『生きてゐる兵隊 ① 』

さて。少し間があいたが、また、日本の戦争文学を紹介する記事を続けて行こう。

戦後68年。
なんでいまさら、古い過去のことを蒸し返すの?
そう言われそうだが、過去という時は今という時と全く断絶しているわけではなく、
過去の亡霊のような精神が今も、この日本という国の心の底流に依然として流れ続けているように
思えるから、敢えてこうして掘り起こしているのである。

戦後私達は、もう二度とあんな思いはいやだ。もう二度と戦争はしたくない!
そう思って、不戦を誓う憲法を大切にし、ずうっと守って来たのではなかったか。
時の自民党政権によって、何回も、この平和憲法の根幹をなす憲法前文や第9条などを
変えてしまおうとする試みがあった。だが、なんだかだいって、国民の戦争忌避の強い意志が
それらを食い止めてきた…

ところが今。先の衆院、参院選で圧倒的多数を得たことにより、自民党が
勝手に憲法やその法解釈を変えてしまうことを縛って来た、良識の箍(たが)が外されてしまった!!!

私が、こうやって古い文学を自らも学びつつ掘り起こしているのは、戦争に至る道というものが
いつも極めて似ている過程を取るからである。
以前、渡辺白泉の句を紹介したことがある。
渡邊白泉。1940年京大俳句事件に連座。
2月15日、特高警察は『京大俳句』の幹部の8人を一斉に逮捕。これが俳句史上、最大最悪の
言論弾圧事件である「京大俳句事件」の始まりだった。
白泉は第2次検挙で逮捕され、第3次検挙では、西東三鬼、第4次検挙で、東 京三(秋元不死男)
などが逮捕されている。
 「京大俳句」のみならず、どの俳句結社に所属していようとも、ちょっとでもおかしな俳句を
詠んでいる俳人がいれば、直ちに「赤い俳人」と言うレッテルを貼り逮捕した。
留置所に1、2年留置され、連日の取調べを受けた。それは殆ど拷問だったと言う。
東 京三(秋元不死男)の句に、『冬空をふりかぶり鉄を打つ男』、と言うものがある。これに対して、
「鉄と言うのは資本主義のことで、プロレタリアがそれを叩き潰すと言う意味なんだろう?」
と言う具合に詰問し、何日も何日も東 京三を責め立てた。
 さらに酷いのは、「自由律俳句」の俳人らに対しても、俳句の定型を無視して『自由』を標榜するとは、
危険至極な思想である!、と言う始末だった。
参考http://blogs.yahoo.co.jp/sw21akira/46998080.html

1943年には『きりしま事件』が起こる。これは、鹿児島日報(現在の南日本新聞)の記者2名と
販売局員1名を始め総勢37名が鹿児島県警察部特高課に治安維持法違反並びに不敬で検挙された事件。
いわゆる「新興俳句弾圧事件」の一つ。検挙された3名はいずれも俳句同人誌『きりしま』の同人であった。
当時、鹿児島県警察部特高課長であった奥野誠亮は、『きりしま』に掲載された俳句のうち、

 われら馬肉大いに喰らひ笠沙雨(かささあめ) 

 熔岩に苔(こけ)古(ふ)り椿赤く咲く

などを、「馬は軍馬として戦地へ赴き、兵士とともに働く貴重な戦力である。それを大いに食らうとは
不届きな思想にほかならない。しかも食料統制の策を批判している。」
「椿の赤色を賛美するとは、『共産主義の肯定』である。」

などという理由で、この大量検挙に検挙に踏み切ったのである。

俳句だけではない。川柳もまた、その時流批判性のゆえに特高の厳しい弾圧を受けた。

 手と足をもいだ丸太にしてかへし

 万歳と挙げた手を大陸においてきた

これを書いた、鶴彬(つる あきら)は、昭和6年(1931年)、21歳の時に徴兵された。
配属された兵舎に日本共産党青年同盟の機関誌の「無産青年」を持ち込んだことで逮捕されて、
軍法会議にかけられ懲役1年8月。出所後4年で、川柳作品が軍を批判してるとして再び逮捕されて、
ノミやシラミだらけの不衛生な留置所に何ヶ月も拘束され、8ヶ月後の昭和13年(1938年)
留置所内で感染した赤痢が悪化。まだ29歳の若さで転送先の病院で亡くなっている。

