『花』

お散歩行くよ!


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4月4日。都心より一週間ほども遅れてようやく満開になった、うちの近くの川べりの
桜並木。
本数は数えたことないけれど、およそ2キロほどにわたって、途中で時折り途切れつつも
両岸に桜の並木が続く。




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これは桜、じゃなさそうだな…花桃みたいな枝ぶりだけれど、白で一重咲き…
スモモかな?
う~…わからない





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枝垂れ桜。




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ボケの花。次のも。



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椿がまだ咲いてます。




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山吹。




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ほんとに雪のように咲く雪柳。




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連翹。



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私の裏の川べりはこんなところよ。
いいところでしょ。
左側に咲くのは花桃たち。





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おうおう。見事でしょ。



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さっきの花桃たちの先は橋になっていて、橋の上から見た眺めはこんなよ。


桜、たくさんお見せします…



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そうそう。やっぱり桜は、こんなふうに泡のように咲いてなくっちゃ。






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ここは、おねぃちゃんがなぜか好きなジャノヒゲ(リュウノヒゲ)の茂みのあるところよ。
これももしかすると、ジャノヒゲでなく、ノシラン(熨斗蘭)という子かも。
この茂みは、ときどきブログにも登場。
夏には、青年の髪のようになって、手を挿し入れてかきまわしたくなる…





もっともっといろんな花があったのだけれど、歩き疲れて眠くなっちゃったわ…。

花を満喫できたかしら?







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『キャンドル・ナイト 49』

夜ノ森。
『よのもり』と読む。
夜ノ森(よのもり)とは、福島県浜通りの中部、富岡町と大熊町の境に位置する
森林地帯である。
『夜ノ森』という、字面だけからすると何やら寂しげなこの地名は、そこが北の「相馬氏」と、
南の「岩城氏」が領有権を争った境界に位置し、それぞれが領有を主張し『余(=我)の森』
と言ったという歴史上の言い伝えに由来したものだという。
4年前の3月、福島第一原発事故が起きたことにより、原発から約7キロほどに位置する
夜ノ森一帯は、警戒区域となり、立ち入りが出来なくなってしまった。
富岡町夜の森公園は桜の名所として有名だった。
ここの桜の歴史は、戊辰戦争後の1900年、旧中村藩士の息子である半谷清寿が、
農村開発の着手を期して桜の木を植えたことに始まった。樹齢100年を超えた
ソメイヨシノを含め、約1500本の桜並木が2,2キロにわたって見事な長い桜のトンネルを形成している。
2013年3月の避難区域再編により南側の300メートルのみが日中立ち入り可能と
なって、今は一部で桜を観賞することも可能となってはいるが、大半はまだ
高線量の帰還困難区域である。
桜並木はバリケードで南北に分断されており、3.11後も桜は毎年見事に咲くが、
かつてそれを愛でていた住民たちは、あちこちに避難生活を余儀なくされて、
桜を見に訪れる人はほぼいない……家々は昔のまま、そこにあるのに
元気に遊ぶ子供たちの声はなく、ヒヨドリやうぐいすなどの鳴き声だけがする街…

30分近い映像だけれど、一緒に歩いてみてください。
桜の美しさと人気のない街がそれほど長く続くという、その対比に、理不尽への怒りと
深い悲しみが徐々にこみ上げてきます…





訪れる人もなくひそかに咲く1500本もの桜…
ただでさえこの世ならず美しい夜の桜は、人っ子ひとりいない夜ノ森で、どれほど
臈長けて美しくも寂しく、これから長い月日をひそかに咲いて行くのだろう…

国は、この地点を重点的に除染していくと言っているらしいが。





                     ***


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今夜も、静かに小さなろうそくを灯す。
今日の器は、桜色のリキュールグラスだ。

ひとが皆、桜を愛でる春。
屈託を表に出せず、ただぐっと飲み込む被災地の方々…

この上なく美しい夜ノ森の桜並木から住民を立ち去らせたのは誰だ!!!

 









                       
心ひとつに キャンドルナイト







南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。












『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ④ 』


さて。記事を終わらせないと。

前回は、人間が、時代の空気や動きにいわば過剰に反応して、
④何かに遠慮して…何かを斟酌・忖度して、自ら黙り込む、という状態。
について書いてみた。
次に来るのは、
⑤なんらかの圧力を感じて、黙らざるを得ない、という状態。
⑥強烈な外力によって沈黙させられる、という状態。

である。
私が本当に書きたかったのは、実はここ以下のことである。

④と⑤がどう違うと私が考えているか、というと、④の場合は、特段何らかの
強制や脅迫を受けているというのではないにもかかわらず、 人が自ら、何かに遠慮し、
勝手に忖度または斟酌するという状態であり、⑤は、何らかの外圧が明らかに
どこかから加わって、人が黙り込んでしまうという状態である。
⑥になると。これはもうあからさまな脅迫や拷問などによって言論の自由、いや
生命の安全そのものまでもが奪われてしまっている状態である。

その前に、前回、『忖度』と『斟酌』という言葉が、日本では同じように『他人の心をおしはかること』
という意味で用いられることが多いが、その二つの言葉に違いはないのだろうか、
詳しい方、教えてください、と記事の中で書いておいた。
そうしたら、早速、玄少子さんが、もともとの中国語の意味から、その違いを明確に教えてくださった。
『斟酌』という言葉は、
『そもそも手酌をする,に近い意味です,手酌をしながらですから自分で杯に何度も酌みながら
一人で考える,ということです』

つまり、『斟酌』は、ひとが独酌でひとりものを考えこむという意味なので、他人の気持ちを
推し量る、という意味合いはもともとはないのだということ。
ところが日本では、『斟酌』には『忖度』と微妙な区別があって、ただ他人の気持ちを推し量るだけでなく、
そこに何らかの手心を加えるという意味で使われることがあるように思う。
中国から日本に漢字が伝わってきてから国内で長く使われて行く過程で、その意味が
変質して行って、もともとの言葉と違った意味合いを持つようになっていることが多いそうだ。
玄少子さん、明快なお答え、ありがとうございました。

さて。話を元に戻して。
今。人が何らかの圧力を感じてあるいはもっと強く何らかの圧力を明らかに受けて、
黙らざるを得なくなる、ということが、この日本にも、また世界にも多くなっていっているような
気がしてならない。


もう、シャルリー・エブドのこともはるかに昔のことになってしまったような感があるが、
この記事をそこから書き始めたのであるので、再び、1月29日付朝日新聞論壇時評欄の
高橋源一郎氏の記事の引用に戻ろう。

