『キャンドルナイト 31』

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今夜は、こんなコップ…。
夏に一人旅した折、これもKの街で買って来たものだ。
高価なものではないけれど、磨りガラスに赤と緑の色が綺麗なので気に入って買って来た…
小さなつまみが横にくっついている。高さ9センチ。

秋らしい色でしょう…
だいぶ冷たくなった秋のお水をほんの一口、こくっと飲みたいときに。

            ***

今月はこんな歌をお送りしよう。
NHK『ひょっこりひょうたん島』は、皆さんご記憶のかたも多くていらっしゃるだろう。
岩手県大槌町にある蓬莱島が、この島のモデルと言われていることも。
蓬莱島は周囲約200mの小島で、大小2つの丘が連なったひょうたん形をしている。
小さな方の丘には高さ7.4mの大槌港灯台があったが、2年7か月前、東日本大震災で根元から倒壊。
その後、再建され、2012年12月13日に初点灯した。
島は、かつては大槌町漁業協同組合が所有していたが、同漁協は東日本大震災の影響で自己破産を申請。
島は破産管財人によって管理され、第三者の手に渡る可能性も生じたため、大槌町が2013年8月にも
この島を取得することになった。(以上Wikiより)


『ひょっこりひょうたん島』の中のこの歌。





すみません!肝心の歌、You Tube貼り付けたつもりで、貼り付けていませんでした!(汗!)
あらためて。聴いてください、メロディがせつないです。楠トシエさん。ご存じの方も多いでしょうが、
当時のCMソングの女王とも言うべき実力派歌手の歌唱が素晴らしいです。



『勉強なさい』 ★全作詞:井上ひさし&山元譲久/全作曲・編曲:宇野誠一郎


(子どもたち)しち はち くう じゅう
 勉強なさい 勉強なさい
 大人はこどもに命令するよ 勉強なさい

(博士)えらくなるために お金持ちになるために
(子どもたち) あーあーあーあーそんなの聞き飽きた

(サンデー先生)いいえ賢くなるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために 
さあ勉強なさい

(トラヒゲ)そうだとも 泣けちゃうな 今の一言
 みんな忘れるな

(テケ)トラさんもね

(サンデー先生)さんにがろく

(子どもたち)さんにがろく

(サンデー先生)さざんが

(子どもたち)きゅう じゅう じゅういち じゅうに じゅうさん
 良い子になあれ 良い子になあれ
 大人は子どもを教育するよ 良い子になあれ

(博士)人にほめられるために お気に入りになるために

(子どもたち)あーあーあーあーそんなの聞き飽きた

(サンデー先生)いいえよい大人になるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために
 さあ良い子になりなさい

(トラヒゲ)そうだとも 泣けちゃうな 今の一言
 それも忘れねえ


一見、先生が子供たちに『勉強しなさい』の決まり文句を言って、子供たちがうんざりして
いるかのように聞こえる。
偉くなるため、お金持ちになるため、人に誉められるため、気に入られるために
勉強するの?いいこにならなきゃならないの?

だが、サンデー先生はこういうのだ。

いいえ賢くなるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために

いいえよい大人になるためよ
 男らしい男 女らしい女
 人間らしい人間 そうよ人間になるために


私はここのところを聞くと泣けてくる。
ああ…なんていい歌詞なんだろう!

男らしい男!
女らしい女!
これを、男の役割、女の役割を決めつけている、などという浅薄なジェンダー論で
裁いたりしないでほしい。そんな単純な歌ではない。
女を家庭に押し戻そうとしているどこかの国の改憲論などと夢夢一緒にしてはならない!

男が男であり、女が女であることは美しいことなのである!
でも、それ以前に…。

男が本当に人間らしい人間になったとき…
女が本当に人間らしい人間になったとき…、
男は真に男らしく美しく、女は真に女らしく美しくなるのだ。
人間は、男女に関係なく、真に人間らしい人間であるとき美しい。

男が男らしくあるということを、何かはき違えて、やたら勇ましがっている政治家がいる…
迷彩服を着てヘルメットをかぶり、戦車の上から自衛隊員に向かって手を振り、敬礼を受けるのが
男らしい行為なのか。アメリカのいいなりになって、地球の反対側にだって自衛隊を武装させて
送り出すのが男の甲斐性なのか。
子供が小さいうちは、母親は家にいて子供の面倒を見た方がいいのだと云わんばかりに、
憲法の条文のニュアンスや労働環境を微妙に変えて、『女は家に』いるようにすることが
この国が思う『女の女らしさ』なのだろうか?

そうじゃないだろう?
『人間が人間らしくあること』こそが大事なのだ。
今、この国は、人間が人間らしく生きられないような国になりつつあるのだぞ。

福島の子供たちは、外で思いきり遊べない。
仮設住宅の子供たちは、大きな声を出して走り回って遊ぶことを遠慮する。
お年寄りたちは父祖の眠る墓の守も出来なくなった。
米農家が米を作れない。
果樹園主は、林檎や桃を出荷できない。
酪農家は手塩にかけて育てた牛や豚を殺さざるを得なかった。
漁師は魚を獲ってはならない。
母親は安心して自分の乳房を赤ん坊の口に含ませてやることが出来ない。
そのうちに、サトウキビ栽培農家はサトウキビを栽培しても仕方がなくなるだろう…


政治は、国民が安心して『人間らしい』生活が出来るようにするのが第一の使命であろう。
おとなは、子どもたちが安心して大きくなることが出来る、そんな国を作るために、そんな国を守るために、
これまで学校に行ったり本を読んだり新聞を読んだり、ニュースを見たり
『勉強してきた』んじゃなかったの???

おとなは、ただお金持ちになるために、そのお金持ちたちをさらに肥え太らせるために、
偉くなるために、経済界やらアメリカから誉められるために、そのお気に入りになるために、
これまで大学に行ったりアメリカに留学したり、本を読んだり新聞を読んだりニュースを見たりして
『勉強して』きたの?
勉強はそのためだったの?

