『静子叔母と正之叔父 ②』 忘れがたきひと 其の五

兄は当時、26歳くらいであったろうか。
しっかりした若者なら、もう一人前に一家をなしてもいいくらいの年齢である。
が、彼はまだ、職も居所も定まっていなかった。
彼ももがいてはいたと思う。
理想やプライドの高さと、現実のおのれの姿とのギャップに悩み、
自分の生きる道をまだ模索していた。
好きな女性もいて、一緒になりたいとは思っても、仕事も安定せぬ身。
母親や、妹の生活のことも考えてやらねばならない。
そんな鬱屈を酒と喧嘩に紛らす…。

そんな兄だったが、この叔父叔母には不思議に素直になれるようだった。
私たちにはもう一人、紳士服店をしている叔父がいたが、
その叔父は、兄のそんなありさまを見ると、情けながってつい、説教をする。
が、静子叔母と正之叔父は、「お前、今、何をしているのか」とも
兄に尋ねなかった。ただ、美味しいものを作って食べさせてくれるだけ。
私などは、5歳くらいの時に会ったきりの、10年ぶりくらいの再会であったが、
二人の家庭は、なんの気兼ねも構えもいらないと思わせる温かさ。
ただひたすらやさしい二人だった。

一日目は、日当たりのいい平屋の家の縁側で、兄は叔父と将棋を指したりして
寛いでいた。
私は叔母の持っている雑誌などをいろいろ引っ張り出して見る。
叔母も手がすくと、傍らに座って、ファッション談義などをしてくれた。
気の若い叔母だった。
私は、雑誌を見ながらも、手は、寮から持ち込んできた、レース編みを続けていた。
鮮やかな黄色のレース糸で、パイナップル編み、と言われていた編み方で、
ドイリー(花瓶敷きのようなもの)を編んでいた。
レース編み。今はすっかり廃れてしまって、やっている人も少なくなった。
私は長じてからはこういうこまごました手芸が嫌いになってしまったのでまったくやらない。
が、当時は女の人の趣味の一つで、大流行だったのである。
これができたら、叔母にあげたいと思って、私はせっせと手を動かしていた。

二日目。叔父は釣竿を三人分用意して、近くの池に釣りに行こうという。
叔父と兄と私の分。叔母は夕方の花見の準備で家に残る。
叔父の家の周りは住宅地といえどまだまだ開発されておらず、
少し歩くと、椿や楠などの繁る林や、日当たりのいい農道などがあって、
春の散歩にはうってつけのところだった。

植え付けのために掘り返された新鮮な土の香りがする畑の間の道をたどって、
やがて林の入り口にたどり着き、奥に踏み込んでいく。
まだ、落葉樹は浅い緑の芽を吹き出しはじめたくらいの時期だったが、
この地方に多い照葉樹は林の間につやつやした葉を輝かせ、
ボケ、ユキヤナギなどの灌木が花開いて、林はもうすっかり春めいていた。
雑木の間に、深い緑色をした水面が見えた。
湧水ではなく溜池だったろうか。

父に似て釣りの大好きな兄は、大喜びで早速釣り糸を垂れる。
叔父は万事のんびりしていて、私の釣り針に餌などをセットしてくれると、
穏やかな顔して、釣竿を構える。
池面は凪いだように滑らかで、果たしてどんな魚がいるものやら。
でも、叔父も兄も、別に何かを釣り上げようというのではなく、
のんびりした叔父甥の気楽な時間を楽しんでいるふうだった。

春の日差しがポカポカと温かく、林の奥で時折ウグイスが鳴いた。
私たちの背後には大きな椿の木が枝をさしかけていて、
小さめの真っ赤なその花が、私たちの足元にも散り落ちていた。
ああ、眠くなるような春の日……!

