『猫と狸と一人の女』


                     『猫』
  

夜、トランプの記事にいただいたコメントへの返事など書いていると、家の外をゆく
猫の声がした…
ああ…『猫の恋』の季節が来たんだなあ…暖かくもなったんだなあ…

猫が庭に入り込むのはあまりありがたくないが、春先、恋猫が、外をうろつきながら
せつなげになくのを聞くのは、とても好きだ…

と言っても、我が家の方では、この頃もう、外で猫を見かけることはめったにない。
飼い猫は皆、それぞれの家で囲われて暮らしていて、外にお散歩などにはあまり出ない
ようだし、野良猫は、街から駆逐されて、ほんとに少なくなっているようなのだ。
町の特性というものがあって、たくさん野良猫のいるところにはいるのだろうが、私の住む
地域にはほんとに猫の姿が少ない。

春まだき…。
深夜一人で起きて本など読んでいる時に、『あ~う、あ~お~~~ぅ!』と鳴いて外を行く
恋猫の声を聞いているのは、なかなかに風情のあるものである。

もう7年も前…。このブログで『猫の恋』について書いたことがある。
この頃政治の記事ばかり書いているので、彼岸花とはそういう人だと思われているかも
しれないが、普段の私は、この記事の中の私に近い。
よかったらどうぞ。結構自分でも好きな記事である。

http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-82.html



                      『狸』


年が明けてから、こんな買い物をした。


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私がなにを言ったところで書いたところで世の中が変わるわけじゃなし、政治のことなんかで
一喜一憂するのは馬鹿だ、と自分でも思うのだけれど、それでも、あの東日本大震災の後、
目覚めてしまったのだから仕方がない…世の中のことに無関心でいられなくなってしまって、
この頃では、政治のあまりのひどさに、嘆いてばかりいる。
なにも、そういう自分に酔っているわけじゃない。ただ何かしら悲しいのである。
年のせいもあると思うが、こう…ひたすら人生のわびしさのようなものがいつも胸の底にある…

これじゃ健康にもよくないよな。
そう思って、落語のCD集など買ってみたのである。DVDではない。音だけの落語名人寄席。
CD40枚組だ。
演者は、志ん生、円生、古今亭今輔、春風亭柳好、三遊亭円馬、金原亭馬生、桂文治
などなど…昔の落語家たちだ。物故してしまった人も多い・・・
これらを、眠れない夜などに、布団に入ってイヤフォンで一人静かに聞こうという魂胆。^^

眠れない夜は、大抵本を読んだり、ラジオ深夜便を聴いたりしているのだけれど、ラジオの方は、
曜日によっては、あまり好みでない語りや選曲などの日もあるので…

この度買ったCD集の中には入っていないんだけれども、落語で、私がもう、大好きでたまらない
演目が二つある。演者もこの人たちでなければいけない。
どちらも狸の話だ。(笑)
一つ目は、桂米朝師匠の演ずるところの、『まめだ』

この話は、以前、NANTEIさんに教えていただいたもの。
私はもう、この話が好きで好きで。^^
私が愛する新美南吉の童話『ごん狐』や、『手袋を買いに』などと同じように、何とも言えず
可愛い話なのだが、これはでも、秋の話。
今日は、2月4日の立春を前に、時折は暖かい日はあってもまだまだ寒い日の続くこの季節に
ふさわしい、この話をご紹介しようかな。


同じく眠れぬ夜のある方のお慰みにでも。^^
長い話なので、ゆっくりした気分の時にでもどうぞ。



















 


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『トランプ大統領誕生に想うこと ③ 悪意の増殖』


トランプがいよいよその本領を発揮し出した…。

『あの暴言や極端な公約の数々は、選挙に勝つための、いわば打ち上げ花火だろう…』
『まさかそれらをすべて実行しはすまい。』『大統領になったら、その重責を彼も自覚して、少しは
良識を発揮していくだろう…』

…そんな淡い期待を抱くなど、抱いた方が甘いのである。
人間の本質は、案外に、良くも悪くも首尾一貫しているものだ…。

いじめをしない人はしない。人に暴言を吐くことを嫌う人は暴言を吐いたりしない。嘘をつくことを
良しとしない人は嘘をつかないものである…。
人間というものは、その価値観によって行動するものだ……

だが。それにしても、彼が次から次に打ち出してくる大統領令の中身を見ていると、怒りとか
なんとかいうより何やら心がシーンと冷たくなってしまう…

人間には、人間として守るべき『矜持』…最後の良心の砦…、とでもいうべきものがあるだろう?
それは、政治的信条などと言うものとは関係ない。
人間と人間が、最後のところで繋がりあうことができる、いわば『優しさ』とか『フェアさ』とか
『信頼性』そして『冒涜への畏れ』…などというもののことたちだ…


今、そういうものが根こそぎひっくり返されていこうとしているかのような…そんな悲しみを
覚えてしまう。



トランプの今、中東・アフリカ諸国の民にかけている入国規制。
これは大きな大きな禍根を生むだろうという気がする……
アメリカで…世界各地で…空港で足止めを食らって行き場を失った人々。彼らはその仕打ちを
忘れはすまい。それを見ていた人々もまた、アメリカの理不尽に対する怒りを、心の内に
溜めて行くであろう。それは忘れようとしても、澱のように胸の奥底に残ってしまう…
直接ターゲットとされた7カ国の民だけではない、そのほかの中東、アフリカ、中南米などの
国々の人々にも、この理不尽へのどす黒い怒りは広がっていく…

それは、アメリカの国民を、かえって危険にさらすことにつながっていくのではあるまいか。
世界のあらゆるところにいるテロ思想を抱く者たちにとって、今回のトランプの行いは、
アメリカ人への憎悪、ひいてはアメリカ人へのテロ行為を行うその理由づけにされかねないと
私は恐れる。
逆に又、トランプの姿勢に共感を抱き、その施策を支持する者たちの中に、トランプの移民排斥
思想を拡大して、弱者への嫌がらせや恫喝などをするものが増えて行くことも考えられる。

…本当に、悪意の応酬、…憎悪の増幅…ひいては恐怖の拡大につながって行きかねない。
怖いのは、こうしたものは、いつのまにか他の人々の心にも伝染し、増殖していくことである…



救いは、こういうものの増殖を、揺るがずに食い止めようとする人々が、まだアメリカにはいることだ。
日本人は…私たちはどうであろうか…


難民規制に抗議
写真はこちらからお借りしました。http://news.auone.jp/





『トランプ大統領誕生に想うこと ② 議論が混線していないか』



トランプ ②
写真はこちらからお借りしました。http://nme-jp.com/news/32483/



英国のEU離脱の時から、ずっと心に思っていたのだが、しかし上手くその想いを記事に
表しきれないという違和感があった。その違和感は、昨年のアメリカ大統領選のトランプ勝利から
このたびの大統領就任式までを通じて感じ続けているものと同じである・・・

それはなにか、というと、
1.本来別々に論じられるべきはずのものが、いっしょくたに
論じられているために起きている混乱
のことである。
言葉を換えて言えば、
2.物事を、対立する二つの概念に単純化しすぎるために起きている
のではないかと思われる今の混乱状況
のことである。


具体的な例を言おう。それは例えば、上記1.で言えば、
『グローバル化』と『グローバリズム』という二つの言葉および概念がそれだ。
いや。実は、この二つの言葉を選ぶこと自体が、また余計な混乱を生みそうだ。
俗に『グローバル化』とか『グローバリズム』と聞いたときにあなたが思い浮かべる定義や概念を
しばし忘れて、私が言いたいことをお聴きください。飽くまで、ここで私が使っている
『グローバリズム』『グローバル化』という言葉は、私が便宜上使い分けているものです。

私が、分けて考えねばならぬ、と思うのはこういうことだ。
私は、この現代に生きる地球人は、『グローバル化』ということを、すでに避けては通れなく
なっているものと考える。
私がここで言う『グローバル化』とは、交通や情報網がここまで発展し、個人や国家などと
いうものが発した情報や行為などが、一瞬にして世界を駆け巡り、否応なしに影響を与える
ようになってしまったこの世界においては、人々が『グローバル化』の波から逃れることは
すでにできなくなってしまっている、そういう状況のことを指して言っている。
それはまた、それら個人や国家などが発してしまったことの影響の後始末も、地球人全体が
否応なしに負わなければならなくなっている、そういう状況をも表す。

もっと具体的に言えば、例えば、『地球温暖化』だ。あるいは、核実験や過酷原発事故が
引き起こした『核汚染』だ。トランプという一個人のツイートが、一瞬で世界を駆け巡り、
こともあろうに世界の企業や国家までをも震撼させ、また、トランプと直接かかわりの薄い
国の株価や経済状況までが左右されてしまう、などということも、これに入るだろう。