ちがう。
人間は、人間になるために勉強するのよ。
人任せにしていては、人間は人間になれない。

お金持ちになるためにさらに富を溜めるためにこの世を理不尽に動かしている者たちがいる…
人間から人間らしさを奪う戦争をするために、武器を殺人兵器を作っている者たちがいる…
それを買おうとする者、自分たちも作って売りたいと思う者、実際に使用したいと思う者たちがいる…
人間を分断するために大金をばらまいて土地を買い、そこに危険とわかっている原発を
作り売ろうとする者がいる…
都合の悪い情報は国民の目から見えないようにしてしまい、国民をおとなしいもの言わぬ羊の群れに
してしまおうと思う者たちがいる…

こういう者たちから、自分たちの正当な人間としての権利を守るために、
私達は、一人一人が勉強しなければならない。
声をあげていかねばならない。

人間らしい人間 そうよ人間になるために勉強するのよ。

ああ!楠トシエの歌うここの箇所のなんてすばらしいことだろう!
泣けちゃうな。この一言!


井上ひさし。
彼はこんな素晴らしい校歌も作っている。


『釜石小学校校歌』
【作詞】井上 ひさし
【作曲】宇野 誠一郎

いきいき生きる いきいき生きる
ひとりで立って まっすぐ生きる
困ったときは 目をあげて
星を目あてに まっすぐ生きる
息あるうちは いきいき生きる

はっきり話す はっきり話す
びくびくせずに はっきり話す
困ったときは あわてずに
人間について よく考える
考えたなら はっきり話す

しっかりつかむ しっかりつかむ
まことの知恵を しっかりつかむ
困ったときは 手を出して
ともだちの手を しっかりつかむ
手と手をつないで しっかり生きる







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Re:MATZ-TSさんへ

あら?先回はちゃんと届いたようですが、今回また、鍵コメになっていますね。
たぶん、これも、鍵コメでなく、オープンで、とお思いになっていらっしゃったのではないかと
思いますので、オープンにして返事書かせていただきますね。

いえいえ。いくらでもこだわってください。^^
何度でもご意見聞かせてください。

『ただ、私の宗教的な心の中に(原始宗教みたいですが) 大自然=神 というようなイメージはあります。そのなかで、ヒトという生物が発生させたからには、何かその本来の姿、があるのではないか、と考えていて、前のコメントみたいに、その出発点は、大自然を知る学ぶ体験する、ことがきっかけでは? という気はしています。それだけ、人間が傲慢になっていることがひしひしと感じられるからです。』

こうおっしゃるお気持ち。私もすごくよくわかります。
私も基本的に無信仰の人間ですが、大自然=神、というような、日本古来の神は
至る所に宿る、というような、自然を恐れ敬う気持ちは、いわば自分の骨肉の中に
備わっているような気がします。
だから、人間の発展というものもどこまでも追及していいというものではない、おのずと
限界というものはあるだろうと思う方です。
この地球の大自然を破壊してしまってまで、人間がおのれの欲望のために、際限もなく
増殖していっていい、とはとても思えないのです。

人間が土から離れたところから、大地の恵みも危険もを自分の体で知るということから
完全に離れたところから、人間の傲慢は始まったのかもしれませんね。

そうなんですよ…北極海の氷が解けて行って、資源開発がしやすくなった!と
単純に喜ぶ人々の心がわかりません。この世界が、『経済』というものだけを指標にして
動かされていっていいものでしょうか!絶対それはおかしいですよね。

『ひとつ、自分として明確に持っているのは、時間軸の中に人生をおくことです。』
『何かしら少しでもヒトに、あるいは自然によい影響を与えて、次の世代にバトンタッチできる人は幸せ者だ、そういう人にならないといけない、という考え。これは私の信条に近いです。』

ああ…これ、本当に私も共感いたします!
私ね、人間というものがこの地球上に存在することに何か意味があるとすれば、
それは、「この世界を『認識』出来るのは、人間だけ」ということがあるからじゃないのかなと
よく思うのですよ。
遠い遠い宇宙のどこかには、人間のような生物がいる星もあるでしょう。
でも、今のところ、私達が知る限りでは、高度な認識能力を持った生きものは、人間だけです…。
宇宙の成り立ちを考え、人として生きる意味を考え…この世のありとあらゆることを
認識する生きもの…
私、人間がこの世にある意味のひとつは、そうやって人間が蓄積して来た知恵や芸術や
科学や思考全般にかかわる方法論や、宇宙の認識…そういった知の蓄積を次世代に残すことも
そうなんじゃないかなと思うのです。
それは直接自分の子に、ということでなくてもいい、例えば、他に何も人生でなしえなかった
としても、あるとき、いきずりの人に親切をして、それがその人の心に深く残るのならば、
それだけでも、人がこの世にいた意味はあった、と思いたいのです。
そういう意味ならば、道端に咲いた一輪の花にだって、旅先で出会った一匹の犬にだって、
深い深い『存在の意味』があると思います。
そうしたことを感じることが出来るのもまた、人間。

『時間軸の中に人生を置く』

…これ。いい言葉ですねぇ…!
いただきますっ! ^^

いつも深いコメント、ありがとうございます。










あるように思います。

>
> 例えば、人間の活動で北極海の海氷が無くなって、そのあとの石油天然ガスなどの資源の奪い合いなどです。(どうして、これ位は未来の人類のためにとって置こう、という発想ができないのかなぁって。)
>
>  やなせたかしさんが亡くなりました。(合掌)
>
> アンパンマンのマーチ、何のために生まれてなにをして生きるのか答えられないなんてそんなのいやだ・・・ 深い歌詞ですね。でもわからない・・・そんな気分。漠然とはありますが、うまく表現できないですね。
>
> ひとつ、自分として明確に持っているのは、時間軸の中に人生をおくことです。
>
> 何かしら少しでもヒトに、あるいは自然によい影響を与えて、次の世代にバトンタッチできる人は幸せ者だ、そういう人にならないといけない、という考え。これは私の信条に近いです。
>
> 彼岸花さんのイメージ:
>
> 人間以外の動植物に心を仮託し、それも大事だと思える想像力がある。
> また、まだここには現れていない未来の人類や地球環境に対し、倫理的責任を私たち 一人一人は負うのだとそういうことを想像してみることもできる…。
> 未来を想像してみることが出来るんです。
>
>  想像力って大事ですね。そういうことを土台にして、政治経済科学技術などが作られていく、そして真理が解き明かされ、経済システム、社会システム、。。。が出来上がっていく。 何かの分野で、そのような社会つくりに尽力し、そして守り育てていける人。かなあ。
>
>  夜遅くなりました。東日本はこれから台風で大変でしょうね。西日本でも強い余波がきています。気をつけて準備を整えてください。
>
> ではまた。 被害が少ないことを祈っています。

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Re: MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん。こんにちは~。
お返事遅くなってすみません。

『人間になるために勉強する』…

話題として取り上げては見たけれど、実はこれ、難しいですよね。^^
『人間らしい人間』とはそれでは一体どういう人なのか。
私自身も、「こう言う人です!」とははっきり言えない。
完成した姿や心映えがあるというのもこれまた虚偽のような気がします。
神ならぬ身の人間…「私は何ものにも恥じるところはありません」と人にいい、
自分で『自分は完成した』と心にもし思ったとしたら、それはそこですでに『傲慢』という罪になる…

ただ、これは人間らしい行為とは言えないんじゃないの、という逆のことは
なんとなくわかるのではないでしょうか。
例えば、今、皆保険制度をめぐって、アメリカが国を二分する状態になっていて、
下手をすると世界の経済が悪影響を受ける。それは経済の問題だけでなく、人命にも
悪く波及するかもしれない。でも、自分はお金に余裕があって、自分で高額で手厚い
医療保険に入っている人々や、しっかりした組織に所属していて、自分も家族も将来にわたり
何の心配もないという恵まれた人々は、他人のために、それもろくに働かない…要するに
自助努力をしない人々のためになんか保険金など払ってやりたくないと思う。だから
皆保険を目指す民主党政権に激しく反対する…
そういう人々って、ちょっと人間らしくないなあと思ってしまいます。
…原発の危険な労働は何重にもピンはねを受ける下層労働者に任せ、
自分は何億という退職金を貰って、しかも次の名誉職もしっかり受けてそこでまた退職金。
それを責められると、「私にも老後の生活がありますから」と言ったという某企業のお偉い人。
そういう人は、現に自分が社長を務めていた会社のせいで、住む場所も働く場所も、
家族のだんらんも、将来の希望も展望も無くしてしまった多くの人々に対する責任感というものは
感じないのか。これって、とても人間として立派だとは言い難いと思います。

人がどう思うか、などということではない、自分の良心に照らして見て、良心の正しいと
思うことに従えるかどうか…でも、これも絶対の指針とも言えませんね。
自分で思う『良心』というものの軸が狂っていれば、それに従ったって、一般的に
正しいことが出来たとなるかどうかわからない。
安倍さんなどは、別に悪人というわけなどではなく、家庭ではよき夫であり
お子さんはいらっしゃるのかな、知りませんが、よき家庭人であり、友人には良き友であり、
きっといいひとなのでしょう。
でも、どこか価値とするところが、一国の総理として人間としてとちくるっているような。
原発被害で今なお苦しんでいる国民が何十万といるのに、原発を他国に売り歩く神経などは
とても理解できません…

一般庶民も、拝金主義や経済最優先で動いて他の大事なものを犠牲にして平気、
というところまでいくなら、それはやはり人間らしさを失いつつある状態なのではないか。
わずか1%の人間に富が集中していき、彼等のますますの富の集積と権利の掌握のために
99%が不利益や我慢や、失職や飢餓を強いられるような世の中は、決して人間らしい世の中
とは言えない。
と言って、それがもうどうにも変えられないから、と諦めて無気力になった社会も
人間らしい社会とは言えない。

難しいですね。人間らしい人間になるとはどういうことなのか。
人間らしい社会とはどういう社会なのか。

ただ…社会に関しては、日本国憲法に明記しているような、それが保証しているような
社会は、いい社会だと言いきれると私は思います。人類の知恵があそこには集まっている。
それを変えようとする人々…を、私は「いい人間」とはとても思えないなあ!

いつもMATZ-TSさんがおっしゃる言葉に、将来の人類や人間以外の生物や地球環境も含めた
ものへの責任感、倫理観、というような考えかたがありますね。
私ね、これも以前書いたかもしれませんが、京都大学霊長類研究所の松沢哲郎先生が好きなのですが、
チンパンジーや、オランウータン、ボノボ、などとっても賢い。
これらの賢い類人猿とヒトの根本的な違いはなんですが、と、あるときインタビューで訊かれて、
松沢先生は静かに微笑んで、「根本的に違いはありません。類人猿もヒトも同じです」
ただ、一言付け加えて、「違いがひとつあるとすれば、それは『人間には想像力がある』という
ことでしょうか。どんなに賢くてもアイちゃんには、(未来や眼前にないもの)を想像する力はありません」
とおっしゃっていたことが、私には非常に印象的でした。

そうなんです。
人間は基本的には他の動物たちとそう変わらない。
自分の命を守ろうと戦う本能や、自分の子供や弱いものを守ろうとする本能、
食や、睡眠や居住や職の安全を確保しようとする本能、…
プライドなら野生の動物にもある。死を悼む心もある…

でも、人間は、ここにはいない、見えない顔も知らない被災地の人々の悲しみに
自らも共にこころを砕くことが出来るんですね~~~。
海外の飢えた子供たちに想いを馳せることが出来る。
人間以外の動植物に心を仮託し、それも大事だと思える想像力がある。
また、まだここには現れていない未来の人類や地球環境に対し、倫理的責任を私たち
一人一人は負うのだとそういうことを想像してみることもできる…。
未来を想像してみることが出来るんです。
それって、人間の人間らしさの定義のひとつと言えるんじゃないかと私は思うんです。

その想像力を失っている時…、人は人間らしさから遠くなっているのではないか、と。
自分の暮らしさえ豊かで快適であれば、陰で苦しんでいる人々がいても気にならない…
そうなったら、そこに人間らしさは失せてしまっています…

それとね、どんなに悲しくてもつらくても、諦めないとするこころや、反対に、
これは間違っている!とわかったらさっと撤回する潔さも、また人間だと思います。
これは他の生きものにだってある。

要するに、自らも、この地球に生きさせてもらっている一生物なのだ、という生物としての
最低限の自覚とマナーさえ忘れてしまった時、人間は動物以下の浅ましい存在になっていると思います。
そのつつしみを忘れないで、生物としての本能的生を全うしようとする努力(無駄に殺さない、必要以上の
テリトリーや富を欲しがったりしない、などということも含め)をしていくこと。
プラス、人間にしか付与されていない想像力。「遊び」を含めた創造力を十二分に発揮して、
限られた自分の生を、せいいっぱい生き抜くこと…そんなことかなあ、と今のところ私は思っています。

そこにはなにも、他人や他の生物や未来の地球の権利を破壊しないでも、無限の楽しさや
可能性が広がっていると思うんです。
畳一畳の広さの寝るところがあれば、精神はどこまでも自由だ!とも言えます。
『勉強』というのは、なにもそれによって自分が必要以上の権力や富や名誉を得るため
にするものではなく、どれだけ自由に精神を解き放ち、想像や創造の翼を手に入れられるか、
そのためにするものなんじゃないかと私思うんです。
勉強した結果、人間が排他的になったり高慢になったりという『精神の硬直』に至るなら、
それは本当に勉強したとは言えない。
『知る』ということは、時に大きな悲しみや苦悩を連れてくるものだけれど、それでも、
『無知』の居心地良さに安住しているよりは、知ることを願う…それも人間かなあ。

すみません…ちょっと整理しきれてないな。^^

釜石小学校の校歌や、日本国憲法は、限りなく、人間とは何か、ということをしっかりと
謳い上げているように、私は思います。

いつも真摯なご意見、ありがとうございま~~~す♪

Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。こんにちは~!
お返事遅くなりました~。

デモ。行ってきましたよ~~~。大江さんらの講演会は行きませんでしたが、
デモと国会前の集会だけには。
今回は、結構人が多かったです。それこそ日本全国から集まってくれていました。
それでもね、2年前の明治公園や代々木公園の時ほどの動員数ではありません…
『原発再稼働を止める力がだんだん失われてきたような気がします』とおっしゃる
大江さんの悲しみが、惻惻と伝わってくるようです……
大江さんは、今年になってもう何回目でしょう…
本当に、深い想いと強い意志と…、止むにやまれぬ強い想いがなければ、大江さんのような
活動は続けられませんね…心から頭が下がると同時に、申しわけないという想いで
私もいっぱいです。
なぜ、この国は、わたしたちは、原発を止められないのか……

その棟梁のお話。いい話ですねぇ……
わかりますよ……
私、いつも思うのですが、どうして技一筋で生きてこられたかたって、概して素晴らしく
いいお顔をなさっているのでしょう…なにも国宝級、名人級の職人さんでなくともいい、
町の竹細工職人さん、筆職人さん、足袋作りのかた、鋳鉄職人さん、旋盤工さん…
ある仕事を一筋にやってきた人々は、なぜか素晴らしい顔をしている…
ところが、日本の政治家とか、あまりいい顔してませんね~~~!ぎらぎら脂肪光りして
ふんぞり返って口元醜く、目つきは油断なくか、あるいはきょろきょろ落ち着きなく……
穏やかな慈味を湛えた顔などというものが本当に少ないです。

「ああ、こういう大人になりたい」と思わせるような人…
それは、そういう人がそこにいてくれるだけで、もう、ある種の教育をまわりのものに
与えてくれるんですね。
そういう大人が、本当に少なくなったのかもしれません…
我が身を振り返って、私も冷や汗の拭き出る想いです。

勉強というものは、いったいなんでしょうね。学校で受ける教育はほんの一部にすぎない。
それもね、考え方の基礎を作るという意味でとても大事だと思いますが、
本当は、教育というものは、人が一生かかって自分に対してやり遂げて行くものなのでしょうね。
これで完成、ここで完了、ということがない……
職人さんたちの目が美しいのは、『まだまだ修行が足りない…まだまだ完成などと
とても言えない…』と、常により良いものを無欲に求め続けているからなのでしょうね。

『勉強なさい』
…それしかないんですよね……
一生かけて勉強していく……

釜石小学校の校歌も素晴らしいですよね。

ひとりで立って まっすぐ生きる…息あるうちは いきいき生きる…
人間について よく考える…考えたなら はっきり話す…
まことの知恵を しっかりつかむ…

その棟梁さんなどは、この歌そのままの人生を歩んでこられたのだろうと思います。
まことの知恵を、仕事のうちに、生涯かけてつかむ……
ひとつことを貫ける人は、物事の本質をそのひとつのことからちゃんと学んでいくんですね。

また、その棟梁さんのように、達観した境地に生涯かけても至れなかったとしても、
それに向かってあがき続けて行こうとするひとは、やはり立派だと思います。
井上ひさしさんなどはそういう方だったのでは。
どうしようもないこの世の闇を、また自分のうちの闇を知るだけに、それと生涯格闘しつづけた人…
そういう人の言葉も、また、強く明るい。

井上さんが生きておられたらなあ…と時々思います。
東日本大震災、福島第一原発事故…彼は修羅のようになって、今頃先頭に立って戦ってくれているんじゃ
なかったでしょうか。

