『放射性物質を可視化する』

映画監督黒澤明は、人間が原子力を完全に制御できると思うことの愚かしさを
オムニバス映画『夢』の中で映像化した…
1990年公開の日米合作映画。
この中の『赤冨士』という短編がその問題の一編である。

『大勢の人々が逃げ惑っている。何があったのかわからない。
目の前では赤く染まった富士山が大噴火を起こしている。原子力発電所が爆発したという。
目の前に迫る色のついた霧は着色された放射性物質であった…。(Wikiより)』


映画の中では、どこの原発とは言わないが、『6基ある原発が次々に爆発した』という
セリフがある。
映画が作られた時点で6基既にできていたというと、福島第一原発を指しているということに
なるかもしれないが、富士に近いというと、6基という数にこだわらず、浜岡原発が
黒澤監督の心にあったのかもしれないな……

6基の原発が次々に爆発して、富士は真っ赤に染まっている…
人々がその鬼気迫る光景の中を逃げ惑っている…
どんなに逃げ惑っても、狭い日本、逃げるところはない…
放射能の恐怖に駆られた人々は、次々に海に飛び込んで行く……

人々が避難の荷物だけを残して消えた荒涼とした富士の裾野に、赤や黄色の煙のようなものが
流れて行く。

ひとり、原子力ムラの人間とおぼしき男が居て(井川比佐志が演じる)、
『赤いのはプルトニウム239、黄色いのはストロンチウム90、紫色のは
セシウム137…』と名をあげて、その毒性を説明していく。
そして、自分にもこんなことを起こしてしまった責任があった、と言って、彼も
海に飛び込んでしまうのである…

映画の中では、放射線が見えないのが困るので、技術開発してそれぞれの核種に
色をつけることに成功したという設定になっている。

黒澤のこの『夢』という映画。『七人の侍』などの名作に比べ、あまり繰り返して見られる
作品ではないが、私はこの中の短編『桃畑』『トンネル』などはとても好きである…
しかし、この『赤冨士』は、福島第一の事故が起きた後で見るのは辛すぎる!!……

断わっておくが、原子力発電所の苛酷事故を扱っているのに、放射能に色がついているとか、
皆が被曝を恐れて海に飛び込むとか、今見るとあまりにも生々しくまた非科学的な
映画であると批判する人もいるかもしれないが、これは『夢』の話であるので、
そこのところはお汲みとり願いたい…
各話は、漱石の『夢十夜』に倣って、「こんな夢を見た」というナレーションで始まる。

それよりも、福島の21年前、チェルノブイリ原発事故の4年後にこの映画が出来ていることを
考えれば、黒澤明という傑出した日本の監督が、どんな警告の意味をこめて、この
救いのないエピソードを映像化したか、というその想いを汲みとってもらいたい。
この映像は、今となっては福島の方々に見せるにはあまりにもひどすぎる場面がある…。
それでも。それでも敢えて。




この映画の21年後、2011年3月11日…。
福島第一原発が全電源停止で冷却出来なくなったと聞いたとき、
私はどんなに、「ああ、放射性物質にあの黒澤の『赤冨士』のように色がついていたなら!
…せめてプロパンガスのような臭いがあったなら!」と思ったことだろう!

…そうすれば、今、福島の地で、見えない放射線に怯えながら、じっと家に退避している人々…
それから、取るものも取りあえず車やバスや或いは歩行でどこかに逃げて行こうとしている人々が
せめて、その色や臭いのついたプルームから遠くへ遠くへ…風下にではない風上に逃げることが
出来ようものを!と、考えたのである……

しかしながら、現実の放射線は見えない。臭いもない。
人々の一部は風下へ…飯館村などのある北北西へと逃げ落ちて行ったのだ…!
そうして多くの人々が、しなくてもいい余計な被曝をしてしまった…


              ***

さて。
ここにこんな展覧会があった…
ここを訪れてくださるしほさんが教えて下さった情報。
私も気づいてはいたのだが、このところ体調に自信がなかったりして、一昨日28日までの
その展覧会に行かずにしまった。

『放射線像』という展覧会。
http://www.autoradiograph.org/

『概要』のところから4月23日の記事に行ってくださいね。
展覧会の説明をお借りしよう。

『音もなく、臭いもなく、目にも見えない放射能という脅威を、私たちは福島第一原発事故以来、
常に感じ続けてきました。
我々はこの2年間、強度に汚染された土地を中心に、動植物から生活用品まで
さまざまなものをサンプリングし、オートラジオグラフィー(放射線像)という手法で
放射能の可視化を行ってきました。
この放射線像によって、放射能汚染を視覚的に認識をすることができます。
今回の展示を通して、多くの人に放射能汚染の実態を知っていただき、福島に限らず
フォールアウトを受けたすべての土地がどのように汚染されているのか、
想像を膨らませていただけたらと思います。
                              加賀谷 雅道 』


何と、オートラジオグラフィ―という方法を使えば、放射線を可視化出来るのである!
福島第一事故で被ばくした飯館村のカエルやヘビやきのこや針葉樹の葉っぱなどの生物や…
また、軍手、長靴などの無生物もこれにかければ、その汚染された箇所がはっきり見えるのである!

この展覧会に科学的援助をした、東大名誉教授、森 敏氏のブログを合わせ読むと、
もっとこの試みがくっきり見えてくるかもしれない。
私が行きそこねて、しほさんが見て来てくださった展覧会場の様子もここで見ることができる。

http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1858.html

フランスの主要新聞『リベラシオン』に紹介された、汚染された魚、ヘビ、モミジ、箒やはさみの放射線像。

http://moribin.blog114.fc2.com/blog-entry-1842.html


新聞記事だから、一部引用してもいいかな。

放射線像


黒く写っているところが、放射能汚染されているところである…

東京での展覧会は終わってしまったが、これから日本や世界の各地で展覧会が
開かれ、本の形ででも多くの人が見られるといいなと思っている。

そしてさらにこの技術が進んで、今、作業員や子供たちなどが放射線量を日々測っている
線量計に、この放射線を可視化出来る装置が内蔵されるようになるといいなぁと思う。
そうすれば、少しでも放射線量の高いところは避けて暮らすことの役に立つ。
(ああ。こんなことを私が言うのもそもそもなんと無神経なことか!
子供たちが放射線量を測るなどというそんな状況自体が、ほんとうはあってはならない
ことであったのだ!!!)

そうして、それが出来たら、真っ先に総理大臣と東電および電力会社上層部の人間たちと
原発をこの期に及んでまだ推進したがっている政治家、経済人、インチキ学者、…
そういう人らにその線量計をつけてもらって、まっ黒黒に可視化されて見えるであろう
福島第一の建屋に入ってもらおうじゃないか!!!


子供たちを守るためには、安心して家族揃って避難出来るような方法を、
資金面、親の仕事、老人たちの安心など、生活の基盤全般にわたって
国と東電、県…いや、日本国民全体が真剣に考えて、すぐにでも手を打たなければ!
昨日発表された福島県の調査によれば、
福島の被災者の半数近い48%の家族が、一緒に住めなくて家族解体の危機に陥っている…
そうして、70%近くが、身内に何らかの心身の不調を訴えている者を抱えているという…

私が事故後、こころの内で考えていたこと…
でも、故郷を離れがたいとりわけご老人達の心情を慮って口にできなかったこと…

それは、除染などという誤魔化しをいつまでもしているのをやめて、福島の一部は
もう帰還できないほど汚染されたしまったのだという現実を直視し、
その除染などで無駄にするお金を、各世帯に後の生活を保障できるだけの金額としてお渡しして、
新天地で家族揃って暮らしてもらう方がいのではないか、ということであった。










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Re: 時々鍵かけるの忘れる鍵コメさんへ。^^

楽しい連休だったようでよかったですね~~~♪
5日に私は音楽祭を楽しんできました~~~♪
来年は、カメラばっちり準備怠りなく行くぞ。(笑)

荷物、楽しんでいただけたようでよかった。^^
可愛いお声がなによりです。こちらまで楽しくなってにこにこしちゃいます♪

明日、直接お電話して、例のものなどお送りします~。
楽しいお便りありがとう~~~♪


Re: 歌びとの鍵コメさんへ

今日は東京は、素晴らしい初夏のような日差しと風です。
こんな日はそぞろ旅ごころを誘われます。

鍵コメさんは今どこあたりかな~~~。

いい旅、いい出会いを。^^

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Re: しほさんへ

しほさん。こんにちは~♪

> べん・シャーンの絵に詩を書いたアーサー・ビナードさんの絵本持ってます。
> サイン入りです。
> 宮沢賢治の雨にも負けずを英訳したのも持ってます。

あ~っ、そうなんですか~?
しほさんもアーサー・ビナードさん、お好きでいらっしゃるんですね。
私も、10年近く前だったかな『日々の非常口』という彼のエッセイを朝日新聞の連載で
読んでいて、それ以来のファンなんです。
彼が東日本大震災に心を寄せ、原発反対運動もしてくれていることで
ますます好きになりました。
これほどまっすぐな人は少ないんじゃなかろうか、と思っています。

ベン・シャーンの絵にアーサー・ビナードが詩を加えた…
サイン本お持ちなんですね~。いいな。見せて欲しいです~。^^

しほさん。ありがとう~~~♪


Re: 玄少子さんへ

玄少子さん。こんばんは。
おお。玄少子さんはどうしてそんなに水爆実験や第五福竜丸についての芸術について
お詳しいのだろうと思っていましたが、集中的に追及して勉強したことがおありなのですね。

世界には本当に大きな矛盾がたくさんたくさんありますね。

第五福竜丸と久保山愛吉さんの死は、世界の多くの人々に衝撃を与え、
そのような芸術作品も多く生まれました。
しかし一方、広島・長崎の被曝者に対しては、今でもアメリカの政治家から
一般人までの多くが、『あの2発の原爆が、日本の戦争続行を諦めさせた。
結果的に多くのアメリカ人兵士が戦争長期化のため無駄に命を落とすことを防いだ』と
考えているのですよね。
一人のひとの死には涙を流しても、顔の見えない何十万の人々の死は、
戦争をやめるために必要なことだった、ということにされてしまう……

日本の側から今度は見て見ると、そうやってアメリカが日本の民間人を
原爆で殺戮し、また空爆によってこれもまた無差別に何十万という人を殺したことを
許せないと思う。
ところがその一方で、日本がアジア各地でやってきた残虐行為には目をつぶるのです。

いったい誰が正しくて誰が誤っていたのか……
でもそんな区別だては虚しいですね。日本もアメリカも悪かったのだ。
相手が悪だからこちらは善だ、或いはその逆、という議論はおかしいです。
どの国であろうといつの時代であろうと、悪いことは悪いのだ。
この現実世界では、『悪の反対が正義だ』というふうには、到底単純化出来ないのだ、と思います。

そういった意味では、敗戦後、日本が一方的に犯罪国として扱われ、
広島・長崎に原爆を落とし、東京など大都市中心に激しい無差別攻撃を行って
民間人も兵士も区別なく、人も家々も焼きつくしたアメリカの行為や、
旧ソ連の日本人捕虜の強制収容所での強制労働などの非道が全然裁かれなかったのは
不公正だ、と思う気持ちもよくわかる。
そうして、アメリカが戦後日本に駐留し続けたこと、日本の国柄をそっくり変えてしまおうとし、
憲法まで押しつけで変えさせてしまったことが果たして正しかったのか。日本は
その押しつけられた憲法を今こそ自分たちの手に取り戻し自分たちで作りかえることを
してもいいんじゃないか、と考える人々の想いもわからないではない。

けれども、けれども、日本がそうやって不当な扱いを受けたからと言って、
日本人が中国や朝鮮半島、台湾、その他フィリピンなどアジアの各地でやってきた
侵略行為が、帳消しになるわけではないのです。
一方の悪と一方の悪が対になっていて、シーソーのように一方が上に上がれば、一方は
下に下がって善になる、という構造のものではないのです。
罪は罪として独立して常に存在し続ける。それは日本の罪だけのことを言っているわけではなく、
アメリカの犯した罪も、イギリスやフランスなど、日本が中国に侵略の手を伸ばした以前に
中国に対して不平等条約を押しつけ、その一部を自分たちの権利化に置いた
列強の罪も同じです。
中国は7日石油掘削をめぐり、ベトナムの艦船に銃撃代わりの放水を行いました。
中国の最近の領海拡大主義は確かにアジア諸国にとって大きな危険の芽をはらんでいます。
それらの問題は、個々の罪、個々の問題として存在するのであって、
シーソー関係のように一方がより悪くなれば、一方が正義になるということではない。

それらの矛盾や問題行為を、公正な立場から世界に向かって訴え、堂々と論陣を張って
追及するのは、本来的には良いと思います。
アメリカの罪、ソ連の罪、イギリス、フランスなどの罪…また現在の中国の強硬路線…

勘違いしてはいけないのは、それらが悪いからと言って、日本の過去の行為が
帳消しになるのではないということです。

その過去の歴史を勉強していない人々が増えていっている…
最初は、自虐史観でも自慰史観でもなんもわからないというのでもかまわないから、
とにかく、一度日本軍がしてきたということについて書かれた本をきちんと読んで欲しい。
その時内地で日本人は何を考えていたか、戦争遂行のためにどんな協力をしていたかを知ってほしい。
戦争というものが自国民にも相手にもどれほどの悲惨な被害を与えるか、
皮膚の感覚、身体感覚として知ってほしい。
知った上で、日本は悪くなかった、と言えるものかどうか……。

今、集団的自衛権を憲法を捻じ曲げて解釈しててでもなんとか行使しようとしている
政治家の、いったい何人が、どれほど日中戦争、対アジア戦争、日韓併合などの
歴史を詳しく勉強しているのだろうか。
私は正直言って疑問です。
『原発がないと日本の経済がだめになる』とか『原発は安定電源』とかまだ言っている人々が
実は原発のことをほとんど知らないんじゃないかと時々疑いを持ちますが、
それに似ている。
『TPPに乗り遅れたら日本の経済はダメになる』と急ぐ人々が、ISD条項の怖さを
実はよく知らず、憲法改正に賛成という人々が実は憲法を読んだこともないのではないか、
という疑いを時に持ってしまいますが、それに似ています。

知っていて、知りつくしていて、なお日本は悪くなかった、と言えるのか。
知っていて、知りつくしていてなお、導入するのか。
知っていて、知りつくしていて、それでもなお使おうというのか。

憲法についても悪いところがあるのなら、国民による大きな議論の期間を経て、
変えるかどうかの決定を国民に問うても、ほんとはいいのかもしれないと
内心私は思っています。
ところが。問題は、それを誰がやろうとしているか、です。
どこをどういうふうに変えようとしてるか、です。
そして、国民がその難しく重大な政治判断をするほど成熟しているかどうか、です。
それが信用ならないから私は改憲に反対している。
ドイツのように自国のしてきたことをぎりぎりと見つめてきた国民ならば、
58回の憲法の改正も信用して任せられるかもしれないけれど、
残念ながら、今の日本人が、重大かつ難しい政治判断をするほど成熟していると
思えないから改憲に反対している。
自民党の改憲案を読んだことのある国民はいったい何パーセントいるだろう。
ほんとに醜悪な改憲案です。
アンケートをすれば、改憲反対は60%くらいはいるだろう。
でも、選挙ということになると、秘密保護法によって国民の知る権利を奪い、
集団的自衛権を憲法の勝手な解釈によって実行できるようにし、
TPPもなし崩しに認めてしまうであろう自民党に、
さらには改憲によって国民の手から憲法を奪ってしまおうとしている自民党に
国民は投票しちゃうんです!
衆参両院選挙で安倍政権を復活させそれを信任した選挙民に、今はまだ憲法改定の
判断を残念ながら任せられないと思ってしまうのはそこです。
『今はまだ』と書いたけれど、10年たてば成熟した国民になっているのか?
20年たてば?
(逆にますます幼児化しているのではないか?)
時がたてばよくなっている……その自信も持てないのが悲しいです。

とにかく『知る』ことですよね。
とにかく『学ぶ』ことです。
それしか、国民が政治家が成熟していく道はないと思います。

玄少子さん、ありがとう~~~。
またいろいろ教えてくださいね~♪

 

Re:ウッドスタインさんへ

ウッドスタインさん、こんにちは。
私も申し上げなければいけないことがあります。
その一。言い訳はみっともないということです。みっともないというと、人目を気にしている
ということだから本意じゃないかな。ま、とにかく言い訳はよくないということです。
一昨日返事を送信した後、読み返してみて、自分でも、「なんだ、言い訳ばかりしてるな」
と思いましたよ。
ひとはなぜ言い訳をするのか。
自分をよく見せよう、自分の行為を正当化しよう、という気持ちですよね。
これは本来私の趣味にも会わない。以降極力、言い訳じみた言論はやめようと
反省しました。

