『朋有遠方……むぐぐ』

9月某日。

友より思いがけず、荷物が届いた。


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中には一冊の書物とお手紙が。

『李賀』の漢詩集。

李賀(り が、791年 - 817年。貞元7年 - 元和12年)。中国中唐期の詩人。字は長吉。
昌谷(現・河南省洛陽市の西約50km)の人。
『鬼才』と評された。この鬼才という言葉は日本語のそれよりもはるかに意味が深い。
屈原、陶淵明、李白、杜甫、・・・数多くの世界に冠たる詩人を生んだ中国にあっても、
『鬼才』と称えられるのはこの李賀のみであるという。

その詩は伝統にとらわれずはなはだ幻想的にして、想像力の飛翔を見る。
豊かで絢爛なその用語の色彩感は独特のものだが、その主な情調は沈鬱にして悲憤に
満ちている…
27歳で早世するも、彼の詩を愛する文学者は同時代にも後世にも数知れず、
韓愈、魯迅、毛沢東…、近代日本の作家のなかにも、泉鏡花、芥川龍之介、日夏耿之介、堀辰雄、
三島由紀夫などがいるという。



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私は漢文の素養が全くない。
そのことを、このブログを始めてからも何度悔いたことだろう。
私の、人生における三大後悔は、この『漢文の素養がないこと』と、『楽器が弾けないこと』『泳げないこと』
と、何度もあちこちで書いている…(苦笑)
漢文の素養がないということは、漢字という文字の豊穣を、いわば半分くらいしか
味わえないということだ。そうしてそれは、中国文学の豊穣もまた、知らずに人生を
終えてしまうということだ。
こんなに漢字の持つ意味の世界が好きなのになぁ…言葉をもっと豊かに自在に駆使したいのになぁ…

過去に、ひとにも『勉強してみれば?』と何度も勧められたけれど、漢詩の世界は、私には敷居が
とんでもなく高かった……
しかし、この秋、私は意を決して、受験用の漢文の参考書を買い、文字通り一から勉強する
ことにしたのだ。
そんな私に、友が贈ってくれたのが、この李賀の詩集だ……

 


                                                                                ***




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切手がたくさん。

この切手についての詳しい事情はここでは書けない…

だが、ひとのこころのあたたかさと、ひとの縁の不思議さに、久しぶりに泣けてしまった……

 

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これらは、『このひと(私のこと)は、鳥が好きだ』ということを聞いたあるかたが、
わたしのために、たくさんお持ちの切手の中から選んでくれたものだ。 
わたしは花も好きだが、小鳥たちも好き。
自分で飼いたいとか、その生態をよく知っている、とかいうのではないのだが、
小鳥たちの姿やしぐさに、造型的興味を非常にひかれる。
鳥をモチーフにした香合など欲しいなあと思ってオークションを覗いてみるが、
いいものは高くて手が出ないのであきらめている…
だから鳥たちの切手。とても嬉しい。



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その他にも、たくさんの美しい切手たち。
実は私は、収集こそはしていないけれど、切手のもつ小宇宙がとても好きだ。

これはまた別の話だけれど、いつも、美しい珍しい切手を貼って、荷物や案内状などを
送ってくださるかたがいる…
小包の箱などはさすがにかさばっていくので取っておけない。
そこでわたしはいつも、それらの使用済み切手を、いつも丁寧に切り抜いて、
綺麗な箱に入れて全部とってある。
切手の持つ小宇宙…そのデザイン性の豊かな世界に魅了されるということもあるけれど、
その人が、数多く送るものの一つ一つに、その送る相手の趣味や雰囲気を想いつつ、
一枚一枚切手を選び分ける、そのこころをとてもすてきだと思うから。

さて。今回のこの切手の数々。
これをくださったかたと私は面識がない。
それでも。
そのかたは、見知らぬ私のために、見知らぬ私の姿を想像しながら、これらの切手を
こころ籠めて選んでくださったのだ。
私にも、その、切手を一枚一枚選んでいく、細い指が(おそらく)見えるような気がする……


追記: 友よりお許しが出たので、追記として書かせていただきますが、
     『そのかた』と私が書き記したのは、『李賀』をくれた友のご母堂。
     想像の通り、やはり指は細くっていらっしゃるそうです。^^
     話の前後関係からして、「ああ、本のかたのお母さんだろうな」ってわかっちゃったかな?
     これで、話が繋がっていきます…^^
     きっとお若い頃、お花のようなかただったろうと思うので、切手の感謝をこめて
     薔薇色の文字で書いてみました。 ^^



               
                        *


昔……もう30年以上の昔になるが、母が、私と娘に、時折ハンカチなどを思いがけず送って
よこしてくれたことを思い出した。
母は長男である広島の兄の所に引きとられて、向うの親戚ばかりの見知らぬ土地で
その生涯を終えた。彼女には資産などこれっぽっちもなく、わずかな年金を
自分の自由に使える唯一のお金として、ほそぼそと老後を生きていた。
年金と言っても、働きづめに働いても月々の掛け金など納めてこれなかったはずだ。
どういう仕組みでその母がわずかばかりでも年金を手にできたのかわからないが、
おそらく当時、その額は月々にすると千円か、2千円といったところではなかったろうか。

