『冬の谷間の記録』に寄せて

こんな本があります。

『冬の谷間の記録』…

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これは、私のブログを訪れてくださる『Aya 光年の森』ブログのすーさんの、
お父さまの遺作とも言える作品です。

すーさんへの友情を籠めて。そして一人の、誠実に生きた作家への尊敬を籠めて、
この記事を2013年という、厳しさの予感される年の、実質上の最初の記事にしたいと思います…
長いですが、一所懸命、今の私のすべての想いを籠めて書きました…
どうかゆっくりお読みくださいね…

すーさんのお父さまの遺作『冬の谷間の記録』(上下)は、
ここから電子書籍をお読みいただいたり、製本したものを購入することが出来ます。

http://onamomi.biz/



すーさんの紹介文から、一部引用させていただきます。

 鈴木与一は、1996年6月、64歳で他界しました。
父は56歳の時に病に倒れ、その後8年間の闘病生活のなかで詩や小説を書き遺しました。
「冬の谷間の記録」は余命2年と宣告され、全身全霊を傾けて執筆に挑んだ
長篇小説(原稿用紙726枚)です。高校教師や会社経営などを生業とした父でしたが、
作家になる道は青年時代から志していました。晩年、病と闘わざるを得ないことに
なりましたが、そのことによって天から執筆する時間を与えられたのだと僕は思います。

 物語は、戦前に生れた主人公が13歳の時に敗戦を迎え、上州から上京して大学生活に入ります。
戦後間もない1950年代の日本は、日米安保反対闘争など様々な運動が
全国的に展開されながら、志ある学生たちも必死に生きる時代でした。
主人公は、イデオロギーによって革命家になろうと決意して行動して行きます。……


これは、ひとつの時代を象徴するような、一人の青年の青春の記録です。

第二次世界が終わって、敗戦国日本はアメリカの占領下にありました。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP)は、日本の民主化を進め、その中で
戦中は非合法とされていた日本共産党は合法的に活動が出来るようになります。
社会主義を背景にした労働運動が激化。日本共産党は、1949年1月の、
第24回衆議院議員総選挙で、なんと35議席を獲得します。
しかし、同じ1949年に中華人民共和国が成立。
朝鮮半島が不穏な状況になってくると、GHQ/SCAPは、共産主義の脅威を
いうようになり、一転、共産党等の活動家を弾圧する方向に施策を切り替えます。
この年には、下山事件、三鷹事件、松川事件といういわゆる国鉄三大ミステリー事件が
立て続けに起こります。日本共産党と国鉄労働組合がこれらを仕組んだのだという
プロパガンダがなされ、そのために、日本共産党・共産主義者排斥の空気は
一挙に高まっていきます。

1950年5月、マッカーサーは日本共産党の非合法化を示唆。
6月に徳田球一ほか日本共産党中央委員24人、及び機関紙「アカハタ」幹部といわれた
人物を公職追放、アカハタを停刊処分にします。

『冬の谷間の記録』の中から引用しましょう。

24名の中央委員全員の公職追放に続いて、新聞界七百名、映画界百余名、
公務員七百名、民間各社で約一万名と、米軍の要求でレッド・パージさ。
(中略)…今年の四月にマッカーサーが解任され、リッジウェイ中将が引継ぐと、
戦争責任を問われて公職追放になっていた連中が次々と解除され、動き出している。
CIAや公安の動きも目立つし、紐つきの単独講和が強行されそうなんだよ」


レッド・パージ、いわゆる『赤狩り』です。共産主義者、またその同調者という烙印を
押された者が、公職から追放されたり、民間でも職を失ったりしていきます。
アメリカ本国でも、マッカーシズムという赤狩り旋風が吹き荒れます。
これは、1950年2月。アメリカ合衆国上院で、共和党議員のジョセフ・レイモンド・マッカーシーが
「205人の共産主義者が国務省職員として勤務している」と告発したと伝えられる演説を契機に、
ハリウッド映画界などをも巻き込んで大規模な「赤狩り」に発展した事件です。
『マッカーシズム』について若い方はあまりよくご存じない方もおいででしょう。
上記Wikipediaの記載などをぜひご覧ください。

本題に戻りましょう。
このように、前年から吹き荒れ始めたレッド・パージと、1950年の朝鮮戦争勃発。
日本に置かれた米軍基地から、次々にB29が朝鮮半島に飛び立っていく。
手痛い敗戦を経て、アメリカ占領下にあったとはいえども、せっかく民主化に動き始めた日本。
その日本で、CIAや公安が暗躍し始め、再び思想統制が苛烈だった戦時のきな臭い臭いを
させ始めた…そんな時代の1950年代前半。主人公は東京で大学生になるのです。

主人公は13歳で終戦を迎えた。彼は戦争中の尽忠報国の軍国主義教育のありさまも、
教師たちが、終戦後、手のひらを返したように民主主義を標榜するようになる
その変わり身の早さもその狡さもつぶさに見てきています。
戦争はほとほといやだ…!
彼の心にはそのことが深く刷り込まれました…。
…しかし、戦前から戦中、国中が戦争にまっしぐらに突き進む中、
いのちをかけて戦争に反対し続けた一群の人々がいたこと…
それが共産主義者たちであった!

