『ほととぎす』


5月28日深夜。いや、もう29日だ…

今年もまた、ホトトギスの初音を聴く…

深夜1時過ぎ。まだ起きて明かりを灯した私の部屋の上空を、ホトトギスが
啼いて過ぎていくのである。
その声といったら!……

毎年毎年、このホトトギスの訪れる日を楽しみにしているのだけれど、
今年は、いつも大体このあたりに来る、という時期が来てもなかなか来ない…
耳ざとい娘に訊ねてみたけれど、『いや、そう言えば、今年はまだ聴いてないね』とのこと。
『もういなくなってしまったのかな…』と悲しんでいたところだった。
ホトトギスはウグイスなどに托卵する。
ウグイスがいなくなれば、ホトトギスもいなくなるということなのだ。
人間が、とめどない開発で鳥や獣の住む場や食べ物を奪って、ウグイスやホトトギスの
住む場は随分少なくなっていっているだろう…ましてや市街地においては。
いつ、来なくなるかと、毎年毎年案じつつ、その声の聴ける日を待っている…

今年もそれが聴けたのである。
…なんというのかなあ。この幸せ感は……。
ただ幸せというのではない。毎年同じことを書くけれど、これしか私には言いようがないので…
生けるものの『魂極まる(たまきわまる)』声を聞いた、とでもいうような、共感の心に
胸が打ち震えるのである…

昨年もホトトギスのこと記事にしたけれど、その時、ある方に、崇徳上皇の歌を
教えていただいた。

ほととぎす夜半に鳴くこそあはれなれ闇に惑うはなれ一人かは



ああ…いいなあ……

『なれ一人かは』の『かは』は反語的表現の助詞である。
闇に惑うのはお前一人なのか、いやそうではない、(私もまた…)
と、自分の想い自分の孤独を重ねているのである…

崇徳院。保元の乱で讃岐の地に流され、二度と都に戻ることは無かった…
恨みを抱いて死んで、『怨霊』として描かれることもあるけれど、私には
この地上に、かつて在った、孤独なひとりのひと、でしかない…

配流の地で、深夜、一人聴くホトトギスの声。
その声は、そのさびしい胸の内にひときわしみじみと響いたことだろう…

文学というものの素晴らしいところは、時空を超えて、一飛びに、見知らぬひとの魂と
結びあうことができることである…
ここにもひとりの『孤独な魂』が……、という、
しみじみとしたひとりのひとへの共感と、人の世のはかなさへの同調の想いを抱く…

また、言葉の通じぬ一羽の鳥、姿さえ見ることのできぬ一羽の鳥と、
生きとし生きるものとしてのなんともいえぬ淡い魂の交感をすることでもある…

それは、とてもとても寂しいのだけれど、なんとも言えない幸せな感覚でもある。













スポンサーサイト

『日本国憲法をなぜ守りたいか その7 押しつけ憲法?②』


前の記事で、極めて大雑把ではあるが、ポツダム宣言から日本国憲法施行までの
流れを書いた。
今度は少し、詳しく書いていこう。

Q7:アメリカ側の対日政策はおよそどういうものだったの?

二つ前の記事で、2月4日から12日までの間に憲法草案を書きあげたGHQ民政局の
主な人々の経歴をざっと紹介した。
それをご覧になって、なにかお気づきになられたことはないだろうか。
多くの人々は軍人であり、どの人物も若くはあるが、軍人になる前にすでにかなりの
民間での経歴の持ち主だということは共通しているようだ。
だが。…私が注目したいのは、
彼らの多くが、軍に入って後、『シカゴ大学民間要員訓練所』『ハーバード大学民間要員訓練所』
というような、『民間要員訓練所』というところで一定期間勉強しているという記述である。

『民間要員訓練所』とは何であったろうか。
アメリカでは第二次世界大戦に参戦することが決まって以来、敵国ドイツ、イタリアなどの
あらゆる面の戦略的研究がおこなわれていた。日本についても無論例外ではなく、
多くの日本研究者がOWI(Office of War Information:戦時情報局)やその他の政府機関に
動員されて、日本の軍事面だけでなく、社会のあらゆる側面における文化人類学的
研究を行っていた。
これは、敵国である日本の社会機構や国民性を深く研究することによって、戦場における
日本兵たちや司令部の行動心理や作戦パターンを知り、日本兵の気力を挫くための
プロパガンダや、彼らの抵抗の激しさと限界を知り作戦に応用すること、また
アメリカが戦争に勝った後の日本における占領政策を立案する時の手引とするために、
周到に研究がおこなわれていたのである。
OWI(戦時情報局)の命を受けてなされたこうした日本研究の成果の一つに、
かの、ルース・べネデイクトによる日本研究(後に『菊と刀』と題され、日本でもベストセラーと
なった)があることは有名な話だ。

『Civil Affairs Training Schools:CATS(民事要員訓練所)』も、そのような組織の一つであって、
民事行政に特別な技能を持つ民間人2500名を予備役将校に任命し、民間の大学で
軍政に関する特別講座を履修せしめるというものであった。
1944年には、陸軍は、3ヵ月間の講座を教える民事訓練所を、シカゴ、ハーバード、ミシガン、
ノースウエスタン、スタンフォード、イェール大学などと協力して設置し極東プログラムを
進めていったのである。
GHQには、優秀なスタッフが、戦時最盛期の1948年には、4739名もいたという。
民事行政を専門とする文官の多くは、アメリカの一流の大学から選抜されて,
陸軍や海軍の軍政学校や、この民事要員訓練所(Civil Affairs Training School
:CATS)の短期養成コースに入学して、語学や日本研究以外に、国際法、心理学、
民事行政、政治学について集中的に学んだ。それからさらに,カリフォルニア州に
置かれたCASA(Civil Affairs Staging Area:民事要員駐屯所)で2ヶ月,最終訓練を受けていた。

それらの中でも、マッカーサーの意を受けた腹心ホイットニー准将のもとで
始められた日本国憲法の草案作成に選抜された人々が、どれほど優秀な人員であったか
推して知るべし。

彼らの思想面での志向はどういうものであったか。
ホイットニー准将は、共和党支持の保守主義者であった。しかし、憲法作成の実質的
責任者ケーディス大佐は、ルーズベルトのニューディール政策信奉者であって、
マッカーサーと共に、敗戦国日本で、理想的民主的国家建設の夢を抱いていた。
彼はその10年前にアメリカでとられた社会主義的改革ニューディール政策を
日本にも当てはめられると確信していた。ルーズベルト政権下で、公共事業局、
財務省顧問、臨時国家経済委員会委員を歴任した人物である。
そのケーディスの下、ベアテを含む民政局のスタッフは、若々しい情熱をもって、
当時の世界における最高レベルの憲法を作成しようと立ち働いたのである。
自分たちの手で、当時の世界における最高峰の最先端の憲法が作れることに
純粋に意気込んでいた。思想はさまざまであったが、違いは問題にならなかった。
若いといえども、彼らは日本にとって、結果的に、最良の知性、最良の人選であった、
ということが言えるのではなかろうか。

だから、今の日本国憲法を批判する者が、草案を作ったこれら民政局のメンバーを
『素人集団』と揶揄し、そのことをもって、憲法の内容そのものを軽んじるのは了見の
狭い話である。要するに、出来上がったものが優れているか否か、それが問題なのである。

私は、今回この記事を書くために、いろいろな本などを読みかえしていて、残念なことでは
あるが、『世界を見る目』また『情報戦』という意味ででも、当時の日米政府の、力と意志の
大きな大きな差を感じないわけにはいかない。
軍事面の情報戦、ということに関して、日米間に大きな差があったことは、皆さんも
御承知の通り。日本軍の艦船などの兵力から兵士の糧食そしてその行動パターンに
至るまで、細かく調べ上げていた米軍に比べ、日本は、敵性言語として英語などを
使うことを民間にまで禁止し、天気予報さえ民間に知らせるのは終戦まで原則禁じていた。
このため、昭和17年8月27日に長崎県に上陸した台風により山口県を中心に
1158名が死亡するという悲劇などもあった。台風の予測が出来なかったため
被害が広がったのである。
軍に対しては天気予報は暗号で送られていたし、気象担当士官もいて、命がけで
気象観測をしていたが、それも日本軍の撤退や通信の不良などから、天気図で
観測データが記入されていない範囲がどんどん広がっていく。
一方終戦直前のアメリカ軍は、日本付近の制空権を完全に握っていたため、
飛行機による気象観測結果を暗号を使わずに平文で送信していたので、
日本側は、この送信を傍受し、天気図に記入して利用していた、という情けないような
悲しいような話がある。
自国民を自然の猛威にさらしてまで実施している日本の気象報道管制は
終戦末期には完全に意味をなさなくなっていたのである。

余談だが、太平洋戦争初期の昭和17年3月1日、破竹の進撃を続ける日本軍の前に、
アメリカの南西太平洋方面司令官のダクラス・マッカーサーは、「私は必ず帰ってくる」と
言ってフィリピンを去っている。
その2年半後の昭和19年10月20日、アメリカ軍の主力がレイテ島へ上陸を開始し、
マッカーサーは「私は帰ってきた」と自由の声放送局より第一声を放送。
12月16日、アメリカ軍はルソン島決戦を期して日本軍の虚をついてミンドロ島へ
主力をもって上陸開始をする。レイテ島では米軍残留部隊が日本の敗残兵約1万3千人
と激戦が行われていた。
このとき、台風がアメリカ軍を襲う。この嵐で、アメリカは3隻の駆逐艦が転覆・沈没、
700名以上が死亡した。
徹底した補給が行われ、アメリカ軍の反攻のスケジュールが少し遅れただけで、大勢に
変化はなかった。
ちなみに、当時の日本の天気図には、フィリピンの東海上には低圧部があるだけで、
台風は解析されていない。
台風によって、大きな被害を受けたアメリカ国防省は大きな衝撃を受け、それで
台風情報の重要性を実感。翌年から太平洋の台風についての観測や予報を
行う組織、空軍と海軍合同の組織ができ、それが発展したのが「合同台風警報
センター(JTWC)」であった。戦争が終わり、合同台風警報センター(JTWC)は、
太平洋地域の台風防災に大きな貢献をする。
特に、飛行機を用いた台風の観測は、台風情報の飛躍的な向上をもたらし、台風防災に
果たした役割は大きかった。
これに使われたのが、あの爆撃機B-29を改造した台風観測用のWB-29である。
B-29は、丈夫な機体と長い航続距離、観測機器を積める広いスペースを持っており、
台風観測に適した飛行機であった。
こちらのサイトから引用しました。
http://bylines.news.yahoo.co.jp/nyomurayo/20151218-00052479/


話を元に戻し。
『戦争の終わらせ方』についても、日本は全く考えていなかったのに比し、アメリカ当局は
ルース・べネディクトの研究にも見るように、いずれアメリカが勝利することを
確信したうえで、その終わらせ方、敗戦国日本の処理の仕方までを、周到に
研究・計画していたのである。

●1943年(昭和18年)12月29日。
戦前の駐日大使を経て大戦末期に国務長官特別補佐官を務めたジョセフ・グルーは、
シカゴで演説。日本の軍国主義は徹底的に罰しなければならないが、戦後改革の際には、
偏見を捨て日本の再建と国際復帰を助けるべきだと主張。日本人の天皇崇拝という面は
平和国家再建のために利用できると主張している。さらに、天皇主権の明治憲法は改正され、
日本に議会制度を再建し政党制度を確立する必要性を論じている。