母というものはいつまでも母であって、そのわずかな年金ででも、
大きくなった娘にもその子にも何かしてやりたいといつもいつもせつなく思う…
それが母というものなのであろう。
年に一回か二回、手紙に添えて、ハンカチやシャツのようなものを送ってくる。
そのハンカチなどは、おそらく母が歯医者などにたまに街に出た機会に、近くの
スーパーなどで買ったものであろう。
でも、それらを選ぶとき、母はどれほど真剣にこころ籠めて、選んでくれたのであったろうか。
そのうつむいた顔と、小さな、苦労の多かった手を(母は小さな女だった)私はいつでも容易に
思い浮かべることができる。

なぜか、或るその方が送ってくださったこれらの切手を一枚一枚、手にとって見て行きながら、
私は久しぶりにわが母のことを思い出し、その母に報いてやることのなかった自らへの
本当に歯噛みしたくなるような悔恨と…でも不思議に懐かしい気持のよい涙を流したのである…。


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60年前。46歳くらいの母と小学校1年生の私。ああ…46歳にしてはなんと母は老けていたのだろう!
美しいひととは言い難かったかも知れないが、膚は肌理こまやかで色が白く、
髪が多くて艶やかなのが唯一の自慢だった…
二人の少女は、私と年の変わらぬ姪たち(母にとっては孫たち)。
彼女たちが来たこの日、私は具合が悪くなり、この日か翌日入院したのでよく覚えている。
肺浸潤で、夏休みから2学期にかけて2カ月ほどの入院措置が必要になった。
写真を撮られていた間も、気分が悪かったのではなかろうか。むくんだ顔をしている。
母は、なんとなくおそらく元気がなかったであろう私を心配しつつ、久しぶりに会う孫たちをも
母鳥のように手を広げて抱いている…

…この小さな手。よく動く器用な手だった。
縫い物などよくする人の手にしばしば見るように、母の手も、指先が丸かった…
私は、母の縫ってくれたワンピースを着ている。
母は和裁を仕事にしていたけれど洋裁はできなかった。
でもこうして、私の夏のワンピースくらいは、自分で考えて工夫して縫ってくれた。
りんごの柄のこの木綿の布。なんとか、同じものを手に入れられないかと探しているが、
似て非。私にとって幻の、なつかしい布だ。




                       *
                          
母親というものは、その愛情を、子供(や孫)にだけでなく、子供に関わる人にまで、
radiate(放散、輻射)するものなのだなあ、と、しみじみ思う。










                         ***


10月某日。
別の友から、荷物が届いた。

林檎!


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まあ!なんと可愛くて綺麗なのだろう!
りんご農園で摘んできたばかりという林檎たちは、農薬も使っていないので
皮ごとガブリと食べても大丈夫だという。


余談だが、
実は、箱の中にパッキング材として入っているこの白くて透明な、細いそうめんのようなもの。
私は子供の頃からなぜかこれが好きで。でも、当時これは高級果物などをデパートで
贈答用などとして買わないと、滅多にお目にかかれなかった。したがって、我が家にはあんまり縁がなく。
でも、一緒にままごとなどしている友達の家にこれがあったりすると、貰って、
これをかき氷に見立てて、朝顔の花の絞り汁などをかけて遊んだ。
…と書ききってみたが。
しかし、果たして50~60年も前のそんな昔から、このパッキング材、あったりしたかしら…?
もしかしたら、「そういう風にしたら面白いだろうなあ…」という想像しただけだったのかしら?
それとも40年ほど前、小さかった娘相手に、そんな遊びをして見せたのだったかしら?
でも、娘はままごと遊びにほとんど興味を示さない子だったがなあ……

とにかく、私は今でもこの、ぴらぴらきらきらしゃりしゃりふかふかしたパッキング材の
手触りと見た感じが大好きである…
だって、弱い日差しが差す真冬の午前、陽光の温かみを受けてシャーベット化してきらきら光る
あの汚れなき雪のようじゃないか?♪

『ところで、これは、一体なんという名前のものなのだろう……』

いつもその疑問は頭にあったが、今まで調べてみたことはなかった。
でも、どんなささやかな目立たぬ商品にも、呼び名はちゃんとあるんだよなぁ。
そうでないと商談するにも困るから。

……
調べてみた。
ちょっと探すのに苦労した末に、やっとこれの名前がわかった。
『セロパッキン』というのだそうだ。
『パッキン』は、packing (荷造りすること)という英語そのままだなあ!と思ってちょっと笑う。
でも、『セロ』はなんだ?
…ああ!『セロファン』かぁ!(爆)

これ。石油製品のようにいつまでも土に還らず海や土壌を汚染するものではなく、
セロファンってセルロースを加工した透明の膜で、主な原材料は木材を粉砕して作るパルプであるため、
紙と同様、土にかえる生分解性の環境にやさしい緩衝材なのだという。