そのことをしっかりと認識するのは、大学に入って、大学の自治会に
つながりが出来て顔出しするようになってからです。

けれども、彼は一家の期待を一身に背負っていた。生きるためのアルバイトもあります。
思想問題に興味を持たないわけではなかったけれど、もともと彼は、むしろ、
高校の頃は文学を志向していました。戦中の価値観を引きずるいやな教師もいたけれど、
高校には多くの素晴らしい教師たちがいて、彼は彼らから文学の手ほどきを受けていました…

その彼が、決定的に運動の方に身を投じていくのは、1952年のメーデー…
後に『血のメーデー事件』と呼ばれる騒乱に意図せずまきこまれてからです。
その後の彼は、その一本気な、正義感と責任感の強い性格も相まって、
まっしぐらに学生運動にのめり込んでいきます…
そして、ついに、共産党に入党します…

そこからの彼の青春は、そして彼を取り巻く仲間たち…共産主義運動に身を投じ、
あるいはそこから抜けていく…その彼らの青春は、本当に苛烈です!
ある者は、運動の路線の違いから仲間から厳しい糾弾を受けて、グループから追われていく…
ある者は、『家』を背負う重圧と運動のはざまに立たされて、学校をやめ
都落ちして行ったり、自ら死を選んだりします…
彼のまわりで、どれほど多くの若者たちが、その一途さゆえに精神のバランスを
失って行ったり、自死を選んだりしていくことでしょう…!

主人公もまた、深く苦悩します。
自分は本当は、自分の卒業をただ一つの希望として待っている父母や弟妹のためには
学業をおろそかになどしていられない身分だ…。
文学・学問への憧れは、まだ彼の胸の中で燃えています…。
彼にはこころに深く想うひともいました………


わたし、彼岸花は、大体記事からおわかりだと思いますが、これまでずっと
選挙では、共産党か社会党(社民党)に票を入れてきました…
だが、自分自身は、どちらの党員でもないし、実は共産党と社民党の路線の違いさえ
真にわかっているとは言えないくらいのいい加減な、いわゆるただの『シンパ』でした。
ただ護憲や原発反対など政治のいろいろな考えかたで、この両党が自分の考えかたに
近いので、選挙時応援してきたにすぎない。
また、自民党の長い長い政権が続いて、国が一党支配されることの危険を
強く感じてきました。そのために、自民党にNO!という政党を応援してきたと言えます。

そんな私にとって、共産党に限りません…一つの主義を貫いて、それを守るために
政治活動に身を投じる、ということの現実は、実はほとんど知らないと言ってよい世界でした。
無論、少々のプロレタリア文学は読んでいます。
小林多喜二『蟹工船』、宮本百合子『貧しき人々の群れ』『伸子』、中野重治『梨の花』…
でも、末端の党員の生活そのものを描いたものは読んでいませんでした…

共産党党員であること…
それはなんと厳しいものなのでしょう!
常に自己の中にある怯懦なこころと向き合っていなければならない。
党への忠実さ、仲間への信頼と献身…
何よりも共産主義の根本原理、そして党則への忠実さが常に問われ続ける…
仲間同士の批判だけでなく、自分の良心に恥じないかということと常に向き合って生きねばならない…

その党則や党の方針が常に正しいならいい。…しかし、人間の集団には常に
矛盾や齟齬が生じがちです。特にこの時代の共産党は、その党の方針を巡って
激しい理論抗争が上の方で行われていました。
末端の党員はそれに振り回されます。昨日良しとした活動が、明日批判される…
…その理不尽とも戦っていかねばならない…

主人公も、常にこうした苦悩の内にあります。

私は、党員である、ということの重圧を、この本で初めて知ったかもしれません…
ここで描かれているのは、党の上層部ではありません。党の最前線にいた若者たちの群像です。
そのいわば末端の党員としての普通の人々の生活(1950年前半頃の)です…
私は、署名集めやデモでさえ、単独で行動したい人間です。
私にはこういう生活、こういう運動、…とても耐えられないな!と思いました。

…重い、重い小説です!


でも、すーさんの父君、鈴木与一氏の文章は巧みです。
こんな重いテーマですが、一気に読ませてしまいます。
…ここに出てくる青春群像の、なんと痛々しくも純粋なことでしょう!
主人公の目を通したその一人一人の悩み苦しみを、淀みない文章で、書いていきます…
これは、そういう、共産党員の学生たちの姿を描いていると同時に、1950年代初頭という
終戦後すぐの時代の、いわば荒々しい匂いも、私などにはまざまざと思い出させてくれます。
私はこの頃、まだ幼女でしたが、後に11才歳の違う兄が大学生になったとき
漂わせていた空気などの中に、この時代の同じ匂いを嗅ぎ取っていました…

