦後、連合軍が日本の空の管制権を掌握した後、日米地位協定に基づいて
そのまま米軍が管理することになった。現在、米軍管理下の「横田管制」が
空域を管理している。その管制空域は神奈川県や静岡県、北は新潟県まで
1都8県にまたがる。最高高度は2万3000フィート(約7000メートル)もある、
まさに「見えない空の壁」なのだ。』
http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1412158842/l50 (週刊ポスト2014年10月10日号)

ね?びっくりなさいませんか?
東京の上空は、日本のものじゃないのです。
横田空域は、1992年に10%、2008年に20%と、段階的に日本に返還されてはいますが、
日本の飛行機は、緊急時以外は、その階段状に高度が設定された空域を、
迂回するか、北端の最も高い場所では約7000メートルに達するという空域の上を
飛び越えて通るしかないのです。

夕暮れ、いつも、白い航跡を残しきらきら機体を輝かせながら沈みゆく太陽に向かって
高く高く飛んでいくのを、私が『ああ、綺麗だなあ!』と思って見上げているあの飛行機たちは、
そんなふうに一旦東京湾上に出て、千葉の方を迂回してから、横田空域を避けるために
高く高度をあげて、あんな風に美しく飛んでいるのでしょうか…
そうかと思うと、こうやってブログなど部屋で書いていると、曇った日などびっくりするほど
大きな爆音に、なんだろう!と窓から外を見てみると、米軍のあれは輸送機でしょうか、
鈍い銀色というか灰色の少し小さいずんぐりした飛行機が、我が家のすぐ上空を
ゆっくりと飛んでいっているのが本当に近くに見るのです。

ね。
旅をしていると、いろんなことを考えます。
新幹線の中で、『そういえば飛行機見なかったなあ…』と思ったことから話が膨らんでしまいましたが。

旅をしていると、普段はあまり考えないさまざまな自分の偏向にも気づかされます。
私は、反原発の考え方に立って、ブログでもいろいろ書いています。
どうして、原発立地自治体の人々は、福島第一原発のあの事故を目撃していながら、
なおも自分のところの原発の再稼働を望むのか。
自分のところで、またあのような事故が起きないとはだれも保証できない。
福島の二の舞を演じたいのか!
私にはいつも、それが理解できないのです。

…しかし、ローカル線や新幹線でいろんな沿線風景を目にします。
本当にさまざまなところを…
おそらく昭和3,40年代くらいにはぴかぴかに新しく、地域の希望の産業だったに
違いない工場などが、外壁の滲みもそのまま、錆びた鉄骨構造をそのままに、
稼働しているのかうっちゃらかされているのかわからないといった眺めや、
前の写真記事で言ったように、畑中の一本農道を、小さなトラックが一所懸命走っていたりする…
疎林の小山にはさまれた日当たりの悪そうな三角地…。

ひとは、自分がいるそこで、生きていかねばなりません。
生きていくためには働かなければならない。働くところがなければならない。
何か産業を誘致したいと思っても、不景気や土地の条件などさまざまな要因で、
なにもどこも来てくれないという土地もあるでしょう。
原発誘致に走った村や町を、第三者でしかない私が、どうして責めることが出来るでしょう。

それでも。それでも、原発再稼働にも、まして新規に建設など私は今後も強く反対していきます。
いきはしますが、そこに、高いところから理屈を振りかざすようなそんな高飛車な態度は
こうやって知らない土地には知らない人びとの生活があるのだということを実感した
あとではなかなか取れないな、とも思ってしまいます。
畑に冬の日が柔らかく射していたりする。その畦道を一人でとぼとぼ歩いてくる老人。
柿の木がまだ赤い実を残している農家の庭。
セイタカアワダチソウらしき丈高い雑草が枯れて残る空き地に何台も置かれている古いバイク。
人々の生活が、そこにもここにもあります…

原発のようなものを誘致しなくても、日本の末端で暮らす人々までもが
その土地で安心して暮らしていけるような政治を、本当はしなくちゃならないはずなのです。

無論簡単じゃない。でも何とかやっていかなければならないのだと思います。
限界集落がどんどん増えて、街場でさえも商店街の空洞化が進む、この少子化先進国ニッポン。

東京だけが栄えてどうなるのでしょう。
富者にさらに富が集中する…富の偏在をますます進めてどうなるのでしょう。

旅をして感じるのは、また、人々のたくましさです。
どんな隅々にも誰かが住んでいる…
どんな寂しい山峡の道路にも、夕暮れ、なんとまあ2台3台と、ライトをつけて
走っている車がいる!
まあ、いろんな大小取り混ぜての工場のたくさんあること!