なんとも即物的な、そっけない名前をつけられているけれど、長い間好きでも名前を
知らなかったこれの、名前がわかって、ちょっとじ~んとする…

ちなみに。調べている途中で知ったこと。
昔々、プチプチ(別称:気泡緩衝材、エアパッキン、エアキャップなど)やこのような市販の緩衝材が
なかった時代…長距離での輸送ではシロツメクサ(白詰草)も使われていた時期があり、
白詰草の名前はそこから来たのだそうだ!
シロツメクサは、海上輸送が標準的に利用されていた時代に梱包資材として盛んに使われたため、
世界各地にその種子も運ばれ、帰化植物としてかつての海運網拠点を中心に繁茂しているのだという。(Wikiより)
白詰草。いわゆるあの、『クローバー』である。

へええっ! 知らなかった!……皆さんご存じでいらっしゃいましたか?
1846年 (弘化3年)にオランダから献上されたガラス製品の包装に緩衝材として詰められていた
のが日本における白詰草の最初だそうだ。
へええっ…試しに、亭主にシロツメクサの名前の由来を知っているかと訊ねてみたら、
ちゃんと知っていた! …びっくり。…知らなかったお馬鹿さんは私だけ?(笑)


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小さな、宝石のように綺麗な林檎たちを、山水画の描かれた和皿に並べてみる…
可愛いなあ。美しいなあ。
可愛すぎて食べられないよ~
(葉っぱのついた一個だけを残して、もう食べてしまってありませんが)



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どれくらいちっちゃくって可愛いかというと。
普通こういうとき、100円ライターなどと比べることが多いのかな。
でも、うちにはライターがない。そうだ。いつもキャンドルナイトの時火を灯すのに使うマッチだ!
あら。そういえば、マッチ、使いきっちゃったんだった!(買ってきておかなくっちゃ)
チャッカマンは比べるには大きすぎるし。
ということで、小さなミシン糸のロットと比べてみる。ね。可愛い林檎でしょう?

実は、9月の半ばごろひいた風邪がまだ治らない。
咳の風邪で、毎日、あんまり咳をしすぎて筋肉が痛くなってしまった胸とおなかを
かばうように手で押さえながら、身をまるめて苦しい咳をしている。

小さい頃。私が病気になると母が食べさせてくれたのが、擦りおろしりんごだった。
おなかが痛いときでも、風邪で喉が痛くてものを飲みこめない時でも、熱がある時でも…
冷たい擦りおろしりんごは、熱に倦む子供の口になんと優しく甘かったろう!

まるで私が風邪をひいたのを知ってでもいたかのように、偶然りんご園に行って、
それでもぎたての林檎を送ってきてくれた友……

すりおろすのは無論もったいないから、かぷり!と、皮ごといただきました。^^


                     ***


秋もだいぶ深まって、台風が一過した今夜は、美しい十三夜の月が空に輝いている……
月を見に玄関の外に出れば、我が家にもささやかな金木犀の木があって、
もう花は終わりかけだけれどまだかすかに名残の香はある……

李賀は、木犀が出てくる漢詩をいくつも書いているなあ。

    
…というくらいしか、漢文初心者の私には言えないのが口惜しいところ。てへへ。





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Re: MATZ-TSさんへ

MATZ-TSさん。こんにちは♪

ふふふっ。60年も前の写真です!なんかむくんだ顔していますが、
この頃は結構美少女だったんですよ。(ほんとかな?今はひどいもんです!^^)
痩せていて神経質な、きちんとした少女でした。
通知表の先生のコメント欄に、『きちんとしすぎていて、こちらが気疲れ
するようです』と。
だんだんいい加減になると同時に、体も元気になって行きました!(笑)
今はもう、徹底してマイペース(爆)。

MATZ-TSさんがお病気の時の、お母さまの思い出の味は、きつねうどんですか。^^
私も母の作るすうどんが大好きでした。
博多風というのかな、とにかく西の方の味付けのおうどん。
いりこでだしを取った、基本薄味の、さっぱりしているけれどうまみ十分のおうどん。
かまぼこ一きれ二きれと、細かく刻んだ青ネギが載っているだけ。
きつねうどんも好きです。あげ玉のたぬきうどんよりずっとずっと好き。

お母さんの味、というのはなにものも太刀打ちできませんね。^^

林檎は、酸味のあるのが好きです。高校の頃、一家が瓦解して、私は寮に入って
いたのですが、ちょうど今頃かなぁ、もうちょっと寒くなってからだったかな。
松林の中にある寮の寮生たちがよく買い物をする、小さななんでも屋さん。
…洗剤もちり紙も、雑誌も、お菓子も、漠然となんでもあったけれど、
でも品数は少なかった。笑
そこの空っぽの棚に、一個、林檎がぽつんと載っていた。
真っ赤な林檎で、紅玉より二回りくらい大きい。
私は寮費はただ。母が東京で働いて、お小遣いを送ってきてくれる。
そのささやかなお小遣い、奮発して、その大きなリンゴ、買いました。

