『11.11反原発100万人大占拠』 

さて。前回のキャンドルナイトの記事でもちょっと書きましたが、
一昨日11月11日。国会議事堂前に行ってきました。

本当は、最初の予定では、日比谷公園に参加者が集結し、それから
国会議事堂前や首相官邸前、経産省前、民主党本部前など、霞が関一帯を
脱原発を叫ぶ100万人で占拠しよう、という試みでした。
しかしながら、東京都は、日比谷公園の一角を、デモの集合地に許可しなくなって
しまいました。地裁も高裁も、集会の自由を侵すなという、首都圏反原発連合の訴えを
聞いてはくれませんでした。

結局午後1時からのデモはそのために公式には中止となり、3時から7時までの
霞が関占拠集会だけになりました。
この日は、午後から雨の予報が、数日前から出ていました。
昼頃まではなんとかもっていた空模様ですが、電車に乗っているころから
時雨てきました。
中には、ちゃんと、1時に日比谷公園に行って、デモ隊を入れないよう
厳重に封鎖する警官隊に抗議した人々も大勢いたようです。

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私は少し遅れて、3時40分くらいに議事堂前に着きました。



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国会議事堂の正面には広い道路がある。
でも、ここには警官隊やその車が待機していて集会参加者は入れてもらえません。
参加者は、両側の歩道や周辺の道路の歩道に押し込められる。

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しかもその舗道は、こういうふうに仕切られていて、片側が通路、人々はもう片側に
4,5列くらいに詰め込まれています。


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私は、寒いだろうと思ったので中にちゃんと着こんで来ていて、雨合羽を着て、傘もさしていた。
でも、傘の波がこんな具合。
こうくっつきあってひしめいているのに傘を差していると、人の目をつついたり
しそうになります。だから私も、雨合羽のフードをかぶって、外れないよう、フードの紐を
しっかり締め、傘は閉じた。
いつもなら、人がどのくらいいるのか、歩いて少し人の列の多さを見て回るのだけれど、
今日は傘で身動きがとれません。
ああ!白い風船が飛んで行く!…



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人と人の間にただ立っていると、疲れが早く溜まってきてしまいます。
雨合羽のフードはかぶっていても、顔にはやはり細かい雨粒があたります。
手もだんだん冷たくなってくる。足元もぐじょぐじょです。
どこか、少し息のつける、傘のさせる物蔭に行きたい…
少し移動して、歩道より少し引っ込んだ一角の中に入りました。
そこは公園の出入口のようで、でも門扉は閉じられている。
そこなら少し人が少ないので傘を広げていられます。
ちょっと離れたところから拡声器で聞こえてくる今日のゲストたちのスピーチに
耳を傾けていた…。
でも、近くでドンジャン鳴りものをかき立ててシュプレヒコールしている
若い人の一団がいて、スピーチの声はとぎれとぎれにしか聞こえません。
『びわ湖を守れ』と書いてある…きっと大飯原発反対の、関西からの参加者かも
知れないな…



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雨、雨…
雨粒が落ちてきます。
ひたすらに冷たい11月の雨……


私のひっそりと立つ一角に、『新社会党』と書いたささやかな腕章をつけた
数人の人々がいました。皆50代くらいの男性です。
雨の中、少し植え込みになっているところでしゃがみこんでいる人もいる。
地面が濡れていて、お尻から冷気と湿気が伝わってくるでしょうに…
…静かな男たちの一団でした。

私は、『リベラルの復権を』というタイトルの記事をブログで書こうと
思っていました。社会党…今の社民党がもっとしっかりしてくれないかなあ…
そう思いながら、小さな腕章の『新社会党』という文字をじっと見ていた…

一緒にデモに参加していても、互いに語り合うということもなく、
植え込みの中に…、幟旗を持って雨の中に…
本当にひっそりとした男たちでした…

幟旗を持って佇んでいる人に思いきって話しかけてみました。
「失礼ですが、ちょっとお話させていただいてもよろしいでしょうか?」
男性は、ちょっと驚いて少し身構えたようだったけれど、
「はあ、なんでしょう」
「腕章に『新社会党』と書いてあるようですが、社民党とどう違うのですか?」

男の人はその質問にちょっと苦いような笑みを浮かべました…
別の男性が、「なになに?」というように寄ってきました…
先の男性が笑いながら、私の質問をその人に説明している…
そしてその人が話してくれました。
新社会党というのは、今の社民党から別れて出来た党なのだそうです。
私は知りませんでした…。
別れる決定的な原因となったのは、村山富市氏が党首の時、自民党と
自社さの連立内閣を組んだことだった、と…

ああ!
わかる気がしました。
2つ前の記事でも書いたけれど、日本の革新派と言われる者たちにとって
革新の中心たる社会党が、どんな理由があろうと自民党と組むなんて考えられない!
私も当時そう感じていました。
村山さんその人はきっと立派ないい人だと思います。
私も同じ大分生まれだったし、それに、それに…村山元首相は
何処か私の父に、もう30年も前に亡くなった父に面影が似ていたのです!
でも、あの連立は、私のように社会党の内部事情など知らない、ただ選挙の時に
一票投じるだけの、シンパとも言えないシンパにとってさえも、それまでに
社会党という政党が保革対決の革新派の中心的政党としてそれまで営々と築いてきたものへの
大きな裏切り行為のように思えたものでした…
あれでどれほど多くの人が、社会党から離れて行ったことでしょうか。
また一方で、私のようなただのシンパには、たとえあり得ないような自民との連立であろうとも、
戦後すぐの片山内閣以来の社会党の首相がこの日本に誕生したということは
画期的なことであり、めざましいいい政治をしてくれないかしら、と
期待が膨らんだことも事実でした…

ああ、そうか…
この静かな人たちは、あの時の社会党右派の人々の変節ともいえる動きが
許せなかった人々なのか…

私は党の内部事情なんて知らない門外漢。
でも、この一派の人々が、左翼政党社会党の中でも、『左派』に属する
人々なのだなあ、ということはわかりました。
村山社会党は、右派に属します。村山さん達は自民党と一緒にやっていくために
なんと!自衛隊と日米安保の維持に賛成を表明してしまった!
そしてそれまで反対していた原子力発電にも賛成の体場に切り替えてしまいます。
それは、護憲と安保反対を貫こうとする左派の人々にとっては、許しがたい変節で
あって、それを許せなかった、ということはうなずけます。
社民党となった社会党は、後に再び護憲と安保反対、原発反対の方へ
再び戻って、今はそれを訴えていますが、一度変節した、という印象は、
私など外から見る者の目にも、社民党のイメージを随分そこなってしまいました……

その男性とは、数語、言葉を交わしただけでした。
他には、今の民主党の母体となる人々が社民党から離れて行ったことも、
党の勢いをさらに失わせることになった、ということもおっしゃっていましたっけ。

社会党が元気だったころの政治家の名前は、私のような門外漢の記憶にさえ
数多く残っています。西尾末広、山川均・大内兵衛・向坂逸郎、鈴木茂三郎、
浅沼稲次郎、太田薫、江田三郎、佐々木更三、成田知巳、石橋政嗣、飛鳥田一雄、……

これらの政治家たちを私も顔くらいは知っていたが、皆一騎当千という
立派な面構えをしていたがなあ…
1958年総選挙では自民党の287議席に対し、社会党は166議席
獲得した、そんな時代もかつてはありました。

しかし、2つ前の記事にも書いたように、この社会党は左派、右派の路線の違いなどから
内部対立や分裂を繰り返し、また旧ソ連崩壊など外部的要因も加わって、急速に
党勢は衰えていってしまう。
土井たか子委員長の時に一次また盛り返した時もありましたが、それが最後の花でした…

