『大雪と原発 ①』

都知事選の総括をしなければならないと思っているのだが、思いがけず
大雪に見舞われたり、オリンピックでやはり感動することがあったり、なかなか先に進めないでいる。
でも、私の中では、どんなこの世の事象も出来事も、どこかで根っこのところで
繋がっている。

2月8日の雪の記事を書いた。その時は、翌日の都知事選の投票率の行方を左右するのだろうなあ、という
心配と共に、娘の帰宅困難の経験から、日本人の非常時の対応力が衰えているのではないか、
という心配をした…
その心配は、不幸なことに、わずか一週間後に前回の雪をさらに上回る、ところによっては
120~140センチにも及ぶ積雪を記録し、多くの人が車内や電車に閉じ込められ、
凍死や一酸化炭素中毒死で亡くなる方も出るという、大きな被害に現実となって現れてしまった……

私の中では、都知事選、大雪、原発事故など非常時の対応、過疎化問題と老齢化……
それらは個々の問題ではなく、みなどこかで繋がっているということだ。

その想いを深くしたエピソードを一つ。

また雪の話になる…。


14日に降った大雪。
8日に降った大雪での娘の経験から、私は、生の現場の正確な状況把握の大切さと、
近くにいる人との情報共有と助け合いの必要。
そしてその時々に応じた適切な行動を取ることの難しさ、などを痛感していた…。
それで、一番生の声が即時伝わりやすいtwitterをよく見ていて、必要ならば拡散していたのである。
多くの現場の声や、遠くから心配する声、そして現実に即時対応した互助の行動、などが
次々に伝えられてくる……

その中で、小さなつぶやきで目立たなかったかあまり拡散はされなかったようだけれど、
私のこころを深く捉えたtweetがあったので、雪の記憶が薄れないうちに紹介したい…
それは、こんな内容のtweetであった。

『今回の被災地の一つ、山梨県北杜市は、東京の「水」小河内ダム建設のために、
強制移住をされた方々(炭焼きで生計)が、零下20度の中開拓越冬された土地。
福島同様、東京と関係。』


北杜市は山梨県の北西部に位置する。
八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳といった山々に囲まれ、市域のおよそ3分の1が八ヶ岳南麓の
冷涼な山岳高原地からなっているため、高原観光によって支えられている街である。
市内にはアウトレットモール、牧場といった観光スポットが存在し、夏場には観光客が多くみられる。
南アルプスからの湧水によるウイスキー製造、日本一長いといわれる日照時間や映画にも登場した
ヒマワリ畑などでも知られている。
清里高原は避暑地として有名であり、「八ヶ岳高原線」とも称されるJR小海線は鉄道最高地点を走る。
(Wikiより)

私は北杜市に行ったことはない。
しかし、私の住む町を貫く国道20号(甲州街道)は東京日本橋を起点にして、この北杜市の
武川町・白州町地区を通って長野県塩尻市まで延びている。
私がいつも買い物に、自転車をひいて(帰りは緩やかな上り傾斜なので)ぽくぽく歩くこの道は、
北杜市につながっているのである。
また私がいつも利用する中央本線は、やはり山梨の今回の大雪被害地帯と直接つながっている。
雪でストップして6百人ほどが電車内で4日を過ごした小淵沢は、娘の展覧会を観に
軽井沢まで行った時通った駅であり、晩秋の小海線の車窓から見える黄葉の林の風景は、
悲しいほど美しかったものである…。
あの、北杜市が今、雪に閉ざされ、そしてかつて、東京の水がめを作るために、立ち退いた
人々の一部は、そうか、北杜市の清里地区などに移住させられたのか…!

