『8・30国会10万人・全国100万人大行動』

8月30日




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『この国の行方 ⑦』

さて。また少し間があいてしまったが、『この国の行方』シリーズの続きを書いていこう。

10.安倍談話

まずは、先日出された安倍首相による70年談話について、思うところを書いてみる。

全体としての印象は、意外なほどソフトな感じだな、ということだった。
それは、21世紀構想懇談会や公明党の意見も入れ、安倍首相の個人的政治思想を
直接語るのを徹底して避け、一般論の衣を巧みに着せて、安倍カラーを極力覆い隠した
ことから生まれた効果であるだろう。
『100年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が広がっていました』
というような視覚的イメージを喚起するような文章の書き出しでそれは始まり、
時系列を追って進んで行く。
文章表現もまた、『この胸に刻み続ける』などという感傷的な言葉を多用して、聴く者の
情緒に訴え、そうすることによって、全体のトーンを柔らかくしている。

個々の項目では、中国に置き去りにされた三千人近い日本人孤児たちを育てて
くれたことに対し、中国に直接に感謝したこと、戦後、六百万人を超える引き揚げ者が、
アジア太平洋の各地から無事帰還でき、日本再建の原動力となれたこと、米国や英国、
オランダ、豪州などの元捕虜の人々が、互いの戦死者のために慰霊を続けてくれている
ことなど、相手国の人々が耐えがたい苦痛や葛藤を超えて日本人に対し寛容を示して
くれたことに対して感謝し、また、和解のために力を尽くしてくれたすべての国々、すべての
人々に、心からの感謝の気持ちを表したことなど、評価できる内容もあった。

注目されていた『植民地支配』『侵略』『痛切な反省』『おわび』などのキーワードも
一応入っている。
だから、今回の談話を好意を持って受け止める人は結構いたのではないだろうか。
現に、発表された世論調査の一部などでは、今回の安倍首相の70年談話を評価するとした
人が、評価しないとした人の比率を上回り、このところ下がり続けていた安倍政権の支持率も
わずかながら上昇している。
やれやれ…溜息である…
うわべのソフトな印象にも関わらず、安倍政権というものの本質はこの談話の中にくっきりと
見えているものを。よく原稿を読み返してみると、この談話は、実は安倍色満載なのである!

すでにあちこちで書かれているので詳しくはもう書かないけれど、これらのキーワードは、
現日本国総理大臣としての安倍氏その人の戦後70年に際しての想いとして書かれては
いない。歴代内閣の歴史認識を振り返る形で、それらの引用文の中で取り上げられて
いるのにすぎない。

まず一番の問題は、同じくあちこちで指摘されていることだが、文に取り上げられている
行いや考えの、『主体』がなかったり、ぼやかされているということであろう。
『誰がその行為をしたのか』『誰に対して行われたのか』『誰がそう考えているのか』
というところがはっきりと書かれておらず、主語や目的語がないことによって、その中味が
巧みに一般化されてしまって本質に触れていないということだ。

『戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、
食糧難などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。
戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。』


というところなどがそのわかりやすい例だろう。
『命が失われた』『犠牲となった』『傷つけられた』…肝心なところの表現が『受動態』
もしくはそれに類した表現で書かれている。
つまり、その行為者がはっきりと書かれていないのだ。
(日本軍が)戦火を交えた国々で、将来ある若者たちの命を失わせたのは誰なのか。
無辜の民を苦しめ犠牲者としたのは誰だったのか。
女性たちの名誉と尊厳を深く傷つけたのは誰だったのか。
それらをしたのは日本軍だ!
だが、日本軍のアジアへの『侵略』を認めたくない、『従軍慰安婦問題での軍の関与』も
認めたくない安倍政権は、行為の主体を、はっきりと書くわけにいかないので、大事な個所は
『誰がそれをなしたのか』という能動態の文でなく、行為者を省いた受動態の文で書き表している。
その結果、まるで日本軍は関与していないかのような他人事のような印象、一般論としての
反戦論になってしまっているのである。

少し話は本題から逸れるが、日本人が英語を書くと受動態表現を必要以上に多用する、
とよく言われる。昔、英語の授業中、どんな例文だったかもう忘れたが、私もアメリカ人の
先生から、『そういう場合は英語では受動態であまり表現しません。能動態で書きますね~』
と言われたことがある。
誰がそれをなしたのか、という行為の主体を常にはっきりさせる構造を持つ英語では、
感情表現や、一部慣用表現、そして受動態を敢えて使うことに意味がある場合以外は、
受動態を使わずおおむね能動態で書くことが多いのだという。
その、『受動態を敢えて使うことに意味がある』場合というのにはいくつかのケースがあるが、
その中の一つに、『その行為者をはっきり言いたくない、つまり責任を回避したい』場合に、
受動態が使われることがあるという。

それをこの首相談話のライターたちが意識したかどうかは知らないが、こうやってあらためて
談話を文章としてじっくり読んでみると、受動態って便利な表現だよなあ、そして、その
受動態を絶妙なところで使っているよなあ、と、妙な所で私は感心してしまうのである。

能動態・受動態とはまた違うけれど、それと似た意味で、この首相談話は、引くところ、
押し出すところが、微妙にこれまた使い分けられていて、そういった点でも、よく練られては
いるなあ、とまた妙に感心する。
例えばどういうところか、というと。