雨の11月のデモ…
その濡れた薄暗がりにひっそりと集まる数人の男たちに、かつての元気はありませんでした。
本当はこの人たちが、左派政権社会党の左派中の左派とも言える正統の血筋を
ひいている人たちなのでしょうが… 
ドンジャン鳴りものが響いてくる中で、言葉少なに語る男たち…
でも、今は、社民党ともかつての激しい対立~分裂の時代を乗り越えて、
再度共闘しようという流れの中に今は、あるそうです。
今度の都知事選でも、前弁護士連合会長で脱原発を掲げる宇都宮健児氏の応援では
社民党とも共産党とも、またここにきているような脱原発の市民グループなどとも
共闘するんだ、と話していました。

私がいくつか質問をしていたその間も、少し離れてそこからは見えないところで、
この原発反対、再稼働反対の抗議集会に集まった著名人たちが入れ代わり立ち替わり
スピーチをしている声がとぎれとぎれに聞こえて来ていました。
この静かな男たちが、一瞬、ぱっと明るく笑ったのは、ちょうどそのとき、
社民党党首の福島瑞穂氏がマイクを握って話しだしたときです!
「あ!福島瑞穂さんだ!」と私が言うと、
「ミズホチャンは、姿が見えてなくても、この語りでわかるよね~!」
中の一人がそう言って、まわりの仲間の男たちも私もどっと笑ったそのときでした!… 

『ミズホチャン』というその言い方に滲み出ていた…なんというのでしょう…
言うに言われぬ懐かしさと、親愛の情と、やるせなさの混じった感情…

そこには、社会党結党以来、今こうして主流たる社民党でさえ、議席を
どんどん失って消滅寸前の土壇場にある、さらに自分たちはその社民党からさえ
別れて傍流中の傍流になっていってしまっている…
後で家に帰って調べたけれど、新社会党は衆参両院で議席を一つも持っていなく、
選挙で被投票数が全体の2%のラインをクリアさえできていないので、政党交付金も貰っていないのです。
彼らはそれで一体どうやって活動続けているのでしょう…まあ、組合などから
少しは下りてくるのかもしれないけれどそこは私は知りません…
その、傍流になってしまった、もとは正統派だった左派の生き残りの人々…
彼らが、元の仲間である福島瑞穂社民党党首を『ミズホチャン』と呼んで
ぱあっと一瞬笑った、その声のやさしさ…
私はそこに、なんとも言えない、『戦い続ける男のせつなさ、やさしさ』というようなものを感じて、
なんだかじ~んとしてしまいました。

都知事候補の当の宇都宮健児氏が登壇して名乗ったときも、「おお!」というような
声がその男たちの間から上がりました。
福島瑞穂さんもこの集まりでは一般の人になかなか人気があるけれど、宇都宮健児氏の時は、
周囲の拍手もひときわ大きかったように思いました…このひとを都知事にしたい…!!!

静かな陰の中に今もおそらく、せつない理想を抱え続けて生きている男たち…
外部との闘争や内部分裂や集合離散を繰り返してきた党の歴史は、男たちを疲れさせ、
倦ませているように見えました……
彼らは、いきなり話しかけた私に、最初から最後まで心を許していない風でした…

でも、束の間の立ち話にすぎませんでしたが、私には、この雨の中の数十分ほどが、
おそらくずっと忘れられない鮮やかな記憶になるという予感がそのときからすでにありました…

もうおそらく二度とない、社会党左派が輝く時代…
でも、その幻の中に生きる男たちは、なぜかとても、美しかったんです…
暗くて、合羽や帽子の影で、しかも私は近眼で、雨も目に入って来て、
その顔などはっきり見えはしなかったのですが……それでも。



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雨。雨。……
警官隊もずぶ濡れの雨の中の集会…


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参加者の数の感じをつかみたいと、向こう側の舗道にカメラを向けたけれど
真っ暗で写りません…

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この日の参加者は、主催者発表では、10万人ほどということでした。
当初の呼びかけ目標であった100万人には遠く及ばない…
警察発表では7~8千人。
日比谷公園使用禁止、そしてこの雨…
私はいつものようには移動しなかったので、感覚として実数はつかめない。
でも、1万人以上は確実にいたと思います。
1時から、無駄とわかりつつ日比谷公園に詰めた人々もいました。
私のいた国会議事堂前だけでなく、首相官邸前、経産省前、東電前、文科省前、
財務省前、外務省前、環境省前…計9か所に人々は分散して集まっていました。
雨がだんだん本降りになり、明るいうちに帰った人々も多かったでしょう…

濡れた猫のように皆、外見はしょぼしょぼしていたけれど、でも、集まった人々の
想いは熱かったと思うのです。
飛び入りの一般の人も含め、じつに多くの人がスピーチもしていました。
私が聞き取れた範囲では、
今度の都知事選で脱原発の象徴の候補になる、前弁護士連合会長の宇都宮健児さん。
広瀬隆さん、鎌田慧さん、落合恵子さん、福島みずほさん、志位和夫共産党委員長、
亀井静香代議士、湯川れい子さん、…そうそう、田中康夫さんに飯田哲也さん。
15歳の藤波心ちゃんもスピーチと歌。このお嬢さんはすごい。なんと腹が据わっているのだろう!
他にも聴き取れませんでしたが、多くの人が…

なかでも、心にしみたスピーチは、福島から来られたというお母さんのでした。
「みなさん、私は今、防護服を着てここに立っています!」という語りかけで
それは始まりました。私からはその姿は見えず、話も聴き取れないところがあったけれど。
「みなさん。32歳になる(とおっしゃったかな)私の息子は、福一で収束作業に
あたっています。みなさん、この防護服と同じものを着て、彼は今も作業しています。
私は今、びしょびしょです。この防護服はただの紙です!雨を通すんです。
こんなものを着て、今、私の息子はあの、放射線量の高い現場で今日も
働いてるんです!」
正確にそのお話の内容は再現できないけれど、こんな話をなさっていたと思う。
防護服の材質を私は知りません。ただ、一般的な誤解があるようですが、
『防護服』というその名に反して、それらは一般に、放射線をカットして、
着る者の身を守ってくれるものではないのだそうです。
アメリカが事故直後に200着ほどくれた防護服はかなり放射線をカットするけれど、
それでも3割程度と聞いた気がします。それらは1着10数万円もするので、
とても、福一の作業員全員に着用させることは出来ない。
福一の人々が、どの程度の性能のものを身につけることが出来ているのか、
このお母さんの言うような、耐水性さえないような、あの、住民が仮に帰宅する時に
身につけているような、簡易な防護服と同じなのか、私はよくわかりません…

ただ、防護服というものは、放射線を完全に遮ってくれるものなどではなく、
放射能の塵などが皮膚に付着しないようにするためと、それから、現場の放射性物質である
塵などを、外に持ち出さないようにするためのものと考えていいようです。
だから、戻ってきたら脱ぎ捨て、ポリ袋にまとめて入れて厳重に始末するのです。

お母さんの訴えは、福島第一原発でその時間も作業しているであろう子を思う
母の憂いと怒りに満ちていました。
東京のひとにわかってほしい。電気をたくさん使う皆さんに、福島の嘆きを
わかってほしい!……
彼女の悲痛な訴えに、私たちは何かしなければ。
そう。今も福島では何一つ好転していることなどないのだということ、
そこに、置き去りにされて、常にこの雨の中に濡れて佇んでいるような
深い悲しみを抱えて生きている人々のことを忘れてはいけないと思うのです。
無論、県外に避難生活を送る人々も同じです……



デモは、明らかに縮小に向かっているように感じられます。
ただ、国民の怒りが縮小していっているとは思わない。
雨。雨。
雨の中のデモ。
ここに集まっている人の怒りは、そうやすやすと鎮まりはしない気がします。

デモなどしてなんになるのか…
結局何も変えられないじゃないか…
でも、私はそうは思いません。

若き哲学者、国分功一郎氏は、そのブログの中でこう述べている。

この「何となく」参加するということが重要です。
デモはフランス語では「manifestation」と言いますが、これは「現れる」
という意味です。これまで日本で「デモ」というと、強いメッセージを
主張しないといけないとか、確信をもち主体的に参加するもの、と考える人が多かったでしょう。
しかしデモの本質は、群衆が大挙して「現れること」そのものにあります