世の中には知らないことがたくさんある…そう思って、早速私は調べてみたのである。

           ***


明治10年。日本の人口は約3500万人であった。
その明治10年~20年の間に、コレラ、赤痢、腸チフスなど水系伝染病で亡くなった人の数は
計約37万人もあった!
このような伝染病に対処するため、日本初の近代化水道の布設が明治20年横浜(計画給水人口7万人)
においてイギリス人工兵少将ヘンリー・スペンサー・パーマーの計画、設計、監督により、
水源相模川(取水口津久井町)から野毛山貯水池(横浜市)までの約43キロで初めて施行された。

東京における近代化水道布設は明治21年に調査、設計が開始され、明治31年玉川上水路を利用し
多摩川の水を淀橋浄水場に導き、沈殿、ろ過を行って有圧鉄管において給水を始めた。
第一次水道拡張事業として、大正2年に村山貯水池、境浄水場の建設に着工、大正13年完成。
大正15年金町浄水場、昭和9年山口貯水池がそれぞれ完成。
第二次水道拡張事業として、東京市水道局は、人口600万人の水道用水を確保するため、
昭和6年多摩川上流(東京市西多摩郡小河内村、山梨県北都留郡丹波山村、同小菅村)地点に
小河内ダム建設の計画を発表。

小河内村の住民が大多数を占めるそれら多摩川上流の945世帯の人々は、村を立ち退き、
私の住む東京西郊の街や、埼玉県や、そしてこの山梨県北杜市などに移住を余儀なくされていくのである。

しかし、その移住は苦渋に満ちたものであった。父祖の守ってきた自分たちの住み慣れた村を
棄てるという苦しみの上に、移転計画自体がスムーズにいかない。
農業用水における利水上の紛争が生じ解決に昭和11年まで要する。その約4年の間、
水没村民は塗炭の苦しみを味わう。ある水没村民は家業に手がつかず不安な日々を過ごし、
また移転先を物色し、手付金を払ったのに補償金が出ず、手付金が無駄になった者もいた。
補償金を目当てに借金したためその利子の支払いで苦しい生活を強いられた者もいた。
家屋や土地を抵当に入れて借金している者も多く、悪質な金融ブローカーが横行していた。
時は日中戦争のさなか。この悲惨な状況下でも、若者たちが出征していく……。

小河内村長小澤市平の苦渋のにじみ出た言葉が小河内村役場編・発行『湖底のふるさと小河内村報告書』
(昭和13年)にある。

「千數百年の歴史の地先祖累代の郷土、一朝にして湖底に影も見ざるに至る。實に斷腸の思ひがある。
けれども此の斷腸の思ひも、既に、東京市發展のため其の犠牲となることに覺悟したのである。
我々の考え方が單に土地や家屋の賣買にあつたのでは、先祖に對して申譯が無い。
帝都の御用水の爲めの池となることは、村民千載一遇の機會として、犠牲奉公の實を全ふするにあつたのである。
(中略)顧りみれば、若し、日支事變の問題が起らぬのであつたならば、我等と市との紛爭は
容易に解決の機運に逹しなかつたらうと思ふ。
昭和十二年春、東京市が始めて發表した本村の、土地家屋買収價格其の他の問題は、
我々日本國民として信ずる一村犠牲の精神と價値と隔たること頗る遠く、到底承服し得られぬ數字であつた。
本村は、粥を啜つても餓死しても水根澤の死線を守つて、權利の爲めに抗爭し、
第二の苦難を敢てしやうとした村民であつたが國内摩擦相剋を避けんとする國民總動員運動の折柄に、
我等は此の衝突こそ事變下に許すべからずとして、
急轉して解決の方針に向つたのである。
是れこそ對市問題解決の動機である。今日圓滿な解決を來し當局と提携事業の進行を見るのは同慶の至りである。」



小河内ダム予定地の住民の立ち退きへの戦いと苦悩は、昭和10年にかけて、センセーショナルな事件として
マスコミにたびたび取りあげられ、徳富猪一郎、鳩山一郎、大野伴睦等多くの有識者から
水没村民への援助と同情が寄せられた。
石川達三は、『日蔭の村』(新潮社・昭和12年)に、これらの村民、村長、水道関係者の動向を描く。
物事には必ず光と影が伴う。多摩川上流の水によって益々東京は発展していく。
多摩川上流域の村々はその発展の犠牲となる。即ち「日蔭の村」となることを表現している。
以後ダム問題は都市と農山村の相剋として如実に現れてくる。

