『ハタノサンのバイオリン』 バイオリンその②

前回の記事で紹介したように、娘が使ったバイオリンは、一番最初の1/10 サイズのものと
大人用のものとは、今も大事にとってある。
それでは私が5歳くらいの時に使ったバイオリンはどうなったのであろうか。
  
『やぎさん』のいた屋敷のバイオリンの先生は、その後東京から戻ってこなかった。
母も新しい先生を苦労して探すほどには私にバイオリンの素質がないと、はや見てとったか、
それとも当時のことだから、先生を見つけられなかったのか、
私はそれきりでバイオリンをやめることになってしまった。

私が小学校二年生の頃までは、確かにバイオリンは家にそのままにあったが、
何時からか、家の中に見かけられなくなってしまった。
しかし、ちょうどその頃、父母が別居することになって、
バイオリンの行方どころではなくなって、そのままに、
いつしか私もバイオリンのことなど忘れてしまった。
もし見つかっても、もう私の体には小さくなりすぎていただろう。

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                                                                           (これは娘の1/10 のバイオリン)

 


私が、自分のあの小さなバイオリンの行方を知ったのは、それから3年後。
私が、小五の夏休みに父のもとへ帰った時のことである。
『故郷の廃家』ブログの最後の記事になった、あの夏のことである。

その頃父は、自分の故郷の高原の村に一人帰って、妹の家の離れを借りて、
竹細工をしながら一人暮らしていた。
父がその離れを借りる前に、そこに住んでいた人がいる。
母屋の人々、つまり私の叔母と従兄二人、そしてその奥さんたちは皆、
その男の人を『ハタノサン』と呼んでいた。
『ハタノサン』は『波多野さん』であったろうか、それとも『旗野さん』
あるいは『秦野さん』であったろうか。
皆は、『は』の音にアクセントを置くのではなく、「たのさん」を高い音程で
言っていたから、『旗野さん』だったのかな。
とすると、「や」にアクセントを置く『やぎさん』は?(笑)

ハタノサンは、父に離れを明け渡してからは、母屋で叔母たちと一緒に暮らすようになっていた。
小学校5年生の私には、その間の事情はよくわからなかったが、
ハタノサンはどうやら、長年寡婦のままでいた叔母の、内縁の夫、という存在で
あったらしい。

『ハタノサン』と、叔母自身にも従兄たちにも呼ばれていたことが示すように、
ハタノサンは、叔母と入籍して正式に母屋の主となったわけではなく、
どこかいつまでも、借家人のように遠慮がちに暮らしていたようだ。
叔母たちが農作業に出て忙しい時も、彼はよれよれの浴衣をときには着たままで、
暇そうにしていた。どこか体でも悪くして療養中ででもあったのだろうか。

父とは同い年くらいか少し下か、同じ敷地内に住んでいるのだから、
もっと行き来してもよさそうなものだが、そうお互いに行き来することもない。
と言って仲が悪いわけではなく、静かな隠遁者同士、共にいてもいなくても
気心は通じている、という風でもあった。
うっとおしすぎるくらい多い、硬い半白の髪は、従兄のお嫁さんが美容師のこととて
綺麗に刈り上げてもらっていたが、色黒の、歯が少し出た、
頬骨の高いくたびれた顔つきの人で、痩せていた。
でも、私などにも優しく、母屋の台所などでばったり出会えば、
にっこり笑って、一言二言はにかみながらものを言いかけてくるような人だった。

このハタノサンが、私のバイオリンをいつか弾いていた、と父が言うのである。
私の母と住む温泉街の家から、いつか消えてしまった私の小さなバイオリン。
それでは、ここに来ていたのか!
でもそれにしても、誰がここに持ってきたのだろうか。
父の口ぶりからすると、父が別居するときに持ち帰ったというわけではないらしい。
とすると、考えられるのは、私の次の姉。高原のこの村と、温泉街の母の家との間を
落ちつきなく行ったり来たりしていた次姉が持ってきて、それが巡り巡って
ハタノサンの手に渡ったのだったかもしれない。

ハタノサンがどうやって、あの小さな子供用のバイオリンを弾いていたのであろうか。
そもそもバイオリンの弾き方を知っていたかさえわからない。
たぶん、無聊をかこつ人が、戯れに、ギーギーと弾いてみていたのであろう。
私は、帰るまでに一度、父を通じて返してもらうよう頼んでみようと思った。

しかし父の家での私の短い滞在期間は瞬く間に過ぎて、特に最後の数日は
熱を出して寝ていたので、父との別れの日が来た時も、
ついに私はバイオリンのことを言い出さぬまま、母のもとへ帰って行ったのである。

いつしかそれから半世紀という長い長い時が過ぎてしまった。
私のあの小さなバイオリンは、それからどうなったのであろうか。


ごく最近、わずか半月ほど前のこと、郷里に今も住む長姉と電話で話していたとき、
ふとハタノサンのことが話題に上った。
なんと、ハタノサンは、土地測量士だったというのである!
土地測量士と言えば、あの時代、あの山奥の村においては、
インテリの仕事の部類に入るのではなかろうか。

私は姉の話を聞いてびっくりすると共に、よれよれ浴衣の『ハタノサン』が、
弦が一本くらいは切れてしまって、音も狂ってしまった小さなバイオリンを、
人知れずギコギコと弾いている姿を想像し、
何やら物悲しいような、何かすまないことをしたような、
だけど笑ってしまいたいようでもある気持ちになったのであった。



『やぎさん』と『ハタノサン』と私の小さなバイオリンのおはなし。

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ジャンル : 学問・文化・芸術

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Re: 乙山さんへ

乙山さん。こんばんは。
はい。本当に小さくて可愛いです。
ちゃんと音、出ますよ(笑)。
上手な方が弾けば、これでもそこそこの音が出るのではないでしょうか。

これが最初ので、あと、1/4, 3/4, 4/4 と、3回買い替えたと
思います。
記念にこの最初のと最後のはとっておきました。
大人用のは、娘が10年前くらいまでは思い出したように
弾いていました。
写真のCDの、バッハのバイオリンコンチェルト第1番とか。
あと、「二つのバイオリンのための協奏曲」とか。
1/10 の方はもう、30年くらい弾いていません。
今回、押し入れの天袋から30年ぶりくらいに取りだしました(笑)。

孫でもできれば使わせたいけれど、どうもそういう望みはなさそうです。
ものの行方、ものの運命、というのも不思議なものですね。

ちいさなヴァイオリン

1/10ヴァイオリン、可愛いですね。
確かに、子どものころからヴァイオリンを習うとなると、
大人と一緒のサイズは無理ですね。
だけど、本当に小さい。だけど、音はちゃんと出る本物でしょう。
宝物ですね。
鳴らしていらっしゃいますか?

Re: HOBOさんへ

HOBO さん、こんばんは。
HOBOさんのところでバイオリン工房の話をして、ふと、この二人の、
『離れの住人』のことを思い出しました。

> でもきっと楽器というものは所有する人ではなく弾かれる人のところ
> に行きたいのだと思うのですね。だからきっと居る所に居るもので、
> ギーギーとときに不平不満の音をたてたりして。

本当にそうかもしれませんね。
私の小さなバイオリンは、わずか2カ月で誰にも弾いてもらえなくなって、
悲しくて、誰か弾いてくれないかなあと思って、
それで、ハタノサンのところへ貰われていったのかもしれません。
ギーギー言う音は、それは彼女の喜びの声だったかも(笑)。

結局ものというのは、本当に、落ちつくべき人のところに
落ち着くものなのかもしれませんね。
私は結局、楽器を弾くことにその時、縁を失ったのかなあ。
何かひとつ楽器ができてたらなあ、と今でも思います。

セラック。そんな塗料があるんですねえ。
実は写真の大きいほうのバイオリン。今回娘のところから持って帰って
久しぶりに出して見たら、艶があまりにもないので、こんなだったかなあ!
と驚いたのです。ずうっとしまい込んだままの間にこんなに古びてしまったのかな、と。
このこも手入れしてやらないとかわいそうですね。
10年前くらいまでは、娘が思い出したように弾いていたのですが、
最近はまったくケースから出すこともなく。
そんな立派な塗装は無理でも、何か艶出しのようなものを塗って
やった方がいいのでしょうか。教えてください。

HOBOさん。ありがとう。
「あっ、そうだ、…」以下の文のことですが、
私もね、ちょうど今日、そのことを考えていたのです。
叔父叔母の話。そうして今回のやぎさんたちの話…。
懐古談ばかりになっているなあ、って。
それで、間をおかず、今日、私の今、を伝える記事をアップしたところです。
とりあえず、軽い記事ですけども。

HOBOさん。
私はHOBO さんのこのコメントを読んで、本当にありがたいと思いましたよ。
私の、過去のことばかりに戻っていきがちな精神状況。
それをそれとなく心配してくださったんだなあ、って、HOBOさんの友情を
感じて。そういうことは、本当の友達でないとなかなか言ってくれないものです。
皆、心配して、黙って遠くから見ていてくださる。
それもありがたいことですが、言って気づかせてくださる、というそのご厚情。
本当にありがたいと思いました。
OK。HOBOさん。
そしてThank you。HOBOさん。

ブログっていいものですね。皆さんの温かさを感じます。
本当にありがとう。

おひさしぶりです!

お元気でしようか?
はたのさんとやぎさんとバイオリン。

いまでこそ自分で買えるようになったギターですが、こどもの
ころなどは母にねだって買ってもらったものです。そのギターも
彼岸花さんのいうようにどこにいってしまったのか考えても思いだせない
のです。捨てた記憶もないし、ゆずった記憶もない。はてな。
でもきっと楽器というものは所有する人ではなく弾かれる人のところ
に行きたいのだと思うのですね。だからきっと居る所に居るもので、
ギーギーとときに不平不満の音をたてたりして。
バイオリンって素敵ですよね。いいのになるとセラックという、ある虫
から出る液を擦り込む塗装方式を使うそうで、クラシックギターなどは今でも
その塗装を好むビルダーもいるそうです。深いです。


あっ、そうだ、
ぼくは彼岸花さんの記事が大好きですが、「今」を書いた記事のほうが
なお好きどす。こうしたい!と書いた記事がいっとう好きどす。

HOBO

Re: 依里さんへ

>子供の頃の経験が豊かな感じがします。

いぇいぇそうでもないのです、依里さん。
私もほとんど母と二人きりの生活でした。兄と姉は時々帰ってくるだけ。
母は故郷の人々と断絶してましたから、普段の私の生活は、母と二人きりの
時間が静かに流れていっていました。

だから私が書いているのは、他人と触れ合った、稀な時間のことばかりかも(笑)。
長じてからも、私はあまり人と行き来するのが苦手。一人でいる方を好んできました。
友人も大勢でわあわあ言うのは苦手。
依里さんもそうなのかな。
『濃くて偏った人間関係』…私もそうです。
親せきづきあいもごく最近までほとんど自分からはしてこなかったし。

私が、ひとの思い出を書くのは、そういった寂しさの裏返しの感情かもしれません。
孤独が好きだけれど、人恋しくはあるのです。

でもね、人の生活はこうと決めつけることもないです。
依里さんのこれからだって、ガラッと変わるかもよ。
現にこの私とこうしてなぜか、お話しているじゃないですか。…ねっ?(笑)
合う頻度とか、関係の深さとかは関係なく、人と人はこころで触れ合うことができるもの。

そうしてそれは、思いがけないところで出会います。
私はね、この年になって、このブログ上で、そういう数々の出合いを
しているような気がするの。依里さんがそうよ。
顔も知らない。時々言葉を交わすだけ。
それでもその淡さがたまらなくいい。こんなことができるなんて、
これまで思ってもみませんでした。

人生はわかりません。わからないから楽しい。
ひょんなことで変わっていきますからね~。

依里さんはこれからでしょう。どうぞ楽しみになさってください(微笑)。
そういう出会いのお話も、これから書いていきたいと思います。 

いつもコメントありがとうございます。

No title

彼岸花さんの話には複数の人が出てきますね。
子供の頃の経験が豊かな感じがします。
私なんかは典型的な核家族で、片方の親といる時間が圧倒的に長かったので、濃くて偏った人間関係だったような気がします。
身体も弱く人見知りで、友人もいなかったですし・・・(笑)
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
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