『バイオリンとやぎさん』 バイオリンその①

娘は小さい頃バイオリンを習っていた。
なぜ急に、バイオリンが出てきたかというと、ある方のブログでバイオリンの
お話をしたからで。

もう30年ほど前になる。娘のバイオリンが具合が悪くなったので、
先生に紹介され、あるバイオリンの制作工房を訪ねたことがある。
東京は渋谷の雑踏もそう遠くはないある住宅街の中。
といっても、高級な住宅街という感じではなく、なんとなく、
昔の町筋の残った、うらぶれた感じの住宅街。
かつてはどぶ川であったろう細い川はもう暗渠となっている。
その暗渠に沿った少し小暗い細道の奥に、その家はあった。
普通の住宅の一室をバイオリン製作と修理の工房にしている人の家だった。
壁にはできあがった真新しいバイオリンが幾挺もかけられ、
テーブルには作りかけのものが拡げられてあった。

そこでどんな話をしたか、どんな人だったか不思議に記憶がない。
ただ、駅からその家に向かう途中の、夏の日の午後の日差しの感じと
暗渠のある町の家々の翳の感じをふと時々思い出す。

娘がバイオリンを習い始めたのは3歳の冬。
後になってピアノもやり始めたが、なぜバイオリンが先だったか、というと、
単に知り合いに子供用のバイオリンを貰ったからで(笑)。
それがこれ。CDの大きさと比べてほしい。

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大人用のバイオリンを完全縮小したもので、バイオリンは子供の体の大きさによって
買い替えをしていかねばならない。
一番小さいもので、1/16。順に1/8,1/4,1/2,3/4,4/4 と大きくなっていく。
今、ちょっと娘のものの中をのぞいてみると、1/10 と書いてある。
こういうサイズもあったのかな。

娘は、中二までかろうじてお稽古を続けた。かろうじて、というのは、
もうその頃には本人も親も、バイオリンには才能がないなということが
わかってきたからということもあるし、本人の興味が絵の方に移っていたから。
それでもまあ、長いことやっていたので、発表会のときなどには、
コンチェルトを小編成のオーケストラと共に弾くくらいまでにはいった。
その頃弾いていた大人用のバイオリン。最初のものと並べてみよう。
年季が入った感じがするのは、買い替えるごとに、前の小さいものを
下取りに出して、また誰かの使っていたものを買い取るからで。

2010_0402_041439-CIMG1708_convert_20100403081230.jpg


娘にバイオリンをやらせたかったのは私である。
それは私が 果たせぬ夢だったから。

実は私も、幼いころピアノとバイオリンを習っていたことがあるのである。
バレエもやっていた(笑)。
その頃はまだ我が家も生活が割合豊か。母は私に期待をかけ、いろいろやらせていたのだと思う。
しかし私はその頃、大変虚弱な少女であった。
ピアノとバレエは数カ月も習わないうちに、2度の入院で辞めざるを得なくなった。
バレエは私の体を丈夫にしたい、という母の願いもあったのだろうが、
才能もなかっただろうし体力がつく前に病気になってしまったのである。
そのあと母が習わせ始めたのがバイオリンである。
娘のと同じくらいの大きさか、もう一回り大きい1/8 というサイズだっただろうか。


バイオリンの先生の家は、大きな、古色蒼然としたお屋敷だった。
暗い感じの大きな玄関と長い廊下を通って、広い洋間に通される。
洋間と言っても和洋折衷。畳に絨毯を敷き詰めた部屋は、障子からさす薄明りで、
これも明るい部屋ではなかった。
ゴブラン織り風のカバーをかけたアップライトがたのピアノが壁に据えてあり、
革張りの大きな応接セット、大きなガラス張りの書棚、フロアスタンド。
それらの間の空間を埋めるように、譜面台、雑然と本を積み上げた小テーブルがいくつか。
観葉植物やそのほかの鉢植えなどがあって、なんとなくごちゃごちゃしているところが
逆にわずかに居心地の良さを作りだして、子供の緊張をほぐしてくれていた。

先生は若い男の先生だったが、しかしこのバイオリンも長くは続かなかった。
これは私の方の事情ではなく、先生が急に東京に行くことが決まって、
2か月ほどでお稽古が打ち切りになったからである。
私が習ったのは、バイオリンの構え方と『日ノ丸』だけ(笑)。
『白地に赤く 日ノ丸染めて ああ美しや 日本の旗は』というあれ。
ご存じない方の方が多いだろう。昭和20年代の時代の雰囲気がわかろうというもの。
随分昔の話。だから先生の顔もお稽古の感じももう忘れてしまった。

先生の顔も忘れたのに、ここで淡く記憶に残っていることが一つある。
それは『やぎさん』。

錦鯉の泳ぐ池や築山のある広い日本庭園の奥に、この『やぎさん』は住んでいた。
と言っても、あの、白い体におひげを生やした動物の山羊さんではなく、
『やぎさん』というのは、このお屋敷の離れを借りて住んでいた人のこと。
お稽古を終えて、私がご不浄を借りようと長い廊下に出ると、
このやぎさんが、庭伝いに母屋にやってきて、縁側の大きなガラス戸を
外からがらりと開けて上がりこんでくるのに、出くわすことがあった。

『やぎさん』が母屋の人とどういう関係であったのかは知らない。
ただ彼が来ると、皆が『やぎさん』『やぎさん』と親しく呼んでいた。
それも、一種の尊敬の念を込めて接しているのが子供心にも分かった。
細身でどことなく飄々とした感じの初老の男性で、顎の下に半白の山羊ひげを蓄えていた。
『やぎさん』は『八木さん』であったのだろう。
しかし、皆が『ぎ』のところではなく、『や』にアクセントを置いて
呼んでいたので、いつも皆が『ああ、やぎさん』、などと言うと、
幼い私は笑いをかみ殺すのに必死だった 。
そんな私の頭を、いつも『やぎさん』は黙ってにこにこしながら、
ぐりぐりと撫でてくれた。

バイオリンで私が覚えているのは、この古い大きな家の暗い洋間と、庭に面した
長い縁側の明るいガラス戸。そこをやってくる『やぎさん』、が漂わせていた
時代の香り。それだけである。

それから、バイオリンの先生の家を出ての帰り道に、赤く咲いていた夾竹桃の花。
その夾竹桃の大きな影が、くっきりと強い日差しに道路の上に落ちていた、
そんな昔の住宅街の、夏の午後の光と翳の印象。
……それだけである。

私が、街の写真館でバイオリンを構えて撮ってもらった写真があった。
当時としてはとても洒落たワンピースを着せられていた。
赤に黒の細いテープでスカラップがスカートの裾と袖口に施してあるワンピース。
頭には、赤と黒に染めた羽飾りのついた小さな黒い帽子をちょこんと乗せて。
横向きの顔でバイオリンを構えている。



その写真も、引っ越し続きの家のどさくさにいつしか紛れて、
遠い時代の彼方に消え去ってしまった……。




[付記]この話は、バイオリン②に続きます。
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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