寮の部屋に連れて帰ってみると、もっと大きく感じる。
そしてね。香りが素晴らしかったのです。その林檎一個あるだけで、部屋中が
素晴らしい香気に包まれました。同室の女の子と、その香りを2、3日楽しんでから
分けて食べましたが、果肉は真っ白。甘くって酸味があって果汁たっぷりで。
あの林檎は、私の幻の林檎です。
なんという種類の林檎だったのだろう…もう一度巡り会いたいです…

思い出は時と共に美化されるもの。
とは思うのですが、貧しくても幸せな時って、やはりありましたよね~。
ものが乏しかっただけに、何かを手に入れたときの喜びは、今の、お金さえ出せば
何でも手に入れられる時代の人間の、ものを手に入れた喜びより大きかった気がします。
それこそ、一つ前の記事の、林檎の詰め物…セロパッキンというものだそうですが、
これなんか、わたし、子供の頃どんなに手に入れると嬉しかったか。

ん?私の子供の頃、セロファンなんてあったかな?と記事を書きながらちょっと
自信がなくなっていたのですが、つい数日前、たまたまサザエさんの漫画を読んでいたら、
昭和29年の漫画にセロファンが出てきました!
「ああ!私が小学校1年生だった昭和29年。セロファンがあったのなら、それを細く刻んだ
緩衝材セロパッキンもきっとあったに違いない」と確信が得られました。
小1の夏、近所のれい子ちゃんと、れい子ちゃんちの朝顔の花を絞って、
セロパッキンの上にかけて『かき氷~♪』と言って遊んだ記憶は幻じゃなかった!^^

過去は単に懐かしく回想するだけのものでなく、現在を見つめ直すよすがにもなりますね。
ましてや国家の辿って来た歴史は、忘れ去るのではなく、そこから学んでいかなくては。

いつもありがとうございます♪

Re: お二人目の鍵コメさんへ

こんばんは♪
コメントの主な返事はそちらで書かせていただきました。^^

植物や鳥の名前は、昔の詩歌などの出てくるものは、要注意ですね。
今の言い方も、長い間に言葉が変化を遂げた末のものであることに
留意していないと、まったく違うものを指してしまうことがあるかも。
万葉集で『朝顔』と呼ばれているものは、『桔梗』あるいは『ムクゲ』を
指していた、などと言われると、え~~~っ!と思ってしまうし、
まして中国でのいいかたの変遷となると、もうお手上げです。
鳥の『ほととぎす』の漢字について、また古く詩に詠われたホトトギスは
本当にホトトギスか、などという議論は面白かったですね。

でも、調べて行って、『納得!』に行きあたった時の喜びはまた、
自分一人のものだけれど、勉強することの醍醐味でもありますね。
私は、まだ、入り口以前、ですので(笑)、これからの道のりは遠いですが、
ひとつひとつ楽しんで行きたいなと思っています。
はいっ♪
植物のこと調べるのは好きです。^^
鳥もね~。もっと生態など観察して詳しくなりたいんですけれど、
いかんせん、ド近眼ですので、もっぱら本や絵で楽しむばかりです。

No title

こんにちは。MATZ-TSです。 ついにお顔を拝見できました(笑)。^ ^  

懐かしいなぁ、昭和20年代かな。 そのころ、私もうすぼんやり覚えていますが、たまに風邪をひくと、母がなけなしの金できつねうどん作ってくれたりしてね。貧しかったのだろうが、そうは感じなかった。よい思い出だけが残っているのかな。母はずいぶん苦労したようだが。

 昔のリンゴ、紅玉は国光 丸ごとかじるのが習慣だった。トマトも隣の畑で採れたてをがぶり、これがおやつだった。 人糞で育てているから、寄生虫も腹に飼うことになったけど。

そのころから、日本経済は急速に成長し、人の心は経済的成功のみに向いて、私もそれにつかり、日本は変な方向に向いていったような気がする。

人の幸せって、金だけではない(もちろん金は必要だけど)。 

子供のころを思い出すことは、自分を振り返って姿勢を正すことにもつながるような気がしました。

 懐かしい記事、ありがとうございました。

Re:NANTEIさんへ

NANTEIさん、こんにちは~♪

漢文、そうですか、師匠も?^^
私は、自分がもろに文系の人間であることがわかりつつ、中学から高校に進むとき、
経済的事情もあって私立の工業高校に行ったのです。学費寮費が大学まで行ってもただ、という。^^
高校での漢文授業は高一の時だけ。それも一番簡単なレベルの。^^
それまで国語英語は結構得意科目だと自負していたのですが、高校3年間で
すっかり力が落ちちゃいました。
まあ、自分で勉強すりゃいい、というだけのことなんですが、なかなかね。

私がまあまあそれでもなんとか難しいことばも少しは知っているのは夏目漱石の
おかげです。彼の作品にはいずれも詳しい脚注がついているので、漢語も少しは
それで知った。大好きな作家のものは熱心にそんなとこまで読みますから。
でも、漢語より、『トチメンボー』とかの方がすぐに覚えた(爆)

漢文ができなくて悔しいのは、自分の使う漢字に何か背骨のようなものを
感じられないことです。この使いかたでいいのかな、という不安が常にある。
語彙ももっとあればなあ、と思うことがブログを書いていてもしょっちゅうです。
特に、情景描写や、怒りなどの(笑)感情を表す言葉かな。

私は他にも後悔ばかり。なかなかこれも達観できません…(苦笑)
腹に何か言い切れない不満があるということは、健康にはあまりよくないですよね~!
某放射線学の医師はむかつくご仁ですが、『笑っていりゃ放射線の影響も少ない』というのは
案外そうかも、などと思ってしまいます。
でもそんなこと、推進側の人間に言われたくない~っ!

タスマニアでの思い出。^^
タスマニアの記事は覚えていますよ~。昨日またみせていただきました。
おお、あそこにはその切手の写真もあったんですね~。
なんだか嬉しい懐かしいような思い出ですねえ。きっとその切手をくださったかたも、
NANTEIさんに、何か、言葉や国籍を超えた親近感を抱かれたからでしょうね。
いいなあ…こういう言うに言われぬ人と人との交流は。

お母さまのことは。そう。お父さまのことも…
思い出そうとして出せないことをお話ししてしまってごめんなさいね。
でも、おそらく早く別れねばならぬことを予感なさっておいでの母の愛情というものは、
短い間にも、その分凝縮されて子であるNANTEIさんの上に降り注いでいただろうと思います。
ずうっとこの祈りよ届け、この願いよ続け、と。

父母、そしてそのまた父と母たち……
その想いを受け継いで強く生きていかねば、ですね。^^
ありがとうございま~す♪










Re: お一人目の鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんにちは~♪

早速ご紹介の記事、読ませていただきました。
う~ん。なんともかんとも……。

日本軍が敗戦によって引き上げて後も、韓国では米兵相手の慰安婦が
基地の周辺などにいたこと。米軍もそれを利用していたことなど、
私も、いつか記事にしたいと思っていました。
2014年6月25日、米軍慰安婦として働かされたとして韓国人女性ら122人が
韓国政府を相手に国家賠償を求める訴訟を起こしたため、日本でも記事になって、
一部の人々などが、『それ見たことか』『朴槿恵ザマミロ』みたいなことを
ネットでも書き散らしていましたが、愚かなことですね。

韓国人が、日本軍兵士の相手をしていただけでなく、米軍に対しても
慰安婦のようなものを提供していたという事実。
でも、それによって、日本軍が従軍慰安婦のようなものを組織的に管理し
利用していた事実が帳消しになるわけでは全くない。
そうして、対日、対米の如何に関わらず、また軍用慰安婦、いわゆる酌婦や
売春婦などの区別に関わらず、歴史上も今も、女たちが多くは生活苦のために
そうした環境に身を置かさるを得なくなった社会の問題、というのも、
『ほら、韓国人は米軍相手にもそんなことやってた!』という事実がわかったからと言って
帳消しになるものなどでは決してないです。

よく、橋下氏のような政治家までが口にすることですが、『日本だけじゃない。
他の国だってやっていた』という言葉は、それによって罪が消えるものなんかじゃない、
ということがわかっていないひとの言ですね。
『他人がやっていれば、自分の罪が減じられる、とか帳消しになる』というのは、
本当に幼稚な考え方です。
誰がやっていようとなかろうと、罪というものは厳然としてそこにある。のです。

慰安婦問題のおかしなところは、男性の性の道具として人格や人権を蹂躙された
女性たち一人一人の人生のこと、それがいちばん肝要の問題なのですが、
それを置き去りにして、その集め方や自発性があったかなかったか、金を
受け取ったかそうでなかったか、などという末端のことで、人々が論じ合って
いることですね。
女性の性を、まるで男性にとっての公衆便所ででもあるかのように扱うこと、
それを必要悪と考えて平気な人々(これは、男性のみでなくこともあろうに
女性の中にさえいます!)…それは、戦争中、戦後、今、未来…また国を問わず、
常に繰り返されていくこの世の理不尽だと私は考えています。
日本人だから韓国人だから、アメリカ人だからと言って、あるいは皆がしているからと言って
良しとされるものではないのだと思います。

マララちゃんがノーベル賞を貰ってすごいですね♪
マララちゃんの訴えている、女の子にも学問を、という問題と、この、男性による
女性へのせい暴力という問題は、同じ問題だと思います。
この世界には、まだまだ悲しくなるほど、男性の、女性への蔑視と暴力、差別が
溢れています。
従軍慰安婦の問題も、そうした原点から見ていかないと、瑣末なことで争う不毛を
続けるだけで、本当の意味での女性解放につながっていかないと思っています。

なかなかね。隣人を知ることは難しいですね。
知って嫌いになってしまうこともあるだろうし、知らないままに嫌悪していることは
もっと多いでしょう。でもね、あの国のひとはこうだ、という決めつけは常におかしいですよね。
日本人だって、ひとりひとり皆違うんですもの。
でもね。国の内外を問わず、人と知り合って得るものの方がどれだけ多いことか。
ブログの世界で、ある日、見知らぬ同士が、魂の交流をする関係になることがあるように、
国や、民族を越えて、お互いに理解しあえるのが一番なんですけれどね。^^

ありがとうございま~す。
またこうした問題については書いて行くつもりで、いま、考えをまとめ中です。^^

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No title

私に至っては漢文は、それこそ珍プン漢文です(^^ゞ

もちろん漢文に限らず、未知、無知の世界がいっぱい。
少し前までは悔やむこと多々でした。
外国語の一つくらいは流暢になりたい。
もう少し数学的、論理的な頭脳を持てなかったものか。
油絵をしっかりやっておけば良かった。
純文学を少なくとも月に二冊は読むべきだった。
管楽器で地域のオーケストラに参加してたらどんなに楽しかったろう・・・

などなど、考えると見悶えするほどでした。

が、いまは。
しょせんそれだけの人間だったんだ!
なんて妙に納得してずるずると流される毎日を受け入れております(笑

ストレスのない毎日がもっとも健康な人生。
ある妙なドクターの言を都合よく取り入れて(笑!

切手にはとてもほんのりする思い出があります。
オーストラリアからタスマニアと、仕事で取材旅行した折のこと。
タスマニアの田舎にある大きな畜産加工の工場を見学した時、
入り口で白衣と白い帽子に着替える規則だったのでしょう。
ロッカーを管理しているおばちゃんが、着替えた私を見てひじょーに喜ぶのです。
「チャイニーズ・コック?」とか言って^^

で私は「イエス!チャイニーズ」と答え,
さらに「マイネームイズ、チャチャイ」なんて出鱈目の名前をサービスすると、
大いに笑って「ウェイト!」
少し待ってろといって奥に行ったおばちゃんが持ってきたのは、
小箱にぎっしり詰まった切手でした。
もちろん使用したあとのものでしたが、なぜこれらの切手を見せたのか、
英語があまり喋れないので怪訝な顔をしていると、
「持ってゆけ」というような意味の言葉を繰り返し、私の手に押しつけるのです。

仕事があるのでそれ以上時間を取ることが出来なくて、
「サンキュー、サンキュー」を繰り返して工場に入りました。
帰り際にもう一度「ありがとう」を言おうとしたのですが、
くだんのおばちゃんは交代したのか、別の女性がロッカーの前に立っていました。

日本に帰ってきていろいろ考えてみました。
もしかして息子さんが集めていた切手ではないだろうか。
その息子さんはもうこの世にいなかったのかもしれない。
などなど、いろんな思いが浮かんできたのですが、今もってわかりません。

なんということはない切手たちですが、なぜか大切なものに思えて、
今も大切に持っているのです。

そういえば、こんな記事を書いたことがあります。
http://nantei1943.blog129.fc2.com/blog-entry-302.html
覗いてやってください。

母の思い出といわれると悲しいですが、
母があってこそ私がこの世で呼吸しているわけで、
しかも絵を描く力も与えてくれたんだ、と思うと今は感謝の気持でいっぱいです。

母と言う存在は宇宙そのものだと思っています。

長々としょうもない話を・・・(^_^;)

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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん、こんばんわ~んん!^^
実は私も、皆既月食、見損ねちゃいました。わ~ん!

最後の方だけちょこっと見られましたが、こっちの方ね、分厚い雲がかかってたんですよ…。
都心の方はすっきり晴れていたようなのになあ。

こちらこそありがとうです♪
お許しいただいたので、ちょっと、追記という形でつけ加えさせていただきました。
敬意と感謝をこめて、薔薇色の文字色で書かせていただきました~♪

私の母も、小柄な人でした~。
父も小柄。徴兵検査で丙種合格、って言ってましたからね。
『現役には不適であるが、国民兵役には適するとされるもの』というやつですね!(笑)
長男でもあったし、十五年戦争の時はもう年もいっていたので、兵隊さんには
ならなかった。でもたぶん、内地で輜重隊の手伝いくらいはさせられたのかな?
輜重隊というのは、兵隊の中で最下位に見られていたらしいですね。

『輜重輸卒が兵ならば、蝶々とんぼも鳥のうち』

なあんてね!言われていたらしいですから。(笑)
父はそれ以下。^^
でもよかった。体格よくて外地に行って戦死なんかしてたら私は今、いない!^^

今度ね、田村泰次郎のこと書こうと思っているんですけれどね、
そこに、輜重卒というのが軍隊でどういう位置にあったか書かれている。
歩兵たちの行軍の最後から、ガラガラ弾薬や食糧積んでついて行く。
それと絡めて『蟻の兵隊』のことも書きたいです。

『北支派遣軍第一軍の将兵約2600人は、敗戦後、山西省の軍閥・閻錫山の部隊に
編入され、中国共産党軍と3年8カ月に及ぶ死闘を繰り広げた。
上官の命令は天皇の命令、そう叩き込まれた兵に抗うすべはなかった──。』

というのが、本の説明ですが、ドキュメンタリ映画化されているんですよ。
本読んで、それ観てから書くことになるかな…
悲惨ですよね…日本軍の軍部の被害者にして、現地の人々には加害者だ。
田村泰次郎はやはり山西省などで従軍してるんですね。映画見て、山西省の
風景知りたい…現代の光景でもいいから。

とっとっと。「小柄」ということから話が逸れていってしまいましたが、(笑)
林檎。美味しくて美しいですよね!
私は酸っぱい紅玉などが好きです♪

林檎、と言えばですね、勉強で、いろんな漢詩に関わること検索していたら、
『八世紀中国における農事と生活の歌―杜甫農業詩研究』という論文見つけまして。
Wordの文章なので、コピペが…

杜 甫 農 業 詩 研 究 - 中国农业历史与文化
(Microsoft Word)

とコピペすると出てくるかな。
これ、ちゃんとした本にもなっているようです。古川末喜というかたの書いた本。

http://www.amazon.co.jp/%E6%9D%9C%E7%94%AB%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E8%A9%A9%E7%A0%94%E7%A9%B6%E2%80%95%E5%85%AB%E4%B8%96%E7%B4%80%E4%B8%AD%E5%9B%BD%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E8%BE%B2%E4%BA%8B%E3%81%A8%E7%94%9F%E6%B4%BB%E3%81%AE%E6%AD%8C-%E5%8F%A4%E5%B7%9D-%E6%9C%AB%E5%96%9C/dp/4862850383

とっても長いので、まだちゃんと読んでないのですが、拾い読みしてたら、
杜甫が、林檎園とか野菜園を作って地元の農民たちと交流する様子が書いてあるのですが、
それがなんだか愉快なの。延々と蜜柑栽培のこととか、『ちしゃ』の栽培とかのことが
書いてあって、杜甫という昔々のひとが、一気に親しい感じになっちゃいました!(笑)

そこにね、近くの少年が、杜甫の所に林檎、籠に入れて持ってきてくれるシーンと
漢詩があるんですよ。
ちょっと引用しますね。

その年の夏、瀼西の果樹園から、豎子の阿段がもぎ取ってきたばかりのリンゴを持ってきてくれた。病床に伏せることの多かった杜甫は、この利発な少年が思いがけずもたらしてくれた、新鮮なリンゴがとてもうれしかった。そこで次のような五言律詩《1902_豎子(ジュシ)至る》の詩を作った。

  樝梨纔綴碧、 樝(しどみ)と梨は 纔(わず)かに碧を綴(つづ)りあわせ
  梅杏半傳黄。 梅と杏は 半ばそとに黄となれるを伝えあらわす
  小子幽園至、 小子は幽園より至り
  輕籠熟柰香。 軽き籠(かご)には 熟せし柰(りんご)の香(かんば)し
  山風猶滿把、 山風は 猶(なお) かごの把(にぎり)に満ち
  野露及新嘗。 野露は 新たなるものを嘗(な)むるに及ぶ
  攲枕江湖客、 わがみをば枕に攲(そばだ)つる 江湖の客(われ)
  提攜日月長。 なんじと提携すること 日月に長からん              《1902_豎子至》


病がちの杜甫に、摘みたての林檎を持ってきてくれる少年。^^

Re: その日暮らしさんへ

その日暮らしさん。こんばんは♪

その日暮らしさんもお小さい頃、どちらかというとおからだ弱くていらしたのですね。^^
私も、4歳から小2まで過ごした家が、暗くて、しかも温泉街で、湿気のような
ものがあったせいですか、どうも病弱でした。
でも小2の2学期に別の県に引っ越してからは、がらっと元気になりました!
まあ、住処のせいというよりは、大きくなって体力がついてきたせいかもしれません。^^

お母さんというものは、子供のために尽くすこと自体が自分のしあわせなのでしょうね。
特に昔の母親はそうだったように思います。
きっと、その日暮らしさんのお母さまも、お子さんやお孫さんのために尽くすことを
ちっとも苦労だとか大変だなんて思ってらっしゃらなかったとおもいますよ。^^

一方、でも、子供もまた、親のことを想う時、特に親たちが亡くなってしまうと、
あれもしてやらなかった、これもしてやりたかった、と後悔するものなのでしょうね。
私など、父にも母にも悔いることばかりです……。

父は私が36歳の時、母は38歳のとき逝ってしまって、しかも、父とは小2の時に
生き別れ、母にも、私が18歳で上京した時からは数えるほどしか会いに帰っていないので、
父とも母とも、実際一緒に暮せたのは、人生においては短い間でした……
父とは8年間、母とは18年間。
…考えてみれば、ほんとに短い間ですよね~。

スープの冷めない距離…とまでは望めなくても、せめて2,3時間くらいで
会いに帰れる距離に住めるといいですねえ…
孫たちにとっても、祖父母の文句ないやさしさというものを生涯の内に
知っておけるのは幸せなことですよ。^^
うちの娘などは、双方の祖父母を知らないままですので、可愛そうなことしたなと
ときどき思います。私が連れて帰ってやりさえすればよかったものを。
どんなにか、父も母も喜んだでしょうに。

しみじみしたお話。ありがとうございます♪

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No title

 こんばんは!

 ありふれた平凡な家庭環境に育ちましたが、それでもやはり、母というのは特別な存在でした。
 僕は小学校に入るころまで病弱でしたから、母にはずいぶん心配をかけたものと思います。
 結婚して子どもを授かってからも、母は遠くから毎日のように通ってきて子どもたちの世話をしてくれました。僕たちはずっと共働きでしたから。
 母は、遊びに出かけることもほとんどなく、ただ家族の者たちのために生き、そして死んでいったように思います。それで幸せだったのだろうかと、ふと思うことがあります。

Re: クウ―ママさんへ

クウ―ママさん。こんにちは♪

パソコンね。どうしちゃったんでしょうね。
私のパソコンも、スクロールがきかなくなることがこの頃しょっちゅうなの。
今朝いっぱいも、全然画面が動かせなかった。
一度シャットダウンして接続ひっこ抜いて、やり直すと直ることもあるので、
そうやって、パソコンの機嫌の良いとき、ささっと記事やコメント書くようにしています。
いつものあの長さじゃ、ささっとでもないか!?(笑)
機嫌がいいときはいいんだけどなあ。動かないとなると梃子でも動いてくれない。
早くパソコン、直るといいね♪

年を経て、母のことおもいだすことも日々に少なくなって行っていたのだけれど、
久しぶりに、母親というものが強く広く照射する愛、というものについて考えて、
懐かしさと悔恨の混じった涙を流しました…
クウ―ママさんもね♪ おかあさんって、しみじみありがたいですよね~~~♪ ^^

この夏のワンピースの布ね。
昔のこうした子供の着物や洋服柄って、復刻されて今売られてるでしょう。
金魚柄や、くまちゃんや、わんちゃんねこちゃん…お花柄など。
このリンゴ柄のも、どこにでもありそうな気がするんだけれど、同じものはなかなかないの。

お散歩。いつもクウ―ママさんとクウ―ちゃんのお散歩に私もあとからくっついて行ってます。^^
いいところがいっぱいね。
クウ―ママさんの、可愛いもの見つける目と感覚が確かで敏感だから、私もいつも楽しんで
ときに笑っちゃったりしています。
うちの近くの河原も、いいところなんだけれど、植物層が割合単調なの~~~。
だんだんね、猛々しい帰化植物が増えて行って、前はあった野ばらの茂みとか
自生のホタルブクロとか、ネジバナとか…、もう見られなくなっちゃった。
川の土手に木イチゴとかも以前は生えていたのよ~。

詰め草。
ああっ!クウ―ママさんもご存じでいらしたっ?
知らないのはほんとに私だけ、だったりして?(爆笑)
そうですかぁ。宮沢賢治に、そういうシーンがあったのね。知りませんでした…
「詰め草とてきてけくれじゃ」かぁ、いいなあ。
『種がこぼれて世界に広がって、花冠が子供の頭に載せられて、壮大な旅を想像すると楽しいですね。』
このクウ―ママさんの言葉もいいなあ。うんうん、ほんとに♪

りんごの葉っぱね。あ、そうかぁ、早速お水につけてみますね。^^

咳。今日はぐんと良いです。^^
治る時期がようやく来たのかな。心配かけてごめんなさい。

ちょうど嵐の日でね~。
でも、「今日は…だな」って、ずっとこころでお祝いしていましたよ。^^

こちらこそいつもありがとう~~~♪













No title

今日はコメントが残せそうだから、急いで書きますね。
途中でPCのご機嫌変わらないうちに^^
お母様のお話、涙浮かべて読ませて頂きました。

月下美人も彼岸花も、味わいましたよぉ^^
路地を見つけると入り込んでは喜ぶ散歩してます.
通り抜けて見たくなるんですよね・・

宮沢賢治が妹さんに「詰め草とてきてけくれじゃ」って呼ぶ場面が昔読んだ本にあって、それでシロツメクサの由来を知りました。種がこぼれて世界に広がって、花冠が子供の頭に載せられて、壮大な旅を想像すると楽しいですね。

林檎^^ 葉っぱを水に浸しておいてから電話帳にでも挟んで押し葉にしてはいかがでしょう。 咳がずっと続くと体力が消耗しますね、早く治りますように。
お医者さんに 行きましたか?  行かなきゃいけませんよ! って医者嫌いの私でも言わせてもらいますね^^

お祝いコメントをどうもありがとうございます♪
お返事かいても送信出来なくて、PCをメッなんてしてました><*
いつも暖かい言葉をありがとう!!!



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彼岸花さん

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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
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