日本はまだまだ豊かなんじゃないかい?ともふと思う。

しかし、放っておいてはダメな問題は山ほどあります。
なんとかなるさ、ではすまない問題がこの国には山ほどある。
日本にまだ活気があるうちに、
真面目さとか勤勉とか正確な仕事ぶりとか、そうした日本人の美徳が
まだ政治の劣化によって崩壊しないうちに、
教育や言論といった、いわば国民の批判力形成の二本柱が、一部の政治勢力に
掌握されてしまわないうちに、
この国の体勢を、上からではなく下からの積み上げによって立て直さないといけないんだがなぁ…

…そんなことを、徐々に東京のあの、異常に明るくネオン輝く街に近づいていく
新幹線の中で考えていたのでした。

『2015年の初めに』

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みなさま。
明けましておめでとうございます。

三が日が明けてようやく少し正月ぼけから目覚めた彼岸花です。
三が日はひたすら眠かったです。
おせちは今回写真も撮りませんでしたが、昨年同様、ホテルの洋風のお重を注文し、
それだけでは味気ないので、やはり一応自作のお重も二段ですが並べ。
娘たち夫婦が帰ってきた元日は、東京も朝から小雪。
とても寒かったので、冷たいお重だけではと、温かい料理も用意しました。
今回とても評判がよかったのは、チコリのアンチョビ風味炒めです。
西洋野菜のチコリを、縦に4等分。葉をばらばらにして少量の油でしんなりするまで炒めます。
そこへアンチョビ数切れとニンニク半欠けをそれぞれ細かく刻んだものを加え、お醤油を一たらし。
器に盛ってオリーブオイルをほんの少量回しかける。
たったそれだけの料理ですが、びっくりするほど美味しかったです。

大晦日のごちそうメインはお刺身盛り合わせと、今回、鴨肉スモーク(出来あいのもの)。
スモーク鴨肉はそのまま食べるのではなく、薄くスライスした玉ねぎたっぷりの上に
スライスした鴨肉とアボカドと交互に綺麗に盛りつけ、その上から大根おろしとポン酢しょうゆを
混ぜ合わせたたれをたっぷりかけて食べるというもの。(大根おろしは軽く水気をしぼって)
これは娘たちから教えてもらったのですが、めっぽう美味しかったです。

ゆでた里芋のグラタンというのもやってみました。
柔らかくゆでた里芋を6,7ミリ厚さに輪切り。買ってあったけれど使っていなかった
トリュフ風味のお塩で味付け。牛乳を少量まぶしかけてグラタン皿へ。溶けるチーズを
たっぷり載せてオーブンでチーズがとろけてこんがり焼き目がつくまで焼きます。
里芋は、じゃがいものグラタンとはまた違ったねっとりした食感で、これもまた
なかなか美味しかったです。トリュフのお塩などでなくても、これも、刻んだアンチョビ入れても
美味しかったんじゃないかなあ。
どれもそう高価でない食材ばかりでしたが、とても美味しかったです。
二日三日は、誰も我が家では食べてくれない黒豆や伊達巻(洋風おせちでも入っている)、
きんとんなど残りものを、私がひとりでおやつ代わりに寂しくつつき続けて(笑)。
三日はさすがにおせちも食べつくし飽きたので、ごちそうの残りもののスモークサーモンや
こはだやいくらを使って、ちらし寿司にしました。

賀状は、この松のパターンと鶴のパターンと2通り作りました。
これは、昔、骨董市で見つけた古い木綿の布の端切れをスキャナーで取り込んだものです。
何に使った布なのか、こういう松と、飛び交う鶴と、日の出などが大胆に描かれています。
幅20センチ、長さ80センチほどのもの。
羽織の裏地にするには滑りが悪すぎるし、柄ゆきの向きも合わないし。
でも、この松の画像を見てもわかりますが、なかなか描写力に富んだ勢いある筆遣い。
ぽさぽさした木綿地に描くのって難しいと思うのですけれど。
鶴なども巧いのです。
立派な絹などではない、粗末な木綿地に手描きしたものですしね~。なんに使ったものでしょうか…

名もない職人さんが描いたものでしょうが、何か気になります。
その人の人生を想うから…



スキャン0004


さて。2015年はどういう年になるのでしょうか。
政治をしっかり見つめていかないといけないだろうと思います。

どうぞ本年もよろしく。



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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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