その日の釣果は一匹だけだった。
それも私が釣った!叔父でも、釣り好きの兄でもなく。
釣ったのは、赤い金魚!(笑)
誰かが池に放したものらしい。10センチにも満たない小さな赤い金魚。
しかもそれは、釣ったというよりは引っかけたと言った方が正確。
私の釣り針に其の金魚のえらがかろうじて引っかかっていただけなのである。
勿論すぐに池に放す。
三人は笑いさざめきながら夕方まだ早い時間だったが、叔母の待つ家に帰って行った。

そのあと少しして、だいぶ長くなった春の日が林の陰に隠れる頃、
私たちは叔母も一緒に、さっきの林に夜桜見物をしに行った。
釣りをしたところもそうだったが、この林には山桜がたくさんあった。
それを夜、見物に行こうというのである。
叔母はこの時のために朝から忙しく立ち働いて、豪華な弁当を作ってくれていた。
重箱三段に、野菜の煮物や卵焼き、私の好きなかまぼこ、焼き魚、
酢のものなどなど。

あまり奥に行くと帰りが大変なので、林の入り口に割合近いところの、
大きな一本の山桜の木の下で、用意してきたござを広げる。
着いたときは山桜の上にまだごくわずかの赤みを残す夕暮れの空が広がっていたが、
重箱などを広げて、叔父叔母と兄が酒を酌み交わし始めるころには、
あたりはすっかり日が落ちて暗くなっていた。
強力な懐中電灯と、カンテラ2個の明かりで、酒盛りである。
頭上には夜目にも白い山桜の花。

叔母の花見弁当はとてもおいしかった。
煮物などは母と同じ味付け。
ここで私は初めて、玉子焼きに海苔を巻き込んだものを食べた。
香り高い海苔を渦巻状に巻き込んだ玉子焼きは、見た目もよかったが、
何より、海苔の磯の香が香ばしく美味しかった。
そうして、私がさらに初めて知った美味がもう一つ。
それは、タラの芽の酢味噌和えとてんぷらである。

さっき、釣りの帰りに、叔父と兄が採っていたものはこれだったのか!
初めて食べたその春の山の味は、少しほろ苦く、酢味噌和え、てんぷら、どちらも
本当に美味しかった。

頭上に広がる、白い山桜の花と暗い夜空を見ながら、
私はしみじみ叔父や叔母、そして兄と過ごすこの一夜の幸せを想った。
誰に気兼ねすることもなく、誰に文句もない、それは極めて和やかな、
親密さに満ちた、春の一夜であった。


私はそれきり、この正之叔父と静子叔母には会っていない。
その2年後、高校を卒業した私は、東京に出てしまったからである。

話に聞けば、二人はその後、正之叔父の親せき筋にあたる私と同じくらいの年の
少女を養女に取ったそうである。やはり二人きりの生活は寂しいと思ったのであろうか。
本当は二人は、私を養女にしたかったらしい。
姉である私の母には4人の子がいたから。
でも、母がそんな話に乗るはずはなく、二人はその子を家に迎えた。
しかし大きくなって迎えた子。何かとその後問題があったらしく、
養子縁組は解消。
二人はまたもとの二人の生活に戻った。

たがいに音信をしないまま月日は流れて、30余年。あるとき、私はふとこの叔父叔母が
たまらなく懐かしくなって、二人に長い手紙を書いたことがある。
これも長く無沙汰を重ねていた長姉から、故郷の町に遊びに帰っておいで、という
やさしい手紙があるとき着いた。
その中に二人のこともちらっと書いてあったからである。
長姉だけは、二人と年始の挨拶などかわしてその消息を知っていたいたらしい。

その春の思い出がとても懐かしく幸せだったことの礼や、
高校をでてから以降の自分の消息などを書いた長い長い手紙を。
書いたは書いたが、想いが十分に伝わっていない気がした。
長年の無沙汰で、なんとなく心の敷居が高くなり、手紙を出してどうなるものかな、
というためらいもあった。
しかもその時現在の住所がわからない。
長姉にいつか尋ねて、またもっといい手紙を書きなおして、と思っているうちに、
静子叔母が亡くなったことを長姉から聞いた。
音信のない私のところにその知らせは来るはずもなく。
兄一家も知らなかったのではないだろうか。
ああ。ひょうきんで気さくな、やさしい叔母だったが。