 しかも実際にはそれ以上の効果がある。数万の群衆はある意味で不気味です。
権力側が努力と配慮を怠れば、現在の秩序は維持されないかもしれない――。
デモはたとえ平和的であってもその可能性を存在感によって示します。


ただし、今の日本の政治家があまりに鈍感だという現状は考慮しなければなりません。

官邸前デモは永遠に続くものではありません。
しかし、10万を超える群衆が集まった光景は確実に日本人の脳裏に焼きついた。
今後、このお行儀のよい日本型デモはカルチャーとして根づいていくと思います。
声を上げる習慣を日本が取り戻していく、その兆しを感じます


デモの存在は、現状に疑問をもっているけれどもうまく表現できずにいる人を勇気づけ、
次の行動につながります。

何か政治や社会に問題があれば集まるという行動は、これからの日本にカルチャーとして根付くのでは。
絶えずどこかでデモが行われているということが、社会に変化をもたらすのではないでしょうか

http://ameblo.jp/philosophysells/page-1.html#main



私が掴み切れなかった全体像は、次の2つのサイトでご覧になれると思います。
こちらには動画があります。

http://blog.livedoor.jp/ryoma307/archives/6738193.html

こちらには写真がたくさんあります。
http://tamutamu2011.kuronowish.com/11.11hanngennpatu.htm

一つでも、あなたにできる支援をお願いたします……


署名などはこちら→ ふくしま集団疎開裁判




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Re: ウッドスタインさんへ

ウッドスタインさん。こんばんは。
いつも長い返事ですみません。

ウッドスタインさんは、本当に言葉の使用に厳密かつ周到でいらっしゃるのですね。
私自身も、信じられないかもしれませんが、実は、言葉の使用にはこれでも
気を配る方です。一語一語考えながら書いています。
直接批判したい政治家などに対してはどうしても過激になりますが、それでも
記事と関係ないところにいる人を傷つけることになりはしないか、とか、
いろいろ考えながら書いています。
ところが、コメント欄ではやはり正直、多少気が緩みます。
ウッドスタインさんのような言葉に厳密でおいでになる方に対しては、私的なコメントと言えど、
言葉に対するアンテナを針のように全身にたてて書かねばなりませんが(!笑)、
気を許した方にはどうしても時々は。
おっしゃるように、私的な会話という性質を多少は持つコメント欄でも、こうして、
ネット上で公開される以上、それは私的なものではあり得ない。誰が、どういうふうに
読んでいるかわからない、という点では、ブログ本文と変わりはないと言えます。
私がそれを考えないで書いているとお思いになりますか?
コメントと言えど、別の人を傷つけないように、言葉を選び選び書いてきました。
しかし、しかし、どうしても、親しい方には、時々気が緩みます。
今後、そういうことのないように気をつけたいと思います。
言い訳めいたことなどするのは原則嫌いですから。

それでは、また、項目順にお答えさせていただきたいと思います。

1、「戦争賛美」という言葉について
石原氏についてこの言葉を使ったこと。それについては昨日訂正をさせていただきました。
ただ、今ではもっと過激な言葉があるなら、彼に対して使いたいくらいです。

2、戦争映画について
 『プライベート・ライアン』に関しては、勿論、戦争賛美の映画、という
気持では見ていませんでした。と言って、反戦映画、というふうに見ていたか、
というとそれでもないような気がします。戦争というものの馬鹿馬鹿しさ、不条理を、
観客に突きつけている(それが監督の計算にしても)という意味で、私には
鮮やかな印象を残しています。
映画は見る人によって、さまざまな受け止め方があるでしょうからね。
私は戦争には反対ですが、映画を見るとき、それが反戦映画かどうかで、
その作品としての面白さや価値を判断するかというと、そんなことはありません。
昔劇場で見た『M☆A☆S☆H』などは、まさにブラック・コメディなんですが、
笑わせつつ、戦争の狂気を想わせて、私にはとても印象に残る映画でした。
音楽もよかったですしね。
え~。音楽は?…調べましょう…ジョニー・マンデル…知らないですね…
と思ったら、『いそしぎ』『動く標的』などいくつか見ていますね。
『いそしぎ』の主題歌などはあんなに有名ですのにね。
この映画はとにかくドナルド・サザーランドなど俳優陣の怪演ぶりが
印象に残っています。
そういうわけで、映画の主張と私の印象は必ずしも全面的に一致するわけでは
ありません。『グッドモーニング・ベトナム』なども映画としては好きでした。
音楽アレックス・ノース…このひとの携わった映画も結構見ています。
戦争の悲劇をくっきりとえがいた映画として忘れられないのは『誓いの休暇』という
1959年のソ連映画。私の中では反戦映画のベスト何とかの上位に来る映画です。
『スターリングラード』も心に残っています。

3.石原慎太郎氏の能力は?
 このひとの文化に対する見方は面白いところがあって、全面的に嫌いと
いうわけでもなかったのですが、政治家石原慎太郎は、私は肌感覚で『拒否』します。

4.石原慎太郎氏の言動について
『 管理人さんは石原氏について「戦争ということに鈍感」という表現をしていました。しかし、私はその見方には与しません。
刺激的な発言をすることに関しては、「鈍感」ではなく確信犯ですね』

はい。『戦争ということに鈍感』という表現は、私も、自身、「生ぬるい」と思っていました。
本当はもっと過激な言葉を使って石原氏を批判したい。
ただ、それは差別用語なので使わなっただけです。

『 私は、こう考えます。すなわち、彼の発言内容は、ある意味、建前では言えない日本人の本音の一部を代弁しているのではないかと。中国人や在日を含む朝鮮人を嫌っているのだがそのことを口にするのは憚れる、また核兵器は廃絶すべきだし保持するのも避けたいが万が一に備えて核に傘の中には居たいなど、このような本音を内包している者にとって、石原氏の発言はある程度溜飲の下がるものに聞こえるという側面はあると思います。そのような日本人の微妙な心理を推し量り、それを汲み取ることをしているわけで、言わば、受け狙いですね。
 そこまでならいいのですが、その延長線上にある行動を実際に起こした時に、それがどのように波及するか、ということに関しては「鈍感」だと言わざるを得ません。顕著な例が、新銀行東京、そして最近では東京都による尖閣列島の購入計画ですかね。これが、前段で述べた施政能力の欠除ということなのかも。』

このウッドスタインさんのご意見。共感いたします。
受け狙いかどうかは別にしても、このひとの言うことを面白がって、ある意味拍手喝采
する人が多いことを、私は憂えています。
おっしゃるところの中国人などに対する感情、核の傘についての件など、
日本人の中に、そうした心性があるのであろうことを、私は憂えます。

5.日本はどことどのような戦争をする可能性があるのか

『 これは、管理人さんにもある程度お考えはあったはずと思いますので、悪い表現を使わせてもらうと、管理人さんは明確な回答を避けた、もっと言えば逃げたのではないかと思っています。この私の想像に対しては、あるいは反論がおありかもしれませんが…。』

これには反論いたします。
逃げてなんかいませんよ。逃げるもんですか。
言わなくても、中国(台湾もそうなってしまった)、韓国、北朝鮮、そしてロシア
さらにはアメリカあたりとわかってるじゃないですか。
私は、これらを仮想敵国と見て、核軍備、徴兵制などと軽々に言いだす人々の
あまりの愚かさに、このこたえを口にしたくもなかっただけです!
それは、自分たちが原発をこれまでどんどん建設して、どうにもならないほど
核のゴミを出しておきながら、『反原発を言うなら、核の廃棄物をどう処分するのか、
答えを出してから反原発を言え。最終処分場問題は反原発派だって避けて通れない問題だろう』
と恫喝する人々の論理の持っていき方と言いますか、おかしな問題のすりかえに
似ているので、答えたくなかっただけです。
…と言いましても、ウッドスタインさんに問題のすり替えっとか言って
怒っているわけではありませんからね。
仮想敵を設定しているのは、石原氏のような連中です。
私は、中国、韓国、北朝鮮とさえ、戦争などしたくない。仮想敵とみなしたくない。
その私に、『日本とどことの戦争なのでしょうか』と、ウッドスタインさんが
お尋ねになったので、それは私が答える問題ではない、と言ったまでのことです。
逃げたりしません!

『 何を巡る戦争か、ターゲットは日本の領土、それに付随する富、さらには日本人の叡智です。まず、領土はわかりやすいですよね。すでに問題は顕著化しています。富は領土に付随するものとして日本国土の周辺海域に眠る資源を、さらには金融資産や日本人の健康といった富を狙っています。形の上では合法的だが、実際には狡猾な手段で。そして、日本人の叡智、すなわち知的財産やノウハウも危機に晒されています。』

これらについても、私が考えていないとお思いでいらっしゃいますか?
毎日毎日考えています。中国、韓国のやり口については腹も立てています。
正直に言いまして、尖閣、竹島などの領土問題は、私もいい解決法を思いつきません。
まして、双方の愚かな政治家たちが、これほど問題をこじらせたあとでは。
中国の強硬姿勢は、今までと少し性質が違うと思っています。
ただ、それを石原氏の言うような強硬な外交で解決できるとは思わない。
粘り強い外交を続けるしかない。…そんなありきたりの答えしか私には今のところ
言えません。正直、この問題に関しては、私は大きなことが言えません。
ウッドスタインさんはどうお考えでいらっしゃいますか?
どんな解決法があるとお考えでしょうか?ご教授願えれば、と心から思います。
対アメリカに対する危機感などは、TPPに関する記事などで、私の考えを述べています。

6.中野憲志著『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』

ああ、そうですか。植草氏に近いとお感じになりますか?
逆に私は、植草氏のものをほとんど読んでいないのです。ぜひ読んでみねば、ですね。
この本は、だいぶくどいところもあります。私もところどころ飛ばして読みました。
ただ、前書きの、引用しました文のところを読んだとき、この方のものの考え方には
共鳴できる、と感じました。
石原氏や安倍氏、石破氏…こういう考え方の人々に対する私の批判。
引用しました一文の中の、『他者の殺戮を前提にして平和を語る病理』という言葉が
代弁してくれているように思います。

そうそう。ご紹介いただきました、広瀬隆さんの本。買いましたよ。^^
今晩、読んでみるつもりです。ご紹介、ありがとうございます。
佐藤優さんの映像なども、ご紹介いただきながら、まだ記事に出来ておりません。
申しわけなく思います。

『あえて言わせてもらえれば、管理人さんは石原慎太郎氏や安倍晋三氏を
過大評価し過ぎている、とも感じました』

というところは、よくおっしゃる意味がわかりませんでした。
たぶんこういうことなのだろうと推測しまして答えさせていただきます。
つまり、これらの人々は、そうたいした人物じゃない、それなのに、私彼岸花が
恐れすぎている…過敏に反応しすぎている…
と、いうような意味でしょうか?

私ですね。野田さんや橋下さんを含め、これらの人をさほど大した政治家などとは
思っていないんですよ。だから、彼ら個人を恐れているわけではない。
私が恐れているのは、野田さんのように大した政治哲学もない平凡な政治家が、
いったん権力を握ると、どれほど愚かしい政策をぐいぐい進めて行くかわからないという怖さを
特にこの半年で見てきてしまったからなのです。
そしてそれを誰も止められない怖さを。
野田さんがそれほどの力を行使するのなら、石原、安倍などという、一種凝り固まった政治家が
権力を握ったら、どれほど愚かしいことをしてしまうだろう…そういう意味で恐れています。
そして、国民自身がですね、ウッドスタインさんがおっしゃったように、
こういう人々の言動をどうやら喝采しているらしい、ということが本当に怖いのです。
歴史を見ても、(ああ、こういう曖昧な書き方をすると、また!)
その強権政治で大きな災厄を国民にもたらした政治家が、必ずしも、強い人間とは
限らない、ということが怖いのです。ヒットラーなど、強い人間とは思えません。
むしろ、心に何かある種の弱み、と言いますか、一種のトラウマとか
コンプレックスを抱えた人間が権力を握った時の方が怖いことをしでかすのでは
ないでしょうか…

石原氏にも、安倍氏にも、橋下氏にも、私は何処かそういうものを感じます。
石原氏の強がりは、心のどこか弱い部分を隠すための虚勢のような。
安倍氏の早口も、突っ込まれたくない部分があることを隠したいところから
生じているんじゃないかな、…そんなことをふと思う時があります。
まあ、これこそ私の独断と偏見ですが。

ご意見。ありがとうございました。
私としましては、ウッドスタインさんと、こう言う話ではなく、映画の話など
いつまでもしていたい気分です。












No title

 今回も彼岸花節の物量作戦にKO寸前でしたが、何とか踏みとどまって返答をします。

 言葉にこだわる、という傾向は、以前の私の投稿からもすでにお分かりですよね。これは、私の悪癖だと思って御容赦下さい。管理人さんには御迷惑かもしれませんが。
 さて、議論をするときの作法の一つに、言葉の意味を定義づけし、その定義の中に使用された各語が具体的にはどのような意味を持つのかを分説するというのがあります。この習慣が幸か不幸か身に付いてしまっているので、気になる言葉があると今回のような質問になってしまいます。あと、ブログ内に立てた記事では言葉に気を付けているが、コメントの返信に関しては気が緩むことがあるということですが、ブログの経営者ならばそういうこともあるのでしょうね。私はブログの経営者ではありませんから、例えどんなに可能性が低くとも第三者の目にさらされる環境のものに関しては、使用する語の一つ一つに気を配っているつもりです。といっても、所詮は素人の作成する文章ですから、見る人が見れば欠点だらけだとは思いますが…。
 また、例によって項目を立てて、このことについて考えてみたいと思います。

1.「戦争賛美」という言葉について
 もちろん、私も中年の域に達している者ですので、この言葉を見たことも聞いたことがないということはありません。では、どういう場面だったかを考えてみると、やはり映画がらみですね。何の根拠かわかりませんが、かつて「ウォルト・ディズニーは戦争賛美者だ」というセリフを見たことがありますし、ジョン・ウェインについても同様の言われ方をしていたのも見たことがあります。まあ、ジョン・ウェインが監督・主演した「グリーンベレー」という映画は、ベトナム戦争に対しての戦意高揚が製作意図であったわけですから、そのような言われ方も仕方がないという側面もありますが。ただ、「賛美」というと「戦争は素晴らしいものだ、みんな進んで戦争に参加しよう!」と言っているような感じで、まともな精神の持ち主の言葉とはとても思えません。ジョン・ウェインについては、せいぜい「好戦的」というのがかろうじて当てはまるのかな? 難しいところです。

2.戦争映画について
 ここで本題から外れますが、映画好きの立場から、この漠然としたテーマについて少し語ってみたいと思います。管理人さんはスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン」を高く評価しているそうですが、この作品は反戦映画だと思いますか、それとも戦争を賛美する映画だと思いますか。まあ、管理人さんのメンタリティから想像するに、おそらく前者なのでしょう。ですが、世の中には「ライアン二等兵を救出するために、ミラー大尉以下8人の兵士の勇敢な行動を英雄視している」からこの作品は戦争賛美の映画だ、という意見もあるようです。
 さて、どのように解釈するかはともかくとして、この「プライベート・ライアン」に限らず、これまでに製作されたいわゆる戦争映画を観て得られるカタルシスには、何か共通するものがあったように思われます。それは戦争がいかに悲惨なものであるか、という現象面よりも、無情(若しくは無常)という感じのものですかね。もっとも、こう思ってしまうというのは、製作者の意図にまんまとハマってしまっているのかもしれませんが。以上、脱線しての余計な話でした。

