『生きてゐる兵隊 ④』

さて。『生きてゐる兵隊』。すこし先を急ごう。
これが発禁になったと思われる箇所は他にも沢山ある。

敵兵を倒すことについて何の良心的呵責もなしに行える例の笠原伍長が、夜、営舎で
焚火にあたっている時、その左手のふとい小指に銀の指輪を嵌めている。倉田少尉が見つけて
「それは何だね」と問うと、笠原は「姑娘(クーニャ)がくれたんですわ!」と答える。
笠原だけでなく、他の兵士も銀の指輪を嵌めている。
支那の女たちは結婚指輪に銀を使うらしく、どの女も銀指輪を嵌めている。
あからさまには書いていないが、これにより石川は、笠原伍長らが中国人民間女性を犯して
或いはその場で殺し、その指に嵌めていた指輪を略奪してきたのだということを暗に示している。
この後も、戦闘がふっと小休止して数日の休養を与えられている時などに兵士は最も
女を欲しがるのだ、と石川は書く。兵士たちは街の中をうろうろと女を探して回り、居ないときは
時には城外の民家まで出かけていく。そして帰りには指に銀の指輪を嵌めている…

11月20日。無錫での激しい戦闘が膠着状態で小休止している夜。
ある民家から女の泣き声が聞こえてくる。こんなところにどうしてまだ女が、と、
平尾一等兵と笠原伍長が調べに行くと、17,8の娘が死んだ母親に取りすがって泣いているのだった。
夜が更けて行っても泣き声は止まない。
女の泣き声は一層悲痛さを加えて静まり返った戦場の闇をふるわせていた。号泣から涕泣嗚咽へ、
獣の長鳴きのように唸っていたかと思うとまた悲鳴に似た叫びの調子に。
「ええうるせえッ!」
平尾上等兵が叫んで飛び出していく。数人の兵が続く。
 彼等は真っ暗な家の中へふみこんで行った。砲弾に破られた窓から射しこむ星明りの底に
泣き咽ぶ女の姿は夕方のままに踞っていた。平尾は彼女の襟首を掴んで引きずった。
(中略)
「えい、えい、えいッ!」
 まるで気が狂ったような甲高い叫びをあげながら平尾は銃剣をもって女の胸のあたりを
三たび突き貫いた。他の兵も各々短剣をもって頭といわず腹といわず突きまくった。
ほとんど十秒と女は生きてはいなかった。彼女は平たい一枚の布団のようになってくたくたと
暗い土の上に横たわり、興奮した兵のほてった顔に生々しい血の臭いがむっと温かく流れてきた。
(中略)
笠原伍長は壕の底の方に胡坐をかいて煙草を喫いながら笑いを含んだ声で呟いた。
「勿体ねえことをしやがるなあ、ほんとに!」


このシーンのあと、都会の新聞社の校正係をしていた、もとはロマンチックな気質のこの平尾一等兵、
小学校教員であった倉田少尉、医学生であった近藤一等兵ら、それぞれが今の殺戮にそれぞれの
想いを胸の中で巡らせるのだが、このあたりの作者の描写はまた、やや類型的である。

12月。常熟、無錫、常州…と、次々に陣地を失った支那軍は、南京をとり囲む丘陵地帯と
紫金山と南京市街の城壁に逃げ込み立てこもる。
こういう追撃戦においては、どの部隊でも捕虜の始末に困る。自分たちがこれから必死の戦闘を
するというのに、警備をしながら捕虜を連れて歩くわけにも行かない。
「捕虜は捕えたらその場で殺せ」それは特に命令というわけではなかったが、大体そういう方針が
上部から示された。

笠原伍長はこういう場合にあって、やはり勇敢にそれを実行した。彼は数珠つなぎにした
十三人を片っぱしから順々に斬って行く。4人を自分で斬った。捕虜たちは初めのうち土に跪いて
一斉に喚き嘆願していたが、あるときから急に静かになって両手を膝に乗せ、青ざめた顔をして
覚悟を決めたように黙然となる。「あと、誰か斬れ」と笠原が言うが、さすがに斬る者はなかった。
彼等は二十歩ばかり後へさがって銃を構え、漸くこの難物を処分した。

近藤一等兵と平尾一等兵は、住宅街の中で大きな邸宅に宿営する。
既にその家は、支那軍が逃走する前に略奪の限りを尽くしていったらしく、荒らされていた。
二階客間に二人は行く。紫檀に細かい細工を施した椅子、朱塗りのテーブル、大理石の暖炉、
シャンデリア、山水の掛け軸、窓の外には孟宗竹の影……
平尾はマントルピースの上に、珍しい日時計を見つけ、それを大切に服の内ポケットに入れる。
彼は支那の悠久の文化に心を打たれている…