●1942年(昭和17年)。
国務省では、戦後政策を検討する特別調査部領土小委員会に1942(昭和17)年8月極東班を編成。
翌1943年7月には極東班での研究を踏まえ、米国の基本方針をまとめた
「日本の戦後処理に適用すべき一般原則」を作成。
1944年3月。「米国の対日戦後目的」を作成。それは、2月に陸軍省と海軍省が国務省に対して
行った極東地域の占領統治に関する質問に対する回答であった。対日宥和的であった。
第一段階では海外領土の剥奪や武装解除などの厳格な占領、第二段階では緊密な監視下での
軍国主義の一掃と民主化、そして第三段階では日本の国際社会への復帰が想定されていた。
対日占領政策の「原型」ともいうべきこの文書をもとに、のちの「初期対日方針」が作成された。
同年12月。国務省・陸軍・海軍の三省調整委員会、通称「スウィンク(SWNCC)」が設置され、
ここでの決定が占領軍の政策となった。

十分かつ綿密な日本研究と、激しい議論の後にまとめられたこうした対日占領政策。
それは、マッカーサー個人の占領政策に対する考えとも一致し、アメリカの意思は
ポツダム宣言を経、その後も頻繁に発せられた対日方針によって、日本側に繰り返し
繰り返し伝えられていた。
すなわち、徹底した武装解除と軍国主義思想の排除。民主主義思想の普及と文民政府の樹立、
そして日本の国際社会への復帰という計画である。
天皇の処遇については、戦争中の詳細な日本研究の結果からも、日本人民の天皇崇拝を
利用して、戦後日本の占領政策を進めた方がいいという考え方がGHQの大方の意志であった。
昭和18年のジョゼフ・グル―の演説に見る通り、まだ日本の戦争中のかなり早い時点で、
アメリカは、日本占領統治のために天皇を利用するという考えをもっていたことを
ここで一応確認しておきたい。



浅間丸

これは、1944年(昭和19年)にアメリカ海軍が作成した、"Japanese Merchant Ships Recognitional Manual"
日本の商船の船体などの認識マニュアルである。
http://archive.hnsa.org/doc/id/oni208j-japan-merchant-ships/index.htm

何の目的で作られたかは言わずとも明らかであろう。
開戦に至るまでの期間、米国は日本側のあらゆる情報を収集していた。
パナマ運河やチェサピーク湾を通過する日本商船を右舷・左舷・平面と三方向から、
有事の際に役立たせる目的に撮影していたのである。戦争が始まると撮影した写真を
基に攻撃対象の船舶であることを認識する情報として陸海軍の航空部隊や各種艦艇に
提供していた。

いつか別の記事にしたいが、これも見てほしい。
太平洋戦争中に沈没した日本の民間船舶の名前と位置である。

日本船舶
http://www.nyk.com/yusen/kouseki/200812/








調べていて、しみじみ思う。
アメリカという国は、大変に寛大で民主的な国ではあるが、またその一方で、
底知れず恐ろしい国でもある。
敗戦国日本の指導者たちは、『自分たちが完膚なきまでに戦争で打ち負かされたこと』
その『敗戦国としての自分たちの立場』『アメリカが要求していること』に対する、しっかりとした
認識が果たしてあったのであろうか…

今なお、一部の人ではあるが、
『日本はアメリカに負けたのであって、中国や朝鮮に負けたわけではない』などと
強がりを言う者がいる。
だが、なぜ、日本はアメリカと、あの無謀な戦争を戦うことになったのか。
日本が、『自衛のため』と、アジアに侵略の手を伸ばして行かなかったならば、
アメリカと戦うこともなく、原爆を落とされることもなかった…沖縄も…

ほとほと戦争は嫌である。
軍備によるのではない、戦争を避けるための知恵を、世界の国々と共に駆使すること。
日本国憲法が高らかに歌いあげた人類の理想は、まだ達成には程遠いばかりか
逆に遠ざかって、再びきな臭い風が吹いている…。
いましも、三重県志摩でG7サミットが開かれているが、会議を成功させて選挙に
役立て改憲に必要な議席数を衆参両院で手にしたいとたいと思う安倍氏の
引っ張っていきたい方向と、他の国々の思惑は微妙に異なっているようである。
テロとどう向き合うか。難民問題をどうするのか…、
アメリカ以外はあまり関心を示さないであろうが、アジアの安定をどう守るのか…
テロ問題や国際紛争は、武力では解決しない。武器によっては、世界の不幸は絶対に解決しない。
そのことは歴史が示しているではないか!

安倍政権の下、防衛省は、2016年1月29日。民間船員を予備自衛官とし、有事の際に
活用することを計画。これに対し、全国の船員で作る労組の全日本海員組合が29日、
東京都内で記者会見し、「事実上の徴用で断じて許されない」とする声明を発表した。
防衛省は「強制はしない」としているが、現場の声を代弁する組合が「見えない圧力が
かかる」と批判の声を上げた。
 防衛省は、日本の南西地域での有事を想定し九州・沖縄の防衛を強化する「南西シフト」
を進める。だが、武器や隊員を危険地域に運ぶ船も操船者も足りない。同省は今年度中にも
民間フェリー2隻を選定し、平時はフェリーだが有事の際には防衛省が使う仕組みを作る。
今年10月にも民間船の有事運航が可能となる。
一方、操船者が足りないため、民間船員21人を海上自衛隊の予備自衛官とする費用を
来年度政府予算案に盛り込み、有事で操船させる方針。


http://mainichi.jp/articles/20160130/k00/00m/040/091000c










『日本国憲法をなぜ守りたいか その6 押しつけ憲法?①』



Q5:日本国憲法って、日本人が作ったんじゃないの?GHQの押しつけなの?

改憲を叫ぶ人々の持ちだす大きな論点の一つが、
「現日本国憲法は、日本人が作ったものじゃない。GHQに押し付けられた『みっともない』憲法だ」、
ということである。
公平に言って、『GHQの押しつけ』の要素は否めない、と私も思う・・・。
だが。なぜそうなった?
皆さんとっくにご存じのこととは思うが、日本国憲法が生まれるまでの動きを復習してみよう。

実は、この記事は、あまりに煩雑なので、書いてはみたもののボツにしようかと考えていたものである。
だが、この後の記事を書いていくのに、やはり、日米の憲法に関連した動きは、抑えて
おかないと、理解が浅くなるかなとも思ったので、一応載せておく。
憲法改正を巡る、日米の人々の激動の1年余の記録である。
ここに取り上げたのは、実はほんの一部にすぎない。マッカーサーのGHQと
アメリカ本国の間には、頻繁な指令のやり取りがあったが、ここでは取り上げていないし、
GHQが、日本政府に出した指令も全部は書いていない。
それでも、これをざっと見ただけで、ポツダム宣言受諾から日本国憲法制定までの
慌ただしい動きがおよそわかっていただけるだろう…
とりわけ、1945年9月、マッカーサーが日本側に憲法改正の示唆を出してから、
翌年2月、部下のベアテなどを含む民政局スタッフに急遽、憲法草案を作成するように
命じた5ヶ月間の間の日本側の反応や動きを中心に取り上げてみたい。
当初日本側の自発的な改憲の動きを期待して、ほとんど静観を続けていたGHQが
なぜ、急に自分たちで草案作成に至ることになったのか。


                  ***


日本は戦争に負けた。
1945年8月14日  ポツダム宣言受諾。
 ポツダム宣言は、日本の無条件降伏と日本軍の完全な武装解除軍国主義の駆逐
 戦争犯罪人の処罰民主主義的傾向の復活強化と、これを妨げるあらゆる障碍の排除
 言論、宗教及び思想の自由並びに基本的人権の尊重の確立、など13の項目からなっていた。
 これに対し、日本側が出したぎりぎりの条件は、国体護持、すなわち、明治憲法と変わらぬ
 天皇の地位身分の保証である。だが、米国務省からの返事は、
 『日本国の最終的の政治形態は、ポツダム宣言に遵い(したがい)日本国民の
 自由に表明する意思により決定せらるべきものとす
』という、極めて含みのあるもので、
 国体護持は保障されたとも否定されたとも言えないものであった。日本側では、これを、
 国民がそれを望めば国体は護持される、と解釈して、その後の改憲などもろもろの事案の
 考え方に甘い見通しや対応を残す原因となっていく…


8月15日  玉音放送。
8月17日   東久邇宮稔彦内閣成立(副総理格に近衛国務相)。
8月28日  東久邇宮首相、記者会見で国体護持全国民総懺悔を呼びかけ。
8月30日  連合国最高司令官マッカーサーが厚木に到着。
9月2日  東京湾の米戦艦ミズーリ上で降伏文書に調印。
9月6日   トルーマン、「初期対日方針」(SWNCC150/4)を承認し、マッカーサーに指令。
        これは、占領の究極目的として、平和的で責任ある政府の樹立と自由な国民の意思
        による政治形態の確立
をうたっていた。
9月9日   マッカーサーは、日本管理方針を発表。
        『天皇陛下及び日本政府は、マッカーサー元帥の指令を強制されることなく
        実施するためのあらゆる機会を提供される
。日本の軍国主義及び軍国的
        国家主義の根絶は、戦後の第一の目的であるが、占領軍の一の目的は、
        自由主義的傾向を奨励することである。』

9月18日  外国人記者会見で、東久邇首相は、『憲法改正の用意はあるか』
        尋ねられた時、『内閣はGHQの矢継ぎ早な要求の対応に追われて、内政面
        においてどんな改革を行うべきか、そんなことを考えている余裕はない』と
        答えている。つまり、この時点で、日本側に憲法改正の必要性の認識や、
        ましてや国体の変更可能性への認識はおそらくなかったらしい。
9月21日  朝日新聞が『終戦政治の基本的動向』という記事を書き、憲法改正問題に触れた。
        陸海軍の解体で、大元帥陛下の軍隊指揮権に関する大日本帝国憲法第11条、
        第12条は空文化した。このことは、国家基本法(憲法)の再検討にまで発展
        していくだろう、と、指摘
したのである。
同日     これを見たか、内大臣木戸幸一は松平秘書官長に憲法改正問題につき、
        調査を依頼。
        だが、大方の要人や識者は憲法改正の要については、根本的変革などは
        もとより考えても見ず、解釈変更や追加的法整備で間にあうだろうと考えていた
ようである。
        ポツダム宣言にある『(日本の)民主主義的傾向の復活強化』の文言を、
        「GHQは、明治憲法下においても大正デモクラシーの時代など日本にも
        民主主義の時代はあった』と考えているのだと解釈
し、大きく変える必要はあるまい、と。
       ●国務大臣小畑敏四郎元陸軍中将の言葉。『憲法より急を要するl問題がある。
        GHQが日本の内情を全然知らずに占領政策をやるとなると間違いが起こる。
        すべては、占領政策の基本方針が何か、それを確かめてからでいい。こっちから
        急いで憲法改正などをいうよりは、そっちの方が大事だと思う』