3.石原慎太郎氏の能力は?
 何を隠そう、彼が衆議院議員時代の選挙区に私は住んでいるので、多少ですが親近感はありました。ですので、議員勤続25年の際に辞任したあと、小説家のままでいて、それに付随して文明批評家、右翼の論客として存在感を示すに止まってくれていればよかったとも思ったのですが、結局都知事になってしまいました。その後の都政については様々な評価はありますが、築地市場の豊洲、というよりも東京ガスの跡地の汚染土壌の上への移転計画を実行させたことで、彼は為政者には不適任は決定的、と思うようになりました。確かに、石原氏は頭脳明晰であり、かつ常人以上の想像力の持ち主であり、それなりの先見性もあるとは思いますし、何よりも話が面白くてわかりやすいという側面もありますが、施政能力は甚だ疑問です。

4.石原慎太郎氏の言動について
 管理人さんは石原氏について「戦争ということに鈍感」という表現をしていました。しかし、私はその見方には与しません。
刺激的な発言をすることに関しては、「鈍感」ではなく確信犯ですね。大東亜戦争後、70年近く平和主義体制だったので、その中にいると石原氏の言動にはアレルギーを起こしやすい人が多いはずですが、それでも、彼は一定の人気を保ち続け、発信力も維持しているわけで、その理由を管理人さんはどう考えますか? 
 私は、こう考えます。すなわち、彼の発言内容は、ある意味、建前では言えない日本人の本音の一部を代弁しているのではないかと。中国人や在日を含む朝鮮人を嫌っているのだがそのことを口にするのは憚れる、また核兵器は廃絶すべきだし保持するのも避けたいが万が一に備えて核に傘の中には居たいなど、このような本音を内包している者にとって、石原氏の発言はある程度溜飲の下がるものに聞こえるという側面はあると思います。そのような日本人の微妙な心理を推し量り、それを汲み取ることをしているわけで、言わば、受け狙いですね。
 そこまでならいいのですが、その延長線上にある行動を実際に起こした時に、それがどのように波及するか、ということに関しては「鈍感」だと言わざるを得ません。顕著な例が、新銀行東京、そして最近では東京都による尖閣列島の購入計画ですかね。これが、前段で述べた施政能力の欠除ということなのかも。

5.日本はどことどのような戦争をする可能性があるのか
 これは、管理人さんにもある程度お考えはあったはずと思いますので、悪い表現を使わせてもらうと、管理人さんは明確な回答を避けた、もっと言えば逃げたのではないかと思っています。この私の想像に対しては、あるいは反論がおありかもしれませんが…。
 まず、「どこと」ですが、常識的に考えれば中国と北朝鮮ということになりますが、あえてもっと挙げれば、韓国さらにはアメリカということになります。本当はもう一か国あるのですが、これは後の話とは次元の違うものとなりますのでここでは割愛します。
 何を巡る戦争か、ターゲットは日本の領土、それに付随する富、さらには日本人の叡智です。まず、領土はわかりやすいですよね。すでに問題は顕著化しています。富は領土に付随するものとして日本国土の周辺海域に眠る資源を、さらには金融資産や日本人の健康といった富を狙っています。形の上では合法的だが、実際には狡猾な手段で。そして、日本人の叡智、すなわち知的財産やノウハウも危機に晒されています。

6.中野憲志著『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』
 中野憲志氏については勉強不足ゆえ寡聞にして知らなかったので、ネット検索してみました。すると、氏のブログが見つかったので、その記事をいくつか読んでみました。そして、管理人さんの挙げた、氏の著書の「まえがき」も読み合わせてみて、氏が典型的なリベラルな考え方の論客であることがわかりました。そうなると、管理人さんとの親和性も高いことも納得できました。
 この著書を、当然ですが私は読んでいないので、何も論評することはできませんが、「まえがき」の内容から想像するに、植草一秀氏の論調に近いのかな、とは思いました。


 今回は、以前にも増して独断と偏見に満ちた内容を認めることになってしまいました。あと、あえて言わせてもらえれば、管理人さんは石原慎太郎氏や安倍晋三氏を過大評価し過ぎている、とも感じました。そして、何よりも思いがけず長大な返答になってしまいました。最後まで読んでいただき、有難うございました。

Re: ウッドスタインさんへ

ウッドスタインさん、こんばんは。お久しぶりです。
ほんとにあっという間に、年の暮れが近づいてきました…
何をせねばならないという身ではありませんが、気分的になぜか
追い立てられるように感じるのはなぜでしょう…
数えで年が増えて行くわけでもないんですけれどね。(笑)

ウッドスタインさんはDVDなどきっとたくさんお集めでいらっしゃるのでしょうね。
私もそろそろ、暮れの大掃除を少しづつやっていかないとなあ。
原発関連の雑誌、新聞切り抜きなど少し整理して捨てなくっちゃ!^^
朝日新聞の『プロメテウスの罠』なども、切り抜いてとってありましたからねえ!

おいでにならない間も、当ブログの記事やコメント、お読みくださっていらした
とのこと。ありがとうございます。
多少、冷汗っ!(笑)
広瀬隆さん『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』ですか。早速読んでみたいと
思います。確かに原発反対!とだけ叫んでいればよかった時はもう過ぎつつある
気はします。8月の半ばごろ、それを痛感していました…
代替エネルギーについての議論…これに真剣に取り組まねばなりませんね。
そしてそれと同時に、原発反対、と思う者の意志を、ただデモ等で伝えようとする
だけでは足りない、これを政治的な力にしていかねば何の力にもなりえない…
ということを9月頃は、しょんぼり考えておりました…

ただ悲しいことに、ブログの片隅でこぶしは振り上げてみるものの、
科学的知識も私にはなく、政治的行動の術も知らず…非力さを日々実感している
ところです。
…ただ、選挙がこんなふうにいきなり、こんな形で近づいてきたので、
その前に言っておかなくちゃ!と思うことを、今は一所懸命書いています。
代替エネルギーについては、もう、行動の時期に来てもいるように思います。
一人一人が、小さなことでも実現出来ることからやってみること…
広瀬さんのご本をまず、読ませていただきますね。ご紹介、ありがとうございます。

『戦争賛美者』という表現…確かに、これは極端な語だったかもしれません。
ひっこめることにします!… やけに素直でしょう?(笑)

ただ、自分で使った言葉には責任を持たないといけないので、ご質問の順序に添って、
どうしてこのような言葉を使ったか、その時の気持ちを説明させていただきますね。

まず、これは誰に対して言った言葉か、ということですが、石原前都知事についての
コメントでしたので、石原氏のことを言っていたのでしょうね。
自分で書いておいて無責任ないい方ですが、ウッドスタインさんは、お話を
なさる時に、ご自分の口にする言葉をすべてしかと自覚したうえで、言葉を
一つ一つ選んでお使いになりますか?
自分の記事というものは、たとえ私のような無名の一老主婦でありましても、
こうやってネットで発信するわけですから、使う言葉に責任はもたねば、と思っています。
…ただ、コメントとなりますと、こちらにおいでくださる方との、一対一の私的な会話、
という感じも多少出てきますので、使用する言葉につい気が緩んでしまうこともあります。
記事に、^^、とか、(笑)とか、♪ などというものはまず使いませんが、
コメントの中では多用するのが、その、気を許している印と言えましょうか…

私がこの言葉を使った時の感情は、石原氏に対してだけでなく、彼を持ちあげる
ネット上の言論などに対しても、一部向けられていました。
戦争賛美者、といういい方は確かに極端できつかったかもしれませんが、
『戦争ということに鈍感な人々』とでも言いなおしておきましょうか。
たとえばそれでは、ネット上の右翼的な発言については、ここに資料もないので、
石原氏について、彼のどのようなところが、『戦争というものに鈍感だ』と思うか、
それなら書けるかと思うので、例をあげますね。
例えば、2000年、自民党の中尾栄一元建設相の会合の講演で、石原氏が
『日本は堂々と新しい兵器を作ってどんどん売ったらいい』と言ったとされる発言。
『一番の安全保障は優秀な兵器を作って外国に売ることだと思う』とも。
自民党の中川昭一政調会長が日本の核保有について「議論はあっていい」と
発言したことについて質問されて答えた言葉は。
『日本はやろうと思ったら(核兵器を)2年で持てますから』

