『8月の終わりに想うこと ①』

今年の8月はなにかこころ寂しくいつのまにか静かに過ぎて行った…
そんな8月だったような気がする。
7月の初め頃、妙に息苦しいような、そう…胸郭が狭くなって大きく息がしづらいような
そんな違和感を胸に覚えて、背中の一部も痛く、とりわけ夜、横になると、
ほんとうに息がしづらい。それが気になって寝返りばかり打って眠れないままに
朝を迎えてしまうという日が続いた。10年ほど前、狭心症、と診断された時と似ている。
都内の大きな病院に仕方なくかかったけれど、検査の結果が出るのに1カ月、2か月と待たされる。
病名もわからずしたがって治療というものもなく、中途半端な気持ちのまま夏は過ぎた。

昨夏の私は、火野葦平や石川達三など、日中戦争のことを書いた作家の作品を
読んで、それについてブログに記事を書いていた。
なぜ、そんな古い戦記文学などをいまさら掘りくり返したりしていたか、と言えば、
戦後68年(昨年の時点で)、急速にあの戦争の記憶がこの日本から消えて行こうとしていることに
危機感を覚えたからである。
戦争を我が身で直接痛みとして経験した人々は老いて、残念なことに証言台から去っていきつつある…
私のように戦後生まれではあるが終戦後の日本の空気を子供心にうっすら感じて記憶し、
父母や近しい人々から戦争中の話を聞いた世代の者さえ、今、こうして老いつつある。
2006年、戦後生まれとしては最初の宰相として、安倍晋三氏が就任。
以降、戦後生まれの宰相が、鳩山、菅、野田、そして再び安倍、と続いて今に至っている。
若い人々の中には、驚くことに、日本がアメリカと戦争をしたことさえ知らない者がいると聞く。
そんなことでは、仮に政治が自分たちになにを押しつけようとしていてもそれに鈍感で
あり続けてしまうだろう。

以前の記事にも引用させてもらったけれど、
「鉄の暴風」と呼ばれた沖縄戦で、 ひめゆり学徒たちを戦場に引率し、 戦後は琉球大教授になった
仲宗根政善さんは 一九七〇年の日記にこんな一文を残していたそうだ。

「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」

日中戦争、太平洋戦争ではどれほど多くの血が流されたことだったろう…。
だが、その痛みを直接知るものは、先ほども書いたように、急速に少なくなっていきつつある…
悲しいことだが、『血の記憶』は急速に薄れて行きつつあるのだ。
…そうして、陸軍伍長として戦争を自ら経験した作家火野葦平が、その実録に近い作品『土と兵隊』の中で、
『脳漿を地にすりつけるような戦だ』と表現し、また
『なんと戦争とは汚いものだの』と述懐したように、戦争は戦友の血のりの中をはいずりまわり、
すぐそばに敵兵の死体の浮かぶクリークの水を呑み飯盒炊爨の米をとぐ、といったような
生の肉体の傷つけ合い、生命の奪い合いだ。
戦争が、そのような生身の体の血しぶきを地に飛ばす悲惨なものではなく、
リセットすれば再び兵士が立ち上がって元気に動き出すような、そんなゲーム感覚でしか
戦争のことを考えられない者たちは逆に増えて行っているのではないか。
あまりにも肉体の痛みを知らない、その想像力さえ乏しい政治家が増えて行っているのではないか。

戦争の記憶を語り継がねば…

そう焦ったけれど、さて、どうやったら、直接戦争を知らない私が、さらに若い人々に
戦争の実態を伝えることができるのか。
「こんなことがあったらしいよ」とただ間接的に伝えようとするだけでは、戦争の歴史という
予備知識を持たない…その空気をまるで想像もできない世代の人々の心にはなかなか届きづらいだろう…

考えた末に私が選んだ方法は、いっそ文学の力を借りてみようか、ということだった。
それも、英雄物語や涙を誘う美談としてではなく、戦場の真実、銃後の人々の生活の真実に
極力近い、いわば後世の人々のためのドキュメントとしての価値のありそうな戦争文学を。
それも、戦後の言論の自由が得られた時代になって書かれたものでなく、出来れば戦中にこそ
書かれたものを……

火野葦平、石川達三…と書いて、続いて、大岡昇平、堀田善衛、…
黒島傳治…、と、自らも勉強しながら書いて行こうと考えていた……。

だが、安倍政権によって秘密保護法があっさりと成立してしまい、続く都知事選での
リベラルの惨敗とその分裂ぶりへの失望は、自分の望まぬ方向に突き進む政治への反発力というか
声をあげて行くための体力というか、…政治に異を唱えて行く言葉そのものを発する気力を
なにか私のこころから奪ってしまった……。
だが、そうやって黙りこんでいる間に、どんなにこの日本ではいろいろなことが進んでしまっただろう!!!
安倍政権は武器輸出三原則を事実上撤廃、日本を堂々と武器輸出できる国にしてしまった。
さらに7月1日には、多くの国民の声を無視して『自衛隊の集団的自衛権行使容認』を閣議決定。
戦後69年。日本国憲法が施行されてから67年。
これまで、主に政権を担当してきた自民党が何度改憲を試みようとしたか知れないが、
骨身に沁みて戦争の悲惨を経験してきた人々は、「もう戦争など二度といやだ!」と、
不戦を誓った日本国憲法をなんだかだいって守り抜いてきた。
…その日本国憲法の『戦争の放棄』を謳った第9条を、安倍政権は、実質上骨抜きに
してしまいつつあるのである。
そればかりか、一内閣がいわば内輪の閣議決定によってこのような大事な改変を実行して
しまおうとすることは、憲法に謳う国民主権や、三権分立、立憲主義への重大な冒涜である。

それは、ただ憲法を骨抜きにしたという形の上のことに留まらず、
国民の、『秩序への信頼』とか『公正さの存在を信じていられる心』とかいう…
いわば『何かを信じていられる心』という大事なものそのものを破壊したのだということに
安倍さんたちは気がついているのだろうか・・・

一国の政治というものがこのように『なんでもあり』の勝手ができるものならば、
「国民だって、すべての秩序や信頼や信義や公正さを無視して『なんでもあり』なんじゃない?」
と考える者だって出てきておかしくない、その悪しき先例を、せっせと国民の代表たる
政治家が作っているのだというおそろしいことに……。

私たち国民は、先の衆院選と参院選で自民党を大勝させてしまうという自らの選択によって、
このように安倍自民党政権に、なんでも自由に出来る武器を与えてしまったのである。
よく国の政治は、大きく右にぶれても、必ずいつかその揺り戻しがあり、また振り子は
左に揺れて、それを繰り返してバランスをとっていくものだ…、そんなふうに言われることがある。
確かに戦後の日本は、ほぼ自民党の一党支配の方へ傾きつつも、野党がまだしっかりしていて、
その上、当の自民党内にもリベラルというような政治家や、バランスをとっていくのに長けた
老獪な政治家などもいたりして、仮に一部の人々がスパイ防止法などという危険なものを
持ち出して来ても、それはまずいだろうと引きとめる作用を働かせていた。

今はどうか。
ご存じのように、もう安倍政権を止める力を持った者は誰もいない……
野党とは名ばかり、安倍自民党よりさらに右傾化した野党などもあって、今回の
集団的自衛権の行使のための数々の法案が来春一括して国会審議にかけられても、
おそらくそこでの議論は踏み込んだものにはならず、あっさりと両院を通過してしまうだろう。
…そうすれば、いよいよこの国は、戦後70年にして、憲法で謳う『戦争の放棄』を
有名無実のものにして、戦争のできる国へ、と大きな大きな一歩を踏み出すだろう。
最後の防波堤は、私たち国民自身の『2度と戦争はしないさせない』『平和憲法を守ってみせる』
という強い想いがあるかどうかにかかっているのだが、どうもそれがこころもとない。

