『民進党解体に思うこと』


やれやれ。びっくりだ。
民進党の離党組またその予備軍が『希望』の党に合流するだろうことはわかっていたが、
まさか党の代表自身が、自らの党を事実上解体してしまうとは。
いろいろな人が論評しているが、私の感覚としては、自民党の重鎮で元衆院議長の
伊吹文明氏の以下の言葉が一番ぴったりくる。

『民進党は、一度は日本の政権を担った。衰えたとはいえ、厳然たる野党第1党。
かつては日本一の会社だった。今、人気という運転資金が無くなってきて、慌てて
本社もない(希望の党という)バブル企業に資金繰りを頼んでいるということでしょう。
10人程度の議員しかいない新興バブル会社が、合弁の条件にいろんなことを言って、
一緒になったらお前は新しい会社で雇用してやるが、お前は雇用してやらないと。
そんな交渉を、おめおめと引き受けるというのはリーダーとしてどうかと思いますよ。
リーダーである限りは、やっぱり自分が責任を持っている議員、党、組織、
立候補予定者を、最後まで身の振り方を全てきちっと仕上げた上で、自分のことを
最後に考えるのがリーダーの当たり前の姿勢。
かつて日本一の政権をとった政党をたたき売って、たかだか10人くらいのバブル企業に、
身売りをするのは、ちょっとわからないですね。』


ほんとうにそうだ。
昨日の驚きと呆然からすこし気持ちを立て直して、冷静になって一日考えてみたが、
どんなに考えても、民進党前原氏の説明では、民進党議員たちにとってのメリットが
あるのかどうか、あるとすればそれはなんなのか、が、私にはどうしてもわからない。
前原氏は、『名を捨てて実を取る』という。
だが、民進党に残された『実』などあるのだろうか???




ちょっと順序立てて考えていってみよう。

確かに、民進党は、その内部のごたごたやもろもろの自分たち自身の引き起こした
要因で、国民の信頼を激しく失い、目も当てられないほどの尻すぼみの状態であった。
今度の衆院選でも、何もしなければ、さらに議席を減らしていたであろう。
だが。その流れを食い止めるためと、安倍政権を引きずり下ろすため、という
名目がいくら切実であろうとも、自ら空中分解して、あろう事か、安倍政権よりもっと
極右的な、そして中身など何もない『希望』の党とやらに、母屋を明け渡してしまうとは!
言ってみれば、民進党の参院議員、地方議員、そしてサポーターなども含めて、
これらをすべて、小池新党なる玉虫色の新興政党に差し出したも同然なのだが?

民進党の失った国民の信頼や人気を、小池氏の人気に便乗して取り戻す。
民進党支持の8%に、小池新党の支持率12%かそこらを上積みして、両者が
合体して国民の民意の受け皿になるとなれば、さらに支持率は上積みされて、
旧民進党議員の落選は避けられ、あわよくば安倍政権を倒してふたたび政権奪還
することも可能になるかも知れない・・・

前原氏はそんなことでも考えてこのたびの大博打を打ったのか?
そんな、捕らぬ狸の皮算用、みたいなことを、衆参両院の議員を前にして、
語ったのであったろうか?記者を閉め出してのちの会の様子はわからないので
知りようもないのだが。

だが。そんな期待、計算など、机上の空論に過ぎない。
国民も馬鹿ではない。
国民の多くが安倍政権のやり口にどれほどうんざりしているか知れないが、一方で、
このたびの民進党の『希望』への合流を、それも、伊吹氏の言うように、まさに
『身売り』という言葉がぴったりするようなプライドもかなぐり捨てた態度で
小池氏の一党に頭を下げて合流させてもらおうとする態度を、国民はしっかり
醒めた目で見つめている・・・。
そんな卑屈な元民進党議員たちを、国民は再び国会に送り出そうとするだろうか??!!
民進党単独で戦っていても、このたびのようにプライドも何もかなぐり捨てて、卑屈に
『安保法制と改憲に賛成かどうか』という踏み絵を踏んで(なんと情けない!)『希望』に
入れてもらっても、どうせそんな情けない議員は落ちる。
それならば、飽くまでも『民進党』として、正々堂々と戦って散っていった方が、国民の
精神衛生のためにもどれほどよかったことか。><

私がわからないのは、前原氏が表向き聞こえてくるような理由だけで、仮に自党の
議員たちにこのたびの党解体と『希望』への合流を両院議員総会説明していたとして、
他の議員たちがそれを『理解』『了承』し、満場一致で拍手で散会したという、そのこと
である!
私には、いくら考えても、その理屈がわからない。
安倍政権をなんとしてでも倒すという大義。それはまあわかる。私も同じだ。
しかし、そのために協力を仰いだのが、安倍政権よりももっと悪質な極右政党、自民党
よりもっともっと定見と節操のない空疎な政党である、ということが、まず理解できない
のである。
しかもそれを、民進党内にもわずかにまだ残っているだろう、まあ『リベラル』と
目される議員たちまでもが、なんの抵抗もなく受け入れた、ということが!

私は、先走りすまいと思って、昨日一日、民進党関連の動きのニュースに注目していた。
とりわけ、午後からの両院議員総会などの様子、そして個々の議員などが発する声を
気をつけて見ていた・・・・
相当に、とまでは行かずとも、両院議員総会では、かなりの反対意見や疑問が
執行部に呈されるだろうと思っていたからである。大揉めするかも、と。
しかし。
あの民進党議員たちのなごやかぶりはいったい何だ??? 緊張した顔をしていたのは
さすがに総責任者たる前原氏のみで、枝野氏などまでが、にこやかに執行部の席で
前原氏に声をかけていたりした。
まあ、テレビでは全員の顔が、ずっと映されているわけではないので、私のように
『悲憤慷慨』して握り拳を固めていた議員ももしかしたらいたのかも知れない・・・。
だが、それにしても、全員一致で、前原執行部の方針を了承、今後のことも一任
したという。伝え聞くところによってもたいした波乱も混乱もなかった、ということは、
まあ、これが民進党議員の総意、といってもいいのであろう・・・

しかし。国民はそれで納得すると思うか?????!!!!!
とりわけ、なんとか、この戦後最悪と言っていい安倍政権を倒すために、民進党
共産党、社民党、自由党などの野党共闘を実現しようと努力し、先の参院選でも
地方選でも一定の成果を上げてきた、名も無き市民連合の人々・・・そして
そこに投票した一般の選挙民の気持ちはどうなのか。彼らは、今度の選挙戦でも
すでに4党共闘のための準備に入り、動き出していたのである。
そのことを前原など執行部は、ちらとでも考えてみたのだろうか。
その他の議員たちも、その市民の想いを想像してみたのだろうか?

私は、何度も書くけれど、これまでも民進党には投票したことがないか、一回くらいは
したかどうかというくらいの、半世紀にわたる社共支持層である。
だが。安倍政権だけはなんとしても一刻も早く倒したい。その一念で、これまでも
『市民連合』に正式に加わってはいないものの、周辺から民進党をも応援してきた者である。
昨年の参院選でも、地元の民進党候補の応援に駆けつけた。(共産党も応援したけど。)
民進党のベテランO氏。民進党内部の事情は詳しくは知らないが、その言動など見て
『リベラル』と言われる会派?に属する人であろう。そのもうすこし高齢の候補は、
選挙予測で危ないのではないか、と言われていた・・・
運動員の腕章を借りてビラ配りを手伝いながら、ずっと私はその選挙運動で真っ黒に
日焼けした顔を遠くから見ていたのだが、なんと寂しそうな顔をしているんだ!と
思ったものだ・・・知的な顔でもあって、長年の政治活動にも汚れていない感じがした・・・

・・・そのひとも、このたびの『民進党解体』を、唯々諾々と受け入れたのであったろうか??
民進党には、数少ないかも知れないが、今の自民党議員などよりは、そうして言っては悪いが
政治家としては 『残滓』の寄せ集めのような、政党渉り歩きの『吹きだまり』のような
小池新党なるものに今いる議員などよりは、少しはましな誠実な議員もいたはずである。
それらが皆、前原氏の意向に心から賛成し了承したのであったろうか???

・・・それならば、もう私などは何も言うことはない・・・




『名を捨てて実を取る』。
政治など決して綺麗事ではないのはわかっている。常にどろどろの世界なのであろう。
だが。それでも、『名』を棄ててしまってはお終いだろう。
『名』というのは、単に民主党とか民進党とかそういう名のことでは無論ないぞ。
『政党としての矜持』である!
少なくとも、国民の信託を受けて一国の政治に携わる・・・そのことへの責任感と
誇り、そして畏れ、でもある・・・
その矜持のない政党などに、『実』など望めようか?



・・・わからない・・・
前原氏の選択には、説明には、全く納得がいかない。
安倍政権を倒すために、もっと極右的な小池氏らと組む???
はあ~っ?????!!!!! なんですかそれは!!!
いくら説明してもらっても、わかりません!



           ***


となると。
前原氏の一見悲壮な顔など作り物。
前原氏らの今回の動きは、何も理解しがたい不思議な動きでも何でもなく、
前原氏ら民進党内の親極右的勢力、安倍政権と何もその思想性において変わらない勢力が、
ついに、民進党解体に踏み切った・・・そして民進党から、邪魔なリベラル勢力を
追い出すことに成功しつつある・・・と見るのが、わかりやすいこのたびの動き、なのでは
なかろうか。

それにしてもわからないのは、それらリベラルと目される人々のふがいのなさ、
である・・・
これも、そう言われる人々は実はリベラルでも何でもなかった、と考えると
ぴたっとすべては理解がつく。
話は違うが、自民党の谷垣禎一氏や河野太郎氏などが、『みなさんはそうおっしゃるが、
私はリベラルでもなんでもありません』と、『リベラル』というレッテルを貼られることを恐れ、
枝野氏もまた民進党内リベラルの中心人物と目されながら、これまで一度も
思い切った行動に出ないことも理解がつくのである。

『リベラル』と言われることが、『アカ』と呼ばれることと同じ汚名ででもあるかのような
ものの見方が、この国では根深くある。
『市民運動家』などというものに対する謂われなき偏見と漠然とした怖れも
同じ心性だろう・・・



そう考えるのは、あまりにも寂しいが・・・・・・
これで、私も、『民進党よ、さようなら』と、決定的に言うことになるのだろうか。

前原氏らの決断に、私のような政治素人など想像もつかないような深謀遠慮が
実はある、と(ないない!苦笑)、民進党内にまだ、気概ある政治家はいると、
信じたいのだが。

ふ~ぅ・・・・・・・・・・・・





この続き、当然のことながら、あります。














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『ちーがーうーでしょーっ!』



何もかもが間違っている。
もう、あきれ果てて、憤怒のこぶし握りしめて立ち尽くしているしかない。
これほどの政治劣化を、国民は黙って許していていいのか!

『もりかけ隠蔽』 解散!ちーがーうでしょーっ!
小池新党が民意の受け皿? ちーがーうーでしょーっ!
小池氏が脱原発!?嘘でしょーっ!
民進党が『希望』の党に合流!ばっかじゃないの!

なにもかも。ちーがーうーでしょーっ!




続きは、頭を冷やし情報が今少しはっきりしてから、今夜書く。




『こんなところへ行っていた ’17』


娘やお婿さんのお陰で、ここ数年は毎年、何かしら年に一回は旅をさせてもらっている。
だが、昨年、つれあいがいよいよベッドに寝ている状態になって、今年からはもう、
彼をひとり残して旅に出るのは無理になるだろうな、と思っていた・・・

しかし、ありがたいもので、介護制度に、『ショートステイ』というしくみがあることを知った。
昨年まで私たちはそういった支援を何も受けないで頑張ってきたけれど、今年ケアマネージャー
さんなどのお世話を受けることになって、いろいろな支援の仕組みを教えてもらったのである。

それでも、当人がそうした施設に行くのが嫌だといえば無理強いは出来ないけれど、
彼は『行ってみる』という。今、週に2回受けているリハビリ中心のデイケアも楽しいので
宿泊型の介護施設にも一度は行っておいてみようかなと思ったらしく。
まあ、とはいえ、何より、私を旅させてやろうという思いやりからそう言ってくれている
のだろうけれど。

で。9月某日。私、またひとり旅に出た。
朝9時半、介護施設のひとが迎えに来てくれて彼を送り出してから電車に乗り東京駅へ。
北陸新幹線に乗り換えて。
一昨年群馬までは行ったけれど、日本海へ、それも糸魚川の方から回っていくのは
実に半世紀ぶりだ・・・・・・。
昔、まだ私が20歳そこそこの若さだったころ、つれあいと立山に登って、そこから
日本海に出て、能登半島の輪島まで行ったことがあった、それ以来だ・・・・・・
あれから50年かあ・・・

糸魚川までは新幹線が明らかに横腹に西日を受けて走っていたのだったが、つまり
日本列島を横断しているとわかるのだが、糸魚川を過ぎると、西日の方向へ・・・
海から少し離れたところを西日と平行に走って行っていく。
東京駅からどこあたりまでだったろう・・・ほぼすべての座席が埋まっていたのだが、
長野?あたりからだったか、急激に乗客が少なくなって行って、私は、海側の方の
座席に移動して、時折遠くに見える日本海を求めてじっと窓の外を見ていた・・・・・・

向かったのはこの街。
金沢だ。



CIMG7616.jpg


まずはホテルにチェックインして荷物を置いて、すぐに市内巡りのバスに乗る。
金沢の街は、あちこちに観光スポットがあって、そのためにかバス路線が非常に細かに
張り巡らされていてとても便利だ。行き交うバスの多いこと!

しかし、金沢に着いたのがすでに3時半過ぎ。ホテルに荷物を置いたりしていてバスに
乗れたのは、もう4時近くになっていた・・・

金沢といえば、まず兼六園を見なくちゃね。


CIMG7602.jpg


桂坂口から入って眺望台まで来た。
その時点ですでにへとへと。
実は、旅に出るまでが結構忙しかった。
つれあいのショートステイの準備。持ち物が決められていて、持っていくものすべてに
名前を記入したりする作業がある。家を空けるのであれば、帰ってきたとき気持ちがいいように
あちこち家中の掃除もゴミ出しもしておかなければならない。自分の旅の支度もある・・・
疲れから、おなかの調子も悪くしていて、出発当日は朝からほとんど何も食べていなかったのだ。
いつもは旅にでると、新幹線に乗る前の東京駅で好きなお弁当とお茶を購入して、外の景色を
見ながらお弁当をつかうのが楽しみの一つなのだけれど、今回はその元気も無し。
何もお腹に入れていないと、広い園内を回れないぞ、と思って、入り口近くのお茶屋さんで、
お団子買って、それを二口ばかり食べただけだったから・・・。

ここで、水分だけでもちょっと摂っておこう・・・



CIMG7601.jpg


歩き始めてちょっとしたら、人がやけにたくさんいて写真を撮っている場所がある。
私。混み合ったところが苦手なので、そこを素通りして、しばらく先まで歩いてから地図を
見たら、そこが兼六園の有名な写真スポット『徽軫灯籠(ことじとうろう)』の箇所なのだった。
う~ん・・・仕方ない。一応戻ってちゃんと見ておくか。(苦笑)




CIMG7607.jpg


『徽軫灯籠(ことじとうろう)』.




CIMG7604.jpg



霞ケ池と内橋亭の眺め。





CIMG7603.jpg



見事な松。



CIMG7605.jpg



みんなが写真を撮る名物スポットも確かにいいけれど、あたしは、こういうところがいいなあ・・・
さすがに日本三大名園の一つ。その作庭は隅々まで手入れは行き届いていて、とりわけ
美しく刈り整えられた芝生の気持ちよさそうなことったら!




CIMG7608.jpg



こういう風景が、あたしは好きだよぅ。






CIMG7610_201709191758414d7.jpg



瓢池。



デジカメの記録で見ると、ここまでですでに時刻は5時間近。
9月に入って急速に日暮れの時刻は早くなって、すでに西日がかなり傾いている。
金沢の他の場所を見るなら、急がねば。




CIMG7612.jpg



金沢は古都。そして北陸随一の大都市。
歴史ある建造物と、超近代的な建造物が一つの街の中に共存している。
バスの中からも、いくつも、『あっ!いいな!』と思うような建物がたくさんあった。
これは兼六園から武家屋敷町の方へ歩いているとき見つけた、旧石川県庁舎本館、
通称『しいのき迎賓館』。竣工、大正13年(1924年)。設計は、国会議事堂建築の
直接的責任者であった矢橋賢吉。
『しいのき迎賓館』の愛称は、建物正面のこの二本の『椎の木』から来ている。
推定樹齢300年という見事な古木たちだ。




CIMG7613.jpg



続いて目にしたすてきな建物が、この『石川四高記念館』。
明治22年着工。同24年(1891年)に完成した旧第四高等中学校本館である。
明治27年、第四高等学校と改称、昭和25年3月学制改革により閉校。
隣は石川近代文学館となっていて、私は、建物の中も見学したかったのだけれど、
いかんせん、時間がもう閉館時間5時を過ぎている・・・。

ああ・・・時間がたっぷりあったらなあ・・・・・・
日本近代建築の好きな私。金沢中のそうした由緒ある建造物を見て回りたい。



CIMG7615.jpg



金沢には、ほんとうに見るべき場所がたくさんあって、わずか一日の滞在、それも
つれあいをショートステイに送り出してからの出発で、正味数時間しかない滞在では、
とてもその全部は見て回れない。兼六園も駆け足で回って、あとは的を絞って、武家屋敷
と香林坊界隈を見ることにした。


・・・趣ある武家屋敷のたたずまい。
しかし、ここでも時間が・・・!
見たかった資料館やお店は、ことごとくもう閉まってしまっていた!
その上、水曜日が休み、というところが多く、そもそも仮に時間があっても無理だった。
それらは皆、ガイドブックで事前に承知はしていたのだけれど、やはり残念だ。
武家屋敷はすてきなのだったが、これらも皆、時間のこともあって固く門を閉ざしてしまっていて、
歩き疲れた旅人・・・余所者には、少しばかり心寂しいものがあった。

だがまあ。この寂しさも旅情のうち、なのであろう・・・・・・。





              ***


金沢の夕暮れから夜。
女ひとりでは出歩いても寂しい。
香林坊のお店なども一応見ては回ったけれど、なかなか女ひとりでふらりと気軽に入れるような
店はなく。ガイドブックであらかじめここで食べようか、と心づもりにしていた店の前まで
行ってはみたけれど、来てみればあまり入りたくもなくなって、また香林坊を闇雲に
歩いて疲れ果てた・・・。

食事をしてからそれからまたバスやタクシーに乗って宿に帰るのは嫌だなあ・・・
食事をしたら、そのまま、バタンとベッドに転がりたい。
で。駅までバスで戻って、結局駅ビルの中の加賀料理を気軽に食べさせてくれるお店で
新幹線一周年記念メニューという『かがやき』という御膳を食べたのだった。w
そうかあ!「あら。かがやきって、乗る予定の新幹線と偶然同じ名前だわ」などと思ったが、
一周年記念メニューだったのか!
朝からほとんど何も食べていないで歩き回って疲れ切った体に、『治部煮』が優しかった・・・
小鉢のようなものから、定番のお刺身、天ぷらは無論、二段になったお重の引き出しには
いろいろな前菜類が綺麗に入っていて、見て楽しく、食べて優しいお料理だった。

ホテルも駅ビルの中というのがすごくありがたかったなあ・・・
眺望は最悪だってけど、何しろ無駄に移動で疲れないという点で大正解だった。
そのまま直行して、文字通りベッドに倒れ込んだ・・・・・・









『婆娑羅な衣装』



二泊三日の旅に出ていた。
旅に出る前に作っていたもの。

急遽、『作って欲しい、作れるか?』と問われて、性分として『出来ない』とは言えない。
衣装一式揃えて渡すまでの日数は4日しかない。
電話のあったその夜の内に大急ぎ、押し入れをひっくり返して、使えそうな着物を探す。




懸帯 ①




一つは、大相撲の関取さんの『化粧まわし』のようなものだ。

海辺の祭のこととて、大胆な海老の柄の名古屋帯をほどいて作った。
下部の方の縄模様?を描くための金色のブレードや裾のフリンジは、決まった様式がある。
それに適した材料を求めて近くの大きな手芸材料店2軒に行ってみたが、こんな金色の
長いフリンジなど特殊すぎて当然置いていない。
そもそももういろいろなものを手作りする人が少なくなって、手芸材料店そのものが、
ご多分に漏れず、もう売れ筋のものしかなかなか置かなくなってしまっているのである。
町の本屋が売れ筋のものしか置かなくなっているのと同じだ。
訪ねた2店も、『フリンジ』そのものを置いていなかったり、種類がほんとになかったりした。
新宿あたりまで買いに出れば、ぴったりの材料があるかも知れないが、日数がないので
その暇はもうない。

仕方ないので、フリンジもブレードも自分で作ることにした。
フリンジは、金色の、リリアン編みの糸くらいの太さの糸を買ってきて、それを撚って
100本ほどの縄にして縫い付けた。大きな縄模様を描くためのブレードは、鮮やかな
黄色の夏糸を買って、細編み3段で編んで作って縫い付けた。
回しの裏は、緋色の厚手の木綿布だ。







懸帯 ③



次は、衣装の長襦袢だ。
祭りの際に、男たちは、上の化粧回しをつけたその上に、長着を羽織って出るのだという。
元々は、女の長襦袢を羽織っていたものらしい。
『子供の着物のような派手な柄がいい』という希望なので、家にあった、本身裁ちの
少女用着物を半ばほどいて、身幅や裄を広げ袖を短くし、襟も襦袢仕立てに縫い直した。
長襦袢の掛け衿は、ほんとうは黒繻子かなにからしいが、もう徹底して遊び心で
松竹梅や鶴の柄の婚礼用黒振り袖の端布を縫い付けた。

化粧まわしの残りで角帯を一本。
当日の男たちの正式の着付けは、裸の腹にさらしを巻いたその上に化粧まわし(懸帯)を
つけ、長襦袢を羽織って、角帯を締める。その上にさらに、七五三の時に七歳の少女が
帯の上から重ねてするような派手な『しごき』を巻くのが、どうやら決まりらしい。
『らしい』というのは、私はその祭のことはほとんど何も知らず、ネットで得られた写真から
すべてはこういうものらしい、と推測して作るしかないわけで。
『しごき』も、家にあった着物の端布で3種類作っておいた。





懸帯 ④



で。
大変に婆娑羅な祭り衣装のできあがり。
地元の人に『様式にかなっている』と褒められたようで、まずはよかったよかった・・・



ふ~ぅ・・・・・・
溜息ばかりのこの頃だが、こうやって、無心に手を動かしているときだけが
精神的に落ち着いていられる・・・

台風18号が心配だ・・・。











『キャンドル・ナイト 78』






78回目のキャンドル・ナイト。


キャンドル・ナイト 78


前回のガラスビーズに引き続き、飴玉みたいな色合いのポットにろうそくを入れてみた。
どちらも百均の商品だけれど、赤、濃桃、青の三色の組み合わせには、子供の頃の
記憶を呼び覚ますような懐かしさをいつも感じる。
この三色に、緑、黄色、を加えたら、懐かしさ究極の原色の組み合わせだ。
着るものの色の組み合わせとしては考えられない悪趣味の色だろうけれど、
富山の薬売りの叔父さんのくれる紙風船の色合い、夏の子供浴衣の色柄、ブリキの金魚、
駄菓子のジェリービーンズ、そして七夕飾りの中にあったあの蛇腹のようにくるんと開く飾り・・・
あれはなんという名前のものだろう・・・
そんなものたちで意識せず親しんできた色の組み合わせだ・・・

長い年月、親しく目にしていながら、その正式名称を知らずに来たものたちがあるものだ・・・
私にとっては、包装の緩衝材として入れるあのセロファンを細かく刻んだものの正式名称が
なんというのかは、子供時代から知りたいと思い続けた長年の疑問であった。
それが『セロパッキン』と業界で呼ばれていることは、ようやくつい最近知ったことだ。
それから、その、バナナみたいな味と香りの駄菓子・・・・『ジェリービーンズ』・・
それもなかなかその名前が思い出せないままに来たものの一つだった。
今ちょっと調べてみたら、ジェリービーンズは、『ソラマメ』の形を模したものだという。
バナナじゃなかったのかぁ…そりゃそうだ、『beans』だものなあ。

さて。あの七夕飾りにもあった蛇腹のように開いたり閉じたり出来るおもちゃは
なんというものなのか?
・・・今、思いたって調べてみたら、『ハニカムペーパー』というものだそうだ・・・開くと蜂の巣の
構造になっているからか。なるほど。でも、私が子供の頃から、いやもっともっと昔から
あったものだ。その頃からハニカムペーパーなどと呼ばれていたとは思えない。
和名でなんというのだろう・・・・・・
『でんぐり』というのだそうだ。なるほど。くるんと前転などすることをでんぐり返りする、
などというものなあ。


それほど高価なものではないのだけれど、子供にはなかなか手に入れるのがなぜか
困難なものがある・・・私にとっては、この『でんぐり』がそうであったし、お盆の綺麗な
『落雁菓子』が未だにそうである。
無論高価で手の届かぬものもある・・・富山など北陸の『細工かまぼこ』がそうである・・・
そうそう。『つまみ細工のかんざし』も、子供の頃の私にとっては、手に入れられぬ憧れの
ものだったなあ・・・
これらのものは、ほとんど皆、なにがしかの祭礼などと関係があって、いわば日常で
手に入れてはいけないある種の『禁忌』を含んだものたちだったから。
お盆の落雁菓子は仏様に供えるものだし、祝いかまぼこは、そういう風習のある土地
の結婚式にでも出なければ、食べられるものではない。『でんぐり』も『つまみ細工の
かんざし』も、七夕や秋の祭礼、七五三、正月などというように、ある季節に限られたもの
であって、その時期を過ぎれば、またその該当する年齢を過ぎてしまえば、もう手にしてはならぬ・・・
そういった暗黙の約束事を含んだものたちである・・・。

というわけで、ジェリービーンズ以外は、私にはすでに縁遠い、生涯縁のなかった品物で
あるわけだけれども、(ジェリービーンズも弱った歯にはもう食べられず、落雁菓子も
私が亡くなったら、娘に頼んでおいて仏前にお供えしてもらおう・・・とほほ・・・)こうした
あこがれの品物があると言うことはあったと言うことは、まあ『寂幸せ』とでもいうような
ものかなと思っている・・・。



ふ~ぅ・・・・
と。キャンドル・ナイトの本来の趣旨とは関係ないことを長々と書いてきたけれど。
こう・・・怒りの向け場がなくなってしまっている感じなのである。


願わぬ方向へばかり世界が転がり進んでいく・・・・・・






南亭さんバナー②




心ひとつに キャンドルナイト








葉っぱさん、れんげちゃん。NANTEIさん。
今月もバナーお借りします。
 








プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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