『8月15日に思うこと 火野葦平「土と兵隊」 ①』

日本が戦争に負けて、戦争をやめることを決めてから68回目の夏。

それがまた、おかしなことに、ほんとにおかしなことに、
何やらきな臭い熱風がこの国の上を、そして私たちの間に吹き始めている……!!!

私たちは、あの夏、「もう二度と戦争はいやだ!」「二度と戦はしない」と
世界に向かって、自らに向かって誓ったのではなかっただろうか?


この3月頃から、ずうっと戦争に関する書物を読んでいた。
一つの理由として、昨年の衆院選と今夏の参院選で、いわゆるリベラルと目される政党が
ほぼ壊滅してしまったこと、そして、自民党が圧倒的多数の議席を得て、これまでの
自民党が何とかやろうやろうとしても国民の間の戦争忌避の感情がなんだかんだ言って
食い止めてきた集団的自衛権の行使や、改憲やが、ついにできるような状況に
なってしまったことへの焦りがあった。

1970年代一時盛り上がった反原発運動が、一部の人間の特殊な活動になってしまい、
既成政党の『平和憲法』『護憲』などという言葉が、そのままでは国民の間に
もう広く共感を生まなくなってしまったこの状況……
そういう状況の中で、とうとう福島の事故は起きてしまい、
今また、改憲がつい目の先に来てしまっている。

従来の言葉、従来の方法ではもう広く国民に非戦、反原発の想いを伝えることが出来なくなってしまった…
危機はすぐそこに迫っているというのに!

どうしたらその状況を打破できるのか…
ずっとそのことを考えていて、ふっと思ったのは、物語の力を借りるということである。
激越な、でも決まりきった繰りごとになってしまったプロパガンダの言葉は力を失ってしまったが、
ひとの心に届きやすい物語の力を借りればひょっとして…と。
戦争を肉体感覚として知らない若い人にも、それならばひょっとして伝えやすいのではないか、と。

そう思って、戦争に関する過去の様々な小説や評論を手あたり次第読み始めたのである。
読み溜めたものは随分多い。
…さて、その多くの本の中から、どれについて真っ先に語ろうか……。

そんなことをここ数日考えていたのだが、その迷いをふっきることの後押しするように、
昨日、NHKで、『従軍作家たちの戦争』という番組が放送された。
戦争中、国民及び被占領地の人々に日本の大東亜共栄圏の思想を吹き込むために、
そして戦意高揚のために、大きな宣伝効果を期待して、多くの作家や画家や音楽家たちが
戦争賛美の作品を書かされた。戦地の兵士たちの姿を勇ましく伝え、内外に日本の
強さを喧伝するため、作家たちが従軍作家として国によって戦地に送り込まれた。
番組は主に、そうした従軍作家の中で中心的役割を果たしたと言っていい火野葦平をメインに
据えて作られていた。

火野葦平。
…そう言っても、若い方々はほとんど知らない作家ではなかろうか。
福岡県若松町(現・北九州市)出身。父は地元で沖仲仕『玉井組』を大々的にやっていた。
『沖仲仕』という仕事も、なかなか今の若い人には感じが伝わらないだろうなあ。
Wikipediaの記述を借りよう。


沖仲仕(おきなかせ、おきなかし)は、狭義には船から陸への荷揚げ荷下ろしを、
広義には陸から船への積み込みを含む荷役を行う港湾労働者の旧称。
1960年代以前の貨物船のほとんどは在来型貨物船であり、荷揚げ荷下ろしの作業は
本船から艀、艀から桟橋と荷物を移動させるために、多くの作業員を要する仕事であった。
港湾荷役事業は元請けの下に複数の下請けがあり第三次、第四次の下請けが現場作業を担当した。
体力のない下請けは作業員の雇用維持が出来ず、手配師と呼ばれる
コーディネーターに人集めを依頼する形態が常態化した。
高賃金で体力勝負となる労働現場は荒くれ者が集まることから荒廃しやすく、
暴力団などに対する人的供給源や資金源となることもあり、反社会的な位置づけを
受けることがあった。
沖仲仕を父に持つ作家火野葦平の著書『青春の岐路』には
「請負師も、小頭も、仲仕も、ほとんどが、酒とバクチと女と喧嘩とによって、
仁義や任侠を売りものにする一種のヤクザだ。大部分が無知で、低劣で、その日暮らしといってよかった。
普通に考えられる工場などの労働者とはまるでちがっている」とある。
日本において今日、「沖仲仕」という言葉は差別的である、とされ、
一般の報道などに際しては自主的に「港湾労働者」などに置き換えられて表現される。


これが、沖仲仕という職業である…。

作家火野葦平は、文筆の傍ら、自身も家業『玉井組』を継いで沖仲仕のいわば親分となり、
若松港湾労働者の労働組合を結成するなど労働運動に取り組むが、検挙されて転向している。

親分が組合を作ってやる…ここがちょっと愉快である。変な例えだが、言ってみれば、
東電が、原発ジプシーの原発作業員たちの組合を親身になって作ってやるようなもの。
上のWikiの記述にもある通り、港湾労働者は、今の原発ジプシーと呼ばれる
『渡り』の原発労働者と全く同じに、二次、三次というふうに間に入る仲介業者などによって
給与をピンはねされても、自分たちの労働者としての権利への無知(と敢えて言おう)ゆえに
戦うことも知らなかったのである。その労働者たちのために組合を親分自身が組織する……
火野葦平という作家の作品に入る前に、ちょっと予備知識として知っておいていいことかもしれない。

なお、余談だが、この港湾労働者を描いたものに、古い映画だが、マーロン・ブランド主演の
『波止場』という名作がある。エリア・カザン監督。アカデミー賞を主演男優賞初め8部門で
受賞している。
さらに余談だが、私の兄も、若い頃、大学中退して、その後は母や妹の私などを養うために
職を転々。この沖仲仕をずっとやっていた時期があった。
私が原発を本能的に憎むのは、渡り者の原発ジプシーの労働者たちの姿が、若き日の兄の姿と
重なるからかもしれないとずっと思っている。原発というものがその労働形態において
本質的に差別構造を含んでいるからである…。

九州福岡県はかつて炭鉱景気に沸いた土地。総じて気の荒い土地である。
私は博多育ちだが、幼い頃は、朝鮮人の部落などもあり、また三業地(料理屋,待合,芸妓屋の
3業が集まって 営業している地域)や有名な飲食店街などもあって、
混沌とした活気のある街であったように思う。
そんな土地で沖仲士の元締めという気の荒い職業を文筆業の傍らやっていた作家。
港湾労働者の権利を守るために組合を作る努力をしていた若き二代目親方。
…昭和という時代をざっと掴んだうえで火野葦平についての私の文の続きを
読んでいただけたらと思う。


火野葦平は、出征前に書いた『糞尿譚』という作品で1938年。第6回芥川賞を受けた。
31歳。当時陸軍伍長。授賞式は日本から小林秀雄が赴き、戦地で行われた。
兵士の芥川賞作家。これに目をつけたのが軍部のプロパガンダを担っていた陸軍報道部である。
上海に拠点を置いていた中支那派遣軍報道部。
その中心人物は、馬渕逸雄中佐であった。
『宣伝報道は思想戦の一分野であって近代戦における重要なる戦争手段の一つである』
と考えていた馬渕は、ナチスドイツのプロパガンダ作戦に倣って、
前線に作家、カメラマンなどを送り込んで一大戦争宣伝計画を実施しようとしていた。
しかもそれは単なる従軍記者の目ではなく、実際に戦地で戦う兵士の視点に立って書いた
プロパガンダ報道。そんなことは出来ないか、そう彼は考えていた。
そこへ丁度現れたのが、火野葦平という存在である。