私がこの記事で伝えたかったことの本質を捉えてくださって嬉しいです。^^
まことの知恵、というものは、本当につかもうとしてなかなかつかまえられるものではありませんね。
自分で、これがそうだ!と思ったとたんにそれはするりと手から逃げて行く…

私も、何とか、これからもずっと勉強し続けて行きたいです。
つたない想いでも、言葉をえらんで、伝えられたらなと思います。
ありがとうございま~す♪







Re: ヘルブラウさんへ

ヘルブラウさ~ん♪ こんにちは~~~♪
お久しぶりです。^^
と言っても、イブ・モンタンを語ったばかりですね!(笑)

水俣の抱えて来た問題の実情は、今回初めて世界の人々にもしかと認識されたのかも
知れませんね。石原環境相のような人物が立場上仕切ったというのが片腹痛いですが、
まあ、いいでしょう。いいことはいいのですものね。
福島の人々が、本当に、水俣の人々のような想いをしなければいいがと思いますね~。
まず最初の東電の出した、被害を届け出るための書類のわかりにくさと分厚さ。
そこで既に諦めようとした人もいたのではないかと思います。最初合意書の見本に
「合意後は一切の異議・追加の請求を申し立てない」との文言があったと言いますが、
よくそんなずうずうしいことが言えたものだと思います。
なにしろ、東電も無論、国も県も、医師会も学会もマスコミも…ありとあらゆる権力が
福島第一事故の被害を小さく見せよう見せようと結託していますからね~。
福島周辺の人々だけに突出した健康被害の調査結果が出ないよう、瓦礫も日本全国にばらまき、
人々のやさしい情に訴えて、「福島を食べて支援しよう」の大々的キャンペーンで
汚染された(ゼロでなければやはり汚染されているのだと私は言う)食物を
これまた全国にばらまく。そうやって日本全国を薄く広く被曝させていけば、
福島の被害がますます見えにくくなります。
常に権力者のやり口は同じなんですね。企業の側の論理。

釜石小学校の校歌。素晴らしいでしょう。
ここにはね、深い深い意味が込められていると思います。
やさしい言葉で書いてあるけれど、中味はとっても重い。
人間であろうとすることを貫くことは、実はとても大変なことなのだと私も思います。
それがますますしにくい世の中になどならなければいいが…
そういう危機感から、えっちらおっちら記事書いてま~す!^^

ヘルさんの海外からのお怒りの発言。いつも頼もしく♪
どんどん言ってくださ~い!(笑)

ありがとうございま~す♪






Re: クウ―ママさんへ

クウ―ママさん、こんばんは~!
私、You Tube載せたと思いこんでて載せてなかったんですね。
あわてんぼな彼岸花。^^
これは歌を聴いていただかなくっちゃね。
そしたら、何となくあの時代が彷彿とするかなあ?
熊倉一雄さんとか楠トシエさんとか、声を聴いているだけでも懐かしいのでは?^^
ほんとに再放送が出来ないのが残念ですね。
おとなになってから私が見てたのは、あれはリメイク版だったのかなあ。

あの子たちがこの世にいないこと言う設定だったなんて、私もすごいショック。
みなさんにお教えしない方がよかったですねぇ……
それにしてもなんて悲しいこと考える人たちだろう!
ちょっと理解できない部分もありますね~~。
ごめんなさい。黙ってればよかった……
このコメント欄だけのうちにとどめておくことにしましょう…

吉里吉里人は、私もずうっとずうっと昔に読んで、いまも本棚のどこかにあると思うけれど、
最後まで読んだかなあ。もう一度読みなおしてみようかな。
「まだまだ人間になれてない」、なんて、クウ―ママさん!
私も同じですよ~~。
(この井上さんのいったような意味での)「私は人間になれてます!」なあんて、
胸をはって言える人がいたとしたら、それはまだまだ本物じゃないと思うなあ。
みんなどこかに欠点があって、矛盾を抱えていて、それでも『人間になりたい』
と思ってあがいてるんだと思う。
井上ひさしさんだってきっとそうだったんじゃないかと思う。
人間は弱いものだし、ほんとに複雑なものですもの。
ただ、自分の弱さや欠点を自覚してあがくところに救いがあるような…。

あのね。今晩もひとつ記事出しますから、それ御覧になってくださいね~~~♪


Re: しほさんへ

しほさん。こんにちは~♪
一カ月経つのが早いですね。

井上ひさし。
私もこの記事書くまで、家庭のことなど知りませんでした。ただ孤児院で育ったと
いうことしか。
ネットで検索すると、DVのこと、同じ西舘さんの本からの同じ個所の引用ばかりなので、
ちょっと要注意ですね。そのまま信じるのはちょっとという感じです。
前の奥さま西舘さんとの間は、劇団運営のことや、奥さまの交友関係のことや、お互いの性格の強さや
まあ、いろんなぐじゃぐじゃがあったのでしょう…
夫婦間のことは、他人には本当にはわかりませんものね。
西舘さんも相当強い女性のようですので、ぶつかり合ったのかなぁ…
再婚なさった百合さんとの間では、ほとんど口喧嘩さえなかったというから、
DVが、井上ひさしさんの本質的性格ということもいえないと思います。
男と女の間の複雑な感情…それに仕事が絡んでくると、まあ、他人にはわからない
いろいろいろいろな事情があったのでしょう…

私がそれよりショックだったのは、ひょっこりひょうたん島の子供たちが実は死んでいた、という
設定の方です。そんな設定をすることが考えられない。無論、講演で漏らしたことなので
それは番組では公にされてはいない。でも、『残酷』という言葉とも違う…なんというか
『虚無』を感じますね…
井上さんと山元護久さんの共同脚本、それにNHKのディレクターだって関わっている
わけですから、井上さんだけの志向とはこれも言えませんが、なんだか大きな大きな
虚しさというか、虚無を抱えたおとなたちが、あんな一見明るそうな番組を作っていたのか
と思うと、人間というものの、一筋縄でいかない複雑さを感じてしまいます…。
番組作りの中心メンバー3人が、親に頼れない子供時代を過ごしてきた人々であったこと…
だから、親が一人も登場しない。
小さな島で食糧はどうなるのか、という矛盾を抱かせないために、最初から子供たちは
この世の人ではないのだという設定にしよう、などと話し合って決めたその大人たちの
心を想うと、何やら背筋が寒くなる…なんという虚無か!とね。
自分自身も含めたおとなに対する深い深い絶望というか、なんだか寂しいですよね~~~……