高橋氏は、フランスを代表する知の人とも言われる、エマニュエル・トッドの言葉を引用する。
「預言者ムハンマド」の風刺画を出した週刊紙「シャルリー・エブド」編集部が襲撃され、
十数人が亡くなった。「表現の自由」が侵害されたとしてフランス中が愛国の感情に沸き立つ中で、
 「私も言論の自由が民主主義の柱だと考える。だが、ムハンマドやイエスを
愚弄し続ける『シャルリー・エブド』のあり方は、不信の時代では、有効ではないと思う。
移民の若者がかろうじて手にしたささやかなものに唾(つば)を吐きかけるような行為だ。
ところがフランスは今、『私はシャルリーだ』と名乗り、犠牲者たちと共にある。
私は感情に流されて、理性を失いたくない。今、フランスで発言すれば、『テロリストにくみする』
と受けとめられ、袋だたきに遭うだろう。だからフランスでは取材に応じていない。独りぼっちの気分だ」


また、高橋氏は、「二十世紀のもっとも偉大な風刺漫画家」ともいうべきアメリカ人ロバート・クラムの
インタビューの言葉も引用する。
『クラムは、ことばを慎重に選びながら、「表現の自由」を守れと熱狂するフランスへの
静かな違和を語った。
「9・11の同時多発テロの時と同じだ。国の安全保障が最優先され、それに反するものは
押しつぶされるのだ」 』


無論。無論、『イスラム国』やボコ・ハラムなどのような過激暴力集団の殺戮などの蕃行は許せない。
そこには、『生きるもの』への本質的破壊衝動、生存への侮辱、というような大きな大きな
こころの闇がある。
湯川さん、後藤さん達に対する『イスラム国』の凶行が許しがたいものであるのは無論のこと、
彼等はまた、キリスト教徒やシーア派少数民族シャバク人およびトルクメン人など
他の宗教的および民族的少数派に属する一般市民を拘禁。とりわけクルド系宗教的少数民族
ヤジーディ教徒の人々に対する迫害は、強制的な改宗や結婚、ひどい性暴力や人身売買、
奴隷化にまで及ぶ。
『HUMAN RIGHTS WATCHの報告』
他の宗派に対するだけでなく、『イスラム国』は自分たちの支配地域の人々をもまた、
見せしめのための公開処刑を日常的に行うなど恐怖によって支配しようとしている。
シャルリー・エブド襲撃実行犯たちが軍事訓練を受けていたとされるアラビア半島のアルカイダ(AQAP)、
いくつもの爆破テロや襲撃事件を起こして数え切れない死者を出し、またボルノ州の
学生寮を襲撃し女子生徒240人を拉致しているナイジェリアのボコ・ハラムなど、
今、世界には多くの過激武装集団が生まれてきている。
私は、それらの凶行を許すものでは無論ない。
しかしながら、これらを単純に悪のテロリスト集団と決めつけ、それらを壊滅することが
すなわち『義』、という単純な見方にどうしてもなれないでいる。
テロリストたちを生みだしてきた…これからもおそらく生みだすだろう背景というものを
徹底的に考えなければ…何が正しくて何が悪いと単純に割り切れない…そんな簡単な
ことではないと思うからだ。

湯川さん、後藤さんのことやシャルリー・エブド等の襲撃事件については、また
別の記事として書かねばどうしても書ききれないことが起きてしまうだろうので、
ここでは、「人が沈黙してしまう時』というテーマに絞って話を続けていきたい。

『私はシャルリー』というプラカードを掲げ、あの共和国広場などに集まった人びとのその数の多さ。
フランス全土で370万人、パリだけでも150万人とも言う。それはフランスだけでなく
世界で同時多発的に起こった、死者への悼みと『言論・表現の自由の侵害』への怒りと悲しみの表明であった。
13日にはフランスの国民議会で、議員達がフランス国家ラ・マルセイエーズを斉唱。実に実に
国民議会で議員や閣僚が国歌を斉唱したのは、1918年11月の第1次大戦終結以来初めてという。
1月11日の大規模行進にはしかし、単純に上記のような、人間の自然な感情としての
死者への悼みと『言論・表現の自由の侵害』への怒りと悲しみの表明だけから起こったものと
言いきれないような、生臭い政治の現実というものもある。

『私はシャルリー』というあの標語は、もともとジョアサン・ロンサンというフランス人の
ジャーナリストのTwitterへの投稿がきっかけであるという。彼は「Je suis Charlie」と書かれた
画像を制作し、テロ攻撃があった1月7日、事件の約1時間後にTwitter上に投稿した。
それが瞬く間にネットを通じて世界に広がって行ったものである。
しかし、『私はシャルリー』という標語をシンボルにした動きは、そういう民衆の自発的レベル
にとどまらない。
フランスのオランド大統領は7日その日、テレビ演説で「フランス全体に対するテロ攻撃であり、
表現の自由と民主主義が標的となった」と述べ、1月8日を犠牲者追悼の日として
国民に黙とうを捧げるよう呼びかけた。
1月11日には、オランド大統領の提唱により、「自由擁護」、「反テロ団結」の大行進が
フランス各地で行われ、参加者は全国で370万人を超えて史上最高となったのである。
行進には、キャメロン英首相やドイツのメルケル首相ら欧州主要国を中心とする40人超の
各国首脳も参加して、対テロ結束を訴えた。そこには、あのパレスチナ自治区ガザへの
激しい攻撃をしたイスラエルのネタニヤフ首相も参加。オランドは、バランスを取るためか、
パレスチナ自治政府のアッバス議長にも電話をかけて、参加を呼びかけたという。
もともと11日の集会は、フランス左派政党が、『テロへの市民的な抗議』として計画した
ものだという。しかしそこにオランド首相が共和国大統領として参加。EUやアフリカの
首脳なども参加することになって、『市民集会』は、国家的行事のような性格を帯びていくのだ。
オランドの支持率は一時的にではあったか急上昇。

もちろん、『思想・表現の自由』というものが、どれほど大事なものであることか!
このシリーズのテーマ自体が、その『思想・表現の自由』が、何者かによって侵害され
或いはただその侵害を予感するだけのことででも委縮してしまう…つまり人間が
何かの権力や圧力を『忖度する』だけでも、人間は沈黙に陥り、思想・表現の自由が
浸食されて行くことへの不安と警告なのだから、私が『思想・表現の自由』を大事に
思わないわけがない!
人類が『思想の自由』『表現の自由』という権利の根本概念に辿りつくまでに、どれほど
多くの人が血と涙と汗を流して来たことか!…
この、人間が労苦の果てに獲得した権利は、どのようなことがあろうと守っていかねばならないものである。



フランスもまた、18世紀の市民革命や、第二次世界大戦時のドイツ、ナチスとの戦いなどで
幾多の言論や行動の圧迫から自由を獲得するために、多くの血を流してきた…
自由を侵害するものへの怒りは、いわば彼等の体に沁みついた本能の域にまで
達しているように思われる…

そのフランスの民衆の自由獲得への戦いの歴史に敬意を抱き、国民の死者を悼む想いに
心から寄り添いつつも、なにかどこかに違和感を感じて、私はシャルリー・エブドに
関する記事を書けないでいた。自分の理解がまだ浅いぞと思うと同時に、あの150万とも
言われるパリでのデモの半分くらいは、『私はムスリム』とはまさか書けないが、
『言論表現の自由とは何だ?!』と小さな声で呟きつつ、過激派暴力集団による
『存在そのものへの攻撃』に悲しみながらうつむいて歩く人がいたのではという気がしてしまうのだ。



