『時を超えて、一人のひとの人生を深く想うということ ④ 』

パトリック・モディアノとジョルジュ・ペレック。

モディアノは日本においてはまだ認知度が低いのか、
『村上春樹が惜しくもまたノーベル賞逃がす。取ったのはフランス人作家、パトリック・モディアノ…』云々、
という記事ばかりの中、この二人の名が並べられて語られているサイトがあった。

そのサイトは、
『占領下のパリ、強制収容所、居合わせなかった者の記憶:モディアノとペレック』という記事。
http://perec.jp/data/shiotsuka.pdf
おお!!!……
筆者は、なんと、あの、ペレックの、E 、eを一切使わないで書かれた作品『La Disparition 』を、
『煙滅』というタイトルで、日本語で一番多く使われる『い』の音、また『き』『し』など
いの段の音も使わないで、日本語に翻訳した、あの塩塚秀一郎氏ではないか!!!

塩塚氏のこのサイトに出会わなかったら、私は、モディアノとペレックを結びつけて考えては
いなかったろうし、いつか暇で気が向いたときに、愉快なおなぐさみ記事として
ペレックの壮大な言語的実験と、それをご苦労なことに、英語や日本語に訳した人々もいる!
ということの紹介記事を書くにとどまっていただろうと思う。
だが、私は、塩塚氏の記事の、冒頭のこの文章に惹き込まれてしまう。

『占領下、全国民がド・ゴールを先頭にしてレジスタンスで一致していたという神話は、戦
後のフランスで暗黙裡に受け入れられてきました。団結して戦禍からの復興にあたるために、
この種の神話が必用とされたのです。しかし実際には、レジスタンスとしての活動をしたの
はごくわずかな割合の国民にすぎませんでしたし、ユダヤ人検挙にフランス人が積極的に関
っていたことも明らかにされてきました。偽の英雄神話や被害者意識から抜け出し、ユダヤ
人虐殺に対するフランス人自らの責任を問う声は、近年ますます大きくなっています。フラ
ンスがなしたこと、その被害者たちの痛みを忘れてはならない。そうした「記憶の義務」と
いう考え方
は、1994年頃、全フランス的な規模でひろがっていました。ちょうど、モーリス・
パポン裁判によって、ユダヤ人迫害へのフランス官吏の関与が問題視された時期でした。
害者の記憶はもとより、加害者が持ち続けるべき記憶にも光があたりはじめたのです。

このような文脈で考える時、奇妙な「記憶」をめぐる書物をあらわした二人のユダヤ系フ
ランス人作家が思い浮かびます
。』


それが、モディアノとペレックだった。
私は、下線部、とりわけ『記憶の義務』という言葉に
心惹かれた。
『記憶の義務』とは。
『時を超えて、一人のひとの人生を深く想うということ ③ 』で、わたしは、モディアノが、
一種の探索小説とでも言えるような『ドラ・ブリュデール』という作品を書いたことを述べた。
ほぼ作家自身と思われる語り手の『私』は、40年以上も前の1941年12月31日付の
古新聞「フランス・スワール」紙に、一人の行方不明少女の尋ね人広告が載っているのを見つける。
シャンゼリゼでナチスの一斉検挙にひっかかった父が、その囚人護送車の中で一人の少女を見かけたと
後年話していたことがある。
もしかしたらその少女がドラなのではないか。
語り手の『私』のドラ探索が始まる…

ここから、また、私が強く惹かれた塩塚氏の文章を引用しよう。

『モディアノは、ドラの誕生日を突き止めるまでに四年、生まれた場所を知るまでにさらに
二年の時を費やします。これほどまでに時間がかかったことは、名もない少女の生の軌跡を、
半世紀以上たってから突き止めようという、企ての無謀さを思えば別段不思議でもありませ
ん。むしろ、モディアノの執念深さに驚くばかりです。それだけでなく、探索に行き詰まっ
たモディアノは、「忘却の番人」とでも言うべき人種の存在を嗅ぎつけるのです。無名のまま、
痕跡も残さず消えていった人びとについて、彼らの記憶を隠蔽しようとする番人
。「記憶の義
務」が果たされないよう、この「忘却の番人」が立ちふさがり、自分の発掘作業を妨害して
いるのだと。たとえば、区役所の戸籍係は、ドラとモディアノに血縁関係がないことを理由
として出生証書の発行を拒みます。モディアノの反応。「一瞬、この係員は“忘却の番人”の
一人ではなかろうかと思った。恥ずべき秘密を隠し、誰かの生きた痕跡をほんの少しでもた
どろうとする者に、それを禁止する役目を担った番人。』


ああ…
この『記憶の義務』という言葉と『忘却の番人』ということば。
私がこの頃考えていることどもを、なんとぴったりと象徴しているのだろう。

河野談話の成立までの検証を行ってみたり、河野談話そのものを消し去って新しい
政府談話を出そうと画策している人々…
クマラスワミ報告書に『吉田証言』への言及があるからとて、そこではその信ぴょう性を疑う
秦郁彦氏の言葉も公平に載せているにもかかわらず、クマラスワミ氏に、吉田証言部分の
削除を求めたという某政府。
一市民からの要望があったからと言って、漫画『はだしのゲン』を小中学校の図書館で
自由に読めなくするよう指示していた某市教育委員会。
西山正啓監督の記録映画『脱原発 いのちの闘争』を、「タイトルが政治的」という理由で
公共施設の利用を許可しなかった某市。……

なんと!名もなき人々の生の軌跡や痕跡を、記憶から組織的に消してしまおうとする
『忘却の番人』たちが増えて行っていることだろう!

再び塩塚氏のページに戻って、そこで引用されているモディアノの『ドラ・ブリュデール』の一文を
再引用しよう。

『この見知らぬ娘が、父と同じように、ユダヤ人に共通の運命を免れた可能性もある。彼女の名
は永遠にわからないだろう。彼女の名も、またあの夜捕らえられた影のような他の人たちの名
もわからないだろう。ユダヤ人問題担当の警官たちはといえば、作成したカードや、町での一
斉検挙あるいは個別検挙の際のいっさいの尋問調書を破棄してしまったのだ。
これを書き留め
る私という存在がいなければ、シャンゼリゼで 1942 年 2 月に、護送車の中にいた私の父や、
あの見知らぬ女性がこの世に存在した証拠は何一つ残らないだろう
。「身元不明者」の範疇に入
れられる人間(死んでいようがいまいが)でしかなくなるのだ。』


ここにはくっきりと、名もなき一人の人の生の痕跡をたどって、それを書き留めておこうとする人、
つまり『記憶の義務』を負おうと試みる人と、反対にそんなもの、と破棄してしまう人間たちがいる
ことが書かれている。
後者は『忘却の番人』たちだ。

モディアノの考えかたのよくわかる文をもう一箇所。

『一斉検挙の際、逮捕者一人ひとりの調書に署名した、当時「捕獲吏」と呼ばれた警官たちは、
みな死んでしまったか、あるいは齢をとり体が不自由になってしまったろう。何万という調書
は破棄され、もう「捕獲吏」の名前も永久にわからないだろう。だが、保管文書中には当時の
警視総監に宛てられた、返事のもらえなかった幾百通もの手紙が残されている。そうした手紙
は半世紀以上打ち捨てられたままになってきた。まるで遠方の中継地の倉庫の奥に置き忘れら
れた航空郵便の袋のようだ。今日、私たちはこうした手紙を読むことができる。宛て先のご本
人たちが目もくれようとしなかったのだから、当時まだ生まれていなかった私たちこそが、手
紙の受取人であり管理人なのだ。