日本軍が、内地、戦地のみならず占領地、いや世界にまで向けて日本軍のプロパガンダを急がねば、
と焦っていたのにはもう一つ理由があった。
ちょうどその頃、第一回芥川賞作家であった石川達三の、『生きている兵隊』という作品が
中央公論に掲載された。これは石川が南京攻略戦に参加した兵士から聞き取りをして
書いた小説である。
南京攻略戦では多くの中国兵士、非戦闘員が日本軍によって殺害された。
ここには民間人に危害を加える日本兵の姿が綴られていた。
『生きている兵隊』を掲載した中央公論は、発売前日発禁になる。
石川達三は『安寧秩序を乱した』として、禁固4カ月執行猶予3年の判決を受ける。

ところが発禁処分となったはずの『生きている兵隊』が流出。その中国語への翻訳が
上海新聞、またいくつかの単行本となって中国で出版された。
当時国民党を率いていた蒋介石は、日本軍の非人道的行為を世界に訴えるために、
アメリカ、雑誌『LIFE』などに、南京における日本軍の残虐行為を写真で紹介していた。
蒋介石のメディア戦略は国際世論を大きく動かそうとしていたのである。
日本の内務省は、これに危機感を抱く。
報道部馬渕中佐は、石川の小説が流出して翻訳され、抗日、反日のプロパガンダに
使用されたことに同じく危機感を抱き、これに対抗して日本も報道・宣伝活動を行わねば
ならないと考えたのである。

兵士作家火野葦平は、馬渕によって報道部に引き抜かれ、南京攻略に続いて日本軍が行おうとしていた
一大作戦徐州攻略作戦に従軍記者として参加することを命じられる。

…こうやって、彼の『麦と兵隊』『土と兵隊』『花と兵隊』の、『兵隊三部作』は
書かれることになった。
彼は分厚い手帳20冊にもわたる膨大な従軍メモを書き残している。作品はこれらの
メモや、自身の記憶をもとに、ほとんどストーリーなどない従軍観察記という体裁で
書かれた。そこには、兵士と共に、いや、自らが兵士であった人でなければ書けない
リアルな描写で、行軍に次ぐ行軍、戦闘、死、食事、睡眠など兵士の日常が描かれている。
3部作は300万部に達する大ヒット作になる。
『麦と兵隊』は8ケ国語に翻訳され、日本の戦争宣伝に大きな役割を果たす。
『土と兵隊』は映画化され、これも大ヒット。戦地と内地の一体感を形成し、
戦意高揚に大きな役割を果たす。
この成功を機に、陸軍報道部と内閣情報部は、火野に続き、次々に一流作家たちを従軍記者として
戦地に送り込む。彼らは『ペン部隊』と呼ばれ、戦意高揚の文章を書いていくことになるのである。

阿部知二、井伏鱒二、尾崎士郎、海音寺潮五郎、片岡鉄平、川口松太郎、菊池寛、岸田國士、
久米正雄、佐藤春夫、高見順、瀧井孝作、武田麟太郎、丹羽文雄、林芙美子、深田久弥、
横光利一、吉川英治、吉屋信子……これはほんの一部である…
作家たちとの仲立ちをしたのは、文藝春秋社長、菊池寛であった。

さて。火野葦平は兵隊三部作で一躍時代の寵児となり、従軍作家と言えば火野葦平、
そして『麦と兵隊』という名が出てくるような、いわば戦記文学の象徴的存在となっていく。
その後も彼は、フィリピンなど南方にまで転戦。多くの文章を書き送った。
1942年、日本文学報国会が結成さる。作家たちはペンで、講演会で、日本の戦争を
喧伝し、戦争に協力していくのである。

しかし、日中戦争は泥沼化、続く太平洋戦争も、アメリカをはじめとする連合軍の
圧倒的戦力と情報力に、日本は次々に敗退に次ぐ敗退を重ねていき、ついに今から68年前、
1945年8月15日。日本は敗戦の日を迎えるのである。

戦後、菊池寛となんと300人近い作家たちが公職追放になった。
火野葦平も公職追放。彼は戦争協力者としてつらい戦後を生きていかねばならないことになる。
戦後の彼は、その作品の中で、戦争協力者としての自分自身を直視し、自分と向き合う中で
『麦と兵隊』『土と兵隊』などについても、自分の従軍日記には記してあっても、
厳しい検閲の中で削除せざるを得なかった部分を書きたし、原稿校了している。

…終戦から15年目。自宅で睡眠薬自殺。亨年53歳。


さて。
私はこの記事の冒頭で、どの本について真っ先に語ろうか迷っていた、と書いた。
それは主に、この火野葦平を先に書くか、石川達三『生きている兵隊』を先に
扱うか、について、つまり因縁のこの2作について迷っていたのである。
私が、戦争文学を読もうと思い立って、この2冊を真っ先に取り上げたのは、
まず、火野葦平に関しては、彼の『麦と兵隊』『土と兵隊』が、こうした戦記文学が
その後盛んに書かれることになっていく、その嚆矢的作品であったということ。
それから、これがいわゆる反戦文学ではない、ということに因っていた。
日本が日中戦争で、アジアで何をしてきたか…それを知るのに、最初から反戦の文学ではない、
いわば、客観的に近い記録文学的なものを初めに読んでみたかったからだ。
淡々と戦場の日常が書かれているものをまず先入観なしに読んでみたいと思った。

石川達三『生きている兵隊』に関しては、この作品が日本の文学史上、それほど
大きな意味を持つ作品であるということは、実は知らずに選んでいた。
手に取ったのは、戦後に作家たちが自由になってから書いたものでないものを、という基準。
ここにも一部名を挙げているが、実に、実に多くの作家たちが、戦争中軍部に協力して
戦意高揚のための作品を書いている…
そうして、そのほとんどが、戦争が終わると、そうした自分たちの軍への協力などなかったとでも
言うかのように、戦争の悲惨について書き始めた…
「戦争が終わって、自分の身が安全になってから、反戦厭戦の作品を書くことは容易だわよね。」
そう私は無慈悲にも感じていたのである。
(多くの作品を読み進めていくうちに、この無責任な非難の考えは改めることになる…)

戦争中に、戦争の悲惨を描いた作家は誰か。
そう思って探していて、この作品に辿り着いたのだ。
戦時中に書かれた反戦文学、というものが非常に数少ない中で、勇気を持って
戦場の悲惨を描いた作家とはどういう人だったろうという興味を抱いたからである。
もともと石川達三という作家は、その芥川賞第1回受賞作『蒼茫』を読んでいて、
その骨太な作風に魅かれた記憶があったということもある。
石川達三は、この本が発禁処分を受けた後、やはり節は通しきれなかったか、
火野らのように、従軍作家の中に加わっているが、本質において、強い反戦の作家であったと
私は思う。
『生きている兵隊』については次に取り上げてみたい。
 
さあ。ここからが、ようやく火野葦平の作品について、である。
長くなるので、いったん切ろう。



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Re: 本のことの鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。
返事が遅くなって申し訳ありません。
胸にすとん!と落ちるものがありますとも。
実は私も、その本が一番読みたいと思っていたところです。

折に触れ書いていますが、原発と例えば水俣などの問題、貧困問題、戦争…
そういったものって、皆共通するところがあるんですよね。

3.11の直後、とにかく冷却することに精いっぱいで、原子炉の中がいったいどうなっているのやら、
日本が一体どうなるのやらわからない危機的状況の中で、大多数の国民にとっての
主な情報源である新聞やテレビがいったいどんな報道をしていたか!
大本営発表と同じに、「今のところすぐに健康に影響はありません」という
政府発表をただ垂れ流しているだけでした。ゲストとして呼ぶ科学者は、ほとんど
皆同じようなそんな発言を繰り返すばかり。(私が見ていた範囲では、
ただ一人、NHKの水野解説委員だけが厳しい見通しを率直に述べていた。)
政府と東電共同の記者会見もほぼ毎日のように見ていましたが、まあ、東電社員の
役に立たなかったこと!原子力安全保安院のコメントも役に立たない。
そんな中で、突っ込んだ質問をしていたのは、フリーのジャーナリストだけ。
その他のマスメディア系の記者たちは、なんて言うんでしょう…東電に遠慮してるんだか何だか、
どよ~んとした雰囲気で、鋭く切り込んで行くものがいない。
大スポンサー東電に、いかに日本のマスメディアが気を使って来たか、目の当たりに見る
思いでした。

