『星と月の夜をたずねて』追記


あの小さな呼び鈴について。
玄少子さんが、一夜のうちになんと、あのこの姉妹、ともいうべき品を見つけ出して
くださいました。
eBay という、世界展開しているアメリカのオークションサイトなんですが、そこに
あの呼び鈴とまったく同じ作りのものが載っていました。
絵の場所が違うだけで、細かい装飾などもほんとに同じ。
残念ながら、もう売れてしまったもののようで、その商品自体には辿りつけません。
いくらで落札されたのか、などという現実的な興味とかね。(笑)

でも、おかげさまで、関連商品などから、どうやらあれは、やはり1878年のパリ第三回万国博覧会と
無縁でなく、ホテル・ナポレオン(ホテル・ナポレオン三世?)の卓上ベルだったのかもしれない、
ということがわかったのです!
それでは、あのこの姉妹(兄弟かな)にお会いください♪

https://www.google.co.jp/search?q=SONNETTE+DE+TABLE+NAPOLEON+III+EXPO+UNIVERSELLE+1878&rlz=1C1RNAN_enJP434&es_sm=122&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=_ftSVPqXLYWymAWp0IDYDA&ved=0CCEQsAQ&biw=1130&bih=683

玄少子さん。ありがとう~~~♪


                        *
≪再追記≫

もうひとつ、あのこの仲間が載っているサイトを見つけました。

そもそもそのページは、アメリカのベル好きの人々が集まっているNPOの
サイトのようで、世界中に1,500人の会員がいるという極めつけのベルフリークたちの集まり。
でも、みんなで一つのベルの歴史などを徹底的に調べたり、語り合ったりする、
(出所やその価値などについての質問も受け付けてくれるのだそう)、言わばベル愛好家兼
蒐集家兼研究者の集団みたいな人々の集まりらしいです。^^
アンティークな卓上ベルについても、なんと27ページもにわたり、260
(関連品含めるとそれ以上)ものすてきなベルを紹介しています。
これらのベルは、やはり、御邸などの主人や女主人が、使用人たちを呼ぶのに使ったり、
その他にも、ホテルのフロントなどにも置かれて、席を空けている係を呼んだり
するのにも使ったのかもしれません…
実にさまざまな卓上ベルの数々…中にはうっとりするほど芸術的なものや
意匠が面白いものもたくさんあります…

それで。問題の、あの呼び鈴の仲間のこというのは、この25ページめの少し下の方。
通しナンバーでいうと238のd。

http://www.americanbell.org/forum/viewtopic.php?f=6&t=4193&start=312

おお!やはり、基本的な構造は同じです。
で、こちらは、あのトリスケルというか、渦巻き模様の面がなく、3枚の絵の面で
出来ています。絵は、やはりトロカデロ宮(別の絵)と、それからなんと、一枚は私が
ご紹介したあの子のと同じです。どこの絵かはっきりわからなかったけれど、ルーヴル宮殿
を違う角度から(セーヌ河畔から)描いたもの、とこれで判明しました!
あとの一枚は、カルーゼル広場の凱旋門の絵。
あとは、装飾もちょっと違っていて、これは、星と月の飾りの部分が、金属打ち出し細工に
エナメルで緑と赤に着色してあるようです(誰かが買ったあとで塗ったのか?)。
下のレース部分の金属も、こちらは籠目模様。
私は、下の台座の白い部分の素材は何かなぁ、と思っていたのですが、『アラバスター(雪花石膏)』
とわかりました。『アラバスター』という語は私にとって思い出のある語ですが、まあここでは
長くなるのでよしておきましょう。

この品物は、1878年のパリ万博の際、チュニジア館で土産物として売られていたもののよう。
とすると、私のところのあの子もやはり、同じ時に同じ目的でつくられたものでしょう。