獄中死ということでは、いわゆる『京都学派』と呼ばれる哲学者、三木清氏も、
1945年、治安維持法違反の被疑者高倉テルを仮釈放中にかくまったことを理由にして
検事拘留処分を受け、東京拘置所に送られ、その後に豊多摩刑務所に移された。
この刑務所は衛生状態が劣悪であったために、三木はそこで疥癬をやみ、また腎臓病の悪化とともに、
体調を崩し、終戦後の9月26日に独房の寝台から転がり落ちて死亡していることが発見された。
48歳没。
疥癬患者の使っていた毛布を消毒しないで三木に使わせたために疥癬が発病したという。
日本共産党発行の文化評論1976年臨時増刊号では、194人が取調べ中の拷問・私刑によって死亡し、
更に1503人が獄中で病死したと記述されている。
小林多喜二の名はみなさん、勿論ご存じでいらっしゃるだろう。
小林の遺体は、全身が拷問によって異常に腫れ上がり、特に下半身は内出血によりどす黒く腫れ上がっていた。

さて。話はもとにもどるが、その渡邊白泉の代表句。

『戦争が 廊下の奥に 立っていた』

は、戦争というものが、人々の暮らしの中に、いつのまにかそれと気づかぬうちに
忍びよっている怖さを表している。
そして。『きりしま事件』で中心的な役割を果たした鹿児島県警の特高課長、奥野誠亮。
その名をご記憶のかたも多いだろう。彼は、戦後、無実の人々を拘留逮捕した罪を問われることもなく、
後に自民党の衆議院議員になり、田中角栄の内閣では文部大臣、鈴木善幸の内閣では法務大臣、
竹下登の内閣では国土庁長官をつとめている。

治安維持法を運用した特別高等警察を始めとして、警察関係者は多くが公職追放されたが、
司法省関係者の追放は25名に留まった。
池田克や正木亮など、思想検事として治安維持法を駆使した人物も、ほどなく司法界に復帰。
池田は追放解除後、最高裁判事にまでなっている。
特高警察を指揮した内務官僚には安倍源基や町村金五(町村信孝の父)などがいる。
1932年。 警視庁の初代特別高等警察(特高)部長になり、後に警視総監を務め、
多くの思想犯弾圧を指揮した悪名高き安倍源基(安倍総理とは関係ない)は、
戦後、A級戦犯容疑者の一人として逮捕された。しかし、東條英機らの死刑執行が終わると、
占領政策の転換で不起訴となり釈放された。その後、岸信介・木村篤太郎らと共に
新日本協議会を結成、代表理事に就任した。のちに全国警友会連合会会長、東京都警友会会長を歴任。
従三位勲一等を受賞。

私が、過去という時が、いまと断絶しているというわけではない、過去の亡霊のような精神が
今も、この日本という国の心の底流に以前として流れ続けている、というのはこういうことなのだ。
いつか、それは書きたいが、GHQの占領占領政策に2つの流れがある。
一つは以前記事にして書きかけのベアテ・シロタ・ゴードンさんがその下で働いていた、
民政局局長ホイットニー准将、ケーディス大佐らの、「日本を徹底して民主化しよう、戦争の罪は徹底的に
洗いだそう」という占領初期の流れと、もう一つは、ウィロビー少将率いるG2と呼ばれる
治安、諜報活動を受け持つ組織である。
この二つは激しく対立していた。ホイットニーの部下のケーディス大佐はリベラリスト。
ウィロビーはホイットニーやケーディスらを「ピンカーズ」と呼んで毛嫌いしていた。
ピンカーズとは共産主義者がかった者という意味である。彼等はそうではなかった、
ただリベラルなだけだったのだが。
占領後期は、この第二の流れ=後者のウィロビーなどの考えかた、すなわち、日本をソ連の脅威=『赤化』
に対する防波堤にしよう、と考え、日本に警察予備隊(のちの自衛隊)などを復活させた一派の
方針が主流となった。
アメリカ本国の方針もそれであった。

A級戦犯として、戦争中に犯した罪を裁かれるべきであった、上記のような人々…
政治家や、警察官僚や、法曹界や、経済界の人間たち…それらの一部には、GHQの占領政策転換によって
自由の身となり、戦後の日本でそれぞれが、各界の中枢的地位についていった者も多いのである。
その中には、無論、安倍首相の祖父、岸元首相もいた…。


何度も言うが、私が、過去という時が、いまと断絶しているというわけではない、
過去の亡霊のような精神が今も、この日本という国の心の底流に以前として流れ続けている、
というのはこういうことなのだ。