出そうと思っていた手紙は、バインダーの中に挟んだまま、今もおそらく
本棚のどこかにそのままある。

ああ、なぜすぐに長姉に二人の住所をきかなかったかなあ。
叔父は警察を定年で辞め、二人はそれまでずっと一緒に勉強してきた書道の技を
生かすべく、二人で書道教室を開いて、子供たちを教えていたそうである。
子供たちに囲まれて和やかに過ごす二人の仲のいい姿が見えるようである。

手紙、届いていれば、どんなに喜んでくれたかなあ。
それとも、姪の一人である、長年音信不通の私のことなど忘れたかな。
いや、そんなことはないな。大喜びした二人から、きっと達筆の手紙が
すぐに帰ってきただろうな。
娘のことなど、孫のように喜んでくれただろうな。

ああ。自ら選んだ生き方とは言いながら、人と人との縁を大事にせず、
根無し草の心性を持って生きてきた自分の罪深さよ。
父を捨て、母に孝行せず、兄姉との交際も自分からは進んでしてこなかった私。

長姉からの便りでは、正之叔父も、2年ほど前に亡くなったそうである。
ほんとにいい叔父だったが…。
血のつながった叔母は亡くなっても、せめて優しかったあの叔父に、
悔やみの言葉と慰めを兼ねて、詫び状を出せばよかったな。


帰る日までに編みあげて叔母にプレゼントした美しい黄色のドイリー。
あれはどうなったかな。ずっと持ち続けていてくれただろうかな…。
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Re: waravinoさんへ

あ。昔の記事、ご紹介しましたらお読みくださったんですね。
ありがとうございます。
兄弟といえども、相性のいい悪いは出てくるのでしょうか。

この叔父叔母は、本当に夫婦仲がよく、家庭にほのぼのとした空気が
流れていました。人生でおそらく3回くらいしか会っていないのだけれど、
それも2回は記憶がないくらい小さい時なんだけれど、私には
とても懐かしい人たちです。
家族が崩壊して、帰る家もない兄妹にとって、夜の海に浮かぶ
灯台の明かりのようだった。^^
その後もどうして連絡とらなかったかなあ、と悔やまれます。

その頃兄は山口にいたんですよ。と言っても宇部市ですけれどね。
waravinoさんは小さな子供さんだったかな。^^
ひょっとして生まれてらっしゃらないかな!(笑)

^^

相性というのがあるんでしょうね。
自分は兄1人姉二人の4人兄弟ですが。
兄弟としての縁は薄いです。

幼い頃からそうでしたが。
上の3人に違和感があるんですね。。
話も合わないし。
ほぼ他人と同じようなものです。
せめて感性がどこか似ていて。
話の通じる兄弟がいれば良かったかなと思いますが。
こればかりは仕方がないですね。

叔父叔母とは言え。
彼岸花さんが相性のいい関係が持てた事は幸せですね。
自分にもそういった想い出が欲しかったです^^)/

Re: そらまめさんへ

だいぶ長い返信コメでびっくりなさったでしょう?(笑)

いや~、結構いろんなことを含んでいる問題で、
あれでもまだよく書ききれていません(もっと長いの?笑)。
頭がもう少しはっきりしていたら、もっとまとまりのある内容にできたんでしょうけど。

『一人で生きていくこと』ということに過敏に反応したのは、
やはり娘のことが心配だからだと思います。
彼女も私に似て、人の輪を広げていくタイプではない。
私亡きあと、彼女が寂しさに行きくれるとき、誰が彼女を
支えてくれるだろうか、そう思うと、私自身がもっと生活の場を
広げて、彼女の生きる場を少しでも広げてやっておくべきだった、
と、今にして思うんですよね。
一人っ子でしょう。だから兄弟姉妹にも頼れないわけだし。
甥姪もいないわけだし…。

親が子供にしてやれること…何なんでしょうねえ。
私はね、その一つは「教育」だと思ってたんですよ。
一人でも生きていける力を身につけさせておくことだと。
その点ではまあ、十分にしてやったかもしれない。