「憲法から血のいろがあせた時、国民は再び戦争に向かうだろう」 という
仲宗根政善さんの言葉通りに、
①私たちは、この憲法がどれほど多くの国内外の戦争犠牲者の血と苦しみの果てに
 得られたものか、ということを、
②この憲法の精神を守っていくためには、憲法そのものの中に、
 『この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持 しなければならない
 又、国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。』
 と、すでに先を見越して第12条によって賢くも忠告されている通り、国民が強く自覚して
 これを守ろうとしていかないと、それはたやすく奪われ得るものだということを、
③そうしてそれが、ひとたび奪われてしまったならば、それを取り戻すにはまたどれほどの
 闘いが再び必要で、ときにはまた血を流さねばならないかもしれないことを、
ぼんやりしていて忘れがちである。
或いは、生まれた時から一応の国内の平和と人間としての諸権利が当たり前のように
そこにあったために、そもそもそういうことについて考えてみたことさえない。
それは、例に引くことさえが非礼で鈍感なことだが、今、ウクライナの混乱を思ってみよ。
ガザの悲劇を思ってみよ。

ずっと前、アフガニスタンのどこかの都市の美しかったころの白黒写真を見たことがあった。
どこで見たのだったか昔のことで覚えていないが、『1979年、ソ連侵攻前のアフガニスタンの街』
と、私自身の中では認識していたので、その頃のものだったろうと思う。
ヨーロッパのどこか大都市の街並の一角か、と思うような石畳の美しい街には
涼しげな街路樹が葉の影を落とし、ショーウィンドウのある豊かそうな店が並んで、
そこを人々が平和に行き交っている……そんな感じの写真だった。

…あの写真をもう一度見たい!そう思って折に触れ探しているけれど、あれはなにかの
本の中の1ページにでもあったのか、まだ巡り会えていない。
しかし、こんな写真をネット上で見つけた。

1960年代のアフガニスタンの写真。
http://newclassic.jp/17176

その中に1枚に注目してみる。

40年前のカブール

これはカブール(カーブル)の公園らしい。
その同じ場所の現在の姿はこれだ。

カブール現在の

http://manamana217.blog119.fc2.com/blog-entry-15.html
上記サイトより写真はお借りした。

現在のカブールの状況について田中龍作ジャーナルから。
http://tanakaryusaku.jp/2008/01/000429

アフガニスタンは、Wikipediaなどちょっと読んだくらいではとても覚えられないほど、
複雑な入り組んだ歴史を持った国である。
上の写真を見ただけで、単純にソ連侵攻が悪かった、いや、アメリカの軍事介入のせいだ、
そうじゃないアフガニスタン人の愚かな内戦のせいだ、彼ら自身が悪いのだ…などと
単純に割り切ることなどとてもできない。
この2枚の対比写真の前者だって、西欧の息のかかった作為のある写真かもしれないから、
これを単純に『アフガニスタンが幸せだった時代』などと決めつけるわけにはいかない。
この美しい公園を一歩出れば、こんな欧化された光景ではなく、アフガン人の昔ながらの
暮らしの姿があったのだろう。私たちは欧米人の目と常識で持って世界のものごとを
見がちなので、なにをもって『幸せな時代』などと呼ぶか、ということには意識して
抑制的でなければならないだろう。

…だが、それにしても、度重なる海外の強国からの武力介入やうち続く内乱によって
瓦礫の街と化してしまった現在のカブール(カーブル)の姿は、あまりにも痛々しい。

…この破壊しつくされた街を見て、
「そら見ろ。やはり、他からの武力介入にそなえて、自衛のための武装を強化することや、
集団的自衛権は絶対に行使できるように国内の法律を整えておくことは不可欠だろ。
日本がこういうありさまになっていいのか?」
と勢いづく人々がいるかもしれない。

しかし、ガザの悲劇にしても、このカブールにしても、人間は戦争や内乱などの武力行使によって
幸せになるということなど一体あるのだろうか?
対立は憎しみを生み、一旦武器を取って傷つけあいや殺し合いをしてしまったら、
さらに憎しみは増幅されて、戦闘は泥沼化していくのを、私たちは今、ウクライナの地で
シリアでガザで…偏った報道であるかも知れないにしても、とにかくリアルタイムで見ているではないか?
戦争も内乱も、どちらが勝つにしてもいきつくところまで行ってみないと終わりはしない。
ガザの停戦合意も、あれは合意、ではなく、イスラエルが圧倒的武力の差によって、ガザの街を
徹底的に破壊し、目的を達したから終わりそうになっているだけのことだ。
その間に一体どれほどの子供たちなどの命が失われたことか……

                    *

安倍氏は2015年秋の総裁選で再選されて、長期に政権を担当することに意欲満々で、
このまま行けばそうなってしまうだろう。
さすれば、いよいよ改憲だ!
私たちは、憲法9条だけでなく、今の日本国憲法の国民主権や立憲主義の考え方を
根本から崩してしまい、武器輸出などで積極的に世界の戦争に加担しようとしているこの政権に
立ち向かい、憲法を守りきることが果たしてできるのだろうか?

私も再び声を上げていこう……





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Re: しほさんへ

しほさん。こんにちは♪
お月さま。見ましたよ。^^
私も月の出は見損ねたけれど、雲間からときどき顔をのぞかせている月を。
でも昨夜の十六夜の月の方がくっきり綺麗に見えました。
こころもち、いつもの月よりは大きかったように思います。^^

ラジオ、聴きましたよ~~~♪
最近、夜は、野球放送が終わった頃を見計らってから、TBS聴いていることが
多いです。
しほさんに教えていただいてから荻上チキさんの番組がお気に入りになりました。^^
ディキャッチも聴きたいけれど、昼間はなかなかラジオ聴けない。
私は音を出さずにイヤホンつけていつも聴いているので、落ち着いて座っていられる
時間帯にならないとなかなか聞けないの…

右傾化していく時の流れに合わせたように、絶妙のタイミングで出るものですね。
まあ、意図的にこの時期を選んだわけでもないだろうけれど、ひとの目は集めますよね~。

私はパソコンのワード機能が絶不調。ある程度動き出すと普通に動くんだけれど、
立ち上げてからしばらくがほんとに言うこと聞いてくれなくて困ってしまいます。

そちらは雨はどうですか。
こちらは先ほどから日差しが明るくなりましたよ。
こんばんはキャンドルナイト。
これからちょっとセッテイングしておこうかな。^^

いつもありがとうございます♪
記事、いっぱい書きたいんだけれど、頭の中もパソコンと同じに
ちょっと機能低下気味なのかなぁ?(笑)










パソコンのワード機能が絶不調。

No title

彼岸花さん、こんばんは。
今日は満月。しかも大きく見えると…
月が出始めるのを逃しました。
以前見た月より小さいよ〜と思いながらもやっぱり大きめだったかな。
ご覧になりましたか?
教えて頂いたホームページを時々チェックしてます。

ところで、今夜のsession22前半は興味深い内容でした。
良かったら聴いてみて下さい。

Re: スキップさんへ

スキップさん、こんばんは♪

本当に、安倍さんは前のめりに改憲まで一気に行ってしまいそうです。
のんびり語り継いでいこう、などと思っているうちにもうすべてが決まってしまいそうですね。
一度決まってしまったことは、政権が変わったら容易に変えられる、なんてものじゃ
ないと思います。ひとつひとつ国民の権利が奪われていき、とりわけ言論の自由
集会結社の自由などというものは、ひとたび取り上げられてしまったら、
批判の手段さえ、国民がなくしてしまうということですものね。
教育への政治の介入もそうですが、国民が政府に都合のいいような者に
作りかえられていってしまう。
困ったことに、その恐ろしさに気づいていない人が多すぎるように思います。

『戦争に行かない、行かせない宣言』。いいですね。
『非核都市宣言』のように、小さな自治体レベルから
そういう宣言広げて行きたいですね。

スキップさんのような『語り継ぐ活動』も、でも引き続き続けて
行かないと、ほんとうに戦争のこと全く知らない国民ばかりになってしまいます。
今度の内閣改造だって、女性が何人入った、なんてそんなことで喜んでちゃダメなんで、
どういう人が選ばれたかということが問題なのに、ただメンバーが新しくなっただけで
気分的に支持率が上がる、などというのは情けない限りです。

スキップさん、ありがとうございます~~~♪




今度の

Re: 鍵コメさんへ

ほんとだ!
ありがとう~~~♪
こちらも了解です♪

パソコンはたぶん私、機能の0.00000000001%も使いこなしてないかも。^^

また困ったら、教わりに伺います~。
ありがとう~~~♪

No title

 戦争体験を語る会を先月九日に開きました。会員身内だけでしたが、結構知らないことが出てきました。
 問題は戦争体験者が高齢化していることです。もちろん、亡くなられています。そうすると、親から聞いた戦争体験を我々が子や孫世代に語ってゆかねばなりません。そういうことで、父から聞いた話をまとめて、ブログに書き上げ、プリントアウトもして読んでいただいています。
 さらに、これを小中高生に語る場を設けたいとも思っています。旧同僚が現在校長をしている学校で、まず、と考えていますがどうなることでしょうか。
 しかし、安倍さんの動きは急です。語り継いでいるうちに、日本人が戦場に立ってしまうかもしれないほどです。そこで、今考えているのが『戦争に行かない、行かせない宣言』です。安倍さんやその賛同者の多くは国が言えば、国民はみんな戦場に行くと疑っていません。また、そういうことにならぬように、教育基本法を変えています。この彼らの自信を揺るがすことをしなければと言う思いです。多くの国民がこの宣言を意思表示することは戦争遂行が難しいと彼らに思わせられると思うの尾ですがね、どうでしょうか。

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Re: 鍵コメさんへ

こんばんは~♪
ほんとに涼しくなりました。
夏生まれのくせに暑さに弱い私にはありがたいです。

おお!!
ありがとうございますっ。
お気にかけていてくださったの、嬉しいなあ。
いや~、小さなことでちょこちょこ困っていたんですよ。
これ。両方ともすごくありがたいです。
例えば、夏目漱石と打つとちゃんと出るけれど、『そうせき』だけだと
『添う背黄』ってでてくるのには、まあ、しょっちゅう漱石のこと
書いてるわけじゃないけれど、いつもイライラしていました。
なんで『背黄』なんて書いてくれちゃうかというと、もうずうっと依然、
『背黄青インコ』のこと、書いたことがあったのです。
それをいつまでも義理堅く覚えていてくれてる!(笑)

他にもいっぱい、しょっちゅう使う語なのに、誤変換というか、ちゃんと出ない
語があって、いつもイライラしていたけれど、これですっきり覚えさせられます。
こちらに来てくださる方々のお名前でも、特に難しくないのに、
変な覚え方してくれちゃってるのがあって、それも困っていたんです。
例えば、『コメットさん』と書きたいのに『コメットサン』って必ず変換するとか。(爆)
ささやかな間違いなんだけど、毎回、「もう~~~!』と思ってた。^^
たぶん、この誤変換の癖は、私のタイピングがへただからだろうと思います。
『コメット』と『さん』を切って打てばいいだけのことだろうと思うけれども。
下手くそなのでよく打ち間違うんですよね。すると、その変な奴に限って
きちっと覚えてくれちゃう!(笑)
そう。『お話』というのも一回で出ない。『お鼻氏』と必ず出てくる!

よく使う言葉は、これで記憶させるといいのですね。これは便利。
難しい莞爾は、…違う違う!でも、こういう間違いは、なんだかいじらしいなあ(笑)。
歴史の勉強全然しない人間が多い中で。一回で覚えるなんて、えらいぞ、パソコン!(爆)

漢字の見つけ方も、了解了解。

ありがとうございます。これからもわからないこと教えてくださいね。^^

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Re:stanislowskiさんへ

stanislowskiさん。こんばんは^^。お久しぶりです。

ブログが書けなくなるお気持ち、ようくよくわかりますよ。i-241
私もね、自分で書いていて息がつまりそうになります。
まして、読んでくださる方々には、相当のご負担をおかけしているのだろうなあ、と
思わない日はありません…
ここを訪れてくださる方々は、みなさん理解のある方ばかり。
大抵は、同じような考え方をもっていらっしゃるかたが多いのではないかなと思います。
それでも、辛抱強く読んでくださるその気持ちに甘えて、このような硬い記事ばかり
書いてアップするのが申しわけなく、ためらうことしばしばなんですよ。
皆さんによけいなプレッシャーをおかけしているのではないか…。

そう思うと、記事を書き始めてもなんだか虚しくなって、途中でやめてしまった記事が
どれほどたくさんあることか。
それに、自分の体の方が正直で、一時、記事書こうとパソコンの前に坐ると、即、
おなかが痛くなる、ということが続いていたんですよね~。
(昨日からまた、その症状が出始めちゃった!とほほ…)

これで少しづつでも、事態がいい方向へ進んで行っているのなら、頑張る甲斐も
あるというものですが、むしろ事態は逆に望まない方へ望まない方へ、と
進んで行っている。むなしさは半端じゃないです。

まして福島の方々は、どれほどの矛盾と悩みと不安を抱えて
生きていらっしゃることでしょうか。
原発誘致と全く関わりなく生きていらした方もたくさんいらっしゃるのだし、
反対運動してらした方がたもいらっしゃるはずです。
原発関連の仕事を無くしてしまえば、即、生きる糧を失う、という方々もいらっしゃる。
それらの人々が『被災地』というくくりでひとまとめにされて、『フクシマ』の人々、
と特殊な目で見られるわけですからね。
…しかも、それは、そういった外部からの突き放した目だけではなく、
同じ福島に生きる人々の間にさえ、原発に関する考え方の違いや、
避難か居住かという選択についても大きな温度差がそれぞれにある。
自分の思うように道を選べない縛りがきっときっと働いているだろうと察します。

「もう疲れた……」とお思いになるのに対して、ほんとうになんと言っていいか…、
「お察しします」などと軽いことばなど到底言えないです。
福島の方々に対しては、私自身もいろんな感情がこころの中で錯綜していて、
3.11後からずっと…うまく気持ちが整理できないままです。

「申しわけない」という気持ちがまず一番強いかなぁ…

希望を共に語っていかなければならないのだろうと思います。
そして、小さなことから動いていかなければならないのだろうと思います。
私のように座りこんで嘆いているだけでは何も生まれないし進展しない。
その意味で、土湯温泉の人々が、温泉バイナリー発電に取り組んでいらっしゃいますよね。
(私の故郷大分県九重町では計画が一歩進んで、温泉地に活気を生んでいると聞きます。)
そういうのすごくいいと思うんです。

エネルギーのことだけでなく、いろんな今の問題に、具体的に動いている人は
強く明るいですね。

大きな方向性としては、この地球でもうこれまでのアメリカや日本のような
エネルギー使い放題の経済発展は、いずれ必ず終止符が打たれる日が来るだろうと思います。
シェールガス、オイルサンド…メタンハイドレート…など新しい資源が有望…
石油も天然ガスもまだまだある…
そんなことを言ったって、いずれそれらも必ず枯渇します。
100年後が150年後に延びたって、いつかは地球上の民が、少なくなった
エネルギー資源を求めて奪い合いをする日は来るでしょう。
今の先進国の人間の暮らし方は、いずれ限界が必ず来ます。
大金持ちの巨大資本家は、そうなる前に資源の独占を図るでしょうね。

人間は生き方を変えないと、この地球をやがて消耗し尽くして自ら自滅していくでしょう。
「そんな先のこと知るか!今、俺様が儲けられりゃいい。他人のことなど、
まして遠い未来の人類のことなど知るか!」というのが、今の新自由主義の時代の
大金持ちとそれと緊密に結びついた政治家たちの考え方です。
安倍さんの大企業優遇の政治なども、その仲間ですね。

『考える時間』
…それってほんとに大切だと思います。
誰もかれもが、何をそう急いでいるのだろうと不思議になるほど。

『一円でも売り上げを伸ばすため労働時間を長くする・薄利多売、
一円でも安く買うため遠くのスーパーマーケットに出かける、
私たち自身が人間らしさを破壊している事に気づかないとと思いました。』

ほんと!ほんとそうなのよね。
私もよく商品手にして思います。
こんなにこれが安くていいのだろうか、って。
100円均一ショップのようなものは苦しい生活のものにはありがたいのだけれど、
あれを作っている人々が海外にいるわけですよね。
先進国の便利は、開発途上国や後進国(と言っちゃいけないのかな)の
犠牲の上に実は成り立っている。
きゅうりはこんなにまっすぐじゃなきゃいけないのか。インゲンは、こんなに
長さも細さも揃ってる必要があるのか。
私はお花が好きで、庭はせまいので結局切り花を買う。でもよく思いますよ。
この薔薇は、アフリカのエチオピアあたりで栽培されたものだろうなあ、とか。
アフリカの土地に、イギリスなどの資本の大きな花卉工場が建つ。そこでは
現地の人々を雇い入れて、確かに雇用は生まれるわけだけれども、そこで
働けない人々にとっては、それでなくても少ない水をさらに奪われ、土地代や
物価が上がるだけ、というようなことになりがちです。

stanislowskiさんがおっしゃる通りなの。

いろんなことを学んで知っていかないと、ですね。

え~と、コメントの終わりの方。ふふっ。お忙しい中で書いててくださったんですね。
なんだかお母さんしてらっしゃるお姿とか想像できてほほえましかったです。^^

はい。
ぼちぼちかもしれないけれど、これからも勉強しいしい書いていきますね~。
楽しい記事も書きたいで~す♪





No title

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
私の本家ブログは休みがちです。震災後、批判コメントに圧され一旦閉めて、熟慮し(したつもり。苦笑)再び熱く静かに闘っていこうと思ったものの、昨今の流れに巻き込まれるように、「しゅるしゅる」と、萎んでいきそう。志の同じ方のブログに行くも、やはり息が詰まりそう。同じことを何度も言っている自分もまた・・・
「疲れてきた」と、故郷の人は言う事があります。

「他人を変えるなんておこがましい。自分から変わらなければ」と、言いますが、自分独り自己満足でなく、他の人も巻き込んで一緒に変わって行きたいです。
「一緒に話さない?」と言うスタンスがないと伝わらない。
控えめでは届かないのかな。大衆は華やかな効果的宣伝に流され易いです。。。

先ず、考える時間・ゆとりがなくてはいけませんね。
働けばいいのでなく、家族との時間を持つ、人間としてよりよく生きるにはと、考える時間が。
一円でも売り上げを伸ばすため労働時間を長くする・薄利多売、
一円でも安く買うため遠くのスーパーマーケットに出かける、
私たち自身が人間らしさを破壊している事に気づかないとと思いました。

震災当時、のほほんと私でさえ目が覚めたように、「これまで通りではいけない」と、悟りました。しかし一方で、こういう意見も目にしましたが、私にはどうも理解できなかったのです。自粛で皆が消費を手控え元気がなく、だから、私が今まで通り、買い物をして、レストランで食事して、日本を経済を応援する。

あのときから人々はもう道が分かれていました。

「そらみろ。攻められるから爆弾作れ。」でなく、考える力、言葉で外交し合える能力、人間性で、国力の底上げができたらいいのに。

戦争・暴力では何も解決しない。
ここから始まります。

だから、老若男女全て。
あっすみません、学校に送って行かなくちゃ。
こんな私が頼りにしてるのが彼岸花さんのブログ、だから先輩、お体に気をつけて
どうか続けていってください。

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんばんは~!

ブログは、その人その人が、その人の立っている場所で、思うように
書いていけばいいのだと思っています。
最近の私のブログのように、しかめつらばかりの記事ばかりでは、これまた
世の中を息苦しくしてしまいます。
楽しい記事、ほっと和む記事、大笑いしてしまうような記事…
文学的な記事、科学的興味を引き起こすような面白い記事…
いろんな記事があるからこそ、ブログの世界は面白いのだと思っています。
こころを穏やかにしてくれるような、そんな楽しい記事やコメントも
すっごくすっごく大事だと思っています。

私も、自分で自分の記事が息苦しくて仕方なく、そのせいか、春頃は、パソコンに
向かって、難しいこと書こうとすると、途端におなかが差し込むように痛くなる、
ということが続いていました。おなかが痛くならなきゃ、猛烈にパソコン前にして
眠くなるとか。それはもう、可笑しくなっちゃうくらい体が正直で!(笑)
それで少し、ブログから離れていたということもあります。

そうそう。そうなんです!
私も同じです。
国のありさまもあまりにもひどいけれど、世界のあちこちでまた、
語る言葉さえなくすような悲劇・惨劇が次々に起こる…
なにが悪くて何が正しいとか、誰が悪くて誰はいいとか、そんな単純な理解を
拒むような、複雑な歴史と地理的背景を持つ国々……

本当に、理解の許容量を超える…そんな感じです。
夏には、おなかでなく、別の不調がでてきちゃったし。

…そんなこんなで、ブログも、月に一度のキャンドルナイトの日と、あとひとつくらい
記事を書くのがせいいっぱい…という風に私もなってしまっていました~!

でも、楽しい記事や面白い記事も書きた~い!!!
その想いが、このところ頓に強く、それなら、硬軟の記事を思いつくままに
書いて行こう、とようやく思えるようになりました。^^

鍵コメさんもどうぞ、おこころの赴かれるままに。^^

私もまた、硬い記事と同時に愉快な記事も書いていきますから、
どうぞお身捨てなく♪ (笑)

展覧会情報。ありがとうございます!
このごろ全然出かけていないので、楽しみにして行ってきたいと思います。

あ~~~…旅がしたいですっ!^^




Re: 星狩人さんへ

星狩人さん。こんにちは。^^
えっと…昨日は、え~…なにか、着ぐるみかなぁ、動物ちゃんが来てくれたような(笑)。

病院ね。私が紹介状持って行っていればよかったのでしょうが、医者嫌いの病院嫌い。
かかりつけの医者というものもずっとなく、紹介状なしで電話したということも
あるのかもしれません。症状が出てから自分が様子を見ていて一週間。
電話して最初の診察までに半月。その日は血液検査だけ。一カ月後にCT検査などで
その結果が出るまでにまた一カ月です。
なんとまあ、悠長な!病人に取ってみればその間不安だらけですよね。
でもまあ、病院通いに慣れた人の話では、最初の問診などで、医者が「こりゃ、
早く手を打たなければ!」と判断するほどひどければ、もっと早く対応してくれるだろうと。
のんびりしてるということは、一カ月くらい待ったって大丈夫、ということ
なんじゃないかな。

ご親切な優しいお言葉、ほんとうにありがとう♪
あ~、出来るものなら、また、一人旅のんびりしたいなあ…

8月は雨がちなうちにあっという間に過ぎていき。
いろいろいろいろ思うこと書きたいことは山ほどあったのですが、ついに
最終日にぎりぎり記事アップできました。

今世紀中に……この地球は一体どうなっているのでしょうね。
この日本という島国はどうなっているのでしょうか。
先日も、NHKで世界のエネルギーのことやっていたけれど、ああいうのを見ると、
もうこの地球は、一国一国がそれぞれ自国の経済発展のことなどばかり
追及している段階じゃなくなっている。
地球の資源は、人類みんなが地球からいただいているもの、一国や、現代の我々、
という一時代の、しかも少数の大企業が寡占できるものなんかじゃない!
地球環境はどんどん加速度的に悪化して行っていて、ばらばらに対応していたのでは
だめだ……そういう視点から考えていかないと、どうにもならないところまで来ていると
思います。
芥川龍之介の『蜘蛛の糸』のように、細い糸につかまって先に上っている先進国が、
開発途上国に向かって『おまえたち、糸が切れるじゃないか!下りろ下りろ!』と
怒鳴ることなんてできない。そんな資格ない。
日本人も、『右肩上がりの経済でいられる限りは皆が幸せになれる』みたいな神話は
もう通用しないのだ、ということに、いい加減気がついてほしいです。
3.11は大きな大きな悲劇だったけれども、あの時日本は大きく生まれ変わる
機会を与えられていたのだとも思います。
それは右肩上がりの経済でないとダメなんだという幻想を捨て、地域分散型、
省エネルギーの新しい価値観の社会を築いていくいい機会だった。
3.11後の、1,2か月ほどは、そうした希望があちこちで語られていたように思います。
震災復興モデル、のようなものが盛んに議論されていもした。
でも、現実には、ほんと、3,4ヶ月くらいで既にもう、逆に人間のエゴというような
ものがあちこちで顔を覗かせ始めた。
それを象徴していたのが、福島第一原発事故です。
政府のエゴ、官僚のエゴ、経済界人のエゴ、マスコミ関係者のエゴ、学者のエゴ、
そして、悲しいことに被災者自身のエゴ…非被災地の住人のエゴ……!

『私たちは原発事故の恐ろしさを知らされていなかった。東電と従来の政府に
騙されていたんだ!』という言葉を、私はどれほど情けない想いで聞いたことでしょう。
ただ『被害者』として『知らなかった、騙されていたんだ』ということが、
『自分たちも加害者の一端にいたのではないか』と事実を直視することの免罪符になるのか?
という疑問は常に私の心の内にありました…
無論私には、そう言う人々を批判する権利はない。資格もない。
この上なく傷ついて困難の極にいる人々に、どうしてそんなむごいことばを投げつけることが
できるでしょう。
でも、「原発を誘致した立地自治体の人々にも、『罪がある』とまでは言えずとも、
少なくとも自分たちの間違いを直視する必要はあるだろう」という疑問は
どうしてもこころの底からぬぐい去ることはできませんでした。
ましてや福島以外の原発立地自治体の首長や議員や住民が、あの事故を見てなお、
生活のために早く原発を再稼働して欲しい、と言うのを聞くと、情けないともなんとも
言いようがなくなってしまいます。
もう、『知らなかった』『騙されていた』と言うことは言えません。
その言葉を、あの長い15年にわたる戦争に敗れた後、人々は瓦礫の中で
何度同じように口にしたことでしょう。
『私たちは知らなかったんだ』『騙されていたんだ』……

愛希穂さんが、時々忘れてはならない言葉としてドイツ、ヴァイツゼッカー元大統領の
1985年5月8日の連邦議会における演説の中の一節
『過去に眼を閉ざす者は、未来に対してもやはり盲目となる』
を、記事におあげになりますが、私もこの言葉を、ほんとうに自分自身の心に
深く刻み込んで、そうならないように生きねば、と思います。
そうして、伊丹万作の『戦争責任者の問題』と言う文章の中の一節、

『そしてだまされたものの罪は、ただ単にだまされたという事実そのものの中にあるのではなく、
あんなにも造作なくだまされるほど批判力を失い、思考力を失い、信念を失い、
家畜的な盲従に自己の一切をゆだねるようになつてしまつていた国民全体の
文化的無気力、無自覚、無反省、無責任などが悪の本体なのである。』

という、この上なく厳しい言葉を同時に思い浮かべます。
これは、自分を考慮の外に置いて単に『国民全体』を余所事のように批判しているのでは
ないですね。同じように厳しい自己認識からではないと、この言葉は出てこないと
思います。

日本国民は、ほんとうにあの戦争の反省をしたのだろうか。
最近の右傾化への急旋回と、またそれに対する殆どの国民ののんびりした無関心や
『見ざる聞かざる言わざる』の態度を見るにつけ、
また、私自身のいともたやすい闘争心の折れ方を自ら見るにつけ、
その問いへの答えは、残念ながら『否』と答えざるを得ないなぁ、という無念さでいっぱいに
なってしまいます。
つい先日も、自分の交通ルートが変わったために長らく訪れていなかった近くの書店を
久しぶりに覗いてみて、入り口近くの、一番人目につく新刊書・話題書のコーナーに
『嫌韓本』『中国脅威論』の本がずらりと並んでいるのを見て、思わず絶句してしまいました。

私が仕事をしていた十年ほど前まで、この書店は、いい雑誌類をたくさん置く、
割合私の好きな本やだったのです。その折々にいい企画を考えて、この目立つコーナーでも
魅力的な本を置いていました。
それがあるとき久しぶりに訪ねてみると、どこにでもある品ぞろえの平凡な本屋になっており…
そして今回の、嫌韓・嫌中本のオンパレード!!!
売れると思うから大量に置くのでしょうが、出版社や書店が文化を作る役目の
一端も果たしていることを考えれば、このありさまはあまりにも情けない。
民の要求が今はそうなっているのかもしれないけれど、それは業界(その後ろには
大きな政治の意志が往々にして働く)の情報操作によって作られていくものでも
あることを考えれば、何やらぞうっと鳥肌立つようなものを感じたのでした。

『そうですね。私は逆に(誤解を恐れずに言えば。反論ではありません)、
3.11以前には当たり前だった、『何かを信じていられる心』というものが、
原発安全神話と同様に、戦後民主主義の盲点ではなかったかと思えてくるのです。
宮台真司風に言えば、「システムへの盲目的依存」になるでしょうか?』

ふふっ。星狩人さんは戦後民主主義に手厳しいですね(笑)。
私は宮台真司さんが割合好きで、本も読んだり話も聴いたりするのですが、
彼が『システムへの盲目的依存』と言う時の、吐いて捨てるような言い方が
いつもおかしくもあり、ほんとうにそうだなあと溜息もつきながら聞いています。

なにか大きなものに判断や行動を任せて安心するのではなく、国民一人一人が
歴史の流れを基本でいいからしっかり押さえ、いろいろなことの背景にあるものを
見る目を養って、ただ大きなものの言うことを信じてついていくのでなく、
自ら自覚的に物事を判断していく力を身につけていかなければ、この世のさまざまな
陥穽にいとも簡単に落ちてしまう。理不尽は、一向に変えてはいけないですね。
つまり、お任せ民主主義ではダメだということですよね。

政治も無論そうですが、星狩人さんがここに列挙なさったような、世の中の
ありとあらゆる事象を、広く常識と一般に思われていることも含めて
一応疑ってみる、と言うよりは、『盲信しない』ということが大事だと
本当に私も思います。
子宮頸がんワクチンなどもそうですね。ひと頃異様なほど、『公』のキャンペーン
という感じでテレビで宣伝していたのを、私など変だなあと思っていました。
女子中学生たちに全員受けさせようとするような動きはおかしいんじゃないか、と。
なんでもそうですが、異様な頻度、突出した規模で行われるなにがしかのキャンペーンは
まず疑ってかかろう、と思って見るべきでしょうね。
それは右左関係ないのかもしれないです…。

仮に左翼政権になったらもう安心で、なんでも信じていいというものではない。
常に権力というものは、放っておけば腐敗しがちで、一度握りしめた権力は
やはりどんな人も失いたくないものですから、それを守るためには
メディア、強権…ありとあらゆる手段を使って、既得権益を守ろうとする、
というようなことになりがちです。
だから、おっしゃるように、民は賢くなって、権力の座にある者たちのすることを
常に自分たちの目でしっかりと見つめていなくちゃいけない。
そうしてそれを正す力を、常に民衆の側は自覚的に守っていかなければならないと思います。

その意味で、投票権を行使しない、とか、『一院制でいい』と考えるとか、
『決められる政治』を無思慮に求める、とかいうのは愚かの極みです。
言論の自由、集会結社の自由などは、これはどんなことをしても守っていかねばならない。
『ヘイト・スピーチ』と国会・官邸周辺のデモを同一視されて、黙っていては
ならないのです。
教育への政府の介入にも敏感でなければいけませんよね。これは主義には関係ない。

ただ…
ここで私が、『何かを信じていられる心』という表現をした時の『何か』というものは、
ただ、政府やマスコミや、先生の言うことや、自分の生きる社会のシステム…
概して西洋的価値観に基づいてこれまで受けて来た教育…とかいうような、
狭義の具体的な『何か』ではなく、もう少し根本的なゆるい広い意味で使っています。

なかなか言葉でくっきりと説明するのは難しいけれど、
それは、生きていくために必要な最低限の倫理、とでもいいましょうか。
それは、どこの国であっても、どんな思想形態の国であっても、
どこで生きていようと人間が最低限守っていかねばならない倫理やルール、とでも
いうようなもののことです。まあ、信仰の部分を除いたモーセの十戒、に近いような
ものかもしれません…

例えば、ですね、
・人を殺さない
・嘘をつかない
・人のものを奪わない
・約束を守る
・物事の手順を自分の得て勝手で、すっとばしたり変えたりしない
・話しあいや議論は十分に尽くす
・物事をきちんと誠実にやっていく
・間違いを認めるのに頑固であってはならない
・えこひいきをしない
・強いものに盲目的に従ったり、弱い者いじめをしたりしない…などなど。

他にもたくさんあると思いますが、まあ思いついたのだけとりあえず上げてみると
このようなことです。

人間の社会というものは、こういうことを暗黙の了解ごととして動いて
いかなければ、社会そのものが崩壊してしまうと思うのです。

例えば小さなことですが、レストランで食事をするのに、この刻みキャベツは、
客の食べ残しを集めたものじゃないか、と疑いながら食べる、とか、
この実験は、途中の手順をすっ飛ばしているんじゃないか、とか、
先生の言うことは、明日にはころっと正反対のことになっているだろう、とか、
どうせ意見を言ってもはなから聞いてはくれない、とか、
正しいことを言っても通用しないと誰もがあきらめざるを得ない、とか、
話しあいというものがそもそも拒否される、とか、
あの人もこの人も、みんなで嘘をつく、とか、
強弁したものが勝ち、とか、
自分のものは平気で人に奪われ得るもので、それに文句は言えない、とか、
間違ったことは糺されないで、正しいことを言った者が罰せられる、とか…

そういう疑いばかりの世の中では、ひとは息もできません。

あら、こういうことって世の中には往々にして当たり前のようにあるじゃない?と
思われるかたもいるかもしれませんが、これがたまに、のことでなく、
その社会の『常態』となってしまったら…なってしまっていたら…

ひとはそういう社会で安んじて生きていけるでしょうか。

15年戦争の間、日本人は、この規範を大きく踏み外しました。
日本のみのことではない。そもそも戦争や内乱の間は、こういったことが
どこの国でも常態になってしまいます。
戦争に至る、戦争の前の時代も、それに似た空気がおそらく醸し出されている。
つまり、当たり前のことが通用しなくなり、人と人との信頼関係が崩れていき、
人がもの言うことも、正しいと思うことを貫こうとすることもできにくくなり、…
徐々にそういった気持ちが失せていき、やがて諦めが世の中を支配する。

政府がもしそういうやりかたをしていれば、民にもその空気は伝染していきます。
…今、どうも日本のそうした最低限の社会の規範というものが緩んできている気がする…
それを政治のせいばかりとは無論言えません。
逆に言えば、その国の政治のありようは、その国の民度の反映でも
ありますから、私たち自身が、自分の内に規範というものをしっかり持たなければ、
社会は上からと下からと同時に徐々に腐敗していくだろうと思います。

『知らなかった』『騙されていた』ですますことなく、やはり国民自身が
自分の生きていく社会のことを知らなければ。
それと同時に、なにかによって容易に動じることのない、自分の精神的規範というものを
しっかり自分の内に作り上げていくこと。

『あらゆる問題について、
あらゆる角度から疑問や批判を加えながら、自分で考え、意見を形成してゆく・・・、
異論を排せず、徹底的に議論し、勝ち負けではなく、よりよい方向を見出す・・・
これからも言葉と思考を鍛えて、鍛えて、鍛えぬくほかないでしょうね。』

星狩人さんの、この言葉に全く賛成です。
『言葉と思考を鍛えていく』…そのことについて、次に書きたいとちょうど思っていた
ところです。
ありがとうございました♪

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Re: 相変わらずの常連さんへ

玄少子さん。こんばんは。^^

ありがとうございます。
書きたい!と思うことが山のように溜まっちゃって、どうにもしようがなくなっています。
世の中の動きに対し、思うことをその都度書いていけば、こんなに溜めこんじゃう
こともないでしょうのに、私の悪い癖で、どうも、物事の根っこのところから
自分で調べなおして、関連を調べていき、自分なりに全体図を大まかに理解して掴んで
ぐる~っと一巡して、もとのところに戻る(笑)
というような書き方じゃないと、書いた気がしないんです(爆)。

本当は、この記事も、この破壊し尽くされたアフガニスタンで、
医療活動だけでなく、この乾いた大地に用水路を造り、そこで人々が農作物を
作って、武器など取らなくてもなんとか生まれた地で食べていけるようにする、…
そんな活動をしてらっしゃる例のペシャワール会の医師、中村哲さんのことまで書く
つもりでいたのです。

ひとは武器によっては幸せになれない。
中村さんは、今度の集団的自衛権行使容認について、現地を知り尽くす者の立場から、
今回の安倍政権の決定は、海外で働いたりしている日本人の身をかえって
危険にさらすことになるだろう、と警告していますね。
『イスラム国』に捕えられている例の傭兵会社設立希望の日本人男性じゃないですが、
武器を携えていれば即、敵、とみなされて捕縛されたりしてしまうそういった
緊迫した社会で、自衛隊員が武装していれば、それが人道的目的だなんて
見極めはいちいち丁寧にしてなんてくれない。
中村哲さんも、どんどん悪化して厳しくなっていくアフガニスタンの現状の中で
若い日本人のスタッフを使い続けることに危惧を感じて、今はたった一人で
活動をしてらっしゃるそうですよ。

中村哲さんが現地のひととたいへんな想いをして作り上げた灌漑路と
その先に彼等が瓦礫の地に作り上げた緑豊かな農場…
その動画をアップして皆さんに見ていただいて…、

そうして再び、中村哲さんの母方の叔父さんである火野葦平に戻る、という構想だったんですが(爆)、
さすがにちょっと疲れて、途中で切れてしまいました!^^

おお!さすがに玄少子さんは、これらの地域についてもたくさんのことを正確にご存じで
いらっしゃいますねえ。
私はどうもこれまでぼんやり生きて来たので、漠然とした記憶はあるけれども、
正確な知識に乏しい。…だからいちいち調べ直さないとならないんで手間がかかるんですぅ…

アフガニスタンのかつての美しい街路…その写真もどこで見たのだったか、
果たしてそれがカーブルだったのかもはっきり覚えていない。
けれども、その街の美しさの印象だけは鮮烈に記憶に残っていて、
いつかどこかでもう一度あの写真に出会えないかなあと思ってきました。

この公園の写真を含む、1960年代のものという28枚の写真たち…。
最初の一枚の金髪女性は旅行客ででもあるでしょうか。
制服を着た少女たちの群れや、幼稚園児らしき子供たちなどは、60年代の
アフガニスタンでは富裕層に属する人々かなぁ…
でも、バザールの人々の活気にあふれた様子や、お茶を飲みながら談笑している男たち
(お砂糖を入れた甘い緑茶でしょうか)水浴びの子供たちなどの様子からは、
普段のアフガンの生き生きした暮らしの様子が伝わってきますよね。
ちょうどこれらの写真の撮られた60年代から70年代にかけてのわずか10年間ほどが、
アフガニスタンにとって数少ない平和の時代だったそうですね。
女性たちもブルカを脱ぎ、教育を受ける機会を、このころは与えられていたのでしょうか…

『カンダハール』は、わたし、見てないんです。
見たいなあ!と思って、You Tube探したら、英語字幕ですが全編をいくつかに
分けたの、見つけました。明日ゆっくり見てみますね~。^^

『『石佛は破壊されたのではない,自ら崩れ落ちたのだ』

う~~~~ん……
すごいことば…重いことばですねえ……
同じ世界に、私はのほほんと生きている!…何だか顔を赤らめちゃいましたよ…
同時代人として恥を感じてしまいます……

この映画の監督が、このタイトルの本を出してらっしゃるんですね。
それ見つけたので、買うことにしました。まず知ることから……。

劣化ウラン弾のことですが、前やっていたブログで、原子力発電のこと、
一から勉強しなおして、長いシリーズの記事書いてたことがあるのです。
それこそ、ウラン採掘のところから…いや、世界最古の天然原子炉と言われる
ガボン共和国のウラン鉱床跡(20~25億年前に起きた自然連鎖反応の跡)の
ことから勉強しなおしてたです。
かつて日本で原発が稼働していた頃(ああ、この表現がずっと続くといいなあ!)、
1年間の発電で派生的に生みだしていた劣化ウランの量はなんと7300トン!

劣化ウラン弾の影響は、それが使用される国々が中近東など主に貧しい紛争地域で
あるがゆえに、本気で西欧社会はその研究に取り組もうとしないんですよね。
自らがまいた紛争の種、広げた悲劇、その後始末には関心がない。
そりゃそうだ、人道的支援などということは隠れ蓑、本当の目的は武器商人を
さらに肥えさせること、そうしてそれらに支えられた政治家としての自分の
安泰を図ること、そういうことなんだもん…

武器商人ってったって、怖い顔したベニスの商人のシャイロック、みたいなのんじゃ
ないですものね。日本だったら、・菱、・立…などのような一流企業の系列会社の、
スマートな社員たちだ。或いは、・紅、・・忠などの一流商事会社だ。

武器輸出三原則もなし崩しにされたし、日本はこれから大手を振ってアフガニスタンなどの
破壊に、直接間接的に加わっていくのだと言っていいですよね。
先日は安倍首相は、来日したイスラエルのネタニヤフ首相と、サイバー攻撃への連携対処や
防衛当局間の交流拡大、国家安全保障会議での情報交換などを盛り込んだ共同声明を
発表していますね。

『われらがアベチャン』はそんなに、すてきな政治家なのか?

             *

『こういうことばを世界が吐き捨てることが出来る知,そうして取り囲む。』

ああ、それですそれです。
次に、そういうことに関連して書きたいと思っています。

玄少子さん、ありがとう♪

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんは。

とうとう9月ですねえ。
ありがとうございます。なに、体の方はそうたいしたことないのです(たぶん。)
自分で体力と気力が落ちたなぁ、と感じるだけで。^^
ただ、おっしゃるように、病名がはっきりしないというのは、気分的に
落ち着きませんね。
お母さまも、ご看病なさる周りの方も、ご心配ですね。
どうかどうか、くれぐれもお大事にしてさしあげてくださいね。

安倍政権は、ほんとうにやりたい放題ですね。
まあ、自民党でなくとも、またどこの国でも、政権の方針や思想に添った人事や
法解釈をしていくというのは、当たり前と言えるのかもしれませんが、
安倍さんの内閣ほどそれが露骨であからさまで、しかもそれを隠すふうもない、というのは
珍しいかも知れません…

内閣法制局は戦後の歴代内閣で憲法解釈の責任を担い、首相でさえも容易には介入できない
「独立性」を誇ってきました。その内閣法制局長官人事でも、従来からの、次長を
昇任させるという慣例を破り、行使容認に積極的な外務省出身の小松一郎氏(故人)を起用。
NHK人事…原子力規制委員人事…、そしてなんと言っても、あの、
『安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会』という長い名称の懇談会。
集団的自衛権行使容認をなにがなんでも決めるための、安倍総理の私的諮問機関。
これはそもそも安倍氏が第一次内閣の時発足したもの。一時棚上げになっていたものが
安倍氏の政権復活で、再開され今年5月15日に首相に提言を提出。
懇談~提言ったって最初から結論は決まっていたようなもの。メンバーでさえ、
審議は充分じゃなかった、って言っていたくらいなものです。でも、それを受けて
結局、7月1日の例の『集団的自衛権行使容認』の閣議決定はなされてしまいました…。

朝日へのバッシングは止まるところを知りませんね…
まあ、朝日新聞もどうなんだかなあ……、
つまらぬ隙を見せちゃったなぁ、という感じですね。
従軍慰安婦に関する報道への訂正記事は、朝日を今でも応援している私が読んでも
歯切れが悪い感じがしました。ごちゃごちゃ長い言い訳しないで、すっぱり短い記事で
お詫びと訂正をした方がよかったのではと思います。
福島第一の吉田所長の証言については、調書がその発言通りにしっかり公表されてみないと、
朝日の報道の是非を言うことはできないんじゃないかと思います。
誰かが『まとめた』ものなどでは、そのまとめた人の意向が加わってきますからね。
事故の当事者の貴重な証言ですから、基本的に誰でも閲覧できるようにして、
あの時現場で起こっていたことを冷静に分析しなおす必要があると思います。
朝日の『撤退』報道の是非をうんぬんするのなら、菅総理のことを吉田所長が
『あのおっさん』などと言っているところなどばかりが一人歩きするような
切り取りかたも問題がある。吉田氏自身の証言の意図も、読者によって
違って受け取れらかねない。
官邸側、東電本社側、現場…その3者のほんとうの状況と対応・判断の是非は、
変に編集されたものでなく、証言のすべてをそのまま検証してこそ、と思いますね。
吉田証言だけでも足りないと思います。
私は、あの時のキーマンの一人、斑目原子力委員長と、東電から官邸に出向していた
武黒フェロー、そして当時の安全保安院の罪も重いと思っています。

健康は歯から、とはよく言いますね。よく噛むことは、昔からいいと言われています。
気持の持ちようも確かに健康には響くのであって、くよくよ考えていると
ストレスもたまり、血圧などにもよくないと言われていますね…
とほほ。血圧高いです。
それほどしょっぱいもの喰いでもないし、煙草も吸わないし、お酒も飲んでも
ビール、コップ一杯くらいなんだけどな。お肉などもあんまり食べないのになあ。
健康じゃないと闘争心も減退する、っかなっ?^^

しかし現代の問題は、安倍政権がどうのとか、一国のことに限って語っても
どうにもならない、ということが多いですね。
正直なところ、私が気が滅入ってしまうのは、実は安倍政権単独に対する、
というのでさえなく、安倍政権が後に背負っているもの、に対してなのだと
思っています。
安倍さんが辞めれば満足なのか、ということですらない。だって、石破さんがいる…、
高市早苗のような女性議員もいる…自民党より極端な野党もある…

単に日本の政治が右傾化しているというだけではなく、世界の大きな流れそのものに
同じことが言えるのですよね。
結局は、現代の世界の経済や政治の仕組みそのもの、というところまで行きつきます。
おっしゃるように、現代社会が抱えている大きな問題の数々は、ほんとうに
一国一国がばらばらに対応するのではなく、地球的規模ですぐにでも諸国が力を合わせて
協力して取り組まねばならないことばかりです。
戦争などやっている場合じゃないのになあ!!!
でも、国が動くことなど待っていても仕方がない。本当に、個々人のレベルでの
相互への関心と理解…そしてその末の協力、ということの積み重ねが
一番大事なのでしょうね。

いつも、ありがとうございます。
お母さま、お大事に。^^











組織に揺さぶりをかけた。慣例を破って外務省から自分の考えに添う
小松氏を任命し、原子力規制委員会人事、

こんにちは。いかがお過ごしでしょうか?
病院がそんなに悠長な対応をするとは、都会では普通のことなのですか?
もし気分転換にでもよろしければ、いつでも西日本に療養にお越しくださいね。

ああ、やはりこの酷かった夏を、無言で見送ることなど、できませんよね。
書かずにはいられないという、彼岸花さんの強い思いが伝ってまいります。

むかし東アジアの海のなかに、日本という繁栄した島国がありました。
近代の一時期、突然眠りから覚めて勃興し、血迷って周囲の国々を制圧、
アジア侵略戦争を試みましたが、核攻撃で壊滅。敗戦後しばらくは
宗主国の下で平和な国作りを目指しましたが、かつての旨味が忘れられず、
大震災と原発事故に乗じて、戦争国家に方向転換、ふたたび暴れ始めます。
やがて宗主国にも見棄てられ、巨大な隣国に圧倒され、外国資本に収奪され、
大災害の頻発と疫病、経済破綻、放射能汚染による人口減少や少子化、寿命の低下、
安全な水と食糧の欠乏、産業の壊滅、政治の無為無策により、衰滅の一途を辿りました。

今世紀中に、こんなことにならないとは、言いきれませんよね。
こんな未来を招くか避けるかは、ひとりひとりの意識に掛かっているのですが。

「秘密保護法」や「集団的自衛権の閣議決定」についても、
決して大多数の国民が反対・懸念していたわけではない・・・騒いでいたのは
最後の一人まで数えられるほどの少数者で、その他大勢は無関心でした。
安倍政権の生粋の支持者は、多いわけではないとしても、油断はできません。
一般大衆がなにを考えているかは、消費の動向を見ればよく分かります。
あれだけのウヨ本がバカ売れしているだけでも、救いようがない状況です。

そうですね。私は逆に(誤解を恐れずに言えば。反論ではありません)、
3.11以前には当たり前だった、『何かを信じていられる心』というものが、
原発安全神話と同様に、戦後民主主義の盲点ではなかったかと思えてくるのです。
宮台真司風に言えば、「システムへの盲目的依存」になるでしょうか?
(注:愛や信頼、誠実さ、正義感など、いかに貴い価値を持つものでも、
  時と場合によっては逆作用してしまうので、くれぐれも要注意という意味です。
  「世のなかに信じられるものなどあるか」という意味ではありません) 

あの日から大勢の人が、「3.11で目覚めました!」と自己宣伝するわりには、
実際になにを学んだのか、さっぱりわかりません。なんにも変わってないからです。
「原発さえなければ、日本はいい国」と思っているのだとしたら、困るんで。

もし「騙されて、酷い目にあわされた」と言い張るのならば、
もう二度と騙されてはならない、それが騙された人間の責任です。
二度と騙されたくなければ、二度と信じてはならないということです。
人の善意や一般的な良識や、これまで機能していた社会システムに頼らず、
全方位にアンテナを巡らせ、積極的に自己防衛する以外にないでしょう。
とくに権力を持つ者は、1ナノも信じないこと。政治家や大企業だけでなく、
人間関係の力学においても、力をふるう者は「信じない」という徹底。

その点、女性は賢いですよ。腕力では男性に絶対に叶わない現実があるので、
その分いつも警戒を怠らず、知覚を研ぎ澄ませている。身を守るためですね。
女は男の言葉を信じません。言葉ではなく、その都度、行動をチェックして判断します。
裏切られて泣く女は、大抵この鉄則を蔑ろにして、無防備に信じ、無条件に愛します。

同じことが、政府と国民にも言えると思います。どんなにいい政治家であっても、
「この人ならやってくれる」という信頼とお任せは、もう禁物でしょう。
山本太郎さえ、条件付で期待するのはいいけれど、信じるべきではない。
もともと権力とは、社会をまとめるために、人が人の上に立って、力を行使し、
命令し、服従を強いるものなので、本質的に悪であり、すぐに腐敗し、暴走してしまう。
だから民衆全員で、常に疑い、厳しく監視し、批判し、審判して、軌道修正させる・・・
主権者の責任を放棄して、ご理解とご協力なぞしたら、それこそ命取りです。

騙されないためには、信じないこと。信じるよりも、自分で確認すること。
疑問があれば、徹底的に問い質し、結果にはきちんと責任を追求すること。
なにより、悪に対する想像力を鍛えること。未来を的確に予見すること。
その上で、今どうするのが最善なのかを、自分の責任で考え、判断すること・・・

一体全体・・・紫外線はそんなに有害なのか?タバコは寿命を縮めるのか?
少子化は悪いことなのか?自然エネルギーが日本の未来を拓くのか?
ほんとうに地球は温暖化しているのか?二酸化炭素の増加が原因なのか?
竹島、尖閣、北方領土は、日本固有の領土なのか?天皇とは万世男系なのか?
笑いは健康にいいのか?怒りは体に毒なのか?ほめれば子どもは育つのか?
日本の伝統食は世界一健康なのか?食生活の欧風化が万病のもとなのか?
人間にとって最も大切なものは「愛」なのか?女は戦争をやめさせられるのか?

あげればキリがないですけど・・・原発だけでなく、あらゆる問題について、
あらゆる角度から疑問や批判を加えながら、自分で考え、意見を形成してゆく・・・、
異論を排せず、徹底的に議論し、勝ち負けではなく、よりよい方向を見出す・・・
これからも言葉と思考を鍛えて、鍛えて、鍛えぬくほかないでしょうね。

彼岸花さま、ご体調に合わせて、ゆっくりと始動なさってくださいね。
私も・・・仙人になっている場合ではないですねえ。長文失礼しました。

相変わらずの常連さん

おはようございます。お身体は心配ですね,あまり無理はなさらないようにお気をつけくださいね,とはいえひさしぶりに讀んだ記事,ずっしりと重い視点に力を感じ,お身体の心配はよそに,我心はよろこびます。

そうなんですよ!!!!!!!!ほんと!!!
カブールの公園の写真,其の美しさもさることながら(中央アジア独特の靜けさですね),あのあたりは西域の貿易中心のバザールだったり。シルクロードゆかりの文化遺産。
とりわけ遺跡群ののこる,バーミヤン渓谷。ガンダーラ佛敎美術のさかえた凡そAD500年代ですか・・・・
それらをめちゃめちゃにした内戦。
アフガン侵攻から湾岸戰爭,だれかさんの武器供与で肥大させてしまったサダムフセイン。アルカイーダ,ビン=ラーデイン。そしていまにいたるも混乱と殺戮が続く。
イスラム國への空爆だって,“限定的だから”,“人道の危機”,“虐殺をとめる”。
相変らず・・・,の言い訳を繰り返して,高価なミサイル一発を消費するごとに軍事産業だけがほくそ笑む恐ろしさ。

劣化ウランが原発の核燃料をつくる過程の副産物であることはいうを俟たずです。その原発再稼動派は99%の劣化ウランに責任をもたない。これもいわゆる安全保障なんでしょうね
その劣化ウラン彈の一発が拡散してどれだけ子供が生まれながらの病と闘い死んでいくアフガンでもどれだけ悲惨な奇形兒がうまれていることでしょうか。イエローケーク。彼岸花さんはよくごぞんじで言うまでも無いことですが。

中東はめちゃめちゃの後始末さえ出来ない。アラブの春は,アルジャジーラへの言論彈壓を誘引して,さらにはガザの空爆を傍観するだけのアラブにかえてしまう。
それらを発動する根據は集団的自衛権や。其の理念。またの名を「ちょっかい」,とか「おせっかい」ともいいますね
集団暴行破壊權についに日本は“参加の権利”をえてしまった。

日本の自衛にそれこそ大きく資することでしょうよ。
一方で個別的自衛權は,現實的な検討がなされない。有事の際にはアメリカは集団的自衛権をもって日本人の命を救ってくれるという大きな大きなお伽噺。
米艦にのった親子を守るというパネル。
少子化対策にも使いまわしそうなほど気に入ってるようですがね,アメリカじゃありえない,といってる。
助ける優先度はいちじるしくひくいそうじゃあーりませんか。その他大勢ってやつですね,
そんな事實は,冷静に検討しないんでしょうか,ネット上よくいる安倍総理いいね!崇拝者は実数18%というところでしょうかねえ。
日本には個別的自衛権というものがあるという基本的なことさえ知らないお子様ばかりではないでしょうが。

同時多発テロのあとターリバーンはバーミヤンの石仏を破壊しました,カンダハールという映画,おぼえてらっしゃかもしれません,公開の際ひとつ名言がありました

『石佛は破壊されたのではない,自ら崩れ落ちたのだ』

という。恥ずかしさに耐えられず,というわけです
中國の言葉で言えば“廉恥不立”というカンジでしょうか。
こういうことばを世界が吐き捨てることが出来る知,そうして取り囲む。
Right of collective self-defense,正しい字義はこういうことで,これが真の安全保障でしょう,こういうことなら賛成しますがね。大いに行使したいですが。愚痴ばかりになりました。。もうしわけありませんでした

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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