彼はいまになってはじめて支那という国を理解したような気がしていた。つまり支那の民衆は
政治とは全くかかわりもない生活を何世紀となくつづけて来たのだ。政府が清朝であろうと
孫文のものであろうと全く関心するところなかったに違いない。(中略)
「支那人というのは、本当の無政府主義なんだ。一人一人がそれを実行してるんだなあ」
(中略)彼は例の竹の杖を握って勢いよく玄関をとび出しながら大きな声で言った。
「左様なら。おみやげ有難うござんした」


12月8日。部隊は南京まで一日の行軍というところまで来る。
その夜、兵たちは米や芋を背嚢に詰め込み、腰には小銃弾をいっぱいに準備し、遺書を
財布や手帳に挟む。倉田少尉は遺書を書いた鉛筆をぴしりと折って焚火に投げこむ。

12月9日。もはや南京は包囲されている。日本軍の飛行機が南京城内に飛んで、
上海派遣軍総司令官から南京防備軍総司令官に宛てた投降勧告状を投下する。
回答期限は12月10日正午まで。回答がなければ城内攻撃を開始する、と。
回答はなく、午後一時、総攻撃の命令全線に下る。
10日深夜。南京市街は炎々として火の底にある。空爆の火災もあるが、支那兵が
火を放ったものである。城内では既に支那兵の略奪が始まっている。
11日。中国軍の必死の防衛に戦線は膠着状態。
12日。中華門はもはや友軍が占領して日章旗を立てたという情報が入ってくる。
全線の攻撃はただ紫金山の陥落を待っている。
倉田や笠原の西沢連隊に、部隊本部から(午後六時までに紫金山を完全占領すべし)
という厳しい命令が下る。
総攻撃開始。武井上等兵、連隊旗手などが戦死する。
午後五時三十五分、紫金山第一峰を完全に占領。

さて。南京陥落からの様子を、石川達三はどう描いているであろうか。
晴れがましい南京入城式まで僅か2ページの記述である…。

山頂の支那軍が中山門その他に加えていた砲撃が止むと同時に、城門に迫っていた各部隊の
猛攻撃が開始され、その夜のうちに城門はすべて八文字に押しひらかれた。戦車隊の突入。
敵軍の死体は戦車の無限軌道の下に轢かれ潰された。

(中略)
 十二月十三日、西沢部隊は峰つづきの天文台を通って山を下り城外を迂回して下関(シャカン)停車場
に入りさらに碼頭に出て、一カ月あまりで再び揚子江の水を見た。
 友軍の城内掃蕩はこの日もっとも悽愴であった。南京防備軍総司令官唐生智は昨夜のうちに
部下の兵をまとめて挹江門から下関に逃れた。(中略)
 挹江門は最後まで日本軍の攻撃をうけなかった。城内の敗残兵はなだれを打ってこの唯一の門から
下関の碼頭に逃れた。前面は水だ。渡るべき船はない。陸に逃れる道はない。彼等はテーブルや
丸太や板戸や、あらゆる浮物にすがって洋々たる長江の流れを横ぎり対岸浦口に渡ろうとするのであった。
その人数凡そ五万、まことに江の水をまっ黒に掩うて渡って行くのであった。そして対岸に
ついてみたとき、そこには既に日本軍が先回りして待っていた!機銃が火蓋を切って鳴る。
水面は雨に打たれたようにささくれ立ってくる。帰ろうとすれば下関碼頭ももはや日本軍の
機銃弾である。----こうして浮流している敗残兵に最後のとどめを刺したものは駆逐艦の攻撃であった。


十四日城内掃蕩。正規兵は庶民の服に着換えて避難民の中に紛れ込んだので、本当の兵だけを
処分することは次第に困難になって来た。
十五、六日場外掃蕩。
そして西沢部隊は他の部隊と共に十七日正午、中山門外に集結した。南京入城式。

              *

十三日のいわゆる南京陥落の日の朝から、晴れの入城式までを、石川はわずか2ページにわたってしか
書いていない。酸鼻を極めたであろう中国兵の『処分』も、『掃蕩』という一語の記述で
済ませてしまっている。
実際にその場にいたであろう兵たちに石川が取材した時、兵たちはどんなことを語ったのであろうか。

              *
そこからの約40ページは、占領後の南京市街と兵の様子を描いている。
 南京に残っていた住民はすべて避難民区域内に押しこめられた。その数は二十万というが、
正規兵も千人くらいはまぎれこんでいるらしい。その他の市街地には殆ど支那人の姿はなくて、
日本の軍人ばかりがぶらぶらと歩きまわっていた。酒保への買物と徴発と。


笠原伍長は中橋通訳とよく徴発に行く。羽根布団、スリッパ、姑娘の写真、…
笠原は石炭やうどんを打つためのメリケン粉を徴発してきて、池で手榴弾で鯉をとって来て、
部下に食べさせてやったりする。彼は、戦闘が終わっても生命力の旺盛な生活人であり
軍隊仲間への情誼は厚いのである。片山従軍僧は、空き家になっている骨董屋や寺に忍び込んで
仏像など掘り出し物を持ちだして自分のものにする…