その二。
曖昧に受け取れる表現をするな、という自分への戒めです。
小保方氏の件にちょっと絡んできますが、私はマスコミがあれこれ取り上げる問題
(たとえばSTAP細胞自体が存在するのかという肝心の問題からかっぽう着まで)
については、科学的知見もないことや下世話なことには興味がないことなどから
ここでは語りませんが、ただ一つ、彼女にもし責められる点があるとするならば、
それは、科学的論文というものへの態度だ、と思っています。
あちこちの研究室を渡り歩いたので資料の扱いを教わる機会がなかった、などというのは
言い訳にならない。厳密な研究者であるならば、論文も一分の隙もなく仕上げて欲しかったと思います。
折角の重大な発見が、論文の不備などというつまらぬことでその科学的正当性にまで
疑いが抱かれる結果になってしまうなんて、本当に彼女自身のためにも、日本の
科学のためにもなんて残念なんだろうと思う。
ところが、そう小保方氏を批判する自分が、自分のブログで、曖昧な雑な表現をしている。
これは学術論文じゃない、とか、ブログ本文じゃない、ただ私的なコメント欄だから
気が緩んだのだ、と言い訳していますが、そんなのは理由にならない。
小保方氏の気の緩みを批判的に見るのなら、自分も自分の書く文章に厳密であらねばならない、と
このところ真に考えています。たとえこんなささやかなブログではあっても。

そのことは、ウッドスタインさんがこのブログにおいでになるようになられてから、
一貫して指摘しておいでになられたことでしたね。
用語の曖昧さ不正確さ…を常に指摘しておいでになられました。
それに対し私は、「ここは1対1の、いわば私的なコメント欄だから。本文ならそんな曖昧な
表現は避ける」といつも同じ答えを返していたように思います。
しかし、その態度は間違っています。ブログ本文、コメント欄に関わりなく、
自分の目指すべきものは、正確な文章であるべきです。
私は、自分のその緩みを棚に挙げて、ウッドスタインさんが他人のブログに、とりわけ
コメント欄の私の他の方への返事にまで踏み込んでおいでになることに、正直腹を立てて
いたように思います。
その、腹を立てるという自分の心理をよくよく考えてみれば、単に『間違いを指摘されたのが
口惜しかったり恥ずかしかったりしたから』という、情けない理由からにすぎない。
『図星だ』と思うから、腹を立てるのだと思います。言い訳をするのだと思います。

私はこのブログで偉そうなことをいつも書いている。国や個人を批判している。
その批判自体については、自分の考えであるから、それを引っ込めようとかもうやめようとかは
まったく思いません。
しかし、自分のありようとして、そういう文章を書くならば、他人にどう思われるか、と
いうことではなく、自分自身に恥じない文章でありたいと、心から思います。

正直言って、ウッドスタインさんのことを随分腹の立つことも多いです。
まったく考えかたが違う点もあります。
しかし、『隅々まで厳密であれ』とおっしゃるあなたの言は全く正しいです。
私は今後、まあたぶんまたやるだろうとは思いますが、少なくとも自分の姿勢として、
『常に正確な表現を心がける』『言い訳をしない』ということをブログでもコメント欄でも
目指していきたいと思います。
ひとは他人から欠点を指摘されると腹が立つ。それは自分でうすうす自覚している
真実であるから腹が立つのだろうと思います。だから自己正当化のために言い訳をする。

苦いことを言ってくれる人は実は少ない。
しかし。苦言こそから本当は学んでいくべきなのだろうと思います。

私も、ウッドスタインさんにこれまでの態度をお詫びします。
そして、いつも『正確であれ』と苦言を呈し続けてくださったことを、感謝したいと思います。

おや、妙にしおらしいじゃないか!?(笑)

このところ、いろいろ思うこと多く。
ブログは滞りがちですが、社会のことに鑑み、自分について反省すること大なのです…
ひとや社会を批判するなら、自分も一点の曇りなくといったありようを少なくとも
あるべき態度として目指さねば、とこのごろ頓に思います。
その上で、正々堂々と議論に挑みたい。反対は反対といいたいです。

                *
それでは。中味に。

1.映画『夢』について
黒澤監督がどうであるかどうかはわかりませんが、およそ芸術家というものが、
若書きながら清新の気に満ちた作風で世間を驚かした時代から、気迫気力横溢した
中年期を経て、やがて円熟の老年期に至るのを、私たち鑑賞者はずっと見続けます。
同時代人としてともに年をとっていくこともあれば、後の世代のひととして
芸術家の人生を総覧する場合もある。
『円熟の老年期』や『枯淡の境地』に着陸してくれればいいですが、ときに、
「あれほど素晴らしかった人が!」と悲しみを抱かずにはいられないような緩みを
その作品上に見せていってしまう芸術家もいますね…。
好きだった芸術家が、そのような晩年を迎えるのを見ているのはつらいものがあります。
ただし、そのことは芸術家に限りませんね。
自分のすぐそばのひと…それは自分の母親であったり上司であったり、
そういう親しい人の晩年を見ていく場合も同じではないかと思います。
若い頃あれほど美しくお洒落であった人がだらしなくなる…若い頃あれほど仕事の
出来た人がどんどん弱気になっていく…
逆に老いてなお気力充実して、他人に出来ない枯淡の芸術を示してくれる人もいます。
かく老いたいものだと思うような美しいご老人もいらっしゃいます。
いずれにしても、そのありようのその総体を見つめていきたいものだと私も思います。

『夢』について『滔々と』述べているつもりはないです。まだ全然述べきっていない(笑)。
そもそもこの映画を取り上げたのは『放射線の可視化』という一点に関連して
取り上げたので、これについての映画論を展開するつもりは最初からあまりありませんでした。
黒澤映画について述べるならば、こんな長さではきっとすまないですよね。
それに…私は黒澤映画をおそらく半分も見ていない。…見てるかな?
滔々と黒澤論を展開するほどはよくまだ知らない、というのが正直なところです。
無論、見た映画については語れますけれどね。

映画論、文学論、音楽論、絵画論…は面白いですね。
私はそのいずれも全然詳しくないです。だからいつもよくわかる、とは言い難いけれども
私もひとの書いたものを見せていただくのは好きです。
時に、その作品を読んでいなくても見ていなくても、うっとりするような素晴らしい書評などに
出会うことがありますが、そういうときはとても嬉しい。

2.『黄金の七人』の制作国
これはもう、私の手抜き以外の何ものでもありません。ほんの一言書き加えさえすればよかったものを。
「『など』って書いておけばいいか」としたのは、上記に述べたように私の緩みです。
これはウッドスタインさんのように他の方へのコメントをも丁寧に読んでくださる方々に
対してだけでなく、コメントの返事のお相手、に対してそもそも失礼であったと
反省しています。ご指摘ありがとうございます。
『など』の使い方は、実は本当に怖いほどのものであります。ひとはもっとこのことばに
注意深くあらねばならないですね。
憲法や法律条例など、『など』がどこについているかついていないか、句読点の附き方次第で
いかようにも解釈出来てしまうものです。
私の使い方はあまりにも粗雑でした。

3.「七人の侍」での指摘の件
これについての先回のコメントは、私の友人に対していささか失礼なおっしゃりようかと
思いますので抗議いたします。誰もが何でも見ているとは限らないでしょう。
ウッドスタインさんでも見てらっしゃらない知らないことは分野によってはおありでしょう。
お若い方なら見てらっしゃらない方も多いと思います。
私などは逆に、若い人々にとって『常識』と思われるような作品を見てもいない、
読んでもいない知りさえしない、ということがザラです。
その上、古い映画でも、世代的に言って私の年のものなら当然見てるのが常識だろう、と
思われるような映画や音楽などでさえ、知らない見てないものは多いです。


4.「黄金の七人」に対して「七人の侍」が与えた影響について懐疑的な件
この件は、本当は時間と気力があれば、もっと深く調べてみれば面白いテーマでしょうね。
『7』という人数にもっと古い歴史的経緯があるのかどうか、とか。
黒澤のこの作品以前にも、古典的作品に『7』という数字が出てくるのかどうか、ということですが。
例えば聖書とかギリシャ神話とか西欧、中国などの古典、事物もひっくるめてです。
また、黒澤以降の作品への影響論は、たぶんもうたくさんなされていると思いますが
読んでみると面白いでしょうね。
『オーシャンと十一人の仲間』は確かに。あれは面白かったですね。
『宇宙の七人』も『地獄の七人』も残念ながら見てないです。

5.管理人の問題の発言について
この『建屋に入ってもらおうじゃないか』発言については、前回コメントでも申し上げました通り、
全く普段の私の主義主張からするとあるまじき暴言であったと、もう一度反省いたします。
現実に入ってもらおうと思っているわけではないです。
『罪を憎んで人を憎まず』
…これはなかなか現実には難しいです。私にはなかなかできない。が、そうありたい、とは
願っています。
安倍さんのこともね。私、私人としての彼の個人的人格は嫌いでも好きでもないんですよ。
第一個人的に存じ上げないですもん。実際の安倍さんは、おっとりしたお坊ちゃん育ちの
いい人なのだろうな、とさえ思っていますよ。
でも、それとその政治姿勢を好むかどうかは全く別物です。
彼は一国の総理ですよ。彼に限らず一国の総理の思考や嗜好による決定が、この国を牽いて行くのです。
その意向が基本的に私たちの生活を左右するのです。菅政権が続いていたら、原発政策は
大きく違っていたでしょう…
それに対して反対賛成を述べるのは、国民の権利ではないでしょうか?
それが政策に対する好悪となり、政治家個人の私人としてではなく公人としての
やり口に対する好悪感情と混じるのは仕方のないことだと思います。

それ以下に続く長大な部分は、これに関しては『言い訳』と思っておりません。
私の『主張』です。だからこれについては引っ込めるつもりはないです。
ここで挙げた例は、原発稼働というものが、その一番下側で働く労働者の危険や
立地自治体に住む人々の危険を前提にして成り立っているものだということを、
推進者はどうも身にしみてわかっていない、いや、最初からなかば暗黙の了解事項として
考えている……そのことに対する激しい怒りです。
長い文ですが、そのほとんどは、福島第一原発事故の2年前に私が書いていたものの写しです。

6.韓国の旅客船沈没事故について
この問題については、どうもお互いになかなか歩み寄れないようですねえ。

『 ただ、私が、「管理人さんは、日本より韓国のほうが大切ではないか」という旨の疑念を発するたびに、よほど琴線に触れるのか、激しい口調で否定なさる。まあ、ご自身の意識としては、建前では日本もそれ以外も関係ないということなのでしょう。』

ここなんですけれどね。
どうも順番から言うと①私が『日本より韓国の方を大事に思っている』という前提が第一にあり、
そこを②ウッドスタインさんが指摘なさる。
③それが私の『琴線に触れ』私が『激しい口調で否定する』
とおっしゃってますが、これ違いますよ。
第一に、私が『日本より韓国の方を大事に思っている』という前提自体が間違っています。
私の記事のどこが、ウッドスタインさんにそう思わせるのでしょうか。
私は、戦争中の日本軍のしたこと自体を批判はしていますが、日本と韓国を比べたことなどなく、
韓国そのものについてほとんど言及さえしていません。誉めたこともけなしたこともないです。
日本軍の行為そのものを批判しているのであって、それは他国のありようとは
関係ないのです。
なんでもいいですがある犯罪行為、…殺人や強姦という極端な例でなく…例えば、
窃盗にしておきましょうか。ある者が窃盗行為を働く。その時、盗まれた側の
人格・・・善人悪人の区別など関係ありますか?関係ないですよね。
盗まれた人がいい人なら窃盗行為は悪いことで、盗まれた人が悪い人なら窃盗行為は正当な行為であった、
ということが言えるでしょうか。
私は窃盗行為自体を悪い、と言っているのであって、盗まれた人が盗んだ人より大事、などと
一言も言ってませんよ。そもそも比較の対象にならないでしょう。
被害者の人格への自分の好悪感情と犯罪行為自体への善悪の判断は、関係なく考えるべきと思います。

したがって、私が韓国・中国を日本より大切に思う、というおっしゃりようは、変です。

これは大変失礼ですが、順番から言うと、
①ウッドスタインさんが、どういういきさつがあるかは存じ上げませんが、韓国・中国の方が
嫌い。
②私が戦争中の日本軍の行為自体について書く。その時、日本を韓国・中国と比べて
どっちが好きか、などとは言っていない。そもそも比較の対象にならない。
(ついでだが、日本軍の行為を恥ずかしく思い忌む気持ちと、私にとっての日本への愛国心は別である。)
③ウッドスタインさんの好悪感情に触れる。なぜかそこで、
『彼岸花が日本軍の(侵略)行為について書く=彼岸花は日本が嫌い。韓国や中国の方が好き』
という図式が描かれる。そこで、それをコメントに書く。
④私が、そうではない、と説明する。ただしこの時の説明は、『主張』であって『言い訳』では
ありません。

この順番の方が正確なんじゃないでしょうか?

喧嘩を売っているわけではありません。
私にはウッドスタインさんがわからないのです。あなたはこうおっしゃる。

『しかし、その偏見や差別意識などが前面に出てしまっては、この21世紀的ではない。自分自身の意識がどうであれ、それを押し留めて事に臨むべきであるし、そのことをより推進するという意味で、差別を抑制する制度の構築や、認識を共有して活動することなども実施されていますが、これは人間の叡智であり、尊重して然るべきものでしょう』

まったくおっしゃる通りだ!と思います。
それなのに、こうおっしゃる当のウッドスタインさんが、どうもいつも私のところでは
韓国・中国に対する差別意識をもろにお出しになっているようにしか見えないのです。
『支那人』ということばをウッドスタインさんはお使いですが、意図的にお使いですか?
(これに関してはお返事は特にいりません)
ウッドスタインさんは大変知的な紳士でおいでの方のようにお見受けします。
たぶんおっしゃるように実際にその国の方々に接する時には、嫌悪感を抑えて接しておいでなのでしょう。

一方私に対しては私が日本に対して偏見や差別意識を持っているとおっしゃりたい?
そんなことはまったくないのですよ。私は日本の風土や日本人の情調をどれほど
愛しているか知れません。
わかっていただけないので、何回も何回もこればかり申し上げていますが、
私は日中・太平洋戦争中の日本軍、および日本政府の行為・方針を批判こそすれ、
日本や日本人そのものが嫌いだとか、韓国・中国はそれに対していつも正しかったとか今も正しいとか、
韓国・中国の方が日本より大切だ、とか、一言も言ったことないし思ってもいないです。

『ただ現在、彼らや彼らの国の政府が日本人や日本に対して行っている行動・言動には承服し難いものがあり、それに対しては、一人の日本国民として対峙すべきと考えています』

そのお気持ちはわかりますよ。尖閣列島やアジア諸海域に対する中国の態度には
私も憂いを抱いています。韓国が文句のつけようのない素晴らしい国だとは思っていません。

しかしですね。日本の国のありようと、他国の国のありようは、分けて考えるべきではないですか?
相手に悪いところがあるからと言って、こちらが正しい、という図式は成り立たないのです。
また同時に、こちらが悪いからと言って、それで相手が正しい、という図式も成り立たない。
両方正しく両方悪いということだってあり得ると思います。
まして、今現在の韓国・中国のありようと、日本軍が過去にしてきたことは、
分けて考える必要があるのではないでしょうか。
どちら側であろうといつの時代であろうと、悪いことは悪いと、私は思います。

それから、韓国の沈没の悲劇のことですが、私がこの問題について触れなかったのは、
ご理解いただいているように、このことに関心がなかったからでは全然ありません。

『では、こうですかね。韓国の事故などは、取り上げるに値しないのか、なんて言うと、また抗議が来そうです』

はい。抗議いたします。
あのですね…これも申し上げにくいのですが、この取り上げるか取り上げないかという件に
関してはちょっと違和感を感じるんですよ。『はてな?…』と戸惑いを感じます。
ウッドスタインさんは個人感情的に韓国人がお嫌いと公言なさる。
私は韓国の方が嫌いとも好きとも言ったことはないです。日本人と区別してないのです。
それなのに、ですね、私が今回の件に関し記事を書かなかった、ということ一事で、
いつのまにか『ウッドスタインさんは韓国側に立ってもの言い、私は無関心と責められる』という
図式が出来あがっていませんか?
これにはなんだか本当に違和感です。ウッドスタインさんがなぜその立ち位置に?という……

大変に失礼ないい方ですが、私ですね。この図式に『反原発を言う人々=温暖化問題に
無関心な人々』という、原発推進の方々の飽きるほど語って来た論法と
似たものを感じてしまうのです。
反原発の人々が原発について語りその場でCO2問題について語っていないからと言って、 
彼等が温暖化問題に関心がない、ということは言えないんじゃないですか?
むしろ、地球を守る、という見地では反原発の人々こそ地球温暖化についても
同様に危機感を持っている。
それなのに『AでなければB』といい方を単純化することによって、むしろ地球環境に
関心などない原発推進の方々が、『地球にやさしい人々』という立場に立っているように
見えてしまう不思議なレトリック。
それと似たような感じを抱いてしまうのです…