エマニュエル・トッドやロバート・クラムに、『ひとりぼっちの気分だ』と言わせ、
静かな違和感を感じさせたもの…

エマニュエル・トッドは、2月19日付朝日新聞インタビューの中でも、再び、この、
『私はシャルリー』=『私はフランス人』の構図について語り、

『事件後の私たちは、酔っ払いが馬鹿を言っただけで捕まり、8歳か9歳の子が
(学校での「テロ称賛」発言の疑いで)警察に呼ばれる国に暮らしています。』
 
――何か脅しのようなものが?
『ありませんが、例えば仲間内のおしゃべりで私がシャルリーを批判する権利に触れたとします。
社会的弱者が頼る宗教を風刺するのは品がないぜと。すると相手は『君は表現の自由に
賛成じゃないのか、本当のフランス人じゃないな』と決めつけるわけです。
上流の知識層でリベラルな人々が、あの大行進に参加した人々がです。
『私はシャルリー』が『私はフランス人』と同義になっている。私はシャルリーじゃない、つまり
宗教上の少数派を保護し、尊重しなければと言ったとたん、本物のフランス人ではないと……』


『今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。
今風のやり方は、山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを
押しつぶし、世論の主導権を握ることです』


と、社会が一色の色に染められていくことへの違和感と危機感を述べている。

つまり、『私はシャルリー』と言わなければ、「おまえはテロリストに与するのか」と
決めつけられてしまう、言論の単純化とそれによる言論の偏在や委縮
警鐘を鳴らしているのである。

あの『個人主義の権化のような国にして』(同記事。冨永格特別編集委員)、
『フランスを代表する知の一人、エマニュエル・トッド』をもってこのように言わせてしまうもの…


それは日本においてもまったく同様の状況であるように私には思われる。
いや、フランスのような『個人主義の権化のような国』(上記引用)ではない、他人との協調を
尊ぶ日本においてはなおのこと。
この朝日の『論壇時評』の同じページには、森達也氏の、『「対テロ」多様な視点示せ』
という記事も載っていた。が、

『世界中が対テロで一体化しつつある現在だからこそ、メディアは多様な視点を
提供しなければならない』と結論部で書いたそのすぐ後の文の最後に、
『たとえ売国や国賊と呼ばれても』
などという、えっ!?と思うような、無用に思える一言をつけ加えていた…
この普段、切れ味鋭い人もまた!

今、ネットの世界でも、この躊躇いがあちこちに見られる。
勇ましく政権批判をこれまで書いてきた人々の中にも、この、森達也氏と同じような、
『たとえ売国や国賊と呼ばれても。』というような言い訳とも自戒とも弱々しい抵抗とも
思えるような言葉を、最後の最後に付け加える人が散見されるのである。

それは、この国で、これまでにない…少なくとも敗戦後は…なりを潜めておいた
『売国』とか『国賊』とかいうおぞましい攻撃の言葉が、安倍政権の復活と共に再び巷に徘徊し始め、
それが力を増して行っていることへの反応であろうと思う。


批判的な言論が、同調圧力の中で弱って行っている…!
この国に必要以上な『忖度』がなぜか溢れかえってしまっている……


このシリーズの冒頭に掲げたが、湯川さん、後藤さんの『イスラム国』による殺害への
深い悲しみと怒りと嘆きといった、国民の多くが抱いたであろう人間として自然の感情は、
『湯川さん後藤さんを救出しようと努力していた(そうなのか?)政府を批判すること』イコール
『テロリストに与すること』という議論に、あっという間に単純化されてしまった。
『政府に批判的であること』=『湯川さん後藤さんの救出の願いの気持ちの薄い人間』
(あえて言えば売国)=『テロリストの味方』であり、
『政府とその擁護者』=『湯川さん後藤さん救出に必死の義の人』
というおかしな図式がみるみるうちに世を覆って行ったのである……。

『政府批判者』であって『湯川さん後藤さんの無事を必死に願う人々』というのだって
当然いるだろうし、
『政府支持』であって、『二人の命より実はもっとほかのことに気が向いている』という
人々だっているだろうし、他の構造だっていっぱい、それこそ個々人の数と同じくらい
さまざまな考えかたや立場はあったろうに。
その単純化を先導したものは、無論政治やマスコミででもあろうが、一般の国民もまた、
お二人の拘束~死という悲劇への驚きと悲しみと怒りの中で興奮熱狂し、そういう
単純化でもって他人を分別し、なんとなくの仲間を作って行くことで『わけのわからない悲劇』を
単純化しとりあえず安心する、という心理状態に陥ってはいなかったろうか、と
私は思うのだ……。

私自身もまたその一員であったわけであるが…。

フランスにおいては、『表現の自由』を攻撃するものから『表現の自由を守る』という
本来まっとうな想いであったものが、いつのまにか、逆に表現やその他の自由を自粛する、
縛る、制限するなどという、まったくおかしな本末転倒に至り始めている。

エマニュエル・トッドの言葉を再度借りれば、

『今日の社会で表現の自由を妨げるのは、昔ながらの検閲ではありません。今風のやり方は、
山ほどの言説によって真実や反対意見、隅っこで語られていることを押しつぶし、
世論の主導権を握ることです』


世論が誘導によって、あるいは自らの熱狂によって、一色に染まっていってしまい、
それ以外の言論ができにくくなっていってしまう社会…
冷静に判断すれば極めておかしな言説でも、それが熱狂や偏執的持続性をもって
語り続けられれば、いつのまにか『当たり前』となっていってしまうという人間心理…
本来の善意が、いつのまにか狭量と排除に変質していき、

『移民と宗教的なマイノリティーに対する侮蔑が、いつのまにか男女平等や言論の自由といった
普遍的価値を守るという大義にすり替え』
(*)られていくという、おかしなことが
まかり通っていってしまう社会…
  (*)オンライン雑誌編集者ヤッシャ・ムンクの言葉。ニューズウイーク1月20日号。
    朝日新聞1月29日号オピニオン欄に転載。


シャルリー・エブド襲撃事件等へのフランスの反応にも、
湯川さん後藤さん救出を願う純粋な気持が、『政権批判』=『テロリストに
与する者』、という一種の踏み絵にみるみる変質していった
今の日本の反応にも、
『本来の善意が、いつのまにか狭量と排除に変質していく』おかしな逆転
が、まさに起こって来たと言えるのではあるまいか。


それは、福島第一原発事故に関して『食べて応援』という一大キャンペーンに対し、
『それは一見美しい人間の心情からでた真心溢れる行為に見える
かもしれないが、それは薄い被爆を全国に広め、ひいては東電や政府の責任を
曖昧にしてしまうことに繋がりはしないか?…』
という私の違和感と抵抗感と同質のものである。


『表現・内心の自由』や『同胞の救出を願う』という
本来人間として尊い価値観や心情は、なにかと秤にかけられたり、
誰か特定の集団にとっての錦の御旗や踏み絵のようなもの
として使われてはいけないものなのではないかと私は考える。





…今度のシャルリー・エブド襲撃から、湯川さん後藤さんたちの拘束そうして悲劇の結末に至る
ISILなどの過激戦闘集団の問題は、2重3重4重に原因と結果の糸が絡み合い
錯綜して、どこかでつながったり切れたりしていて、理解が難しい。
難しいゆえに、ひとは私自身が陥っていたように、思考停止や議論の単純化に走りやすい。
あるいは、熱狂的興奮やその真逆のさみしい沈黙に…。


ひとが熱狂状態にあるときには、攻撃的になり、言葉も思考も先鋭化していってしまいがちである。
そういうときには、些細な違いもいらつきの対象となり、ともすれば言わでもがなのことを言ってしまい、
分断化がさらに進むとか、逆に熱狂だけでつながった集団を形成してそれと異なるものを
排除攻撃したり、というようなことも起こりがちである。

しかし、熱狂の冷めかかった今こそ、そういった熱狂、沈黙そのどちらの思考停止状態からも
私達は出でて、この世の中の様々な不条理を少しずつでも軽減化し無くしていく議論をしなければ
ならないのではないだろうか。

七つ目。『ひとが、もうだめだ!何を言っても無駄だ!とあきらめてしまったとき』
という状態になってはならないのである。

…実は、私自身がこういう心理状態にこの頃なりかかっている……
それゆえ、これは、私自身に向けて書いた記事でもある。

実は『黙っている場合じゃない!』のである。
戦中、心ある者はたくさんいたであろうに、一から六までのさまざまな経過を経て、
『翼賛体制』という強烈苛烈な全面圧力・言論封鎖の中でついにあきらめて黙り込んで
しまったように、私たちはまた、沈黙してしまってはいけない。

何か悲劇が起きたとき、動揺して自粛したり、或いは何も起こらないうちから権力の影に怯えて
忖度したり私たちはしがちである…
前記、森達也氏の同じ1月29日の朝日新聞オピニオン欄『明日を探る』の中の記述を
借りれば、
『動機がわからないからこそ強く喚起された不安と恐怖によって、集団化が加速した。
絆と連帯を求める集団は内部に異物を探し、外部には敵を求める。同調圧力が強くなり、
忖度や自粛が前面に表れる』

しかし、そこでそれらをそのままにしておいてはまずいのではないだろうか。
それではいけない。

最後に、残しておいた結論…というほどの練り上げられたものではないけれども、
再びスーザン・ソンタグの、2001年エルサレム賞受賞のスピーチから引用しよう。
それは三つめ。
『知識はあっても、その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
安易には語れないという状態』
と私が書いた状態への、いや、『大きな不幸の前にひとが沈黙してしまうこと』…への
ひとつの啓示が、このソンタグの言葉の中にあるように思えたから。
これは、ソンタグが作家としてエルサレム賞を受け取る際にしたスピーチであるから、
ここには作家としての態度が書かれているけれど、この立派なスピーチを、私用に
ぐうっと規模と品格を縮めて引用させていただければ()、これを、今のような
日本における、私という人間の程度のブログの態度としても、また、生きていく上での態度としても
見習わせてもらえるだろうかなと思って引用するのである。
ソンタグの以下の文の『作家』や『文学』という言葉を、私程度のものの発言という
レベルにちょっとぐうっと引き下げて読ませてもらえば、
もっと私の言いたいことが伝わるかもしれない。

『作家の最初の仕事は、自分の意見をもつことではなく、真理を語ること、そして
虚偽や誤解の共犯になることを拒むことです。
文学というものは単純化を求める声に抗して、ニュアンスや
矛盾する事柄を表現すること
です。

文学とは、二五〇〇年の長きにわたって行われてきた偉大な営み
であり、文学には叡智がそなわっているのだとすれば(わたしは
そのことを信じていますし、そこにこそ文学の重要性があると考える者です
が)、

文学はわたしたちのプライベートな運命や共同体としての多数性と矛盾を示すこと
によって、こうした偉大な営みとなるのです。
文学は、わたしたちがもっとも大切に考える価値の間にも、対立があること、
そして時には解きがたい解決があることを思い出させてくれます(これが悲劇の意味する
ところです
)。文学はわたしたちに「なにか別のこと」を思い出させてくれるのです。』

『作家はわたしたちを揺るがし、自由に立ち上がらせるべきなので
す。共感と新しい関心を大きな〈街路〉を開くべきなのです。わたしたちが現在
とは違った人間に、もっともまし人間になる可能性があるかもしれないことを思
い出させるべきなのです。』

文学の叡智とは、たんなる意見をもつこととは正反対のことです。』

ここまでは、高橋源一郎氏が、引用した趣旨と同じであろうか…
だが、ソンタグのスピーチは、作家の態度ということにもう少し踏み込んで行く…


作家は自分の意見や判断を作り上げることは重大な責任を伴う
ものだということを肝に銘ずるべきでしょう。


そう自分自身に自省的に問いかけながらも、実はソンタグは、このスピーチではっきり
自分の意見を言う。

『エルサレム賞(正式名称『社会の中の個人の自由のためのエルサレム賞』)は、
エルサレム国際ブックフェアにて表彰される文学賞である。
受賞者の選考は、エルサレム賞選考委員会によって行われ、委員は、イスラエルの
エルサレム地区エルサレム市の市長により任命される。
(バートランド・ラッセル、アンドレ・シュヴァルツ=バルト、ホルヘ・ルイス・ボルヘス、
ウジェーヌ・イヨネスコ、シモーヌ・ド・ボーヴォワール、グレアム・グリーン
ミラン・クンデラ、マリオ・バルガス・リョサ、アーサー・ミラー、など錚々たる作家が
過去に受賞している。村上春樹も2009年に受賞。その演説も記憶に新しい。)

『平和が必要です。譲歩と新しい取決めが必要です。ステレオタイプをやめること
が必要です。対話を続けることが必要です。』
わたしは集団的な責任に基づいて集団的な処罰を加えるという理論は、軍事的に
も倫理的にも根拠がないと考えています。
市民の生活の場の近くで行われたもの
かどうかを問わず、敵対的な軍事行動への処罰として、市民にバランスを失した
砲撃を加えること、市民の住宅を破壊し、果樹園を破壊すること、市民の生計の
もとを奪い、職場、学校、コミュニティに赴けなくすることは、軍事的にも倫理
的にも根拠がないと考えるのです。』
『そして〈領土〉にイスラエル人の入植地をつくることをやめて、入植地を解体し
ないかぎり、この地に平和が訪れることはないと思います。
このホールにおられ
る多くの聴衆の方々に、この二つの意見に同意していただきたいと思うのです。』