こういう空気が、こういう流れが、今、顕著に表に出てきつつあることを
私は警戒して、このように戦争のことを書きつづっているのだ…。
原発のことも、どこか底辺でしっかりとこういうものと結びついている。

それについては、もし興味のおありのかたは、満蒙開拓団と青森県六ヶ所村のことを書いた
本田靖春氏の本についての私の過去記事。『貧しさの構図』を、お読みいただけると幸いである。

ここにも、戦後は続いている…という一つの例がある…



『きっと誰かに愛されている』ブログの愛希穂さんが、9月15日付神奈川新聞に載った
作家、辺見庸氏の『歴史的瞬間に立ち会っている私たち』という、とても考えさせられる記事を
紹介してくれている。全文はそちらで見ていただくことにして、特にポイントとなる箇所を
抜粋してここでも紹介させていただく。

 「現在は平時か。僕は戦時だと思っています」
 安倍晋三政権が集団的自衛権の行使に向け、憲法解釈を変えようとしている。
なりふりかまわぬ手法をどう見るか、そう尋ねた後だった。

 「日中戦争の始まり、あるいは盧溝橋事件。われわれの親の世代はその時、日常生活が1センチでも
変わったかどうか。変わっていないはずです。あれは歴史的瞬間だったが、誰もそれを
深く考えようとしなかった。実時間の渦中に『日中戦争はいけない』と認められた人はいたか。
当時の新聞が『その通りだ』といって取り上げたでしょうか」

 ずっと以前に有事法制は通っている。そして集団的自衛権の憲法解釈の変更への傾斜、秘密保護法案…。
「今が戦時という表現は僕は必要だと思う」。辺見さんは念を押した。

「日本のファシズムは、必ずしも外部権力によって強制されたものじゃなく、内発的に求めていくことに
非常に顕著な特徴がある。職場の日々の仕事がスムーズに進み、どこからもクレームがかからない。
みんなで静かに。自分の方からね。別に政府や行政から圧力がかかるわけじゃないのに。
メディア自身がそうなっている」
 
 橋下徹大阪市長の従軍慰安婦発言、在日外国人への罵詈雑言、麻生太郎副総理のナチス発言。
「無知」で「醜い」ことが立て続けに起きている。
 「平和性を自己申告して、千数百万人から2千万人が殺されたアジアの人たちの誰が信用しますか。
好戦的な国か、平和な国かは他の国が決めること。旭日旗に対する恐怖は彼らに焼き付いている。
相手の恐怖に対する想像力を著しく欠いている」

 誰も予測しなかった恐ろしいことが今、起きているのではないかと辺見さんは危ぶむ。
「虚無社会です。人の内面も空虚になっているのではないか」。忖度、斟酌、皆一緒。
言葉を脱臼させ、根腐れさせるシニシズムがはびこる。
進んで不自由になろうとする社会に、どう抗えばいいのか。

 「個として、戦端を開いていくべきだ」。辺見さんは力を込めた。
 「違う」と声を荒らげることが、むなしいこと、かっこ悪いことという空気が醸される中で、
一人で怒り、嫌な奴をぐっとにらむ。
 「自由であるためには孤立しなくちゃいけない。例外にならなくてはいけないんです」。
例外を認めず、孤立者を許さない。それがファシズムだからだ。
今我々は日々歴史的瞬間に立ち会っているのに(原発事故、秘密情報保護法案、集団的自衛権、
実教出版教科書問題など日本社会の、主体なきファシズム化)、誰もそれを言わない。
だから自分が言う、ということだった。



私達は、日常にともすれば埋没して、特定秘密保護法案や集団的自衛権の法解釈、
96条改訂など、私達が自由に平和に生きる権利をいずれ脅かしかねないような
あれ?ときな臭く思われるようなことを政治がうち出してきても、なかなかそれに反応しない。
たいへんだ!と思った時には、もう遅いことが多いのだ。

とりわけ。
2つの選挙で、自民党に真の政策面で対抗しうる政党というものが壊滅したいま、
これまで雄々しくリベラルの旗を掲げて来た者の中にさえ、もう駄目だ!なるようにしかならぬ…
という、悲しいあきらめが生まれつつある。

…これが最も危険な時なのだ。辺見庸さんの言うごとく。

私はここで、日中・太平洋戦争の頃の反戦文学を取り上げようとしているわけだが、
純粋な意味で反戦を戦中に貫くことがどれほど大変だったことか!
それは上に書いたような、文学者哲学者などへの思想弾圧の歴史を垣間見ただけで
察することが出来るだろう。

ある者は地下に潜って息をひそめ、ある者はうまく官憲の目をごまかしてひそかに
暗喩に満ちた作品を書き、またある者は自分や家族の身の安全のために転向せざるを得なかった…
無論、進んで戦意高揚の作家になっていった者もあろう。

こうなってからでは遅いのである。
出版や新聞などの言論の自由が奪われてしまってからでは!!!