また、いつ言ったことかは知りませんが、
『日本と韓国が一緒になって核兵器を持たなくてはダメ』
2011年6月20日、憲政記念館で行われた国民新党・亀井静香代表主催
「日本をどうする!」セミナーでの一言。
『日本は核を持たなきゃだめですよ。持たない限り一人前には絶対扱われない。
世界の国際政治を見てご覧なさい。なんだかんだ言いながら、核を持ってる人間は、
マージャンでいえば一翻(イーファン)ついてて上がれるけど、
マージャンやっている人は分かっている、一翻がついていない人間は絶対に上がれない。
日本が生きていく道は軍事政権をつくること。
そうでなければ、日本はどこかの属国になる。
徴兵制もやったら良い。日本が生きていく道は軍事政権をつくること。
そうでなければ、日本はどこかの属国になる。徴兵制もやったら良い』

人がこれらの発言をどうお取りになるかはわかりません。
でも、私は、これらは、極めて好戦的な発言だと思います。
『核を作る』『どんどん兵器を作って外国に売ればいい』
『軍事政権になること』『徴兵制もやること』…

ついさっき、私は、ウッドスタインさんに、コメントで話す言葉だから
多少の油断があった、と言い訳しました。
そう自分では言い訳しながら、石原氏の、なかにはもしかするとオフレコの
会話だったかもしれない話の一部をこういうふうに切り取って、彼の思想自体を
批判する材料にすることには、実は自分で違和感を感じます。
話というものは、その前後を全部聞いていないと、その場の、その言葉が出て来た真意は
ちゃんと伝わらないものだからです。
人の話の一部や、一語だけを切り取って批判するのは実は簡単です。
だから、本当は、こういうことはしてはいけないと思います。
…と言いつつ、自分の記事の中で、あの人物がああ言った、こう言った…と
批判の種にしている私ですが!i-201
ただ、基本、出来るだけ、そういうことを避けたい、という気持ちはあります。

さて。石原氏のこういう発言を聞いて、私は、そこに、戦争とか核とか
兵器とか言うものに対する、このひとの鈍感さを感じるのです。
徴兵制、軍事政権…皆、戦争に関する言葉です。
戦争は、理由は如何であれ、『人が殺し合うこと』です!
いかに、一個人としての発言とは言え、石原氏は、東京都を預かる知事であり、
公人です。その公人が、公の席でこういうことをべらべらしゃべる…
そこに、非常な違和感を私は感じます。
このひとは一体どういう感覚をしてるんだ!このひとは人と人が殺し合うことに
何の痛痒も疑問も感じないひとなのか!
そう思ったのです。『戦争賛美者』という私の言い方はきつすぎたかもしれないけれど、
すくなくともこの方は、『戦争の内実に鈍感』であるとは、はっきり言いたいと思います。

次のご質問。『戦争とは日本とどことの戦争なのでしょうか。』

これに関しては、私が答えることではないと思います。
『そうでなければ、日本はどこかの属国になる。』などとおっしゃる石原氏など
極右的な方々にこそ訊きたいです。「あなたは、どこと戦争になると思ってらっしゃるのですか?」と。

第二のご質問。『その戦争とは兵器を使用したものなのでしょうか。それとも、
情報戦や思想戦といったこと、あるいはそれ以外ということなのでしょうか。』

それについても、私自身は、どこかの国と戦争をするなどということを想定して
いませんので、これも、石原氏などに訊きたいです。
「あなたは、本当に、日本をそうして、兵器を使用したり、情報戦、思想戦になるような
状況下におきたいのですか?政治家としてその方向に本当に持っていきたいのですか?」と。

確かにウッドスタインさんがおっしゃるように、
『仮に右翼的な考えを持っているとしても、それがすなわち好戦的であるということでもない
でしょうし、ましてや賛美するというのは考えにくい』
そういうケースが大多数だと思います。
ネットで盛んに飛び交っているらしい、戦争を煽るようなチャットなど…
(私はそういうものは見たくないので、具体例を上げられません…)
そういう発言をする人=即好戦的=戦争賛美、とは言いきれないかもしれない。
右翼と一口に言いましても、その思想には幅があるだろうと思います。
真の『憂国の士』もおいでになるだろうし、無責任にただ面白がっている輩もいるだろうし、
本気で、自ら戦地に行って戦いたい、と思う人もいるでしょう。
武器フリ―ク、戦闘フリークもいるかもしれない。
また、なかには、自分の工場が兵器の一部を作っている故に、もっと世界で争いが
起きればいいと思っている人もいるかもしれない。
確かに一口で『戦争賛美者』という言葉で区切れませんね。
ただ。石原氏や安倍氏などは、この国の首相の座をも得ようか、という人々です。
その人々が、軽々しく、『軍備増強』、『軍事政権になること』などという言葉を
冗談でも言って欲しくはないと、私は思います。
そんな人に、この国を任せたくは絶対にありません。

私は最近、中野憲志さんという方の、『日米同盟という欺瞞、日米安保という虚構』
という本を読みました。私には、孫崎享さんの本より、こちらの方が心に響いたような…
その中に、私が、「ああ、これだ、これだ!」と思う一文がありました。
もうしょっぱなの『まえがき』の中で出てくる、この方の基調となるものの考えかたを
よく表している一文だと思うのですが、それが、今回のウッドスタインさんのご質問への、
私の本当に言いたいこと、をもよく表していると思うので、引用させていただきますね。^^

『国家は戦争のない状態を平和と呼ぶのではない。「統治の安定」が安全保障によって保たれ、
安定の均衡が破られていない状態を平和と呼ぶ。そこでは国家の安定=統治の安定を
保つための戦争と殺戮は、平和と両立する概念になる。
他者の殺戮を前提にして
平和を語る病理が安全保障にはあり、統治はその安全保障によって保たれる。

このような国家を単位に語られる平和を人が拒む時には、安全保障をその論理の
全体において拒むほかなくなるだろう。
 平時、戦時を問わず、統治の安定が見かけの上で保たれている状態においてこそ、
安全保障という概念に潜むこのような度し難い病理を、人は忘れがちになる。
安全保障が私たちを統治/支配する主体、あるいはその主体に自己同一をはかろうとする
者たちの言葉であること、また統治/支配のための物理的強制力・暴力が、
国家の主権の外部ばかりでなくその内部=固有名詞を持つ私たち自身に対しても
向けられていることを、つい忘れてしまうのである



『安全保障には、この世界に現実に生きている人間の生を忘れた者たちが、地球儀や
世界地図を前に、なにか自分を超越的な存在にみたて、国家や「国民」を観念的に
操作するような危うさがある』

『私にとって「日米同盟」や「日米安保」は、今でも自分の思考の外部にあり、
私はそれを他者の言葉として語っている。安全保障を平気で語れる人の心性を
いまだに私が理解できず、その理論と称されるものに個人的関心が持てないのも、
どうもその辺に原因があるらしい』

石原氏が、なにか自分はわかっているが君ら全部馬鹿だな、というような
薄笑いを浮かべて語る、『核を作る』とか『兵器を作って売る』とか
『軍事政権を作る』とか『徴兵制にする』とか安易に言う、強くて元気そうな言葉…
また、安倍氏が一見やわらかそうな笑みを浮かべて、『(今回の衆院選は)
日本を取り戻す戦いであり、負けるわけにはいかない』などと語る言葉…

私はこれらに恐怖を覚えます。
この、戦争というものへの鈍感さ!
日本を一体何から取り戻すのでしょう!安倍さんはどこと、何と戦かおうと
しているのでしょう…
よしんば、それが民主党から、ということであったとしても、
私たち日本人は、かつて安倍さん達『のもの』であったのだろうか?

私はこれらの人が、日本の安全保障、世界の平和、日米同盟の進化などを
アメリカと共に語ることが怖くてなりません…

すみません。ウッドスタインさんに愚痴をこぼしちゃいました!(笑)


No title

 外出の帰途、東の空を眺めるといつのまにか冬の大三角形が見られる時期となりました。今年もあと少しなのですね。現在は、年末の大掃除に備えて、少したまりすぎた在庫DVDの一部を処分すべく、選別などしています。どれを残して、どれを処分するか、悩みは尽きませんが、そんな話はどうでもいいですね。さて、前回の投稿からほぼ一カ月が経過しました。この間は、ドラフト会議や日本シリーズを楽しんだりもしましたが、何といっても衆議院の解散、そして総選挙ということで、すでに貴ブログもそのモードになっていますね。まあ、管理人さんは私と同様に東京都民ですから、都知事選の方もお忘れなく

 投稿しない間も、管理人さんのブログ記事や常連さんのコメントは隈なく読みました。そして並行して、『原発ゼロ社会へ! 新エネルギー論』(広瀬隆、集英社新書)も読みました。この本は、お薦めです。私としては、脱原発を声高に唱えるのももちろん重要ですが、その際に問題となる代替エネルギーについても、もっと活発に貴ブログ上で議論が起こればいいと思っているのですが、どうですかね。うみそら居士氏のブログについてはそれに特化して話題を見つけた時には投稿しているのですが、どうも食いつきはイマイチです。かといって、自分でブログを運営するほどの余裕もないし…。

 ということで、久々に管理人さんに質問です。クウーママ氏への返答欄の管理人さんのコメントの中に「戦争賛美者」という語が登場しました。まず、戦争とは日本とどことの戦争なのでしょうか。その戦争とは兵器を使用したものなのでしょうか。それとも、情報戦や思想戦といったこと、あるいはそれ以外ということなのでしょうか。そして、それを賛美するというのはどういうことでしょうか。仮に右翼的な考えを持っているとしても、それがすなわち好戦的であるということでもないでしょうし、ましてや賛美するというのは考えにくいですね。まあ、軍事産業に加担する人の中には、武器を売らんかなということで、戦争が恒常的に起こって欲しいと思う人もいるかもしれませんが。よほど、私の想像力が貧困なのか、この「戦争賛美者」という語が理解できません。ぜひ、御教授ください。

Re:朝の鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。
とても貴重なご経験談。ありがとうございます。
ちょっとびっくりしました!
鍵コメさんは、そういうお方でいらしたんですねえ。
こちらでは書きにくいですので、お伺いしてお話させてくださいね。
ありがとうございます♪

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Re: ク―ママさんへ

クウ―ママさん。おはようございます。
こちらもだいぶ寒くなりました。
は~い。デモの日は、いっぱい着こんでいきました。
それでも足元や手が冷たく冷え切って、こりゃ、風邪ひくかもなあ、と
思ってたんですが、幸いひかずに済みました。^^
石原都知事は困りものですね。なんでいつまでも政治の世界で威張っていようと
するのかわからない。
荒川でそんな光景、ご覧になりましたか。そうそう。彼はそういうものを
排除しようとしますね。弱者に対する目線の乏しいひとですね。

デモも、政治がこう混乱してくると、いったい誰に向かってこぶしを
振り上げていいのかわからなくなって、困ってしまいます。
その政治のどたばたの影に、東北大震災被災者の方々のことは
まったく置き去りですね。沖縄もね。…ひどいものです。
なんで、あの、日本中が悲しみにくれた日々の中から、こうした戦争賛美者みたいな
連中がごそごそ大勢出てきて、国をとんでもない方向に持って行こうとしているのか、
それが理解できません。

クウ―ママさんのお写真の、枯葉のベッドにくるまっていたカメムシちゃん?みたいに
何も考えずに、小春日和の温かい光の中で、うとうとしていたいわ!(笑)

クウ―ママさんも、ご無理なさらないでね~~~♪
ありがとうございます。

No title

彼岸花さん こんばんは
冷たい雨の中、お疲れ様でした! ・・って、先日来て半分読んだんですけど、やっと今日全部読めました。 石原都知事ってほんとに怖いと思っています。
荒川の堤防から野宿者を追い出して、対岸の川崎側にだけズラッと並んだブルーシートを見た時、電車の中で怒りに震えましたが・・震災の時の発言も、それ以後もあれもこれもめちゃくちゃだし・・これから新党作って戦争まっしぐら? 何故票が入るのかサッパリ分からない。  デモですね・・小細工いろいろになって惑わされたり大変でしょうが、風邪引かないでほんとに良かった! もう一度、ありがとうございます。お疲れ様でした!  盛岡デモも賑やかになってました。音がね^^
更新してないのに来てくれて、ありがとう!

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。もうちょっとの辛抱よ。^^
ねっ?^^


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Re: NANTEIさんへ

こんにちは♪

志村建世さん。教えていただいてありがとうございます。
早速記事読ませていただき、またこれから他の記事も読みたいと思うので
リンクもさせていただきました。
それによれば、志村さんも11月11日、集会においでになられたのですね。
日比谷に結構人が集まったのですね。
そりゃそうだ!「私はただ散歩に来ただけです」「私は菊花展を見に来たんです」
と言えば、警官隊だってダメだ、帰れ!、とは言えないですものね。^^
私も日比谷に行けばよかったなあ…

私も、日本の司法が随分だめになったと思いますねえ。
いや、昔からなのですよね!
名判決、というものよりは、圧倒的に納得できない判決が多かったような…
裁判に訴えても勝てない…それで泣いた人々がどれほどいたことでしょう…

これは私の偏見かとも思うのですが、日本人は議会政治の質を磨いてこなかったのと
同時に、司法というものの公正さを磨くことにも、割合無関心な国民だったのでは
ないでしょうか。
これは私自身についてはっきりと言えます。裁判官の名とか、いちいち覚えていないですもの。
だから、総選挙の際の最高裁裁判官国民審査の用紙も、毎回白票で出しているくらいです。
立派な人までに、知らないで×をつけるわけにもいかないので…

裁判は普通の生活をしている人には縁のないもの…そういう感覚で、無関心に
過ぎているところがありますね。その癖、芸能人とか有名人の裁判などには
大勢の人が傍聴したがる…

その点、訴訟大国と言われるアメリカは、善しあしはともかく、もともと
裁判というものに対して、国民の自覚が高いのではなかろうか、と思うことがあります。
なぜそんなふうに思うか、というと、ハリウッド映画に、裁判をテーマにした名作が
非常に多いからです。古くは『12人の怒れる男』『アラバマ物語』…
最近のものでも、法廷劇を主題にしたいい映画がたくさんありますし、数も多く
作られているように思います。「ペリー・メイスン」なんかもありましたしね。^^
それに比べ、日本は、最近こそテレビドラマとかで法廷ものがだいぶやられるようになりましたが、
なんというのでしょう…人情物的描かれ方をしているものが多く、
例えば『12人の怒れる男』のような、『法というもの』『裁判というもの』を
本質的に追求し、人間の理性と言うものの本質にまで切り込んだ作品は、
ないとは言いませんが少ないような気がします。

横浜事件など、検察、裁判など司法の問題点を突く、映画化してほしい戦後の大事件はたくさんあるけれど、
そういったものが重厚な作品に作りあげられることはこの国ではあまりないような…
酒井法子事件が映画化されることはあってもね。(苦笑)

政治に対する無関心と共に、『法の正義』に対する関心も薄い国民なのかな…
そう言ってしまうといいすぎでしょうか!(笑)
妙なことには、どおっと群がるんですのにね。
石原都知事の尖閣買い取りの寄付金募集などには半年で15億というお金が集まったり、
(6日間で1億円ですって。片や同じ東京都の寄付金募集で、オリンピック開催には
5日間でわずかに2万円!)

