『余情というもの 其の一』  「愛しき(かなしき)もの」その三 


『余情』・・・・・詩歌・文章などのあとに残る趣。余韻。


人が人をどれだけ大切に思っているか。
それはその別れ方に表れるものである。

また、人に限らず、ものに対しても、その物を大切に思うならば、
それに対し思い入れのない場合とは別れ方がおのずと、違ってくるだろう。

例えば、映画。
映画館に見に行ってでも、テレビで見る場合にでも、本編が終わってすぐに
そそくさと席を立つ人は、その映画に対し大して感動もしなかったのであろう。
映画の余韻を楽しむよりは、皆がトイレに殺到して混む前に行っておきたい、とか、
帰りの電車の時間の方が気になるとか、
別の番組にもう心が移っている、とかいうことなのだろう。
その映画に深く感動しているならば、エンドロールまでを、席に着いたまま
静かに味わいつくそうとするはずである。そうせずにいられない筈である。

また、男女のいわゆる『後朝(きぬぎぬ)の別れ』ならぬ、
愛の行為の後でも、どちらか片方が、そそくさと立ち上がり服を着始めるとか、
もっとひどい場合には、ざあざあと体をシャワーで洗い流し始めるとかした場合には、
その人は、相手をさほど愛していない、ということが言えまいか。

いきなり、色っぽい話題になってしまったが、
私は、一体に、別に忙しいわけでもないのに先を急ぐ人というのが嫌いである。
例えば、人と話している時に、こちらの話の腰を折るように、
「それで?」とか「で、何なの」とか、「だから何が言いたいわけ」
などという言い方をする人がいたら、もうその人とは話をする気をなくしてしまう。
これを読んで、「そんなこと普通言わないでしょ。」と笑っている方も、
もしかしたら、自分の兄弟や、自分の妻や自分の子供などに対しては
こういう言い方をしていはしないだろうか。

子供が一所懸命、その日あったことをつたない言葉で親に話そうとしている。
最初はちゃんと聞いていた親も、そこで下の子がタイミング悪く
ミルクをこぼしでもしようものなら、上の子の話をさえぎって、
「(下の子に)ん、もう、・・・ちゃん!気をつけなさい!
(上の子に)え、なに?何が言いたいの。サッサと話しちゃいなさい。
今忙しいんだから!」
などと言ってしまうことはないだろうか。

もし、あなたの恋人が、あなたにこういう言い方をするようになったら、
それは愛の終わりを意味していると思った方がいい(笑)。
逆に、あなたがいつか何気なく話したことを思いがけず覚えていてくれたり、
あなたの少々くどい話もしんぼう強く聴いてくれるようならば、
その人はあなたを大切に思ってくれていると思って間違いない。

同じような感覚で、私は、人の目の前で、ドアをガッシャ―ンと閉める人の
心も疑う。
これも結構そういう人は多いんですってば(笑)。

友人知人が訪ねてくる。
美味しいものを一緒に食べて、楽しく語らって、暇を告げる時間が来て、
玄関に出る。別れの挨拶を和やかにかわして、外に出る。
と、まだ訪問者がそこを立ち去ってもいないのに、ドアをガッシャ―ンと
音たてて閉め、その上、鍵までガチャンとかける人。
これが結構多いのである。

さっきまでの親しさはいったい何だったの、と思うような素っ気なさ。
こういう余情のなさを私は憎む。

おかしいと言われるかもしれないが、私は友人知人は勿論のこと、
新聞の集金、郵便局の人、セールスの人々に対しても、
その目の前でドアを閉めたり、まだその人たちが門を出ていかぬうちに
鍵をガチャンとかけたりすることは絶対にしないようにしている。
それは不用心だよ、と言われるかもしれないが、
それは、人に対する礼儀であって、友人知人であるか否かは
関係ないのではないかと思っている。

不思議なことに、映画館ですぐ席を立つ人。人の話の腰を折る人。
人の目の前で音たててドアを閉め施錠までする人。・・・・・・・
そういう人はそのすべてをやってしまう人なのではなかろうか。
つまり、『余情』という感情に鈍感な人なのではなかろうか。

しかしこれが、男女を問わず、意外に多いのである。
どんなに美しい顔をしていても、私はそういう人に恋しない。
逆にどんな見かけをしていようと、そういう微妙な感情を大切にしてくれる人には
男女を問わず、魅かれてしまう。

そういう人はきっと、ものを大事にし、人を大事にし、
愛撫する手も優しい人なのではなかろうかと思う。

その人の心映えは、微妙なところに現れる。
ものを取り上げる時の用心深さ、ものを置く時の音。
そういった仕草の優しい人は、『余情の美』を知る人であろう。

今、世の中から、こういう『余情』というものがだんだん失せて行って、
人々がガツンガツンと、生で角をぶつけ合うことが多くなっていはしまいか。
あるいはそうされることを避けて、最初から話を聞いてもらえうことを期待しない、
別れを惜しまれることも期待しない、自分もそういう余韻を味わうことを
忘れている、というようなことが多くなっていっているのではなかろうか。
寂しいことである。

どうせ一度しか生きられない人生ならば、滴るような情感の中で生きてみたいと
人にも自分にも願う私である。
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テーマ : 思うこと
ジャンル : 学問・文化・芸術

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No title

余情・・・大切にしたいです。

部屋の中からドアの鍵をかける音が聞こえるときは寂しいし
電話でさようならを言ってすぐ、ガシャっと切る音が聞こえてくるのは恐怖です。大切な何かが壊れてしまった音のようで。

余情のなかで人生の最期を迎えられたら幸せでしょうね

No title

はじめまして、れんげです。(プっ)
コメント欄あるけど、ここでいいのかなぁ~?
愛を語る彼岸花!? 面白くなりそ~!!
まぁ、お茶でも出しとくれ(笑)、これなら読めそうだ。アハ♪
あ!コメントの返事は気にしないでいいよ。また来るね。
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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