すなわち、私たちが仮にいやだと思ったところで、すでにこの地球は一つに密接に
繋がれてしまっていて、私たちはその影響から逃れられないし、もし不都合なことや重大事が
あれば、国を問わず私たち皆が、そのことを真剣に考え対策しなければならない状況に
すでになってしまっているということである。
私は、この状況を、仮に『グローバル化』と呼んでおく。

それでは、もう一方の『グローバリズム』という言葉で、私は何を指しているか。
さて。これがなかなか正確に説明するのが難しいのだが、いわば…『人為によって変わりうるもの』
とでもまずは言ってみようか。こちらは、つまり、ひとが選び取り得る、選ばないこともできるものだ。
つまり、私は、「『グローバリズム』というひとつの思想や仕組み」を、指して言ってると考えて
もらっていいかと思う。
私たちは、『グローバリズム』という思想や仕組みを、選び取ることもできるし、逆に
選び取らないこともできる。この場合は、『反グローバリズム』とでも呼ばれる
思想や仕組みと言えよう。
例えば、『金融グローバリズム』などというものがこれである。私たちは、ある特定の
人々が、実体のある商品の輸出入などでなく、実体さえない金融商品を、居ながらにして
瞬間瞬間に売り買いし、その影響が、世界のそんな金融商品などと全く縁のない人々の
生活をまで脅かすことができる、そして富はそうしたごく一部の富裕層に集まって行くという
『金融グローバリズム』という思想や仕組みを、選び取らず変えて行くことができる。
今、トランプのアメリカで問題となっている『グローバル経済(≒自由主義経済)』と
反グローバル経済とも言うべき『内向き経済(保護主義経済)』は、国民が選び取る
ことができる。今回アメリカ国民は、グローバル経済をそのまま推進するヒラリーを拒み、
グローバル経済を一部否定し『アメリカファースト』といういわば内向き経済を唱える
トランプを選んだわけだ。
また例えば、EUに残るか、EUから離脱するか、という問題も、これと同じ構造であろう。
移民・難民を受け入れるか、あるいは拒否するか、という問題も大きく言って同じだ。
私たちはこれらのどちらかを選び取ることができるし、言ってみれば二者択一で
選び取らざるを得ない状況下に置かれているとも考えられる。

一方元に戻って、『グローバル化』の方はどうだろうか。
地球温暖化の影響と思える異常気象などを、私たちは選んだり選び取らなかったりできるだろうか。
核による大気や海の汚染物質を、「いやだ!こっちには来ないで!」と言って拒否出来るだろうか。

もちろん、私がここで使っている『グローバル化』と『グローバリズム』という言葉は、ここでの
議論の便宜上の分け方なので、重なるところ曖昧なところはある。
私たちが『グローバリズム』という思想や仕組みを選び取った結果、さまざまな現象の
『グロ-バル化』が起きている、と、言うこともできるからだ。


問題は、『グローバリズム』の是非を論じるのに、『グローバル化』という避けがたい現象をも
ごっちゃにして論じていることである。
人間が『グローバリズム』という思想や仕組みを受け入れそれをどんどん推し進めてきた結果、
それらの事象の『グローバル化』は、この地球のあらゆる分野でもう避けがたく進行してしまっている。
経済のグローバル化による悪影響もそのうちだ。
『金融グローバリズム』などを否定する人でも、そういう仕組みの『グローバル化』からは
もはや逃れられないのである。
原発を否定する人でも、事故が起きた時核汚染物質のプルームからは逃れられないのと
同じように…。

あらゆる重大な問題の『グローバル化』は、地球人全員で解決していくしかもはやないのである。
地球温暖化、異常気象、食の安全。移民問題、テロリズム…。貧富の差の拡大や
タックスヘイブン問題などの経済の重要課題。………
こうした問題は、それの是非や好むと好まざるとに関わらず、地球人全員がその影響を
受け、その影響が『グローバル』であるがゆえに、グローバルな規模で、すなわち
人類全員でその責を負い、解決法を考えて行かねばならない時代にもう来てしまって
いるのである…

さて。ここからが大事なところである。

今回、トランプの大統領就任に際し、『自由主義経済』か『保護主義経済』か、という
ニ択で、ものが論じられてきたと思う。それはまあ仕方がない、ヒラリーを選ぶか、
トランプを選ぶか、という大統領選最終候補のどちらかを選択しなければならない
状況にあっては、上の二つがAかBか、で論じられるのは仕方ないともいえるのだが、
だが、本当に真剣に考えるとき、そのどちらかが正しい、などということがいったい
言えるのであろうか?
そのどちらもに存在の理由はあり、また否定すべきところがある。
アメリカ大統領選という重大な選択が終わった今、私たち人類が共通して考えるべき
ことは、行き過ぎた自由主義経済も行き過ぎた保護主義貿易も、そのどちらもが
もたらす悪弊の『グローバル化』を少しでも食い止め、よりよい貿易システム、
より平等でより合理的でより公正な経済システムを構築していくことに注力して
いくことであろう?
なぜなら、世界がそのどちらかに傾きすぎたとき、私たち人類が受ける『グローバル化』
の影響は、上に述べてきたように、避けがたいものであるからである。

『グローバリズム』と『グローバル化』などという言葉を、ごっちゃにして論じて、
『グローバリズム』=悪、いや、『グローバリズム』=善、『反グローバリズム』=無知
『グローバリズム』=知、いや、逆だよ無知だよ、…などと定型化して論じている限り、
私たち人類は、今のように否応なしすでに『グローバル化』してしまった世界が抱える
危機的に深刻な問題の、絡んだ糸を解きほぐしていくことは出来ないであろう。

具体的には、トランプは、NAFTAやTPPに象徴されるようなグローバルな貿易の
仕組みを否定し、『アメリカファースト』といういわば、内向きな経済政策を唱え、
アメリカの選挙民は、彼の政策を選び取った、というわけである。
しかし、それを選び取ったからと言って、アメリカがグローバル化の波から逃れられる
わけではない。また、その責任をひとり回避できるものでもない。

『グローバリズム』『グローバル化』という例をこの記事ではたまたま例として挙げて
みたけれども、本来分けて論じなければならないことを、いっしょくたに論じてしまっているために、
問題の本質が見えなくなってしまうことは他にもたくさんあるだろうと私は思うのである。
英国のEU離脱から始まってトランプ現象まで…昨年起きた一連の出来事を見守ってきて、
なにか本質からいつも議論の芯がずれているような、なにかもどかしい感じは、そのせいでは
なかったのかと私は考えている。

別の例を挙げれば、EUがそもそも生まれたその意義と、今EUが上手くいっていないことを
ごっちゃにして、今が悪ければEUのもともとの理念まで悪いと、それを簡単に否定し去って
しまうことなどもそれだ。
EUはなぜ人々の多くの労苦と大変な粘り強い努力や辛抱の末に生まれたのか。
それは、二度のヨーロッパを舞台にした大戦だけでなく、例えば英仏、例えば独仏間など
歴史上欧州を舞台に数知れない戦争や紛争が続いてきて、そこで多くの命が失われ
多くの取り返しのつかない不幸が繰り返されてきたことへの反省からもともとは生まれてきた
ものであったろう?
今、EUが上手く行っていないことは事実だろう。だからと言って、EUの理念そのものを
否定し去りそれを分解させてしまっていいのか。まだまだ努力改善できることはあるだろう?
人々が本当に真剣に議論すべきは、EUの理念は大事に守りつつ、現実に起きている
難民問題や、格差拡大、組織の硬直化、などの問題を、力を合わせて解決に向けて行く努力
ではないのか?

トランプ批判もそうだ。トランプの悪いところはたくさんある。私は正直彼が好きでない。
しかし、トランプの言っていることで、『もっともだな』と思うこともまた結構あるのである。
そこは、好き嫌いの感情とはきちんと分けて論じてみるべきではなかろうか?

『自由』『民主主義』…『政治的正しさ』など、アメリカがこれまで掲げてきた看板が、
ヒラリーがトランプに負けたことによって、全否定されたように考えてしまうのも、これまた、
別のことをごっちゃにしてしまっている一つの例であろうと思う。
『トランプのようなものが勝つはずがない!』…そう思っていたものの価値観が、百八十度
ひっくり返されてしまったようなショックを受けて、一時言論界やジャーナリズムが茫然自失
してしまった感がある。それは私のような部外者も同じだった…。
しかし。選挙に負けたことと、トランプであろうがクリントンであろうがはたまたサンダースが
政権の座についていようが人間が守らなければならない本質的価値とは、まったく別のことだ。
『トランプに負けたこと』=『人間が守るべき本質的価値の否定』となってしまっては絶対に
いけないのである!

