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『大雪と原発 ④』

私が、この一連の記事で取り上げたのは、小河内村、丹波山村、小菅村の一部の人々の
ことである。小河内ダム建設のためにそれらの村々を去ったのは、945世帯6000人である。
ここに書いたのはそのうちの28戸62人の人生にすぎない。
もっと本格的に調べられればいいが、今の私には、ネットの中で調べられることだけで精いっぱい。

しかし、私は、小河内ダムの水底に沈んだ村の人々のその後を調べながら、
ずうっと福島のことを考えていた。

東日本大震災からちょうど3年目の11日を前に、日本全国各地でデモや集会が行われたが、
3月9日、私は、日比谷野外音楽堂で行われる集会とそこから国会前や官邸前に出発するデモに
参加するため、日比谷公園の中にいた。
自分が遅れていったせいもあったのだが、時間前に満員で締め切ってしまった野外音楽堂の中には
入れず、同じように入れない多くの人々同様、デモ出発を待って外をぶらぶら歩きまわっていた。

その時、一人の男性の姿が目にとまった。
福島県双葉郡浪江町、『希望の牧場』の吉澤正巳代表である。
『希望の牧場』というのは正式名称ではない。もとは有限会社エム牧場の経営する浪江農場といった。
福島第一から約14キロの地点にその牧場はある。

2011年3月11日。大地震、大津波発生。
12日。福島第1原発1号機水素爆発、20キロ圏内の住民に避難指示が出た。

12日の浪江町の様子を吉澤さんが語ったものを文字起こししてくれているサイトがある。
『福島 フクシマ FUKUSHIMA 津波被害と原発震災に立ち向かう人々とともに』
http://fukushima20110311.blog.fc2.com/blog-entry-60.html
牧場の写真や事故当時からの様子、吉澤さんの気もちがこの記事を読むと少しでもわかる。
ぜひ覗いてみてください。飢えて死んで行った牛たちの屍の残酷な写真もここにはある。
しかし、それから目を逸らさないでほしい…
これが日本の現実だということなのだから。
少し引用させていただこう。

12日の朝からテレビを見てたけど、国や東電からは何の情報もないまま。
浪江には2万人の町民がいた。
12日の段階で、町の判断で「逃げろ」と、逃げる場所は浪江町の山間部の津島〔※〕となった。
約半数の人たちが、津島に固まって逃げるんだね。いやー、みんな逃げたね、ダアーッと。
 津島は、原発からだいたい25キロあるかな。1万人ぐらいの人が、そこで、夜通し
焚き火なんかをしながら避難生活をしていた。
 そこに、14日の3号機の爆発があり、そのあと、南の風が吹いたんだね。
それが夜になって、急に冷えて、雨が雪になった。ものすごい放射能が津島に流れてくるわけだ。
だけどそんなことは何の連絡もなかった。
 でも、やっぱり警察や自衛隊の動きでわかるんだよ。それで、「もうここにいちゃだめだ」
ってことになって、今度は、二本松の東和(とうわ)に、全部、ダアーって逃げるわけ。

〔※津島:浪江町津島地区。原発から北西に約25キロの山間部。
この地域の上空を、南東の風に乗って、大量の放射性物質を含んだ雲が通過、
この一帯でも、もっとも激しく汚染された。政府は、「緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム
(SPEEDI)」の試算で津島地区への放射性物質飛散を予測していたが、
避難の住民には一切、知らされなかった。


3月14日。3号機。3月15日。2号機水素爆発。
4月25日。福島県は飼い主の承諾を得て20キロ圏内の家畜処分を決める。
20キロ圏内には376戸の畜産農家があり、牛4千頭、豚3万頭、ニワトリ63万羽、
馬100頭が飼養されていた(毎日新聞)。
5月12日。政府は警戒区域の家畜の殺処分を決める。
5月26日。「処分せず研究に活用を」と獣医師ら学識経験者が政府に要望書をだしたが、
政府は安楽死処分の方針を変えなかった。

吉澤代表らは、この政府方針に従わなかった。牛の面倒を見続けたのである。
自分の家で家族のように飼っていた家畜たちを殺処分など出来ず、畜産農家の中には
自分たちが避難する際、せめて家畜たちが自分たちで草を食べて生き残ってくれと願って、
家畜たちのくびきを外してやった人もいた。
皆さんの中には、報道番組などで、それら放たれた牛たちや豚たちが、誰もいなくなった
原発の町の草地に佇んでこちらを見ている映像などをご覧になられた方もいらっしゃるだろう。

また、家畜たちを放していけば、それらが迷惑をかけるかもしれないと、牛舎や豚舎に
つないだまま、泣く泣く避難していった農家もあった。
それら、繋がれたままの牛たちや豚たちの、ミイラ化、白骨化した死体の映像を
報道番組などで見た方もおいでだろう。

吉澤氏は、そのどちらの道も採らなかった。牛を生かし続ける道を選んだのである。
彼は避難先の住まいから、往復4時間かけて牧場に通い、自分のところの牛300頭と
近所の牛や放浪していた牛などを引き取って、計360頭に餌をやり続けている。
牛に餌をやって何になるものでもない。
線量の高い警戒区域の被曝牛たちは、無論、売り物にはならない。
それでも私財をつぎ込んで、自らもおそらく激しく被曝を続けながら牧場に通い続けるのは、
吉澤さんの牛への愛情と、『ベコ屋』(牛飼い)としての、怒りと意地からである。

300軒の畜産農家、60~70軒の酪農家が、もう牛飼いなどできないくらいの
精神的な挫折感の中にあるんだ。
国は、今日も、どっかで牛たちをとっ捕まえて、殺して、埋めて、という殺処分の作業をやっているよ。
臭いものにフタをして、見えないようにする。証拠隠滅だよ。
その一方で、原発を再稼働しようとしている。

浪江、双葉、大熊、富岡というのはチェルノブイリと同じような状態。そこに帰る意味もないよね。
そこでコメはつくれないだろうし、地震の被害もひどい、津波の破壊も半端でない。
浪江町は、原発立地ではない。福島でも発電所のないところ。そういうところが、今回、ひどい汚染をうけたわけ。
しかもスピーディの情報が隠されて、津島でみんな猛烈な被ばくをしている。
原発立地町じゃない、直接には、恩恵をうけない浪江町が、今回一番、ひどい目に合っている。
その人たちが、迷惑な厄介者として、いずれ捨てられようとしている。
避難した10万人の人も、捨てられようとしている。邪魔の者、厄介者、迷惑な土地、迷惑な人たち。
棄民政策だよ。間違いない。
それで、浪江町でも、5人も自殺している人が出ているわけだよ。先日の商店主の自殺が5人目だ。
商売もできない、コメも作れない、うちにも帰れない、帰る意味もないしね。


               ***

福島県の畜産農家、酪農家は、このようにして自分たちが手塩にかけて育ててきた
牛や豚や鶏などを、原発事故のために、このように棄てざるを得なかった…
皆さんは、この遺書をどこか映像ニュースでご覧になったであろう。

福島酪農家遺書


原発事故後間もない2011年6月。福島県相馬市の酪農家の男性(54)が自ら命を絶つ前に
自分のたい肥舎の壁に、チョークで書き残した遺書である。
「残った酪農家は原発に負けないで頑張ってください」。
男性は、東京電力福島第一原発から約60キロ離れた相馬市の山あいの小さな集落で、
約40頭の乳牛を飼っていた。なだらかな斜面の奥に母屋があり、手前に牛舎と堆肥舎が並ぶ。
真面目で仕事熱心――。午前3時から牧草を刈り、牛の世話をした。
前年には、堆肥をつくって売るために堆肥舎を新築し、農機具も少しずつ増やしながら、
父親から継いだ牧場を大きくしようと懸命に働いていたという。

『姉ちゃんには大変おせわになりました。
原発さえなければと思ます。
残った酪農家は原発にまけないで願張て下さい。仕事をする気力をなくしました。
(妻と子ども2人の名前)ごめんなさい。なにもできない父親でした。
仏様の両親にもうしわけございません。(一部省略、原文ママ)』


事故後まもない3月24日には、福島県須賀川市で、野菜農家の男性(64)が自宅の敷地内で首をつり、
自ら命を絶っている。23日にキャベツの摂取制限指示が出ると、男性はむせるようなしぐさを繰り返した。
「福島の野菜はもうだめだ」。
男性は30年以上前から有機栽培にこだわり、自作の腐葉土などで土壌改良を重ねてきた。
キャベツは10年近くかけて種のまき方などを工夫し、この地域では育てられなかった
高品質の種類の生産にも成功。農協でも人気が高く、地元の小学校の給食に使うキャベツも
一手に引き受けていた。「子どもたちが食べるものなのだから、気をつけて作らないと」。
そう言って、安全な野菜づくりを誇りにしていたという。(朝日新聞)

吉澤さんも、自殺した酪農家も、美しい福島の地で、牧畜畜産に夢をかけていた…
それは、小河内ダム建設で村を追われた人々の一部が、山梨県北巨摩郡(いまの北杜市)
『念場ヶ原』 (ああ!なんという地名なんだ!)の、雑木と熊笹ばかりの荒れ地を
鍬一丁与えられて開墾から始めていった気持ちとどこが違っていたであろう!

自殺した野菜農家同様、福島県飯館村の人々は、農業で生きていく道に希望をかけていた…。
平成の大合併の風が吹くなか、飯館村は安易な合併の道を取らず、自力で村を栄えさせる
道を模索した。
驚くほど多くの特産品が村人の創意工夫で生まれた。
お酒、漬け物、農産品、そして全国ブランドになった飯館牛…。
小さな規模の村でも、創意と村人の一致協力と努力で立派に今の時代でも
父祖の地で立派に農業で生きていける…
村の生き方は、全国の小さな農村のお手本となり、見学者も絶えなかったという…。
それは、開拓民から落伍者を出さぬよう共同で開拓農業を土作りから学び、
全国的にも有名なレタスなどの高原野菜で活路を切り開き、やがて美しい牧場風景を
観光の資源にして、今日軽井沢や日光と並ぶような名高い避暑地の町として発展している
あの北杜市清里高原と、どこが、なにがいったい違っていたのであろうか?

いみじくも、自殺した野菜農家の方が、チョークでたい肥舎に書き残した文言そのままに、
『原発さえなければ』……
原発さえなければ、福島の人々は、『うつくしま福島』と呼ばれていたような美しい自然に恵まれた
父祖の地で、今もこころ豊かに暮らせていたのではなかろうか…?

その違いが、『原子力発電所を生活の道として町が選んだか選ばなかったか』にあったのだとしたら、
何とせつないことであろうか!
しかも吉澤さんの浪江町や飯館村は、原発立地自治体でさえない!