しかし、そういう大衆扇動・大衆迎合に長けた政治家とそれにやすやすと従いていく
民衆を嘆くその一方で、NANTEIさんが、今日教えて下さったような、
今の政治に不安と不信を抱く人々の立ちあがり、も今、大きな一つの潮流に
なりつつあると思います。デモは、東京から日本のあちこちに飛び火しました…
『国民連合』ですか!いいですねえ…!
これこそ私なども強く願っていたことです!
嬉しいことを教えていただきました♪ ^^
今、自公、民社の一部、橋下、石原…など、右翼的な思想傾向を持つ者が
まとまりつつある不気味な動きの中で、本当の意味でそれに対抗しうる
勢力はどうして結束できないんだろう!…もうできないのかな…
9月はそれで元気をなくしていた私でした!
そうですよねっ。日本がこのままでいいはずがない!
沖縄も、福島も、岩手、宮城も置き去りにされたままでいいはずがありません。

>「小熊英二氏はその著書の中で『デモをすると何かが変わりますか』と問われたら
>『デモのできる世の中が出来ます』と答えると書いている。」

小熊英二氏、いいこと言いますね!
逆に言えば、デモのできない世の中などを作ってしまってはいけない、ということですね。
なにかあったら、気軽にみんながデモをする…そういう環境は是が非でも守らなければ。

社会党のビッグネーム。懐かしいでしょう?^^
皆、いい顔してましたよね。
社会党だけではありません。自民党の中にも、以前NANTEIさんがおっしゃったように、
リベラルな大物たちが数多くいました。リベラルでなくとも、一本筋が通っていた。
今のようにお互いになんだか小者たちが、小さな違いを細かくつつき合って
政治が進展しない、というのではなく、話のできる政治家がもっといたような気がします。
…それは何も日本だけの傾向でもないようですね。
つい先日のアメリカ大統領選の総括の中でも、これからのオバマの政権運営の
厳しさを語るとき、『民主党にも共和党にもかつては懐の深い政治家がいて、
国の大きな問題の解決を話し合いによって進めて行くことが出来た…』というような
嘆きがきかれました。
中国だってそうですね。孫文の懐の深さと言ったら……!

それは、今の小物になってしまった政治家たちの『野合』とか、
大きな政治哲学なき『妥協』とか『大連立』とは違う気がします。

黒金官房長官、砂田防衛庁長官、荒船運輸大臣…!(笑)
灘尾文部大臣、水田大蔵大臣、内閣官房長官井出一太郎く~ん…!(爆)










> それはそうと、私が今最もよく目を通すブログの中に、
> 「小熊英二氏はその著書の中で『デモをすると何かが変わりますか』と問われたら
> 『デモのできる世の中が出来ます』と答えると書いている。日本をデモのできない国にしたい人たちが権力に近付こうと動き出している今、デモのできる日本を守ることは大切だと思っている」として11月11日のことを書いていました。
> そのブログは「志村建世のブログ」といいます。
> この方は右にも左にも偏らない視線で、しかも平易な文章で社会問題を取り上げてくれるものですから、とても読みやすくいつの間にか愛読者になっていました。
>
> 彼岸花さんが書いておられた新社会党が社民党や共産党との連携を模索している気配についても、志村氏は「国民連合」結成の動きが水面下で活発になってきていると書いています。なんと「国民の生活・・・」以下「社民党」などの小党がすべて連合するというらしいのですが、「国民の・・・」の意外性は別にしても、総保守化に対抗するためには、それこそ小異を捨ててということもあり得るでしょう。
>
> その「志村建世のブログ」は、こちらで見れます。
> http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=4622032
>
> しかし、当時の社会党を引っぱっていたビッグネームたち!
> 社会党のみならず、自民党だっていまだに当時の各大臣の名前は、すらすら言えるほどです。黒金官房長官、砂田防衛庁長官、荒船運輸大臣など、渋いところまで・・・(笑!良し悪しは別として人物が一回りも、二回りも違っていたのでしょうね。
>
> それにしても・・・
> 日比谷の集会は本当に参加したかった。
> いろいろ、残念です。

おはようございます。

冷たい雨の中をご苦労さまでした。
実質的な日比谷公園での集会禁止。
石原都知事は論外としても、東京都議会はここまで無能になってしまったのか。
ということに愕然としています。
しかも、成田の農地問題の時もそうですが、司法のなんと堕落してきたことか。

それはそうと、私が今最もよく目を通すブログの中に、
「小熊英二氏はその著書の中で『デモをすると何かが変わりますか』と問われたら
『デモのできる世の中が出来ます』と答えると書いている。日本をデモのできない国にしたい人たちが権力に近付こうと動き出している今、デモのできる日本を守ることは大切だと思っている」として11月11日のことを書いていました。
そのブログは「志村建世のブログ」といいます。
この方は右にも左にも偏らない視線で、しかも平易な文章で社会問題を取り上げてくれるものですから、とても読みやすくいつの間にか愛読者になっていました。

彼岸花さんが書いておられた新社会党が社民党や共産党との連携を模索している気配についても、志村氏は「国民連合」結成の動きが水面下で活発になってきていると書いています。なんと「国民の生活・・・」以下「社民党」などの小党がすべて連合するというらしいのですが、「国民の・・・」の意外性は別にしても、総保守化に対抗するためには、それこそ小異を捨ててということもあり得るでしょう。

その「志村建世のブログ」は、こちらで見れます。
http://pub.ne.jp/shimura/?entry_id=4622032

しかし、当時の社会党を引っぱっていたビッグネームたち!
社会党のみならず、自民党だっていまだに当時の各大臣の名前は、すらすら言えるほどです。黒金官房長官、砂田防衛庁長官、荒船運輸大臣など、渋いところまで・・・(笑!良し悪しは別として人物が一回りも、二回りも違っていたのでしょうね。

それにしても・・・
日比谷の集会は本当に参加したかった。
いろいろ、残念です。

Re: やっちゃんさんへ

やっちゃんさん。こんばんは~~♪
はい!だいじょうぶ! ありがとう~♪
足元がびしょびしょになって棒のように冷たくなったけど、
東京駅の駅ナカで、エスプレッソにお砂糖たっぷり入れたの珍しく
2杯も飲んで、元気づけして帰りました~。
風邪ひくかなと思ってたけどだいじょぶでした。
(やっちゃんさん。更年期過ぎると楽だわよ。^^ 私もね、その頃は
異常なほてりと心臓の胸苦しさと、もう一歩も歩けない!って坂道で
立ち往生していたくらいのだるさと、…そんな時期がありました。
精神的には割と暢気なので、そうつらいことは覚えがないけれど、
それでもこのいつも穏やかなあたくしが(!爆)、ふすまに向かって
読んでた文庫本投げつけたりしたことあったもん!
好きな写真家のエッセイ、何冊も積んだの枕にして、涙流してたりね。)

今は、違ったことで悲しんでいますけれどね。
福島疎開裁判のYou Tube画像の、福島の人々の訴えは、ほんとに胸を
鷲掴みにします。
いつもね、デモに行く時は、遠かったり事情があったりしてそこには来られない
人々の想いも、背負っています。きっと他の人もそうだと思うの。
私は鹿児島には応援に行けない、でもやっちゃんさんと一緒に戦ってるつもりだし、
関西電力前にも大飯原発にも、六ケ所にも行けない…福島にも。
だから、心で応援して、そして出来ることがあったら、署名でもなんでもします。
…きっとね、今の政治に怒って、原発も止めたいと願っている人は、
100万人どころじゃない、200,300,400,500万…いると思うわ。

投票を棄権しない。ようくよくその政治家がやろうとしていることの中味を見て
投票する…そういう国民になっていかないとね。^^

やっちゃんさん。ありがとう♪
お互い、体は無理しないようにしましょうね。心もね♪ ^^



No title

彼岸花さん
冷たい雨の中本当にありがとうございました。
こうまで国家権力に弾圧されても万を超える人々が集まることの
大きな意味をしみじみと考えます。
いいえこの日ここに集う人だけでなく、
デモには参加できなくとも想いを同じくする多くの人々がいます。
それぞれの想い考えを怒りを私たちはこうして小さな小さな声を
ネットで発信することしか術がなく、、、やるせないですが
それでも続けていこうと思います。
疲れた時は休みつつ、、、。
彼岸花さんほんとにお疲れ様でした。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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