 酒保を開いた商人たちの本当の目的は酒保ではなかった。彼等は支那紙幣を
狙っていたのである。国民政府がつぶれた今、紙屑と同じではないか。
いや、さにあらず。商人たちは、支那紙幣はもう紙屑だと思っている支那人や兵士からそれを安く買う。
10ドルのものを2,3ドルに買う。そしてそれを上海に持って帰れば、そこでは
1ドルはなおも日本円の1円10銭に通用している。鮮やかなドル買いである。
経済支那はなお滅びていなかったのである。
そうして彼等狡猾な商人たちは忽ちの中に成金になった。

南京市内には二か所に慰安所も設けられた。
笠原や近藤も行く。大通りにはまだ死体が転がっている。夜の間に猫や犬がそれらを食う。
慰安所には100人ばかりの兵隊たちが2列に並んで待っている。女は支那姑娘である。
敵国軍人相手に一人30分づつ。鉄格子の入り口には憲兵が銃剣をつけて立っている。

年末が来て正月が来る。笠原、近藤らの部隊は近々また移動になるらしい。
二人はその前に、片山従軍僧が遺骨を届けに行くのに附いて上海に部隊への手紙等が
届いていないか確かめに行く。上海の日本人の一角、虹口(ホンキュ)一帯は、商人や
休養中の将兵や領事館員などやで、まるで戦争などどこ吹く風と華やかな賑わいを見せていた。
カフェ、キネマ、酒場、喫茶店、…料理屋の前には軍の自動車がずらりと並んで
ここは将校相手の慰安所になっている。
(兵卒と将校たちとは、慰安所でも差別があった。昼は兵卒、夜は将校とか、兵卒は
朝鮮、中国娘で、将校たちには日本人の女。とか)
湯、畳、日本娘、贅沢な支那料理、ウイスキー、キネマにダンスホール…
しかし、上海の橋の向こうでは虹口を追われた避難民たちが、家も食べるものもなく
舗道で跣足で寒さに震えている…

上海から南京の戦場の帰りの貨車から、近藤らは戦場の風景を眺めている。
支那兵の朽ちかけた死体が2つ3つづつくらいかたまってあちこちに転がっている。
馬の死体も肋骨だけになっている。食うべき肉も尽きた、痩せた野犬の群れが丘の高みにいる…
しかし農夫はそれらの横で早、畑をうっている……

元医学生近藤一等兵は、上海の歓楽に触れて自分が生きていることの有難さを感じた後で、
再び死というものについて観照し、自分が生き残っていることの苦しさを感じ始め出す。
南京の前線に帰りついた後、彼は、漢口帰りという芸者のいる店に平尾と一緒に上がって、
そこで白い猫を見て、錯乱を起こす。かつて自分が殺した女スパイの白い肉体を思い出し、
芸者に向かって発砲してしまうのである。死なせはしなかったが。

倉田ら部隊はまた移動である。新しい戦場はどこなのか彼らにはわからない…
そこには近藤の姿はない…憲兵隊本部での事情聴取を受けていたからである。
最後のシーンは…
まあ、ここに書くのはやめておこう……


さて。こうやって石川達三『生きてゐる兵隊』は終わる…。
やや頭でっかちの、『ために書いた』小説、という嫌いはあるけれど、
日本軍の残虐行為を描きながらそれを観念論の問題に置き換えて語るという
もどかしさ、生ぬるさは感じてしまうけれど、
昭和13年という時代にこれを書いておいてくれたことを、やはり私は感謝したい。

たかがフィクションではないか。
一遍の創作作品がいったい戦争の何の真実を告げ得るというのか…。

この作品で主人公たちがしてきた戦を、
そのモデルとなった実際の第16師団の師団長、陸軍中将中島今朝吾らが、その日記で
(軍人としての自分の日記がこうやって後世、反戦の記事に引用されるのは、
おそらく不本意ではあろうが)記録に残しているものがある。
次の記事で、それとの比較対照を行ってみたいと思う。

私は、旧日本軍の軍人たちを糾弾しているのか…?
私がこの記事を書きながら感じているのは、悲しみだけである…






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Re: 文学談義の鍵コメさんへ

鍵コメさん、ありがとうございます。

深いお話。一度ではお返事しきれないようです。^^
また、そちらでお返事させてくださいね。

Re: 黄昏さんへ

これ。ほんとにいい論文ですね。
作者自身も、もっと日本で評価されていい人だと思いますが、そうした人を
こうやって真面目に研究している人がいるということは救いですね。

フランスの植民地の歴史、というのも、大きなテーマですね。
一息ついたら、少し読んでみたいと思います。
ありがとうございます。

Re: 鍵コメさんへ

お返事そちらでさせていただきます♪

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『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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