思うところ多すぎて、考えていることの半分も書けていない。
後藤さん・湯川さんのこと…、シャルリー・エブドと言論の自由について…、
世界はどういう方向を模索していけばいいのか…、
今回は、『世界を覆う同調圧力と沈黙の空気』というようなことに的を絞って書いてみたけれど、
次は絡まった糸を、出来るだけ隅っこからでも解きほぐしながら、思うところを
順番に書いていってみたいと思う。

キーセンテンスは、『ハルナさんはあなた、ではないだろうか?』ということである……


『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ③』 

さて。ここからがこの記事の本題だ。

④『何かに遠慮して…何かを斟酌・忖度して、自ら黙り込む、という状態』

シャルリー・エブド襲撃の悲劇に明けた2015年。湯川さん、後藤さんの『イスラム国』
による拘束・殺害という、無慚ともなんとも言いようのない事件に、私たち日本人の多くが
言葉を飲みこんでしまった……
過激派テロ集団によって、彼等の命が身代金交渉や政治的取引の道具にされ、
その命の期限が刻々と迫っていくのを、息を詰めるようにして見守っていたあの日々…
『①事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態。』
に挙げたごとく、人々が言葉を飲みこみ、沈黙してしまうのは、自然の人間の情だろうと思う。
その人の身に起きたことをわが身に起きたことのように思い、利害損得を超えて深く共に悲しむ
いわば『惻隠の情』とも言うべき心性は、人間がおのずから持っているものと思う。
そう信ずる。

しかし…。
その、圧倒的悲劇を前にしておのずと黙り込んでしまう、という人間の自然の情から
ではなく、それが、他者への遠慮から、あるいは何かを恐れて自らの保身のこころから
自ら黙り込んでしまうとなると、それは問題だ。
湯川さん、後藤さんの生死がかかっていた最中とその後も今に至るまで…、日本に溢れかえった
無用な『忖度』の空気と、『沈黙』を強いる同調圧力の激しさはいったい何なのであろうか。

湯川さん後藤さんの救出が急がれている間…その命が政府の返事一つにかかっていた頃…
今対応に奔走している政権の足を引っ張るような批判は一時やめておこう、という空気が
政界をもマスコミをも、また言論空間をも過剰に覆っていたことは記憶に新しいだろう。

他人のことは言えない。
かく言う私自身もまた、何かに遠慮して、何かを慮って、政権批判を抑えていたからである。
それを正直に認めるのはすごく自分でも恥なのだが、私もまた、多くの言論機関と
同じように、『今は、政権批判は控えておこう…』と考えたからなのである。
私の安倍政権嫌いは徹底している。そのことはみなさんもご承知の通り。
後藤さん、湯川さんのことでの対応についても、どれほど言いたいことがあったか!
だが、今言っても仕方がない…批判はあとででもできる…という、よけいな忖度というか…
斟酌もしてしまったのである。
それは、東日本大震災の時に、津波で家族や家を失って恐怖と悲嘆の頂点にいる人々…
いつ原発の原子炉が壊滅的メルトダウンに至るか(当時はまだ)わからなかった
地震と津波と原発事故による被曝と3重の恐怖の中にいた人々…
そうしてそのようなあり得ない想像もし得なかった二重の大災害の対応にてんてこ舞いしていた
民主党政権に…斟酌したのと同じと言っていいかもしれない。
あのときも私は、2週間近く、書きたいことも書けないでいた…東電や、原発導入・推進した人々に
どれほど怒りを滾らせていたか知れなかったのだが。

『斟酌(しんしゃく)』と、意識せず書いたが、『忖度』と『斟酌』はどう違うのだろうか。
『忖度』『斟酌』を、中国語辞書『漢典』などでひいてみると、『忖度』は要するに程度を推し量る、
というのに対し、『斟酌』は『反复考虑以后决定取舍』などとあるから、何度も考慮した後、
決定して取捨するということ。つまり相手の考えを推し量る『忖度』よりも、
『斟酌』は相手の考えを推測してそこに何らかの手心を加える、というような行動を伴う
より強い意味が出てくるだろうか。(詳しい方、教えてください。)

要するに私もまた、政府に後藤・湯川さん救出に全力を注いでほしいがゆえに、
政権批判、とりわけ、安倍氏がカイロで『ISILと闘う周辺各国に、総額で2億ドル程度、
支援をお約束します』と演説したことが、湯川・後藤さんの2億ドルの身代金要求のきっかけと
口実を『イスラム国』に与えてしまったのではないか、という批判の言葉をも、あの時
ぐっと飲み込んでしまっていたのである。
そして今一つ。
言い訳めいて聞こえるかもしれないが、例えこのような無名のブログであろうと、
どこからふと何気なく拡散していくかわからないネットの世界の中で、余計なことを言って、
後藤さん、湯川さんの救出の邪魔をしてはいけない、という想いがあったということもある。
ISILのように、ネットを使いこなして自分にいいように利用する勢力は、どの情報から
次の標的を決めるかわからない。
私が、この混迷した世界にあって、途上国支援の一つのありようとして中村哲さんの
活動を紹介しつつも、彼の動画がもしもそんな標的選びに利用されてはいいけないからと
途中からURLだけの表示にしたのも、そういうことを気遣ってのことである…

私ごとき小さな声はどこにも聞こえはすまい。
それなのに、私ごとき小さな者もまた、そういう余計な忖度や斟酌をしてしまったのである。
ああ…なんという無用の忖度や斟酌が、この世界に必要となってしまったことだろう!

政界においては野党がこぞって…、維新や民主党は無論、共産党…なんとあの共産党までが
政権批判を一時手控えていた。
自分の党の若手議員が過激な政権批判をしたことを党幹部がたしなめるなど。
新聞、テレビなどの論調も、こぞって抑制的であったように思う……。

誰がそうしろと言ったわけでもないのに、何かの、誰かの意を汲んで・・・
まあ、その、何か・誰か、というのは時の権力の志向するところ、というくらいの曖昧なものに
すぎない、そのくらいの段階でさえ、人が(時に団体が)その『あるもの』の意を汲んで
発言や行動を差し控えたりする…つまり忖度や斟酌をすることが、この国にはなんと
多いことだろう。
それは何も、湯川さん・後藤さんの件に限らず、そのずっとずっと前から、日本に顕著な
心性傾向なのではあるまいか。
『同調圧力』というものがかかる以前から、何かを忖度して発言や行動を差し控えるのである。
どこの公民館、とは言わないが、「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」、という程度の俳句が
特定の思想を帯びているからと言って、その句が句会の皆の互選によって選ばれたもので
あったにもかかわらず月報への掲載を拒否する…
これまたどこの市とは言わないが、平和集会の後援申請を市が拒否したり、
どこの大学とは言わないが、平和と原発をテーマにした集会の会場利用を大学が拒否したり
というようなことが日本のあちこちで起こっているようだ。
また、自分自身の深い反省をこめて再度書くのだが、人とつるむのが嫌いで、
同調圧力というものが大嫌いで、時代の空気など読みたくもないこの私もまた、
時に何かを忖度してしまう…
それはなにも大きな政治的なことばかりではなく、単純に、ブログ上で特定・不特定の人を
傷つけまいとして、あちらにもこちらにも気を遣って書く、などというのも、
軽度な『忖度』や『斟酌』と言えよう。
そんな自分の性癖がとてもいやに思えて、その自分への嫌悪感から筆を止めてしまう、
などということも私にはある。