負けたことは負けたこととして反省するのはいい。しかし、敗北によって、『真実の価値』
のような本質的なことまで見失ってしまってどうするのだ!
『ポスト・トゥルースの時代』など、来させてはならないのだ。負けにいつまでもひるんでいてどうする!

トランプは、新聞、テレビなど既成のメディアを激しく攻撃する。それに対し、メディアは、私のような
他国民からすれば、行き過ぎじゃないかと思うくらい、激しいトランプ叩きを展開した…
確かに、トランプの批判にはもっともな点もあって、新聞などのメディアそのものが、いわば
既得権益層になってしまっていて、『どこからも誰からも見放された』、と感じているラストベルト
などの白人中下層の人々などのやりきれない思いを掬いとりそこね、票の動きを大きく
見誤ったばかりか、逆にそういった層の人々を、無教養な集団と見下すような傾向が
なくはなかったことは確かだろう。トランプは、そこのところをきっちりと捉えていたと言える。
トランプ勝利の後のジャーナリストたちの意気消沈ぶりは、遠い日本にいてもビンビン伝わって
来るような気がした…。
だが。ここでもまた、なにか議論がごっちゃになっている。
ジャーナリズムなどが既得権益化し、その本来の批評の力を失ってきているのはアメリカも
ましてや日本などはさらに、確かなことかもしれない。
しかし。だからと言って、ジャーナリストはもう死んだ。もうメディアの役目は終わった!と考えるのは
大間違いである。
どこの国であろうが、ジャーナリズムは、死んでしまってはいけないのである。死なせてしまっては
いけないのである。国民がそれを守っていかなければならない。

トランプのように、自分に不利な報道をするメディアを毛嫌いし、ニューヨークタイムズの
購読者数が減っただろう、などと。しかも間違ったツィートを、一国の代表者がするようなことは
明らかに間違っている。
メディアの現状と、メディアの本来の役割をごっちゃに論じて、メディアそのものの力を
衰退させていってはならない。
トランプ勝利とメディア、についてはまた、別の記事できっちりと書きたい。

でもまあ、アメリカは、タフである。国民がまだまだしっかりしているよなあとしみじみ思う。


…このように、何もかもがいっしょくたに論じられて、本質が見えなくなったり、その末に
人間が守り育てていくべき大事な大事ないわば普遍的価値そのものが否定されるようなことは
なんとしても避けねばならないのではないかと私は思うものである…



トランプ大統領誕生、またなんとなく書き残した感のあったEU問題、またTPPを含む
自由貿易協定などを論じて行くにあたって、上に書いたようなことを議論の根底に
しっかり据えて考えて行ってみたい。




『トランプ大統領誕生に想うこと① 野次馬的雑感 』


世界が固唾を呑んで待ちかまえていたトランプ氏大統領就任の日がついにやってきた。

私も、昨夜はずっと起きて就任式を見ていた…さすがにパレードの頃までは起きていられなくて
オバマ前大統領のヘリによる退場のところまで見て寝てしまったが。

う~ん……。
トランプ夫人のファッションセンスよかったなあ…

まずは、トランプ新大統領に『おめでとう』と一応言おう。
そしてアメリカの人々にも。
なぜなら、これは、民主主義的選挙によって、アメリカ国民が示した意思の結果なのだから。
とにもかくにも新しい時代の幕開けだ…
実は、トランプの政策の中には、私自身の考えと概ね一致するものもなくはない。
無論、根本的にまったく賛成できないこともある。
その両方を含め、11月のトランプ勝利以来、思うことは山ほどある。
が。まずは、下世話な個人的感想から書いてみようか。
政治的批判は次の記事からにする。
全くの私の、個人的な印象であるので、ご容赦を。

さすがのトランプ氏も緊張?
オバマ大統領夫妻やトランプ夫人などがすでに壇上に立って、いよいよあとは、トランプ氏
本人が出てくるのを待つのみ、というところまで来て、トランプ氏がドアからバルコニーに出てくるまでの
顔をずっと見ていたが、さすがに緊張していたようだったなあ…
これから彼が4年間、世界一の大国アメリカの、そしてひいては世界の舵取りをして
いかねばならないのである。

トランプ氏には、核のボタンも預けられる…。
これから彼の行くところ行くところ、常に核のボタンの入ったスーツケースを持った
係員が、彼に随行することになる…。
オバマ氏が、核廃絶の象徴ともいえる街、広島を訪れたときにも、彼は核のボタンの
はいったスーツケースを伴ってきていたわけだが、日本人にはすごく違和感のあること
であっても、アメリカ大統領にはそれが当たり前のことなのである。

トランプ氏は、廊下を一人歩いてくるとき、緊張のあまり少し足元を心許なく感じていたように
私には感じられた。階段を下りるときにはちゃんと手すりにつかまって一段一段踏みしめる
ように下りてきていたので、他人事ながらちょっと安心した。
アメリカの大統領は、絶対に弱みを見せられない。涙をあまり安易に見せたりしては
いけないし、転んだりよろけたりして肉体的弱みを見せたりもできないのである。
ずいぶん過酷な立場ではある…。
考えてみれば、彼は70歳。私より一つ年上である。就任時歴代最高齢の大統領に
なるのだとか。タフだよなあ…
でも、一人のひととして、健康や安全には気をつけてほしいとこれは心から思う。


なぜトランプ氏はあのようにゼスチャーが大きいのか。
私がトランプ氏をどうも好きになれないのは、その政治的思想云々というよりは、むしろ
彼の全身から発するイメージがどうも好きでないので、人にはあまりそれを言えない。
うちうちの話なのでどうぞよろしく。www
まずは、演説をしている時の彼の顔。実によく表情筋を動かす。
もともと英語という言語は、日本語などに比べると、子音も母音も口をよく動かす言語である。
例えば、【th】の音など、「歯で舌を噛んで」、などと学校で習ったけれども、長い文章を
しゃべるなかで、いちいち【th】のつづりの語が出てくるたびに、そんなことできるか~っ!
などと典型的駄目英語学習者の私などは思ってしまう。

面白いのは、同じ英語圏でも、英国人は、アメリカ人がよく表情筋を動かしてしゃべるのを
多少可笑しく思っているそうだ、ということだ。
確かに。英国人は、概してぼそぼそしゃべっている感じだ。

トランプ氏の唇はとても薄い。そして口自体が小さい。だが、彼はその薄くて小さい口を
実によく動かしてしゃべる人である。
だが、それはまあヒラリー・クリントンだって、バラク・オバマだって同じで、要するに、
『演説』中は、大きな声も出さねばならず、はっきりも話さねばならないので、力が入って、
口がよく動くことになるのであろうが。それにしても、トランプ氏の口はよく動く印象だ。

彼の演説を見ていて特徴的なのは、口だけでなく、実によく手を動かすことだ。
右手の親指と人差し指でLの字や丸を作り、ときに特定・非特定の方向を指さし、
両手をうち振り…実によく手を動かしながらしゃべる。
実は、トランプ氏だけでなく、ニューヨーカーたちは、大ぶりなゼスチャーをよくする人々
なのだそうだ。
そうなのかな、と思って、今回のトランプ氏の就任演説と、オバマ氏のそれ、ブッシュ・Jr氏、
クリントン氏、レーガン氏、ケネディ氏…など歴代大統領の就任演説、そして大統領に
なり損ねたけれどヒラリー・クリントン氏の演説などを見比べてみた。(暇ですなあ!)
だが、どの歴代大統領も、演説の大事な個所では自然に力が入るのか、それまで
動かさずにいた両手を開いたり、こぶしを作ったりすることはたまにはあっても、、トランプ氏
ほど過激に両手を動かして演説はしていなかった……
ご興味のおありの方は、こちらから入って、歴代大統領の就任演説ご覧ください。
https://youtu.be/VjnygQ02aW4

ふ~ん…
性格なのか、単に癖なのか。
普段あまりゼスチャーをしながらしゃべらない日本人の場合、よく手を動かす人は、
あるいは手を動かしたくなるときは、自分の言いたいことに言葉が追いついていかない場合、
『じれったくて』思わず身ぶり手ぶりがでてしまうということが多いのではなかろうか。

トランプ氏もまた、言葉の追いついてこないじれったさから、あのように極端に目立つほど
身振り手振りをするのだろうか…それともあれは、彼の攻撃的な性格の表れなのだろうか…

トランプ氏というひとを大統領候補の一人として観察するようになってから、なんとなく抱いていた
疑問なのだが、アメリカのひとの中にも同じような疑問を抱いた人はいるらしく、こんな
面白い分析の映像があった。
ボディ・ランゲージの専門家、メアリー・シビエロさんの分析である。