『百年以上前の世界には、西洋諸国を中心とした国々の広大な植民地が、広がっていました。
圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも押し寄せました。
その危機感が、日本にとって、近代化の原動力となったことは、間違いありません。
アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました。日露戦争は、
植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました


というところは『押し』。
『アジアで最初に立憲政治を打ち立て、独立を守り抜きました』
『日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました』
と、自信たっぷりに胸を張る。

ところが、
『圧倒的な技術優位を背景に、植民地支配の波は、十九世紀、アジアにも
押し寄せました。』

『世界恐慌が発生し、欧米諸国が、植民地経済を巻き込んだ、経済のブロック化
を進めると、日本経済は大きな打撃を受けました。その中で日本は、孤立感を深め、
外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。
国内の政治システムは、その歯止めたりえなかった。こうして、日本は、世界の大勢を
見失っていきました』


というところは、『引き』の部分に該当するところで、受身のニュアンスの強い、悲壮感漂う
文章になっている。つまり、欧米先進諸国の植民地支配、さらに、世界恐慌、
欧米先進諸国による植民地を巻き込んだ経済ブロック化などによって、
日本が外交・経済両面で追い詰められ、孤立化を深めて、そこで打開を図るために、
仕方なく、武力行使によって経済的な行き詰まりを打開しようとするようになった…
この『日本はそう悪くなかったんだ。他国からの脅威があったからだ』という受け身的な書き方は、
まさに、安倍首相の周辺の日本会議の人々やネトウヨの人々などがよく持ちだす
「日本の戦争は『自衛のための』戦争であった」という考え方そのままである。
つまり、誰も非難できないような種類の歴史的の激動に日本もまた翻弄されたのだ、
というイメージを使うことによって、日本が積極的に他国への政治介入さらには武力介入を
して行ったことやさらなる膨張主義政策をとってアジア諸国に侵略していった罪や責任から
目を逸らさせる働きを生もうとしているのである。

〈まあ仕方がない、日本はこのように欧米先進国によって追い詰められたのだから…。〉と
これを聞いて素直に思う人は多いに違いない。

だが、私は、安倍談話の冒頭部に近いこの箇所にまず第一に異議を唱えたい。
安倍首相の本来の思想を覆い隠すようによく練り上げられた談話ではあるけれども、この個所は
今書いたように、安倍首相とその周辺の人々の本音というか本質が如実に現れているように
思うからである。

日本には当時、本当に『あの道しかなかった』のであろうか?
『この道しかない』と言うのは、何か一定の思想なり政策なりを是が非でも通そうとする時の、
いわば国民に向けた刷り込みに非常に便利な言葉であって、実は他にも考えかたや別な道が
たくさんあるのを覆い隠す目的に使われがちな、便利にして用心を要する言葉なのではなかろうか?

今、安倍政権はよく『この道しかない』という表現を使う。
2014年の自民党選挙公約は『景気回復、この道しかない』であった。
以下はその時の選挙公約。
http://www.ko-1.jp/pdf/sen_shu47_promise.pdf#search='%E3%81%93%E3%81%AE%E9%81%93%E3%81%97%E3%81%8B%E3%81%AA%E3%81%84'

『終わらないデフレ。マイナス成長。行き過ぎた円高で、工場は次々と閉鎖。
2年前、日本経済は危機に瀕していました。
そして、政権交代。
「強い経済を取り戻せ」。これこそが国民の皆さまの声と信じ、「三本の矢」の経済政策を、
全力で、前へ、前へと進めてまいりました。岩盤規制にも果敢に挑戦してきました。
アベノミクスの2年間で、雇用は100万人以上増え、この春は賃金も過去15年間で最高の
伸び。「経済の好循環」がしっかりと生まれ始めました。
ようやく掴んだデフレ脱却のチャンスを手放す訳にはいかない。消費税の引上げを18ヶ月延期
します。好循環の流れを止めることなく、全国津々浦々へと広げ、国民生活を豊かにしていきます。
景気回復、この道しかありません。
月1回被災地に足を運び、復興を加速してきました。地球儀を俯瞰する外交は、訪問国50を
数え、大きな実を結びつつあります。戦後初めての安全保障政策の立て直しにも挑戦しています。
この道しかないんです。
あの暗く、混迷した時代に後戻りさせる訳にはいきません。

この総選挙を勝ち抜き、国民の皆さまとともにこの道を前に進んでいく決意です。
そして、誇りある日本、世界の中心で輝く日本を、ともに、取り戻そうではありませんか。』


『あの暗く、混迷した時代』って、いつのことだろう?
民主党政権下を指しているのか?それともその前の自民党政権下の時代を指しているのか?
民主党政権は政権運営に不慣れで稚拙ではあったけれど、少なくとも暗い厭な時代では
決してなかったぞ。
私には、今の安倍政権下の日本の方がよほど暗い時代に思えるのだが?
少なくとも、安倍第二次政権になる前は、ネット上やデモなどで政権批判をいくら言っても、
圧迫や身の危険を感じることなどなかった…。
放送局や海外のジャーナリストまでが政権政党から圧力をかけられるようなことなどなかった…。