メディアが、お仕着せの、ただ官からの発表を伝えるだけなのでは、国民は真の状況を
知ることはできない!
そういった怒りの中で、4月、私こんな記事書きました。
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-498.html
http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-499.html

それまではほぼ100%、売血に頼っていた日本の輸血制度。
山谷等の仕事にあぶれた労働者たちが、薄い血を血液銀行に売っていました。
買うのは民間の売血業者、例えば、日本製薬や日本ブラッドバンク(のちのミドリ十字)。
これらの会社は、あの731部隊。アメリカに情報提供することによって、戦犯の訴追を逃れた
あの731部隊の生き残りの人物たちが関わって起こした会社です。
覚せい剤等の注射もする売血者たちの劣悪な血を輸血された国民が、血清肝炎ウイルスに
感染しても、国も会社も何の手も講じませんでした。
当時読売新聞社会部記者だった本田靖春は、早稲田の学生らと共に、この売血制度の廃止、
献血制度の導入を目指して、一大キャンペーンを張ります。
しかし、厚生省、大蔵省、血液銀行、医者、看護婦…皆、売血制度のシステムの中に
どっぷり浸かってしまっていました。血液銀行からのリベートを貰っていたからです。
本田はしかし、喧嘩のしかたが巧かった。
読売新聞紙上で、すざまじい売血撲滅キャンペーンを張ります。
厚生省と商業血液銀行を告発する記事を実に72本も載せるのです。
一方で彼は、厚生省、大蔵省のおえらいさんの懐に飛び込んで行って予算や同意を取り付けて行きます…
同時に大学生、警察官、自衛官などの協力も得て、『ボランテイア』などという意識のなかった
当時の日本人に、献血の宣伝を全国で行っていきます。
そして、僅か5年ほどの間に、日本の輸血をほぼ献血によるものに切り替えてしまうのです。

売薬会社を頂点にしたこのかつての売血制度。それはなんと原子力ムラによく似ていたことでしょう。
最初のうち、医者、看護婦等の抵抗はあからさまでした…。利益構造の中に組み込まれていたからです。
本田たちの努力によって折角売血とは日本は決別したはずなのに、血液銀行の生き残り
ミドリ十字は血液製剤の事業でアメリカの血液を輸入し、それによって日本の
血友病患者にエイズを感染させてしまいます。その帝京大学の安倍英氏も731部隊の生き残り。
なんという因果な連中でしょう!

でもね。かつて、こんなすごいジャーナリストが、あの読売新聞にいたのです!

そしてさらに。ここからが本題ですが(笑)、この本田靖春は、
『村が消えた むつ小川原 農民と国家』を書きます。
ここで彼は、鍵コメさんがおっしゃるところの、

『戦前いかに立場の弱い人が,国策というあまいあまいアメ玉をあたえられて満洲にいかされるはめになったか,またいかにして捨石にされ,二重三重の忍従をしいてきたか』ということをテーマに取り上げます。

私、これも記事にしました。http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-509.html

不作と貧困にあえぐ東北から満蒙開拓団の美味しい宣伝に乗せられて満州に渡った農民たちが、
敗戦後命からがら日本に帰り着く。でももう彼等の落ち着く故郷はない。
政府は彼らを、やませ吹く青森や北海道の不毛の大地を与えます。
樺太や満州国弥栄村からの引揚者の一部が、青森県六ケ所村の松林を切り開きそこに入植します。
彼等がその後も何度も、日本政府の気ままな農業政策にほんろうされながらも
ようやく農業が落ち着きだした頃、彼等の土地が新全国総合開発計画のターゲットになる。
再び彼等は国策によって土地を売ることになります…。
でも、そこに一大石油コンビナートを作るという巨大な計画は、オイルショックによって
頓挫。村おこしを期待していた村民の希望は砕かれます。
そこへ湧いて出たのが、下北半島を原子力の基地にするという話です!
中曽根康弘首相が総選挙遊説先の青森市で記者会見。
1985年。県と六ケ所村が核燃施設立地協力要請を受諾し、今のあの、六ヶ所村は
誕生したのです。
本田は、国策に振り回された貧しい農民たちの流転を、ここでも描ききっています。

この、むつ小川原地区が、日本の核燃リサイクルの基地となって定着してしまったこと、
そして現在に至り、核施設に依存して暮らしていかねば二進も三進もいかない
そんな自治体になってしまった事情…それは、福島第一、第二の立地する
福島県浜通りの事情となんと瓜二つであることでしょう!
比較的農業生産など豊かな中通り、会津地方に比べ、いま原発が立地する浜通りは、
主たる産業もなく、原発立地のうまい話を受け入れてしまいました!

ああ、ここでも、同じ構造です!
鍵コメさんのお話。ほんとうに納得です。

この近似の構造。そしてまた。それは単独に別々に起こったことではなく、
どこかで因果関係として繋がっているのだよ、という連環の構造……。
例えばこのように、農村の貧困と満蒙開拓団(戦争)と原発が繋がっていた。
また、貧しい都市生活者と売血制度、薬害エイズ、そして731部隊(戦争)が
繋がっていた…。
私のブログのテーマの一つは、それを皆さんに訴え、その悪しき連関は
断ち切りましょうよ、といいたいということかもしれません。

本田靖春氏が、がっちりと出来上がった売血ムラの悪しき繋がりをばっさりと
断ち切ったように。

鍵コメさん。ありがとうございま~す!

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん、こんにちは~♪

> 暗澹となっていた気持ち,土砂降りの“怒”がウソのように晴れています。

ほんと?
うわ~~~。良かった~~~!
よかったら、おねぇさんにでもお母さんにでも何にでもしてください!(笑)
私には逆に、玄少子さんや星狩人さんは、新しく見つけた歴史の先生です!^^

お父さまのご様子は、一息つけるようにおなりになってよかったですね。
お母さまのお話…。きっと、従兄のかたは、身内ながら、少女には憧れの存在で
いらしたのでしょうね。海軍士官の制服は、ことのほかかっこいいですからね。
以前、特攻隊のことを調べていたことがあり、海軍の特攻第一号と言われる(実際は
そうじゃなかった)敷島隊の関行男大尉などは、惚れ惚れするようです。
でもね、かっこいいのはその神話だけ。生身の関大尉は、海軍兵学校の頃の
若々しい写真と出撃前の写真とを比べると、人間が僅かな間にこれほど厳しい顔になるのか!
というような変貌を遂げている。死を無理やり覚悟せざるを得なかった人間の顔は
こうなるのか!という顔をしています。これがわずか23歳の青年か!と思う。
彼は決して神話化されたような英雄などではなく、教官として苛酷な教官だったらしい。
もう40歳くらいになっているかと思うような、苦い苦い顔をしています。
彼は激しい下痢腹を抱えたまま出撃していった。
戦争は『美しいものなんかじゃない』ですね! 生身の人間の肉体がするんだ!