ナチスによるユダヤ人一斉検挙の時、捕獲吏として働いた警官たちや警視総監は、
もう亡くなってしまったかもし生きていてももう高齢で、当時の責任を取ることはできない。
逮捕されドランシーに収容されたユダヤ人の親、妻、祖父母らが、当時の警視総監に宛て
釈放を懇願する悲痛な手紙を何通も何通も書いた。しかしユダヤ人一斉検挙の際、
逮捕者一人ひとりの調書に署名した捕獲吏たちはもう歴史の表舞台から消えるか引っ込んでいる。
彼等がもう読めないのであるならば、後世の我々が、たとえ当時生まれていなかったにしても、
それらの手紙の受取人、管理人となって、歴史の闇に、名もなく人知れず消えて行った人
ひとりひとりの人生を掘り起こし、それを消えない記憶として書きとどめておくことが、
後世の人々に課せられた『記憶の義務』というものではなかろうか、というのである。

旧日本軍がアジアで侵した罪について、よくされる議論で、
『その当時生まれてさえいなかった我々が、どうして被害国にいまさら謝ったりする必要があるのだ?
俺たちがしたことでもないことについて、俺たちは永遠に謝り続けなければならないのか?』という
疑問が出されることがある。
私自身の答えはYESだ。
私も、一応戦後の生まれである。しかし、その私が、自分が生まれる以前に
日本軍がかつてアジアの諸地域で引き起こしてきたことに対して、贖罪の意識を持たなければ
ならないと考えるのは、それは現在と未来のためでもあるのだ。
過去の出来事を直視できないものが、どうして現在の悲劇を見ることができるだろう?
そして、子供たち、生まれてくる子供たちが生きて行く世界でまた同じようなことが起きないように
することもできるであろうか?

極めて非力ではあるけれど、私がぽつぽつと過去の戦争文学などを掘り起こして
紹介しようとしているのも、早速この記事を書くことで巡り会った言葉を使わせてもらうなら、
自分も、『記憶の義務を負う』と考えるからだ。
そして、私がここで書き残して行くことばは、これをたまたま通りすがりにでも読んでくれる人が
いるならば、もしかして、その人のこころの中に記憶として残るかもしれないではないか。

一つの過去の事実を探っていけば、そこにはいくつもいくつもの、見知らぬ人々の生がある。
そのひとりひとりは、あなたや私と同じように親や兄弟を持ち、明日のことをくよくよ思っている
そんな『私』かもしれない。

一人の女が、今、今日20人目の相手となる兵士がむしろをかき分けて入ってくるのを見ている…

従軍慰安婦の一人一人の人生をおもってみずに、慰安所に集めたのは軍か軍に委託された業者か、
慰安婦たちはいくらいくら給料を貰っていて、それは日本軍兵士の給料の何倍だったか
(慰安婦たちが受け取っていた軍票など日本が敗戦するとただの紙切れ同然になったのに)
などということを言い立て、『強制性』の証拠書類があるなら出してみろ、などという人々の
言のなんとこころないことか。
『忘却の番人』たちは、証拠種類など残しはしない。敗戦と同時に日本のあちらでもこちらでも、
中国大陸のあちらでもこちらでも、上つ方も下下の憲兵も、戦犯追及の裁判を恐れて、
証拠書類になりそうなものやその他の物品は燃やし去ったのである。
そうして戦後も、そのほとんどが、自分たちに都合の悪い事実については固く口を閉じて
語らぬままでいたのである…。

                       *


私は『時を超えて、一人のひとの人生を深く想うということ ② 』で、『試験飛行』というサイトの
ペレック論を一部引用し、いい書評だなあ!と思ったと書いた。その箇所をもう一度引用しよう。

「『隠滅』(邦題『煙滅』)のなかで、抹殺された「E」の悲痛な声にならない叫び声を
聞き取れる読者には、ペレックが決してイロモノ作家なんかではないことがわかるだろう。
この饒舌な作家の真の魅力とは、行間に漂う、書かれ得なかった、どうしようもない哀しさなのである。」


人間が人間を知ろうとすること…そこには大きな共感がときに生まれる…
歴史のはざまに埋もれてしまって、もの言えぬその人を深く理解していこうとする過程には、
時代や時を超えた一体感がときに生まれるものだ。無論こちら側からの一方方向のものだが。
しかし、どのように理解しようと努めても、モディアノの作品には、その調査される人の
最後の最後の部分には踏み込まぬつつましさがあるし、ペレックの作品には、
Eの活字のない小説や、第一部と第二部のつなぎの部分が中断符(…)のみのページになっているなど、
『欠落』の特徴が色濃い。

人が一人のひとの人生を掘り起こそうとしても、モディアノやペレックのように、父と子、
母と子の間でさえ、『時』という大きな障壁があって、その人の所には辿りつけない。
わからない部分は大きな空白として残したままにしておくしかない。
しかし。
掘り起こされなければ、歴史のはざまでまったくの無として終わってしまう生がほとんどである。
また、過去の有名な人であっても、それを『私』が知らなければ、その人の生は私にとっては
無に等しい。
早い話が、私にとってのこのモディアノとペレックという二人の作家。
モディアノは少しは知っていたけれど、ペレックのことは、妙な実験的作品を書いた奇矯な人、と
いうのでしかなかった。
だが、こうやって二人の父母のことや、二人がこだわり続けたテーマが何を意味しているのか
ということやを、この数日間の間に集中して調べることによって、もうこの二人の作家は
私にとって見知らぬ人ではなくなった…今や、極めて親しさを感じる人々である…
モディアノの作品、実はこれまで非常に読みづらかったのだけれど、今回、彼のことを
詳しく知るようになって、一挙に、そのワンシーンワンシーンの意味がわかるようになったのである!

ペレックについては、私はその作品を全く読んでいないので、あのEを使わない小説を、
何と日本語に訳すという無茶なことをなさった当の塩塚秀一郎氏のペレック論を
殆ど参考にさせていただいた。なるほどなあ、これほどペレックに入れ込んでいるがゆえに
そのような殆ど無謀な、と言っていい日本語訳という作業もできたのだろうなあと
しみじみ思う。一人の人を追う、ということは、ある意味、その人に恋していくことに似ている…
そうして、もうおひとかた。ペレックについて参照させていただいたサイトがある。
福住遊というかたで、この方も自ら『ペレキアン』と名乗るペレック読みのペレック研究者で
いらっしゃるようだ。
その方の論文も参考にさせていただいたが、ペレックに多少でも興味をひかれたかたは
福住氏のこのブログをご覧ください。
http://perec.jp/archives/380
何と、ペレックの足跡をたどる旅をしていらっしゃる。
ここには、母と生き別れになる前にペレックが住んでいたヴィラン通りを訪れる
ペレック自身の映像がある!どんな想いで、ペレックは母との思い出の場所を訪ねたろうか。
そこにはペレックの母が勤めていたという美容室の古いドアもかろうじてこの時はまだ
残っている!