失礼を言ってごめんなさい。
私が韓国の沈没事故のことを語らなかったのはどうしてか(コメント欄では、
触れています)理由を重ねてお知りになりたいようですのでそれでは書かせていただきます。
それは、単純に私がその時気力体力がなかったからです。
あの事故が起きたのは4月16日です。私は11日にいつものキャンドルナイトについての
いつもよりはずっとあっさりとした記事を載せ、それから22日におともだちから
贈り物いただいたのでそのお礼の記事を書いています。
実は私は3月28日だったかな。『大雪と原発④』という政治的記事を書いてから、
4月30日にこの『放射性物資を可視化する』という記事を書くまで、ほぼ一カ月間、
政治的なというか社会的な記事を一つも書いていません。
間にいくつか記事はありますが、お礼や紹介の記事だったり空の記事だったり。
韓国船の沈没事故が私の心の中で占める位置が低かったから記事にしていないわけじゃ全くないです。
『回転草』などというほぼ再掲記事より、韓国での悲劇や集団的自衛権問題が
私の心の中で比重が小さかったなどということがあり得るはずないでしょう?
その間、他にも書かなきゃいけない政治的事項や社会的記事はたくさんあったんですが
それらについても私はこの一カ月間書いてないんです。

パソコンの調子が絶不調ということもありますが、体調がしばらく悪かった。
ごく簡単に一言メモ程度に書くくらいなら、何についても書けるだろうに、と自分でも思い、
人からも心配してアドヴァイス受けることもあります。
でもいつも私の悪い癖で、政治的なとか社会的な記事を書くときには、いつもその問題の中心事項
についてだけでなく、そこに至った経過を過去にさかのぼって調べたり、関連事項にまで
手を広げて、また戻ってくるという、いわば時間的空間的に円環を描くような書き方がしたい、という
癖があります。(コメントも同様。^^)
なので、一つ記事を書くのに相当な体力というより気力を必要とするのです。
前はそうでもなかったのですが、このごろまた頓にその傾向が強くなっている…
それが書かなかったというより書けなかった単純な理由です。

7.『放射性廃棄物の無害化に道?三菱重、実用研究へ』
さて。相当疲れてきました。先を急ぎます。

放射線、ラジオアイソトープというものが私たちの日常生活の中で様々な場面で活用されているのは
私も知っています。本当にもう欠かせない役割を果たしているものもあると思います。

『このような研究原子炉も発電用原子炉とともに廃炉すべきなのでしょうか。それとも、一定条件の下、継続して運転してもいいのでしょうか』

この問いは私には複雑な想いを引き起こします。全部いらない!と答えられれば
すっきりするでしょうが、しかし答えとしては一定条件のもと、継続して研究すべきものもある、
とお答しなければならないだろうと思います。
一つの大きな理由は、日本は原発推進するにしろやめるにしろ現にある54基の発電用原子炉を
廃炉にしなければならない。とりわけ福島第一を何とか解体して安全なレベルのものにまで
これから何十年かかってやらなければならない。そのバックエンドに関する技術は
前のコメントでも書いたとおり、必要ですし研究を進めて高めなければならないと思います。
その他の民生用…例えば医療用とかのも必要でしょう…
ありきたりな答えになってしまいますが、原子力発電はもう御免です!
廃炉と核のゴミ減量の研究という名目での『もんじゅ』の存続にも反対です。
いろいろな考えかたがあるでしょう。新しい技術が出てくるのじゃないか、とか。
その可能性を否定はしません。でも、いつか廃炉技術が見つかるだろう、核の
最終処分場も見つかるだろう…そう希望的に思っているうちに福島の事故は起きてしまいました!
日本はもう54基も作ってしまったし、苛酷事故も起こしてしまった。
だからもう仕方がない、こうなったら毒を食らわば皿までだい!
という気持ちにはなれません。私はこれからも原子力発電と核兵器に繋がるものには
反対し続けていくと思います。

ただ、科学技術は日々進化し発展していくものでもあります。
ご紹介いただいた三菱の研究などと共に、『放射線の可視化』について
こんな研究も進んでいるようです。どんなものかわたしにはよくわからないけれど。
ずっと前に気付いて、いつか紹介しようと思っていた記事です。

http://photo.sankei.jp.msn.com/highlight/data/2014/01/23/19muon/

8.についてはいいですね。
9.佐村河内守氏の件

いえいえ。これはやはり、私の『不徳の至り』です。人がどう思うかとかではなく、
自分が恥じに思うのだから仕方がない。だからお気になさらないでください。
あの時点で、巷に広がった佐村河内氏の美しい『伝説』について直感的に違和感を
お感じになっていらしたウッドスタインさんは、すごいと正直に思います。
『彼が全聾というハンデを抱えているから、それほどまでに巷で賛美されるのではないだろうか?』
という疑問を呈していらっしゃいましたものね。

佐村河内氏の一件はですね。案外私の心に深い傷を負わせてくれちゃった気がしています。
それについて語り始めると、同じ分量また書かねばならないかも(爆)
一言で言えば、ですね。
彼の行為は、巷によくあるゴーストライター事件、代作事件、自作詐称事件の
一つである、という単純なものではなく、この日本の、というと大げさになるかな、
少なくとも私の中にある『信頼のシステム』というべきものを、根こそぎひっくりかえしちゃった
ようなところがあるんですよ。
それは、お馬鹿な若者の食品を扱う場での『バカッター投稿』とか、
失礼だけれど小保方嬢の、論文の扱いの厳密さに対する緩さとか、
いろいろな最近の事件にも、ある意味見られるかもしれない。

人間…とりわけ文明国の人間というものは、長い時間をかけて『信頼』のシステムを
一歩づつ築きあげて来たと思います。
例えば、とんかつ屋のキャベツが、人の食べ残しの綺麗なところを集めたものであろう、
などと思うと、もう気持ち悪くて食べられませんよね。
和菓子の美しい細工も、店主が便所に行って手を洗わないままこねまわしたんじゃないか、
などと疑ったら、もう美しくは感じられない…
アメリカで貯水池に馬鹿ものが小便をして、1億4千万リットルだか何だかを
廃棄した、というニュースがこの4月17日に配信されました…
清潔を第一の旨とする食品を扱う場所で、土足のまま寝転がってみたり裸になって
はしゃいでいる馬鹿映像をtwitterで配信したり。
そうしたことはお馬鹿な個人の小さなおふざけとか、いい加減さで、普通は笑って
済まされちゃうのだろう…
残りものの使い回しィ~~?そんなの当たり前にありでしょ~!
不用意なコピペや画像加工ぅ~~?そんなのもみんな普通にやっちゃってるでしょ~!
(芸能人の自伝のゴーストライターなんて普通にこれまでもいたし、大作家や大画家や
大漫画家がアシスタントの作を自分の名で出すなんてのも、昔から当たり前にあった。
葛飾北斎だって娘が描いた絵が北斎の名で出回っていたらしい……)

いまさらそれに似たことのあれこれに驚いても仕方がない。…そうなのかもしれない。
そうなのかもしれないけれど、そういう細かい良い加減の積み重ねが、ある意味で社会を
腐らせていくんじゃなかろうか…
私はそう思うんです。
まして、社会的に大きな影響力を持った(たまたま持った人にせよ)人がついた大きな嘘や
大きな学問的ルーズさは、社会の信頼のシステムをある意味、根底から覆すんじゃないかと
私は恐れるのです。人間が営々と築き上げてきた約束事…小さなことから大きなことまで…
それらは、その時は個々の人間の引き起こした個々の小さな出来事かも知れないけれど、
それらが積み重なると、いつかボディーブローのように効いてきて、社会の『他者への信頼』という
基礎を腐らせていくのではないか、と。
そういった意味で、佐村河内氏の件も、残念だけれど小保方さんの厳密さの不足も、
この日本に与えた影響は、ご本人たちが思う以上に大きいのではないかと私は思っているんです。
小保方さんの件ではその他の学者たちの論文の不備にまで話が広がっていきそうで、
日本の学会そのものへの信頼が失われてしまいかねない妙な展開になりそうです……

かれこれしてるうちに殆ど全部書いてしまいました!(笑)

私が今回、ウッドスタインさんに指摘されたからではなく、自分の文章の粗雑さや、
コメント欄だから、といういつもの甘えや言い訳に、実は自分自身で結構まいっちゃってるのは、
そういったことを最近しみじみ考えていたからです。

たとえ名もない老主婦の、たかがブログのそれもコメント欄であろうと、
説明にどれほどの時間も要しないであったろうのにその小さな手間を省くとか、
自分の使った言語に無責任であるとか、自己の言動を相手に正当化するために言い訳するとか
(正当な持論の主張はこれに入れないでください!^^)の、小さな精神の粗雑さは、
こうした社会の様々ないわばスキャンダルと本質的にどこも違わないじゃないか!
…そう考えてまいっていたのです。

まあ、この『信頼のシステム』云々については、まだ十分に書ききれていないことも
多いのですが、このところそういう心境の変化がありました、ということで、
ウッドスタインさんにもお詫びかたがた、簡単に書いてみました…。

私には偏見や欠点も非常に多いですが、少なくともここで議論する際には、
これからどなたに対しても、この反省を忘れまい、と思っているところです。
それからたとえ、政治姿勢が大っ嫌いなひとに対しても、言ってはならないことがあるという
反省も、ここでしておきたいと思います。
文章はその人の人格そのものです。それを自ら貶めるようなことはなるたけすまい、と思いました。

ウッドスタインさん。いつも紳士的にありがとうございます。
 




No title

彼岸花さんへ
べん・シャーンの絵に詩を書いたアーサー・ビナードさんの絵本持ってます。
サイン入りです。
宮沢賢治の雨にも負けずを英訳したのも持ってます。

お見せしたいな〜

だれしもにつたわることばではないとおもいますが

こんにちは
わたしはある時期,なぜこれほど芸術的に昇華されたか,ということに意識を持って世界中のビキニ表現をムキになって探したことがありました。
ビキニ水爆実験,世界はそれほど久保山愛吉にショックをうけた,ということでありましたが,では,一たい何人の久保山愛吉が,ヒロシマナガサキには存在しただろうか・・・そのことにも当然日本人として,いや人類の一として,考えざるを得ませんよね,彼岸花さんもきっとそのことには深い感慨をいだかれたとおもいますし,またすでに問題意識は十二分にもっておられるとおもいます。

しかしアメリカを擁護するわけではまったくありませんが,あの,二發の特殊爆弾を落とされなければ,アジアにおける日本の侵略行為,(これはもちろん彼岸花さんがじゅうじゅうわかっておられるとおり,軍隊,ということのみではありません,官,民,軍,思想界いったいとなっておしすすめたあの蛮行のことですが)をとめられなかった日本の罪深さに,まずは心を向けなければなりませんよね。
オリバーストーンは昨年日本を旅して,おおくの日本人が被害を受けた原爆,という文脈でしか語ってないことにも 違和感を覚えたと,いっておられた,
加害の側面に反省をしないなら,それは過去の出來事を詳細に吟味する,少なくとも歴史の事実くらいおおざっぱにでも認識しなくては,日本人はまた同じことをするだろう,という危惧をいだいた,ということにほかならないとおもいますが。

この問題は彼岸花さんとは,共通の認識をすでに共有し,さらに一年近くをかたりあい,またさらに学ばなくてはという思いをもつにいたったわけですが,
そもそも彼岸花さんのように日本の底の底ですべてつながった問題なんだ,という認識を
  明快に
お持ちでいらっしゃるかたとは,さらにも深く深くもっともっと,いさぎよくみとめていかなくてはならないと,語り合い勉強しあうことができる,そのことにすぎない,それでしかない,ということの再確認

と,こういうことにも絶望的なおもいがいたします。

多くの“日教組刷り込み史観”,という刷り込みを信じているわかものには到底言葉が通じない現實にも絶望せざるを得ません。“右翼の仮想的としての日教組”になんの力もなかったことは彼岸花さんはしってるとおもいますがね,

自慰史観陣営の反中嫌韓にも一定の論拠があるでしょうし,個人として付き合えば差別はしない人達も多くいることもわかりますし,国家間の思惑,中國のやりかた韓国のやり方に不快を感じる方々の気持ちもわかるつもりです。

しかし,日本という國家のやってきたことをほんとうによくごぞんじなんですか?ということは,やはり疑問視せざるを得ません。どんなに愛国にうらづけられた感情でも,
真に日本の國家の行為を検討したことがありますか?といううたがいをもてば,こたえはNOです,
ワカモノは勉強不足。あまりにも勉強不足です。右翼もサヨクも。
どんなに韓国の言い分中国のやりかたに不快を感じようと,(正直言ってかれらはやりすぎだ,とわたしもおもっていますが)日本のやり方を,かれら(韓国中国)以上にくわしく,そぼくにわからなければ,世界ではひとりよがりとしかいわれませんものね。

まあ,“五月四日”,五四というのはわたしにとってひじょうに深い思いを抱く“日にち”で,あります。ことしもまたおもいをあらたにして,自分の考えをもっと掘り下げなくてはならない,と肝に銘じましたね・・・・。

彼岸花さん,ありがとうございます。いつもいつも。

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん。おはようございます。

おお~~~!
やっぱり玄少子さんは映画にも絵画にも音楽にもとんでもなくお詳しそうじゃないですか。
画家ベン・シャーン以外は、私、作曲家の方は全然知りませんでした…
(今、ペンデレツキ、聴きながら書いています。これ。すごい緊張感だなあ…)
ビキニ水爆実験もその中に含まれますが、アメリカ・ソ連の核実験のこと調べて行くと
ほんとにひどいですねえ。人体実験です。自国民に対してすらひっどいことしてる。
おそらくこの2国だけでなく、中国のもフランスのも…およそどこの核実験も
同様なんだろう。
私は映画も音楽も全然詳しくないです。文学も古文漢文や現代のものでも
ある時代以降のは全然読んでいませんし。
何をぼんやり生きて来たんだろうなあと思ってしまいますよ。
第五福竜丸の頃はまだ少女でしたが、時代の空気は知っていた。
1950~60年代ごろのあの時代は、非常に後暗い秘密の匂いのするものと、
はじけるような明るさとが奇妙にマッチした時代でした…
1960年『ビキニスタイルのお嬢さん』などという歌が、アメリカでも日本でも流行りました。
私などもその明るい曲調に、何も考えず日本語歌詞で歌っていた記憶があります。
ビキニ水着そのものは、ビキニでの水爆実験よりも前、1946年に、
フランスのルイ・レアールが考案。同じ頃フランスのデザイナージャック・エイムによって
ほぼ同様の水着が考案され、アトムと名づけられているそうです。
1946年、ビキニ環礁で米国によって、第二次世界大戦後初の原爆実験が行われたのですが、
その報道の直後の1946年7月に、レアールがその大胆さが周囲に与える破壊的威力を
原爆に例えて、ビキニと命名してこの水着を発表したのだそうです。
ビキニ環礁での水爆実験は1954年からですね…。

そんなことを後になって知ると、西欧諸国の無神経さに腹が立ちますが、一方で、
玄少子さんがここで教えて下さったような、原爆や水爆のもたらす不幸をぎりぎりと見つめて
作品化した人々も同じ西洋諸国の人々。
日本人が『ビキニスタイルのお嬢さん』を、能天気に歌った神経はちょっと今となっては
理解できないな。と言っても、子供の私自身も意味も知らずに歌っていた記憶があります(苦笑)。

ベン・シャーンと言えば、サッコ・ヴァンゼッティ事件を作品化していますね。
サッコとヴァンゼッティについては一度記事で取り上げたことがあります。
私のとっても好きなアーサー・ビナードさんが、ベン・シャーンの第五福竜丸の絵に
詩をつけて『ここが家だ』という絵本を作っています。
私はまだ見たことがないんだけれど、ぜひ買って見てみようと思います。

佐村河内氏。と新垣氏。
私は実は佐村河内氏のこと。暴露されて以降のこと、週刊誌の見出しでしか知らないんです。
だから、NHKで放送されたことのどこまでが真実で、どこからが嘘なのか、詳しく知らない。
私が、記事に書いたこと、つまりNHKの放送によって知ったことが、
私が彼について知っていることのすべてでした…

彼にまつわる、一種の伝説のようになったようなことのほとんどすべてが嘘だった、と
知った時のショックって、私には意外に大きかったです…
それは、NHKの放送を丸々信じていた自分の愚かしさへの、単なる恥ずかしさも
そりゃ無論ありますが、それだけじゃないんだなあ…
クウ―ママさんへの返事でちらっと書いていますが、なにかね、『信頼のシステム』とでも
いうようなものが壊れたようなショックなんです…
これについて書けるなら書いてみたいと思っていつつ、いろいろなことに取り紛れて
書けないでそのままにしていますが。
小保方さんの一件にも似たようなショックというか、悲しさ情けなさを感じました……
無論問題の中味や質は全然違うんですけれどね。
近いうちに書けたら書いてみます。

人を騙す偽物、はほんとに昔から巷に溢れています。
騙すとまではいえずとも、それに近い意図的演出も。近年はそれが頓に多くなっているかも。
そのようなものの氾濫する世の中に生きている私たちは、そういう嘘への耐性を
身につけなくちゃ仕方がないんだろうが、なんだか寂しいですね…。
私なども自分で言うのは変だけれど、ナイーブだなあ、と自分で思っちゃいますよ。
もちろん玄少子さんはおわかりだと思いますが、『純真』という意味でではないですよ。
『おひとよし』『無警戒』『馬鹿正直』というような意味でのnaiveです(笑)

でも、かく言う私にしてからが、原発の安全神話に『騙されていた』などという人を見ると、
『何をいまさら言ってんのよ。ちょっとよく見聞きしてりゃわかっていたはず』と
冷たく思うんですから、要するにまあ、ひとのことは言えない。(笑)

玄少子さん。ありがとう~~~♪






Re:4日の鍵コメさんへ

鍵コメさん、おはようございます。
連絡したいこともあるので、そちらでお返事させていただきますね~。

Re: 3日の女性の鍵コメさんへ

籠コメさん。こんにちは。
お返事遅くなってすみません。

放射線の可視化。
そうですねぇ…
見えても恐怖心を感じない人はいるのかも。
この紹介していただいた展覧会の写真も、ある意味、美しくさえ見えます。
と言っても放射線で汚染された部分が美しいわけではなく、もともとの針葉樹の葉っぱや、
生きものの骨格が美しいだけなんだけど。
だから、見ても、『ふうん。綺麗なもんだなあ』で終わるひともいるかもですね。
昔、ウランガラスというものがありまして。
1830~1940年代頃までヨーロッパなどで盛んに作られていた。
ガラスにごく微量のウランを着色材として混入させるんですね。
ただ見ると、普通のガラスより幾分黄色っぽいかな、という程度にしか見えないけれど
紫外線ランプ(ブラックライト)をあてると、妖しく黄緑色っぽい輝きを放ちます。
昔はブラックライトなどなかったから、朝焼けや夕焼けの紫外線の満ちているときに
妖しく輝くのを鑑賞していたのだろうと言われています。
今はごく少し作られているだけで、骨董的価値を生み、ガラスのオークションサイトなど
覗いてみると、『ウランガラス』という名で好事家の取引の対象になっています。
ガラス器の他にも、その輝度の増幅効果のゆえに、灯火照明用などにも使われていた。

Wikipediaによれば、
『実際のウラン使用率は、グラス全容積の0.1%ほどであり、放射線量の目安は
グラス100gあたり数千~1万ベクレル程度と、必須ミネラルのカリウムにわずかに含まれる
同位体のカリウム40の体内蓄積量(代謝の関係で、蓄積量の変動は少ない)から放射される
内部被曝のベクレル量と同程度で、人体への危険性は、基本的にはわずかであると考えられている』
そうですが、私はあまりそばに置いておきたくはないなあ…(笑)
放射線はジャガイモなどの発芽抑制のために使われていて、私たちはどのジャガイモがそうなのか
なんて見てもわからない。
でもこれも、出来たら食べたくないですねぇ。新じゃがなら大丈夫でしょうけれど。

発芽防止の放射線照射以外にも、私たちは防かび剤などありとあらゆる化学的処理を施された食品を
日常的に食べている…
本当は自分のところで野菜など育てるのがいちばんですよね。
でもな、そう出来ない環境に暮らす者は多いですからね。私なども仕方なしに買って
食べていますが、レモンなどもアメリカ産でなく、瀬戸内産の防かび剤不使用のを買ったり、
わずかに悲しい抵抗をしてみたりしている…

遺伝子操作された食品や、牛由来の肉骨粉を牛に食べさせることなどもそうですが、平気な人は平気。
もうある意味、ほんとうに想像力の問題とか個人的倫理観の問題になってくることが多いですね。
あまりにも不自然なものが世に満ち満ちていて、それらをすべて拒否しては生きられないような
時代になってしまっています。
福島第一原発事故の撒き散らした放射性物質も、今は直接空気や大地から摂取するのは無論、
(汚染された)食品となって全国に販売されるし、瓦礫として拡散処理されたり、
焼却灰として肥料に使われて、日本全国の野菜栽培に使われている(だろう)など、
もうめちゃくちゃです。
でもそこで、「しかたないじゃん」と言って済ませていていいのか。
子供たちのこと…人間の未来のことを想えば、やはり抵抗しないわけにいかないです。

鍵コメさん。ありがとうございます。
お気持ち、ありがたく。 ^^





No title

 今回も1月の時と同様に、1回の投稿で切り上げようと思っていたのですが、管理人さんからのご返事を読み、これはさすがに何か言わなければならないと思わざるを得ないことが数多くありました。すなわち、反省しなければならないこと、反論しなければならないこと、説明を加えなければならないこと、種明かしをしなければならないこと、自分の言葉が足りないばっかりに誤解させてしまったことなどで、一つ一つコメントしていきたいと思います。管理人さんは今回私がそうしなかったにも関わらず、番号による項目分けをしてくださいましたので、それに沿っていきます。

1.映画「夢」について
 これは黒澤監督に限らないのですが、壮年期くらいまでは概して作品の評価が高いにも関わらず、老年期になると作品の評価が、賛否を分かれるか、酷評されてしまうか、になってしまう場合がよくあります。私見ですが、現役でいうと大林宣彦監督がその代表例でしょうか。実績と経験と年月を重ねた映画監督の暴走を制御することができない結果が作品の内容に反映されるわけで、いろいろな考えがあると思いますが、これは観客の側がそれことを理解して受け入れるべきものと私は考えます。実績を積み重ねた監督の作風がどのように変遷していくかを見届けるのも、あえて言いますが、芸術を愛好する者の義務だと私は思っています。
 この映画に対する考えを管理人さんは滔々と述べられています。私はプロアマを問わず、他人の映画評を読んだり聴いたりするのは、結構好きなのですよ。勉強になることも多いですしね。解釈の仕方は人様々であり、そこが醍醐味でもあるわけです。
 放射性物質の可視化ですか。映画「夢」の中に表現されているような可視化は、辛いです。放射性物質は、思った以上に我々の実生活の環境内に氾濫していますからね。目で見えるようになることが本当にいいことかどうかは、私にはわかりません。

2.「黄金の七人」の製作国
 管理人さんが「など」をつけていたのは、もちろん気付いていました。というよりも、「など」「等」の中にどれほどの意味が込められているのか、というのは、私が従事している仕事ではとても問題となるところで、実は非常に敏感に反応してしまう語句でもあります。ですので、私の前回の投稿を読んでいただきたいのですが、『留意されているとは思いますが、一応念を押しておきます。』と言っており、管理人さんが事実誤認をしているという指摘をしているわけではありません。「など」の中に「イタリア」があるというのは、すぐにピンときました。まあ、言ってみれば余計なお世話だったわけですが、「イタリア映画」という語句を補足させてもらったという意図だと理解してください。

3.「七人の侍」での指摘の件
 余計なお世話ということで、前回の投稿内容の中で反省点があるとすれば、この点ですかね。私にしてみれば、この「七人の侍」を観ていないことなど常識外だと思っていたわけですが、この私の認識こそ常識外だったようです。この点は謝罪します。申し訳ありませんでした。

4.「黄金の七人」に対して「七人の侍」が与えた影響について懐疑的な件
 「7人」という時点で「七人の侍」を連想するのは自然のことで、影響がまったくないなんてことは言えません。ただ、映画の内容は管理人さんも御存知のとおり、かなり異質です。もし、「影響を受けた」というならば、「オーシャンと十一人の仲間」のほうが近いですかね。ただ、これは解釈の問題ですので、論争すべきことでもない、この点は管理人さんと同意見です。
 まあ、「黄金の七人」を挙げるくらいならば、「荒野の七人」を別として、「地獄の7人」や「宇宙の7人」などを、影響を受けた映画として挙げることもできますが、知名度も完成度も月とスッポンですからね。

5.管理人さんの問題の発言について
 これは勝手な思い込みかもしれませんが、私は、管理人さんは「罪を憎んで人を憎まず」という人だとみていましたので、正直言ってこの発言には違和感がありました。でも、過去の管理人さんの安倍晋三氏に対するモノの言いようからすると、そうでもないのかな。それはともかくとして、管理人さんがこのような発言をしたい気分であることも理解していたつもりです。その理由は『しかしですね。考えてもみてください。』以降の部分で延々と説明がなされていることからも裏付けらました。ただ、この長い説明、一言でいえば、発言に対する「言い訳」というふうにも捉えられますが、そこは管理人さんらしいところですかね。
 この長大な説明部は非常な労作で、これだけでも作成するのが大変だっただろうことは想像に難くありません。もちろん、これまでに見聞きした話も数多く含まれていましたけれども、興味深く読ませてもらいました。

6.韓国の旅客船沈没事故について
 ここは管理人さんの個人ブログですから、管理人さんがどの話題を取り上げ、または取り上げないかは管理人さん次第であり、それ以外の人が口を挟むことではありません。ただ、その取り上げていない話題に関しても、意見を尋ねたい場合はあるもので、管理人さんのこの事項に対する憂いがどのようなものであるかを尋ねてみたかったというのが、前回の投稿での私の質問での趣旨です。
 ただ、私が、「管理人さんは、日本より韓国のほうが大切ではないか」という旨の疑念を発するたびに、よほど琴線に触れるのか、激しい口調で否定なさる。まあ、ご自身の意識としては、建前では日本もそれ以外も関係ないということなのでしょう。
 でも、私にはそうは思えない。これまで積み重ねられてきた日本や日本人、特に安倍晋三氏などに対する批判や叱責の内容には、それらに対する幾ばくかの愛情も感じられない。少なくとも、これまでのところは。こう言うと、それはウッドスタインの偏見による曲解だろうと、反論なさるのでしょうし、第三者の公平な目で見れば、まあ、おそらくそうなのでしょう。正直にいって、私は管理人さんのような博愛主義者ではありませんから、偏見は持ち合わせています。口先では「偏見をもって差別してはいけない、人間は平等なのだよ」と言っても、実際のところ、多かれ少なかれ偏見を持ってしまうのは、人間として自然のことだと思います。しかし、その偏見や差別意識などが前面に出てしまっては、この21世紀的ではない。自分自身の意識がどうであれ、それを押し留めて事に臨むべきであるし、そのことをより推進するという意味で、差別を抑制する制度の構築や、認識を共有して活動することなども実施されていますが、これは人間の叡智であり、尊重して然るべきものでしょう。
 管理人さんから私の韓国・中国に関する発言を受けて、なぜ極端な見方をするのかという問いがありました。回答としては、現在の韓国・中国の国家体制や日本に対する政策、それに付随して朝鮮人・支那人が嫌いだから、ということです。これは私の好み・趣向に属することですから、そこを批判してもらっても困るのですが、矜持として彼らを差別することがないことを旨としています。証明すべくもないのですが、これまで自分に関わってきたこの2国の人に対しては、差別的行動をとったことはない、という自負もあります。ただ現在、彼らや彼らの国の政府が日本人や日本に対して行っている行動・言動には承服し難いものがあり、それに対しては、一人の日本国民として対峙すべきと考えています。
 それから、管理人さんがご自身のブログで取り上げていないからといって、その事項のことについて「憂い」なる思いをお持ちでないなどとは、最初から思っていません。では、こうですかね。韓国の事故などは、取り上げるに値しないのか、なんて言うと、また抗議が来そうです。

7.『放射性廃棄物の無害化に道?三菱重、実用研究へ』
 この件については、追加して言及することは特にないのですが、これに関連して、脱原発論者の方の考え方を知りたいことがあるので、ぜひ管理人さんの意見を聞かせてください。
 原子力利用というと世間一般では原子力発電のイメージが強いと思われていますが、発電は原子力利用の一部分であって、原子核現象の利用は広範な分野にわたっています。放射線やラジオアイソトープ(放射性同位体)は、医療、農産物の育種、食品処理、滅菌、材料改質、非破壊検査など、様々な社会基盤や産業の場で活用されています。また、中性子をはじめとする量子ビームは物質科学、基礎生物学、地球科学、農学、材料工学など基礎・応用科学諸分野の研究に欠かせないツールとなっています。そして、それら多様な原子力利用を支えているのが研究用原子炉なのですが、福島原発事故以降、原子力規制の制度見直しが行われるなか、日本国内にある十数基のほとんどが運転停止状態となっています。このような研究原子炉も発電用原子炉とともに廃炉すべきなのでしょうか。それとも、一定条件の下、継続して運転してもいいのでしょうか。

8.「脱原発の流れに棹さす」
 実は、この表現を使ったのは、悪い言葉で言えば私の卑怯な考えの基づくものです。ご指摘のとおり、「流れに棹さす」というのは、その流れがさらに助長するような行動をとる、というのが本来の意味で、よく誤解されがちな、その流れに逆らうような行動をとるという意味ではありません。ですが、この後者の意味でも通用してしまっているのが実際のところです。つまり、この表現というのは解釈の仕様によっては、まったく別の意味に捉えられるわけであって、要するに私のやったことは、そのどちらにも解釈されてもいいような言い回しを使ったということです。何でこんなことをしたのか、つまり脱原発に向かうのか、それとも、より原発を推進する方にむかうのか、が、予測がつかないからです。少し前までは、この技術の発展により原発推進に向かうのだろう、と考えていたのですが、そんな単純なものでもない、という考え方も私の中で頭をもたげ、思い余ってこのような曖昧な表現を使ってしまいました。
 もちろん、我ながらお粗末で、自分らしくない言い回しをしてしまったとは思っているのです。ただ、それよりもそのような私の意図を見事に見破ったのは、さすが管理人さんだ、と、言わざるを得ません。この点には感服しました。

9.佐村河内守氏の件
 この件は、別に管理人さんに対して何らかのコメントを求めたわけではなく、私自身が貴ブログに対して、何らかのコメントをすべきだった、という意味で認めたものでした。佐村河内氏が、あのような人物であり、あのような事実があったなど、間接的にしか関わることができない我々にわかるわけがありません。ですので、いい加減な書き方をして、管理人さんに対して「不徳の至り」ということを言わせてしまった私の方こそ、まったく「不徳の至り」であるわけです。申し訳ありませんでした。
 まあ、本来ならば、この件について何かコメントするのが筋なのかもしれませんが、この件は常連さんのコメントの話題にまで波及してしまったようで、これ以上続けにくくなったようです。もし、機会があれば、思うところを申し上げたいと思います。

 ということで、今回私が投稿できる時間も尽きたようです。いろいろと管理人さんの感情を掻き乱すようなことも申し上げたかもしれませんが、もう慣れっこでしょう。と言ったら、また叱られますか。御免なさい。失礼しました。

ゴールデン週間のたわごと

こんばんはー。映畫は大好きですが,彼岸花さんがそもそもお詳しいからわたしも書き散らしているだけでそれほどオタクじゃありません~~。 香港のB級映畫はちょっとはくわしーですよー。

ビキニ水爆を主題とした海外の芸術作品。
美術の領域は,専問家で美術家が彼岸花さんのごく身近にいらっしゃるのでなまじっかなことはいえませんw
ベンシャーン「ラッキー・ドラゴン」シリーズというのはあるいは有名かもしれませんね。
久保山愛吉と第五福竜丸のことを題材にした曲,声楽曲ですが。
社会的なテーマを取り上げたと話題を呼んだヘルベルト・アイメルト「久保山愛吉への墓碑銘」なんて実験的な音楽もあります
現代音楽の作曲家 ダルラピッコラのオペラ『囚われびと』で有名な作曲家の曲にもあります。やはりビキニ水爆実験は世界に大きな衝撃を与えたということかもしれませんが曲想につかわれたものは數おおくあります

また,白熱の話題のテーマですが
やはり現代作曲家のクシュイトフ・ペンデレツキ 52の弦楽器のための『広島の犠牲者への哀歌』なんてのもあります。
情緒あふれた曲でなく,しかし理論的ではなく現代音楽にしては非常に聞きやすいものです。
もちろんさむらごーち氏とちがって完全なオリジナルであり本人名義のものですが。

「HIROSHIMA」,わたしももちろん聞きました。
感想はといえば,ずいぶんまたこりゃアナクロなもんだな,と。
あの外見からはもっと前衛的なものを想像しましたので落差がありました。でもべつに大傑作ではないけれど,つまりあの程度のレベルで,いいものは19世紀以前にたくさんつくられているな,というイメージでの佳作の一つにはかぞえられる,とおもいます。
ただあの曲にHIROSHIMAと名づけたセンス,付随する物語のPRぶりにはかくべつ感心していました。曲が先か物語が先か知りませんが。
さむらごうち氏にかぎらず,まがい物は世にたくさんありますし,震災後,つながろうとか日本の絆とかいってプロヂュースされもてはやされたり,流されたつまらないソングや,TVコマーシャルや,のなかでは「HIROSHIMA」は非常にいいものの部類であるとおもいましたが。

芸術とコマーシャリズム,戦略,との甘い關係がたまたまあからさまになっただけの話ですから。
それを判断するにはもちろんクラシックの聞き手として質がよいかどうかは關係ありませんね。

“やたらに持ち上げた人”は“確かに聞いた”のですし,そのことに疑いはないわけで,べつにだまされたことに気づかされてしまったことが特に悪いことや罪ではないでしょう,
ただ傷つけられた人には,ある種,ひどいことするなあという怒りがあっても当然ですが,だまされてることに気づかないでいる“感動ネタ”は世のなか山ほどあるでしょうし。

ごくまれに,あのひげ面の写真をみて,「こいつは耳が聞こえてるはずだ!」と直感した透視能力だかテレパスだかがあるひとには敬意を覚えますが,そうじゃなければ,感動した人をそれみたことかと,馬鹿にする人のほうをよっぽど批判的に見ています。

ま,ゴールデンウイーク限定でひまだしーーー。たわごとはあくまでゴールデンウィーク限定ですからご心配はなさらないでくださああ~~~~~い♡

Re: クウ―ママさんへ

クウ―ママさん。こんばんは。
いえいえ。佐村河内氏を取り上げたのは、自分の意志でですから、
どうぞお気になさらないでください。

私自身も自分の書いた記事を読みなおしてみたんですが、あの時は素直にとても感動したんです。
あの映像で紹介されたことが全部嘘だったとは……。

腹が立つというよりは悲しいですね。
曲も、もう一度新しい気持ちで聴いてみましたが、高橋大輔がソチオリンピックで
使った曲など、とても綺麗だなあとやはり思います。
曲にも、それに感動した人にも罪はないものを……。

佐村河内氏が話題になり始めた当初から、これはおかしい、全部嘘っぱちではないか、
と見抜いていた人がいったいいたのでしょうか。
そばで暮らして彼自身の行動をよく見ていた人なら、少しは耳が聞こえてるんじゃないの?とか、
ピアノ、彼は小さい頃、NHKで紹介されていたようには弾けなかったよ、とか
彼の嘘がわかっていたかもしれないけれど、少なくともNHKで初めて彼のことを
知ったひとは、疑いませんよね~~~。
あの番組だけを見て、あるいは番組前に、彼の音楽だけを聞いて、
これは偽物ではないか、と思って、それを指摘していた人などいるのだろうか。

曲の好き嫌いなどはあっただろう。
でも、あれを彼が書いたということの一切が虚構だった、などということを
先見的に見抜いていた人がいただろうか…

佐村河内氏の一件は、私に大きな悲しみを残しました…。
多くのひとにとってそうだったろうと思います。
それは、自分が『まんまと騙されていた』ということへの、自分が滑稽を曝したことへの
恥ずかしさとか、そのための怒りとか悲しみとは、ちょっと違う気がします。

うまく言えないけれど、信頼の一個がたまたま壊れてしまった、ということではなく、
信頼のシステムそのものが壊れてしまった、とでもいうような悲しみかなぁ……

ちょっとこのことについて、いつか、記事書けたら書いてみますね~~。
自分の心も含め、いつかちゃんと分析しておきたい事件ではありますから。
でも、心配しないでくださいね~。^^

『北国の春は、ジックリ味わうべき善きものを、うわっ滑りに通り過ぎる危険も運んできて、…』

おお~~~!
なんか、新鮮なショックです。
こういう感覚ばかりは、北国に住んでみたことのある方にしかわからない感覚ですよね。
『北国は、桜も桃も林檎の花も、チューリップも水仙もボケの花も雪柳もレンギョウも…
一斉に咲き出す』と言われるのを聞くと、北国を知らない人は、「おお~!
それはさぞかし美しいことだろうなあ!…」ということしか思いません。

でも、実際その中にいたら、ひとはあまりの花々のエネルギーに、ただ美しさ以外のものを
感じてしまうのかもしれませんね。
小さな野菫が一輪、まだ枯れ草ばかりの土手に咲き出でているのを見たら、ひとは、さきがけの春れを
感じて嬉しくなるだろう。
やがて、その土手が少し緑を増して、オオイヌノフグリが空の色を写したように咲く。
やがてタンポポがその土手を埋め尽くすほど咲く。
その頃は桜の花が咲き出でる……普通、春は、季節はゆっくり来る…

でも、菫の群落とオオイヌノフグリの群落とタンポポと桜と桃と林檎と何もかもが
一斉に花開いたら、それはほんの少し、エネルギーの爆発というか、
春の狂気のようなものを感じてしまうかも、ですね!

『私は桜に酔っ払って二日酔いが続いています』

おお!

私ね、ふと今感じた。
とりのなん子さんのね、各話の最後の1ページが、私は彼女の作品を見始めた
その当初からとても好きなんですよ。鳥や虫のストーリーから離れた、詩のような
最後の1ページが。
いつも彼女の感覚の新鮮さに驚かされるの…
あの毎回の1ページがあるから、私はなん子さんが好きなんじゃないかな、とさえ思う。
その新鮮さに共通するものを、今、クウ―ママさんの数行に感じたわ。
うまく言い表せないけれども。








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Re: ウッドスタインさんへ

ウッドスタインさん、こんばんは。

また長くなると思いますので早速お返事に入らせていただきます。

①『夢』ですが、映画自体は総合的に言って、私も黒澤作品の中では取り立てて優れているとか
好きであるとかは、残念ながら実は思っていないんです。
でも、中でも『トンネル』などは、復員兵の悲しさが本当に短い映像の中によく描かれていて
秀逸な作品で心に残ります。『桃畑』など映像が美しいですしね。
黒澤明がどういう意図で、この『夢』を作ったのか、私も知りたいです。
『こんな夢を見た』の出だしは、漱石の『夢十夜』と同じですし、内田百閒の作品にも、
『夢十夜』の流れを汲む、幻想的なとも夢の話のようなとも言える一連の作品群があります。
なかなかいいですよ。
黒澤は漱石の系譜が好きだったのでしょうか。
黒澤明の伝記でも読めば、『夢』の制作意図がどこかに語られているかもしれませんが…。

私は、この放射線を可視化する、という展覧会に関連して黒澤の『赤冨士』を
取り上げたわけですので、『夢』の映画としての出来は、ここではちょっと関係ないのです。
この映画の公開が1990年、チェルノブイリ事故がその4年前の1986年に起きていますから、
『赤冨士』には、黒澤の明確なメッセージがこめられていたと言ってもいいかとは思います。
私は、なぜか、『鬼哭』という短編をこれらのオムニバス映画の中ですっかり忘れてしまって
いましたが、ここに出てくる鬼も、もとは人間だった。核戦争のせいで荒廃してしまった
世界を哭いているのだといいます。
7本の短編のうちの2本が核のこと。
また最後の一編『水車のある村』では、笠智衆に『近頃の人間は自分たちも自然の一部だ
ということを忘れている。自然あっての人間なのに、その自然を乱暴にいじくりまわす…」
というようなセリフを言わせていますから、映画作りの意図の一部はなんとなく
そういうところから読みとれるかもしれません…
映画として、作品として出来がいいかどうかは…私もちょっと…不満は残ります。
同じ核というテーマを扱ったものなら、作品の質としては、おっしゃるように『生きものの記録』が
断然優れてると私も思います。

②さて。『黄金の七人』の制作国の件。
言い訳とお思いになるかもしれませんが、よくご覧ください。
『…これに影響を受けて、ハリウッドなどでは『荒野の七人』『黄金の七人』
などのシリーズが続々とできたんですよ。…』
と、『など』とちゃんと入れているんです。この時私の頭には、(『黄金の七人』はイタリア映画だが)
という想いがありました。それがこの『など』に表れています。
でも、さすがウッドスタインさん。細かいところに厳密でいらっしゃいますね。
いや、これは揶揄ではありません。反省しているのです。世の中にはウッドスタインさんのような
すべてに正確を期する方もいらっしゃる。そもそも、人が読んで、「『荒野の七人』も
『黄金の七人』もハリウッド映画」と言っているように読みとれる表現をしたのを
私は反省すべきだと思っています。
ハリウッド映画だけじゃないヨーロッパの映画もだぞと思って、
『など』と入れておこう、とその時思ったのなら、なぜ、そこできちんと「『黄金の七人』は
イタリア映画ですが」と書いておかなかったのか、と自分の手抜きを反省いたします。
記事本文ならば、絶対にそんなざくっとした粗い書き方はしなかったでしょうに、
親しい方へのコメント欄ということで、気が緩んでいたと言われても仕方がありません。

③次にご指摘の、
『映画「七人の侍」について、あたかも7人の浪士が健在のまま、村を去ったかの如き表現をされていましたが、生き残ったのは3人、そしてその中の1人は刀を捨て、村に留まりました。もちろん、これらの点は留意されているとは思いますが、一応念を押しておきます』

という件ですが、ウッドスタインさ~ん、
これ、私がわざとぼかして書いているのだとはお思いになりませんでしたか~?
ブログ本体でそんな大雑把な誤解を招くあらすじを書いたのなら、私は大馬鹿ものです!
しかしこれは、黒澤映画をまだ見たことがないとおっしゃる方への個人的なコメントで、
『七人の侍』をこれから見るかもしれない方に書いているんですよ。
侍たちが何人生き残って何人死ぬか、しかもそのうちの一人は村に残るんだなどという
詳しいことまで先に書いてしまったら、初めてこの映画を見る際に、
「ああ、このうちのほとんどは死んでしまうんだな」という先入観をお与えしてしまうじゃないですか。
村に残るのはたぶんこの登場人物だな、ということも予測がついてしまいますでしょう。

初めてこの作品を見る方が、最初から『この男たちはほとんど死ぬ』と知りつつ鑑賞するのは、
私が大雑把な説明にわざととどめておいたように、最初はある種の活劇として見ていて、
実は映画を見て行くと真実がわかってくる…というのでは、感じ方が違ってしまうとお思いになりませんか?
この件に関しては、ウッドスタインさんに文句を言いたいと思います。
私は、雑な人間ではありますが、『七人の侍』をそんな単純な見方で見て紹介していると
本気でお思いになったのでしょうか?
『七人の侍』についてブログ本文で正式に映画鑑賞としての文を書くのなら、こんなざくっとした
粗い筋など書きませんよ。
この映画を未見のお友達への個人的コメントとして、ネットの世界で俗に言う『ネタばれ』
(映画の最後まであらすじを話してしまうこと)を避けただけだったのことだったのですが、
ウッドスタインさんは、他人のブログで、しかも
個人対個人の他の方へのコメントのことでその『ネタばれ』をしておしまいになられたのですよ。
怒ってはいませんが、一応抗議しておきます。
ついでに言っておきますが、『夢』の中で私がとても好きな、『トンネル』についても、
ここではざくっとしかあらすじを話していませんので、またこれについて、「あれは…」と
ネタばらしなさらないでくださいね。

④次に。
『あと、「黄金の七人」に対して「七人の侍」が与えた影響については、私は懐疑的です』

という件ですが、黒澤の『七人の侍』が、これらの映画に全面的な影響を与えている、
とまでは言っているつもりはありませんでした。
映画作成のきっかけを与えた、くらいの軽い意味で言っていました。
これも私の書き方が悪かったですね。そういうふうに取れる書き方をしていると思います。
後の方で述べていますが、私は、黒澤の『七人の侍』の個性的な登場のしかたがとても面白いと
思っています。これは、しかし、役割上の重要さがほぼ等価な登場人物がたくさん出てくる映画では、
このような登場人物の紹介のしかたはよくある手法ですね。
古くはアーサー王と円卓の騎士にもそれと似たような登場のさせ方がある。
でも黒澤の『七人の侍』はその演出がとりわけ面白かった。後に『荒野の七人』でも
『黄金の七人』でも、同じような登場のさせ方をしています、ということが
ただいいたかっただけです。
『黄金の七人』には『七人の侍』の影響を感じない、とお思いになるウッドスタインさんの
ご見解は、それはそれで尊重いたします。こういう映画論はとても楽しいです。

⑤次。一番問題なのは、私の本文で書いたこの箇所ですかね。
『そうして、それが出来たら、真っ先に総理大臣と東電および電力会社上層部の人間たちと原発をこの期に及んでまだ推進したがっている政治家、経済人、インチキ学者、…そういう人らにその線量計をつけてもらって、まっ黒黒に可視化されて見えるであろう福島第一の建屋に入ってもらおうじゃないか!!!』

この点に関しては、ウッドスタインさんのご指摘には返す言葉もありません。
なにもそこにずっと居てしね(ここがひっかかるのか、昨日から何度コメント送信しようとしても
FC2さんが受け付けてくれないので、ひらがなで書いておきます)などと言ってるつもりは
無論ありませんでした。入り口で瞬間覗いて見るくらいしなさいよ、くらいの意です。
それもね~~…ほんとにそう思って言ってるわけではありませんよ。
これは私の、凝りない面々への怒りが、強すぎるいい方で出てしまったものです。
心から、あんた達しになさい、などと思っているわけではありません、当然のことながら。
しかし、それにしてもこれは確かに言いすぎです。
いつも命をまず第一に考えると言っている私にあるまじき暴言です。

しかしですね。考えてもみてください。
3月12日が明けてからでしたか、あの1号機建屋の中に、ベントのために作業員は入っていったのですよ。
その前の午前2時50分には、東電社員が直接、2号機の原子炉隔離時冷却系のポンプが動いているのを
そばまで行って目で確認しています。
14日には今度は3号機格納容器の圧力が上昇。午前5時20分にベントに着手します。
午前5時20分というと、建屋内は真っ暗だったでしょう。電気は全電源切れているのですから。

東電本社の連中は無論、現場の人間でさえ誰もどういう状況になっているか全くわからない真っ暗な建屋の中に、
作業員は恐怖を抱えて入っていったのです。
1号機など8気圧にまで高まった格納容器が、手動でベント作業中にも突然いつバーストするかもしれなかったのです。

チェルノブイリではどうでしたか。国の命を受けた軍隊は無論、一般人までも
最終的に延べ数十万の人々が殆ど何も安全対策の説明も受けずに駆り出されました。
防護服らしきものも数が間に合わないので身に付けず、素手で、高レベルに汚染されたコンクリート片や鉄などを
必死になって片づけている労働者、また、放射線焼けで真っ黒になった顔で
ぐったりと横たわる被害者、それを運ぶ医療チームなどの映像。ご覧になられましたか。
You Tubeなどで配信されていますので、是非みなさんにご覧いただきたいです。

チェルノブイリのと日本の軽水炉などでは構造が違う。また国のありようが違う。
日本ではそんな、崩壊した建屋に入り込んで素手で汚染コンクリートを片づけるなどという
非科学的、非人道的方法は国民にも職員にもやらせるはずがない、とおっしゃるのでしょうか。
旧ソ連は共産圏だから、軍人を強制的に処理にあたらせた。日本では自衛隊にも消防にも
警官にも作業員にもそんな非人道的なことはさせられない、ですか。

じゃあ、苛酷事故になってメルトダウンしてしまったら、誰がいったい収束作業に
あたるのでしょうか。誰にも危険なことはさせられないから、全員で逃げ出すのですか。
そうしたら原子炉の暴発はもう誰にも止められずメルトダウンは他の号機でも次々に進んで、
メルトスル―、メルトアウトへとどこまでも進んで行くでしょう…
水蒸気爆発を起こして、頑丈な圧力容器が粉々になることはないまでもその底が抜け、
格納容器内のものが飛び散っていたらいたらどうなっていたでしょうか。
そうなったら、敷地内は無論原発周辺にもう誰も近づけなくなる…
福島では、結局子会社の作業員を含む東電や関連会社の作業員と、
自衛隊員と消防隊の人々がその危険な場所に乗り込んで、決死のベント作業や冷却するための放水を
やってくれたから、福島第一の損害はまだあれで済んだのでしょう…
(ベントの効果はわからないにしても)
もし、菅さんが怒鳴りつけたように、東電の人々が現場放棄して逃げ出していたらどうなっていたでしょう。

原発を造りそれを推進する人々は、一旦過酷事故が起きたらいったい誰が収束作業に
命をかけてくれるとあてにして、無責任に推進推進を言っているんですかね。
誰かがやるだろう、とくらいにしか思ってないんじゃないですか。自分ではない誰かが。
おそらくそれは常に末端の作業員に近い人々が…。

東海村JCO事故がありましたね。
一般人が受けても問題ないとされる被曝量は年間1ミリシーベルトとされています。
被曝量7~10シーベルトの全身被曝では2,3週間で死に至ると言われています。
JCOの二人の作業員の被曝量はそれぞれ16~20シーベルト、6~10シーベルトでした。
二人は血液中のリンパ球がゼロになるなどの重い造血器障害や消化管障害、
皮膚障害、中枢神経障害、肺炎などを起こし、苦しんだ末に亡くなられました。

彼等を運び出すこと、そしてとにかく臨界を終息させねばなりません。
科学技術庁と原子力安全委員会の意向を受けて、職場長が先の見えない危険な終息作業にあたる
人員の人選を行ったそうです。
現場作業に不慣れな管理職は外され、将来子供をつくる可能性のある独身者も外され
人選は行われましたが、実際にはほぼ半強制、否応を言えるような雰囲気ではない中、
18人の作業員は冷却水を抜くという作業を開始しました。
臨界を終息させるため選抜された作業員たちは、被曝量を出来るだけ抑えるため、
一回に1分以上作業を続けることが禁じられます。
アラームが鳴ったらすぐに交替する、という緊迫した雰囲気の中で決死の作業が続けられ、
ようやく20時間後、臨界は終息しました。
このとき臨界を引き起こしたウラン235は、16.6キログラム。
日本に今あるウラン235は、原子力白書によれば2007年末現在で416トン、
分離されたプルトニウムは44トン。(すみません。これかつて私が書いた記事の引用で
資料がちょっと古い。)

原子力発電を推進する人は、こうした末端の関連会社での事故を含め、それが臨界事故になって
手がつけられない暴走を始めた時、いったい誰に作業に行ってもらうつもりで
無責任にどんどん作って来たのだろう、これからも作ろうと推進しようとしているのでしょうか!

結局いつも危険な作業に当たるのは、末端の作業員が多いです。
いわば彼らの犠牲をあてにして、すべての原発行政は成立しているのです。
一国の総理や、東電など電力会社の偉い人々や、推進を謳うマスコミの人々や
学者や…そうした人々に、自分が建屋の中に入っていく勇気があるのか、その責任が
取れるのか、その覚悟はあるのか、ということを真剣に考えて欲しかったのです。
燃料がメルトダウンした建屋にずうっといて、大量被ばくしてしになさいなどとはさすがに言いませんが、
ちょっと見て震えあがるくらいはしてみろ、といいたかった、いわば怒りの表現です。


⑥次。韓国の旅客船沈没事故についてですが、
『韓国旅客船沈没事故について、管理人さんはブログで触れられていませんね。『憂い』はどこに行ったのでしょうか。もし、日本で同じような事故が起きたとしたら、管理人さんは激しく批判するのでしょうね。でも、韓国に対しては沈黙。日本よりも韓国を愛するゆえに甘い態度をとっているのでしょうか。なにか見解がおありでしたら、ぜひお聞かせください。』

これに関しては抗議いたします。
知的なあなたにしては、随分飛躍したおっしゃりようですね。
私がブログ記事で、あることに関して全然触れなければ、私がその件について全然考えていない、
心を痛めていないという論理が、いったいどういうわけで出てくるのですか。
私は確かに韓国のあの悲劇について記事にしてはいない。でもそれがどうしてイコール
私がそれについて憂えていない、韓国には甘い、ということになるのですか。
随分おかしな論理ですね。
それでは、私は、私が記事にしていないことについては一切考えていないというのでしょうか?
例えば、昨日は憲法記念日で、私は、安倍政権のやろうとしている改憲や
集団的自衛権の勝手な憲法解釈について、今日も昨日も一昨日もその前も考えていましたよ。
でも、私はそのことを記事にしていますか?
パソコンの調子が悪かったり、こうして昨日と今日も一所懸命お返事書いていて、
私は改憲や集団的自衛権のこと憂えながらも、記事は書けませんでした。
記事を書いていないなら、私はそれについて考えていなかったのですか?憂えていなかったのですか?
失礼ですが他者であるあなたに、どうして私の内面がそのように判断おできになるのですか?

私は、あの一報を聞いたときから、どれほど憂えていたか知れません……
自分の本記事では何も触れていないけれど、他の方へのコメントなどでは触れています。
第一、ブログというものが、即その人の思考とイコールに進行していくものなのでしょうか?
このところ私は原発の記事をあまり書いていませんし、これだけ集団的自衛権のことが
話題になっている中でそれについてまだ記事書いていませんし、オバマ来日についても
いろいろいろいろ思い、とりわけその集団的自衛権とTPP問題についてずうっとずっと
考えて憂えていますが、記事にはしていません。
小保方さんの件についても思うところはありましたが記事にしていません。
だからと言って考えていないわけじゃない。
ウッドスタインさんは、どうしてことが韓国のこととなるとそう極端な見方をなさるのでしょうか。
私はね、韓国だからどうだとか中国だからどうだ日本だからどうだ、と区別は一切してないんですよ。
どこの国であっても誰であっても、悪いことは悪いんです。たとえそれが自分自身であっても。

⑦次。『放射性廃棄物の無害化に道?三菱重、実用研究へ』の件は面白いですね。
教えてくださってありがとうございます。
私は反原発の立場に立っていますが、こうした研究は歓迎します。
そうですね…最近黙り込んでいる間に心情的に多少変わったこともありますよ…。
それは、この福島第一の収束や、日本の核のゴミの問題は、原発推進・反対の立場を超えて
なんとか考えてなんとかしなきゃならない切羽詰まったところまで来ているということです。
とりわけ、福島に今もなお住み続けている子供たちの被曝の問題や汚染水の問題を。
前からそうは思っていましたが、このごろ特にその切実感が強い。
原発について新たな批判記事を書いていないように見えるのは、そのためでもあります。
前のコメント部分にも関連してきますが、ブログで書いていないからと言って
原発について考えていない日などありません!
もう私の中で批判は批判しつくしているんです……
今は、皆でなんとかしなきゃ…その切実感の方が強いので黙っているのです。
だから、こういう新たな発見に期待しますよ。

『この分野の研究についても、企業任せではなく、国や大学などの関与があってもいいのでは、というのが私見です。』

全くご意見に賛成です。
私ずっと以前にウッドスタインさんにお話ししています。バックエンドの方の専門者育成機関を
国が主導して作ってもいいくらいだ、いや、すぐにも作るべきだ、というようなことを。
その時は確かウッドスタインさんは笑ってスル―なさったような…

⑧『仮にこの理論がうまく機能し、プルトニウムの処理などにも技術発展すれば、原発の問題として最大のものの一つである使用済み核燃料の処分に目処が付くことになり、そうなると脱原発の流れに棹さすことになるのかもしれません』

ん?あれ?
『脱原発の流れに棹さす』という箇所ですが、
この理論が実用化したら、脱原発が進む、という意味でお書きですか?
それとも使用済み燃料処分のめどが立てば原発が心おきなく稼働出来るようになり、
そうなると原発推進政策は生き残って脱原発の流れは止まる、という意味でお書きですか?
『流れに棹さす』という表現は、その流れに逆らって舟をとどめてなんとか流されないようにする、
という意味ではなく、
流れに乗りつつ棹を川底に突きさしてさらに船を進める、という意味です。
このウッドスタインさんの書き方だと、??
いや実はですね。私もこの『流れに棹さす』について全く誤用、つまり
川底に棹を突き立てて、ただ時流・大勢に流されていくのに抵抗する、という意味だとずうっと思ってたんですよ。
それでそういう使い方していましたら、ずうっと以前やはり言語に非常に厳密な殿方が
いらして、『そうじゃない、それは間違い。流れに棹さすというのは舟をさらに進める
動きだ』と指摘してくださったのです。
私、パソコンのこちら側で顔を真っ赤にしてしまいましたよ。
漱石が大好きで草枕など愛読しているのに、まったく逆の使い方してたんですから!(笑)
一応ご確認ください。

⑨佐村河内氏の記事は、まったく私の不徳の至りです。
でも、『騙されていた』とは言いません…
あれも自分の判断と責任で書いた記事ですから、自分が見抜く目をもっていなかったことを
恥じればいいだけのことです。記事を引っ込めるべきかなと思いましたが、
あれも一つの恥の記録ですので、敢えてそのままにしています。
その時もお書きしましたが、私は曲自体は立派な曲だと当時も今も思っています。
佐村河内氏については何も言うことありません。
ただ残念なだけです…
彼の罪は、『人はかくもさもしい嘘をつくことが出来るものだ』という悲しい認識を
ひとの心に教えてしまったことだと思います。
かつて。日本が貧しかった頃…
大学に行きたいのに貧しくて大学に行けない若者が、学生の恰好だけをして
構内に入りこみ、講義を聞いたりするのを『てんぷら学生』といいました。
こころは『ころも』だけ。
また同じく日本が貧しかった頃、医師免許をもたない偽医者という者もたくさんいて、
それが結構地域のひとに慕われている名医になっていたりした、というような事件が時折ありました…
貧しさゆえの学歴詐称、や職業詐称、に、私はどちらかというと同情的でした…
自分も貧しくて、高校出てすぐ就職で上京して、大学生を羨望の目で見ていた経験もあるからです。
だから、人がなんとか貧しい境遇から這いあがりたいと思ってしてしまうなりすまし自体について
私はそうは怒りを感じないです。
戦後、偽医者になった者の中には、従軍して衛生兵として働いていた者もいたといいます。
肉塊飛び散る戦場で、時には医者が戦死してしまって残された衛生兵が戦傷、戦病者の
手当をしていた、などというぎりぎりの状況もあったかもしれません…
憧れは時に人間の嘘を呼び寄せることがあります。
私はそれを、そいうのも人間の性なのかな…と怒りに思うよりはさみしく思うだけです。
ただ、結果的に彼の行為は多くの人々の純粋な気持ちを傷つけました。
騙された人々の愚かさを笑うことは簡単です。
でも、ひとの世は、基本的に信頼を基礎にして成り立っているものです。
少なくとも多くのひとはそう思って生きてきたろうと思う。
その信頼を根底からひっくり返すような彼の行為は、その意味で罪が重いと思います。
昨今、そのように、人の世の基本的信頼を覆すような出来事がたくさん起きているような
気がします。例えば、食糧を扱っている店舗での若者の悪ふざけ映像などもそうでしょうか。

人間が人間のすることを信じられなくなる…そうさせる罪は重いと思います…

うまく書けなかったけれど、思うことの一端を書いてみました…

Re: 玄少子さんへ

玄少子さん。こんばんは♪

『生きものの記録』はここで紹介した映像の中にもちらっと出てきますが、
いいですよね~~~。
黒澤は社会派の映画もたくさん撮っていますが、この映画はその中でも最高傑作ではないでしょうか。
『夢』はね、総体的に見て、正直言って私が黒澤明の作品の中で一押し、というわけではありません…
この『赤冨士』も作品としては、黒澤作品の中で決して優れているとは言えないかもしれませんしね。
『夢』の中で私が圧倒的に好きなのは、『トンネル』です。
映像の美しさということでは『日照り雨』『桃畑』は好きですねぇ…
おっと!今ちょっと見てみたら、『鬼哭』という作品も、核戦争のせいで人間だったのが
鬼になってしまうという話だったのですね。
不思議なことに、わたし、この短編の記憶が全くないなあ!
映像のかけらさえ思い出せない…どうしてだろう……

あっ、そうですか!
『天国と地獄』の、あのかばんから煙、というシーンが、『赤冨士』の放射線の可視化、
というところへ繋がっていったんですか。それは知りませんでした。
『天国と地獄』はね。売笑窟が出てくるでしょう…あのシーンが忘れられなくてですね。

黒澤明はいろいろありすぎて、とても一言で書ききれません…
『羅生門』にも触れていませんし。^^

山中貞雄は、実は『人情紙風船』しか見ていないんです。^^
ただ、戦地にあっても、戦中日記に映画のシーンばかりを空想して書いて
わずか28歳の若さで戦病死したのがなんとも傷ましく。
溝口健二も、『西鶴一代女』『雨月物語』『赤線地帯』かな。見たのは。
そうですね。映画はフィクションだけれど、その時代の空気は移す。
若いひとに過去の文学や映画などを見せるのは良いですね。
その作品の周辺のことを少し範囲広く調べさせるという勉強でも、歴史認識を養うのに
大いに役立つかも。

おっと。玄少子さんは映画にも詳しくておいでなんですねえ。いったいどれほど守備範囲が
広いんだ?(笑)
ビキニ水爆を主題とした海外の芸術作品ですか。
ちょっと思い浮かばないなあ…
『博士の異常な愛情または私は如何にして心配するのを止めて水爆を愛するようになったか』は、
ビキニ環礁のじゃないなあ。
『渚にて』とかかな…
教えてくださ~い!








Re: 星狩人さんへ

星狩人さん。こんにちは。
返事が遅くなってすみません。一昨日からパソコンが絶不調。
勝手に書き途中のコメントが消え、入力がしょっちゅうひらがなからアルファベットに
変わるのがほんとに困ってしまいます。

愛希穂さんへのコメントにも書きましたが、私の正直な気持ちは、3.11の直後から、
福島の一部はもう人が住めないだろう、除染などという甲斐のないことをやめて、
その代わりにチェルノブイリの時旧ソ連がそうしたように新しい住居を国が責任を持って
用意してそこに町ぐるみ移っていただくか、或いは各家庭に現金をお渡しして新しい安全な土地に
移るか或いはどうしても父祖の地が離れられないと云うならそれはそれでその意志を
尊重するか自分の意志で決断してもらうかするしかないのじゃないか、と思っていました。
中途半端に、除染すれば元の街に住めるという希望をもたせて、結局除染しても効果が
はかばかしくもなく、巨額のお金はゼネコンに流れて行くという構図は、当初から
予想できた気がします。
部外者の私がするのも変な話ですが、愛希穂さんに書いた、除染費用をそのまま被災者に分配する計算、
結構真剣にあの3月4月頃していたものです…
正確な数値は当時まだ出ていなかったけれど、福島県の世帯数は約70万世帯とか
いう数字はわかっていたので、被害の少なかった会津地方や、近くても汚染の少ないところも
有るでしょうから、対象世帯はおよそ30万世帯くらいかなぁ、などと。
当時除染費用は1兆円とか2兆円とかもっと少なく政府は見積もっていた記憶がありますが、
そんなものですむはずがないと思っていた…平地は少しは除染できても山林が約70%も占める
福島県で除染をしても、ずぶずぶとお金をつぎ込むばかりだろう、と。

いやこんなことを言っても、お金を問題にしているわけではもちろんありません…
ただ、なぜ、住民の安全と健康を守るということが第一義に来ないんだろう…
除染するから待てという、中途半端に住民に希望を抱かせる選択肢ばかりがどんどん進められて、
チェルノブイリのように、例えば今は空き公団、公営住宅などはあちこちに
有るはず、それを政府の責任で借り上げて、町ぐるみで移っていただくという選択肢や、
除染をやめるという選択肢がどうしてもっと検討されないのだろうと腹立たしく思っていました。

でも、これも、日本の原発建設を請け負ってきた鹿島、大成、大林組などが、
除染をもまた請け負うという構図や、県民を圏外に移住させて人口を減らしてしまいたくない
県の思惑や、無論被曝の実態などを出来るだけ小さく見せて賠償費用を抑えたい東電や国の
思惑などを考えると、チェルノブイリでの旧ソ連のような思い切った決断がなぜ出来ないのか
自然に答えは導きだされてきますね。
旧ソ連の体制がよかったとは言えないけれど、少なくともチェルノブイリに関しては
日本よりはるかに『住民の命が第一』という決断であったように思う。
日本のように、その大事な『住民の命と健康』という第一義に来るべきもの以外の、
電力会社や、国や県や、経済界や医学界や…といった者たちの思惑が第一義に来るような
決定は(あるいは意図的無為は)本当に考えられないです…。

放射線学会、医学界もひどいですね…。
私などには細かいところまでその実態は知りえないけれど、全体の流れを当初からこの3年間
ずうっと見ていると、放射線学会、医学界が、住民の健康を守ろう!という方向に
積極的に動いてきたとはとても思えない。
むしろ直後からのその動きは、広島原爆におけるABCCの動きを連想させ、
情報は出来るだけ公開しないで一部の組織内に留めておく、情報公開しても
その数値は出来るだけ小さく見積もる或いは積極的に隠匿に加担する…という流れにしか
見えませんでした。
無論、そうした世界にも良心的な学者や医者はいましたし今もいてくれます。
私の住む街の小児科医さんは、当初から住民側に立って活動していました…
小出先生や肥田医師のように当初から、いや福島第一事故のずっと以前から
何十年も揺るがず住民の健康第一という側に立って活動を続けてこられた方々もいらっしゃいます。

でも、それはこの日本にあってはごく少数派。
そもそも山下俊一氏のような、これまでまるで原発推進派のシンボルのような人物を
県が重用し、その意志がまかり通るような人事というものが当初から理解できませんでした!
ご当人は政治嫌いで無論お断りにもなっただろうけれど、少なくともこれまで
原発政策を勧めてきた側でない小出先生のような考え方の識者が、住民の健康問題について
方針を立てたり進言するのでなければ、食の安全基準、被曝量調査など大事な大事な
住民の健康に関する事柄が、隠匿或いは過小評価の方向に動くことは最初からわかっていたはず。
そういった意味で、私は佐藤雄平福島県知事も許せないです!
彼の動きは、県の規模を維持することにばかり…つまり住民人口や世帯数が減ってしまうと
国からの交付金等が減ってしまいますから、なるべく避難民を県外に出したくない…
一方では、国や東電から少しでも多く復興資金や賠償金を引き出そうとする動きばかりが
私には目についてなりませんでした。
マスコミや国の前でする彼の怒り顔や涙顔を私は一度も信じてないです。
本当に県の代表者として芯から住民の安全や健康を想い、それを第一義に考えていたなら、
もっと違う動きを当初からしていたはずだと思っています。

脱原発運動…
中には、よくわからないままに、それを単なるエネルギー問題として捉える人も
いるかもしれませんね。
しかし、脱原発反原発運動をずうっと30年にもわたって貫いてこられた亡き高木仁三郎さんや
小出裕章さんや肥田舜太郎医師や写真家福島菊次郎さんのような人々、
一般市民でも六ヶ所村の菊川慶子さんのような古くからの筋金入りの反原発の人々…
そうした人々以外の普通の主婦も、本当によく、原発のことを勉強しました…
こんな映像があります。福島からの女性たちが、野田前総理に大飯原発再稼働を
やめるように陳情に行った時の映像。
http://youtu.be/ODNhDhw_-VY
この中で一人の若い女性が言った言葉を私は忘れられません。(5分16秒くらいから)

『この1年で、福島の女性は、人類創世から勉強しなおしたんです!すべてを
学びなおしたんです。どれほど人間が愚かか、ということを学びなおしたんです。
いつもいつも争いが絶えず、その中で最悪の物を掘り出し、…ウランというものですね…
それを私たちは使いだしてしまったことです。そのことをもう科学者以上に皆さん
学んでるんですよ。私たちは命がけです。』

この若い女性の言っていることが、原発について学ぶ、ということの本質をよく
ついていると思います。
きっかけはなんであったにしろ、反原発、ということを学んでいくと、この女性がいうように、
原子力発電ってどんなものなの?ウランってなんなの?というところに必ず行きつきます。
20億年前、太古の地球に自然に生まれた原子炉が存在したなどということも知るようになる…
その痕跡がアフリカのガボン共和国オクロ地区のウラン鉱山にその化石として
残っているそうです。大量で密度の濃いウラン235が自然発生的に核分裂が行われた結果だという…

日本の原発で使っているウランはどこから来ているの?と考えれば、アメリカの
インディアンの歴史に辿りつきます。日本が買っているアメリカのウラン採鉱の歴史……
ご存じのように、アメリカに移住した白人たちはインディアンの土地を奪い、居住地に
押し込めました。ところがその居留地にウランなどの鉱物資源が豊富に出ることを知ると、
またその土地を安い金で手に入れ、先住民はそこでウラン採鉱の労働者として働くようになります。
一見、インディアン達は雇用が拡大され現金収入も得られるようになり、いいことづくめのようですが、
就労する際に放射能のことなどは説明されず、彼らは長い間の低量線被曝によって、
極めて高い比率で癌、先天異常などをかかえていくことになります。
アメリカの、ユッカマウンテンにおける西ショショーネ族、ニューメキシコ州における
ラグーナ族など。何も知らずウラン採鉱現場で働き、ある者は、知らないがゆえに
何と放射能を帯びた残鉱をもちかえって自宅の建設に使ったなどというのです!
(オーストラリアのアボリジニは福島事故を知ってウラン採鉱反対に立ち上がってくれましたね。)

この構図は、なんと、六ヶ所村や福島浜通りの産業に乏しい土地が歩んだ歴史と似ているのでしょう!

また、思えばね…
『核兵器』と『核の平和利用』というものを、日本では分けて考えますが、
原子力発電はそもそも核兵器開発の落とし児のようなものです…
最初に発電ありき、ではなく、ソ連やアメリカが核兵器開発の途中で、
ウランが核分裂する際に高熱を生ずることに注目、この高熱をなんとか民生用に活用できないか、
と考えたところから生まれたものですよね。

1953年。アメリカ、アイゼンハワー大統領が国連総会で、原子力平和利用に
関する提案、"Atoms for Peace"を行います。聞こえはとても立派だけれど、
要するに、ソ連との熾烈な核開発競争がエスカレートして、留めがきかなくなる
(自国の水爆実験はいいのでしょう)ことを恐れたのと、世界の批判をかわすための
何とも巧みな戦略だったのでしょう…
広島・長崎そして第五福竜丸事件を経験して核アレルギーが非常に強かったはずの日本に
なぜ原子力発電が導入されたか…
その歴史はこのNHKドキュメンタリーを見ればようく分かる。
http://youtu.be/EbK_OlzTaWU

私は変な話だけれど、この映像一本があるゆえに、NHKが少々の不祥事を起こしても
つい最近までNHKを弁護してきました…それほどの優れたドキュメンタリーです…

原子力発電の勉強をしていくと、こういうことにもいつか突き当たると思います…
これは、原発の歴史のみの勉強になるのではなく、終戦後の日本とアメリカの歴史、
アメリカとソ連の冷戦の歴史の中で、日本がどう生きて来たか…を知ることにもなります…
つまり、『戦争』ということの本質を知ることになる…

いつも私がしつこく書いているように、原発のことを知っていくと、単純に
エネルギー問題に留まるということはあり得ないんですね…
戦争の歴史、差別の歴史、経済格差の問題、その他の公害問題…ありとあらゆる問題に
いつかどこかで繋がっていくんです。
原発の歴史の中にすべてが集約されていると言ってもいいくらいです…。

だからね。原発のことを深く考えて行ったら、それをエネルギーなどの経済だけの
問題などと考えることは、本質的にはありえないはずだと私思うんです。
同様に、福島の原発事故と広島・長崎は質が違うなどという言論もあり得ないです…!

よく、原発反対運動する人々に、『じゃあ、君たちはCO2問題をどう考えているんだ!』と
迫る人がいます。それはえてして原発推進の人が多い(苦笑)。
私、そういう人がよく持ち出す『原発反対派≒地球温暖化に無関心』や、
『原発推進・容認派≒地球温暖化を真に憂えている人々』という図式は大嘘だと常々思っています。
そうですよね。だって、地球の空気や大地や海が汚染されることを真に憂える原発反対派が、
地球温暖化に無関心なはずがないじゃないですか!
逆に、福島の事故が起きてなお、この日本で原発を再稼働しようとしたり海外に売り込んでも
平気な人が、本心から地球温暖化を心配しているなどというのは大きな矛盾です!!

私ね。ただ……
原発反対派、推進派…という単純な二分化していてもどうにもならないと
このごろ頓に思っています…
原発推進を容認する人々の中には、おそらく原子力発電のことをよく知らない人が
圧倒的に多いのではないかと思っています。
それは政治家も例外ではありません…
戦争に関しても同じかな。
日本人がたとえ、イギリス、ドイツ、フランスなど西欧列強が中国やその他のアジア諸地域で
何をそれまでしていたにしろ、それと関係なくアジアで戦中にしてきたこと…
そのいい面も確かに少しはあったでしょう…でも、それも含め、細かい歴史をほんとうに
勉強したら、日本がアジアに対して罪がないなどとどうして言えるものだろうか!と
常々思っています。
いいことも悪いことも含め、真に追及して見れば。
同様に、罪は日本ばかりではありません。
イギリスも、フランスもドイツもアメリカも…悪いのです。
これもよく誤解されがちですが、『日本を悪者視する自虐的歴史観の人々≒中国・韓国を
何が何でもいいという人々』ではない。
要するに悪いものを悪い!と言っているだけなんですが、これがなかなか理解されませんねぇ…

私たちが原発を止めるには、…二度と戦争を起こさないためには……
この、『知らない』人々に粘り強く伝えて行くしかないんですね。
また、自分たちも偏狭に陥ることを排して共に勉強していくしかないんじゃないかと思うんです。

一歩一歩…政治が急速に右傾化していく中で、ほんとうに歯がゆいけれど、
今は地道な活動で、ひとつひとつ伝えて行くしかない…そう思っています。

星狩人さん。ありがとう~~~♪

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No title

佐村河内守氏を私が取り上げなければ、彼岸花さんが書き込むことも無かったのに・・
あの記事にどうこう言われたら困りますね。
あの時点での感想であるし、その後の事に触れて書かなければならないということもないですね。どうして、ありのままに二人の共作であると発表しなかったのか、不思議ですけど・・陰と陽でいる必要がないことですし、演技してまで自分だけの名声を得ようとした欲に取り憑かれてしまった姿が悲しいです・・

この頃、頭がお花畑になって考えるとこんぐらかって転結が何処かへ飛んで行って(笑)  北国の春は、ジックリ味わうべき善きものを、うわっ滑りに通り過ぎる危険も運んできて、私は桜に酔っ払って二日酔いが続いています。前記事を味わえるようにフワフワ飛んで冷静さを拾い集めないと、危ういこの頃です。
何が危ういって、お花畑が居心地よくッテ・困ります。

No title

 世間はゴールデンウィーク真っ盛りですが、私も例外ではありません。もっとも、だからといって、今更行楽地に出かけるだけの気力も体力も根性も義務感も使命感も、何よりも財力もありません。お前には副業の余得があるだろう、というツッコミもあるかもしれませんが、そんなものはとっくの昔にサントラCDに姿を変えている。故に、多少時間の余裕もできたので、貴ブログとうみそら居士氏のブログを覗いてみたのですが、後者の方は相変わらず飛ばしていて、私が取り付く島もないようです。ということで、ちょっかいを出すならば前者の方だろうという判断のもと、結論として貴ブログに面倒な奴が戻ってくる運びとなりました。ただし、GW限定ですから、その点はご安心を。

 さて、とりあえずは映画の話題ですよね。黒澤明監督の「夢」は当然のことながら観ています。というか、黒澤作品はほぼ全部観ています。もちろん、この映画でも放射能の恐ろしさがそれなりに表現されていますが、最初にこの映画を劇場で観たときは、管理人さんが本文で紹介したほどの感慨はありませんでした。と言うのも、黒澤作品でいうとこの映画から遡ること約30年前に製作され、本文に掲載されたYouTube映像内にも登場する「生きものの記録」から受けた衝撃を既に経験していたからでしょうね。有名な作品ですから説明は省きますが、原爆と原発という差はあれ、私には放射能に対する恐怖という点は共通であったようです。もちろん原爆は放射能というよりも一義的には「強力な爆弾」という恐怖であり、「生きものの記録」もそちらの要素の方が強かったわけですが。
 話を「夢」に戻しますが、この映画を最初に観たのはまだ20歳代でしたので、なぜ黒澤監督がこのような作品を残したのか、その意図が理解できませんでした。特にマーティン・スコセッシがゴッホを演じたエピソードなどは、その最たるものでしたが。もちろん、今でもちゃんと理解しているわけではありませんが、この歳になって実感できることは、監督が御自身の心の襞を何らかの形で他者に吐露したいという欲望に駆られたのではないか、ということでしょうか。ただ、それはそれとして、オムニバス形式であることを差し引いても、この映画自体の出来は黒澤監督の全盛期を知る者にとって、物足りないものでした。早い話が、脚本の出来が良くない。同じ題材を同じような形式で表現するにしても、もっとうまいやり方があったはず、と思われてならなかったわけですが、こればっかりはどうしようもないようです。
 関連の話で、映画の内容について管理人さんが作成したコメント返しの文章の内容について少し気になる点がありましたので、触れておきましょうか。まず、映画「黄金の七人」がハリウッド映画であるともとれる表記がありましたが、この作品はその後のシリーズ作「続・黄金の七人 レインボー作戦」も含めて、イタリア映画です。次に、映画「七人の侍」について、あたかも7人の浪士が健在のまま、村を去ったかの如き表現をされていましたが、生き残ったのは3人、そしてその中の1人は刀を捨て、村に留まりました。もちろん、これらの点は留意されているとは思いますが、一応念を押しておきます。あと、「黄金の七人」に対して「七人の侍」が与えた影響については、私は懐疑的です。

 次にオートラジオグラフィーによる放射能の可視化の話ですか。高校の生物で、光合成では二酸化炭素と水から炭水化物と酸素を生成するわけだが、その酸素は果たして二酸化炭素由来か、水由来か、それを確認する実験としてこの方法が用いられた、というのを教わりました。要するに、かなり以前から存在した方法ということです。放射性物質の存在をβ線源やγ線源を捕捉することで可視化するわけですが、これにより核種までが特定できるのでしょうか。もし、それができるのであればかなり画期的ですがね。
 あと、本文中にこんな行がありました。
 『そうして、それが出来たら、真っ先に総理大臣と東電および電力会社上層部の人間たちと原発をこの期に及んでまだ推進したがっている政治家、経済人、インチキ学者、…そういう人らにその線量計をつけてもらって、まっ黒黒に可視化されて見えるであろう福島第一の建屋に入ってもらおうじゃないか!!!』
 これは何ですかね。要するに彼らに「命を絶ちなさい」と言っているわけですか。放射線量の高い領域に無防備で入る、ということは、生命の危険に関わることである、にもかかわらず、それを助長する発言ということになります。確か『人を殺しちゃいけない』という訓示を垂れていたはずですよね。同じ人の発言とも思えない。
 こう言うと、これは彼らがこの問題の張本人であり、あれほど安全を唱えていたわけだから、そのことを身をもって証明せよ、自説が正しければ、何ら躊躇することはないはずだ、という意図であり、彼らを殺せと言っているのではない、曲解だ、という反論が返ってきそうです。まあ、そうなのでしょう。でも、不用意な発言には変わりない。私には言えませんね。

 あと、ついでにこの場で申し上げますが、韓国旅客船沈没事故について、管理人さんはブログで触れられていませんね。『憂い』はどこに行ったのでしょうか。もし、日本で同じような事故が起きたとしたら、管理人さんは激しく批判するのでしょうね。でも、韓国に対しては沈黙。日本よりも韓国を愛するゆえに甘い態度をとっているのでしょうか。なにか見解がおありでしたら、ぜひお聞かせください。

 話が多少、不穏な方に向かいました。軌道修正しましょう。最近の科学記事で興味深かったのは、先月の8日頃の日経記事にあった『放射性廃棄物の無害化に道?三菱重、実用研究へ』ですかね。サマリーを紹介すると、
 「三菱重工業は重水素を使い、少ないエネルギーで元素の種類を変える元素変換の基盤技術を確立した。原子炉や大がかりな加速器を使わずに、例えばセシウムは元素番号が4つ多いプラセオジウムに変わることなどを実験で確認した。将来の実証装置設置に向け、実用化研究に入る。放射性セシウムや同ストロンチウムを、無害な非放射性元素に変換する放射性廃棄物の無害化処理に道を開くもので、原発メーカーとして実用化を急ぐ。」
 さらに内容は、
 「具体的には厚さが数十ナノ(ナノは10億分の1)と極めて薄い金属のパラジウムと酸化カルシウムの薄膜を交互に積層した多層膜に変換したい金属を付ける。この膜に重水素を透過させると百数十時間で元素番号がそれぞれ2から4、6多い元素に変わった。
 セシウムはプラセオジウムに、ストロンチウムはモリブデン、カルシウムはチタン、タングステンは白金に変わることを確認した。特殊な薄膜に重水素を透過させる独自技術は日本での特許に続き2013年、欧州でも特許を取得した。
 先進研の石出孝センター長は「ここ数年で研究が大きく加速した」という。様々な手法で重水素の濃度を高めることで、新しい元素の収量がナノグラムからマイクログラムへ3桁増えた。測定精度も上がり、1平方センチメートル当たり最大数マイクログラムの元素変換を確認したとしている。セシウムの元素変換率は、ばらつきはあるものの100%近いものもあるという。元素変換を示唆するガンマ線も微量ながら検出している。同社はセシウムの場合、パラジウム多層膜の内部で4個の重水素が1個のセシウムの原子核に十分近づき、陽子4個と中性子4個が加わりプラセオジウムになったとの仮説を立てている。ただ、詳しいメカニズムや理論は分かっていない。」(新聞記事から一部抜粋)

 使用済み核燃料の処理については、京都大の山名元(やまなはじむ)教授のグループの取り組みや専焼炉構想などを、貴ブログやうみそら居士氏のブログなどに紹介してきましたが、これらはいずれも中性子のやり取りをするというもので、上記新聞記事の文字通りに原子炉や大がかりな加速器を使うものでした。
 これに対して、今回紹介したものは、それらを使うことがないので、それだけでもコストが少なくてすみますし、トリチウムの処分もあわせて出来ることなどが利点として挙げられそうです。ただ、いくら除染が進んだとしても、その取り除いた放射性物質の管理・保管の問題は残りますので、この分野の研究についても、企業任せではなく、国や大学などの関与があってもいいのでは、というのが私見です。
 まあ、この手の研究に興味を持つのは、化学をかじった者の癖(へき)とでもいうものですかね。どうなるかはわかりませんが、仮にこの理論がうまく機能し、プルトニウムの処理などにも技術発展すれば、原発の問題として最大のものの一つである使用済み核燃料の処分に目処が付くことになり、そうなると脱原発の流れに棹さすことになるのかもしれません。

 久し振りということもあり、少し長くなってしまいました。貴ブログに対しては、佐村河内守氏のことについても触れるべきだったかもしれません。これに関しても言いたいことはたくさんありますが、まあ、いいでしょう。GW中に管理人さんからコメント返しがあれば対応することもあるかもしれませんが、そうでなければ、次に訪れるとしたら、お盆あたりかな。では、失礼します。

ビキニ

黒澤の放射能へのこだわりには圧倒的にせまってくるものがありますね
「夢」の幻想的な美しさもさることながらビキニ水爆がじつはテーマの「生き物の記録」もすばらしい!

また「天国と地獄」でかばんを燃やすと煙に色がついてたちのぼる,というシーンは此れも放射能の可視化,「夢」の映像的な實驗ということにつながったりといはなしをきいたことがあります。いまいち黒澤映畫の社会的なところが最近は余り注目されないのはさびしいかぎりです・・・・ね!。
時代劇もいいですが!。京マチ子が美しい「羅生門」もねえ。

公民の授業なんかしなくていいから黒澤の時代劇でもみせればいいのにね
彼岸花さんがお好きな山中とか溝口とかね。「にんじょうかみふうせん」とかw
ねえ。

黒澤にかぎらずですがビキニ水爆実験がテーマの芸術作品は海外にもすばらしいものがおおいです

Re: サンデー先生より

鍵コメさん。お体のことよかった。
安心しました。それから、もう一つの件も安心しました。
や~。ガラパゴス人間ですからね~。スマホなんかもしもったら
パニックしちゃうだろうなあ(笑)。

まずはよかったです~。どうかご無理をなさいませんよう。^^

Re: 星狩人さんへ

星狩人さん。こんにちは。
昨夜ね、長いお返事書いてたんですけれど、操作ミスで(というかパソコンが勝手に)
あっという間に消えちゃった!
がっくりして昨夜はもう書きなおす気力がなく。
今日ちょっと出かけますので、帰ってきたらまた書きま~す。
少し遅くなりますが、ごめんなさい。

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Re: 愛希穂さんへ

愛希穂さん、こんにちは~。

そうですか。黒澤明ね。ご覧になられたことないですか。
『七人の侍』は名作中の名作。
これに影響を受けて、ハリウッドなどでは『荒野の七人』『黄金の七人』
などのシリーズが続々とできたんですよ。
一言で言えば、野武士たちに作物や女たちまでもを掠奪される小さな村の
住民たちを助けて、旅の通りすがりの7人の浪人達が、野武士をやっつけて
立ち去る、という活劇です。
その7人の登場のしかたが面白いのです。ひとり、また一人と個性豊かな
浪人達が集まってくる…

でもそれだけでは、世界の名作にはなりませんね。
『弱い』者の象徴のような農民たちが、実は一番したたかで、その内面には
長年虐げられてきた者が生きるために身につけて来た小狡さとか身勝手さとか
そんな人間の深い内面も描き出している…

なんといっても、雨の中の戦闘シーンのすごさや、浪人達の武士としての美しさとか
とにかく優れた部分がたくさんあります。
『荒野の七人』は西部劇。『黄金の七人』は痛快な強盗もの。
とても面白いですがしかし、『七人の侍』のような深さはありません…

けれども、黒澤の『七人の侍』で、主人公の武士たちが、ひとりひとり個性的な
登場のしかたをする、というアイディアそのものは、イギリスの『アーサー王と円卓の騎士』
にその原型が見られますし、黒澤はシェークスピアの翻案もの(『乱』は『リア王』から。
『蜘蛛巣城』は『マクベス」から。など)
も他に作っていますから、そうした東西の文化の融合、競作したところなども知って見ると
また面白いですぅ。

『七人の侍』は見る度に発見のある素晴らしい映画ですが、私は黒澤映画で他には、
この『夢』の中の『トンネル』という短編や、あまり見られることの少ない『デルス・ウザーラ』
という、黒澤がシベリアの大地に生きる老猟師を描いた哲学的な映画や、
『天国と地獄』という、昭和の匂いが画面に横溢する犯罪映画など、
好きなものがたくさんあります。
初めて黒澤を見るなら、やはり『七人の侍』か『用心棒』かな~……
日本のサムライの美しさがたまりませ~ん!後、白黒映像の美しさがね。

除染をしてなんとか汚染されてしまった土地に住民を返そうとしていることね。
私、4基の原子炉建屋がメルトダウンまたは建屋崩壊となったとき、その眼には見えないけれど
放出された放射性物質の線量のものすごさを考えたら、原発周辺はもうとても
人間の住めるところではなくなった、と考えていたんですよ。
ところが、父祖の地を離れたくない、慣れ親しんだ地域社会から離れたくない、
仕事の場を失いたくない、という住民の願いも尤もでした……。
その想いを外部の者がどうこう言う資格はとてもありません……

でもね。県と国と東電には責任があるわけですよ。
ところがこの三者は揃って、『除染して住民を元の住居に返す』という方針を
採りました。被曝の実態から目を逸らさせよう目を逸らそうとする試みばかりが
最初からあからさまでしたね。
すぐに健康に影響ないとか、野菜を食べても水を飲んでも安全だとか、
笑っている人の方が放射線の影響は少ない。避難してくよくよしている方が体に悪いとか。
とにかく学者からマスコミから、ありとあらゆる手段で、この三者は、
『被災者を元の住居に返そう』キャンペーンを巧妙にやって来たんですね。
県知事などはなんと、被災者を受け入れてくれた他の自治体に、ある時点で、もうこれ以上
受け入れないでくれ、とまで言っているんですよ。福島の人口が減っちゃうから!
被曝の結果を知りたくても教えないとか、県御用達の医大など以外の他の放射線関連の病院に、
被災者が検査に行っても検査をしないように要望(お触れ)を出すとか、
http://www.asyura2.com/12/genpatu24/msg/692.html
とにかく被曝の実態を隠そう隠そう過小評価しようというそのあからさまな試みはひどいもんです!
さっさと住民を強制的に避難させて、新しい生活の場を与えた旧ソ連の方が
その点ではよほど人道的でした。

私ね。2011年の3月。計算してみたことがあるんです。
除染の費用は5兆円を超えると言われています。でも本当はもっとかかるかもしれない…。
福島県の人口は約200万人です。
でも、会津地方などは汚染されないですみました。
それで汚染された地域と一応みなされる相馬・双葉郡地域の人口の合計出してみたんですよ。
するとおよそ15万人(事故前の2010年)です。
http://www.aec.go.jp/jicst/NC/iinkai/teirei/siryo2013/siryo32/siryo1-3.pdf#search='%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%9C%8C+%E7%A6%8F%E5%B3%B6%E7%AC%AC%E4%B8%80%E5%8E%9F%E7%99%BA+%E7%BD%B9%E7%81%BD%E8%80%85+%E6%95%B0'

でも実際は、福島市の一部なども線量の高いところはあります。
それで、避難が必要な人々の数を多めに見積もって、およそ20万人としてみます。
除染費用の5兆円を20万で割ると、一人あたり2500万円です。
3人家族なら7500万、4人家族なら1億円です。

…そんな計算をしてみてたんです。
除染除染と国も県も東電もそればかりだったけれど、それが本当にいいのかという
疑問は常に心の内にありました。
この資金で、それぞれに家族でよく相談して新しいところで家族揃って暮らすか
それとも留まるか・・・決めていただくこともできたのではないかと思いました。
留まりたい、と願うのは、父祖の土地との結び付きを大事に思うご老人が多い。
それを斟酌しないわけにはいかないけれど、傍からは何も言えないけれど、
いくらいくらのお金が早急に手に入るという保証さえあれば、考えも変わった方々も
いたかもしれません…
また、町としても方針が立てやすかったかも。その一部の資金を使って町くるみの
移転を考えるとか…ね。
家族がバラバラになってしまって、心身の不調をきたしたり、狭い仮設住宅で
孤立死したり、ということも少なくて済んだかもしれません…
先の方針や希望が見えない、ということが、人々の心を疲弊させてしまう…。
金額は充分とは言えないかもしれないけれど、少なくとも別な土地に家族揃ってすめる家を得て、
そこを拠点に仕事も探す、という決断が出来る金額だとは思います……。

無論単純にはいかないでしょう。
でも、除染除染、と除染がすべて問題を解決する、というようなやり方には
私は最初から疑問を持っていました…
チェルノブイリの人々からも、除染しても放射線量は下がらない、無駄だ、という
忠告は受けていたはずです。
除染で結局儲かったのは、大手ゼネコンです。
福島原発事故後の除染モデル事業は独立行政法人・日本原子力研究開発機構(原子力機構)が担い、
同機構が再委託する三つの共同企業体(JV)の幹事会社は、原発建設の受注でトップ3を占める
大手ゼネコン、…大成建設、鹿島、大林組、などです。
この鹿島、大林組、大成建設の三社は、全国全五十七基の原子炉建屋の建設実績でも、
そのベスト3を占めているそうです。
鹿島は二十四基、大林組は十一基、大成建設は十基を受注。以下、竹中工務店(七基)、
清水建設(五基)と続く。
除染モデル事業を委託された原子力機構は、あの高速増殖原型炉「もんじゅ」を運営
しています。
安倍首相は今回の外遊で、フランスと高速炉の研究開発で協力していくことを
約束してきましたね。もんじゅの研究がこれで堂々と生き残ることになります…。

福島第一は万全の安全策をとっているから、全電源喪失などあり得ないんだと、
2006年、共産党吉井秀勝議員の質問を握りつぶした安倍首相。
その人がまた総理になり、原子力機構と、原発建設に携わってきたスーパーゼネコンと。
それじゃあ、本当の意味での住民の健康対策よりも、除染除染と、除染が第一義に
なってしまうわけですよね~……。
被害者のみなさんに直接お金配ってしまったのじゃあ、なんの旨味もない……
お金の流れを追えば、真実が見えてくるというのはいつの時代もどの問題でも
言えることですねぇ…

国民もまた、そのからくりを見ないようにしているというか…

なぜ、物事がより良い方向に行かないのか、わかる気がしますね~~~
情けないことですが。

愛希穂さん。いつもありがとう~♪




一刻も早く、被曝対策を!

彼岸花さん。放射能の問題を、詳しく書いて下さり、ありがとうございます。
でもそれまでに、どれほどの苦渋に満ちた想いをされてきたことか・・・
福島のご親族のこともふくめて・・・察するに余りあります。

私も被曝のことを書くたびに、苦しい気持にさせられてきました。
でもいま私たちが、最もよく学び、よく知らなければならないのは、
「これからが本番」になる、フクシマ事故による、被曝の現実なんです。

広島平和公園の、「原爆の子の像」のモデルとなった、佐々木さだ子さん。
被曝当時は2歳。身体の不調も目立った病気もなく、元気にすくすく成長し、
スポーツが得意な子供だったそうです。でも小学6年のある日、発症したんですね。
風邪だと思ったら白血病で、薬の紙で千羽鶴を折りながら、帰らぬ人となりました。

目に見えず、色も臭いも痛みもなく、浴びても体に傷ひとつできないのに、
確実に健康を蝕まれる晩発性障害。それが被曝の恐ろしさです。

日本人は子供のころ、この千羽鶴のお話を、たぶん聞いているはずです。
『はだしのゲン』を、読んだ人も多いはすです。でもそれならそこから、
フクシマの佐々木さだ子、中岡ゲンを想像しなければ、読んだ意味がありません。

いま首都圏でも、「突然死」が増えていると聞いています。
私の知人の姪御さんも、東京で元気に働いていたのに・・・急死されました。
お葬式は火葬場が混んでいて、一週間も待たなければならなかったとか。
これは、どういうことなんでしょうか。これをすぐに被曝との関連づけるのは、
医学的には慎重でなければなりませんが・・・なにかが起こっているのでは。
どうか充分に気をつけて、出来る限りの対策をなさって下さい。お願いします。

私は原発問題を、電力・エネルギー・経済の問題に限定して論じることに、
大変な違和感と、意図的な欺瞞を感じ、苛立ちを隠せませんでした。

原発が問題なのは、今ある産業社会の差別構造と、弱者犠牲の上にあるからで、
さらに事故の有無の関わらず、いまだ人間には制御できない核技術が、
地球生命と生存環境を、大規模に破壊する危険を、常に持っているからでしょう。

そういう問題意識を一切持たず、ただ「げんぱつはんた~い」と声を挙げる人間を、
私は(いままで黙っていたけれど)、とても信じることができなかった。
ひどい話になると、原発問題は、発電方法を新エネに移行して、全廃炉を達成し、
放射能は除染して、フクイチは貧乏人に後始末させれば、それで解決だとか。

とんでもない話です。それよりいま早急に必要なのは、
公的な支援による被曝者の移住と生活保障を含めた、国民的な被曝対策でしょう。
フクシマ事故によって、国土の一部は死滅して、除染しようにも不可能、
高濃度汚染地へは、二度と戻って住むことはできないのだと、国はそのことを認め、
全国民に謝罪し、被害者には補償すべきです。(望むべくもありませんが)

ようやく「脱原発」と共に、「脱被曝」の声を挙げてくれたのは、太郎さんですが、
それ以前には(いまでもですが)、徹底した脱原発の人でも、被曝には無頓着で、
脱原発を叫びながら、地元では汚染瓦礫を受け入れて燃やし、被曝の話をすれば、
その瞬間、聞こえなかったことにするか、異分子やキ○ガイ扱いされたものです。

でもそんな中で、大規模な汚染を免れた西日本の、岡山という、
温暖で災害の少ない土地柄が、注目されるようになり、
関東・東北の被曝地から、多くの方たちが、移住してこられました。
その方たちのコミュニティが、地元の有志の方々とも連携されて、
被曝問題に関しては、素晴らしい働きをしてくださっているんです。

先日は、木下黄太さんのウクライナからの報告会や、
首都圏から避難され、岡山で開業された医師の方のお話を、
聞く機会がありました。なんと韓国のテレビ局が取材に来ていて、
ゴールデンタイムに放送するとか・・・日本では、そんなこと不可能ですよね。
しかし当然ながら、海外では非常に厳しい目を、日本に向けています。

ウクライナでも状況は厳しく、政府は健康被害を認めていませんし、
政情不安や貧しさで、必要な医療器材も揃わず、
病院には真冬でも、暖房がないほどですが、医師たちの意識は高く、
病気の子供たちとの親身のふれあいは、日本人も見習うべきです。
学校でも授業前に、子供たちが特別な体操をするのですが、それは、
意識がぼんやりするのを防ぐためらしく、どれだけ有効かは分かりませんが、
では日本の学校では、子供たちに、いったいなにを食べさせているのか?

ウクライナにも「放射脳おばさん」がいて、汚染の疑われる食品は
神経質なまでに絶対食べない。でもその方は人口学者なんです。
専門家が見ても、途上国は一般的に人口が横ばいか、増え続けるものなのに、
ウクライナでは減少している・・・その原因を、よく知っているからなのです。
かと思えば、ドイツ人に言わせれば「プラスチックの玩具」でしかない、
ウクライナのホールボディカウンターを、日本の業者が購入しに来るとか。

ウクライナの活動家によれば、被曝の現実は「これからが本番」であると。
健康のためにも、被曝の状況を正しく把握して、検査の回数を増やすこと。
なによりも被曝地の子供たちを、できるだけ転地保養させること。
そして、「医師が立ち上がる」べきであると。
日本では、それができるまでに、いったいどのくらい掛かることか。

ウクライナでは、強制避難区域に当たる高濃度汚染の地域にも、
日本では子供たちが、笑顔で遊んでいる。人は、放射能とは戦えません。
身体が頑丈か脆弱かの問題ではない。ふるさとの復興の話でもない。
こんなのは犯罪的です。この国は、先進国なんかじゃない。

カルディコット博士は、最大の被曝対策は、移住であると断言しました。
それができなければ、短期間でも転地保養すべきでしょう。
バンダジェフスキー博士は、健康を守るためにも、たびたび検査を受けること、
可能な限り汚染食品を食べないことを、心がけるよう訴えました。
世界中の良心が、日本人を心配して、智恵と支援を与えてくれるのに、
私たちはできる限りの対策をしているでしょうか?なぜ、しないのでしょうか?

放射性物質の可視化・・・これは思い切った、斬新な試みだと思いますが、
空間線量(シーベルト)や汚染濃度(ベクレル)の、すさまじい数字を見ながらも、
なんにも感じない人間が、この写真を見ても・・・きれいなアートでしかないのかも。
核種ごとに色がついていたら、毒々しいうより、息を呑むほど美しいのかも。
実際に、ウランガラスやチェレンコフ放射光は・・・とっても神秘的な光ですし、
不埒な話ですが、私は3.11までは、そういうものに強く魅かれる人間でした。

>放射能の恐怖に駆られた人々は、次々に海に飛び込んで行く……
>そして、自分にもこんなことを起こしてしまった責任があった、と言って、
 彼も海に飛び込んでしまうのである…

映画での人々は、恐怖や責任を感じるだけ、まともだけれど・・・
私たちはいまも、なにごともなかったように、笑顔で過ごしています。

いまでも汚染されたのは福島県の、原発周辺の一部地域であるとか、
年齢が高くなるほど被曝には強いから、老人はなにを食べても大丈夫だとか、
めちゃくちゃな話を信じている人が多すぎるのには、驚いてしまいます。

楽観はできませんが、少しでも人々に訴えかけられる、有効な方法を探し、
もっとも責任ある人間たちが、どうしても動かないのなら、もうそれには頼らず、
気付いた人間から、どんなに小さな力であっても、働きかけていきたいです。

書きながら、あまりの無力感に、自己嫌悪に陥ってしまいました。

可視化できたらいいのに

こんにちは。

黒澤明監督の名前は知っていますが、その作品を見たことはありません。
でも、彼岸花さんが紹介して下さったこの映像を見て、「世界の黒澤」と言われたことが、とても納得できました。

「人間は幸せになることを望まなきゃならないのに、不幸になることばっかりやっている」と語っておられますが、その通りだと思います。
原発だって、TPPだってまさしくその通り。
でも、眼をそむけてばかり。だから、お上は好き放題。鹿児島の補選も、沖縄の市長選がそのいい例だと思います。

>除染などという誤魔化しをいつまでもしているのをやめて、福島の一部はもう帰還できないほど汚染されたしまったのだという現実を直視し、
その除染などで無駄にするお金を、各世帯に後の生活を保障できるだけの金額としてお渡しして、
新天地で家族揃って暮らしてもらう方がいのではないか、

私も同じように思います。先日facebookで福島に住む女性の声を聞きましたが、葛藤している人たちの多くは、生活の保障さえ確かであれば、新天地で生きていこうってけついできるのではないかと思います。

今なお福島原発事故は解決されていないどころか、今でも害を撒き散らしているのに、原発を輸出しようとしていたり、原発は止められない等と発言する政府には、本当に憤りを覚えます。

放射能が目には見えないことをいいことに・・・。この映画のように放射能に色を付けて可視化できたら、状況も少しは変わるのでしょうか。
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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