『英国のEU離脱とアベノミクス ②』


2.EUって、なんで誕生したの?

前の記事で、『ヴェルサイユ体制とは第一次世界大戦後の1919年に締結されたヴェルサイユ条約の下、
ヨーロッパを中心として組まれた資本主義世界の国際秩序国際体制のことである。
世界を巻き込んで実に1,700万人もの死者を出した第一次世界大戦。その反省から
①ドイツ軍国主義の再興の芽を摘む ②社会主義の台頭に対し資本主義諸国の結束を意図。
『国際連盟の発足』『ロカルノ条約・不戦条約』『ワシントン・ロンドンの軍縮会議』など、
「国際協調」が進められた。
』と書いた。
第一次世界大戦の反省から、国際連盟は生まれた。


EU(欧州連合)とはそれではどんなものであろうか。
第二次大戦による国土の荒廃と、アメリカとソ連という二大国が世界を分断していく中、
欧州が一致団結することで戦後の荒廃からの経済復興と安全をはかろうとの動きが
生まれた。
1950年、フランス政府はジャン・モネ起草による『シューマン・プラン』を発表。独仏間の
積年の対立に終止符を打つために両国の石炭・鉄鋼産業を超国家機関の管理のもとに置き、
これに他の欧州諸国も参加するというECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)の設立を提案した。
これ以前にも、汎ヨーロッパ主義を唱える運動や欧州共同体の構想はあったが、
1952年設立のこのECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)こそが、大きく言ってEUの母体である
といってよかろう。

なぜ『欧州石炭鉄鋼共同体』であったのか。
ご存じのように、ヨーロッパの大国、フランスとドイツは、両者の国境地帯にあるアルザス・ロレーヌ
地区の帰趨をめぐり、昔から幾度も戦争を繰り返してきた。

そこが石炭と鉄鉱石の一大産地だったからである。
先述『シューマン・プラン』は、以下のような趣旨のものであった。
『ヨーロッパの他の国々が自由に参加できるひとつの機構の枠組みにおいて、フランスとドイツの
石炭および鉄鋼の生産をすべて共通の最高機関の管理下に置くことを提案する。』



欧州連合の創設を定めたマーストリヒト条約は、EUの目的について次のように規定している。
(a) 域内国境のない地域の創設、及び経済通貨統合の設立を通じて経済的・社会的発展を促進すること
(b) 共通外交・安全保障政策の実施を通じて国際舞台での主体性を確保すること
(c) 欧州市民権の導入を通じ、加盟国国民の権利・利益を守ること
(d) 司法・内務協力を発展させること
(e) 共同体の蓄積された成果の維持と、これに基づく政策や協力形態を見直すこと
 

EUは、経済統合、政治統合の推進を目指す機構である。

欧州の人々にとって、第一次、第二次の2つの世界大戦のようなものを二度と繰り返したくない!
とする悲願は、日本のように独立した島国であって、古来他国によって侵略蹂躙されたことのない
私たちにはなかなか分からないものかもしれない。

EUについて語る前に、この映像を見て欲しい。
欧州に限らず、国家と国家、また同盟国と同盟国同士などが起こす戦争というものが、
やがて世界を巻き込む巨大な不幸に陥っていく過程が、身体感覚としてわかるはずである。

サラエボで起きた一つの暗殺事件が、いかに世界に広がる戦争になって行ったか……

もうこんなことはとっくに知っているという方はいい。まだ見たことのない方、お知り合いに
若いかたがおいでの方などは、是非この映像記録をご覧いただくようお勧めください。
現在世界で起きている様々なことを語るには考えるには、私たち人類が歩んできた道を
知らないでいては本当の理解は出来ないのではないかと思います。



新・映像の世紀「第1集 第一次世界大戦 100年の悲劇はここから始まった」~NHKスペシャル~前編









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『英国のEU離脱とアベノミクス①』



ふ~ぅ。
それでなくとも複雑な要素をたくさん含むこの問題。
せっかく書いた記事を自分のミスで消去してしまってから、ちょっと立ち上がれずにいた。
さて。気力とりなおして、もう一度書くかなぁ。

国民投票による英国のEU離脱決定が引き起こした世界の驚きと衝撃は、皆さん
ご存じの通り。
だが。「『理性的で良識的な』英国民が、まさか『離脱』を選択することなどあるまい」
というキャメロン首相の読みと、世界の認識は甘かったと言わざるを得ないだろう。
ここで日本人への教訓として、徹底して覚えておいて欲しいのは、『国民投票』と
いうものの危うさ
である。まずはここから見ていこう。



1.国民投票の抱える危険性

ご存じのように、ヒットラーのナチス政権は、この国民投票というものと再三の大統領令
そして同じく再三の選挙、を駆使して、権力をあれほどまでに集中させていった
のである。

ナチスは決して非合法な政治権力ではなく、当時世界で最も民主的だといわれた
ワイマール憲法の下で、公正な選挙によって政権を取り、その後も何度も国民投票を
行なって民意を確認している
のである。

ヒトラーが台頭する前のドイツは、ヴェルサイユ体制下にあった。
ヴェルサイユ体制とは第一次世界大戦後の1919年に締結されたヴェルサイユ条約の下、
ヨーロッパを中心として組まれた資本主義世界の国際秩序国際体制のこと
である。

世界を巻き込んで実に1,700万人もの死者を出した第一次世界大戦。その反省から
①ドイツ軍国主義の再興の芽を摘む ②社会主義の台頭に対し資本主義諸国の結束を意図。
国際連盟の発足』『ロカルノ条約・不戦条約』『ワシントン・ロンドンの軍縮会議』など、
「国際協調」が進められた。
だが、それも、大戦の戦勝国中心、帝国主義列強間の世界再分割による植民地支配の維持と
民族運動を抑圧する体制であったことなど、それ自体が大きな矛盾をはらむ存在ではあった。

とりわけ列強の厳重な監視下に置かれた敗戦国ドイツは、過酷な賠償金や1929年に起こった
世界恐慌などの影響もあって、実に失業率40%以上という苦難に国民は喘いでいた。
特にイギリス・フランスの二国は、敗戦国ドイツに対する過酷な条件を負わせてその再起を抑止。
それと共に、賠償金を自国の戦後復興に充てること、をめざしていた。実にその金額は、
ドイツの国家予算の20倍というとんでもないものであった。

そんな状況下でのナチス台頭である。


ヒトラーの下での国民投票についてみてみよう。
●1933年1月30日。ヒトラー内閣成立。
●同年3月23日。全権委任法制定。ヒトラー首相が率いる政府に、ヴァイマル憲法に拘束されない
 無制限の立法権が授権されたことになった。
●同年8月1日。『国家元首に関する法律』制定。これは、ヒンデンブルクの死後に
 大統領の職を首相と統合し、権限を「指導者兼首相であるアドルフ・ヒトラー」個人に
 委譲するというものであった。翌日ヒンデンブルクは死去し、法律が発効してヒトラーは
 国家元首の権限を手に入れた。
 8月19日。この措置の正統性を問う民族投票が行われ、投票率95.7%のうち89.9%が賛成。
(ドイツ国国家元首に関する国民投票)。国民投票によるこの信任を得て、ヒトラーは、
 合法的に自分に権力を集中させた。ワイマール共和政は事実上崩壊。      
●1933年10月14日。ヒトラーはジュネーブ軍縮会議に反発、国際連盟から脱退。
 国際連盟脱退の是非を問う民族投票(国民投票)を実施した。
 ヴェルサイユ体制からの離脱は、過重な 賠償金や敗戦の屈辱感に苦しむ多くの
 ドイツ国民の宿願であり、95.1%がこの措置に賛成。
 なんと、ナチスによりダッハウ強制収容所に収容されていた2242名中、2145名も
 賛成票を投じているという。
 ヒトラーは言う、「いかなる権利も平等も持たないこのような機構の一員として名を連ねることは、
 名誉を重んじる6500万人の国民とその政府にとって、耐え難い屈辱である」と。

●1935年3月。国際連盟の管理下にあったザール地方が、住民投票で91%の賛成を得て
 ドイツに復帰。

●1938年3月13日。オーストリアを新たなドイツの州とする法案『ドイツ帝国と
 オーストリア共和国の再統合に関す法律』
によりオーストリアはドイツに併合された。
 4月10日、ヒトラーらは「国民投票」を行って97%の合併賛成票を集めたことを発表。


           ***


どうだろうか。現在のイギリス、そしてトランプのアメリカ、そして日本をも
含めた今の世界の国々に共通するところが見えないだろうか。
どこまでも進行する金融グローバリズムと、新自由主義政策によって貧富の差が
拡大
。金融グローバリズムによって一部富裕層はますます潤っていくようだが、
自分たちはその埒外に置かれている…。
失業率は目に見えては改善せず、さらに外国からの移民・難民の流入によって
少ない労働市場が奪われ、社会保障にかかる費用は自分らが分担させられる
…。
上述のヒトラーの国民を煽る言葉、「いかなる権利も平等も持たないこのような機構の
一員として名を連ねることは、名誉を重んじる6500万人の国民とその政府にとって、
耐え難い屈辱である」というのは、今回離脱派の指導者たちが言った言葉とたいへん似ては
いないだろうか?
別に、離脱派がヒトラーに似ていると言いたいわけでは決してない。歴史は繰り返すというか、
状況が重なって見える、と言いたいのである。今回の場合の『機構』とは無論EUのことであり、
『名誉を重んじる国民』というのは無論イギリス国民を指す。
(一人ごとだが、「ああ!プロパガンダの言葉は、なんといつも似ているのだろう!」)

自分たちは被害者だ!
その閉塞感と被害者意識が、自分たちの権利を奪うものとしてより弱い立場の
移民や難民に向けられて行く
のである。


このように、国民の不満が発火点に達したような状態での『国民投票』が、果たして
冷静で『正しい』(という言葉を使うのは疑問かもしれないが)、あとになって結果的に
良かった、と思えるような判断を下すことが出来るものだろうか。

国民投票は、民意を直接問える、という点で、『選挙』以外政治に参加する機会のない
一般の国民
にとってはいいことかもしれない。
その目的と進め方が国民の側から出た
徹底して民主的なものであるならば。そしてそれが、例えば県単位、市町村単位の住民投票と
言うような規模のものであり、また個々のピンポイント的な問題に関してであるならば、
それは私も否定しない。

だが。国の機構そのものの大幅変化を問うとか、国の姿を全く変えてしまうような
国民投票には、大きな危険がある。

その一: 国民投票を利用して、自分たちの思うような方向に国を
 引っ張って行きたい勢力(多くは国家権力)に利用される恐れがある。


 上記、ナチス政権下に行われた数回の民族投票などがいい例であろう。
 そして、そのような場合の多くは、権力も膨大な資金も握っている側による、猛烈な
 そして時には言葉優しく巧妙な『プロパガンダ』が行われる
こと、にも注意しておかなければ
 ならない。
 『言論誘導』が、こわもての顔をしてるとは限らない。いやむしろ、それはほとんどの場合、
 『国民の安全と幸福を守るため』とか『国民の誇りと権利回復のため』などという美辞麗句
 と共にソフトに囁かれることが多いのではなかろうか。
 それだけではない。それは時には、反対勢力への『言論の自由への圧力』、最悪の場合は
 『言論封殺』を、伴う
ことも往々にしてあるだろう。

 また、そういうふうに実感としては感じられない情報操作…実はこれが一番怖いのかもしれないが、
 『情報を与えない』という情報操作によって、国民の知る権利が侵され、『言論誘導』されて
 行く
ことも多いのではあるまいか。


その二:国民が勉強不足あるいは無関心で、理性的に、ではなく
 感情的に、ムードに流された判断をしてしまう恐れがある。


今回の英国民による『EU離脱』に関する国民投票。
これが上に書いたような、非民主的、非公正な状況で行われたとは全く思えない。
極めて充分な準備期間の下、公正な運営の下、十分な議論を尽くした後に行われた
国民投票であったろうと信じる。

だが、一部報道によれば、『離脱派』のひとの中には、今回の判断が引き起こした
国際的衝撃と、これがもたらす将来不安と国際的影響の大きさ予測に驚いて、
『あんな投票しなければ良かった…』と後悔している人も出始めていると言う。
『自分のような者の一票などがそれほど大きな結果をもたらすとは思わなかった…』
と、ショックを受けている者のインタビューも聴いた。
また、結果が出て世界中が半パニック状態になっているのを知って初めて、今回の
国民投票のもたらす影響の大きさに驚き、『EUとは』『EU離脱』というキーワードで
ネット検索をかける者の数がイギリス国内で爆発的に増えたとも聞く。

そんなことも知らないで、大事な一票を投じたのですか!

英国民の選択。
それを私たちは尊重せねばなるまいが、批判する立場にはないのだが、
①明らかにキャメロンという一宰相の判断ミス。
(おそらく3年前?の国民投票実施の決定は、キャメロンが自分たちの政権を守るという
ただの政党内での権力闘争という小さなもののせいである。)
②これをもって政治利用したいと思う勢力のプロパガンダ合戦に国民の一部が
影響された。
③国民の勉強不足と無関心。

ということが、もしももしもあるとするならば、
それによってもたらされる

Ⅰ)世界的金融不安と政治情勢の不安定化。
Ⅱ)これに勢いを得て勢力拡大していく極右政党の世界的増加。
Ⅲ)国民の回復しがたい分断。


このような、単に悪影響などという言葉では表しきれない大きな不幸は、
悔やんでも悔やみきれないものとなってしまうのではなかろうか。




もうすぐ、今度の参院選の結果次第…参議院でも改憲勢力が三分の二を得て、改憲発議の
要件が整えば、私たちの国でもこの『国民投票』が実施される事になるかもしれない。
『民主主義の先進国』ともいう英国で行われた国民投票がこの結果である。
(『この結果』、というのは、『国民ひとりひとりがEU離脱のほんとうの意味や影響を
果たして十分によく知っていたかどうか???わからない…』という意味でのことである。)

それでなくとも、『政治を語る』ことに一種の忌避感のあるこの日本。
果たして『国の根幹である憲法を変える』という重大な判断を、『感情や気分』でなく
ほんとうに理性的に十分に議論を尽くして行えるのか、私は甚だ心もとない。






…英国のEU離脱そのものに関しては、ここに書いた以上の、私なりの考えもあるので、
この記事続きます。この問題はそう単純じゃない。
この大きな出来事に関連して、もうすぐ私たちが下すことになる参院選での判断、
ということについても、触れていきたいと思います。









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『公明党と平和憲法』


『英国のEU離脱とアベノミクス』という長い渾身の記事を書いていたのに、
うう…一瞬の操作で消えてしまった…

今、また書きなおす気力がない。夜にでも再度思い出しつつ書いてみよう。

代わりに、ある『護憲』漫画の一部を見ることが出来るサイトがあったので紹介してみよう。
どこが編纂したかに注目ください。

「政策一致もない『野合』だ!」と、公明党山口氏は、民進党共産党を名指しで
非難している。山口那津男氏という人は、本来もっと理知的で物静かな、思想的にも
リべラルな人だと思っていたのだが、その応援演説などでの二党への悪口の言いぶりは、
すっかり、かつての山口氏とは別人のようだ。

私はかつて塾の雇われ塾長をやっていた。
ほぼ二十年の間に、実に多くの生徒たちと先生たちと触れ合った。
先生たちは、大学院生が多かったので、一定期間が過ぎると就職したリして塾をやめていく…
何人くらいの先生たちと一緒に仕事をしたかなあ…
20年間の間には、創価大学出身の先生たちが何人かいた…
私の住む多摩地区には創価大学があるので、いきおい塾教師の面接に来る人も
多かったのである。本部が採用試験をして送り込んでくるのであるが、本部の人々が
学会員ということはなかったはずだ。要するに成績人柄がよかったから採用されたと思う。
実際その先生たちはどの先生も、極めて優秀な青年たちであった。
第一に人柄がものすごくよかった。穏やかで真面目である。生徒たちのことを親身に見てくれる。

いつも思うのだ。
彼らは、公明党が今、自民党と一緒になって、安保法制などを通していくのを
どう思っているのだろうか、と。国民主権を奪う、などと驚くべきことを言う人々と公明党が
どうして一緒にやっていくのか、抗議などしてはいないだろうか。


公明党、創価学会はどこまでも安倍政権につき従っていく気か。

まずは見てください。質の高い漫画とは言えないが。><


http://seoul-life.blog.jp/archives/62149212.html






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『こんな国にしたい?』



『憲法から、国民主権、基本的人権、平和主義をなくさなきゃ
ほんとの自主憲法にならない』



https://youtu.be/h9x2n5CKhn8



平成24年5月。ある団体の研究会での映像。
この発言者自身はもう議員ではないらしいが。
その他の出席者は・・・。




!!!マジですか?
本気でそんなこと考えてるんですか?
…大真面目らしい…
これって、憲法九十九条違反じゃないの?
          

日本国憲法第十章『最高法規』
第九十九条  『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官
その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ』





皆さん。
ほんとに、こんな国にしたいんですか?
なっていいんですか?