こちらの記事では、父は戦死、母をアウシュビッツで失ったペレックが、戦後、疎開先から
パリに戻って伯母一家に引き取られて暮らしていたアソンプシオン通りの福住氏による
探訪記がアップされている。
http://perec.jp/archives/533
なんと、少年時代のペレックが、伯母とアパルトマンのバルコニーで写っている写真がある。
福住氏は、この写真の背景となっているバルコニーの鉄柵の模様と、後ろの排水管から、
ペレック達のアパルトマンをとうとう見つけてしまうのである。
はあ~……、ペレックファンは、ペレックに似て、徹底的に遊ぶ(探る)人たちのようだ…

                       *

さて。最後に、モディアノとペレックの関係を。
以下も、塩塚氏のサイトから学んだことであるとお断りしておく。青字部分、塩塚氏の
サイトからの引用。

モディアノが『ドラ・ブリュデール』を書くにはもう一つのきっかけがあった。
それが『強制収容所移送者記録名簿 フランスから消えたユダヤ人』(1978)という書物であり、
モディアノはこれに激しい衝撃を受ける。
この『記録名簿』は、ユダヤ系フランス人セルジュ・クラルスフェルトが妻ベアーテの協力を得て、
第二次大戦中にフランスからアウシュヴィッツを中心とする絶滅収容所に送られた、
少なくとも 75,251人にのぼるユダヤ人の姓名、生年月日、出生地、国籍を可能なかぎり
正確に調べ上げ、その名前を移送列車ごと、アルファベット順に並べた膨大なリストである。
アウシュヴィッツ到着後に彼らを待ち受けた運命も一覧表で示されている。


『ドラ・ブリュデール』出版の三年前、1994年11 月 2 日付「リベラシオン」
紙のインタビューで、モディアノは次のように語っています。「クラスフェルトの『記録名簿』
は、私が正面から見つめる勇気のなかったものを、そして表現できないまま感じていた居心
地の悪さの理由を、私に明らかにしてくれた。(中略)まず私は文学について問い直してみた。
文学を産み出す主要な原動力はしばしば記憶なのだ。だから書かねばならなかった唯一の本
はセルジュ・クラスフェルトが書いたような、この種の『記録簿』であるように私には思わ
れた......。だが当時、私はクラスフェルトと連絡を取る勇気はなかった。また、こうした記
録を見事に具現した作品を書いている作家ジョルジュ・ペレックともコンタクトを取る勇気
は出なかった。」
クラスフェルトの名もペレックの名も、『ドラ・ブリュデール』において直接に言及されることは
ありませんが、この作品が書かれたきっかけとして、二人がいかに重要な意味をもっていたかが
分かります。


そうか。モディアノが『ドラ・ブリュデール』を書いたきっかけの一つに、ペレックの存在が
あったのだなあ…

塩塚氏は、結びのところでこう書いている。

『最後に余談となりますが、モディアノとペレックとを結びつける絆をもうひとつだけご紹
介しましょう。モディアノが忘却から救い出した少女の母親は、セシル・ブリュデールとい
う名でした。つまり、ペレックの母と同じファーストネームをもっていたのです。そして、
何という偶然なのか、二人とも同じ日付、1943年 2 月11 日の移送列車でアウシュヴィッツ
に送られたことも判明しています。『ドラ・ブリュデール』という書物を書いたきっかけのひ
とつとしてペレックの名を挙げているモディアノが、この事実に気づいていなかったはずは
ありません。にもかかわらず、この作品のなかで、モディアノは、この日付の符合はもちろ
んのこと、ペレックの名にすらあえて触れていないのです。なぜでしょうか。モディアノは、
自分がドラという少女にとっての「記憶の番人」であると自負していました。だとすれば、
セシル・ペレックの「記憶の番人」は、当然その息子ジョルジュ・ペレックの手にゆだねら
れるべきである、とモディアノは慎ましく思いやったのでしょう。悲劇をささやかに小声
で語る二人の作家に、ふさわしい絆のありかたであると私には感じられます。』


                          *

塩塚氏は上の引用で、モディアノに対し、『慎ましく』という形容をしておられる。
ペレックも、モディアノも、そして当の塩塚氏も、何と慎ましく、ねばり強く、
過去に生きた人々の足跡を歴史の隙間から掘り起こす作業をしているのだろう…

この春から夏の日本は、とりわけ、塩塚氏が『忘却の番人』という言葉で表したような動きが
露骨になった季節であったように思う。
春、政府は歴代政権が踏襲してきた従軍慰安婦に関するいわゆる『河野談話』の成立過程を
検証するチームを設置。6月20日、検証チームは、第2次世界大戦中の旧日本軍の
従軍慰安婦の募集や管理での強制性を認めた 1993年の内閣官房長官談話について、
検証報告書を衆院予算委員会に提出した。(私の全文読んだ印象では、河野談話を貶める
ような事実は何一つ新たに出ていなかったように思う。検証チームは公平だったという印象を
私は持った…)
そうして、あの朝日新聞バッシング騒ぎ…
この14日には、外務省が、元慰安婦に償い金を支給した「女性のためのアジア平和国民基金
(アジア女性基金)」への「拠金呼びかけ文」(1995年7月18日付)を同省のホームページ
から削除。『強制性』の文字があることを忌んだのだろうか。

過去の歴史を消そう消そうと躍起な人々は、いったい何を恐れているのだろう……

立場や思想の違いに関係なく、事実を事実として記録し、それを保管すること。
歴史の曖昧な部分に関しては、これまたどちらが正しかったかどうかなどということに
関係なく、関係者にとって都合の悪いことでも丁寧に事実を掘り起こして、
それを公にも公開していくこと。
歴史の過ちを知り、それを二度と起こさないようにしていくためには、その態度しかないじゃないか。
戦争が悪いとか、国に騙されていたとか、そういうことではないのだ。
過去に生きた人々の一人を、その全存在を我が身に引きつけて一度考えてみてごらん。
ただ同情するということではないよ。
もっと厳しい、自分自身に刀の切っ先を突きつけて問うような行為だ……

『自分はどう行動するのか』 そのことが問われてくるはずだ…。

私は今回たまたま、モディアノとペレックという、両親がユダヤ人であったために
重い負荷を心に負うことになった二人の作家のことを書いた。
でも、私が心惹かれた塩塚氏の引用文の冒頭にもあるように、この記事によって、私は、
ドイツ人が悪くてユダヤ人は被害者という図式や、
ドイツ人が悪くてフランスは立派だった、というような単純な見方をしない。
塩塚氏の冒頭の文章のように、フランス人が皆、パルチザンだったわけではないのだ。
モディアノがずうっと生涯かけて、ユダヤ人でありながらもしかして対独協力者で闇ブローカーで
あったかもしれない父親の影を引きずって行かざるを得ないように、何人だから正義で
何人だから極悪、などという単純な切り分けは出来ない。
要は、ひとりひとりのこころの問題なのである。
その時あなたはどうふるまうか、ということ。
過去を深く知り、そこでのひとりひとりの生き方を深く想うことによって、
ひとは自分の知り得ぬ過去の悲劇にも自分の考えを構築していくことができる。
『想像力』というものを、わたしはいつも、時や空間を超えてひとびとと人々を
結びつける大事なものだと思っている。
だが。『全く知らないこと』に関してひとは想像力を持ち得るものだろうか?
『知る』『知ろうとする』ことこそが、人間を人間たらしめる一つの要件なのではないかとさえ
私は思っている。
それに対し、『過去の記録や記憶を隠ぺいする』『消してしまおうとする』行為の浅ましさ。

                      *

『時を超えて、一人のひとの人生を深く想うということ』
軽く楽しく始まった①から、重い④まで。思いがけず長い記事になってしまったが、
私がここで書いてきたことどもの内容に関連して、歴史とはなにかということを深く問うような
写真を一枚、紹介して、長い記事の結びとする。
あのロバート・キャパの有名な写真。
ドイツが降伏してパリ解放がなった時の、パリ近郊、シャルトルで撮った一枚。
フランス人でありながら、ドイツ兵と情を結んだ女たちを、住民が丸刈りにして
見せしめにした。女が抱いている赤ん坊はドイツ兵の子供であろう。
このような写真もまた、『記憶の義務』を見事に果たし続けている、と言えるであろう。
左の下から2番目がその写真です。 (クリックすると大きな写真になります)

http://www.magnumphotos.com/C.aspx?VP3=SearchResult_VPage&VBID=2K1HZOUT2VV77


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Re: 玄ちゃま~♪

玄少子さ~ん♪
昨日は早速ありがとうございました。
教えていただいた通り、Google Chromeから入れました~。
今もそれで書いています。
困ったよ~!って駆けこんだら、さっそく対処法書いてくださって
ありがたかったですぅ。
パソコンの根本的なことがちっともわかってないので、ときどき立ち往生。^^

ほんとうにありがとう~~~♪
 

Re: スキップさんへ

スキップさん、こんにちは。
今日は福島県知事選。争点のはっきりしない選挙戦ですね。

民衆はときにとんでもなく愚かに、また時に深い知恵を示したりする…。
ときどきわからなくなってしまいます。
もう、放っておくしかないんじゃないの、と。
あの福島の事故でなお、学ばないんですからねえ……

でも、あきらめるのが一番いけないですね。
スキップさんは立派だなあ…しみじみそう思います。
いろんなアイディアを実際に試していかれるんですものね。
私は座してブツブツ言っているばかりで。i-229

はい。またいろんなこと教えてくださいね。
いつもありがとうございます♪

No title

むむ・・・どうしたんでしょうね, 返事をいれときました

No title

 自分に都合の好い論理を導きだ寸は人の常です。それを超えることは難しいゆえにと尊いですね。正義はいつもか弱いです。それが強くなる時があるんですね。その時まで、止めない事です。そういうしつこさが庶民の唯一の武器であることを思い知らせれるこのごろです。
 また、新しいことをはじめたら、ご報告します。

Re: 24日の鍵コメさんへ

どうも。お騒がせしました!^^
でも、こうやってお話し出来ることは私にとって喜びです。

なんだかね、考えていると不愉快になるから、ほんと、何かほかの
美しいこと考えたくなりますね。
え~と…あのメガネ、どうしたかなぁ……
ちょっと明日探してみますね。
情報ありがとうございます~♪



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Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。
ここにお書きくださったこと、ほんとうにありがとうございます。
私も全く同じ思いです。

詳しくはそちらで書かせていただきました。
率直なお気持ち、とても嬉しかったです。
おこころづかいとお時間頂戴してしまったこと、どうかお許しくださいね。

それではまた~。^^

Re: 玄少子さんへ そのいち

え~…文学の功罪。っと…。
そうなんですよね。この、玄少子さんの書き出しのあたり読んでいて
私も最初に思い浮かべたのが、百田尚樹氏『永遠のゼロ』でした。
と言ってもまだ読んでないんですけど。買うのは癪だし(笑)、
図書館で借りようとすると多分だいぶ順番待ちになると思うから。

読めば面白いのだろうなと思います。
あの野中広務氏が、2回も読んで泣いたというくらいですし。
野中広務氏は大正4年生まれの今89歳。終戦時は20歳くらいです。
終戦間際に6カ月くらい従軍経験があるとか。戦地には行ってらっしゃら
ないかもしれないけれど、それでもあの時代のことは膚でご存知でしょう。
その野中さんが百田氏の思想的なことを知らなかったにせよ、
そんなふうに最初は読んで泣いた、というのですから、あの世代の
かたが読んでも、違和感や矛盾がないのでしょう。
映画も概ね評判良かったようですし。

戦争賛美であろうが反対であろうが、口当たり良く上手に落とし所を
押さえて書かれていると、そこに書かれていることがすべてなんじゃないか、
と思う人がいます。
…これは、一般論として言っているだけでなく、自分自身にも
そうなりがちなところがあるので言っているわけですが。

だが一方。

『文學は長い目で考えると,ときに忘却装置でもある,と,思わざるを得ません
古典をよむと,たとえば,ロマンチックな中世の騎士道の英雄譚。
『三國志演義』。(←これは“判官びいき”という体裁をとってよけいに巧妙な,逆に二重におもしろいものwですが)
みな權力者の歴史を美化したもので,じつはある人々にとってはつごうよく“塗りつぶす”行為でもあったわけです。そしてそれらは面白く,人の心を捉え酔わせます・・・』

そうなんですよね~~~!
そういった権力者の美化、などという長い歴史的スパンでなくとも、
文学作品にしても、またドキュメンタリーのようなものでさえ、
そこには作者や編集者や、またおっしゃるように大きく『時代の意志』が働く。
例えば、『きけわだつみのこえ』は私は高校のころ読んで、それで戦争のことに
興味を持ちだしたと言える、私にとっては大事な本なんですが、
今でもたぶん読み返せば涙なしには読めないでしょうが、
あれも、戦没『学生』の遺書ということであって、それでは
『学生あがり』ではなかった兵卒たちの、死を前にした戦争観は
どうだったのか、という点が抜け落ちてる、という点などいろいろ
問題点はあるんですよね。
戦争に批判的な傾向のある者ばかりでもむろんなかった。

後にいろいろ読んで知るようになったけれど、
戦争に行っていた頃が一番よかった!と思う人だって中にはいるんですよね。
徴集されるまで社会の言わば底辺にいた人間でも、兵隊になれば、
時代によって事情は多少違うけれども例えば陸軍ならば、
初年兵も二年兵になれば一応どんなに成績が悪くても一等兵になり、
新しく入った初年兵を指導する立場になる。
娑婆での学歴などに関係なく、軍での成績優秀ならば、他人より早く一等兵に。
さらに上等兵になりして階級をあげて行くこともできました。
軍隊はいいところ、と思うような人々もいるわけですよね。
食べるものも着るものも寝るところも与えられる……給与も貰える…。
軍隊をいいところ、などと思う人間の、それまでの人生も考えてみる必要があります…

『これは人間の営みが,実際には,単純な時代の正義やイデオロギーでは決着できないことの証左でもあるのでしょうが。』

と,玄少子さんがおっしゃる通りなんですよね。
人間というものはそう割り切って考えられる単純なものなんかじゃない。
人間社会は、小説や映画で描かれるものよりはるかに複雑で猥雑で混沌としている。

また、大衆というものは、思う以上にしたたかですしね。
文学者の深刻な葛藤や嘆きなどというものは、いとも容易に超えて先に
進んで行ってしまう。
火野葦平が自さつする前の最後の作品となった『革命前後』のことも
いつか必ず書きたいと思っているのですが、そこには、ちょっと印象的なシーンが
あります。火野葦平は、反戦論者では別になかったけれど、その心情においては
常に自分も一兵卒の仲間だという意識があって、戦場を描いた作品の目線も
一兵卒のそうした低い目線から書いているんですね。
ところが、それが、その当の兵隊たちによって無残に覆されるシーンがあるのです。
映画『七人の侍』に描かれた農民たちのように、
また、火野葦平が大陸を通り過ぎて行く列車の中でしみじみと主人公に
述懐させたように、農民たちは、日本軍が来ると日本軍ににこにこしてみせるが、そのあとに国民革命軍が入って来ると、今度はこれににこにこものなど持ってきて差し出すのだ、と。
そうやって生きて行かなければ、あの動乱の中国大陸で生きていけない、と
いうことでしょうね。

民衆はしたたか。
だから、存外、今のような極端に右傾化していく日本の社会にあっても、
脆弱な『知識人』などと言われる人々よりは、一般大衆の方が賢く強かに
これからもバランスをとっていくものなのかもしれないです。

私なども、幼い頃、さすがに大河内伝次郎の近藤勇は観ていませんが、
1960年代、70年代、映画・テレビの両方で、栗塚旭演じる土方歳三がもう~好きで(笑)
2004年大河ドラマの、山本耕史の土方にもうっとりしていたものです。
(単に土方歳三が好きなんだという?笑)
新撰組や土方の冷酷など、小さい頃は知らなかった。(後年知っても
ドラマ見てる時だけは知らないふり!)
そのくせ、同じく小さい頃、大川橋蔵が(この人自体はファンというわけでもなかったけれど)
月形半平太(土佐藩の武市半平太がモデルとも)になって、あの
(と言ってもみんな知らないだろうなあ…)
『出島髷(講武所結い、というのかな。頭のてっぺんの月代を細く剃る)に、
月と星の紋をあしらった黒の着流し』という姿で登場してくると、
http://blogs.yahoo.co.jp/colina43abril/18613392.html
おさなごころに、「ああ、綺麗だなあ…美しいお侍さんだなあ…」と思って
うっとりしてた。つまり、美しいというだけで、ころっと新撰組から
勤王志士に寝返る!(笑)

というのは笑い話ですが、
大衆はそうやって生き抜いていく。
存外にちゃんとどちらの側も見ているのかもです。バランスを取りながら。

しかしね、国家というものはやはり時にその民衆の生活も権利もを激しく蹂躙する。
蹂躙されるままに、じっとその時は隠忍して大嵐の吹きすぎるのを頭を低くして
待つ、というのでいいのだろうか。
『民』としての総体はそうやって生き抜いていくのだろうけれど、
個々の命は一回きりしかないものを。
この宇宙にただ一回きり、奇跡のように生まれてくるものを。

やはりね。そういうふうに、『国家』とか≪大義≫などというものを
大声で振りかざしてくる者(実は『国家』『お国のため』などと名乗っていても、
つまらない個人の集まりだったりする!)たちが、恣意的に人の命や財産を
奪うことなど許せないです。

人民はやはり賢くならなければならない。自分たちの生きる権利をみすみす少数の
『権力者』とやらに奪われることはあってはならないのだと思います。
でもね、その一人一人が、過去現在の膨大な資料を読みこむことなどなかなか出来ない。

そこで、文学や、新聞の役割が出てくる、という最初のところに戻るわけですが。(笑)

続き『そのに』は、この下に↓ あります。
火野葦平のところで『自さつ』を漢字で書いたのが、FC2さんのコードに
ひっかかったらしい。それに気づかず、何度も送信し直して、「長すぎるのかなあ」と
思って、2つに分けました~。

         ↓


Re: 玄少子さんへ そのに


『中國人は歴史の精密な伝承にこだわる民族ですが,『正史』はいつでも前政権をたおし權力を奪った者が書く,というならい。これまで中共がやってることは,その習いにのっとっていますが,あの強権強圧の中共ですら,自分たちに都合の悪い文學や言論が生まれては拡散していく情況をもはやとめることが出来ない。』

おお!『正史』はいつでも前政権をたおし權力を奪った者が書く,というならい。』
それはすごいことですねえ!ある意味で、長い歴史の知恵、なんでしょうね。
日本では、その知恵はどうもないようですねえ。
為政者が、自分たちの羽振りのいいうちに自分たちに都合のいい『史実』とやらを書く。
明治維新などというものは、もろそんなふうにして後世に美化されて伝わって
いったところがありますね。それに大いに貢献した文学者や学者などもいたわけで。

それでも大きな歴史の流れの中では、一時代の過ちというものは修正されて行くものなのでしょう。
でも、そこに生きた一人一人の民衆の声と姿は、かき消されてしまいますね。
すぐれた文学ならば、そういうところも書ききって、政治や経済のダイナミズムの
上澄みのところだけでなく、その時代を生きたその一人一人の姿をも、後世の人に
つたえてくれるでしょう。そして。

『わたしたちのような時代に,かすかな希望があるとすれば,市井の(権力者ではない)人の物語を選び,あえて残そうとすることが出来る,というその一事,それを一人ひとりが出来る,ということでしょうか。』
『いかに20世紀以降生きるわたしたちに,あたえられている力が大きくあるか,ということもおもいます!
もはや為政者や権力者に都合のいい物語ばかりのこされる,というようなことはないでしょう。(と願います・・・)』

と、いみじくも玄少子さんおっしゃるように、今は、私たち個々人も(今は)自由に
それぞれの思うところをこうやって発信できる。
『出版社』という高いハードルを越えなくても、個々人が個人の歴史を書き残して
行くことが出来ます。
まあ、一時代昔の人も、今のひとはほとんど書かなくなってしまった手紙や日記、
という形で、自分たちのありのままに近い姿を書き残しておいてくれています。
同じことなのかな……。

『戦争とは何か。どんなものか』などを探っていく際に、そうした過去の個々人の
書き遺しておいてくれた日記や手紙やスナップ写真などが、どれほど時代の息吹を
なまなましく後世の私たちに伝えてくれるかしれません。
ジョルジュ・ペレックのことを40000文字説明してもなかなかその姿は
人のこころに届かないかもしれないけれど、そこに伯母と写った孤児ペレックの
スナップ写真一枚が添えてあれば、その一人の人の姿が生き生きと現代に
立ちあがってくるように。

でも、それを利用するのも、また後世の人々の恣意ですよね。
『いまの時代に,昔々の物語を読み,どっちもどっちだな,曹操も劉備も・・・・と思えることと同じくらい,おおきなスパンとスタンスでのちの時代に読まれてしまうわけです。
ノーベル文学賞を採った作家のものは後世読み継がれるでしょう,だからこそ“両方”の視点を具えたもの,かつ“時代”を深く考えさせる作品が近年選ばれる,ということの様にも思えます・・・』
『いまの小説,文學がすべてそっくり残る,ということは期待はできません,淘汰されるでしょう,わたしたちはその淘汰に一役買っているわけですからより深いものを読み,みらいの子どもたち,に,よりきびしく『戦争はしてはいけない』という意志をこめた表現物をきちんとのこさなければ,とおもいます・・・。』

とおっしゃる、玄少子さんのコメントの通りの能力と意思が大事になってくる。

書く側、読む側の双方に、やはり新聞などの出版物を書いたり読みこんだり
するのと同じ、時代への『公正』で『鋭敏な感性』といわゆる『情報リテラシー』が
必要になってくると思います。

ただかっこいい、美しい、というだけで簡単に土方から武市半平太に
寝返っちゃたり戻ったりするミーハーの彼岸花ちゃんのようであってはならないわけです。(笑)

『いまの小説,文學がすべてそっくり残る,ということは期待はできません,淘汰されるでしょう,わたしたちはその淘汰に一役買っているわけですからより深いものを読み,みらいの子どもたち,に,よりきびしく『戦争はしてはいけない』という意志をこめた表現物をきちんとのこさなければ,とおもいます・・・。
文筆の真摯さを読み分ける,能力。大事です,でも日本では,ほんとうにそうなっているかというと,?です。』

まったく。
ほんとうにしみじみそう思いますねえ。
この、12月にも秘密保護法が施行されようとしている時代。
私たちが本当に欲しい国家の情報は、国家に都合のいいように隠されて出てこなくなり、
逆に一般大衆の個人情報は国家がマイナンバー制などで一括して把握できる時代が
ひたひたとそこまで来つつあります。

『戦争が廊下の奥に立ってゐた』
という時代が来ているのに、
新聞や同じ紙媒体の雑誌などが新聞叩きなどをし、それを読む側の大衆も、
朝日にすべての原因がある、などというプロパガンダに納得などしている場合
じゃないんだけどなあ!

『与えられてるはずの力,被圧迫者の言葉を残すことが出来る,という力は,いつでも容易に忘却の番人に取り上げられるということも,しかも知らず知らずの内に,ということもこころしなければなりませんよね・・・・』

ほんとうに本当に……!

返事お待たせしました。書きなおし、ようやく途中から調子が出て来て、
結局また、こんなん長くなっちた。(爆)
ありがとうございま~す。

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Re: 玄少子さんへ

わ~ん!
すっごく長く書いてたのに、消してしまった!!!
馬鹿だわたしは~~~…いつもやるんだこれを~…

ちょっと態勢立て直してから、も一度書きま~す!(笑)

まぜっかえすようですがw

こんばんは。お二人のコメントを加味して。
ちょっと現實的なことも^^,

『文学に残す,とはまさに『記憶の義務』『忘却の番人』そのための,力の源泉でもあり。
これにつけくわえると
功罪がある。
なんですが・・・。
この“功”はいま力があるでしょうか?という・・・“罪”は口当たりがよい,ということをも,思います

文學は長い目で考えると,ときに忘却装置でもある,と,思わざるを得ません
古典をよむと,たとえば,ロマンチックな中世の騎士道の英雄譚。
『三國志演義』。(←これは“判官びいき”という体裁をとってよけいに巧妙な,逆に二重におもしろいものwですが)
みな權力者の歴史を美化したもので,じつはある人々にとってはつごうよく“塗りつぶす”行為でもあったわけです。そしてそれらは面白く,人の心を捉え酔わせます・・・。これは人間の営みが,実際には,単純な時代の正義やイデオロギーでは決着できないことの証左でもあるのでしょうが。
中國に関して言えば,中國人は歴史の精密な伝承にこだわる民族ですが,『正史』はいつでも前政権をたおし權力を奪った者が書く,というならい。これまで中共がやってることは,その習いにのっとっていますが,あの強権強圧の中共ですら,自分たちに都合の悪い文學や言論が生まれては拡散していく情況をもはやとめることが出来ない。 

(真実は結局暴かれる。ということかもしれませんが,その真実が又,たとえば,日本のねとうよに都合よく利用される・・・・悲喜こもごもです・・・^^)

わたしたちのような時代に,かすかな希望があるとすれば,市井の(権力者ではない)人の物語を選び,あえて残そうとすることが出来る,というその一事,それを一人ひとりが出来る,ということでしょうか。おふたりのブログだってその一端を担うもの,ですものね。
いかに20世紀以降生きるわたしたちに,あたえられている力が大きくあるか,ということもおもいます!
もはや為政者や権力者に都合のいい物語ばかりのこされる,というようなことはないでしょう。(と願います・・・)

とはいえしかし,後世の人にどれだけ強いメッセージをのこせるか,ということでもあります。
300年,500年経ったあと,残されているものは,右左,民,国どちらにも正惡つけがたい,人の営みの物語。いまの時代に,昔々の物語を読み,どっちもどっちだな,曹操も劉備も・・・・と思えることと同じくらい,おおきなスパンとスタンスでのちの時代に読まれてしまうわけです。
ノーベル文学賞を採った作家のものは後世読み継がれるでしょう,だからこそ“両方”の視点を具えたもの,かつ“時代”を深く考えさせる作品が近年選ばれる,ということの様にも思えます・・・

いまの小説,文學がすべてそっくり残る,ということは期待はできません,淘汰されるでしょう,わたしたちはその淘汰に一役買っているわけですからより深いものを読み,みらいの子どもたち,に,よりきびしく『戦争はしてはいけない』という意志をこめた表現物をきちんとのこさなければ,とおもいます・・・。
文筆の真摯さを読み分ける,能力。大事です,でも日本では,ほんとうにそうなっているかというと,?です。たとえば
永遠の0,読んでないのでよくわかりませんが,興味深かったのは
先日,野中広務さんが,かつて「永遠の0」を讀んで泣いてしまった,不覚にも,作家の意圖を読み取ることができず,と後悔なさったという記事をよみました。これが日本の文學をとりまく現実なわけですね。
与えられてるはずの力,被圧迫者の言葉を残すことが出来る,という力は,いつでも容易に忘却の番人に取り上げられるということも,しかも知らず知らずの内に,ということもこころしなければなりませんよね・・・・
おっしゃるとおりの『12月10日に施行予定の秘密保護法の恐ろしさ』にも思いをはせつつ。
おもいました。

Re:愛希穂さんへ

愛希穂さん、こんばんは~♪

あのね。私もペレックは、そのEを使わないで小説書いた、ってことしか
知らなかったの。それをまた英語に訳したひとがいる…
酔狂な人たちがいるもんだなあ…って、愉快で、なんとなく名前覚えてたの。
それをまた日本語に訳したひとがいるなんて全然考えても見なかったし。^^

モディアノの方は、『廃墟に咲く花』などなんと3回くらい読みかけては中断!(笑)
今回、モディアノがノーベル賞と聞いて、少しその人生調べてたら、
今回書いたような経歴知って、それでもう一度読み直したら、ようやく
その作品の意味がよくわかってきた、という程度の読者なのよ(爆)。
『イヴォンヌの香り』は比較的読みやすかったけれども、『廃墟に咲く花』は
パリの街の地名がやたら出てきて、私、パリなんて行ったことないでしょ。
しかも時が行ったり来たりするもんだから、もう~、主人公の後追っかけるのに疲れちゃって。^^
それで3回も途中で投げ出して、4回目でようやく理解した、というくらいだから、
これまで『私、モディアノ読んでますよ』なんてとても言えなかったの。

でもね。ひょんなことで、その二人の名前が繋がって、それで興味持って
今回調べて行くと…どんどん深く入り込んで行きそうになって…
結局ね、この記事でも書いたように、その人々がそこにいても、知らなければ
自分にとって意味がない人々のままなのね。
でも、少し知りかけると、その人の人生を自分までが辿っていくような…そんな
感じになって、もう知らないひとじゃなくなる…自分にとって極めて親しい人々に
なぜかなっていくのよね~
愛希穂さんは、本を読むのがお好きでいらっしゃるから、その感覚はすごくよく
ご存じでいらっしゃると思います。^^

戦争のこと…従軍慰安婦のこと…原発のこと…沖縄のこと、水俣のこと…
知らなければなんとも感じない。想像力を働かせて見ようと思っても、
なかなか難しい。
でもね、一人でもその中で、深く知る人を見つけて行くようになると(本の中でであっても)
もう、その人も、その人が経験した時代も、自分にとっては、無縁の世界でなくなるのよね。
時や空間を軽々と超えて、あるひとにまるで恋でもするように共感していってしまう…

韓国人慰安婦の方々のことなども、「『韓国人従軍慰安婦』はいなかった。なぜなら
『従軍慰安婦』などという言葉は戦時存在しなかったからだ。『従軍慰安婦』という
言葉は戦後になって千田夏光などが使い始めて生まれた言葉なのだから、従軍慰安婦
というものが戦中いたとはいえない」「そもそも慰安婦たちは『従軍』などしていない。
『従軍』という言葉は、従軍僧とか従軍看護婦などに対して使われる言葉だ」
などとおかしな理屈を述べる人が今もいますが、おかしいですよね。
そういう人々は、韓国人、日本人、中国人、フィリッピン人、インドネシア人…
日本軍将兵の性の相手をさせられた女性たちの一人一人の姿を想像してみたことが
ないからだろうと思います。
佐藤愛子さんばかりあちこちで持ち出して悪いけれども、今度の朝日バッシングで、
作家佐藤愛子さんも『戦争が終わって復員してきた男の人から慰安婦の話を
聞いたこともありました。ただ、慰安婦と言っても強制的な話ではなく、
日本人で、親兄弟のために身売りをした女性たちの話でした。その中に
韓国人女性がいたという話は聞きませんでした。もちろん当時の我々には、
実態はわかりませんでした』などと言っています。
最後に『実態はわかりませんでした』と書いてはいますが、こうやって
朝日を責める週刊誌の中で(文春です)、こういう大御所の女性作家が
こんな発言すると、「韓国人従軍慰安婦はいなかった、とあの佐藤愛子さんも
言っている」ということになってしまいます。
その当時は報道規制が厳しくしかれていたから『実態はわからなかった』と
まあ百歩譲って言えるかもしれないけれども、火野葦平など少し兄さん世代の作家たちが
いくらでも戦争の実体験を書いていて、そこには当たり前のように朝鮮人慰安婦
のことが出てくる。呼び方が違うだけです。
自分が聞いてなきゃ、自分が知らなきゃ、呼び方が違っていたら、
いなかったことになるのでしょうか。おかしいですよね~。

『知ろうとしない市民にも問題はあるのかもしれませんが、権力者が物事を隠そう隠そうとするのは、それは一般市民を人間として見ていない、ということでもあるのかなと。
「知る」ことのなんと大切なことか。それを思うと、12月10日に施行予定の秘密保護法の恐ろしさを、改めて思います。』

ほんと!そうなんです。
愛希穂さんのおっしゃる通り。『権力者は、一般市民を人間として見てない』
…そういうことあると思います。
今、『蟻の兵隊』というのを読み終わったところですが、軍上層部も戦後の
日本政府も本当にひどい。兵士一人一人などどうでもいいのですね。
そのまた兵士たちが、戦地では他人に語れぬようなことを現地の人々に対して行っている…
全員がそうだったのではないにせよ。

ほんとですね……秘密保護法も、いよいよですね。…
これで、マイナンバー制度が本決まりになって動き出したら、もう、個人の情報は
国は掴み次第。その一方で、国家のすることは国民には知らされなくなっていくでしょう…
見ざる聞かざる言わざる…自粛の空気が日本を覆って行くのだろうなあ……

ヴァイツゼッカー元ドイツ大統領の言葉ね、実は、愛希穂さんのこと想いながら、
この記事にも入れようかな、としてたんですけれど、ドイツにはまたドイツの
複雑な事情があって、話が際限なく膨らんで行きそうだったので、とりあえず
今回は、フランス作家とフランスのことだけにしました~~。^^

いつも本当にありがとうございます。
私の方こそ、いつも教えていただいているのよ。
記事を心にとめてくださって、すっごくすっごく嬉しいです!ありがとう~~~♪

No title

こんにちは。

パトリック・モディアノもペレックも全く知りませんでした。
彼岸花さんの記事を読んで、お二人の著書を少しだけ調べてみましたが、読んでみたいなと思いました。ただ、問題は私に読み切れるかどうかですが・・・。


> 『全く知らないこと』に関してひとは想像力を持ち得るものだろうか?
『知る』『知ろうとする』ことこそが、人間を人間たらしめる一つの要件なのではないかとさえ
私は思っている。
それに対し、『過去の記録や記憶を隠ぺいする』『消してしまおうとする』行為の浅ましさ。


日本だけではないと思いますが、一般市民が何かを「知ること」「知ろうとすること」を、時の権力者は奪っています。
知ろうとしない市民にも問題はあるのかもしれませんが、権力者が物事を隠そう隠そうとするのは、それは一般市民を人間として見ていない、ということでもあるのかなと。

「知る」ことのなんと大切なことか。それを思うと、12月10日に施行予定の秘密保護法の恐ろしさを、改めて思います。


玄少子さんとのやりとりのような深い話は私にはできませんが、
『記憶の義務』、『忘却の番人』という言葉に、ヴァイツゼッカー大統領の「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすいのです。」 との言葉を思いました。

この記事、コピーして日記に貼り付けます。

Re: 玄少子さんへ 続き

深いコメントへの返事の続きです。

『リヨンの処刑人』。玄少子さんはほんとにいろんなこと知ってらっしゃるなあ。
私、ぴんと来なくて調べてみましたよ~。

ポール・トゥヴィエ。
フランスにおけるナチの傀儡政権ヴィシー政権に積極的に協力し、ユダヤ人と
レジスタンス運動を弾圧した。戦後死刑宣告を受けて、それを免れるため、
自分の死亡広告を新聞誌上に出したりまでしているんですね…。40年間も修道院に潜伏していた…

フランスの歴史もものすごいですねぇ。戦中を引きずっているということでは、
フランスもドイツも日本も同じですね。戦争中に自分たちが引き起こしたことを
直視して二度と同じことを起こすまいとする人々、いわば『記憶の義務』を
果たし続けていこうとする人々と、自分たちにとって不快な記憶を抹殺し去ろうと
する『忘却の番人』たちとがいる…
それがなぜか、直接その時代を知る人々が表舞台から消え去ったあとも、戦後世代の
そのまたさらに後の世代のものたちの中にまた、そのそれぞれの思想を受け継ぐ者たちがいて、
綱引きをしているような状況ですね。
日本だけが、今、歴史修正主義の力が増してきているわけではない……
フランスにおいても、あのドイツにおいてさえ、ナチス復権を唱える者が
いるのですからねえ。

その別れ道はいったいどこにあるのだろう、と考えるのも、私の重いテーマです。

『蟻の兵隊』を読み終わりました。
戦争に負けた8月15日の後も、自分の戦犯追及を恐れて日本に帰りたくなかった軍上層部と、
共産党軍との争いに日本軍の戦闘能力を利用したかった軍閥・閻錫山とのいわば取引によって、
戦後3年8カ月も、中国共産党軍となぜか戦わねばならなかった北支派遣軍第一軍の
将兵約2600人。そのうち、550人が戦死。700人が捕虜となった。
彼等にとってまったくそれこそ必要のなかった戦闘であり、死でした。
そのような事態を自らの保身のために引き起こした張本人、北支那派遣軍司令官
澄田睞四郎中将は、何と無意味な死闘を繰り広げる兵士たちを山西省に残したまま、
自分は閻錫山の手配してくれた飛行機で、日本に先に帰ってしまうのです。
しかも閻錫山のくれた金品や自分が貯め込んだ財産をしこたま持って。
散々な想いをして命をようやくながら得て帰国した兵士たちは、恩給の対象にも
されませんでした。軍上層部の巧みな計略によって、敗戦後すぐ『現地除隊』という
処分に自分たちの知らないうちにされていたから……
澄田睞四郎中将などというものは、全くポール・トゥヴィエを想わせますね。

この蟻の兵隊たちはね。そうやって日本の軍部の上層部の保身と無能に人生を無にされた
悲劇の人々であったのですが、彼等はまた、中国側から見れば、日本軍が新兵教育と称して
中国人捕虜たちを刺殺訓練に使った、その実行者でもあったわけですね。
そこのところで、田村泰次郎が描いた戦場と繋がってきます……

本当に、戦争というものは悪です。
その実態を知らないと、容易にまた『忘却の番人』の側に与してしまうことになりかねません…

ヴィシー政権が『自由・平等・博愛』の代わりに掲げた標語、『仕事,家族,愛國』。
何と、どこかの国の政権が目指す国家観と似ていますね~~~!
自民党の改憲案は、まさにその色に貫かれていますね。
『家族』の強調は、政権の謳い文句とは逆に、女性の肩に家事育児だけでなく『介護』も
国による福祉の代わりに責任を押しつける巧妙な仕掛けですし、
『愛国』の美名のもとに、何か国にあれば、地方自治体も個人も国防に協力せよとの
条項まである、時を逆行するような改憲案です~。9条放棄だけじゃありません~…

村上春樹。
彼の作品に今一つなにか物足りなさを感じるのは、まさに玄少子さんがここで
お書きくださったようなところですね…ハルキストには怒られちゃうかもしれないけれど。

『文学に残す,とはまさに『記憶の義務』『忘却の番人』そのための,力の源泉でもあり。
人の心の深いところに語りかける情念,それを論理的実証的な事實というものとは別に,
おおきな忘れがたい痕疵を刻みつけ,さらなるきっかけを殘す,ある時代に共通の魂の瑕を
たどりやすくすることでもあるのでしょう。
共通としか言えません,人は確かにそれぞれちがうのですが,共有するもの・・・
ときに,厳しく追求するものに反省を促し,加害國の心を思い被害者の傷を癒しもします・・・
心のよすがともなります』

私が、戦争を知らない世代の人々に少しでも戦争のこと伝えられたら、と思って昨年から
戦争文学紹介してみたりしているのは、まさにそこなんですよね~~~……
戦争のことを伝えるのならば、『論理的実証的な事實』というものを示して行くのが
一番正確であろうと思うわけです。
文献を直接示して行くのがいい。
でもね、それじゃ、そんなものを辛抱強く読み解く時間や気力や、また読みとる力も
必要になります。そうじゃなくって、玄少子さんの言葉をお借りすれば、
戦争とそれが生みだすもの、という、『おおきな忘れがたい痕疵』『ある時代に共通の魂の瑕』
を誰にもたどりやすくするためには、『人の心の深いところに語りかける情念』が
やはり必要だろうと私も思ったのです。

そうなの。
『加害國の心を思い被害者の傷を癒しもします』
それなんですよね!
私はこうした一連の記事を、旧日本軍の兵士を総体として糾弾するために書いているわけでは決してない。
澄田睞四郎中将やポール・トゥヴィエのような、軍官民の要職にあって
民衆の命や生きる権利を奪ってなおかつその責任を負わず保身にきゅうきゅうとしつづけた
卑怯な人間を憎みはしますけれども。
しかし、現実には、いかに命令であったとはいえ、被侵略国、被占領国の人民を
直接その手にかけた将兵の罪、というものもやはり問わないわけにはいきません…。

それは、私、あなたもまた、いつか望まずしてそのような立場に置かれることがないと言えない、
現代の戦争においては直接手をかけることは少なくなっていようとも、間接的に
戦争や侵略、故なき殺人に自らもまた加担するという事態が来ないわけではない、と
思うから。
『そのとき私はどうするか、あなたはどうふるまうのか、ということ』。
時代や国、人種などという違いを超えた、永遠の問いだと思うんですよね~……

ありがとうございます。
ピンポイントで適切に答えてくださるコメントいただいて、また私の頭の中も
整理された気がします。^^



Re: 玄少子さんへ

玄ちゃ~~~~~ん!(涙)

もう、このくらい私のこの記事の意図を正確に過たず受け止めてくださるかたが
いてくださるの、もう~~~感謝ですぅ!

どうかな~、長すぎかな~、言いすぎかな~、とか迷いつつも、
この夏、ずっと思っていても記事に書かないでいたことが、このモディアノと
ペレックというよりは、塩塚氏の文章の特に冒頭の部分にあるような気がして、
迷いつつも記事にしてみたんですぅ。
(自分の記事というよりは、ほぼ紹介記事になっちゃいましたが。)

とりあえず詳しくはまたあとで書かせていただきますが、嬉しかったです~~~!

文学の持つ力、というものは、一般に思われている以上に実は大きいのではないか、と
この頃強く思うのです。と言っても、いずれかの立場のプロパガンダのための文学と
いうものなどではなく、コメントの後半部で玄少子さんがお書きくださったようなこと。
なんてうまく、私が言いたくて言い得なかったことを言い表してくださってるんだろう!

私が、戦争文学を紹介し始めたのもそういう気持ち。

詳しくはまたあとでお返事コメント書かせていただきますが、
とにかくとにかく嬉しかったです!!!^^^^^^

文学の力を借りて、人間の歴史の光も闇も見つめなおすこと。
このテーマをこれからもさらに続けて行こうかなと思っています。^^
ありがとう~~~♪


自省もさせられました

う,う~~~んうなってしまいました。久々にいい記事を讀んだなあという実感あります。
深く感動しています。

たしかにそうなですよね,フランスにナチス協力者はいましたし。たとえば有名な「リヨンの処刑人」なんていうのもいました。このひとは80年代に逮捕され,しかしですね,(って,書いてから読み返せばだれにむかってなんで,“しかし”なのかわかりませんがでも・・・)
彼の刑が確定したのは,1994年。人道に対する罪で。おもえば河野談話の翌年でした。
読みながらかんがさせられました。あのころ,
やはり,これは世界の潮流でもあった。
日本でもみずからそうした光をあて,振り返って見る,ということをいろんな立場,いろんな方がいろんな事實を明らかにして残そうとしていました。世界で過去の加害と被害,そのことを整理しなおそうか,という機運と,徹底的に悪いことはおざなりにしないという厳しさ。
ナチスに協力したヴィシー政權時代には多くの嫌な暗いエピソードがあります。
自由フランスの裏で。
思えば,ヴィシー時代の標語。自由平等博愛は書き換えられ・・・・・
なんと変えたかといいますと。
まさに『美しい國』ですよ,
とらばいゆ,ふぁみいゆ,ぱとりえ,仕事,家族,愛國,です

モディアノ,ぜひ讀んでみたいですね
わたしはこのごろすっかりフランス文学からとおざかっていますが。

村上春樹がノーベル賞をとれないのは,ノーベル文学賞が平和を志向しているからでしょう,民族迫害の歴史に強い関心と發言を積極的にしたりテーマにしたりする作家がいかに多いかを考えればわかります,近年ヘルタ・ミュラー,ギュンターグラスなどももそうですね,またマルケス,莫言のように長い時間をかけて民族のあるひとつの歴史を語りつくそうとするような・・・・。
文学に残す,とはまさに『記憶の義務』『忘却の番人』そのための,力の源泉でもあり。人の心の深いところに語りかける情念,それを論理的実証的な事實というものとは別に,おおきな忘れがたい痕疵を刻みつけ,さらなるきっかけを殘す,ある時代に共通の魂の瑕をたどりやすくすることでもあるのでしょう。
共通としか言えません,人は確かにそれぞれちがうのですが,共有するもの・・・
ときに,厳しく追求するものに反省を促し,加害國の心を思い被害者の傷を癒しもします・・・心のよすがともなります,
村上春樹も,日本人としてはイスラエルでの發言とか立派な言葉を語っていてすばらしいとおもいますが,,遠大な時の変転や,なにより運命に対峙する,とくに壯氣というものがかんじられないからではないでしょうか。作品にそれが色濃く出ていないとなかなか難しいと思います

この辺でまず切りますが。ありがとうございました
プロフィール

彼岸花さん

Author:彼岸花さん
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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

ペシャワール会
http://www1a.biglobe.ne.jp/peshawar/pekai/signup.html
国境なき医師団
http://www.msf.or.jp/donate/?grid=header02
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