さて。
誰から強制されたわけでもないのに、人または集団が、この過剰な『忖度』『斟酌』
『自己規制』をすることが、言論や批評や政治の世界で行われていくと、社会は
どうなっていくのだろう…。
3.11後の、とりわけ福島第一原発事故に関してのマスコミ報道の遠慮自粛ぶりや、
憲法を閣議決定などというものによっていくらでも拡大解釈してなし崩しにしようとし
いずれ自分たち報道や議会の自由を奪うものになるであろう秘密保護法を通してしまった
報道・野党の安倍政権への真っ当な批判もできない弱腰ぶりや、
昨年の朝日新聞バッシング騒ぎにおいて、そのような叩き方はいずれ自分たちの
首を絞めるものになるかもしれないのに、朝日を弁護するもののほとんど皆無だった
報道各社の沈黙と知らん顔ぶりは、『忖度』『斟酌』『自己規制』であったのか、
権力への明らかな追従か?
それとも何らかの圧力がかかっていたのか?

⑤なんらかの圧力を感じて、黙らざるを得ない、という状態。
⑥強烈な外力によって沈黙させられる、という状態。


に続けて書いていこう。







『『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ②』

何か重大な悲劇が起きたとき…人は沈黙してしまいがちである…
私もまた、口を開く気になれないでいた…
おそらく、湯川・後藤さんの拘束、死のニュースの前で、多くの人がそのような想いを抱かれて、
深い憂いの底に沈んでおられたのではなかったろうか。

人が沈黙してしまう時…
そこには大きく言って次のような、7つほどの場合があるように思う。
本当はこれらの他に人が黙っている場合として、『そもそも興味が全然ない』
或いはまた『自分がその事件や問題そのものをある意味で肯定したり利用したりする側
にいるので口を噤んでいる』という状態もあるだろうが、これらはここでは除外する。


事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態である。
語りたいのだが、その事態について充分な知識がないために語れない、という状態。
知識はあっても、その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
  安易には語れないと、自ら判断した状態である。

何かに遠慮して…何かを斟酌・忖度して、自ら黙り込む、という状態である。
なんらかの圧力を感じて、黙らざるを得ない、という状態である。
強烈な外力によって沈黙させられる、という状態である。
上記の4つのような事情を通り越して、ひとが、もうだめだ!何を言っても無駄だ!
  とあきらめてしまったときである。


…これらは、単独で、あるいは二つ三つ、もしかすると全部が重なって、ひとに
沈黙をもたらすものかもしれない。

太田光氏が『報道の問題として「黙ることが必要なときもあるんじゃないか」
とテレビで語った』
という、その真意がどこにあったのか、私も放送を聴いていないので
わからない。
だが、想像してみるに、おそらく、①、③、④の心理の重なったような状態の中での
発言ではなかっただろうか。
つまり、①あまりにも残酷な現実の前に言葉を失い、ただ項垂れてしまうという状態。
③事態の錯綜性のゆえに、今は語らないで見守っていようと自ら判断した、ということに加え、
④何かを忖度して黙る。或いは『語るな』という有形無形の圧力をどこかから感じて黙る、
ということの合わさったような状態。

それでは、高橋源一郎氏が1月29日の記事の時点で、
『黙ることが必要な時もある』
という太田光の言に、自分も『同じことを感じている』と書き、
また、『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』 と書いたのは、
いったいどういう気持ちだったろうか。推測してみた…。

それはまず第一に、
①『事態の深刻さの前に…うなだれて言葉など出なくなる、という状態』

に、氏も同じようにあったということだったのではなかったろうかと思う。
私がそうだったから…今でもそうだから…。
あの、並んだ二人の顔…。湯川さんの悲しげな顔……
最後の画像の後藤さんの憔悴しきった顔…あれはもう、あきらめた人の顔だった…
湯川さんと並んだ画像では、後藤さんはまだ、意志ある強い顔をしていたのに。
私は、湯川さんの…、彼の最後の姿まで見てしまった…twitterを見ているとき。
このような事態を知って、見てしまって…軽々にものが言えようか…
さらに。
政府を含め、概して海外の切迫して苛烈な事情に疎いところのある私たち日本人は、
「おまえたち日本国民もテロ攻撃の対象だ!」と『イスラム国』に名指しされて、
これまでどこか遠い国の関係ない出来事と思っていたテロ攻撃が、いつこれから
この日本で自分たちの身にも襲いかかるかもしれないと考えて震えあがってしまい、
それが事件についてものを言うことに憶病にさせた、ということが大きくあった
のではなかろうか。

『オレンジの「拘束衣」を着せられ、跪(ひざまず)かされ、自分の死について
語る男の声をすぐ横で聞かされながら、ふたりはなにを考えていたのだろうか。
その思いが初めにある。「意見」はその後だ 』


と、高橋源一郎氏が書いた、その茫然…喪心…蹌踉…適する言葉をなかなか思いつかないが、
私もまさにその、言葉を失ってただ立ちすくむ…その想いであった……。

二人の同胞の無残な死を衷心から畏れ悼む気持ちと共に、
私たち日本人がその中で育ってきた文化や制度…、それはそのかなりの大きな部分を
西欧的な価値観に負うものだが、それを100%否定して憎む者がいる、ということを
あらためて知ったことのショックもあったろう。
また、『直接怨みもないひとにかくも激しい憎悪を人間というものは抱けるものなのか!…』
という、人間のこころの深い闇を突きつけられたそのショックも大きかったと思う。
だが実は、戦争或いはそれに近い状態になれば、私たち日本人もまた、『イスラム国』の
過激派と同じような残忍な行為を自分が好むと好まざるとに関わらず犯すものでもある。
日本人に限らない、人間とはそういうものであるということを、私たちは、先の戦争中に
アジアの国々で同胞たちが行ってきたことを学び直すことによって何度でも
心に刻み直しておかなければならないと私は思う。


私が黙っていざるを得なかったもう一つの大きな理由には、
②『語りたいのだが、その事態について充分な知識がないために語れない』

ということがあったと思う。私にイスラム世界のことについて充分な知識がなかったということ。
漠然とした知識として知ってはいても、それについて書くには、書いた分量の10倍100倍もの
ある程度正確な知識を持っていなければ、またそれについての同分量ほどの考察を
した後でなければなかなか書けないものだ。
このような小さな、たかが一主婦のブログ記事といえども、憲法について書くとき…、
原発について…従軍慰安婦について書くときもすべて同じで、知識や考察を自分の内で
温め熟成させた後でなければ、なかなか思うことは書けないものだ。
…要するに、私はイスラムの世界について書けるほどの見識を持っていなかった。 