『原発さえなければ…』
この福島県民の痛切きわまる想いは、小河内村村長小澤市平が、昭和13年に、

『千數百年の歴史の地先祖累代の郷土、一朝にして湖底に影も見ざるに至る。實に斷腸の思ひがある。
けれども此の斷腸の思ひも、既に、東京市發展のため其の犠牲となることに覺悟したのである。
我々の考え方が單に土地や家屋の賣買にあつたのでは、先祖に對して申譯が無い。
帝都の御用水の爲めの池となることは、村民千載一遇の機會として、犠牲奉公の實を全ふするにあつたのである。
(中略)顧りみれば、若し、日支事變の問題が起らぬのであつたならば
我等と市との紛爭は容易に解決の機運に逹しなかつたらうと思ふ。(そして我々は父祖の地を
去ることになっていなかったかもしれぬ)』

という苦渋の想いと、なんと似ていることであろうか!

              ***

雪に覆われた北杜市と旧小河内、丹波山村、小菅村のことを2か月近くにもわたって
長々と私が書いてきたのは、そして今、福島県浪江町の『希望の牧場』や飯館村のことなどを書いているのは、
何度も言うようにそれらが皆、根底のどこかで繋がっているからである。
私たちは悲劇の後しばらくは、被災地のことを思う。
しかし、2年3年と時が経って行くうちに、それらの悲しみや怒りの共有感情は、徐々に
薄れていってしまいがちである。…私自身もそうだ……

しかし、この記事で今書いているようなことは、みんな、遠い、自分とは関係のない
世界のことなのだろうか?
いやいや…。
私はこれらの記事を書きながら、自分の体のどこかがきゅうっと痛むような錯覚に
ずうっととらわれ続けていた……
記録にないような大雪に覆われた町々……
日本の大陸への侵略戦争も、
日本のダムや橋梁やトンネル工事などのために強制的・半強制的に日本に連れて来られて
異郷の地で死んで行った朝鮮半島や中国の人々も、
大都市東京の水のために水底に沈んで行った村もそこから雄々しく力を合わせて立ち上がった人々も、
同じように東京の電気のため結果的に、故郷の地…住む家も仕事も、中には生きる目的まで
失ってしまった福島の人々も……
これらは皆、同じ一繋がりの物語なのではなかろうか?
そうして私自身もその一繋がりの物語の中のどこかに臍の緒のようなもので繋がれている
小さな登場人物なのではないのだろうか?
…そんな錯覚に捉われるのである。

政治や国家というものの本質は、今も昔とそう変わってはいない。
それに翻弄され続ける民の残念ながら愚かしさ無力さも、今も昔と変わっていない。

と言って、私はこの一連の記事で、国家の悪や民の愚かしさ弱さだけを書こうとしてきたのでは
ないのである。
人々がどんな厳しい環境にあっても、不屈の精神を発揮して、雑草のように立ち上がるのも
今も昔と変わらない。その時人々の心に自ずと組合的な相互協力の精神が芽生えるのも
変わらない。
そうして、人々がより豊かな暮らしを求めて、あたらしい技術や科学に希望を見出して
未来を託す気持ちも、よくよくわかるのだ…!

この写真をもう一度見て欲しい。

当時の清里駅前通り

共同作業場

そしてこの映像もとばしながらでいいからいいからちょっと見て欲しい。
ここには、福島第一発電所建設の話が決まって、地質調査する頃の、今無残な姿を曝す
原子炉などなかった頃の、あの岸壁や低い松などの灌木に覆われた台地の姿や、そこをバイクで行く
地元民の姿、牛の世話をする農民の姿、真面目そうな技術者たちの姿が映像に収められている…

http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2012/03/7_e04d.html

ああ!
昭和生まれの私には、自分も人も同じように貧しかった時代の、しかしまだ誰にも穢されぬ
美しい大地が、こころに沁みるように美しい青空が、この白黒のぼけた写真や映像から
見えてきそうだ……

時代が移り変わっていくのは仕方がない。
人間の欲望も(向上欲とも言える)もとどまるところを知らぬ。
科学技術の発展を私は全く否定しさりはしない……人間は夢を見る動物でもあるからだ。

しかし、ある一線は、どこかにあるのではなかろうか……。

そのことを深く考えてみるとき、
どこで私たちが行く道を選んでいくよすがにするか。
それは、『個々の時代を個々の特異な事象として見てしまわぬこと』なのではなかろうか。

ある時代にある場所で起こったことは、別の時代に別の場所でも起こり得るのだということを
肝に銘じて忘れないようにすることだ。
ある人に起こったことは(たとえば思いがけない雪中での遭難など)、我が身にもいつか
起こりうることかもしれない、という危機意識を持つことだ。
福島に起こった悲劇が、いつか他の原発近くの街で起きないと、誰が一体保証してくれるのだ?
電力会社も県も国も、マスコミでお先棒を担いで宣伝していた学者・専門家とやらも、
見事におぞましくも責任逃ればかりしているこの実態をようく覚えておくことだ。

そうして。
平和というものは、人民が意識して守って行こうという強い意志を常に自覚して行使しなければ、
あれよあれよろいううちに、一見平和の内にあったように見える国や地域でも、
あっという間に内乱状態や戦争状態、民の自由のなくなる状態に陥り得るということを、
私たちはウクライナ・クリミア、トルコ、エジプトなど世界のニュースで、日々目に耳にしているではないか!

権力の本質は変わらない。
弱者にほど国家的不幸は重くのしかかるのだということを忘れてはならない。
私がいつも『物ごとは、本質的なところで繋がっている』と言い続けているのは実はこのことだ。

この記事で取り上げさせていただいた吉澤正巳氏は、上記サイトの記述をお借りすると、

千葉県四街道生まれ。58歳。
千葉の佐倉高校時代、近隣の三里塚で、成田空港建設のために土地収用法で農地を
取り上げるということが行われており、友人らと反対闘争に参加。
東京農大では自治会委員長も。40年前に父親が、広い土地で畜産をしようと、千葉から浪江町に移住。
大学を出てから父親の跡を継ぎ、生涯の仕事として、畜産に打ち込んできた〕


さらにここにもう少しつけ加えさせていただきたい。
この『40年前に父親が、広い土地で畜産をしようと、千葉から浪江町に移住』という氏の父君は、
新潟県小千谷出身であの戦争の時代満州開拓でソ連国境地帯に入殖し、敗戦と共にシベリアに
3年間抑留され、戦後、千葉県四街道に開拓入殖した人だという。
父君はそうやって、清里の人々同様、戦後やはり必死の想いで開拓入植してためた資金を元手に、
昭和45年、浪江町の満州開拓団時代の親友の紹介で浪江町立野に牧場移転したのである。
ところが同年。小高浪江原発計画(東北電力の)が起こる。
長い根強い原発反対運動があって、浪江町は、浜通りで唯一、発電所のない町
というのを貫いてきていたのである!
しかし…福島第一原発事故は、その浪江町も、飯館村も同じようにいや、風向きの関係で
もっとも放射能汚染された地域になってしまい、人の住めない場所になってしまった……

国策として満州に開拓民をどんどん送り込んでおきながら、いよいよ戦況悪化すると
関東軍はそれらの人々を守り切れず、国は国民を見捨てたのである。

ああ!物事の構図は、いつもなんと似ていることであろう!
福島第一原発事故への国や電力会社の対応を『棄民』だと言いきって、
自らも牛たちと共に『被曝の生きた証人』となって生涯をそのことの告発と闘いに
すごす道を選んだ吉澤正巳氏。

彼の怒りは、彼の体一人(いちにん)の、彼一代の怒りではないのだということを今回初めて知って、
私は、あの3月9日、日比谷公園で見かけた彼のまわりに漂っていたただならぬ空気…
静かな押し殺した怒り…まるで奈良東大寺戒壇院の四天王立像たち、…とりわけ
あの広目天のような内面の激しい怒りを抑えた静かな佇まいの、その理由がわかったような気がしたのである。

希望の牧場のサイトがあります。
生まれた小牛の可愛い姿も、逆に、福島第一の前で車にはねられて死んだ母親の横で
瀕死の状態でいるのが通報され、この『希望の牧場』に連れてこられたものの、やはり
生きながらえることのできなかった『ふくちゃん』の記録なども読めます。
24時間カメラで牧場の牛たちの様子も写している。

希望の牧場は、吉澤氏らが私財を投じて、あとはボランティアや募金活動などで
まかなって行っている…ご支援も出来たらお願いいたします。 

http://fukushima-farmsanctuary.blogzine.jp/blog/2012/03/7_e04d.html 



40年間にわたって福島県が、東京・関東の電力供給で協力してきた。
水力・火力と全部、東京の方にいっているわけ。日本の経済の繁栄を福島県が支えながら、
いま僕らは、絶望的な状況。福島のわれわれは犠牲を被った。これから差別も受けるわけ。
「福島県はお断り」と。そこから逃げられないからね。そういう運命と、最終的には
たたかうしかないんだよね。俺はそう思う。
俺なんかは、余所に行って、畜産業なんてありえないし、自分の生涯の仕事としてやっている
畜産業を潰されたわけ。だから、これは、もう残りの人生をかけて、償いを求めて、
東電・国とたたかう。それしかないと思っているわけ。
こういう原発事故が起きたっていうことでね、これを人生のテーマにして、
原発のない日本を目指して考え行動するしかないと思うんだよね。
そして、もちろん放射能ともたたかう。農業でも、セシウム問題で、県内どころか、
それを飛びこした全国の問題に広がっている。魚だって取れない。
すべての環境、人生、財産が、みんな潰されたわけよ。汚染について、人間も土地も、
よく調査をする必要がある。単に逃げるんじゃなくて、この現場で汚染状態を正確によく調べるということだよ。
行動なきところに結果などあり得ないし、「少しでもみんなで行動しよう」と言いたい。
「東京に行って、みんなの気持ちを東京の人に、どんどん言って伝えようじゃないか」と。
「原発事故というのはこういうことなんだよ。他人事ではなくて、子ども・孫の世代のことまで考えて、
いま、再稼働をめぐってたたかうときが来ているよ」って。
東電とたたかう、国とたたかう、放射能とたたかう。そういうことを俺は言いたいのね。
ずっとこの1年間、大勢の人が生きる意味とか、哲学を考えてきた。行動までできる人はそう多くないし、
でもそういう人を少しずつ作りながら進んでいると思うよ。

「家も故郷も何もかも失った。最後に、みなさん、立ち上がって、いっしょにやろうよ。東京に行こうよ」。
そういう力が、福島県に必要なのだと思う。福島県がそういう中心にいかなければと思う。
やっぱり誰かがやってくれるだとか、金さえもらええればいいんだとか、そういうのもいるけど、
そういうのは、心にも体にもよくないと思うよね。
浪江の人が、みんな立ちあがって、東電前や首相官邸前に座り込んでということができるように
なるところまで、今年は持っていきたいなと。
そういうことに、残り20年の人生をかける値打ちがあるのだろうと思う。
この被ばくした牛たちとともにね。
  



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Re: 6日の鍵コメさんへ

こんばんは♪

お気持ち、よくわかります。
私も時々、「ええい!もう!…」といいたくなるときがあります。
…のあとに続く言葉は、ひどい悪態なので、ここには書けません(苦笑)

でも、笑いごとでなく、政治も社会もどんどん悪くなる一方という気がします…
私たちは今、大きな転換点を迎えていますね。
声は届かず、どうしたらいいのかわからないけれど、とにかく
目を逸らさず見つめていたいと思います。

いつもありがとうございます。

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Re: MATZ-TSさんへ

MATZーTSさん。こんばんは。
あたらしい生活。お忙しくておいでのようですね。^^

安倍政権はまったく滅茶苦茶ですね。
これほどひどい政権は近来ないように思います。
とにかく誰も彼の手綱を少しでも引き絞ることが出来る者がいない。
かつての自民党には曲がりなりにもいたリベラル的な政治家は、野中広務氏
あたりを最後に、もう自民党にはいなくなってしまいました。
いても発言力や影響力が殆どない。
いみじくも安倍総理自身が自ら「私がすべてを決める」と言ったように、
この盲執に取りつかれた小粒の政治家を、誰も止めることが出来ないなんて
本当に情けないです。

日本が戦後70年近く、守り続けてきた憲法の主権在民や平和主義の根本が
ただひとりの政治家の個人的嗜好によって解体されてしまおうとしているのです。
こんな恐ろしいことが起ころうとしているのに、この国の民の暢気なこと!!!

原発も、3.11後の、国民の70~80%近い、近い将来ゼロに、という希望も、
この政権は反故にしてしまおうと着々と準備していますね。
あろうことか、海外に原発を売り込もうとさえしている。

こんなめちゃくちゃを日々見せられながら、どうにも手が出せない私たち……。
本当に絶望してしまいます。

CO2削減も急務です。でも、それと原発問題は決してイコールではないと
私は昔から思っています。
原発推進派の人々は、原発事故というものがどれほど地球を人を汚染するかということを
知っていながらそれには目を閉じ、そしてCO2問題に関しては急に自然保護論者のお面を
つけるのです。そんな矛盾、本来あり得ない。

よく、原発推進派の人々は反原発の人を、『原発に反対するが、CO2問題はいったいどうするんだ!』
といった論調で批判します。まるで、反原発の人々はCO2問題にはイコール無関心、ででもあるかの
ような論旨の持っていきかたで。
これはまったく事実と違っています。
原発に反対の人々が、同じく地球環境をどうしようもなく破壊するCO2問題に
無関心でいるはずがないのです。原発事故と同じように心配している。
おそらく原発推進派の人々は、実を言うと、CO2のことなどそうは心配していないのじゃないかと思います。ただ、反原発の人々を責めるための方便としてこの問題を利用しているだけ。
CO2のことを、自然環境のことを本気で心配している人が原発事故には無関心だったり
原発がこれからも必要と思うというのはおかしいですよ。

いつもね、巧妙な論旨のすり替えがどこかで行われている…
原発がこのまま稼働しないと、日本の経済はだめになる、という論調もそうですね。
原発が稼働していた3年前以前も、日本の経済は既に下り坂だったのです。

私たちは、権力を握っている者たちの論旨の嘘や矛盾をしっかり見抜く目が必要ですね。
それには教育…なんですが、その教育の方向性さえ、政権の意思によって捻じ曲げられてしまいそうな
今の日本です…


      
 

Re: しほさんへ

しほさん。こんばんは~。

ほんとに、建屋にカバーするのは早かったですね。1号機は2011年10月には完成。
でも、この1号機の建屋カバー、一時取り外すと言っていましたね。
屋上部の瓦礫撤去のためだとか。そして4年後にまたカバーするのだとか。
その撤去計画のその後はどうなったのかは、報道されていないようですね。
私が知らないだけかな。この冬にも着手と言っていたようですが。
1~4号機の建屋カバーの設置費用は800億円だそうです。

どうもこの建屋カバー設置は、大手ゼネコンと民主党政府の意向だったみたい。

『無残な姿が見えていたら民主党の野田元首相は冷温停止状態をとは言えなかったでしょう。
自民党の安倍首相もアンダーコントロールとは言えなかったでしょう。』

というしほさんのご指摘の通りでしょうね。
あのままの無残な姿を曝しているのと、カバーで覆われているのとでは、
外部に与える印象は随分違いますものね。
あのままだったら、オリンピックだって誘致できたかどうか。

まあ、悪意だけのことには考えないでおこうとは思いますが、まあ建屋カバーは
ほんの一例で、とにかく臭いものに蓋、というのは大昔から、時代、国籍、公私を問わず、
人間の本音の感情かと思います。
証拠隠滅ということもね。
まあ、そういう時の人間の行動の早いこと!
日本が8月15日敗戦して、8月末に占領軍の先遣隊がやってくるまでに、
上は政府から、下は軍慰安所関係者まで、戦犯として訴追されるのを恐れて、
とにかくそれらしい書類は必至で焼却して証拠隠滅したらしいですから。
在外していた軍関係者もね。

しほさん。いつもありがとうございます。

Re: 4日の鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。

いつも不思議でならないのは、一番被害を受けた人々が、必ずしも
そのことに自覚的でないことがあることですね。
義弟などもそうですが、『考えてもどうにもならないっしょ』『仕方ないべさ』
と言って、電話の向こうで寂しそうに笑っているだけです。
吉澤さんのように、怒りに燃えて立ちあがろうとはしない。
その違いはいったい何なのかなあ、と思いますね。

義弟の気持ちがわからなくはないのです。
妻、子供たち、孫、老いた舅姑、仕事そのもの、仕事先の付き合い、友人、
親戚、近所の人々、住まい、土地、思い出、先祖の墓、……
とにかくありとあらゆるものが、そこにある。
原発を告発することは、時にはそれらすべてを敵に回してしまうことに
なってしまいます。
妙なことに、『反原発・脱原発』=『ふるさとの否定』に今はなってしまっていませんか。
逆に『現状の容認・肯定』=『郷土愛』と言ってもいい。

本当はそうじゃないでしょ。
郷土を愛するからこそ、その郷土を住めないものにしてしまった政治や電力会社に激しく怒るのが
自然なんじゃないかなあ。
ところがね。現状をとにかく受け入れて、汚染された町に住み続けることが、
或いは帰還することが、イコール郷土愛、になってしまっている。
放射能汚染を恐れ原発NO!と言うことが、『郷土への裏切り』というふうに取られてしまいかねない。

このおかしなねじれ現象がどこから来ているのかを、少し考えてみる必要がありますね。
一つは、原発推進派の巧妙な心理操作です。
被災者の不安で悲しい心理につけこんで、巧妙に現状肯定に誘導していく。
山下俊一氏などがそのいい例ですね。
笑っている者には放射能の影響が少ないとか、少しの被曝で人間はどうにもなりはしない、
むしろ、心配して避難した者たちの方が慣れない避難所暮らしで体を壊すことが多い…。
そんなことを言って、少しでも現実から逃れたい人々の気持にするっと入りこんで行く。
それでなくても、もう希望の無さと不安とに疲れ切った人々は、いやなことをもう聞きたくない。
その心理につけこむのです。

確かに避難所暮らしは健康を損なうと思います。
でも、これまで原発を推進してきた人々にそんなことをずうずうしく指摘して欲しくないですよね!!
誰が、誰が、こんな福島にしたんだ!!!!!
そのことを忘れてはいないか!

野菜や肉や牛乳や魚の安全基準も、福島の生産者には、基準値が高く設定される方がいいわけですよ。
それを低くしろ低くしろと言うと、『風評』をばらまいて福島の農業漁業牧畜業家たちを
追い込む悪人のように言われてしまう。
原発推進派は、そこのところもうま~く利用します。
自分たちが福島の事故を引き起こした張本人でありながら、まるで被災者に自分たちこそが
寄り添っているのだ、というふりをしているのです。
まったくおかしなことに、被害者たちは、なぜかまんまとそのおかしなロジックに
乗せられて、自分たちのために声を上げてくれている者の方をどうかすると憎みさえします。

奇妙な論理や信条のねじれを生む今一つの原因は、福島の人々の利害ですね。
現実に、原発に生活を依存してきた人々、その家族が多かったわけです。
原発労働者、その労働者を客にしていた宿泊・飲食業関係者…およびそれらの家族。
それから無論、町会議員や市議会、県議会議員など政治家もそうでしょうし、
学者、医療関係者…原発の恩恵を受けていたものは多い。
そうした人々にとっては、今でも、反原発・脱原発イコール『自分たちの職や権利を奪う悪』
に思えているかもしれません。

それから、原発によって何の利益も得ていないにもかかわらず、いや、むしろ、
ただ健康被害と職の喪失、など被害しか受けていないのに、
『脱原発・反原発』を叫ぶ者や『子供たちの健康を守るために出来るだけ遠くに避難しろ』と
忠告するものを憎む人々がいますね。
経済的理由、家庭の事情などから、逃げたくても逃げられない人々の一群です……。
どうにもできないことを外部からやれやれと言われても…。
その心情のつらさは推し量ることさえできません…

ここが一番難しい問題だと思います……
これらの人々に気を使うがゆえに、言いたいことも言えない、逃げたくても我慢している
若いお母さんなどが、どれほどいることでしょう。

そこをまた、国や県などの為政者が、うま~く利用するのですね。
利用すると言っても要するに何もしなくていい。これら被災者同士が最初は遠慮…そのうち
敵対し憎み合いさえするようにするようになるのを、待っていればいいのです。
そうそう。勝手に逃げていった者は、補償の問題などで不利になるようにすればいいですね。
それも、待っていれば、やがて避難した人々も避難先での(時には二重生活の)生活の不如意や
不安から、また、補償の不公平への不安から、徐々に避難先から戻ってこざるを得なくなる……。
要するに、国や県や電力会社は、何もしないで時間稼ぎをしていれば、
避難民は汚染された土地に戻って来、被災者のために声を上げる人々と現地の人々は
どんどん遮断されていくのです…。
あとは、留まった人々、戻ってきた人々をしっかり囲い込めばいい……

どうして、このような見え透いた構造がまかり通ってしまうのか。
なぜ、物事は、人々の期待と別な方へ別な方へと行ってしまうのか……。

本当に私などにもわかりません。
自分は当事者ではないから、そんなことをいってられるのかもしれません…

でも、道はあるはずなのです。
要するに、原発に頼らないで生きていける生活の道を、原発立地自治体が
持つことなのです。それはただ上から与えるというのではダメで、やはり
住民自身も、この悲惨な福島第一事故に学んで自ら立ち上がらなければ。
今までのように、ただ電源交付金のような金や優遇措置やありとあらゆる利便が
じっとしていても与えられるというのはもう通用しない。
一旦事故が起きたら、立地自治体内だけに被害は留まらない、むしろ原発のなかった
浪江町や飯館村に汚染はひどい影響をもたらしたのです!
そのことをしっかりと考えて欲しい。それは日本全国の原発関連施設の立地自治体も同じですね。

そうして、国と都道府県、市町村と、原発現地の住民と、それからそれ以外のところに住む我々と、
電力会社とが、腹を割って、電気をどうやって確保していくのか、原発をやめた地域の
生活と経済の活性化はどうやって行けばいいのか、やめたくてもやめられない電力会社救済の道を
どう付ければ、原発依存から電力会社自身も脱却できるのか、…
使用済み核燃料をどうするのか…

そうしたことを、すべての知恵を出し合って解決していくことだと思うのです。
ドイツにできることを。どうして日本は出来ないのでしょう……

ああ。なかなか、記事本体で、そこのところに辿りつけません!(苦笑)

鍵コメさん。いつもありがとうございます♪

No title

彼岸花さん,こんばんは.