この公約の文章。何気なく読んでいれば、希望を高らかに謳っているようであるが、だけど
なんだか、大陸へ拡張政策をとっていった100年、110年前…の日本の姿をどこか彷彿とさせる。
2年前、日本経済は危機に瀕していました』『あの暗く、混迷した時代に後戻りさせる
訳にはいきません』
などという実際よりも大袈裟に誇張した表現で危機感を訴える。
『この道しかない』という同じフレーズの繰り返しで、これしかない、という切羽詰まった空気を
醸成していく…。
こうした『ほかに選択の余地はない』というような意味の強い言葉の繰り返しは、
人々の胸になぜかしら従順さというか、「ああ、そうか。もうこれしかないんだな…」という
一種の思考停止を生むのに効果がある。
この手法はコマーシャルなどでも日常的に使われている。
『奥さん、もうこれで決まりでしょ』『奥さん、今がお買い得ですよ』…

また、『挑戦』という言葉が、これまた安倍政権は本当に好きなのだよなぁ。
この短い公約の文章でも2回も使われ、安倍談話の中でも2回使われている。
『満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が
壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった』

『私たちは、国際秩序への挑戦者となってしまった過去を、この胸に刻み続けます』
と。
私は、この『挑戦』という言葉が、どうにも引っかかるのだが。
『挑戦する』『挑戦者』という言葉の日本語における語感には、『なし遂げるのが難しい
と思われる事柄などに敢えて立ち向かっていく』という、どこか積極的で前向きな
意味合いがありはしないか。
談話の文章中の、
『この戦争(文脈から言って第一次世界大戦のことであろう)は、1千万人もの
戦死者を出す、悲惨な戦争でありました。人々は「平和」を強く願い、国際連盟を創設し、
不戦条約を生み出しました。戦争自体を違法化する、新たな国際社会の潮流が生まれました』

一千万人もの戦死者を出したというそのような悲惨な第一次世界大戦の反省から
生まれた国際連盟とパリ不戦条約(ケロッグ=ブリアン協定とも呼ばれる)。
その、まさに『壮絶な犠牲の上に』出来た『新しい国際秩序』に対して、日本が『挑戦者と
なっていった』というこの安倍談話の表現には、私はなにか軽さと違和感を感じてしまうのだ。
『挑戦』という言葉には、勇ましさや何か前向きなイメージもあると思うゆえに…。
現に、この同じ『挑戦』という言葉を、安倍政権は、上記2014年の公約の中では、
『岩盤規制にも果敢に挑戦してきました』『戦後初めての安全保障政策の立て直し
にも挑戦しています』

と、プラスのイメージで使っているではないか。
談話ライターが、意識してこの『挑戦』という言葉を使ったのかどうかはわからないが、
日本が第一次世界大戦の惨禍への反省から生まれた国際連盟を脱退し、それからアジア・
太平洋で2千万人とも言われる多くの犠牲者を生む侵略・戦争に突入して行った事実の
深刻さと重さを考えれば、この『挑戦者』という表現は、どこかあまりにも軽い。
もしそこに、『日本は自国の利益を守るために正しいことをしたのだ』『敢えて国際秩序に勇ましく
挑んだのだ』という意識が少しでも隠れているとすれば、日本兵が敵兵だけでなく
見境なしに一般の住民までを虐殺した数々の例や、捕虜を虐待、ときに有無を言わさず
刺殺銃殺した数知れない例など、日本人がアジア諸国でしてきた行いに対し、
まったく許せない認識となると私は思うのである。(これらの例については、またこれからの記事で
書いていきたい)

同じく2014年自民党公約中の、『地球儀を俯瞰する外交』
『誇りある日本、世界の中心で輝く日本を、ともに、取り戻そうではありませんか』

という表現も、安倍政権が言うと、私はいやだなあ…。
15年戦争に至る前からの日本の、国家の外に向かう膨張主義政策や民族的優越性の
誇示である選民主義を連想させてしまうからである。
これらの言葉も、安倍政権以外の人が使えばなんでもない言葉なのかもしれない…しかし、
安倍首相の背後にある思想を想うと、ある種、嫌~な感じを起させてしまうのである。

さて。話を安倍談話に戻そう。
冒頭部の『日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました』
という一文は、これはそう言いきっていいのであろうか?
確かにそういう側面もなくはなかったろう。
例えばよくこうした時の例として挙げられるトルコなどは、1904年から始まった日露戦争で、
1905年、日本が日本海海戦でロシアバルチック艦隊に対し決定的な勝利をおさめると大喜びしたと聞く。
クリミア戦争などをロシアと戦ってきていたオスマン帝国は、南下政策をとるロシアから常に圧力を
受け続けていたからである。
また、エジプトの軍人・大統領であったナセル(在職 1956-1970)は、スエズ運河を封鎖、
旧宗主国であるイギリス勢力をエジプトから一掃。さまざまな社会主義的改革を行って
エジプトをアラブ世界の盟主へ押し上げて第三世界における指導者の一人となった。
彼も、『日露戦争における日本の勝利は自分の人格形成に大きな影響を与えた』と語って
いたそうだし、またインドの独立運動家で初代大統領であるネルー(ネール)も同じような
ことを述べているから、確かに安倍総理の言う通り、西欧列強の植民地支配に苦しむアジア、
アフリカなどの諸国の人々にとっては、東洋の小国日本がロシアに勝った、ということは
驚きを持って迎えられたであろう。それが独立の気運を促す遠い遠因になったということも
あったかもしれない。