しかし。
10月3日。 東久邇宮内閣の山崎巌内相が『思想取締の秘密警察は現在なお活動」中であり、
        共産党員は拘禁を続けると公言。そして『政府形体の変革とくに天皇制廃止を
        主張するものはすべて共産主義者』
だと語る。これは明らかにポツダム宣言の
        趣旨に反する発言であり、GHQの、日本民主化の方針に背く発言
である。

10月4日  これに反応してか偶然にか。GHQが『自由の指令』を発令。
        『政治的民事的及宗教的自由に対する制限の撤廃に関する覚書』である。
        ①政治犯の10月10日までの釈放 ②思想警察など一切の類似機関の廃止。
        ③内務大臣及び警察関係の首脳部、弾圧活動に関係のある官吏の罷免
        ④市民の自由を弾圧する一切の法規の停止。などである。

 同日。   マッカーサーが近衛文麿に憲法改正を示唆(と近衛はとった)。
        近衛は実は、●印で引用した、友人国務大臣小畑敏四郎元陸軍中将の、
        『GHQの意向を確かめた方がいい』という言もあって、この日、GHQを訪ね、
        マッカーサーに面会したのである。
        この日のマッカーサーの発言は、近衛に同行していた通訳奥村勝蔵によって
        記録に残されている。マッカーサーはこう発言した。
        『第一に、憲法は改正を要する。改正して自由主義的要素を十分に取り入れ
        ねばならぬ。第二に議会は反動的である。しかし、解散しても、現行選挙法
        の下では顔ぶれは変わっても、同じタイプの議員が出てくるだろう。それを
        避けるためには選挙権を拡大し、婦人参政権と労働者の権利を認めることが
        大事である』

        『日本政府が合理的な手続きで、必要な処置を講ずることを希望する。しかも
        できるだけ早くしなければならない。でないと、摩擦を覚悟しても、われわれが
        これをやらねばならなくなる』

         だが実はこのマッカーサーの発言は、H・E・ワイルズ『東京旋風』によれば、
          近衛が『政府の構成について何か意見があるか』と問うたのを、通訳が
          『構成』という語をconstitutionと訳し、それをマッカーサーが『憲法』の意と
          とった、という話もあるという。ワイルズは、後に民政局において、あの憲法案
          起草にもかかわっている人物である。

         近衛はマッカーサーが、憲法改正草案を作成することを自分に示唆したととり
         動き出す。
    
10月5日  前日のマッカーサー『自由の指令』に反発した東久邇宮内閣は総辞職。
10月8日  近衛は、法学者高木八尺を同行して、GHQ政治顧問アチソンを訪問。憲法改正
        について助言と示唆を求める。そして木戸内大臣を訪ねて、早くこちらから
        憲法改正を行わないとGHQから改正案を突きつけられる恐れがあると警告する。

10月10日 近衛は内大臣御用掛に任じられ、天皇から、憲法改正について研究調査を
        命じられる。これを受け、近衛文麿は、元京都帝国大学教授佐々木惣一に
        改正案の起草を依頼
する。

10月11日 幣原は、近衛のことを聞き驚愕。大日本帝国憲法を改正するなどとんでもない
        と怒る。国務大臣で商法の権威松本烝治は、「近衛ら宮内省や内大臣府が
        憲法改正問題を扱うなどとんでもない。改正の発議は内閣の輔弼において
        なされるべき問題である」と反発。厚生大臣芦田均も速やかに内閣の手で
        憲法改正の調査を行うべきと発言。
10月12日 政府は憲法問題の調査にあたることを決定。松本烝治が専任相に任命さる。

以降、幣原~松本烝治の内閣主導の憲法改正の要否研究の動きと、近衛~佐々木惣一の
内大臣府主導の憲法草案作成の動きとが、競い合う形となる。

10月21日 近衛は外国人記者団との会見で、天皇退位の可能性を示唆。だがすぐに撤回。
10月25日 幣原内閣は松本烝治を委員長とする『憲法問題調査委員会』を設置。
        ただ、松本らに本気で明治憲法を改正する意図など無かった。
        近衛らの動きに対抗したのに過ぎない。
        松本委員長は「直ちに改正案の起草に当たることは考えていない」と談話。       
        『憲法問題調査委員会』という名称にしても、『改正』などという語を使っていないのは
        『ただちに改正を意図するものではなく、改正する必要があるか否かを調査する
        ものである』という彼らの認識のありようを示していた。
        松本は『たっぷり時間をかけた方がいい、早くやろうとすると行き過ぎのような
        ことが起こる』と、発足時からすでに消極的であった。
11月1日  GHQが声明発表。連合軍当局は近衛の憲法改正を支持していない。
        近衛は、東久邇内閣総辞職によって、副大臣職を解かれているので、
        今はその任にない、と。
        この近衛に対する梯子はずしの裏には、ワシントンから送られてきた戦犯
        リストに近衛の名が入っていたことがあったという。
        それでも、近衛~佐々木惣一は大綱を完成させている。それは、GHQの
        意向も理解してとりいれたものであったという。天皇の統治権については、
        GHQの意をくんで、万民の翼賛による旨を明らかにしていた・・・・・・

幣原~松本のいわゆる松本委員会の審議は、基本、明治憲法の手直しでなんとか
切り抜けられるであろうという、甘い見通しに立った議論
であった。しかも、極秘のうちに
行われていて、近衛らのようにGHQの意向を確かめつつ、などということも一切なかった。

また、当時活発に作成されていた民間などの憲法草案を参考にすることもなかった。
彼らは、ポツダム宣言の際の国務省からの回答『日本は国民の自由に表明せる意志によって
政府の形態を決定することが出来る』という文言を拡大解釈して、憲法も明治憲法の
手直しで済むと考えたのである。 

11月22日 近衛が、佐々木惣一と作成した『帝国憲法改正要綱』を天皇に奉答。
11月24日 憲法問題調査委、第4回総会で各委員が改正試案を起草することを申合せ。
12月8日  松本烝治、衆議院予算委で『憲法改正四原則』表明。
        これは、第一原則として『天皇が統治権を総攬せらるる原則に変更がない』
        としてあって、明治憲法を相変わらず手直ししただけのものであった。

        例えば、明治憲法の天皇条項の、天皇は『神聖ニシテ冒スべカラズ』という
        文言を、『至尊ニシテ冒スべカラズ』と、わずか一語を変えるというような。

だが、憲法問題調査会が、GHQの意向を探ろうとも真剣に汲もうともせず小手先の
解釈で終始しようとしている間も、実は、アメリカ本国の世論は、天皇の地位をめぐり、
天皇の戦争責任は免れないという相変わらず厳しい認識を示しており、
ワシントンの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会では、下部の極東小委員会
において、天皇の身柄・処分について、激しい論議を積み重ねていたのである。
トルーマンは、10月、
アメリカ政府は、「裕仁天皇は戦争犯罪人としての逮捕、裁判、処罰から全く免責
されたわけではない」と考える』『裕仁天皇なしで、占領がうまくいくと判明したときは、
天皇の裁判問題は当然に提起される
』という厳しい前提の下、天皇に国際法違反の
責任があるかどうかの極秘調査・証拠集めをマッカーサーに指示し、最終判断を
マッカーサーに委ねることにするのである。
日本の幣原~松本らは、こうしたアメリカ側の厳しい認識も知らず、国体護持
という不文律から一歩も出ず、甘い期待の下、相変わらず小手先の解釈議論を
悠長にやっていた…

12月16日  戦犯指定を受けた近衛、服毒自殺。
12月26日  憲法研究会が「憲法草案要綱」を発表。
        これは、民間の憲法研究会で出されたいくつもの試案を、戦前から左派の立場で
        憲法史研究を続けていた鈴木安蔵がまとめるかたちで作られた、民間人発の
        憲法草案
であった。 
1946年1月1日 昭和天皇が「人間宣言」を行う。

2月1日  毎日新聞が「松本委員会試案」をスクープ。
        これをもって、マッカーサーと民政局の側近は、日本にはポツダム宣言の要求を
        満たすような草案を作るような意志も能力もないと判断。
GHQが作って日本側にたたき台として
        示すことを決定するに至るのである。



毎日スクープ


 
2月3日  マッカーサーが3原則を提示、民政局にGHQ草案の作成を指示。

2月8日  日本政府がGHQに「憲法改正要綱」を提出。
2月13日  GHQは要綱を拒否、日本側にGHQ草案を手渡す。
        ホイットニー准将と側近の三人が外務大臣公邸を訪れ、松本烝治と吉田茂に
        GHQ草案を差し出す。日本側は、ホイットニーらが、2月8日日本側が出した
        『憲法改正要綱』について話し合いに来たものだとばかり思っていたので驚愕
        するのである。GHQ側は、基本のところは変更できないが、全く日本側の修正を
        許さないというものではないといい、一両日中に日本政府の回答がない場合は、
        GHQ案は、新聞で広く発表する、と、日本側を強く牽制。
        また、この受け入れにより、天皇の身分も保証されるということを強く念押し。
        すぐに日本側は閣議を開き審議を開始するだろうと思っていたGHQだったが、
        内閣はなんと19日までそのことを知らされなかった。松本らの驚愕と狼狽が
        想われる。

3月4日。  日本側は『日本政府草案』(実際上はGHQ案の日本語訳に近い)をGHQに提出。
        ただ、日本側は、GHQの意向を和らげようと必死で細かい点で修正を試みている。
        このことについては、続く記事で詳しく書く。

さて。ここから先は、前の方のベアテなどの記事で書いたので、繰り返しは避けよう。
アメリカ側と日本側が一緒になって、憲法草案の逐語訳の突き合わせ作業が30時間
ぶっ続けで行われることになるのである。ベアテもその席に通訳としていた。

3月6日  日本政府、GHQとの協議に基づいた改正要綱を発表。
5月22日  第1次吉田茂内閣が成立。
6月20日  第90回帝国議会に改正案を提出。
11月3日  日本国憲法を公布。
12月1日   「憲法普及会」が組織される。
1947年
5月3日  日本国憲法を施行。

その間の細かい修正論議は、以下のとおりである。

4月17日  日本政府がひらがな口語体の「憲法改正草案」を発表。
4月22日  枢密院で審議開始。
6月8日   枢密院で可決。第90帝国議会に提案される。
8月24日  衆議院で一部修正を経て、可決。貴族院に送られる。
10月6日  貴族院で再び一部修正を行なった後、可決。
        修正があったため再び衆議院に戻される。
10月7日  衆議院で修正部分を含め、可決。再び枢密院に送られる。
10月26日 枢密院において修正部分について審議された後、可決。
1946年11月3日、日本国憲法として、公布。


『『日本国憲法をなぜ守りたいか その5 素人が作った憲法? 』


Q4:日本国憲法はGHQの法律には素人の人たちが作った憲法なの?

憲法を自分たちの手でつくり替えなければ、と主張する人々が、よく挙げる
日本国憲法の問題点として、このことがよく言われる。

すなわち、マッカーサーは、遅々として進まぬ、日本政府による憲法草案作りに
業を煮やし、部下の民政局の人々に、憲法草案を作るよう命令する。期間は、2月4日から
1週間とされていた。
確かに、彼らは、憲法学の専門家集団ではなかった。

それでは、幣原喜重郎首相の下、担当相松本烝治をトップにして組織された
『憲法問題調査委員会』(いわゆる松本委員会)の委員は、どういう人々だったのだろうか。

●委員長で担当国務大臣松本松本烝治は、商法学者。東京帝国大学卒業。
東京帝国大学教授。満鉄に移り、副社長となる。第二次山本内閣で法制局長官。
貴族院議員。斎藤内閣商工大臣。その他、多数の会社の役員や日銀参与・理事等
を務める。この間、商法改正やその他の立法に貢献した。
[顧問]
●清水澄(枢密院副議長・学士院会員)
●美濃部達吉(学士院会員、東大名誉教授)
●野村淳治(東大名誉教授)
[委員]
●宮沢俊義(東大教授)
●清宮四郎(東北大教授)
●河村又介(九大教授)
●石黒武重(枢密院書記官長のち法制局長官)
●楢橋渡(法制局長官のち内閣書記官長)
●入江俊郎(法制局第一部長のち法制局次長)
●佐藤達夫(法制局第二部長のち第一部長)
その他にも委員、補助員、嘱託として、錚々たる学者・官僚たちが、これに携わっていた。
法制局長官経験者も多いということは、言わば憲法のプロ集団であると言って
よかろう。いずれも日本を牽引する知性たちである。


一方、民政局側の人々はどんな人々であったのだろうか。
この仕事にあたった民政局メンバーは、25人。それが8つの委員会に分けられた。

●民政局局長コートニー・ホイットニー准将。マッカーサ-の分身とも呼ばれ、その懐刀
 ともなった人物。当時49歳。陸軍航空隊の中尉時代、ワシントン駐留中、コロンビア・
 ナショナル・ロー・スクールの夜間部に通って、法学博士の学位をとっている努力のひと。

●運営委員会の責任者はチャールズ・L・ケーディス大佐。コーネル大学及び
 ハーバード・ロー・スクール卒業。ニューヨークで法律事務所の所属弁護士をしていた。
 連邦公共事業局副法律顧問、第二次大戦ではヨーロッパ戦線の激戦地で戦ってきた。



                  Charles_Kades.jpg
             チャールズ・L・ケーディス。Wikipedeiaからお借りしました。

●マイロ・E・ラウエル陸軍中佐は、スタンフォード大学で学士号を取った後、ハーバード・ロー・
 スクールで学び、さらにスタンフォードに戻って法学博士の学位取得。
 多くの民間会社の顧問弁護士、政府機関の法律顧問、ロサンゼルスの連邦検事補。
 入隊後は憲兵参謀学校、軍政学校、日本占領のための特殊教育機関だった
 シカゴ大学民事要員訓練所。
 ホイットニー准将が民政局長に赴任する前から法規課長として、日本の政党や
 民間の憲法学者と積極的に接触。
 彼は、高野岩三郎、森戸辰男、鈴木安蔵らの民間の憲法研究会の草案を
 精査。すぐに翻訳して上に通して検討を仰いでいる。彼ら民政局のメンバーが
 作った日本国憲法草案の中身には、この鈴木らの民間、憲法研究会の
 書いたものとの類似点が多く見かけられるという。
 このことについては、また詳しく書く。

●アルフレッド・R・ハッシー海軍中佐は、弁護士。ハーバード大学卒業後、バージニア
 大学で法学博士の学位取得。ケーディス、ラウエル、そしてこのハッシーが運営委員会の
 中心人物。弁護士業の傍ら、マサチューセッツ州で公職。州最高裁判所
 会計検査官特別顧問。海軍共同訓練司令部勤務の後、プリンストン大学軍政学校、
 ハーバード大学民事要員訓練所を経て日本へ。

[立法権に関する委員会] 
 民主主義の根っこにあたる議会制度を決める委員会。民政局内でエース格の
 人物が選ばれた。
●フランク・E・ヘイズ陸軍中将。弁護士。当時40歳。ケーディス大佐の右腕。
 シカゴ大学で民間要員訓練所で日本の占領政策の基礎を教育されてGHQに赴任。

●ガイ・J・スゥオープ海軍中佐は、小学校卒業という。たくさんの職を渡り歩いたのち、
 ペンシルバニア州政府の予算局長、プエルトリコ総督、内務省準州担当局長、
 ハリスバーグ選出民主党下院議員などを歴任した経歴の持ち主。
 海軍に入った後は、コロンビア大学海軍軍政学校卒業、サイパンを経て東京に。
 ルーズベルトのニューディール政策の信奉者であった。

●オズボーン・ハウギ海軍中尉
 31歳。セイント・オーラフ大学卒業後、週刊誌記者。海軍プリンストン大学軍政学校
 及びスタンフォード民事要員訓練所を経て日本占領のスタッフに選ばれた。

[行政権に関する委員会]
●責任者サイラス・ピーク博士は民間人。コロンビア大学で博士号取得。コロンビア大学助教授。
 中国を専門とする歴史家。戦前に2年間、日本の大学で教鞭をとっている。
 民政局内での知日派。

●ミルトン・J・エスマン中尉は、コーネル大学政治学科を卒業、プリンストン大学で
 政治学と行政学の博士号取得。合衆国人事院勤務の後、バージニア大学軍政学校、
 ハーバード民事要員訓練所を経てGHQに。
 専門はヨーロッパ近代政治。

[地方行政に関する委員会]
●セシル・ティルトン陸軍少佐は、ハワイ大学、コネテイカット大学の教授。連邦政府
 物価局の特別行政官。保守的。日本の地方自治体の完全な改革を目指す。
 都道府県知事、また町村長も、公選制に改革。

[財政に関する委員会]
●フランク・リゾー陸軍大尉は、コーネル大学で、経済学、財政学、国際関係論を学び、
 ケーディス大佐が最も信頼する人物の一人だった。ケーディスが日本を去った後、
 民政局次長を引き継ぎ、後、民政局長。戦後も日本にとどまり、日米経済に貢献。
 後に勲一等瑞宝章を日本政府から受けている。

主な人物たちの経歴であるが、どうだろうか。彼らは確かに『憲法学』の専門家
ではない。だが、経歴を見てもわかる通り、軍人としても民間人としても、一流の人々
であったと思われる。博士号取得者も多い。
これらの人々が、本国アメリカでさえ実現できていない民主主義の理想を、この
敗戦国日本で実現しようと、名誉心や欲得など抜きにして、ほんとうに若々しい
熱意と好奇心と情熱を持って、憲法草案作成という任務に携わったのである。
その様子は、先に紹介したベアテ・シロタ・ゴードンの『1945年のクリスマス』という
本に生き生きと描き出されている。

                  ***

さて。この日本の側の憲法作成関係者たちと、GHQ民政局の人々との経歴を
ひき比べて、日本側はプロ集団だったの、アメリカ側は素人集団だったのと、戦後70年
にもなる今の憲法論議であれこれ言っても虚しいことである。
要するに大事なのは、どちらがより真剣であって、生まれたもののどちらがより優れて
いると後世の人々が判断してきたか、ではあるまいか。
ただ。アメリカ民政局の草案作成者たちが、ただの憲法の素人の軍人たちであった、
そのことがイコール、彼らの作った草案が、『恥ずかしい』ような内容のものであった、
という論法には反論しておきたい。
学歴がどうのこうのといいたいわけでもない。ただ資料として挙げておく。
彼らは、民間人として軍人としておそらく一流の優れた人々であったろう、ということは
出来上がったものの質の高さがそのまま示しているのではなかろうか。
どれほど経歴的に優れていると思われる人々が携わったことでも、その『志向するもの』が
そもそも狭い低いものであるならば、生まれてくるものの質は推して知るべし。

そのことだけ、ここでは書いて、次には、幣原内閣が松本烝治を担当相として、日本の
一流の憲法学者や官僚を集めて作った『憲法改正要綱』と、GHQ案の中身の比較に行く。











  

『日本国憲法をなぜ守りたいか その4 みっともない憲法?② 』


一つ前の記事で、安倍首相が、日本国憲法を「『みっともない』ので変えたい」と
言っている、ということを書いた。
安倍氏がそう思うその理由は以下の1~3のようなものである(らしい)。
これに、改憲を叫ぶ人々が改憲の必要があると思う理由としてよく挙げるものを
3つほど付け加えよう。赤字部分4~6がそれである。

1.『自分たちの安全を他国に任せますよ、と言っている』
2.『自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭を無くそうと考えているんじゃないのですよ。
 国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、いじましい』
3.『これは日本人が作ったんじゃないんですからね』
4.憲法を急遽書いたGHQの面々は、法律の素人集団である。そんな素人の書いた
 憲法案を、国家の憲法として戴いているのかと思うと、みっともなくて恥ずかしい。
5.この前文でも、日本は自分の国さえ安全で無事であればいいと内向きであっては
 ならないと、ちゃんと言っている。日本は九条を変えて、国際的な安全と平和に
 もっと積極的に関与貢献 して行くべき
だろう。
6.GHQ案を、そのまま大急ぎで直訳したので、憲法の条文が翻訳調で日本語として
 よくない。意味が通じない。


それでは、みっともないと安倍氏などが言う日本国憲法前文を、ここで載せてみよう。
批判の該当部分に下線を引いておく。

日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し、われらと
われらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて
自由のもたらす恵沢を確保し、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることの
ないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を
確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものであつて、その権威は
国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民が
これを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基く
ものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
 日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を
深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの
安全と生存を保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と
偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を
占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、
平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
 われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならない
のであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
 日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成する
ことを誓ふ。



さらに。比較のために、自民党改憲草案の前文も載せておこう。


日本国は、長い歴史と固有の文化を持ち、国民統合の象徴である天皇を戴く国家
であって、国民主権の下、立法、行政及び司法の三権分立に基づいて統治される。
 我が国は、先の大戦による荒廃や幾多の大災害を乗り越えて発展し、今や国際社会
において重要な地位を占めており、平和主義の下、諸外国との友好関係を増進し、
世界の平和と繁栄に貢献する。
 日本国民は、国と郷土を誇りと気概を持って自ら守り、基本的人権を尊重するとともに、
和を尊び、家族や社会全体が互いに助け合って国家を形成する。
 我々は、自由と規律を重んじ、美しい国土と自然環境を守りつつ、教育や科学技術を
振興し、活力ある経済活動を通じてを成長させる。
 日本国民は、良き伝統と我々の国家を末永く子孫に継承するため、ここに、この憲法を
制定する。




これら1~6の批判についての、私の考えを書いてみる。
順番は、不同である。

Q3:日本国憲法前文は、GHQ草案の直訳で、みっともない文章なの?