MATZ-TSです.退職,転職,・・のバタバタもようやく先が見えてきたようです.これから,新しい生活で頑張らねば.

読み応えのある記事,久しぶりにここを訪問し,読みふけりました.

しかし,与党合意されたエネルギー基本計画は,全く何を考えているのか,とにかく既存の原発利権や,現在の「国益」しか考えない,将来のツケなど眼中にない,としか思えない.産経新聞に,原発依存は百年の計,とか書いてありましたが,これも何をもってそう考えるのか,が,私には分からない.

「ある時代にある場所で起こったことは、別の時代に別の場所でも起こり得るのだということを肝に銘じて忘れないようにすることだ。」

==>そうです.歴史に学ばねばならない.そして誤りを再び起こさないようにしないといけない.  しかし,原発の事故の場合,再び過ちを起こさない,と反省する前に,一旦起きてしまったら,他の天災と異なり,末代までの禍根を残す. それを防ごうとシステムを複雑にし,だれも把握できない化け物みたいなものにし,大金を使って避難計画や防災用品,オフサイトセンター,テロ対策,そして人々の間の争い,核兵器のもと... これらは,なぜかGDP増加に繋がり,一見豊かになったような錯覚を与える.そもそもGDP万能がおかしい.皆,そう思っているのではないか?

 そもそもエネルギーを生み出すのは,エネルギーを節約できる技術も含め,人々に喜びを与えるべきもの.それが,原発は,争いと不安と無駄を生み出し,人々の心に欲望を与える.人間が制御できないもの,という気がします.

もちろん,地球温暖化軽減のためCO2削減は必須です.しかし,だから原発というのは通らない.今は苦しくても,将来への希望と安心,これが真の百年の計となるべき,だと思います.

 そうするにも,我々は,被害を受けた地域,人々のことを忘れてはならない...温暖化で今後何がおきるのか,既にどうなっているのか,常に考えねばならない.

 これまで,我々は何をやってきたか,何をまもり,何を成功させ,何を誤り,それらを踏まえて,今後,この国と世界はどうあるべきか,を,真摯に子供たちに伝える,このような歴史教科書であって欲しい.と思います.

すみません,まとまらないコメントで. おやすみなさい.

No title

彼岸花さん、こんばんは。
真っ先に建屋が隠された時は家事現場を囲うシートと思い出しました。
大変な被曝をして建設された建屋カバーは目隠しです。
東京電力福島第一原子力発電所、爆発、さらにもう一回爆発。
何でも蓋をして隠せばそのうち忘れる…と思ってるんでしょう。
無残な姿が見えていたら民主党の野田元首相は冷温停止状態をとは言えなかったでしょう。
自民党の安倍首相もアンダーコントロールとは言えなかったでしょう。

忘れっぽい私たちは、希望の牧場のおかげで現実に結びつけられてます。
おっしゃるように泣く泣くですよね。
とてもデリケートなところ丁寧に書いて下さってありがとうございました。

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは♪

現実を見たくない、知りたくない、考えたくない、と思ってしまう人々の気持ちは、
実はよくわかるのです。
わかるから困る。…私自身の内にもある心性だ、ということだからです。

2011年の3月11日以降。記事を書きながら、いつも私は、いったいどこまで書いて
許されるのか、と自分に問いながら書き続けています。
根本の所ははっきりしているのです。

福島の浜通りの人々は、原発立地を受け入れるべきでなかった……!

ひとたび大きな事故が起きれば、それは立地自治体だけの問題ではなくなる。
放射性物質汚染は町や村や市や、県の境など全く関係なく周辺の土地も人も汚染していくのです。
生活のために原発や核施設を受け入れる人々は、そのことを十二分に自覚した上で、
決定をして欲しかった、と思います。
そして、自分たちの意志で決定したことの結果が、今回のような過酷ともなんとも…
言いようのない大惨事に至ったのであるならば、『私たちも騙されていた』などと言う
怨み言など、ほんとうは言って欲しくありません。
原発や巨大核施設を誘致受け入れするということは、そのくらい大変なことなんだ、という
自覚と覚悟が欲しかったと、思います。

でもね。一言で、『原発立地自治体の人々』と言うくくりは出来ないんですよね。
今回警戒区域になって、人が住めなくなってしまった浪江町は、この吉澤さんのように、
原発受け入れに反対運動していたんです。そこが、むしろ最も汚染されてしまった……
また、受け入れた町の人々の中にも、反対運動をずっとやってこられたという方も
いらしたんじゃないかな。
…でも、あの事故は、そういう人々も同じように被曝させ、住む場を生活を奪ってしまいました……

私は、町長や町議会議員…町の名士などどういう人だったかそれは町によって違っていたと
思いますが、いずれにしろ、積極的に原発誘致活動を行ってきた人々には、
正直言って同情など出来ません。
でもね。
生きていくために仕方なく受け入れた人々もいたわけですよ…
本当に何も知らなかった人々が、一番多いかな。
そして、反対運動していた人々…
これらの人々をひっくるめて、『原発立地自治体の人々』と言ってしまうことには
躊躇いを感じます。
そこのところでね、いつも筆がストップして迷ってしまうのです。

私は、自身が、九州の貧しい山村の出身です。
両親は開拓民ではなかったけれど、零細農家でした。農業では食べていけない…
子供たちに満足な教育も受けさせてやれない…そう考えた両親は田畑を売って町に出ました。
でも、そこでの暮らしは失敗の連続。
なけなしのお金はどんどんなくなって、両親は別居。私は母の和服の賃仕立ての仕事から
得るお金だけで、貧しい少女時代を過ごしてきました。
家賃が払えなくてアパートを追い出されて、引っ越しをなんと少女時代に20回近く!(笑)
でもね、まわりもまだ貧しかったのです…

そんな私が、生活苦から原発誘致に夢を見た人々のことを簡単に責めることが出来るでしょうか…
一旗あげたいと1930年代、満州に渡っていった人々を、侵略の片棒を担いだ!と言って
簡単に責めることが出来るでしょうか…
理性では「愚かな!…」と思っても、心情では責めたりできないです。

この記事で、私自身も臍の緒のような紐帯でこれらの人々と繋がっている気がする、と
書いたのは、そういう意味でもありました。
ここに書いた、満蒙開拓団に加わって、満州からの引き上げ途中で無残に死んで行った人、
帰り着きはしたものの、それから荒れ地の開墾に汗と血と涙を流した人、
中国や朝鮮から連れて来られて、強制労働に携わって事故や栄養失調や虐待で死んで行った人、
貧しさゆえに身売りさせられて苦界に落ちていった少女たち、
昭和46年にまだ、主な交通手段が馬車だったという青森県六ケ所村の人々、
ご紹介した映像。福島第一が出来る前後の福島の農民や土木関係労働者の姿が
出てきますね。あたらしい科学の原子力発電と言うものに、どれほどみんな
夢と明るい未来を託したことだろう……
…それらは皆、私自身であったかもしれない気がするのです。
イチエフで働いているタイベック姿の男たちは、昔流れの港湾労働者だった兄の姿にしか
思えないのです。
従軍慰安婦や苦界の女たちはね、水商売に若いときから入ってついに瘋癲のまま死んでしまった
次姉の姿に思えて仕方がないのです。

だからね~~~…記事書いていて、いつも体が痛いような気がするんですよ…
時に絶句して書けなくなったりもします。

なんでも自己責任と言う言葉でかたずけられるなら簡単だ。
でも、この世の事情はそんな言葉ではかたずけられませんよね。
どうしたらこの世の悲しみや不条理や不公平や不公正を無くしていけるのか。

それには、政治にお任せ、では全くだめなのです。
国民一人一人が、自分たちで自分たちの正当な生きる権利を守るんだ!
環境も守るんだ!、政治を変えていけるんだ!という自覚を持つしかないんです。

ところが今ね~。日本は、反対の方向に言っているように思います。
だめな政治だとわかっているのに、もう、いくら騒いだって政治は変えられない、
もう期待するだけ無駄。今さえ、ちょっと楽しければいい。
つらいことや悲しいことは知りたくない、見たくない、面倒なことは考えたくない。

それじゃね。この日本はだめになっていくばかりだ。
いつも鍵コメさんに教えていただくように、どうして日本は変われないんだ???

答えは持っていませんが、諦めたくはないです…

そうですか。お帰りになられるのですね。
どれほど複雑な想いでおいでのことでしょう…
旅のご無事を。

また、そちらに書かせていただきますね。^^




Re: しほさんへ

しほさん。こんばんは~♪

私も知らないことばかりで、調べ調べ書いているのです。^^
私など歴史をずうっとこの目で直に見て来られたはずなのに、ぼ~んやり生きてきてしまいました。
いまさらですが、ちょっと調べてみるといろんなことが出てくる出てくる……
驚いてしまいます。自分がぼおっと生きて来たことにも。

吉澤氏の場合、『研究に』と言ったのは、怒りの想いからですよね。
政府の側の学者などが、
綺麗ごとを言って時間稼ぎしていれば、そのうちみんな忘れてくれるだろう…
などとたかをくくっていることへの強烈なアンチテーゼだと思います。

事故を起こして慌てている側は、早く証拠になるものを人の目から隠したい。
人が忘れないでいるためのよすがとなるようなまずいものは出来るだけ早く消し去りたいんですね。
無残な福島第一の建屋に素早くカバーをかけたのなども、無論穴があいてしまった天井から
雨水が振り込んだり、外部に放射性物資が漏れるのを少しでも防ぐという目的が
あるのでしょうが、そんなことより心理的には、あの無残な姿を急いで覆い隠したい!という
心情もあるのではないでしょうか。あくまで想像ですが。
まずいものは早くどこかに隠してしまいたいというのがお役所や政府の感覚ですよね。
東京オリンピックが決まった途端に、ホームレスを居場所から追い立てるとか。

そうではない。現実から目を逸らすな、見ろ、見てくれ!
牛たちと俺自身が、生きた証拠として、原発事故のありのままを人目に曝し続ける。
被曝モデルにでも何にでもしてくれ…
ぎりぎりと現実を見せ続けてやるぞ。忘れられてたまるか…
そんな気もちで、日々被曝しつつ、牛の世話に通っているのではないでしょうか…

福島第一事故は被曝のデータ集めに絶好の機会だ、などと考えているわけじゃないんですよね。
泣く泣く我が身や可愛い家畜を曝すのです。
それが貴重なデータとしてのちのちのためになれば…、二度とこういうことを
起こして欲しくない…と思うからこそ。

アメリカが、広島・長崎に原爆を落として、ABCC(原爆傷害調査委員会Atomic Bomb Casualty
Commission)を厚生省の国立予防衛生研究所と共同で設置し、原子爆弾による傷害の実態を
冷徹かつ詳細に調査記録、被爆者のデータ集めをしたのとは、全く話が違います。

浪江町の人々がまず逃げていった津山も、それから飯館村も、原発の北西に位置します。
誰か、誰かちょっとでも、原発事故の怖さを知っていたら、『風下に逃げるな!』と
言えたのではなかったろうか…と無念に思うのです。

私は、11日深夜の時点で娘たちに窓をピタリと締めて換気扇を回すな、と電話しました。
3月11日頃と言えば、日によって、また時間によって、風が春一番のように南風であったり
また、冬同様北風であったり変わります。
風向きを考えろ、明日、北風が吹いているようなら外に出るな、と言い含めました。
11日夜の時点では、事故が拡大化するのかそれもどこまで行くのか、メルトダウンまで行くのか、
なんとか収束できるのか、情報もないし一切わかりませんでした。
でも、用心だけはさせました。水もためられるだけためておくように言いました。

でもね~…放射能プルームは北に向かって、それから陸から海側に出て、
海上で大きく迂回して、千葉や茨城、東京の一部、軽井沢あたり、静岡などの方へ流れ戻って
来たんですよね~~~。
どこにいたらよかったのか、どちらに逃げればよかったのか、本当のことはわかりません…
その時の風向き次第。
同じことは、日本の原発の隣接地域すべてに言えるんですよ。
あの福島の人々の悲しみを目の当たりに見ていながら、
みんなその怖さを、まだ本当には自覚してないんじゃないかなぁと思えてなりません。
東京は福島から200キロです、それでも汚染された…静岡までもね。
各原発の隣接地や、近くに何十万都市があったりするのになあ……!

とことん突き詰めて考えるとこの国の土台がぐらぐらになっているのが見えてきてしまう。
だから、目をつぶって見ない、耳をふさいで聞かない、知っていても黙って口を噤んでいる…
そういう状況に今、日本はなってしまっていますね。
考えなければ、見なければ、聞かなければ、…なんとなく一切がなかったことのように思える…
吉澤さんのように、ぎりぎりと現実を見よ!と突きつけてくる人は、敬遠されるだろうと
思います。

そして、しほさんがおっしゃるように、『保育園も開いて幼い子どもの声が聞けて良かった』
などというニュース原稿を書く報道記者が沢山いるんですよね~。
子供たちの被曝の怖れを考えたら、そんなお綺麗ごとではすまないだろうに。

しほさん。いつもありがとうございます。

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Re: 星狩人さんへ

星狩人さん^^こんばんは~♪

いえ。私も、そんなに深い意味で、大雪の記事を書き始めたわけではなかったのです。
ただ。ふと見たツィートで、今回被害が大きくてニュースにもよく取り上げられていた
北杜市と、小河内ダムの関係を知り、ダムの水底になった村々の人々が移転した先も、
そして彼等が去った村も、そして自分自身も同じ雪に降りこめられていることに
何とも言えない淡い感慨をただ抱いただけだったんです。
ところが調べて行くうちに、自分でも驚きました……
物事は、いつも奥底で繋がっている…ということが…ここにその例がある!と。

星狩人さん。
いただいたこのコメントね。私がこの記事で伝えたかったことを、本当に余すところなく
的確に掴んでくださっていて、わたし、本当にうれしいです。
コメント欄に伏せておくのはもったいないくらい。このままコピーして、本記事として
皆さんに見ていただきたいくらいです。

ああ…なんて、うまく言い当ててくださってるんだろう!!!……

> あの「大雪」から、「原発」に至りつくまでの、想像力の牽引

ああ…!私ね。この『想像力の牽引』という言葉、自分のこれからの座右の銘にしたいくらいです!
そうなの。それなの!
今の時代、欠けてるとまでは言わずとも、弱体化しているものにこの『想像力の牽引』というものが
一つある気がします。
すべてが効率重視で、人々の呼吸というようなものさえ、なんだかせわしなくなっていっているような
この時代。読書も長大重厚なものは、もう好まれず、人々の思考のスパンが短くなっていって
いるような気がするのです。
『想像力』というものも、同じように、ある事象やある他人の想いを、
想像してみないわけではないのだろうけれど、その持続力が減退している気がするのです。
ちょっとぱっと想っておしまい。(苦笑)

そうじゃないんだ。人を想う、ものを考えるということは、軽く短いスパンでばかり
やっていてはダメなんだと、私などは思うんですよ。
人の人生や、この世の諸々の問題は、『想像力をぐうっと働かせて…
そして荷駄牛のように鈍重に、ぐいいっと足を大地に踏み締めて…
泥だらけの道をどこまでも突き進んで考えていかなくちゃならないと思うんですよ。

『想像力』はまた、軽やかに飛翔するものでもあるんですね。
『想像力』の本質は、その飛翔力に本当はあるのだろう…
例えば、想像力は、居ながらにして、一瞬にして、過去の賢人たちの所へ私たちを運んでくれる。
また、遠く離れたある国で生きることの苛酷さに涙を流す少女の所へも一瞬にして私たちを連れていく……

しかし、そこで終わっていてはダメなんじゃないかと思うんですね。
なぜ、自分は、その賢人の言葉が身に沁みるのだろう…それをつなぐものはなんなのだろう…
なぜ、この少女は悲しんでいるのだろう…そうさせたものはいったい何なのだろう…

そういったように、物事のその奥底にあるものをぐうっと考えていかねばならないんじゃないかと思う。
思考のスパンをもっと息長く、しかも『力技で』やっていく必要があるんじゃないかと
このごろ頓に思うのです。
遠くにいる人の悲しみに、想像力を軽やかに飛翔させて飛んでいく。
でも、それを我が身に、そして社会全体の問題にするには、その想像力の牽引力を
働かせて、ぐいいいっと、自分の方に引き寄せなければならないと思うのです。

> 私たちは結局、なにに気づけばいいのか?
> 個々の出来事や事象を見てゆくときに、それらの時代背景もふくめて、
> 全体を俯瞰するように、上から目線で、点と点を結んでゆく糸を手探りしつつ、
> 知的な推理を働かせてみたところで、それだけでは、複雑な繋がりや共通点が、
> 見えてくるだけではないでしょうか?それも大切ですが、視点をどこに置くか。

そうそう。そうなんです。巧く言い表わしてくださるなァ!
私が、『想像力は飛翔する』というのは、そういうことを言いたいのです。
でも。一方、想像力に牽引力を働かせねばならない時もある。

> 「真実はつねに、抑圧された場所にある」
> 「逆ピラミッドの真底から見よ」
> (これらが誰の言葉なのか、いまでは記憶にもないのですが、
>  私のなかで強い印象を残し、物事の見方の指針となっています)
>
> 真実を照射する光源から映し出される光と影。それは、どれも同じ形だと思うのです。
> それに気付くためには、上から目線ではなく、社会的ヒエラルキーのピラミッドの
> 最底辺のなお下に、生き埋めにされ、見えなくさせられている人々を求めながら、
> 「構造的差別」「犠牲のシステム」の真底に、光源を置く以外にないと思います。
> それは、すでに亡くなった死者をも訪ね、その声を聴く行為であると思います。
> そうすることで、地の底に隠された伏線が、見えてくるのではないでしょうか?

> 単に事実と事実の類似性を比較したり、「点と線」を結んだだけではない、
> 彼岸花さんが、その根源まで辿られながら、照射された視野の果てにいま、
> 確固とした信念で、牛達を守って生きているのが、吉澤政巳氏であると思います。


私が、4回にわたり、しつこいようだけれど省かずに来たものは、やりたかったことは
いみじくも、星狩人さんが、ここで、この3行で書き表してくださったことそのままです!

ただ
『大雪が降りました。その被害の大きかった北杜市と東京都の小河内ダムには
思いがけない縁がありました。東京都の水がめ小河内ダムのために故郷を追われた人々と、
東京の電気のために故郷を無くしてしまった福島の人々は似ています』
と語るだけでは、ただ、点と点を、線で結んだにすぎません。線分には面積はないの。
それはただの『感慨』であって、それで終わってしまう。おっしゃるように、上からの
視線の照射でしかないんですね。

ところが、物事というものは、そんな簡単なものじゃない。その先、その奥底が
大事なんだと思うのです。物事のつながりというものを…、出来た線分を…、
さらに想像力や事実で埋めていく作業…いわば、線分に幅をつけていく、
そうして誰の目にも明らかな、面にしていく、という力技が必要なんだろうと思うんです。
その、点と点を結んだ線分にすぎないものを、面に、さらには立体にしていくのは、
個々の人間の歩んだ人生そのものだろうと思うのです。
ひとつひとつの人生を、ひとつひとつ掬い上げて、線分に色付けをし、幅を持たせて行く
地道な作業が必要だと。

慰安婦問題や南京事件を…日本軍のアジアへの侵略を…
福島第一原発事故を…
書き残した正式書類があるかどうか(そんなもの、敗戦を知ると同時に、この国の民は
上は政府から下は女衒の親爺まで、素早くことごとく焼いて証拠隠滅したということは
あちこちの証言に出ている)、正確な数字はどうだったのか、
何マイクロシーベルトだったのか、後遺症はどこに出てるんだ?
…という具合に、そんな、紙切れや数値の次元でしか考えられない人々は、
いわば、世の中の個々の出来事を、小さな小さな点でしか捉えていないのだなと思います。

> 第二次大戦の本質を明らかにするのは、そんな枝葉末節な揚げ足取りではなく、
> 「日本とドイツ、両国のファシズムと侵略戦争によって殺された犠牲者には、
>  ヒトラーも昭和天皇も同じ、戦争責任者の頂点だ」と知らしめる、真底からの照射です。
> そのためには、地獄のどん底にも飛び込み、責め苛まれる生者、亡者たちへの、
> 「Copassion(共感共苦)」が欠かせません。「愛の狂気」とも呼ばれます。
>
> その途方もない力業を通してのみ、人はようやく、従軍慰安婦というものが、
> 絶滅収容所や黒人奴隷制度と並ぶ、人権侵害だと気付くでしょう。
> 福島原発事故と水俣病、足尾銅山事件にみられる、中央と地方における
> 同質の差別構造と、その上に胡坐をかいた権力犯罪であることも、見えてきます。
> 原発と原爆が、「双子の悪魔」であることも、素直に理解できるでしょう。

ああ!…まったく、その通りなんです!