しかし。
『日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました』
という発言の陰には、意図的に書かれていない触れられていない大きな歴史上の事実がある。
それは、日本自身が、韓国をこの後併合、実質上植民地化したということである。
日清・日露の二つの戦争を通じて、日本は着々と韓国の諸権利を奪って行くことを推し進めて
いるのである。

日露戦争に遡ること10年前の日清戦争のことを思い浮かべてみよう。日清戦争のきっかけは
直接には1894年の甲午農民戦争(東学党の乱)である。
これは政治への不満と排外を旗印に農民たちが起こした反乱で、この反乱をやめさせるため、
朝鮮政府は清に助けを求めた。清は兵を送り込む。それに対抗して、日本もまた、公使館警護と
在留邦人保護の名目で朝鮮に派兵。漢城近郊に布陣して清国軍と対峙した。
朝鮮の独立援助を謳ってはいたが、ロシアの南下政策を恐れ、一方で、欧米先進国に肩を
並べる為にアジア進出も描いていた日本にとって、朝鮮は是が非でも押さえておきたいところ
であったのだ。
反乱が収束し、朝鮮は日清両軍の撤兵を申し入れるが、両国は受け入れなかった。
1894年10月。農民たちの第二次蜂起。反政府軍と排日を掲げたそれは全土に広がっていった。
陸奥宗光外相は井上馨朝鮮駐在公使に打電し、東学勢力が朝鮮北部に向かわないよう
厳重に注意。東学農民軍への本格的な弾圧が、11月から翌4月にかけて行われた。
日本側の主力は、後備歩兵独立第19大隊など2700名の日本軍。それに朝鮮政府軍、
各地の両班士族や土豪などが組織する民堡軍も加わって、朝鮮半島最西南端の
海南・珍島まで農民軍を追いつめる文字通りの殲滅作戦が行われた。
日本軍がこの時行った農民たちの殲滅作戦の様子は、友が教えてくれたこの本に詳しい。


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後備歩兵独立第19大隊の大隊長は、山口県出身の南小四郎少佐。後備第19大隊は、
四国4県出身の後備兵の混成部隊であった。
南大隊長は、支隊に対し次々に農民軍の殲滅命令を出す。
『長與方面に出て、賊徒勦滅』『海岸にある賊徒、勦滅に着手』『海南地方の賊徒、勦滅すべし』等々…
だが、この南大隊長は、殲滅作戦の後に出した『東学党討略記』という講和記録に
自身でこう書いている。

『これ小官(南大隊長)の考案のみならず、他日、再起のおそれを除くためには、多少、
殺伐の策を取るべしとは、公使(井上馨公使)ならびに指揮官(仁川兵站監伊藤中佐)の
命令なりしなり』
南大隊長の上には、仁川兵站監伊藤中佐、川上兵站総監、井上馨公使、有栖川宮参謀総長、
そして伊藤博文総理がいて、農民軍討伐作戦の意志決定をしていた。

農民たちの主な武器が竹槍や火縄銃であったのに対し、近代戦の訓練を受けた日本軍の
武器は、スナイドル銃という高性能の新型ライフル銃であった。
数十万とも言われる農民軍は壊滅。死者は3万人以上と言われるが、あちこちで蜂起した
農民たちであったため、その数ははっきりしないという。
日清戦争の日本人死者は2万人、清側は3万人と言われるが、日清戦争の主な戦場となった
朝鮮半島では実に3万人以上の人々が亡くなっているのである。
日本軍の処置の苛烈さは、徳島県出身の後備兵の残した陣中日誌などでしのばれる。

『本日(1月31日)東徒(東学農民軍)の残者、七名を捕え来り、これを城外の畑中に
一列に並べ、銃に剣を着け、森田近通一等軍曹の号令にて、一斉の動作、これを殺せり、
見物せし韓人及び統営兵等、驚愕最も甚し』

東学農民軍との戦いの記録であるが、日本軍はすでに、後の中国大陸での行為と同じように、
捕えた敵兵を正当に捕虜として扱わず、こうしてすぐに惨殺しているのである。
これは、日中戦争に従軍した陸軍伍長火野葦平が戦場で目撃し、後に『土と兵隊』などの
兵隊三部作で記述したありようや、同じく中国戦線で戦った作家田村泰次郎が記している
残虐とまさに同じである…。

この東学農民軍の殲滅のことは、日本の歴史では語られることがほとんどないのだと言う。
だが実は、当時の日本の新聞では割合克明に報道されていて、1894年12月、香川県の
『香川新報』(現在の『四国新聞』の前身)は、厳しい検閲が行われていた時代にもかかわらず、
4回にわたってこれを論評し、
東学党の中には、良民や罪のない民が多数混じっている。討たれる謂れのない者たちが
討たれたり害せられたりしたのでは、恨みは後世に残るだろう。百人死ねば千人が、
千人死ねば万人が恨む。これではどうして我が国の徳を永く播くことが出来るだろう!、と
厳しい言葉を書き、

『東学党、好し平定に帰するといえども、一般良民の帰服しがたきを如何にせん、井上伯たる者、
深く鑑みざるべからず、識者足る者、深く鑑みざるべからず』

と、時の指導者たちを批判しているのである。なんと堂々たる正論ではなかろうか。
このほかにも、当時の現場指揮官二人が理由も告げず自害したという事実もあったという。
後備第10連隊の福富大尉と遠田大尉である。二人とも凄惨な討伐・殲滅を最前線で指揮していた。
二人に軍人としての落ち度などは少しもなく、福富大尉は叙勲申請中、遠田大尉は妻と
二人の幼児の待つ四国松山に帰国目前であったと言うが、それぞれ別な日に別な場所で、
自害している。
正当性なき農民の殲滅作戦は、現場指揮官に深い精神的傷を負わせたのであったろうか。

このような事実が日露戦争の10年前の日清戦争時に既にあったことを知っていれば、どうして、
『日露戦争は、植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました』
などと単純に胸を張れるだろうか?
こういうことを書くのは、日本人である私自身もつらいのであるが、朝鮮半島や中国
への膨張論は、なにも日露戦争に始まったことではなく、江戸時代の林子平(1738~93年)
や本田利明(1744~1821)の頃から、吉田松陰の思想、西郷隆盛、福沢諭吉…、
などのいわゆる偉人達の思想にも脈々としてすでにあったのである。
それらが必ずしも、朝鮮半島や中国、さらに下って南方アジアに進出しそれらを
武力で支配するという考えではなく、貿易の場を求めて進出するというような
経済発展上の欲求などで仮にあったにしても、である。

日清戦争後の下関条約で、日本は台湾を獲得。
日本政府は台湾総督府による統治を1945年まで実施し続けた。
日露戦争後の1905年9月、日本はポーツマス条約調印。ロシアは日本の韓国への
保護権を承認。樺太の北緯50度以南の領土、東清鉄道の内、旅順-長春間の
南満洲支線と、付属地の炭鉱の租借権を獲得。関東州(旅順・大連を含む遼東半島南端部)
の租借権を獲得。沿海州沿岸の漁業権も得た。
1910年8月、日韓併合条約。名実ともに韓国が日本の植民地となる。

どうだろう。
日本がロシアに勝ったことが、植民地支配のもとにあった多くのアジアやアフリカの
人々を勇気づけた、と言いつつ、このように、日本国自らが韓国や台湾や中国の一部を
事実上領有、植民地化したことには、この談話では一切触れられていなく、当然のように
謝罪もされていない…
日本は先述したように、中国における権益も早くから欲しがっていた。
『満州国』建設の野望と、それをなした後の中国へのさらなる侵攻。さらに南下して
フィリピン、マレーシアなどのアジアの国々、南海の諸島への侵略についても、安倍談話は
具体的には一切触れず、その部分は大きく端折ってしまって、いきなり、

『そして七十年前。日本は、敗戦しました』

と、一挙に敗戦、に飛んで、その間の歴史をまるでなかったものでもあるかのように扱っている。
その間に…。いったい日本軍はアジア各地でどれほどひどいことを重ねてきたことか…
従軍慰安婦問題や南京虐殺問題だけではなく、日本軍がアジアで、また南方諸島で
行ってきたことの罪の数々は、あちこちで多くの記録に残されて、それらは決して決して
目をつぶれば見えなくなる、などというものではなく、今でもその故に苦しみ続けている
人々は、アジアの各地にいるのである。

日本軍がしてきたことの一切を談話に盛り込むことはできない。
それはそうだろう。
だが、

『 満州事変、そして国際連盟からの脱退。日本は、次第に、国際社会が
壮絶な犠牲の上に築こうとした「新しい国際秩序」への「挑戦者」となっていった。
進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。
 そして70年前。日本は、敗戦しました。』


というのは、あまりにも端折り過ぎである。
この間の…。この間、どれほどの悲惨、どれほどの暴虐が、その間に行われたことか。
安倍談話でも触れられたように、日本人の死者三百万人。そして。

R. J. Rummelは日本軍による民衆殺戮(英語: democide)によって総計5,424,000人
が犠牲となった(内訳:中国人3,695,000、インドシナ人457,000、朝鮮人378,000、
インドネシア人375,000、マレー・シンガポール人283,000、フィリピン人 119,000,
ビルマ人 60,000、太平洋諸島57,000人)としている。
ヴェルナー・グリュール(Werner Gruhl)は日本軍による民間人犠牲者は総計20,365,000人
(内訳:中国人12,392,000、インドシナ150万、朝鮮人50万、オランダ領東インド300万、
マレーシンガポール10万、フィリピン50万、ビルマ17万、東南アジアでの強制労働7万、
非アジア人の抑留民間人3万、チィモール人6万、タイと太平洋諸島6万)。
チャルマーズ・ジョンソンは、フィリピン人、英領マレー人、ベトナム人、カンボジア人、
インドネシア人、ビルマ人の3000万人が日本軍の犠牲となり、華僑は2300万人が日本軍の
犠牲になったとした。
(Wikipediaより)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E6%AC%A1%E4%B8%96%E7%95%8C%E5%A4%A7%E6%88%A6%E3%81%AE%E7%8A%A0%E7%89%B2%E8%80%85