さて。
それから共産党はどうなったでしょう…
この、血のメーデーの5カ月後の総選挙で、共産党は35の全議席を失ってしまいます。
その運動のあり方が一般国民の共感を失わせていったこともあるでしょうが、
何より、レッドパージなどCIA,官憲も絡んだ反共産主義宣伝が、国民に強く
刷り込まれたということがあったのでしょう。それからはずっと議員数一桁台の低迷が続きます。
しかし、全共闘運動等、学生運動が盛り上がった1969年に14人にまで増え、
1972年の衆議院総選挙では、一気に議席を38にまで飛躍させる!
1972年…これは一体どういう時代だったでしょうか。
この年、第一次田中内閣が成立。中国との国交が回復されます。
1969年の東大安田講堂攻防戦を頂点にする学生運動は、この年72年の2月に起きた
あさま山荘事件で、ほぼ終焉を迎えます。
アメリカでは、ウオーターゲート事件が起こってニクソン大統領が辞任に追い込まれました。
日本共産党は、この頃までには暴力によらない平和革命路線を鮮明にして党がまとまっていたこと、
クリーンな政党のイメージが定着しつつあったこと、社会党との共闘などで、
革新政党としての存在感を増していっていました…
1979年には39まで議席を伸ばしています。

しかし、2003年の第43回衆院選挙では、20議席から9議席に一挙に議席減。
それまでは曲がりなりにも10~20台の2ケタの議員数を維持していたのに、
この回から以降、今日までひとケタ台です…
この年、何があったのでしょう…
この時の自民党総裁は小泉純一郎氏です。自民党は10議席減らしている。
それではどこが大勝したのか?
菅代表の民主党です。民主党が40議席も伸ばして177議席に。
社民党も共産党と共に、12議席も減らしているから、要するに、社共の票を
民主党が奪ったのでした…
『自民党に対する党としての社共!』という構図を、国民がはっきりと捨て、
民主党にその役割を託した意味深い選挙だったと思います。
そこから再び社共が浮上してくることはありませんでした。


そしてさらに…ご存じのように、共産党は今回の衆院選挙では、8議席です。
社民党に至っては、前回の7から5議席も減らしてわずか2議席になってしまった!
参議院と合わせてもわずかに6議席になってしまいました……
あの!脱原発運動の盛り上がりを見せた2012年。共産党の志位委員長も
(社民党の福島瑞穂党首も)よくデモなどにも参加し、共産党は怖いという先入感は、
少しずつ取り払われていっているように思われました。
が、現実にはむしろ1議席減らしてしまいました…!

国民が最終的に選んだのは、改憲→軍国化そして原発推進の安倍自民党でした!

私は、一昨年からシリーズ記事として『第五の敗北』という記事を書き続けてきました。
自民党に対し得る政党としての社会党共産党の凋落を書いてきました。
リベラルの敗北の歴史です…。
(まあ、リベラルの定義は厳密にはややこしいのですが、私は
『極右的ネオリベラリズム」に反対する勢力』というような意味で使っています。
ネオリベラリズム。国家によるサービスの縮小と大幅な規制緩和による市場経済重視の経済思想)

第五の敗北。
それは私にとっては、リベラル最後の香りを残す脱原発の菅元総理への激しいバッシングと追い落とし、
そして自民党となんら変わらない保守色濃い野田政権成立を指していました。
2011年の春夏…あの時に、原発をこの国に54基も作り、今この国が抱える
数々の問題を生んだ自民党政治に対抗しうる政党は、この国から消えてしまったのだと私は思っています。

そして、去年11月8日の記事。『第五の敗北』シリーズの結びに、
「これが第六の敗北にならねばいいが」という危惧を書いています。

『第六の敗北』…それは、憲法を改正して国を軍事国家に徐々にしていく…、
国民を思想統制するような国家の出来(しゅったい)です…


11月8日に危惧していた、その時点でさえ、これほどのひどい結果は、実は私も
予測していませんでした。…国民の良識を信じていたのです…
だが、違った……!

『冬の谷間の記録』
…なんというタイトルでしょうか!

市井の一作家…尊敬を籠めて敢えてそう呼ばせて頂きます。
ここには、党の幹部として生きた人々やプロレタリア文学の代表作家と呼ばれる人々とは
また違う、一人の市民として生き抜いた人の誠実な視点があるから…

わたしたちは今、この市井の一作家の遺作の主人公、大学生賀来皓一が生きていた
冬の時代に突入しようとしているのでしょうか…
折角国民がそこから血の涙を流しながら脱出してきた戦争…
それなのにまた再びきな臭い匂いがする時代に戻ろうとしている冬の時代に。
『国家』というものが国民を統制する時代に。

皓一が共産党に入党を決意した、1952年5月1日の血のメーデー。
第23回のメーデーは、全国400か所以上で110万人の人が集まりました。
東京では40万人という大衆の怒りは、それまでは使用が許されていた人民広場(皇居前広場のこと)を
官憲が使用不許可にしたことに向けられた。会場は仕方ないので明治神宮外苑広場に。
ああ!それまでずうっと日比谷公園からデモ出発出来ていたのが、東京都の
横槍で突然出来なくなった去年の11.11集会と、なんと似ているのでしょう!

皓一たち学生民衆の怒りは、GHQの命令により警察予備隊(のちの自衛隊につながる)が
編成され、日本が再軍備することに反対するものでもありました。
朝鮮戦争が勃発して、日本に駐留していた米軍戦力がそれに向けられる。
日本の治安維持が手薄になるのを避けるため、アメリカが命じたのです。
ああ!安倍政権のやろうとしている軍備増強、自衛隊の国軍化と、なんと似ているのでしょう!

上で『冬の谷間の記録』から青い字で引用した部分に、
「戦争責任を問われて公職追放になっていた連中が次々と解除され」
という箇所があります。
安倍晋三現総理の敬愛する祖父である岸信介氏は、戦中に商工大臣、軍需次官などに就き、
経済統制を仕切ったということでA級戦犯容疑者として東京巣鴨拘置所に
収監されていた。それが冷戦の激化に伴いアメリカが日本を「共産主義に対する防波堤」と
位置づけ、旧体制側の人物を復権させアメリカに協力させることにしたお陰で戦犯不起訴となり、
1948年に釈放、公職追放となります。
そして、まさにこの1952年!サンフランシスコ講和条約の発効にともない
公職追放解除となっているのです。従って、この小説のその引用部分は、
『昭和の妖怪』とも後に呼ばれた第56、57代内閣総理大臣岸信介氏のことなどを
指して言っているのです。

安倍現総理の悲願の一つは、この敬愛する祖父の、A級戦犯容疑者の汚名を雪ぐことも
一つにあると言われています。

歴史の歯車が大きくぐる~っと旋回して、賀来皓一の時代に戻ってしまったような…!

戦前、戦中、戦後を通じて一貫して、日本共産党は、戦争に反対してきました。
だが、『人間は平等』というその基本理念が、すでに権力と巨万の富を掌中に握っている者たちに
とっては脅威でした。共産党は大金持ちの、すなわち権力者の敵とみなされる
宿命を最初から背負っています。
そのために共産党を蛇蠍のように嫌う権力者によって、共産党への弾圧や
ネガテイブ・キャンペーンがいつの時代も行われてきました。
日本のレッド・パージ、アメリカのマッカーシズムなどがそうです。
今でもそれは一般大衆の心に根強く刷り込まれています…。
『共産党』というだけで顔をしかめる人のなんと多いことでしょう。
『赤』という色さえ、色眼鏡で見られるところがあります。
『赤い花』は、ある種の人からは潜在的に嫌われるんじゃないかしら…
(私が彼岸花を名乗るのは、そうした偏見、色眼鏡への反抗心があるんですけれどね)

残念ながら、賀来皓一たちが命をかけて全魂を全生涯を賭けて育て守ろうとしてきたもの…
不戦の誓いが守られる国、平和を守ろうとする国、……
そうした日本は、今、その土台から覆されようとしています。

共産主義者、社会主義者…そうしたものをひっくるめて、『アカ』と蔑視する人々…
そういう人々は、自分たちが今、当然のこととして享受している権利が、
こうした社会運動家などの血のにじむような戦いによってかちとられたものであるということを
もしかして知らないのでしょうか。

言論の自由…。今はまだ私たちはネットなどで自由にこうして言いたいことを書いたり出来ます。
でも、その権利はいとも簡単に政治家によって奪われ得るものです。
集団結社の自由…。組合を毛嫌いする人がこの国には多いけれど、無論そのありようは
多くの問題もあるだろうけれど、組合の権利のないのがどれほど怖いことか
考えてみたことがありますか?
例えば労働時間が大体8時間で守られている…それは昔からそうだったわけではありません。
少年さえもが16時間安い賃金でこき使われていたひどい時代もあったのです。
最低賃金だってそうです。最低賃金が守られていなかったら、自給300円などと
会社から言われてもなんともどうとも抵抗できない…そういう時代もあったのです。
会社の厚生関係の権利もそうです。…健康保険や退職金が当たり前のようにある…
男女同権もそうです。育児休暇もそうです。
…私たちが今、当たり前のように享受している諸権利は、先人達が血と涙で
勝ち取ってくれたものです。そしてそれは、実はいとも簡単に奪い去られ得る…!

そのもっとも大きなものに『平和』があります。
『健康で安全に好きなところで生きる権利』があります。
『労働に見合った正当な対価と福利厚生』があります。
それらも、いとも簡単に奪われ得るのです!

原発は、福島の人々の、父祖の地で健康に安全に暮らす当たり前の権利を奪ってしまったじゃありませんか!
組合のない福島第一原発の下請け、孫請け…の作業員たちは、あの危険な仕事を
国民のためにしながら、途中でその当然受け取るべき賃金をピンはねされて
日給わずか8000円(ほぼフルに働いても大卒の初任給くらいにしかならない…)くらいで
今も働いている人がいます! 被曝して体を壊しても彼らは使い捨てです!

人間は幸せな時は、こうした、自分が享受している権利に気づきません。
それらは永久に失われて初めて、その価値がわかるものです。
気づいた時にはもう遅い…

わたしたちはこの12月。怖い選択をしてしまいました。
私は実は、まだそのショックから立ち直れていない気がします。

先人たちの努力を、私たちは水泡に帰してしまったのでしょうか?
自民党に対抗しうる勢力の無くなってしまった今、その原発推進、TPP、
憲法改正と集団的自衛権の行使などへの意志を、いったいどうやって私たちは止められるのでしょう?

ちょうど時も時。
日本国憲法に男女同権の思想を明文化してくれたベアテ・シロタ・ゴードンさんが
1月1日亡くなられました。彼女が22歳という若さで、日本国憲法作りに
携わったことを、意外の感、というよりは『遺憾』という言い方で語っている人が
結構いました。彼女がそんなに若い女性であったことが、日本という国の
一国の憲法をつくるのには失礼だ!というような言い方です。
だから、日本国憲法は作りなおされなければならない、という所へ持っていきたがる…。

なんという言い草でしょうか。若くて女だったら失礼なのか?無能なのか?
それならば、この条項を入れたのが、年をとった男性だったら、まあ許すとでもいうのでしょうか?
そういう偏見を抱く人が多いからこそ、男女同権の条項を明文化する必要があったのでは?
私は、ベアテさんに感謝を捧げます。そして心からの哀悼を捧げます。

人間の生きていく諸権利…
それを守るには、私たちはしっかりしていなくてはなりません。
それを明文化するまでに、どれほど多くの先人達が戦ってきてくれたことか!
それは、なまじいな戦いではなかった筈です!
ただの慣習化、暗黙の了解、曖昧な合意ではだめなのです。そんなものは一挙にひっくり返される!
野田政権の『2030年までに原発ゼロ』が、一挙にひっくり返されたように…。

最後に。この詩を思い出してください。

       『歌』          中野重治

 おまえは歌うな
 おまえは赤まんまの花やとんぼの羽根を歌うな
 風のささやきや女の髪の毛の匂いを歌うな
 すべてのひよわなもの
 すべてのうそうそとしたもの
 すべての物憂げなものを墢(はじ)き去れ
 すべての風情を擯斥(ひんせき)せよ
 もっぱら正直のところを
 腹の足しになるところを
 胸元を突き上げて来るぎりぎりのところを歌え
 たたかれることによって弾ねかえる歌を
 恥辱の底から勇気をくみ来る歌を
 それらの歌々を
 咽喉をふくらまして厳しい韻律に歌い上げよ
 それらの歌々を
 行く行く人々の胸郭にたたきこめ



              注:擯斥(ひんせき) しりぞけること。排斥。

プロレタリア作家、中野重治のあまりにも有名な詩です。
自分の思想を貫くためには、
それを詩に表現し抜くためには、
やわやわとした私情は捨てろ!と自らに決意する歌。
年下の同志に宛てたともどこかで読んだ気がするが、出典がわからない。

命がけで、こうした戦いを続けてくれた先人達が勝ち取ってくれた権利。
それをいったん手放してしまうと、
また、同じ苦しみを辿って、手に入れなおさなければならないのです…





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Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。こんばんは♪

ああ、やっちゃいましたか!もうしわけありません!(笑)
どうして、長く一所懸命書いたときに限って、誤って消去しちゃうんでしょうね。
まあ、長いからミスが多くなるのは当たり前と言えば当たり前なのですが、
あのがっくりったらないですよね~~!^^
自分で調べ物などしててついうっかり他のページなどに飛ぶのは
自分が悪いからあきらめもつくけれど、わけもわからず、いきなりGoogle
のページとかになっちゃって、コメントが消えちゃうときはほんとに頭にきます!(爆)
お疲れ様です…v-436

硬い記事で申しわけないです…^^
でも、『第五の敗北』という記事の流れで、いつかは、共産党に対する
想いも書いてみたいと思っていました。
と言いましても、ここで書いたように、その活動の内実などはまったく知らなかったので、
ただ、外部から見た、社会党共産党の凋落への無念さ、という意味ででしたけれど。
そうですか…お仕事なさってると、それはそれはいろんなことがおありでしたでしょうね…。

かつて学生運動やっていた者が、後に苛烈な運動つぶしに向かうということも
多かったでしょうね。
人間の心性には、かつて自分が属していた集団と別れると、それを苛烈に憎むという
ところがあるのでしょうか…
自民党、民主党あたりの政治家や経済人の経歴などを見ていると、「えっ!このひと、かつて
学生運動やってたの!」と驚くようなひとがたくさんいます…
あの渡邉恒雄氏もかつては共産党に入党してたことがあるんですものね。
岸信介氏も社会党に入ろうとしたことがあったようだし…よくわかりませんね。

だからと言って、それを転向などと言って批判する気はないんですけれど…
大江健三郎さんのどの作品だったかなあ…若者が右翼に走るか、左翼活動に
加わるか、実はほんのちょっとした出会いや弾みで決まってしまうこともあった…
そんな一節をむか~し読んだ記憶があります。
そして、なにかのイデオロギーを信奉しても、それを貫くことは
本当に本当に大変なことだと思います。
私のように、ひとに縛られることがいやな者は、到底耐えられないだろうと思います。
だから、批判など出来ないです……。ただひたすら残念です…

ぎりぎりとイデオロギーを突き詰めていくと、やがて小さな差異が気になりだし、
すぐに内部で批判の応酬が始まってしまうのは、あの官邸前デモなどでも同じでしたね。
私のようなはぐれ者の一匹狼にさえ、中心メンバーの運動方針を批判する人があちこちに
いることが感じられましたもの…twitter上などでもそんな批判のやり取りを
見ましたしね。

共産党がなぜ凋落したか…
ご紹介いただいたサイト。読んでみました。
…つらいですね。
こんな感じだったのだろうなあ、と思わせますね。
…人が集まるところ、こうした政治集団でなくとも、必ず、こうして、たいして
理想もヴィジョンもないのに、トップの座にだけつきたがる人がいるように思います。
自分のいうことをきく者を回りに集め、直言する者は嫌って排斥する…
そうしてそういう人物はえてして、そういう意味の政治力だけには長けている、
ということがありますね。
組織の下の方にいる者は振り回されて大変です…
某政治家の顔などがぱあっと想い浮かんできます…

私はただの傍観者として社会党共産党を選挙の時だけ投票する、という
それだけだったので、内部の実情は本当に知らなかった…。
でも、傍観者であるだけに、そうやって、かつては志を同じくした者たちが
いとも簡単に内部分裂していって、本当の敵と戦う前に空中分解してしまうのが
本当に情けなく悲しいのです。
未来の党には最初から期待してなかったのでまあ驚きませんが、
それでもあの空中分解の早さはなにかせつないですね…

とにもかくにも、NANTEIさんや私の知っていた革新政党は、本当に風前のともしび。
もう、再び人気を回復することはないでしょうか…
これから大変な時代に入っていきますね。
埋火を消さないよう、大事に守ってやれば、新しい炭を足してかき立ててやれば、
再び、あかあかと炎が立つことはあるのかな…

大きな変革期に来ているのでしょうね。
なにか新しい方策、新しい変革を考えていく時代が来ているのかもしれません…
嘆いてばかりもいられませんものね♪

NANTEIさん。ありがとうございました!
 

こんにちは。

あああ!
また消えてしまった(泪!

この記事は辛かったです。
いろいろなことを思い起してしまいました。
私の仲間だった人はあろうことか、
企業内の「アカ」を始末する労務部長にまで出世しました。

例えは悪いですがヤクザに十手を持たせるようなもので、
安保で挫折した人の中にはまるで近親憎悪のように、
労組を骨抜きにすることに使命感さえ持つようになった者も多いと聞きました。

哀しい話です。

話すこし変えます。
私もずーっと共産党に票を入れ続けています。
今ではヤケのように書いてます(苦笑!

ただ唯一の左派になってしまいました。
私一人ではどうなるものでもありませんが、
共産党凋落の原因を洗い直そうと思っています。
いろいろな意見がありますが、やや古い記事、
http://www.geocities.jp/sazanami_tsushin/discussion/move3/m06083.html
を皮切りに勉強していきたいと思っています。

最後に中野重治氏の檄文のような詩、
わたしには目をそむけてしまいたくなるような、厳しく迫ってくる十数行でした。

Re: すーさんへ

すーさん。新年おめでとうございます。

記事にしてもかまわないとお許しを頂いてから、もう2カ月近く。
大変遅くなりました!
最初は、赤まんまの花がまだわずかに残る11月中に書くかなと思っていたのですが、
軽く扱いたくなかったので、一年のまとめの記事にするか、
新年第一号かどちらかだなあ、と心に決めました。^^

電子書籍用に原稿起こしなさるの大変でしたでしょうねえ!
でも、お父さまのいのちを籠めてお書きになられたもの…それはかたちにしませんと!
きっとお父さまもどんなにかお悦びでおいでですよ。

第2号購読者の名誉。大変光栄に思います。
一昨年から『第五の敗北』という記事のシリーズを書き続けていました。
なぜ、あのように悲惨な原発事故を起こしてしまったこの国が、その事実を
しっかり受け止め、これまでの経済至上主義、個々人の幸せや権利の軽視という
世界とは違う生き方を選んで行こうとしないのだろう…その疑問と嘆きから
書き続けて来たシリーズです。
長い間にわたる自民党政権…その対極にある党としての社共…
社民、民主両党については大体思うことを書きました。最後に共産党のこと
書きたいなあとずうっと思っていたのですが、なぜか文章に像を結びませんでした。
お父さまのご本を読ませていただいて初めて、書けそうな気がしたんですよ。

さて。これからまた、仕切り直しですね…。

自民党は、原子力発電をアメリカの言いなりに導入し、54基もこの狭い
日本に作って、福島の事故を起こしてしまった、その反省もないままに
また権力の座を取り戻してしまいました…なんでもできる政権の座を。
しっかり反対や牽制をしていかないと大変なことを次々に決めていってしまいそうです。
今は参院選のために人気取りのばらまきして、おとなしくしてますけれど。
美輪さんのように、経産大臣の前であろうがどうしようが、本当のことを
言える人が少なくなりました…

お引っ越し。大変でしたでしょう!

『賢治の学校・綾自然農生活実践場』。
すーさんの夢の実践場ですね。^^
なにごとも軌道に乗るまでが大変です。
でも、きっとすーさんなら、望みを一つひとつ実現してお行きになることでしょう。
人間は、土と完全に離れてしまってはいけないのだとこのごろ
痛感しています。

お体を壊されないようになさってくださいね。
ブログはまた、落ちつかれましてからゆっくりと。^^

ご本と出会えてよかったと、こころから思います。
ありがとうございます!
















> 叶いました。第1号の購読者はあさぎさんでした。そして彼岸花さん。
> 本当に有難く思います。それに時宜を得た、素晴らしい記事に僕は
> 元より、天から父が微笑んでいる気がしてなりません。心から御礼を
> 申し上げます。
>
> 美輪さん曰く、原発を推進してきた自民党は、国民に謝るべきだと
> 話していましたが全くその通りだと思います。今、日本は進化する
> 時です。それには個々の勇気と想像力が発揮されることで大きな力
> になると信じています。想像力を広げるには、文学はよい鍛錬になる
> のでしょうね。
>
> 僕は今、賢治の学校・綾自然農生活実践場というところに家族で住み
> 農と美と食を中心に、自然を真に愛することの出来る人間の可能性を
> 追求して行きたいと考えております。けれども子どもたちを養う仕事では
> ありませんから、平日は早朝から晩まで肉体労働をしています。今は
> 色々と忙しくてブログも更新出来ずにいます。今月中には書きたいので
> すけど……。
>
> 中野重治氏の詩。いい詩ですね。胸に刻みたいと思います。
>
> 友と宇宙の真ん中に坐り語らう本当の真心……。
>
> 彼岸花さん ありがとう ございました ^^

Re: スキップ宗林さんへ

スキップ宗林さん、こんばんは~♪

はい。私も、感動すると同時にびっくりしました。
抽象的にはわかっているつもりでしたが、実際に政治活動するということの
しんどさを初めて実感として知った気がします…
常に自分のこころとの戦いでもあるんですねえ…

私も学生時代、全共闘運動がいちばん盛んな頃だったんですけれど、
苦学生でしかも既に学生結婚していたので、心情的には、戦いに突っ込んでいく彼らに
体が痛くなるほどの共感は感じつつ、運動に積極的に加わることはしませんでした。
せいぜいべ平連のデモに加わったくらいです…
反代々木派と代々木派の激しいやり取りなども横から悲しく見ているだけでした。
どうして一緒に戦えないないのかなあ…と。
しょせん私も、傍観者だったんですね…
一つの想いを貫いていくことの苛酷さをこれを読んで知らされました。

『額に汗して働く人が報われる』…そうなんですよね。
共産党はそういう党です。
でもね、おっしゃるように、なぜか、日本では色眼鏡で見られます。
つい最近もなにかの記事で呼んだのですが、ヨーロッパなどでは
共産主義、社会主義に対するこういう偏見はそうは強くない。
アメリカと日本に突出して『シュギシャ』嫌いが多いと…。

きっとね、官憲の宣伝が、とりわけこの国の年配者たちにはしみついて
いるのだろうと思います。
若い人たちの間に右翼的な嗜好の強い人が多くなっているようなのは、
どうしてなんだかよくわかりません…。
もやもや~っとした現実への不満を、そうやって仮想敵を設定して
それを叩くことによって憂さ晴らししているとしか思えないのです。
働き口が無かったり、職場の待遇がひどかったり、…そうした人こそ、
共産主義的な思想になりそうなものですが。
きっとね、労働史のようなものがもっと広く知られれば、
今わたしたちにある諸権利を、どれほど一つ一つ大変な想いをして
そうした人々が勝ち取ってくれたか、ということがもう少しわかって
貰えると思うのですが。そういうことは学校じゃ教えないですしね。

一見豊かになったように見えるこの現在の社会では、わからないのかなあ、とも
思います。平和とか生存権…そうしたものは失ってみないと、その大切さが
わからないのかなあ・・・
失ってからじゃ遅いんですけれどね。

コメント。ありがとうございま~す。






>  時勢を考えると、詠むに値する本ですね。私の伯父も共産党員でした。中小企業の経営者であった私の父を思い、共産主義の世の中になれば、広ちゃんのお父さんのように、額に汗して働く人たちが報われるんだけどね」とよく言っていました。
>  共産党というと、今も、わが地域では「アカ」と呼んでますね。組合員であった私に、陰で、「八角はアカでないかね」と言っていたPTA役員もいましたね。共産党員というだけで、危険視する人が今も結構いるんですね。ちなみに、私、民青にもいませんでしたし、共産党員ではありません。新左翼の自治会で代議員やてましたから、世間では反代々木派の員数に入っていたのではないでしょうか。でも私は、学生会館建設にまつわる不正を追及するために、自治会にでいるしていただけなんです。
>  今、ここに及んでも、共産党が支持されないのは、年配者には「レッドパージ」の記憶が、若い世代には、ソ連崩壊が大きいのではないでしょうか。

感謝

彼岸花さん

明けまして おめでとうございます

昨年の5月から7月まで、必死に原稿を起こし何とか世に出すことが
叶いました。第1号の購読者はあさぎさんでした。そして彼岸花さん。
本当に有難く思います。それに時宜を得た、素晴らしい記事に僕は
元より、天から父が微笑んでいる気がしてなりません。心から御礼を
申し上げます。

美輪さん曰く、原発を推進してきた自民党は、国民に謝るべきだと
話していましたが全くその通りだと思います。今、日本は進化する
時です。それには個々の勇気と想像力が発揮されることで大きな力
になると信じています。想像力を広げるには、文学はよい鍛錬になる
のでしょうね。

僕は今、賢治の学校・綾自然農生活実践場というところに家族で住み
農と美と食を中心に、自然を真に愛することの出来る人間の可能性を
追求して行きたいと考えております。けれども子どもたちを養う仕事では
ありませんから、平日は早朝から晩まで肉体労働をしています。今は
色々と忙しくてブログも更新出来ずにいます。今月中には書きたいので
すけど……。

中野重治氏の詩。いい詩ですね。胸に刻みたいと思います。

友と宇宙の真ん中に坐り語らう本当の真心……。

彼岸花さん ありがとう ございました ^^

No title

 時勢を考えると、詠むに値する本ですね。私の伯父も共産党員でした。中小企業の経営者であった私の父を思い、共産主義の世の中になれば、広ちゃんのお父さんのように、額に汗して働く人たちが報われるんだけどね」とよく言っていました。
 共産党というと、今も、わが地域では「アカ」と呼んでますね。組合員であった私に、陰で、「八角はアカでないかね」と言っていたPTA役員もいましたね。共産党員というだけで、危険視する人が今も結構いるんですね。ちなみに、私、民青にもいませんでしたし、共産党員ではありません。新左翼の自治会で代議員やてましたから、世間では反代々木派の員数に入っていたのではないでしょうか。でも私は、学生会館建設にまつわる不正を追及するために、自治会にでいるしていただけなんです。
 今、ここに及んでも、共産党が支持されないのは、年配者には「レッドパージ」の記憶が、若い世代には、ソ連崩壊が大きいのではないでしょうか。

Re: 10日 00:42の鍵コメさんへ

鍵コメさん。ほんとに私も嬉しかったです。
皆さん、本当にいい笑顔!^^
こちらまでこころがほっこりです。

あ。寒いと、体温めようとしてエネルギー使うんですね。
わたし、寒さにすっごく弱いんです。
今日も、お出かけするとき、セーターの背中に貼るタイプのカイロ、
くっつけて出ました!
足なんか、こたつの中に入っていても、しんと冷たいことがある…
血液の循環が悪いのかな。

はい。おかげさまで、また少しづつ戦闘モードに戻りつつあります!(笑)
無理しないようにしますね~。
ありがとうございます。
鍵コメさんもね。^^



Re:9日22:41の鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは♪

真剣な、考えさせられるコメント。ありがとうございます。

そうですねえ…今の若い方々はどうなのかなあ…
昨日もね、愛川欽也さんのkinkin.tvというネットの討論番組見てたんですよ…
そのとき、日本国憲法を学校で習った習わなかったという話が出ていて…
塾にいた頃の記憶では、中三の公民という学科で、ちゃんと一応、日本国憲法の前文とか、
その他重要なことはちゃんと教えてるはずなんです。その重要性もね。
でも、昨日の番組の出演者たちの中にも、習わなかった、という口ぶりの
人もいたから……
学校教育に問題もありますね。歴史などは、最後の方の現代史は、
学年末で慌ただしくて、駆け足の授業だったり、間に合わなくて教えないままだったりって
結構あると思う。私も、高校生の時は、明治・・そうかろうじて昭和初期のころまでしか
やってもらわなかったような…
北京原人とかああいうところは妙にゆっくり教えてて、ね!(笑)
私は、現代史は別カリキュラムとしてきちんと時間かけて教えろ、って言いたいです。

あとまあ、おっしゃるように、家庭での会話というのも大きな教育効果を
持っているんですね。でも、今は核家族化して、両親は共働きで
子供たちはクラブ活動や塾通いなどで忙しい。
昔のように大家族で、大人たちが常にわあわあしていて、子供たちは聞くともなしに
祖父母や、おじさんおばさんや近所の人や親戚の大人たち、などの話を
じっと聴いている…というのにも、いい点が多かった気がします。

時代が変わってしまったのだから仕方ないのかな!^^


皆さんのえがお。ほんとにいい笑顔ですよねっ!^^
私もすっごくうれしいです!
鍵コメさんのおかげよ♪

ありがとうございます!

Re: 9日18:21の鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは♪

はい。読んでいて時代の空気を感じました。^^
私は3~5歳くらいなのですが、それでも時代の匂いは感じる…
作家の五木寛之さんが一級下。美輪明宏さんが4歳くらい下なんですね。
『てんぷら学生』などという言葉がありまして、大学に行きたいのに行けない…。
それで学生の恰好だけして大学にもぐり込んで授業聞くわけですが、
子供心にせつないなあ…その気持ちわかる…と思っていました。
五木寛之さんの以前ラジオ深夜便でやっていた『わが人生の歌がたり』
という、大好きな番組があったんですが、五木さんが語る彼の大学時代の
話などは、まさにこの時代。
彼は朝鮮半島からの引き揚げ者なんですね。お父さんがやはり必死の想いで
学費を工面してくれた…。でも、入学当初は泊まるところが無く、
数カ月の間、早稲田の穴八幡の床下で野宿して凌いだりしています。
血液銀行に血を売って、それで当座を食いつなぐ…そういう時代だったのですね…
美輪さんも上京してすぐは新宿駅で野宿。

でも、なにかこの時代の方は、一本筋が通っていたなあ、と思いますね…
私は全学連世代でなく、全共闘世代だったのですが、その頃の学生たちの運動は、
権力にたてつくことがかっこいいというような、一種の流行、自己陶酔がもうあって、
前の時代の全学連運動の頃の人々のような思想性は乏しかったような気がします。

こうやって、多くの人々が、この国が再び戦争などすることのないよう、
血のにじむような戦いをしてきた…
それが、この選挙で、根底からひっくり返されたこと。…本当に唖然とするというか、
がっくりするというか…あきれ果てるというか…

でもね、語ることをやめてはおしまい。
若い人々に、何とか平和の尊さを伝え残しておきたいです。

ありがとうございました~♪



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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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国境なき医師団
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