あ~…出所がわかって、本当にすっきりしました。



                    *

≪再々追記≫

これらの呼び鈴たちが、1878年第3回パリ万博のときの、チュニジアのパビリオンで
土産物として売られていた、というところまで、上記でつきとめました。
でも、『なぜ、チュニジア?』という疑問が、その時書きながらかすかに頭をかすめました。
が、そのまま…

でも、書き終わってしばらくして、やはり、『なぜチュニジアパビリオン?』という疑問が頭の中で
大きくなっていきます。それで調べてみたのです…


19世紀の地中海沿岸は、オスマン帝国が弱体化しつつある中、フランスが勢力を伸ばす
状況にありました。
1871年にはフランスはチュニジアの隣国のアルジェリアを支配下に収めています。
問題の1878年第三回パリ万博の前年1877年には、チュニジアの保守派がクーデターを起こし
太守ハイル・アッディーンが失脚。
これをうけて、列強は万博の年のその1878年にベルリン会議を開き、フランス、イタリアに
チュニジアの自由権の承認しているのです。
つまり、1878年という年は、パリにおける第3回万博と、フランスのチュニジア属国化の画策とが
同時に進行していた、という年なのでした!
その後イタリアが譲歩し、第三共和政のフランスは3年後の1881年、オスマン帝国領のチュニジアに侵攻します。
隣国のアルジェリアを支配下に収めたことの延長線上にチュニジア侵攻はあったのです。
1883年、「マルサ協定」締結。チュニジアはフランスの保護国になり、以降、1956年まで
73年間も植民地体制が続くのです!
したがって、1878年のパリ万博のときにはすでに、フランスはチュニジアの宗主国に
なりつつあった。そのフランスの、チュニジアにおける統治権とフランスの勢威を
世界にアピールするために、『チュニジアパビリオン』は設置されたのではなかったのでしょうか?……


チュニジアの国旗。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%8B%E3%82%B8%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%9B%BD%E6%97%97

なんと!呼び鈴の飾りそのままじゃないですか。
中央の三日月と星は古くからのイスラム教の象徴であり、幸運のシンボルでもあった。
赤い色はオスマン帝国時代の反抗勢力の名残だそうです。
パリ万博でなぜこのような模様が?というのがぴんとこなかったけれど、ここで繋がってきました!


チュニジアと言えば思い出すのが、2010年から2011年にかけて起こった民主化運動、
『ジャスミン革命』という美しいことばで呼ばれたあの大規模反政府運動です。
チュニジアで始まったこの民主化運動はあっという間にエジプトなど周辺アラブ世界に
広がっていって、これまた『アラブの春』という美しい名で呼ばれていたことは記憶に新しいです。
しかし、現実には、チュニジアの騒ぎはアラブ世界に飛び火して、リビアではカッザーフィの独裁政権が
フランスなどNATO軍などの介入も得て倒され、カッザーフィーは殺害され、その後のリビアはシリア同様
内戦状態になってどうしようもない状態です。カッザーフィーのいなくなったリビアから流出した武器や傭兵や
戦闘のノウハウが、あの日本人人質殺害事件が起きたアルジェリアなど周辺アラブ世界の
過激派武闘集団に流れ込んでいると言われていますし、そもそもあの人質事件は、
フランス軍のマリ介入が遠因の一つともいわれています。
同じくエジプトでも民主化運動でムバーラク独裁政権が倒されはしたものの、
その後の混とんもみなさんご存知の通り。
アフリカの諸国の歴史から、フランス、イギリス、イタリア、ベルギー…などの
先進欧州諸国の政治経済文化あらゆる面での介入と欲望と搾取の影は拭い去ることはできないです…

                        *


小さなこの、呼び鈴。
骨董品です。もう、これが作られた時からおそらく百四十年近くの時が流れている…
骨董品は、ただ『モノ』としてそこにあります。
でも、この子が生まれてすぐに見た人間の歴史の1ページは、その後も連綿として続き、
幾多の動乱と悲劇を繰り返し、それは今も続いているんですね。
人間の歴史は『アンティーク』にはならないのです。過去は今に、今は未来に続いている…

この呼び鈴は、属国化される国の人々の想いや、
逆に、『世界にフランスあり』とパリ万博を機に華々しく宣伝して、チュニジアなど
海外における諸権利を確たるものにしていこうとする大国の思惑や…
そのような重い歴史を、その小さな体に背負っていたのですねえ…
生まれた時やところはおよそわかったけれど、しかし、この子自身が辿ってきた、
長い長い旅路は、それはわかりません…。この子しか知りません。

どこをどうめぐって私のところへ辿りついたのか…
人と人との縁だけでなく、ものとの縁というのも、ほんとうになんだか不思議なものです…





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Re:しほさんへ

しほさん、こんにちは。
私も、『後の十三夜』も満月も見ることができませんでした。
雲の意地悪~~~!(笑)

公共事業版TPP、そういう言い方があるのですね。
そういう概念ではとらえていなかったけれど、そのことは、実は私がTPPで
むしろ自動車などのことより一番恐れていることなんです。

あのね。一度、しほさんへの個人的な返事コメントとしてアップしかけていたのですが、
もう一度TPPのこと整理しておくいい機会だとも思いますので、そのコメントで
書いたこと、正記事としてアップさせていただいてもいいでしょうか?
そこに、しほさんのこちらのコメントへの返事も兼ねさせていただきたいと思います。

随分涼しく、というか寒くなりましたね~。^^
風邪はようやくなおりました。かれこれ一カ月もかかっちゃった。
しほさんもお風邪召しませんよう。
いつも本当にありがとうございます♪
それでは、コメントの返事の件、お願いいたしま~す。

No title

彼岸花さん、こんばんは。
昨晩は立冬で、満月そして大安。
でも雲で見られませんでした。
彼岸花さんはご覧になりましたか?

ところで、公共事業版TPPがあるそうですね。
上水道、下水道、保育、教育他にも本当は郵便なんてものも公共事業だと思います。
税金で作り上げたものを、さら〜と持っていかれるのは嫌だなと思います。

今年の秋は足早です。もう寒いと言いたいぐらいです。
体調は戻られましたか?

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。こんにちは。

はい。今年はほんとに東京は星空観察のためのお天気に見放されて
いるようです。

日本だけでなく、世界のあちらを見てもこちらを見ても、溜息をつくようなこと
ばかりですね。
アメリカはまた、共和党の勢力が盛り返し…、共和党というよりは、アメリカ
巨大企業のための施策がこれからまたさらにあからさまになっていくのでしょう…
民主党クリントン女史に期待をかける見方もありますが、私は、今の日本が
陥ってしまっているように、アメリカもまた、リベラル凋落の時代が
これからさらにまた新たに始まるのじゃないか、…そんな怖れを抱いています。
それは4年、5年というスパンで政権の色が変わるということでなく、ひょっとすると
10年、20年という長いスパンで…。
私には見届けることはできないだろうけれど。

『日本人は暗いことや、マイナスなことは嫌って、とことん避けますよね。
忌み言葉を避けるとか・・・プラス思考とか、妙な迷信に囚われています。』
『でもね、そんなものにご利益があるなら、日本は戦争に勝っていたはずです。』

ほんっと、そうですよね!
暗いことを避けていれば世の中が明るくなるのか。

プラス思考になれば福島の人体・土壌・空気・海洋汚染は明日にも解決するのか。
放送禁止用語を避けてしゃべっていれば、部落問題や健康上の問題を抱えて
必死に生きる人々のこころが救われるのか。
『王道楽土』『大東亜共栄圏』などの美しいスローガンを掲げて見せれば、
朝鮮半島や中国の人々や南方アジアの人々が、日本を好きになってくれ、
その侵略をも喜んでくれるのか。
合意文書の『異なる見解を有している』と言う部分がどこの部分をさすんだ、
などと姑息なことを言っていれば、国際的信用が高まり政治の難問も解決するとでも
思っているんでしょうか!(苦笑)

この世から、暗いこと、重いこと、老いや病、一般的にマイナス的価値と思われているもの…
そういうことから自ら目をそむけ、また眼をそむけさせていれば、そんなものが
消えてなくなるのか。そんなわけがないですよね。
直視しなければ。毅然として相対しなければ。敢然と戦わなければ、
そうしたもろもろの問題は解決しはしない。
その『直視すること』のなかにこそ、ひとりのひとがこの地球上に奇跡のように
生まれ出でて来たことの、深い意味もあるような気が私はするんだけれどなぁ。

日本…。
国、って何なんでしょうね。


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Re:鍵コメさんへ

鍵コメさん。おはようございます。

うれしいコメントありがとうございます。
ほのぼのしながら読ませていただきました。
とりわけ、『打ち明け話』というところではにっこりしてしまいました。
そうかも知れませんね。きっとそうだったのかもなぁ、と思います。^^

昨夜はね。何回も外に出てみたのですが、空は厚い雲に覆われていて
見られませんでした。各地で美しい『後の十三夜』が見られたと聞くのに。
今年の東京の空は、まるで意地悪でもしているかのように、その日に限って
その時期に限って雨が降ったり厚い雲に覆われていたり。
でも、あの厚い雲の向こうでは、きっと美しく月が輝いている…そう思って
街灯の下をおうちに帰ってきました。^^

ありがとうございます♪

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Re: NANTEIさんへ

NANTEIさん。こんばんは。

はい。思いがけずその出所をほぼつきとめることが出来ました。
それにはほんと、玄少子さんのお力添えがあった故、と言ってもよく。
私一人なら、途中で探索はストップしていたろうと思います。
私にもう少し世界史の素養があれば、もっと玄少子さんとの話も
さらに発展していっていたかもしれませんが。^^
それにしても面白かったです。

ほんとうにこの呼び鈴は、どれほど多くの人の手を経ながら、
1878年のパリから、140年の時空の旅をはるばる辿って、
私のところまでやってきたでしょうか。

1867年の第2回パリ万国博覧会のときには、日本は独立した区画を与えられず、
中国・シャムと共用。
割り振られた展示場の面積は、わずかに91㎡! フランスが用意した展示場の建物は、
日本やら中国やらシャムやら区別がつかないような代物。
日本の側も、既に弱体化した幕府と、薩摩藩などが2つの政府として出品するなど、
国内政治の不安を映しだして、政治的駆け引きも露骨だったそうですね。

そのあと、1873年ウィーン。1876年フィラデルフィアにも参加して、
1878年のパリ万国博覧会。
このときはもう、日本の陶磁器などの工芸品の素晴らしさなどはフランスにも
知られるようになっていて、すでに『ジャポニスム』の言葉も生まれ、
アジアの小国日本に対するフランスの認識も変わっていて、1,714㎡を
与えられたとか。^^
幕末から明治の日本人たちは、良くも悪くも果敢だったのでしょうね。^^

それにしても、林忠正という人。今回初めて知ったのですが、
興味を魅かれる人ですねえ。もっと研究評価されていい人なんじゃないでしょうか。

『カスバの女』は、私のカラオケでの持ち歌の一つですよ~~~(笑)
歴史上、どう判断するかとかいうことなどは一時置いておいて、なにか心惹かれる
地名というものはありますね~。
それも、歌からきているものは多い。
アルジェリア、チュニス、モロッコ、などという地名はこの歌で知ったようなもの。
映画ぺぺルモコに描かれたアルジェは、さすがに私もまだ生まれてないので
同時代としては知りませんでした。
ディック・ミネ歌うところの『夜霧のブルース』に出てくる『四馬路』『紅口』
などという上海の土地の名にも、子供心に哀愁を感じたなあ。
戦前・戦中と、日本人が大陸に憧れて出て行った心情も、わからなくはないのです…
人間の中には、『異邦』に身を置きたい、という心情もありますものね~。
そのことと侵略は全然別の話。