でも、私の教育には、すと~んと抜け落ちているものがあって、
それがこの、『人の輪』というものだったかもしれない、と、
今になって大反省しているのです(笑)。

ブログを始めてから学んだことってとっても大きいです。
そらまめさんをはじめ、多くの方と知り合いになれました。
そのことの楽しさ素晴らしさをこの年になって知ったみたい。
ひとのやさしさ、というものも……。
不思議とこのブログのコメント欄というところでは正直にものが言えるんですね。
こうやって、なぜかしみじみそらまめさんとお話しできますものねえ。
お顔も知らない、背景も知らない…、なのになぜでしょう。

そらまめさんも内向的でいらっしゃいますか。
私も、もろ内向的です(笑)。
本当に友人ってどこまで踏みこんでいいのかわからないですよね。
私は常に一歩距離を置くタイプでした。
でもね、知人の方で、ものすごく友達を大事にする方がいる。
彼女はね、自分の家族と同じくらい友人たちも、そのまた友人たちも
受け入れて大事にするんですよ。
そのつながりはものすごく濃く深く、病で倒れた時、離婚騒動で苦しんでいるとき、
子供の非行に悩むとき…どんなことでもお互いにごく自然に助け合っちゃうの。
そういう方を見ていると、ああ、友達ってすごいなあ、と思うんですけど、
では私もその輪に入れていただきたいか、と言うと、
私はやっぱり一歩引いてしまうんですね(笑)。
これはもう性分ですかね。
友情に身を任せたい!!!と思うこともありますけどね(笑)

私はブログのコメントで、一番自分を出してるんじゃないかなあ…。

叔母もどちらかと言うとそういう風に人を温かく受け入れるタイプの
ひとでしたが、ほんとですねえ。それだけに、子供たちが帰った後の
祭りの跡の寂しさのような寂寥…それは余計に強く感じていたかも
しれませんね。
ああ、もう一度会いたいなあ。

そらまめさん、ありがとう。お話しするのっていいわね(笑)。

No title

熱い返信コメありがとうございます。
コメント欄だけではもったいないような、そんなお話でした。
(是非皆さんにも読んでいただきたい・笑)

<『自分』というものを、とことん大切にしたい、と思ったら、
家族と生きる道を選ばず、『ひとり』を選択する道もそれはそれでいいのかなと。

学生時代はそんな生き方に憧れていました。
それはまだ『夢』を見ていられた年頃で、今となっては(犠牲ではなく選んだ道と
言いましょうか)自分自身、そこまでの強さを持っていなかった気がします。
今でもほんの少し後ろ髪引かれる思いですが。(苦笑)

その上『ヒトとの縁』を大事にしているようで、実は内向的な私。
地域密着・親戚付き合いの濃さという両親の影響・環境もあると思うのですが
表面では色んな方と楽しく話しができても最終的に頼れる・素直に甘えられる
のは家族という核しかないという思想・・・。
(友達にもどこまで甘えたら良いか、踏み込んでよいのか未だ悩みます)
だからその叔母さまが夫婦2人っきりと聞いた瞬間、普段は2人もいいけれど
家の中に子供が居たら逆に思い出す寂しさを想像してしまったわけなんです。
特に深い意味はなく、祭りの後の寂しさのようなイメージで。(笑)

最近よく考えます。
(友人の親や従兄弟や祖母が亡くなったりと不幸が重なったのもありますが)
親が子供に残してあげられるものって何だろうと・・・・。

Re: 朗さんへ

朗さん。ありがとうございます。
朗さんが、沈丁花の香りにふと私のことを思い出してくださり、
連絡くださったこと、それが『繋がり』ということですね。

『ふと思い出せる人の数が、きっと繋がりなんだと思います。』

ああ、いい言葉ですねえ。

どちらかと言うと、すぐに閉じてしまがちな私。
そんな私をふと思い出しお声をかけてくださる…。
それによって、どくだみ荘に閉じこもっていた私がまた
そっと玄関を開けて(笑)今またこうして朗さんとお話ができている…。
そのままにしていれば、繋がりの糸は切れてしまったであろうものを。
一声かけてくださることでまた、こうやって行き来ができる…。
それがどれほど嬉しくありがたいことかしれません。

風邪はもう大丈夫。またお訪ねさせていただきますね。
本当にありがとうございました。


繋がり

遠いところにいる人をふと思い出して、
あの人元気かなぁ。。
と想いを馳せる瞬間。
なんとなくありがたいなぁと思う瞬間でもあります。

そんな時声を掛ける手段に葉書や手紙は便利ですね。
電子メールのように即時に届かないので返事を要求する感じも無い。
ふとした空気を届けてくれる。

ふと思い出せる人の数が、きっと繋がりなんだと思います。
例え亡くなっていても繋がりは消えない。
亡くなった祖父母を思う時。 そう、感じます。

Re: そらまめさんへ

『ヒトとの縁は儚いもの』…。

私も本当にそう思います。
特に私は、母と同じように、故郷を捨て、係累とも縁を結ばずに生きてきたので、
この年になって人生を振り返ると、あの人この人、あの友この友…
多くの良き人々のことが思い返され、
「ああ、人の縁は儚いものだなあ…」と身につまされるように思ってしまいます。
私はこれまで、殆ど人とつながる努力をしてきませんでした。

まったく反対の生き方をする人もいますね。私の長姉などはそのタイプで、
浮気癖のある夫が癌に倒れた時、もう離婚しているのに最後まで面倒を見、
若いころからいじめぬかれた姑が痴ほう症になって後も、まだ意地悪なのにも
耐えて最後まで看取り、結局、離婚して婚家先とは縁が切れているにもかかわらず、
そうした長年の彼女の献身をずうっと見つめてきた舅から、全財産を譲られて、
今は悠々自適の老後を過ごしています。

根無し草的な性格の二人の妹(女寅次郎のような次女と私のことです。笑)に
いつでも帰って来いと優しい手紙を書き、親類、姻戚関係の人々を
大事にし、娘3人と孫大勢に恵まれ、でも、彼女らと同居は拒んで、
生涯その浮気癖に苦しめられた夫や、きつい姑の想い出の残る
古い田舎の家で、ヘビやイタチを友に(笑)たった一人で住んでいます。

ここに書いた叔父と叔母の人生。
そして長姉の人生…。
女寅次郎のように70を越えてなお、行方の知れぬ風来坊の次姉。
そして私…。

家族の思い出をこのブログにいろいろ書いていますが、
どの生き方が一番正しく、どの生き方がまずかったか、
なんて言えるものでもありませんよね。
振り返って思うのは、それぞれの人生がそれでよかったんだろうな、
ということだけです。
これを敷衍して、友人知人、芸術家や科学者など業績をなした人々の人生、
映画や小説の中に出てくる人物たち…、等々、さまざまな人生を俯瞰してみると、
「ああ、人生はいろいろあって面白いなあ…」
その一言に尽きるように思います。

私がここに、いろいろな家族のことや束の間すれ違った人々のことなど
よく書くのは、その、人の人生の淡い美しさ、人の関係の儚さ美しさを
書きたい…、それだけが目的であるような気がします。

人だけでなく、束の間、私のもとに来てその生命を全うしていった花たち、
毎日窓の外を飛び交うヒヨドリ、それから、2年に一度くらいしかかまってやらなくても、
私が行くと、涙を流さんばかりに喜んで飛びついて私の顔をなめまわした(飼い主も
不思議がるくらいだった)近所の雑種の犬…

そうした様々な命たちとの束の間の出合いと別れの儚さ、美しさを
記録しておいてやりたい…それだけが目的であるような気がします。
ただ懐かしんでいる、というのでもなく、
長い人生に束の間触れ合った人や物の一瞬の鮮やかさをカメラに収めるように、
映像にして切り取るように、私の脳裏に刻み込んでおきたい…
そう思って書いているような気がします。

それは、友とも親類とも、ものとも、あまり縁を結ぶことをしないできた
私の、贖罪、と言うと大袈裟だけれど、それに近いような感情かな、と思います。
とりわけ、父と母には。