これは、民間人の犠牲者数である。軍人の死者を入れれば無論もっと多くなる。
調査によってずいぶん数値に開きがあり、このまま鵜呑みにはできないが、いずれにしても、
もし日本がアジアに侵略していかなかったら、これらの民間人は無論、兵士も、
また当然のこと、三百万人と言われる日本人も命を失わずにすんでいたであろう。

『そして70年前。日本は、敗戦しました。』
と大事な大事なところを軽く端折ってから、談話はこの先も長く続く。

『 戦後70年にあたり、国内外に斃(たお)れたすべての人々の命の前に、
深く頭(こうべ)を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫(えいごう)の、哀悼の誠をささげます』


細かいようだが、私はどうも、この『哀悼の誠を捧げる』といういい方が気になって
嫌いである。『哀悼の意を表する』とか『哀悼の意を表す』などとは普通に言うけれど、
『哀悼の誠を捧げる』といういい方も、昔からあったのだろうか?
私には、どうも、つい最近になってから耳につくようになったように思えて仕方がない。
それも、自民党の国会議員がしきりにこの表現を使う。例えば、国会の答弁に立つとき、
その前に大きな事故や不幸な出来事があった時に、議員たちがまずお悔やみを述べる
のであるが、そこでこの表現が最近盛んにつかわれることに気が付いたのである。
『あれっ?気になる表現だな』と思って気をつけてみていると、どうも、私の思いこみかもしれないが、
靖国に参拝するような議員がこの表現を使うことが多いんじゃないか、とふと思った。
しかし、さするうちにだんだん耳に慣れたか、民主党など野党の議員もぽちぽちこの表現を
使うようになってきている…。
でも、使わないひとは使わない。
気になって調べてみたら、小泉元首相がこの表現をよく使っていたそうである。

この『哀悼の誠を捧げる』という表現についてその用法の歴史とか詳しいことをご存じの方が
いらしたらぜひ教えてほしい。皆さん、『哀悼の誠を捧げる』って、普通に言いますか?
私は、『心から哀悼の意を表します』と言うなあ…

私がなんとなく『誠を捧げる』という表現にいわば皮膚感覚で違和感を感じるのは、それが
『至誠』とか、『赤誠』とか『国に赤誠を尽くす』とか、どうもなんだか武士道とか右翼とか
そういった匂いを嗅ぎつけてしまうからなのだ。
孔子も孟子も『至誠』について述べているから、別に私が気にするような特別な色合いも
この『誠』という言葉そのものにはないのだろうけれど、
『哀悼の誠を捧げる』…なんだか気になって引っかかる表現である。(はっきり言って嫌いだ。)

『 先の大戦では、300万余の同胞の命が失われました。祖国の行く末を案じ、
家族の幸せを願いながら、戦陣に散った方々。終戦後、酷寒の、あるいは灼熱(しゃくねつ)の、
遠い異郷の地にあって、飢えや病に苦しみ、亡くなられた方々。広島や長崎での原爆投下、
東京をはじめ各都市での爆撃、沖縄における地上戦などによって、たくさんの市井の人々が、
無残にも犠牲となりました』
 『戦火を交えた国々でも、将来ある若者たちの命が、数知れず失われました。
中国、東南アジア、太平洋の島々など、戦場となった地域では、戦闘のみならず、食糧難
などにより、多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、犠牲となりました。戦場の陰には、深く名誉と
尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません』


ここのところは、この記事の最初のところで引用し、主語がないこと、受身表現と
それに類するものが多いということについて、それは『行為の主体をはっきり言いたくない』…
すなわち、日本軍が侵略をし、従軍慰安婦の件にも関与したということを、この政権が
認めたくないというところから来るのだろう、と既に書いた。

ただ、ここに書かれた想いに関しては、私もまったくその通りに思う。まったく同感である。
ここ数年、自分のテーマとして多くの本を読んできた…そのたびにどれほど、これら
日本軍の犠牲になった人々のことを想い、胸ふさがれることであろう…
無論日本人同胞に対しても、だ。広島、長崎。東京など各地の大空襲…
民間人の犠牲者だけでなく、実は私は、ここで批判的に取り上げている日本軍の
個々の兵士たちに対しても、複雑に錯綜した深い愛情と悲しみを抱く者である…
私が激しく憎むのは、このような愚かな戦争を指導した者たちに対してである…。
一冊の本を読むだけでいい。戦場のことを書いた優れた本を一冊、深く、読めば、
戦争の愚かしさや、殺し殺されて行く者たちの悲しみは、もう胸から離れないはずである…
そう思って私は、2年前から戦争小説などをここで紹介してきたのである…

それだけに、安倍談話が、このように美しい言葉を並べつつ、そこに心がこもって
いないことを本当に残念に思うのである。
この談話の文章が、よく練られて書かれたことが察せられ、それにはどれほど
苦心したであろうかということが慮れるだけに余計に残念に思うのだ。
「ああ!これが真率の想いから来た言葉であったなら!」と。
もし、安倍氏の思想が歴史修正主義的な色合いを帯びたものものでなく、
彼が日本国の総理として、心からここで述べられている反省を、その通りに思っているので
あるならば、と…。

首相の言葉が真率でないとどうしてわかるのだ?と問われるだろうか。
だって、ここに書かれたことと、安倍政権がしていること、目指していることには大きな
乖離や矛盾がたくさんあるではないか。
●広島・長崎の原爆のことを口では悔やみながら、今夏、広島の原爆慰霊式典での
スピーチから、『非核三原則を守る』の文言を削除した。
●沖縄の犠牲のことを悔やみながら、辺野古基地は沖縄の民の意に反して強硬建設
しようとしている。
●酷寒の地で散った兵士たちを口で悼みながら、ソ連に抑留された兵士たちへの
差別的扱いと無関心は(安倍政権だけの罪ではないが)いまだにほとんど改善しない。
この問題については、私のリンク欄から『『蟷螂余話』
の池田幸一さんのブログを是非お読みください。
池田幸一さんはシベリアに抑留されていた元日本軍兵士でおいでである。
つい先日も千鳥が淵で行われた『シベリアデー』のこと、池田さんのお名前が新聞に
載っていたが、池田さんは生き残りの一人として、余生を、シベリア抑留の死者たちの
追悼を国が行おうとしないことへの抗議運動に捧げていらっしゃる。
60万人が連行され、6万人の死者がいたのに、だ。

●『戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません』
とまた、首相は口ではいうが、韓国人従軍慰安婦問題になると、この政権とその支持者が
異常に頑なになるのは一体どういうわけなのだ。村山談話、河野談話を否定し、
河野談話に関しては、昨年『河野談話作成過程等に関する検討チーム』まで作って、
その瑕疵を探そうとした。
朝日報道に関してのバッシング。植村記者に対する誤解とバッシング、脅迫も。
(政権がタッチしたというわけではないが、国民は国家の向かうところの風を読む。)
つい昨日も、社民党福島瑞穂議員が、この安倍談話のこの個所に関し、ここで曖昧に
『女性たち』と書かれているのは、韓国人やフィリピン人、などの従軍慰安婦の方々
のことですね、と、安倍総理に問うたが、安倍氏は、ぬらりくらりと答弁を逃げて、
「そうだ」ということを決して認めようとはしなかった。
『戦場の陰で深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たち』については談話中に2度触れているが、
その女性たちがどんな人であったのか、ということを明確にしないで、どうして彼女らのことを
忘れない、などと言えるのであろうか??

『 二度と戦争の惨禍を繰り返してはならない。
 事変、侵略、戦争。いかなる武力の威嚇や行使も、国際紛争を解決する手段としては、
もう二度と用いてはならない』

と憲法の条文を持ちだして言いながら、安倍政権が今、国会でやろうとしていることは、
この、『武力によって国際紛争を解決しようとする』こと。まさにそのための法案の審議ではないか。
そうして、憲法をさえ変えようとしているではないか!!!

『先の大戦への深い悔悟の念と共に、わが国は、そう誓いました。
自由で民主的な国を創り上げ、法の支配を重んじ、ひたすら不戦の誓いを堅持してまいりました』

と談話では言いながら、言論の自由や学問の自由をあからさまに制限しようと
今しゃかりきになっているのはどこの政権だろう?
『「政治的中立」から逸脱した高校教員に罰則を科すための関連法の改正』などを
政府に求めているのはどの政党なのだろう?
こんな締め付けの恐ろしさを本人たちも理解してないのじゃないか。
大学から文・法学・社会学系学部を駆逐しようとしているのは、どの政党だろう?
それらは教育の死である!学問の死である!ひいては、人間の自由な心の死、である!

●『民主的な国を創る』と言うが、閣議決定という姑息な手段で、国民の多くが
願わない集団的自衛権行使を無理やり出来るようにし、憲法の国民主権の原則を
軽視しているのはどの政権だ?
『法の支配を重んじ』と、談話では言いつつ、法治主義を
無視して一内閣の恣意的憲法解釈によって、憲法の精神そのものをなし崩しにして
しまおうとしているのはどの政権だ?
●『法的安定性は関係ない』などという考えられないような暴言を吐いた人物が、
自民党のあの憲法草案作成に携わっていて、しかも辞めない。おそらくこれからも
自民党の改憲に向けての動きで中心的人物になって行くであろう、なんて、最悪じゃないか?
●そしてこれは談話ではなく、2014年公約の文であるが、『月1回被災地に足を運び、
復興を加速してきました』
と言うが、復興は加速などしていない。
オリンピックに巨額の無駄金を注ぎ込む陰で、被災地は置き去りである。


後は、同じような内容の文章の繰り返しになるので、もう細かい批評は省略するが、
何より第一に、多くの人々が反対を叫び、逆にまた「よく言ってくれた」と持ち上げるのも、
『あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の
子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません』


という個所であろう。
私は、この部分の発言を、大きな悲しみを持って聞いた。
このような認識しかないひとが、この国の総理なのか、と。
そうしてアンケート調査によれば、この言を良しとする人が間違っていると考える人より
多い、という事実にびっくりしてしまうのである。
謝罪を続けるとか辞めてもいいとか決めるのは、罪を犯した方の者の側ではないだろう?
いつまで謝罪すればいい、もうやめる時期だ、などということを決めるのも、罪を犯した側の
出来ることではないだろう?

しかし、私が悲しむのは、そういった言わば損得感情や、勝ち負けの感情のようなもの
による議論とは全く関係ないところで悲しむのである…
これはもう…なんと言ったらいいのかなあ…人間の尊厳、人間の倫理観の問題なのである。
国家が上から決めることなどでも決してない。
一人一人のひとが、一個の人間存在として、深く考え自分で決めるべきことなのである。
言わば、一人一人のひとの『良心そのもの』に関わる問題なのである。
子や孫、そしてその先の世代の子どもたち』のことを言うならば、
先の世代の者たちが侵してきた大きな人道的罪について考えるのは、その子たちが
自分で深く深く考えていくべき問題である。
私たち先の世代がすべきことは、彼らの重い荷を取り去ってやることではないと私は思う。
私たち先の世代がすべきことは、歴史の事実を伝えていくということ、そのことである。

私は、私たちの子や孫、そのまた先の未来の子供たちが(私に孫はいないが)、
先人の犯した人道的罪から逃れようと考えるような子供たちでなく、
人間の本質的罪について深く考え、その重い荷物も敢えて引き受ける、本当の強さを
持っている子供たちに育っていっていてほしいものだと心から願う…。

私は、『正見する』という言葉が好きである。
仏教に詳しくないので、仏教でいうところの『正八道』の一である『正見』とはすこし
違う意味で考えているかもしれない。
私が『正見する』というとき、それは『ものごとをひた!と、逃げずに見る』ということだ。
大きな悲しみも引き受ける、ということだ。

私なら、そういう子供たちに育っていってほしい…

『未来の子供たちに謝罪を続ける宿命を背負わせない』という、一見優しく立派に聞こえる
言葉は、なんという欺瞞に満ちているのであろう。
そこには、被害者たちの感情への視点がない。
自分たちの先祖の犯した罪を正見する強さもない。
そして何より欺瞞的だと思うのは、謝罪を続けなければならないような事態を引き起こし続けて
いるのが、かく言う本人たちだからである。
中国や朝鮮半島や、その他の被害国の人々の感情を逆なでするように靖国に参拝し、
教科書の記述から侵略や従軍慰安婦、虐殺などの記述を消そう消そうとしているのは
誰たちであろうか。
謝り続けなければならないような浅はかな行動をして問題を常に蒸し返させ続けてきたのは
誰たちなのであろうか。

『政治は歴史に謙虚でなければなりません。政治的、外交的な意図によって
歴史がゆがめられるようなことは決してあってはならない、このことも私の強い信念であります。』


という自らの言葉と、大きく矛盾しているではないか。

韓国や北朝鮮、中国の人々が今、日本政府に怒っているのは、日本軍の犯した罪、
は無論忘れられないだろうが、むしろ、その事実がなかったことにしようと画策する
日本政府のその卑怯さに対してではないだろうか。
そういう行動を政治家が続けていれば、それこそ。
この国の未来の子供たちは、永遠にアジアの人々に謝り続けなければならないであろう…

この言と同じに欺瞞的だと思うのは、この政権の使う『積極的平和主義
という言葉であろう。
おりしも、つい数日前、この『積極的平和主義』という言葉をもともと広めたノルウエーの政治学者、
ヨハン・ガルトゥング氏が来日していた。
ガルトゥング氏の言う『積極的平和主義』とは、安倍総理が拝借して使っている意味とは
まったく違う。
『平和を戦争のない状態と捉える「消極的平和」に加え、貧困、抑圧、差別などの構造的暴力
がない状態を「積極的平和」ととらえる』視点なのだ。
決して、軍備を持った自衛隊を世界に展開させて行くことなどではない。
ガルトゥング氏の積極的平和主義については、私の過去記事、『この国の行方 ②』で、少し触れているので
興味のある方はお読みください。


首相がこの談話で縷々訴えようとしているように、国としてのプライドというものは必要である。
人は、『負の感情』だけを抱いて生きるのはつらい。
だが。日本民族の誇り、というものは、自分たちの先祖が犯してきた罪を、しっかりと
逃げずに見つめることからしか生まれないと私は思う。それを正見し、どのような
悲しみも恥も慙愧の念も、正々堂々と受け止めることからしか。

最後に。
日本が『この道しかない』と思って突き進んできた道…。
もう価値観が一本化されてしまい政府や軍部に異を唱えることなど出来なくなっていた時代に、
それに対し『違う道』を示した二人のひとがいた…
次の記事では、その二人のことを話してみたい…




『キャンドル・ナイト 53』

53回目のキャンドル・ナイト。

2015年8月11日。川内原発1号機の制御棒が引き抜かれ、再稼働した。
これを書いている夜10時。……あと1時間もすれば、臨界に達するであろう。

深い怒りと悲しみ…。



何なのだ!この国は!

あれほどの過酷事故…福島第一原発事故を経験しながら。
その後の福島の人々の苦悩を知っていながら。

福島の被災者の一部家族の方々にとっては、月命日である11日をわざと選んで再稼働したのか?!

なんだか、もう、…反吐が出そうだ!
あれやこれやのあまりの愚かしさに!

私はもう、再稼働を歓迎した地元の一部の人々にも、これからは一切、斟酌などしない!

今夜はろうそくを灯すのに、いつものような優しい花々の設えさえ施したくない。



2015_0811_220501-CIMG4951.jpg



とても…悲しい…











心ひとつに キャンドルナイト






南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。

















プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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