> 個別の問題を、それぞれ掘り下げてゆくのも大切ですが、結局それだけでは、
> 文書や映像の記録に残し、慰霊碑や殉難碑を立て、後代がそれを学んでも、
> 人間らしい同情や悲しみは感じるでしょうが、犠牲に感謝する倒錯に陥ったり、
> 「決して忘れません」「最後まで寄り添いたい」「二度と繰りかえしてはなりません」
> 「語りついでゆこうと思います」といった、紋切り型の締めに終わりかねません。
> 戦後日本の平和教育が、事実上、なんの成果も挙げなかったのが好例です。

それなんですよね~。
物事を数値とか紙切れ上の記録としてしか見ない人々よりは、想像力を働かせているだけ
ましとは言えますが、それだけでは、そこにとどまっていては、本当に人間のやって来たこと、
またこれからも犯しそうな間違いを真に正視したことにはならない。そのような段階に
留まっていたのでは、折角結んだ点と点を、他の色で塗りつぶされてしまうかもしれない。

『正視する』…私はよくこれを仏教の言葉を借りて『正見する』という言葉で表しますが、
物事の本質を目を逸らさずに見つめるには、本当にぐうっと腹を据えて見るという力技が必要だし、
疲れますし、悲しいですよね。
つい目を逸らしてしまいたくなる。考えることから逃げたくなる…

> ご紹介頂いた『フタバから遠く離れて』も、ぎりぎり視聴できたのですが、
> これはもう、観る者によって生かされも殺されもする記録映画だと、思いました。
> 言い換えれば、映画そのものが、観る者を選んでいるような、凄みがあります
> 声高な告発を嫌う日本人への、あれがギリギリの表現かもしれません。

私もまさに、そう思いました。
この映画を見つつ、どこで思考ストップするか…。
とことんまで突きつめて考えれば、『原発誘致を許した地元民の責任』という問題に
必ず突き当たると思います。
それは。
度重なる大飢饉や不況の風をまともにくらって、生活苦から逃れるために大陸にわたって
(その地の民の土地を収奪に近い形で手に入れて)『楽土』の夢を見た人々の責任問題と
全く同じですよね。
念場が原開拓に、自分の生涯を賭けてくれた安池興男という人は、なんと立派な人だろうと
思いますが、彼を湛える碑文に彼の好きだった言葉だという『感激の至情 楽土を拓く』
というのが刻んである、とブログ記事として書きながら、「『楽土』なあ…」と
複雑な気持ちでしたよ。『王道楽土』は満州国建設の基本理念、謳い文句でしたからね……

私も、いつも記事を書くとき、どこでペンの手を止めるのか、ということでは迷うのです。
もっと追及していけば、それこそ、弱った人々をさらに鞭打つことになりかねないからです。
自分が、そんな高みからもの言っていいとも思わない……

しかしながら、途中で口を噤み、目を閉じてしまっては、力を緩めてしまっては、
折角鈍重に坂道を力技で牽いて登って来た荷馬車が、ガラガラと、坂の下まで
また転がり落ちてしまいかねないんですね。
どこで一旦足を止めて、来し方を振り返り、回りを見回して、また道を上っていくのかは
本当に判断が難しいです。ギリギリのところでやめておくべきなのか…

私はよく、小出先生が、ごく事故後の早いうちに、『人は恐怖を持続できない』と
おっしゃったことばを折に触れ思い浮かべるのです。
本当だなあ…としみじみ感心します。
人はいつまでも恐怖やいやな事実を正見してい続けられない…それほど強くないのです。
でも、自分のこころとなんとか折り合いをつけようとする…
誤魔化しがそこに入りこみます…
権力はそのことをよく知りつくしています…

> おそろしいのは、大衆も個人も問わず、権力に服従する自己犠牲の受容です。
>
> 福島の原発立地の若い女性が、「自分達の町にある原子力発電所で、
> 東京の電気を作っていることが誇りだった」と語っているのを聞きました。
>
> それはすなわち、東京=日本の中心の栄えは、日本の栄えであるという理屈で、
> 「中央>地方」という差別構造を容認させている、犠牲の受容でもあり、
> かつて小河内村の村長が記した、「帝都の御用水の爲めの池となることは、
> 村民千載一遇の機會として、犠牲奉公の實を全ふするにあつたのである」という
> 激痛の言葉にも通底するのですが・・・これほどまでの悲壮な決意もなく、
> 明るく「誇り」言ってしまえる軽さに、私は正直、怯えてしまいました。
>
> 犠牲にされる者は、権力の理不尽な横暴を、人権侵害であるとも思わず、
> より重要な大義として示されたものへ、わが身を棄てて協力すべきことに、
> 不承不承であれ、積極的にであれ、いろんな理屈で自分を欺き、宥めながら、
> 犠牲を甘受しないのは利己的だと、自らを虐めて、結局は従ってしまう。
>
> その結果、最大の抑圧と屈辱が、彼らの中では「誇り」と「喜び」になってしまう。
> まるで「肉屋を支持する家畜」。心身の奴隷化です。赤紙一枚で黙って出征し、
> 戦死すれば靖国の英霊ですが、生き残って加害の証言でもした途端に、
> 「黙れ、ジジイ」と罵られる。原発棄民となんの違いがあるでしょうか?

そうなってしまいがちなんですよね~………
私も、小河内村村長の言葉を引き写ししながら、その、人間に起こる
自己をも欺瞞する不思議なこころの動きについて考えて溜息をついていました。
恐怖や悲惨を長らく直視していられない人間の弱い悲しいこころに、その置き換えが
いつか忍び込みます。権力はそれをよく知りつくしているから、じっくり時間をかけて
被害者自身が疲れて…疲れきって変容するのを待っているのです。
被害者が疲れ切ってしまうのを陰で促進する…そのためには何でも権力はやります。
被災者を受け入れてくれた他の自治体に、「もうこれ以上、福島からの避難民を
受け入れないでくださるように」と言った県知事は、どこの県知事でしたっけ。
『死の町』だと本当のことを言った経産大臣を、寄ってたかって引きずり下ろしたのは
どこのマスコミでしたっけ。
鉢呂経産相は、子供たちの被曝許容量を年間1ミリシーベルトとすることを
閣議決定しようともっとも誠実に動いていた人物でした!

笑っていれば放射能の影響は少ない、などという非科学的なことを言う学者は、
福島で重用され、福島第一が全電源喪失するようなことがあったら大変なことになる!
と国会で訴え、質問状を出した共産党吉井議員の訴えを2006年に握りつぶした
当時の総理大臣を、この国の民は再び選挙で大勝ちさせてしまいました!!!

人間の弱いこころは、むしろ、一番選んではいけないものを選択することがありますね…

> しかし、かつてあった「人間解放」の思想も運動も、いまはもうありません。
> 逆ピラミッドの真底にいても、不当であるとも、痛いとも痒いとも思わぬほど、
> 人の心はスマートに調教され、売買され、麻痺させられてゆくものです。
> そして「服従」するとき、人は、不思議な幸せと満足感を味わいます。
> 抵抗をやめ、従うだけで済むなら、責任という重荷からは解放されますから。
> このやりきれない「人間崩壊」は、今後も加速度的に強まってゆくでしょう。
> あれから、どれほど多くの人々が、「もう騙されないぞ」と決意したことか。
> しかし、それもだんだんと、緊張のタガが外れてきましたね。
> 結局は「騙された」「自分たちは被害者」という、自己免罪だったのでしょうか。
> 「騙された」のなら、騙された者のなすべきことは、騙した者の責任を追及すること、
> そしておのれの無知と怠惰から、二度と騙されないことに尽きるでしょう。

私ね。『希望の牧場』の吉澤氏は、『憤怒』を捨てないからすごいなあ、と思うのです。
小出先生の言うごとく、ひとは恐怖し続けることも出来ないのと同様、怒り続けることも
なまなかな覚悟ではできません。
彼の怒りの強さは、父君からの二代にわたる怒りや悲しみをその身に集めているからでしょうね。
本当に、吉澤氏という一人の中に、日本の歴史が集約されている気がしました。
そんな、なんというかなぁ…ただものならぬ気配を黙って立っていても感じさせる人でしたよ。

私も、『氏の生涯をかけた抗議と、憤りの言葉は、渾身で受け止めたい』
本当にそう思います。

> 人は学ぶことで事実を追体験できますし、想像力によって参加できます。
> 私たちにとって必要なことは、個人の体験や知識の有無に関係なく、
> 歴史という大きな奔流に、ただ流されたり、傍観するのではなく、
> わが身という一人(いちにん)のなかに、人間の歩んできた歴史を刻んで、
> それに自ら参入し、新たに創造してゆくという、責任ではないでしょうか?
> それが、吉澤氏のなさっておられることだと、私は受け留めます。

…ああ…!
いいこと書いてくださるなぁ!

私などね、こんなブログの片隅で、怒ったり黙り込んだりしているだけの存在ですが、
自分が今できることは、めいっぱい考えること、歴史を勉強しなおすこと…
そう思って、これからも出来るところまでやっていってみようと思っています。

> 真実を、これからも、どれほど気が滅入ろうとも、丁寧に照射してゆきたいです。

ほんとね……すごく気が滅入りますけれどね。(笑)
私の言いたいことを、私以上に的確につかんでくださって、本当にありがとう。
実は、この記事、まだ続きがあります(笑)。
そこで、騙されたと言っている側の責任はなかったのか、という難しい問題にも
触れられたらいいな、と思っています。



Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。^^
いえいえ、とんでもない。
私も常々、ふと夢想することがあるので、鍵コメさんにそんなふうに言われて
嬉しかったです♪
もっともっといいものを実際に見て経験積まないと自分の感覚など
あてにならないですが!(笑)

数年前うちの近くに古書店がある日出来ましてね。
へえ、と思って入ってみると、店主が愛想悪いんですよ~。
私と同い年くらいかな。むす~っとしてて『いらっしゃい』とも言わない。
まあ私は、洋服屋さんでもどこでも、店の人に声かけられて、うるさく商品勧められるのが
嫌いで、勝手に見ていたいほうなのでそれはまあ、いいんですが、
『お!こんなのがあった!』と思って本棚から取り出してると、奥からじいっと
こっちがどんな本手に取るか観察してたみたいで、
「それはちょっと高いです」とか、言いやがるの!(笑)
また、平台に積み重ねてある本にいいのがいっぱいあったので、タイトルだけ
体斜めにして見て行っていると、「そこのは稀覯本ばかりで、まだ値段も付けてないです」
と、また言いやがるの!(爆)
まるでこちらが本に値しない、というような物言いなのよ。お前にその本の価値がわかるか、
みたいな、ね。
頭に来たけど、いい本があるので、それからも行っているうちに仲良くなっちゃったの~!(笑)
私とやはり同い年だった。私の手に取る本がいつも気に入っちゃうみたいでね。
次行くと、「こんなのありますよ」と出してくる。
欲しいのいっぱいあったけれど、高くて手が出ないのが多かった。
装丁がガラスでしてある珍しい本とかね。
そこで、え~と、日本の昔の洋画のね、「望郷」「天井桟敷の人々」「第三の男」
「禁じられた遊び」「大人は判ってくれない」など数多くのポスターを手がけた
野口久光という映画界じゃ有名な人がいるのですが、その人の画集とか、植草甚一の
蒐集品などいっぱいのってる大型図録とか、横尾忠則画集とか買ったかな。
でもね、しばらく訪ねないでいて、ある日行ってみたらお店辞めちゃってた!(笑)

私は結局最後には仲良くなれたけど、ああ、最初無愛想で客を見下してるというか、
自分とこの本をお前になんか売るもんか!というような態度では、そりゃ商売に
なりませんよね!(笑)

私がお店やったら、そんな見下すような態度とかはもちろん絶対しないけど、
自分の商品が気に入ってて、『それ売りたくないんですよ~~~…』というのが
おそらく顔に出ちゃうだろうな(爆)
例えば、お雛祭りのあずさの所で出てきた、スキー毛糸の『スキー坊や』とか、
仕入れてきたら、絶対売りたくないですもん!
誰かお客さんが手に取ったら、『ああっ!それは!!!』とすがるような眼つきすると思う(爆)。
きっとあの古書店主もそんな気持だったんだろうな。^^
結局、とてもいい人でした。
もう一度会いたいな…
足跡をたどって、名字までつきとめたのですが、それ以上わからなかった……



知らないことばかり…

彼岸花さん、丁寧にお答え頂きました。
ありがとうございます。

希望の牧場、吉澤氏の個人史が導いてるのでしょうか?
屈しない強さの根源を感じました。
知らない事ばかりでした。

放射性物質の影響を大型動物で実験する訳にはいかないはずなのに
東京電気福島第一原子力発電所の爆発が期せずして実験の場を作りました。
これを研究にと考えるのは無理の無い話だと思います。
殺処分の方に違和感を覚えました。
被曝した子ども達の治療にも有益な研究だとも思いました。

浪江町の北西に津山がありますね。
早川マップではどちらも真っ赤です。とても濃い赤に塗られてます。
4/1田村市が避難指示解除されました。
滝桜で有名な三春の東に位置してます。
早川マップでは緑色です。
保育園も開いて幼い子どもの声が聞けて良かったとニュースで言ってました。
そんなニュース原稿を書く報道記者が沢山いるんですね。

はい、東京の西の方は飛行機が良く飛んでるのを目にしてます。
前、前都知事がよく東京の空を米軍に取られてると言ってたのをおぼえてます。
こちらもこのところよくヘリコプターが編成を組んで毎日飛ぶようになりました。
見事な編成です。
大切な税金ですからあまり飛んで欲しくないと思ってます。

No title

彼岸花さん^^ こんばんは。

『大雪と原発』4部作。彼岸花さんらしい、読みごたえのある力作ですね。
問いかけられた内容の重たさに、沈黙するほかありませんでした。
何度も繰り返し、読ませていただいています。

2月のあの記録的な大雪の夜、私もふつふつと沸きあがる怒りをこめて、
ツイッターのTLを睨み付けておりました。おそらくそこには、
彼岸花さまが目を留められたツイートも、流れていたはずです・・・
しかし私はなにも気付かないまま、おそらく読み飛ばしてしまった。

関東甲信越の地名は、ほとんと馴染みのないものばかりです。
清里高原、八ガ岳高原鉄道以外は、イメージすらわきません。
ましてそんな歴史があったこも、まったく知りませんでした。
しかしそれは、なんの言い訳にもならないでしょう。
当事者意識のない無関心こそが、見て見ぬ無責任に繋がるのですから。

お住まいの街を貫く国道を辿りながら、東京の電力供給地ならぬ、
同じくらい重要な東京の水がめを・・・時代を遡って訪ねられながら、
そこに見たものは、いまにいたるまで、日本の繁栄のという大義ために
「棄てられ、破壊され、犠牲にされた、無数の命」だと思います。
しかしその繁栄も、2011.3.11を境に、崩壊してしまいましたが。

>記録にないような大雪に覆われた町々……
 日本の大陸への侵略戦争も、日本のダムや橋梁やトンネル工事などのために
 強制的・半強制的に日本に連れて来られて、異郷の地で死んで行った
 朝鮮半島や中国の人々も、大都市東京の水のために水底に沈んで行った村も
 そこから雄々しく力を合わせて立ち上がった人々も、
 同じように東京の電気のため結果的に、故郷の地…
 住む家も仕事も、中には生きる目的まで、失ってしまった福島の人々も……
 これらは皆、同じ一繋がりの物語なのではなかろうか?
 
そうなんですね。あの「大雪」から、「原発」に至りつくまでの、想像力の牽引。
あんなこと、こんなことを、「個々の時代」の「個々の特異な事象」として、
つまり今の自分とは関係ないと見て、大丈夫だと安心している限り、
ふたたび同じことは繰り返される。それは歴史の必然でしょう。

チェルノブイリを超える原発事故が、日本で起こるなんて、「ありえないこと」でしたし、
昨年、伊豆大島では台風の被害で、多数の方が犠牲になられましたが、
そのとき山梨の方々は、半年もしないうちに、大雪の自然災害に襲われるとは、
やはり想像もできなかったことでしょう。やりきれないことですが・・・

あるいは、袴田事件はどうでしょうか?死刑宣告を受けた袴田氏は、
事件から48年間獄中にあった。私は今年48歳になります。
また、すでに死刑が執行された、飯塚事件はどうでしょうか?
ある日突然、わが身におなじことが起こらないとは、断言できない。
彼らに起こったということは、わたしにも起こるという意味ですから。
しかしそんな「マイナス思考」は、忌み嫌われ、排斥されるだけです。

ではどうでしょうか?私たちは結局、なにに気づけばいいのか?
個々の出来事や事象を見てゆくときに、それらの時代背景もふくめて、
全体を俯瞰するように、上から目線で、点と点を結んでゆく糸を手探りしつつ、
知的な推理を働かせてみたところで、それだけでは、複雑な繋がりや共通点が、
見えてくるだけではないでしょうか?それも大切ですが、視点をどこに置くか。

「真実はつねに、抑圧された場所にある」
「逆ピラミッドの真底から見よ」
(これらが誰の言葉なのか、いまでは記憶にもないのですが、
 私のなかで強い印象を残し、物事の見方の指針となっています)

真実を照射する光源から映し出される光と影。それは、どれも同じ形だと思うのです。
それに気付くためには、上から目線ではなく、社会的ヒエラルキーのピラミッドの
最底辺のなお下に、生き埋めにされ、見えなくさせられている人々を求めながら、
「構造的差別」「犠牲のシステム」の真底に、光源を置く以外にないと思います。
それは、すでに亡くなった死者をも訪ね、その声を聴く行為であると思います。
そうすることで、地の底に隠された伏線が、見えてくるのではないでしょうか?

>福島第一原発事故への国や電力会社の対応を『棄民』だと言いきって、
 自らも牛たちと共に『被曝の生きた証人』となって
 生涯をそのことの告発と闘いにすごす道を選んだ吉澤正巳氏。

単に事実と事実の類似性を比較したり、「点と線」を結んだだけではない、
彼岸花さんが、その根源まで辿られながら、照射された視野の果てにいま、
確固とした信念で、牛達を守って生きているのが、吉澤政巳氏であると思います。

他にもいろんな例が挙げられますね。大日本帝国とナチスドイツは、
戦争の同盟国ではありましたが、もちろん同じ国ではありません。
戦争犯罪において、ドイツと比較されるのを好まぬ人々が、
日本にはナチスという政党もなければ、ヒトラーのような独裁者もいなかったし、
ひとつの民族を絶滅させるためのガス室も存在しなかった、と繰り返しますが、
そんなことは言われるまでもなく、誰にでも分かり切ったことです。

第二次大戦の本質を明らかにするのは、そんな枝葉末節な揚げ足取りではなく、
「日本とドイツ、両国のファシズムと侵略戦争によって殺された犠牲者には、
 ヒトラーも昭和天皇も同じ、戦争責任者の頂点だ」と知らしめる、真底からの照射です。
そのためには、地獄のどん底にも飛び込み、責め苛まれる生者、亡者たちへの、
「Copassion(共感共苦)」が欠かせません。「愛の狂気」とも呼ばれます。

その途方もない力業を通してのみ、人はようやく、従軍慰安婦というものが、
絶滅収容所や黒人奴隷制度と並ぶ、人権侵害だと気付くでしょう。
福島原発事故と水俣病、足尾銅山事件にみられる、中央と地方における
同質の差別構造と、その上に胡坐をかいた権力犯罪であることも、見えてきます。
原発と原爆が、「双子の悪魔」であることも、素直に理解できるでしょう。

しかし、それから目を逸らさせるために、放射性物質と有機水銀と、
銅山の鉱毒の違いを、専門家にこんこんと説教させるとしたら・・・
(わたしたちが日々聞かされているのは、まさにそんな言説ですから)
そこにはどんな心理、そしてどんな権力意思が働いているのか・・・
そうやってなにを守り、なにを棄てようとしているのか、知らなければなりません。

個別の問題を、それぞれ掘り下げてゆくのも大切ですが、結局それだけでは、
文書や映像の記録に残し、慰霊碑や殉難碑を立て、後代がそれを学んでも、
人間らしい同情や悲しみは感じるでしょうが、犠牲に感謝する倒錯に陥ったり、
「決して忘れません」「最後まで寄り添いたい」「二度と繰りかえしてはなりません」
「語りついでゆこうと思います」といった、紋切り型の締めに終わりかねません。
戦後日本の平和教育が、事実上、なんの成果も挙げなかったのが好例です。

ご紹介頂いた『フタバから遠く離れて』も、ぎりぎり視聴できたのですが、
これはもう、観る者によって生かされも殺されもする記録映画だと、思いました。
言い換えれば、映画そのものが、観る者を選んでいるような、凄みがあります。
声高な告発を嫌う日本人への、あれがギリギリの表現かもしれません。

しかし権力の横暴というものは、いつの時代も変わらず、比較的目に見える。
おそろしいのは、大衆も個人も問わず、権力に服従する自己犠牲の受容です。

福島の原発立地の若い女性が、「自分達の町にある原子力発電所で、
東京の電気を作っていることが誇りだった」と語っているのを聞きました。

それはすなわち、東京=日本の中心の栄えは、日本の栄えであるという理屈で、
「中央>地方」という差別構造を容認させている、犠牲の受容でもあり、
かつて小河内村の村長が記した、「帝都の御用水の爲めの池となることは、
村民千載一遇の機會として、犠牲奉公の實を全ふするにあつたのである」という
激痛の言葉にも通底するのですが・・・これほどまでの悲壮な決意もなく、
明るく「誇り」言ってしまえる軽さに、私は正直、怯えてしまいました。

犠牲にされる者は、権力の理不尽な横暴を、人権侵害であるとも思わず、
より重要な大義として示されたものへ、わが身を棄てて協力すべきことに、
不承不承であれ、積極的にであれ、いろんな理屈で自分を欺き、宥めながら、
犠牲を甘受しないのは利己的だと、自らを虐めて、結局は従ってしまう。

その結果、最大の抑圧と屈辱が、彼らの中では「誇り」と「喜び」になってしまう。
まるで「肉屋を支持する家畜」。心身の奴隷化です。赤紙一枚で黙って出征し、
戦死すれば靖国の英霊ですが、生き残って加害の証言でもした途端に、
「黙れ、ジジイ」と罵られる。原発棄民となんの違いがあるでしょうか?

しかし、かつてあった「人間解放」の思想も運動も、いまはもうありません。
逆ピラミッドの真底にいても、不当であるとも、痛いとも痒いとも思わぬほど、
人の心はスマートに調教され、売買され、麻痺させられてゆくものです。
そして「服従」するとき、人は、不思議な幸せと満足感を味わいます。
抵抗をやめ、従うだけで済むなら、責任という重荷からは解放されますから。
このやりきれない「人間崩壊」は、今後も加速度的に強まってゆくでしょう。

時は4月、入学・入社の季節です。子供たち若者たちが、
ますます拡大する格差社会のなかに、組み込まれてゆく姿を見ながら、
この子たちが、10年、20年後には、どんな屁理屈と言い訳を使い回しながら、
いまある恥ずかしい大人たちそっくりになるのかと思うと、暗澹たる気持です。
(むかしは、国鉄のストで学校が休みになったりして、嬉しかったものですが)

>ある時代にある場所で起こったことは、別の時代に別の場所でも
 起こり得るのだということを、肝に銘じて忘れないようにすることだ。
 ある人に起こったことは(たとえば思いがけない雪中での遭難など)、
 我が身にもいつか起こりうることかもしれない、という危機意識を持つことだ。

あれから、どれほど多くの人々が、「もう騙されないぞ」と決意したことか。
しかし、それもだんだんと、緊張のタガが外れてきましたね。
結局は「騙された」「自分たちは被害者」という、自己免罪だったのでしょうか。
「騙された」のなら、騙された者のなすべきことは、騙した者の責任を追及すること、
そしておのれの無知と怠惰から、二度と騙されないことに尽きるでしょう。

>福島に起こった悲劇が、いつか他の原発近くの街で起きないと、
  誰が一体保証してくれるのだ?

そうです。さらに追及すれば、原発で起こった悲劇が将来、
風力や太陽光、その他でも起こらないという保証は、どこにもないのです。
にもかかわらず、新エネルギーに未来を託す、度し難い脳天気さ、無責任さ・・・
その愚に陥らないためにも、彼岸花さんが示された、問題意識は欠かせません。

それを阻んでいるものは、もちろん権力による、人心懐柔も大きいでしょうが、
それ以上に、歴史に学ばぬ日本人の精神の堕落が、元凶だと思います。
ただ善良で、心優しく、それでも人を信じ、愛し、赦し、希望を抱いてしまう人々。
赦されることも、償うこともできない罪の深さを、一度でも思い知るべきなのに。
奇跡的でもあった経済大国の、過去の栄光と自信とプライドから抜けきれず、
海と日本語の壁に囲われた放射能列島で、相変わらず日本、日本、日本・・・
ネトウヨならまだしも、リベラルに多いのだから、唖然とさせられます。

「希望の牧場」の吉澤正巳氏。私は・・・苦渋の思いなのですが、
吉澤氏のなさった選択が正しいことなのか、いまなお答えが見出せません。
いかなる理由であれ、あれほど汚染された土地に、本人の意志であっても、
人間が居住すること自体、あってはならないことだと考えるからです。
しかし氏の生涯をかけた抗議と、憤りの言葉は、渾身で受け止めたいと思います。

>満州からの引き揚げと開拓と、しほさんがおっしゃる成田空港のことと、
 原発事故が、この人一人(いちにん)の体の内で
 全部が一繋がりになっているのです……

この事実は重たいです。なぜならそこに、
個人の体験を超えた、歴史を生きぬく「にんげん」がいるからです。

一般人には、一生涯に、これほど多くを体験できる機会もなければ、
一人にできることも限られているますしかし、そのことは重要ではない。
人は学ぶことで事実を追体験できますし、想像力によって参加できます。

私たちにとって必要なことは、個人の体験や知識の有無に関係なく、
歴史という大きな奔流に、ただ流されたり、傍観するのではなく、
わが身という一人(いちにん)のなかに、人間の歩んできた歴史を刻んで、
それに自ら参入し、新たに創造してゆくという、責任ではないでしょうか?
それが、吉澤氏のなさっておられることだと、私は受け留めます。

>これらは皆、同じ一繋がりの物語なのではなかろうか?
 そうして私自身もその一繋がりの物語の中のどこかに
 臍の緒のようなもので繋がれている、小さな登場人物なのではないのだろうか?

私たちの地位や能力や給料の大小などは、なんの関係ない。
そんなものの上に胡坐をかいていては、絶対に見えない真実を、
これからも、どれほど気が滅入ろうとも、丁寧に照射してゆきたいです。

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Re: しほさんへ

しほさん。こんばんは♪

そう。吉澤さんは当初餌やりのために警戒区域に入ったということで、
何度も始末書を書かされているんですよね。
しほさんはなんでもよくご存じでいらして、そして行動してらっしゃいますね。
私も少しずつでもカンパしたいなと思います。
私もいつもデモに行くと、カンパしたり本を買ったりバッジ買ったり、
何らかの形で運動に協力したいと思ってそうしていますが(いつも結構出費なのです。^^)
全体的な組織にお金出すのでなく、このように目的のはっきりしているカンパというのも
いいのかなと思いますね。
少しずつでも継続的に、というのも大事だなと思わされます。私もしほさんに見習おう。
吉澤さんは、命を賭けていますね。半端じゃない。
なにか、はっとするほどの緊張感を総身に漂わせていらっしゃいました。
この記事を書くにあたり、氏のことを少し詳しく調べていて、ようやく
あの怒りの激しさの質が理解できた気がしました…

満州からの引き揚げと開拓と、しほさんがおっしゃる成田空港のことと、原発事故が
この人一人(いちにん)の体の内で全部が一繋がりになっているのです……

そのことはまた、少し先の記事で書きたいと思っていますが、
成田空港の歴史、少しだけここで書かせていただきますね。

1960年代、日本が繁栄して来て海外への人・物資両方の空輸の
需要が大きくなるにつれ、羽田空港だけではとても賄いきれないことがわかってきました。
本当は羽田を拡張出来れば一番よかった。
でも、いくつかの理由で、羽田の拡張は諦めて、東京以外のところに新国際空港を
作ることになり、千葉がその候補地になったのです。
最初は、当時の自由民主党副総裁で「政界有数の実力者」と言われた川島正次郎の地元の
千葉県富里村が建設予定地とされたのですがいろいろな理由で見送られて、今の成田の
地が候補になったのです。その後の成田闘争のことなどはご存じでおいでのことと
思います。
吉澤さんが空港建設反対運動に若き日加わっていらしたということは、
きっと父君が満州開拓からの引き揚げ者でいらして、ソ連に抑留もされ、国策によって
さんざんな目にあった…
父君と同じように、三里塚の地に入植した農民たちがいたわけですね。
ようやくの想いで帰国して土地を得て必死に開拓なさってようやく生活にめどがついたとき、
まあた、農民たちにはなにも知らされず、空港建設が頭越しに決められて、『空港作るから
立ち退け』と言われる……
彼が成田闘争に飛び込んで行ったのは、他人事ではなかったのでしょうね。

そうして。
さらに広い牧場を求めて、お父さんの作った牧場から、浪江町に移転して、
それが軌道に乗ったと思ったら、今度は福島第一原発事故ですもの……!
国策というものに、どれほど翻弄されたか…国へのその怒りは想像を絶します……

羽田がなぜ、その当時、拡張できないと判断されたのか。
今、出来ていることがどうして当時できなかったのか。
一つは、しほさんがおっしゃるように、美濃部さんが基本的に騒音問題などから
いずれ羽田空港の規模縮小を考えていた人であった、ということは影響したかもしれません。
でもそれよりは、当時の港湾技術では、埋め立てをして滑走路を増設する力がなかったことが
大きな理由の一つだったそうです。今では出来ることが、当時の技術ではできなかった…
それから、東京湾で仕事をする漁業関係者や運輸船舶の業界から苦情が来て、
折り合いがつかなかったことも大きな理由でした。船の出入りと航空路の調整が
難しかった…
そうしてもう一つ。東京の上空は米軍の管理下にあることはご存じでいらっしゃいますよね。
東京近郊には、米軍横田基地や厚木基地があって、東京の上空は日本の民間機は通れません。
それで、関西などから羽田に飛行機が来るときは、まっすぐ羽田に向かうのではなく、
海上を伊豆七島の方へ大きく迂回して、千葉の方から羽田に入る。
羽田を拡張するに際しては、米軍との折り合いもつけなければならなかった……

私の住む東京郊外の街の上空は、米軍機がよく通るのです。
今日もちょうどね。大きな爆音がするので空を見上げたら、大きな米軍機が(なんというものか
知らないけれど)二機続いて、割合低く我が家の真上を飛んでいきました。
…なんとなくいやなものです…
このところ、よく米軍機の航行を目にするのですが、北朝鮮の挑発とか、
米韓の共同訓練とかあって、米軍の動きが活発化してるのかしら、となんだか
いや~な感じです。

日本の空であって、日本の航空機の自由な航行が出来ないなんて。
そして、有事の際には、横田や厚木から米軍の物資の供給はもっともっと
活発になって、あの黒っぽい米軍機が、我が家の真上を頻繁に飛び交うんだろうなあ。

私たちは、自分たちの国で何が行われているか、実は本当になんにも知らないですね。
わかったときにはもう遅い!ということが本当に多いです。
私なども、若い頃政治にあまり興味なく、自分が生きて来た時代の数々のことを
知らぬまま来てしまいました…

清里はいいところみたいですね~~~。
列車で一度通ったことがあるだけ。ゆっくり行ってみたいところです。
シャーリー・マクレーンは、私の大好きな女優さんの一人でした。^^

しほさん。いつもありがとうございます♪


希望の…

おはようございます。
希望の牧場 気になってます。
代表の方は警察に何度も出頭させられて、日本に唯一ある放射能被曝治療出来る病院で被曝量を計られてますよね。
毎月、コーヒー一杯分の寄付をしてます。
続けるのが一番と思ってます。

…原発さえなければ…

この新聞記事はよくおぼえてます。
衝撃的でした。新聞でもっと取り上げていい事件です。
残された遺族が訴訟を起こしていたと思います。

清里の記事と最近封切りになった映画が結びつきました。
シャーリーン・マクレーンの名前を聞いてその娘サチ・パーカーが思い浮かびました。
サチ・パーカーのきれいな日本語は日本びいきの母のおかげ。
日本を愛してくれる人がここにいました。
サチ・パーカーは梨木香歩の「西の魔女が死んだ」ではおばあちゃんの役柄を演じてます。
「西の魔女が死んだ」のおばあちゃんの家が清里に大切に残されてるそうです。
ようやく結びつきまでいきました。

成田空港は何故造られなくてはならなかったのでしょうか?
羽田空港の方がずっと都会近く、新幹線を組み合わせたら最強の大量輸送機関になります。
騒音公害と美濃部都政がブレーキをかけたのでしょうか?
羽田空港が盛り返してる様子を聞くにつけ 成田 の存在理由が分からなくなります。
何故千葉が標的にされたのでしょうか?
自分の生きた時代の出来事の意味が分かりません。

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは。
あ、それ!
私も時々やります!
コメント管理のページで、自分の書いたコメントの返事、書きなおして
もとのを棄てようとしていて、いただいたコメントを消してしまう、というミスを
私、時々やってしまいます。^^

どうかお気になさらないで下さ~い♪
そちらに伺いま~す!^^

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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