この叔父と叔母。本当に私にも兄にも優しかったんですよ。
何の気兼ねもいらず、静かに穏やかに愛してくれた気がします。
子供のいない夫婦のやるせなさと、家が崩壊してしまって帰る所さえない
私たち兄妹の寂しさが、この春の日に出会って、しみじみとした優しい関係を
生みだした、という気がします。
叔母は寂しかったのかなあ。明るい、よく笑うひとで、旦那さまと本当に
仲がよく、二人だけで充足しているように見えたんですけどね。
こころのうちはわかりませんね…。

なにが人間の幸せなのかなあ、と最近よく考えます。
ちゃんと(笑)結婚して、子供を生み育て、社会の一員としてまっとうに働き、
老後は、子や孫、ひ孫に囲まれて大往生を遂げる・・・。
それは確かに幸せな人の生き方の一つの典型ではあります。
でも、そうした人生で犠牲にしていくものは自分の中に山ほどあるでしょう。
『自分』というものを、とことん大切にしたい、と思ったら、
家族と生きる道を選ばず、『ひとり』を選択する道もそれはそれでいいのかなと。

こんなことをいうのは、自分のひとり娘が、後者の道を歩こうとしていっているから。
彼女はあと数年で40歳。家庭を選ばず、仕事の道をとりました。
付き合っているひとはいるけれど、結婚したり子供を産んだりはしないでしょう。
私が死んだあと、彼女がどういう人生を歩いていくのか不安でないというと
嘘になります。
でも、それも、彼女自身が選んだ道。やりたいことをやりつくして生きたのなら
それでしあわせなんじゃない?そう思うことにしています。
堅実な生活をするように仕向けてこなかったのは、母親である私の責任。
でも彼女がもし、仕事を捨てて、家庭人になっていたら安心だったか、と言うと、
それもわかりませんものね。
日本ではまだまだ、女性が家庭と仕事。その両方で自己実現するというのは、
なかなか大変です。

ああ、ここに踏み込むとジェンダー論になって、これはまた大きな問題になります。
素晴らしいコメントいただいたのに、何かとりとめもない返事になって
ごめんなさい。
待ってください、と期待させたわりには大した内容でもなく(汗、笑)。

風邪をこじらせて咳がひどく、夜眠れません。
睡眠不足と薬のせいで、頭がよく回らない彼岸花でした~。

Re:そらまめさんへ

とっても大きなテーマをいただいた気がします(笑)。

今、考え考え、途中まで返事を書いていたのですが、
これはコメント欄で収まりきれないような気もしてきて、
いま、再び考えこんでいるところです。

返事、もう少しお待ちくださいね~。

No title

ヒトとの縁は儚いものだと思ってます。
どんなにウマが合っても互いに会おうと努力しないと社会の時間の流され
簡単に距離が離れていってしまう。
だから私は縁を保ちたい相手には積極的に声をかけようと思います。
それでも後悔している【離れてしまった友】もいます。

面倒臭がらずに、躊躇せずに『元気してる?』と一声運動。(失笑)
でも・・・コレ難しいんですよね。
やっぱり、それぞれ家庭や社会がありますから。


彼岸花さんの叔父さん叔母さん夫婦のような子供が欲しくて、でも出来ない
仲の良い夫婦・・・身近にも何人かいます。
そんな2人の家庭に子供達が遊びに来る・・・・どんなに複雑な思いを抱えて
いただろうと想像してしまいます。
今ほど自由な家族のカタチが認められていない時代、叔母さんも随分と肩身
の狭い思いをされていたのではないでしょうか。
もしかしたら、2人の方から親戚との距離を作っていったのかもしれない。
・・・・・・・すいません、本当に想像し過ぎました。(汗)

残酷な幼児虐待のニュースを見かける度に、世の中の悲しさ切なさを感じます。


独身の男女が増え、子供が減っていく。
日本の未来のためとかそういう問題ではなく、何はともあれ世の中の未婚者は
長い生涯を共に過ごす伴侶を探す(または子供を作るとかの)努力をしなくては
いけませんね。自分のために。(苦笑)

Re: 依里さんへ

メールフォームから、お返事送っておきました~。
お便りありがとう。

No title

長文になりそうなので、メールフォームから送ります。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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