でも、それでは、家庭的にも幸せな子供時代を過ごし、円満な人格に育った明るい人が
子供のためにいい作品を書けるか、というと、そうでもない気がするんです。
現実の子供は、決して皆が皆、恵まれた環境にあるわけではない。井上さんのように
義父の虐待に泣いている子だって今もこの世にはいる。
綺麗なもの、明るく楽しいものだけを子供に見せていれば、それで子供が考え深いこになるか、というと
そうではないという気が私はします。
他人の悲しみに、もしかしたら『鈍感』とは言えずとも『想いがあまり及ばない』人になるかもしれない。
この世の中には、どうしようもない悲しみや理不尽というものがあるんだ、
おとなだって自分の心がどうにも扱えない…
おとなだって一所懸命努力しなけりゃ、正しいことを貫けない…
そんなこともあるんだ、ということを、ちっとは子供だって知っておいた方がいい。

…そんな虚無の中から立ち上がってくる強さを、この歌に感じました。

『勉強』…
もともとそういう意味だったのですね。
好きで勉強する方が、よく頭に入るし仕事でも楽しいんだがなあ!!!(笑)
でもね、強いられてでも勉強しておいた方がよかったなあ、と後で思えることは、おとな自身が
一番よく知ってますね!^^
私なども、「ああ、あれ勉強しとけばよかったなあ!」と後悔することばかりです。(爆)

まあ、とにかく、『虚無』も何もひっくるめて、おとなたちの、真実を自ら知ろうという
姿勢が大事だなと思いますね。汚い臭い部分に蓋をして上っ面だけ綺麗にしててもだめ。
子供たちは存外に逞しく、混沌としたもののなかからでも案外本質をちゃんと見抜く。
そうしたものを撥ね除けつき抜けてそれでも咲く、逞しい美しい花を見たい、
見せたい、育てたいという気がします!

しほさん。いつもありがとうございます♪

何のための勉強?

こんにちは.MATZ-TSです.

「人間になるための勉強」・・・本質をついた言葉ですね. では人間とは何か.彼岸花さんの「子供が,孫が安心して暮らせるような国をつくれる大人になるように...」かな? 大体貴女のイメージとあってますか? 「大人」の仕事は色々ですが,色んな仕事が集合して,相互に連携し,暮らしやすく,安心できる,また,よい意味で発展していく...ような国つくり.

 昨夜,NHK総合TVで,今,中国の人々が,あまりにもの「拝金主義蔓延と社会格差」に嫌気がさして,また生活が破壊されて,儒教やキリスト教にすがって精神的に助かっている,という実態を報告した番組がありました. 納得してみていました.

 日本も,戦後何もない時代から我々の上の人々の努力によって豊かな国を気づいてきたのですが,そrのご努力には感謝します.しかし,何時までも,国が「拝金主義」「成長神話」よりどころにしているような気がしてなりません.変われない.

本当に大事な国つくりは,人間の「幸福とは何か」?から考え直さないと.中国は,経済発展を最重点にした結果,現在,上に上げたような問題に直面し,人々が気づきはじめている.ただ,共産党がそれを変に「利用する」だけだと困るのですが.

 人々の間の思いやり,親や祖先の尊重,次世代への責任,そういうものが自然に生まれてくるようなコミュニティの生きている,またその中で多様な創造性が発揮されるような国,その仕組みや支援を行う行政,それらをつくる政治・・・それが自然に愛国心に繋がる.また他国の仕組みや人々との協力や相互尊重に繋がる・・・ その根っこは「品性」ですかね.
 今なお,そうはならず,政治は皆,「・・・族」化して,自己主張が強い,政治家もそれに乗って当選し,「・・・族」の利益,というものを目指して争う.(個人個人は立派な方が多いのかも知れませんが,政党になると変わってしまう??) その結果,肝心なことが決められない.何より国のビジョンが経済発展だけではなぁ.
 安倍さん他に国家感をお持ちでしょうが,それは皆が望むものとちょっとずれているような・・・ 
 経済的に長いデフレ.それから若干脱却しそうな気配.それが安倍さんを支えているのかも知れませんが.その中には,もっと大きな問題が隠され,また子供に孫に先送りされている. ・・・特に,核のごみの問題,地球温暖化の問題,国家財政,社会保障,・・・ 皆先送り.これは,日本だけの問題ではないとは思いますが.また,自分もその中で,利己心を元に生活している部分がたぶんにある.

「人間」とは,自分が行ってきたことの「責任」をとれること,特に現在のように,人間の活動自体が,地球環境に悪影響を与えている(可能性が極めて高い・・・IPCC第5次報告)状況では,「責任」は極めて重い.それから逃げない政治.日本だけではどうしようもない問題も,自ら進んで勇気を持ってイニシャチブをとれる人間.今,痛みは伴っても. そのような「大人」になって,はじめて,子供に「人間になるために勉強するのよ」といえるのでは?

 宗教的になってしまいますが,もし「神様」がヒトという生物を作ったとしたら,本当の「人間」とは,そのような心を持ち,行動ができる人間を望んでいたのではないか? 少なくともそれに向かって生涯努力する人間.そのような「人間になるための勉強」ではないか? 自己の行動や言動への責任感,生態系の中の人間を意識した相互扶助の心づかい,実行する勇気を根っこに持って,その基盤の上でひとつの分野のプロとして仕事のできる人間・・・さっき書いた「品性」とはこのようなイメージです.でも現在のように科学技術が高度に発展してしまうと,「品性」に基づいた判断や行動は大変難しいかも知れませんね.
 残念ながら,自分はまだまだそのような精神的レベルには遠いですが,・・・少なくとも死ぬまで努力したい.

 「神様が想定されたような人間」を,自然に修得していくのが,以前コメントで書かせて頂いた「遊びや実践の中での生態学から出発する道徳教育」かなぁ・・・ しつこいですね(笑).ここのところが自分でまだ論理的に整理されていないのです. すみません.

こんにちは

31回目のキャンドルナイト。

そう言われると、2年何カ月といわれるより、
重いものを感じます。

31か月・・・
長いのかまだついこの間のことなのか、
わからなくなってきます。
それほど3・11が及ぼしたことどもは、
ずっしりとこの国にのしかかっているのでしょう。

先日、反原発のデモを前に、大江健三郎さんは、
「原発再稼働を止める力がだんだん失われてきたような気がします」
と静かな口調だけれども悲痛な思いを述べておられました。

その大江さんの顔を思い出すと、
彼岸花さんが紹介してくださった『勉強なさい』が、
なぜか重なってくるような気がしたのです。

本当の意味で『勉強なさい』と言ってくれる大人が、
今どれだけいるでしょうか。

昔のことになりますが、ある大工の棟梁のお家にお邪魔したことがあります。
お酒をふるまわれたこともあって、私は調子に乗ったのでしょう。
べらべらと浅薄なことを喋っていたようです。
棟梁はほとんど口を挟まずに黙然と耳を傾けていました。

聞き終った棟梁はおもむろに「つまり、それはこういうことだな」
と実に平易な言葉で短い感想を述べたのです。
それはとても本質を突いた言葉でした。
途端に私は全身から汗が噴き出るような恥ずかしさを覚えました。

そして「ああ、こういう大人になりたい」と強く思ったものでした。
それ以来、喋る、話すということに心するようになった気がします。

すこしずれているかもしれませんが、
これも『勉強なさい』と返されたような、そんな気がしてなりません。
学校の教育よりも、もっと大切なこと。
それは大人のありようだと思うのです。

それこそ「駄目なものは駄目、良いものは良い」
と言いきれる大人。
『勉強なさい』とは、井上さんのような大人、
大工の棟梁のようなぶれない大人がいてこそ、
得心できる言葉だと改めて思わされました。

なんか、主旨から外れたような話でお恥ずかしい・・・

今回のキャンドル、ことのほか深い灯りです。




お久〜

Guten Abend !、彼岸花さ〜ん、
お久しぶりでございます。

素敵なグラスのようで、これで飲む一杯の水は
さぞ美味しいことでしょう。

人間が生きられなくなる社会、それは怪物が謳歌する社会、
今の日本の姿のような気がします。

福島の人々はこれから水俣の人々が経てきた苛酷な
果てしない訴訟への道が続くのでしょうか。。。

この素晴らしい校歌で育った子どもたちに幸多かれと
願うしかないちっぽけな存在ですが、しかし人間として
生きることは決して忘れていけないといつも気を締めています。

No title

わたし、殆ど毎回見ていた気がするのに、この歌を知りませんでした。
記憶からスッポリ抜けたみたいに覚えがなくて、この記事読んで凄くショック!
一番ワクワクしたのは、ウエストサイドストーリーの指を鳴らしながらの踊りを、登場する人形達総出で踊った場面^^ まだ、歌詞を理解して聞く歳でもなかった子供でした・・
そんなに小さかったはずでもないんだけど(笑)
井上ひさしさん、真実を見つめて子供たちに伝えていたんですね。
ほとんどがビデオの無い頃の生放送で、再放送が出来ないのがほんとに残念ですね。
でも、死んだ子供たちのお話だったとは・・・・
今日の記事は、いろいろとショックです。
吉里吉里人は私もしほさんと同じく、途中で止まったままです。
今日読んだ内容をふまえて、また読んでみようと思いました。
まだまだ、人間になれていないから、読み通せないのでしょうね・私・・

赤と緑の灯台のような灯り。今月も ありがとうございます。

昨日は11日でした

彼岸花さん、こんばんは。
毎月の鎮魂のともしびに呼び戻されます。
昨日何してたんだろ…本当にありがとうございます。

井上ひさしの一分ノ一よ読み終わりました。絶筆の小説です。
軽妙でスイスイ読める本でした。
日本を一色で塗り分けたい思いを心に秘めた地理学者が主人公です。
日本は連合国に分割統治されていた…の話です。
滑稽本のようですが本当にあったかもしれない話。
朝鮮半島では現実ですからね。
同じような内容の吉里吉里人は井上ひさしの無念の思いが立ち上がってくるようで途中で止まっています。

DVはガッカリです。
好きだった人に裏切られた気持ちがしました。
全人格が聖人のような人では無かった訳ですよね。
DVじゃ無くて、もっと別な…北杜夫みたいなんだったらいいかと言えば…それも違うし。
私はDVは病気だと考えようと思います。
ひょっこりひょうたん島好きでしたよ。ワクワクしたのを憶えてます。
テレビが始まる時間には皆遊びをやめて家に帰りました。
蓬莱島が町に買い取られた時は、久しぶりに東北のいいニュースでうれしくなりました。
彼岸花さんと愛希穂さんの話に加え頂たいたような書込みに…失礼いたしました。

「勉強」には、よくお店で勉強してとか…店主が勉強しておきますなどと使いますがこちらが本来の意味だそうです。明治以降近代化を急ぐ中で義務教育を無理にでも推し進めるうちに「勉強」が使われるようになったのがきっかけだだったそうです。
そう知ると勉強した事も忘れてしまうリーダー達の行動基準もうなずけますね。
相手あっての勉強?!黙ってたらいけませんね。