よく、8月15日に戦争を振り返る番組などで、いよいよ出撃という隊士に
第一航空艦隊の大西瀧治郎中将、二〇一空副長・玉井浅一中佐から別れの水盃を
与えている場面が出てくることがあるけれど、その一番左にいる背の高いひとが関大尉。
このひとのこともいつか書こうと思って、ずっと胸にしまってあります。

玄少子さんのお母さまのお従兄さんは、無事にお戻りになられたのでしょうか…。
『靖国なんてこわしちゃえばいいのに…』とお母さまがつぶやかれたそのおこころのうちに、
一体どれほどの深くいたましい記憶が眠っておいででしょうか。
そうなんですよね…。戦争のことなど全くそれまで語らなかったご老人が、ある日、突然、
戦地での記憶を、家族に語りだすケースがあるといいます。
ずうっとずっと、胸の奥に秘めて、人には絶対語るまい!と思うような、本人にとって
忘れられない忌まわしい戦時の記憶というものがある…
その幾たりかの証言は、You Tubeなどの映像として残っていますね。
ブログにも、シベリア抑留のことをずっと書き起こしておいでの元兵士のかたが
おいでになります。
でも、それが、一時中国の捕虜になっていたりすると、その証言を「赤化教育を受けたからだ!
信用できない!」などと言う者がいる…。でも、フィリピン、ニューギニアなどで
戦った兵隊たちの証言まで、赤化教育の結果だというつもりでしょうか?
今、若い人の手で、こうした元兵士たちの証言を記録に残そうとする積極的な
動きがありますね。これなど。これは朝日新聞の小さな記事で知りました。
http://www.jvvap.jp/exlist.html

北海道新聞にもかつて、いい連載がありました。

『戰爭が人の心に身体につける傷というのは,すべての人に,太陽の光が当たらぬところはないというように隅ずみまでおよぶ,ということがよくわかりました・・・・。』

ほんとうに…。
そのことを、戦争を知らぬ世代の人々にもう少し伝えたいですねえ…

NANTEIさんと私の、司馬遼太郎についてのコメント。
いえいえ。どういたしまして。
私はいろんな方にこうして教えていただきながら、日本人の、戦争への道を
辿り始めたばかりです。^^
これからもよろしく~~~!



>
> わたくしごとですが
> わたしの母(彼岸花さんより20歳は上です)はちかごろ認知症をわずらっていて,日常生活はふつうにできますが,わたしの蒙昧のヨマイゴトを,以前のようには,おとなしく聞いてくれません^^;
>
> 7,8月と昔話をじっくりききました。
> 従兄に海軍の士官がいて,母は當時大森に住んでたのですが,近所でよく演習のがあり,夕御飯食べによってくれてたんですって,制服がかっこよくてひそかにあこがれて,まとわりついてたことや・・・・疎開中の女学校時代のことなどはじめて聽く話がいっぱい有りましたねえ・・・・w
>
> そんなはなしのなかで,ポツンと「靖国なんてこわしちゃえばいいのに・・・・」
> とつぶやきました。そのあとは何もいわずにだまってジーっと顔をしかめていて,5分もしたらなんの話をしてたやらさっぱりおもいだせない母でしたがw
> (なんかNHKかなんかドラマみてるようで,くすぐったかったことも・・・・)
> およそ人の悪口や,わたしのしてるようなお上を侮辱するようなカゲキなことをいわず,身勝手な人の批判など口にしたことがない母が,そんなことをつぶやいたことに,衝撃をうけましたねえ・・・・。
> 戰爭が人の心に身体につける傷というのは,すべての人に,太陽の光が当たらぬところはないというように隅ずみまでおよぶ,ということがよくわかりました・・・・。
>
> 南亭雑記のNantei師さんのコメント,うっかりよみませんでした
> お二人にたいしてほんとうにはずかしいかぎりです。
> つつしんで,ごめんなさい,
> という気持です。
> 司馬遼太郎の名前が挙がっていたことをうっすら見ていて,自分のいいたいことだけぶつけてしまっていました・・・・
> でもまた,よまいごと聞いてくださいね
>
> 彼岸花さんのていねいに氣を配られていながら,ご自分の意見はきちんとつたえられる・・・・,
>
>
> ありがとうございました,おやすみなさい~~~
>
> すっかりゴキゲンです。おやすみなさい

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そういう人にわたしはなりたい・・・・・(←ココロの声です)

彼岸花さん,お返事ありがとうございます。

暗澹となっていた気持ち,土砂降りの“怒”がウソのように晴れています。
何度もよみました。
静かな書かれようにいやされました,そんなふうにお話もなさるんでしょうね,きっと。
ほんとうに子供のようになって訴えてしまいました。じっと耳を傾けてくれる母のようです。ってこんなオバサン(←わたしのことです)のお母さん,なんて,“やめて~~っ”ていわれしまいそうですが・・・・。

わたくしごとですが
わたしの母(彼岸花さんより20歳は上です)はちかごろ認知症をわずらっていて,日常生活はふつうにできますが,わたしの蒙昧のヨマイゴトを,以前のようには,おとなしく聞いてくれません^^;

7,8月と昔話をじっくりききました。
従兄に海軍の士官がいて,母は當時大森に住んでたのですが,近所でよく演習のがあり,夕御飯食べによってくれてたんですって,制服がかっこよくてひそかにあこがれて,まとわりついてたことや・・・・疎開中の女学校時代のことなどはじめて聽く話がいっぱい有りましたねえ・・・・w

そんなはなしのなかで,ポツンと「靖国なんてこわしちゃえばいいのに・・・・」
とつぶやきました。そのあとは何もいわずにだまってジーっと顔をしかめていて,5分もしたらなんの話をしてたやらさっぱりおもいだせない母でしたがw
(なんかNHKかなんかドラマみてるようで,くすぐったかったことも・・・・)
およそ人の悪口や,わたしのしてるようなお上を侮辱するようなカゲキなことをいわず,身勝手な人の批判など口にしたことがない母が,そんなことをつぶやいたことに,衝撃をうけましたねえ・・・・。
戰爭が人の心に身体につける傷というのは,すべての人に,太陽の光が当たらぬところはないというように隅ずみまでおよぶ,ということがよくわかりました・・・・。

南亭雑記のNantei師さんのコメント,うっかりよみませんでした
お二人にたいしてほんとうにはずかしいかぎりです。
つつしんで,ごめんなさい,
という気持です。
司馬遼太郎の名前が挙がっていたことをうっすら見ていて,自分のいいたいことだけぶつけてしまっていました・・・・
でもまた,よまいごと聞いてくださいね

彼岸花さんのていねいに氣を配られていながら,ご自分の意見はきちんとつたえられる・・・・,


ありがとうございました,おやすみなさい~~~

すっかりゴキゲンです。おやすみなさい

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん。こんにちは。
さて。返事の順番が変わり、遅くなりましたが、(3)(4)について書かせてくださいね。

私は、山崎豊子さん、澤地久恵さんなどの著作を読んでないのです。澤地さんは
エッセーは読んでいるけれど。
司馬遼太郎さんは、随分資料はお集めになっていらしたようですね。
ちょうど別のかたと司馬遼太郎さんのお話していて、司馬さんが日中戦争前後のことを
お書きになっていたら、というようなコメントを交わしたばかりでした。
そのとき、司馬さん自身が『書けないのだ』とお話になってらっしゃる映像も
その方に教えていただいて見ました。ノモンハン事変の作戦課長だったという元陸軍中将に
取材したときの話がありましたが、ぬらりくらりと本質を語ろうとしなかったと。
『書かなかった司馬遼太郎は誠実』とおっしゃる玄少子さんの言葉、深くうなづきます。

戦後68年という時代に生きる私達、戦争中のことを実体験として知らない者が、
官憲の厳しい目の中で、当時の作家や画家や音楽家や映画人や教育者など一般人たちが
自由な発言など出来ず、まして軍部を批判するような作品など書けなかったということを、
安易にいくじがないと批判することは、無論できません。

でも、声をあげて欲しかったなあ、と無念に思う気持ちはどうしても湧きますね。

今また、例えば原発のことにしても、憲法改悪の動きにしても、この、当時と比べれば
比較にならないほど言論が自由な世の中でさえ、何を恐れているのか、言論人たちや、
芸能界、テレビ業界などで、原発などについての発言を自粛する空気が濃厚です。
当時は国家や軍、警察、司法権力などを恐れ、今はスポンサーとその後ろにいる経済界の
大枠から自分がはじき出されるのを恐れているのか、という違いがあるにせよ、
発言すべき人々が権力を恐れて黙り込んでしまう、という構造は同じです。

私が、過去の日本のしたことを糾弾しているのも、その個々人をいまさら表に引きずり出して
糾弾したいと思うからではなく、今の日本の空気、それが当時と似て行くのを恐れ、
そうならないでほしい、言論や集会・結社の自由などが制限されていくような時代に
なってしまう前に、皆で声をあげて行って欲しい!というひたすらな願いから、こうやって
いろいろ書いていっています。

とりわけ、3.11直後のテレビの自粛ぶりには、本当に危機感を抱きました。
テレビなど見なければいいというそういう問題じゃない、まだまだ大多数の日本人が
新聞やテレビから主として情報を得る中、その新聞・テレビが、独自の取材力をなくし、
『ただちに健康に影響はありません』の刷り込みを垂れ流していた…
肝心の東電の罪に切り込まず、今は怒っている場合じゃない、国民が心を一つにして
繋がろう、の一大キャンペーン。
心ひとつに、が悪いわけじゃない。でも、その美しい言葉の陰で、本質を見えにくくしてしまう
情報操作が、ほんとに怖いと思いました。
9.11もそうですが、大きな不幸によって、その後の世界がよくなっていくのではなく
ショック・ドクトリンといいますか、惨事便乗型資本主義といいますか、
ひとが茫然と悲しみに立ちすくんで思考力をなくしているときに、それを
本筋とは違う怒りにうまく誘導し、人々の心を分断させて、それを政治や
自分等の巨額の利益獲得に利用する輩がいること…。
そして残念ながら、いとも容易にその操作に操られる多くの大衆がいること…。

そういった意味で、先の戦争中のことを知ることは、同じ間違いを犯さないために必要だ、
そう思っていまさらながら、こんなシリーズを書いています。
こういったことは決して古くならない。
人々が忘れかけた頃、また取り上げて、思い出してもらったり、知らなかった人たちに
知ってもらうという繰り返しの努力が必要なように思います。

昨日のコメントの、朝日の石川達三の『生きている兵隊』に関する筆禍事件、それから
『ゆきゆきて、神軍』などを今の時代にあらためて掘り起こして調査して記事にしてくれる
記者さんたちがいる、ということは、本当にうれしいですね。


角田房子さんの著作。満洲ものでは「卡子」の遠藤誉。山崎朋子『サンダカン十番娼館』。
中村雪子『麻山事件』。(検索しましたよ。^^)
ぜひ読んでみたいと思います。

『中國人は日本に奪われた数おおくの地域を淪陥區と呼んでいました。
そこでは,関税もなく,日本の謀略によって作られた阿片の乱造(台灣,蒙疆,朝鮮半島,海南地域で,つくられました)と專賣,経済を混乱させるために投入された偽札,ありとあらゆる分野で粗悪な品々が溢れかえっていました。内務省,厚生省,商工(経産省ですね)といった日本の官によって中國の經濟は息の根を止められます。經濟活動はめちゃくちゃにされ,そのうえ,戰爭も強いられていたのです。ただ日本が発展するために。』

『武装せる市街』を読むと、その一端がわかりますね。
私はそういうことをほとんど具体的に知らなかったので、この小説に描かれた世界は
ショックでした。

『それでも,侵略行為と自覺していた日本の知識人はいなかったのでしょうか!,とおもわざるをえません。“侵略”だけがとめどなく飽くことなく,膨張と発展をやめません。わたしはそのことが,本当に腹立たしいし,日本の“近代化”,その成果であり,惡の果實だった,そう思っています。わたしが戦時下に書かれていた日本文學を,近代の文學としてまったく否定したくなるのはそれがあるからです。 戰後中國への“侵略”を文學として昇華結實できないのもそのせいです。』

厳しい玄少子さんのおことば。でも、私も同じ想いです。
まずここで紹介していくのに、戦後に書かれた作品を書きたいリストから外して行ったのも
やりきれないそういう思いがあったからです。

人間は弱いものだと思います。でもその弱い人間が、鬼畜のようにもなりうる。
文学作品はフィクションでは確かにあるけれど、優れた作品は、人間の本質に
迫るがゆえに、時代を越えて、場所を越えて、強い力を持って後世の人々に
訴えかけてきます。

私には、日本の側から見た視点しか、まだ語れません。
これから、侵略された民からの視点で書かれた作品も見て行きたいです。
ご指導よろしくお願いいたしますね。^^

ありがとうございました!

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん。ありがとうございます!

今日、昼間、この前のコメント(3)(4)について、返事を書きかけていたんですが、
途中で検索の深い森に入り込んで迷子になってしまい…(笑)

話の流れで、こちらのコメントの方の返事を先に書かせていただいた方がいいかと、
勝手ではありますが、そうさせていただくことお許しくださいね。

黒島傳治(ああ、やはりこの活字の方がいいな)は、ああ、そうでしたか!
私、おっちょこちょいをしてしまいましたね!(笑)
『あ、moreがある!』と喜んで飛びついて。自分が気がつかずにいたんだと
勝手に思ってしまいました。
まあ、どっちにしましても、何かに導かれるようにして黒島傳治に辿りついたような
気がしています。

そうでしたね。思えば、星狩人さんのところで、反戦文学はあるか、という
お話をちらっとさせていただいて。玄少子さんが声をかけてくださって。^^
中国や朝鮮半島のこと、それぞれ深く分け入って、言葉もお出来になるお二人。
私と言ったら、あるのは年を重ねているということだけ。^^
しかも、中国のことも朝鮮半島のことも、ほとんど今まで知らずに感覚だけで
お話させていただきました!

でも、そんな、全くの初学者ということで、(年の割には)知る喜びに関して初々しい(笑)
私の発言や存在が、玄少子さんの、既に知っていることをもう一度掘り返す、という
楽しみに結びついたのであるとすれば、私も多少、お役に立っているのかなととても
嬉しいです。

『なにかこう,考え方が限界を迎えてたんです。わたしのなかの歴史観,日中關係が。
内地には,なにもなかったかのように。
日本にめくばりすることをやめてしまい。
でも,彼岸花さんとの会話の中で,黑島傳治がいたな,ああ,プロ芸には,反戰作家がいたじゃないか・・・・,そうだそうだ,ひじょうに美しい反戰詩があったなあ。ひと世代まえには・・・・
いまさらのように中野重治や北川冬彦といった詩人,どちらも『戰旗』や『文藝戦線』の常連ですが,の本を手に取ったりしています。20年ぶりぐらいでしょうか,うっすら埃が積もっていてお掃除しつつ,自分のズボラにあきれかえりながら讀み返しています。
「プロ芸のゆたかさ」「あの時代の氣骨」が中國に移植されたなんてことをえらそうに書きながら,そのじつすっかり意識の外にあったものたちでした。』

お集めになった膨大な情報を整理するために、不要なものは頭の奥にも書棚の奥にも
しまいこんでしまう、ということは必要なのでしょう。
それは、あまりにも多くを知るが故の悩みですね。
知りすぎてらっしゃるゆえに、分類や定義に厳密になる、ということもよくわかります。
そこへ、私のような初々しい初学者が飛び込んで行ったものですから…!(笑)

玄少子さんには、捨てたものをもう一度掘り起こす楽しみが。
そして私には、知らなかったことをいっぱい、知る喜びが。^^

『黒島傳治は,火野葦平を讀んで,だめだだめだ,ゼンゼン戰爭が書けてないじゃないか,などなど旺盛な批判精神を持って後進を叱咤するようだった,と。ページをめくれば確かに時代は繫がっています。断絶などなかったのです,最近の日中間の現實,歴史の因果,くりかえしに,乾ききってひびわれてた気持が,潤ってゆくようでした。』

ね~~~!
玄少子さんの喜び方と私の喜び方は、上に書いたように質とレベルがたいそう違うと思いますが、
黒島傳治と火野葦平が、黒島傳治と鹿地亘が、そして堀田善衛が…などと繋がっていくのは、
ほんとうに私にとっては新鮮な、『知る喜び』です。
これらの人々は、文学史の中の名前と代表作の記述だけの人々ではなく、年こそ違えど
同じある時代を生きていた生身の人々なんですよね~。そしてね。彼等が描いた時代は、
連綿と現代という時代に繋がっているわけですよ。
彼等が歩いた土地、彼等が吸った空気、彼等が見た光景…その時代のことを、今の我々が、
「あれはあったことだ」「いや、無かったことだ」と言って今、争っている。
そして、火野葦平と同じく、「戦争協力者だ」「いや、違う」という世評に
戦後曝され続けた石川達三は、昭和45年こんなことを言っています。
『戦後四半世紀、この二十五年が、再びその準備期間となることは、ないだろうか。いや、いま私たちの周囲で、また同じ準備が始まっている・・・・・私は最近、そういう気配を感じるのです』

歴史は繰り返す……。
歴史は連綿として今も続いている……。

私ね、日本の戦中の文壇人たちは腰ぬけで腑抜けだったと思うけれど、
(たぶん私だって、そういう時代に生きていたら、保身に徹する)
火野葦平にしても石川達三にしても、煮え切らない作品ではあるけれど、
でも、彼等が書き残しておいてくれたことはやっぱり良かったなあ、と思うんです。
これ。過去のことじゃないんですよね~~~。これからも起こりうることなんです。

今ここで語っていることは、日中、日韓、日朝のことがテーマだから、そこで起きた
事件や事変や戦争を語っているけれど、目を転じれば、世界のあちこちで戦争は今も
現にある!
それらの底に横たわっているものは、上の問題とは宗教などはっきり違う事情もあるけれど、
共通する項が沢山ありますね。
この人間世界は、何が正しくて何が間違っているのやら、誰が悪かったのやら、
どうすればいいのやら…!
でも、人間がしてはいけないことははっきりしていると思うんです。

『解からないことだらけなのは,よ~~~~お~~く解かりますよ,わたしもはじめは混沌としてて何がなんだかサッパリわからない広大さと時間のながさ,罪の深さに呆然としながら,日中の歴史にさまよう期間がとてもとても長く続きました(笑)』

(笑)!
そうなんです~~!
ほんとに、知れば知るほど、いったいどこまで行けばいいんだ?と茫然とします。
しかも、急な勉強は、詰めこんだ端から抜けて行ってしまいますしね。(涙)
たぶん、大雑把な捉え方しか出来ないだろう…でも、やってみます。
どうか、これからも、色々教えてくださいね。

『ずっと孤独に(笑)陰にこもってブログの記事を書いてきましたが人との会話を通じてモノゴトが発展していく喜びを感じました。』

わたしこそ、わからないところ曖昧なところがすっきり晴れて行く喜び、
そして点の知識が繋がっていく喜びを、味わわせていただくことにこれからさらになることと
思います。

ありがとうございました♪










感謝のオニ

彼岸花さんこんばんは。

お返事いつもありがとうございます。ひとつ,誤解があります。
わたしが書いたMoreの部分,黑島傳治について,彼岸花さんとここで『武装する市街』のことを語った後で付け加えたんですよ。

わたしもここで会話した後ずいぶんいろいろ考えたんです。
そして考えたことは ――最近考えすぎると有害なことが多いのですがw無害であるうえとても有益でした。
わたしは長年日中の歴史をながめているうちに,ずいぶんと近視眼的になっておりまして。
14年戰爭,八年戰爭,37年以降とか,こまかくぎちぎちと限定するあまりに,わたしの使う“戰時下”,ということばの虚しさに気づきませんでした。

日本の戰時下に,反戰文學はない,いや鹿地亘がいる,いや堀田善衛がね,といった會話,おもえば星狩人さんのところで會話したたことがすべての始まりだったと思います。
そのときわたしの中に根強くあつたのはいわゆる盧溝橋以降の“日中戰爭下”,ということでした。
以來,わたしはブログで鹿地亘を書くようになり,恨みゴトいうわけじゃ有りませんが。その周辺に,7,8月とどっぷり浸ることになったわけです。w

でもかの地ではあの長い時代は,ずっと戰亂の時代だったわけで,支ナ派遣軍,関東軍,満洲鉄道警備隊,山東出兵の内戦介入の兵隊などと厳密に言い換えるのは,一部の人だけで,多くの人がはなす言葉はやはり“ながいながい戰爭の時代”,です。
素人ブログの言いっぱなしの,楽な部分は満喫しながら,書くことはとても独りよがり,
一っちょ前に弊害だけは専門的,というのか,うまくいえませんがとても虫瞰的になってました。

なにかこう,考え方が限界を迎えてたんです。わたしのなかの歴史観,日中關係が。
内地には,なにもなかったかのように。
日本にめくばりすることをやめてしまい。
でも,彼岸花さんとの会話の中で,黑島傳治がいたな,ああ,プロ芸には,反戰作家がいたじゃないか・・・・,そうだそうだ,ひじょうに美しい反戰詩があったなあ。ひと世代まえには・・・・
いまさらのように中野重治や北川冬彦といった詩人,どちらも『戰旗』や『文藝戦線』の常連ですが,の本を手に取ったりしています。20年ぶりぐらいでしょうか,うっすら埃が積もっていてお掃除しつつ,自分のズボラにあきれかえりながら讀み返しています。
「プロ芸のゆたかさ」「あの時代の氣骨」が中國に移植されたなんてことをえらそうに書きながら,そのじつすっかり意識の外にあったものたちでした。

黒島傳治は,火野葦平を讀んで,だめだだめだ,ゼンゼン戰爭が書けてないじゃないか,などなど旺盛な批判精神を持って後進を叱咤するようだった,と。ページをめくれば確かに時代は繫がっています。断絶などなかったのです,最近の日中間の現實,歴史の因果,くりかえしに,乾ききってひびわれてた気持が,潤ってゆくようでした。
彼岸花さん,ありがとうございます。今はただただ感謝です。

解からないことだらけなのは,よ~~~~お~~く解かりますよ,わたしもはじめは混沌としてて何がなんだかサッパリわからない広大さと時間のながさ,罪の深さに呆然としながら,日中の歴史にさまよう期間がとてもとても長く続きました(笑)。

彼岸花さんはどくとくの直感でぐいぐい進み(それは経験の豊かさ,というものに裏打ちされてるのでしょうが),黒島傳治にぶつかったり,樣樣キッカケを拾い上げて,歴史観を広げていってますね。
わたしの若い頃なんて,それはもう遅遅とした歩みでした。今も遅遅としてますが。
これからもこうした会話を通していろいろまなばせていただきたいです。
わたしが知っていることは,固有名詞にすぎません,もちろんその意味でおてつだいは少しはできるかもしれませんが,わたしも勉強しなおすことになります。
ずっと孤独に(笑)陰にこもってブログの記事を書いてきましたが人との会話を通じてモノゴトが発展していく喜びを感じました。

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん、こんにちは。
返事が遅くなってすみません。
知らぬことばかりで、一語一語調べて確かめていると、なかなか先に進めません。