……怒りを通り越して、悲しくなってくる……










『選挙に行こう』



眠い…

昨夜、蚊が一匹いて眠れなかったのだ。
神経質なので、一度眠り損ねるともう眠れなくなってしまう…
しかたない、そのまま起きて身支度して、朝の駅にビラ配りに行く。
今日が、そういう運動できる最後の日だから。

慌ただしく行き交う勤め人や学生たち…

不思議なことに、背広をきちんと着た4~50代くらいのサラリーマンらしき男性たちが
最もよくビラを受け取ってくれた。
1,2か月前、署名集めをしていたときには、一番冷たく無反応な層だったのだが。

何か、意識の変化、というようなものが起きているのだろうか…
大きな変化が起きているのだといいのだが。




署名もビラ配りも。 ただ差し出すのでない。いつも自分の想いをフルにこめて差し出す。
すると、その一瞬、相手の体と表情がふっとやわらいで、手を伸ばして受け取ってくれる。
顔などあまり見ていない。私はいつも相手の手を見ている。
その手を、私はいつも、『ああ、美しいな!』、と思ってしまう。

なぜ、ビラを受け取るために差し出した手を、美しい、などと感じるのだろう。


ただ、ビラ、という即物を、受け渡ししているからではないからだ…たぶん…





            ***


ふ~…
『参院選までにとにかく!』と思いつめて一所懸命書いてきたけれど、もういいや。
書き残したことはいっぱいあるけれど、また中途半端に終わってしまうけれど、
もうやめよう。これまでに既に、十分に書いたような気もする。



         …信じることにしよう。





             ***



あることについて何も書いていない語ってもいない動いてもいない、ということが
そのことについて何も考えていない何も思っていない、ということと
イコールだとは、私は決して思わない。

そのことを私はブログで学んだし、また、署名などのために街頭に立っていて
いつも思うことである。いろいろ学ぶ…


人の内心思っていることは、他のひとにはわからない。当たり前のことだ。
ビラを受け取ってくれる手をなぜ美しいと思うか。
それは、その内心の想いの、予定外の表出の瞬間、だからじゃないのかな。
『おっ!』とか、『ここでやってるのか!』と思って手を思わず差し出す…
その手の動きは存外に素早くてスムーズで、それが妙に美しいのだ。









          今夜は早く寝よう。
  






      

『参院選は野党四党に ④』



時の一内閣が暴走しないための歯止めの6番目。

⑥教育が、時の一政府の『指導監督』などというものによって萎縮したりしていない。


Q18:『教育』が歯止めになるってどういうことですか?


 安倍政権は、その第一次第二次第三次政権を通じて、ずうっとこの『教育』に対する
 政府の権限を強め、その内容やシステムや目標などにまで、『国家』の干渉をしようと
 する特徴がとりわけ強い政権です。

 2006年(平成18年)12月教育基本法改訂
 2007年(平成19年)6月 学校教育法改正、教育職員免許法及び教育公務員法改正、地方教育行政の組織及び運営             に関する法律改正(教育改革関連三法)
 2012年(平成24年)自分と歴史認識を同じくする下村博文氏を文部科学大臣に起用。
 2013年(平成25年)1月。「教育再生実行会議」。日本の侵略戦争を肯定する
       「新しい歴史教科書をつくる会」元会長で、「ジェンダーフリー」や男女共同参画を攻撃してきた
       八木秀次高崎経済大教授、教育現場での「日の丸」掲揚・「君が代」斉唱を主張し、沖縄戦での
       集団自決強要はなかったとする著書を出版した曽野綾子氏、改悪教育基本法に「愛国心」を
       盛り込むことを主張した全日本教職員連盟委員長の河野達信氏といった「つくる会」「靖国派」
       を人選。
 2015年(平成27年)6月。国立大学の人文科学系、社会科学系、教員養成系の学部・大学院について
        「組織見直し計画を策定。組織の廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に
        取り組む」
ことを求めた文部科学大臣決定を通知。
 
人文科学・社会科学・教育関連学部・大学院の軽視と統廃合、転換は、まさに
人類が築き上げてきた『智』の否定にもつながりかねない、愚かな方針です!   


 私は、『教育』というものは、ジャーナリズムと同じに、国民が自分で考える、という
 ために、最も大切なものだと考えています。
 どちらも、『知る』ということです。 知って、『自分の頭で考える』こと。

 いつの時代のどこの国のどの政権であろうと変わらない、『国家』という実体のないものの
 名を借りて、時の権力者が、ジャーナリズムと教育、というこの二つのことに、盛んに
 触手を伸ばしてくるときは、国民は、敏感にそれを察知して、そういうことをさせないように
 しないといけないと考えています。

 私のこの想いを、極めて端的に表している、ある国会でのやり取りがあるのでご紹介します。
 2016年2月15日の衆院予算委員会での、民進党の山尾志桜里議員と安倍総理のやり取りです。
 そもそもの発端は、NHK「クローズアップ現代」におけるやらせ疑惑問題で、高市早苗総務相が
 NHKを文書で厳重注意(行政指導)したことに対し、放送界の自主組織であるBPO
 (放送倫理・番組向上機構)が2015年11月、「政府が個別番組の内容に介入することは許されない」
 と厳しく批判したことであったと思います。
 これに対し高市総務大臣は、2016年2月8日の衆院予算委員会で、放送局が「政治的に
 公平であること」と定めた放送法4条の違反を繰り返した場合、電波法に基づき電波停止を
 命じる可能性に言及。

 これが衆院予算委員会で議題として取り上げられ、山尾議員の質問に繋がっていったのだった
 と記憶しています。
 また、山尾議員は、高市総務相の『憲法9条改正について放送であからさまに反対論を
 繰り返し流した場合も電波停止になりうる』という発言など、その他の放送に関することについても、
 高市氏と総理の『表現の自由』に関する認識を問います。
 
 日本国憲法では、いろいろな国民の自由権が列挙されています。
 『信教の自由』『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由』『学問の自由』
 『居住、移転及び職業選択の自由』…
 守られるべき権利として『勤労者の団結権、団体交渉権』『財産権』『請願権』なども
 保障されています。

 
 放送局の報道の自由という表現の自由をもっとも制限するような行政処分の可能性を
 総務大臣が口にしたのです。安倍総理もそれを追認した。
 『安倍政権こそ、与党こそ言論の自由を大事にしている!』と豪語した安倍総理に、山尾議員が、
 『表現の自由の優越的地位とはどういう意味か知っているか』、
と追及したのです。
 上に書いたように、憲法で保障されたさまざまな『自由』の権利の中で、例えば『信教の自由』や
 『表現の自由』『学問の自由』などは、人間の言わば『心の自由』に関わることです。
 一方、『居住、移転、職業選択、財産』権、などは、『経済活動』に関わることといえましょうか。
 
 しかし、同じ『自由』でも、『表現の自由』など、人間の心の自由に関する項目は、
 経済上の自由などよりも優越的地位にある、ということ、そのことを知っているか、と、
 憲法21条に絡んで、山尾議員が安倍総理に訊ねたわけです。安倍総理はしどろもどろ。

 憲法21条『第二十一条  集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
 2  検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。』


 私は、この山尾志桜里議員の追及は、国会の歴史に残るような名追及だと思っています。
言っておきますが、安倍氏をやり込めたから素晴らしい、などと言っているのでは無論ありません。
 彼女の問いが、本質的部分でたいへんに大事だと思うからです。
 是非、あとで、動画で彼女の切れ味鋭い質問をお聴きください。
 問題の個所は、20:15くらいのところからです。

 



 私がここで言いたいことは、山尾議員の以下の発言が最も簡潔に要約してくれているので
 書き起こしを引用します。
 
 『なぜ、内心の自由や、それを発露する表現の自由が、経済的自由よりも、優越的地位に
 あるのか。 憲法の最初に習う、基本の「き」です。
 経済的自由は、たいへん重要な権利ですけれども、国がおかしいことをすれば、選挙を通じて、
 これは直すことができるんです。でも、精神的自由とくに表現の自由は、そもそも選挙の前提となる、
 国民の知る権利が阻害されるから、選挙で直すことができないから、優越的な地位にある。
 これが、憲法で最初に習うことです。』


 なお、この書き起こし及びおよその流れは、こちらのブログが紹介し、わかりやすい分析を
 してくれているので、こちらを是非全文お読みください。
 http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/755c0843633b7d1a9d901171fee94662 

 そちらから上記山尾議員の発言の追加説明を引用します。
 『報道機関が自由に取材や報道が出来て、国民が自由に情報を取得し、自分の意見も言える
 自由が表現の自由です。
 この表現の自由が保障されることによって、国民は自分の政治的な意見を持つことができ、
 自分たちの代表者である国会議員を選ぶことができます。
 逆に言うと、表現の自由が憲法違反の法律や行政処分で違憲状態にまで制限されると、
 国民の政治的意見が損なわれてしまい、国会議員の構成まで本来と違うメンバーが
 選ばれてしまうことになります。
 このような違憲状態で選ばれた国会議員は憲法違反の法律を改めようとは絶対にしないでしょう。
 なぜならそういう違憲な法律でこそ、自分は選ばれたんですから。』


 これもあって、裁判所は、経済的自由権の場合よりも、表現の自由という、いったん侵害されたら
 取り返しのつかない権利を強力に保護するのです。
 これが表現の自由が経済的自由権より優越的地位を持つと呼ばれる所以です。



 さて。私がなぜ、この山尾議員が総理にぶつけた質問を、ここで重大なものとして取り上げるのか。

 ⑤の『ジャーナリズムの権力からの独立』(報道の自由)、やこの⑥の『教育の独立』は、
 人間の心に関する問題だからです。『思想・良心の自由』『言論の自由』『表現の自由』
 など、これら、人間の精神活動に関する自由は、何物にも代えがたい価値を持つ。
 なぜなら、それは人間の『知る』『考える』行為に関する領域だからです。
 ここが権力によって過干渉、もしくはついに冒されてしまえば、それを取り戻すのは
 容易ではない。
 山尾議員が言うように、一つは、情報というものを時によりどころにして、私たちは
 ものを考えていきます。その情報自体が歪んでいたり、あるいは恣意的に誰かによって
 増幅、消去、など操作されていたらどうなるでしょうか。
 私たちはその与えられた情報によっていろいろなことを判断していくことになります。
 よく、『メディアリテラシー』が必要だ、などと言われるけれども、情報あっての
 メディアリテラシーです。極端な例で言えば、情報が一切与えられなければそれを
 読み解くこともできない。また意図的に操作された情報しか無かったら、やはり判断を
 誤ることも起きてきます。
 選挙などについてはどうでしょうか。山尾議員が言うように、国民の知る権利が
 阻害されていれば、私たちは自分の願うような方向への選択をすることもできません。
 与えられた情報で私たちは一般的に判断をして行きます。その与えられた情報が
 そもそも時の政権の都合のいいようにゆがめられ操作されているものだったら?
 都合の悪い情報が最初からカットされてしまっていたら?
 私たちはそうなれば、選挙で『知る権利の侵害』さえもを、糺していくことが出来ないのです。
 そうやって選ばれた議員たちが、また政治を続けていきます…
 
 報道によって、私たちは日々情報を得、その情報をもとにものを考えていく…
 教育によって、私たちは知識を得、その知識を総合しながら、自分の精神を形成し、
 考える力を養っていきます。
 ここが、時の権力によって侵されてしまうと、それを取り戻すためには膨大な時間が
 かかります。時に『洗脳』と呼ばれるものもあります。
 『洗脳』を解くのがどのくらい大変か、皆さんもいろんな事例でご存じでいらっしゃるでしょう。
 権力による思想・表現などの自由の制限、または禁止、またそこまで行かずとも
 国民自らが陥る『忖度』状態は、それが1年続いたら1年で回復する、というような、
 時間的量的に等価なものではありません。
 報道の自由の侵害、教育内容・教育制度・教育方法への国家による過干渉は、
 人間の精神形成に影響しますから、その影響は5年10年…ひどい場合には一生…
 と続いてしまうのです。

 ここに、ジャーナリズムや、教育が、国家を名乗る集団の価値観によって染められること
 制限を受けること、自由を失うことの怖さはあります。
 人間の思考そのものが侵される危険があるわけですから。
 逆に言えば、私たちは、この『思想・表現の自由』こそをとりわけ心して守らねばならない
 ということではないでしょうか。


⑦最後の砦=国民。国民が、自分の頭で考える。政治に無関心などではなく、
 憲法によって保障された自分たちの権利を守るためには声を上げ行動するという
 政治的『成熟』をしている。声の大きいもの力を持ったものにむやみに迎合しない。



国民ひとりひとりが、自分の頭で考えること。

そう。国民こそが、時の一政権による悪政や、自由の制限・
生きる権利の剥奪などに立ち向かう最後の砦なのです!


投票に行ってください。
憲法によって私たちに与えられている様々な権利を守りましょう。






日本国憲法第12条
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、
これを保持しなければならない』



『参院選は野党4党へ ③』


Q14:今の自民党には党内野党がいないって?
 少し前までは、自民党には、好き嫌いは別にして、長老と言えるような議員さんたちがいて、
 内閣が走り過ぎの時には手綱を引き締めるとか、いい意味でそれぞれ多少色の違う
 派閥があって、それらが自民党内で議論のすり合わせをするなど、いわゆる党内での
 切磋琢磨が出来ていたような気がします。
 今の自民党は、安倍色一色です。今の閣僚の顔ぶれを見てください。
 第三次安倍内閣では閣僚のうちの実に13人が、日本最大の右派団体である『日本会議』の
 メンバーです。
 公明党が、連立政権で言わば政権内野党と言える存在出会ってくれればいいのだけれども、
 それがそうなっていない。
 むしろ公明党が、最初は政権に渋い顔をして見せるけれども結局最後には政権の方針を追認する
 という役回りがパターンとして出来てしまって、公明党が安倍政権への国民の不満のガス抜き役に
 完全になってしまっている。
 私は、もしいつか、私たちの後の世代が今を振り返って、『あの時どうして自民党の暴走を
 止められなかったんだろう!』と後悔する時が来るとすれば、公明党の罪は重いと思っています。
 昨年秋の集団的自衛権行使容認を含む安保法制に反対する国会前集会には、創価学会の
 一団もいらっしゃいました。公明党支持の皆さんは『平和の党』のプライドをもう一度取り戻してほしい。
 安倍政権に加担して、この国の財産である平和憲法を変えたりなどさせないでください!

 自民党自体も本来もっと包容力のある政党だったように思います。
 (つい最近のニュースで、2003年に引退していた長老の野中広務氏が『復党』、というのが
 あったが、野中氏あたりが安倍政権のほんとうの意味での厳しいご意見番になってくれればなあ…
 と考えた私は、考えが甘すぎだろうか?)


③内閣法制局がしっかりしていて、内閣が憲法にそぐわないような
  法案を提出するのをチェックできる。

Q15:内閣法制局ってなんなの。
 内閣法制局は、1885(明治18)年、内閣制度の発足とともに作られた組織です。
 政府・内閣の法律顧問団のようなもの。ご存じのように、国会に出されて審議される
 法案は、国会で発議されるいわゆる議員立法と、内閣が提出する閣法とがあります。
 あの『集団的自衛権の行使を含む「国家安全保障基本法案」』は「閣法」(内閣 提出法案)
 でした。内閣法制局はあのような法令案を審査したり、法律問題につき首相や各省大臣等に
 意見を述べるという仕事をしています。
 法令案の審査では、細かく念入りな逐条審査を通して、当該法令案が、憲法を頂点とする
 国法体系との整合性があるかどうか、政府見解や判例との適合性があるかどうかを、
 厳しく審査します。一番わかりやすい例が、あの自衛隊の集団的自衛権行使が
 日本国憲法に違反するかどうか、という大きな大きな問題です。
 歴代内閣法制局は、『集団的自衛権は憲法上認められない』という一貫した立場を
 貫いてきました。自民党歴代内閣もそうだったのです。
 安倍総理の尊敬する祖父である岸信介首相(当時)も、昭和35年(1960年)第034回 国会本会議
 において、日米新安保条約と地位協定の締結についての議論で、社会党佐多忠隆氏の質問に対し、

 『自国と密接な関係にある他の国が侵略された場合に、これを自国が侵害されたと同じような立 場から、
 その侵略されておる他国にまで出かけていってこれを防衛するということが、集団的自衛権の
 中心的の問題になると思います。そういうものは、日本憲法においてそういうことが できないことは
 これは当然でありまして、そういう意味における集団安全保障というものはないのでございます。』

 

 と、明確に、集団的自衛権は日本国憲法下では行使できないと答えているのです。

 その時の議事録があります。
 なかなか興味深いので、興味のある方はお暇のあるときにでも読んでください。
 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/ sangiin/034/0512/03402100512006a.html
 今とまったく同じような議論をしています。ただ…安倍氏の祖父の岸信介氏をはじめ、
 与党の国務大臣たちは、昨年の安保国会で、安倍氏らが徹底して同じ文言の読み上げで
 時間稼ぎをしたような、そんな醜い答弁はしていません。真面目に答えています。

 そのように、歴代自民党内閣は、法制局にも諮って、集団的自衛権は行使できないという
 判断をしてきたのです。
 憲法改正を悲願とする安倍首相は、まず、第二次政権発足時、憲法第96条をいじって
 改憲のハードルを低くしようとしました。しかし、憲法学者小林節氏によって、
 「『裏口入学』。憲法改正のルール以前の悪事です。『憲法改正』ではなく『憲法破壊』。論外です。」
 と猛反対されたごとく、多くの反対を受けてとん挫。それでもって、今回の「『解釈改憲』
 による集団的自衛権行使容認」という手に出てきたわけである。

 安倍氏は、まず。この内閣法制局長官の座に、自分に親しい外務省出身の小松一郎氏を
 据えることで第一の障壁を取り払おうとしたことは皆さんの記憶に新しいでしょう。
 1952年の法制局発足以来、内閣法制局長官は、総務省(旧自治省)、財務省(旧大蔵省)、
 経済産業省(旧通商省)、法務省の4省出身者によって占められてきました。また、いずれも
 内閣法制局次長を経てからの内部昇格による就任ということでずっとやってきました。
 ところが安倍氏はこの慣習を崩し、元外務省国際法局長の小松氏を任命したのです。
 この人事は、戦後の内閣法制局の歴史において異例中の異例の人事でした。
 慣例を破ること自体が絶対に悪いとは私は思いません。しかし、内閣法制局は、
 「内閣における『法の番人』」とも俗称されてきたような、極めて専門性と重要性の高い
 部署です。そこに自分の息のかかった部外者を入れて、集団的自衛権行使容認に
 道を開こうとした、総理の手法
は、どうでしょうか。賛成されたものではありません…
 なお、2014年に小松氏が体調不良で長官を退任した後は、内閣法制局次長だった
 横畠裕介が長官に就任したのですが、その横畠氏も、昨年の国会答弁においては、
 与党の政治家同様ぬらりくらりと、新三要件なるものを繰り返していたことは、これまた
 皆さんご記憶の通りです。
 私は『伏魔殿』などと陰口を叩かれつつも、法の番人として頑固に慣例と、法の適合性
 を守ってきた内閣法制局が割合好きでした。横畠氏の答弁を聴きながら、
 『内閣法制局は死んでしまった!……』と悲しく思ったものです。

さて。三つ目の障壁はこうして取り除かれてしまいました。
行政府が暴走しないための4つ目の歯止めはなんでしょうか。
④司法権が、立法府や行政府、あるいは地方自治体の長などの権力から、文字通り
  独立していて、必要な時、公平な判断を下す働きをする。

Q16:司法権の独立って機能してるの?
 これもとても難しい問題です。私自身は、日本においては司法の独立が行政権に比べ
 弱すぎるのではないかと感じることがしばしばです。
 少し前の記事にも書きましたが、砂川事件の最高裁判決というのがありました。
 1957年7月8日に特別調達庁東京調達局が強制測量をした際に、基地拡張に反対する
 デモ隊の一部が、アメリカ軍基地の立ち入り禁止の境界柵を壊し、基地内に数m立ち入った
 として、デモ隊のうち7名が『日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力及び安全保障条約』
 第六条に基づく施設及び区域並びに『日本国における合衆国軍隊の地位に関する協定』の
 実施に伴う刑事特別法違反で起訴された事件です。
 一審の東京地方裁判所(裁判長判事・伊達秋雄)は、1959年3月30日、「日本政府がアメリカ軍の
 駐留を許容したのは、日本国憲法第9条2項前段によって禁止される戦力の保持にあたり、
 違憲である。したがって、刑事特別法の罰則は日本国憲法第31条デュー・プロセス・オブ・ロー規定
 (刑罰を受ける際に、その手続きが法律に則ったものでなければならない。また、その法の実体も
 適正であることが要求される)に違反する不合理なものである」と判定し、全員無罪の判決を
 下しました。 だが、検察側は直ちに最高裁判所へ跳躍上告。
 最高裁判所判決(大法廷、裁判長・田中耕太郎長官)は、同年12月16日、「憲法第9条は
 日本が主権国として持つ固有の自衛権を否定しておらず、同条が禁止する戦力とは
 日本国が指揮・管理できる戦力のことであるから、外国の軍隊は戦力にあたらない。したがって、
 アメリカ軍の駐留は憲法及び前文の趣旨に反しない。他方で、日米安全保障条約のように
 高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、
 その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことはできない」(統治行為論採用)として
 原判決を破棄し地裁に差し戻したのです。
 田中の差戻し判決に基づき再度審理を行った東京地裁(裁判長・岸盛一)は1961年3月27日、
 罰金2000円の有罪判決を言い渡しました。この判決につき上告を受けた最高裁は1963年12月7日、
 上告棄却を決定し、この有罪判決が確定。

 この砂川事件最高裁判決というものは、極めておかしな、後味の悪い判決となりました。
 これもすでに書いているけれど、田中耕太郎最高裁長官が、日本の判決が出る前に
 マッカーサー大使と面会した際に「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを
 示唆していたこと、上告審日程やこの結論方針をアメリカ側に漏らしていたことが
 後にアメリカ国立公文書記録で明らかにされたのです。
 米軍基地の存在を「合憲」とする判決が出ることを望んでいたアメリカ側の意向に沿う
 判決を下すことが既定の方針であったと疑われてもおかしくない長官の行動であり、
 日本の最高裁がアメリカに従属していると言われても仕方がない、まさに『司法権の独立を
 揺るがす』ような判決でありました。
 その上、「最高裁は、日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、
 一見してきわめて明白に違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの
 法的判断を下すことはできない」という、いわゆる『統治行為論』を採用したことによって、
 後の裁判に、難しい問題に関しては最高裁は判断をしない、という悪しき前例をつくった
 判決でもあったのです。(その後、この砂川判決を直接範例として同様の判決を下した裁判が
 多くあるというわけではないようですが、いわゆる過去の数々の原発訴訟、一票の格差の問題、
 また沖縄の普天間基地問題などなど、最重要題に限って裁判所が明確な判決を
 下したがらないように思える例はたくさんあるのではないでしょうか?
。)

 最高裁長官は誰が任命するか。天皇です。だが、指名するのは内閣です。
 長官以外の最高裁の裁判官は、これも内閣が任命します。
 最高裁判事は長官も含め15名ですが、現在その15名中安倍内閣が指名、任命した判事は
 7名います。あとの8名は鳩山、菅、野田の民主党政権任命。しかし、今年はそのうち2名が
 任期が来るので、安倍内閣任命の判事は15名中9名になるでしょう。
 来年17年にはさらに3名に任期が来て、安倍内閣指名の判事は、15名中12名になります。
 そんなことはゆめゆめないと信じたいですが、最高裁判事が、立法権・行政権、…とりわけ
 内閣が任命権を持つゆえに、行政権に忖度などすることなどなきよう祈らずにいられません。
 司法予算(裁判所予算)が国家予算に占める割合は近年わずか0.4%程度であるといいます。
 日弁連などは、市民のための大きな司法の実現のために、司法予算の拡大を緊急の課題
 として掲げています。司法予算を決定するのも政府であるとすれば、予算を削られないために
 司法権がますます行政権に対し委縮することなど、これまたゆめゆめないよう、私も
 日弁連を応援したいと思います。

 話が膨らんでしまったけれども、日米安保条約や地位協定など、外国との条約・協定や国際法規と、
 日本国憲法は、法体系から言ってどちらが上位なのか、ということについて。
 これは近年の解釈では、日本では一応、憲法>条約>国内法、となっているようです。
 でも、沖縄の現状など見ると、この国は、日米条約や地位協定やガイドラインの方が
 上位にあるように思えて仕方がありません。
 同じ第二次世界大戦敗戦国のイタリア共和国、ドイツ連邦共和国が冷戦後に大使館の土地以外の
 管理権を取り戻したのに対し、日米地位協定は1960年以来、運用改善のみで一言一句改定されていません。
 司法は日本の『憲法の番人』です!そこまで行政府の前に下ってしまったら、この国の
 正義はなくなってしまいます!



時の一内閣が暴走しないようにする歯止め。その⑤は、なんでしょうか。
⑤ジャーナリズムがしっかりしている。間違っても権力と癒着などしていないし、権力に
 媚びたり妙な忖度などしていない。


Q17:ジャーナリズムの委縮が言われます。
 これが一番私には嘆かわしいです。
 シャルリー・エブド事件や後藤さん湯川さんの悲劇があった時、私は、しばらく沈黙していた後
 昨年4月、『沈黙…意見を呑み込むということ忖度するということ』というシリーズ記事を書きました。
 書きかけに終わってしまっていますが。
 この、日本独特の『忖度』の空気を、私は、東日本大震災の、福島第一原発事故の
 時から、ほんとうにいやだなあと思い続けてきました。
 それでも、はっきり言って、民主党政権の頃には、ブログなどでこうして個々人が自由に
 意見を述べることに何の躊躇も感じることはなかったです。ジャーナリズムは原子力ムラに
 忖度しまくっていたけれど。
 あれから5年と数カ月。日本のジャーナリズムはどうなったでしょうか。
 安倍政権になってから、世に満ちた『忖度』は、ほんとうに情けなくなるほどです。
 野田政権のときでさえ、原発問題以外では、ジャーナリズムの忖度などあまりなかった。

 ジャーナリズムが死ぬと、なにが怖いですか?
 国民にとって必要な情報が入ってこなくなることです。
 国民が判断する材料がなくなる。
 ジャーナリズムが時の権力になにも物言えなくなるとき。
 こんな怖いことはありません。

 安倍政権は、ジャーナリストに『ソフトな』圧力をかけます。
 しかし、『お願い』であろうがなんだろうが、時の政権から、放送内容についてクレームが来る。
 これは、弱小野党が、『私たちの党にも討論会に参加させてください』と頼むのとは
 わけがちがいます。
 政権からのクレーム、及び、クレームが来そうな予感、は、ジャーナリズムの無用な忖度を生み、
 やがてそれは報道の委縮、となって、ジャーナリズムを殺してしまうのです。
 ジャーナリズムの死んでしまった国…それは悲惨です!それを私たちは
 70年前、経験して知っているはずではありませんか!


 安倍政権による『行政権への権力集中』は、進んでいます。


『参院選は野党4党に ②』

Q10:安倍政権の暴走と言っても、実感としてありません。
  そうでしょうねえ…
  それでは、逆に質問です。

逆質問1:一般論として、時の一内閣や一部の人間に権力が集中するのは
 望ましいことですか?

  三権分立、というくらいですから、いいことではないでしょうね。
  ナチスドイツの例もありますし。日本の翼賛体制の例もありますし。


  
Q11:時の一内閣が暴走しないようにするためには、普通どんな
 歯止めがあるのですか?

  核心をついた質問ですね。
  大体以下のようなものが考えられると思います。
 
①立法府が立法府としての機能を十分に果たしている。すなわち、与野党の勢力が拮抗していて、
  そこで十分な議論が戦わされ、また、各政党の議員が、『党議』に縛られず、評決できている。

②与党内に、大局的に物を見る経験豊かな長老などがいて、また、若手が『党議』に縛られず
  研究会や議論を自由にする雰囲気があり、言わば『党内野党』ともいうべき、自浄勢力が
  あり、政権の暴走を防ぐ役割をする。

③内閣法制局がしっかりしていて、内閣が憲法にそぐわないような法案を提出するのを
  チェックできる。

④司法権が、立法府や行政府、あるいは地方自治体の長などの権力から、文字通り
  独立していて、必要な時、公平な判断を下す働きをする。

⑤ジャーナリズムがしっかりしている。間違っても権力と癒着などしていないし、権力に
 媚びたり妙な忖度などしていない。

⑥学校教育も、時の一政府の『指導監督』などというものによって萎縮したりしていない。

⑦最後の砦=国民。国民が、自分の頭で考える。政治に無関心などではなく、
 憲法によって保障された自分たちの権利を守るためには声を上げ行動するという
 政治的『成熟』をしている。声の大きいもの力を持ったものにむやみに迎合しない。


 実は、第一次第二次安倍政権下で、これらの歯止めが、恐ろしいことに①~⑥まで
 効かなくなってしまっているって、皆さん、考えになったことありますか?
 これは、安倍政権がどうのこうのいう問題じゃない。どの政権下でも大変にまずい状況です。
 一つ一つ見ていってみます。

立法府が立法府としての機能を十分に果たしている。すなわち、与野党の勢力が拮抗していて、
  そこで十分な議論が戦わされ、また、各政党の議員が、『党議拘束』に縛られず、評決できている。

  今、日本では衆参両院ともに、自公プラスおおさか維新など補完勢力が、多数を占め、
  どのような重大な案件も、与党の多数で可決成立していっています。
  昨年の安保法制の論議は十分に尽くされたでしょうか?それぞれに重大な問題の11もの法案を、
  一括審議しました。政府は衆参合わせて200時間以上も審議した、と胸を張っていますが、200÷11で
  個々の案件は、平均すれば僅か19時間しか審議していないことになります。
  これでじゅうぶんに国民にも納得してもらえるよう説明をつくした、と言えるでしょうか。
  しかもご記憶のように、野党の質問に対する政府の答弁は、同じ文言の繰り返し、新三要件
  とやらを読み上げるだけで、貴重な審議時間を無駄にしました…。
  そして、9月19日深夜。速記録も取ることが出来ないごたごたの中で、野党の隙を突くように
  して法案は採決され、可決されてしまいました。

  速記録もない採決を、正当な国会審議と言えるでしょうか?
  
  また、安倍政権に限りません、野党も同じですが、日本の議員たちは、『党議拘束』が
  強くかけられているため、個々の案件では党の方針に反論を持っていても評決時には
  党の決定に従うことがほとんどです。それは本来まずいのではないでしょうか。
  アメリカなどでは自由です。フランスも、党の方針と違う評決をしても罰則が緩い。
  『議会政治の父』と呼ばれる尾崎行雄は、1920年『憲政の危機 』という小冊子のなかで、
  こう述べています。
  『元来議会なるものは、言論を戦わし、事実と道理の有無を対照し、正邪曲直の区別を明かにし、
   もって国家民衆の福利を計るがために開くのである。しかして投票の結果が、いかに多数でも、
   邪を転じて正となし、曲を転じて直となす事はできない。故に事実と道理の前には、いかなる
   多数党といえども服従せざるを得ないのが、議会本来の面目であって、議院政治が国家人民の
   利福を増進する大根本は、実にこの一事にあるのだ』

   多数党が数の論理でもって議論を十分に尽くさぬまま評決して、それで国会運営がなされて
   行く状況を、尾崎は憂えて、
   『衆議院にしていやしくも立言議定の府ならんや、賛否の議論、いまだ半ばに至らざるに当たって、
   討論終結の声、既に四方に沸く、わが国には表決堂ありて議事堂なし
』と、厳しく諫めています。
   昨年の安保法制審議・評決などは、まさにこの状態でした。
   昔は、与党野党に関係なく、尾崎のようなこういう正論を説く政治家がいたのです。

   Q12:だけど、民主主義は多数決の論理。選挙で多数を占め、国会で
   多数決を採って決めたことなら、正当の手続き踏んでいるんだから
   仕方ないでしょ。

    尾崎翁の言葉をもう一度かみしめてください。
    『投票の結果が、いかに多数でも、間違ったことを正しいとする事はできない。事実と道理の
    前には、いかなる多数党といえども服従せざるを得ないのが、議会本来の面目。
   
 議院政治が国家人民の利福を増進する大根本は、実にこの一事にある』!!!
   多数決には、必ず、『少数意見の尊重』ということが伴われなければ、それは民主主義とは
   言えません。
   
   Q13:『私たちは選挙で勝ったのだから、民意を託されているのです』
   などというのは、根本的に間違っているということですね。

   その通りなんです!今の自公政権は、オールオアナッシングになってしまう小選挙区選挙制度
   のために、全有権者の18%の支持票しか集めていないにもかかわらず、議席は68%もを
   獲得しています。反対票を投じた人プラス棄権した人は、実に全有権者の72%。(維新、
   次世代など自公の補完勢力がおよそ10%と計算して)
   それで『民意を全権委任されている』と考えて、選挙公約には最後の最後の方にしか
   書いてなかった安保法を、選挙後は最前面に打ち出しこのように強行採決。TPPも
   原発も、消費税増税先送りも沖縄も…少数者(実は多数者)の意見も反映されず決められていく
   政治というのは、おかしくないですか?
   沖縄の民意というのは、明らかに圧倒的に、自公の方針に反対。普天間の辺野古への移転に
   反対、沖縄からの米軍基地撤退を求めています!


  なぜこういうことが起きるのか。
  それは、自公プラス補完勢力が国会で多数を占めすぎているからです。
  自公の政治に反対する勢力が、もっと国会において大きくなれば(つまり国民の意思が
  そちらに働けば)、自公政権もその暴走を止めざるを得なくなります。
  せめて参院選で、『ねじれ』を生みましょう!



 
この記事続く。



『参院選は野党4党に ①』


参院選がいよいよ近づいてきました。

今度の参院選の大事さを、どのくらいみんなわかってくれているのだろうか。

憲法の記事は少し中断して(また書き続けます)、参院選に向けて直接訴えたいこと
書きます。22日に公示されたら、こんなブログといえども公選法に違反しないよう、
発言には気をつけねばならなくなりますから。
Q&A方式で書いてみます。

今度の選挙の目的ははっきり言って『改憲勢力三分の二を阻止する』
ということです。


Q1:でも、経済も大事なんじゃない?
  もちろん大事です。でも、今度だけは、野党四党に入れてください。

Q2:なんでなの?私は安倍政権でアベノミクスをもう少し続けさせてみたい。
  それでもいいです。でも、今度だけは、野党四党に入れてください。
  仮に今度の参院選で野党が勝っても、総理大臣は衆院第一党から選ばれるのですから、
  自民党政権は変わりはしません。安心してください。

Q3:じゃあ、野党が参院選で勝っても、意味無いんじゃないの?

  大きな意味があります。それは、安倍政権を『図に乗らせない』という意味で大事なのです。
  今度の参院選は、『あべさん、あなたの政策ややり口に何もかも賛成しているわけじゃないのよ』
  ということを国民が意志として示すことがとても大切
なんです。
  ほら。2010年夏の参院選直前に、民主党政権の菅さんが『消費税』のことを言い出した時、
  みんな選挙で民主党にきつ~いお灸をすえたじゃないですか!
  そして、国会に『ねじれ』を生んだじゃないですか。あれですよ。
  あれをもう一度、今度は自公政権に対してやるのです。

Q4:でも、『ねじれ』になると国会運営が停滞しますよね。
  します。多少はします。
  だけれども、考えてみてください。
  ねじれも抵抗勢力も一切なく、どんな法案もするすると通るくらい怖いことないですよ。
  ドイツのヒットラーの時代がそうでしたし、日本に『政党』が一つもなくなった『翼賛体制』
  の怖さを思い浮かべてください。日本は無謀な戦争をとどまることなく続けたのです。
  法案審議が何もかも抵抗なく進み、どんな案件にもみんなが同じ考えになって
  全員一致で何もかもが決まることくらい怖いことはありません。
  一つの法案に反対の考え方の人もいて、中間くらいの考え方の人もいて、そういう勢力が
  拮抗していて、十分に議論が尽くされることこそ望ましいのではありませんか?

  国会がもめれば、それはニュースにもなり、私たち国民も関心を持って政治のことを
  考える契機になります。
  そういう意味でも、与野党の勢力は、一方に傾き過ぎず、拮抗しているくらいが
  望ましいのです。


Q5:でも、野党四党って、いわゆる『野合』で、考え方の違う人たちじゃ
  ないですか。

  与党の人々の決まり文句ですね。  
  でも、違う考え方の人々が共闘を組むのを『野合』と言うのなら、自公だって『野合』ということに
  なりますよ。自民党と公明党の政策は、本来全く反対のことが多かったのです。
  公明党は以前は『平和の党』を自任していました……それが今は、政権の一角に占めた
  座を失いたくないばかりに、自民の政策を追認してばかりいます。それでも今でも
  公明党は改憲にも集団的自衛権行使にも慎重です。

Q6:参院で政策を戦わすと言っても、『野合』の野党は、まとまってないから
  『対案」さえ出さない出せないじゃないですか。

  これも与党政治家の決まり文句ですねぇ…。  
  何もかもに『対案』を出すことが政治、と言うのは考え違いだと思います。
  例えば、『改憲に反対』。そのこと自体が一つの思想であり、一つの立派な『意見』なのです。
  「自公の改憲草案に反対するのなら、あなたたちも改憲草案作って出しなさいよ」
  という議員さんがいますが、それはおかしい。『改憲する必要はない』というのも、
  『安倍政権下での改憲には断固反対』というのも、それ自体が立派に一つの意見です!

  無論、対案を出すことが大事な時もありますが、なんにでもどんな案件にでも『対案を出せ』
  と言い返すのが、相手をやり込める方法だと思っているのは、幼稚な議論です。
  今回の参院選の野党四党は、『安倍政治に好き放題をさせない』『安倍政権による改憲に反対』
  ということで立派に一つにまとまっています。
  その他、野党四党は、市民たちの要望にこたえ、このような政策でも一致して戦うことを
  決めています。是非ご覧ください。
  http://shiminrengo.com/archives/869

Q7:それでも、野党が勝ったとして、その先何をするのかが見えません。 
  先ほども言いましたが、参院選で仮に野党四党が大勝ちしても、それで政権が野党に
  移るわけではありません。自公支持のかたは安心してください。アベノミクスはまだ続きます。(苦笑)
  今度の参院選、そして参院選後の野党四党の役割は、一に
『安倍政権の暴走をチェックして止める』
 
そのことに特化していいと私は考えています。
  これは何も、安倍政権に対してだけのことではありません。
  行政府である時の一内閣に、あまりにも権力が集中し過ぎ、それが暴走するのは
  いつの時代でもいつの内閣であっても、いいことではない
からです。

Q8:安倍内閣は暴走していますか?
  しています。
  これは、前の記事でも列挙したことですが、もう一度載せます。
 
①多くの法学者の『憲法違反』の指摘も無視し、時の一内閣による無理筋の
憲法解釈によって、憲法九条の『不戦の誓い』を改憲によらず事実上無効化しようとしたこと。

②安保法制を、正当な国会運営によらず(議事録さえとれない混乱の中で
抜き打ち的に採決)可決成立させてしまったこと。これは、立法府の死に等しい。

③国会審議に諮る前に、すでに4月の安倍訪米で、アメリカに安保法の成立の
約束をしていること。これも立法権の軽視であり、日本の最高法規としての憲法を、
対米条約や協定というものの下に総理大臣自ら置く行為である。

④上記の一から三にわたるような安倍政権の手法が、日本国憲法第九十九条  
『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を
尊重し擁護する義務を負ふ。』という条項に違反している!



Q9:③のところがよくわかりません。
  そうですね。でもこれはとても大きなことです。
  私たちの国の『最高法規』は無論憲法です。憲法第九十八条にはこう書いてあります。
  『この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅及び国務に関する
   その他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。』

  ところが、同じ第九十八条第二項には、こんなことが書いてある。
  『2  日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする。』

  国際条約や国際法規は遵守しなければならない。それでは、一国の憲法と、
  国際条約や国際法規は、いったいどちらが『上位』にあるのでしょうか。これは難しい問題です。
  一応、憲法>国際条約>国内法と日本では解されているようですが、オランダなど
  国際条約>憲法、の国もあります。

  とても難しい問題です。一例として、沖縄やその他の在日米軍基地で頻発する
  米兵による婦女暴行事件やその他の事件事故などは、それが米軍基地内で起きた場合には、
  日本の警察捜査権も及ばない。犯人が基地内に逃げ込めば、もう日本の法律は
  及ばない。治外法権状態です。これで一体、日本は独立国と言えるのか?
  日本の憲法が上なのか、日米安保条約や日米地位協定の方が上位なのか。
  在日米軍基地に関しては、まるで、日米間の条約や協定の方が上位にあるようです。

  安倍首相が、日本でまだ法案が提出されてさえいない段階の2015年4月に、アメリカの
  連邦議会上下両院合同会議で、『日米同盟強化のため、集団的自衛権の行使を一部可能に
  することなどを柱とする新しい安全保障法制の関連法案を夏までに成立させる決意を示した』
  ことが、果たして一国の首相(行政府の長です)として、適当な行為だったでしょうか。
  国会(立法府)無視、もっといえば、国民無視と言えないでしょうか。
  主権者たる国民の間では、そんなことはまだ了解などされていない!現実に2015年夏には
  国会前であれほど多くの人が集まって抗議し、世論調査でも、安保法審議が十分に尽くされた
  とは言えないと多くの人が答えたその数カ月も前に、首相がアメリカの議会で安保法の
  夏までの成立を約束してくることなど、国民感情として是認できますか?
  
  沖縄の問題も絡め、この件は、短い間には語りつくせません。また別のところで書きます。

  一つだけ覚えておいてください。
  『三権分立』が大事なことは皆さんもちろんご存知ですよね。
  なぜ大事なんでしょうか?
  それは、時の一内閣(行政府)に権力が集中し過ぎ、行政の暴走に
 歯止めが効かなくなることを防ぐため
の、人類の知恵、大事な大事な大きな仕組みなのです。


この記事まだ続きます。


が。
自公連立政権支持のかたも今度だけは、野党四党に入れてください。
  安倍政権にお灸をすえましょう。 



『日本国憲法をなぜ守りたいか その13 押しつけ憲法?⑧』


Q13:明治時代初期の『私擬憲法』ってどんなものだったの?

前の記事で、鈴木安蔵らが作った民間の憲法草案『憲法草案要綱』のことを
書いた。
そこで、鈴木安蔵が、『治安維持法』による2度の投獄、また『出版法』による著作の
出版停止など官憲による言論・出版の弾圧と、特高警察の監視の中で、
『自分たちをこういうふうに処分する日本の国家というものの本質を解明しよう』と、
日本の憲法史を研究し続けていたということも書いた。
鈴木は死の病床についた吉野作造に面会することが出来、吉野はこの若き学徒に
読んでもらいたい資料など自分の知識を分け与え、まるで鈴木に憲法史研究の後を託すように
亡くなったということも書いた。

その吉野の編纂した『明治文化全集』の中に、『日本国国憲案』という執筆者のわからない
憲法草案があった。これが植木枝盛の書いたものであることを鈴木安蔵が発見するのである。
このいきさつは面白いので少し詳しく書いてみよう。

1936年(昭和11年)。鈴木安蔵は、植木枝盛の資料を調査するため高知市を訪れた。
自由民権運動の発祥の地、高知には未発見の文献がたくさんあるのではないかと
思ったからである。鈴木は県立図書館や古書店で資料を探しまわった。
そして、東京では入手できなかった資料がこの地にたくさん埋もれていることを発見する。
鈴木はさらに、自由民権運動に参加したという土地の古老、池田永馬、島崎猪十馬らに
会って話を聴く。板垣退助の生誕の地高知市高野寺に、植木と同時代に活躍した
20人が集まった(!)。その多くは70歳過ぎの老人たちである。
だが、その老人たちの口から、「パトリック・ヘンリーの『我ニ自由ヲ與へヨ然ラズンバ死ヲ
與ヘヨ』などと我々も良く叫んだものだ」などという言葉が飛び出す。
「当時もっとも愛読されたものは、スペンサーの『社会平等論』、次いでルソーの『民約論』。
フランス革命史は、あるいは原書により、翻訳により、あるいは翻案小説により非常に
親しまれた』などという話題が次々に熱く語られるのであった。

鈴木はこの高知市訪問当時32歳。50年以上も前、植木枝盛と同じ時代に生きた古老たちの
話を聴いてどんな思いがしたことだろうか。
高知近代史研究会副会長の公文豪は、鈴木のその時の想いをこう推察する。
『古老たちの青年時代は、まだ日本の国には国会も憲法もない時代でした。時の藩閥政府に
対抗して、憲法を作れ、国会を開け、そして国民には言論・集会の自由を与えよと、果敢に
運動したということについては、非常な誇りを持っていました。
鈴木さんは、憲法学者として自由に物を書けない時代で、非常に息苦しい思いを
もっておられたと思います。かつて民権運動にかかわった人々と、ある意味では共感を
する部分が多かったと思います」


そうだったろうなあ…。私もそう思う。
それで思い出したが、鈴木が『憲法草案要綱』をまとめるきっかけを作ったのが高野岩三郎
であった、と書いた。メンバーの中で、一番歳をとった高野が『天皇制を廃し共和制にせよ』
と一番ラディカルであったのだが、それについて弟子の森戸辰男はこんなことを言っている。
『自由民権時代に長崎の町家に生育した先生にとっては、共和政は思想研究の産物で
あるよりも、生活そのものからにじみ出たものであり、
それにふさわしい一種の圧力を
もっていた。それが人に感銘を与えたのも不思議ではなかった』

植木枝盛1857年生まれ。高野岩三郎1871年(明治4年)生まれ。鈴木安蔵1904年生まれ。
植木枝盛が明治25年に36歳の若さで胃潰瘍で突然死した時、高野は21歳である。
高野は長崎出身ではあるが、一家で東京に出ている。
慶應義塾幼稚舎、共立学校(現・開成高校)、第一高等学校、東京帝国大学法科大学、
ミュンヘン大学留学そして東京帝国大学法科大学助教授と言わば学問のエリートコースを
歩いた高野と、正規の高等教育らしきものを経ず、自学そして経験則で思索を自ら
練り上げていった植木とは、年齢差もあり接点はないのではあるが、
植木らが活躍した、明治憲法(明治23年施行)が出来る前の自由な時代の空気を、
高野は10代の青年として吸っていたはずである。そしてまた、明治憲法体制ががっちりと
固められていく過程で天皇を中心とした皇国教育が行われ、厳しい言論統制が
敷かれて行くのも、また20代の青年として見ていたはずだ。

話がそれた。
結局、その時の高知への旅では、鈴木は植木枝盛の憲法草案を見つけることが
出来なかった。ところが、帰京後4カ月して、鈴木にある知らせが来る。
植木の遺族が高知県立図書館に寄贈した資料の中から、明治14年に植木が自ら
したためた『日本憲法』が見つかった、というのである。
この資料により、鈴木は、吉野作造編纂の『明治文化全集』に載っていた執筆者の
解らなかった『日本国国憲案』の起草者が植木枝盛であったことを知るのである。

                  ***



              植木枝盛
              植木枝盛。写真はWikipediaからお借りしました。


植木枝盛(うえき えもり、安政4年(1857年)1月20日 - 明治25年(1892年)1月23日)は、
土佐藩士の子弟。父直枝は、高知藩主山内豊範の祐筆を務めていた。
明治4年、15歳の夏、高知県から公費を受けて藩校致道館に学ぶ。漢籍を学ぶ傍ら、
洋学書に多く触れ世界の大勢を知る。翻訳書を通じ、西洋近代社会において獲得されてきた
人類進歩の成果を学ぶ事に励む。そして、欧米諸国で行なわれている諸制度の本質を知る。
明治6年上京し、山内豊範が開いた私学校に入るもののすぐに退学。それ以来、
学校には入らず、特定の師に従事する事も生涯なかった。
彼は、机上の学問ではなく、生きた社会の動きに身を投じて、経験的知識と、
西洋社会の思想書などで得た知識を組み合わせて、時代の思想を掴むのである。

18歳のとき高知に戻り板垣退助が創設した立志社の演説に感銘を受け、
政治の研究に興味を持ち、民選議院設立の必要性を痛感する。
19歳で再び上京し、福沢諭吉、中村敬宇、西周、津田眞道、西村茂樹、杉亨二などの
啓蒙思想家の講演に積極参加、各人を直接訪問し、多くの知識を自分のものにする。
だが、福沢諭吉の近代精神・啓蒙思想に影響を受けはしたが、藩閥政府の専制的開明政策に
協力する福沢ら啓蒙思想家には満足しなかった。
国力伸張のためには上からの改革が必要、民の多少の我慢や犠牲は仕方なしという
「官民調和」論の福沢は、明治政府を日本近代化の推進者とみていたが、植木枝盛は、

『今の政府は文明開化をはかっても、私利のためであり、国民のためにはなっていない、
人民を拘束するための細かい法令をつくりながら、政府の人民に対する圧制は依然として
続けられている。維新の改革は政府の変革であって、単に治者と治者の間だけの
できごとに過ぎず、被治者には何の関係もないことであった。
徳川政府は廃せられたけれど、これに代わったのは、やはり独裁の政府であって、
その政府はすなわち専制政府である。

明治維新は家を建てようとして牢屋を建てたようなものである。』
(1877年~81年・明治10~14年の論説の要旨)
と厳しく幕藩専制体制を批判。

明治10年。植木は『極論今政』の要旨に、こんなことを書く。
『世俗の人は、いたずらに政府を信じて一に文明革新主義と考え、わが国の現状を目して
開化進歩となし、目の前に見られる学校・兵舎・官庁等のりっぱなのを見、
鉄道・電線・レンガ・ガス燈等の設けられるのをながめて、ただちに文明がそなわった
かのように早合点し、慶祝するものが多い。
しかし、今の政府はけっして眞の文明開化主義者ではなく、文明開化をはかっても、
それは私利のためにはかるのであって国民のためにはかっているのではない。』
と、上からの改革を無批判に喜ぶ世の人々にも苦言を呈する。
そして彼はさらに言う。

「世に良政府なる者なきの説」(明治10年)
人民たるもの、一人一家の事にのみ心を配るのではすまないのであって、
つねに政治に対して関心を払わなければならないのである。政府がその本来の役目を忘れて
圧政を行なったりすることのないように、人民はいつも監視の目をゆるめてはならない。

『政府と人民とを親子の間と同じように説くものがあるが、それは大きなまちがいである。』

人民が政府を信用すれば、政府はこれに乗じ、信用することが厚ければますます
これにつけこむのが常である。それ故に、人民はなるべく政府を監督視察すべきであり、
なるべく政府に抵抗しなければならない。この努力をやめれば、けっしてりっぱな政治を
期待することができないであろう。

不断に監督抵抗をつづけるべきであり、あえて抵抗しないまでも、疑の一字を胸間に存し、
政府を無条件に信用しないのが肝要である。

お~っと!
この一連の枝盛の言葉。何かをすぐに思い浮かべませんか??!!
そうです!
日本国憲法第12条。私が大好きな条文だ。
『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力
によつて
、これを保持しなければならない。』

そして第99条。
『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、
この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。』



どうですか。今から139年前に、ひとりの青年民権運動家がこんな厳しい指摘をしていた!
為政者などというものを信用しきってはいけない。国の政治は、国民が常に見守って、
それが間違った方向へ流れていくのをとどめなければならないのである。
国民がその努力を忘れたとき、国民に(生まれながらにして)与えられた自由や権利は
いつかいつしか奪われても仕方がないぞ、と。

1946年。植木枝盛がこれを書いた79年後。
GHQ民政局の人々は、『憲法を守っていくということの困難さ』『それがいとも容易に
破壊されうることの怖さ』を知っていたからこそ、この2つの条文を、私たち日本人に
プレゼントしてくれたのではなかったろうか…。



せっかくの私たち国民の権利が、ときの一政府当局によって以下のように
おぞましきものに変えてしまわれないように。


自民党改憲草案
第102条(憲法尊重擁護義務)『全て国民は、この憲法を尊重しなければならない』





この記事続く。


『日本国憲法をなぜ守りたいか その12 押しつけ憲法?⑦』



Q12:日本の民間人が作った『憲法草案要綱』ってどんなものだったの?

近衛らの憲法案と、幣原・松本らの政府案と2つの流れを見てきた。
次に、民間人の学者らによって作られた『憲法草案要綱』について書こう。

1945年10月。マッカーサーは、近衛に憲法改正を『示唆』、また幣原内閣に対しては
『憲法の自由主義化』の必要を説いた。これにより、官・民、政党・個人…がそれぞれに
憲法改正案作成に取り組み始めた、ということも既に書いた。その数は、2つ前の記事に
一覧で示した通りである。

1945年10月29日、高野岩三郎の提案により、民間での憲法制定の準備・研究を
目的として『憲法研究会』が結成された。
主なメンバーは、鈴木安蔵高野岩三郎杉森孝次郎、、森戸辰男岩淵辰雄、
馬場恒吾室伏高信等。
そのひとりひとりの経歴とその後の人生については、そのまま日本の戦中戦後史を
象徴しているようで、ほんとうはひとりひとりについて詳しく書きたいところだが、
長くなるので、およそのところは、上記Wikipediaの記述で見て欲しい。
中心メンバーは七人。まるで『七人の侍』のようだが、実はこの他にもタッチしていた人々は何人かいた。
また、これら七人の人々も、政治的には、必ずしも同じ方向を向いていたわけではなく、
例えば、読売新聞などの記者から政治評論家になった岩淵辰雄は、太平洋戦争前から、
近衛文麿や陸軍皇道動派のグループと親しく、1945年初頭、いわゆる『近衛上奏文』の
執筆にも加わっている。
岩淵の敗戦直前における主な立場は、近衛を中心として、粛軍和平を画すること。
岩淵は近衛と同じく共産主義革命を恐れていたので、ソ連が参戦する前に
早期にアメリカと和平を結ぼうとする考えであった。
だが、彼らの試みは東条英機らの知るところとなり、岩淵は吉田茂らとともに憲兵に
検挙され、一ヶ月半ほど監禁されている。
敗戦後、岩淵は、東久邇内閣の副首相になった近衛を中心とした憲法改正を企図。
岩淵の改憲案は、天皇の身分はそのまま、悪かったのは天皇の統帥権を悪用した
軍部であった、として、再び同じ間違いが起きないよう、『天皇の統帥大権をなくす』
ということが主眼であった。
近衛同様、共産主義を何より恐れ、国体護持のためには何でもすると考えていた岩淵は、
『マッカーサーと面会し、「今日の破局は軍閥と左翼勢力のせいである」と、日本の
置かれていた現状を説明してくるように』近衛を説く。
それで近衛は、10月4日、GHQにマッカーサーを訪ね、そこで憲法改正の示唆を
受けることになるのである。そこのところは、前の方の記事で書いた。
だが、そこでも書いたように、近衛の憲法改正案は、日の目を見ないまま、
近衛は1945年12月、戦犯の指定を受けて自死する。

実は岩淵は、近衛ルートでの憲法改正とは別に、民間での憲法改正にも
終戦直後の早い時期から動いていた。やはり新聞記者出身で『日本評論』の主筆などを
かつて務めていた室伏高信と、憲法改正を企図。
室伏は急進的デモクラットとして論壇にデビューしたが、満州事変後は、大東亜戦争を
賛美。岩淵と同じく近衛新体制運動に参加するも、後に軍部批判で『日本評論』を追われ、
特高にいつも監視されていた。
室伏は10月18日、雑誌『新生』を創刊。尾崎行雄や賀川豊彦らも執筆。


一方、この民間の『憲法研究会』で中心的役割を果たしたひとりであった鈴木安蔵は、
どういう考えの人物であって、どういうふうに民間憲法研究会を立ち上げるに至ったか。


                鈴木安蔵
                     写真は、こちらのサイトからお借りしました。
              
http://www.liveinpeace925.com/pamphlet/leaf_kenpo_daiji_app1.htm



鈴木安蔵は、1904年生まれ。1924年京都帝国大学哲学科入学。社会科学研究会
に入会する。河上肇の影響を受け本格的にマルクス主義研究するため経済学部に転じる。
1926年(大正15年)。京大社研の活動が治安維持法に違反するとして学生38人が
検挙されるといういわゆる『京都学連事件』が起き、鈴木も検挙されるのである。
この事件は、治安維持法が適用された最初の事件である。鈴木は豊多摩刑務所に
2年間服役した。
『自分たちを処分した日本の国家の本質を解明しよう』
鈴木は大学を自主退学。以降、憲法学、政治学の研究に腰を据えて取り組むことになるのである。
だが、『第二無産新聞』に記事を執筆したため、治安維持法の疑いで再び逮捕される。
2年8カ月に及ぶ獄中生活の間、彼は憲法学の本を読み漁った。
出獄後は、上野図書館、日比谷図書館、慶応義塾大学図書館などに日参して
憲法史、憲法学関係の文献を渉猟。自分の経済学の本を売って憲法学・憲法史の
文献を買うという学問漬けの暮しであった。

当時の日本では、憲法の成り立ちを体系的に分析した研究はほとんどなかった。
そんな時、鈴木は、縁あって、吉野作造と面会する機会を二度得る。吉野が結核で
亡くなるわずか前のことであった。
吉野は、読んでもらいたい資料を教え、鈴木の質問票をもとに憲法制定の経緯を語るなど
憲法制定史研究を志向する29歳の若き学徒を、苦しい息の下から激励。
吉野の死後3カ月、鈴木は『憲法の歴史的研究』を刊行。だが、それは『出版法第27条』
違反、『安寧秩序ヲ妨害』するということで、即日販売禁止となる。
鈴木は学界からは完全にパージされてしまった。
しかしこの事件をきっかけに、尾佐竹猛の知遇を受け、衆議院憲政史編纂委員に就任。
戦前期において実に20作以上に上る著作を発表し、また研究活動の過程で明治期の
民権運動家植木枝盛による私擬憲法(憲法案)を発掘した
ことは、戦後、憲法案作成
に密接につながることになっていく。

鈴木安蔵は、戦後も憲法改悪阻止各界連絡会議(憲法会議)結成に参加し、初代代表委員に
就任。護憲運動のリーダーとしても活躍したが、実は戦時中は、『八紘一宇の大理想を以て
皇道を全世界、全人類に宣布確立する』(『日本政治の基準』、1941年、東洋経済新報社出版部)
などという大東亜共栄圏を推奨する発言もしている…。
戦中戦後を生きた人々が、どれほど個人的にも公的にも迷いを持って生きていたか…
その懊悩の激しさは、戦後70年を生きる今の我々にはほんとうにはわからない…。
一見思想的には相反する岩淵らとこの鈴木らが一つの憲法案作成に携わった、というのも、
彼らが自由主義者、社会主義者…の違いはあれど、戦時中、同じように投獄されたり
特高の監視下に常時置かれたり、というような苛烈な時代を共に生きていたからではあるまいか。
岩淵は『明治憲法で規定された天皇の一切の政治上の権力を取ってしまおう』と提案したし、
室伏高信は、『主権在民』と、イギリス王室にならって天皇を儀礼的存在とする、という考えを
言い出したのは自分だ、と後に語る。下にも書くが、森戸辰男も、すでに11月7日、同じことを
GHQ政治顧問エマーソンに語っていた。
天皇を『国家的儀礼』の役割に限定する、すなわち『象徴天皇制』の発想は、この
研究会に既にあったのである


話を進めよう。
1945年10月29日。『日本文化人連盟』の創立準備会が開かれる。
これは、イデオロギーにとらわれず、幅広く文化人を糾合して日本の再建を図ろうと
した集まりであった。
『デモクラシーとヒューマニズムに基く新日本文化を創造し、平和的進歩的文化日本の
建設に努力す』というのが、この『日本文化人連盟』の綱領であった。
その会合の後、鈴木安蔵は、統計学者高野岩三郎から声をかけられる。
当時すでに74歳の高野は、民間自身から民主的な憲法を制定する運動を起こす
必要性
を説き、鈴木に、その中心となってくれるように頼んだのである。
前記室伏高信もこの会合に居合わせ、雑誌『新生』の編集部を会合の場所に
提供することを申し出た。
岩淵達雄、馬場常悟、杉森孝次郎、森戸辰男らも呼び寄せることとなる…

もう一人の『憲法研究会』の中心的人物が、この当時74歳であった高野岩三郎である。
高野岩三郎(1871- 1949)は、東京帝大卒業後、1899-1903年ミュンヘン大学に留学。
統計学を学ぶ。1903年に東京帝国大学法科大学助教授。
政治学者で後に東大総長となる小野塚喜平次らと社会政策学会を設立、学会内の最左派
として活動した。また日本文化人連盟を結成。東京帝大では法学部からの経済学部独立
に尽力。弟子には森戸辰男、大内兵衛、舞出長五郎など、のちに著名となる多くの
マルクス経済学者がいる。
1920年、請われて大原社会問題研究所の設立に参加。設立時から没年まで所長を務める。
大原社研では日本最初の労働者家計調査を実施、労働問題を研究。(以上Wikiより抜粋)
大雑把にまとめてあるが、この人も、その兄ともどもそれぞれについて本が数冊書けるほどの
経歴の人物である。例えば、『東京帝大では法学部からの経済学部独立に尽力。』という
短い記述一つとっても、そこには日本の学問史上の大きな意味が隠れている。
当時の東京帝大には『経済学部』というものが独立して存在しなかった。『法学部』の中に
置かれていたのである。『法学部』は、当時、『官』を象徴する学部であった…
「『経済学』を、『官』の学問から独立させなければ…」
高野やその直弟子森戸辰男らにとって、そのことがどれほどの重い意味を持っていたか…
そういうことも、今の人々にはなかなか分からないのではあるまいか。
だが、ここでは詳しく語ってもいられない。先に進もう。

高野は、他のメンバーと違って、天皇制そのものの弊害を指摘。天皇制を廃して、
日本を共和制の国にすることを考えていた。
高野自身が雑誌『新生』に寄せた論考『囚われたる民衆』で、彼はこのような
ことを言っている。

『五年十年の後連合軍の威圧力緩減した時、いつまた反動分子が天皇を担ぎ上げて
再挙を計るようなことが起こるかわからない。この際天皇制を廃止して、主権在民の
民主制を確立し、人心の一新をして国民の啓蒙に努力した方がいい』 


だが、その考えは時期尚早、として他のメンバーに受け入れられず、結局、この
民間『憲法研究会』の草案では、天皇はイギリスの王室のように『儀礼的代表』とする、
というものとなった。


とにかく。
民間人が(と言っても、当時すでに実績のある言論人や学者である)作った、この『憲法草案要綱』は、
研究会内での討議をもとに、鈴木が第一案から第三案(最終案)を作成して、
1945年12月26日に、内閣へ届けられ記者団に発表された。新聞各紙は
2日後の12月28日に、一斉に一面でこの憲法研究会の案を発表した。
また、GHQには英語の話せる杉森が持参した。

実は、憲法研究会の動きは、11月7日に、既にGHQに報告されていたのである。
第一回会合の後、メンバーの一人森戸辰男がGHQ政治顧問事務所のエマーソンと
会談。その内容は報告書にまとめられ、11月13日にアチソンからワシントンの
国務長官バーンズに送られているのである。
アメリカの動きは、万事なんと速いのだろう!

さて。12月26日にGHQに届けられた草案は、どう処理されたか。
いくつかのルートですぐに英語に翻訳され分析された。
1つは、連合国翻訳通訳部(ATIS)。日本の新聞発表のわずか3日後には、翻訳が
『報道の翻訳』第574号に掲載されている。
もうひとつのルートは、GHQ政治部顧問事務所。アチソンの下で働いていたロバート・
フィアリーが翻訳分析し、年が明けた1月2日にはワシントンのバーンズ国務長官に
内容が伝えられたのであった。素早い!
もう一つ。民政局法規課長マイロ・E・ラウエル陸軍中佐が詳細な分析を行っている。
ラウエルのことは、ベアテの記事のところでざっと紹介したが、後にマッカーサーの
命を受けて9日間で憲法草案をつくるあの民政局メンバーの中心的存在の一人である。
マイロ・E・ラウエル陸軍中佐は、スタンフォード大学で学士号を取った後、ハーバード・ロー・
スクールで学び、さらにスタンフォードに戻って法学博士の学位取得。
多くの民間会社の顧問弁護士、政府機関の法律顧問、ロサンゼルスの連邦検事補を歴任。
入隊後は憲兵参謀学校、軍政学校、日本占領のための特殊教育機関だったシカゴ大学
民事要員訓練所へ。
このシカゴ大学の訓練所では、1年半にわたって明治憲法と日本の政治制度の
研究
を行って
おり、ホイットニー准将が民政局長に赴任する前から法規課長として、
日本の政党や民間の憲法学者と積極的に接触。鈴木安蔵の論文集など多くの文書に
目を通し、憲法改正の検討を始めていた
のである。
既に12月6日には『日本の憲法の準備的研究と勧告の報告』をまとめ、明治憲法の
弊害点を詳細に分析。また、鈴木の『日本独特の立憲政治』の英訳を同じ民政局の
スタッフに回覧して読ませていた
という。

ラウエルは、草案の分析にすぐに取り掛かった。ラウエル自身の証言が録音テープに
残されている。
ラウエルが上記ATISからコピーを受け取ったのは新聞発表の直後。
彼は正月休み返上で草案を分析、報告書にまとめた。報告書は1月11日、ホイットニー
准将の承認を経て、マッカーサー直属のサザーランド参謀長に提出された。

ラウエルは、憲法研究会の草案に感心し、民主的であると評価した。
『a.国民主権が認められていること』
『b.出生、身分、性、人種および国籍による差別待遇が禁止されている。
  貴族制度が廃止されていること』
など、特に自由主義的だと高く評価できる8項目の条文を列挙
し、またさらに、
この草案に欠けていると思われる条文についても、ラウエルは記している。
その中には、
『a.憲法は国の最高法規であることを、明確に宣明すること』
という、日本国憲法でも、とりわけ大事だと私が思う、
第98条『この憲法は、国の最高法規であつて、その条規に反する法律、命令、詔勅
及び国務に関するその他の行為の全部又は一部は、その効力を有しない。』

に繋がる思想そのものが、ここで既に述べられているのである。

このラウエルの報告書について、『日本国憲法制定の系譜』という浩瀚な研究書を
書いている原秀成の指摘が興味深い。

ラウエルは弁護士ですから、法律をどうすれば実際に動くようになるか、ということを
良く考えています
。(中略)憲法をどうやって守らせるか、それがポイントだとラウエルは
言っています。つまり憲法が最高法規であって、それに基づいて法律が作られなければ
ならない、それに違反した法律は裁判所で違憲なものだ、無効なものだとされなければ
ならない、そういう規定が最も欠如している、それを入れさえすればこれは憲法として
十分に動く
とラウエルは報告しています』

なんと!ラウエルという人は、最高法規としての憲法について、またそれを守り実行する
ということの困難について熟知していたひとであろう!この原秀成の言葉も、良く噛みしめてほしい。
今、安倍政権は、二重三重四重の意味で、憲法を蹂躙している。

その一は、多くの法学者の『憲法違反』の指摘も無視し、時の一内閣による無理筋の
憲法解釈によって、憲法九条の『不戦の誓い』を改憲によらず事実上無効化
しようとしたこと。
またその二は、安保法制を、正当な国会運営によらず(議事録さえとれない混乱の中で
抜き打ち的に採決)可決成立させてしまったこと。これは、立法府の死
に等しい。
その三は、国会審議に諮る前に、すでに3月の安倍訪米で、アメリカに安保法の成立の
約束をしていること。これも立法権の軽視であり、日本の最高法規としての憲法を、
対米条約や協定というものの下に総理大臣自ら置く行為
である。
その四は、上記の一から三にわたるような安倍政権の手法が、日本国憲法第九十九条  
『天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し
擁護する義務を負ふ。』という条項に違反している
ということである!



『憲法は国の最高法規である』。このことを根本的に理解していない人々が、
今、わたしたちの憲法を、低次元のものに作り替えようとしている!!!


1978年、ラウエルは、GHQ民政局による草案作りに関してインタビューに答え、
憲法研究会の草案に、『間違いなく影響を受けている』と言っている。

そして、この民間人による草案は、ハッシーやケーディス、その他行政に
関心のあるものは皆、それを目にしていたはずだ、とも答えている。
GHQの憲法案が、この鈴木らの民間『憲法草案要綱』に細部でとても似ていることは
早くから指摘されていたというが、当事者のラウエルが、『影響を受けた』ことをこうやって
証言しているのである。

『日本国憲法はGHQによる押しつけ憲法だったのか。』

ラウエルらが関わったGHQによる憲法草案が、この鈴木・高野らの『憲法草案要綱』
を参考にしていることは、一つ、上記の質問に対する答えとなるのではなかろうか。
このことは、よく『押しつけ論』を否定する根拠に用いられることで、別段目新しい情報
ではないが、一応私も、『否』という理由の一つとして、ここに書いておこう。

と同時に。
私は、GHQの調査の手回しよく周到にして徹底していること。そして迅速なことに
あらためて驚く。マッカーサーが、2月に急な思いつきで部下に民政局員に憲法草案を
作らせたのなどではないことを、しみじみと…そしていやというほどに…感じるのである。
占領とほぼ同時に、彼らは改憲のための調査と下準備をこうやって徹底して始めていた
のである。そうしつつ、彼らは、日本政府側から自発的に『民主的な』憲法改正案が
出てくることを辛抱強く待っていた。4か月近くも…。

また、日本側も、この鈴木らの他にも、自分たちの手で改憲草案を作ろうとした人々が、
1945年の秋にたくさんいたこと。そのことも忘れてはならないと思う。
問題は。肝心の政府側の人々に、敗戦の強い自覚と、自分たちが置かれた状況への
厳しい認識、自分たちが従わざるを得なくなったGHQの求めるものがなんであるか、ということの
認識が極めて甘い、というよりほとんど無かった、ということである…



            ***

それでは、『憲法草案要綱』の条文を実際に見ていこう。
全項にわたっては分析できないけれども、私の大事だと思った点をいくつか取り上げてみる。
下に、それにおよそ該当する現行憲法の条文を併記してみる。
現行憲法が『憲法草案要綱』に似ていると言われる所以の個所の一部である。
青い文字部分が鈴木らの『憲法草案要綱』、その下の黒字部分が、現日本国憲法である。


根本原則(統治権)
一、日本国ノ統治権ハ日本国民ヨリ発ス

日本国憲法第一条『天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。』

一、天皇ハ国民ノ委任ニヨリ専ラ国家的儀礼ヲ司ル

日本国憲法第第四条『天皇は、この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、
国政に関する権能を有しない。』

国民権利義務
●一、国民ハ法律ノ前ニ平等ニシテ出生又ハ身分ニ基ク一切ノ差別ハ之ヲ廃止ス

一、民族人種ニヨル差別ヲ禁ス

日本国憲法第十四条『すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、
社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。』

一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス

第二十条『信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。』
第二十一条『集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。』

一、国民ハ拷問ヲ加へラルルコトナシ

第十八条『何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る処罰の場合を除いては、
その意に反する苦役に服させられない。』

一、国民ハ国民請願国民発案及国民表決ノ権利ヲ有ス

第十六条『何人も、損害の救済、公務員の罷免、法律、命令又は規則の制定、廃止又は
改正その他の事項に関し、平穏に請願する権利を有し、何人も、かかる請願をしたために
いかなる差別待遇も受けない。』

一、国民ハ労働ノ義務ヲ有ス
一、国民ハ労働ニ従事シ其ノ労働ニ対シテ報酬ヲ受クルノ権利ヲ有ス

第27条『1 すべて国民は、勤労の権利を有し、義務を負ふ。』
2 賃金、就業時間、休息その他の勤労条件に関する基準は、法律でこれを定める。 』

一、国民ハ健康ニシテ文化的水準ノ生活ヲ営ム権利ヲ有ス

第25条『1 すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。』

一、男女ハ公的並私的ニ完全ニ平等ノ権利ヲ享有ス

第24条『1 婚姻は、両性の合意のみに基いて成立し、夫婦が同等の権利を有する
ことを基本として、相互の協力により、維持されなければならない。
2 配偶者の選択、財産権、相続、住居の選定、離婚並びに婚姻及び家族に関する
その他の事項に関しては、法律は、個人の尊厳と両性の本質的平等に立脚して、
制定されなければならない。』

一、労働者其ノ他一切ノ勤労者ノ労働条件改善ノ為ノ結社並運動ノ自由ハ保障セラルヘシ
之ヲ制限又ハ妨害スル法令契約及処置ハ総テ禁止ス


第21条『1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。』
第28条『勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利は、これを保障する。』


              ***

どうだろうか。

高野・鈴木らの作った民間の憲法草案は、1791年のフランス憲法、
アメリカ合衆国憲法、ソ連憲法、ワイマール憲法、プロイセン憲法などとともに、
日本の自由民権運動で作られた植木枝盛の『東洋大日本国国憲按』や土佐立志社の
『日本憲法見込案』など、明治初期に、弾圧に抵抗しつつ書かれた20余の私製憲法草案
いわゆる『私擬憲法』も参考資料にしていた…。

『憲法草案要綱』の全文は下の『続く』のところに載せてあるが、現行憲法と比べても
さほど遜色なく、ある点では、現行憲法より優れて先進的な条文さえあった。

一、国民ノ言論学術芸術宗教ノ自由ニ妨ケル如何ナル法令ヲモ発布スルヲ得ス
一、国民ハ休息ノ権利ヲ有ス国家ハ最高八時間労働ノ実施勤労者ニ対スル有給休暇制療養所社交教養機関ノ完備ヲナスヘシ
一、国民ハ老年疾病其ノ他ノ事情ニヨリ労働不能ニ陥リタル場合生活ヲ保証サル権利ヲ有ス

すなわち
・『芸術の自由』まで掲げてあること。
・『8時間労働』『有給休暇制や療養所、社交教養機関の完備など、労働条件改善の
 具体的整備項目を掲げてあること。
・老年・疾病などで働けなくなった場合の生活保障。
が謳ってある。
私たちは、今、70年前に学者たちによって書かれたこの私案の理想を実現できているだろうか?
芸術表現の自由の自粛…ブラックバイトの現実…育児休暇取得の事実上の自粛…
箱モノ行政で中身の充実を図らない文化・社会事業政策…生活保護を受けられないで
老老介護、あるいは母子家庭の生活困窮の果ての一家心中……
むしろ年年、ここに書かれた理想から遠ざかっていっているのではあるまいか?

愉快なのは、こんな条項もあること!
一、租税ノ賦課ハ公正ナルヘシ苟モ消費税ヲ偏重シテ国民ニ
過重ノ負担ヲ負ハシムルヲ禁ス


税金は公正に課すること。消費税にこだわって国民に重い負担をかけてはいけない、
書いてあるのである。(この頃既に『消費税』という用語が用いられていたのか!)
税と言えば『消費税』しか念頭になく、法人税や所得税のように豊かな者から多く徴収する
という当たり前のような累進課税の徴税法は考えない。それどころか
逆に法人税を減税して大企業や富裕層を優遇し、貧困層には否応なしに消費税を課する、
いつかのどこかの国の政治家たちに、聞かせてやりたい!



               ***


明治憲法すなわち大日本帝国憲法とも比較してみよう。
まず第一に、いうまでもなく、大日本帝国憲法では、『天皇主権』であって、天皇の下に
大権が全て集められている!

国民の権利が書かれていなくはないが、次に挙げるいくつかの例の通り、
皆、『法律ノ範囲内ニ於テ』などと国家による制限が加えられている。

第22条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
第23条日本臣民ハ法律ニ依ルニ非スシテ逮捕監禁審問処罰ヲ受クルコトナシ
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第27条日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス  


            ***

ちなみに、自民党改憲草案を見てみようか。
『公の秩序』の連発である!

第1条(天皇)『天皇は、日本国の元首であり、日本国及び日本国民統合の象徴
であって、その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。』
第9条の2(国防軍)『1 我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全を確保するため、
内閣総理大臣を最高指揮官とする国防軍を保持する。』
第12条(国民の責務)『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の
努力により、保持されなければならない。国民は、これを濫用してはならず、
自由及び権利には責任及び義務が伴う
ことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。』
第13条(人としての尊重等)『 全て国民は、人として尊重される。生命、自由及び
幸福追求に対する国民の権利については、公益及び公の秩序に反しない限り
立法その他の国政の上で、最大限に尊重されなければならない。 』
第19条(思想及び良心の自由)『 思想及び良心の自由は、保障する。』
第21条(表現の自由)『1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
並びにそれを目的として結社をすることは、認められない。』
第29条(財産権)『1 財産権は、保障する。
2 財産権の内容は、公益及び公の秩序に適合するように、法律で定める。
この場合において、知的財産権については、国民の知的創造力の向上に資するように
配慮しなければならない。』

第102条(憲法尊重擁護義務)『1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。』


           ***


70年前に民間人が作った『憲法草案要綱』にも、今の日本国憲法にも、
大日本帝国憲法にもまた自民党改憲草案にも、共通して、『言論の自由』や『結社の自由』
『居住の自由』など様々な『自由権』は記されてはいる。
違うのは、前の二者には、それらにほぼ制限が記されていないこと。
ところが後の二者には、『法律ノ範囲ニ於テ』とか、『安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ
義務ニ背カサル限ニ於テ』とか、『公の秩序に反しない限り』とかの条件が付けられて
いることである。
そのくらいたいして違わないじゃないか、とお思いだろうか。
大違いなのである!
前ニ者は、『国民主権』の理想に立つから、国民の諸権利に制限を記さない。
『自由』ということの価値の重さを、骨身にしみて自覚しているからである…

そうして、民に与えられた生存権、自由権をはじめとする諸権利を、ひとりひとりが生来
持って生まれるとする『天賦人権論』の立場に立つ
からである!
鈴木、岩淵、室伏、…彼らは特高警察に常時見張られる暮しであった…
ところが後者の二者は、『国家主権』『天賦人権論の否定』の立場に立つ。つまり、
国民の諸々の権利は、『国が与えてやるものだ。だから大人しくしろ。
公の秩序など乱すなよ』という発想に立つもの
なのである。


ところで。『国』という生き物はいるだろうか?
…いない。

『国』という名のもとに、時の権力者が自分たちの思う通りに政治を動かす。
それが『国』というものの実体である。

その権力者たちが、『自由』というもの、その他、民の諸権利に、『法』の名の下に制限を
加える…

それはまずいのである!
権力者の『恣意』に、国民の権利を任せてはならないのである!
私たちは、『国家』というものの名の下に引き起こされてきた数多の
不幸な戦争や紛争や悲劇を経て、このことをいやというほど学んで
きたはずではなかったのか!
















全文を『続く』のところに載せておくので、ご覧ください。
 





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[キャンドル・ナイト 63』




63回目のキャンドル・ナイト。

毎年、この月のこの日には、『どくだみ』を飾ろう…








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『日本国憲法をなぜ守りたいか その11 押しつけ憲法?⑥』


Q11: 近衛~佐々木、幣原~松本以外の、日本人による憲法案は無かったの? 

そんなことはない。
いくつか前の記事で書いたように、マッカーサーが近衛に憲法改正案作成を示唆したのが
1945年10月4日。幣原がマッカーサーに首相就任の挨拶に行き、憲法作成のことを
聞いたのが10月11日。それぞれが10月には憲法改正案もしくはその調査を開始
している。新聞なども、GHQの憲法改正指令とこれらの動きを報道している。
そこから、多くの官民両方の団体また個人が、独自に憲法改正案作りに着手したのであった。
後述するが、民間の学者などが集まる憲法研究会が作成した『憲法草案要綱』が
1945年12月26日に発表されているし、近衛、松本らのグループの氏案を試案を含め、
政府関係法曹関係および各政党など、さらには民間の団体及び個人などが
実に以下のごとくたくさん試案を作成したり修正したり意見を発表したりしていたのである。

たとえば以下のリストの冒頭。
マッカーサーが10月に指令を出すその前の9月に既に、内閣法制局、外務省政務局、
また個人としては宮沢俊義らが、ポツダム宣言を受けて憲法改正の要があるかもしれないと
先見し、既に調査検討を始めている
ことである。
だが、これらの動きは、改正の要さえ認識していない政府によって、結局立ち消え
なっている…



憲法改正案一覧(1) 政府等 I
●法制局関連の試案など
 入江俊郎・終戦ト憲法ほか 1945年9月18日~10月23日

●外務省関係
 宮沢俊義・ポツダム宣言ニ基ク憲法、同付属法令改正要点 1945年9月28日
 外務省政務局第一課・自主的即決的施策ノ緊急樹立ニ関スル件 (試案) 1945年10月9日
 田付景一・帝国憲法改正問題試案 1945年10月11日
 [外務省条約局]・憲法改正大綱案 1945年10月11日
 ●その他
 矢部貞治・憲法改正法案(中間報告) 1945年10月3日

憲法改正案一覧(2) 政府等 II
 ●内大臣府
 近衛文麿・帝国憲法ノ改正ニ関シ考査シテ得タル結果ノ要綱 1945年11月22日
 近衛公の憲法改正草案 『毎日新聞』記事 1945年12月21日
 佐々木惣一・帝国憲法改正ノ必要 1945年11月23日
 憲法問題調査委員会
 美濃部達吉・調査会資料 1945年11月14日
 憲法問題調査委員会第一回乃至第四回総会並びに第一回乃至第六回調査会に於て表明せられたる諸意見 1945年12月22日
 入江俊郎・大日本帝国憲法改正試案 1946年1月
 美濃部達吉・美濃部顧問私案 1945年12月22日
 宮沢俊義・大日本帝国憲法改正案 1945年12月22日
 清宮四郎・大日本帝国憲法改正試案 1945年12月22日
 河村又介・大日本帝国憲法改正試案 1946年1月
 小林次郎・大日本帝国憲法改正私案 1945年12月22日
 大池真・帝国憲法改正私案 1945年12月22日
 中村建城・帝国憲法中会計関係規定改正案 1945年12月17日
 古井喜実・憲法改正綱領(未完稿) 1945年12月22日
 奥野健一・憲法第61条改正案 1945年12月22日
 佐藤達夫・憲法改正試草及び追加一 1946年1月3日
 野村淳治・憲法改正に関する意見書 1945年12月26日
 宮沢俊義・甲案 1946年1月4日
 宮沢俊義・乙案 1946年1月4日
 松本烝治・憲法改正私案-原稿 1946年1月4日
 松本烝治・憲法改正私案-謄写版 1946年1月4日
 憲法問題調査委員会・憲法改正要綱(甲案) 1946年1月26日
 憲法問題調査委員会・憲法改正案(乙案) 1946年2月2日
 憲法問題調査委員会試案 『毎日新聞』記事 1946年2月1日
 憲法問題調査委員会・憲法改正要綱 1946年2月8日

憲法改正案一覧(3) 政党、民間グループ、個人 政党
●日本共産党・新憲法の骨子 1945年11月11日
 日本自由党・憲法改正要綱 1946年1月21日
 日本進歩党・憲法改正要綱 1946年2月14日文字色
 日本社会党・憲法改正要綱 1946年2月24日
 日本共産党・日本人民共和国憲法(草案 ) 1946年6月29日
●民間グループ
 憲法研究会・憲法草案要綱 1945年12月26日
 憲法懇談会・日本国憲法草案 1946年3月5日
 大日本弁護士会連合会憲法改正案 1946年1月21日
 東京帝国大学憲法研究委員会報告書 1946年[春]
●個人
 高野岩三郎・日本共和国憲法私案要綱 1945年11月~1945年12月
 高野岩三郎・改正憲法私案要綱 『新生』 1946年2月号
 清瀬一郎・憲法改正条項私見 『法律新報』 1945年12月号
 布施辰治・憲法改正(私案) 1945年12月
 稲田正次・憲法改正私案 1945年12月24日
 里見岸雄・大日本帝国憲法改正案私擬 1946年1月28日


これらのリストは、国立国会図書館のサイト、『日本国憲法の誕生』からお借りしました。
リストの該当ページはhttp://www.ndl.go.jp/constitution/gaisetsu/revision.html#s1

この国立国会図書館のサイトの『資料と解説』では、ほぼ全ての団体個人の草案、
意見書などの実際を読むことができます。
例えば、上記、『1-14 法制局内の憲法改正問題に関する検討では、マッカーサーの指令に
先立つこと一カ月、当時の法制局第一部長入江俊郎の考察を見てみましょう。


終戦ト憲法


入江稿では、
『終戦ニ伴ヒ憲法中研究ヲ要スル事項概ネ左ノ如シ』として、
第十一条(統帥大権)第十二条(編制大権)第十三条(外交大権)中「戦ヲ宣シ和ヲ講ジ及」
第十四条(戒厳大権)第二十条(兵役ノ義務)など、大日本帝国憲法の軍関係の条項が
削除を必要とされるであろうという認識を示している。

『第十一条 天皇ハ軍ヲ統帥ス』をそのままに残している
幣原~松本らの政府案より、はるかに、敗戦の認識、軍解体の認識、ひいては憲法改正の
必要を自覚しているものと言えよう。

それぞれの試案の実際の内容は、『テキストの表示』というボタンをクリックすると
読むことができます。


『日本国憲法をなぜ守りたいか その10 押しつけ憲法?⑤』


Q10:幣原~松本烝治らの政府案はどんなものだったの?


さて。これについては、前の方の記事でも書いている通り、どうにも褒めようがない。

敗戦の年の10月11日、東久邇宮に代わって政権を担当することになった幣原は
マッカーサーに挨拶にGHQを訪れる。マッカーサーは、日本側が自主的に憲法改正を
進めることを待つという基本的な考えのもとに、「憲法の自由主義化」を示唆。
日本の社会組織の根本改革を求めた。
幣原首相は、13日、臨時閣議で、政府として
憲法調査を実施することとし、松本烝治国務大臣を委員長とする憲法問題調査委員会
の発足を決定した。『調査』であって、『改正』ましてや『新設』など念頭にない。

そもそも彼らの出発点の誤りは、ポツダム宣言に関しアメリカ国務省から得た説明が
『日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される』と言う曖昧な
回答であったにもかかわらず、「おそらく『国民が望めば国体は護持される』という
意味だろう」という推測の下、GHQが命じた改憲についても、「『日本の政体は
日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される』と言っているのだから、
我々が主体的にやっていいだろう」、とたかをくくっていたことである。

だが、その『主体的に』ということの意味が違った。
幣原~松本の『主体的に』は、『我々が大日本帝国憲法を少し手直しすればそれで済む』
だろうという甘い見通しでしかないものであり、アメリカ政府とGHQの考える『主体的に』は、
天皇の地位剥奪・戦犯指定の可能性も含む長い多数回にわたる激論の下、とりあえず当面の間は
『日本政府の出方を注目していよう』という厳しいものであった点である。
当時のアメリカの世論は、天皇の地位をめぐり、天皇の戦争責任は免れないという
相変わらず厳しい認識を示しており、ワシントンの国務省・陸軍省・海軍省の三省調整委員会
では、下部の極東小委員会において、天皇の身柄・処分について、激しい論議を
積み重ねていたのである。
同じ10月、トルーマンは、
『アメリカ政府は、「裕仁天皇は戦争犯罪人としての逮捕、裁判、処罰から全く免責
されたわけではない」と考える』 そして。『裕仁天皇なしで、占領がうまくいくと判明したときは、
天皇の裁判問題は当然に提起される』という厳しい前提の下、天皇に国際法違反の
責任があるかどうかの極秘調査・証拠集めをマッカーサーに指示していたのである。
日本の幣原~松本らは、こうしたアメリカ側の厳しい認識も知らず、国体護持
という不文律から一歩も出ず、甘い期待の下、相変わらず小手先の解釈議論を
悠長に、しかもGHQの意向も聞こうとせず一切を秘密裏に、内輪だけでやっていた…

ここに、憲法改正に関しては、幣原~松本らの出発点からの誤謬がある。
その甘さは、よくいえば、アメリカなどなにするものぞ!という、敗戦国日本の
日本男子としての気慨であったかもしれないが、率直に言えば、敗戦の厳しい現実への、
恐ろしいほどの認識不足
、というものが、根本にあったように私などには見えてしまう。
敗戦の現実を厳しく認識しない、ということは、日本がアジアで犯してきたことの罪を
ほとんど認識していない、ということと同義
であったのではないか。


10月25日。松本烝治国務大臣を主任とする憲法問題調査委員会(松本委員会)設置。
以降、翌1946年2月2日の総会までに、7回の総会と15回の調査会・小委員会を開催。
憲法問題の検討を行った。これを多いと感心するか少ないと驚くか。

松本委員長は、10月27日に行われた第1回総会で、調査委員会の使命について
『憲法改正案を直ちに作成するということでは無く』と述べていが、11月10日の
第2回総会では『日本を廻る内外の情勢は誠に切実である。政治的に何事も無しには
済まし得ない様に思われる』、『憲法改正問題が極めて近き将来に於て具体化
せらるることも当然予想しなければならぬ』と述べ、委員会は調査・研究から改正案の提示へ
向けて方向転換しては行くのだが。それもすべて秘密裡に、であった・・・・・・

幣原~松本らの政府案、いや調査書が実際にどういうものであったか。
1946年1月4日。憲法改正担当国務大臣、『『憲法問題調査委員会』(いわゆる松本委員会)
委員長松本烝治が自ら憲法改正『私案』を執筆。その後委員会や閣議などの何度かの修正を
経て、民主主義的要素を少しずつ盛り込んでは行くのだが、前の記事にも書いた通り、
彼らが作った『試案』は、2月8日GHQに提出されるその前に、2月1日、毎日新聞に
よってスクープされ、その中身が暴露される。
ところがややこしいのは、その毎日新聞がスクープした委員会試案というのは、実は
委員会のメンバー、宮沢俊義がこれまた私案として書いた『宮沢甲案』にちかいものであった。
これは、松本らがGHQに実際提出したものよりかなり民主的色彩のあるものだったのだが、
それでも毎日新聞にそれがスクープされると、GHQの不信感を生み、
そしてついには、GHQ自身が草案をつくる、という事態に発展して行くのであるが、
松本委員会の原案となった松本烝治自身による私案と、そのスクープされた『憲法問題
調査委員会試案』を、追記のところに全文掲載しておくので、興味ある方はご覧ください。

松本私案の条文には、第一条、第二条、第四条、第五条など、随分抜けている
条項が多いが、これは要するに、大日本帝国憲法から変える必要なし、と彼が判断した
条文である。
ちなみに。その抜けている(つまり変える必要なしと思われた)大日本帝国憲法の部分の
一例をあげれば。
第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス
第2条皇位ハ皇室典範ノ定ムル所ニ依リ皇男子孫之ヲ継承ス
第4条天皇ハ国ノ元首ニシテ統治権ヲ総攬シ此ノ憲法ノ条規ニ依リ之ヲ行フ
第5条天皇ハ帝国議会ノ協賛ヲ以テ立法権ヲ行フ
第6条天皇ハ法律ヲ裁可シ其ノ公布及執行ヲ命ス

等である。スクープされた『憲法問題調査委員会試案』についても同様。

いずれにしても、これらの案は、
天皇主権の大日本帝国憲法の域を出ないものであり、
天皇の統帥権(天皇大権のひとつ。陸軍や海軍への統帥の権能)を認めているところ、
③国民の自由権などは明記してあるが、いずれも『安寧秩序ヲ妨ケサル限ニ於テ』
 『公益ノ為必要ナル制限ハ法律ノ定ムル所二依ル』などという但し書きが付いた上での
 自由
であること。
など、大日本帝国憲法とさほど違わないものであった。

無論、現在の日本国憲法には、『国民主権』の根本思想により、これらの但し書きは
一切ないか、あっても『公共の福祉に反しない限り』というやわらかい文言である。

ところが何度も言うように、自民党改憲案では、『公益及び公の秩序に反しない限り』、
と、『公の秩序』という文言がいたるところにつけ加えられていることに注意。

そして。
④いずれの案も、自民党の『緊急事態条項』に似た条項がある。

いつのことかはっきりしないが、おそらく1945年暮れか46年当初か、
先に記事にした近衛草案の作成に携わった政治学者でありアメリカの法に詳しかった
高木八尺が、松本に、『草案は却下されるだろう。GHQの意向を聴いてみるべきだ』
と忠告したらしいが、松本は、今後もGHQの意向を聴くつもりはないと突っぱねる。
松本らは、明治憲法を多少手直しすればそれで済むと考えていた。
そのころまでにはすでに鈴木安蔵ら民間の憲法研究会があちこちで、独自に
新憲法案について研究し、また各政党なども草案をそれぞれ作成していた時期である。
松本らは、これらを一切考慮しない。GHQの意向さえ聴いてみようとしないで、
秘密裡に検討を進めていたが、1946年2月1日、毎日新聞にスクープされ、
その旧態然とした憲法への姿勢が、広く国民にもまたGHQにも知られてしまうことに
なっていくのである…

GHQの意向も取り入れようとし、結果少しは民主的な色彩を持っていた近衛らの案
に比べても、幣原~松本らの政府案は、視線がまるで明治憲法だけにしか置かれて
いない。
今の自民党の改憲草案を詳しく検討していくにつれ、あちこちに、この
大日本帝国憲法への回帰を私は感じてならないのである。

まつもとじょうじ
松本烝治。写真はWikipediaからお借りしました






ちなみに、昨年7月、『自衛隊による集団的自衛権行使容認』、正式名称、『国の存立を全うし、
国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』が閣議決定され、
衆参の短い、めちゃくちゃな議論を経て9月採決成立。ついにこの3月、安保法が施行された
わけだが、その議論において『憲法九条と集団的自衛権行使容認の整合性』が問われた時、
九条の下でも集団的自衛権を我が国が行使できる!とした政府の挙げた『法的根拠』を
覚えておいでだろうか。
彼らは56年も前の1959年12月16日の『最高裁砂川判決』を持ち出し、
『最高裁も、集団的自衛権行使を否定していない!』という論を展開したのである。

そもそも、この砂川裁判というものの最大の争点は、
『在日米軍が憲法第9条2項でいうところの「戦力」に該当する違憲の存在であるかどうか』
であって、集団的自衛権は全く議論もされていない。
それなのに、自民党高村正彦副総裁が昨年、この最高裁判決を引っ張り出してきたのである。
弁護士資格を持つ高村氏は、判決理由の中に
『わが国が、自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を
とり得ることは、国家固有の権能の行使として当然のこと』と述べている点に着目し、
次のように曲解する。
 この最高裁判決がいう『自衛のための措置』とは、個別的自衛権とか集団的自衛権を区別せずに、
わが国の保有する自衛権を一般的・包括的に表示しているので、ここでは集団的自衛権の
行使も含意されている。少なくとも否定はされていないと読むことができる』と。

『集団的自衛権の行使出来る法的根拠』はどこかにないか。それを探していた自民党が
これを見つけて、無理やり「これはつかえそうだ」とこじつけたのである。

この、最高裁砂川判決を出したのが、当時の最高裁長官、田中耕太郎である。
私は、この判決を、希代の悪判決、と思っている。
後に、アメリカの公文書から明らかになったことだが、『米軍駐留は憲法違反』との伊達判決
を受けて当時の駐日大使ダグラス・マッカーサー2世が、同判決の破棄を狙って
外務大臣藤山愛一郎に最高裁への跳躍上告を促す外交圧力をかけていたこと。
さらには、最高裁長官・田中自身が、こともあろうに、マッカーサー大使と面会した際に、
「伊達判決は全くの誤り」と一審判決破棄・差し戻しを示唆していたこと、上告審日程や
この結論方針をアメリカ側に漏らしていた、というとんでもない事実があった。
つまり、日本の『司法の要』である最高裁長官が、自らの判決の前に裁判の情報を
当事者アメリカに漏らしていたのである!
これだけでも許せないことだが、私が一番腹が立つのは、この判決で田中は、
『日米安全保障条約のように高度な政治性をもつ条約については、一見してきわめて明白に
違憲無効と認められない限り、その内容について違憲かどうかの法的判断を下すことは
できない』、という、いわゆる『統治行為論』を採用し、日米安保条約についての司法判断
を下すことから逃げたことである!
『統治行為論』とは、“国家統治の基本に関する高度な政治性”を有する国家の行為
については、法律上の争訟として裁判所による法律判断が可能であっても、
これゆえに司法審査の対象から除外すべきとする理論のことをいう。
(Wikipediaより)

この判決が先例となって、国の根幹に関わるような大きな問題について、司法が判断を
下すことに腰が引けてしまう構造が日本ではある意味定着してしまった……
1969年。北海道夕張郡長沼町の航空自衛隊の「ナイキ地対空ミサイル基地」建設
反対する住民の起こした訴訟、いわゆる『長沼ナイキ基地訴訟』でも、この『統治行為論』
が持ちだされている…
まあ、司法がとりわけ行政権に対し腰が引けるのは、なにもこの最高裁砂川判決の
『統治行為論』のせいばかりではないのだが。
『一票の格差』に関する最高裁判決は、『違憲状態』というやや玉虫色の判決。
今、今回の集団的自衛権行使容認を含む安保法の違憲性を問う訴訟が、日本の
あちこちで計画されているが、さて、司法はどういう判断を下すのか。
東電社長らの福島第一原発事故の当事者としての責任を問う裁判はどうなるか。
沖縄辺野古訴訟は、一応和解が成立しているが、それは結論を先送りしたにすぎない。

いずれにしても、司法が行政府や立法府に対し、何か『忖度』する傾向はまずい。
それは言わば。三権分立の一つの要である『司法の死』である!

この砂川事件最高裁判決を下したのが、当時の最高裁長官田中耕太郎であって、
この田中耕太郎は、松本烝治の弟子であり、後に娘婿となっている……

日本が中国への覇権をむさぼったその象徴のようなあの満鉄の、理事そして副社長
であった松本烝治。砂川判決で日本に駐留する米軍を憲法違反、とした伊達判決を
ひっくり返し、国家の重大事に関しては司法判断を避けるという悪しき判例を
作ってしまった田中耕太郎…。
その砂川判決を、明らかな憲法違反である集団的自衛権の法的根拠に無理無理
こじつける安倍政権・・・。

ちょっと後半脱線してしまったが。姻戚関係だからってどうのこうの言えないのだが。
そんなこたわかっているのだが。
なんだかいやなんだよなあ・・・・・・理屈でなしに・・・




以下に、松本烝治自身による私案と、毎日新聞にスクープされた『憲法問題
調査委員会試案』を、全文掲載してあります。




続きを読む

『日本国憲法をなぜ守りたいか その9 押しつけ憲法?④』


Q9:近衛文麿が佐々木惣一らと作った『帝国憲法改正要綱』
からさえも学べることって?



私が、近衛、佐々木惣一、高木八尺らのこの案で、注目しておきたいのは、
以下の、『臣民権利義務』に関する箇所の、下線部の部分である。
文末に(i)(ii)(iii)と、振ってあるのは、私が便宜上つけた。

第二章 臣民権利義務
 一、現行憲法に規定されてゐる臣民の行動上の自由は法律によつて初めて
  与へられてゐるやうな感があるが、この印象を払拭し国民の自由は法律に先行する
  ものであることを明らかにする (i)
 一、外国人は自由に対し種々の制限を受けてゐるが外国人も本則として日本臣民と
  同様の取扱ひを受けることを明らかにする。(ii)
 一、非常の場合、国民の権利を停止する所謂非常大権はこれを撤廃する (iii)


(i )『国民の自由は法律に先行する』
  これは、まさに、今の日本国憲法の『国民主権』そして『自由権』の思想である。
  憲法は国民を縛るのではない。現行憲法は、国民のため、為政者(国会議員、国務大臣、
  裁判官その他の公務員)にこの憲法を擁護する義務を負うようにと言っている。

  ところが、自民党の改憲案では、その考えが全く逆転してしまって、
  国民に憲法を守ることを義務付けている
のである。

現日本国憲法第99条
 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を
 尊重し擁護する義務を負ふ。

自民党改憲案第102条(憲法尊重擁護義務)
1 全て国民は、この憲法を尊重しなければならない。

2 国会議員、国務大臣、裁判官その他の公務員は、この憲法を擁護する義務を負う。


しかも、見る通り、国の側の義務は、 『尊重し』という文言を消して『擁護する義務』
という表現だけにして軽くし、国民には憲法を尊重しなければならないと言う。
これでは、近衛案が『国民の自由は法律(≒国家)に先行する』と言っていること以下だ。
自民党の草案は、まったく、近衛~佐々木案以前の大日本帝国憲法へ逆行しているのである!


近衛の出した憲法改正案は、当時も今も、取るに足らぬものとして、書庫の奥ふかく
人々の記憶の奥深くにしまいこまれてしまった。
だが。ある部分においては、この言わば笑い物にされてしまった改憲案の方が、
その思想において、現代の、自民党改憲案より優れて先進的なのはどうしたわけだ?!
『国民の自由は法律に先行する』・・・この条文は重い。
つまり、ここには、国民の自由が、『法律』よりも優位にある、ということを明記している
のである。ところが自民党改憲案では、国民の『自由』や『権利』を謳った
条項でも、あちこちに現行憲法にはない『公益および公の秩序に反しない限り』
という文言が挿入されている。

現行憲法第12条
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によつて、これを
 保持しなければならない。又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に
 公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。


自民党改憲草案第12条(国民の責務)
 この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力により、保持され
 なければならない。国民は、これを濫用してはならず、自由及び権利には責任及び
 義務が伴うことを自覚し、常に公益及び公の秩序に反してはならない。


現行憲法第21条
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。


自民党改憲草案第21条(表現の自由)
1 集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、保障する。
2 前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、
 並びにそれを目的として結社をすることは、認められない


この自民党案第21条の第二項!
こんなものを憲法として認めてしまったら、
将来にわたって禍根を残すとんでもない悪法になりうる。

「『公益』『公の秩序』を害することを目的としている」と判断し訴追するのはだれか。
およそ国の側であろう。
例えば、国民が今、集団的自衛権行使を認める安保法制を含む安倍政権の
強硬的やり方に反対して、国会前で何万人が集まる。その集会が『公の秩序を害する・乱す』と
当局によって恣意的に判断されかねないことになってしまうのである!!!


現に、3年前の2013年、当時の自民党幹事長石破茂氏が、秘密保護法反対を
訴えて国会前に集まった人々を、『単なる絶叫戦術はテロ行為とその本質において
あまり変わらない手法に思います』
とブログに書き、当然国民から猛反発を受けて
撤回したことがある。また、一年前、強力な安倍氏シンパである作家百田尚樹氏が
自民党の若手勉強会に出席して、本人は冗談だったと言うが、『沖縄の二紙は
厄介だから、つぶれたらいいのに』
と言ったことは記憶に新しい。

これらの自民党議員及びそのシンパの発言は、この現行憲法21条が国民に保障した
『表現の自由』の概念を根本から否定するものであって、そういう考えをもった人々が
この21条を、自民党改憲案のようなものに変えようとしているのである。

石破大臣の発言は、『デモ』『集会』と言う、国民がわずかに直接政治に意思表示できる
機会である、憲法に保障された行為を、『テロ』という犯罪行為と同等視するものであって、
戦前の『治安維持法』の発想と近いものであることを自覚していない。

また。百田氏の発言は、彼のみならず、その場にいた自民党若手議員らの『報道の自由』
に対する認識がその程度か、と言うことを示すもので、ほんとうに情けない。

安倍政権になって、事ごとに、テレビ新聞などの報道に政権側の人々からクレーム
等が入れられるということが多く目につくようになった。
彼らの言い分はこうだ。
『報道は偏向せず中立であるべきだ』『政府側にだって発言の自由はあるはずだ』
確かに。
だが。
同じ表現の自由ではあるが、国民の側が権力に対して自由にものをいう権利を
持つということ
と、権力側にある者がジャーナリズムに対し『報道に中立であれ』と言う
ことでは、その重みや意味するところが全く違う。

前者は、国家が暴走しないようにするためにいくつかの歯止めがある(三権分立などもそうだ)
その大事なしかも、言って見れば究極的な、最後の砦であるのに対し、
後者は、その権力の座にある者からの『圧力』と取られかねない発言であり、
それは国民に与えられた『言論の自由』『報道の自由』を含む『表現の自由』への介入に
一歩間違えば陥りかねないものである。


その要請?自体は、その時は何の拘束力も持たない無害なものに見えるであろう。だが、
権力の側から『中立であれ』と言われることは、報道する側・国民の側には圧力となり、
それは自然、妙な『忖度』の空気を社会に生んでいく。
やがてそれは、別に誰がなにも直接命じていなくとも、『また、トラブルになると面倒だから、
何も言わないでおこう』『深く追及しないでおこう』『余分なことは言うまい、すまい』…という
『自粛の空気』を、社会に蔓延させてしまう。
そうして。そうやって、ジャーナリズムが黙り込む…、国民がものを言いにくくなる…面倒なことを
考えるのはやめる…と言うことの果てに、一体どんな社会が来るであろうか。



話を、近衛らの憲法改正要綱に戻そう。
佐々木惣一らが作ったこの要綱に、
『一、現行憲法(註:大帝国日本憲法)に規定されてゐる臣民の行動上の自由は
法律によつて初めて与へられてゐるやうな感があるが
、この印象を払拭し
国民の自由は法律に先行するものであることを明らかにする』 
とある。その、
私が下線を引いた箇所は、重要である。
つまり、近衛らは、国民の自由は法律(≒国家)によって与えられるものとする、
すなわち国家が許す範囲において自由を認めるとする大日本帝国憲法の考え方
を否定し、『国民の自由が国家に先行するのだ』、という民主主義の根本を認識している

ということがここでわかるのである。
国家が作る法律が許す範囲に置いてのみ自由があるのではない、すなわち『人間は
生まれながらにしてさまざまな権利を持っているのだ』とするいわゆる『天賦人権論』
の立場に近いものを、ここで取った、ということになる。

ここで、大日本帝国憲法の条文の一部を掲げてみようか。
近衛が言うところの『現行憲法(註:大帝国日本憲法)に規定されてゐる臣民の行動上の
自由は法律によつて初めて与へられてゐるやうな感がある』に該当する条文である。

第22条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ居住及移転ノ自由ヲ有ス
第25条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外其ノ許諾ナクシテ住所ニ侵入セラレ及捜索セラルヽコトナシ
第26条日本臣民ハ法律ニ定メタル場合ヲ除ク外信書ノ秘密ヲ侵サルヽコトナシ
第27条日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル
第28条日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務ニ背カサル限ニ於テ信教ノ自由ヲ有ス
第29条日本臣民ハ法律ノ範囲内ニ於テ言論著作印行集会及結社ノ自由ヲ有ス
第30条日本臣民ハ相当ノ敬礼ヲ守リ別ニ定ムル所ノ規程ニ従ヒ請願ヲ為スコトヲ得



どうだろう。皆さんも、あまり、大日本帝国憲法などご覧になる機会は多くはなかった
のではないだろうか。どうお思いになりますか。
この憲法にも、自由権はなかったわけではない。だが、ことごとく、『法律ノ範囲内ニ於テ』
という制限が付き、また『法律ニ定メタル場合』は、当局による住居の捜索も信書開封も
我慢せねばならず、所有権さえ、公益のためと当局が法の下判断すれば、侵されて
しまうのである!


皆さん、このことよく覚えておいてくださいね。
とりわけ、この条文の第二項。
第27条『日本臣民ハ其ノ所有権ヲ侵サルヽコトナシ
2 公益ノ為必要ナル処分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル


自民党安倍政権が、東日本大震災や熊本・大分大震災を例に挙げて必要性を説き、
また、中国や北朝鮮からの侵略の危険性をしきりに煽って国民に危機感を抱かせれば
納得させやすいと考えているのか、改憲でまず手をつけようとしている『緊急事態条項』は、
まさにこれに近いもの
ですからね!!

自民党憲法改正草案第99条(緊急事態の宣言の効果)
3 緊急事態の宣言が発せられた場合には、何人も、法律の定めるところにより、
当該宣言に係る事態において国民の生命、身体及び財産を守るために行われる措置
に関して発せられる国その他公の機関の指示に従わなければならない。



ここで、もう一度近衛~佐々木惣一、高木八尺らの憲法案にもどってみよう。

(iii)一、非常の場合、国民の権利を停止する所謂非常大権はこれを撤廃する

『非常大権』をやめる、と言っている!
『非常大権』とは、大日本帝国憲法第31条によって天皇に認められた、非常時における
天皇大権の1つである。
『「戦時または国家事変時」において(主権者である天皇の)天皇大権によって
大日本帝国憲法が定めた臣民の権利・義務の全てあるいは一部を停止しうる

とするもの。大日本帝国憲法第二章第31条にあった。
近衛案も、そして幣原らの松本私案もこれを撤廃する、と言っている。
(ただし、これにより天皇に与えられていた大権がすべてなくなったわけではなく、近衛案では、
『天皇の憲法上の大権を制限する主旨の下に、緊急命令は、憲法事項審議会に諮ること
とし、天皇のその他の憲法上の大権事項も帝国議会の協賛を経て行い得ることとす』
と、している。)

ところが、それから70年も経て、歴史に学んで少しは賢くなったはずの現代のわれわれは、
またぞろ、この『非常大権』に似た『緊急事態条項』を、憲法に復活されようとしている
のである。
緊急事態条項については近いうちまた別個に書く。

順序が逆になったが、近衛らの『帝国憲法改正要綱』では、
(ii )一、外国人は自由に対し種々の制限を受けてゐるが外国人も本則として日本臣民と
  同様の取扱ひを受けることを明らかにする。

と言う極めて先見的な条項も付け加えられている。
これはしかし、近衛がGHQの意を汲むのに敏、と言うより生き残りに必死であった
ところから生まれた文言かもしれない。ここでいう『外国人』のイメージに、果たして
日本兵士と同じように亡くなったリ傷病兵となった朝鮮半島などの兵士たち、そして
慰安婦たち、中国・半島からの強制労働者たちなどに対するものが入っていたか
ということは疑問だ・・・
外国人の権利は、現行日本国憲法にさえも文言としては盛り込まれていない。
ただ、憲法が保障する諸権利は、概ね、日本に住む外国人に対しても守られる。
(ことに一応はなっているが、実際はどうだろうか。そうはなっていないことは、
朝鮮半島の人々に対するこれまでの処遇のありようや、例えば、アジアからの
研修生に対する処遇などを見れば、決して日本人同様に保護されているとは言い難い。)

ここで一応断っておくが、私は近衛を評価しているというわけではない。彼が総理として
決断したことが、どれほどの悲劇を国内外にもたらしたか・・・。
ただ、近衛が佐々木惣一らと作ったこの『帝国憲法改正要綱』が、大日本帝国憲法を
振り返るにも、幣原内閣が出した『松本委員会試案』と比べるにも、またマッカーサー・ノート
を語るにも、現行憲法を語るにも、現在の自民党改憲草案を語るにも、そのいずれからも
ちょうど等距離と言うかいい位置にあるので、これをたたき台として憲法を語っている、
だけのことである。

話を戻して。その他の部分の自民党改憲草案はどうなっているだろうか。
先述したように、自民党案では、前文、第3条(国旗及び国歌)、第9条の3(領土等の保全等)
第12条(国民の責務)、第13条(人としての尊重等)、第21条(表現の自由)、
第24条(家族、婚姻等に関する基本原則)、第25条の2(環境保全の責務)、第28条(勤労者の団結権等)、
第29条(財産権)、第92条(地方自治の本旨)、第98条(緊急事態の宣言)、
現行憲法第97条(最高法規)の丸ごと削除、
極めつけは、第102条(憲法尊重擁護義務)の新設
など、いたるところで現行『日本国憲法』で保障された国民の諸権利を、
『公益および公の秩序に反しない限り』と言う文言を加えて制限し、
また新たに『義務』として課す条項を増やすという、とんでもない改悪

が行われようとしているのである。


つまり、この自民党改憲草案に満ち満ちている思想は、『国民の自由、諸権利は、国家の
許す範囲で認められる』という、まるで、大日本帝国憲法に大きく逆戻りするもの
である。
近衛案さえもが、『国民の自由は法律に先行するものである』と明記しているその
1945年の草案よりも、自民党案ははるかに前時代的なものと
なっている
ことを、皆さんに覚えておいて欲しい。

一般に、改憲論をかまびすしく言いたてる人々が『国家』『美しい国』などと
いう言葉で盛んに言い表すものは、無論のこと、実態のある生き物ではない。
要は、『国家権力』を行使しうる立場にある者、つまり政治家、高級官僚、財界人その他
政官経学…一部宗教界もそうか…など社会の中枢の座にある者が、自分の権力を
さらに持続させるために、その価値観や利益に関わる判断を、『国家』という美名で
押しつけているのに過ぎない。

今の政治のあらゆる状況を見ていれば、そのことは明白に見えてくるではないか。




そんな人々のために
今の憲法を、自民党案のような劣悪なものにしたいですか?




美しい国


上下二枚の写真は、琉球新報さん、河北新報さんからそれぞれお借りしました。

これが、権力者のいうところの『美しい国』、の実際である・・・・・・。





美しい国② 




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『日本国憲法をなぜ守りたいか その8 押しつけ憲法?③』

Q8:近衛文麿が佐々木惣一らと作った『帝国憲法改正要綱』
ってどんなものだったの?


3つ前の記事で書いたように、東久邇宮内閣の国務大臣近衛文麿は、マッカーサーに
憲法改正の示唆を受け、憲法学者佐々木惣一、高木八尺らと憲法草案を作ることに着手。
しかし、幣原内閣に変わって、近衛は大臣職を失い、彼自身が戦犯として訴追される
恐れが出て来て、そういう人物に憲法草案を作らせることを回避しようとしたか、
GHQに突如はしごを外された。
それでも近衛は、一応草案を完成させ、1945年11月22日、天皇に奏答している。
だが、近衛は、12月6日に、やはりGHQからの逮捕命令を出され、A級戦犯として
極東国際軍事裁判で裁かれることが決定。12月16日に、青酸カリを服毒して自殺した。




The_3rd_Konoe_Cabinet.jpg
1941年7月18日。近衛第三次内閣。写真はWikipediaよりお借りしました。
海軍の軍服三名、陸軍二名の姿が見える。第三列に陸軍中将・陸軍大臣東条英機の姿も。
この内閣の与党・支持基盤は、『大政翼賛会』であった。すでに第二次近衛内閣の時の、
40年7月26日に近衛内閣は『基本国策要綱』を閣議決定。大東亜共栄圏の確立構想を発表。
全政党を自主的に解散させ、8月、日本に政党が存在しなくなり、これをもって日本の
議会制政治は死を迎えていた。




公爵近衛文麿は、一人の人間としては興味深い人物である。
だが。間を置いて3期務めた内閣総理大臣時代に、1937年7月7日の盧溝橋事件をきっかけに
日中戦争(支那事変)勃発第二次上海事件。中国との全面戦争に突き進んでいく…。
大本営設置。12月南京攻略。翌1938年5月国家総動員法施行。
1940年9月日独伊三国軍事同盟締結。10月大政翼賛会の発足。
1941年7月。関東軍特種演習を発動。中国戦線も泥沼化した中で日本軍は、
対ソビエトの北方作戦、同時に南部仏印への進駐と、両面作戦を強いられることになる。
南部仏印進駐はアメリカの対日石油全面輸出禁止等の制裁強化を生み、
これにより日米開戦はさらに近づく…
9月、近衞はようやく日米首脳会談による解決を決意し駐日アメリカ大使ジョセフ・グルーと
極秘会談するも、アメリカ国務省は日米首脳会談を事実上拒否する回答を日本側に示す。
開戦の決断を迫られた近衛は、10月、政権を投げ出し内閣総辞職東條が次期首相となる。

近衛の内閣の時に、ざっと挙げただけでもこれだけのことが起きている。まさに日本が
アジア侵略に突き進み、アメリカを中心とした連合軍との全面戦争にいよいよ入っていく
時代の、日本の首相、まさに一番の当事者であった。
太平洋戦争末期、近衛は早期停戦に向けて動き、自分の内閣下で戦役が拡大していったことを
軍部のせいにしようとしたが、それは通らない。総理である彼の決定の下で、どれほど多くの
他国自国の民が命を失ったことか・・・・・・・・・。
近衛は結局戦犯の指定を受けて、その前に自死するのである。

それでは、その近衛が作成した憲法草案『帝国憲法改正要綱』はどういうものであったか。
若き日、マルクス経済学に接し河上肇に師事して社会主義思想を学んだこともあった
青年華族は、後に、ゾルゲ事件などもあって強烈な共産主義恐怖者となり、ソ連侵攻と
日本の赤化を恐れるゆえに、アジア・太平洋戦争の早期終結を望むことになる。
戦争が長引けば、ソ連が参戦してその発言力影響力が増し、同時に疲弊した民衆の間に
共産主義思想が入り込みやすくなっていくのではないかということ、日本の赤化を
異常なほどに恐れたのである。



その近衛が、GHQの望むような民主化を素早く行っていけば、日本占領にソ連が加わることを
阻止でき、国体も護持できると考えて、GHQの望むような憲法草案を早く作ろうと
熱心になったのは、自然な流れであった。
『国体護持』と言いつつ、異様なほどの共産主義恐怖から来る自己保身の想いもあったか
近衛という国家責任者の罪と人格と動機はともかく、近衛が佐々木惣一や高木八尺の
助けを借りて作った『帝国憲法改正要綱』は、結果的には幣原~松本ら政府側の
対応よりもはるかにGHQの意を汲んだものになっていた。
ただし、当然のこととして『国体護持』『天皇主権』の考えは、大日本帝国憲法から
一歩も出てはいなかった。もとより『軍』の解体なども頭には無い。


既に公人の立場を喪失し戦犯容疑のかかっていた近衛の改正案は、GHQに
取り上げられることもなく、天皇から幣原内閣に下賜されたが幣原・松本烝治らによって
参考にされることもなく終わった。この案が、国民に知らされたのは、近衛の自死の
5日後の12月21日毎日新聞の記事によってであった。

だが。この近衛、佐々木惣一や高木八尺たちによる『帝国憲法改正要綱』には、見るべき
点もあったように思う。その全体はこちら『帝国憲法ノ改正ニ関シ考査シテ得タル結果ノ要綱』
で見ていただくことにして、その中の注目すべき項目をいくつか挙げておこう。

『今囘の敗戦に鑑み帝国将来の進運を図るため帝国憲法を改正する必要あり、
 解釈、運用のみに俟つは不可なり
と認む』
との根本方針を掲げていたこと。
 この点で、明治憲法の小手先の小さな改正で済むと考えていた幣原内閣よりも、
 GHQの意向をより正確に理解
していた。
『天皇は統治権の総攬者であり同時に行使者であるが、その行使は万民の翼賛
 によることを特に明記する(新条文)

 『天皇の統治権行使は万民の翼賛による』という文言も、ポツダム宣言以降アメリカ政府、
 GHQが再三にわたって『対日基本方針』として日本側に指示を出していた、
 『日本の政体は日本国民が自由に表明する意思のもとに決定される』という文言の意図を、
 幣原~松本ら当時の内閣の面々よりもよく理解していた
ことを示すものである。
 ただし、この日の毎日新聞の社説が言う通り、そもそもこの『天皇の統治権』が存在する
 こと自体が、この案の根本的欠陥である。『これがある限り、将来疑義の因となり、或は
 再びまた反動的分子の悪用するところとなる惧れがある』

 さらに毎日新聞は、高野岩三郎、鈴木安蔵ら民間人の憲法研究会の「憲法草案要綱」
 を例に挙げ、天皇は単に『栄誉の淵源として国家最高の地位にあり、国家的儀礼を司る』
 また『天皇は内外に対し国を代表す』というように、天皇の職務の限界を憲法で明確にしておく
 ことの必要
も言って、近衛案をなまぬるい、と批判している。

③ その他、近衛案では、天皇の権限をできるだけ制限し、一方議会の権限を強化する
  条項
が数多く見られる。
  この点に関しても、上記毎日新聞の社説では、
  民主主義政治の実現のためには、議会の権能を強化することが前提要件であると
  考えるのはよい。しかし、現に、わが国の軍閥は今日まで如何に議会に対して
  憲法違反的抑圧を加へてきたことか。議会の法文上与へられた権能も、軍閥が
  国家国民に強制した誤れる思想の前には、事実上無効に帰した。

  議会というものは民主主義政治思想が国民の間に完成した上で
 なければ脆いものである。

 と、正論を吐いている。

これなど、今の日本の、投票率の低さや行きはしても人気投票的な投票行動など
国民の政治に対する意識が希薄であること、また政治家自身の「自分たちは政治を
一時的に任されているにすぎない」という『代議員』としての厳しい自覚のなさ、
などによって、『民主主義制度』そのものが脆弱さを見せているとき、非常に耳の痛い
言葉ではなかろうか。


何を偉そうに!朝日も毎日も…新聞は、その少し前までは、戦争翼賛体制のお先棒を
率先して担いでいたのじゃなかったか!…確かに。
だが、その新聞をその方向に押し出したのは、当時の『世論』というもの。つまりは
国民自身であったのである。
私たち今の人間は、これらいやというほど戦争の惨禍をわが身で経験してきた
先人たちの行動や言葉をもう一度見直して噛み砕き、それらの痛切な経験に十分に
学んでいるとは言えない今の状況を深く顧みてみることこそが必要なのではないかと、
私は思うのだ。

そうやって学ぶことに、『右』だの『左』だの関係あろうか。

すぐに続けて、近衛らの改憲案そのものに学ぶべきことはないかどうか、書いていく。





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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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