Re: 愛希穂さんへ

愛希穂さん、こんにちは~♪
『ひょっこりひょうたん島』。
私も実はまともに落ち着いてシリーズとしては見ていないんです。子供が小さい時には、
もう番組は終了していたし。
ただ、NHKをずうっと見ているので、再放送などを私などは部分的に見ていたかな。
音楽がとにかく楽しく、話もシュールでした。
主題歌は特に有名でした。ストーリは知らなくても主題歌は知っているという人も
多かったかも。
これね。今回記事をかくので確認しようと調べていて初めて知ったんですけれど、
このサンデー先生と5人のこどもたちは、最初にひょうたん島に遠足に行ったとき、
その火山の噴火に巻き込まれて既に死亡した設定になっているんだそうです。
作者の井上ひさしさんがご自分で講演会でおっしゃったとか。
ショック!……
ちょっと絶句してしまいました……
そんなこと、初めから知っていたら、私あの番組、同じ目では見られなかったことでしょう。

また、ここに親たちが一人も登場しないのは、作者の井上さんと山元護久さんと
番組ディレクターが3人とも、両親に頼ることのできない子供時代を送ったことから、
「親」を登場させなかったのだそうです。
井上ひさしさんは孤児院で育ったとは聞いていましたが、今回確認したら、相当複雑な家庭事情。
『物語の場において発生しうる食糧危機という現実的な問題を回避し、子供たちの
親や大人に絶望したうえでもつ明るさを描くユートピアとするため、登場人物をすべて
「死んだ子どもたち」として物語を作っており』とWikiに書いてありましたが、
う~~~む。そうとうこれは虚無的な作品ですね!
ちょっとどころかだいぶショックです。軽々しく語れないなあ………

井上さんのDVのことも知らなかった。奥さんも相当激しい反撃をしたようですから、
激しい夫婦喧嘩、ということだったのかな。再婚した奥さんとの間にはいさかいなどなかった
ようですし。
それにしても、男が女に手をあげるというのは許せない。
だから、ちょっと記事、手直ししました。そういうことを知った以上、井上さんを
『美しい』とは書けない…。

しかしながら、彼の思想は変わらずに好きです。こういうことをすべて知った上で、もう一度
この歌詞や、ストーリー設定や、釜石小学校校歌の歌詞を読むと、
「ああ…。このひとは、本当に暗い虚無を胸に抱えていた人だったんだろうなあ…」と思う。

勉強ね。
Wikiによれば、井上ひさしさんはお子さんたちの成績などには拘泥しなかったようです…
自分の好きなことを見つけなさい、と。
子供はほんとに一人一人違うから、他人の教育論など通用しない。
いわゆるハウトゥ本も教育本も、個々の子供にぴったり当てはまるものなんかじゃないから、
子育てには本当に迷いますよね~。……
私も、子供に、オールラウンダ―であることを要求することは早々と諦めました!^^

『そうよ人間であるために勉強するのよ』

素晴らしい言葉ですよね~。
釜石小学校の校歌の歌詞がまた素晴らしいでしょう。
屈折した少年時代を過ごして、自分の弱さも知り、おとなというものの弱さや狡猾さや
偽善や、そしてつらさも何も知りつくした人だからこそ、貫けた強い生き方だったのかなと
思います。
…なんて言うか、綺麗ごとじゃないんですよね。
いわゆる教育評論家とか哲学者とか、机上の学問をしてきたひとが、公式めいたことを
語る空疎さ、というものとどこか本質的に違う。

絶望を知った人…、おのれの欠点も含め、人間の弱さを知り尽くした人にしか書けない
すごさがこれらの歌詞、とりわけ釜石小学校の校歌の歌詞にはあると思いました。

『人間になるために勉強する』のなら、わたしみたいに四捨五入すれば70歳(笑)という
女にだって、まだまだ勉強できるわ♪ って思えます!

ひょっこりひょうたん島の歌や人形たちの動きは、きっと幼い目にはすごく
引きつけられるものがあったと思います。コマーシャルでね、財津一郎が歌って、
小さな妖精姿の女の人たちが、ピアノの鍵盤の上でちょこまかする、タケモトピアノのが
あるんですが、それを見ると泣いている赤ちゃんがピタッと泣きやむという。
http://youtu.be/POnbgKA4NOY

それとどこか共通するものを感じます。
小さな愛希穂ちゃんも、きっとテレビの前で、小さなお口をぽかんと開けて
真剣に見入ってたのでは?^^ ふふ、可愛い♪
子育て…親はいつだって大変な想いをして育てるんですよね~!

『1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペンでも世界を変えられる』と、
それこそ、『人間になるための教育』の重要さを、命かけて訴えているマララユスフザイさんが
ノーベル平和賞もらえなかったのは残念だけれど、彼女の生きている世界は、
ノーベル賞などというものを超えてはるかに危険で切実な世界。
彼女の生命と安全を守るためにその方が良かったと、少しほっとする私です。
女など人間じゃない。女など教育受けるのは生意気だ。女など男のなぐさみものにすぎない…
生意気な女は殺してもいい…そんなことが当たり前の社会も、この地球にはあるのですよね…

親も子も、どこの国の人も、『人間になるために』一生かけて勉強していくための同志のような
もんだ、と本当に思える世界が来るといいですね…。

また、話が広がりすぎてしまいました!^^
コメントありがとう~~~♪



No title

こんにちは!

昨夜、勉強をしているふりばかりして、ほとんど勉強しない長男をきつく𠮟りました。その後だけに、この歌に教えられました。

そうなんですよね。
「人間らしい人間 そうよ人間になるために」勉強する。
何のために勉強するのかを示さないで、ただ「勉強しなさい」と言っても、それだけでは足りませんね。
いい歌ですね。すっきりしました。

ひょっこりひょうたん島と言えば、ある時母と話していて「私は、ひょっこりひょうたん島は見たことがないわ」と言うと、母が「見てたよ。テレビの前でいつも楽しそうに見てたよ」って。

調べてみたら、私が生まれた年から放送が始まったのですね。記憶には残っていないけれど、こんな番組を見ていたのだなって思うと、いい時代だったのだろうなって思います。今我が子達が見ているテレビ番組を思うと余計にそう思います。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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