以上。古賀 邦雄『帝都の御用水の爲め』(小河内ダム)より、引用・要約させていただいた。

               ***


石川は1935年(昭和10年)『蒼氓』で第1回芥川賞を受賞。
1937年日本軍は南京を攻略。この『日蔭の村』はこの年の発表で、石川にとっては第2作目である。
1937年末。上記南京攻略を従軍作家として現地取材。そうして書かれた『生きてゐる兵隊』は
1938年2月。新聞紙法に問われ、発禁処分になった。
『生きてゐる兵隊』やその内容については、この記事の一番下に私の過去記事のURLを
まとめておきますから、興味ある方はお読みください。


さて。『日蔭の村』。
彼はこれを書く前に、入念な現地調査をした。郷土史家でもある神主や、湖底に沈む小河内村の村長を訪ね、
事件のあらましを調べた。村の田畑や交通を確認したり、梵鐘の文字を写し取ったり、
古い寺の古文書の類まで集めた。これを見て、批評家は『日陰の村』を(調べた小説)などと
レッテルを貼っておとしめた。当時、私小説を小説の本道とみなす風潮があった。
石川達三はこれに反対だった。小説には書く目的があって、その目的のためには、下調べが不可欠だ
と考えていたからだ。
『日陰の村』を書いたころ、日本が上海に戦火を拡大し日中戦争は本格化した。石川達三は、
当時の新聞のあり方にもがまんがならなかった。
いまや大新聞は、正確な報道の義務も正当な批判の責任も、また言論自由の原則をも、
すべてかなぐり捨てて、政府軍部の醜い走狗と成り果てた。
軍部のスポークスマンは、新聞社を両手の中に握り、軍部の宣伝記事をおもうままに掲載させている

彼は文壇やジャーナリズムに反旗を翻し、『生きている兵隊』を書いた。


http://www5.ocn.ne.jp/~sisyphos/dddd.htm
『石川達三の冒険 暴支膺懲の南京へ』十握 秀紀 より引用。



ああ!……
なんと!福島県大熊町、双葉町の人々が東京の電気のため土地を差し出し、
その結果が東京電力福島第一原発の事故となって、半永久的に周辺地区の人々が父祖伝来の土地に
住めなくなってしまったのと構図が似ていることであろうか!

私は上で紹介したこの短いtwitterの記事を見た瞬間、このつぶやきの主と同様、
東京と水(ダム)、東京と電気(原発)ということに相関関係を感じてしまったわけなのである。
さらに。昨夏、私は、日中戦争に関連し、石川達三氏の『生きてゐる兵隊』をブログに取り上げたばかりである。
物事というのは、深いところで繋がっていくものである…という、私の深い感慨は、また、
その石川氏が、この小河内村のことについて『日蔭の村』というこんな本を書いていたのだ、
ということを確認して、さらに深められたのである……。
そして、また…。3.11後明らかになったように、大手メディアの原子力業界との癒着ぶりや、
そのためになお続いた、あの、歯切れの悪い原発安全報道…
そして今、自分の息のかかった思想の近い人間を、公共放送のトップや運営委員に入れる
安倍政権のやり口は、この石川が述べた怒りの告発(引用太字部分)の時代に、なんとだんだん
似てきていることであろうか!

この記事続く。





                  
            ***

『生きてゐる兵隊①』http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1309.html
『生きてゐる兵隊②』http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1310.html
『生きてゐる兵隊③』http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1320.html
『生きてゐる兵隊④』http://clusteramaryllis45.blog61.fc2.com/blog-entry-1329.html








スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

Re: 何苦さんへ

あ、ありがとうございます。
『ひらけゆく朝』。いつかよかったら貸してください。
でもしばらくは読めないかな~~~(苦笑)
読むのは速いので(いつも読みとばすタイプだから、身につかない。汗)長くても
それはいいのですが、他のことしないで徹夜を重ねちゃいそう。
秋口、涼しくなったころにでも貸してくださいませ。

松川事件、…それからずうっと来て砂川判決…そこらの本は、きちんと読みたいなあ。
これこれ!これお勧め、というものがありましたら教えてください。

深く入り込むとどこまでも遡っていっちゃいそうなので、今回は、ざっとになるかも
しれないですが、きちんと知っておきたいです。

さて。続きを書かなくっちゃな。
いつも、ありがとう~~~♪




いまいちの小説家w

そうですか・・・図書館にもない・・・・,ふふ。典型的“アカ”の本ですからね。。。
『ひらけゆく朝』はお貸しできます,
ただですね鹿地はこの本は・・・・なんとゆうか小説家の気分半分でかいてるようなwところがあって,長編の小説風にまとめられた冤罪の被告の生活,が中心ともいえるので,事件の深層や概括的なことを考証してまとめているというかんじではありません,只,其の警察,拘置所,刑務所の様子など本当に悪辣で,雰圍氣を知るにはとてもよい本ですが。

砂川鬪爭につながってゆく,日本人の闘いといういみで,一つに収斂されていくきっかけにはなりますが,
ちょっとちがうとおもうところもあって,青梅事件は,完全にアメリカによるレッドパージ,共産党彈壓を動機と目的とした事件だということで,だからぎゃくに,アメリカの敵である鹿地がかかわった,ということなんですが,戦後史の時代の流れを大きく見るには重要な事件ですが,目的を持って沙川鬪爭に深くふみいっているとき,かえってよけいかなあ,という気も致しました。
日本の反戦鬪爭という意味で,松川事件から事件をつなげて砂川の判決までたどるような本がないか,ちょっとしらべてみます。

砂川鬪爭というのはけして戦後かなりたってぽつとでてきた事件ではなく戦後すぐの「反動」がどれだけねづよく裏で權力を色濃く(純化して)あたためていたか,それが表に出てきた,そういう戦後思想史の影の部分。それはおそらく彼岸花さんもよくわかってらして,だからこその「砂川事件」なんでしょうし。つながってゆく事件一つ一つには,弱いところを徹底的にたたく,日本の典型的暴力,日陰の村をいじめる根本構造がある。アメリカにはこびる。

鹿地もほかのいろいろなところでもつよくいっていますが,特高となんらかわりない警察,國家權力の暴力はなにもかわっていない,戦前は脅しの効果が重視されたから明るみに出てやられていたが,戦後かくれてやっているだけでなんら変わらないのだ,と。

ひらけゆく朝は上梓は1964年ですが。
三多摩の無力な農村,純朴な若者が國家の罠にはめられる,という時代がよくわかります,調べ物がおわったときにでもおこえかけてくださればお送りしますが(只かなりの長編ですので・・・あまりおすすめしません,ほかにいろいろ詠まなければいけない書かなければいけない,というときに・・・・

Re: 何苦さんへ

何苦さん、ほんとにいろんなことよくご存じですねぇ!
鹿地亘は、青梅事件被疑者救済にも関わっていたのですか。
「ひらけゆく朝」というのが青梅事件に関連した本かなあ。
手に入れられるかなと思ってちょっと探してみましたが、無理そうですね。
図書館でも置いてあるところは、全国見ても少なそう。
どういうふうに関わっていたのですか?

すごい時代でしたねぇ!
私など、戦後の日本の歴史を、その入り口をちょっと覗いてみた、くらいな
もんですが、なんだか膚がざわざわしてくるような感じを覚える。
戦後70年という歴史は、やわなもんじゃない。
人々の汗と涙と血を踏み越えて、戦後の良くも悪くもこの国の繁栄は
あったのだという認識を、また新たにします。
その歴史のネジを一気に巻き戻そうとする、魑魅魍魎政権…。

『何苦はわたしたちの同根,あいことばのよーなもんす。ロバといっしょでねw。』

ふふ。そうですね。^^
何苦、はしかし、そう言いつつも大変なこってすね。体力いります。
今日はちっとバテちってた(笑)急に暑くなりましたしね。
ロバは可愛いなあ…  おうさまのみみはロバのみみ~~~…
にほんのそうりははだかのおうさま~~~…



No title

近頃おもうにですねえ,このときの山村工作隊,と砂川事件をつなげるものがあります,青梅事件という,鹿地亘と中国の反戦同盟のだったひとびとがおおいに尽力したおそろしい冤罪事件があるのですが,そこには特高の拷問となんら変わりない情況が展開されていました,続く三多摩基地一連の集大成,が,砂川鬪爭です,戦後の反戦思想の総力戦だったわけです。そこにふたたび焦点があたることをまったくおそれないアベ政權,はすごいともおもいますが,特に共産党はなめられてるな,とそのことに深い失望をかんじました,鹿地の精神はもはや共産党には残っていないのかと・・・・,ま。ぐちですがね。何苦はわたしたちの同根,あいことばのよーなもんす。ロバといっしょでねw。

Re: しほさんへ

しほさん、こんばんは~♪
私もまだ、その映像見てないです。というかテレビをあんまり最近見てない…
でもそのラジオは聴きたいので、ポッドキャストで聴けるようになったら
また教えてくださいね。

こうした視察の時、あらかじめ用意されたところしか見せないというのは
原発に限らず、後ろ暗いところをもっている組織の常套手段ですね。
ベトナム戦争やイラク戦争などでもそうでしょう。
アメリカ軍の許可を得た従軍記者が報道する。するとアメリカ軍にとって
都合の悪い映像や記事などそのまま出るわけがないですよね。
福島第一もずうっとそう。記者が入れるところは、東電の指示したところ。
まあ、もっとも、東電の人間にさえ今、溶けてしまった燃料が
どこにどういうかたちであるのかわからないのですから、線量の途方もなく
高いところに誰でもかまわず入れるというわけにもいかないのでしょうが。

ぁ。記事と関係ないことでもいつでもなんでもかまいませ~ん♪ ^^
いつも情報ありがとう~~~♪

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。
時間をかけてでも納得のいくものお探しになってくださいね~。^^
おうちにいらっしゃるということで安心しました。
ここは鍵コメでもなんでも、どうぞ気にせず、いくらでもおいでくださ~い。

No title

彼岸花さん、こんばんは。
新聞、テレビでは東京電力福島第一原子力発電所に記者達が入ったようですね。
私は見てないですが…
今夜のTBSラジオのsession22は、この取材に参加した崎山記者が出ています。
崎山記者は5号機に入れた事の意義を一番に話してました。
撮影禁止だった場所だったそうです。
テレビで繰り返し流される映像は許可された場所です。

Jビレッジからスタートする音声が生々しいです。
後日ポッドキャストでも聴けると思います。
除染された場所を巡って、0.03ミリシーベルト被曝しての取材です。

彼岸花さんの記事のコメントではなくて失礼しました。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 26日の鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは~♪
ほんと。急に暖かくなったりすると私も弱いの~。
寒いのは嫌いなんだけど、春先、急にもわっと暖かい日が急にくると、
毎年よく、じるっ失調症(ありゃ!)もとい!自律失調症で眩暈と吐き気に
襲われることが多いの。今年もならないよう、気をつけてま~す。

ほんとに、怒ったり悲しんだりしてると体に良くないです。
鍵コメさんも、あまり考え込んで体悪くしないでくださいね。

ありがとう~~~♪
私はだいじょうぶですから~。

管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます

Re: 23日のお一人目の鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは♪

や~、そうなんですよ~。物事の構図はどこか似てるんですね~。
一つのことに思いを致していると、別のことが連想され、それがなぜか
根本構造で繋がってくる……この続きもお楽しみくださいね。^^

『日蔭の村』。私は残念ながらまだ読んでないんですよ~。
『生きてゐる兵隊』について書いているとき、石川達三という人が、非常に
よく下調べをして書く人だった、ということをこの作品に関して知り、
うっすらタイトルが記憶に残っていたくらいで。
でも、ここでまた、糸が繋がって、おお~~~!^^

宮本百合子は面白い人ですね。『生きてゐる兵隊』が発禁処分になって、友人たちでさえ
関わりを恐れたか作品について口を噤んじゃった中、宮本百合子は果敢に作品をけなす!(笑)
この作品について宮本がこんな批評をしていたとは鍵コメさんに今、教えていただいて
初めて知りましたが、ここでも手厳しいですね!笑っちゃいました。
後々も、宮本百合子は、石川達三に結構ずけずけなにかというんですが、石川は
言いかえしたり弁明したりあまりしてませんね。
その批評が本質をついているので、なるほどと思って言い返せなかったんじゃないでしょうか。^^

いや~、私もね、『日蔭の村』、読んでいないんですが、そのタイトルでね、もう、
「ずいぶんな言いぶりだなあ…」と感じていたんですよ。
『日蔭』というタイトルを小河内村に対して使う、という感覚がね、もう、
『東京都心は日のあたる場所。そして小河内村のような周辺の寒村は日蔭』という図式が
あまりにもあからさまで、読む前からそこに通底する作者の感覚が最初から見えすぎちゃう
タイトルじゃないかな~って感じていました。
案の定、宮本百合子にこてんぱんに言われているんですね(笑)
宮本百合子。いいなあ…!

しかしね~。その百合子でさえ、文学報国会に入っていたという。中野重治も。
どのような立派なことを戦前戦後に書いていた知識人も、軒並みこの会に名を連ねた…
入るのを拒否したのは中里介山と内田百閒。そして永井荷風は勝手に入会させられていて
怒ったと、そして徳富蘇峰が嫌いだと日記で書いているそうですが、このあたり、面白いですねえ…
内田百閒、永井荷風、中里介山…なるほどなあ、と思いますね!(笑)
そして永井荷風は『徳富猪一郎が嫌い』と。(爆)
私もこの記事書いていて、徳富蘇峰の名が出て来た時、あああ~!と思ったんですが(笑)。
徳富蘆花とか鳩山、大野とかいうこの箇所ね、(中略)としておいてもよかったんですが、
ふうん…と思ったので、そのまま載せた(笑)。

ところで、日本の知識人等の終戦前後の日記を野坂昭如がまとめたのを今、読んでいる、と、
この一つ前の鍵コメさんへの返事に書いていますでしょう。私も渡辺一夫の日記とか、
戦中にどの作家や批評家がどんな発言をし、何をしていたかに興味があって、ずっと
見続けているわけなんですが、みんな揺らいでいますねぇ…
当時の一流の人がですよ。口を噤んで、食べ物のことなんか書いてる…
戦争のこととなると日記の中でさえ歯切れが悪いです。
ああ、世の中が一つの方向に突っ走って、それと反するものを許さぬ社会が出来あがってしまうと、
人間はこうなるんだなあ…と、ため息が出ますね。
おそらくかく言う私自身も、そういう時代になればおそらく口を噤んでしまうのでしょう…

本当に、人間は、あれほどの度重なる戦争や、原発事故で一体何を学んできたのでしょう…!
3.11後に日本がよくなるどころか、逆にどんどん悪くなっていくのを見るにつれ、
人間ってなんなんだろうと思わずにいられませんね。

ありがとうございます!








管理人のみ閲覧できます

このコメントは管理人のみ閲覧できます
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
リンク、トラックバックご自由に。

『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
最新記事
最新コメント
リンク
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
カレンダー
07 | 2017/08 | 09
- - 1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31 - -
メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
QRコード
QRコード