確かに、一文が長く主語述語の関係の読み取りにくい文はあるように思う。
だが、私自身は、この前文を読んで、一度もこれをわかりにくいとかみっともないと思った
ことはない。文章としていいかどうか、という判断は、きわめて主観に負うところが多く、
それでは自民党案の文章が素晴らしいかというと、第二小段落『わが国は』以下の文は、
過去と現在とこれから行うことの文がいっしょくたにされている、変な文章である。
しかし、それも私の主観である。どっちの文章が優れている、などとは比べられない。

要するに、大事な問題は中身なのだと私は思う。
現行憲法と、自民党草案とこの二つを比べてみて私が一番に目につくと思うのは、
前者は『国民』主権を強く打ち出し、後者は、短い文章の中にやたら『国』とか『国家』
『郷土』という文言を使っているな、という、その際立った違いである。


現行憲法の翻訳調の欠点をあげつらう者は、ベアテさんの記事のところで書いたように
この憲法案がGHQによって日本側に提示され、民政局スタッフと日本側スタッフが徹夜で
一緒に逐語訳した1946年3月4日から、同年11月3日に公布されるまで、8か月も
あり、その間、以下のような審議が行われていることを見ようとしていないのではないか。


枢密院
1946年(昭和21年)10月29日、「修正帝国憲法改正案」(日本国憲法案)を全会一致で可決した枢密院本会議の模様。
Wikipediaからお借りしました。



1946年3月4日。GHQ草案を、日米双方協力して逐語訳。
3月6日。マッカーサー、天皇の了承を得た後、『憲法改正草案要綱』として発表。
4月22日。枢密院で審議開始。
6月8日。枢密院で可決。第90帝国議会に提案される。
8月24日。衆議院で一部修正を経て、可決。貴族院に送られる。
10月6日。貴族院で再び一部修正を行なった後、可決。
       修正があったため再び衆議院に戻される。
10月7日。衆議院で修正部分を含め、可決。再び枢密院に送られる。
10月26日。枢密院において修正部分について審議された後、可決。
1946年11月3日、日本国憲法として、公布。

現憲法の前文も含め、GHQの押しつけで急遽作られたので、文章が英語からの
直訳調でみっともない、改憲すべきと言うべき人々は、上記のこれだけの審議の
間、なぜ、関係者たちはもっとこなれた文章にしなかったのだろう?と、そちらを
問題にした方がいいだろう。これだけの期間があれば、こと文章そのものに
関しては、修正の機会はあったはず。 その文のこなれていないことまでもをGHQの
押しつけのせいにして、今ごろぐずぐず言うのはどうだろう。



次に。小さなことなので、ことさらに取り上げる必要もないのであるが。
現日本国憲法の前文で、首相が
『自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭を無くそうと考えているんじゃないのですよ。
 国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、(いじましい云々と続く)』
と批判している下線部の箇所は、明らかに、首相の読解ミスじゃないかと私は思う。
ここだ。
『われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に
除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。』

この文章のどこにも、日本は自分たちではそれらの努力をしないで国際社会に
委ねてしまうとか、少しできたからと言って国際社会に褒めてもらおうとか、
そんな、それこそ『いじましい』ことなど書いていない。

『名誉ある地位を占めたいと思ふ』という表現は、むしろそれとは真逆で、日本が
『平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去』することにおいて、
国際社会に率先してこれを努める、という、強い決意の表明である!と私は解する。

日本国憲法前文の素晴らしいところは、敗戦国日本が、戦争の惨禍を引き起こした
ことの深い反省の上に立ち再び同じ過ちを繰り返さないこと、また、国民主権という
新しい理想の下、今度は、国際社会と協調して、国内においてもこの世界からも
不幸をなくしていくことに自ら貢献していくという強い決意と希望を語っているところだ
と私は思うのである。


以上。改憲すべきという人々の主な主張1~6の、2と6について書いた。
1、3、4、5については、続けて書く。
この前文には、さらにもっと深い意味が込められていると私は思うが、それも次の記事にしよう。







『日本国憲法をなぜ守りたいか その3 みっともない憲法? 』


Q2:日本国憲法って、『みっともない』の? 


安倍首相は、民主党から政権を奪還したばかりの2012年12月、あるネット番組で、
『今後どのようなことを目指すつもりか』という質問を受け、現日本国憲法を「『みっともない
憲法』だから変えたい」と明言している。

その時の書き起こしがあるので載せてみる。
 『あの、日本国憲法の前文にはですね、「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、
 われらの安全と生存を保持しようと決意した」と書いてあるんですね。つまり、自分たちの
 安全を世界に任せますよと、言っている。
そして、えぇ~「専制と隷従、圧迫と偏狭を
 この地上から永遠に除去しようと務めている国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思う」。
 自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭を無くそうと考えているんじゃないのですよ。
 国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、
いじましいんですけどね、
 みっともない憲法ですよ、はっきり言って。これは日本人が作ったんじゃないんですからね。
 こんな憲法を持っている以上ですね、えぇ~外務省も自分たちが発言すると言うのは、
 憲法上、義務づけられていないんだから、それは国際社会に任せるんですからね。
 精神がそうなってしまっているんですね。まぁ、そっから変えていくと言うのが私は大切だと
 思います』



憲法前文はまたあらためて取り上げたいと思っているが、ここではこの安倍総理の
言うところの『みっともない』理由、というものを検討してみよう。安倍氏の言葉から
項目あげしてみる。
1.『自分たちの安全を他国に任せますよ、と言っている
2.『自分たちが専制と隷従、圧迫と偏狭を無くそうと考えているんじゃないのですよ。
 国際社会がそう思っているから、それを褒めてもらおうと、いじましい
3.『これは日本人が作ったんじゃないんですからね』


まず。この発言の中身を分析する前に、首相には憲法を尊重する義務がある
ということを、安倍総理は失念しているらしい。

日本国憲法第99条『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。


現日本国憲法には、はっきりとこう謳ってある。
なぜ、このような条項があるのか。それは、先の侵略・戦争のように日本が
天皇の名のもとに権力者たちが暴走し二度と同じ過ちを繰り返すことなどないよう、
天皇自身、そして国政や裁判、その他行政に携わる者たちを戒めるために
ここに明記してあるのである。
そうして、この国の主権は、国民にある。ここに挙げられたような地位および職務
にある者は、そのことを忘れて職権乱用、地位を利用しての越権行為を犯しては
ならないと固く戒めているのである。
そう言った意味で、この条項は、とてもとても重い意味を持つ。

総理大臣も、広義の意味では国務大臣である。その総理大臣が、自国の憲法を
公然と『みっともない』という。これは、憲法尊重義務の違反ではないのか?
この憲法の条項に関し、とても大事なことがあるから示しておくが、それでは、現憲法を
『みっともない』『いじましい』とまで言う、安倍総理の所属する自民党が、2012年に示した
自民党改憲案はどうなのか。比べてみよう。
そこでは、この99条は、以下のように書きかえられている!

第102条(憲法尊重擁護義務)
『1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。
2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う』


①まず、第二項で、この憲法を尊重し擁護する義務を負う者として現行憲法には
明記されているリストから、『天皇』の名が削除されている

②第二項からは『尊重する』の文言も消えて、ただ『擁護する』という言葉だけになり、
言わば、国会議員等為政者の守るべき義務の要諦が、軽くなってしまっている
③さらには。極めつけはここだ!自民党案では、第一項として、現行憲法には無い
『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』という条項を新たに
入れていることである!
このことを皆さんしっかり認識してください。

今の憲法の三大要素は、『国民主権』『平和主義』『基本的人権の尊重』ということ
である。今の憲法では、国民が主権者であり、その国民を守るために、憲法は
国の政治をつかさどる者、上に立つ者に憲法を守ることを義務付けている
のである。
自民党改憲案では、これを全く理解していないかのように、
国民にも憲法を尊重せよ!と義務付けている
のである!!!しかもこれを
第一項に置くということは、こちらの方が比重がかかっていると解されても仕方ないであろう。

ここだけではない。自民党の改憲案では他にも、国民に『~しなければならない』と
謳っている条項が、数限りなくある。言わば、
自民党憲法案では、『国民主権』の概念が大幅に後退し、
『国民は国のいうことにおとなしく従い、秩序を乱さないようにしなさい』
という、『国家第一』の憲法観、国家観が色濃く滲み出ている。

このこともまたしっかり頭に入れておいてください。


安倍首相が『みっともない』という今の日本国憲法。それと
その安倍氏の所属する自民党の作った改憲案。この二つを比べてみて、
皆さんは、どちらが国の基本理念として優れているとお思いでしょうか?



『日本国憲法をなぜ守りたいか その2 憲法と私たちの暮らし 』

               

Q1:憲法って、私たちの暮らしとどう関わってるの?あまり実感がないんだけど。

こう感じる人は多いのではないでしょうか。
だが、憲法というものは、その国の根幹をなすものです。
憲法は、私たちの実生活と関わりがないどころか、私たちの『生』を決定づける
重大きわまりないものなのです。

いい例が、一昨日5月16日の衆院予算委員会の論議の中にありました。
まずはこの新聞記事を読んでください。その日の産経ニュースです。

『安倍首相が民進・山尾志桜里政調会長に「議会の運営を少し勉強してほしい」 
キレた山尾氏は「男尊女卑政権だ!」』

   16日の衆院予算委員会で、安倍晋三首相が、質問に立った民進党の山尾志桜里
  政調会長に「勉強した方がいい」と“忠告”する一幕があった。
   山尾氏は今年1月の衆院本会議で首相が「政策を国民に提案することから逃げて、
  逃げて、逃げ回っているようでは、国民の負託に応えることはできない」と民進党を皮肉った
  ことに対し、(民進党は:彼岸花註)保育士の処遇改善など議員立法による対案を
  示してきたことを説明し「なぜ私たちの提案から逃げて、逃げて、逃げまくっているのか」
  と述べ、首相が審議を拒否しているとの反論を展開した。
   首相が「国会で議論してほしい」と述べると、山尾氏は、首相の意向で環太平洋戦略的
  経済連携協定(TPP)を巡る質疑が優先的に行われたと主張し、首相が主導して対案を
  審議するよう求めた。
   これに対し、首相は「山尾委員は議会の運営を少し勉強してほしい。(法案を)国会に
  一度付託したら委員会で決めることだ」と国会運営のイロハを説明した。
   興奮冷めやらぬ山尾氏は、首相の姿勢を「女性活躍政権ではなく、男尊女卑政権だ」と批判。
  首相は「誹謗中傷だ。議論をすり替えている。だから議論が軽薄になる」と非難した。


これだけ読むと、山尾志桜里議員は、国会のイロハも知らぬただの感情的な女性野党議員、
というふうな印象にうつらないでしょうか。なぜ、『男尊女卑政権』などという言葉がここで
山尾氏の口から出てきたのか全く分からない。
いかにもともと偏った新聞といえども、これでは、『報道』の体をなしていません。

私はこの日の予算委員会審議をテレビで見ていましたが、山尾議員が『男尊女卑政権』
と口にしたいきさつの実際はこうでした。産経記事では以下の部分がすっぽり意図的に
カットされてしまっています。

政府側の、あれは、塩崎厚生労働大臣だったかな、
『保育士の給与が今はまだ低いから、これを働く女性の平均賃金のレベルにまでは
持っていく』、という発言に、彼女が噛みついたのです。
厚労大臣だけでなくそれを安倍総理までもが追認したので総理にも噛みついた。

『なぜ、働く女性の平均賃金を基準にするのか。男女合わせた全労働者の
平均賃金と比べるのでなければおかしいではないか』
『それは男女間に賃金格差があることを最初から容認している考え方だ』
『しかも、なぜ、保育士の仕事を、「女性の仕事」と決めてかかるのか。
それは、男女の役割を固定化して考える偏見ではないか』と。

そもそも保育や介護の賃金が全産業に比べてとても安いのは、保育や介護を
家でやるのは女性の務めだという認識、あるいはその仕事が仮に社会化されても
女性が担う仕事だ、というような暗黙の先入観が社会に今なおあるからではないか。
その本質的なことに気づかず、そのような答弁をするとは、女性活躍政権どころか
男尊女卑政権だ、というようなことを厳しく批判したのです。
私は、この山尾氏の意見を尤もだと思います。
とりわけ、保育士の仕事とそれに携わる人々が置かれた労働条件の悪さについての
政府の無理解への批判は、まったく本質をついていると思います。
『全ての家事、保育育児、介護は、女がもともと家でやるべき無償の労働である』という
暗黙の了解は、私たち国民の中にもありはしないでしょうか。その偏見が、
『保育』『介護』という職業の賃金の低さに関係してはいないか、というようなことを、
この山尾議員はずっと指摘し続けて来ているのです。


さて。ここからが憲法の話になります。
『家族』に関連する憲法の条文を見てみましょう。
まずは、現行憲法であります。


(家族、婚姻等に関する基本原則)
第二十四条
婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、
相互の協力により、維持されなければならない。
②配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関する
その他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、
制定されなければならない。

自民党改憲草案では、この現行憲法の条文の上に、新たな項を付け加え、
『家族』というものを規定しています。それを第一項にしているのです。

家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。
家族は、互いに助け合わなければならない。


これは一見麗しい美徳をうたった条文のように聞こえるけれども、
家族の助け合い、などということは、心の問題であって、憲法で規定されるべき
ものではないのではないでしょうか。これは『道徳』の問題であって、『法規範』として
国民を縛るべき性質のものではないように私は思うのです。
これを憲法に規定することによって、裏を返せば、家族の問題は家族間で解決せよ、
ということになって、国が負うべき責任を回避することに結び付きかねないとも思います。

それでは、実際問題として家庭の中で現実に、育児、家事、介護、を担っているのは、
男性でしょうか女性でしょうか。・・・・・・数の上では圧倒的に女性が多いと思います。
つまり、自民党の改憲案は、暗に女性の負担をますます重くするものです。しかもそれを
憲法の条文にして『義務化』してしまうとは。

その上、この政権は、『女性活躍社会』などということを、選挙向けのうたい文句に
していますよね。
保育所が不足しているから女性が思うように働けない←保育士の待遇が悪いから
なり手が少なく辞めていく人が多い←『保育士は女の仕事』という社会(政府を含め)の思いこみ
がある←そもそも、家事、育児、介護は女が家にいてしっかり行うべきという社会(政府を含め)の
暗黙の先入観←さらに、憲法で、家庭の自助努力を義務化する


この悪循環を、山尾議員は厳しく突いたのではなかったでしょうか。これでは女性が
活躍できるはずがない。『女性活躍社会』をうたい文句にする政府自身の認識の内に、
それと真逆の、男女の役割についての固定観念があるのではないか、そのことを指して
『男尊女卑』という言葉を使ったんだったろうと私は思います。

ところが、産経新聞などは、その山尾議員の真情を全くカットしてしまって、
国会審議の取り上げ方に関する論議から、いきなり『男尊女卑政権』発言に飛躍して
伝えています。『国会運営のイロハを知らない興奮した女』という印象付けです。
これは意図的に山尾議員を貶める情報操作です。
さらには、その日の午後の審議で、おおさか維新の馬場伸幸幹事長が、この山尾氏の
『男尊女卑政権』という発言を、『ヒステリック』『懲罰ものだ』と批判している。
(これも産経報道)

私が委員会審議をテレビで見ていた限り、山尾議員が『ヒステリック』になっていたなどという
印象は全くない。ただ、的を射た厳しい追及だなと思っただけでした。

さらに言えば。
山尾氏の質問の前半部分に関したことですが、安倍政権が、行政府として
『行政権』行使をその責任下に置いて執り行うことに何の問題もないわけですが、
国会という『立法府』の役割を軽視しているようなところは、これまでも散見されたように
私には思えます。山尾氏も指摘していたことですが、議会における総理自身の品のない
野次(それも、野党女性議員に対して目立つ)などは、行政府の長として立法府の尊厳
を汚すもの、と言われても仕方ないのではないですか。
2015年5月28日のの衆院平和安全法制特別委員会において、辻元清美氏に対し
『早く質問しろよ』などという野次を飛ばした感覚などは、
『総理、あなたこそ、国会運営のイロハ、国会の尊厳を知らないのではないですか』
と言いたいくらいです。
さらに、ここにはそれこそ、安倍氏の意識下での女性議員に対する蔑視を、私などは
感じたものです。相手が弱い立場の者だと居丈高になる態度。あるいは小馬鹿にした態度。
例えば、年配の共産党男性議員に対し、安倍氏は同じ野次を飛ばせたでしょうか?

日本国憲法では、『三権分立』をくっきりと謳っています。
世界的な流れかもしれないけれど、とりわけ今の自民党政権は、『行政権』を振り回し過ぎ
というように私には危惧されてなりません。自衛隊の集団的自衛権行使容認を含む
安保法制の採決がどさくさまぎれに議事録もとられない中で強行されたことなど
立法府の危機とでもいうべき事態に関しては、追及されると今回と同じように、
『議会がやることですから』と逃げ、国会で政府としてしっかり答弁するべき時には、
『私が総理大臣なんですから』と、行政府の長であることを黄門さまの印籠ででも
あるかのように振りかざして、誠実な答弁をしない。

こうしたことをひっくるめて山尾議員は、批判したんだと思います。
彼女のこれまでの議論を聴いていると、それはよくわかります。
しかし、産経の報道でしか、この一連の山尾氏の質疑を知らないで判断すると、
三権分立や憲法24条などこれらの憲法の理念にもかかわる根本的な問題点は、
一切伝わってこないです。山尾氏という女性野党議員を貶めているだけ。

もう一度、憲法に戻りますが、
今の日本国憲法を、自民党は『GHQによる押しつけ憲法』と言って、ずうっと変えたがって
きました……
確かに『押しつけ』的ではあった。私もそれは認めます。
だが、出来上がったものを見れば、私はこの急ごしらえの憲法が、奇跡的に優れた
ものであったと思わざるを得ないのです。
『個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚』した、この憲法24条の条文は、
どうやって生まれたか皆さんご存じでいらっしゃるでしょうか?

『個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚』
…これ、たったこれだけの短い文言ですが、ここにどれほどの人類の長い歴史から
学んだ叡智と願いが籠められていることか!
この願いは、まだ、世界で蹂躙され続けています!


確かに現日本国憲法の草案は、GHQ、マッカーサーの指令により、『法律のほぼ素人』
たちによって、1946年2月4日から12日までのわずか9日間でまとめ上げられたものです。
その素人たちの中に、まさに法律の全く素人、ベアテ・シロタ・ゴードンさんという
若い女性がいました。
彼女については詳しくいつか描くけれど、シロタ。と言っても日系ではありません。
両親はロシア、キエフ生まれのユダヤ人。父はレオ・シロタ。『リストの再来』とも言われる有名な
ピアニストでした。ベアテは、その両親と共に1929年から1939年まで、5歳から15歳までの
少女時代の10年間を日本で過ごしているのです。第一次大戦後の欧州の不況の中、父のような
芸術家の活躍の場が狭められていたからです…
ベアテは、ロシア語、ドイツ語、フランス語、英語、ラテン語、そして日本語を話しました。



ベアテ
    写真は、映画『ベアテの贈りもの』から拝借しました。




1945年、アメリカで大学を終えたベアテは、GHQ民間人要員の一人として採用され、
再び日本の土を踏みます。GHQ民政局政党課に配属。政党課は、日本の政党の調査と
民政局が全力を挙げて推進していた公職追放の調査なども分担してはいましたが、
基本的には『人権』に関する部署でした。

ベアテは、その民政局で、マッカーサーの命により、憲法草案の『国民の基本権』に関する条文
の草案作りを担当
することになります…

『個人の尊厳と両性の本質的平等』を、明確に謳った日本国憲法第24条は、実はこの
わずか22歳のベアテが書いたものです。
ベアテは日本で暮らした多感な少女時代の十年間に、戦中の日本の女性の地位の
極めて低いこと、貧しさの故に身売りする少女たちのことなどを見聞きしていました。
また、レディ・ファーストの国と俗に言われるアメリカでさえ、女性に対する差別はまるで
解消されてはいないことを学んでいました。
実は、アメリカ憲法には男女平等を明確に謳った条項が当時のベアテの頃も今でもありません。
ERA(Equal Rights Amendment、男女平等憲法修正条項)が、1923年に起草され、
1972年に合衆国議会で可決されましたが、1982年までに成立に必要な数(全州の4分の3。
50州のうち38州。)の州議会の批准を得られず、不成立となったままです。

ベアテは、この24条に該当する部分のみでなく、日本国憲法に、その他に、『教育の無料化』
『児童の医療費無料化』
『児童の労働搾取の禁止』『私生児の差別禁止』…そして、
『妊婦と乳児の保育にあたっている母親は、既婚、未婚を問わず、国から守られる。
彼女たちが必要とする公的援助が受けられるものとする』

などという、当時としてずば抜けて先進的な、条文も書きいれようとしていました。
が、民政局の決定によって、彼女の必死の訴えにもかかわらずこうした条文は削られました。
だが、
第14条『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分
又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』

にも、ベアテの考えは残っているのです。

1946年3月4日、GHQ本部となっていた第一生命ビルで、民政局が作った憲法草案を、
日本側とアメリカ側が逐語訳していくという会議が行われました。
GHQの突きつけた憲法草案に仰天した日本側の翻訳が遅々として進めれらなかったため、
業を煮やした民政局が、それでは一緒に逐語訳して行こうということになったのです。
日本側からは、 松本烝治国務大臣、佐藤達夫法制局第一部長、白洲次郎終戦連絡事務局
次長、外務省の小畑薫良、長谷川元吉が出席していました。
語学に堪能なベアテは、通訳の一員としてその場にたまたま出席させられていました。

逐語訳は進んでいき、ベアテの担当した現24条のところに来た時、ベアテはこういう
日本側の発言に驚きます。
『女性の権利の問題だが、日本には、女性が男性と同じ
権利を持つ土壌は無い。日本女性には適さない条文が目立つ』


しかし、アメリカ側のケーディス大佐は、マッカーサーが、婦人参政権をなすべき真っ先の
項目に挙げていること、女性の解放を望んでいること、を伝え、さらに、その条文が、
ここに同席しているミス・シロタが、日本女性の解放を願って一心不乱になって
書いた条文であることを伝えます。
佐藤法制局第一部長や白洲次郎氏はびっくりしたらしい。ただ親日的な一通訳の女性と
みなしていたからでしょう。しかし、それで24条は通って、今も憲法にあるのです!

さて。山尾志桜里議員の、保育士の給与に関する国会質問から、話が1946年
日本国憲法が生まれた年にまで遡りました…
これを読まれて、皆さんは、「なあんだ!やっぱり、日本国憲法は、ただの素人の
アメリカ人が作ったんだなぁ。そんなものを我々は今もありがたがっているのか!」
と否定的に思われたでしょうか…
私はそうは思いません。
憲法の成立の事情や過程はこれからも詳しく書いていきますが、この24条が生まれた
過程だけを見ても、ここには、日本人だからアメリカ人だから、法の専門家だから
素人だから、などという違いの言いたてを超越した、人の智と理想が凝縮して込められて
いるのだと感じます。
ベアテが、さらに通そうとしていた、妊婦と育児中の女性に対する国による手厚い支援は、
今、この日本で実現しているでしょうか?
妊娠を告げると職を失う、ということはまだ当たり前のように横行していませんか?
育児中の女性は、十分に環境や待遇を保証されているでしょうか?
山尾議員が問題にしていることは、まさにそのことだったのではないでしょうか?


『日本には、女性が男性と同じ権利を持つ土壌は無い。』と言ったのが、当時の
日本側出席者の誰かは知りませんが、この男性の意識は、今もそのまま、今回の
厚生労働大臣や首相の発言の中に、『無意識』に、今も厳然としてあるのではないでしょうか。
ベアテは、男女間の同一労働同一賃金、ということも憲法に盛り込もうとしていた……
上にも書いたように、当時のアメリカには(そして今もまだなお)、『男女の平等』と
いう憲法上の条項がない時代に、そうして、アメリカ・日本を問わず、一般的に言って
知性的な男性たちの意識の中にさえ、まだ男女の平等という明確な概念への理解が
乏しかった時代に、一人の無名の若い素人の女性が、第24条を日本国憲法の中に
必死でそっと忍び込ませてくれたのです!
その24条を、自民党は、再び古臭い『家庭観』『国家観』の中に閉じ込めようとしている
のです。


私は、『世界の憲法集』という本を買って、折があるごとにちらちら読んでいます。

私は、現日本国憲法の各条項が、今なお極めて先進的に
優れていると思う故に日本国憲法を守ることを決意します。






『日本国憲法をなぜ守りたいか その1 「改憲」ということ 』

国会議事堂
               写真は,Wikipediaからお借りしました。



参院選が近づいてくる・・・

今度の参院選の争点は何であろうか。
投票する国民の側の関心は、いつも、『景気を何とか良くしてくれ』ということであろう。
『安保法制』『憲法九条』が争点か。・・・・・・
沖縄の普天間移設問題、原発再稼働問題、格差拡大の問題、少子化問題、TPP、
…争点となるべき問題は山ほどある。 

私は、それらの問題をひっくるめて、こんどの参院選(もしくはダブル選挙)を、
この国の大きな変わり目となる選挙だと考えている。
それは私が今を、『民主主義の危機』、と捉えているからである。
現日本国憲法に謳われた『国民主権』『三権分立』『平和主義』を
この政権は根本から覆そうとしている
と。
上記、少子化、原発、沖縄…のような諸問題は、ばらばらの案件であるように見えて、
実は『憲法』というひとつところに集約されていく。
『憲法』というものは、その国のありようというものを根本のところで定義付けするもの
だからである…
現安倍政権が、憲法改定を明確に政権の課題として打ち出している今、
参院選を約2カ月後に控えた今、『日本国憲法』について、大きな危機感を持って
書いていってみたい。


                   ***


私は、自民党による改憲に反対である。
正確に言えば、私は、『改憲』そのものを否定してはいない。
憲法の条文が、激しく変わっていく時代に合わなくなるということも、確かにありうるだろう。
現に、世界では、必要に応じ、自国の憲法をちょこちょこと手直ししている国は多数ある。
日本国憲法は、そうした中で、一度も『改憲』をされてこなかった稀有な憲法である
ともいえるだろう。

だが。
『改憲そのものは全面的に否定するものではない』と言いつつ、私がこれだけは
伝えたいという大事な大事なことが一つある。
それは。
『改憲は、いつ、誰が、どのような意図で、どのように改定しようとしているか』
が問題なのである、と。




自民党は、結党以来長い間、「憲法の自主的改正」を「党の使命」に掲げてきた。
占領体制から脱却し、日本を主権国家にふさわしい国にするため、自民党は、
これまでも憲法改正に向けた多くの提言を発表してきました。』
と、広報にもある。
だが。歴代政権の中で、この今の安倍政権ほど、改憲に前のめりな政権は
無かったのではなかろうか。
私は、自民党政権下、とりわけ、安倍政権下での日本国憲法改定には、断じて
反対する。
もっと正確に言えば、私は、あからさまな国主導の改憲には、それがどの政党政権のもと
であっても、極めて用心もしくは反対する、
であろう。

なぜならば、憲法というものは、国家が国民を規定するものではなく、
国家が暴走しないよう、国民が国家権力を縛るためにあるものだからである。
その国家が『憲法改正』を声高に叫ぶ時には、極めて用心する必要がある

からである。

安倍政権は、その『憲法改定』を、明確に政権の目標として掲げている。
このシリーズでは、安倍政権による改憲がいかに危ないものであり、私たちの暮らしを…
この国のかたちを、根本から変えてしまうものであるか、を、Q&A形式でまとめていこうと思う。
ただし、問いを発するのも、それに答えるのも、私である。すなわち、これは私にとっての
改憲反対論である。願うべく、これをひとつのたたき台にして、一人でも多くの方に、
憲法というものをわが身にひきつけて考える、その機会と参考と
していただければ、と思う。




『キャンドル・ナイト 62』



今日も署名集めをして帰る日暮れの空は、驚くほど美しい夕焼けだった。
胸の底に、静かに湧き起る、何やら甘美さをたたえた憂愁…

もうすぐホトトギスが啼くなぁ…

私は、梅雨に入る前のこの季節が本当に好きだ。

だが、家に帰って、夕食の支度をして…そのいつからかわからないが
いつからか、先ほどまでの甘美さをたたえた憂愁は、いつの間にか、苦々しい
腹立ちに入れ替わってしまっていた…

何がきっかけだったのか自分でもわからない。
栃木で子供達が食べたタケノコごはんの給食が、放射性セシウムの基準値の
100ベクレル(それでも、世界の基準からすると信じられないほど高い!)を
大幅に超える234ベクレルもあった、というニュースをネットで見てからか。
なんということ!?…涙が出てくる!…そんなことがあってもいいのか?!
そんなことが、この国ではもう、『普通のこと』『仕方のないこと』になってしまったのか!

そのもっと前、キャンドルを灯していた頃からか…
それとも、夕焼けを見上げた時の一瞬の感動を除き、署名集めをしていたときから
既に苦い腹立ちは胸に巣くっていたのか…。

今日は私は、地元の九条の会の人々と『緊急事態法』の危険についての学習会の
ビラ配りと、安保法廃止の署名を兼ねて街角に声を上げていたのだが、
一人の30代くらいの男性が私に近づいて来て、”Are you Korean?”と、薄笑いを
浮かべながら言い捨てて去っていったのである。
またか!
なんという愚かな…!
見ず知らずの人間に、『韓国人!』あるいは、『朝鮮人!』という言葉を投げつけて、
それで相手がひるむとか傷つく、と思う心のあさましさよ……
それがいったいどうしたというのだ!
仮に"Korean"であったとして何が悪い。

それで自分が偉くでもなるのか!?
そう思うのなら、街を歩きながら、『日本人!』『アメリカ人!』『ロシア人!』『日本人!』
『フランス人!』『エジプト人!』『日本人!』『中国人!』『エチオピア人!』『日本人!』
『トルコ人!』『日本人!』『ブラジル人!』『韓国人!』『日本人!』『フィリピン人!』…
などなどと、すれ違う人々に薄笑い浮かべて言いながら歩きなさい!
さぞかしあなたは立派な、すてきな人間に見えるでしょうし、なれるでしょうよ。
世界に出て行って、それをやってご覧。

…大体私は、今日に始まったことじゃない。ここ数日の北朝鮮報道にもムカついて
いたのだと気づく。
正直言って北朝鮮がいい国だとは思わない。だが、『まあまあ普通』のことも可笑しなこと
のように言いたてる報道のなんと多いことか!
曰く、みんなが一斉に花など持って金正恩国防委員会第一委員長?に向かって
同じ角度に顔を向け花を一斉に掲げる、それを何日もかかって練習していたそんなこと
までを何か、異常さの証拠ででもあるかように言いたてる報道番組。
過去のオリンピック開会式の映像ちょっとみてごらん。そんなこたみんなやってるよ。
みんなで水色のハンカチ胸から出して、自国の貴賓席の前でそれを一斉に掲げるとかさ。
日本の国体だってやってるでしょうが。
報道規制の問題だって、程度こそ違え、日本でもやってることじゃないですか。
福島第一原発事故が起きたときは、はじめの頃、外国人記者団とフリーのジャーナリストは
記者会見場に入れなかった。
今でも、記者クラブの記者会見は、最初から質問者が決められていて、その質問内容も
あらかじめ提出しておかなければならないなどと言うことは、この日本でもしょっちゅう
やっていることじゃないですか。
かつて玄海原発の住民説明会では、九電関係のサクラが用意されていて予定調和の
質問をし、会を自分らの思う方向に持っていこうとした…
もうそんなことはこの日本でもしょっちゅうじゃないですか。株主総会もしかり。

さらに。あえて言うならば、
日本がかつて朝鮮半島でしてきたことを想いなさいよ。
朝鮮半島の苦難の歴史を、この機会に少しでも知ろうとしてみなさいよ。

拉致など悪いことは悪い!
核実験もよくない!(だが、アメリカもフランスもロシアも中国も…やってるけれどもそう叩かれないね)
そういう悪いことと、北朝鮮のなにかもを軽蔑することとは、別問題でしょうが!
人の国を貶めて自分が偉くなるということなどない!
むしろ、他国のここが悪いと思うならば、ひるがえって自分の国はどうなのか、と
考えてみるべきだ。
今の安倍政権になってからの言論の委縮はどうだ?
じわりじわりと進むこの国のジャーナリズムの無力化と、教育の統制…巨大企業の腐敗…
ジャーナリストなら、そっちを心配しなさいよ!