記事元はこちらのBBCニュース。http://www.bbc.com/japanese/video-37103323

(笑)まさかね。そんなゼスチャーくらいで大げさな。こじつけだろう!
と思われる向きもあるかもしれないが、社会心理学によれば、たとえ『そのふり』を
するだけであっても、自信に溢れる「力のポーズ」を取ることで、脳内のテストステロンや
コルチゾールのレベルが変化し、それが性格までもを前向きに変えて行くということが
あるそうだ。
この映像の専門家も言うように、(アメリカ人の中でも)ニューヨーカーはよくボディ・ランゲージを
使うという。世界の商取引、金融取引の中心地でもあるニューヨークに暮らすビジネスマン、
ビジネスウーマンたちは、日々苛烈な競争の中で生きている。
握手一つで男たちは相手を判断するという話も聞いたことがある。相手に負けないためには
握手する手にぐっと意志をこめなければ、それだけで値踏みされてしまうという世界…
握手といえば、トランプ氏は、極端な潔癖症で、ほんとうは、人と握手をするのも苦手
なのだと聞く。私はそこに、氏の報道されているのとは別のまた何かを、ちらっと
感じてしまうのだが、まあ、それについては機会があればまた書こう…

デズモンド・モリスというイギリスの動物学者で、『裸のサル』という名著を著した人がいる。
その人の本で、『マン・ウオッチング』というものすごく分厚くて重い『人間観察学』の本が
家にあるのだが、世界中のさまざまな歴史・文化をもつ社会の中で人々が示す、身振り・手振り・
眉の上げ下げなどのなにげない動作が、意図せず現わしてしまう人間心理を、動物行動学者
の目で研究・観察した面白い本である。
人間の動作、表情の観察は、今や科学の分野になっている。それを知って、厳しい対人関係の
世界で応用されかねないので、決して侮れないものである…。

トランプ氏の場合は、誰かに学んだということではなく、親も実業家というその環境や、
自身の経歴や持って生まれた性格やさまざまな要因で、自然にあの身振りが身に
ついていったのかもしれないと思う。 …とにかくよく手を振りまわす人である…
そしてそれは。
私などには、非常に攻撃的なものを感じさせてしまうのだが。
でもまあ、これは、単に私がトランプ氏を好きでないからその仕草までが疎ましく思われるのか。

だが。トランプ氏の身振りに関連し、女優メリル・ストリープが、アカデミー賞の式典で
トランプ氏の身体的弱者への偏見をそれとなく批判したことはご存知の方は多いだろう。
トランプ氏が、ある新聞記者の右手が動かないことを揶揄してその真似をした、という
ことに対する批判である。この件については、メリル・ストリープを逆に批判している人もいる。
つまり、トランプ氏のあの大げさなゼスチャーは、彼のもともとの癖なのであって、
なにも手に障害を持つ特定の記者を指してその真似をしたのではない、普段のトークでも
いつもしている動作だ、というトランプ擁護の弁だ。メリル・ストリープがヒラリーと親しいことを
示す写真もアップして、選挙のためのこじつけ批判だ、と。

詳しくはこちらに書いてあるが。http://www.bbc.com/japanese/34941115
トランプ氏が体に障害のある記者の真似をしたのかどうか。本人は否定しているが、その
いいわけは客観的に見てもかなり苦しいものがある。ともかく、普段から、イスラム教徒や
不法移民や、女性など、社会的弱者に対する暴言が多い人だから、こういう批判も出てくる。
そもそもは、トランプ氏が、2015年11月21日に米アラバマ州で開かれた選挙集会で
『ニューヨークの世界貿易センターが崩壊するのを見て、アラブ系住民の多い対岸の
ニュージャージー州で何千人もの人々が歓声を上げていた』、また、
『世界中のイスラム教徒が(9.11米同時多発テロに)間違いなく大声援を送ったと、誰もが
認めている』と、本当は不確かな根拠のないことをまるで事実であるように、集まった大勢の支援者に
語ったというのがこのことのそもそもの発端だ…。


トランプ夫人のファッションはよかったなあ…
トランプ夫人の名前はなんと言ったか。…そうだ。『メラニア』だ。
そういえば、オバマ夫人はなんという名だっけ。そうだ。『ミシェル』だった…。

メラニアさんのブルーの衣装はラルフ・ローレン製だそうだ。
さすがにいかにも一流のデザイナーの服だなと思わせるカッティングの良さとあの色!
元モデルというメラニアさんの着こなしは文句のつけようがなく、ほんとに素敵だった。

私はメラニアさんを見て、いつも、『この人はどうしていつも悲しそうな顔をしているように
見えるのだろう…』と思ってしまうのだが、私だけの感覚かなあ?……
彼女が大統領候補のトランプ氏の妻として公に出るようになってから、ずうっと私は
彼女を見てそんな感じを受け続けてきた。
…彼女はほとんどしゃべらない。そして晴れやかな笑顔もあまり見せない。
いつもトランプ氏の横に、影のように立って、つつましやかな、どこか悲しげにも見える
かすかな微笑みを浮かべているだけである。
『この人は、トランプ氏の妻で幸せなのだろうか…』と、余計な心配をしてしまう私である。

旧ユーゴスラビア生まれだというが、もともとおとなしい性格の女性なのか。
顔立ちそのものは、イタリアの大女優ソフィア・ローレンなどと同じような野性味あふれる
顔なのだが、映像で見る彼女はほんとにいつもつつましく控えめである…
まるでトランプのお人形。飾り物の愛玩物でもあるかのように…と言ったら言い過ぎだな。
でも、なにか私は、彼女の全身から発する悲しみを感じてしまうのである。
むろん私の勝手な思い込みに過ぎないが。

今、メラニア、そしてオバマ夫人ミシェルの名がすぐに思い浮かばなかったが、今日の
大統領就任式を見ていて思うことが一つあった。
自由と平等、民主主義を標榜する国の代表、ホワイトハウスの住人となる人の家庭は、
いつも、強い大統領、そしてそれを支えるつつましやかな妻、という、いわば定型がある
みたいだなあ、と。
オバマ前大統領夫人ミシェルさんは、弁護士としてはオバマ氏以上のキャリアと実力を
持っていた女性だったという。だが、彼女は大統領夫人となってからは決してそういう側面を
表に見せず、あくまで家庭を守る人としての役割を果たしていたように見えた。

弱みなど決して見せない強い大統領と、貞淑で控えめで賢い妻でよき母でもあるその夫人。
幸せそうな子供たち。そして『ファースト・ドッグ』たる可愛い犬!
アメリカ大統領一家は絵に描いたような幸せな一家でなければいけないのであろう。
(ちなみに、トランプ氏は歴代大統領の中で初めて?ホワイト・ハウスで犬を飼わない
大統領になるだろうという。)

クリントン大統領夫人ヒラリー・クリントンは、ある意味で、その型に当てはまらなかった。
彼女自身の政治的野心が強かったからである。
彼女が嫌われた理由には、そういう意外なほど旧式なアメリカ人の男女観、家庭観、というものも
ひょっとしてやはりありはしなかったか、と思うのである。
彼女の政治姿勢や性格に、嫌われる第一番の問題はあったのだろうが…。


反トランプ暴動報道について
今日はもうほとんどテレビを見ていないので、就任式に関する一般の人々の反応は
まだ私は知らない。でもネットの見出しだけ見ると、反トランプデモ隊の一部の暴動が
あって、警官隊と衝突し逮捕者も出たとか。美しい街のショーウインドウのガラスを割り、
車やゴミ箱に火をつけた写真も載っていた。
これ。とても気になる。

実は、昨夜、就任式の放送が地上波テレビなどでいよいよ映し出されるようになる前は、
私はネット放送で、アメリカ在住の映画評論家町山智浩氏の現地報告の映像をずっと
観ていたからである。
就任式の会場に入るには、それぞれ指定の入り口まで長い長い行列の中で待っていなければ
ならない。町山氏も前に進めず、待っているその場で、周りの人々にインタビューなどしているしか
なかったようなのだが、そこに黒服ずくめの一団がいて異様に目立っていた。
町山氏によれば、彼らは、トランプ支持でもアンチトランプでもない、右でも左でもない、
『アナーキスト』を名乗る一団なのだという。彼らは、この就任式がトランプのものであろうが
他の人物であったろうが関係なく、とにかくこの式典に反対するために集まっているのだという。
彼らには、ちょっと話など聞けない、そういう人々であるという。

あとで、店のショーウインドウを割ったりしている一団の映像がテレビで流れていたが、
その一団が黒ずくめの恰好だったなあ…
テレビなどの報道で一様に『反トランプデモ』と言っているが、中にはこういう集団も
いること、そのことにはもっと正確な報道をしてほしい。
『反トランプ派』イコール『暴力集団』という図式を、作り上げないでほしいからである。


よってたかってトランプいじめの様相には抵抗感
私は、トランプ氏が嫌いである。
だが、批判すべきことと、それ以外のことはきっちり分けて考えたいと思っている。

アメリカの歌手や俳優などの多くが、トランプ氏を嫌って、就任式の招待を断り、彼のために
歌うことや自分の楽曲を使われることさえ拒否したという。
日本の芸能界をふくめ、いわゆる文化人と言われる人々が、『反権力』のレッテル貼りを
されて仕事を失うのを恐れて、概して政治的発言を極力避け、それどころかむしろ
権力に擦り寄る人の方が多いのではないかと思わせられる現状に比べると(東日本大震災の
時に私はそれを痛感した)、アメリカは、まだやはり個々のひとの政治的自覚が高いのだなあと
思ってしまう。
だが。彼らが自分の考えで反トランプの意思表示をすることと、式典に参加するアーティストが
少なかったというそのことをあげつらってマスコミなどがトランプをあざ笑うことは別事である。

私はトランプが嫌いだが、そして万事強気のトランプ氏は気にしないではあろうが、
『自分が好かれていない』ということを、こうした形で突きつけられたことは、誰にとっても
こころ傷つくことであろうと、ふと思ってしまう。

『分断』は、悲しいことである。
今度の選挙戦でアメリカの背負ってしまった傷は、思う以上に大きなものになるだろう…
ただ選挙の勝ち負けだけではない、価値観の喪失(逆に又創出)につながっていくものに
なるのであろうと思う。それらについては次回以降に書く。


とりあえずの、式典の野次馬的雑感。







『キャンドル・ナイト 70 書き損じはがきで支援を』



70回目のキャンドル・ナイトだ。




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今回は、正月花の水仙が、まだ綺麗なので、少しとりわけて小さな花瓶に挿し、そして
いつものように亀山ローソクを灯した。
毎年、自分の部屋の正月用の花としては、水仙を、それだけを活けることにしている。
だから私には、水仙の花の香りイコール、年のあらたまり、のイメージだ。
今も、パソコンをしているこの部屋は、水仙の香に充ちている・・・・・・


東京は気味の悪いような暖冬続きだった…。南半球南極では大きな氷に亀裂が走り、
一方欧州や、日本の北半分には大寒波が襲来し、今も雪が降り続いているところが
あるだろう…
マイナスニ十何度ともいう寒さに襲われているというヨーロッパ。シリアなどからの
難民はそんな中で粗末なテント生活。男たちが焚火で暖をとっている映像がテレビで
流されていたが、火に近づけない女たち子どもたちはどうしているのだろう…

…こんな世界、おかしい!
そう嘆くけれども、自分にできることを考えてしまうと、その非力さに頭を垂れてしまう…
そういう想いを抱く人は多いでのはあるまいか。

小さなことだが、この時期だからお勧めしたい、ささやかな支援活動が
あるのでご紹介しよう。

あなたのお宅に、年賀はがきの書き損じや未使用のものなどおありではないだろうか。
年賀はがきを書いていると、「あ!郵便番号書き間違えた!」とか『相手の名前の漢字
間違っているのに気づいた」とか、いろいろ書き損じが出てくると思う。
それらを難民支援のNGOなどに送ると、それらが世界の子供たちの食料援助や
医療援助などに、有効活用してもらえるのである。
もちろん、東日本大震災関連の支援にも使える。
年賀はがきだけでなく、通常はがきでも、50円とが額面が印刷してある箇所が読めるなら
古いはがきでも大丈夫である。未使用切手も無論大丈夫。

「でもねえ。相手の住所とか書いてある書き損じは、個人情報のこともあるし、下手なところには
渡せないわね」と思われるかもしれない。確かに。
それならば、ちょっとひと手間かかるけれど、お近くの郵便局に持って行ってもらえば、
新しいはがきや切手と交換してくれるのである。
私はそうしている。
古い書き損じはがきが溜まると、郵便局に行って新しいのに交換してもらい、私の場合、それを
医師中村哲さんがやってらっしゃるアフガニスタン復興支援のペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/contact.htmlに送って使ってもらっている…。

例えば50円はがきなら、一枚当たりの手数料5円が引かれても、45円分が
戻ってくる計算になる。今回また机の中、郵便物保管箱の中などひっかきまわして
探してみたら、10年ほど前のはがきなども含め、50枚以上の未使用および書き損じ
はがきが出てきた…。これを郵便局に持っていけば、手数料を差し引いて合計額面相当額の
新しいはがきや切手と交換してくれるのである。
2,500円分くらいにはなるかな。

わずかな金額だと思いになるかもしれないが、使わなくて捨てるはずのものが、難民支援などに
役立てるのだったら、ひと手間かける甲斐はあるでしょう?
ペシャワール会以外にも、多くのNGOで、このように、書き損じのはがきや未使用切手などを
募集しています。
一軒一軒の書き損じはがきなんて微々たる枚数かもしれないけれど、私のように
何年かに一度まとめて送ったり、お友達、ご親戚などお知り合いの方…とりわけ
ご商売、お仕事などで年賀はがきをたくさん出される方などにもお声をおかけくださると、
それは積もり積もって大きな金額になると思います。
むろん、郵便局で新しいものに交換などしなくても、年賀はがきでなく暑中見舞い
はがきでも、普通のはがきでも、要するに官製はがきならば、そのまま書き損じはがきを
直接送ってもらっても大丈夫です。

まあ、そういう支援方法もありますということで、ちょうど年賀はがきの時節なので、
ご紹介してみました。一応、受付団体の一例、載せておきます…。
他にも、『書き損じ年賀はがき』などと検索していただければ、いろいろな団体が
出てくると思います…。
「お年玉抽選会がすんだら、ぜひ、外れはがきをそんな支援にお役立てください。^^


https://matome.naver.jp/odai/2138840326897825901






南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 







『記憶』


今、世界は、20日のトランプ就任式までは何を言っても無駄になるだろうとでも
思っているのか、その日を固唾をのんで待ちかまえているような感じがする。

今年は確実に、良くも悪くも大きな変化の年となるであろう。
一つ一つの事象に振り回されるのではなく、自分自身の判断基準をしっかり持って
いることだ。なかなか時にそれは難しいことなのだけれども。



                 ***

さて。新年最初の政治記事。^^
まずは、一枚の写真を見ていただこうか。

ある小学校での授業風景なのだが、何かお気づきになられたことがあるだろうか。
よく見てお考えください…


手を挙げる ③


・・・・・・どうですか?


それでは。もう一枚の写真と比べていただこうか。



手を挙げる ④


上は、ドイツの小学校の授業風景。下は、日本の小学校の授業風景である。
…そういえば、違いがお気づきになられるだろうか。


……そう。子供たちの手の上げ方が違うのである。


ドイツでは、人々は手を挙げるとき、右手の人差し指を一本立てるか、親指を立てるか、
親指と人差し指を『チョキ』がたに開くか、あるいはゆるく手を『グー』のように握って
挙げるか、要するに、とにかく日本のように右手指を伸ばしたまままっすぐに
挙げないのだそうだ。それは街かどでタクシーを呼ぶ時も、レストランなどで
給仕のひとを呼ぶ時も同じだという。
ドイツでは、右手の指をまっすぐ伸ばしてそろえて手を挙げる、いわゆるヒットラーの
ナチス式敬礼に似た手の上げ方を法律で禁じているのだというのである。

私はドイツに行ったことがないので、そのことを聞いたとき、ほんとにそんななのかな、と
少々疑問に思っていた。
だが、上の写真は、別に、ドイツの子供たちの手の挙げ方を問題にした記事ではない。
『ドイツで小学校の宿題に関する時間を規制』という内容の記事である。
別な時、別なところで見た、ドイツの小学校の授業風景も同じような感じだった…

…ああ、ほんとに、ドイツではこうなのだな。子供たちがもう、それと意識せずこのような
手の挙げ方をするよう、いわば、日常生活でそれが習慣化され当たり前になっているのだな、と
改めて思わされた。

ご存知のように、今日本と韓国の間では、釜山の日本総領事館前などの慰安婦の像
設置を巡って、悶着が再燃している。
像を撤去する努力をすると約束した韓国政府。だが、像は撤去されないばかりか
増えて行く。約束が違うではないかと怒る日本。それに対し韓国では、日本が出した
10億円などいらない、日本に返してしまえという強硬意見も出ているという。
日本側では抗議の意思を示すため駐韓大使らを一時帰国させた・・・・・・

ああ。もう、何をやってんだ、いったい!

私は、日本が、朝鮮半島併合や、韓国の女性たちを日本軍の兵士の性処理の
相手にしたことを、戦後、誠意をもって心から謝ってこなかったことが、戦後70年も経つ
今なお、両国間の棘が抜けずに、こうしていつまでもぐずぐずと問題が再燃する
一番の原因だと思う者である。それは中国や他のアジア諸国に対しても同じである。

先の12月末、安倍首相や稲田防衛大臣は真珠湾を訪ね、オバマ大統領と共に
戦没者の慰霊を行った。安倍首相はオバマ大統領と並んで談話を発表し、マスコミなども
両国間に長年横たわっていたこころの問題がこれで取り去られた、とでもいうかのように
概ね、総理らの真珠湾訪問を高く評価していたように思う。

だが。日本が戦争を仕掛けた相手はアメリカだけではあるまい。日清日露…はともかく。
朝鮮半島併合。台湾併合。そして中国大陸に『満州国』という傀儡国家建設。
さらには中国重慶、南京などへの爆撃、侵攻。またさらにフィリピンなど他のアジア諸国や
太平洋の島々への侵攻そこの占拠などなど、アジア地域広範にわたって、要するに
武力侵略していったのである。
しかし。日本人は、そのことをドイツのように、ここまで徹底して反省し謝罪してきた
であろうか。

ドイツの徹底した反省は、アウシュビッツなどホロコースト遺跡の完全保存などばかり
でなく、このような手を挙げるという日常の動作にまで及んでいるのだが、それだけで
なく、ありとあらゆる方法で、戦争時の記憶を風化させないようしないよう努力している。

この写真はなんだろうか。


ドイツ 舗道のプレート
写真はこちらの記事からお借りしました。記事も是非どうぞ。
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik13/2013-07-28/2013072816_01_0.html


これは、ドイツの街のいたるところの舗道に埋め込まれたプレートである。
このプレートには、ナチス政権下で犠牲になった人の名前、生年月日、移送された収容所名、
死亡年月日が刻まれ、彼らが生前に暮らしていた家の前に埋められているのだという。
ナチ政権が抹殺しようとした人々の存在を、忘れまいとするドイツの数多くの
運動のなかの一つである。



このように、第二次世界大戦で人類史に残るような大罪を侵したドイツは、戦後厳しい総括を
行い、自国を自ら罰し、ナチスに関わる出版物発行の禁止等も含め、このように
現在も、自分たちの負の遺産負の記憶をぎりぎりと直視することを続けているのである。

今、EU諸国など第二次世界大戦中のドイツの行いを蒸し返して批難している国があるだろうか。
逆にドイツは今、ご存知のように、EU内にあって中心的位置を占める、いわば他国からも
信頼され敬意を持って見られる国になってはいないだろうか。

翻って日本はどうか。
日本はまだ、本当の総括を行っていない。昭和天皇の戦争責任はうやむやにされたまま。
軍部や政治家たちだけではない。日本人は実は民を挙げてあのアジア侵略に猛進して行った
のであるが、国民自身も其の罪について深く考え反省することは乏しかったように思う。
政府は東京裁判でA級戦犯と断罪された日本の戦争指導者を靖国神社に祀り、自民党を
中心とした政治家たちはそれを英霊として顕彰し、いまだに参拝を繰返して、中韓など
アジアの国々の神経を逆なでしている。
安倍首相と仲のいい芸能プロデューサーのプロデュースする少女たちの集団が、
ナチスドイツの制服に似た衣装を着て歌を歌って、批判を浴びたのはつい数ヶ月前のことだ。
この衣装は、海外のメディアからも、驚きと違和感を表明されたというのだが、責任者は
あっさりと衣装を引っ込めただけで、世界の違和感は一向に自覚していなかったように見える。
そればかりか、現政権の財務大臣で副総理でさえある麻生氏は、『ナチス政権の
手口を学んだらどうか』などと、世界が聞いたら総顰蹙を買うような発言を平気で
ぬるっとしてしまう始末!

他国に多大な迷惑と困難と悲劇を与えたことに無頓着というより意識的に鈍感を
貫いてきた国は、自国民の悲劇にも知らんふりを決め込む。

沖縄は日本で唯一の戦場となった地だが、敗戦後もアメリカの基地の街として残されたまま、
日本政府は、その負担を真に取り除こうなどとはこれっぽっちもしないばかりか、
辺野古移設に反対する知事を裁判にまで追い込んで意のままにしようと今もしている。
戦争が終わってもソ連などに抑留されていた人々の困難への補償は、いまだに
政治的には無視され続けている。




私は思うのだ。
なぜ、日本人は、一度、真から先の戦争・侵略の罪を直視し、世界に向けて反省しない?
それをきちんとやってこなかったから、いまだに韓国や中国とまっすぐに向き合えないのだ。
慰安婦の像が、日本大使館前や日本総領事館の前に据えられたって、なんの不都合があろうか。
このドイツの例を見よ。
大人たちは、罪の現実を隠し立てし、綺麗ごとで子供たちをごまかそうとしているか?
ドイツの子供たちは、真実を知らされたことにより戦争を引きずって傷ついているか?
否、だろう。

私は、もし自分が政治家であったなら、国会の敷地内に、韓国慰安婦の像と
中国が日本軍によって受けた被害を示す事跡のプレートと、そして広島長崎の原爆の
事跡のプレートなどを並べて配置する。憲法前文を刻みこんだそれもあってもいい。
二度と日本はあのような罪を犯さない。また世界も同じような過ちを犯さないでほしい…
そういう決意と願いを込めて、堂々とそれらの像やプレートを、日本の政治の中枢の場である
国会議事堂の敷地内に設置したいと思う…。





上に引用した写真は、このサイトからお借りしました。
一枚目の写真:http://newsalt.jp/international/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E5%AE%BF%E9%A1%8C%E3%81%AB%E8%A6%81%E3%81%99%E3%82%8B%E6%99%82%E9%96%93%E3%82%92%E8%A6%8F%E5%88%B6
二枚目の写真:http://familyblog.shogakukan.co.jp/news/2012/01/000515.html
http://newsalt.jp/international/%E3%83%89%E3%82%A4%E3%83%84%E3%81%A7%E5%AD%A6%E6%A0%A1%E3%81%AE%E5%AE%BF%E9%A1%8C%E3%81%AB%E8%A6%81%E3%81%99%E3%82%8B%E6%99%82%E9%96%93%E3%82%92%E8%A6%8F%E5%88%B6



『ピコ太郎論』


barsoさんのところで、ピコ太郎について書いていらしたのを拝見し、嬉しくなって
私も、ちょいとピコ太郎論なるものを書いてみたくなった…
彼岸花の全くの独断と偏見からなる記事ですので、ご容赦を!(笑)

barsoさんの記事で一番笑えてうれしくなってしまったのが、ピコ太郎とトニー谷の
類似性のご指摘である。
トニー谷と言っても、ある年代以上の方でないとご存じないだろうなあ…
『トニー谷』。戦後の20年ほどに活躍した日本のボードビリアンである。
https://youtu.be/vWxPh7W9dtA

面長な顔。ちょび髭。伊達?メガネ。簡単な英語を使って踊りながら歌うというその『えぐい』芸風…。
ピコ太郎を初めて見たとき、私はすぐにトニー谷のことを思い出したのである。


実はトニー谷については、以前、記事を書いたことがある。
と言っても、トニー谷自身についてではなく、トニー谷に似ていたある人について書いたものだ。

トニー谷自身は、実はあまり好きな人でもなかった。私は子供だったし。
雑誌の記事などをたまたま見て、その顔を知っているくらいで、後年彼がテレビに出るように
なっても、我が家にはテレビがなかったので、その芸を直接見たことはなかった。
10歳くらいの子供の認識としては、『変わった感じのひと』と言うだけであった。


トニー谷に似ていたある人、というのは、私が小学校ニ年の冬、母が小さな飲食店を
開いたのだが、その時うちに短期間出入りしていた男の人のことである。
子供心に、『あ!この人、あのトニー谷に似ている!』と思った。
その人は、食器の買い入れなどに力を貸してくれ、小さい私に百人一首の歌のことなど
優しい口調で教えてくれた人だった。
百人一首の読み札の中で、他に同じ音で始まる歌がないのは『娘 房 干せ』と覚えなさい、とか。
季節はちょうど今頃、暮れから正月にかけてのことだったと思う。
詳しくはこちらを。 http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-50.html


ピコ太郎氏を見たとき、一瞬にしてトニー谷のことと、誰だったか知らないあの男の人の
ことを思い出したのである。
だが。この記事は思い出について語りたいわけではない。ピコ太郎氏の芸について
ちょっと語ってみたい。

ピコ太郎氏については、評価は真っ二つではなかろうか。
ピコ太郎なんて全然面白くない。キワモノだ。泡沫芸だ。…嫌いな人は嫌いだし、わからない
というひとの気持もわかる。
私のつれあいなどは、言下に否定する。
大体音楽の趣味が私と似ている娘も、態度保留。^^
お婿さんも、『う~ん・・・そうですねえ・・・』というきりなので、あまり評価はしていないのだろう。(笑)
というか、彼らはテレビを見ないので多分、あまり知らない。

あの硬派の彼岸花が、ピコ太郎を好きなんて意外でしょう~?(爆)
その通り。実は私は、本来は、瞬間芸というか、繰り返し芸が嫌いである。
いまどきのお笑い芸人の、『いないいないバ~!』的な芸が、ほんとは大っ嫌いで。
赤ちゃんが、『いないいないバ―』を何度してもらっても大喜びする。最後にはひきつって
しまいに泣きだすくらいまで興奮して笑う。そのように、どの芸人とはあえて言わないが、
同じ動作、同じ言葉の繰り返しで笑いをとる芸。それを見て若い観客がまた、手をたたき、
足を踏み鳴らし、大きな口をあけて笑い転げる…それが大っきらいなのである。
赤ん坊じゃあるまいし、馬鹿馬鹿しい同じ動作の繰り返しでなんでそんなに笑えるんだ?と。
そもそも私は、『いないいないバ―』自体も嫌いで、恐らく自分の子供にもほとんど
やったことがない。(爆)

ところがそのあたしが、ピコ太郎にはなぜかはまった!(爆)
…なんていうんだろうか…。彼は芸人としての下積みが長く、その悲哀とか強かさとかが、
あのわずかな長さの歌と踊りに出ているように思うのである。
『爆笑問題』の太田だったかどちらかが、ピコ太郎を長く見てきて、『大勢芸人はいるが、
あいつほど楽屋で面白いやつはいない』と評していたそうだ。『だが本番になるとその
面白さがこれまでなかなか出せなかった』と。

私も実は、彼の『PPAP』はかなり芸としてのレベルが高いんじゃないかと思っている。
まずはあの歌がとてもキャッチ―でリズム感がすごくいい。
barsoさんがいみじくも指摘していらしたが、ペンとアポーが(笑)合体するときに、『ア~ン!』と
一瞬の間を入れる。あれが全体の歌にきわめて効果的な変化をつけているのだ。
もしあれがなかったら、歌はずいぶん詰まったせせこましい印象のものになっていた
だろう。
なんで、あれほどこの歌がこれほどあっという間に世界に広まったか。
むろん、よく指摘されるように、世界中の殆どの人におそらくわかるごく簡単な英語を使った
歌詞の功績は大きい。だが、私は、この歌のリズム感をまず第一に評価したい。
まずはその短さ。その短さの中に、タタタタタタタタ!という『規則的なリズムの心地よさ』と
『あ~ン!』という部分で生まれる『破調の面白さ』などが、ぎゅっとつまっている。

世界の人が、この歌を面白がってやってみている映像を下に載せておくが、この短い曲が
『ある種の普遍性』や『可塑性の高さ』を持っていることを示しているものと思う。
要するに、誰でも出来て、誰の持つ体のリズム感にも合いやすいのだ。
ということは、応用性が非常に効くということでもある。
今、PPAPを元歌にしたコマーシャルが便乗でいくつか流れているが、どこの商品名にも
不思議に合うのがその『可塑性の高さ』を示しているように思う。
PPAP人気に便乗してマネする奴はだめでしょとは思うが。(笑)

もうひとつ。踊りも実は、かなり計算と抑制が効いていて優れているんじゃないかと私は思う。
手の上げ方、足の曲げ方。首の角度…表情…。あれらはかなり観る人にどう見えるかを
計算しつくして出来上がった踊りだと思う。
『ペンパイナポーアポーペン!』と一回言ってから、ピコ太郎氏が後ろ向きに回転して
行くところがあるが、あれが一周しきってしまうのではなく、途中でやめて逆回転して
正面に戻るところなど、私は『うまいよなあ!』と思って舌を巻いてしまう。(笑)
要するに、たぶん一回転するんだな、という予測を裏切るのである。
ぐるっと一回りしたのでは音楽に間に合わないということがあったのかもしれないが。

また衣装も面白い。あの『えぐさ』! ^^
『えぐみ』というのも『洗練』『抑制』という全く逆なものと共に、日本文化の一つの特徴だ。
今流行りの若冲の絵だってえぐみの極みだ。北斎も洗練とえぐみが一人の人の芸術の中に
同居している…。

ピコ太郎氏のPPAPについて私が分析して面白いなあと思ったことの中で、一番の結論。
それは氏のこの歌と踊りの『間の良さ』、である。
私はそれを、日本独自の空間感覚、などと結び付けて考えてしまうのである。
たとえば生け花のあの空間の大胆な活かし方。西洋のフラワーアレンジメントにはないものだ。
たとえば、能や歌舞伎の緩急の動き。
たとえば、北斎などの浮世絵のあの画面の間の活かし方。これも19世紀、西洋の
画家たちを驚かせたものだ。
陶器の絵付けも然り。全面に同じ模様をびっしり施すのでなく、空間がある!
たとえばそれは、私はあの羽生結弦のスケーティングの振り付けにも生かされていると
思う。振り付け師はカナダの人であったりするのかもしれないが、日本文化の『間』
ということをよく理解した振り付けにいつもなっているように思う。
それは羽生だけでなく、日本のフィギュアスケート選手の多くに言えることだ。
浅田真央などの踊りも、技と技との間の振り付けの緩急をよく生かしている…
羽生結弦の『陰陽師 SEIMEI』などの振り付けはそういう意味で最高だったなあ…。
『パリの散歩道』も個人的にとても好きだけれど。
それに比し、概してアメリカのスケーテイング振り付けは、かつて緩急に乏しく
腕をぶんぶん振りまわしすぎだったように思う。最近ずいぶんよくなってきているが。
要するにただスピード感があればいいのではない。芸術性を高めるには、緩急の
メリハリが大事なのである…
日本のスケーターも、長く観察していると、緩急のメリハリのあるときが点数は高く、
頑張って腕をぶんぶん振りまわすような振り付けになったときは、残念ながら…下降期だ。






文化というものは面白い。
自然に人々の体のリズムや美感として身についていく…
日本文化の持つ独特の『間』。 PPAPには、そういう面白さを感じた。
だが、一歩でもやりすぎると、とたんにこうしたものは面白くなくなる。
ピコ太郎プロデューサー氏が、そこの微妙なところを理解し、さらに面白いものを
生み出してくれるといいなあ…

(ピコ太郎氏の新曲『I LOVE OJ』を見てみたが。う~ん…  
ピコ太郎氏よ。PPAPにしがみつくな。スパッと潔く捨てて次の全く新しいものに挑め。
忘れないでほしいのは、爆発的なえぐみと知的な抑制のバランスだよ・・・)

最後に。 PPAP海外オマージュ映像を載せておこう。
これは本当に笑える!
その国その国の言語の特徴がよく出ているからである。
そしてこれを見ると、ピコ太郎氏のこのPPAPという短い曲と踊りの良さ…
その普遍性や可塑性の高さがよく理解できる…
そして、私などはこれを見ていると、可笑しいのと同時に、なぜかしんみりともしてきて
しまうのである。
この音楽一つ、映像一つが、世界を結びつける力の強さ・・・。
むろん、戦火の中にあって、こんなネット配信を見てなどいられない人々がたくさんいることは
承知したうえで、なお、私は、音楽や踊りというもの…芸術や芸能の、言葉を超えたところでの
力…国境をもいともやすやすと越える力というものを想ってしまうのである。



それに比して…政治はいったい何をもたもたしているのだろう……










『七草がゆ』



今日は1月7日。
お昼はあっさりと七草がゆにしてみました。
毎年、1月7日の朝ご飯は七草がゆです。今年は、お昼に。


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本当は春の野山に出て摘み草で、と行きたいところだけれど、そうもいかないので
スーパーで買ってきたパック入りセットに、家にあった蕪や芹をさらに足して、お野菜
たっぷりのおかゆにしました。
おかずは海苔を巻き込んだ卵焼きだけ。^^
でも、 クウ―ママさんにいただいた、岩手名物『弁慶のほろほろ漬け』が、これが
めっぽうおいしくて、またおかゆに合うんです。
大根、人参、胡瓜、茄子を刻んで漬け込んだお漬物なんだけど、麹が使ってあるせいか
すごく香り高くて風味がある。
黒い蓋つきの器と、右隅の小皿に入れてあるのがそれで、ほんと、野菜とご飯の甘味
だけでなにも味付けしてないおかゆを引き立ててくれました。
このほろほろ漬け、おにぎりに入れると最高だろうなあ。今度やってみます。

お茶は、これまたクウ―ママさんにいただいたルイボスティー。お茶が冷めないよう
茶卓代わりに下に敷いてある布コースターも、ママさんのお手製です。^^

手作りリンゴジャムや、減塩しょうゆなども送ってくださって、クウ―ママさん、ごちそうさま~♪
元気出たよ~~! ^^

卵焼きのお皿は、私のお気に入りのお皿。
北斎や広重の浮世絵か何かに出てきそうな、雪の松林の景色が描いてあります。
雪よけの蓑笠を着て深々と積もった雪の中を歩く男が一人。

何焼きというのか今はもう窯自体がなくなっているそうなのでわかりませんが、幕末期の
一時期、貧乏な武士たちの内職として絵つけが行われていたというそのお皿です。
確かにこれも、練習用の絵つけでもあったか、一枚一枚出来上がり具合が違う。
一枚上手いのがあるけれど、後の4枚は、こわごわ描いている感じです。(笑)
どんな貧乏浪人がこれを描いたのかなあ…想像が過去へと膨らんでいきます。
そういう意味で、無銘ですが愛せるお皿です。

ほろほろ漬けの器の木のスプーンは、以前、木工作家morinofさんにいただいたもの。
この小さなスプーンで、ことこと自分で似たうずら豆をね、一粒づつ掬って食べるのが
冬の楽しみの一つになっています。






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今年の正月用の花たちも、一応載せておいてやろうかなぁ。
おせちは、載せるタイミングを失ってしまいました。



『私の好きな絵』



さあ…2017年も明けたことだし、また新しく記事を書いていこうかなあ…
昨年のことでは書き残していることばかりだが、まあその個々のことについては、
新しい年度に起きることと関連していくはずなので、その時に触れて行こう…。

新年最初の記事は、あまり生臭い政治のことなど書きたくはないので、自分の好きなもの
について書いてみようか。
二つ前の赤軍合唱団遭難の記事を書いていて鮮やかに思い出した、ロシア絵画
画家イヴァン・シーシキンなどのことについて。



イヴァン・シーシキン

『イヴァン・シーシキンの肖像』 イヴァン・クラムスコイ画、1880年



イヴァン・シーシキンと言っても、日本ではご存じない方が多いだろう。
イヴァン・シーシキン(1832年-1898年)。ロシアの画家。
詳しくは、↑を見ていただくとして、シーシキンとはどういう時代のひとだったか。
1832年生まれということだが、1832年と言えば、日本では天保3年。この年、江戸で
かの義賊として有名な『鼠小僧』が処刑されている! ずいぶん昔のことだ。
同年に生まれたひととして、画家では、あの『草上の昼食』により、サロン~落選展で物議を
かもしたフランスのエドゥアール・マネがいる。
マネの絵と言ってもピンとこない方も、音楽のノートなどの表紙になっていた『笛を吹く少年』
(1866年)の絵は、『ああ!あれか!』とお思いになるだろう。
作家でいえば、ロシアの文豪トルストイはシーシキンより4歳年上。あの夏目漱石は
シーシキンより35歳も年下である。

二つ前の記事にも載せたけれど、私が大好きなシーシキンの、
『陽を浴びる松』。(1886年。トレチャコフ美術館所蔵)


イヴァン・シ―シキン②


この絵を初めて(というかその時一回きりだが)見たのは、1966年(昭和41年)
国立西洋美術館で開かれた『エルミタージュ、プーシュキン、ロシア、トレチャコフ:
ソ連国立美術館近代名画展』においてであったと思う。
ソ連が誇る4つの国立美術館の膨大な収蔵品の中から名品をえりすぐって
日本で展示したものだった…。
私は19歳だった。主人と二回目くらいのデートの時だ。w
この展覧会では、ロシア~ソヴィエトの絵画だけではなく、フランスの近代絵画、
マネ、モネ、シスレー、ルノアール、セザンヌ、ゴッホ、マチスなどの名品も展示されて
いたのだけれど、それら並み居る巨匠たちの作品群の中で、私の心に一番
鮮烈に残ったのが、シーシキンのこの作品だった…

シーシキンが生きていた時代は、まだ帝政ロシアの時代。革命によってソヴィエト連邦が
生まれる前の時代である。フランスでは、およそモネ、ルノアールなど印象派の
勃興期と最盛期、ゴッホ、ゴーギャン、セザンヌなど後期印象派の画家たちが
出てきたくらいの時代と重なる。
シーシキンの絵は、ご覧のように、フランスでの新しい絵画の動きからは少しやはり遅れて、
もろに写実主義の絵画ではあるけれど、フランスにおける印象派の画家たちと同じく
アトリエから外に飛び出して外気と外光の中で制作するようになっていたこと、
写実と言っても単に対象を写真のように写し撮るのではなく、画家が何を主題に選びとるか
ということそのことに画家の主張や精神性が表れて、シ―シキンのこの絵に見るように
深い叙情性やある種の哲学のようなものが感じ取れることが特徴だったかもしれない。
シーシキンやイリヤ・レーピン、イワン・クラムスコイを含む『移動派』と呼ばれる画家たちは、
19世紀後半、官製芸術の中心地であるペテルブルク美術アカデミーに対抗する
ロシアの前衛的な芸術集団を結成。帝政下、虐げられた農民たちの暮らしを、
その苦しみだけでなく忍耐力などその強さをもふくめ描きだし、また当時勃興し始めていた
ナロードニキ運動などをも共感を以て描きだした。
彼らの絵画は、ロシアの解放運動の発展に重要な役割を果たしたのである。

だが、そんな絵画史上の意義はともかく、私は、この絵の魅力に深くうたれて、その前で
しばし立ち止まってじっと見入っていたことを覚えている。
今も、理屈は抜きにして、この絵が好きだ。
この構図。この光と影の描写。この松(シベリアアカマツか?)の質感…

松など針葉樹の林には、独特の香気が充ちている。私は針葉樹の香りが
大好きなのだが、そのすがすがしい香りさえ、絵の中から立ち上ってきそうだ…。

なぜこの絵にそんなに惹かれたか…
それは一つには、私が、九州の高原の村で生まれた『山の娘』であったこと。
4歳のときには街に出たので、実際は農作業、山の仕事なども知らずに育ちは
したのだが、私の体の中にはやはり、山の娘としての血が流れていて、それが
この絵に知らぬうちに呼応したのだろうと思っている。
私は実は、娘時代、出来るものなら、画を勉強したいなあ…とひそかに思っていた…
だが、家庭はそうした事情を許さないとわかっていたので、夢は夢として封印してしまった…
だが。もし。もしも、私が絵をやっていたなら、こういう絵を描いていたであろうという、
これはそういう絵であったのである。
むろん、こんな見事な絵は描けない。しかし、この画題。この構図。この色遣い…
それはまさに、私が描きたかった絵として、19歳の私の前に現実に現れた
のであったのである…。


初めてこの絵を見たそのときからちょうど50年たった…。
69歳の今、私がこの絵を見ると、50年の間に蓄積したさまざまなことが、胸に去来する。
山の仙人のように故郷の林や川やを知り尽くし、そこで一人で生き一人で死んだ父のこと…
19歳の私を、国立西洋美術館などに案内して本物の芸術を見せてくれ、また別な時、
当時神田にあったロシア料理の店『バラライカ』にも連れて行ってくれた夫は、
今、人生の晩年期を迎え日々体が弱って行っている…


いろんな素晴らしい絵画があるけれど、このシーシキンの『陽を浴びる松』は、
わたしがほんとうに最も好きな絵の一枚だ。
冒頭の、イヴァン・クラムスコイの描いたシーシキンの肖像画も、なんと巧みで、
シーシキンそのひとのひととなりというか佇まいが見事に描き表されていることだろう。
私は、いい肖像画、人物画、というものもとても好きだ。
とりわけ、その対象の精神性までもを鋭く切り取ったような人物画が。




ヴォルガの船曳

イリヤ・レーピン 『ヴォルガの舟曳き』(1870年 - 1873年) ロシア美術館




ああ…
せっかく、静かな気分になっていたのに、安倍首相が『共謀罪』のことも考えている、
というニュース見出しを今、ちらっと見て、たちまち醜い現実に引き戻されてしまった!





『新春のご挨拶 ’17』




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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
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