③ 『その事態があまりにも複雑に錯綜して安易な理解を阻むゆえに、
安易には語れない、と自ら判断した状態』

について考えてみよう。

②と違うのは、知識がないわけではない、いや、知識があるがゆえに、問題の複雑さが
よくわかって、それゆえ安易には語れなくなる、というところであろう。
高橋源一郎氏の文をさらに借りよう。氏は、

『同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、
スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった』

と書いた。そのスーザン・ソンタグの言う、
『意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……
何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある』


という意味はどういうことだったろうか。そして高橋氏が
『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』と言っていることの真意とは
どういうことなのだろうか。

高橋氏も同記事で引用しているスーザン・ソンタグが2001年エルサレム賞受賞スピーチで、
語ったこと…
高橋氏の引用部分とはまた別の箇所であるが、そこで彼女は、作家が公に意見を述べることについて、

『情報は決して啓発の代わりにはならない。だが情報にまさりはするが情報に似て非なるもの、
つまり、知悉している状態、つまり、具体的な、特定の、詳細な、歴史的に濃密な、
直接体験によって得た知識は、作家が公に意見を述べるからには不可欠な前提だ』

といいつつも、
『作家は(こういう)意見表明機(オピニオンマシーン)で終わってはならない』と言う。
『作家の第一の責務は、意見をもつことではなく、真実を語ること……、そして嘘や
誤った情報の共犯者になることを拒絶することだ。文学は、単純化された声に対抗する
ニュアンスと矛盾の住処である。
作家の職務は、精神を荒廃させるひとやものごとを
人々が容易に信じてしまう、その傾向を阻止すること、盲信を起こさせないことだ。
作家の職務は、多くの異なる主張、地域、経験が詰め込まれた世界を、ありのままに
見る目を育てることだ』
『文学の叡智は、意見をもつこととはまさに正反対の位置にある』

とも語っている。

高橋氏が、スーザン・ソンタグのエルサレム賞受賞のスピーチの言葉を引きつつ、
『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』と言っているのは、こういうこと
なのではあるまいか。
そのことについて『知悉していること』が条件なのだけれど、
知悉して、深い考察をして、自分の意見を持つにいたっているのだけれども…
それでもなお語れぬ時、語れぬことというのはあるのだと思う。

高橋氏やスーザン・ソンタグのこの例を、決して彼等が『知りつつ沈黙に逃げる』という意味で
私は挙げているのではないことをここでお断りしておく。
高橋氏は、すでに書いたように、3.11後、数多くの黙り込みがちな日本の作家たちの
中にあって、目立って数多くのことばを発し続けてくれている作家なのだ。
スーザン・ソンタグは、意見を言わないどころか、同じエルサレム賞の受賞スピーチで、
最後に、聴衆の前で、イスラエルのパレスチナへの無差別攻撃と、イスラエル人居住区建設を
はっきりと批判し、イスラエル軍の撤退が行われるまで、この地に平和は実現しない、とまで
厳しく語っているのである。
高橋氏もソンタグもどちらも、意見は言わない人々どころか、実に明確に意見を言う人々なのである。
ただ、一つの意見がときに思考の固定化につながりがちなことの怖さを知るがゆえに、
『作家がすべきことは、人を自由に放つこと、揺さぶることだ。共感と新しい関心事へと
向かって道を開くことだ』(ソンタグ)と信じるがゆえに、意見を持つということに慎重に
なるべき時もあるということを、また知る人々なのであろう。

ところで、私のような普通の人間にとってはこの③はどうなのだろう。
②で私は、自分がイスラムについてよく知らないために黙らざるを得なかった、と書いた。
しかし、そこでストップしてはお終いだ、と思ったので、あれから2カ月の間に
イスラムのこと、シャルリー・エブド等襲撃について書かれた本も一所懸命読んだ。
読んだけれども、少しは知ってきたけれども、正直言って、まだ書けない…。
世界の知、を集めても答えの出ない問題に、私程度の浅学の者がどうして意見など持てようか。

物事というのは、一つの面から見ては無論理解など出来ない。裏面があり、側面があり、
複雑な立体に例えるならば、隠れて見えない部分もたくさんあるだろう。
物事はしかし、そうした三次元の様相に、時の軸というものも加わる。
しかもそれは、時々刻々と変化していくものである。
その物事に対して、『意見を表明する』ということはどれほどか難しい。
仮に自分がどのような立場に立ち発言してみても、その行為や言葉は、他の角度から
見る人からすれば的を射ていないと思えるかもしれないし、何よりも自分が立脚点を変えて
みると今言ったばかりの自分自身の言葉を訂正せざるを得ないということもある。
見つめて自分でははっきりわかっているつもりのことでも、迷いが生じてジレンマに陥って、
何も言えなくなるということは起こりがちなことだ。

一つのわかりやすい例が…ここで既に私は、「これを例に挙げていいのか」と思って
もうすでにジレンマに陥っているのだが、福島の人々について語る時である。
原発のことは勉強して、かなりのことは表面的ではあるかもしれないが知っているつもりである。
だが、その私が、福島の人々のことを語るときにはいつも躊躇いを感じてしまうのだ。
とりわけ、『福島のものを食べて応援しよう!』などというキャンペーンの前で。
言い訳をするつもりはないが、私はもうじき68歳にもなるし、いまさら微量の被曝を
食べることによってすることを恐れているわけではない。
私が、素直に当時『食べて応援しましょう』と言えなかったのは、今も言えないのは、
それを認めることが、福島にこのようなことを引き起こした大きな国家的規模のものの
罪を覆い隠し、心の底から福島の側に立ちたいと願う支援者をなぜか選別する
踏み絵のように使われるのに我慢ならないからである。
その怒りの一方で、福島の人々に申し訳ない…という気持ちは今も私のこころを
引き裂いて無口にしてしまう…
それについては、過去の私の記事『不幸の均霑プロパガンダ』に寄せてに、詳しく書いてある。
この記事は、私の怒りの本質部分を扱った大事な記事でもあるので、興味のおありのかたは
ぜひどうぞ。

その中の一節は、今回のシャルリー・エブド事件や、湯川・後藤さんの件についても
考える時に、どこかでつながって共通している点があるように思うので、載せてみる。

『不幸の均霑プロパガンダ』は、至る所にあります。
それは一見、『思いやり』や、『公平』という美しい言葉で語られ、
私たちの心に忍び込んでくる。そうして、私たちの心を懐柔し、
本質を見えないように、批判の目を他へ移すように、論理のすり替えを巧妙に
行い、国民を分断していきます。』








『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ ① 』

2015年という年も、その4分の1が過ぎた。

1月7日(現地時間)のシャルリー・エブド等襲撃事件、そうして湯川さん、後藤さんの
過激集団『イスラム国』による拘束・殺害というショッキングな悲劇によって幕を開けた2015年は、
その後もチュニジアの博物館におけるテロ、ボコ・ハラムの凶行、ケニアにおける大学襲撃など、
過激テロ集団によっていとも簡単に人の命が奪われるという悲劇が次々に続いている…。
昨日もまた、エジプトの首都カイロのザマレク地区で、イスラム過激派組織によると思われる
仕掛け爆弾テロが行われ、警官1人が死亡、市民2人が負傷した。
エジプトでは2月26日にも、3月1日にも4月1日にもテロ事件が起こっているという。

国内においては、一時的に政権を国民から預かっているにすぎない一内閣によって、
日本の最高法規である憲法の第9条『戦争放棄』の条項が拡大解釈により実質大きく
骨抜きにされようとしている。
憲法を恣意的に拡大解釈してその根本理念まで骨抜きにしようとする現政権の手法は
行政権の範囲の逸脱であり、これを許して行けば、憲法に謳われているその他の
国民の諸権利も、いや、国の根幹の仕組みさえもが侵されていくのを許すのと同じになる。
いわば、私たち日本人は戦後最大の危機にあると言っていいと思うのだが、ジャーナリズムも
国民も、大きな声を上げ得ないという摩訶不思議な状況が続いている…。

言論がおかしい。
言論が力を失っている。
本来あるべき本質についての深い議論はなぜかなりをひそめ、瑣末な
違和、異見へのバッシング騒ぎだけが世に溢れている。


いろんなことに批判的な記事を書いてきた私彼岸花だが、その私もまた、シャルリー・エブド襲撃以来
湯川さん、後藤さんのことに関しても同様にぴたりと黙りこくっている…。

ひとことで言えば、…語る気を無くしてしまっていたのである。

黙っている場合などではないとわかっているのだが、語るのが気が重い…何かに囚われて語れない…。
1月29日付け朝日新聞『論壇時評』において、作家高橋源一郎氏が
『「表現の自由」を叫ぶ前に』という記事を書いている。
この記事は、1月29日の時点での私の心境に、最も寄り添ってくれるものであった。

この記事の書かれた時点から、既に2カ月余。もろもろの事態は大きく動いてすでに
あらゆる意味で変質していっている。
だが、この間の私の複雑な心情を一度冷静に振り返って語ることは、これから先の
この国や世界を思うために不可欠なように思う。この記事がその思考の糸口を提供して
くれているように思うので、一部引用しつつ書いて行ってみる…。
本来シャルリー・エブド等の海外におけるテロ事件と、後藤・湯川さんの悲劇とは別個に
記事にしたかったのだが、いつかまた私にエネルギーがあれば書くことにして、ここでは
一つのテーマとして同時に触れていくので、多少視点が移動して読みにくいかも
しれないけれどもお許し願いたいと思う…。


                ***


「表現の自由」を叫ぶ前に
                              高橋源一郎 

 イスラム過激派組織「イスラム国」に、ふたりの日本人が人質として捕らえられた。
いまわたしがこの文章を書いている火曜(註:1月27日)深夜、事態は流動的だ。
 爆笑問題の太田光はこの事件に関し、報道の問題として「黙ることが必要なときも
あるんじゃないか」とテレビで語った。太田光が沈黙を求めたほんとうの理由はわからない。
けれど、いまのわたしは同じことを感じている。
 テロにどう対処するのか、政府や国家、「国民」と名指しされたわたしたちは、
こんな時どうすべきなのか。わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない。
もっと別のことが頭をよぎる。
 動画を見た。オレンジの「拘束衣」を着せられ、跪(ひざまず)かされ、自分の死について
語る男の声をすぐ横で聞かされながら、ふたりはなにを考えていたのだろうか。
その思いが初めにある。「意見」はその後だ。
 同時代の誰よりも鋭く、考え抜かれた意見の持ち主であったにもかかわらず、
スーザン・ソンタグは、「意見」を持つことに慎重だった。
 「意見というものの困った点は、私たちはそれに固着しがちだという点である……
何ごとであれ、そこにはつねに、それ以上のことがある。どんな出来事でも、ほかにも出来事がある」
 そこにはつねに、それ以上のことがある。目に見えるそれ、とりあえずの知識で知っているそれ。
それ以上のことが、そこにはある。そのことを覚えておきたい。なにか「意見」があるとしても。


爆笑問題の太田光氏が、湯川さん・後藤さんの拘束の件について、『報道の問題として
「黙ることが必要なときもあるんじゃないか」とテレビで語った』というその真意はどこにあったのか。
それをまた、高橋源一郎氏が、『けれど、いまのわたしは同じことを感じている』、
『わたしにも「意見」はある。だが、書く気にはなれない』と、ここで書いたその含む意味は
いったいどんなことだったのだろうか。

私は毎月一度の、この高橋源一郎氏の『論壇時評』がとても好きで、毎月この欄を読むのを
楽しみにしている。
世の中のことについて思いまどう時、氏のこの欄は、いつも易しい語り口で、真実に
辿りつくヒントを与えてくれるからである。或いは静かな共感を呼んで、
「ああ、やはりそう考えてよかったんだ!」という、自分の思考経路のある程度の正しさへの
確認を私のような思考の素人にも与えてくれるからである。
私が氏の作品を読んでいないにもかかわらず氏を好きなのは、高橋氏が発言をする作家
だからである。 3.11のような悲劇のあとにも黙り込んでしまわぬ作家だからである。
だが、この回の氏の記事には、どこか奥歯にもののはさまったような曖昧さと、
さみしい躊躇いがあるように思った。
(『さみしい』と感じたのは、一読者である私自身の勝手な思いこみであろうけれど。)

この記事が出た3日後の2月1日早朝には、後藤さん殺害の知らせが日本人を襲った…
なんとか生きていて欲しい…生きて帰って欲しい…その願いは叶わなかった。

二人が拘束されているとわかってから、後藤さんもついに殺害されたと知るまで、
日本を覆っていた重い沈黙……。
だが、その後も、私たちはふたりの悲劇のことを、その原因を、政府の対応の良し悪しを
含め徹底的に調べ、語ることはないままに、いつのまにか二人の死は早くも忘れ去られようと
してはいないだろうか。
二人の悲劇が残したものは、『イスラム国』のような暗黒の集団を生むこの世界に対する
徹底的な検証や反省ではなく、またなぜ救出できなかったのか、という徹底的な調査でもなく、
なぜか逆に、さらなる沈黙と忘却、言論空間の委縮、また、自衛隊の海外での軍事行為への
容認化への政治の急速な傾斜だけであるように思えるのはなぜなのだろう!
シャルリー・エブド等への襲撃に対する欧州を中心とした世界への反応もまた、
その後に(似たような)複数のテロ事件が続いたことによって、重大な悲劇でさえ慣れを生み、
急速に関心と興味は薄れていって、残ったものはやはり同じく言論の単純化と委縮、
であるように察せられる。

自分自身の3カ月近い沈黙の理由も含め、『言論が黙り込んでしまうとき』について
考えていってみたいと思う。


                    *****


【続きを読む】のところに、高橋源一郎氏の1月29日付け朝日新聞論壇時評
『熱狂の陰の孤独 「表現の自由」を叫ぶ前に』の全文を引用させていただいておきます。 



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プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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