いろんなことに怒ってたんだ、あたし…。


ふ~ぅ……

62回目のキャンドル・ナイト。
心が沈みこむ……。

この国はどうなっていこうとしているのか…。
他国もまた…。

今日は実は、署名集めの方は、いつもに増してすごく反応があったのである。
何も言わないのに向こうから近付いて来て署名してくれる人々…
そのほとんどが、安倍首相と今の政治への憂慮をつぶやきつつ署名していた…
高校生の男の子たちも自分から。




006_2016051121252262c.jpg


今日は、なぜか絶対に、緑色っぽいもので、セットしたい気分だった。
花桃が青い実をつけている。あれをいくつかころん!と置くか。青い楓の葉っぱを
一枝折ってくるか…

いつもペン立てにしているガラスの器にふと目がとまる…。
思いがけず、美しい、五弁の花が咲く。















心ひとつに キャンドルナイト






南亭さんバナー②


葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 




『5月3日に ②』


さて。
有明の防災公園での憲法集会が終わって、豊洲からどこへ向かったか。



027.jpg


有楽町、東京国際フォーラムにおけるフランス発の音楽祭『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン』。
昨年、その前の前の年と…ここ毎年5月の三連休は、一日をこのコンサートに過ごしてきました…
ただ、今年は、3月、ぼんやりしていて、チケットを購入し損じてしまった…
慌てて気づいてチェックした時には、聴きたい演目はどれもこれもチケット売りきれ。
仕方ない…今年はチケット購入は諦めて、とにかく顔出すだけは出してみました。

というのは、この大規模なコンサートは、広い国際フォーラムだけでではなく、丸の内エリアに
至るまであちこちの会場で無料コンサートなどが行われているからです。

国際フォーラムでは、ガラス棟とA~Dホールの間の地上ひろばにたくさんの屋台が出ていて、
そこで食べ物買って、屋外特設ステージで演奏される音楽聴きながら休むことができます。
まずここで簡単に腹ごしらえ。
私が休んでいた時は、『東京セルパン・トリオ』がグリーグなどの『蛇』を主題にした
音楽を演奏していました。
『セルパン』という、あまり聴いたことのない楽器は、17世紀~19世紀に教会や軍楽隊で
広く使われたフランスの古楽器なのだそうです。その名セルパンも「蛇」の意。
日本初のセルパンのトリオということで、なにかすごく不思議な音色でした。
異国情緒たっぷり。




029.jpg



次に向かったのがここ。
丸の内「一号館広場」。
目的は、そこ一号館美術館で行われている展覧会なのだけれど、ブリックスクエアなど
ビルとビルの間に設けられたこの気持ちのいい一号館広場でも、無料コンサートが
行われていました。




032.jpg


こんなふうに、多くの人が思い思いに場所をとって、奥で演奏されているサックス四重奏に
聴き入っていました。




040.jpg




私は展覧会場に入ります。
三菱一号館は、1894年竣工の、丸の内初のオフィスビル「三菱一号館」を、
赤レンガづくりや当時の内装まで忠実に再現した素晴らしい建物です。
 


022.jpg


展覧会は、『PARIS オートクチュール 世界に一つだけの服』。
この展覧会の予告、以前、新聞で見て、行ってみたいなあ、と思っていたのですが、
ラ・フォル・ジュルネ~などと連携して、ちょうどこの時期にやっているという絶好のタイミング。




033.jpg



この『『PARIS オートクチュール 世界に一つだけの服』展は、フランス、ガリエラ宮
パリ市立モード美術館から来た、オートクチュール(高級仕立て服)の歴史を物語る
約70着のデイ・ドレスとイブニングドレス、そしてバッグ、手袋、帽子など服飾品や
デザイン画などによって構成されています。
かつて貴族や豪商の夫人・子女たち、パリの高級娼婦などを顧客として、一点ものの
『美術品』とも言えるような服を作り続けてきたクチュリエ(オートクチュールのデザイナー)
たちとそのメゾン(店)またお針子たちの技が伺える展覧会なのです。

真珠、ビーズ、スパンコール、ラインストーン、刺繍、ブレード、毛皮、鳥の羽、鋲、レース、……
ありとあらゆる装飾素材を、技の限りを尽くして縫い上げたドレスの数々…
その技(と根気)は圧倒的でした。

おそらく服飾関係のひとと思われる若い女性たちや男性たちが結構たくさん
見に来ていて、なかなかドレスの近くに近づけない…
この部屋だけは、撮影が許されているので、みんな写真撮っていましたっけ。




020.jpg

021_2016050516534859d.jpg



ジェローム、による、1925年ごろのイブニング・ドレス。
アール・デコ様式というのかな。ローウエストで直線的なシルエット。
このドレスは、アメリカの鉄道事業の大物、ジェイ・グールドの娘アンナが着たものだと言う。


ふ~ん…むむむ…
あまり高級すぎて、高級品には縁なき衆生の私には、古き良き時代のドレス類は、
溜め息が出るだけで、なにかドレスそのものへの感動は少なく、むしろこれらのドレスを
かつて着た女性(ひと)たちの肉体と、その心を想像して、生々しい悩ましさを感じました。
みんな、すっごくウエストが細い!!!
どんなことを想って、これらのドレスに身を通したのでしょうか…
歓喜、憧れ、…倦怠、…嫉妬、…憂愁…





017_20160505165445903.jpg



ここら辺になると、私などにも少し親しみが感じられるようになるかな。
左は、ヘンリー・クラークとクリスチャン・ディオールの、1956年春夏コレクションの
ファッション写真。
私は、女性服のラインとしては、この1950年代くらいのものが一番好きです。
右の服などは、帽子はともかく、今でも着たいくらい。






041.jpg



う~ふ…
すっかりなんだか気分的に満腹になって、外に出ます。
この日の丸の内は、風が強くて、街路樹が揺れ、吹きちぎられた葉っぱが石畳に落ちていた…




044.jpg



旧丸ビルの面影を残す丸ビル。



042.jpg



ここでも、『ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン』の一環である無料コンサートが
行われていた。東京藝大学生による金管十重奏。
本当は、ゆっくり音楽も聴いて食事もどこかでして帰りたかったのですが、盛りだくさんな一日で
時間がなくなってしまいました…
仕方ない。帰ろう…



045.jpg



いつもの東京駅。



025.jpg


三菱一号館美術館のミュージアムショップで買ってきたおみやげ。
ミントチョコと、いい香りの石鹸2種と、薄い生地のハンカチ。

ここのカフェに寄りたかったのだけれど。



『憲法記念の日に』


2016年5月3日。69年目の憲法記念日。

江東区有明にある東京臨海広域防災公園で開かれた、憲法を守る『5・3憲法集会』
に行ってきた。
こういう都心での集会に出るのは、あの自衛隊の集団的自衛権行使容認を含む
安保法制が可決されてしまった昨年9月以来だ。


006.jpg


新宿から山手線で大崎まで。そこからりんかい線で有明防災公園に着く。
駅では多くの団体の人々が、旗印を目印に待ち合わせをしていた。
駅ですでに、『ああ、今日は参加者が多いな』とわかる……




010_20160504123755bbf.jpg


続々と会場に向かう人々…



012_20160504123756351.jpg


有明防災公園は、13,2ヘクタール。東京ドームのおよそ3倍くらいの広さか。
といってもピンと来られない方は多いと思うが。(私も東京ドームの中には入ったこと
ないのでピンとこない。)そうだな。あの東京オリンピックの行われた今は無き旧国立競技場。
あれの建築面積のおよそ4倍というと、大体の広さがわかるのではなかろうか。

この日の集まりは、『5・3憲法集会実行委員会』主催。
一昨年までそれぞれ別々に憲法記念日に集会を開いていた旧総評系や共産党系団体
市民団体などが、安倍政権による改憲を阻止するために『5・3憲法集会実行委員会』を結成。
同実行委が主催する1回目の共同集会であった昨年の横浜での集会は参加者3万人。
しかし、今年は、ここ有明に、5万人が集まった(主催者発表)。




016_201605041411463aa.jpg


う~ん。私の写真では、会場の広さと参加者の多さがとてもつかめないな。
毎日新聞の映像をお借りしますので、そちらでご覧ください。動画になっています。
http://mainichi.jp/movie/?id=4876002571001

この毎日ヘリからの空撮動画の中のどこかに私もいます。^^

さまざまな団体の幟旗が林立し、多くの人が、集団で参加しているようだったが、
私のように全くの個人で、あるいは親子連れで、友だちと…という個人参加者もすごく多い。
今までのこうした団体所属の人々中心の憲法集会と違って、全くの個人もが
安倍政権という一内閣による『恣意的』な改憲に、切実な危機感を持って集まって
きているということがわかる集会だったと思う。

民進、共産、社民、生活の4野党党首がそろって演説。今までばらばらに憲法集会も
行ってきたこれらの野党党首がそろい踏みをする…これも初めてのことだ。
会場の人々はこれを拍手と声援を以て迎えていた。

今年101歳のジャーナリスト、むのたけじ氏も、車いすで登場。
むの氏は、報知新聞記者を経て、1940年(昭和15年)朝日新聞社に入社。
中国、東南アジア特派員となるが、敗戦を機に、1945年(昭和20年)8月15日、
太平洋戦争の戦意高揚に関与した責任をとり朝日を退社した。以降フリーの
ジャーナリストとなって、自ら体験した戦前・戦中の表現の自由・言論の統制について、
告発し続けている反骨の人である。
『必ずしも軍部が強制したわけじゃない。新聞社自らが委縮していったのだ。
2人なら本当のことをしゃべっていても、そこに一人加わって三人になると、もう
誰が信じられるかわからないという…そういう空気だった』
と、新聞記者としての自らの責任もぎりぎりと見つめてきた人である。
今のジャーナリズムの委縮・自己規制の空気もそれと似ている、と。

SEALDsの奥田愛基氏も登壇。

私が署名集めに参加していた、安保法制に反対する『戦争法の廃止を求める2000万人統一署名』
は1200万筆に達したと、中間発表がこの日あった。
一方、改憲勢力の動きもこの日は活発で、彼らが集める『改憲署名』は、『日本会議』と
日本各地の神社の氏子なども総動員されて800万筆を集めているという。
これについてはまた別記事で詳しく書こう。




019.jpg



だが。そうしたキナ臭さとは裏腹に、この日は、晴れて風も吹く気持ちのいい日。
参加者の多くは、クローバーなどの柔らかい草原の上でまったり。^^
私も、サンダルを脱いではだしになり、草のひんやりした感触を楽しんだ。
スキップさんの『匝瑳9条の会』の『戦争をさせないぞ』バッジも、いつも通りつけています。




009.jpg



この日着て行ったのは、しほさんにいただいた、サンダース応援のTシャツ。
背中?いえ、胸ですっ!!(爆)




021.jpg



いつものように、福島県から、『希望の牧場』の吉澤正巳氏のトラックも来ていらした。
警戒区域内に 取り残された被ばく牛の保護・飼育を、自身の被ばくも顧みず
続ける、この人も『筋金入りの反骨のひと』である。
吉澤正巳氏についての私の記事はこちらを。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1399.html

恥ずかしいほどわずかながらカンパさせていただいて、許可を得て写真撮らせてもらった。
手は、吉澤氏の手。
氏の周りには、今でも怒りの熱気がたぎっているような感じを受けて、安易に近づけない。
そうなのだ。
あの!あの福島第一原発事故を経験して、怒りを容易に失うことの方が、
私には理解できないのである…あれほどの。『国策の理不尽』というものを…。










024.jpg



集会が終わり、参加者はデモに移ったが、私は足が痛いので(外反母趾?)、
長く歩けないので今回は参加しない。
これは、豊洲へ向かうモノレール『ゆりかもめ』から見た景色。レインボーブリッジも見える。
有明の界隈は、2020年東京オリンピックに向けて、急ピッチでまた開発が進んでいる。
東雲運河のあたりはモノレールの両側で、建設中の工事現場が目立った。
確かこのあたりのどこかには、体操競技用の施設が出来るはず。
ふ~ぅ…
オリンピック誘致する余裕など、この日本にあったのだろうか。
『聖火台』のことを、誰も考えていなかった!などという信じられないような
いい加減さが象徴するような杜撰な計画の下、ザルに水を無駄に注ぐように
国民の金がずぶずぶと注ぎ込まれて行く…他に急を要する問題は山ほどあるというのに…。






026.jpg




大都会東京…。
日本の歪みを見えなくさせる虚飾の街。


この記事続きます…
が。





プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
04 | 2016/05 | 06
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード