『・・・まいっちゃったこと』

いきなり、『まいっちゃったこと』?
何のことやら。
「・・・いったい、何にまいっちゃったんですかね」・・・そうお思いになるでしょう?^^
いつも、原発関連のことばかり書いているので、ちょっと骨休めの記事を、
ということで。^^
わたしの話はいつも前置きも本文も長いんですが、まず前置きから聞いてください。

今日、ある方のところで、小熊英二さんのお名前をふと見た。

小熊英二。
1962年生まれ。社会学者、慶應義塾大学教授。専攻は歴史社会学・相関社会科学。
1996年 - 『単一民族神話の起源――<日本人>の自画像の系譜』でサントリー学芸賞社会・風俗部門。
その後も、『<民主>と<愛国>――戦後日本ナショナリズムと公共性』で
     第57回毎日出版文化賞第2部門。
     『<民主>と<愛国>』で第3回大佛次郎論壇賞。
     『1968』で角川財団学芸賞受賞。

膨大な文献を渉猟し、ナショナリズム、民主主義を中心に政治思想とその歴史を論じている。
東日本大震災後は、反原発運動のアジテーターとして知られており、2012年8月22日、
野田佳彦首相と反原発市民団体「首都圏反原発連合」の代表者11人(小熊英二を含む。
ただし小熊は「首都圏反原発連合」のメンバーではない)との首相官邸における
面会を、菅直人前首相とのパイプを使って実現させた政治力を持つ。(以上Wikipedeaより)


私は、小熊英二の名前は、脱原発のデモに参加するようになってから知って、
それから、ちょくちょく耳にするようになって、いったいどういう人なんだろうと
思っていた。実はその年齢さえ知らなかった。
昨年の6.11の新宿デモの時、演壇でスピーチをするのを遠くから聞いた記憶は
あるのだが、まわりが騒がしくてよく聞こえなかったし。
Wikiを今日、調べていて、『1968』というその著書は、全共闘運動を
詳細に記述・分析した大著である、ということを知った。
1962年生まれということは今50歳。全共闘運動を知っている世代では無論ない。
全共闘運動に批判的だった、いわゆる『しらけ世代』にぎりぎり属するかな・・・
それなのにどうして、全共闘運動のことを?と興味をひかれたのである。
そして顔が見たくなった。で、画像検索してみた・・・

http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=top_ga1_sa&p=%E5%B0%8F%E7%86%8A%E8%8B%B1%E4%BA%8C

ああ!このひとか!このひとの顔なら知っている…
ここで私は、ちょっと笑ってしまった…
だって。だって、あまりにも、全共闘運動活発なりしころの学生たちの髪型や
ファッションをしているんだもの!
一応ことわっておくが、可笑しかったから笑ってしまったのではない。
その時代を生きた女子学生として、同時代に生きた男たちの姿を見た気がして、
懐かしさについ笑ってしまったのである。

Wikiをさらに続けて読んでいくと、
『単一民族神話の起源』『<日本人>の境界』においては、
「日本=単一民族」説が戦後になって唱えられたものであり、植民地を保有していた
戦前日本においては、「複数民族が共有する日本」が思想的に提唱されていたと主張した。


というところに興味を惹かれた。
『単一民族神話の起源』。最近考えているテーマに関連しているから、一度読んでみようかな…
それでさらに検索を続けていくと、『松岡正剛の千夜千冊』というサイトに
辿りついた。
これは編集者、著述家、日本文化研究者で編集工学を提唱した松岡正剛氏が、
自分の読んだ本千冊について語るというコラム。無論千冊で収まるわけもなく、
今も続いて千五百冊にも達しているのだが。
私は、これどんな本かな、と思う時、このページを時々覗いてみることがある。

話はまた逸れるが、松岡正剛氏と言えば、東京駅丸の内北口を出てすぐのところに
OaZO という複合商業施設がある。そこの中の丸善書店4階の一隅に『松丸本舗』
という店がある。実はこれが松岡正剛氏がプロデュースした本屋。
普通の本屋のように例えば『哲学』『ビジネス』『歴史』などと分類してない。
松岡正剛氏の好みのままに、このひとの感覚で、この本とこの本は同じ棚に、
という選び方で本が配列してある。折々のテーマごとにさまざまなジャンルの本が
配置されているのが特徴。詩集のとなりに科学の本が、専門書もマンガも仲良く同居。

だから、初めて行くとすごく戸惑う。分類してないから、めざす本はすごく探しにくいのだ。
でも、本屋と言う先入感を捨てて、誰かの書斎をでも覗いているような気持で
ゆったり構えると、へえ~、こんなところにこんな本がという発見があってすごく
楽しくなる。
その折々の企画もあって、私が行ったある時は、レジカウンターの上の本棚に
『黄色い本』の特集コーナーがあった!漫画から画集から、文芸書から洋書まで、
とにかく表紙の黄色っぽい本がずらりと。それがすごくすてきで、
「ああ!お金があったら、これ、棚ごと買いたい!」と思ったものだ。


2008_0111_173154-CIMG3162.jpg
お店の人々も感じよく、「写真撮ってもいいですか?』と訊くと、快諾してくださったんだった…


娘と、あるいは一人で時々行って、ここで見つけた本を何冊か買って、丸善も覗いて、
それから5階の『つばめKITCHEN』で休んで、お互いに選んだ本を見せ合ったりして、
『つばめ風ハンブルグステーキ』を食べるのがお楽しみだったのにな。
そうそう。ここで必ず頼むのが、オードブルの『鰊の酢づけ つばめ風』。
新鮮な鰊のマリネはとても美味しいのだ。 

さて、話を元に戻して。
この『松岡正剛の千夜千冊』というコラムの、松岡正剛による
小熊英二著『単一民族神話の起源』の解題が、今回の私の記事のテーマである!
ありゃ~。これまでのは前置きかい!!!(爆)

まず、そのページをちらっと見てくださいね。そして、私の記事に戻って来てください。^^
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0774.html

長いでしょう。そして難しいです。
私も無論、小熊さんのこの本を読んでいないので、松岡さんによるこの本の紹介の
出だしのところを引用させていただこう。

『日本が単一民族の国だというふうになったのは、古いことではない。
古いどころか、日中戦争や太平洋戦争以前は日本は多民族国家として位置づけられていた。
大日本帝国の時代はむしろ日本は多民族国家・混合民族論を標榜したがった。
日本が日本を単一民族国家と見るようになったのは、戦後のことだったのだ。
 このような、ある意味では意外に思われそうな“結論”を指摘するために、
著者が本書でしてみせたことはまことに重厚で詳細をきわめた作業であった。
まだ40歳をこえたばかりの慶応大学の相関社会学の教授(東大農学部出身)。
「日本人の自画像の系譜」が副題だ。』


この小熊氏の本は、膨大な歴史資料を精細に読みこんで構築した
壮大な著作であるようだ。それを松岡氏は要領よくまとめて見せてくれる。
新井白石あたりから始まって小金井良精(森鴎外の義弟。鴎外の妹の夫である。
作家星新一の母方の祖父)、穂積八束・井上哲次郎、永井亨、物集高見、
…石原莞爾らへと続く国体論の系譜を見て、そこに徳富蘇峰・大隈重信、
岡倉天心、柳田国男、宮本常一などがさらに絡んでくるとなると、
それでなくても歴史が得意でない私などは、目がくらんでしまいそうになる。

さて。でも、私が『まいっちゃった』のは、この小熊英二さんの著作の
内容の膨大さ、スケールの大きさのことを言っているのではない。
すごく読みたいとは思うがまだ読んでないのだから。
私が『まいっちゃった』のは、松岡正剛氏が、この大部の本を紹介したのち、
最後に、本文より小さな文字で、『参考』としてつけ加えたこの一文に、である。

¶本書のではなく『民主と愛国』の「あとがき」に、著者は自分がこのような研究に
夢中になる理由を問われると、いつも「自分でもよくわかりません」と
答えてきたと書いたうえで、初めて父親のことに触れ、
日本兵として中国にいてシベリアに抑留された小熊謙二がはたして
“加害者”だったのかということを、さりげなく書いている。
 すでに本書を読み進めていたときから感じていたことであるが、
ぼくはこのような著者の研究のほうが、聞く者を圧倒する強烈な主張や
訳知りたちを唸らせるロジカルな思想地図をたちどころに披露できる連中の成果より、
ずっと重要なような気がしている。なぜならここには「織物」があるからだ。


私が『まいった』のは、この文の最後の一文である。
『なぜならここには「織物」があるからだ』

ああ!こんなすてきな誉め言葉がありますか?!

小熊謙二氏というのは、小熊英二氏の父。中国で日本兵として終戦を迎え、
シベリアに抑留される。その時の戦友が中国籍朝鮮族の呉雄根氏。
昭和63年、日本政府は抑留者に対し、10万円国債を公布した。
しかしこれは生きている日本人に限られ、同じ苦労をともにした外国籍兵(主に韓国人)
は不当にも除外された。
小熊謙二は戦友の呉に“一人の日本人としてお詫びの気持ち”の手紙とともに
半分の5万円を送金。
『戦前は日本人だからと徴兵し、戦後は日本人でないからと補償から外す、こんな
身勝手なことが許されるか』と来日した呉と共に、最高裁まで争った。
『蟷螂夜話』を参考にさせていただいた)
そういう『義のひと』である父君を持つ小熊英二氏が、明治以来、大日本帝国という名で
多民族国家を標榜していた日本が、戦後、なぜか単一民族国家というようになった経緯を、
歴史を遡って検証し、壮大な論考をする…

『なぜならここには「織物」があるからだ』

一人の若い研究者の深い想いをこめた、一冊の壮大な著作に、この誉め言葉。
これだけで、もう十分にこの本の内容を言い表しているのではないだろうか。
歴史は、過ぎ去った過去の、事件の断片をただ機械的につないで出来あがっているのではない。
あなたや私と同じ一人一人の人間の、生きた証の集積なのだ、ということを、
そうしてこの本が、そうした視点から書かれて見事である、ということを、
この一言で表している…


私はときに、本そのものの素晴らしさとはまた別に、書評の一文に深く
惚れ込んでしまうことがある。
私のうちは朝日新聞をずうっと購読しているが、週に一度の書評ページを
これまでも、まあ今も、日曜の朝の淡い楽しみにしている。
最近はめっきり少なくなったが、それでも時々、惚れ惚れするような書評に出会うことがある。
まあ、それは私だけに強く訴えかけるものであって、他の人はまた
他の書評に感動するものなのかもしれないと思うが。
でもそんなときはいつも、何やらとても幸せな気持ちになる。

妙な話だが、追悼文で私の記憶に今も残るものがある。
2007年?朝日に載った『読書にこだわった<狐>』というタイトルの追悼文である。
これもいつか転載してみたい。

             *

さて。ここまでを実は一旦、今朝4時頃アップしていた。
ところが、朝刊を見てびっくり。
松丸本舗は、この9月いっぱいで店を閉じたのだという。
わずか数日前ではないか!全然知らなかった!
それを知らせてくれた記事は、実は私が楽しみにしているとついさっき書いたばかりの
朝日日曜版の書評ページだった。
その書評を書いたのは近世比較文化研究で私の好きな田中優子さん。
評された書物は、なんというシンクロか、松岡正剛著『千夜千冊番外録 3・11を読む』。
つい4時間ほど前、彼のネット上の書評『千夜千冊』や松丸本舗について
書いたばかりだったのに!

その偶然にもちょっとまいったなあ、と思ったのだが、
なによりも、松丸本舗がわずか3年にして撤退せざるを得なかった、日本の書店事情…
それも知って、私はさらに、別に意味で『まいっちゃった』のであった……
ああ!あのすてきな空間はもう無いのか……!

偶然と言えば、実は数日前、ラジオを聴きながら『戦後史の正体』を読んでいたら、
眼をやった20文字ほどの一文と、まったく同じ20文字ほどの文を含む
ニュース原稿が、まさに私の目の動きとどんぴしゃりのタイミングでアナウンサーによって
読みあげられるという偶然があったばかりで、これにも『まいった』んだったなあ……










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Re:しほさんへ

しほさん。こんばんは。

あらら。どこで繋がってくるかわかりませんね。
しほさんは、今、小熊英二氏に関心お持ちでおいでなのですね。
小熊英二さんは、私自身は、新聞でときどき論評を読むくらいで、その著作は
読んだことがないんです。
でも、デモではよくお姿見かけてた。^^

自分の調べてることとか書いたものとかが、思いがけず、どこかで繋がって
行くことがあると、なにかふしぎな感がしますね。
そういうときは嬉しいです…。
この記事も、小熊英二さんの父君のことと、ブログ上のお知り合い(といっても
私が勝手に読ませていただいているだけのかた、ですが。^^)つながりのことだけでなく、
ちょうど松岡正剛さんの松丸本舗のこと記事に書いた早朝の、まさにその朝の新聞で、
松丸本舗閉店のこと知ったり、それが田中優子さんの書評欄の中の情報であって、
私は以前、毎年新年に、この松岡正剛さんと田中優子さんの新春対談をテレビで
やっていたのを見るともなし観るのが習慣になっていたりで、
なにかとね、私自身の勝手なつながりをいろいろ見つけて面白がっていたわけです。^^

もうあと2,3カ月もすれば、ホトトギスの啼く季節になりますが、ホトトギスの記事も
ふしぎな偶然が重なってて、面白いなぁ…と思ったことがあります。

あとね。私は夜眠れないとき、イヤホンでラジオ聴きながら、本読んでることが
多いのですが、ラジオから流れてくるアナウンサーの読み上げと、自分がちょうど
目をやった本の一文が全く同じ!ということはよくあります。
それも、単語程度ならよくあることかもしれないけれど、2、30文字くらいの
文章が、ラジオと本のページのちょうど目をやった箇所で全く同じ、って、珍しいでしょ。^^
それもね、ほんと偶然どんぴしゃり!のタイミングで同じだと、不思議な感じです。

まあ、偶然にすぎないとは自分でもわかっているのですが、シンクロニシティ、って
経験、ちっぽけなものでも結構喜んじゃうほうです。
ふだんその他のことでは、わりと運とか偶然とか信じない現実的な方だと
思ってるんですけれどね。(そうでもないか?笑)

しほさんにこんな昔の記事、掘り起こしていただけて嬉しいです。
ありがとうございま~す♪ ^^


No title

こんばんは。
『僕らの民主主義なんだぜ』で小熊英二の6/11の挨拶を知り検索…
そうしたら彼岸花さんのこちらの記事が!
読み返しました。
以前はオアゾ の本屋に気を取られてました。
こんなにも小熊英二の事を書かれて。

今、小熊英二が目を離せません。
あの分厚い本も眺めました。
とても長い、読めずに拾い読みです。
そこで米国から引き揚げてきた鶴見さんの体験を知っただけでも
鶴見さんの戦争体験の記述を読んだだけでもよかったと思ってます。
よりみちパンセシリーズの本もよかった。
何せ子供向けだから読みやすく、大人にも読みごたえがありました。
そして3時間を超える学者の会とシールズのシンポジウムでも小熊英二出てましたね。

何故だか分からない…
でも本当は、一本の糸のようなものが隠れているですよね。きっと。

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。
わかりますとも。
私も同じ気持ちです。
考えていると、ときに『反吐が出てきそう!』と思うくらい、
この国の今の空気を憂えています。

私も、9月以降、ちょっとまいっています。
日本に今。さまざまに噴出して来ている問題の、その根の深さに
時に絶望することがあります。
一体、どこから手をつけていけばいいのでしょう…

小熊英二さんのこの書物は、私も読んでいないのでわかりませんが、
M氏の著作と比べてみると面白そうですね。M氏のも読んでないので、
なんとも言えないのですが。
たぶん、小熊氏はお父さまのものの考えかたを受け継いで、日本の国体論というものの
身勝手さ、という観点から、書いていらっしゃるのかと。
なにを考えても、日本の先の戦争のところにもろもろのことが集約されていきますね。

口を開けば嘆き節になってしまいますね!(笑)
また、しっかり考えて記事書いてみたいと思います。^^

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このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 愛希穂さんへ

愛希穂さん、おはよう♪

松丸本舗。残念です。
書評欄っていいですよね。書評読んだだけで満足するような
書評が時々あります。^^
あと私が好きなのは、本の後ろの解説ページです。
本を出版する時には、著者は自分が「このひと!」と思うひとに
解説書いてくれるように依頼するんでしょうが、あるいは編集のひとが
探すんでしょうが、すてきな本にすてきな解説が書いてあると、
嬉しくなってしまいます。
でも時々、折角すてきな本で、解説も世間的に言って一流のひとが書いているのに、
それが中味と全然関係ない、自分のことばかりとか書いてあるのを読むと
がっかりします。きっと本、読んでないで解説書いてるんじゃないかな、と思うような
のが時々ありますよ。
柳田邦男さんで思い出したけれど、彼の本ですっごくすてきな解説書いてらっしゃった
お医者さんがいて、そのこといつか書こうと思って、その本が探しだせない…。

小熊英二さんの本は、たぶん重い本だろうと思います。中味も、そして450ページ
もあるから、実際の重さも。^^
竹島問題や従軍慰安婦問題…尖閣問題も含め、朝鮮半島や中国との問題は、
日本がしてきたことの反省なしには語れないと思う。
日本がなんでアジアに侵略していったか…その日本人の意識の問題を扱った本。
アメリカに対する心情と、アジアに対する日本人の心情は、ちょうど
裏返しなんですよね…
私は歴史をちゃんと勉強してこなかったので、これがいい機会かなと思って
いろいろ読んでみたいと思っています。
愛希穂さんは、いつもすごい読書量ですよね~~~。^^

No title

こんばんは。

私も朝日新聞日曜日の書評ページを楽しみにしています。
『千夜千冊番外録 3・11を読む』、朝に目を通した時は、特に何を思うこともなく通り過ぎたのですが、彼岸花さんのこの記事を読み、改めて朝日新聞を読むと、全然違うんです。

この「松丸本舗」に私もいつか行ってみたい・・・と思いながら読んでいたら、閉店したと。本当に残念ですね。

「日本が単一民族の国ではない」というのは、柳田邦男さんだったかな、同じようなことを書いておられました。それを読むまでは、そんな認識ありませんでした。
歴史を正しく認識していなかったのですね。

>『単一民族神話の起源』
>多民族国家を標榜していた日本が、戦後、なぜか単一民族国家というようになった経緯を、歴史を遡って検証し、壮大な論考をする…

面白そうですね。読んでみたいです。

プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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