骨董談義は、ぜんぜん知らなくっても、聞いているだけで面白いですね~。
名品、と呼ばれるものは、見るとやはりいいなあ、と思う。
でも、聞かなければ、『小汚い壺だなあ…』(爆)





こんにちは。

とうとう辿りつきましたね。

第三回パリ万博といえば、
日本は二度目で明治維新になってからは初めての参加でした。
二度目といっても最初は徳川家や、雄藩がそれぞれに出品したそうですから、
国家としての参加は初めてといっていいでしょう。

日本館では茶室の他に農家も再現され、実際に農作業も実演されたそうです。
非常に根源的な文化紹介のありようで、
当時の指導者たちの腰の据わった考え方には感心したものです。

そうですか、そのパリ万博のチュニジア館で売られていたんですね!
その経過を読んでいるうちに・・・ここは地の果てアルジェリア♪
と言う歌が耳もとで鳴り始めました(笑

そのベルには何人の指紋が重なっているのでしょう。
そうしてどんな国を経由して彼岸花さんの手許に届いたのでしょうか。
知りたくてうずうずしてきました(笑

それにしても玄少子さんとのやりとりは、
まるで青柳恵介さんと中島誠之助さんとの対話のように、素晴らしいものでした。

すっかり楽しませてもらいました^^

Re: 鍵コメさんへ

鍵コメさん。今ごろ、ゆっく~り眠って、爽快に目を覚まされた頃かな~。
お疲れさまでした。
ほんとにしばらくは体、じっくり休めてくださいね~。^^
でも、お仕事のあとの充実感もおありになるでしょう~?^^

私も今日から、ちっと縫い物が続きます。
娘に頼まれていたもの、ずっと長~い風邪とかで放ったらかしになっていた。

この記事ね。面白いでしょう?
一つのささやかな、ものとの出会いから、思わずその子の背中に背負ってきた
激動の歴史が見えてきました~。
百四十年近くの時の旅をしてきた子なのよ~! ^^
1878年のパリ万博。誰がこの子を手にとって買って、それが誰の手に渡り、
また誰かの手に渡りして…私のところまでやってきたのでしょう。
その間には第一次世界大戦も第二次世界大戦もあって、この子はたぶん、
ナチスによるフランス侵攻も、それから、モディアノなどの記事で紹介したパリ解放も、…
み~んなたぶんこの子は見て来ている……

古い縮緬の布。これもすてきでしょう。^^
前ね。娘が仕事で、茶道の茶杓ね。あの茶杓とそれを入れる竹筒に絵を描くというの
やったことがあるんですよ。
頼まれて、それらを包む袱紗をやはり縫ったことがあったの。
その時使った布は、やはり骨董市で見つけた古い古い縮緬地でした。
それがまた、まためっぽうすてきな布で、なんとね、大きな『蛾』と花々が
幻想的に描いてあったの。その布は今回使ったのよりもっとボロボロに古びていて、
いいところを探して丁寧に裏打ちしてようやく袱紗の大きさに出来ました。
娘が茶杓と竹筒に描いた絵も、なんと幻想的な『蛾』の絵だったんですよ!^^
そりゃ、その布と組み合わせないって手はないですよね!

もう、なんともいえない不思議ですてきなワンセットになりました。
その時は袱紗に仕上げとして、繊細ないぶし銀の小さな房飾りをつけたんじゃなかったかな。^^

写真撮っておけばよかったなあ…その頃まだパソコンやってなかったからなあ…
私ももっと布仕事やろうっと!

こちらこそいつもありがとうございます。^^







Re: 玄少子さんへ

玄少子さん、こんばんは~♪

や~、ほんとに面白いですね~!

玄少子さんに教えられて、英語(玄少子さんはフランス語ででも、かな。^^)で
検索してみたら、あの呼び鈴の生まれた時代がこうやってぐっとはっきりしてきました。
玄少子さんの情報がなかったら、私はたぶん、ひょっとしたら日本製かも
などというところでストップして、それ以上の探索は続けられなかったと思います。

それで、チュニジアのパビリオンということがどうも引っかかって、それで調べて行くと
1878年の頃のチュニジアとフランスの関係がわかり…
チュニジアパビリオン、というのが、この子の出自を探るキーワードになりました!

そうしたら、それが今度は、さらに、あの玄少子さんの『少年十字軍』や
インノケンティウス三世と結びついていくんですものねえ!!!
今、ここに書いてくださったこと、私は知らないことばかりだったのでちょっと勉強しました。
そうしたら、玄少子さんがここに書いてくださったことの流れがようやくつかめ(^^
いまさらながらに、そのなんていうのか、シンクロニシティとでも言いたくなるような
偶然の連鎖に驚きました。
面白いなあ…
いや~、ほんとうに不思議です。
元はそうですね。モディアノですよね。
それで、玄少子さんがマルセル・シュウォッブの記事お書きになって。^^
私の方の知識不足で、そこで一旦つながりが切れそうになったのですが、
また、この呼び鈴の兄弟の存在のこと、玄少子さんが教えてくださって、
それがチュニジアと繋がり、
ぐる~~~っと一巡して、マルセル・シュウオッブと少年十字軍やインノケンティウス三世に
繋がっていくんだもの~。…なんだかほんとうに不思議です……

愉快ですねえ。^^
ときどき調べ物などしていると、それが思わぬ方向に展開して行って、
そうしてそれが、最後に自分が思っていた以上の劇的なつながり方をする
ことがあります。そういうときは本当にぞくぞくするような興奮を感じますね。

でもね、ほんとうは、玄少子さんもお書き下さったように、それらのことは
『現在のイスラムの目を覆う現状と繋がっている』んですよね。
ある種の知的探索をしたのが愉快だったね~などと言って喜んでばかりいられない。i-241
私もそのあたりの想いを記事の中で

「人間の歴史は『アンティーク』にはならないのです。過去は今に、今は未来に続いている…」

という一行に籠めてみました…。
旧日本軍がアジア諸国でしてきたこと…。それを歴史の織物の中にもう過ぎた過去
のこととして葬り去ってしまおうとする動きが急です。
でも、モノは骨董品になっていくけれど、人間の歴史は過去から現在、現在は未来へと、
ダイナミックに生きて続いているんですよね。
『モノ』のように、はい、もう骨董品になりました!ということでは終わらない。
その因果関係から何かを学んでいかなければ、人間はまた同じ過ちを繰り返します…。

歴史を辿っていけば、どこかでどこかと繋がっていき、それが現在ともつながってくる、
というのは、必然なのかもしれないですね。

でも、それにしても、ほんっとに感慨深いです。
今回も、インノケンティウス三世のことなど再度教えてくださらなかったら、
私の記事と時空の旅は、1878年に始まり1878年でぷつりと終わっていたでしょう。

ただひとつ気になっていたのは、あの渦巻き型三脚巴とパリ万博、そしてチュニジアとの
関係でした。とりわけチュニジアとあのケルト模様のところが、ぴしっと繋がらなくて
どうもすっきりしなかった。シチリアとの関係かなあと見当はつけてみたのですが、
自分じゃどうしても、そこのつながりが確信というところまで持って行けなかった。
そうですか。やっぱりチュニジアとシチリアとの関係から来ているんですねっ!(にっ♪)

そこがね、すっきりしなくって、実はずいぶん別ルートなども調べてみたんですよ。
まだその時は、チュニジアパビリオン、というキーワードに巡り合ってなくて、
フランス側の視点からしか見ていなかったので、ブルターニュあたりから
繋がっていくのかなあ、とかあたりをつけて、レントのあたりをだいぶうろうろしたり。^^
でも、そうなると、こんどは、パリ万博とブルターニュのつながりが切れる。
あの、一枚、どこを描いてるのかわからない建物がレントのあたりかな、などと
無理やりつなげてみようとしたり。(笑)

おかげさまで、ようやくこれで、あの小さな呼び鈴の抱えている秘密が
ほぼ解きほぐされました。^^

しかし。
ほんとうに激動の歴史ですね~~~……
あの、少年十字軍、インノケンティウス三世の頃のイベリア半島とマグレブ。
そして19世紀、フランスによるチュニジア侵攻と属国化、そして今へ、と。
人間の欲望と生き残りをかけた争いの歴史というものはなんとすざまじいのでしょう。

興味は尽きないですね。^^
ほんとにいろいろありがとう~~~~~♪





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交差

こんばんは,またわたしばっかり書いちゃって申し訳ないですが 
チュニスとつながるというところ,感慨ぶかいものがあります。
チュニジアはかつてはマグレブ(これは日が没する地方という意味で西アフリカをさします)の盟主のような時代も何回か有り,ちょうど先週わたしが書いてた少年十字軍の話の時代はその渦中でした。
レコンキスタ(失地回復),という総括で世界史に組み込まれているのですが,失地回復された側(マグレブ地方やアラブから見れば”うばわれた,ということになるわけです),
ただ,その時代にチュニスはムアッヒド朝(当時のキリスト教国の敵国)から独立していますが
ローマの優位をつくりだすきっかけとなりました。13世紀前半のことですが,
(13世紀というのはまさにただのローマ帝国に神聖の文字がついて神聖ローマ帝国となった時代であります)

その時代のチュニスはシチリアと非常に深い関係がありました。
・・・・だからケルト文様なんだな,と,いうこと,おおいになっとくがいきました。

ふしぎなものです。時空を旅して,また僅かでも自分の記事ともつながる。
もとはといえばモデイアーノの記事もありますし,いまのイスラムの眼を覆う惨状にこころ痛めて連想して十字軍と法王イノケンテイウスの詩をのせてたんですが・・・
ほんとうにふしぎですね。ありがとうございます

Re:鍵コメさんへ

わ~、何回もお手間とらせてしまってすみませ~ん!

了解です♪^^

解析。ときどき見ますが、crawler,来てますよ~。
そういう仕組みなんですね~。
楽しいものでもあり、便利この上ないけれど、考えてみると気色も悪いな。
まあ、それを知りつつ自己責任で使え、ということですね。^^

ところで。
その後新たにわかってきたこと、再追記、再々追記(笑)に書きました。
この子の生まれた前後のことがわかってきました…

いろいろ想わされます。^^

ありがとう~~~♪


 

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Re: 鍵コメさんへ

おお、そんな思い出がおありになったのですね。
しかし、お若いころから、ものを見る目、というか、考え深さと
確かさがあったのですね。

私などなぁにも考えないでぼうっと生きてたなあ。
全然世界にも目を向けないで、内向きで生きてたです!^^

それでもお話伺っていると、その頃の時代の空気というものは感じますよ~。
その頃、女性たちが最も意識が高く輝いていたんじゃないかなあ。


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『しだかれて十薬忿怒の息吐けり』

『南亭雑記』の南亭師から頂戴した句。このブログになんともぴったりな句と思い、使わせていただきます。
十薬とはどくだみのこと。どくだみは踏みしだかれると
鮮烈な香りを発します。その青い香りは、さながら虐げられた若者の体から発する忿怒と抗議のエネルギーのよう。
暑い季節には、この強い歌を入口に掲げて、私も一民衆としての想いを熱く語りましょう。

そして季節は秋。
一足早いけれども、同じく南亭師からいただいた、この冬の句も掲げておきましょう。

『埋火に理不尽を焼べどくだみ荘』

埋火(うずみび)は、寝る前に囲炉裏や火鉢の燠火に灰をかぶせて火が消えてしまわぬようにしておいた炭火などのこと。翌朝またこの小さな火を掻き立てて新たな炭をくべ、朝餉の支度にかかるのです…

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