さて。次に書く予定の石川達三『生きてゐる兵隊』には、そうした作家の胸中が
いかに作品の中に表出しているだろうか……

長い長い前置きでした!



スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re: 鍵コメさんへ

おおっと!
それこそ私が欲しいものではないでしょうか!
わ~…! 全巻、欲し~~~~い!!!(笑)
でもとりあえず、その巻を早速入手します。
わたしはソレでまなびます!(笑)

ありがとうございますっ♪

Re: 愛希穂さんへ

愛希穂さん。こんばんは♪

ほんとにとりわけここ数日は、ろくなニュースないですね。
消費税増税、本来は、社会保障との一体改革と言うことだったはず。
国の借金はどうしようもなくなっている、人口構成の老齢化、それによる
社会保障費の増大への対策は待ったなしのところに来ている。
それがわかるから、国民も、消費税増税は仕方ないかもなあ…と、半ば
諦めて納得していたのだったはず。
ところが!ね~?! 社会保障の方はいったいどこへ議論が消えて行ってしまったんだか!
生活保護を受けている人々の受給額は容赦なく減らす、その一方で、企業減税。
民主党政権の頃は、まだちらほら聞こえていた、軽減税率で収入の少ない世帯に
配慮するというのはいったいどこに行っちゃったの?
これじゃ、貧乏人からは無慈悲に奪い、金持ち企業をますます優遇するってことよね。
それでなくても大企業は内部留保金を溜めこんでいるのに。
そして、国の借金を少しでも減らすどころか、逆に公共事業やら、防衛費やらは
大盤振る舞い!!! またまた恥ずかしげもなくばらまき財政復活です。
無論その陰では、天下りやらその逆やらが再び横行して、国民の血税をむさぼる
ダニのような連中が増えるのよ。そしてそういった政・官・経の,それでなくても
豊かな人々が政治を動かして行くのよね。

そして同じ人々が、原発再稼動を狙い、TPPの亡国交渉に頭を下げてまで入れて貰い、
憲法解釈も変えて、集団的自衛権の行使をもくろみ、挙句の果ては平和憲法を捨てて、
国民を監視する、ろくでなし社会を作ろうとしている…。

安倍政権を衆参両院で大勝ちさせたら、こうなることは目に見えていたはず。

戦後の日本の方針ね。私もそう思います。
結局、戦中に美味しい汁を吸っていた連中が、少しだけほとぼりが冷めたら
ぞろぞろ復活したんですよね~。
そこらへんのところもだいぶ本読んでいるのですが、なかなかまとめられないでいます。
ほんとに絶望したくなるけれど、辺見庸さんも言うように、これで皆が、もう駄目だ!
と思ってあきらめて、虚無的になってしまって口を噤んじゃったらおしまい。

ほんとうにとんでもない日本になってしまいます。
きっともう、今でもなっていってるんだろうけれど(それが戦時、ということですね)
まだ、まだ、言論の自由がある。この自由があるうちに何とか国の悪政を
留めておかないととんでもないことになってしまいます。

…でもなあ…おとなしい羊に皆がなってしまったら、自分たちに何が起ころうと
気付かないまま、平気でとさつ場に連れていかれてしまうんだろうなあ…

人間というものはすばらしいものでもありますが、ほんとうに恐ろしいものでもありますね。
ナチの狂気。それを、あそこまで容認してしまった一般人というものがいるわけですよ…

愛希穂さん。でも、希望は捨てないでくださいね。
まだまだ日本には良識を持った人々が大勢います。
その人たちが少数派になってしまわないよう、声をあげていくことですよね♪
辺見庸さんの記事、使わせていただきました。ありがとう~~~♪




管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

No title

こんばんは。

本当に日本はどうなっていってしまうのでしょう。心配でなりません。
今日は今日で、消費税増税決定の報道。しかも、企業は減税。こんなめちゃくちゃな事が、どうしてまかり通るのか。