『武装せる市街』。
これはもう、私には衝撃でした。
私が付け焼刃にアヘン戦争あたりから日中戦争前後の中国のことを把握しようとして、
何度同じ言葉を検索しても説明を読んでも、全体像がつかめぬ混沌と悲惨が、
ここに集約されているような感じを受けました。
今春始めたばかりの勉強は、無論いまだに全体図をざっと掴むにも程遠く、
ぽっと得た一つの情報が、たまたま別のところで出会った別の情報と繋がっていく感覚…
いまはそんな極めて部分的な…いわば、点と点を細い細い線で繋ぐような、そんな感覚で、
いろんなことを読んで行っています。
それを時代的、地域的にも部分的ではあるけれど、一つの『面』と言うより
小さな『四次元空間』として捉えさせてくれた作品でこれはあるような。
日本に侵略される以前からの中国の問題と、日本が朝鮮半島を経て中国に侵略していった時代…
そしてその後のさらに大きな混沌と悲劇までを予見させる、スケールの大きな作品ですね。
私、黒島伝治と言う作家もこの作品も全然知りませんでした。
なにもわからぬままに、いきなり火野葦平から入っていって、他の戦争文学を
探したけれど、戦後言い訳のように書かれたものや戦意高揚の作品は沢山あっても、
なかなか、侵略や戦争の実態をありのままに描いた作品はなかなかない。
細い糸をたぐっていくうちに、ふと『小豆島』と言う言葉に魅かれて出会ったのが
黒島伝治でした…。行って来たばかりでしたので。
読んでみれば、これがびっくり!
こんな作家がいたのか!と。
その中でも『武装せる市街』は私には、本当に衝撃でした。
人生で何回か、本、作家との出会いは誰の人生にもあると思いますが、この作家は
私にとっての一つの出会いかな。
そして、玄少子さんのところをお訊ねして、それまで気づかなかったmoreのところを
開いて見たら、ちゃあんとそこに黒島伝治の名前が書いてあった!!!
なあんだ、早くここを見ればよかったなあ、と!(笑)
でも、辿りつくべくして辿りつくものですねえ…。ちゃんと鹿地亘とも繋がっていく。
私にはまだそちらに手が伸ばせませんけれど、その余裕がないですけれど、いずれ
しっかりよませていただきますね~。
こういう偶然というか、起こるべくして起こる出会いのようなものっていつも愉快ですねえ。
私、まあ、読んだ順番からして、次に石川達三『生きている兵隊』のことを
書きたいのですが、そうしたら、ちょうどぴったりのタイミングで、朝日の夕刊で
石川達三の筆禍事件として連載をやってくれている!
迂闊なことに、私、夕刊はあまり中味がないように思って、このところ読んでなかったのです。
玄少子さんに昨日、教えていただかなかったら、知らずに過ぎてしまうところでした!
お声をかけてくださってありがとうございます。
同じような偶然は、その次の次あたりに書こうかなと思っていた大岡昇平『野火』に
関してもありました。以前私は、『ゆきゆきて、神軍』というドキュメンタリー映画を
見たことがあり。この映画も私の中では衝撃的な印象を受けたものでした。
マイケル・ムーアが、『生涯観た映画の中でも最高のドキュメンタリーだ』と語っているそうですが
私にとってもこれは生涯心に残る映画の一つになりました。
でも、あまりにも衝撃的な内容のため、この平和な(!)日本では、長く見、語り継がれるはずもなく。
いつかこの映画のことは単独で記事にしようしようと思いつつこれまで来ました。
大岡昇平の『野火』も、すばらしい作品だと思います。これを語るのに、この
『ゆきゆきて、神軍』を、同時に語ろうかな、と思っていたところだったんです…。
そしたら。同じ朝日の、土曜日の別刷り(8月31日)に、なんとこの『ゆきゆきて、神軍』
の特集記事が!
こういうのって、ほんとに不思議な偶然ですね~~~。もう、二十年もこんな奇矯な映画について
触れる人にも記事にも出会ったことなかったのに、ここにきてそんな新聞特集があるなんて。

小豆島に関しては、もう一つ私が生涯とても大事にしたい、と思うようになる偶然の出会い
があるのですが、それに関してはいつかまた別のところで。

さて、本題に戻り。
そのように、いくら読んでも、あまりにも大きな歴史の動き。
中国、朝鮮半島、シベリア、南方方面…と、二次元空間も広大過ぎれば、
歴史的空間も長大過ぎる。
何が善で何が悪なのやら、どこが始まりでどこが着地点だったのやら、
誰と誰が戦い、結果どうなったのやら……
それを私のように知識も力もない者が部分的に見て行っていると、自分の方向を
しょっちゅう見失ってしまいます。

ところが、玄少子さんの、
『20年代,満洲,山東,山海關の東の情況と関東軍の,華北駐屯軍の實情が見事に
えぐりだされていますね。日本人も中國人もあんなふうに,雑多な欲望と,暴恣の振る舞い,
混沌として猥雑なエネルギーに満ちていました。
中國人も日本人も悪辣さにかけては同じで,悪いのもいれば善良なのもいる,
加害か被害かということで善悪など見きわめようがないです。
唯一いえるのは,日本人は,出かけていってあれをやっていた。』
『中國人は生まれ育った大地,祖先のみまもる天を戴いて,悪いこともし,善人も悪事に手を染めた。
いわゆる漢奸,対日協力者もいた。
しかし日本人は,わざわざ,海を越えていってあれをやっていた。』

という今回のコメントの一文は、「そうだ!それをしっかり見据えて行けばいいんだ!」という
しっかりした立脚点と確信を、私にここで授けて下さった気がします。

『悪逆の限りをつくしても戰爭を終えれば日本人には歸ってゆく天地が有りました。
そのうらで日本人によって満洲の凍土に放り出された中國の民がいます。それは
およそ50年にわたってを土地を強奪,収奪されたまずしい人たちのことですが,
生まれた土地で,ただ生きていただけで塗炭の苦しみを味わわなければなりません。』
『同じ悪辣さでもちがうのはそこです。出かけていってやるのは,だから侵略というわけです。
乱暴な言い方をしますが,しょせん旅の恥じのかき捨てです,だから反省がないのです。』

『私が日中の近代史を学んできて得た結論は,ほんとうに絶望的な気分になりますが,このことにつきます』

ご自宅のお部屋の壁一面が中国関係の本で占められているという玄少子さん。
それほどの資料にあたられてきて、この結論…。
私は極めて浅学ですが、いわば直感で同じく思います。
これは朝鮮半島の人々についても同じですね。
この済南事件の被害者にも朝鮮の人々がいる…。
人間の欲望の醜さは、日本人も中国人も朝鮮人も、そして時代も、変わりありません。
しかし、日本が侵略しなければ起きていなかった日本人兵士も含む多くの民族の民の悲劇が、
これらだけでなくフィリピンにもインドネシアにも、ニューギニアにも…どれほど
沢山あったことでしょう。
その全体図を見ないで、この問題を部分的に語っても仕方ないと思います。

一旦、ここで切りますね。







その4 しつこい・・・・

昔も今もおおくの日本人は,侵略と戰爭の違いもわかっていません
戰爭とは戰爭です,内戰もあれば原爆も落とされる。革命だって戰爭によることが多いです。しかし侵略は・・・・

古來幾多の侵略を受けていた漢民族は國境線を広げる戰いはしますが,いまはしらず,古くは遠く海を越えてまで侵略をした歴史を持ちません。常に入貢を許してきた,というはなもちならない自負がありますが。元寇,モンゴル兵の蹂躙,あれは民族が違う。だから漢民族はすごい,すばらしいといってるのではなく,侵略の理不尽をよくわかっているのです。
だから華僑はしたたかで,あくどいくらいの力が有るんです。

昨日の朝日新聞に鹿地亘と,夏衍のことが書いてありましたね,ごらんになりましたか?
昼行灯のような社説がおおい,火の入らないシケた提灯記事ばかりの朝日,ですが,記者名入りの記事にはいいものがありますねえ

その2,その3はえらい書きようで申しわけ有りませんでした。
きどった,鼻持ちならない文章です・・・・,
ワタクシゴトですが父も元気に戻りました・・・・。
どうもわたしはどくだみ莊日乘に甘えてしまっているようです・・・・。

いつもありがとうございます。感謝と自戒をこめて・・・・・

その3

司馬遼太郎は,昭和はじめから敗戦までの15,6年(もう少し範囲はひろかったかもしれませんが,彼が言わんとしていることは中國への侵略ということでした)の間日本だと思っていない,不連続,斷絶した時間だといいきっていますね,だから彼は書かなかった,書けなかったと述懐しています。なにかで讀みました。
ノモンハンですら書こうとして書けなかった。資料も集め,数多くの参謀,軍人,兵隊たちに話しを聞いた,とも言ってますが。 高級軍人の話は結局メモも取らずにあきれかえるばかりだったのがおおかったと。もと兵士の話には,鬼哭啾啾のありさまで話をされて,血が通っていたと。

日本中が侵略者の自覚なき侵略者と,何も知らないで搾取と収奪に加担した内地人だったわけですから。戦時下の日本にプロレタリア文學は一つとしてないのはあたりまえです。極端な言い方をすれば皆が搾取収奪の側だったのですから。大正,昭和のはじめのプロ藝の豊饒をみると,それらの滅失の原因は,まさに戰爭。満洲の建國と日中戦争です。

一方ノンフィクションには力あるものが多いです
角田房子の著作のかずかずは,すばらしい。
満洲ものでは「卡子」の遠藤誉,
サンダカン十番娼館を書いた女流の夫君,満蒙開拓団のものも。集団自殺を書いた「麻山事件」などなど。女流に力作が多いのも特徴です(名前を失念しました)

それらにくらべて戰後の日本の文學者が書いたわざとらしさ,といったら!!!
レイテ島など戰記文學もありますがみな,傑作は太平洋戰爭です。
なぜか。

中國人は日本に奪われた数おおくの地域を淪陥區と呼んでいました。
そこでは,関税もなく,日本の謀略によって作られた阿片の乱造(台灣,蒙疆,朝鮮半島,海南地域で,つくられました)と專賣,経済を混乱させるために投入された偽札,ありとあらゆる分野で粗悪な品々が溢れかえっていました。内務省,厚生省,商工(経産省ですね)といった日本の官によって中國の經濟は息の根を止められます。經濟活動はめちゃくちゃにされ,そのうえ,戰爭も強いられていたのです。ただ日本が発展するために。

それでも,侵略行為と自覺していた日本の知識人はいなかったのでしょうか!,とおもわざるをえません。“侵略”だけがとめどなく飽くことなく,膨張と発展をやめません。わたしはそのことが,本当に腹立たしいし,日本の“近代化”,その成果であり,惡の果實だった,そう思っています。わたしが戦時下に書かれていた日本文學を,近代の文學としてまったく否定したくなるのはそれがあるからです。 戰後中國への“侵略”を文學として昇華結實できないのもそのせいです。

戰後の満洲は,日本人にはたしかに地獄でした。中國人の朝鮮人の憎しみ,報復,にかこまれ絶望的になった日本の満蒙開拓民の集団自殺のおそろしさ。
麻山事件など,悲惨な母子の殺害がありました。日本人は戦争が終わってもまだ人を殺す,しかも自分の同胞を,とおそれられたそうです。

新京(長春)では,中國人にとっても地獄は續きます,かれらにはもちろん引き揚げは有りません,日本に荒らしつくされた大地に生きるよりほか有りませんでした。
貨幣経済の混乱,飢餓。ハルビンつくられた化学兵器の残留もあります。また國共内戰のさ中に現出した悪名高き,“卡子”・・・・。想像を絶する戰後(日本人においての)のありさまです。焼け野原の日本もつらかったでしょうが。彼ら中國人は戰前も戰後(これも日本人にとっての)もそこに生きるよりほか有りません,祖國ですから。

秋の夜長に白い涼しげな蟲の聲音に癒される毎夜です。

人のブログでこんなコメントを残す私はどうかしてるのかもしれません,でも,どうか彼岸花さんの筆力で,ぜひ侵略の本義を知らしめてください,わたしよりずっと力づよく伝える言葉を持っているどくだみのフンヌに期待しています。

失礼いたしました。ホント暗すぎますね・・・・。はじかれるのもあたりまえですか。

その2 不正投稿とされ何度もはじかれたのでいくつかにわけてみました

20年代,満洲,山東,山海關の東の情況と関東軍の,華北駐屯軍の實情が見事にえぐりだされていますね。
日本人も中國人もあんなふうに,雑多な欲望と,暴恣の振る舞い,混沌として猥雑なエネルギーに満ちていました。
中國人も日本人も悪辣さにかけては同じで,悪いのもいれば善良なのもいる,加害か被害かということで善悪など見きわめようがないです。

唯一いえるのは,日本人は,出かけていってあれをやっていた。
中國人は生まれ育った大地,祖先のみまもる天を戴いて,悪いこともし,善人も悪事に手を染めた。いわゆる漢奸,対日協力者もいた。
しかし日本人は,わざわざ,海を越えていってあれをやっていた。

同じ悪辣さでもちがうのはそこです。出かけていってやるのは,だから侵略というわけです。乱暴な言い方をしますが,しょせん旅の恥じのかき捨てです,だから反省がないのです。
私が日中の近代史を学んできて得た結論は,ほんとうに絶望的な気分になりますが,このことにつきます。
悪逆の限りをつくしても戰爭を終えれば日本人には歸ってゆく天地が有りました。
そのうらで日本人によって満洲の凍土に放り出された中國の民がいます。それはおよそ50年にわたってを土地を強奪,収奪されたまずしい人たちのことですが,生まれた土地で,ただ生きていただけで塗炭の苦しみを味わわなければなりません。

日本は大陸の引揚者の勞苦,満洲最北からの逃避行の惨苦ばかりがいわれますが,引き揚げてきたものはみな,善良も悪人も“侵略者”です。侵寇,して,劫略してきたのです。 出かけていって,歸る場所があるのですから
海を隔てて出かけていった民族はひどいことをします。かつてスペインがアステカを,ポルトガルがインカ帝国を滅ぼしたことも同じです。コンキスタドレです。
そして母国に帰れば何食わぬ顔ができる。

一方で残っているものはどんなに悪人でも侵略者では有りえません,自明のことですが。
やってきた日本人であれ,残留してあの地に生きることになれば,もはや侵略者ではありえません。 大地とむすばれるか,そこが分かれ目です
 
やむを得ず大陸に残留せざるを得なかった人もいますね,「武装せる市街」は戰爭というより侵略をきっちりと書ききってます。
殘留孤児,残留婦人,解放戰爭に参加させられた日本兵,少年たち。侵略者でこそなくなりますが祖國を失う苦しみを味わうことになる。そんな未來までも透徹し,リアリズムで睨みすえたような・・・・世界に誇れるプロレタリア文學の傑作です。

おもえば20年代の日本文學にはこの視点が有りました。侵略という視点が。
日本は14年戰爭中,それまで蚕食してきた満洲華北,をついに日本帝國のものにしてしまい,いくつも政權を作り,八年戰爭中には華南にまで傀儡政權をつくります,侵略していることを忘れはててしまいます。
自分の國土にしてしまったのですから。
かろうじて“戰爭”の意識がすこしあっただけでしょう。
何處と闘っているかの自覺すらなかった妄想狂の参謀もいます

戰後もおなじです。
山崎豊子,澤地久枝といった人たちが書いた,“満洲もの”。
あんなものはまがいものです。いずれ他人の著述の剽窃です,眼を閉じ耳を塞ぎ口をつぐんだ筆と何ほど違いがないのです。変わりません。
書かなかった司馬遼太郎は誠實だっただけです

その1

九月に入り夜は幾分涼しくなりましたね。
「武装せる市街」そろそろ読み終えたころでしょうか。
結末のシーンにうちのめされておいでではないでしょうか。


プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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