日本は本当にとんでもない国だなって思うのですが、その元凶の一つは、私はやはり、敗戦直後、あの方が戦争責任を取らなかったことにあるのではないかと思えてなりません。トップが責任を取らなかったから、戦時中、悪さをした者どもが戦後何事もなかったように、政治の中枢に舞い戻ってくることができたのではないかと。

オリンピック開催に浮かれている日本で、「今は戦時だ」と言っても、「何言ってるの?」と拒絶されるかもしれませんが、でも、辺見さんが語っておられるように、「個として、戦端を開いていく」覚悟がいりますね。

(矢内原忠雄氏も、そんな一人だったのでしょうね。)

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん、こんにちは~。
ご実家においででいらしたのですね。おかげんはいかがでしょうか。
リンク、喜んで。ぜひお願いいたします。
私の方でも、私、詩は小説よりなおさら無知ですので玄少子さんにリンクさせていただけると
とても有難いです。
戦前戦中に、私達の先人がいかに生きたか、ということを振り返って見ることは、
なにも過去の先人たちを持ちあげたり卑しめたりすることとは違う。
戦争へいつのまにかまっしぐらに進んでしまったという同じ轍を踏まないように、
未来に向けて、未来のために、過去を振り返ってみようということなんですものね。

私は俳句の方面も無知です。(苦笑)
でも、白泉の『戦争が廊下の奥に立つてゐた』は、ずっと以前、朝日新聞の
大岡信さんの『折々のうた』で確か初めて知って、強烈な印象を受け、心に
留めていたものです。
ブログ書くようになって白泉のことはあらためて詳しく調べるようになりました。
その生きざまも心魅かれます。多くの俳人がやはり翼賛俳句を書いた中で、
このひとはついに書かなかったんですよね~。
そして、戦後、俳壇とぷつりと縁を切って、市井の一高校教師として、ほぼ埋もれて
生涯を閉じた、というところに、なぜかその心の傷の深さを思い、魅かれます。

と言ってもまだあまり句自体もたくさんは知らないので、このほどようやく
『疾走する俳句―白泉句集を読む』を買って届くの待っているところです。^^
ほんとうは白泉の『全句集』欲しいけれど、8千円は年金生活者には痛いからなあ!(笑)
でも、『疾走する俳句』の方も、本の体裁は質素なんだけれど編者の白泉への想いが籠った
本づくり、などという書評読んだら、欲しくなった。^^
「支ナ事變群作」ですか。
さすが玄少子さん。私はまだちゃんと白泉読んでいないので、どの句がどこに
おさまっているかわからないのですが、厳しい句がありますよね~~!

『綳帯を巻かれ巨大な兵となる』
『銃後といふ不思議な町を丘で見た』

などという厳しい反戦の句を、検閲・弾圧厳しい昭和13年に作れる人だからこそ、

『稲無限不意に涙の堰を切る』

などという深い句を戦後に作ることが出来るのだと思います。この句、とても好き。


お母様と二人の海軍士官の従兄さん。どちらのかたが、そうだったのか…
ほんとうに、そっとしておきたい秘密の領域ですね。
海軍士官の制服は、ほんとうに写真で見るだけで何か心ときめくものがあり。^^
我が家の家系は、私以外は皆小柄で、誰が戦地に行ったとかあまり聞いたことがないのですが、
ひとりだけ、父の甥にあたる青年が飛行機乗りで、故郷の空の上を飛ぶからというので
皆で空を見ていたら、やがて小さな機影が見えてきて、上空でさようならを言うように
何度か旋回し、両翼を振り、やがて遠ざかっていった…という話を母から聞いたことがあります。
九州ですので、知覧か鹿屋の基地にでも行ったかなあ。その人も帰ってきませんでした。

さて。がんばって『生きてゐる兵隊』の続き書かなくっちゃ。^^
ありがとうございます♪








秘密の領域

ちょうど実家に帰っておりまして,コメのお返事もできずもうしわけありませんでした。
またリンクを張りたいのですが,ここから貼るつもりでいます。またご了承いただけたら,とおもいます。たのしみにしています。

わくわくしますねw「京大俳句」事件から書き起こされるなんて!
新興俳句の弾圧もすさまじいものがあったようですね,わたしは詳しく知りませんが・・・・。白泉の「支ナ事變群作」は迫力ありますよねえ。

話し変わって以前話した母のあこがれの海軍士官さんはなくなってたようです。
父が言ってました,従兄が二人戰爭に行って一人は戦死,一人は歸國して病死した,と聴いたことがある,そうです。どっちがどっちかは母の秘密のようでしたね,そっとしておきますww

ではではまた
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード